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2024/05/16 15:33 |
ファランクス・ナイト・ショウ  11/クオド(小林悠輝)
登場:クオド, ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
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 戦の報が既に伝わったか、それとも星の落ちるのを見たのか。ヒュッテを離れて数日
が経つころには、通りかかる村落は疎開の準備で慌しくなっていた。馬を売ってくれと
頼んでもなかなか了承を得られず、かといって二頭の馬で道を急ぐことなどできない。
放棄の済んだ農村に残されていた一頭を拝借することができたときには、既にレットシ
ュタインまでの道半ばに差しかかろうとしていた。

 ガルドゼンドは平地がちな国ではあるが、旅の容易な土地ではない。
 行く手を遮る河川や森林のせいで街道は奇妙な風に捻じ曲がっているし、辺境の治安
は、いいとは決して言えなかった。特に今は都市へ避難する人々を狙った盗賊も出没し
ている。直接その姿を見ることはなかったものの、無雑作に打ち捨てられた屍骸が放つ
異臭に辟易しながら道を抜けなければならないことは幾度かあった。

「レットシュタインとはどういうところだ?」

 ラインヒルデがそう問うたので、クオドは少しだけ悩んでから「静かな場所です」と
答えた。少なくともクオドが子どものころのあの土地はそうであったし、一月前までも
違わないらしかった。

「アプラウト家が所有する領土のうち、最も古い土地です。
 南と西は荒野と草原、北と東には深い森がありますが、東の先はごつごつとした岩山
になっており、踏み込むことはできません。村の一部は高い石塀に囲まれていて、ちょ
うど砦の中庭のようになっています。が、昔はともかく今の兵力で守るには広すぎます
から、戦場になることがあれば、村には火を放つかも知れません」

「……なるほど」

 と受けた相手が本当に満足したのか知れなかったために、クオドは続けて、領主館と
そこにいる何人かの話をした。領主とその兄、武術指南番の老人、執事。続けようと思
えばいくらでも続けられる気がしたが、漠然と父親のことを思い出すと同時に錯覚も醒
めてしまった。故郷は遥か遠いのだということを、すぐに忘れそうになる。
 クオドは笑った。

「素敵な人がたくさんいますよ」

「そうか」

 会話がとまる。
 かぽり、かぽりと前方から馬の蹄音が聞こえてきて、先行していたカッツェが戻って
きた。クオドは、少年が数日前と比べて随分と憔悴してしまっているのを後ろめたく思
いながら、「先はどうですか」と訊いた。

「……すぐに村があります。
 少人数の兵士が駐留していて――エーリヒ卿の部隊のようです」

「エーリヒ卿? 何故ここに……王都へ戻るにしては」

 ラインヒルデが顔をしかめて話に割って入った。

「そのエーリヒという男はヒュッテにいたのか。
 あの襲撃の夜、私は見たぞ。転移の魔術で真先に逃げ出した騎士と、奴に従う魔術師
たちを」

「ええ。彼は王の任務を受けていました。
 恐らくヒュッテが陥落するように仕向けるのが仕事だったのでしょう。
 パフュールの王は戦を望んでいる。既に国中で軍が揃いつつあるはずです」

 クオドは息を吐いた。空気は冷たいが、汗ばんだ馬の体温が湯気に変わっている。
 半日もしないうちに休ませなければならないだろう。走らせていないが、急いでいる。

「ティグラハットが勝負を仕掛けるなら冬になります――雪が降れば大規模な行軍は不
可能になるために、当面、圧倒的な物量差で負けることはなくなりますから。春までに
少なくとも三つの要塞を陥とせれば、有利な条件で停戦交渉を仕掛けることだってでき
るはずです」

「…………」

「対してパフュール王は恐らく……既に迎え撃つ準備を整えて」

「ヒュッテ襲撃を誘い、その陥落を合図に開戦しようということか?
 あの犠牲は――テオバルド卿は自らの王に利用されて死んだのか」

 ラインヒルデは半ば呆然と呟いて、それきり沈黙した。
 クオドはカッツェを呼んで迂廻路を確かめるよう言いつけた。



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 ヒュッテ陥落の報を受けたヴィオラは穏やかに微笑んで、まずは二人の無事を労った。
 カッツェは主人が動揺しているところを見たことがなかったので、感情を押し殺して
いるのかそれとも本当に何も感じていないのかの判断を、今回もつけることはできなか
った。或いは、二人がラインヒルデを伴って帰りついた時から敗戦を確信していたのか
も知れない――泥と塵、血の黒染みも殆どそのままの姿は、他の何も想像させなかった
に違いないのだから。

「……ええ、私達は無事に帰ってくることができました」

「あなたが責任を感じることはありません、クオド。
 遠からずヒュッテが陥ちることはわかっていましたから」

 騎士が応えると、ヴィオラは机に肘をついて手元で筆をいじりながら眉を顰めた。
 その背後では隙なく引かれた窓帷に外の夕日がぼんやりと滲んでいる。執務室はひい
やりとした冷気に涵されている。この冷たさは真冬になると更にひどくなり、暖房器具
を持ち込んでも殆ど効果がないほどになる。カッツェは、主人が毎冬必ず寝込む風邪の
原因のうち一つはこの部屋の性質だと信じているが、進言したところでどうにかなるも
のではないと承知してもいた。
 主人は溜め息をつき、抑えた冷たい声で言った。

「それに――テオバルド・グナイストが死んだのは彼自身の選択です。
 自滅に付き合わされた兵士には同情すれども、彼を哀れむ必要はありません」

「何…?」と小声で呟いたのはラインヒルデという女だった。
 カッツェは恐る恐る彼女を横目にした。秀麗な横顔がゆっくりと怒りに染まっていく
光景に背筋が凍る。ヴィオラはまるで気づかぬ素振りで続けた。光のない目は、三人の
背後の壁を見据えて動かない。

「初めに星が落ちた時点で退き、戦力を温存すべきでした。
 彼は戦局をそう見誤るほど無能ではなかったのに、恐らくは焦燥に目を晦ませた」

「でも――あのひとは」

「……テオバルド卿は最期まで誇りを失わなかった」

 クオドは口を噤んだが、ラインヒルデは硬い声で呟いた。
 主人は短い沈黙の後で筆を机に戻し、立ち上がりながら言った。

「残念ながら、お嬢さん。私は誇りになど価値を見出さないのですよ。
 とにかく二人を助けてくださったことに感謝します。もしよろしければ気の済むまで
滞在してください、最大限の遇しをさせていただきますので」

 ラインヒルデは差し出された右の手を半ば睨むように見下ろして動かない。
 主人は苦笑して手を引いた。それから困りきった表情で立っていた騎士の名前を呼ん
で、あまり熱意のない口調で「客人が滞在中に不便を感じることのないようにしなさい」
と言った。

「その必要はない。すぐに発たせてもらう」

「ではせめて、旅に必要な物資のいくらかを提供しましょう。
 とはいえ明日までの猶予はいただきたく存じますが――」

 金髪の女は目を細めて、ぎこちなく唇の端を吊り上げた。

「ほう……噂に名高いアプラウトの毒殺公が、食糧を分けてくれるというのか」

 ヴィオラは虚をつかれたような顔をしたが、彼よりもクオドの方が驚いてヒルデを見
上げた。主人の風聞を知らないのか、それともこの女が皮肉のようなことを言う人物だ
とは思っていなかったのか。恐らくは両方に違いない。カッツェは前者に対しては何も
言うことはなく、後者についてはクオドと大凡おなじ見解を持っていた。
 主人は一目で上辺だけとわかる微笑で言った。

「……ええ、可能ならば晩餐にもお付き合いいただきたいと願っています、お嬢さん。
 毒というものは――果実酒の杯に注ぐのが、貴族の作法では最も正しいとされている
方法ですからね」

「ただの悪趣味だろう」

「貴女が夜の旅よりも真鍮の杯を恐れるなら、決して無理には引きとめません」

「私が毒を恐れる? 冗談でも言っているのか?」

 ヒルデガルドは鼻で笑った。
 主人は「クオド、お願いします」と念を押して、机の上にあった硝子灯を彼に渡した。

「私は少し図書館に用がありますので、何かあったら使いをください」


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2007/08/28 00:42 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  12 /ヒルデ(魅流)
登場:クオド, ヒルデ
場所:ガルドゼンド ―アプラウト領レットシュタイン
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「いったい何をやっているんだ、私は……」

 宛がわれた客室のベッドに倒れこみ、枕に顔を埋めながら、ヒルデは疲れた口調で呟いた。あの穏やかな笑みを浮かべるこの地の領主に対して何か釈然としないモノを抱える心とは裏腹に、乗馬による強行軍と野営によって疲労していた体は用意された暖かい風呂と柔らかい布団によってこれ以上ない程ときほぐされている。そのギャップが、なんとも言えない不快感のような形を取ってヒルデの心に圧し掛かっていた。最も、そんな感情すら今こうして感じている幸福感に比べれば些細なつまらない事のようにも感じられるのだが。
 後1歩の所でその幸福感に身を委ねられないのは、先ほどのヴィオラとのやり取りもそうだが実はもう1つ、ヒルデにとってはどうしても看過出来ない物を見てしまった所為でもある。

 ――まさか、イムヌスの姿を見ることになろうとはな。

 奥に通される途中、目に入った教会。昔からある教会をなんらかの理由で改装もせずにそのまま別の事に使っているとかそんな特殊な事情でもない限り、今でもこの地にあの宗教を信じる者は居り、少なくとも領主はそれを黙認――下手をすると彼自身が信者の可能性もある。
 それはつまり、自分の正体がばれた場合冗談抜きで毒を盛られる可能性が発生したという事だ。半神半人であるヒルデに毒は効き難いが、それはあくまでも効き難いというだけだ。自身の耐性を超える毒を盛られたらただでは済まない所は、たとえ戦乙女とて人間と変わらないのだから。

 ――そういえば。

 よくない想像ばかりが膨らんでいく思考を半ば強引に打ち切って、ヒルデは今自分が身に纏っている服に意識を向けた。湯浴みを終えた時、深く考えもせずに用意されていた服に袖を通したのだが、冷静に考えてみればこんなにサイズが合っている服を用意できるというのも不思議な話だ。

「後で、礼くらいは言わなければならないだろう、な……」

 そんな事を考えている間にも心地よい闇はラインヒルデの心を徐々に徐々に満たして行き、そしてそのままあっさりと彼女の意識を飲み込んでいった。



「ヒルデさん、お食事の時間です……ヒルデさん?」

 コンコンと控えめに扉を叩く音と、自分を呼ぶ声に引っ張られるようにして意識が浮かび上がってくる。浮き上がりながら、『ああ、私は眠ってしまっていたのか』などと冷静に考える自分の思考を認識した辺りで、ようやくラインヒルデは目を覚ました。

「……済まない。どうやら少し眠ってしまっていたようだ。すぐに支度する」

 起き上がり、三面ある姿見で自分の姿を確認する。眠っていたのはそれほど長い時間ではなかったのか、幸いにも服に皺などはついていない。簡単に身嗜みを整えて、部屋をでた。

 案内された食堂に入ると、想像していたよりも家庭的な印象を受けてびっくりした。部屋の奥に設えた暖炉が奏でるパチパチという音に、四角いテーブルの上に乗せられた美味しそうな料理たち。部屋の大きさの問題か、貴族の食卓で想像するような長い机ではなく、正方形かそれに近いくらいの長方形のものを使っているのもそんな印象を受けた要因のひとつかもしれない。

「……お待たせしたようで、申し訳ない」

 愚にも付かない思考を打ち切って、とりあえず謝罪を述べる事にした。ここに来てから、どうもペースが乱れっぱなしのような気がする。この家との波長がまるであっていないような違和感。
 待遇に何か不備や不満があったわけではない。むしろ下に置かない扱いをされているようにすら感じる。それでも、何か自分とは決定的に違うものがある――その正体までは分からないが。

「いえ、お気になさらずに。それでは食事を始めるといたしましょうか」

「こんな美しいお嬢さんと食卓を囲めるとは光栄です。ドレスもよくお似合いだ」

 食事が始まってすぐに左隣の男から声を掛けられる。発言が軽薄なら外見も軽薄、英雄どころか貴族としての矜持すら持ち合わせているのか怪しい――いや、今は別に英雄を探しているわけではなかったのだったな。
 思わず話しかけてきた男の値踏みをしてしまっていた自分に軽くあきれながら、振られた話の方に意識を戻す。
 そういえば、さっきも思ったがこのドレスは一体誰のものなのだろう?

「突然の来訪にも関わらず、このような立派な服まで貸していただけるとは思ってもみませんでした。……そういえば、この服の持ち主の方はどちらに居られるかご存知ですか?是非直接お礼を申し上げたいのですが」

「ああ、それなら……」

 軽薄男の顔の動きに釣られて視線を動かすと、その先には食事を取る領主の姿。ということは、彼の奥方の物なのだろうか。そして、この場にいないという事はもしかしたら既に他界して――

「私のものですが」

 もしかして触れては行けない所に触れてしまったのだろうか。そう反省する私の思考が、ピキリと音を立てて凍り付く。「ワタシノモノデスガ」ほらきっとこの城内にあるものは領主である彼のものだと言う意味でそんなまさか男性がこんな立派なドレスを着るだなんてでも冷静に考えたら確かに彼と私の体格は近くサイズ的には丁度いやいやそんな女物の服を着て喜んでいるだなんてそれではただのへんた

「……何か?」

 突き付けられた現実を一生懸命拒否する私の心に止めを刺すように、子爵は首を傾げてみせた。その表情が本当になぜ私が凍りついたのかわからないという不思議そうな顔だったから、やっぱりそういう趣味とかではなくて何か事情があるのかもしれない。うん、きっとそうだ。そうに違いない。そういう事にしておこう。

「いえ、なんでも。……その、いろいろとありがとうございます」

 実は貴族達の間では女装という趣味は極普通に持ちえるものなのかも知れない。――思いついてしまった嫌過ぎる可能性は即刻記憶の井戸に放り込んで蓋をした上にゴーレムを三体くらい乗っける事にする。……ふぅ。

「どういたしまして」

 その後は特に何事もなく、食事は終わった。「適当に寛げ、何かあったら人を呼べ」先ほどと同じ事を言われ、宛がわれた部屋に戻ってくる。正直肩透かしを食らったような気もしたが、食事は美味しかったし部屋は暖かいので気を抜くと面倒な事を考えようという意思が萎んでいく。何事もなかったのだから、気付かれなかったにせよ気付いた上で敢えて気付かなかったフリをしたにせよ問題はないに違いない。寝込みを襲いにきたら返り討ちにすればいいのだ。そう考えた私は、一応念のために生命の精霊に働きかけて体調を整えた後眠りに付いた。すぐ手の届く位置に、鞘に収めた愛剣を置いて。



「ん~~~~~~」

 ベッドから身を起こして、のびをする。部屋の空気は冬の訪れを告げるかのように冷たかったが、それを差し引いても気持ちの良い朝だった。冷たい空気も、慣れてしまえばむしろ体の隅々まで行き渡って細胞の1つ1つに至るまでが覚醒していくようで気持ちがいい。
 ベッドから起き上がり身支度を整え、三面の姿見でおかしな所がないか確かめる。私の全身を写してなお余りある大鏡を見ていると、胸の奥にチクリとした小さな痛みが走った。

「ヒルデさん、朝食の用意が出来ました」

 コンコンと扉と叩く音の後に控えめなクオドの声が聞こえてくる。頭を振って気持ちを切り替えると、私は部屋を後にした。

 昨夜の晩餐の時にも思ったが、ここの食事は無駄な豪華さがない。貴族の食卓にままある必要以上に香辛料を使った過度の味付けや季節や風土を無視した食材が見受けられないのだ。ではここの料理は美味しくないのかと言えばそんな事はけしてなかった。素材の持ち味を上手く生かして調理されたここの料理は、香辛料の刺激だけがとりえのそれとは比べる事すら冒涜と思える程に美味しい。
 先程部屋で感じた痛みが、よりいっそう大きくなる気がした。

「そういえばクオド、ちょっとした仕事をお願いしたいのですが」

「なんでしょうか」

 そんな折り、城主とクオドの会話が耳に入ってきた。もう1人の男、コルネールと言ったか――は特に気にした風もなく食事を続けている。

「実は最近領地内に盗賊が住み着いたようでしてね。それを退治して欲しいのです」

「はい」

「その盗賊退治、もしよろしければ私にも手伝わせていただけないだろうか」

 気が付けば私は2人の話に割って入っていた。城主殿がこちらを見る。その土色の瞳からは彼が何を考えているのかを読み取る事はできなかった。

「……それでは、お願いします。詳しくは、後ほど私の執務室でお話します」

 1秒、2秒。私はただ手伝わせて欲しいという想いだけを込めてヴィオラ殿を見続けていた。その想いが通じたのかどうかは分からないが、返ってきた返事は肯定だった。

「ありがとうございます」

 軽く頭を下げる。胸の痛みが大分軽くなった気がした。――英雄探しとはまったく関係のない完全な回り道だが、それでもこれはこれでよかったのだ。



 朝食後、クオドと共に執務室に赴き、細かい話を聞いた。盗賊どもが出没するエリア、その辺りの地形、今までに確認されている被害とヤツらの編成。最後に、「怪我などをしないように、お気をつけて」と言ってこの地を治める子爵は私たちを送り出した。

 昨日のテオバルド卿に対する侮辱や誇りに価値を見出さないと言った発言はとても容認できたものではないが、それでも彼はけして悪い人間ではなかった。あんな侮辱を口にした私にでもあんな下へは置かぬ扱いをしてくれたのだから、それは間違いないだろう。
 だから、今回の申し出は罪滅ぼしというか、私なりの礼のようなものだ。今は厩にいるはずの相棒に、どうやってその部分を伝えずに盗賊退治に行くことになった経緯を説明するかで軽く頭を悩ませながら、私は再び旅に出る用意を整えた。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

「ふぇふぇふぇ、雑兵どもが必死に動きよるわい」

 薄暗い天幕の中で1人の男が水晶球を覗き込んでいる。青白い輝きを放つ球に照らし出された男の顔――いくつもの深い皺が刻み込まれている――は、見る者に古樹を連想させる。それも、ただの古樹というよりも永き時を経て邪悪な意思を宿した霊樹とか、そういう類のものだ。

 そんな老人が熱心に覗き込む水晶球の中には、襲撃に備える為か厳戒態勢にある砦の様子が映し出されてた。それほど大きな球ではない為、まるでミニチュアの人形でも動き回っているかのようにも感じられるが、それは間違いなく今アナウアでティグラハット軍に備えようとしているガルドゼンドの兵士達の様子。

 『遠見の水晶球』

 この魔道具こそが、この老人が今回の行軍に参加している理由の1つであり、情報が命となる今回の戦いでティグラハットに大きなアドバンテージをもたらす切り札のうちの1枚だ。
 こっそりどころか堂々とズル技を使いながら、薄暗い天幕の中で老人は1人顔を歪ませる。これからの展開を頭の中に思い描きながら、楽しそうに愉しそうに――





 ライマー・ベックマンは肩を怒らせながら陣の中を歩いていた。指揮官の怒りの気配を感じ取った兵士達は皆とばっちりを受けないように顔を伏せて装備の整備に熱中するフリをする。そんな中、ライマーはわき目も振らずにある1つのテントを目指す。
 "彼"の為にわざわざ設えさせられたテントの中では、今でも"彼"が仕事をしているに違いない。――もしそうでなかったら、今からでもライマーは"彼"を本国へと送り返そうと硬く心に誓う。

 テントの中に入ると、はたして目当ての老人は明かりもつけず一心不乱に水晶球を覗き込んでいる。

「……ユーベルトート殿」

 老魔術師に呼びかける声が思ったよりも硬くて、ライマーは少し驚いた。必要以上に不機嫌さをアピールして相手に不快感を与えるのは本意ではなかったが、それでも構わないと呟く心の声がないと言えば嘘になる。この一言だけで老人が全てを察し、以後の態度を改めてくれれば余計な負担が減って万々歳なのだが。

 いつまで経っても、水晶球を熱心に覗き込むこの老い耄れは反応を返してこない。耳をそばだてると、小さな声でぶつぶつと何か呟いているのが分かる。――何かの儀式中なのだろうか。
 普通の兵士が相手ならば近づいて肩を掴むなり怒鳴りつけるなりすればいいが、魔術師が相手となったとたん、『本当にそうしていいのか』という疑問がライマーの行動を阻害する。もし、今なんらかの魔術を行使しているのだとしたら。それを邪魔してしまったら。老魔術師に睨まれるくらいで済めばいいが、結果爆発とかが起きて怪我人や死人が出てしまったら目も当てられない。
 結局、ライマーに出来る事と言えば老人から何かアプローチがあるまで、テントの入り口の所で立ち尽くす事だけだった。

「それで、お前さんはいつまでそこにつったっとるつもりなんじゃ?」

 数分後、何かを思い出したといった調子で老魔術師は顔を上げた。相変わらず皺に塗れた顔からは思考を読み取ることはできない。

「……ユーベルトート殿。軍議の時間を、伝令兵は伝え忘れましたか?」

 湧き上がる感情が暴発しないように己を律しながら、軍団長は口を開いた。いちいちこの老人の言葉に付き合っていたらキリがないという事は出撃してガルドゼンドの領内に入る前にはもう嫌という程理解させられていた。


「はて、そういえばそんな話も聞いた気がするがのぅ。ふぇふぇふぇ」

「……ッ」

 あからさまに惚ける老人に、思わず頭に血が上るライマー。あわや爆発せんというところまでボルテージが上がるが、今回も結果的に軍団長の怒りが老魔術師に炸裂する事はなかった。

「まぁ、そう怒りなさんな。今、アナウアの様子を見ておった所じゃ」

 いつもいつもこんな調子で、我慢が限界に達する直前にまじめな話を持ってこられてしまうのでライマーは怒り所を逃してばかりいる。今回も、作戦目標であるアナウアの情報とあってはそれを無視するわけにもいかない。

「……どんな状況ですか?」

「そうさな、ここ数日以内に奇襲を掛けれれば比較的楽に落とせそうじゃな」

 アナウアの対応が遅いのは、ガルドゼンドの予想を遥かに超える速さでヒュッテが落ちた所為だろう。そんな事はライマーも分かっているし、可能な限り早く攻め入るつもりでもいる。だが、後数日以内にアナウアに到達するなど普通では到底なしえない事だ。

「そんなのはムリだ、という顔じゃな。ところが、じゃ。そこでコイツの出番というわけじゃよ」

 そう言いながら取り出したのは1巻きのスクロール。広げると中央に大型の戦闘馬車が描かれ、その周りを囲むように様々な記号やライマーには読めない古代の文字が綴られている。

「これは?」

「この巻き物を触媒とした儀式を行うと、対象となった兵士達は疲れることなく進軍する事が出来るようになる。全力で移動すればまぁなんとか間に合うじゃろ」

「対象に出来るのは馬を含めて150と言ったところかの。編成はお前さんが考えい」

 言うだけ言って、ユーベルトートは軍団長を自分のテントから追い出した。ライマーはライマーで抵抗しないで老魔術師のテントから出て行く。先発隊としてアナウアに奇襲を掛ける面子の選抜、誰に指揮を任せるか――考えることは山ほどあったからだ。

 そして、翌日の早朝。編成された先発隊がユーベルトート率いる魔術師団による儀式呪文、『インビンシブルチャリオット』を受けて出撃、アナウアに向けて怒涛の進撃を開始した。


「ふぇふぇふぇ、死ぬまで戦うがええ。恐怖心とかそういう余計な物はワシが取り払ってやるわ。伝説のベルセルクのように、敵を殲滅してきておくれ。ふぇっふぇっふぇっふぇ」

 出撃した友軍を見送る中零れ落ちた老人の呟きに、不幸にも気付く者はいなかった。

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2007/11/01 02:21 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  13/クオド(小林悠輝)
登場:クオド, ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
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 ぺこりと頭を下げて部屋を辞したクオドは、まだ少し疲れているように見えた。
 帰還の翌日に仕事を頼むのは早急すぎたかも知れない――と、ヴィオラは後ろめたく
感じた。とはいえ、他に荒事を頼める人間がいないのはどうしようもない事実だ。ここ
十年ばかり行方知れずの長兄が戻ってきてくれれば、いや、義兄がもっとしっかりして
いてくれれば……

 問題の集団は、クオド達には“盗賊”と説明したものの、実際は無法者の類である。
 何らかの理由で社会から弾き出される人間というのはいつの時代にも絶えないもので、
そういった連中が自然の中では比較的生活のしやすい森林地帯などに潜むのは珍しいこ
とではない。開戦からまだ半月とはいえ、戦乱が起こっているのならば尚更だ。

 今までにも何度か無法者が棲みついたことはあったが、ヴィオラは何かしらの明確な
被害が出るまでは強引に彼らを追い出すようなことはしなかったし、少しすれば無法者
の方からどこかへ行ってしまう。レットシュタインは野外生活に向かない土地だ、特に
冬ともなれば。

 しかし今回は既に、彼らの仕業と思われる事件が起こってしまっている。
 ヒュッテ陥落の数日前、一頭の馬が領内ぎりぎりの森で襲撃を受けたのだ。装飾品や
金品はおろか剣や馬まで持ち去られ、鋭い刃物傷を幾つも刻まれた屍は、辛うじて残っ
たわずかな遺留品から、クレイグ辺境伯の家臣の者だと判断された。

 その遺留品はヴィオラに宛てられた書状だったが、なめらかだった羊皮紙は血に塗れ、
宛名以外は殆ど読み取れない状態だった。すぐに事の次第を伝える馬を辺境伯へ送った
ものの、一向に返事はない。
 事件が起こったのが隣の領地との境界付近であったこともあり、賊の対処をするため
の段取りが整うには時間がかかった。


 ――“用件は知れないとは言え、自分を訪ねてきた使者が領内で無法者の兇刃に倒れ
たとなれば信用に傷がつく。可能な限り速やかに片付けてしまわねばならない。”

 机に肘を突いて、そのようなことをぼんやりと考えていると、扉を叩くこともせずに、
金髪の義兄が姿を現した。何かと思えば「あの綺麗なご令嬢のことなんだが」と切り出
してくる。

「ラインヒルデ嬢は客人です。くれぐれも変なことは考えないでいただきたい」

「戦乙女に手を出すほど無謀じゃないさ」

 ヴィオラは驚いて義兄の顔をまじまじと眺めた。
 相手は端正な顔に苦笑を浮かべて、こちらのことを見下ろしている。自分が何故かひ
どく動揺していることに動揺しながら、「でしたら何の用です」とだけ聞き返した。

「本当に彼女に仕事を頼んだのか」

「……腕は確かでしょうし、何かを企んでいるようには見えません。
 正直、手が足りないのですよ、義兄上。批難なさるならあなたが――」

 義兄は困ったような顔をした。

「咎めるつもりなんてないさ。
 ただ、あの手の女は勘が鋭いから気をつけた方がいい、と言っておきたくて。
 あれはやましいことを見抜いて断罪する目をしてるよ。僕も昨夜は睨まれた」

「…………」

 私には、義と綺麗事ばかりを信じる目に見えた、と心の中だけで反論する。
 正しいことを貫き勇気あることを善とするなら、それは悪魔とも呼ばれよう。輝くよ
うな理想の体現、到達できぬ光ほど、人を恐れさせるものはないのだから。

 ヴィオラは義兄と自分の眼のどちらが正確だろうと考えながら、確かに注意はしなけ
ればならないと思い、わざわざ忠告に訪れた義兄に礼を言っておくことにした。

「ありがとうございます、参考にさせていただきましょう。
 私は貴方ほど節操なしではありませんから、女性の性質には疏いんです」

「たまには早いうちに注意しておくのもいいと思ったんだ。
 お前は僕と違ってよく女に泣かれたり殴られたり罵られたりしてるからさ」

 心当たりは山ほどあるので――ヴィオラは上目遣いに義兄を睨みつけたまま、一切の
反論をすることができなかった。だが今回のことについてはそういう話とはまったくの
別問題だと思う。



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 ぱかり、ぱかり、と蹄の音を響かせて、騎馬は並んで進んで行く。
 ラインヒルデの白い軍馬は昨日までの旅の疲れを感じさせもせず、あの角飾りのつい
た鉄の鎧に身を包んで、軽快な足取りで踏み固められた道を歩いている。クオドが連れ
ているのは栗毛の乗用馬で、隣の白馬よりも一回り小さい。

 クオドは新しい鎖帷子の首元を、手甲を嵌めた手で整えた。
 少し大きさが合わないせいですぐにずれて息苦しくなるのだ。自分はどうやら戦士と
いう職業を選ぶ人間たちの中では随分と小柄な方らしく、武器庫にある鎧をそのまま持
ってくるといつもこういう目に遭う。

 既に冬の陽気で風は冷たい。
 高い空を鳥の影が過ぎていく。その下で針葉樹の森林は色濃い影とわだかまり、荒野
はゆるやかな丘と岩山まで続いている。子供の頃から見知った景色とほとんど変わらな
い。背後には古い石造りの城壁に囲まれた村を見ることもできたが、振り返るのはやめ
ておいた。他のことを考えよう。そう思いながら口を開く。

「……森は深いです。地形が複雑で迷いやすいですから、気をつけてください」

「そうか」

「あの場所に盗賊が棲みつくことはよくあるんです。
 私が幼かった頃も何度かありました。一度、潜伏に丁度いい洞窟でもあるのかと父が
調査隊を出しましたが、結局見つからずに終わりましたから、単純に、特定の人種を寄
せやすい土地なのかも知れません」

 あるでしょう、そういう場所? と訊くと、ラインヒルデは曖昧に「ああ」と頷いた。
心当たりがあったのかも知れないし、ただの相槌かも知れない。クオドはどちらであっ
ても気にしないことにした。

「今回は……ヴィオラさんは、口を利ける状態で一人でも捕縛できればそれでいいと仰
っていたので、それほどの手間にはならないでしょうけれど」

「……自分達の領域にいる賊をそのままにして、いいのか?」

「時期のせいでしょう。あの森で冬を越せる人間はいませんから」

「そうか」

 二人は行く手に広がる針葉樹の森に視線を向けた。昼なお暗い木々の海。一年を通し
て緑を保つこの森は、一年を通して人間を拒むかのようだ。かつてこの奥には壮麗な大
聖堂があった。今は――

 比較的木々の少ない丘。ここからでも、あそこへ続く道の入り口は見つけられたはず
だが……そう、ほんの数月前に、父と共にあの道を辿ったばかりだ。目を細めて探す。
目印はもうなくなってしまっているようだ。

 多くの巡礼者が通って踏み固められていた砂利の路面さえ草木に埋もれて判別つかな
い。もう長い間、人間が立ち入った形跡がない。わかっている。ここに来て、通るたび
におなじことをしているのだから。クオドは口の中だけで「神よ」と呟いた。

「何かあったのか?」

 クオドは「いいえ」と答えようと口を開いたが、結局、別のことを言うことにした。

「昔はあそこから道があって、森の中の教会へ行けたんですけど……」

「この地ではイムヌス教の力は強いのか?」

 クオドは少し悩んで首を横に振った。「昔は強かったと思います、私も影響を受けて
育ちましたから。ただかなりの間この地を離れていたので――ごめんなさい、今のこと
はあまり。でも、砦内の教会では休日礼拝が行われ続けていますし人も集まります」

「子爵は?」

 ラインヒルデの声に堅い警戒の響きが混じっていたので、クオドはきょとんと彼女を
眺めながら言葉を選んだ。「ヴィオラさんは……神学を学んでいたことがある、と聞い
たことがあります。けれどあのひとは信仰と言うより、」

「何だ?」

「――ええと、その、あまり宗教とか似合わないひとだと思います」

 クオドは鎖帷子の首元を引張って、吐息した。
 二頭の騎馬はなだらかな坂を下り森へ近づいていく。道は森の右手を通り、少しずつ
岩場が多くなっていきながら丘を越え、骨のような木々に覆われた岩山へと差し掛かる。
その峠が隣領との境であり、問題の集団が旅人を惨殺したという現場だ。

「あのあたりです。
 ほら、あの、腕を広げている魔女のような木があるでしょう?」

「随分と長く生きていそうなイチイだな。枯れかけのようだが……」

「ええ、本当に昔からあそこに立っています。
 銀の剣で貫かれた魔物が変身した姿で、あの峠で夜を明かそうとした旅人を惑わせて
連れていってしまうという逸話があります。実際は、少し先にある崖が危険なのと、今
回のように盗賊が棲み着きやすい故の失踪なのでしょう」


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2007/11/20 00:49 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  14/ヒルデ(魅流)
登場:クオド, ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
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 クオドとヒルデが峠に向かい、馬を進めていた一方その頃。


 暗がりの中で数人の男達が焚き火を囲んでいる。揺らめく炎に照らし出されている顔は、どれも酷く汚れていたりあるいは傷が刻まれていたりとまるで上品とは程遠い獣の様な気配を放っている。

「その情報は確かなのか……?」

 中央に座った禿頭の男が重々しく口を開く。片目を覆う眼帯が能面のような表情に凄みを加えて対面の男を威圧する。

「た、確かでさ!例の女が騎士を連れてこの辺りに来てるのをこの目でみやし……ヒッ」

 怯えた様子の男が喋り終える前に、眼帯の男は手に持ったシミターを目の前の焚き火に叩き付けた。鼻先を掠めた死の気配に怯え、思わず尻餅をつく男。だが恐怖を与えた盗賊団のボスは恐怖する男にはまったく構わずに焚き火の中からシミターを引き上げる。その口の端には、ねっとりとした笑みが張り付いていた。

「弟よ……お前の仇は俺が取るぞ。このデアゾーネン=ベルンハルト様がな!」

 気炎を上げる男の注意を引かぬように、情報をもってきた小心者の男は小さい声で呟く。

「ただ、あの二人……なんか様子がおかしかったんだよなぁ。コレも報告した方がいいのかなぁ。でもなぁ……」

 その呟きに応えるのは、パチパチと焚き木が爆ぜる音だけだった。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

 森の傍の街道を二頭の馬が行く。
 前を行く葦毛の馬は装飾の少ない実戦的な馬具をつけ、その背には鎖帷子を始めとした鈍く輝く鋼の具足で身を固めた完全武装の出で立ちの若い騎士を乗せている。油断のない眼差しで辺りを警戒する騎士の足には金の拍車が輝いており、彼の身分の高さを密かに主張していた。
 二頭目は角飾りが付いた少し派手な兜を被った栗毛の馬。跨る女性は、上等な布で織られたシンプルな白いワンピースを無骨な砂色の革マントで出来るだけ隠すように気をつけながらおっかなびっくり馬を進めている。髪に挿された一目で高価と分かる羽をあしらった飾りが、身分を隠そうとする彼女の努力を無に帰しているとも気付かぬままに。


 遠目に見ただけならば、旅慣れぬ貴族の女性が護衛の騎士と共に旅をしているようにも見えるだろう。だが近づいてもう少し観察してみるといろいろと綻びが見えてくる。それは例えば他の誰かに任せたと言わんばかりに全く後方を警戒しない騎士の所作であったり、あるいはいかにも馬は乗りなれませんという装いを保ちながらも道にあるちょっとした障害――張り出した木の根であるとか――は顔色一つ変えずに乗り越えていく女性の様子であったり。

 そしてなによりも――

「あー、クオド……さん?目的地はまだ遠いの……ですか?」

「そうですね、あの峠を越えて漸く半分と言った所でしょうか。陽が落ちる前に次の町に着けると良いのですが」

 この二人の会話が聞こえるくらいにまで近くに寄った者がいるとしたら、十人中十人が遠目からみた彼らの印象を変える事になるだろう。女性は無理をして丁寧な口調で話そうとしているのがまったく隠せていないし、それに応える騎士は喋り方こそ流暢なものの見た目の年齢に反して使う言い回しがやたらと古く、どう考えても不自然さが鼻につく。



 領主から盗賊退治の依頼を請けた冒険者。――それも二人以上の一団であるか、よっぽど腕に自信がある。あるいはその両方――
 このどうにも怪しい二人の正体を考えた時に辿りつく、一番ありそうな結論がそれだろう。他にわざわざ盗賊に狙われやすそうな貴族を装うような理由はないし、生半可な腕では実際に釣られて出てきた盗賊を倒すことができないのだから。

 故に、慎重な野盗ならばむしろ彼らに手を出す事はない。目先の利益に釣られて命まで落としてしまっては意味がないからだ。そういう意味で、クオドとヒルデの試みは完全に的を外していたと言える。しかし、幸運の女神は二人を見放してはいなかった。

「……来たか」

 街道を進む二人を取り囲むように、森の中からバラバラと出てくる人の群れ。その全員が剣や槍、あるいは斧や槌といった思い思いの武器で武装し、顔には下卑た笑みを浮かべている。その中心で通常のものよりもたっぷり一回り半は大きい円月刀を肩に担いだ男が一人、怒りに燃えた視線をヒルデに送りながら、重々しく口を開く。

「可愛い弟が死んだという話を聞いてからはや数ヶ月……長かったぜェ」

 ビシッとシミターを馬上のヒルデに向けて突きつける盗賊団の首領。その動作の一つ一つに、溢れ出んばかりの純粋な怒りが篭められていた。

「今ッ!このデアゾーネン=ベルンハルトが最愛の弟、ブリント=ブランドの仇を討つ!復讐するは我に有り、覚悟しろ!」

 何もかもを置き去りにして、復讐に燃えるベルンハルトの戦いが今まさに幕を開ける。万感の思いを込め、ベルンハルトは部下達に命令を下した。いつも通りのお決まりの台詞を。

「野郎ども、やっちまえィ!」

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

 ――ガルドゼンド シュワングラッド子爵領 アナウア砦

「クソックソックソッ!こんなハズではなかったのだ。何故この私がこんな目に……!!」

 この世に存在する全てを呪わん勢いで悪態を吐きながらエーリヒという名を持つ騎士は狭い廊下を急いでいた。
 ほんの半年ほど前には王都に居を構える貴族として何不自由ない暮らしを送っていたというのに、今のこの状況はなんだ。自慢だった真紅のサーコートは血と埃に汚れ見る影も無く、供をする部下の姿もなく一人道を急ぐ姿はどう良く見ても敗北者のそれに他ならない。

「クソックソックソッ!こうなったのも元はと言えば……!!」

 ケチの付き始めは開戦の切っ掛けとなる為にヒュッテ砦に足を運んだ辺りからだ。
 元々私はこんな辺境になど来たくはなかったのだが、王直々の命令ともなれば王都に生きる貴族としては断るわけにはいかない。『目論見どおりに戦いが始まれば魔法士と供に脱出して良い』などと言われてなんとか納得してやってきてみれば、ティグラハットの野蛮な馬鹿どもが星落とし等という凶行に走った為自分と魔法士二人のみの脱出となってしまった。しかも魔法士の腕が悪かった為(奴らは事もあろうかと急な儀式だったからだと言い訳ばっかりして自分の責任をちっとも認めようとしなかったが)、徒歩でアナウアまで歩きとおす羽目になった。貴族である自分が!

 さらにアナウアの愚図どもは流石に面と向かっては何も言いはしないものの影では『味方を見捨てて逃げ出した臆病者』等とさも知ったような口を効き、お陰でずいぶんと肩身の狭い思いもした、それを誤魔化すために近くの村へ偵察に出たりもした。王都の貴族たるこの私がだ!

 そしていよいよこの砦にもティグラハットの馬鹿どもが押し寄せてきた。ありえない速度で奇襲を掛けてきた部隊はなんとか撃退したものの、消耗した所を本隊に囲まれてはこの砦が落ちるのも時間の問題だろう。だから私はまた魔道の力を使って砦を脱しようとした。当然の事だ。私はここで死ぬわけにはいかないのだから。だというのに、砦のどこを探してもヤツらがいない。最後に立ち寄った地下房で見つけたのは、ヒュッテの地下で見た石の群れ。そう、ヤツら魔法士は己が命を投げ打ってでも護るべきこの私を置いて逃げ出したのだ!この、今にも陥落しそうなこの砦に!!



 エーリヒが自分をこのような場所へ追いやった狂王とここを襲ったティグラハットの兵達と自分を見捨てて逃げた魔法士達を等しく三十回ほど呪った所で、ようやく長い通路は終わりを告げ小さな部屋へと辿りつく。
 一見するとただの倉庫だが、この部屋にはこのような事態の時の為の――あるいは、落とされた時にここから兵隊を送り込み砦を奪還する為の――隠し通路が設えられているのだ。

「こ、ここまでくれば……」

 息を切らせながら隠し通路を開く為の仕掛けの前にたどり着き、ようやく少し表情を和らげるエーリヒ卿。だがその次の瞬間、油断した彼の背中から一本の鉄の棒が生えた。

「がッ、はっ」

 空を裂いて飛来した太矢は狙いを違えず鎧を貫き、さらにその下の薄い背肉を突き破り、生命の根源たる紅い臓器を打ち砕いた。

「うわ、背後から一撃かよ。隊長容赦ねぇなぁ」

「えー?だって……」

 痛い、と思う間もなく倒れ伏せるエーリヒ卿。聞こえてきた会話からようやく自分が撃たれたらしいと認識しながら、ある意味でとても貴族らしかった男は意識を手放した。最期の最期まで、王都で何不自由ない豪華な生活を送る自分の姿を夢想しながら。
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2008/05/13 20:07 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  15/クオド(小林悠輝)
登場:クオド, ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
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 二人を取り囲んだ盗賊の頭領と思しき人物が大音声を上げたので、クオドは手綱を引
いて馬を静めなければならなかった。軽い馬用鎧をつけさせてはいるが、戦闘に慣れて
いない乗用馬だ。戦いの気迫に飲まれれば、動かなくなるか暴れだす。

 周囲の賊たちが各々の武器を構えて一歩、前に出た。包囲の輪が狭まる。武装は様々
だが、騎手を馬から落とすための長柄武器を持っているものはいない。十一人。森の中
に数人いるとして、十五人前後だろう。二人で戦えない数ではないが、油断すれば危険
だ。

「お知り合いですか」

「まったく!」

 クオドは鎖帷子の首元を直し、鞘に収めたままの片手半剣の鍔を逆手に握った。
 横手から突進してきた男の斧を無理やり弾き、相手が体勢を崩す隙に馬首を巡らせる。
続く剣の攻撃を受け流しながら声を上げる。

「――人違いではありませんか」

「違わねぇ、そのォ女だ!
 忘れたとは言わせねえぞ、ティグラハットとの国境でのことだ!」

 クオドは「とりあえず突破しましょう」と囁いた。ラインヒルデが頷く。
 馬の首筋を軽く叩いて、拍車を入れる。嘶きと共に走り出す。進路上でまだ若い賊が
悲鳴を上げた。立ちすくむ彼の横を何の妨害もなくすり抜け、呆気なく包囲から脱出し
振り返る。
 ラインヒルデの騎馬は鮮やかな脚捌きで敵を翻弄し後に続いた。栗毛の馬が、兜の下
から少し得意げな視線を向けて来たのは気のせいか。
 道の先には岩山。例の襲撃事件が起こったという場所まではまだ遠い。

「お、おい、手前ェら!
 何してやがんだ、逃がすんじゃねえ!」

「すいませんお頭!」

 賊は慌てて陣を展開し武器を構えたが、必要以上に遠巻きだった。
 今度は本当に撥ね飛ばされるのを恐れたのか、単純に騎馬を相手にする不利を悟って
攻めあぐねているのか。

「逃げませんよ。あなたがたは、ここで旅人を襲いましたね?」

 ラインヒルデが無言のままだったので、クオドが口を開いた。
 証拠のようにひらりと下馬し、青い飾り帯で封じた片手半剣を盾代わりに構えてみせ
る。新しく借り受けた小剣はまだ抜かない。剥き出しの刃は人間を興奮させる。特に、
敵手の持つそれは。

「それがどうしたってんだ!」

 頭領は一瞬の躊躇の後で怒声を張り上げた。

「……私はアプラウト家の騎士クオド・エラト・デモンストランダム。
 レットシュタイン公の命により、この森に巣食う賊を排除しに参りました」

「……げ…」

 敵集団はその一言にいくらか怯んだようだった。「本物かよ」と誰かが呟いた。
 頭領は怒りか焦りか、それに近い激情に顔を歪ませた。息を詰まらせる一瞬で、彼は
戦うべきか退くべきかを迷ったに違いない。たった二人なら倒せる――しかし、次の追
手は二人では済まない。彼が「そうなれば逃げればいいだけだ」と結論付けたことは、
引きつりながらも不敵に笑おうとした表情から察せられた。

「貴族と手ェ組めばオレ達がビビるってか!? 甘いんだよ女ァ!」

「……そろそろ喋ってもいいか?」

「ご随意に、お嬢様」

「その呼び方はやめろ。
 何か、こう、昨日あたりの悪いものを思い出す」

 ラインヒルデは堅い声で答えた。
 クオドは彼女の言葉の意味を汲んで「ごめんなさい」と苦笑した。

 戦乙女はばさりと外套を翻し、剣を抜いた。波打つ刃はきららかに陽光を反射する。
馬上ですっくと背筋を伸ばした彼女の姿は言葉を失うほどの威圧を感じさせた。

「思い出したぞ。確かに、お前らのような輩には前にも会ったことがある。
 彼らを打ち倒したことも認めよう。人間の引いた国境線の、すぐ近くでのことだった」

「なっ……やっぱり手前ェか!」

「仇討ちならば掛かって来い。ただし、覚悟を持ってだ」

「ざけんじゃねえ!!」

 頭領が怒声を上げた。その声に背を押され、盗賊たちが動き出す。
 ラインヒルデは眼前に剣を掲げた。その横顔がわずかに微笑んで見えたのは錯覚に違
いない。軽い眩暈。クオドは剣の柄を握って目を細めた。“多勢に無勢ね”、頭の奥で
声が聞こえる。“悪魔が一緒に来るなんて言わなければ、砦の兵隊を使えたのに”。

「…………」

 耳元で心臓が鳴っている。 
 幻聴を振り切るより早く戦闘は再開し、終結まで、さしてかからなかった。




 足元には斬り倒された死体がいくつも転がっている。その数は十人分で、森の中には
更に二人が倒れている。戦闘に参加せず様子を窺い、逃げた者もいるかも知れないが、
これだけの被害を被って、再び集団を立て直すことは困難だ。すぐに他の土地へ移るだ
ろう。

 唯一、無事と言える生き残りは、残念ながら頭領格の禿頭の男ではなかった。ほとん
ど血溜まりと化した地面に座り込み呆然としているのは、集団の中では比較的若く朴訥
そうな男だった。賊の顔つきはしていない。怯えきって顔を蒼白にし、がたがた震えて
いる――頭領の突撃命令に、最も躊躇い、出足が遅れたのが彼だった。
 従った者は死んだか、立ち上がれない怪我に倒れている。

 クオドは血脂で曇った小剣の刃を見下ろし、ため息をついた。当たり前のことながら、
気分のよい仕事ではなかった。鉄靴で、生き残りの男に歩み寄る。

「……これ以上の抵抗をしないなら、私たちもあなたに危害を加えません」

 男はがくがくと頷いた。断るわけがないということはわかりきっていた。
 ラインヒルデは戦いが終わると、冷めた目で周囲を見渡していた。彼女は返り血こそ
浴びていたが、自身は掠り傷すら負っていないように見える。クオドは兜を外し、投げ
捨てた。肘を曲げると打撲が鈍く痛んだ。さすがに無理な人数差だったか。体のあちこ
ちに違和感がある。
 がしゃんという音に、男は「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。

「他に仲間はいますか」

「い……いない。お頭が、全員出ろって……仇討ちだって……」

「そうですか」

 彼はあまり事情を知らないかも知れない――いや、ただの賊に裏はないだろう。何か
しらの陰謀に関わっている者は、もっと慎重に動くものだから。国境での出来事にして
もラインヒルデから話を聞けばいいだけだ。

「今は戦時です。多少の略奪でしたら見逃されたかも知れません。
 しかし死人が出た以上――」

「や、やってない! 俺は殺しなんて一度も!
 だって、抵抗する奴なんて滅多にいない。身包み剥いで、それでお仕舞いだ……」

 男は弾かれたように顔を上げた。顔は怯えだけに塗りつぶされている。
 クオドは眉を顰めた。

「少なくとも一件はあったはずですよ。
 開戦の数日前、馬に乗った旅人を襲ったでしょう」

「違う!」

 男は声を絞り出した。激しく首を横に振る。

「ち…違う。あれは俺たちじゃない」

 彼は必死の形相で訴えた。クオドはラインヒルデを横目にした。彼女は周囲に他の者
の気配はないことを確認したのか、騎馬のまま寄ってきた。クオドの乗用馬がその横に
並んでいる。戦いに巻き込まれないよう遠ざけたはずだったが。

「あれは……あれは違うんだ。本当だ!
 あのとき俺は死体から金を盗んだだけで……」

「どうした?」

 ラインヒルデが尋ねた。クオドは無言で男に先の言葉を促した。
 男は「女だ」と震える声で言った。

「女がやったんだ。あの貴族の後から黒い軍馬の女が通って、峠が騒がしくなって……
 静かになってから行ってみたら、死体がごろごろ転がってたんだ。本当だ!
 俺たちは護衛つきの貴族なんか襲わねえよ!
 あんたらに手ェ出したのだって、お頭が言うから仕方無く……!」

「後で続きを聞かせてください。
 あの、お嬢……ええと」

「まだその茶番を続けるのか?」

 クオドは迷ったが、「そうですね」と答えた。
 略称だけで彼女の正体を特定できる者がここにいるとは思えない。先ほどの戦いぶり
にしても――幸い、彼女は名宣を上げなかったし、明らかに人間には不可能なことをし
たりもしなかったので、大丈夫だろう。たぶん。

「ヒルデさん、申し訳ありませんが、領主館まで人を呼びに行っていただけませんか。
 動けない状態の人も多いですし、死体を片付けなければいけませんから」

「お前は?」

「済んだらすぐに戻ります。
 危険なことはもうないでしょうから、ゆっくりして待っていてください。
 一晩しか休んでいないのにこんなことに着き合わせてしまってごめんなさい」

 お手伝いいただきありがとうございました、と頭を下げると、ラインヒルデは複雑な
表情で小さく頷いた。


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以下は時系列順の出来事。
間違ってたらごめんなさい。

・ヒュッテ砦で小競り合い
↓40日強
・クオドがレットシュタインを出発する

↓10日前後(「・ヒルデが国境付近で盗賊団を壊滅させる」がこの間?)

・レットシュタインを決起軍の使者が訪れる
・ヒルデがヒュッテ砦の見張り開始
↓3日
・クオドがヒュッテ砦に到着する
↓3日
・ヒルデがヒュッテ砦に潜入する
・ヒュッテ砦が陥落する
↓数日
・ガルドゼンド王国軍、王都を出撃

↓10~15日くらい
・クオドとヒルデがレットシュタインに到着、盗賊退治
・アナウア砦陥落

2008/05/23 02:33 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ

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