登場:クオド, ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
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ぺこりと頭を下げて部屋を辞したクオドは、まだ少し疲れているように見えた。
帰還の翌日に仕事を頼むのは早急すぎたかも知れない――と、ヴィオラは後ろめたく
感じた。とはいえ、他に荒事を頼める人間がいないのはどうしようもない事実だ。ここ
十年ばかり行方知れずの長兄が戻ってきてくれれば、いや、義兄がもっとしっかりして
いてくれれば……
問題の集団は、クオド達には“盗賊”と説明したものの、実際は無法者の類である。
何らかの理由で社会から弾き出される人間というのはいつの時代にも絶えないもので、
そういった連中が自然の中では比較的生活のしやすい森林地帯などに潜むのは珍しいこ
とではない。開戦からまだ半月とはいえ、戦乱が起こっているのならば尚更だ。
今までにも何度か無法者が棲みついたことはあったが、ヴィオラは何かしらの明確な
被害が出るまでは強引に彼らを追い出すようなことはしなかったし、少しすれば無法者
の方からどこかへ行ってしまう。レットシュタインは野外生活に向かない土地だ、特に
冬ともなれば。
しかし今回は既に、彼らの仕業と思われる事件が起こってしまっている。
ヒュッテ陥落の数日前、一頭の馬が領内ぎりぎりの森で襲撃を受けたのだ。装飾品や
金品はおろか剣や馬まで持ち去られ、鋭い刃物傷を幾つも刻まれた屍は、辛うじて残っ
たわずかな遺留品から、クレイグ辺境伯の家臣の者だと判断された。
その遺留品はヴィオラに宛てられた書状だったが、なめらかだった羊皮紙は血に塗れ、
宛名以外は殆ど読み取れない状態だった。すぐに事の次第を伝える馬を辺境伯へ送った
ものの、一向に返事はない。
事件が起こったのが隣の領地との境界付近であったこともあり、賊の対処をするため
の段取りが整うには時間がかかった。
――“用件は知れないとは言え、自分を訪ねてきた使者が領内で無法者の兇刃に倒れ
たとなれば信用に傷がつく。可能な限り速やかに片付けてしまわねばならない。”
机に肘を突いて、そのようなことをぼんやりと考えていると、扉を叩くこともせずに、
金髪の義兄が姿を現した。何かと思えば「あの綺麗なご令嬢のことなんだが」と切り出
してくる。
「ラインヒルデ嬢は客人です。くれぐれも変なことは考えないでいただきたい」
「戦乙女に手を出すほど無謀じゃないさ」
ヴィオラは驚いて義兄の顔をまじまじと眺めた。
相手は端正な顔に苦笑を浮かべて、こちらのことを見下ろしている。自分が何故かひ
どく動揺していることに動揺しながら、「でしたら何の用です」とだけ聞き返した。
「本当に彼女に仕事を頼んだのか」
「……腕は確かでしょうし、何かを企んでいるようには見えません。
正直、手が足りないのですよ、義兄上。批難なさるならあなたが――」
義兄は困ったような顔をした。
「咎めるつもりなんてないさ。
ただ、あの手の女は勘が鋭いから気をつけた方がいい、と言っておきたくて。
あれはやましいことを見抜いて断罪する目をしてるよ。僕も昨夜は睨まれた」
「…………」
私には、義と綺麗事ばかりを信じる目に見えた、と心の中だけで反論する。
正しいことを貫き勇気あることを善とするなら、それは悪魔とも呼ばれよう。輝くよ
うな理想の体現、到達できぬ光ほど、人を恐れさせるものはないのだから。
ヴィオラは義兄と自分の眼のどちらが正確だろうと考えながら、確かに注意はしなけ
ればならないと思い、わざわざ忠告に訪れた義兄に礼を言っておくことにした。
「ありがとうございます、参考にさせていただきましょう。
私は貴方ほど節操なしではありませんから、女性の性質には疏いんです」
「たまには早いうちに注意しておくのもいいと思ったんだ。
お前は僕と違ってよく女に泣かれたり殴られたり罵られたりしてるからさ」
心当たりは山ほどあるので――ヴィオラは上目遣いに義兄を睨みつけたまま、一切の
反論をすることができなかった。だが今回のことについてはそういう話とはまったくの
別問題だと思う。
+ ○ + ○ + ● + ○ + ○ +
ぱかり、ぱかり、と蹄の音を響かせて、騎馬は並んで進んで行く。
ラインヒルデの白い軍馬は昨日までの旅の疲れを感じさせもせず、あの角飾りのつい
た鉄の鎧に身を包んで、軽快な足取りで踏み固められた道を歩いている。クオドが連れ
ているのは栗毛の乗用馬で、隣の白馬よりも一回り小さい。
クオドは新しい鎖帷子の首元を、手甲を嵌めた手で整えた。
少し大きさが合わないせいですぐにずれて息苦しくなるのだ。自分はどうやら戦士と
いう職業を選ぶ人間たちの中では随分と小柄な方らしく、武器庫にある鎧をそのまま持
ってくるといつもこういう目に遭う。
既に冬の陽気で風は冷たい。
高い空を鳥の影が過ぎていく。その下で針葉樹の森林は色濃い影とわだかまり、荒野
はゆるやかな丘と岩山まで続いている。子供の頃から見知った景色とほとんど変わらな
い。背後には古い石造りの城壁に囲まれた村を見ることもできたが、振り返るのはやめ
ておいた。他のことを考えよう。そう思いながら口を開く。
「……森は深いです。地形が複雑で迷いやすいですから、気をつけてください」
「そうか」
「あの場所に盗賊が棲みつくことはよくあるんです。
私が幼かった頃も何度かありました。一度、潜伏に丁度いい洞窟でもあるのかと父が
調査隊を出しましたが、結局見つからずに終わりましたから、単純に、特定の人種を寄
せやすい土地なのかも知れません」
あるでしょう、そういう場所? と訊くと、ラインヒルデは曖昧に「ああ」と頷いた。
心当たりがあったのかも知れないし、ただの相槌かも知れない。クオドはどちらであっ
ても気にしないことにした。
「今回は……ヴィオラさんは、口を利ける状態で一人でも捕縛できればそれでいいと仰
っていたので、それほどの手間にはならないでしょうけれど」
「……自分達の領域にいる賊をそのままにして、いいのか?」
「時期のせいでしょう。あの森で冬を越せる人間はいませんから」
「そうか」
二人は行く手に広がる針葉樹の森に視線を向けた。昼なお暗い木々の海。一年を通し
て緑を保つこの森は、一年を通して人間を拒むかのようだ。かつてこの奥には壮麗な大
聖堂があった。今は――
比較的木々の少ない丘。ここからでも、あそこへ続く道の入り口は見つけられたはず
だが……そう、ほんの数月前に、父と共にあの道を辿ったばかりだ。目を細めて探す。
目印はもうなくなってしまっているようだ。
多くの巡礼者が通って踏み固められていた砂利の路面さえ草木に埋もれて判別つかな
い。もう長い間、人間が立ち入った形跡がない。わかっている。ここに来て、通るたび
におなじことをしているのだから。クオドは口の中だけで「神よ」と呟いた。
「何かあったのか?」
クオドは「いいえ」と答えようと口を開いたが、結局、別のことを言うことにした。
「昔はあそこから道があって、森の中の教会へ行けたんですけど……」
「この地ではイムヌス教の力は強いのか?」
クオドは少し悩んで首を横に振った。「昔は強かったと思います、私も影響を受けて
育ちましたから。ただかなりの間この地を離れていたので――ごめんなさい、今のこと
はあまり。でも、砦内の教会では休日礼拝が行われ続けていますし人も集まります」
「子爵は?」
ラインヒルデの声に堅い警戒の響きが混じっていたので、クオドはきょとんと彼女を
眺めながら言葉を選んだ。「ヴィオラさんは……神学を学んでいたことがある、と聞い
たことがあります。けれどあのひとは信仰と言うより、」
「何だ?」
「――ええと、その、あまり宗教とか似合わないひとだと思います」
クオドは鎖帷子の首元を引張って、吐息した。
二頭の騎馬はなだらかな坂を下り森へ近づいていく。道は森の右手を通り、少しずつ
岩場が多くなっていきながら丘を越え、骨のような木々に覆われた岩山へと差し掛かる。
その峠が隣領との境であり、問題の集団が旅人を惨殺したという現場だ。
「あのあたりです。
ほら、あの、腕を広げている魔女のような木があるでしょう?」
「随分と長く生きていそうなイチイだな。枯れかけのようだが……」
「ええ、本当に昔からあそこに立っています。
銀の剣で貫かれた魔物が変身した姿で、あの峠で夜を明かそうとした旅人を惑わせて
連れていってしまうという逸話があります。実際は、少し先にある崖が危険なのと、今
回のように盗賊が棲み着きやすい故の失踪なのでしょう」
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場所:ガルドゼンド国内
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ぺこりと頭を下げて部屋を辞したクオドは、まだ少し疲れているように見えた。
帰還の翌日に仕事を頼むのは早急すぎたかも知れない――と、ヴィオラは後ろめたく
感じた。とはいえ、他に荒事を頼める人間がいないのはどうしようもない事実だ。ここ
十年ばかり行方知れずの長兄が戻ってきてくれれば、いや、義兄がもっとしっかりして
いてくれれば……
問題の集団は、クオド達には“盗賊”と説明したものの、実際は無法者の類である。
何らかの理由で社会から弾き出される人間というのはいつの時代にも絶えないもので、
そういった連中が自然の中では比較的生活のしやすい森林地帯などに潜むのは珍しいこ
とではない。開戦からまだ半月とはいえ、戦乱が起こっているのならば尚更だ。
今までにも何度か無法者が棲みついたことはあったが、ヴィオラは何かしらの明確な
被害が出るまでは強引に彼らを追い出すようなことはしなかったし、少しすれば無法者
の方からどこかへ行ってしまう。レットシュタインは野外生活に向かない土地だ、特に
冬ともなれば。
しかし今回は既に、彼らの仕業と思われる事件が起こってしまっている。
ヒュッテ陥落の数日前、一頭の馬が領内ぎりぎりの森で襲撃を受けたのだ。装飾品や
金品はおろか剣や馬まで持ち去られ、鋭い刃物傷を幾つも刻まれた屍は、辛うじて残っ
たわずかな遺留品から、クレイグ辺境伯の家臣の者だと判断された。
その遺留品はヴィオラに宛てられた書状だったが、なめらかだった羊皮紙は血に塗れ、
宛名以外は殆ど読み取れない状態だった。すぐに事の次第を伝える馬を辺境伯へ送った
ものの、一向に返事はない。
事件が起こったのが隣の領地との境界付近であったこともあり、賊の対処をするため
の段取りが整うには時間がかかった。
――“用件は知れないとは言え、自分を訪ねてきた使者が領内で無法者の兇刃に倒れ
たとなれば信用に傷がつく。可能な限り速やかに片付けてしまわねばならない。”
机に肘を突いて、そのようなことをぼんやりと考えていると、扉を叩くこともせずに、
金髪の義兄が姿を現した。何かと思えば「あの綺麗なご令嬢のことなんだが」と切り出
してくる。
「ラインヒルデ嬢は客人です。くれぐれも変なことは考えないでいただきたい」
「戦乙女に手を出すほど無謀じゃないさ」
ヴィオラは驚いて義兄の顔をまじまじと眺めた。
相手は端正な顔に苦笑を浮かべて、こちらのことを見下ろしている。自分が何故かひ
どく動揺していることに動揺しながら、「でしたら何の用です」とだけ聞き返した。
「本当に彼女に仕事を頼んだのか」
「……腕は確かでしょうし、何かを企んでいるようには見えません。
正直、手が足りないのですよ、義兄上。批難なさるならあなたが――」
義兄は困ったような顔をした。
「咎めるつもりなんてないさ。
ただ、あの手の女は勘が鋭いから気をつけた方がいい、と言っておきたくて。
あれはやましいことを見抜いて断罪する目をしてるよ。僕も昨夜は睨まれた」
「…………」
私には、義と綺麗事ばかりを信じる目に見えた、と心の中だけで反論する。
正しいことを貫き勇気あることを善とするなら、それは悪魔とも呼ばれよう。輝くよ
うな理想の体現、到達できぬ光ほど、人を恐れさせるものはないのだから。
ヴィオラは義兄と自分の眼のどちらが正確だろうと考えながら、確かに注意はしなけ
ればならないと思い、わざわざ忠告に訪れた義兄に礼を言っておくことにした。
「ありがとうございます、参考にさせていただきましょう。
私は貴方ほど節操なしではありませんから、女性の性質には疏いんです」
「たまには早いうちに注意しておくのもいいと思ったんだ。
お前は僕と違ってよく女に泣かれたり殴られたり罵られたりしてるからさ」
心当たりは山ほどあるので――ヴィオラは上目遣いに義兄を睨みつけたまま、一切の
反論をすることができなかった。だが今回のことについてはそういう話とはまったくの
別問題だと思う。
+ ○ + ○ + ● + ○ + ○ +
ぱかり、ぱかり、と蹄の音を響かせて、騎馬は並んで進んで行く。
ラインヒルデの白い軍馬は昨日までの旅の疲れを感じさせもせず、あの角飾りのつい
た鉄の鎧に身を包んで、軽快な足取りで踏み固められた道を歩いている。クオドが連れ
ているのは栗毛の乗用馬で、隣の白馬よりも一回り小さい。
クオドは新しい鎖帷子の首元を、手甲を嵌めた手で整えた。
少し大きさが合わないせいですぐにずれて息苦しくなるのだ。自分はどうやら戦士と
いう職業を選ぶ人間たちの中では随分と小柄な方らしく、武器庫にある鎧をそのまま持
ってくるといつもこういう目に遭う。
既に冬の陽気で風は冷たい。
高い空を鳥の影が過ぎていく。その下で針葉樹の森林は色濃い影とわだかまり、荒野
はゆるやかな丘と岩山まで続いている。子供の頃から見知った景色とほとんど変わらな
い。背後には古い石造りの城壁に囲まれた村を見ることもできたが、振り返るのはやめ
ておいた。他のことを考えよう。そう思いながら口を開く。
「……森は深いです。地形が複雑で迷いやすいですから、気をつけてください」
「そうか」
「あの場所に盗賊が棲みつくことはよくあるんです。
私が幼かった頃も何度かありました。一度、潜伏に丁度いい洞窟でもあるのかと父が
調査隊を出しましたが、結局見つからずに終わりましたから、単純に、特定の人種を寄
せやすい土地なのかも知れません」
あるでしょう、そういう場所? と訊くと、ラインヒルデは曖昧に「ああ」と頷いた。
心当たりがあったのかも知れないし、ただの相槌かも知れない。クオドはどちらであっ
ても気にしないことにした。
「今回は……ヴィオラさんは、口を利ける状態で一人でも捕縛できればそれでいいと仰
っていたので、それほどの手間にはならないでしょうけれど」
「……自分達の領域にいる賊をそのままにして、いいのか?」
「時期のせいでしょう。あの森で冬を越せる人間はいませんから」
「そうか」
二人は行く手に広がる針葉樹の森に視線を向けた。昼なお暗い木々の海。一年を通し
て緑を保つこの森は、一年を通して人間を拒むかのようだ。かつてこの奥には壮麗な大
聖堂があった。今は――
比較的木々の少ない丘。ここからでも、あそこへ続く道の入り口は見つけられたはず
だが……そう、ほんの数月前に、父と共にあの道を辿ったばかりだ。目を細めて探す。
目印はもうなくなってしまっているようだ。
多くの巡礼者が通って踏み固められていた砂利の路面さえ草木に埋もれて判別つかな
い。もう長い間、人間が立ち入った形跡がない。わかっている。ここに来て、通るたび
におなじことをしているのだから。クオドは口の中だけで「神よ」と呟いた。
「何かあったのか?」
クオドは「いいえ」と答えようと口を開いたが、結局、別のことを言うことにした。
「昔はあそこから道があって、森の中の教会へ行けたんですけど……」
「この地ではイムヌス教の力は強いのか?」
クオドは少し悩んで首を横に振った。「昔は強かったと思います、私も影響を受けて
育ちましたから。ただかなりの間この地を離れていたので――ごめんなさい、今のこと
はあまり。でも、砦内の教会では休日礼拝が行われ続けていますし人も集まります」
「子爵は?」
ラインヒルデの声に堅い警戒の響きが混じっていたので、クオドはきょとんと彼女を
眺めながら言葉を選んだ。「ヴィオラさんは……神学を学んでいたことがある、と聞い
たことがあります。けれどあのひとは信仰と言うより、」
「何だ?」
「――ええと、その、あまり宗教とか似合わないひとだと思います」
クオドは鎖帷子の首元を引張って、吐息した。
二頭の騎馬はなだらかな坂を下り森へ近づいていく。道は森の右手を通り、少しずつ
岩場が多くなっていきながら丘を越え、骨のような木々に覆われた岩山へと差し掛かる。
その峠が隣領との境であり、問題の集団が旅人を惨殺したという現場だ。
「あのあたりです。
ほら、あの、腕を広げている魔女のような木があるでしょう?」
「随分と長く生きていそうなイチイだな。枯れかけのようだが……」
「ええ、本当に昔からあそこに立っています。
銀の剣で貫かれた魔物が変身した姿で、あの峠で夜を明かそうとした旅人を惑わせて
連れていってしまうという逸話があります。実際は、少し先にある崖が危険なのと、今
回のように盗賊が棲み着きやすい故の失踪なのでしょう」
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