PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヴォルボの脳裏にふと浮かんだのは、新しい武器を購入しなくてはいけな
い、と言うことだった。でも、しかし、ともかくもこの場を何とかしなくて
は。敵は直ぐ目の前に立ちはだかっているのだし、そう易々と逃がしてくれそ
うに無さそうだった。
だから突撃を敢行したのだった。だが、あえなく撃沈した。
ヴォルボが気が付いたときには、倒れ伏したウェイスターと、それを目の前
にして高笑いをあげているウォダックが立ちはだかっている所だった。ウォダ
ックは腰に手を当て、高笑いを押さえ切れないで喘ぐように息をしている。そ
れでも尚、高笑いを繰り返していた。こいつ、頭がおかしいんじゃないのか、
そうヴォルボが思った時、ウォダックの高笑いが不意に止んだ。それはまる
で、轟いていた雷鳴が不意に鳴り止むのに酷似していた。
ヴォルボが何事かと目を瞠っていると、ウォダックは自分の頭を両手で抱え
込み、身体を腰の辺りで半分直角に折り曲げて苦悩の格好で苦しむように声を
絞り出した。
「う、うう……。……ボクは、ボクだ。ボクは、オマエ……じゃない……」
一体彼の中で何が起こっているというのか。
暫し呆然と様子を覗っていたヴォルボの脳裏に、閃光と共に閃くものがあっ
た。
ひょっとして、彼の本質はテスカトリポカと同化出来ずにいるのではないの
か。仮にも神であるテスカトリポカと完全に同化するには、その本質を変えな
くてはならない。あくまでも人間でしかない彼がテスカトリポカと完全に同化
する事は出来ないのだ。だから、無理に使った身体に反動が跳ね返って来てい
るのではないだろうか。力を行使する、と言うことはそういう事だ。
「何を言うか! お前が望んだ事なのだぞ!」
テスカトリポカがウォダックの口を借りて喋っていることは明白だが、傍か
ら見ればまるで独り言をほざいているかのようで不謹慎だが面白い。
「ボクが……望んだ……こと? そうだ……ボクは、世界を……ぐあぁ!」
ウォダックの中で何かと葛藤しているようだ。
自分の良心と葛藤しているのか、それともウォダックの本質とテスカトリポ
カの本質がぶつかっているのか。何れにせよ心の葛藤であることには代わりが
無い。
ウォダックはいつに無く、焦っていた。
単位が危ないという事もあったが、もっと大きなことはテスカトリポカを召
喚することに成功したらA+をくれてやると言った、一教授に急かされたから
だ。その教授はずり落ちそうな眼鏡を鼻で支えながらいつも本を読んでいた。
髪の毛がおかっぱで、カッパ頭の教授と呼ばれていた。ついでに目付きが物凄
く悪かった。
そんな教授に呼ばれたウォダックは、初め当然の如く疑問を抱いたし、単位
が危ないんだなと思っていよいよもって諦めざるを得ない心境に陥っていた。
進退窮まったウォダックは教授のゼミの扉を軽くノックした。考えてみたらそ
んな時から既に運命は決められていたのかもしれない。あの日、あの時、あの
場所に行かなければ。そして、あの教授の口車に乗せられていなければ。
教授は普通の人が見ても邪悪に見えるほどだった。その教授の名前は――確
か、ケインといったか。ケイン・ウォーゼフ。
その彼に、嵌められた。
今だからこそ、言える。確かに、彼に嵌められた、と。
彼はウォダックにこう言った。
テスカトリポカと言う名前の邪神を召喚し、そいつの力を取り込めと。
だが、理想と現実は異なっていた。
考えてみれば、神ほどの力の持ち主をたかが人間の身体が支えられるわけが
無い。神としての力を振舞おうとすれば、人間の身体では持たないのが現実
だ。ウォダックは、乗っ取られてからその真実を思い知らされた。
自分は、神にはなれないのだと。
自分は、変われないのだと。
所詮、自分は自分でしかないのだと。
絶叫が、木霊した。
人間の本質と、神の本質とのぶつかり合いで、ウォダックはその内面をズタ
ズタにされていた。心が壊れて、空っぽになっていく。後には、虚ろな洞だけ
が残った。口をだらしなく開き、目はウェイスターとヴォルボの頭上を滑る様
に動いているが何も映していないことが解る。何かに向かって動き出そうとし
ているが、その動きは緩慢で片輪を無くし惰性で走る馬車のように遅くて不安
定な動作だった。やがて、片手が何かを掴むように上げられる。だが、何も掴
む事はなかった。ただ空虚な何かを掴んだだけに過ぎなかった。
「……ボクは、……ボクは、……ボクは、神だ……」
ウォダックの呟きが聞こえて来た時、ヴォルボは既に武器となるものを手に
していた。
魔剣で無くとも良い。邪神は既に神ではなく、人間の身体の内に潜り込んで
いるのだから。どのような武器でさえも容易に傷付ける事が出来るだろう。例
え拳でさえも――。
そう思って手にした得物は、ナイフだった。
一振りのナイフ。それには、とある魔法が付与されていた。
ヴォルボはその時はっと気付いて、懐に忍ばせておいた髪飾りを取り出し
た。その日作っていた孔雀の髪飾りだ。これはマリリアンに渡す筈のものだっ
た奴だ。だが、愛しのマリリアンはもう既にいない。この世から永遠に消され
てしまったのだ。だからこそ、このアイテムは相応しきものに渡すべきだ。今
この場で相応しき者――ウェイスターに。
「ウェイスターさん! 受け取ってください!」
決意を固めるように強く握り締めると、ヴォルボは髪飾りをウェイスターの
方へと投げた。
その髪飾りには一つの能力が付加されていた。
魔法防御力と物理防御力を飛躍的に上げる能力。
それが、その髪飾り“孔雀の髪飾り”の能力だった。
古来より、魔法鉱石には魔力が備わっているという。ヴォルボはその魔力を
利用して、魔法防御力と物理防御力が上がる魔法を髪飾りに付与しておいたの
だ。ドワーフ特有の、魔法付与の能力である。自分で作ったアイテムに鉱石に
含まれている力を利用して、魔法を付与するのだ。
「それを、頭髪に付けてください! そうすれば、魔法防御力と物理防御力が
――」
「うるさい!」
ヴォルボの語尾は残念ながらウォダック――テスカトリポカといった方がい
いか――の怒号に掻き消された。そしてその怒号と同時に振り下ろされた右拳
は床にめり込んでいた。めり込まれた床には無数の亀裂がまるで魔方陣の如く
張り巡らされていた。そして一際大きな地響きが響いたと思いきや床一面に太
くて大きな亀裂が走り、床が、部屋が、地響きを立てて崩落した。
落下していく瓦礫と共にウェイスターとヴォルボは落ちていく。
ヴォルボは咄嗟の判断で、空中で身体を反転させて受身の姿勢になる。その
体制を整えながら、落下していった。当然降りくる瓦礫を避けながらの作業と
なる。ウェイスターの方はどうなったか解らない。恐らく受身ぐらいは取って
いるだろう。だが、いかんせん無数の瓦礫の束が壁となってヴォルボの位置か
らではウェイスターの様子は見えなかった。
降り立った場所は、広い地下空洞だった。魔術学院の地下に、こんな空洞が
あったなんて初耳だった。
ヴォルボは無言で身構える。
目の前には、テスカトリポカに完全に乗っ取られたウォダックが居た――。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
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ヴォルボの脳裏にふと浮かんだのは、新しい武器を購入しなくてはいけな
い、と言うことだった。でも、しかし、ともかくもこの場を何とかしなくて
は。敵は直ぐ目の前に立ちはだかっているのだし、そう易々と逃がしてくれそ
うに無さそうだった。
だから突撃を敢行したのだった。だが、あえなく撃沈した。
ヴォルボが気が付いたときには、倒れ伏したウェイスターと、それを目の前
にして高笑いをあげているウォダックが立ちはだかっている所だった。ウォダ
ックは腰に手を当て、高笑いを押さえ切れないで喘ぐように息をしている。そ
れでも尚、高笑いを繰り返していた。こいつ、頭がおかしいんじゃないのか、
そうヴォルボが思った時、ウォダックの高笑いが不意に止んだ。それはまる
で、轟いていた雷鳴が不意に鳴り止むのに酷似していた。
ヴォルボが何事かと目を瞠っていると、ウォダックは自分の頭を両手で抱え
込み、身体を腰の辺りで半分直角に折り曲げて苦悩の格好で苦しむように声を
絞り出した。
「う、うう……。……ボクは、ボクだ。ボクは、オマエ……じゃない……」
一体彼の中で何が起こっているというのか。
暫し呆然と様子を覗っていたヴォルボの脳裏に、閃光と共に閃くものがあっ
た。
ひょっとして、彼の本質はテスカトリポカと同化出来ずにいるのではないの
か。仮にも神であるテスカトリポカと完全に同化するには、その本質を変えな
くてはならない。あくまでも人間でしかない彼がテスカトリポカと完全に同化
する事は出来ないのだ。だから、無理に使った身体に反動が跳ね返って来てい
るのではないだろうか。力を行使する、と言うことはそういう事だ。
「何を言うか! お前が望んだ事なのだぞ!」
テスカトリポカがウォダックの口を借りて喋っていることは明白だが、傍か
ら見ればまるで独り言をほざいているかのようで不謹慎だが面白い。
「ボクが……望んだ……こと? そうだ……ボクは、世界を……ぐあぁ!」
ウォダックの中で何かと葛藤しているようだ。
自分の良心と葛藤しているのか、それともウォダックの本質とテスカトリポ
カの本質がぶつかっているのか。何れにせよ心の葛藤であることには代わりが
無い。
ウォダックはいつに無く、焦っていた。
単位が危ないという事もあったが、もっと大きなことはテスカトリポカを召
喚することに成功したらA+をくれてやると言った、一教授に急かされたから
だ。その教授はずり落ちそうな眼鏡を鼻で支えながらいつも本を読んでいた。
髪の毛がおかっぱで、カッパ頭の教授と呼ばれていた。ついでに目付きが物凄
く悪かった。
そんな教授に呼ばれたウォダックは、初め当然の如く疑問を抱いたし、単位
が危ないんだなと思っていよいよもって諦めざるを得ない心境に陥っていた。
進退窮まったウォダックは教授のゼミの扉を軽くノックした。考えてみたらそ
んな時から既に運命は決められていたのかもしれない。あの日、あの時、あの
場所に行かなければ。そして、あの教授の口車に乗せられていなければ。
教授は普通の人が見ても邪悪に見えるほどだった。その教授の名前は――確
か、ケインといったか。ケイン・ウォーゼフ。
その彼に、嵌められた。
今だからこそ、言える。確かに、彼に嵌められた、と。
彼はウォダックにこう言った。
テスカトリポカと言う名前の邪神を召喚し、そいつの力を取り込めと。
だが、理想と現実は異なっていた。
考えてみれば、神ほどの力の持ち主をたかが人間の身体が支えられるわけが
無い。神としての力を振舞おうとすれば、人間の身体では持たないのが現実
だ。ウォダックは、乗っ取られてからその真実を思い知らされた。
自分は、神にはなれないのだと。
自分は、変われないのだと。
所詮、自分は自分でしかないのだと。
絶叫が、木霊した。
人間の本質と、神の本質とのぶつかり合いで、ウォダックはその内面をズタ
ズタにされていた。心が壊れて、空っぽになっていく。後には、虚ろな洞だけ
が残った。口をだらしなく開き、目はウェイスターとヴォルボの頭上を滑る様
に動いているが何も映していないことが解る。何かに向かって動き出そうとし
ているが、その動きは緩慢で片輪を無くし惰性で走る馬車のように遅くて不安
定な動作だった。やがて、片手が何かを掴むように上げられる。だが、何も掴
む事はなかった。ただ空虚な何かを掴んだだけに過ぎなかった。
「……ボクは、……ボクは、……ボクは、神だ……」
ウォダックの呟きが聞こえて来た時、ヴォルボは既に武器となるものを手に
していた。
魔剣で無くとも良い。邪神は既に神ではなく、人間の身体の内に潜り込んで
いるのだから。どのような武器でさえも容易に傷付ける事が出来るだろう。例
え拳でさえも――。
そう思って手にした得物は、ナイフだった。
一振りのナイフ。それには、とある魔法が付与されていた。
ヴォルボはその時はっと気付いて、懐に忍ばせておいた髪飾りを取り出し
た。その日作っていた孔雀の髪飾りだ。これはマリリアンに渡す筈のものだっ
た奴だ。だが、愛しのマリリアンはもう既にいない。この世から永遠に消され
てしまったのだ。だからこそ、このアイテムは相応しきものに渡すべきだ。今
この場で相応しき者――ウェイスターに。
「ウェイスターさん! 受け取ってください!」
決意を固めるように強く握り締めると、ヴォルボは髪飾りをウェイスターの
方へと投げた。
その髪飾りには一つの能力が付加されていた。
魔法防御力と物理防御力を飛躍的に上げる能力。
それが、その髪飾り“孔雀の髪飾り”の能力だった。
古来より、魔法鉱石には魔力が備わっているという。ヴォルボはその魔力を
利用して、魔法防御力と物理防御力が上がる魔法を髪飾りに付与しておいたの
だ。ドワーフ特有の、魔法付与の能力である。自分で作ったアイテムに鉱石に
含まれている力を利用して、魔法を付与するのだ。
「それを、頭髪に付けてください! そうすれば、魔法防御力と物理防御力が
――」
「うるさい!」
ヴォルボの語尾は残念ながらウォダック――テスカトリポカといった方がい
いか――の怒号に掻き消された。そしてその怒号と同時に振り下ろされた右拳
は床にめり込んでいた。めり込まれた床には無数の亀裂がまるで魔方陣の如く
張り巡らされていた。そして一際大きな地響きが響いたと思いきや床一面に太
くて大きな亀裂が走り、床が、部屋が、地響きを立てて崩落した。
落下していく瓦礫と共にウェイスターとヴォルボは落ちていく。
ヴォルボは咄嗟の判断で、空中で身体を反転させて受身の姿勢になる。その
体制を整えながら、落下していった。当然降りくる瓦礫を避けながらの作業と
なる。ウェイスターの方はどうなったか解らない。恐らく受身ぐらいは取って
いるだろう。だが、いかんせん無数の瓦礫の束が壁となってヴォルボの位置か
らではウェイスターの様子は見えなかった。
降り立った場所は、広い地下空洞だった。魔術学院の地下に、こんな空洞が
あったなんて初耳だった。
ヴォルボは無言で身構える。
目の前には、テスカトリポカに完全に乗っ取られたウォダックが居た――。
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PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院の地下
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヴォルボが何かを言っていた気がする。
かすかに残る記憶の中で、そんなことをウェイスターは考えていた。
ここはかび臭く、暗い。石造りで頑丈そうな壁。学院の地下なのだろうか。ふと見上
げた頭上には、さっきまで自分がいた部屋があったからだ。事の顛末については、よ
くわからないが、とりあえず地下に落ち、あの場で死ぬことだけは避けられたという
ことだろう。
瓦礫の中で、身を起こし、瓦礫と埃を払う。すると足元に何かが落ちているのに気が
ついた。
「…髪飾り?」
ウェイスターはヴォルボが何を言っていたか覚えていなかった。テスカトリポカの力
の前に絶望し、意識はあっても何も考えられなかったからだ。
身体が痛む。とても戦える気がしない。ウェイスターは髪飾りを懐にしまいこみ、瓦
礫に腰かけ静かに目を閉じた。
「私の求めた正義とは…かくも脆弱なものだったのだな。」
正義を愛し、妄信してきた彼にとって、それが打ち砕かれるとは思わなかった。正義
は勝つ。
だから、世は回ってきたのだ。夜は明けてきたのだ。
なのに、彼は負けた。
正義は勝つはずなのにだ。
「…違うな。脆弱なのは正義ではない…。私…か。」
負ける正義は正義ではない。
私は…正義ではないのだ。
そう思うと、ウェイスターには戦う理由が一切見当たらなかったのだ。
それが例え、たった一枚の壁の向こうでヴォルボが危機的状況にあったとしても。
*□■*
テスカトリポカは困惑していた。
それは、ウォダックの精神がテスカトリポカとの同化を拒んでいたからではない。大
概の人間というヤツは、自分で望んでおきながら、いざとなると邪神との同化を拒む
ものだ。
だから、テスカトリポカの困惑の原因は肉体の方だった。ウォダックの肉体があまり
に貧弱だったのだ。
かつて、テスカトリポカと同化しようとするものは、心身ともに強靭かつ、野心の大
きなものだった。つまり、善悪の区別をつけなければ間違いなく英雄と呼ばれるよう
な…である。
ところがウォダックの肉体は、まさに貧弱。雑誌のウラなんかに書いてある、通信販
売の筋トレ器具の【以前のボクはこんなに貧弱だったんだ】の見本のような体つき
だ。アバラのういた腹。小枝のような腕。…うんざりだ。
「う…ぅぅ…。ボクは…ボクだ…。」
全身を震わし、涙やらよだれやら体液を垂れ流しながら、ウォダックは自我を保とう
と必死だった。
目の前にいる、ドワーフになど目に移って入るものの見えてはいなかった。
ただただ、必死で自分が生きる理由を探す。やり残したこと、言えなかった言葉、会
いたい人…。
そして、数えて泣きたくなった。
なんてボクには何もないのだろう。毎日を必死に生きるだけで、誰かを気にかけるこ
となんてしていなかった。
恋人はおろか、友人だってろくにいない。両親は必死にボクの学費のために働いてく
れているが、僕はそれに答えることなど一つとしてできなかった。…いっそ邪神にで
もなってしまえばいいのかもしれない。
「あぁああああああああッッ!!」
こんな風に叫んだのは…何年ぶりだろう。
腹の奥から感情を垂れ流すのは………。
その間、ヴォルボは何をしていたかといえば、逃げ出していた。
逃げるといえば響きは悪いが、先ほどの突撃でもどうにもならないとなると、頼みの
綱は例の髪飾りだ。
しかし、それはウェイスターに渡してしまって手元にはない。
となれば、髪飾りを探すか、ウェイスターを探すか…。どちらにせよ、今、あのヲタ
クとやりあうのは得策ではない。
冷静に頭を切り替えてヴォルボは駆け出していた。
ほとんど光はなく、普通の人間なら歩き出すのを躊躇うところだが、ドワーフである
彼にはそんな心配はなかった。
とりあえず、ヲタクと距離をとる。行くべき方向など初めからないのだ。
「マリリアン…。」
なんとなく、彼女を思い出すと涙がこぼれそうになった。が、彼は男だ。かすかに目
を赤くした程度で涙を流すには至らない。だから、胸に残る寂しさや悔しさ…そう
いった感情が、何一つ晴れるわけではなかった。
走り続けてどのくらいたっただろうか、肺が張り裂けそうだ。足がもつれる。喉が渇
いた。身体が痛い。めまいがする。
めまいついでに何かがぼんやり見えてきた。
「…?マリリアン?」
デブでブスで、それに気付かないという犯罪行為的な女性、マリリアンの姿があっ
た。
「…マリリアン。どうしてここに。」
マリリアンの声は聞こえない。そんなに距離があるわけではないはずなのに。口だけ
がパクパクと動いている。
「なに?聞こえない。」
駆け寄る。もつれる足で懸命に。
「あれ?ちょっと…。」
進んでいるのに、ちっとも近づかない。むしろ遠のいているかと思うぐらいだ。
「待ってよ。どこに行くの?」
やっとのことで、手の届く位置まで歩み寄り、手を伸ばす。
「ねえ、マリリアン…。」
スゥ…と、ヴォルボの手が空を切った。
「………。」
うなだれ、膝を突く。
何故だろう。悲しくてむなしいはずなのに…涙が出るような気がしなかった。
『あきらめないで…。』
マリリアンの声がして、ふと顔を上げた。
どこか遠く…。
辺りを見回しても、姿はない。
『がんばってね…。ヴォルボ…。』
声の主は遠くなどなかった。むしろ、頭の中に直接響くようだった。
「…うん。」
ヴォルボが、それが幻聴だと気付くころには、学園を出ていた。
少しだけ澄んだ空気を吸って、自分が生きていることを確かめた。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院の地下
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヴォルボが何かを言っていた気がする。
かすかに残る記憶の中で、そんなことをウェイスターは考えていた。
ここはかび臭く、暗い。石造りで頑丈そうな壁。学院の地下なのだろうか。ふと見上
げた頭上には、さっきまで自分がいた部屋があったからだ。事の顛末については、よ
くわからないが、とりあえず地下に落ち、あの場で死ぬことだけは避けられたという
ことだろう。
瓦礫の中で、身を起こし、瓦礫と埃を払う。すると足元に何かが落ちているのに気が
ついた。
「…髪飾り?」
ウェイスターはヴォルボが何を言っていたか覚えていなかった。テスカトリポカの力
の前に絶望し、意識はあっても何も考えられなかったからだ。
身体が痛む。とても戦える気がしない。ウェイスターは髪飾りを懐にしまいこみ、瓦
礫に腰かけ静かに目を閉じた。
「私の求めた正義とは…かくも脆弱なものだったのだな。」
正義を愛し、妄信してきた彼にとって、それが打ち砕かれるとは思わなかった。正義
は勝つ。
だから、世は回ってきたのだ。夜は明けてきたのだ。
なのに、彼は負けた。
正義は勝つはずなのにだ。
「…違うな。脆弱なのは正義ではない…。私…か。」
負ける正義は正義ではない。
私は…正義ではないのだ。
そう思うと、ウェイスターには戦う理由が一切見当たらなかったのだ。
それが例え、たった一枚の壁の向こうでヴォルボが危機的状況にあったとしても。
*□■*
テスカトリポカは困惑していた。
それは、ウォダックの精神がテスカトリポカとの同化を拒んでいたからではない。大
概の人間というヤツは、自分で望んでおきながら、いざとなると邪神との同化を拒む
ものだ。
だから、テスカトリポカの困惑の原因は肉体の方だった。ウォダックの肉体があまり
に貧弱だったのだ。
かつて、テスカトリポカと同化しようとするものは、心身ともに強靭かつ、野心の大
きなものだった。つまり、善悪の区別をつけなければ間違いなく英雄と呼ばれるよう
な…である。
ところがウォダックの肉体は、まさに貧弱。雑誌のウラなんかに書いてある、通信販
売の筋トレ器具の【以前のボクはこんなに貧弱だったんだ】の見本のような体つき
だ。アバラのういた腹。小枝のような腕。…うんざりだ。
「う…ぅぅ…。ボクは…ボクだ…。」
全身を震わし、涙やらよだれやら体液を垂れ流しながら、ウォダックは自我を保とう
と必死だった。
目の前にいる、ドワーフになど目に移って入るものの見えてはいなかった。
ただただ、必死で自分が生きる理由を探す。やり残したこと、言えなかった言葉、会
いたい人…。
そして、数えて泣きたくなった。
なんてボクには何もないのだろう。毎日を必死に生きるだけで、誰かを気にかけるこ
となんてしていなかった。
恋人はおろか、友人だってろくにいない。両親は必死にボクの学費のために働いてく
れているが、僕はそれに答えることなど一つとしてできなかった。…いっそ邪神にで
もなってしまえばいいのかもしれない。
「あぁああああああああッッ!!」
こんな風に叫んだのは…何年ぶりだろう。
腹の奥から感情を垂れ流すのは………。
その間、ヴォルボは何をしていたかといえば、逃げ出していた。
逃げるといえば響きは悪いが、先ほどの突撃でもどうにもならないとなると、頼みの
綱は例の髪飾りだ。
しかし、それはウェイスターに渡してしまって手元にはない。
となれば、髪飾りを探すか、ウェイスターを探すか…。どちらにせよ、今、あのヲタ
クとやりあうのは得策ではない。
冷静に頭を切り替えてヴォルボは駆け出していた。
ほとんど光はなく、普通の人間なら歩き出すのを躊躇うところだが、ドワーフである
彼にはそんな心配はなかった。
とりあえず、ヲタクと距離をとる。行くべき方向など初めからないのだ。
「マリリアン…。」
なんとなく、彼女を思い出すと涙がこぼれそうになった。が、彼は男だ。かすかに目
を赤くした程度で涙を流すには至らない。だから、胸に残る寂しさや悔しさ…そう
いった感情が、何一つ晴れるわけではなかった。
走り続けてどのくらいたっただろうか、肺が張り裂けそうだ。足がもつれる。喉が渇
いた。身体が痛い。めまいがする。
めまいついでに何かがぼんやり見えてきた。
「…?マリリアン?」
デブでブスで、それに気付かないという犯罪行為的な女性、マリリアンの姿があっ
た。
「…マリリアン。どうしてここに。」
マリリアンの声は聞こえない。そんなに距離があるわけではないはずなのに。口だけ
がパクパクと動いている。
「なに?聞こえない。」
駆け寄る。もつれる足で懸命に。
「あれ?ちょっと…。」
進んでいるのに、ちっとも近づかない。むしろ遠のいているかと思うぐらいだ。
「待ってよ。どこに行くの?」
やっとのことで、手の届く位置まで歩み寄り、手を伸ばす。
「ねえ、マリリアン…。」
スゥ…と、ヴォルボの手が空を切った。
「………。」
うなだれ、膝を突く。
何故だろう。悲しくてむなしいはずなのに…涙が出るような気がしなかった。
『あきらめないで…。』
マリリアンの声がして、ふと顔を上げた。
どこか遠く…。
辺りを見回しても、姿はない。
『がんばってね…。ヴォルボ…。』
声の主は遠くなどなかった。むしろ、頭の中に直接響くようだった。
「…うん。」
ヴォルボが、それが幻聴だと気付くころには、学園を出ていた。
少しだけ澄んだ空気を吸って、自分が生きていることを確かめた。
PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
何処をどうやって歩いてきたのか解らなかった。
ただ一つ判明している事は、ここは学園の敷地内で学園の地下からは出てい
るのだという事だけだった。学園の敷地内である事が解るのは、推測でしかな
いが然程歩き回った訳でもないので学園の敷地から出ている訳ではないだろう
ということと、周囲に点在している建物が魔術学院のそれだったからだ。学園
の地下――先程の場所から出ているのだという判断は、日の光が見えたから
だ。恐らく朝日だろう。曙光がビロードの天幕と大地を割って顔を覗かせてい
た。といっても、建物に曙光が当たって朱色に輝いているところからの推測に
過ぎないが。
ヴォルボは暫く呆けていたが、はっと気付いてウェイスターを助けに行かな
ければという思いに駆られた。どういう訳で彼が自分と行動を共にしているの
かは解らないが、唯一ついえる事は今回の件に関して彼が深く関わってしまっ
たと言う事だ。それも、自分の所為かもしれないのだ。自分の所為で彼が危険
な目にあっているのだとしたら、つまるところそれは助けなければならないと
いうことだ。
ヴォルボは急いで元来た道を引き返そうと、踵を返した。
が、そこではたと止まった。
元来た道?
はたして、元来た道と言うのをヴォルボは知らなかった。当然だ。何処をど
うやって歩いて来たかも解らないのだから。はたして、どうしたものか。ヴォ
ルボは悩んだ。今となってはテスカトリポカに対する恐怖と言うのも、不思議
と薄れていた。ひょっとしたら先程見た、マリリアンの幻が恐怖を払拭してく
れたのかもしれない。詳しいことは解らないが、ともかくウェイスターを放っ
ておくわけにはいかない。
ヴォルボは意を決し、再び暗黒の口の中へと踊り込んだのだった。
「待ってて下さいよ、ウェイスター殿。今すぐに助けに行きますからね」
地下講堂のそのまた下に造られた、ということはひょっとしたらここは古の
実験場か何かだったのかもしれない。今は使われていないようだが。所々に見
たことも無いような文様やら文字の様なものやらが、点在していた。時々通る
道筋に魔法陣のようなものも描かれていたりする。地面が陥没したり意図的に
陣の一部を消されたりして、今は機能していない様だが。ヴォルボがそれを知
ることが出来たのは、その陣の上に乗っても何も起こらなかったからだ。最初
は警戒して、遠巻きに魔法陣を迂回していたが、そのうち迂闊に足を踏み入れ
てしまったのだ。その時何かが起こると思って、思わず目を瞑ったが暫く経っ
ても何も起こらなかった。そして、その事から、ここは使われなくなって久し
い場所なのだと知ることが出来た。今では魔法陣を見ても迂回せずに堂々と踏
み荒らすことが出来る。魔法文字の知識が無いので、その魔法陣が元々持って
いた機能が何なのか、知ることは出来ないが。時々完全な形で残っている魔法
陣があって、その場所だけは慎重に迂回することにした。
何処をどう歩いたのかすら覚えてない。記憶にあるのは、ただ暗い迷路のよ
うに入り組んだ地下道を右往左往し行きつ戻りつしたことだけだ。ただ、外に
出た時と同じ道順を進んでいるであろうことは薄々勘付いていた。
暫く進むと、仄かな明かりが見えてきた。
おかしい。ここは人が立ち入らなくなって久しい地だというのに。
ヴォルボは、警戒しつつも静かに近付いていった。ひょっとしたらその明か
りは、ウェイスターが灯したものかもしれないからだ。
それは、魔法の明かりだった。
魔法の明かり、と言うことはそれはウェイスターが灯したものではない、と
言うことだ。ウェイスターではない第三者、つまり、テスカトリポカが灯した
ものであろうことは明白だった。
(しまった! ウェイスター殿に合流するよりも先に敵に遭遇してしまった
か!)
ヴォルボは算段した。
ウェイスターの助けもなしにどれだけテスカトリポカと渡り合えるか。
戦斧[バトルアックス]は壊れてしまったが、先程取り出しておいた風の魔法
が掛かった短剣、鞠村がこちらにはある。だが、これだけでは心もとない事も
また事実だ。
まだ姿を見た訳ではないから明確ではないが、何れ近付けばはっきりするだ
ろう。だが、近付いてからでは遅いのだ。
ヴォルボは考えあぐねていた。焦って汗が滴り落ちるのも気が付かないほど
だ。知恵の輪を解けそうで解けないもどかしさにも似ている。焦りすぎると
段々腹が立って仕方がなくなるものだ。ドワーフであるヴォルボもその例には
漏れなかった。
ヴォルボの焦りとは裏腹に、足音が初め小さかったものが段々大きく響くよ
うになって来た。それはつまるところ、こちらに向かって近付いている、と言
うことだ。複数ある柱の影に隠れてはいるが、いつ見つかるとも解らない。ヴ
ォルボの焦りは頂点に達していた。心臓の鼓動が早鐘のように打ち鳴らす。汗
が滝のように滴り落ちる。呼吸が乱れて荒くなる。
足音は、ヴォルボが隠れている柱の手前で止まった。
くすりと、影が嗤った様な気がした。
ヴォルボの心拍数は今まで生きてきた中で最高拍をたたき出していた。
鞠村を握る手が白く変色する。どこか汗ばんでいるようだった。
だが、足音の主は暫くその場に立ち止まっていただけで何をする事もなかっ
た。
ヴォルボの予想は杞憂に終わった。
男は無言で立ち止まっていた後、徐に歩き出した。今までの進行方向、前へ
と。
それでその場は丸く収まる筈だった。
ヴォルボが男の言葉を耳にしなければ――。
「――今は見逃しておいてやるよ。今はね――」
男は、ぼそりと呟いただけだった。
ほんの小さく、ぼそりと。
普通なら殆ど耳に入らないくらい、小さく、小さく、呟いただけだった。
だが、ここは静寂の支配する空間。そして、聞いていた当人はドワーフだっ
た。普通の人間よりも少し、耳が良いのだ。耳に入らないはずがない。そし
て、一度耳にしてみれば空恐ろしさを感じずにはいられなかった。その言葉は
枯れ木の間を吹き荒ぶ寒風の如く、不気味に聞こえた。およそ人間の声音とは
思えない声音だった。何処から声を出しているのか解らないほど、それは異形
のもの、人ならざるものに近しい声だった。その声を耳にしたものは発狂する
か、意識を持ってかれるかのどちらかだろう。だがしかし、ヴォルボはそのど
ちらにも当てはまらなかった。正気を保つ事に、成功したのだ。
ヴォルボは意を奮い立たせて、仲間――ウェイスターの元へと向かったのだ
った。
*□■*
ウェイスターは瓦礫の上に仰向けになって気絶していた。
一体何が起こったのか、ウェイスターの身体全体に薔薇の様に鮮やかな鮮血
がこびり付いていた。顔面には血と共に青あざ等も刻み込まれていた。足は折
られ、腕には爪で引っかかれたのだろう切り傷が見られた。ご自慢の制服は当
然の事ながら破れてボロボロになっている。そうとう凄惨な戦闘が行われたの
だろうと窺わせた。それも、一方的な私刑[リンチ]に近い戦闘が。
ヴォルボは小走りに近寄って、声を掛けた。
「大丈夫ですか? ウェイスター殿」
が、返事がない。
無理もない。意識を手放しているのだから。
ヴォルボはウェイスターの意識が無いのを見て取ると、手早く応急処置を施
した。先ず脈を診て、閉じている瞼を開けて瞳孔が開いているかどうかを確認
して、次に息をしているかどうかを見るために唇に掌を翳す。そして、気道確
保のために頭部を持ち上げて口を開かせる。頚椎を四十五度の角度に固定する
と、次の作業に移った。即ち止血だ。腕の引っかき傷には腕を圧迫して止血す
る。服の一部を破って腕に巻いていく。折れている足は何処からか拾ってきた
棒切れを服の切れ端で固定した。
てきぱきと慣れた手つきだ。何年も冒険者をやっていると、こういうことに
長けてくる。
応急処置を施して、ヴォルボはほっと胸を撫で下ろした。幸いな事に命には
別状がないらしい。
ヴォルボは、満身創痍のウェイスターを背に担ぐと足早に歩き去って行っ
た。ここではないところ、ここから外へと通じる竪穴へと――。
*□■*
ヴォルボはとりあえずこの場――魔術学院から出ることにした。
とりあえず今は受けた傷を癒す事に専念するしかない。そのためには出来る
だけテスカトリポカから遠ざかる必要があった。今の力では、テスカトリポカ
に打ち勝つことは出来ない。今はまだ力が及ばないのだ。それを今し方痛感し
たばかりだ。先程の焦りと緊張の連続した時間と、満身創痍にされたウェイス
ターを見れば一目瞭然だ。
とりあえず傷を癒す事。
それから、戦力を立て直し戦術を練って様子を見るしかないようだ。
そう思って、街へと足を伸ばすヴォルボ。その背にはウィスターが意識を手
放して圧し掛かっていた。ウェイスターの足を引き摺るように彼を運んで街へ
と赴くヴォルボ。当然だ。彼の背丈は人間のそれよりもはるかに小さいのだ。
ずるずるとウェイスターの足を引き摺りながらソフィニアの街へと出る。
魔術学院を出て初めて、ソレに遭遇した。
ソフィニアの街では今や、チャーハン祭りなるものが催されていたのだ。
何故、そうなったのか。ヴォルボは熟考してみた。
思い当たる節があった。
髪飾りを造っていたとき、奇声を上げて何かがソフィニアの街に押し寄せて
きた。きっと、多分、絶対、ソレのせいだろうと思った。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
何処をどうやって歩いてきたのか解らなかった。
ただ一つ判明している事は、ここは学園の敷地内で学園の地下からは出てい
るのだという事だけだった。学園の敷地内である事が解るのは、推測でしかな
いが然程歩き回った訳でもないので学園の敷地から出ている訳ではないだろう
ということと、周囲に点在している建物が魔術学院のそれだったからだ。学園
の地下――先程の場所から出ているのだという判断は、日の光が見えたから
だ。恐らく朝日だろう。曙光がビロードの天幕と大地を割って顔を覗かせてい
た。といっても、建物に曙光が当たって朱色に輝いているところからの推測に
過ぎないが。
ヴォルボは暫く呆けていたが、はっと気付いてウェイスターを助けに行かな
ければという思いに駆られた。どういう訳で彼が自分と行動を共にしているの
かは解らないが、唯一ついえる事は今回の件に関して彼が深く関わってしまっ
たと言う事だ。それも、自分の所為かもしれないのだ。自分の所為で彼が危険
な目にあっているのだとしたら、つまるところそれは助けなければならないと
いうことだ。
ヴォルボは急いで元来た道を引き返そうと、踵を返した。
が、そこではたと止まった。
元来た道?
はたして、元来た道と言うのをヴォルボは知らなかった。当然だ。何処をど
うやって歩いて来たかも解らないのだから。はたして、どうしたものか。ヴォ
ルボは悩んだ。今となってはテスカトリポカに対する恐怖と言うのも、不思議
と薄れていた。ひょっとしたら先程見た、マリリアンの幻が恐怖を払拭してく
れたのかもしれない。詳しいことは解らないが、ともかくウェイスターを放っ
ておくわけにはいかない。
ヴォルボは意を決し、再び暗黒の口の中へと踊り込んだのだった。
「待ってて下さいよ、ウェイスター殿。今すぐに助けに行きますからね」
地下講堂のそのまた下に造られた、ということはひょっとしたらここは古の
実験場か何かだったのかもしれない。今は使われていないようだが。所々に見
たことも無いような文様やら文字の様なものやらが、点在していた。時々通る
道筋に魔法陣のようなものも描かれていたりする。地面が陥没したり意図的に
陣の一部を消されたりして、今は機能していない様だが。ヴォルボがそれを知
ることが出来たのは、その陣の上に乗っても何も起こらなかったからだ。最初
は警戒して、遠巻きに魔法陣を迂回していたが、そのうち迂闊に足を踏み入れ
てしまったのだ。その時何かが起こると思って、思わず目を瞑ったが暫く経っ
ても何も起こらなかった。そして、その事から、ここは使われなくなって久し
い場所なのだと知ることが出来た。今では魔法陣を見ても迂回せずに堂々と踏
み荒らすことが出来る。魔法文字の知識が無いので、その魔法陣が元々持って
いた機能が何なのか、知ることは出来ないが。時々完全な形で残っている魔法
陣があって、その場所だけは慎重に迂回することにした。
何処をどう歩いたのかすら覚えてない。記憶にあるのは、ただ暗い迷路のよ
うに入り組んだ地下道を右往左往し行きつ戻りつしたことだけだ。ただ、外に
出た時と同じ道順を進んでいるであろうことは薄々勘付いていた。
暫く進むと、仄かな明かりが見えてきた。
おかしい。ここは人が立ち入らなくなって久しい地だというのに。
ヴォルボは、警戒しつつも静かに近付いていった。ひょっとしたらその明か
りは、ウェイスターが灯したものかもしれないからだ。
それは、魔法の明かりだった。
魔法の明かり、と言うことはそれはウェイスターが灯したものではない、と
言うことだ。ウェイスターではない第三者、つまり、テスカトリポカが灯した
ものであろうことは明白だった。
(しまった! ウェイスター殿に合流するよりも先に敵に遭遇してしまった
か!)
ヴォルボは算段した。
ウェイスターの助けもなしにどれだけテスカトリポカと渡り合えるか。
戦斧[バトルアックス]は壊れてしまったが、先程取り出しておいた風の魔法
が掛かった短剣、鞠村がこちらにはある。だが、これだけでは心もとない事も
また事実だ。
まだ姿を見た訳ではないから明確ではないが、何れ近付けばはっきりするだ
ろう。だが、近付いてからでは遅いのだ。
ヴォルボは考えあぐねていた。焦って汗が滴り落ちるのも気が付かないほど
だ。知恵の輪を解けそうで解けないもどかしさにも似ている。焦りすぎると
段々腹が立って仕方がなくなるものだ。ドワーフであるヴォルボもその例には
漏れなかった。
ヴォルボの焦りとは裏腹に、足音が初め小さかったものが段々大きく響くよ
うになって来た。それはつまるところ、こちらに向かって近付いている、と言
うことだ。複数ある柱の影に隠れてはいるが、いつ見つかるとも解らない。ヴ
ォルボの焦りは頂点に達していた。心臓の鼓動が早鐘のように打ち鳴らす。汗
が滝のように滴り落ちる。呼吸が乱れて荒くなる。
足音は、ヴォルボが隠れている柱の手前で止まった。
くすりと、影が嗤った様な気がした。
ヴォルボの心拍数は今まで生きてきた中で最高拍をたたき出していた。
鞠村を握る手が白く変色する。どこか汗ばんでいるようだった。
だが、足音の主は暫くその場に立ち止まっていただけで何をする事もなかっ
た。
ヴォルボの予想は杞憂に終わった。
男は無言で立ち止まっていた後、徐に歩き出した。今までの進行方向、前へ
と。
それでその場は丸く収まる筈だった。
ヴォルボが男の言葉を耳にしなければ――。
「――今は見逃しておいてやるよ。今はね――」
男は、ぼそりと呟いただけだった。
ほんの小さく、ぼそりと。
普通なら殆ど耳に入らないくらい、小さく、小さく、呟いただけだった。
だが、ここは静寂の支配する空間。そして、聞いていた当人はドワーフだっ
た。普通の人間よりも少し、耳が良いのだ。耳に入らないはずがない。そし
て、一度耳にしてみれば空恐ろしさを感じずにはいられなかった。その言葉は
枯れ木の間を吹き荒ぶ寒風の如く、不気味に聞こえた。およそ人間の声音とは
思えない声音だった。何処から声を出しているのか解らないほど、それは異形
のもの、人ならざるものに近しい声だった。その声を耳にしたものは発狂する
か、意識を持ってかれるかのどちらかだろう。だがしかし、ヴォルボはそのど
ちらにも当てはまらなかった。正気を保つ事に、成功したのだ。
ヴォルボは意を奮い立たせて、仲間――ウェイスターの元へと向かったのだ
った。
*□■*
ウェイスターは瓦礫の上に仰向けになって気絶していた。
一体何が起こったのか、ウェイスターの身体全体に薔薇の様に鮮やかな鮮血
がこびり付いていた。顔面には血と共に青あざ等も刻み込まれていた。足は折
られ、腕には爪で引っかかれたのだろう切り傷が見られた。ご自慢の制服は当
然の事ながら破れてボロボロになっている。そうとう凄惨な戦闘が行われたの
だろうと窺わせた。それも、一方的な私刑[リンチ]に近い戦闘が。
ヴォルボは小走りに近寄って、声を掛けた。
「大丈夫ですか? ウェイスター殿」
が、返事がない。
無理もない。意識を手放しているのだから。
ヴォルボはウェイスターの意識が無いのを見て取ると、手早く応急処置を施
した。先ず脈を診て、閉じている瞼を開けて瞳孔が開いているかどうかを確認
して、次に息をしているかどうかを見るために唇に掌を翳す。そして、気道確
保のために頭部を持ち上げて口を開かせる。頚椎を四十五度の角度に固定する
と、次の作業に移った。即ち止血だ。腕の引っかき傷には腕を圧迫して止血す
る。服の一部を破って腕に巻いていく。折れている足は何処からか拾ってきた
棒切れを服の切れ端で固定した。
てきぱきと慣れた手つきだ。何年も冒険者をやっていると、こういうことに
長けてくる。
応急処置を施して、ヴォルボはほっと胸を撫で下ろした。幸いな事に命には
別状がないらしい。
ヴォルボは、満身創痍のウェイスターを背に担ぐと足早に歩き去って行っ
た。ここではないところ、ここから外へと通じる竪穴へと――。
*□■*
ヴォルボはとりあえずこの場――魔術学院から出ることにした。
とりあえず今は受けた傷を癒す事に専念するしかない。そのためには出来る
だけテスカトリポカから遠ざかる必要があった。今の力では、テスカトリポカ
に打ち勝つことは出来ない。今はまだ力が及ばないのだ。それを今し方痛感し
たばかりだ。先程の焦りと緊張の連続した時間と、満身創痍にされたウェイス
ターを見れば一目瞭然だ。
とりあえず傷を癒す事。
それから、戦力を立て直し戦術を練って様子を見るしかないようだ。
そう思って、街へと足を伸ばすヴォルボ。その背にはウィスターが意識を手
放して圧し掛かっていた。ウェイスターの足を引き摺るように彼を運んで街へ
と赴くヴォルボ。当然だ。彼の背丈は人間のそれよりもはるかに小さいのだ。
ずるずるとウェイスターの足を引き摺りながらソフィニアの街へと出る。
魔術学院を出て初めて、ソレに遭遇した。
ソフィニアの街では今や、チャーハン祭りなるものが催されていたのだ。
何故、そうなったのか。ヴォルボは熟考してみた。
思い当たる節があった。
髪飾りを造っていたとき、奇声を上げて何かがソフィニアの街に押し寄せて
きた。きっと、多分、絶対、ソレのせいだろうと思った。
PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア郊外 マリリアン宅
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
見えない。何も。感じない。どれも。信じない…。正義なんて…。
ウェイスターは暗い意識のふちで、そんなことを思っていた。確か、テスカトリポカ
とかいう者の力を受けたヲタクに完膚なきまでに叩きのめされたはずだ。そのせいで
全身はボロボロで、次に目覚めるときは天国とか地獄とかいう所なのだろうと、なん
となく思っていたくらいだ。
「気がつきました?」
聞き覚えのある声だった。
あぁ、確かヴォルボというドワーフだ。とすると、まだ私は死んでいないようだ。
少し気を緩めると、ウェイスターはまた気を失った。深い闇に落ちていく。
ヴォルボは、ウェイスターが気を失ったと知ると、その頭に濡れタオルを置き、席を
立った。
「……。」
見上げて写るのは、何の変哲も無い白い天井。多分、この景色をマリリアンも見たこ
とだろう。なにせここは彼女のうちだ。
満身創痍のまま、ふらふらと歩いていたらたどり着いたのはここだった。不法侵入と
は思ったが、誰がそれを咎めるだろう。住人はもうすでにいないのだ。彼女はいない
し、彼女の家族もまたいなかった。とゆうか、無かった。
彼女は不幸な身の上だったらしい。幼いころに両親は早世し、育ての親だった祖母も
また、去年肺を患って亡くなった。
「?」
ヴォルボは自問した。何故こんなことを知っているのかと。そして、正面を見据えた
とき答えが出た。
「…あぁ、そうだよなぁ。君自身は知っているよね…。」
おぼろげに揺れる影として、マリリアンの姿を見た。俗に言う霊というやつだ。あの
ときの彼女は幻ではなかった。
それは彼女の無念が故だろうか、それともか彼女への思いの強さゆえか。今頬を伝う
涙のわけがヴォルボにははっきりしなかった。
*□■*
幾日かたったある日のことだった。
良く晴れていい天気だった。ウェイスターはベットから起き、自分が歩けることを確
信するとヴォルボにある提案をした。
「…私はあの邪神を討つつもりだ。」
「はい。ボクもです。」
「策はある。やつが邪神だというのならば、わがカミカゼ機動隊本部に奉納されてい
る邪滅の剣、『麗黒剣』をもってすれば…たやすくとは言わないが…少なくとも討つ
可能性は大きくなるはずだ。」
「しかし、今のヤツは人間に取り付いていて通常の攻撃でも倒せるはずですよ?なに
も、そこまで回りくどい真似をしなくとも…。」
「ふむ…。かもしれん。しかしだ、前回の戦闘で分かったのは純粋に戦闘力の差が大
きいことではないだろうか?」
「つまり、現時点では勝てないと?」
「残念ながらそう考えるのが妥当だ。一時の感情で命を捨てるのでは、亡くなった者
に対し失礼に当たる。」
「で、その剣はどこに?」
「本部、つまりジュデッカだ。長旅になるだろう。」
ヴォルボは、ウェイスターのこの提案に対し、疑問を持った。この男は、適当に理由
をつけて戦闘を先延ばしにしたいのではないか、と。そして、なによりその剣を自分
が作る事だって可能だ。あの髪飾りさえあれば自分にも勝機があった。そう考えれば
わざわざ取りに行く気にはなれなかった。
「ウェイスター殿、正直に言う。アナタはもしかして、邪神との戦闘を避けたいがた
め、言い逃れを探しているのでは?その剣の信憑性だってマユツバだし、なによりそ
ういった類の武具を作ることはボクにだってできるんです。」
ウェイスターは一瞬黙って、うつむいた。そして、うめくような声で「あぁ。」とだ
け言った。その姿は哀れみさえ感じさせる哀愁を纏っていた。ヴォルボは視線を外
し、無期限に気まずい空気が流れた。
*□■*
ソフィニアの魔法学院では、地下講堂が激しく破壊されていたことに対する噂が飛び
交っていた。
そんな中、教室の片隅でウォダックは青い顔をさらに青くしてがたがたと震えてい
た。
「あぁ…。」
その風貌と性格ゆえにクラスのつまはじき者である彼。そんな彼の様子がおかしかっ
たことなど誰も気がつかなかった。そんなことより、根も葉もない噂話をしている方
が大抵の学生にとって刺激的だった。噂はもっぱら召喚に失敗したとか、魔法の暴発
だとかありきたりな発想だったが、それでも学生というのはこういったスキャンダル
を好むものだ。
そして、その日の地下には彼がいたという噂も当然飛び交った。なにしろ、彼は実際
にそこにいたのだ、普段はろくに話もしないクラスメイトに「あの日、何があっ
た?」などと聞かれる。ウォダックは適当にお茶を濁し、自分が邪神に取り付かれた
ことなどは話はしない。
ただ、がたがたと震えていた。
「ヨォ、オッサン。」
不意に声がかけられた。聞き覚えは無い。
「だ、誰?」
バン・チヨダこと、番長バンだ。ウェイスターに無理やり道案内させられた男。その
男がふてぶてしく、ウォダックの机に手を置いていた。
「オッサン。あの日、あそこで何があったんだよ。言えよ。」
ウォダックは、視線をそらした。こういった連中はすぐ暴力に走るから嫌いなんだ。
「黙ってんなよ。」
少し荒めの語気で問い詰める。
「あ…。いや、別に…。」
「別に何もなくて、どうして地下講堂に穴が開くんだよ?オッサン。」
「ど、どうして君がそんなことを…。」
「別に、興味がわいただけよ。」
「…なら、帰ってくれよ。忙しいんだ。」
「つれないこというなよ、なぁ、オッサン!」
バンは苛立ってウォダックの胸倉を掴みあげた。
「や、やめてくれよぉお!」
驚いたウォダックは、胸倉にあるバンの手をはたいた。
あぁ、やってしまった。と、ウォダックは思った。いつも、ここで思わず出た一発で
相手の反感を買って、ボコボコにされるのだ。
ウォダックにはその経験が7回あった。だから、思わず目をつぶったままじっとして
いた。
ドガァアアアッ
暫くしても、何も起こらないので、恐る恐る目を開けると、そこには数メートル吹っ
飛ばされ、白目をむいたバンがいた。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア郊外 マリリアン宅
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
見えない。何も。感じない。どれも。信じない…。正義なんて…。
ウェイスターは暗い意識のふちで、そんなことを思っていた。確か、テスカトリポカ
とかいう者の力を受けたヲタクに完膚なきまでに叩きのめされたはずだ。そのせいで
全身はボロボロで、次に目覚めるときは天国とか地獄とかいう所なのだろうと、なん
となく思っていたくらいだ。
「気がつきました?」
聞き覚えのある声だった。
あぁ、確かヴォルボというドワーフだ。とすると、まだ私は死んでいないようだ。
少し気を緩めると、ウェイスターはまた気を失った。深い闇に落ちていく。
ヴォルボは、ウェイスターが気を失ったと知ると、その頭に濡れタオルを置き、席を
立った。
「……。」
見上げて写るのは、何の変哲も無い白い天井。多分、この景色をマリリアンも見たこ
とだろう。なにせここは彼女のうちだ。
満身創痍のまま、ふらふらと歩いていたらたどり着いたのはここだった。不法侵入と
は思ったが、誰がそれを咎めるだろう。住人はもうすでにいないのだ。彼女はいない
し、彼女の家族もまたいなかった。とゆうか、無かった。
彼女は不幸な身の上だったらしい。幼いころに両親は早世し、育ての親だった祖母も
また、去年肺を患って亡くなった。
「?」
ヴォルボは自問した。何故こんなことを知っているのかと。そして、正面を見据えた
とき答えが出た。
「…あぁ、そうだよなぁ。君自身は知っているよね…。」
おぼろげに揺れる影として、マリリアンの姿を見た。俗に言う霊というやつだ。あの
ときの彼女は幻ではなかった。
それは彼女の無念が故だろうか、それともか彼女への思いの強さゆえか。今頬を伝う
涙のわけがヴォルボにははっきりしなかった。
*□■*
幾日かたったある日のことだった。
良く晴れていい天気だった。ウェイスターはベットから起き、自分が歩けることを確
信するとヴォルボにある提案をした。
「…私はあの邪神を討つつもりだ。」
「はい。ボクもです。」
「策はある。やつが邪神だというのならば、わがカミカゼ機動隊本部に奉納されてい
る邪滅の剣、『麗黒剣』をもってすれば…たやすくとは言わないが…少なくとも討つ
可能性は大きくなるはずだ。」
「しかし、今のヤツは人間に取り付いていて通常の攻撃でも倒せるはずですよ?なに
も、そこまで回りくどい真似をしなくとも…。」
「ふむ…。かもしれん。しかしだ、前回の戦闘で分かったのは純粋に戦闘力の差が大
きいことではないだろうか?」
「つまり、現時点では勝てないと?」
「残念ながらそう考えるのが妥当だ。一時の感情で命を捨てるのでは、亡くなった者
に対し失礼に当たる。」
「で、その剣はどこに?」
「本部、つまりジュデッカだ。長旅になるだろう。」
ヴォルボは、ウェイスターのこの提案に対し、疑問を持った。この男は、適当に理由
をつけて戦闘を先延ばしにしたいのではないか、と。そして、なによりその剣を自分
が作る事だって可能だ。あの髪飾りさえあれば自分にも勝機があった。そう考えれば
わざわざ取りに行く気にはなれなかった。
「ウェイスター殿、正直に言う。アナタはもしかして、邪神との戦闘を避けたいがた
め、言い逃れを探しているのでは?その剣の信憑性だってマユツバだし、なによりそ
ういった類の武具を作ることはボクにだってできるんです。」
ウェイスターは一瞬黙って、うつむいた。そして、うめくような声で「あぁ。」とだ
け言った。その姿は哀れみさえ感じさせる哀愁を纏っていた。ヴォルボは視線を外
し、無期限に気まずい空気が流れた。
*□■*
ソフィニアの魔法学院では、地下講堂が激しく破壊されていたことに対する噂が飛び
交っていた。
そんな中、教室の片隅でウォダックは青い顔をさらに青くしてがたがたと震えてい
た。
「あぁ…。」
その風貌と性格ゆえにクラスのつまはじき者である彼。そんな彼の様子がおかしかっ
たことなど誰も気がつかなかった。そんなことより、根も葉もない噂話をしている方
が大抵の学生にとって刺激的だった。噂はもっぱら召喚に失敗したとか、魔法の暴発
だとかありきたりな発想だったが、それでも学生というのはこういったスキャンダル
を好むものだ。
そして、その日の地下には彼がいたという噂も当然飛び交った。なにしろ、彼は実際
にそこにいたのだ、普段はろくに話もしないクラスメイトに「あの日、何があっ
た?」などと聞かれる。ウォダックは適当にお茶を濁し、自分が邪神に取り付かれた
ことなどは話はしない。
ただ、がたがたと震えていた。
「ヨォ、オッサン。」
不意に声がかけられた。聞き覚えは無い。
「だ、誰?」
バン・チヨダこと、番長バンだ。ウェイスターに無理やり道案内させられた男。その
男がふてぶてしく、ウォダックの机に手を置いていた。
「オッサン。あの日、あそこで何があったんだよ。言えよ。」
ウォダックは、視線をそらした。こういった連中はすぐ暴力に走るから嫌いなんだ。
「黙ってんなよ。」
少し荒めの語気で問い詰める。
「あ…。いや、別に…。」
「別に何もなくて、どうして地下講堂に穴が開くんだよ?オッサン。」
「ど、どうして君がそんなことを…。」
「別に、興味がわいただけよ。」
「…なら、帰ってくれよ。忙しいんだ。」
「つれないこというなよ、なぁ、オッサン!」
バンは苛立ってウォダックの胸倉を掴みあげた。
「や、やめてくれよぉお!」
驚いたウォダックは、胸倉にあるバンの手をはたいた。
あぁ、やってしまった。と、ウォダックは思った。いつも、ここで思わず出た一発で
相手の反感を買って、ボコボコにされるのだ。
ウォダックにはその経験が7回あった。だから、思わず目をつぶったままじっとして
いた。
ドガァアアアッ
暫くしても、何も起こらないので、恐る恐る目を開けると、そこには数メートル吹っ
飛ばされ、白目をむいたバンがいた。
PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア~イヴァノフォールドの一農村
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
魔術学院に併設されている寮のウォダックの自室に一枚の紙が置いてあった。
その机の上に置き去りにされた紙には、こう書かれてあった。
――僕は旅に出ます。
捜さないで下さい。
*□■*
ガラガラと規則正しく轍を踏む車輪の音が聞こえてくる。
ヴォルボはその心地よい音を聞きながら、微睡んでいた。
自慢の鬚[ひげ]が風に靡いて揺れている。
結論から言うと、ヴォルボはウェイスターの言う通り邪滅の剣とやらを取りに、カミカゼ機動隊の総本山ともいえる受刑都市ジュデッカへと旅立ったのだった。
邪滅の剣『麗黒剣』は意思を持つ剣だ。自身の意思で持ち主を選び、主に助言を与えながらも敵を薙ぎ払う、と言う代物だ。そんな武具などヴォルボには到底作れないし、だからヴォルボはウェイスターの申すとおりジュデッカへの旅路に着いたのだ。ウェイスターの説明を受けてからの出立と相成った。
ソフィニア東側の門を通って街の外に出ると、先ず広がるのが長閑な田園風景だった。まるで馬でも欠伸しそうなほど長閑で平和な地帯だ。この辺で取れるのは小麦や大麦などのパンの主原料である穀物や、シリアルの主原料でもあるトウモロコシや野菜、果物なども栽培している。農家の家屋はその段々畑や麦畑、トウモロコシ畑などの間に点々と見えるだけだ。何処までも長閑で、そして平和だった。まるで、ここら辺近辺では戦闘など起こらないようである。魔物の姿も、これといって見当たらない。ここイヴァノフォールド一帯を統治している領主、オーギュスト・ル=イヴァノフォールドが善政を布いているのが覗える。
ヴォルボとウェイスターは、馬車を借りて陸路を通ってジュデッカへ向かうことにした。
何故、暢気に陸路など選んだのか。
海路と言う選択肢もあったが、そのルートはヴォルボが真っ先に否定した。理由は、鎧が錆びるから、だそうだ。本人もそう言って、頑として聞き入れないから仕方なしにウェイスターは陸路を選ばざるを得なかったのだ。
「取り敢えず、ガイスに向かいましょう」
御者台にて手綱を引くウェイスターに声を掛けるヴォルボ。
道程はまだ始まったばかり。ジュデッカはまだ遥か先にある。
御者台に上るのは、交代制にしたのだ。一日走って夜は野営をして、翌日はヴォルボが手綱を引く番だ。ドワーフとはいえ、一通り手綱捌きも覚えたつもりだ。冒険者暮らしは何かと覚えることが多い。
借りた馬車は幌馬車とも言うべきものだった。荷台に簡易式の天蓋が覆っていて、御者台と荷台を分かち遮るものは何も無い。当然後ろからも丸見えになるが、追われているで無し、都合の悪い事など何も無い。荷台を引く馬は二頭いて両方とも栗毛の馬だ。片方には前足の片方が白くなっていて、業界用語で星と言うものが付いていた。それ以外は、双方共に差異はない。
「あ、ああ。そうだな」
一拍遅れてウェイスターが応対する。
今は手綱捌きで忙しい、と言うところだろう。
道はそれなりに石畳で舗装はされていたが、所々未舗装な部分もあって馬車にとっては見過ごせないほどの大きさの石が落ちていたり、轍の溝が何重にも重なっていたりと御者にとっては集中を余儀なくされる道だからだ。
ウェイスター自身手綱捌きになれていないせいもあるにはあるが。
この分だと、途中で野宿することになるだろうなぁ、とそんな事を暢気に考えながらヴォルボは再び微睡みの中に投じていった。
*□■*
どの位微睡んでいただろう。
ただ車輪の等間隔に響いてくる心地よい響きと揺らぎとに身体をもたせ掛けて、危うく頭を床板に打ち付けるところだった。
打ち付けるまでには至らなかったが、完全に目覚めることは出来た。
頭を二、三度横に振って正気を保とうとする。
その時丁度ウェイスターの声が聞こえて来て、ヴォルボが前方に注意を向ける。
「ヴォルボ殿、向こうに村が見えます」
ウェイスターの指差す先に、小さく点のような集落が見えてきた。ヴォルボは目を凝らしながらそのゴマ粒を観察した。ゴマ粒は見る間に近付いてきて大きくなっていく。文字通り集落に形作られるのは時間の問題だった。ヴォルボとウェイスターの顔が俄かに明るみを増した。今夜は野宿をしなくて済みそうだからだ。
「良かった。今夜はあそこに――」
ヴォルボの言葉が終わるか終わらないかの内に、目の前に迫っていた村が突如として陥没した。集落を形作っている一軒一軒が地面に飲み込まれるが如く、崩れ崩落し瓦礫と化していく。それはまるで映画の一幕をコマ送りで見ているように、ゆっくりとだが激しく崩れ去っていった。家の中で生活していた人々の、阿鼻叫喚が聞こえてくるようだ。その村人達の阿鼻叫喚を飲み込んでも尚、村は上下に激しく揺れていた。
地面の激震はまだ続いていて、ヴォルボとウェイスターが乗っている馬車のある辺りまで揺れていた。当然だ地続きなのだから。道の中央に亀裂が走り、地面が上下にずれていく。馬車を飲み込みながら。ヴォルボはしっかと馬車の縁[へり]に掴まって体を固定した。そして、ウェイスターに向かって叫ぶ。
「大丈夫ですか!? ウェイスター殿!」
「な、なんとか!」
ウェイスターのほうも、御者代の縁を掴んで身体を固定していた。
だが、馬の方は沈み行く地面に脚を取られ、恐慌に陥っていた。嘶きが虚しく虚空に消えゆく。馬は、哀れ地面に飲み込まれていった。
「こ、この揺れは、震度7くらいですかね……」
火山の多い地震地帯の出身らしく、ヴォルボはこの揺れの中でも冷静さを保っていた。
やがて地面の揺れが収まったとき、何処からか聞き覚えのある高笑いが聞こえて来た。
「……そんな、あり得ない……」
その声は、テスカトリポカに取り付かれたウォダックのものだった。
二人とも近くまで行って確かめたい衝動に駆られたが、如何せん馬車は先程の地震で横転していた。馬も、地割れの溝に挟まって動けなくなっていた。二人は協力して二頭の馬を地割れから引き上げることにした。そのためには先ず馬車から外さなければならない。それは馬車を捨てるということだ。だが、今は迷っている暇はない。馬だけでも救い出さねば。
二人は先ず、馬を荷台から外すと一頭ずつ地割れに挟まれた馬を引き起こしにかかった。細い足が丁度地面の割れ目に入り込んでしまっていて、なかなか上手く引き抜けない。ヴォルボはふと思いついて、荷台の床板を外しにかかった。それを使って割れ目の穴を大きく掘り広げていく。ウェイスターもそれを見て手伝い始めた。
二人で作業をすれば早いもので、じきに二頭とも救出することに成功した。
二人はその馬に跨って村へと疾駆した。
村は惨憺たる有様だった。
火事でもあったのかそこかしこで火が燻っていたり、瓦礫の下敷きになっているのか何処からか人の呻き声や赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。「助けて」とか細い声で呼んでいるものもいる。
村はどこか虚ろになっていた。
それ以前の村を知らないからなんとも言えないが、ともかく陰惨な活気のない村に変貌していた。
村の中央の大通りらしき道を馬を引きながら歩いていくと、村の中央辺りにある井戸の上で宙ぶらりんになったウォダックがいた。ずり落ちそうな眼鏡を人差し指で直し、かつて戦った二人を目にすると虚ろな目で嗤った。
「遅かったな。もう村は壊滅したあとだよ。フフフ。もう少し楽しませてくれなくちゃあ」
まるで新しい遊びでも思いついたかのように、不気味に笑うウォダック。
その人格は少しずつだが変わっていた。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア~イヴァノフォールドの一農村
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魔術学院に併設されている寮のウォダックの自室に一枚の紙が置いてあった。
その机の上に置き去りにされた紙には、こう書かれてあった。
――僕は旅に出ます。
捜さないで下さい。
*□■*
ガラガラと規則正しく轍を踏む車輪の音が聞こえてくる。
ヴォルボはその心地よい音を聞きながら、微睡んでいた。
自慢の鬚[ひげ]が風に靡いて揺れている。
結論から言うと、ヴォルボはウェイスターの言う通り邪滅の剣とやらを取りに、カミカゼ機動隊の総本山ともいえる受刑都市ジュデッカへと旅立ったのだった。
邪滅の剣『麗黒剣』は意思を持つ剣だ。自身の意思で持ち主を選び、主に助言を与えながらも敵を薙ぎ払う、と言う代物だ。そんな武具などヴォルボには到底作れないし、だからヴォルボはウェイスターの申すとおりジュデッカへの旅路に着いたのだ。ウェイスターの説明を受けてからの出立と相成った。
ソフィニア東側の門を通って街の外に出ると、先ず広がるのが長閑な田園風景だった。まるで馬でも欠伸しそうなほど長閑で平和な地帯だ。この辺で取れるのは小麦や大麦などのパンの主原料である穀物や、シリアルの主原料でもあるトウモロコシや野菜、果物なども栽培している。農家の家屋はその段々畑や麦畑、トウモロコシ畑などの間に点々と見えるだけだ。何処までも長閑で、そして平和だった。まるで、ここら辺近辺では戦闘など起こらないようである。魔物の姿も、これといって見当たらない。ここイヴァノフォールド一帯を統治している領主、オーギュスト・ル=イヴァノフォールドが善政を布いているのが覗える。
ヴォルボとウェイスターは、馬車を借りて陸路を通ってジュデッカへ向かうことにした。
何故、暢気に陸路など選んだのか。
海路と言う選択肢もあったが、そのルートはヴォルボが真っ先に否定した。理由は、鎧が錆びるから、だそうだ。本人もそう言って、頑として聞き入れないから仕方なしにウェイスターは陸路を選ばざるを得なかったのだ。
「取り敢えず、ガイスに向かいましょう」
御者台にて手綱を引くウェイスターに声を掛けるヴォルボ。
道程はまだ始まったばかり。ジュデッカはまだ遥か先にある。
御者台に上るのは、交代制にしたのだ。一日走って夜は野営をして、翌日はヴォルボが手綱を引く番だ。ドワーフとはいえ、一通り手綱捌きも覚えたつもりだ。冒険者暮らしは何かと覚えることが多い。
借りた馬車は幌馬車とも言うべきものだった。荷台に簡易式の天蓋が覆っていて、御者台と荷台を分かち遮るものは何も無い。当然後ろからも丸見えになるが、追われているで無し、都合の悪い事など何も無い。荷台を引く馬は二頭いて両方とも栗毛の馬だ。片方には前足の片方が白くなっていて、業界用語で星と言うものが付いていた。それ以外は、双方共に差異はない。
「あ、ああ。そうだな」
一拍遅れてウェイスターが応対する。
今は手綱捌きで忙しい、と言うところだろう。
道はそれなりに石畳で舗装はされていたが、所々未舗装な部分もあって馬車にとっては見過ごせないほどの大きさの石が落ちていたり、轍の溝が何重にも重なっていたりと御者にとっては集中を余儀なくされる道だからだ。
ウェイスター自身手綱捌きになれていないせいもあるにはあるが。
この分だと、途中で野宿することになるだろうなぁ、とそんな事を暢気に考えながらヴォルボは再び微睡みの中に投じていった。
*□■*
どの位微睡んでいただろう。
ただ車輪の等間隔に響いてくる心地よい響きと揺らぎとに身体をもたせ掛けて、危うく頭を床板に打ち付けるところだった。
打ち付けるまでには至らなかったが、完全に目覚めることは出来た。
頭を二、三度横に振って正気を保とうとする。
その時丁度ウェイスターの声が聞こえて来て、ヴォルボが前方に注意を向ける。
「ヴォルボ殿、向こうに村が見えます」
ウェイスターの指差す先に、小さく点のような集落が見えてきた。ヴォルボは目を凝らしながらそのゴマ粒を観察した。ゴマ粒は見る間に近付いてきて大きくなっていく。文字通り集落に形作られるのは時間の問題だった。ヴォルボとウェイスターの顔が俄かに明るみを増した。今夜は野宿をしなくて済みそうだからだ。
「良かった。今夜はあそこに――」
ヴォルボの言葉が終わるか終わらないかの内に、目の前に迫っていた村が突如として陥没した。集落を形作っている一軒一軒が地面に飲み込まれるが如く、崩れ崩落し瓦礫と化していく。それはまるで映画の一幕をコマ送りで見ているように、ゆっくりとだが激しく崩れ去っていった。家の中で生活していた人々の、阿鼻叫喚が聞こえてくるようだ。その村人達の阿鼻叫喚を飲み込んでも尚、村は上下に激しく揺れていた。
地面の激震はまだ続いていて、ヴォルボとウェイスターが乗っている馬車のある辺りまで揺れていた。当然だ地続きなのだから。道の中央に亀裂が走り、地面が上下にずれていく。馬車を飲み込みながら。ヴォルボはしっかと馬車の縁[へり]に掴まって体を固定した。そして、ウェイスターに向かって叫ぶ。
「大丈夫ですか!? ウェイスター殿!」
「な、なんとか!」
ウェイスターのほうも、御者代の縁を掴んで身体を固定していた。
だが、馬の方は沈み行く地面に脚を取られ、恐慌に陥っていた。嘶きが虚しく虚空に消えゆく。馬は、哀れ地面に飲み込まれていった。
「こ、この揺れは、震度7くらいですかね……」
火山の多い地震地帯の出身らしく、ヴォルボはこの揺れの中でも冷静さを保っていた。
やがて地面の揺れが収まったとき、何処からか聞き覚えのある高笑いが聞こえて来た。
「……そんな、あり得ない……」
その声は、テスカトリポカに取り付かれたウォダックのものだった。
二人とも近くまで行って確かめたい衝動に駆られたが、如何せん馬車は先程の地震で横転していた。馬も、地割れの溝に挟まって動けなくなっていた。二人は協力して二頭の馬を地割れから引き上げることにした。そのためには先ず馬車から外さなければならない。それは馬車を捨てるということだ。だが、今は迷っている暇はない。馬だけでも救い出さねば。
二人は先ず、馬を荷台から外すと一頭ずつ地割れに挟まれた馬を引き起こしにかかった。細い足が丁度地面の割れ目に入り込んでしまっていて、なかなか上手く引き抜けない。ヴォルボはふと思いついて、荷台の床板を外しにかかった。それを使って割れ目の穴を大きく掘り広げていく。ウェイスターもそれを見て手伝い始めた。
二人で作業をすれば早いもので、じきに二頭とも救出することに成功した。
二人はその馬に跨って村へと疾駆した。
村は惨憺たる有様だった。
火事でもあったのかそこかしこで火が燻っていたり、瓦礫の下敷きになっているのか何処からか人の呻き声や赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。「助けて」とか細い声で呼んでいるものもいる。
村はどこか虚ろになっていた。
それ以前の村を知らないからなんとも言えないが、ともかく陰惨な活気のない村に変貌していた。
村の中央の大通りらしき道を馬を引きながら歩いていくと、村の中央辺りにある井戸の上で宙ぶらりんになったウォダックがいた。ずり落ちそうな眼鏡を人差し指で直し、かつて戦った二人を目にすると虚ろな目で嗤った。
「遅かったな。もう村は壊滅したあとだよ。フフフ。もう少し楽しませてくれなくちゃあ」
まるで新しい遊びでも思いついたかのように、不気味に笑うウォダック。
その人格は少しずつだが変わっていた。