登場:クオド, ヒルデ
場所:ガルドゼンド ―アプラウト領レットシュタイン
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「いったい何をやっているんだ、私は……」
宛がわれた客室のベッドに倒れこみ、枕に顔を埋めながら、ヒルデは疲れた口調で呟いた。あの穏やかな笑みを浮かべるこの地の領主に対して何か釈然としないモノを抱える心とは裏腹に、乗馬による強行軍と野営によって疲労していた体は用意された暖かい風呂と柔らかい布団によってこれ以上ない程ときほぐされている。そのギャップが、なんとも言えない不快感のような形を取ってヒルデの心に圧し掛かっていた。最も、そんな感情すら今こうして感じている幸福感に比べれば些細なつまらない事のようにも感じられるのだが。
後1歩の所でその幸福感に身を委ねられないのは、先ほどのヴィオラとのやり取りもそうだが実はもう1つ、ヒルデにとってはどうしても看過出来ない物を見てしまった所為でもある。
――まさか、イムヌスの姿を見ることになろうとはな。
奥に通される途中、目に入った教会。昔からある教会をなんらかの理由で改装もせずにそのまま別の事に使っているとかそんな特殊な事情でもない限り、今でもこの地にあの宗教を信じる者は居り、少なくとも領主はそれを黙認――下手をすると彼自身が信者の可能性もある。
それはつまり、自分の正体がばれた場合冗談抜きで毒を盛られる可能性が発生したという事だ。半神半人であるヒルデに毒は効き難いが、それはあくまでも効き難いというだけだ。自身の耐性を超える毒を盛られたらただでは済まない所は、たとえ戦乙女とて人間と変わらないのだから。
――そういえば。
よくない想像ばかりが膨らんでいく思考を半ば強引に打ち切って、ヒルデは今自分が身に纏っている服に意識を向けた。湯浴みを終えた時、深く考えもせずに用意されていた服に袖を通したのだが、冷静に考えてみればこんなにサイズが合っている服を用意できるというのも不思議な話だ。
「後で、礼くらいは言わなければならないだろう、な……」
そんな事を考えている間にも心地よい闇はラインヒルデの心を徐々に徐々に満たして行き、そしてそのままあっさりと彼女の意識を飲み込んでいった。
「ヒルデさん、お食事の時間です……ヒルデさん?」
コンコンと控えめに扉を叩く音と、自分を呼ぶ声に引っ張られるようにして意識が浮かび上がってくる。浮き上がりながら、『ああ、私は眠ってしまっていたのか』などと冷静に考える自分の思考を認識した辺りで、ようやくラインヒルデは目を覚ました。
「……済まない。どうやら少し眠ってしまっていたようだ。すぐに支度する」
起き上がり、三面ある姿見で自分の姿を確認する。眠っていたのはそれほど長い時間ではなかったのか、幸いにも服に皺などはついていない。簡単に身嗜みを整えて、部屋をでた。
案内された食堂に入ると、想像していたよりも家庭的な印象を受けてびっくりした。部屋の奥に設えた暖炉が奏でるパチパチという音に、四角いテーブルの上に乗せられた美味しそうな料理たち。部屋の大きさの問題か、貴族の食卓で想像するような長い机ではなく、正方形かそれに近いくらいの長方形のものを使っているのもそんな印象を受けた要因のひとつかもしれない。
「……お待たせしたようで、申し訳ない」
愚にも付かない思考を打ち切って、とりあえず謝罪を述べる事にした。ここに来てから、どうもペースが乱れっぱなしのような気がする。この家との波長がまるであっていないような違和感。
待遇に何か不備や不満があったわけではない。むしろ下に置かない扱いをされているようにすら感じる。それでも、何か自分とは決定的に違うものがある――その正体までは分からないが。
「いえ、お気になさらずに。それでは食事を始めるといたしましょうか」
「こんな美しいお嬢さんと食卓を囲めるとは光栄です。ドレスもよくお似合いだ」
食事が始まってすぐに左隣の男から声を掛けられる。発言が軽薄なら外見も軽薄、英雄どころか貴族としての矜持すら持ち合わせているのか怪しい――いや、今は別に英雄を探しているわけではなかったのだったな。
思わず話しかけてきた男の値踏みをしてしまっていた自分に軽くあきれながら、振られた話の方に意識を戻す。
そういえば、さっきも思ったがこのドレスは一体誰のものなのだろう?
「突然の来訪にも関わらず、このような立派な服まで貸していただけるとは思ってもみませんでした。……そういえば、この服の持ち主の方はどちらに居られるかご存知ですか?是非直接お礼を申し上げたいのですが」
「ああ、それなら……」
軽薄男の顔の動きに釣られて視線を動かすと、その先には食事を取る領主の姿。ということは、彼の奥方の物なのだろうか。そして、この場にいないという事はもしかしたら既に他界して――
「私のものですが」
もしかして触れては行けない所に触れてしまったのだろうか。そう反省する私の思考が、ピキリと音を立てて凍り付く。「ワタシノモノデスガ」ほらきっとこの城内にあるものは領主である彼のものだと言う意味でそんなまさか男性がこんな立派なドレスを着るだなんてでも冷静に考えたら確かに彼と私の体格は近くサイズ的には丁度いやいやそんな女物の服を着て喜んでいるだなんてそれではただのへんた
「……何か?」
突き付けられた現実を一生懸命拒否する私の心に止めを刺すように、子爵は首を傾げてみせた。その表情が本当になぜ私が凍りついたのかわからないという不思議そうな顔だったから、やっぱりそういう趣味とかではなくて何か事情があるのかもしれない。うん、きっとそうだ。そうに違いない。そういう事にしておこう。
「いえ、なんでも。……その、いろいろとありがとうございます」
実は貴族達の間では女装という趣味は極普通に持ちえるものなのかも知れない。――思いついてしまった嫌過ぎる可能性は即刻記憶の井戸に放り込んで蓋をした上にゴーレムを三体くらい乗っける事にする。……ふぅ。
「どういたしまして」
その後は特に何事もなく、食事は終わった。「適当に寛げ、何かあったら人を呼べ」先ほどと同じ事を言われ、宛がわれた部屋に戻ってくる。正直肩透かしを食らったような気もしたが、食事は美味しかったし部屋は暖かいので気を抜くと面倒な事を考えようという意思が萎んでいく。何事もなかったのだから、気付かれなかったにせよ気付いた上で敢えて気付かなかったフリをしたにせよ問題はないに違いない。寝込みを襲いにきたら返り討ちにすればいいのだ。そう考えた私は、一応念のために生命の精霊に働きかけて体調を整えた後眠りに付いた。すぐ手の届く位置に、鞘に収めた愛剣を置いて。
「ん~~~~~~」
ベッドから身を起こして、のびをする。部屋の空気は冬の訪れを告げるかのように冷たかったが、それを差し引いても気持ちの良い朝だった。冷たい空気も、慣れてしまえばむしろ体の隅々まで行き渡って細胞の1つ1つに至るまでが覚醒していくようで気持ちがいい。
ベッドから起き上がり身支度を整え、三面の姿見でおかしな所がないか確かめる。私の全身を写してなお余りある大鏡を見ていると、胸の奥にチクリとした小さな痛みが走った。
「ヒルデさん、朝食の用意が出来ました」
コンコンと扉と叩く音の後に控えめなクオドの声が聞こえてくる。頭を振って気持ちを切り替えると、私は部屋を後にした。
昨夜の晩餐の時にも思ったが、ここの食事は無駄な豪華さがない。貴族の食卓にままある必要以上に香辛料を使った過度の味付けや季節や風土を無視した食材が見受けられないのだ。ではここの料理は美味しくないのかと言えばそんな事はけしてなかった。素材の持ち味を上手く生かして調理されたここの料理は、香辛料の刺激だけがとりえのそれとは比べる事すら冒涜と思える程に美味しい。
先程部屋で感じた痛みが、よりいっそう大きくなる気がした。
「そういえばクオド、ちょっとした仕事をお願いしたいのですが」
「なんでしょうか」
そんな折り、城主とクオドの会話が耳に入ってきた。もう1人の男、コルネールと言ったか――は特に気にした風もなく食事を続けている。
「実は最近領地内に盗賊が住み着いたようでしてね。それを退治して欲しいのです」
「はい」
「その盗賊退治、もしよろしければ私にも手伝わせていただけないだろうか」
気が付けば私は2人の話に割って入っていた。城主殿がこちらを見る。その土色の瞳からは彼が何を考えているのかを読み取る事はできなかった。
「……それでは、お願いします。詳しくは、後ほど私の執務室でお話します」
1秒、2秒。私はただ手伝わせて欲しいという想いだけを込めてヴィオラ殿を見続けていた。その想いが通じたのかどうかは分からないが、返ってきた返事は肯定だった。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げる。胸の痛みが大分軽くなった気がした。――英雄探しとはまったく関係のない完全な回り道だが、それでもこれはこれでよかったのだ。
朝食後、クオドと共に執務室に赴き、細かい話を聞いた。盗賊どもが出没するエリア、その辺りの地形、今までに確認されている被害とヤツらの編成。最後に、「怪我などをしないように、お気をつけて」と言ってこの地を治める子爵は私たちを送り出した。
昨日のテオバルド卿に対する侮辱や誇りに価値を見出さないと言った発言はとても容認できたものではないが、それでも彼はけして悪い人間ではなかった。あんな侮辱を口にした私にでもあんな下へは置かぬ扱いをしてくれたのだから、それは間違いないだろう。
だから、今回の申し出は罪滅ぼしというか、私なりの礼のようなものだ。今は厩にいるはずの相棒に、どうやってその部分を伝えずに盗賊退治に行くことになった経緯を説明するかで軽く頭を悩ませながら、私は再び旅に出る用意を整えた。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
「ふぇふぇふぇ、雑兵どもが必死に動きよるわい」
薄暗い天幕の中で1人の男が水晶球を覗き込んでいる。青白い輝きを放つ球に照らし出された男の顔――いくつもの深い皺が刻み込まれている――は、見る者に古樹を連想させる。それも、ただの古樹というよりも永き時を経て邪悪な意思を宿した霊樹とか、そういう類のものだ。
そんな老人が熱心に覗き込む水晶球の中には、襲撃に備える為か厳戒態勢にある砦の様子が映し出されてた。それほど大きな球ではない為、まるでミニチュアの人形でも動き回っているかのようにも感じられるが、それは間違いなく今アナウアでティグラハット軍に備えようとしているガルドゼンドの兵士達の様子。
『遠見の水晶球』
この魔道具こそが、この老人が今回の行軍に参加している理由の1つであり、情報が命となる今回の戦いでティグラハットに大きなアドバンテージをもたらす切り札のうちの1枚だ。
こっそりどころか堂々とズル技を使いながら、薄暗い天幕の中で老人は1人顔を歪ませる。これからの展開を頭の中に思い描きながら、楽しそうに愉しそうに――
ライマー・ベックマンは肩を怒らせながら陣の中を歩いていた。指揮官の怒りの気配を感じ取った兵士達は皆とばっちりを受けないように顔を伏せて装備の整備に熱中するフリをする。そんな中、ライマーはわき目も振らずにある1つのテントを目指す。
"彼"の為にわざわざ設えさせられたテントの中では、今でも"彼"が仕事をしているに違いない。――もしそうでなかったら、今からでもライマーは"彼"を本国へと送り返そうと硬く心に誓う。
テントの中に入ると、はたして目当ての老人は明かりもつけず一心不乱に水晶球を覗き込んでいる。
「……ユーベルトート殿」
老魔術師に呼びかける声が思ったよりも硬くて、ライマーは少し驚いた。必要以上に不機嫌さをアピールして相手に不快感を与えるのは本意ではなかったが、それでも構わないと呟く心の声がないと言えば嘘になる。この一言だけで老人が全てを察し、以後の態度を改めてくれれば余計な負担が減って万々歳なのだが。
いつまで経っても、水晶球を熱心に覗き込むこの老い耄れは反応を返してこない。耳をそばだてると、小さな声でぶつぶつと何か呟いているのが分かる。――何かの儀式中なのだろうか。
普通の兵士が相手ならば近づいて肩を掴むなり怒鳴りつけるなりすればいいが、魔術師が相手となったとたん、『本当にそうしていいのか』という疑問がライマーの行動を阻害する。もし、今なんらかの魔術を行使しているのだとしたら。それを邪魔してしまったら。老魔術師に睨まれるくらいで済めばいいが、結果爆発とかが起きて怪我人や死人が出てしまったら目も当てられない。
結局、ライマーに出来る事と言えば老人から何かアプローチがあるまで、テントの入り口の所で立ち尽くす事だけだった。
「それで、お前さんはいつまでそこにつったっとるつもりなんじゃ?」
数分後、何かを思い出したといった調子で老魔術師は顔を上げた。相変わらず皺に塗れた顔からは思考を読み取ることはできない。
「……ユーベルトート殿。軍議の時間を、伝令兵は伝え忘れましたか?」
湧き上がる感情が暴発しないように己を律しながら、軍団長は口を開いた。いちいちこの老人の言葉に付き合っていたらキリがないという事は出撃してガルドゼンドの領内に入る前にはもう嫌という程理解させられていた。
「はて、そういえばそんな話も聞いた気がするがのぅ。ふぇふぇふぇ」
「……ッ」
あからさまに惚ける老人に、思わず頭に血が上るライマー。あわや爆発せんというところまでボルテージが上がるが、今回も結果的に軍団長の怒りが老魔術師に炸裂する事はなかった。
「まぁ、そう怒りなさんな。今、アナウアの様子を見ておった所じゃ」
いつもいつもこんな調子で、我慢が限界に達する直前にまじめな話を持ってこられてしまうのでライマーは怒り所を逃してばかりいる。今回も、作戦目標であるアナウアの情報とあってはそれを無視するわけにもいかない。
「……どんな状況ですか?」
「そうさな、ここ数日以内に奇襲を掛けれれば比較的楽に落とせそうじゃな」
アナウアの対応が遅いのは、ガルドゼンドの予想を遥かに超える速さでヒュッテが落ちた所為だろう。そんな事はライマーも分かっているし、可能な限り早く攻め入るつもりでもいる。だが、後数日以内にアナウアに到達するなど普通では到底なしえない事だ。
「そんなのはムリだ、という顔じゃな。ところが、じゃ。そこでコイツの出番というわけじゃよ」
そう言いながら取り出したのは1巻きのスクロール。広げると中央に大型の戦闘馬車が描かれ、その周りを囲むように様々な記号やライマーには読めない古代の文字が綴られている。
「これは?」
「この巻き物を触媒とした儀式を行うと、対象となった兵士達は疲れることなく進軍する事が出来るようになる。全力で移動すればまぁなんとか間に合うじゃろ」
「対象に出来るのは馬を含めて150と言ったところかの。編成はお前さんが考えい」
言うだけ言って、ユーベルトートは軍団長を自分のテントから追い出した。ライマーはライマーで抵抗しないで老魔術師のテントから出て行く。先発隊としてアナウアに奇襲を掛ける面子の選抜、誰に指揮を任せるか――考えることは山ほどあったからだ。
そして、翌日の早朝。編成された先発隊がユーベルトート率いる魔術師団による儀式呪文、『インビンシブルチャリオット』を受けて出撃、アナウアに向けて怒涛の進撃を開始した。
「ふぇふぇふぇ、死ぬまで戦うがええ。恐怖心とかそういう余計な物はワシが取り払ってやるわ。伝説のベルセルクのように、敵を殲滅してきておくれ。ふぇっふぇっふぇっふぇ」
出撃した友軍を見送る中零れ落ちた老人の呟きに、不幸にも気付く者はいなかった。
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場所:ガルドゼンド ―アプラウト領レットシュタイン
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「いったい何をやっているんだ、私は……」
宛がわれた客室のベッドに倒れこみ、枕に顔を埋めながら、ヒルデは疲れた口調で呟いた。あの穏やかな笑みを浮かべるこの地の領主に対して何か釈然としないモノを抱える心とは裏腹に、乗馬による強行軍と野営によって疲労していた体は用意された暖かい風呂と柔らかい布団によってこれ以上ない程ときほぐされている。そのギャップが、なんとも言えない不快感のような形を取ってヒルデの心に圧し掛かっていた。最も、そんな感情すら今こうして感じている幸福感に比べれば些細なつまらない事のようにも感じられるのだが。
後1歩の所でその幸福感に身を委ねられないのは、先ほどのヴィオラとのやり取りもそうだが実はもう1つ、ヒルデにとってはどうしても看過出来ない物を見てしまった所為でもある。
――まさか、イムヌスの姿を見ることになろうとはな。
奥に通される途中、目に入った教会。昔からある教会をなんらかの理由で改装もせずにそのまま別の事に使っているとかそんな特殊な事情でもない限り、今でもこの地にあの宗教を信じる者は居り、少なくとも領主はそれを黙認――下手をすると彼自身が信者の可能性もある。
それはつまり、自分の正体がばれた場合冗談抜きで毒を盛られる可能性が発生したという事だ。半神半人であるヒルデに毒は効き難いが、それはあくまでも効き難いというだけだ。自身の耐性を超える毒を盛られたらただでは済まない所は、たとえ戦乙女とて人間と変わらないのだから。
――そういえば。
よくない想像ばかりが膨らんでいく思考を半ば強引に打ち切って、ヒルデは今自分が身に纏っている服に意識を向けた。湯浴みを終えた時、深く考えもせずに用意されていた服に袖を通したのだが、冷静に考えてみればこんなにサイズが合っている服を用意できるというのも不思議な話だ。
「後で、礼くらいは言わなければならないだろう、な……」
そんな事を考えている間にも心地よい闇はラインヒルデの心を徐々に徐々に満たして行き、そしてそのままあっさりと彼女の意識を飲み込んでいった。
「ヒルデさん、お食事の時間です……ヒルデさん?」
コンコンと控えめに扉を叩く音と、自分を呼ぶ声に引っ張られるようにして意識が浮かび上がってくる。浮き上がりながら、『ああ、私は眠ってしまっていたのか』などと冷静に考える自分の思考を認識した辺りで、ようやくラインヒルデは目を覚ました。
「……済まない。どうやら少し眠ってしまっていたようだ。すぐに支度する」
起き上がり、三面ある姿見で自分の姿を確認する。眠っていたのはそれほど長い時間ではなかったのか、幸いにも服に皺などはついていない。簡単に身嗜みを整えて、部屋をでた。
案内された食堂に入ると、想像していたよりも家庭的な印象を受けてびっくりした。部屋の奥に設えた暖炉が奏でるパチパチという音に、四角いテーブルの上に乗せられた美味しそうな料理たち。部屋の大きさの問題か、貴族の食卓で想像するような長い机ではなく、正方形かそれに近いくらいの長方形のものを使っているのもそんな印象を受けた要因のひとつかもしれない。
「……お待たせしたようで、申し訳ない」
愚にも付かない思考を打ち切って、とりあえず謝罪を述べる事にした。ここに来てから、どうもペースが乱れっぱなしのような気がする。この家との波長がまるであっていないような違和感。
待遇に何か不備や不満があったわけではない。むしろ下に置かない扱いをされているようにすら感じる。それでも、何か自分とは決定的に違うものがある――その正体までは分からないが。
「いえ、お気になさらずに。それでは食事を始めるといたしましょうか」
「こんな美しいお嬢さんと食卓を囲めるとは光栄です。ドレスもよくお似合いだ」
食事が始まってすぐに左隣の男から声を掛けられる。発言が軽薄なら外見も軽薄、英雄どころか貴族としての矜持すら持ち合わせているのか怪しい――いや、今は別に英雄を探しているわけではなかったのだったな。
思わず話しかけてきた男の値踏みをしてしまっていた自分に軽くあきれながら、振られた話の方に意識を戻す。
そういえば、さっきも思ったがこのドレスは一体誰のものなのだろう?
「突然の来訪にも関わらず、このような立派な服まで貸していただけるとは思ってもみませんでした。……そういえば、この服の持ち主の方はどちらに居られるかご存知ですか?是非直接お礼を申し上げたいのですが」
「ああ、それなら……」
軽薄男の顔の動きに釣られて視線を動かすと、その先には食事を取る領主の姿。ということは、彼の奥方の物なのだろうか。そして、この場にいないという事はもしかしたら既に他界して――
「私のものですが」
もしかして触れては行けない所に触れてしまったのだろうか。そう反省する私の思考が、ピキリと音を立てて凍り付く。「ワタシノモノデスガ」ほらきっとこの城内にあるものは領主である彼のものだと言う意味でそんなまさか男性がこんな立派なドレスを着るだなんてでも冷静に考えたら確かに彼と私の体格は近くサイズ的には丁度いやいやそんな女物の服を着て喜んでいるだなんてそれではただのへんた
「……何か?」
突き付けられた現実を一生懸命拒否する私の心に止めを刺すように、子爵は首を傾げてみせた。その表情が本当になぜ私が凍りついたのかわからないという不思議そうな顔だったから、やっぱりそういう趣味とかではなくて何か事情があるのかもしれない。うん、きっとそうだ。そうに違いない。そういう事にしておこう。
「いえ、なんでも。……その、いろいろとありがとうございます」
実は貴族達の間では女装という趣味は極普通に持ちえるものなのかも知れない。――思いついてしまった嫌過ぎる可能性は即刻記憶の井戸に放り込んで蓋をした上にゴーレムを三体くらい乗っける事にする。……ふぅ。
「どういたしまして」
その後は特に何事もなく、食事は終わった。「適当に寛げ、何かあったら人を呼べ」先ほどと同じ事を言われ、宛がわれた部屋に戻ってくる。正直肩透かしを食らったような気もしたが、食事は美味しかったし部屋は暖かいので気を抜くと面倒な事を考えようという意思が萎んでいく。何事もなかったのだから、気付かれなかったにせよ気付いた上で敢えて気付かなかったフリをしたにせよ問題はないに違いない。寝込みを襲いにきたら返り討ちにすればいいのだ。そう考えた私は、一応念のために生命の精霊に働きかけて体調を整えた後眠りに付いた。すぐ手の届く位置に、鞘に収めた愛剣を置いて。
「ん~~~~~~」
ベッドから身を起こして、のびをする。部屋の空気は冬の訪れを告げるかのように冷たかったが、それを差し引いても気持ちの良い朝だった。冷たい空気も、慣れてしまえばむしろ体の隅々まで行き渡って細胞の1つ1つに至るまでが覚醒していくようで気持ちがいい。
ベッドから起き上がり身支度を整え、三面の姿見でおかしな所がないか確かめる。私の全身を写してなお余りある大鏡を見ていると、胸の奥にチクリとした小さな痛みが走った。
「ヒルデさん、朝食の用意が出来ました」
コンコンと扉と叩く音の後に控えめなクオドの声が聞こえてくる。頭を振って気持ちを切り替えると、私は部屋を後にした。
昨夜の晩餐の時にも思ったが、ここの食事は無駄な豪華さがない。貴族の食卓にままある必要以上に香辛料を使った過度の味付けや季節や風土を無視した食材が見受けられないのだ。ではここの料理は美味しくないのかと言えばそんな事はけしてなかった。素材の持ち味を上手く生かして調理されたここの料理は、香辛料の刺激だけがとりえのそれとは比べる事すら冒涜と思える程に美味しい。
先程部屋で感じた痛みが、よりいっそう大きくなる気がした。
「そういえばクオド、ちょっとした仕事をお願いしたいのですが」
「なんでしょうか」
そんな折り、城主とクオドの会話が耳に入ってきた。もう1人の男、コルネールと言ったか――は特に気にした風もなく食事を続けている。
「実は最近領地内に盗賊が住み着いたようでしてね。それを退治して欲しいのです」
「はい」
「その盗賊退治、もしよろしければ私にも手伝わせていただけないだろうか」
気が付けば私は2人の話に割って入っていた。城主殿がこちらを見る。その土色の瞳からは彼が何を考えているのかを読み取る事はできなかった。
「……それでは、お願いします。詳しくは、後ほど私の執務室でお話します」
1秒、2秒。私はただ手伝わせて欲しいという想いだけを込めてヴィオラ殿を見続けていた。その想いが通じたのかどうかは分からないが、返ってきた返事は肯定だった。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げる。胸の痛みが大分軽くなった気がした。――英雄探しとはまったく関係のない完全な回り道だが、それでもこれはこれでよかったのだ。
朝食後、クオドと共に執務室に赴き、細かい話を聞いた。盗賊どもが出没するエリア、その辺りの地形、今までに確認されている被害とヤツらの編成。最後に、「怪我などをしないように、お気をつけて」と言ってこの地を治める子爵は私たちを送り出した。
昨日のテオバルド卿に対する侮辱や誇りに価値を見出さないと言った発言はとても容認できたものではないが、それでも彼はけして悪い人間ではなかった。あんな侮辱を口にした私にでもあんな下へは置かぬ扱いをしてくれたのだから、それは間違いないだろう。
だから、今回の申し出は罪滅ぼしというか、私なりの礼のようなものだ。今は厩にいるはずの相棒に、どうやってその部分を伝えずに盗賊退治に行くことになった経緯を説明するかで軽く頭を悩ませながら、私は再び旅に出る用意を整えた。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
「ふぇふぇふぇ、雑兵どもが必死に動きよるわい」
薄暗い天幕の中で1人の男が水晶球を覗き込んでいる。青白い輝きを放つ球に照らし出された男の顔――いくつもの深い皺が刻み込まれている――は、見る者に古樹を連想させる。それも、ただの古樹というよりも永き時を経て邪悪な意思を宿した霊樹とか、そういう類のものだ。
そんな老人が熱心に覗き込む水晶球の中には、襲撃に備える為か厳戒態勢にある砦の様子が映し出されてた。それほど大きな球ではない為、まるでミニチュアの人形でも動き回っているかのようにも感じられるが、それは間違いなく今アナウアでティグラハット軍に備えようとしているガルドゼンドの兵士達の様子。
『遠見の水晶球』
この魔道具こそが、この老人が今回の行軍に参加している理由の1つであり、情報が命となる今回の戦いでティグラハットに大きなアドバンテージをもたらす切り札のうちの1枚だ。
こっそりどころか堂々とズル技を使いながら、薄暗い天幕の中で老人は1人顔を歪ませる。これからの展開を頭の中に思い描きながら、楽しそうに愉しそうに――
ライマー・ベックマンは肩を怒らせながら陣の中を歩いていた。指揮官の怒りの気配を感じ取った兵士達は皆とばっちりを受けないように顔を伏せて装備の整備に熱中するフリをする。そんな中、ライマーはわき目も振らずにある1つのテントを目指す。
"彼"の為にわざわざ設えさせられたテントの中では、今でも"彼"が仕事をしているに違いない。――もしそうでなかったら、今からでもライマーは"彼"を本国へと送り返そうと硬く心に誓う。
テントの中に入ると、はたして目当ての老人は明かりもつけず一心不乱に水晶球を覗き込んでいる。
「……ユーベルトート殿」
老魔術師に呼びかける声が思ったよりも硬くて、ライマーは少し驚いた。必要以上に不機嫌さをアピールして相手に不快感を与えるのは本意ではなかったが、それでも構わないと呟く心の声がないと言えば嘘になる。この一言だけで老人が全てを察し、以後の態度を改めてくれれば余計な負担が減って万々歳なのだが。
いつまで経っても、水晶球を熱心に覗き込むこの老い耄れは反応を返してこない。耳をそばだてると、小さな声でぶつぶつと何か呟いているのが分かる。――何かの儀式中なのだろうか。
普通の兵士が相手ならば近づいて肩を掴むなり怒鳴りつけるなりすればいいが、魔術師が相手となったとたん、『本当にそうしていいのか』という疑問がライマーの行動を阻害する。もし、今なんらかの魔術を行使しているのだとしたら。それを邪魔してしまったら。老魔術師に睨まれるくらいで済めばいいが、結果爆発とかが起きて怪我人や死人が出てしまったら目も当てられない。
結局、ライマーに出来る事と言えば老人から何かアプローチがあるまで、テントの入り口の所で立ち尽くす事だけだった。
「それで、お前さんはいつまでそこにつったっとるつもりなんじゃ?」
数分後、何かを思い出したといった調子で老魔術師は顔を上げた。相変わらず皺に塗れた顔からは思考を読み取ることはできない。
「……ユーベルトート殿。軍議の時間を、伝令兵は伝え忘れましたか?」
湧き上がる感情が暴発しないように己を律しながら、軍団長は口を開いた。いちいちこの老人の言葉に付き合っていたらキリがないという事は出撃してガルドゼンドの領内に入る前にはもう嫌という程理解させられていた。
「はて、そういえばそんな話も聞いた気がするがのぅ。ふぇふぇふぇ」
「……ッ」
あからさまに惚ける老人に、思わず頭に血が上るライマー。あわや爆発せんというところまでボルテージが上がるが、今回も結果的に軍団長の怒りが老魔術師に炸裂する事はなかった。
「まぁ、そう怒りなさんな。今、アナウアの様子を見ておった所じゃ」
いつもいつもこんな調子で、我慢が限界に達する直前にまじめな話を持ってこられてしまうのでライマーは怒り所を逃してばかりいる。今回も、作戦目標であるアナウアの情報とあってはそれを無視するわけにもいかない。
「……どんな状況ですか?」
「そうさな、ここ数日以内に奇襲を掛けれれば比較的楽に落とせそうじゃな」
アナウアの対応が遅いのは、ガルドゼンドの予想を遥かに超える速さでヒュッテが落ちた所為だろう。そんな事はライマーも分かっているし、可能な限り早く攻め入るつもりでもいる。だが、後数日以内にアナウアに到達するなど普通では到底なしえない事だ。
「そんなのはムリだ、という顔じゃな。ところが、じゃ。そこでコイツの出番というわけじゃよ」
そう言いながら取り出したのは1巻きのスクロール。広げると中央に大型の戦闘馬車が描かれ、その周りを囲むように様々な記号やライマーには読めない古代の文字が綴られている。
「これは?」
「この巻き物を触媒とした儀式を行うと、対象となった兵士達は疲れることなく進軍する事が出来るようになる。全力で移動すればまぁなんとか間に合うじゃろ」
「対象に出来るのは馬を含めて150と言ったところかの。編成はお前さんが考えい」
言うだけ言って、ユーベルトートは軍団長を自分のテントから追い出した。ライマーはライマーで抵抗しないで老魔術師のテントから出て行く。先発隊としてアナウアに奇襲を掛ける面子の選抜、誰に指揮を任せるか――考えることは山ほどあったからだ。
そして、翌日の早朝。編成された先発隊がユーベルトート率いる魔術師団による儀式呪文、『インビンシブルチャリオット』を受けて出撃、アナウアに向けて怒涛の進撃を開始した。
「ふぇふぇふぇ、死ぬまで戦うがええ。恐怖心とかそういう余計な物はワシが取り払ってやるわ。伝説のベルセルクのように、敵を殲滅してきておくれ。ふぇっふぇっふぇっふぇ」
出撃した友軍を見送る中零れ落ちた老人の呟きに、不幸にも気付く者はいなかった。
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