PC:スーシャ、ロンシュタット
NPC:バルデラス、団員
場所:セーラムの街
魔物が、跳ねた。
普通の人になら「翔んだ」と見えたかもしれない敵を、ロンシュタットは平然と迎撃する。
洗うのが嫌だから、という理由ではないだろうが、持っているバルデラスをくるりと回す。
「ああん?」
バルデラス自身も何をするのか分からなかったのだろう、怪訝な声を出すと同時に、頭上から降ってくる魔物をロンシュタットは剣の腹で叩き落した。
べしゃり、と泥の中で潰れる魔物。それきり動くことも無く、続いて振り下ろされたロンシュタットの止めの一撃を脳天に喰らい、頭蓋を爆ぜて息絶えた。
「俺はハエ叩きか!」
バルデラスが抗議の声を上げる。
弱い敵を切れば手応えがないと愚痴をこぼし、本物の悪魔を倒せば倒し方に文句をつける。
ロンシュタットは、きっと余りにうるさいから無視してるんだろうな。
スーシャはまだ自分の体をあちこち触って無事を確認している団員の側で、戦闘とも呼べない一部始終を見ながら思った。
異形の生物を見た恐怖は、大して無い。
まだ神経が麻痺しているのかもしれないが、簡単に退治してしまった様を見れば、逆にあの怪物は何だったのか、とすら思ってしまう。
呆然としている団員と、きょとんとしているスーシャの元へロンシュタットが戻って来ると、また質問をした。
「ここへ来る前、宿では人がいた、と言っていたな」
口を利くことも無く、ただ頷く団員。
ようやく立ち上がりはするが、自分の身に起きたことはまだ分かっていない。
「では、ふたりはそのまま宿へ戻れ。途中で人がいるなら、一緒にいるように勧めることだ」
そう言うと、ロンシュタットは剣を手に持ったまま背を向け、歩き出す。
スーシャはびっくりした。
一緒にいないの?
てっきり自分たちと一緒にこれからどうするのか、教えてくれると思っていたスーシャには彼の行動は分からなかった。
どうして一緒にいないの?
訳のわからないまま、声をかけることもできず、ただロンシュタットの去る背中を見ることしかできない。
胸中に秘める思いは別だが、団員はもっと切迫した事情から声をかけることができた。
「ちょっと待て、いや、待ってくれないか!」
振り返ることなく、ロンシュタットの歩みが止まる。
「どうして俺たちは宿へ行くんだ? そこにまともな連中がいるから、か?」
「そうだ」
ロンシュタットは答える。
「詰め所の中で、行方不明になったはずの医者や仕立て屋に襲われた。どこから入ってきたのか分からない。だが、大勢で集まっていれば侵入は防げるだろうし、追い返すこともできるだろう。まして、今の悪魔のようなものが現れたら、お前たちでは何もできない」
「それは、足手まといだから、一箇所に集まって避難していろ、ということか?」
団員にとってその考えは、屈辱的なものであるに違いない。
しかし、悪魔に対して無力である上に、この目の前の青年は悠々と返り討ちにしたのだ。
だから
「そうだ」
と、短く答えられたときも、彼我にある絶望的な実力の差を感じ、しぶしぶ頷くしかなかった。
「……分かった、宿へ戻っていよう」
そう言い終えるより早く、ロンシュタットは立ち去り始めていた。
スーシャは団員と誰とも会わない道を、宿へと歩きながら、下ばかり見ている。
何だか、寂しいな。
そんなふうに思う。
別に気温が低すぎるからではない。人の気配の途絶えたこの街が、雑踏さえ消えているせいで、いつもの見知った場所から、全く知らない街へひとりで迷い込んでしまったようで、その違和感がひしひしと皮膚を通して身に染み込んで来るからでもある。
だが、それだけではない。
宿で自分が詰め所へ行く時、どうしてロンシュタットへ何かが口を割って出ようとしたのか──その言葉は何だったのか?
詰め所で再会した時、ロンシュタットは自分の側にいてくれた──守ってくれると自分が勝手に思い込んだのか?
もしそうなら恥ずかしい。
もしそうでないなら寂しい。
そしてどちらであっても、今は、辛い。
歩きながら、ふと彼の消えていった方を振り返る。
その都度、じんわりと目が熱くなって、また俯いて歩き出す。
慣れたはずなのに。
寂しいなぁ。
「ふうう、生き返るぜ~」
井戸からくみ上げた水を浴びて、バルデラスの機嫌は直った。
すっかりきれいになった刀身を、ロンシュタットは鞘に収め、再び腰に吊るして歩き出す。
最も、バルデラスの機嫌が良かろうと悪かろうと、彼にとってはどうでもいいのだが。
単に悪魔の腐臭が気に入らない、という理由で洗ってもらった事など知ることも無く、バルデラスは陽気に話す。
「しっかしまあ、あんな弱っちい奴じゃ、こんなことはできっこねえよな。どうだ、ロン。何か分かったか?」
「少しな」
おや、と一瞬言葉の詰まるバルデラス。
「珍しいな、お前が答えるなんざ。ようし、それじゃあ、いっちょ聞かせてもらおうか、何が分かったんだ?」
「あの悪魔の来た方角だ」
「はあん!?」
びっくりして大声を上げるバルデラス。
もし通行人がいたなら、腹話術でもしてるのかと、よほどびっくりしたに違いない。
「あいつを殺した後、体が溶けて地面に染み込んだ。それが地中を通って、今、足元を進んでいる」
「何だって!」
確かに、驚く内容だ。
「どういうカラクリか分からないが、これは悪魔の肉体だ。それが戻るところはひとつしかない」
「ははん、なるほどな」
バルデラスが意識を向ける先には、古びた教会と、地下墓地がある。
「けけけ、馬鹿な奴だな。それはそうと、ロン」
バルデラスが急に話題を変える。
「スーシャちゃんのことなんだが」
歩みを止めることなく、視線だけ向けて、ロンシュタットが何だ、と聞く。
「何だか、後味悪い別れ方したけど、いいのか? 大人し過ぎてよく分からんけど、いい娘だと思うぜ? 俺の事も嫌がったりしなかったし、お前の事も少しは頼りにしてたんじゃないのか? そんな娘をほっぽって、いいのかよ?」
しかし、ロンシュタットの答えは、やはり短かった。
「それがどうした?」
唖然とした間が空いた後、ふうう、と長い溜息が聞こえる。
「お前なぁ……いや、いやいや、そうだ、お前はそういう奴だった。けっ、本当に、悪魔を殺すことにしか関心がねえんだな。まあ、こっちもそれが楽しくてついていってんだけどな。ひっひっひ、今度はどんな屍の山ができることか」
それ以上言わなかったのは、ロンシュタットが墓地に足を踏み入れ、いい加減に黙れ、と目で脅してきたからだ。
だが一言だけ、
「あの悪魔は、彼女も狙った」
バルデラスにも聞こえず、ロンシュタットはぽつりと呟いた。
ロンシュタットはそのまま、迷うことなく墓地の中を進む。
誰かが墓参りにでも来たのか、枯れかけた花束がひとつ置かれている墓石がある。
その墓石を過ぎて、教会へと続く道から外れまた少し歩くと、柵で囲われた石造りの礼拝所があった。
礼拝所と言うよりは、小さな神殿じみている。正確に何と言うのか分からないのは、ロンシュタットにこれが何なのか、はっきり分からない為だ。
恐らく、遺体を然るべきときまで安置する為の場所なのだろう。普段から手入れをされ、人の出入りが頻繁にある場所ではないのは、周囲に足跡が無いことや、落ち葉がそのままになっていたり、柵に草が引っかかったままになっていることからも判断できる。
柵を軽々と飛び越え、枯れ葉を舞い散らせながら中へ入る。
床に落ちる葉の音さえ聞こえるような静けさだけが支配する安置所の、中央には石畳が敷かれて一段高くなっていて、そこにはロンシュタットの目線ほどの高さのある、これも石造りの棺がある。
ここに埋葬前の遺体が安置されるのだろうか。
両手をつくと、力任せにそれを横にずらす。
石柱の隙間から差し込む僅かな陽光の通り道を示す様に、土埃がうっすらと舞う。
半分ほどずらし、人ひとりが通れるようになると、重力を感じさせず、音すら立てずにひらりと乗る。
「地下への入り口か?」
棺の中を覗き込んだバルデラスが言う。
ロンシュタットも否定しないところを見ると、同意見なのだろう。
恐らく、正確には地下墓地、または納骨堂などになるそこへ、大の大人でさえ、昼に一人では入りたくないそこへ、ロンシュタットは躊躇う素振りも見せず飛び降りて入っていく。
死者の眠りを揺り覚ますような行動だが、幸い、階段を下って行っても、遺体も遺骨も無かった。
地下にあったのは、数メートル四方の小さな空間。
それが階段の先。
既に光の届かぬ場所に、明かりも持たず周囲の様子を見ているのは、やはり、ロンシュタットは暗闇でも眼が見えるからだろう。
その彼の眼が捕えたのは、朽ちかけた木製の棚だけだった。
何か道具でも置いておくのか、それとも荼毘にふした遺骨を納めるのか。しかし棚には、今は何も無い。
「何も無いのか? おかしいじゃねぇか」
バルデラスが疑問に感じるのも当然だ。
そしてまた、壁面が濡れている事を知り、そちらに疑問を抱いたのはロンシュタットだ。
いくら地下とはいえ、石で完全に囲まれた場所で、壁面が濡れ、天井からも水が滴り落ちるほど湿気が充満するものだろうか?
まして、ここが遺骨や遺体を安置しておく場所なら、なおさらだ。例え昨夜が雨であっても。
「おい、ここが悪魔のいる場所なのか?」
バルデラスが訊いて来る。
「地下を通った悪魔は、今、ここにいる」
スーシャや団員がいれば、腰を抜かすような事を、だが彼はまるで気にしていないように言う。
どんな神経をしているのか。
「どうやら」
と、ロンシュタットはバルデラスの柄を右手で握り、続ける。
「この液体が、悪魔の正体らしい」
くるりと振り返るロンシュタットの背後に、詰め所の時と同じ様に、殺したはずの医者と仕立て屋一家が立っていた。
「だが、おかしいな」
徐々に距離を詰めてくる相手を前に、まるで敵がいないかのように、何の抑揚も変えずに疑問を口にする。
「街の人間を襲い、短時間で行方不明にさせたり、すばしこく逃げる犬や猫を襲うには、これでは無理がある」
「つまり?」
バルデラスが先を促した。
「本体は、別の場所へ移動したと言うことだ」
はぁ? と首を傾げるバルデラス。
「それじゃ、何か? これは俺たちをここに誘き寄せる罠だった、そういうことか? おいおい、悪魔を殺すことだけに目が眩んで仕留め損なうんじゃ、話にならんぜ」
「違うな」
ロンシュタットは短く否定する。
「狙いは、スーシャだろう」
しばらく沈黙が続いた後、バルデラスが言った。
「ははぁ、それでお前、本体を叩いて街に……というより、スーシャちゃんに被害が及ぶ前に仕留めようとしたのか。彼女を街に残してひとりで悪魔と対決しようとしたのは、つまり、彼女の身の安全が第一と考えたからだな?」
ロンシュタットは肩をすくめる。
「全く、他人を気遣うなんざ、慣れねぇ事するからだ」
やれやれ、と言いたげに罵って、バルデラスも先程、自分も同じ事をしたことを思い出す。
「そう思うなら、少しは役に立ってもらうぞ」
ロンシュタットが右手に力を込めて柄を握る。
その瞬間、狭い石室に、無いはずの光が放たれた。
NPC:バルデラス、団員
場所:セーラムの街
魔物が、跳ねた。
普通の人になら「翔んだ」と見えたかもしれない敵を、ロンシュタットは平然と迎撃する。
洗うのが嫌だから、という理由ではないだろうが、持っているバルデラスをくるりと回す。
「ああん?」
バルデラス自身も何をするのか分からなかったのだろう、怪訝な声を出すと同時に、頭上から降ってくる魔物をロンシュタットは剣の腹で叩き落した。
べしゃり、と泥の中で潰れる魔物。それきり動くことも無く、続いて振り下ろされたロンシュタットの止めの一撃を脳天に喰らい、頭蓋を爆ぜて息絶えた。
「俺はハエ叩きか!」
バルデラスが抗議の声を上げる。
弱い敵を切れば手応えがないと愚痴をこぼし、本物の悪魔を倒せば倒し方に文句をつける。
ロンシュタットは、きっと余りにうるさいから無視してるんだろうな。
スーシャはまだ自分の体をあちこち触って無事を確認している団員の側で、戦闘とも呼べない一部始終を見ながら思った。
異形の生物を見た恐怖は、大して無い。
まだ神経が麻痺しているのかもしれないが、簡単に退治してしまった様を見れば、逆にあの怪物は何だったのか、とすら思ってしまう。
呆然としている団員と、きょとんとしているスーシャの元へロンシュタットが戻って来ると、また質問をした。
「ここへ来る前、宿では人がいた、と言っていたな」
口を利くことも無く、ただ頷く団員。
ようやく立ち上がりはするが、自分の身に起きたことはまだ分かっていない。
「では、ふたりはそのまま宿へ戻れ。途中で人がいるなら、一緒にいるように勧めることだ」
そう言うと、ロンシュタットは剣を手に持ったまま背を向け、歩き出す。
スーシャはびっくりした。
一緒にいないの?
てっきり自分たちと一緒にこれからどうするのか、教えてくれると思っていたスーシャには彼の行動は分からなかった。
どうして一緒にいないの?
訳のわからないまま、声をかけることもできず、ただロンシュタットの去る背中を見ることしかできない。
胸中に秘める思いは別だが、団員はもっと切迫した事情から声をかけることができた。
「ちょっと待て、いや、待ってくれないか!」
振り返ることなく、ロンシュタットの歩みが止まる。
「どうして俺たちは宿へ行くんだ? そこにまともな連中がいるから、か?」
「そうだ」
ロンシュタットは答える。
「詰め所の中で、行方不明になったはずの医者や仕立て屋に襲われた。どこから入ってきたのか分からない。だが、大勢で集まっていれば侵入は防げるだろうし、追い返すこともできるだろう。まして、今の悪魔のようなものが現れたら、お前たちでは何もできない」
「それは、足手まといだから、一箇所に集まって避難していろ、ということか?」
団員にとってその考えは、屈辱的なものであるに違いない。
しかし、悪魔に対して無力である上に、この目の前の青年は悠々と返り討ちにしたのだ。
だから
「そうだ」
と、短く答えられたときも、彼我にある絶望的な実力の差を感じ、しぶしぶ頷くしかなかった。
「……分かった、宿へ戻っていよう」
そう言い終えるより早く、ロンシュタットは立ち去り始めていた。
スーシャは団員と誰とも会わない道を、宿へと歩きながら、下ばかり見ている。
何だか、寂しいな。
そんなふうに思う。
別に気温が低すぎるからではない。人の気配の途絶えたこの街が、雑踏さえ消えているせいで、いつもの見知った場所から、全く知らない街へひとりで迷い込んでしまったようで、その違和感がひしひしと皮膚を通して身に染み込んで来るからでもある。
だが、それだけではない。
宿で自分が詰め所へ行く時、どうしてロンシュタットへ何かが口を割って出ようとしたのか──その言葉は何だったのか?
詰め所で再会した時、ロンシュタットは自分の側にいてくれた──守ってくれると自分が勝手に思い込んだのか?
もしそうなら恥ずかしい。
もしそうでないなら寂しい。
そしてどちらであっても、今は、辛い。
歩きながら、ふと彼の消えていった方を振り返る。
その都度、じんわりと目が熱くなって、また俯いて歩き出す。
慣れたはずなのに。
寂しいなぁ。
「ふうう、生き返るぜ~」
井戸からくみ上げた水を浴びて、バルデラスの機嫌は直った。
すっかりきれいになった刀身を、ロンシュタットは鞘に収め、再び腰に吊るして歩き出す。
最も、バルデラスの機嫌が良かろうと悪かろうと、彼にとってはどうでもいいのだが。
単に悪魔の腐臭が気に入らない、という理由で洗ってもらった事など知ることも無く、バルデラスは陽気に話す。
「しっかしまあ、あんな弱っちい奴じゃ、こんなことはできっこねえよな。どうだ、ロン。何か分かったか?」
「少しな」
おや、と一瞬言葉の詰まるバルデラス。
「珍しいな、お前が答えるなんざ。ようし、それじゃあ、いっちょ聞かせてもらおうか、何が分かったんだ?」
「あの悪魔の来た方角だ」
「はあん!?」
びっくりして大声を上げるバルデラス。
もし通行人がいたなら、腹話術でもしてるのかと、よほどびっくりしたに違いない。
「あいつを殺した後、体が溶けて地面に染み込んだ。それが地中を通って、今、足元を進んでいる」
「何だって!」
確かに、驚く内容だ。
「どういうカラクリか分からないが、これは悪魔の肉体だ。それが戻るところはひとつしかない」
「ははん、なるほどな」
バルデラスが意識を向ける先には、古びた教会と、地下墓地がある。
「けけけ、馬鹿な奴だな。それはそうと、ロン」
バルデラスが急に話題を変える。
「スーシャちゃんのことなんだが」
歩みを止めることなく、視線だけ向けて、ロンシュタットが何だ、と聞く。
「何だか、後味悪い別れ方したけど、いいのか? 大人し過ぎてよく分からんけど、いい娘だと思うぜ? 俺の事も嫌がったりしなかったし、お前の事も少しは頼りにしてたんじゃないのか? そんな娘をほっぽって、いいのかよ?」
しかし、ロンシュタットの答えは、やはり短かった。
「それがどうした?」
唖然とした間が空いた後、ふうう、と長い溜息が聞こえる。
「お前なぁ……いや、いやいや、そうだ、お前はそういう奴だった。けっ、本当に、悪魔を殺すことにしか関心がねえんだな。まあ、こっちもそれが楽しくてついていってんだけどな。ひっひっひ、今度はどんな屍の山ができることか」
それ以上言わなかったのは、ロンシュタットが墓地に足を踏み入れ、いい加減に黙れ、と目で脅してきたからだ。
だが一言だけ、
「あの悪魔は、彼女も狙った」
バルデラスにも聞こえず、ロンシュタットはぽつりと呟いた。
ロンシュタットはそのまま、迷うことなく墓地の中を進む。
誰かが墓参りにでも来たのか、枯れかけた花束がひとつ置かれている墓石がある。
その墓石を過ぎて、教会へと続く道から外れまた少し歩くと、柵で囲われた石造りの礼拝所があった。
礼拝所と言うよりは、小さな神殿じみている。正確に何と言うのか分からないのは、ロンシュタットにこれが何なのか、はっきり分からない為だ。
恐らく、遺体を然るべきときまで安置する為の場所なのだろう。普段から手入れをされ、人の出入りが頻繁にある場所ではないのは、周囲に足跡が無いことや、落ち葉がそのままになっていたり、柵に草が引っかかったままになっていることからも判断できる。
柵を軽々と飛び越え、枯れ葉を舞い散らせながら中へ入る。
床に落ちる葉の音さえ聞こえるような静けさだけが支配する安置所の、中央には石畳が敷かれて一段高くなっていて、そこにはロンシュタットの目線ほどの高さのある、これも石造りの棺がある。
ここに埋葬前の遺体が安置されるのだろうか。
両手をつくと、力任せにそれを横にずらす。
石柱の隙間から差し込む僅かな陽光の通り道を示す様に、土埃がうっすらと舞う。
半分ほどずらし、人ひとりが通れるようになると、重力を感じさせず、音すら立てずにひらりと乗る。
「地下への入り口か?」
棺の中を覗き込んだバルデラスが言う。
ロンシュタットも否定しないところを見ると、同意見なのだろう。
恐らく、正確には地下墓地、または納骨堂などになるそこへ、大の大人でさえ、昼に一人では入りたくないそこへ、ロンシュタットは躊躇う素振りも見せず飛び降りて入っていく。
死者の眠りを揺り覚ますような行動だが、幸い、階段を下って行っても、遺体も遺骨も無かった。
地下にあったのは、数メートル四方の小さな空間。
それが階段の先。
既に光の届かぬ場所に、明かりも持たず周囲の様子を見ているのは、やはり、ロンシュタットは暗闇でも眼が見えるからだろう。
その彼の眼が捕えたのは、朽ちかけた木製の棚だけだった。
何か道具でも置いておくのか、それとも荼毘にふした遺骨を納めるのか。しかし棚には、今は何も無い。
「何も無いのか? おかしいじゃねぇか」
バルデラスが疑問に感じるのも当然だ。
そしてまた、壁面が濡れている事を知り、そちらに疑問を抱いたのはロンシュタットだ。
いくら地下とはいえ、石で完全に囲まれた場所で、壁面が濡れ、天井からも水が滴り落ちるほど湿気が充満するものだろうか?
まして、ここが遺骨や遺体を安置しておく場所なら、なおさらだ。例え昨夜が雨であっても。
「おい、ここが悪魔のいる場所なのか?」
バルデラスが訊いて来る。
「地下を通った悪魔は、今、ここにいる」
スーシャや団員がいれば、腰を抜かすような事を、だが彼はまるで気にしていないように言う。
どんな神経をしているのか。
「どうやら」
と、ロンシュタットはバルデラスの柄を右手で握り、続ける。
「この液体が、悪魔の正体らしい」
くるりと振り返るロンシュタットの背後に、詰め所の時と同じ様に、殺したはずの医者と仕立て屋一家が立っていた。
「だが、おかしいな」
徐々に距離を詰めてくる相手を前に、まるで敵がいないかのように、何の抑揚も変えずに疑問を口にする。
「街の人間を襲い、短時間で行方不明にさせたり、すばしこく逃げる犬や猫を襲うには、これでは無理がある」
「つまり?」
バルデラスが先を促した。
「本体は、別の場所へ移動したと言うことだ」
はぁ? と首を傾げるバルデラス。
「それじゃ、何か? これは俺たちをここに誘き寄せる罠だった、そういうことか? おいおい、悪魔を殺すことだけに目が眩んで仕留め損なうんじゃ、話にならんぜ」
「違うな」
ロンシュタットは短く否定する。
「狙いは、スーシャだろう」
しばらく沈黙が続いた後、バルデラスが言った。
「ははぁ、それでお前、本体を叩いて街に……というより、スーシャちゃんに被害が及ぶ前に仕留めようとしたのか。彼女を街に残してひとりで悪魔と対決しようとしたのは、つまり、彼女の身の安全が第一と考えたからだな?」
ロンシュタットは肩をすくめる。
「全く、他人を気遣うなんざ、慣れねぇ事するからだ」
やれやれ、と言いたげに罵って、バルデラスも先程、自分も同じ事をしたことを思い出す。
「そう思うなら、少しは役に立ってもらうぞ」
ロンシュタットが右手に力を込めて柄を握る。
その瞬間、狭い石室に、無いはずの光が放たれた。
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PC:スーシャ ロンシュタット
NPC:バルデラス 自警団員
場所:セーラムの街 宿屋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の宿屋は、珍しく大勢の人が集まっていた。
とはいっても客ではないので、主人としては嬉しくも何ともないだろう。
街の住人たちが避難所よろしく集まっているに過ぎない。
小さい子供らがどたばたと走りまわり、その親達はどこか陰鬱な表情をつき合わせて
いる。
団員は他の団員と腕に覚えのある者を集め、表側の入り口と裏口の二手に分かれて外
からの侵入者に備えている。
先ほど一緒に行動していた団員は入り口側を守っていた。
スーシャは酒場のすみの方に一人でぽつんと椅子に座り、ただひたすら黙っていた。
そのうち、スカートのポケットをごそごそと探り始める。
再び手をポケットから抜き出した時、その手にはししゅう糸を何本か束ねて途中まで
三つ編みにしたものが握られていた。
スーシャの認識するところ、お守りの一種の作りかけである。
本当ならばそのお守りを作る時は道具などを使うのだが、見よう見真似でやっている
に過ぎず、やり方としてはでたらめである。
別に、お守りを作りたくてやっているわけではない。
手持ちぶさたでどうしようもない時に時間を潰すためにしているだけだ。
これをやっている間なら、誰かの視線を気にしておどおどすることもないし、何かや
ることはないのかと変に気をもむこともない。
――物思いにふけることもできる。
(ロンシュタットさん、今どうしているんだろう……)
不意に、あの黒髪の青年のことが頭をよぎる。
一番安全なこの宿ではないところにいるという事は、危険に身をさらしているという
事だ。
その危険の度合いは、申し訳ないが、宿の出入り口を守っている人々とは比べものに
ならない。
たった一人で脅威に立ち向かっているのだ。
今、この間にも。
(無事だと……いいな)
スーシャは、手を止めた。
思えば、薄っぺらい間柄だ。
何の義理もないし、親しい言葉を交わしたわけでもない。
それでも……無事でいて欲しかった。
何事もなく、またその姿を見たいと思った。
突然誰かがいなくなってしまうのは……置いて行かれてしまうのは、もう嫌だ。
『兄ちゃん、絶対に迎えに来るから……だから、ここで待ってろよ』
優しい記憶を思い出しそうになって、スーシャは耳をふさいだ。
「あたしゃ聞いたんだけどね。なんでも、悪魔がいるんだって?」
「ああ、そうらしいよ。団員が言うんだから間違いないさ」
「おそろしい! この街は一体どうなっちまうんだろうね」
「悪魔って言ったらあれだろ? 美人の血をすするんだろ?」
「あら~、じゃああたしなんか危険だわねぇ」
「あんたは一番安全だよ!」
「まったくだわ」
「あっはっはっはっは」
スーシャの向かいのテーブルでは、中年を過ぎた女性が集まってわいわいと話をして
いる。
話が進めば進むほど妙な方向に向かっているようだが……いかなる状況でも口さがな
いのが、おばさんというものの習性である。
事の重大性がわかっていないのか、わかってはいるが神経が太いのかは不明である。
その時、ぞっとするような寒気を、スーシャは感じた。
ごく自然に、目が宿の入り口の方へと引き寄せられた。
寒気を起こさせる“何か”があると、本能が感じ取ったためである。
「団長……っ」
団員の顔が強張っている。
「突然街の人々が見えないから心配になって、あちこち見回って来た。ここにいるな
らいると連絡をよこしてもらいたいものだ」
――団長が、宿の扉に手をかけていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NPC:バルデラス 自警団員
場所:セーラムの街 宿屋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の宿屋は、珍しく大勢の人が集まっていた。
とはいっても客ではないので、主人としては嬉しくも何ともないだろう。
街の住人たちが避難所よろしく集まっているに過ぎない。
小さい子供らがどたばたと走りまわり、その親達はどこか陰鬱な表情をつき合わせて
いる。
団員は他の団員と腕に覚えのある者を集め、表側の入り口と裏口の二手に分かれて外
からの侵入者に備えている。
先ほど一緒に行動していた団員は入り口側を守っていた。
スーシャは酒場のすみの方に一人でぽつんと椅子に座り、ただひたすら黙っていた。
そのうち、スカートのポケットをごそごそと探り始める。
再び手をポケットから抜き出した時、その手にはししゅう糸を何本か束ねて途中まで
三つ編みにしたものが握られていた。
スーシャの認識するところ、お守りの一種の作りかけである。
本当ならばそのお守りを作る時は道具などを使うのだが、見よう見真似でやっている
に過ぎず、やり方としてはでたらめである。
別に、お守りを作りたくてやっているわけではない。
手持ちぶさたでどうしようもない時に時間を潰すためにしているだけだ。
これをやっている間なら、誰かの視線を気にしておどおどすることもないし、何かや
ることはないのかと変に気をもむこともない。
――物思いにふけることもできる。
(ロンシュタットさん、今どうしているんだろう……)
不意に、あの黒髪の青年のことが頭をよぎる。
一番安全なこの宿ではないところにいるという事は、危険に身をさらしているという
事だ。
その危険の度合いは、申し訳ないが、宿の出入り口を守っている人々とは比べものに
ならない。
たった一人で脅威に立ち向かっているのだ。
今、この間にも。
(無事だと……いいな)
スーシャは、手を止めた。
思えば、薄っぺらい間柄だ。
何の義理もないし、親しい言葉を交わしたわけでもない。
それでも……無事でいて欲しかった。
何事もなく、またその姿を見たいと思った。
突然誰かがいなくなってしまうのは……置いて行かれてしまうのは、もう嫌だ。
『兄ちゃん、絶対に迎えに来るから……だから、ここで待ってろよ』
優しい記憶を思い出しそうになって、スーシャは耳をふさいだ。
「あたしゃ聞いたんだけどね。なんでも、悪魔がいるんだって?」
「ああ、そうらしいよ。団員が言うんだから間違いないさ」
「おそろしい! この街は一体どうなっちまうんだろうね」
「悪魔って言ったらあれだろ? 美人の血をすするんだろ?」
「あら~、じゃああたしなんか危険だわねぇ」
「あんたは一番安全だよ!」
「まったくだわ」
「あっはっはっはっは」
スーシャの向かいのテーブルでは、中年を過ぎた女性が集まってわいわいと話をして
いる。
話が進めば進むほど妙な方向に向かっているようだが……いかなる状況でも口さがな
いのが、おばさんというものの習性である。
事の重大性がわかっていないのか、わかってはいるが神経が太いのかは不明である。
その時、ぞっとするような寒気を、スーシャは感じた。
ごく自然に、目が宿の入り口の方へと引き寄せられた。
寒気を起こさせる“何か”があると、本能が感じ取ったためである。
「団長……っ」
団員の顔が強張っている。
「突然街の人々が見えないから心配になって、あちこち見回って来た。ここにいるな
らいると連絡をよこしてもらいたいものだ」
――団長が、宿の扉に手をかけていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC:スーシャ、ロンシュタット
NPC:バルデラス、少年
場所:セーラムの街
地面を湿らせる程度だった量の湿気は、生暖かい気流を生み、まるでそれが生きているように石室の中を流動し始めた。
壁や天井から漏れてくる水滴もその量を増し、ロンシュタットの靴底から這い上がり、くるぶしまで浸かった。
巨大な生き物の腹にでも放り込まれたようだ。
いつの間にか入って来た天井からの光も遮られ、外界への出口はすっかり塞がれてしまったようである。
質量を伴う霧はぬらぬらと爬虫類のようにロンシュタットの首筋や頬を撫でていく。
前へ進もうとして、ロンシュタットの歩みは止まった。
くるぶしまで浸かっているのは確かに水なのに、まるで泥の中にでも足を突っ込んだようにまとわり着き、重く枷を嵌める。
無理矢理足を持ち上げてみると、溶けた飴のように粘度の高い、太くて長い糸を引いた。
しばらく足を持ち上げて観察していたが、急にどしんと地面を踵で蹴り付ける。
「おいおい」
バルデラスが声を上げる。
「何怒ってんだよ。この悪魔の体がそんなに気に入らないのか?」
ちらり、とだけ眼を向け、ロンシュタットは何も言わずに体勢を整える。
足場を確認する為に何度か靴底を地面に擦り付ける。
ロンシュタットはいつもの無表情からも分かるように、何の感情も抱いていない。
彼が足を地面に勢いよく落としたのは、決して腹が立っているからではない。
いきなり、引っ張られたからである。
ただ動きを封じるだけしかできないようなこの水は、やはり悪魔の身体だった。
絡み付いた水は、伸び切ったゴムが元に戻ろうとするのと同様、力強く、瞬時にロンシュタットを足を引っ張ったのだ。
それに足を持っていかれたとはいえ、転倒することも無く踏み止まれたのは、脅威の反射神経、バランス感覚としか言いようが無い。
もしそのままうつ伏せに倒れでもしていれば、悪魔は彼の身体をがっしりと掴み、二度と起き上がることは無かったろう。
ロンシュタットがバルデラスに合図を送る。
──暴れろ。
そんな意味だ。
待ってました、とばかりにバルデラスは張り切り始める。
今まで喋ることでしかストレスを発散できなかったこの大悪魔は、圧倒的な支配力を振るう持ち主から、ようやくその力を使う事を許されたのだ。
石室に、空気が弾ける音と、瞬く間もないような光がする。
バルデラスの刀身から、茨の、あるいは薔薇の蔦が生えでもしたように、紫色をした光の糸が瞬時にその形を変えて放たれ始める。
死神の電撃。
その二つ名で呼ばれ、同じ悪魔にさえ畏怖の念を抱かせるバルデラスの本性。
それが壁面に、水面に、天井に、時には触れるように、時には弾くように、意思あるかのごとく伸びては消え、また新たな稲妻が迸る。
その光の糸が束ねられ、次第に太く、激しく石室内を跳ね回る。
光の濁流が石室を満たし、轟音が聴覚を奪っても留まる事は無く、いや、それどころか益々その勢いを増し、強固に建造された室内を破壊し始める。
四方八方に怒りでもぶちまけるような電撃が、視線を上へ向ける。
稲妻の一本が光の槍となって瞬時に天井を突き崩す。
その勢いは凄まじく、蓋をされた天井を破壊したまま伸び続け、神殿造りとなっている柱を、外部の天蓋さえ突き破り、薄雲まで届いた。
大して時間も経たず、ロンシュタットは剣を腰に吊るして地下から出て来た。
周囲は散々たる状況だった。
無残に砕かれた柱はすでに原型を留めておらず、天の怒りでも受けたかのように粉々になっている。
被害はその周囲に広く及び、草には所々こげついたような跡が、空中には土埃が舞っている。
スーシャの元へと引き返そうとするロンシュタット。
もちろん、この場にあった悪魔の身体を放置することもない。
水であったそれは、電撃を受けて蒸発してしまい、敵であるロンシュタットを追い込んだはずの石室から逆に逃げ場を失い、瞬殺されてしまっていた。
これで、悪魔の居場所の手掛かりは無くなったか?
いや、ロンシュタットの街へと向かう足取りに迷いはない。
彼には、はっきりと、今も姿を現そうとしている悪魔本体が見えているのか。
そしてそれは、この街での決着が着くことを意味してもいた。
街へと引き返すのも、いつも通りの足取りである。
特に急ぐでもなく、焦ったりしないところがロンシュタットらしい。
放電を終えたバルデラスは腰に吊られており、また暴れる隙を窺うようにむずむずしている。
共同墓地から街の中心部へ引き返す大きな通りで、そのロンシュタットの後姿をびっくりしながら見送る影がひとつあった。
詰め所から出て行った、あの団長の子供である。
彼は自分の憤りを消化できないまま、町外れをとぼとぼと歩いていたのだが、その時に、大きな爆発音を聞いて、その音のした方へやってきたのだ。
町外れで塞ぎ込んだまま、しばらくひとりでいたのだが、妙な静けさが気になり、ふらふらと町へ戻って来たのだ。
そしてその静けさは、錯覚でないことがすぐに分かった。
見知った顔が、誰もいないのだ。
まさか、自分に対する父親からのあてつけか?
あてつけかどうかは分からなかったが、彼は父親がその権力を使って、自分に誰も会わないようにしたのではないかと少し思った。
だが、叱られた時の心境がそうであるように、ありえない事を悪いほうへ考える今のこの少年は、その場で見かけたロンシュタットに意味を見出すことができず、戸惑い、立ち止まってしまった。
こんな誰もいない街で、この人は迷うでもなく、何をしようとしているんだろう?
確か、詰め所にいた人だ、と思い出すと、彼はこっそり後をつけることにした。
NPC:バルデラス、少年
場所:セーラムの街
地面を湿らせる程度だった量の湿気は、生暖かい気流を生み、まるでそれが生きているように石室の中を流動し始めた。
壁や天井から漏れてくる水滴もその量を増し、ロンシュタットの靴底から這い上がり、くるぶしまで浸かった。
巨大な生き物の腹にでも放り込まれたようだ。
いつの間にか入って来た天井からの光も遮られ、外界への出口はすっかり塞がれてしまったようである。
質量を伴う霧はぬらぬらと爬虫類のようにロンシュタットの首筋や頬を撫でていく。
前へ進もうとして、ロンシュタットの歩みは止まった。
くるぶしまで浸かっているのは確かに水なのに、まるで泥の中にでも足を突っ込んだようにまとわり着き、重く枷を嵌める。
無理矢理足を持ち上げてみると、溶けた飴のように粘度の高い、太くて長い糸を引いた。
しばらく足を持ち上げて観察していたが、急にどしんと地面を踵で蹴り付ける。
「おいおい」
バルデラスが声を上げる。
「何怒ってんだよ。この悪魔の体がそんなに気に入らないのか?」
ちらり、とだけ眼を向け、ロンシュタットは何も言わずに体勢を整える。
足場を確認する為に何度か靴底を地面に擦り付ける。
ロンシュタットはいつもの無表情からも分かるように、何の感情も抱いていない。
彼が足を地面に勢いよく落としたのは、決して腹が立っているからではない。
いきなり、引っ張られたからである。
ただ動きを封じるだけしかできないようなこの水は、やはり悪魔の身体だった。
絡み付いた水は、伸び切ったゴムが元に戻ろうとするのと同様、力強く、瞬時にロンシュタットを足を引っ張ったのだ。
それに足を持っていかれたとはいえ、転倒することも無く踏み止まれたのは、脅威の反射神経、バランス感覚としか言いようが無い。
もしそのままうつ伏せに倒れでもしていれば、悪魔は彼の身体をがっしりと掴み、二度と起き上がることは無かったろう。
ロンシュタットがバルデラスに合図を送る。
──暴れろ。
そんな意味だ。
待ってました、とばかりにバルデラスは張り切り始める。
今まで喋ることでしかストレスを発散できなかったこの大悪魔は、圧倒的な支配力を振るう持ち主から、ようやくその力を使う事を許されたのだ。
石室に、空気が弾ける音と、瞬く間もないような光がする。
バルデラスの刀身から、茨の、あるいは薔薇の蔦が生えでもしたように、紫色をした光の糸が瞬時にその形を変えて放たれ始める。
死神の電撃。
その二つ名で呼ばれ、同じ悪魔にさえ畏怖の念を抱かせるバルデラスの本性。
それが壁面に、水面に、天井に、時には触れるように、時には弾くように、意思あるかのごとく伸びては消え、また新たな稲妻が迸る。
その光の糸が束ねられ、次第に太く、激しく石室内を跳ね回る。
光の濁流が石室を満たし、轟音が聴覚を奪っても留まる事は無く、いや、それどころか益々その勢いを増し、強固に建造された室内を破壊し始める。
四方八方に怒りでもぶちまけるような電撃が、視線を上へ向ける。
稲妻の一本が光の槍となって瞬時に天井を突き崩す。
その勢いは凄まじく、蓋をされた天井を破壊したまま伸び続け、神殿造りとなっている柱を、外部の天蓋さえ突き破り、薄雲まで届いた。
大して時間も経たず、ロンシュタットは剣を腰に吊るして地下から出て来た。
周囲は散々たる状況だった。
無残に砕かれた柱はすでに原型を留めておらず、天の怒りでも受けたかのように粉々になっている。
被害はその周囲に広く及び、草には所々こげついたような跡が、空中には土埃が舞っている。
スーシャの元へと引き返そうとするロンシュタット。
もちろん、この場にあった悪魔の身体を放置することもない。
水であったそれは、電撃を受けて蒸発してしまい、敵であるロンシュタットを追い込んだはずの石室から逆に逃げ場を失い、瞬殺されてしまっていた。
これで、悪魔の居場所の手掛かりは無くなったか?
いや、ロンシュタットの街へと向かう足取りに迷いはない。
彼には、はっきりと、今も姿を現そうとしている悪魔本体が見えているのか。
そしてそれは、この街での決着が着くことを意味してもいた。
街へと引き返すのも、いつも通りの足取りである。
特に急ぐでもなく、焦ったりしないところがロンシュタットらしい。
放電を終えたバルデラスは腰に吊られており、また暴れる隙を窺うようにむずむずしている。
共同墓地から街の中心部へ引き返す大きな通りで、そのロンシュタットの後姿をびっくりしながら見送る影がひとつあった。
詰め所から出て行った、あの団長の子供である。
彼は自分の憤りを消化できないまま、町外れをとぼとぼと歩いていたのだが、その時に、大きな爆発音を聞いて、その音のした方へやってきたのだ。
町外れで塞ぎ込んだまま、しばらくひとりでいたのだが、妙な静けさが気になり、ふらふらと町へ戻って来たのだ。
そしてその静けさは、錯覚でないことがすぐに分かった。
見知った顔が、誰もいないのだ。
まさか、自分に対する父親からのあてつけか?
あてつけかどうかは分からなかったが、彼は父親がその権力を使って、自分に誰も会わないようにしたのではないかと少し思った。
だが、叱られた時の心境がそうであるように、ありえない事を悪いほうへ考える今のこの少年は、その場で見かけたロンシュタットに意味を見出すことができず、戸惑い、立ち止まってしまった。
こんな誰もいない街で、この人は迷うでもなく、何をしようとしているんだろう?
確か、詰め所にいた人だ、と思い出すと、彼はこっそり後をつけることにした。
PC:スーシャ ロンシュタット
NPC:バルデラス 自警団員 団長
場所:セーラムの街 宿屋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「団長、今までどこへ行っていたんです? 探したんですよ」
団員は、つっけんどんな物言いをした。
彼の言葉には、本音が半分、警戒が半分含まれている。
「どこへ?」
団員の言葉に、団長は眉をしかめる。
「決まっている。街の様子が妙だから見回りをしていたんだ。そうしたらどうだ、何
でも『悪魔が出た』とかいうじゃないか。宿に避難しているというから来てみたんだ
が――」
そこまで言って、団長は団員越しに中の様子をうかがう。
「どうやら、ひどいパニックに陥っている様子もないな。安心したよ」
「ええ、今ここにいる人達は全員、まだ悪魔の姿すら見かけてませんから」
表情を変えず、団員は答える。
「話は変わるが、街の人々を避難させる前にせめて報告が欲しかったところだな。私
は曲がりなりにも『団長』だ。団員がそれぞれの意思でそれぞれ動いていたら統率が
取れなくなるよ」
「……すいません」
「ところで……いつまで私は通せんぼを食らっていなければならないのかな?」
団員は、表情を引き締めた。
わずかに口元が引きつるのを感じながら。
団員と団長のやり取りは、スーシャも聞いていた。
スーシャも、団長の言葉にドキリとした。
どうしてか、団長が怖い。怖くてたまらない。
近くに来て欲しくない。
以前はこんなことは一切なかったのに。
立派な人だと思って、尊敬もしていたのに。
「団長、外の見回りは終わったんですか?」
「終わったよ。宿へ来る前に終わらせておこうと思ってね」
「街の中に、他に人はいなかったんですか?」
「いないよ。念の為にあちこちの家をのぞいてみたけれど、誰も残っていなかった」
「おい、どうしたんだよお前」
その様子を見かねてか、他の団員や村人達が集まり出す。
「うだうだやってないで、早く入ってもらえよ」
「団長がいてくれたら一番心強いじゃないか」
「そうだよ、団長はこの街で一番剣の腕が立つ人なんだから」
「団長に任せておけば大丈夫だって」
「見張ってもらったら、百人力さね」
大勢に詰め寄られて、団員は言葉に詰まった。
団長のことを信用できないから、とはっきり言えたらどんなに良いだろう。
だが、団員意外の村人が団長を信用している状況で、それを口にできるほど、彼は肝
が据わっていない。
せめて確証があれば良いのに、と団員は思った。
確証がない状況で「信用できない」なんて言ったところで、子供じみた好き嫌い程度
にしか思われないだろう。
団員は、スーシャをちらりと見た。
スーシャの顔には、ありありと不安の色が浮かんでいた。
「――どうぞ」
団員は奥へと身を引っ込めた。
「見慣れた人間だからといって警戒を怠らないのは良い事だ。気にしなくていい」
団長は笑い、ぽす、と団員の胸を軽く叩いて大股に入っていく。
スーシャは、椅子から立ち上がった。
宿屋の中にある酒場は、さして広くもないが、その中で、団長から最長距離を保とう
とする。
右に来れば左に、左に来れば右に。
まるで鬼ごっこのようである。
あるいは、猫に追い詰められたネズミ。
「スーシャ。どうも落ちつかないようだが、大丈夫か?」
団長に声をかけられ、スーシャはビクッと震える。
「い、いえ……あの、ちょっと、トイレに……行きたいなって……」
そうごまかしてから、スーシャはしまったと思った。
トイレは団長の立っている方向にある。
行こうとするなら、どうしても団長のそばを通らなくてはならない。
「そうか、早く行っておいた方がいい」
「何かあったら大変だ、俺、ついて行ってやるよ」
団員がすかさず申し出てくれたので、スーシャはちょっと安心した。
「スーシャ」
近くへ寄ったところで声をかけられ、スーシャはまたビクッと震える。
「息子がつまらないかんしゃくを起こして、すまなかった。どこか傷を負っていない
か?」
「いえ、大丈夫、です……」
「そうか、それなら良かった」
スーシャはぺコリと頭を下げ、素早く団長の脇を通り抜けた。
……トイレのある方向へと廊下を曲がるものの、別にトイレに用事はなかったので、
二人は物陰に入ったところで立ち止まる。
「スーシャちゃん、二階の部屋に泊まってたよな? あの部屋にでも避難してた方が
いい。入り口には俺が見張りに立つよ」
ひそひそ声で団員が言う。
スーシャはおろおろと見上げた。
「で、でも」
「誰かが来たら『具合が悪くなった』って言ってごまかしてやるから、な。窓とドア
にはカギをかけておくんだぞ」
そう言う団員のほうが、不安と緊張でガチガチに固まっていた。
「ごめんな、俺、これぐらいしかしてやれる事なくって……本当は団長を入れたくな
かったんだけど……ごめんな」
どう答えたら良いのかわからなくて、スーシャはひたすらおろおろするばかりだっ
た。
私のことを気遣ってくれるこの人に、お礼を言わなくちゃ。
ただそれだけを考えていた。
「そんなこと、ないです……あの……気遣ってくれて、本当に、ありがとうございま
す……」
ヘタくそな感謝の言葉を並べ、スーシャは部屋に入ると、窓とドアにカギをかけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NPC:バルデラス 自警団員 団長
場所:セーラムの街 宿屋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「団長、今までどこへ行っていたんです? 探したんですよ」
団員は、つっけんどんな物言いをした。
彼の言葉には、本音が半分、警戒が半分含まれている。
「どこへ?」
団員の言葉に、団長は眉をしかめる。
「決まっている。街の様子が妙だから見回りをしていたんだ。そうしたらどうだ、何
でも『悪魔が出た』とかいうじゃないか。宿に避難しているというから来てみたんだ
が――」
そこまで言って、団長は団員越しに中の様子をうかがう。
「どうやら、ひどいパニックに陥っている様子もないな。安心したよ」
「ええ、今ここにいる人達は全員、まだ悪魔の姿すら見かけてませんから」
表情を変えず、団員は答える。
「話は変わるが、街の人々を避難させる前にせめて報告が欲しかったところだな。私
は曲がりなりにも『団長』だ。団員がそれぞれの意思でそれぞれ動いていたら統率が
取れなくなるよ」
「……すいません」
「ところで……いつまで私は通せんぼを食らっていなければならないのかな?」
団員は、表情を引き締めた。
わずかに口元が引きつるのを感じながら。
団員と団長のやり取りは、スーシャも聞いていた。
スーシャも、団長の言葉にドキリとした。
どうしてか、団長が怖い。怖くてたまらない。
近くに来て欲しくない。
以前はこんなことは一切なかったのに。
立派な人だと思って、尊敬もしていたのに。
「団長、外の見回りは終わったんですか?」
「終わったよ。宿へ来る前に終わらせておこうと思ってね」
「街の中に、他に人はいなかったんですか?」
「いないよ。念の為にあちこちの家をのぞいてみたけれど、誰も残っていなかった」
「おい、どうしたんだよお前」
その様子を見かねてか、他の団員や村人達が集まり出す。
「うだうだやってないで、早く入ってもらえよ」
「団長がいてくれたら一番心強いじゃないか」
「そうだよ、団長はこの街で一番剣の腕が立つ人なんだから」
「団長に任せておけば大丈夫だって」
「見張ってもらったら、百人力さね」
大勢に詰め寄られて、団員は言葉に詰まった。
団長のことを信用できないから、とはっきり言えたらどんなに良いだろう。
だが、団員意外の村人が団長を信用している状況で、それを口にできるほど、彼は肝
が据わっていない。
せめて確証があれば良いのに、と団員は思った。
確証がない状況で「信用できない」なんて言ったところで、子供じみた好き嫌い程度
にしか思われないだろう。
団員は、スーシャをちらりと見た。
スーシャの顔には、ありありと不安の色が浮かんでいた。
「――どうぞ」
団員は奥へと身を引っ込めた。
「見慣れた人間だからといって警戒を怠らないのは良い事だ。気にしなくていい」
団長は笑い、ぽす、と団員の胸を軽く叩いて大股に入っていく。
スーシャは、椅子から立ち上がった。
宿屋の中にある酒場は、さして広くもないが、その中で、団長から最長距離を保とう
とする。
右に来れば左に、左に来れば右に。
まるで鬼ごっこのようである。
あるいは、猫に追い詰められたネズミ。
「スーシャ。どうも落ちつかないようだが、大丈夫か?」
団長に声をかけられ、スーシャはビクッと震える。
「い、いえ……あの、ちょっと、トイレに……行きたいなって……」
そうごまかしてから、スーシャはしまったと思った。
トイレは団長の立っている方向にある。
行こうとするなら、どうしても団長のそばを通らなくてはならない。
「そうか、早く行っておいた方がいい」
「何かあったら大変だ、俺、ついて行ってやるよ」
団員がすかさず申し出てくれたので、スーシャはちょっと安心した。
「スーシャ」
近くへ寄ったところで声をかけられ、スーシャはまたビクッと震える。
「息子がつまらないかんしゃくを起こして、すまなかった。どこか傷を負っていない
か?」
「いえ、大丈夫、です……」
「そうか、それなら良かった」
スーシャはぺコリと頭を下げ、素早く団長の脇を通り抜けた。
……トイレのある方向へと廊下を曲がるものの、別にトイレに用事はなかったので、
二人は物陰に入ったところで立ち止まる。
「スーシャちゃん、二階の部屋に泊まってたよな? あの部屋にでも避難してた方が
いい。入り口には俺が見張りに立つよ」
ひそひそ声で団員が言う。
スーシャはおろおろと見上げた。
「で、でも」
「誰かが来たら『具合が悪くなった』って言ってごまかしてやるから、な。窓とドア
にはカギをかけておくんだぞ」
そう言う団員のほうが、不安と緊張でガチガチに固まっていた。
「ごめんな、俺、これぐらいしかしてやれる事なくって……本当は団長を入れたくな
かったんだけど……ごめんな」
どう答えたら良いのかわからなくて、スーシャはひたすらおろおろするばかりだっ
た。
私のことを気遣ってくれるこの人に、お礼を言わなくちゃ。
ただそれだけを考えていた。
「そんなこと、ないです……あの……気遣ってくれて、本当に、ありがとうございま
す……」
ヘタくそな感謝の言葉を並べ、スーシャは部屋に入ると、窓とドアにカギをかけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC:スーシャ、ロンシュタット
NPC:バルデラス
場所:セーラムの街
地下墓地での悪魔との一戦を終え、スーシャが避難している宿へ戻ってきたロンシュタットを待っていたのは、団長を始めとする、街人たちの冷たい視線と無言の出迎え、そしてこれから始まる詰問という嫌味のフルコースだった。
流石に身の丈以上もある長大な剣を楽々と背負って出歩くロンシュタットに、正面切って突っかかっていくものはいない。
だからというわけでもないが、彼を包囲するように街人との間に割って入るのは自警団の構成員だった。
特に足を踏み鳴らしたり、腕を組むわけでもないが、何となく不安感を抱くのが普通だろう。
しかし、ロンシュタットは囲まれても居心地が悪くなるどころか、彼らなど度外視して、悠然と周囲に視線を回す。
「──スーシャを探しているのか?」
街人を押し退ける様にして、団長が彼の目の前に立つ。
ロンシュタットはちらり、とだけ視線を向ける。
脅すでもない、だが射竦めるような迫力のある眼力に押され、団長が気圧される。
その僅かな心の隙を察知したのか、街人たちの間に静かに動揺が生まれる。
まさか、団長はこの流れ者の若造を怖がっているんじゃないか?
街人同士が目を合わせてそれを確認する前に、ひとつ咳払いをして言葉を続け威厳を保つ程度には、団長は強かだった。
「君には、確か詰め所にいるよう命じたはずだ。それを破ったとあればそれ相応の罰を──軟禁することもできる」
おお、と街人たちに安堵が広がる。
「しかし、この異常な事態に幾らか対処し、この宿に集まるよう、避難するように進言したことはいいことだ」
何だ、褒めるのか?
こいつをどうするつもりなんだ、という疑問が街人たちの頭に浮かぶ。
「君が来てからこのような異常事態が起きた。君が原因かどうか分からないが、君がひとつのキーになっていることは間違いない。ロンシュタット、知っていることは全てここで話してもらうぞ」
ゆっくりとロンシュタットの視線が上を向き、やがて自分の荷物の置いてある部屋の天井を見ると、そこで固定された。
「眼を合わせないようにして、誤魔化しているのか? そんな手は通じないぞ」
声を低くし、一歩近寄る団長。
そこでようやく、ロンシュタットが言葉を発した。
「……今、何と言った?」
団長が鼻をふん、と鳴らして返す。
「何だ、誤魔化していると言われて気に障ったのか? だが、こちらも非常事態だ。この際、些細な言葉のあやを気にしたり、揚げ足を取り合うつもりは無い。さっさと吐いてもらおうか」
周囲の街人だけでなく、自警団の若者もひともんちゃくあるのではないか、と不安になるような事を団長は言うが、ロンシュタットは一向にその点については取り合わない。
それどころか、自分の近くに立っている自警団のひとりに、こう聞く始末だ。
「お前は、私の名前を知っているのか?」
急に団長とロンシュタットの話に加わることになったその団員は、質問の意図を理解しかねてまごついた。
「え? ああ、ロンシュタット……だろう?」
「どこで聞いた?」
「はあ? 何でそんなことを答えなきゃならない?」
やや反抗的に言い返すが、無言でロンシュタットに見られると、その圧力に耐えられず、すぐに言った。
「いや、今、団長がそう言ったからだ」
ロンシュタット、今度は団長の方を向き、自分から切り出した。
「……そういう事だ」
どういうことだ?
誰もが抱く、その質問に、最初に違和感を感じて結論に辿り着いたのは、スーシャを上へ隠した団員だった。
まさか、そういうことか?
「つまり、あんたは……俺たちが誰も知らないあんたの名前を、どうやって団長が知ったのか、おかしくないか? そう言いたいのか?」
「少し違う」
短く答えると、ロンシュタットは団長へ一歩踏み出す。
「私は、この街へ着いてから、誰にも自分の名前を言ったことは無い」
俺が勝手にスーシャに喋ったがね。
珍しく沈黙しているバルデラスは誰にも聞こえないように呟いた。
「この宿の宿泊帳にも書いてはいない。この街の人間がそれを知る事はできないはずだ──私が街の外で、別の悪魔を倒した直後でなければ」
街人に動揺が生まれる。
こいつ、そんな所でそんなことをしていたのか!
しかも、この近くに「別の悪魔」がいるだと?
つまり、今もこの街にはロンシュタットが倒したのとは別の悪魔が巣食っている!
「お前は昨夜、街人に呼ばれて殺人事件を初めて知り、この宿へ来た。その時、知っていたことはほとんどなかった。なぜなら私ではなく、被害者家族に養われていたスーシャを連れて行ったからだ。私の街の外での事を知らないお前が、私の名前を知る機会は無い。ならばどこで、誰からロンシュタットの名を聞いた?」
「それは、詰め所に最初にスーシャを連れて行った時に……」
「いや」
遮ったのは、その団員だった。
「確かにスーシャは色々聞かれていたが、単に事件のあった時の状況を聞いたりとかで、彼の名前なんか聞いていない」
当たり前の話だ。
この時点で、スーシャとロンシュタットには何の繋がりも無い。
「それなら」
団長はわざと大きな声を出して言い放った。
「スーシャに聞いてみよう。そうすればはっきりする。……彼女はどこにいる?」
「あ、2階の一番手前の部屋です」
うっかり、団員は答えてしまい、答えてから自分で彼女を隠したことを思い出した。
「では、行こうか」
団長はそう言うと、階段を上がって行った。
余りに静かなせいか、厚い床板を通しても、階下でのやり取りが聞こえてくる。
声しか聞こえないせいで……というよりは、普段から口を利かないロンシュタットのせいで、彼が追い詰められていると思っていたスーシャだったが、中盤に来て、いきなり優位に立ったことに少し安心した。
しかし、その安心も束の間、今度は自分の所に来るという。
びっくりしてどうしようかとも思うが、今からドアを開けても部屋を出て少し行けば見つかってしまうし、この宿泊室では隠れられるところも無い。いや、ロンシュタットも一緒に上がってくるのは足音と、バルデラスが揺れる止め具の音で分かる。
彼が一緒なら、隠れなくてもいいんじゃないのかな?
私は団長にも、他の人にも名前を言ったことなんて無い。
それはそうだ、誰も訊かなかったから。
ただ、それを言えばいいだけなのだ。悪い事をするわけでも、誰かを咎める訳でもない。
それならせめて、ドアを開けて入ってくるのがロンシュタットであればいいのに。
そんなふうに思った。
NPC:バルデラス
場所:セーラムの街
地下墓地での悪魔との一戦を終え、スーシャが避難している宿へ戻ってきたロンシュタットを待っていたのは、団長を始めとする、街人たちの冷たい視線と無言の出迎え、そしてこれから始まる詰問という嫌味のフルコースだった。
流石に身の丈以上もある長大な剣を楽々と背負って出歩くロンシュタットに、正面切って突っかかっていくものはいない。
だからというわけでもないが、彼を包囲するように街人との間に割って入るのは自警団の構成員だった。
特に足を踏み鳴らしたり、腕を組むわけでもないが、何となく不安感を抱くのが普通だろう。
しかし、ロンシュタットは囲まれても居心地が悪くなるどころか、彼らなど度外視して、悠然と周囲に視線を回す。
「──スーシャを探しているのか?」
街人を押し退ける様にして、団長が彼の目の前に立つ。
ロンシュタットはちらり、とだけ視線を向ける。
脅すでもない、だが射竦めるような迫力のある眼力に押され、団長が気圧される。
その僅かな心の隙を察知したのか、街人たちの間に静かに動揺が生まれる。
まさか、団長はこの流れ者の若造を怖がっているんじゃないか?
街人同士が目を合わせてそれを確認する前に、ひとつ咳払いをして言葉を続け威厳を保つ程度には、団長は強かだった。
「君には、確か詰め所にいるよう命じたはずだ。それを破ったとあればそれ相応の罰を──軟禁することもできる」
おお、と街人たちに安堵が広がる。
「しかし、この異常な事態に幾らか対処し、この宿に集まるよう、避難するように進言したことはいいことだ」
何だ、褒めるのか?
こいつをどうするつもりなんだ、という疑問が街人たちの頭に浮かぶ。
「君が来てからこのような異常事態が起きた。君が原因かどうか分からないが、君がひとつのキーになっていることは間違いない。ロンシュタット、知っていることは全てここで話してもらうぞ」
ゆっくりとロンシュタットの視線が上を向き、やがて自分の荷物の置いてある部屋の天井を見ると、そこで固定された。
「眼を合わせないようにして、誤魔化しているのか? そんな手は通じないぞ」
声を低くし、一歩近寄る団長。
そこでようやく、ロンシュタットが言葉を発した。
「……今、何と言った?」
団長が鼻をふん、と鳴らして返す。
「何だ、誤魔化していると言われて気に障ったのか? だが、こちらも非常事態だ。この際、些細な言葉のあやを気にしたり、揚げ足を取り合うつもりは無い。さっさと吐いてもらおうか」
周囲の街人だけでなく、自警団の若者もひともんちゃくあるのではないか、と不安になるような事を団長は言うが、ロンシュタットは一向にその点については取り合わない。
それどころか、自分の近くに立っている自警団のひとりに、こう聞く始末だ。
「お前は、私の名前を知っているのか?」
急に団長とロンシュタットの話に加わることになったその団員は、質問の意図を理解しかねてまごついた。
「え? ああ、ロンシュタット……だろう?」
「どこで聞いた?」
「はあ? 何でそんなことを答えなきゃならない?」
やや反抗的に言い返すが、無言でロンシュタットに見られると、その圧力に耐えられず、すぐに言った。
「いや、今、団長がそう言ったからだ」
ロンシュタット、今度は団長の方を向き、自分から切り出した。
「……そういう事だ」
どういうことだ?
誰もが抱く、その質問に、最初に違和感を感じて結論に辿り着いたのは、スーシャを上へ隠した団員だった。
まさか、そういうことか?
「つまり、あんたは……俺たちが誰も知らないあんたの名前を、どうやって団長が知ったのか、おかしくないか? そう言いたいのか?」
「少し違う」
短く答えると、ロンシュタットは団長へ一歩踏み出す。
「私は、この街へ着いてから、誰にも自分の名前を言ったことは無い」
俺が勝手にスーシャに喋ったがね。
珍しく沈黙しているバルデラスは誰にも聞こえないように呟いた。
「この宿の宿泊帳にも書いてはいない。この街の人間がそれを知る事はできないはずだ──私が街の外で、別の悪魔を倒した直後でなければ」
街人に動揺が生まれる。
こいつ、そんな所でそんなことをしていたのか!
しかも、この近くに「別の悪魔」がいるだと?
つまり、今もこの街にはロンシュタットが倒したのとは別の悪魔が巣食っている!
「お前は昨夜、街人に呼ばれて殺人事件を初めて知り、この宿へ来た。その時、知っていたことはほとんどなかった。なぜなら私ではなく、被害者家族に養われていたスーシャを連れて行ったからだ。私の街の外での事を知らないお前が、私の名前を知る機会は無い。ならばどこで、誰からロンシュタットの名を聞いた?」
「それは、詰め所に最初にスーシャを連れて行った時に……」
「いや」
遮ったのは、その団員だった。
「確かにスーシャは色々聞かれていたが、単に事件のあった時の状況を聞いたりとかで、彼の名前なんか聞いていない」
当たり前の話だ。
この時点で、スーシャとロンシュタットには何の繋がりも無い。
「それなら」
団長はわざと大きな声を出して言い放った。
「スーシャに聞いてみよう。そうすればはっきりする。……彼女はどこにいる?」
「あ、2階の一番手前の部屋です」
うっかり、団員は答えてしまい、答えてから自分で彼女を隠したことを思い出した。
「では、行こうか」
団長はそう言うと、階段を上がって行った。
余りに静かなせいか、厚い床板を通しても、階下でのやり取りが聞こえてくる。
声しか聞こえないせいで……というよりは、普段から口を利かないロンシュタットのせいで、彼が追い詰められていると思っていたスーシャだったが、中盤に来て、いきなり優位に立ったことに少し安心した。
しかし、その安心も束の間、今度は自分の所に来るという。
びっくりしてどうしようかとも思うが、今からドアを開けても部屋を出て少し行けば見つかってしまうし、この宿泊室では隠れられるところも無い。いや、ロンシュタットも一緒に上がってくるのは足音と、バルデラスが揺れる止め具の音で分かる。
彼が一緒なら、隠れなくてもいいんじゃないのかな?
私は団長にも、他の人にも名前を言ったことなんて無い。
それはそうだ、誰も訊かなかったから。
ただ、それを言えばいいだけなのだ。悪い事をするわけでも、誰かを咎める訳でもない。
それならせめて、ドアを開けて入ってくるのがロンシュタットであればいいのに。
そんなふうに思った。