PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:キラミースト・モンス・ミックス
場所:ガイス(常世)~ジュデッカ
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
「死神はね、本来魂を集めるのが仕事なのさ」
まるで夢を見るような眼差しで、事実を述べるキラミースト。その瞳は潤みを帯びた赤色で、髪は薄い緑という死神らしからぬ死神だった。彼が紡ぎ出した言葉はまるで意味が通っていないようにも聞こえたし、繋がりがあるようにも聞こえた。だからヴォルボは必死になって今までの話との繋がりを考えてみた。
だが、生憎その繋がりは見つからなかった。
結局のところ、彼、キラミーストは自分の言いたい事を言いたい時に言いたいだけのたまっているだけだと結論付けた。
その言葉は旋律に乗って。優雅に、軽やかに。だが、意味の通じない。そんな会話がキラミーストの持ち味だと解るまでにたっぷり5分はかかった。
「で? だから? それがどうした?」
意味不明だと言わんばかりにウェイスターが身を乗り出した。
それでもキラミーストはマイペースに言葉を紡ぐ。この男に限って言えば、言葉を紡ぐという言い方がぴったりである。何しろ、歌う様に話すのだから。
「どうもしないよ。僕が死神で、君達が捕らわれた魂だという事実があるだけさ。……あ、そうそう。この世界にある食べ物や飲み物を食べたり飲んだりしたらいけないよ」
「は? なぜだ?」
「それは、君達がこの世界と同化するという意味だからさ」
キラミーストは意味深な言葉と共に、意味深長な視線を綻ばせる。目で、笑っていた。その視線に当てられて、言葉の意味するところを理解して、ヴォルボの心は震えた。
もし――、
もしここにある食べ物を自分が口にすれば――。
そうすれば、自分は――。
いけない考えを頭を振って振り解く、ヴォルボ。マリリアンの笑顔が浮かんで消えた。一瞬浮かんだ考えはとても素敵だったけれど、それを実行する訳には行かない。少なくとも今は。いつまでも過去の残照に縋り付く訳にはいかない。現実を、今ある事実を直視しなければ。だから自分は前向きに生きるのだと、自分自身に言い聞かせる。それで想い人を完全に忘れ去る事はできないけれど、少なくとも今の自分に目を向けることは出来る。
自分の渦の中に取り込まれそうになっていたのを何とか脱出してみると、少しは客観的に見られるようになって来た。そうして周囲に目を向けてみると、ウェイスターとキラミーストが問答を繰り返していた。渦に飲み込まれる前から続いていた問答だ。いい加減うんざりしているとキラミーストの口から意外な言葉が飛び出た。
「この道を真っ直ぐ進んでごらん。そこに澄んだ泉がある。その泉に飛び込むんだ。そのままずっと泉の奥深くに潜っていけば、この世界から抜け出せる」
意外だった。
彼は、迷い込んだ自分達をただ嘲笑うために粉をかけて来ているのだとばかり思っていた。だから、その彼の口から自分達の益になる言葉が出るとは思っても見なかったのである。
「どうして、……どうして、そんな事を言うんですか?」
ヴォルボは問わず語りに問うた。
だが、キラミーストは答えない。代わりに踊るように去って行った。何かを言いたげな視線を残して――。
「行こう。ヴォルボ殿。我々は、ここで立ち止まっているわけにはいかない」
ウェイスターが先を促す。
ヴォルボはその言葉に応えるように、一歩一歩重い足を動かした。
かつて生者の村だったところは、死者の町と化していた。
とはいえ、部分部分はかつての面影を残している。かつての村を知っている訳ではなかったが、生者が住まう村や町を世界各地で見てきているが、そのどの街と比較しても遜色なく機能している。少なくともヴォルボにはそう見えた。生者が往来を行き来しているわけではなかったが、市はたっているし、煙突からは煙が立ち昇っている。ただ違うといえば、そのどれもが死者が関与しているということだ。市場を賑わせているのは死者の呼び込みの声だし、往来を行き来しているのは足はあってともすると生者と変わりなく見えるが、土気色の肌を晒して生気を失った人々の列だった。
そう、ここは死者の町なのだ。自分達がいてはいけない場所。
ここに残るにしても、ここから抜け出すにしても、どちらにせよ覚悟が必要なようだ。ここから抜け出すためには泉に身を投じなければいけない。どれだけ深いのか、何処まで行けば抜け出せるのか、キラミーストはその事に関しては一言も触れなかった。だから、良く解らない。良く解らない場所に、良く解らないだけ潜っていなければならないのだ。潜る――という言葉が当て嵌まるかどうかも怪しい。それなりの覚悟が必要だ。反対に、この世界に残る――という選択をしてみよう。その場合でさえ、ある種の覚悟が必要なのだ。生者が死者と共に生きるという事は、やがて朽ちる身でありながら永遠の時を彷徨うということなのだ。心が、壊れていくかもしれない。そういえば、この場所で死んだ場合、どうなってしまうのだろう。それすらも不明だ。あるいは、燃え尽きてしまうだけなのか。それとも魂だけが彷徨うことになるのか。
道なりに真っ直ぐ進んで、村を過ぎて少し行った森の中に泉はあった。
鬱蒼と茂った森は何処までも暗く、不透明な現実を表しているかのようだった。互いに触れ合わんばかりに茂っている枝葉はヴォルボ達の行く手を阻んでいたし、何処までも蒼かった。
重なり合った枝葉を掻き分けながら進む。
どのくらい歩いただろう。もう時間の感覚がなくなった頃――この世界に入り込んだ時点から時間の感覚は失われていたのかもしれないが――泉の水面の輝きが目に飛び込んできた。ヴォルボはその眩しさに、思わず瞳を細めた。鬱蒼と生い茂った森の中でも陽の光は差し込むのだろうかとか、そもそもこんな死人の国で陽の光などというものが存在するのだろうかとか、色々と考えると切りが無いがともかくも泉は光りを乱反射していた。
ヴォルボはその光りを目に焼き付けながらも、薄っすらと思う。そして、その思ったことを口にする。意を決したように、眉間に皺を寄せながら。
「ボクはここに残る」
すると、その言葉を聞いたウェイスターが即座に反応した。いい反応だ。半ば褒め称えるようにして、彼を見るヴォルボ。
「君はこんな場所に残るというのか? こんな、人間の住まう場所では無い場所に? 何故だ。どうしてそれほど人間であることを捨てようとする」
「ボクには、忘れられない人がいる。ここに、この場に残れば、少なくともその人に会える気がする」
「君はまさか――!? 馬鹿な! 正気か? いいか? 私達がやろうとしていることは――」
NPC:キラミースト・モンス・ミックス
場所:ガイス(常世)~ジュデッカ
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「死神はね、本来魂を集めるのが仕事なのさ」
まるで夢を見るような眼差しで、事実を述べるキラミースト。その瞳は潤みを帯びた赤色で、髪は薄い緑という死神らしからぬ死神だった。彼が紡ぎ出した言葉はまるで意味が通っていないようにも聞こえたし、繋がりがあるようにも聞こえた。だからヴォルボは必死になって今までの話との繋がりを考えてみた。
だが、生憎その繋がりは見つからなかった。
結局のところ、彼、キラミーストは自分の言いたい事を言いたい時に言いたいだけのたまっているだけだと結論付けた。
その言葉は旋律に乗って。優雅に、軽やかに。だが、意味の通じない。そんな会話がキラミーストの持ち味だと解るまでにたっぷり5分はかかった。
「で? だから? それがどうした?」
意味不明だと言わんばかりにウェイスターが身を乗り出した。
それでもキラミーストはマイペースに言葉を紡ぐ。この男に限って言えば、言葉を紡ぐという言い方がぴったりである。何しろ、歌う様に話すのだから。
「どうもしないよ。僕が死神で、君達が捕らわれた魂だという事実があるだけさ。……あ、そうそう。この世界にある食べ物や飲み物を食べたり飲んだりしたらいけないよ」
「は? なぜだ?」
「それは、君達がこの世界と同化するという意味だからさ」
キラミーストは意味深な言葉と共に、意味深長な視線を綻ばせる。目で、笑っていた。その視線に当てられて、言葉の意味するところを理解して、ヴォルボの心は震えた。
もし――、
もしここにある食べ物を自分が口にすれば――。
そうすれば、自分は――。
いけない考えを頭を振って振り解く、ヴォルボ。マリリアンの笑顔が浮かんで消えた。一瞬浮かんだ考えはとても素敵だったけれど、それを実行する訳には行かない。少なくとも今は。いつまでも過去の残照に縋り付く訳にはいかない。現実を、今ある事実を直視しなければ。だから自分は前向きに生きるのだと、自分自身に言い聞かせる。それで想い人を完全に忘れ去る事はできないけれど、少なくとも今の自分に目を向けることは出来る。
自分の渦の中に取り込まれそうになっていたのを何とか脱出してみると、少しは客観的に見られるようになって来た。そうして周囲に目を向けてみると、ウェイスターとキラミーストが問答を繰り返していた。渦に飲み込まれる前から続いていた問答だ。いい加減うんざりしているとキラミーストの口から意外な言葉が飛び出た。
「この道を真っ直ぐ進んでごらん。そこに澄んだ泉がある。その泉に飛び込むんだ。そのままずっと泉の奥深くに潜っていけば、この世界から抜け出せる」
意外だった。
彼は、迷い込んだ自分達をただ嘲笑うために粉をかけて来ているのだとばかり思っていた。だから、その彼の口から自分達の益になる言葉が出るとは思っても見なかったのである。
「どうして、……どうして、そんな事を言うんですか?」
ヴォルボは問わず語りに問うた。
だが、キラミーストは答えない。代わりに踊るように去って行った。何かを言いたげな視線を残して――。
「行こう。ヴォルボ殿。我々は、ここで立ち止まっているわけにはいかない」
ウェイスターが先を促す。
ヴォルボはその言葉に応えるように、一歩一歩重い足を動かした。
かつて生者の村だったところは、死者の町と化していた。
とはいえ、部分部分はかつての面影を残している。かつての村を知っている訳ではなかったが、生者が住まう村や町を世界各地で見てきているが、そのどの街と比較しても遜色なく機能している。少なくともヴォルボにはそう見えた。生者が往来を行き来しているわけではなかったが、市はたっているし、煙突からは煙が立ち昇っている。ただ違うといえば、そのどれもが死者が関与しているということだ。市場を賑わせているのは死者の呼び込みの声だし、往来を行き来しているのは足はあってともすると生者と変わりなく見えるが、土気色の肌を晒して生気を失った人々の列だった。
そう、ここは死者の町なのだ。自分達がいてはいけない場所。
ここに残るにしても、ここから抜け出すにしても、どちらにせよ覚悟が必要なようだ。ここから抜け出すためには泉に身を投じなければいけない。どれだけ深いのか、何処まで行けば抜け出せるのか、キラミーストはその事に関しては一言も触れなかった。だから、良く解らない。良く解らない場所に、良く解らないだけ潜っていなければならないのだ。潜る――という言葉が当て嵌まるかどうかも怪しい。それなりの覚悟が必要だ。反対に、この世界に残る――という選択をしてみよう。その場合でさえ、ある種の覚悟が必要なのだ。生者が死者と共に生きるという事は、やがて朽ちる身でありながら永遠の時を彷徨うということなのだ。心が、壊れていくかもしれない。そういえば、この場所で死んだ場合、どうなってしまうのだろう。それすらも不明だ。あるいは、燃え尽きてしまうだけなのか。それとも魂だけが彷徨うことになるのか。
道なりに真っ直ぐ進んで、村を過ぎて少し行った森の中に泉はあった。
鬱蒼と茂った森は何処までも暗く、不透明な現実を表しているかのようだった。互いに触れ合わんばかりに茂っている枝葉はヴォルボ達の行く手を阻んでいたし、何処までも蒼かった。
重なり合った枝葉を掻き分けながら進む。
どのくらい歩いただろう。もう時間の感覚がなくなった頃――この世界に入り込んだ時点から時間の感覚は失われていたのかもしれないが――泉の水面の輝きが目に飛び込んできた。ヴォルボはその眩しさに、思わず瞳を細めた。鬱蒼と生い茂った森の中でも陽の光は差し込むのだろうかとか、そもそもこんな死人の国で陽の光などというものが存在するのだろうかとか、色々と考えると切りが無いがともかくも泉は光りを乱反射していた。
ヴォルボはその光りを目に焼き付けながらも、薄っすらと思う。そして、その思ったことを口にする。意を決したように、眉間に皺を寄せながら。
「ボクはここに残る」
すると、その言葉を聞いたウェイスターが即座に反応した。いい反応だ。半ば褒め称えるようにして、彼を見るヴォルボ。
「君はこんな場所に残るというのか? こんな、人間の住まう場所では無い場所に? 何故だ。どうしてそれほど人間であることを捨てようとする」
「ボクには、忘れられない人がいる。ここに、この場に残れば、少なくともその人に会える気がする」
「君はまさか――!? 馬鹿な! 正気か? いいか? 私達がやろうとしていることは――」
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PC:ヴォルボ ウェイスター 場所:ガイス(常世)~ジュデッカ +++++++++++++++++++++++++++++++++++
「私達がやろうとしていることは――」
言いかけてウェイスターは口ごもった。やろうとしていることは?ウォダックを討ち
世の平静を取り戻すこと…か?
「別に君を止めるつもりはないよ。この湖に潜れば、いつもの世界に帰れるんだ
ろ?」
キラミーストの言葉が本当ならば…と、ヴォルボは口には出さず付け足した。この美
しい湖に底があるのだろうか。あったとしてそれはどれくらいの深度か。なにより…
向うの世界に帰ってどうするのか。
「…ヴォルボ殿は、この地に残りいかがなさるつもりか。」
「いったろ?僕には忘れられない人がいるって。」
「しかし、なぜ今になって…!」
ヴォルボは答えず、うつむいた。その姿がなんとなく、いたたまれなくなって、ウェ
イスターも口を閉じた。もしこの世界が本当に死者の世界だというのなら、ヴォルボ
に限らず誰だって会いたい人はいる。ウェイスターとて例外ではなかった。ただ、今
はそのような感傷に浸っている場合ではない。それだけがウェイスターを突き動かす
原動力だった。
「…もういい。分かった。私は戻る。君は、すきにするといい。」
「うん。そうしよう。」
あまりにもそっけないヴォルボを尻目に、ウェイスターは湖を見下ろす。改めてその
美しさを痛感し、そして深呼吸…。
ざぶん
ウェイスターは湖の底を目指し、ひたすらに潜り続けた。
水の中は明るさが無く、まるで闇の中をもがいてるようだった。
*□■*
ウェイスターがもぐってからすでに数分が経っていた。ヴォルボは、湖のほとりに佇
んだまま、時々上がる気泡を眺めていた。
「…まだいるんだ。」
だが、もうどうでもいいことだ。彼とはここまでの縁だったわけだし、現実の世界で
ウォダックがどう暴れようと興味はない。
死者の世界でも何でもいい。
「マリリアン…。」
声に出してみた。別に、彼女の影をどこかに見たわけではない。願いとして…彼女に
今一度会いたくて、声に出した。
女々しいかな…なんて想いが、ヴォルボの心をそっとかすめた。
ヴォルボは歩いた。当てもなく、ひたすらに彼女の影を探した。探す手がかりもな
く、ふらふらと歩いているだけだったが、不思議と彼の心はマリリアンに近づいてい
る気がした。気のせいといえば確かにそうだ。しかし、それだけでも気休めにはな
る。歩いて、歩いて、歩いた。本当にここが死者の世界というのなら、彼女は居てし
かるべきだし、ドラマチックを演出したいなら再開は必然だ。
「……。」
その必然が唐突に訪れた。
何気ない道中、そっけない風の中、マリリアンがヴォルボの眼前にたっていたのだ。
生前の『醜さ』そのままに。
「マリリアン…。」
ヴォルボには続けるべき言葉があったが、唇を裂いてこぼれる言葉は、それとはかけ
離れていた。
「大丈夫?」なわけない。死んでいるんだから。
「元気だった?」死者に向ける言葉とは思えない。
「あのさ…。」僕はと、続けようとして、口をつぐんだ。
マリリアンは、静かにヴォルボを見下ろしていた。慈しむように、女神のごとく。
「…なんでもない。」わけではないが、ここで彼女に何を言えるだろう。ヴォルボに
はマリリアンの何が分かるわけではなかった。
彼女はウォダックの手によって殺された。それだけだ。僕と彼女をつなぐ糸はあまり
にも細い。
命を懸けるほどでは決してない。結局、彼女を理由に、むりやりしていた旅だ。
ウェイスターとかいう、あの変人とも今ひとつ意見が合わないし、彼のようにはっき
りした動機があるわけじゃない。
もし、マリリアンが口を聞けたらなんと言うだろう?
「私のためなんかに、危険を冒さないで。」とでもいうだろうか。
頭上のマリリアンは何も言わない。
「違う。僕には…聞き取る権利がないんだ…。」
自己嫌悪でヴォルボの目の前はかすんだ。
「………!!」
頭上のマリリアンが何かを言っているようだった。必死に何かを訴えているような
…。
「え?なんて?聞こえない!」
ヴォルボのいうことは聞こえたのか、マリリアンは身振り手振りを交えて何かを伝え
ようとする。
手を大きく回して…
「え?なにそれ?なんか大きいの?」
首を振るマリリアン。
手のひらを外に向け、水をかくしぐさ…
「え?かえるがどうしたの?」
首を振るマリリアン。
しばし、腕を組んで黙る。そして、思いついたように、剣を振るしぐさをする。
「え?剣道始めたの?」
首を振るマリリアン。ちょっと、イラついてきたみたいだ。
指でヴォルボの来たほうをさす。
「え?来た道がなんだって?」
初めて縦に首を振る。
そして、改めて水をかくしぐさをする。
「え?来た道にかえるはいないよ。」
だいぶイラついてきたみたいだ。
いいか加減にしろといわんばかりに胸倉をつかもうとするマリリアン。実際は触れら
れないわけだから、するり抜けたわけだが。
「ちょ…、近いよマリリアン…。」
と、てれて顔をそむけるヴォルボに平手打ち(当たらない)をするマリリアン。
「顔に手を添えようとしてくれたの?ごめんね。僕が…。」
「ちがわい!こんボケナスがィッ!」と、言っているのだが伝わらないとはなんと歯
がゆい。
「え?何?なんだって?そんなに眉間にしわ寄せちゃって…。よっぽど寂しかったん
だね。大丈夫、僕もだから…。」
と、一人悦に入ってるヴォルボの胸倉をつかんで(掴めてないのだが)怒鳴り散らす
(聞こえないのだが)ともすれば唾がかかる(わけはないのだが)くらいの勢いで。
するとヴォルボは微笑んで、静かに言った。
「…大丈夫。分かってるよ。彼のトコにいけっていうんだろ?」
不意を疲れて、きょとんとしたマリリアン。
「よくわからいけど、分かってるつもりだよ。」
我ながら支離滅裂と思いながらも、それでいいのかと思った。ヴォルボはマリリアン
を背後霊に背負い、来た道を引き返し始めた。
*□■*
そのころウェイスターは、文字通りの闇にとらわれていた。
「私達がやろうとしていることは――」
言いかけてウェイスターは口ごもった。やろうとしていることは?ウォダックを討ち
世の平静を取り戻すこと…か?
「別に君を止めるつもりはないよ。この湖に潜れば、いつもの世界に帰れるんだ
ろ?」
キラミーストの言葉が本当ならば…と、ヴォルボは口には出さず付け足した。この美
しい湖に底があるのだろうか。あったとしてそれはどれくらいの深度か。なにより…
向うの世界に帰ってどうするのか。
「…ヴォルボ殿は、この地に残りいかがなさるつもりか。」
「いったろ?僕には忘れられない人がいるって。」
「しかし、なぜ今になって…!」
ヴォルボは答えず、うつむいた。その姿がなんとなく、いたたまれなくなって、ウェ
イスターも口を閉じた。もしこの世界が本当に死者の世界だというのなら、ヴォルボ
に限らず誰だって会いたい人はいる。ウェイスターとて例外ではなかった。ただ、今
はそのような感傷に浸っている場合ではない。それだけがウェイスターを突き動かす
原動力だった。
「…もういい。分かった。私は戻る。君は、すきにするといい。」
「うん。そうしよう。」
あまりにもそっけないヴォルボを尻目に、ウェイスターは湖を見下ろす。改めてその
美しさを痛感し、そして深呼吸…。
ざぶん
ウェイスターは湖の底を目指し、ひたすらに潜り続けた。
水の中は明るさが無く、まるで闇の中をもがいてるようだった。
*□■*
ウェイスターがもぐってからすでに数分が経っていた。ヴォルボは、湖のほとりに佇
んだまま、時々上がる気泡を眺めていた。
「…まだいるんだ。」
だが、もうどうでもいいことだ。彼とはここまでの縁だったわけだし、現実の世界で
ウォダックがどう暴れようと興味はない。
死者の世界でも何でもいい。
「マリリアン…。」
声に出してみた。別に、彼女の影をどこかに見たわけではない。願いとして…彼女に
今一度会いたくて、声に出した。
女々しいかな…なんて想いが、ヴォルボの心をそっとかすめた。
ヴォルボは歩いた。当てもなく、ひたすらに彼女の影を探した。探す手がかりもな
く、ふらふらと歩いているだけだったが、不思議と彼の心はマリリアンに近づいてい
る気がした。気のせいといえば確かにそうだ。しかし、それだけでも気休めにはな
る。歩いて、歩いて、歩いた。本当にここが死者の世界というのなら、彼女は居てし
かるべきだし、ドラマチックを演出したいなら再開は必然だ。
「……。」
その必然が唐突に訪れた。
何気ない道中、そっけない風の中、マリリアンがヴォルボの眼前にたっていたのだ。
生前の『醜さ』そのままに。
「マリリアン…。」
ヴォルボには続けるべき言葉があったが、唇を裂いてこぼれる言葉は、それとはかけ
離れていた。
「大丈夫?」なわけない。死んでいるんだから。
「元気だった?」死者に向ける言葉とは思えない。
「あのさ…。」僕はと、続けようとして、口をつぐんだ。
マリリアンは、静かにヴォルボを見下ろしていた。慈しむように、女神のごとく。
「…なんでもない。」わけではないが、ここで彼女に何を言えるだろう。ヴォルボに
はマリリアンの何が分かるわけではなかった。
彼女はウォダックの手によって殺された。それだけだ。僕と彼女をつなぐ糸はあまり
にも細い。
命を懸けるほどでは決してない。結局、彼女を理由に、むりやりしていた旅だ。
ウェイスターとかいう、あの変人とも今ひとつ意見が合わないし、彼のようにはっき
りした動機があるわけじゃない。
もし、マリリアンが口を聞けたらなんと言うだろう?
「私のためなんかに、危険を冒さないで。」とでもいうだろうか。
頭上のマリリアンは何も言わない。
「違う。僕には…聞き取る権利がないんだ…。」
自己嫌悪でヴォルボの目の前はかすんだ。
「………!!」
頭上のマリリアンが何かを言っているようだった。必死に何かを訴えているような
…。
「え?なんて?聞こえない!」
ヴォルボのいうことは聞こえたのか、マリリアンは身振り手振りを交えて何かを伝え
ようとする。
手を大きく回して…
「え?なにそれ?なんか大きいの?」
首を振るマリリアン。
手のひらを外に向け、水をかくしぐさ…
「え?かえるがどうしたの?」
首を振るマリリアン。
しばし、腕を組んで黙る。そして、思いついたように、剣を振るしぐさをする。
「え?剣道始めたの?」
首を振るマリリアン。ちょっと、イラついてきたみたいだ。
指でヴォルボの来たほうをさす。
「え?来た道がなんだって?」
初めて縦に首を振る。
そして、改めて水をかくしぐさをする。
「え?来た道にかえるはいないよ。」
だいぶイラついてきたみたいだ。
いいか加減にしろといわんばかりに胸倉をつかもうとするマリリアン。実際は触れら
れないわけだから、するり抜けたわけだが。
「ちょ…、近いよマリリアン…。」
と、てれて顔をそむけるヴォルボに平手打ち(当たらない)をするマリリアン。
「顔に手を添えようとしてくれたの?ごめんね。僕が…。」
「ちがわい!こんボケナスがィッ!」と、言っているのだが伝わらないとはなんと歯
がゆい。
「え?何?なんだって?そんなに眉間にしわ寄せちゃって…。よっぽど寂しかったん
だね。大丈夫、僕もだから…。」
と、一人悦に入ってるヴォルボの胸倉をつかんで(掴めてないのだが)怒鳴り散らす
(聞こえないのだが)ともすれば唾がかかる(わけはないのだが)くらいの勢いで。
するとヴォルボは微笑んで、静かに言った。
「…大丈夫。分かってるよ。彼のトコにいけっていうんだろ?」
不意を疲れて、きょとんとしたマリリアン。
「よくわからいけど、分かってるつもりだよ。」
我ながら支離滅裂と思いながらも、それでいいのかと思った。ヴォルボはマリリアン
を背後霊に背負い、来た道を引き返し始めた。
*□■*
そのころウェイスターは、文字通りの闇にとらわれていた。
PC:ヴォルボ (ウェイスター)
NPC:キラミースト・モンス・ミックス マリリアン ピエロの少年 常世の研究者
場所:常世
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
一歩、来た道を戻る。
「さあ、行こう。マリリアン。僕は君と一緒に生きるよ」
「……本当に、いいの? 他に、するべきことがあるんじゃ無い?」
マリリアンは、全てを理解したような眼差しをヴォルボに向けてくる。それでヴォルボ
は彼女が何を言おうとしているのか、マリリアンの真意を理解した。
自分はここで生きる道を選んだ。だが、自分にはこの世界でやらなければならないこと
があるようだ。この世界の謎を解くこと。この世界が何故、突如として地上に現れたのか。
その謎を解かなくては先へ進めないようだ。そんな気がする。しかもこの謎を、自分一人
で解かなければならなくなった。ウェイスターを先に行かせてしまったからだ。今にして
思えば、二人でこの謎に挑めばよかったかも知れぬ、と悔やまれる。しかし、反面、これ
で良かったのだとも思う。何故ならウェイスターにもまた、やらねばならない使命がある
からだ。マリリアンへの想いに引かれ、居残ってしまった自分。と、新たに使命を得た自
分。その両方の自分を鑑みて、フ、と苦笑する。まだまだ青いな、と。マリリアンへの想
い。まだその想いを断ち切れたわけではない。むしろ、機会があれば彼女を生き返らせた
いとさえ願っている。だが所詮無理なのだ。それが世の理というものだ。
常世。この世界の秘密を解くこと。それが今の自分に課せられた使命なのだ。
「ありがとう。マリリアン。でも僕には、この世界でやらなければならないことが出来た
んだ。だから……」
皆まで言わないで、と首を横に振るマリリアン。その仕草は、愛しい人の思考を読み取
ったかのようだ。
「ありがとう、マリリアン」と、視線で感謝の意を表するヴォルボ。そして、泉を後に
した。目的はハッキリしている。そのための手段も。先ずは、あの男にもう一度会わなく
ては。あの男はきっと何か知っているに違いないからだ。
あの男――キラミーストに、もう一度。
∵∴†∴∵
唐突に、村は蘇った。いや、蘇ったというよりも、正確には人間の世界から乖離した村
が、突如として人間界とリンクしたのだが。しかしそれは、有り得ない事だった。まず、
この世の理に反する事だったのだ。それが現実に、目の前に事実として突きつけられた。
だから、その理反する事実を追及せねばならない。それが今の自分に課せられた使命なの
だ。この事実に遭遇してしまった自分の。
闇雲に歩いているうちに、村の中央広場に辿り着いた。先程キラミーストに出会った場
所だ。目当ての男はその場にはいなかった。当たり前だ。相手は、生きて、動いている人
間。一所にいつまでもいるわけは無い。用が終わったならば、同じ場所に止まる理由が無
いからだ。
「どこへ行ったんだ……」
絶望に打ちひしがれた声音で、弱音を吐くヴォルボ。そこには、唯一の手掛かりを逃し
た、探偵気取りの姿があった。手掛かりはキラミースト唯一人。今のところ、取り敢えず
の手掛かりなのだ。彼を探さない事には情報が手に入らない。自分の欲しがってる情報も、
自分の知らない情報も。
ヴォルボは取り敢えず市場へと向かう事にした。鼻が利いたというわけではないが、そ
こに行けば何かあると思わせる何かがあるからだ。
市場では、こんな世界だというのに、色とりどりのもの、数々の品物が売られていた。
実際、この常世の世界で貨幣価値というものが存在しているのかどうか謎だった。少なく
ともここでこうして売買をしている者達にとっては、貨幣価値はまだ存在しているのだろ
う事は見て取れた。
ヴォルボは暫く見るともなしに品物を物色して歩くことにした。
その時、市場で起こった騒動が目に入ってきた。様子を見ると、どうやら一人の少年が
渦中の中心のようだった。少年のいでたちは、ざっと見常識的な外界の者から見たら不思
議、としか表現できない様な風体だった。先ず第一に目に飛び込んでくるのは、その、派
手な色合いだった。赤や緑や黄色などの原色をこれ見よがしに使っているところを見ると、
その服を作った人はどうやら感覚が普通と違っているようである。身に着けている者も当
然そうなのだが。黄色い星の柄の入った緑色の三角帽を目深に被り、ほとんど目が見えな
い。あれでどうやって歩けるのか。瞳の色はだから分からない。上着は、左右で色の違う
ジャケットを派手なボタンで留めている。ズボンも左右で色が違う。印象は、ピエロであ
る。
その、少年が、因縁をつけられて涼しい顔で笑んでいた。
ヴォルボはその少年を怪訝そうに眺めやりながらも、野次馬達の輪の中から遠ざかって
いった。今は喧騒を相手にしている場合ではない。
と、後一歩のところで後戻りの出来ないところまで遠ざかろうというところで、少年の
何気ない一言が耳に挟まった。
「――どうせこの世界は、偽りの世界なんだから――」
確か、その前後の言葉は「そんなに気にすること無いよ」だったか。
ヴォルボは愕然とした。この世界の住人である筈の、少年がそのような事を言うなど。
ならばあの少年はこの世界の住人ではないのか。もしくは、この世界の根幹に関わる重要
人物なのか。ヴォルボはそう考えると、急に彼の少年にどうしても接触しなくてはいけな
いような、居ても立ってもいられないような気分になってきた。
野次馬達の後ろをうろついていたら、少年と眼が合った。その時になって漸く、少年の
瞳を直視した。少年の瞳は、赤かった。血も滴るような紅[くれない]だった。或いは、陽
が沈む頃に見るあの、移ろうような熱っぽいような茜色だった。そして、白目がなかった。
その瞳を見たとき、ヴォルボの胸中は掻き乱された。何故だか不安感を抑えられなかった
のだ。その時のヴォルボは恐らく、不安な表情をしていただろう。
少年は、ヴォルボに興味を覚えたらしく、人ごみを掻き分け近付いてくる。
「何か用? おじさん」
おじさんという言葉は、流す事にした。
「君、先程の言葉なんだけど――」
人混みが段々疎らになり、
「ああ、偽りの世界って事?」
周囲はやがて、雑踏に満ちていく。
「ああ。君は何で――」
この少年との会話は、どうにも遣り難い。
「僕がこの世界の謎を知っているのが、そんなにおかしい?」
ああ、そうか。この少年が、相手の言葉を最後まで言い終わらせずに、被せるように発
言するからだ。だから自分は、どうにも喋り難さを感じるのだ。それはつまり、相手の言
葉をちゃんと聞いていない事になるからだ。それでもヴォルボは、諦める事をせずに言い
募る。
「君と話しが――」
すると少年はそんなヴォルボを嘲るような視線で射抜き、人差し指を唇の前で立てる仕
草をした。「しーっ、これ以上は言えないよ」という意味らしい。その仕草を見せ付けら
れたお陰で、ヴォルボは完全に虚をつかれてしまった。狐につままれた様な顔をしている。
少年は、そのまま雑踏の中に押し隠されて消えていった。
後に残されたのは、呆けたように立ち尽くすヴォルボだけだった。
∵∴†∴∵
ふと、誘惑に負けそうになるときがある。
例えば、市場に並んだ数多の食料品たち。例えば、食堂。それら食物に関するものを目
にしたとき、ふとマリリアンの面影が過ぎり、不意にそれらを口にしたくなるのだ。だが、
それらを口にすればどうなるか。想像に難くない。
「マリリアン。出来れば、君と共に生きる道を選びたい。この食物を口にすれば、そうす
れば、僕は常世の住人になれる。…………けれど、解ってる。そうすることが望ましい事
じゃない事くらい……」
そうして、人知れず溜息をつくのだ。
人混みに紛れるヴォルボの背中には、哀愁が漂っていた。
∵∴†∴∵
キラミーストに再び出会えたのは、村のちょっとした集会場になっている場所だった。
そこで、キラミーストは演説をぶっていた。何か、途方もなく壮大で厳かな語りだった。
そこに居たのは確かにキラミーストであったが、キラミーストであってキラミーストでは
なかった。威厳に満ちた風格がある。
彼が言うには、この世界は、世界であって世界で無い、とのことだった。世界から隔絶
された場所なのだという。あるいは、世界の裏側にある世界とも。ここは常世。生を捨て
てなお、死から見捨てられた者達の集う場所。その常世を研究している者がいる。その者
が夢見の竪琴を用いてこの世界と生ある世界との位相を重ねたのだという。
「それじゃ、貴方はこの世界を作った者を知っているのですか?」
ヴォルボは、物は試しと訊いてみた。
「知っているよ。案内も出来る。だが、容易に裏切る訳にはいかない」
キラミーストはそう言うが早いか、竪琴を剣に持ち替えて身構えた。
ヴォルボも、矢張り戦闘は避けられないかと、静かに溜め息を吐くと斧を正眼に構える。
キラミーストは静かに躍り掛かってきた。剣の切っ先が正眼に構えた斧の刃とぶつかる。
剣華が瞬いた。キラミーストは優男の身形をしている割には、力が強かった。なかなかに
侮れないようだ。
ヴォルボは斧を地面と水平にして、キラミーストの一撃を受け流す。反す刃でキラミー
ストの肩口を狙った。キラミーストはその一撃を剣の柄で受ける。刃と柄がぶつかる鉄音
が響き、二人はほぼ同時に飛び退った。互いに距離をとって、間合いを測りながら構え直
す。
互いに構え直した時、ヴォルボは視界の端にマリリアンの姿を認め、訝しんだ。何故、
こんなところに彼女がいるのかと。自分は彼女に何も言ってない。それなのに、何故――。
十合目まで切り結んだところで、勝負はついた。一瞬の攻防だった。
キラミーストが右足を踏み込んで渾身の一撃を放った。
それを読んでいたヴォルボは、左上段からの斬り込みを、左に体を捻る事で巧くかわす。
斬道から抜けきった所で、素早く上に向かって斧の切っ先を突き上げる。キラミーストの
顎先数センチのところで寸止めする。彼は何故か笑みを浮かべていた。
「負けたよ。君は強いね。君ならば、或いは……」
その先を言う代わりに、キラミーストは付いてくるように促した。
ヴォルボは黙って後を付いていく。その先に、きっと自分が探し求めていた答えがある
だろうからだ。
∵∴†∴∵
暗がりの中、一人の男が巨大な装置に向かっている。
男は笑っていた。だが、目は虚ろだった。
「ああ、もう直ぐだよ、アイリーン……君と僕の永遠の世界が……」
NPC:キラミースト・モンス・ミックス マリリアン ピエロの少年 常世の研究者
場所:常世
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
一歩、来た道を戻る。
「さあ、行こう。マリリアン。僕は君と一緒に生きるよ」
「……本当に、いいの? 他に、するべきことがあるんじゃ無い?」
マリリアンは、全てを理解したような眼差しをヴォルボに向けてくる。それでヴォルボ
は彼女が何を言おうとしているのか、マリリアンの真意を理解した。
自分はここで生きる道を選んだ。だが、自分にはこの世界でやらなければならないこと
があるようだ。この世界の謎を解くこと。この世界が何故、突如として地上に現れたのか。
その謎を解かなくては先へ進めないようだ。そんな気がする。しかもこの謎を、自分一人
で解かなければならなくなった。ウェイスターを先に行かせてしまったからだ。今にして
思えば、二人でこの謎に挑めばよかったかも知れぬ、と悔やまれる。しかし、反面、これ
で良かったのだとも思う。何故ならウェイスターにもまた、やらねばならない使命がある
からだ。マリリアンへの想いに引かれ、居残ってしまった自分。と、新たに使命を得た自
分。その両方の自分を鑑みて、フ、と苦笑する。まだまだ青いな、と。マリリアンへの想
い。まだその想いを断ち切れたわけではない。むしろ、機会があれば彼女を生き返らせた
いとさえ願っている。だが所詮無理なのだ。それが世の理というものだ。
常世。この世界の秘密を解くこと。それが今の自分に課せられた使命なのだ。
「ありがとう。マリリアン。でも僕には、この世界でやらなければならないことが出来た
んだ。だから……」
皆まで言わないで、と首を横に振るマリリアン。その仕草は、愛しい人の思考を読み取
ったかのようだ。
「ありがとう、マリリアン」と、視線で感謝の意を表するヴォルボ。そして、泉を後に
した。目的はハッキリしている。そのための手段も。先ずは、あの男にもう一度会わなく
ては。あの男はきっと何か知っているに違いないからだ。
あの男――キラミーストに、もう一度。
∵∴†∴∵
唐突に、村は蘇った。いや、蘇ったというよりも、正確には人間の世界から乖離した村
が、突如として人間界とリンクしたのだが。しかしそれは、有り得ない事だった。まず、
この世の理に反する事だったのだ。それが現実に、目の前に事実として突きつけられた。
だから、その理反する事実を追及せねばならない。それが今の自分に課せられた使命なの
だ。この事実に遭遇してしまった自分の。
闇雲に歩いているうちに、村の中央広場に辿り着いた。先程キラミーストに出会った場
所だ。目当ての男はその場にはいなかった。当たり前だ。相手は、生きて、動いている人
間。一所にいつまでもいるわけは無い。用が終わったならば、同じ場所に止まる理由が無
いからだ。
「どこへ行ったんだ……」
絶望に打ちひしがれた声音で、弱音を吐くヴォルボ。そこには、唯一の手掛かりを逃し
た、探偵気取りの姿があった。手掛かりはキラミースト唯一人。今のところ、取り敢えず
の手掛かりなのだ。彼を探さない事には情報が手に入らない。自分の欲しがってる情報も、
自分の知らない情報も。
ヴォルボは取り敢えず市場へと向かう事にした。鼻が利いたというわけではないが、そ
こに行けば何かあると思わせる何かがあるからだ。
市場では、こんな世界だというのに、色とりどりのもの、数々の品物が売られていた。
実際、この常世の世界で貨幣価値というものが存在しているのかどうか謎だった。少なく
ともここでこうして売買をしている者達にとっては、貨幣価値はまだ存在しているのだろ
う事は見て取れた。
ヴォルボは暫く見るともなしに品物を物色して歩くことにした。
その時、市場で起こった騒動が目に入ってきた。様子を見ると、どうやら一人の少年が
渦中の中心のようだった。少年のいでたちは、ざっと見常識的な外界の者から見たら不思
議、としか表現できない様な風体だった。先ず第一に目に飛び込んでくるのは、その、派
手な色合いだった。赤や緑や黄色などの原色をこれ見よがしに使っているところを見ると、
その服を作った人はどうやら感覚が普通と違っているようである。身に着けている者も当
然そうなのだが。黄色い星の柄の入った緑色の三角帽を目深に被り、ほとんど目が見えな
い。あれでどうやって歩けるのか。瞳の色はだから分からない。上着は、左右で色の違う
ジャケットを派手なボタンで留めている。ズボンも左右で色が違う。印象は、ピエロであ
る。
その、少年が、因縁をつけられて涼しい顔で笑んでいた。
ヴォルボはその少年を怪訝そうに眺めやりながらも、野次馬達の輪の中から遠ざかって
いった。今は喧騒を相手にしている場合ではない。
と、後一歩のところで後戻りの出来ないところまで遠ざかろうというところで、少年の
何気ない一言が耳に挟まった。
「――どうせこの世界は、偽りの世界なんだから――」
確か、その前後の言葉は「そんなに気にすること無いよ」だったか。
ヴォルボは愕然とした。この世界の住人である筈の、少年がそのような事を言うなど。
ならばあの少年はこの世界の住人ではないのか。もしくは、この世界の根幹に関わる重要
人物なのか。ヴォルボはそう考えると、急に彼の少年にどうしても接触しなくてはいけな
いような、居ても立ってもいられないような気分になってきた。
野次馬達の後ろをうろついていたら、少年と眼が合った。その時になって漸く、少年の
瞳を直視した。少年の瞳は、赤かった。血も滴るような紅[くれない]だった。或いは、陽
が沈む頃に見るあの、移ろうような熱っぽいような茜色だった。そして、白目がなかった。
その瞳を見たとき、ヴォルボの胸中は掻き乱された。何故だか不安感を抑えられなかった
のだ。その時のヴォルボは恐らく、不安な表情をしていただろう。
少年は、ヴォルボに興味を覚えたらしく、人ごみを掻き分け近付いてくる。
「何か用? おじさん」
おじさんという言葉は、流す事にした。
「君、先程の言葉なんだけど――」
人混みが段々疎らになり、
「ああ、偽りの世界って事?」
周囲はやがて、雑踏に満ちていく。
「ああ。君は何で――」
この少年との会話は、どうにも遣り難い。
「僕がこの世界の謎を知っているのが、そんなにおかしい?」
ああ、そうか。この少年が、相手の言葉を最後まで言い終わらせずに、被せるように発
言するからだ。だから自分は、どうにも喋り難さを感じるのだ。それはつまり、相手の言
葉をちゃんと聞いていない事になるからだ。それでもヴォルボは、諦める事をせずに言い
募る。
「君と話しが――」
すると少年はそんなヴォルボを嘲るような視線で射抜き、人差し指を唇の前で立てる仕
草をした。「しーっ、これ以上は言えないよ」という意味らしい。その仕草を見せ付けら
れたお陰で、ヴォルボは完全に虚をつかれてしまった。狐につままれた様な顔をしている。
少年は、そのまま雑踏の中に押し隠されて消えていった。
後に残されたのは、呆けたように立ち尽くすヴォルボだけだった。
∵∴†∴∵
ふと、誘惑に負けそうになるときがある。
例えば、市場に並んだ数多の食料品たち。例えば、食堂。それら食物に関するものを目
にしたとき、ふとマリリアンの面影が過ぎり、不意にそれらを口にしたくなるのだ。だが、
それらを口にすればどうなるか。想像に難くない。
「マリリアン。出来れば、君と共に生きる道を選びたい。この食物を口にすれば、そうす
れば、僕は常世の住人になれる。…………けれど、解ってる。そうすることが望ましい事
じゃない事くらい……」
そうして、人知れず溜息をつくのだ。
人混みに紛れるヴォルボの背中には、哀愁が漂っていた。
∵∴†∴∵
キラミーストに再び出会えたのは、村のちょっとした集会場になっている場所だった。
そこで、キラミーストは演説をぶっていた。何か、途方もなく壮大で厳かな語りだった。
そこに居たのは確かにキラミーストであったが、キラミーストであってキラミーストでは
なかった。威厳に満ちた風格がある。
彼が言うには、この世界は、世界であって世界で無い、とのことだった。世界から隔絶
された場所なのだという。あるいは、世界の裏側にある世界とも。ここは常世。生を捨て
てなお、死から見捨てられた者達の集う場所。その常世を研究している者がいる。その者
が夢見の竪琴を用いてこの世界と生ある世界との位相を重ねたのだという。
「それじゃ、貴方はこの世界を作った者を知っているのですか?」
ヴォルボは、物は試しと訊いてみた。
「知っているよ。案内も出来る。だが、容易に裏切る訳にはいかない」
キラミーストはそう言うが早いか、竪琴を剣に持ち替えて身構えた。
ヴォルボも、矢張り戦闘は避けられないかと、静かに溜め息を吐くと斧を正眼に構える。
キラミーストは静かに躍り掛かってきた。剣の切っ先が正眼に構えた斧の刃とぶつかる。
剣華が瞬いた。キラミーストは優男の身形をしている割には、力が強かった。なかなかに
侮れないようだ。
ヴォルボは斧を地面と水平にして、キラミーストの一撃を受け流す。反す刃でキラミー
ストの肩口を狙った。キラミーストはその一撃を剣の柄で受ける。刃と柄がぶつかる鉄音
が響き、二人はほぼ同時に飛び退った。互いに距離をとって、間合いを測りながら構え直
す。
互いに構え直した時、ヴォルボは視界の端にマリリアンの姿を認め、訝しんだ。何故、
こんなところに彼女がいるのかと。自分は彼女に何も言ってない。それなのに、何故――。
十合目まで切り結んだところで、勝負はついた。一瞬の攻防だった。
キラミーストが右足を踏み込んで渾身の一撃を放った。
それを読んでいたヴォルボは、左上段からの斬り込みを、左に体を捻る事で巧くかわす。
斬道から抜けきった所で、素早く上に向かって斧の切っ先を突き上げる。キラミーストの
顎先数センチのところで寸止めする。彼は何故か笑みを浮かべていた。
「負けたよ。君は強いね。君ならば、或いは……」
その先を言う代わりに、キラミーストは付いてくるように促した。
ヴォルボは黙って後を付いていく。その先に、きっと自分が探し求めていた答えがある
だろうからだ。
∵∴†∴∵
暗がりの中、一人の男が巨大な装置に向かっている。
男は笑っていた。だが、目は虚ろだった。
「ああ、もう直ぐだよ、アイリーン……君と僕の永遠の世界が……」
PC:ギゼー メデッタ (サノレ アイリス エスト)
NPC:リング ニーニャ ニーニャの母親
場所:白の遺跡~ソフィニア市街
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
かくして、白の遺跡と呼ばれていた遺跡は脆くも崩れ去った。
轟音と共に崩れ行く遺跡を目の当たりにしながら、ギゼーはひざまづいて力
なく肩を落とし、呆然と眺めるしかなかった。
崩れ行く遺跡を眺めながら、ギゼーは息苦しさを感じていた。胸が痛い。目
頭が熱くなっていく。愛すべき遺跡が無くなっていく事に、ギゼーは耐え難か
った。
物心ついた頃から遺跡の中で育った。それは、父親がトレジャーハンターだ
からとか、そういう意味だけでなく本当に遺跡の中の匂いとか、雰囲気とか、
そういった存在そのものが好きだったのだ。だから自分は積極的に遺跡の中を
散策してきた。ちょっとした探検気分を味わいたかったからかもしれない。普
通の男の子にありがちな、スリルを味わうという感覚。ギゼーは崩れ行く遺跡
を目の当たりにしながら、昔の事に思いを馳せている自分に戸惑いを感じてい
た。
「……嗚呼、遺跡が……」
「ギゼー君。君の気持ちは分かるが、今は呆然としている場合じゃないぞ」
呆然とするギゼーに、鞭を打つような言葉を投げかけたのはリングを背負っ
たメデッタだった。
「早くリングを病院に連れて行かなくては」
メデッタさんはリングちゃんの事を、本当に大切に思っているんだな。ギゼ
ーは思考の停止した頭の中を過ぎったその言葉を覚えると、虚ろに笑った。
遺跡よりもリングちゃんのほうが大事か。ああ、そうか。それもそうだな。
ギゼーはやっとの思いでそれだけを思うと、徐に立ち上がって無理やり笑顔
を作って見せた。
「ああ、それもそうですね。メデッタさんの言うとおりだ。早くリングちゃん
を病院に連れて行かなくては」
とはいえ、病院に連れて行ったからといってどうにか成るような状況ではな
いだろうが。少なくともここにじっと蹲っているよりは遥かに有益な行動であ
る。
「ここから近い街というと……ええっと……」
血の巡りが悪くなった頭で必死に答えを導き出そうと試みるギゼー。
「ソフィニアだよ。ギゼー君」
そんなギゼーを見かねてさり気なくフォローするメデッタ。
息はばっちり合っているようである。
∞∞∞∞∞∞∞∞
ソフィニアの街は、噂話で溢れていた。
独り言の多いはだけ男の噂や、向こうが透けて見えそうな男の噂、中には連
続殺人事件の噂などもあった。烏がやたら騒いで夜も眠れなかったという話も
聞こえてくる。
そんな噂話など耳に入らずといった風体で、ギゼーと、リングをおぶったメ
デッタは、大通りを歩いていく。目指すはソフィニアの街中に唯一有る病院
だ。比較的大きな建物だから直ぐにでも目に付くだろう。そんな気楽さも伴っ
てか、ギゼーは通りを物色しながら歩いている。何の物色かは想像に難くな
い。その瞳が女性の後姿ばかりを追っている事からも、ナンパな心が働いてい
る事は目に見えて明らかだった。
そんなギゼーを見かねてか、メデッタは先を促す。
「ギゼー君。今は寄り道なんてしている場合じゃないぞ」
ギゼーはそんなメデッタの親心に、空返事で答えるだけだった。
ふとギゼーは、視界の端に違和感を感じた。
不審に思って見ると、栗色の髪も鮮やかな一人の少女が通りをギゼー達とは
反対の方向へ駆けて行くところだった。その表情には笑みが浮かんでいる。朱
色の瞳を明るく輝かせて、愉しげに走っていく。淡い桃色のワンピース。その
裾が、ギゼーの直ぐ横をひらめかせながら過ぎる瞬間に――少女は消えた。
忽然と。
ギゼーがはっとして振り返ると、少女が消えた辺りの石畳には魔方陣らしき
文様が刻み込まれていた。まるで、その上で炎か何かが燃えたように魔法陣が
くっきりと焦げ付いて残っていたのだ。
(――魔法!?)
「ギゼー君、どうしたね?」
メデッタの声にそちらを向くと、いつまでたってもついて来ないギゼーを心
配そうに見詰めるメデッタの姿があった。
「い、いや、今、“可愛い”女の子が消えて……」
「まぁた、可愛い女の子……か。君はこんなときに……」
メデッタは、呆れてものも言えないという風に肩を竦めて見せた。
その時、不意にメデッタの後方、二人が向かっていた先の方から悲痛な叫び
声が上がった。
「ニーニャ! ニーニャがっ!」
声のした方を見ると、一人の女性が頬に両手をあてがって佇んでいた。驚愕
の表情を張り付かせて。目は、今しがた少女が消えた辺りに向けて見開かれて
いる。膝をガクガクと小刻みに震えさせ、今にもくず折れそうだ。彼女の向こ
うには、金と黒のツートンカラーの髪の少女が居て、声を掛けようと歩み寄ろ
うとしている。
(――ニーニャ?)
NPC:リング ニーニャ ニーニャの母親
場所:白の遺跡~ソフィニア市街
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
かくして、白の遺跡と呼ばれていた遺跡は脆くも崩れ去った。
轟音と共に崩れ行く遺跡を目の当たりにしながら、ギゼーはひざまづいて力
なく肩を落とし、呆然と眺めるしかなかった。
崩れ行く遺跡を眺めながら、ギゼーは息苦しさを感じていた。胸が痛い。目
頭が熱くなっていく。愛すべき遺跡が無くなっていく事に、ギゼーは耐え難か
った。
物心ついた頃から遺跡の中で育った。それは、父親がトレジャーハンターだ
からとか、そういう意味だけでなく本当に遺跡の中の匂いとか、雰囲気とか、
そういった存在そのものが好きだったのだ。だから自分は積極的に遺跡の中を
散策してきた。ちょっとした探検気分を味わいたかったからかもしれない。普
通の男の子にありがちな、スリルを味わうという感覚。ギゼーは崩れ行く遺跡
を目の当たりにしながら、昔の事に思いを馳せている自分に戸惑いを感じてい
た。
「……嗚呼、遺跡が……」
「ギゼー君。君の気持ちは分かるが、今は呆然としている場合じゃないぞ」
呆然とするギゼーに、鞭を打つような言葉を投げかけたのはリングを背負っ
たメデッタだった。
「早くリングを病院に連れて行かなくては」
メデッタさんはリングちゃんの事を、本当に大切に思っているんだな。ギゼ
ーは思考の停止した頭の中を過ぎったその言葉を覚えると、虚ろに笑った。
遺跡よりもリングちゃんのほうが大事か。ああ、そうか。それもそうだな。
ギゼーはやっとの思いでそれだけを思うと、徐に立ち上がって無理やり笑顔
を作って見せた。
「ああ、それもそうですね。メデッタさんの言うとおりだ。早くリングちゃん
を病院に連れて行かなくては」
とはいえ、病院に連れて行ったからといってどうにか成るような状況ではな
いだろうが。少なくともここにじっと蹲っているよりは遥かに有益な行動であ
る。
「ここから近い街というと……ええっと……」
血の巡りが悪くなった頭で必死に答えを導き出そうと試みるギゼー。
「ソフィニアだよ。ギゼー君」
そんなギゼーを見かねてさり気なくフォローするメデッタ。
息はばっちり合っているようである。
∞∞∞∞∞∞∞∞
ソフィニアの街は、噂話で溢れていた。
独り言の多いはだけ男の噂や、向こうが透けて見えそうな男の噂、中には連
続殺人事件の噂などもあった。烏がやたら騒いで夜も眠れなかったという話も
聞こえてくる。
そんな噂話など耳に入らずといった風体で、ギゼーと、リングをおぶったメ
デッタは、大通りを歩いていく。目指すはソフィニアの街中に唯一有る病院
だ。比較的大きな建物だから直ぐにでも目に付くだろう。そんな気楽さも伴っ
てか、ギゼーは通りを物色しながら歩いている。何の物色かは想像に難くな
い。その瞳が女性の後姿ばかりを追っている事からも、ナンパな心が働いてい
る事は目に見えて明らかだった。
そんなギゼーを見かねてか、メデッタは先を促す。
「ギゼー君。今は寄り道なんてしている場合じゃないぞ」
ギゼーはそんなメデッタの親心に、空返事で答えるだけだった。
ふとギゼーは、視界の端に違和感を感じた。
不審に思って見ると、栗色の髪も鮮やかな一人の少女が通りをギゼー達とは
反対の方向へ駆けて行くところだった。その表情には笑みが浮かんでいる。朱
色の瞳を明るく輝かせて、愉しげに走っていく。淡い桃色のワンピース。その
裾が、ギゼーの直ぐ横をひらめかせながら過ぎる瞬間に――少女は消えた。
忽然と。
ギゼーがはっとして振り返ると、少女が消えた辺りの石畳には魔方陣らしき
文様が刻み込まれていた。まるで、その上で炎か何かが燃えたように魔法陣が
くっきりと焦げ付いて残っていたのだ。
(――魔法!?)
「ギゼー君、どうしたね?」
メデッタの声にそちらを向くと、いつまでたってもついて来ないギゼーを心
配そうに見詰めるメデッタの姿があった。
「い、いや、今、“可愛い”女の子が消えて……」
「まぁた、可愛い女の子……か。君はこんなときに……」
メデッタは、呆れてものも言えないという風に肩を竦めて見せた。
その時、不意にメデッタの後方、二人が向かっていた先の方から悲痛な叫び
声が上がった。
「ニーニャ! ニーニャがっ!」
声のした方を見ると、一人の女性が頬に両手をあてがって佇んでいた。驚愕
の表情を張り付かせて。目は、今しがた少女が消えた辺りに向けて見開かれて
いる。膝をガクガクと小刻みに震えさせ、今にもくず折れそうだ。彼女の向こ
うには、金と黒のツートンカラーの髪の少女が居て、声を掛けようと歩み寄ろ
うとしている。
(――ニーニャ?)
PC:ギゼー メデッタ サノレ (アイリス エスト)
NPC:リング ニーニャの母 看護婦×2
場所:ソフィニア市街・病院
----------------------------------------------
ソフィニアの印象は、ひとことでいえば「なんでもあり」だった。
尖った耳のエルフや尻尾の生えた半獣人、お揃いの制服を着た学生、魔法の力で走る
列車、この街では当たり前なものごとも、サノレにとっては初めて目にするものだっ
た。
そんな街では、人が消えるのも珍しくないことなのかと思ったが――
「ニーニャ!ニーニャがっ!」
どうやらそういうわけでもないらしい。
少女の母親と思しき婦人はすっかり狼狽しきっていた。
それなのに、周囲の通行人ときたらただ少女の消えたあたりを取り巻くだけで、彼女
には見向きもしない。
人間の本性は、世界のどこでもこんなものなのだろうか。
「だいじょうーぶ?」
サノレは婦人に声をかけた。誰もやらないなら、自分がやればいいだけのことだ。
だが、返事はない。
もう一度声をかけようとサノレが口を開いた瞬間、婦人は卒倒した。
魔方陣を取り巻いていた人々がざわめく。
(今さら騒いだって遅いのよ、あんたーら!)
サノレが慌てて彼女を助け起こしたが、意識がない。
呼吸はあるから命の心配はないだろうが、だからといって放っておくわけにもゆくま
い。
お人好しな自分に半ば呆れながら、サノレは彼女を担ぎ上げた。
「病院はどこなーの?!」
野次馬のひとりが道の向こうを指さす。
婦人を担いだサノレが歩き出すと、野次馬の列が割れる。
数歩歩いたところで、急に肩が軽くなった。怪訝に思ったサノレが横を向くと、栗色
の髪の男が婦人のもう一方の腕を担いでいる。
「手伝うぜ、お嬢さん」
男はそう言って笑うと、少し先に佇む、少女を背負った黒ずくめの男に目で合図し
た。
黒ずくめの男は、苦笑しながらもしっかりと頷く。
その黒ずくめの男を視界に捉えたサノレは、思わず呟いていた。
「素敵なおじさま……!」
* * * * *
栗色の髪のおにーさんは、トレジャーハンターのギゼー。
黒ずくめのおじさまは、メデッタ。
そしてメデッタが背負っていた女の子は、リング。
三人はソフィニアの近くにある遺跡を探検してきたばかりなのだという。
遺跡探検。
それもまた、サノレには新鮮な響きだった。
「…ところで、あのご婦人はどうして倒れたんだね?」
婦人とリングを医者に預けた後、待合室の長椅子で、おもむろにメデッタはそう切
り出した。
考えれば考えるほどにリングが心配になって、何かを話すことで気を紛らわせなけれ
ばとても堪えられそうになかったのだ。
だが、ギゼーは看護婦をナンパしに行ったまま帰ってこないため、仕方なくこの少女
を話し相手に選んだのだった。
「子供が消えたのーよ」
「消えた?それはまた、奇妙な話だな」
「だけど本当なのーよ」
こういう形の模様があってーね、と、指で空に図形を描く。
「これは…魔方陣か?」
「うーん、あたし魔法はよくわかんないけーど」
メデッタがもう少し詳しい説明を求めると、サノレは肩にかけたポシェットから紙と
鉛筆を取り出し、さらさらとそれを書き表してみせた。
サノレの描いた図を見て、ほう、とメデッタは感嘆の声をあげた。
完全なのだ。
彼女は「魔法はよくわからない」と言ったにもかかわらず、相当の知識がなければ描
けない複雑な魔方陣を完璧に再現したのだ。これは、普通の人間の記憶力ではまず為
し得ない業だった。
「お嬢さん、何者だ?」
メデッタの眼光が鋭くサノレを射る。
だが、何故かサノレは頬を赤らめて俯く。
「おじさま、あたしが気になるーの?きゃー、嬉しーい!」
「そういうことではなくてだな…」
「あたし、おじさまのためなら何でもするーよ?」
「…………」
何か根本的な行き違いが生じているような気がして、メデッタは閉口した。
サノレの瞳はきらきらと輝き、上目遣いで彼を見上げている。
可愛らしさをアピールしているつもりなのだろうか。
彼の嫌いな赤い色をした瞳で?
「あ、看護婦さんが来たーよ?」
サノレはそう言うが、看護婦など姿も見当たらなければ足音もしない。
メデッタが怪訝な顔で彼女の横顔を見たそのとき、彼の耳は看護婦の足音をとらえ
た。
決して彼の耳が悪いのではない。サノレの聴覚が鋭いのだ。
メデッタの表情に驚きの色が浮かぶ。
年配の看護婦は彼を一瞥すると、手元のカルテをぱらぱらとめくった。
「リングさんのお連れの方ですか?」
「いかにも」
「診察室へお入りください」
メデッタは看護婦に伴われて診察室へ消えていった。
それと入れ違いに、別の看護婦がサノレを呼ぶ。
* * * * *
廊下を進み、階段を登って、また廊下を進む。
そんなことを繰り返して行き着いたのは、古びた白いドアの前だった。
「どうぞ」
看護婦が慇懃にドアを開け、サノレが部屋に足を踏み入れる。
そしてドアが閉められた、次の瞬間。
「死ねぇっ!」
棍棒のように形を変えた看護婦の両腕が振り下ろされる。
サノレが素早く身をかわすと、看護婦の腕は石造りの床を砕き、そのまま深くめりこ
んだ。まさかかわされるとは思っていなかったのか、看護婦の顔に驚愕の色が浮か
ぶ。
次なる一撃を繰り出すためになんとかして腕を引き抜こうとしているが、その大きな
隙をサノレが見逃すはずもなかった。
横向きの体勢からそのまま反動をつけ、看護婦の頭部めがけて回し蹴りを放つ。
だが、サノレの脚は空を切った。
「えっ!?」
バランスを崩してよろめくサノレ。
そして次に振り向いた瞬間、そこに残されていたのは、黒く焼け焦げたような魔方陣
の跡だけだった。
(またこれなーの?)
少女が消えたときにも焦げたような跡。
そして、今またここに焦げたような跡。
その間には何か関係があるのかも知れないな、とぼんやり思うくらいがサノレの思考
力の限界だったが、この不思議な図形は既に彼女の興味を強く惹き付けていた。
サノレはポシェットから取り出した紙と鉛筆でその図形をきっちり書き留めると、ド
アノブに手をかけようとした。
だが、ないのだ。
確かにドアをくぐってこの部屋に入ったはずなのに、そのドアがあったはずの場所に
今あるのは、真っ白いつるりとした壁だけ。
押したり、叩いたり、蹴ったりしてみたが、それでも壁はびくともしない。
おまけに、壁の向こうに人の気配はなく、誰かに助けて貰うという選択肢はないらし
い。
そうなると、残された脱出口は。
「窓しかないのーね……」
カーテンもなければ雨戸もない、剥き出しの窓。
ドアがなければ、確かにそこから出るのが道理というものだろう。
だが、ここは一階や二階ではない。飛び降りるのに失敗すれば、見るも無残なことに
なることは明らかだった。
身を乗り出して、外壁に足掛かりになりそうな部分がないかどうか探してみるが、丁
度良い具合の場所は見当たらない。
次に、下を覗き込んでみる。
薄暗く狭い路地裏にはゴミが散乱し、野良犬や鴉が餌を漁っている。
麻袋に詰められたゴミの山が緩衝材代わりになってくれそうではあるが、さすがに自
分からゴミに飛び込むのは抵抗がある。
しかし、いつまでもここで逡巡している暇はなかった。
ひょっとしたらあの婦人だって、もしかしたらギゼーやメデッタやリングだって危険
に晒されているかも知れないのだ。
そう、それに、汚れたってどこかで体を洗えばいいだけではないか。
と、半ば無理矢理に自分を納得させ、サノレは窓枠に脚をかける。
改めて下を見ると、もし失敗したら、という恐怖心が頭をもたげてくる。
それでも。
飛び降りなければどうしようもないのだから。
大きく深呼吸をすると、サノレはひと思いに窓枠を蹴った。
* * * * *
「……嬢さん?お嬢さん?」
誰かが肩を揺する。
ゆっくりとサノレが目を開けると、そこにはメデッタの顔があった。
ふたりの目が一瞬だけ合ったが、彼女の瞳を直視してしまったメデッタはすぐに目を
逸らした。
「若い女性が公共の場で眠りこけるのは感心しないな」
「あれ…ここーは?」
サノレは驚いて辺りを見回した。
彼女のいる場所は、ゴミの山の中でもなければ、死後の世界でもなかった。
あの看護婦に呼ばれる前に座っていた、待合室の長椅子だった。
あれは、夢だったのだろうか?
ポシェットの中から、紙の束を取り出す。
ぱらぱらと数枚めくり、あのときメデッタに解説した魔方陣が描いてある次のページ
には。
「あれ、あったーよ?」
看護婦が消えた場所にくっきりと残っていた図形がそのまま書き写してあった。
素っ頓狂な声をあげるサノレに驚いたのか、メデッタは「何があったんだね?」と訝
しげな表情で彼女の手元を覗き込んだ。
「これは?」
「さっき看護婦さんが消えたときにあったんだーよ」
「看護婦?」
メデッタは何が何だか解らないといった顔でサノレを見た。
ちょうどそのとき、ギゼーが戻ってきた。
苦虫を噛み潰したような表情からして、どうやらナンパの成果は芳しくなかったらし
い。
「どこへ行っていたのだね、ギゼー君」
「まぁ、いろいろとね。で、リングちゃん、どうだって?」
「とりあえず数日入院させることになったが…………いや、なんでもない」
「そうか、それじゃしばらくはソフィニアにいることになるな」
メデッタは口をつぐんだが、表情を見れば彼が何かを隠しているのは明らかだった。
だが、ギゼーは敢えてそれを問わなかった。
それが彼なりの思いやりだったし、メデッタもそれを察していた。
だが、やはりその場には重々しい空気が漂いはじめていた。
「おにーさん、消えちゃった看護婦さん知らなーい?」
空気が読めないというべきか、それとも助け舟を出したというべきか、サノレが彼ら
の間に割って入る。
「看護婦?」
そうそう、と、メデッタが妙に明るい声で相槌を打った。
そして、サノレの手にしている紙束を指し示す。
「これを見給え、ギゼー君」
「魔方陣…か?」
「うむ、その通りだ。このお嬢さんの言い分を信じるなら、君と彼女の担いできたご
婦人の娘さんがこの魔方陣で消え」
一枚目の紙に描かれた魔方陣の外側を、メデッタの指がなぞる。
「そして、彼女の出会った看護婦がこの魔方陣で消えた」
二枚目の紙に描かれたそれも、同じようにしてなぞる。
「偶然の一致にしてはできすぎていると思わないかね?」
ギゼーは無言で頷く。
看護婦が消えたというのは自分が見たわけではなかったが、恐らく事実なのだろう。
彼女の言い分を有り得ないと否定するのなら、あの婦人の娘――ニーニャとかいった
か?――が雑踏の真ん中で掻き消えたことも同じように有り得ないと否定されるべき
であろう。
だが、ニーニャが消えたのはこの目で見たし、サノレだって見ているし、他の大勢の
通行人も目の当たりにしている、紛れもない事実なのである。
万一それが幻であっても、白昼の街中で大勢が幻を見たとなれば、それはそれで事件
だといえる。
「面白いな」
ギゼーは不敵な笑みを浮かべた。
この事件には何かがある。
トレジャーハンターの直感がそう告げていた。
「メデッタさん、面白い話を拾ったな」
「礼なら、このお嬢さんに言ってくれ給え」
よく事情を呑み込めていない当のサノレは、うっとりとした目つきでただただメデッ
タを見つめている。
「お嬢さん、ギゼー君が話があるそうだ」
「なーに?」
サノレの視線がギゼーに向くと、やれやれといった風にメデッタは苦笑した。
どうやら、サノレの熱烈アピールも今のところ全く効果がないようだ。
「お嬢さん、この街の人か?」
「違うーよ」
「それじゃ、冒険者か?」
「んー、そういうわけでもないけーど。いろんな人についてって旅してたんだーよ」
「それは冒険者っていうんじゃないのか…?」
そうかーも、とサノレはあどけなく笑う。
「まぁ、いいか。とにかく、この事件を解決する気はないか?」
「あれ、なーに?おにーさんたちも手伝ってくれるーの?」
どうやら、目的は一致していたらしい。
ギゼーが右手を差し出すと、サノレはその手をしっかりと握った。
(格好悪くはないけど、あたしの好みとはちょっと違うわーね)
(あと五年もすればいい女になるかも知れないが、まだまだだな…)
視線を交わした瞬間、サノレとギゼーはお互いをそう値踏みしていた。
だが、お互いがそれを知ることはないだろう。
医師の話によれば、婦人の意識はもうすぐ戻るはずだという。
だが、サノレの「なんかおなかが減ったーわ」の一言で、街で遅めの昼食をとること
になった。
だが、そこにもまた一連の事件の種は転がっていたのだった。
NPC:リング ニーニャの母 看護婦×2
場所:ソフィニア市街・病院
----------------------------------------------
ソフィニアの印象は、ひとことでいえば「なんでもあり」だった。
尖った耳のエルフや尻尾の生えた半獣人、お揃いの制服を着た学生、魔法の力で走る
列車、この街では当たり前なものごとも、サノレにとっては初めて目にするものだっ
た。
そんな街では、人が消えるのも珍しくないことなのかと思ったが――
「ニーニャ!ニーニャがっ!」
どうやらそういうわけでもないらしい。
少女の母親と思しき婦人はすっかり狼狽しきっていた。
それなのに、周囲の通行人ときたらただ少女の消えたあたりを取り巻くだけで、彼女
には見向きもしない。
人間の本性は、世界のどこでもこんなものなのだろうか。
「だいじょうーぶ?」
サノレは婦人に声をかけた。誰もやらないなら、自分がやればいいだけのことだ。
だが、返事はない。
もう一度声をかけようとサノレが口を開いた瞬間、婦人は卒倒した。
魔方陣を取り巻いていた人々がざわめく。
(今さら騒いだって遅いのよ、あんたーら!)
サノレが慌てて彼女を助け起こしたが、意識がない。
呼吸はあるから命の心配はないだろうが、だからといって放っておくわけにもゆくま
い。
お人好しな自分に半ば呆れながら、サノレは彼女を担ぎ上げた。
「病院はどこなーの?!」
野次馬のひとりが道の向こうを指さす。
婦人を担いだサノレが歩き出すと、野次馬の列が割れる。
数歩歩いたところで、急に肩が軽くなった。怪訝に思ったサノレが横を向くと、栗色
の髪の男が婦人のもう一方の腕を担いでいる。
「手伝うぜ、お嬢さん」
男はそう言って笑うと、少し先に佇む、少女を背負った黒ずくめの男に目で合図し
た。
黒ずくめの男は、苦笑しながらもしっかりと頷く。
その黒ずくめの男を視界に捉えたサノレは、思わず呟いていた。
「素敵なおじさま……!」
* * * * *
栗色の髪のおにーさんは、トレジャーハンターのギゼー。
黒ずくめのおじさまは、メデッタ。
そしてメデッタが背負っていた女の子は、リング。
三人はソフィニアの近くにある遺跡を探検してきたばかりなのだという。
遺跡探検。
それもまた、サノレには新鮮な響きだった。
「…ところで、あのご婦人はどうして倒れたんだね?」
婦人とリングを医者に預けた後、待合室の長椅子で、おもむろにメデッタはそう切
り出した。
考えれば考えるほどにリングが心配になって、何かを話すことで気を紛らわせなけれ
ばとても堪えられそうになかったのだ。
だが、ギゼーは看護婦をナンパしに行ったまま帰ってこないため、仕方なくこの少女
を話し相手に選んだのだった。
「子供が消えたのーよ」
「消えた?それはまた、奇妙な話だな」
「だけど本当なのーよ」
こういう形の模様があってーね、と、指で空に図形を描く。
「これは…魔方陣か?」
「うーん、あたし魔法はよくわかんないけーど」
メデッタがもう少し詳しい説明を求めると、サノレは肩にかけたポシェットから紙と
鉛筆を取り出し、さらさらとそれを書き表してみせた。
サノレの描いた図を見て、ほう、とメデッタは感嘆の声をあげた。
完全なのだ。
彼女は「魔法はよくわからない」と言ったにもかかわらず、相当の知識がなければ描
けない複雑な魔方陣を完璧に再現したのだ。これは、普通の人間の記憶力ではまず為
し得ない業だった。
「お嬢さん、何者だ?」
メデッタの眼光が鋭くサノレを射る。
だが、何故かサノレは頬を赤らめて俯く。
「おじさま、あたしが気になるーの?きゃー、嬉しーい!」
「そういうことではなくてだな…」
「あたし、おじさまのためなら何でもするーよ?」
「…………」
何か根本的な行き違いが生じているような気がして、メデッタは閉口した。
サノレの瞳はきらきらと輝き、上目遣いで彼を見上げている。
可愛らしさをアピールしているつもりなのだろうか。
彼の嫌いな赤い色をした瞳で?
「あ、看護婦さんが来たーよ?」
サノレはそう言うが、看護婦など姿も見当たらなければ足音もしない。
メデッタが怪訝な顔で彼女の横顔を見たそのとき、彼の耳は看護婦の足音をとらえ
た。
決して彼の耳が悪いのではない。サノレの聴覚が鋭いのだ。
メデッタの表情に驚きの色が浮かぶ。
年配の看護婦は彼を一瞥すると、手元のカルテをぱらぱらとめくった。
「リングさんのお連れの方ですか?」
「いかにも」
「診察室へお入りください」
メデッタは看護婦に伴われて診察室へ消えていった。
それと入れ違いに、別の看護婦がサノレを呼ぶ。
* * * * *
廊下を進み、階段を登って、また廊下を進む。
そんなことを繰り返して行き着いたのは、古びた白いドアの前だった。
「どうぞ」
看護婦が慇懃にドアを開け、サノレが部屋に足を踏み入れる。
そしてドアが閉められた、次の瞬間。
「死ねぇっ!」
棍棒のように形を変えた看護婦の両腕が振り下ろされる。
サノレが素早く身をかわすと、看護婦の腕は石造りの床を砕き、そのまま深くめりこ
んだ。まさかかわされるとは思っていなかったのか、看護婦の顔に驚愕の色が浮か
ぶ。
次なる一撃を繰り出すためになんとかして腕を引き抜こうとしているが、その大きな
隙をサノレが見逃すはずもなかった。
横向きの体勢からそのまま反動をつけ、看護婦の頭部めがけて回し蹴りを放つ。
だが、サノレの脚は空を切った。
「えっ!?」
バランスを崩してよろめくサノレ。
そして次に振り向いた瞬間、そこに残されていたのは、黒く焼け焦げたような魔方陣
の跡だけだった。
(またこれなーの?)
少女が消えたときにも焦げたような跡。
そして、今またここに焦げたような跡。
その間には何か関係があるのかも知れないな、とぼんやり思うくらいがサノレの思考
力の限界だったが、この不思議な図形は既に彼女の興味を強く惹き付けていた。
サノレはポシェットから取り出した紙と鉛筆でその図形をきっちり書き留めると、ド
アノブに手をかけようとした。
だが、ないのだ。
確かにドアをくぐってこの部屋に入ったはずなのに、そのドアがあったはずの場所に
今あるのは、真っ白いつるりとした壁だけ。
押したり、叩いたり、蹴ったりしてみたが、それでも壁はびくともしない。
おまけに、壁の向こうに人の気配はなく、誰かに助けて貰うという選択肢はないらし
い。
そうなると、残された脱出口は。
「窓しかないのーね……」
カーテンもなければ雨戸もない、剥き出しの窓。
ドアがなければ、確かにそこから出るのが道理というものだろう。
だが、ここは一階や二階ではない。飛び降りるのに失敗すれば、見るも無残なことに
なることは明らかだった。
身を乗り出して、外壁に足掛かりになりそうな部分がないかどうか探してみるが、丁
度良い具合の場所は見当たらない。
次に、下を覗き込んでみる。
薄暗く狭い路地裏にはゴミが散乱し、野良犬や鴉が餌を漁っている。
麻袋に詰められたゴミの山が緩衝材代わりになってくれそうではあるが、さすがに自
分からゴミに飛び込むのは抵抗がある。
しかし、いつまでもここで逡巡している暇はなかった。
ひょっとしたらあの婦人だって、もしかしたらギゼーやメデッタやリングだって危険
に晒されているかも知れないのだ。
そう、それに、汚れたってどこかで体を洗えばいいだけではないか。
と、半ば無理矢理に自分を納得させ、サノレは窓枠に脚をかける。
改めて下を見ると、もし失敗したら、という恐怖心が頭をもたげてくる。
それでも。
飛び降りなければどうしようもないのだから。
大きく深呼吸をすると、サノレはひと思いに窓枠を蹴った。
* * * * *
「……嬢さん?お嬢さん?」
誰かが肩を揺する。
ゆっくりとサノレが目を開けると、そこにはメデッタの顔があった。
ふたりの目が一瞬だけ合ったが、彼女の瞳を直視してしまったメデッタはすぐに目を
逸らした。
「若い女性が公共の場で眠りこけるのは感心しないな」
「あれ…ここーは?」
サノレは驚いて辺りを見回した。
彼女のいる場所は、ゴミの山の中でもなければ、死後の世界でもなかった。
あの看護婦に呼ばれる前に座っていた、待合室の長椅子だった。
あれは、夢だったのだろうか?
ポシェットの中から、紙の束を取り出す。
ぱらぱらと数枚めくり、あのときメデッタに解説した魔方陣が描いてある次のページ
には。
「あれ、あったーよ?」
看護婦が消えた場所にくっきりと残っていた図形がそのまま書き写してあった。
素っ頓狂な声をあげるサノレに驚いたのか、メデッタは「何があったんだね?」と訝
しげな表情で彼女の手元を覗き込んだ。
「これは?」
「さっき看護婦さんが消えたときにあったんだーよ」
「看護婦?」
メデッタは何が何だか解らないといった顔でサノレを見た。
ちょうどそのとき、ギゼーが戻ってきた。
苦虫を噛み潰したような表情からして、どうやらナンパの成果は芳しくなかったらし
い。
「どこへ行っていたのだね、ギゼー君」
「まぁ、いろいろとね。で、リングちゃん、どうだって?」
「とりあえず数日入院させることになったが…………いや、なんでもない」
「そうか、それじゃしばらくはソフィニアにいることになるな」
メデッタは口をつぐんだが、表情を見れば彼が何かを隠しているのは明らかだった。
だが、ギゼーは敢えてそれを問わなかった。
それが彼なりの思いやりだったし、メデッタもそれを察していた。
だが、やはりその場には重々しい空気が漂いはじめていた。
「おにーさん、消えちゃった看護婦さん知らなーい?」
空気が読めないというべきか、それとも助け舟を出したというべきか、サノレが彼ら
の間に割って入る。
「看護婦?」
そうそう、と、メデッタが妙に明るい声で相槌を打った。
そして、サノレの手にしている紙束を指し示す。
「これを見給え、ギゼー君」
「魔方陣…か?」
「うむ、その通りだ。このお嬢さんの言い分を信じるなら、君と彼女の担いできたご
婦人の娘さんがこの魔方陣で消え」
一枚目の紙に描かれた魔方陣の外側を、メデッタの指がなぞる。
「そして、彼女の出会った看護婦がこの魔方陣で消えた」
二枚目の紙に描かれたそれも、同じようにしてなぞる。
「偶然の一致にしてはできすぎていると思わないかね?」
ギゼーは無言で頷く。
看護婦が消えたというのは自分が見たわけではなかったが、恐らく事実なのだろう。
彼女の言い分を有り得ないと否定するのなら、あの婦人の娘――ニーニャとかいった
か?――が雑踏の真ん中で掻き消えたことも同じように有り得ないと否定されるべき
であろう。
だが、ニーニャが消えたのはこの目で見たし、サノレだって見ているし、他の大勢の
通行人も目の当たりにしている、紛れもない事実なのである。
万一それが幻であっても、白昼の街中で大勢が幻を見たとなれば、それはそれで事件
だといえる。
「面白いな」
ギゼーは不敵な笑みを浮かべた。
この事件には何かがある。
トレジャーハンターの直感がそう告げていた。
「メデッタさん、面白い話を拾ったな」
「礼なら、このお嬢さんに言ってくれ給え」
よく事情を呑み込めていない当のサノレは、うっとりとした目つきでただただメデッ
タを見つめている。
「お嬢さん、ギゼー君が話があるそうだ」
「なーに?」
サノレの視線がギゼーに向くと、やれやれといった風にメデッタは苦笑した。
どうやら、サノレの熱烈アピールも今のところ全く効果がないようだ。
「お嬢さん、この街の人か?」
「違うーよ」
「それじゃ、冒険者か?」
「んー、そういうわけでもないけーど。いろんな人についてって旅してたんだーよ」
「それは冒険者っていうんじゃないのか…?」
そうかーも、とサノレはあどけなく笑う。
「まぁ、いいか。とにかく、この事件を解決する気はないか?」
「あれ、なーに?おにーさんたちも手伝ってくれるーの?」
どうやら、目的は一致していたらしい。
ギゼーが右手を差し出すと、サノレはその手をしっかりと握った。
(格好悪くはないけど、あたしの好みとはちょっと違うわーね)
(あと五年もすればいい女になるかも知れないが、まだまだだな…)
視線を交わした瞬間、サノレとギゼーはお互いをそう値踏みしていた。
だが、お互いがそれを知ることはないだろう。
医師の話によれば、婦人の意識はもうすぐ戻るはずだという。
だが、サノレの「なんかおなかが減ったーわ」の一言で、街で遅めの昼食をとること
になった。
だが、そこにもまた一連の事件の種は転がっていたのだった。