PC:スーシャ、ロンシュタット
NPC:バルデラス、団員
場所:セーラムの街
魔物が、跳ねた。
普通の人になら「翔んだ」と見えたかもしれない敵を、ロンシュタットは平然と迎撃する。
洗うのが嫌だから、という理由ではないだろうが、持っているバルデラスをくるりと回す。
「ああん?」
バルデラス自身も何をするのか分からなかったのだろう、怪訝な声を出すと同時に、頭上から降ってくる魔物をロンシュタットは剣の腹で叩き落した。
べしゃり、と泥の中で潰れる魔物。それきり動くことも無く、続いて振り下ろされたロンシュタットの止めの一撃を脳天に喰らい、頭蓋を爆ぜて息絶えた。
「俺はハエ叩きか!」
バルデラスが抗議の声を上げる。
弱い敵を切れば手応えがないと愚痴をこぼし、本物の悪魔を倒せば倒し方に文句をつける。
ロンシュタットは、きっと余りにうるさいから無視してるんだろうな。
スーシャはまだ自分の体をあちこち触って無事を確認している団員の側で、戦闘とも呼べない一部始終を見ながら思った。
異形の生物を見た恐怖は、大して無い。
まだ神経が麻痺しているのかもしれないが、簡単に退治してしまった様を見れば、逆にあの怪物は何だったのか、とすら思ってしまう。
呆然としている団員と、きょとんとしているスーシャの元へロンシュタットが戻って来ると、また質問をした。
「ここへ来る前、宿では人がいた、と言っていたな」
口を利くことも無く、ただ頷く団員。
ようやく立ち上がりはするが、自分の身に起きたことはまだ分かっていない。
「では、ふたりはそのまま宿へ戻れ。途中で人がいるなら、一緒にいるように勧めることだ」
そう言うと、ロンシュタットは剣を手に持ったまま背を向け、歩き出す。
スーシャはびっくりした。
一緒にいないの?
てっきり自分たちと一緒にこれからどうするのか、教えてくれると思っていたスーシャには彼の行動は分からなかった。
どうして一緒にいないの?
訳のわからないまま、声をかけることもできず、ただロンシュタットの去る背中を見ることしかできない。
胸中に秘める思いは別だが、団員はもっと切迫した事情から声をかけることができた。
「ちょっと待て、いや、待ってくれないか!」
振り返ることなく、ロンシュタットの歩みが止まる。
「どうして俺たちは宿へ行くんだ? そこにまともな連中がいるから、か?」
「そうだ」
ロンシュタットは答える。
「詰め所の中で、行方不明になったはずの医者や仕立て屋に襲われた。どこから入ってきたのか分からない。だが、大勢で集まっていれば侵入は防げるだろうし、追い返すこともできるだろう。まして、今の悪魔のようなものが現れたら、お前たちでは何もできない」
「それは、足手まといだから、一箇所に集まって避難していろ、ということか?」
団員にとってその考えは、屈辱的なものであるに違いない。
しかし、悪魔に対して無力である上に、この目の前の青年は悠々と返り討ちにしたのだ。
だから
「そうだ」
と、短く答えられたときも、彼我にある絶望的な実力の差を感じ、しぶしぶ頷くしかなかった。
「……分かった、宿へ戻っていよう」
そう言い終えるより早く、ロンシュタットは立ち去り始めていた。
スーシャは団員と誰とも会わない道を、宿へと歩きながら、下ばかり見ている。
何だか、寂しいな。
そんなふうに思う。
別に気温が低すぎるからではない。人の気配の途絶えたこの街が、雑踏さえ消えているせいで、いつもの見知った場所から、全く知らない街へひとりで迷い込んでしまったようで、その違和感がひしひしと皮膚を通して身に染み込んで来るからでもある。
だが、それだけではない。
宿で自分が詰め所へ行く時、どうしてロンシュタットへ何かが口を割って出ようとしたのか──その言葉は何だったのか?
詰め所で再会した時、ロンシュタットは自分の側にいてくれた──守ってくれると自分が勝手に思い込んだのか?
もしそうなら恥ずかしい。
もしそうでないなら寂しい。
そしてどちらであっても、今は、辛い。
歩きながら、ふと彼の消えていった方を振り返る。
その都度、じんわりと目が熱くなって、また俯いて歩き出す。
慣れたはずなのに。
寂しいなぁ。
「ふうう、生き返るぜ~」
井戸からくみ上げた水を浴びて、バルデラスの機嫌は直った。
すっかりきれいになった刀身を、ロンシュタットは鞘に収め、再び腰に吊るして歩き出す。
最も、バルデラスの機嫌が良かろうと悪かろうと、彼にとってはどうでもいいのだが。
単に悪魔の腐臭が気に入らない、という理由で洗ってもらった事など知ることも無く、バルデラスは陽気に話す。
「しっかしまあ、あんな弱っちい奴じゃ、こんなことはできっこねえよな。どうだ、ロン。何か分かったか?」
「少しな」
おや、と一瞬言葉の詰まるバルデラス。
「珍しいな、お前が答えるなんざ。ようし、それじゃあ、いっちょ聞かせてもらおうか、何が分かったんだ?」
「あの悪魔の来た方角だ」
「はあん!?」
びっくりして大声を上げるバルデラス。
もし通行人がいたなら、腹話術でもしてるのかと、よほどびっくりしたに違いない。
「あいつを殺した後、体が溶けて地面に染み込んだ。それが地中を通って、今、足元を進んでいる」
「何だって!」
確かに、驚く内容だ。
「どういうカラクリか分からないが、これは悪魔の肉体だ。それが戻るところはひとつしかない」
「ははん、なるほどな」
バルデラスが意識を向ける先には、古びた教会と、地下墓地がある。
「けけけ、馬鹿な奴だな。それはそうと、ロン」
バルデラスが急に話題を変える。
「スーシャちゃんのことなんだが」
歩みを止めることなく、視線だけ向けて、ロンシュタットが何だ、と聞く。
「何だか、後味悪い別れ方したけど、いいのか? 大人し過ぎてよく分からんけど、いい娘だと思うぜ? 俺の事も嫌がったりしなかったし、お前の事も少しは頼りにしてたんじゃないのか? そんな娘をほっぽって、いいのかよ?」
しかし、ロンシュタットの答えは、やはり短かった。
「それがどうした?」
唖然とした間が空いた後、ふうう、と長い溜息が聞こえる。
「お前なぁ……いや、いやいや、そうだ、お前はそういう奴だった。けっ、本当に、悪魔を殺すことにしか関心がねえんだな。まあ、こっちもそれが楽しくてついていってんだけどな。ひっひっひ、今度はどんな屍の山ができることか」
それ以上言わなかったのは、ロンシュタットが墓地に足を踏み入れ、いい加減に黙れ、と目で脅してきたからだ。
だが一言だけ、
「あの悪魔は、彼女も狙った」
バルデラスにも聞こえず、ロンシュタットはぽつりと呟いた。
ロンシュタットはそのまま、迷うことなく墓地の中を進む。
誰かが墓参りにでも来たのか、枯れかけた花束がひとつ置かれている墓石がある。
その墓石を過ぎて、教会へと続く道から外れまた少し歩くと、柵で囲われた石造りの礼拝所があった。
礼拝所と言うよりは、小さな神殿じみている。正確に何と言うのか分からないのは、ロンシュタットにこれが何なのか、はっきり分からない為だ。
恐らく、遺体を然るべきときまで安置する為の場所なのだろう。普段から手入れをされ、人の出入りが頻繁にある場所ではないのは、周囲に足跡が無いことや、落ち葉がそのままになっていたり、柵に草が引っかかったままになっていることからも判断できる。
柵を軽々と飛び越え、枯れ葉を舞い散らせながら中へ入る。
床に落ちる葉の音さえ聞こえるような静けさだけが支配する安置所の、中央には石畳が敷かれて一段高くなっていて、そこにはロンシュタットの目線ほどの高さのある、これも石造りの棺がある。
ここに埋葬前の遺体が安置されるのだろうか。
両手をつくと、力任せにそれを横にずらす。
石柱の隙間から差し込む僅かな陽光の通り道を示す様に、土埃がうっすらと舞う。
半分ほどずらし、人ひとりが通れるようになると、重力を感じさせず、音すら立てずにひらりと乗る。
「地下への入り口か?」
棺の中を覗き込んだバルデラスが言う。
ロンシュタットも否定しないところを見ると、同意見なのだろう。
恐らく、正確には地下墓地、または納骨堂などになるそこへ、大の大人でさえ、昼に一人では入りたくないそこへ、ロンシュタットは躊躇う素振りも見せず飛び降りて入っていく。
死者の眠りを揺り覚ますような行動だが、幸い、階段を下って行っても、遺体も遺骨も無かった。
地下にあったのは、数メートル四方の小さな空間。
それが階段の先。
既に光の届かぬ場所に、明かりも持たず周囲の様子を見ているのは、やはり、ロンシュタットは暗闇でも眼が見えるからだろう。
その彼の眼が捕えたのは、朽ちかけた木製の棚だけだった。
何か道具でも置いておくのか、それとも荼毘にふした遺骨を納めるのか。しかし棚には、今は何も無い。
「何も無いのか? おかしいじゃねぇか」
バルデラスが疑問に感じるのも当然だ。
そしてまた、壁面が濡れている事を知り、そちらに疑問を抱いたのはロンシュタットだ。
いくら地下とはいえ、石で完全に囲まれた場所で、壁面が濡れ、天井からも水が滴り落ちるほど湿気が充満するものだろうか?
まして、ここが遺骨や遺体を安置しておく場所なら、なおさらだ。例え昨夜が雨であっても。
「おい、ここが悪魔のいる場所なのか?」
バルデラスが訊いて来る。
「地下を通った悪魔は、今、ここにいる」
スーシャや団員がいれば、腰を抜かすような事を、だが彼はまるで気にしていないように言う。
どんな神経をしているのか。
「どうやら」
と、ロンシュタットはバルデラスの柄を右手で握り、続ける。
「この液体が、悪魔の正体らしい」
くるりと振り返るロンシュタットの背後に、詰め所の時と同じ様に、殺したはずの医者と仕立て屋一家が立っていた。
「だが、おかしいな」
徐々に距離を詰めてくる相手を前に、まるで敵がいないかのように、何の抑揚も変えずに疑問を口にする。
「街の人間を襲い、短時間で行方不明にさせたり、すばしこく逃げる犬や猫を襲うには、これでは無理がある」
「つまり?」
バルデラスが先を促した。
「本体は、別の場所へ移動したと言うことだ」
はぁ? と首を傾げるバルデラス。
「それじゃ、何か? これは俺たちをここに誘き寄せる罠だった、そういうことか? おいおい、悪魔を殺すことだけに目が眩んで仕留め損なうんじゃ、話にならんぜ」
「違うな」
ロンシュタットは短く否定する。
「狙いは、スーシャだろう」
しばらく沈黙が続いた後、バルデラスが言った。
「ははぁ、それでお前、本体を叩いて街に……というより、スーシャちゃんに被害が及ぶ前に仕留めようとしたのか。彼女を街に残してひとりで悪魔と対決しようとしたのは、つまり、彼女の身の安全が第一と考えたからだな?」
ロンシュタットは肩をすくめる。
「全く、他人を気遣うなんざ、慣れねぇ事するからだ」
やれやれ、と言いたげに罵って、バルデラスも先程、自分も同じ事をしたことを思い出す。
「そう思うなら、少しは役に立ってもらうぞ」
ロンシュタットが右手に力を込めて柄を握る。
その瞬間、狭い石室に、無いはずの光が放たれた。
NPC:バルデラス、団員
場所:セーラムの街
魔物が、跳ねた。
普通の人になら「翔んだ」と見えたかもしれない敵を、ロンシュタットは平然と迎撃する。
洗うのが嫌だから、という理由ではないだろうが、持っているバルデラスをくるりと回す。
「ああん?」
バルデラス自身も何をするのか分からなかったのだろう、怪訝な声を出すと同時に、頭上から降ってくる魔物をロンシュタットは剣の腹で叩き落した。
べしゃり、と泥の中で潰れる魔物。それきり動くことも無く、続いて振り下ろされたロンシュタットの止めの一撃を脳天に喰らい、頭蓋を爆ぜて息絶えた。
「俺はハエ叩きか!」
バルデラスが抗議の声を上げる。
弱い敵を切れば手応えがないと愚痴をこぼし、本物の悪魔を倒せば倒し方に文句をつける。
ロンシュタットは、きっと余りにうるさいから無視してるんだろうな。
スーシャはまだ自分の体をあちこち触って無事を確認している団員の側で、戦闘とも呼べない一部始終を見ながら思った。
異形の生物を見た恐怖は、大して無い。
まだ神経が麻痺しているのかもしれないが、簡単に退治してしまった様を見れば、逆にあの怪物は何だったのか、とすら思ってしまう。
呆然としている団員と、きょとんとしているスーシャの元へロンシュタットが戻って来ると、また質問をした。
「ここへ来る前、宿では人がいた、と言っていたな」
口を利くことも無く、ただ頷く団員。
ようやく立ち上がりはするが、自分の身に起きたことはまだ分かっていない。
「では、ふたりはそのまま宿へ戻れ。途中で人がいるなら、一緒にいるように勧めることだ」
そう言うと、ロンシュタットは剣を手に持ったまま背を向け、歩き出す。
スーシャはびっくりした。
一緒にいないの?
てっきり自分たちと一緒にこれからどうするのか、教えてくれると思っていたスーシャには彼の行動は分からなかった。
どうして一緒にいないの?
訳のわからないまま、声をかけることもできず、ただロンシュタットの去る背中を見ることしかできない。
胸中に秘める思いは別だが、団員はもっと切迫した事情から声をかけることができた。
「ちょっと待て、いや、待ってくれないか!」
振り返ることなく、ロンシュタットの歩みが止まる。
「どうして俺たちは宿へ行くんだ? そこにまともな連中がいるから、か?」
「そうだ」
ロンシュタットは答える。
「詰め所の中で、行方不明になったはずの医者や仕立て屋に襲われた。どこから入ってきたのか分からない。だが、大勢で集まっていれば侵入は防げるだろうし、追い返すこともできるだろう。まして、今の悪魔のようなものが現れたら、お前たちでは何もできない」
「それは、足手まといだから、一箇所に集まって避難していろ、ということか?」
団員にとってその考えは、屈辱的なものであるに違いない。
しかし、悪魔に対して無力である上に、この目の前の青年は悠々と返り討ちにしたのだ。
だから
「そうだ」
と、短く答えられたときも、彼我にある絶望的な実力の差を感じ、しぶしぶ頷くしかなかった。
「……分かった、宿へ戻っていよう」
そう言い終えるより早く、ロンシュタットは立ち去り始めていた。
スーシャは団員と誰とも会わない道を、宿へと歩きながら、下ばかり見ている。
何だか、寂しいな。
そんなふうに思う。
別に気温が低すぎるからではない。人の気配の途絶えたこの街が、雑踏さえ消えているせいで、いつもの見知った場所から、全く知らない街へひとりで迷い込んでしまったようで、その違和感がひしひしと皮膚を通して身に染み込んで来るからでもある。
だが、それだけではない。
宿で自分が詰め所へ行く時、どうしてロンシュタットへ何かが口を割って出ようとしたのか──その言葉は何だったのか?
詰め所で再会した時、ロンシュタットは自分の側にいてくれた──守ってくれると自分が勝手に思い込んだのか?
もしそうなら恥ずかしい。
もしそうでないなら寂しい。
そしてどちらであっても、今は、辛い。
歩きながら、ふと彼の消えていった方を振り返る。
その都度、じんわりと目が熱くなって、また俯いて歩き出す。
慣れたはずなのに。
寂しいなぁ。
「ふうう、生き返るぜ~」
井戸からくみ上げた水を浴びて、バルデラスの機嫌は直った。
すっかりきれいになった刀身を、ロンシュタットは鞘に収め、再び腰に吊るして歩き出す。
最も、バルデラスの機嫌が良かろうと悪かろうと、彼にとってはどうでもいいのだが。
単に悪魔の腐臭が気に入らない、という理由で洗ってもらった事など知ることも無く、バルデラスは陽気に話す。
「しっかしまあ、あんな弱っちい奴じゃ、こんなことはできっこねえよな。どうだ、ロン。何か分かったか?」
「少しな」
おや、と一瞬言葉の詰まるバルデラス。
「珍しいな、お前が答えるなんざ。ようし、それじゃあ、いっちょ聞かせてもらおうか、何が分かったんだ?」
「あの悪魔の来た方角だ」
「はあん!?」
びっくりして大声を上げるバルデラス。
もし通行人がいたなら、腹話術でもしてるのかと、よほどびっくりしたに違いない。
「あいつを殺した後、体が溶けて地面に染み込んだ。それが地中を通って、今、足元を進んでいる」
「何だって!」
確かに、驚く内容だ。
「どういうカラクリか分からないが、これは悪魔の肉体だ。それが戻るところはひとつしかない」
「ははん、なるほどな」
バルデラスが意識を向ける先には、古びた教会と、地下墓地がある。
「けけけ、馬鹿な奴だな。それはそうと、ロン」
バルデラスが急に話題を変える。
「スーシャちゃんのことなんだが」
歩みを止めることなく、視線だけ向けて、ロンシュタットが何だ、と聞く。
「何だか、後味悪い別れ方したけど、いいのか? 大人し過ぎてよく分からんけど、いい娘だと思うぜ? 俺の事も嫌がったりしなかったし、お前の事も少しは頼りにしてたんじゃないのか? そんな娘をほっぽって、いいのかよ?」
しかし、ロンシュタットの答えは、やはり短かった。
「それがどうした?」
唖然とした間が空いた後、ふうう、と長い溜息が聞こえる。
「お前なぁ……いや、いやいや、そうだ、お前はそういう奴だった。けっ、本当に、悪魔を殺すことにしか関心がねえんだな。まあ、こっちもそれが楽しくてついていってんだけどな。ひっひっひ、今度はどんな屍の山ができることか」
それ以上言わなかったのは、ロンシュタットが墓地に足を踏み入れ、いい加減に黙れ、と目で脅してきたからだ。
だが一言だけ、
「あの悪魔は、彼女も狙った」
バルデラスにも聞こえず、ロンシュタットはぽつりと呟いた。
ロンシュタットはそのまま、迷うことなく墓地の中を進む。
誰かが墓参りにでも来たのか、枯れかけた花束がひとつ置かれている墓石がある。
その墓石を過ぎて、教会へと続く道から外れまた少し歩くと、柵で囲われた石造りの礼拝所があった。
礼拝所と言うよりは、小さな神殿じみている。正確に何と言うのか分からないのは、ロンシュタットにこれが何なのか、はっきり分からない為だ。
恐らく、遺体を然るべきときまで安置する為の場所なのだろう。普段から手入れをされ、人の出入りが頻繁にある場所ではないのは、周囲に足跡が無いことや、落ち葉がそのままになっていたり、柵に草が引っかかったままになっていることからも判断できる。
柵を軽々と飛び越え、枯れ葉を舞い散らせながら中へ入る。
床に落ちる葉の音さえ聞こえるような静けさだけが支配する安置所の、中央には石畳が敷かれて一段高くなっていて、そこにはロンシュタットの目線ほどの高さのある、これも石造りの棺がある。
ここに埋葬前の遺体が安置されるのだろうか。
両手をつくと、力任せにそれを横にずらす。
石柱の隙間から差し込む僅かな陽光の通り道を示す様に、土埃がうっすらと舞う。
半分ほどずらし、人ひとりが通れるようになると、重力を感じさせず、音すら立てずにひらりと乗る。
「地下への入り口か?」
棺の中を覗き込んだバルデラスが言う。
ロンシュタットも否定しないところを見ると、同意見なのだろう。
恐らく、正確には地下墓地、または納骨堂などになるそこへ、大の大人でさえ、昼に一人では入りたくないそこへ、ロンシュタットは躊躇う素振りも見せず飛び降りて入っていく。
死者の眠りを揺り覚ますような行動だが、幸い、階段を下って行っても、遺体も遺骨も無かった。
地下にあったのは、数メートル四方の小さな空間。
それが階段の先。
既に光の届かぬ場所に、明かりも持たず周囲の様子を見ているのは、やはり、ロンシュタットは暗闇でも眼が見えるからだろう。
その彼の眼が捕えたのは、朽ちかけた木製の棚だけだった。
何か道具でも置いておくのか、それとも荼毘にふした遺骨を納めるのか。しかし棚には、今は何も無い。
「何も無いのか? おかしいじゃねぇか」
バルデラスが疑問に感じるのも当然だ。
そしてまた、壁面が濡れている事を知り、そちらに疑問を抱いたのはロンシュタットだ。
いくら地下とはいえ、石で完全に囲まれた場所で、壁面が濡れ、天井からも水が滴り落ちるほど湿気が充満するものだろうか?
まして、ここが遺骨や遺体を安置しておく場所なら、なおさらだ。例え昨夜が雨であっても。
「おい、ここが悪魔のいる場所なのか?」
バルデラスが訊いて来る。
「地下を通った悪魔は、今、ここにいる」
スーシャや団員がいれば、腰を抜かすような事を、だが彼はまるで気にしていないように言う。
どんな神経をしているのか。
「どうやら」
と、ロンシュタットはバルデラスの柄を右手で握り、続ける。
「この液体が、悪魔の正体らしい」
くるりと振り返るロンシュタットの背後に、詰め所の時と同じ様に、殺したはずの医者と仕立て屋一家が立っていた。
「だが、おかしいな」
徐々に距離を詰めてくる相手を前に、まるで敵がいないかのように、何の抑揚も変えずに疑問を口にする。
「街の人間を襲い、短時間で行方不明にさせたり、すばしこく逃げる犬や猫を襲うには、これでは無理がある」
「つまり?」
バルデラスが先を促した。
「本体は、別の場所へ移動したと言うことだ」
はぁ? と首を傾げるバルデラス。
「それじゃ、何か? これは俺たちをここに誘き寄せる罠だった、そういうことか? おいおい、悪魔を殺すことだけに目が眩んで仕留め損なうんじゃ、話にならんぜ」
「違うな」
ロンシュタットは短く否定する。
「狙いは、スーシャだろう」
しばらく沈黙が続いた後、バルデラスが言った。
「ははぁ、それでお前、本体を叩いて街に……というより、スーシャちゃんに被害が及ぶ前に仕留めようとしたのか。彼女を街に残してひとりで悪魔と対決しようとしたのは、つまり、彼女の身の安全が第一と考えたからだな?」
ロンシュタットは肩をすくめる。
「全く、他人を気遣うなんざ、慣れねぇ事するからだ」
やれやれ、と言いたげに罵って、バルデラスも先程、自分も同じ事をしたことを思い出す。
「そう思うなら、少しは役に立ってもらうぞ」
ロンシュタットが右手に力を込めて柄を握る。
その瞬間、狭い石室に、無いはずの光が放たれた。
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