PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:黒ローブの男達 ウォダック テスカトリポカ
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
転がっている状態では、危険だ。
ここは魔術都市ソフィニア。大きな規模の都市である。当然、道路は整備さ
れていて石畳が敷かれている。石畳が敷かれている状態で頭部の上下運動――
回転をしていると、首の骨が折れかねない。挙句の果てには痛みによるショッ
ク死か圧死が待っているだろう。そう、瞬時に判断したヴォルボは、回転を止
める事を試みることにした。
つまり、咄嗟に受身を取ったのだ。頭を胴体と足の間に埋めるように曲げ、
背が地に付いた途端に利き腕を横薙ぎに出し地面を勢いよく叩く。それによっ
てやっと回転が止まった。
回転が止まった事により、前進する力が削がれ急停止した。
やっとの思いで起き上がったヴォルボは、再び走り出す。目指すはソフィニ
ア魔術学院だ。だが、相変わらずののろまだった。
*□■*
「カミカゼ機動隊だ! 神妙に縄につけぃ!」
一足早く突入に成功したウェイスターは、カミカゼ機動隊の名の下に正義を
遂行しようとしていた。
だが、時既に遅し。
六人の美少女(一人除く)は既に揃っており、儀式が行われた後だった。
六人の少女の胴体の真ん中部分――胸の辺りはぽっかりと穴が穿たれ、儀式
の遂行者である黒ローブの男達が心臓を鷲掴みにして上に持ち上げていた。そ
の手からは鮮血が滴っている。血はまだ赤かった。酸素と結合してどす黒くな
る前の、色だった。つい今し方取り出したばかりのようであった。
ウェイスターはおぞましさに吐き気を催すのを覚えた。
「くっ、お前ら、なんてことを……」
胸が鷲掴みにされたように息苦しい。とても生きた心地はしなかった。
それは、周囲に禍々しい気が満ちていくのと呼応しているようだった。
何かが、出現しようとしている……。
その何かは、闇の奥底からゆっくりと鎌首を持ち上げるように姿を現した。
そいつは、六芒星の魔法陣の中央にどっしりと居を構えていた。
だが、そいつは魔法陣から一歩も出ようとはしなかった。否、出れなかった
のだ。
そいつは、今だ魔法陣に束縛されていた。
魔法陣に束縛されていたため、ウェイスターは幾分かそいつを観察する事が
できた。
外野で「えーい! 何をやっている! とっとと出てこんかぁ!」などと騒
ぎ立てている馬鹿は放っておいてじっくりと観察した。
そいつの体の中で一番目立った部分は、左足に付けた黒曜石で出来た鏡だっ
た。いや、つけたというより失われた左足の変わりに鏡を付けているという方
が真実に近いか。後ろに回り込めば、後頭部にも同じ黒曜石が埋め込まれてい
るのが見て取れただろう。顔を黄色と黒で彩り、一見すると神の様にも邪神の
ようにも見える。
魔術に知識のある者ならば、それが魔王テスカトリポカである事が解ったで
あろう。人身御供を好み、太陽神と敵対するモノ。「煙る鏡」テスカトリポ
カ。
召喚者である馬鹿者――ウォダックも「テスカトリポカ!」と連呼してい
る。ついでにこんなものを呼び寄せることに成功した自分自身を讃えていたり
する。
ウェイスターはそんな馬鹿者には目もくれず、静かにテスカトリポカに近付
いていった――。
*■□*
不意にヴォルボは呼び止められた。
何だと振り向いてみれば、そこには一人の占い師らしき人物が居た。
女性のようだった。ただし顔はローブの陰に隠れていて見えないが。水晶玉
に静かに手を翳し、ヴォルボに対してのたまった。
「世界が夜の闇に閉ざされようとしています。あなたの力が必要です。……で
も、今のあなたではたどり着けないでしょう。そこで――」
そう言って、女は一枚の紙切れを取り出した。
それには、マリリアンの家でも見た魔法陣が書き込まれていた。移動の魔法
陣だ。
「――これを、あなたに――」
女がそう言うと、ひらりと紙切れが風に舞い、ヴォルボの足元に滑り落ち
た。
ヴォルボは無言のままそれを見詰めていた。一瞬後、意を決するように一つ
頷くと、紙切れを踏んだ。
あ、と言う間もなく、ヴォルボの身体は移動呪文の呪字帯に包まれていた。
帯は一度ヴォルボの身体をくるむと、目にも見えない素早さで身体を分解し素
子に変換していく。原子レベルで分解し終わると、呪字帯は天高く伸び、ソフ
ィニア魔術学園の方角へと急速に伸びて行く。尾を引くように帯は真っ直ぐと
魔術学院に飛んで行き、ある一つの場所――ウェイスターが突入した地下講堂
の使われていない一室に到着した。後は分解された素子が元の情報を構成して
いくだけである。
瞑っていた目を開くと、ヴォルボの目の前にはテスカトリポカに向かってい
くウェイスターが映っていた。
だが、ヴォルボの瞳にはもう一つの悲劇が映し出されていた。
マリリアンの死――。
彼が愛を注ぎ込まんとしていた、彼の女性は今やただの亡骸へと変貌してい
た。それもおぞましい姿に。
ヴォルボは咆哮した。
地を揺るがせる雄叫びだった。
両の目に涙を溜め、ヴォルボは走った。
バトルアックスを両手で握り締め、悲劇の元凶を作り出したテスカトリポカ
に向かって駆け出していった。
NPC:黒ローブの男達 ウォダック テスカトリポカ
場所:ソフィニア魔術学院
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転がっている状態では、危険だ。
ここは魔術都市ソフィニア。大きな規模の都市である。当然、道路は整備さ
れていて石畳が敷かれている。石畳が敷かれている状態で頭部の上下運動――
回転をしていると、首の骨が折れかねない。挙句の果てには痛みによるショッ
ク死か圧死が待っているだろう。そう、瞬時に判断したヴォルボは、回転を止
める事を試みることにした。
つまり、咄嗟に受身を取ったのだ。頭を胴体と足の間に埋めるように曲げ、
背が地に付いた途端に利き腕を横薙ぎに出し地面を勢いよく叩く。それによっ
てやっと回転が止まった。
回転が止まった事により、前進する力が削がれ急停止した。
やっとの思いで起き上がったヴォルボは、再び走り出す。目指すはソフィニ
ア魔術学院だ。だが、相変わらずののろまだった。
*□■*
「カミカゼ機動隊だ! 神妙に縄につけぃ!」
一足早く突入に成功したウェイスターは、カミカゼ機動隊の名の下に正義を
遂行しようとしていた。
だが、時既に遅し。
六人の美少女(一人除く)は既に揃っており、儀式が行われた後だった。
六人の少女の胴体の真ん中部分――胸の辺りはぽっかりと穴が穿たれ、儀式
の遂行者である黒ローブの男達が心臓を鷲掴みにして上に持ち上げていた。そ
の手からは鮮血が滴っている。血はまだ赤かった。酸素と結合してどす黒くな
る前の、色だった。つい今し方取り出したばかりのようであった。
ウェイスターはおぞましさに吐き気を催すのを覚えた。
「くっ、お前ら、なんてことを……」
胸が鷲掴みにされたように息苦しい。とても生きた心地はしなかった。
それは、周囲に禍々しい気が満ちていくのと呼応しているようだった。
何かが、出現しようとしている……。
その何かは、闇の奥底からゆっくりと鎌首を持ち上げるように姿を現した。
そいつは、六芒星の魔法陣の中央にどっしりと居を構えていた。
だが、そいつは魔法陣から一歩も出ようとはしなかった。否、出れなかった
のだ。
そいつは、今だ魔法陣に束縛されていた。
魔法陣に束縛されていたため、ウェイスターは幾分かそいつを観察する事が
できた。
外野で「えーい! 何をやっている! とっとと出てこんかぁ!」などと騒
ぎ立てている馬鹿は放っておいてじっくりと観察した。
そいつの体の中で一番目立った部分は、左足に付けた黒曜石で出来た鏡だっ
た。いや、つけたというより失われた左足の変わりに鏡を付けているという方
が真実に近いか。後ろに回り込めば、後頭部にも同じ黒曜石が埋め込まれてい
るのが見て取れただろう。顔を黄色と黒で彩り、一見すると神の様にも邪神の
ようにも見える。
魔術に知識のある者ならば、それが魔王テスカトリポカである事が解ったで
あろう。人身御供を好み、太陽神と敵対するモノ。「煙る鏡」テスカトリポ
カ。
召喚者である馬鹿者――ウォダックも「テスカトリポカ!」と連呼してい
る。ついでにこんなものを呼び寄せることに成功した自分自身を讃えていたり
する。
ウェイスターはそんな馬鹿者には目もくれず、静かにテスカトリポカに近付
いていった――。
*■□*
不意にヴォルボは呼び止められた。
何だと振り向いてみれば、そこには一人の占い師らしき人物が居た。
女性のようだった。ただし顔はローブの陰に隠れていて見えないが。水晶玉
に静かに手を翳し、ヴォルボに対してのたまった。
「世界が夜の闇に閉ざされようとしています。あなたの力が必要です。……で
も、今のあなたではたどり着けないでしょう。そこで――」
そう言って、女は一枚の紙切れを取り出した。
それには、マリリアンの家でも見た魔法陣が書き込まれていた。移動の魔法
陣だ。
「――これを、あなたに――」
女がそう言うと、ひらりと紙切れが風に舞い、ヴォルボの足元に滑り落ち
た。
ヴォルボは無言のままそれを見詰めていた。一瞬後、意を決するように一つ
頷くと、紙切れを踏んだ。
あ、と言う間もなく、ヴォルボの身体は移動呪文の呪字帯に包まれていた。
帯は一度ヴォルボの身体をくるむと、目にも見えない素早さで身体を分解し素
子に変換していく。原子レベルで分解し終わると、呪字帯は天高く伸び、ソフ
ィニア魔術学園の方角へと急速に伸びて行く。尾を引くように帯は真っ直ぐと
魔術学院に飛んで行き、ある一つの場所――ウェイスターが突入した地下講堂
の使われていない一室に到着した。後は分解された素子が元の情報を構成して
いくだけである。
瞑っていた目を開くと、ヴォルボの目の前にはテスカトリポカに向かってい
くウェイスターが映っていた。
だが、ヴォルボの瞳にはもう一つの悲劇が映し出されていた。
マリリアンの死――。
彼が愛を注ぎ込まんとしていた、彼の女性は今やただの亡骸へと変貌してい
た。それもおぞましい姿に。
ヴォルボは咆哮した。
地を揺るがせる雄叫びだった。
両の目に涙を溜め、ヴォルボは走った。
バトルアックスを両手で握り締め、悲劇の元凶を作り出したテスカトリポカ
に向かって駆け出していった。
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PC:ウェイスター ヴォルボ
NPC:黒ローブの男達 ウォダック テスカトリポカ
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
バトルアックスは儚く砕け散った。テスカトリポカにあたる直前、見えない壁…い
や、なにかの障壁なのだろう。それにぶつかり、粉々になった。
「くっ!」
ヴォルボは柄だけになったバトルアックスを投げ捨て、渾身の体当たりを試みる。
ドカァン
渾身の体当たりは、またしても儚く散った。というか、はじき返されたわけだが。
どうやら、あの障壁はあらゆる衝撃を弾くようだ。傍観していたウェイスターはそれ
を感じた。
そして、低い…どこまでも低い地を這うような声が室内に響いた。
「…貴様が、我を呼び出した者か…。」
幾度となく繰り返し体当たりを放つヴォルボをよそに、テスカトリポカはウォダック
のほうを向き、値踏みするように見下していた。
ウォダックは、高揚感と恐怖でがたがたになり、震える声で「そうだ。」と、かろう
じて言った。
「ほほう。我を呼び出すとはいい度胸だ。…生贄をささげるまでして…。して、我に
何のようか。」
声だけで命を奪っていきそうな威圧感。多分、ヤツが小指を弾くほどの力で人間の頭
吹き飛ぶことだろう。
ウォダックは、すっかりテスカトリポカの放つ雰囲気に飲まれていた。が、質問に答
えることぐらいはできた。
「あ、あ…の、その…。ボクを変えてくれ…。」
おずおずと話し始めるウォダック。
「ボクは…容姿もこんなんだし、スポーツだってできない。…だから、魔法を学んだ
んだけど…それだって…。だから!ボクを…!」
「承知した。」
瞬間。辺りが闇に飲まれた。ゆらゆらと揺れるろうそくの炎や、わずかな光源が消え
うせた。そして、数秒後、何事もなかったうように光が戻る。
「ははッ…。」
魔方陣の中からテスカトリポカの姿が消えていた。ついでに、生贄にささげられた少
女たちも血の一滴の後も残さず消えていた。
ヴォルボは、突然いなくなったテスカトリポカを探した。
それらしい姿はなかった。姿はなかった。…が、その邪悪なオーラは漂ったままだっ
た。
その発生源は…あのヲタクだ…。
「…ははッ。なんだこれ、すごい、体中に力がみなぎっている!」
不気味に笑うウォダック。容姿は大して変わっていない。ガリガリで背が低く、ひ弱
そうな外見に違いはない。だが、眼鏡の奥、細い目が暗い光を放っていた。
周りにた数人の学生達もウォダックの豹変振りに気付いていた。いつもは、身分の低
いものには高圧的で、自分より上のものにはおびえて暮らすだけの人間だったはずな
のに…。
「ははははははッッ!」
笑い転げるウォダック。ヴォルボはなんとなく思った。あのヲタクの中にテスカトリ
ポカが入り込んだだろう。理屈は分からないが、あれだけ凶悪なオーラを放っていた
存在だ。ましてやここは魔法学院。なにかしらの魔力などを助長させる装置があった
のかもしれない。
拳を握り、ウォダックに殴りかかる。
「うぉぉぉおおおお!」
バチンッ
妙に低い音がしたと思うと、ヴォルボは宙を舞っていた。
ウォダックのデコピンでだ。
「カハッ…。」
そして、短く息と血を吐いて動かなくなった。かすかに、胸が上下しているから死ん
でいないだろうが、放っておいていいとは思えない。
ウェイスターは、ようやく我に返った。
正直、ヴォルボがここにいる理由は良く分からないが、彼がまずい状況に有るのは理
解できた。だが、どうできるといえよう。多分、あのヲタクはもはやヲタクではな
く、 テスカトリポカであるのは間違いないだろう。となれば、何ができるだろう
か。
ヴォルボの戦闘能力がどの程度かは詳しく知らないが、さっきの様子を見ると決して
弱くはないだろう。それが、いとも簡単にだ。
真正面からの戦闘では勝ち目はないだろう。なら、どうする?
「…なんだったんだ?さっきのドワーフは。」
しれっと言ってのける。ヲタクが、だ。
周りの学生は、それを機に出口に向けて走り出す。なにかが間違っている。それに気
付くと、その場にはいられなくなったのだ。
ばたばたと走り抜ける学生たち。取り残されたのは、ウォダックとウェイスター、
ヴォルボだけだった。
薄暗い部屋。黒い世界が始まった。
一瞬だった。ウォダックが、ウェイスターと距離を詰める。咄嗟に剣を取るウェイス
ター。
「オオッ!こんなに早く歩けるなんて!」
驚愕のウェイスターとは対照的に歓喜の声を上げるウォダック。
「このッ!」
剣を横に一閃。が、それを跳躍してかわすウォダック。
「ははッ!」
天井まで跳ね上がり、天井を蹴ってウェイスターに向かって落下する。
ウェイスターはかろうじて顔を上げた。
落下と脚力をあわせた推進力に加えた、テスカトリポカの力でウェイスターの頭を叩
きおろす。
ばし
目の玉が飛び出るくらいの衝撃を受け、ウェイスターはあっけなく昏倒した。
少しだけ残った意識の中で、ウェイスターは絶望を思った。
高笑いするウォダックの声だけが暗い地下室に鳴り響いていた…。
NPC:黒ローブの男達 ウォダック テスカトリポカ
場所:ソフィニア魔術学院
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バトルアックスは儚く砕け散った。テスカトリポカにあたる直前、見えない壁…い
や、なにかの障壁なのだろう。それにぶつかり、粉々になった。
「くっ!」
ヴォルボは柄だけになったバトルアックスを投げ捨て、渾身の体当たりを試みる。
ドカァン
渾身の体当たりは、またしても儚く散った。というか、はじき返されたわけだが。
どうやら、あの障壁はあらゆる衝撃を弾くようだ。傍観していたウェイスターはそれ
を感じた。
そして、低い…どこまでも低い地を這うような声が室内に響いた。
「…貴様が、我を呼び出した者か…。」
幾度となく繰り返し体当たりを放つヴォルボをよそに、テスカトリポカはウォダック
のほうを向き、値踏みするように見下していた。
ウォダックは、高揚感と恐怖でがたがたになり、震える声で「そうだ。」と、かろう
じて言った。
「ほほう。我を呼び出すとはいい度胸だ。…生贄をささげるまでして…。して、我に
何のようか。」
声だけで命を奪っていきそうな威圧感。多分、ヤツが小指を弾くほどの力で人間の頭
吹き飛ぶことだろう。
ウォダックは、すっかりテスカトリポカの放つ雰囲気に飲まれていた。が、質問に答
えることぐらいはできた。
「あ、あ…の、その…。ボクを変えてくれ…。」
おずおずと話し始めるウォダック。
「ボクは…容姿もこんなんだし、スポーツだってできない。…だから、魔法を学んだ
んだけど…それだって…。だから!ボクを…!」
「承知した。」
瞬間。辺りが闇に飲まれた。ゆらゆらと揺れるろうそくの炎や、わずかな光源が消え
うせた。そして、数秒後、何事もなかったうように光が戻る。
「ははッ…。」
魔方陣の中からテスカトリポカの姿が消えていた。ついでに、生贄にささげられた少
女たちも血の一滴の後も残さず消えていた。
ヴォルボは、突然いなくなったテスカトリポカを探した。
それらしい姿はなかった。姿はなかった。…が、その邪悪なオーラは漂ったままだっ
た。
その発生源は…あのヲタクだ…。
「…ははッ。なんだこれ、すごい、体中に力がみなぎっている!」
不気味に笑うウォダック。容姿は大して変わっていない。ガリガリで背が低く、ひ弱
そうな外見に違いはない。だが、眼鏡の奥、細い目が暗い光を放っていた。
周りにた数人の学生達もウォダックの豹変振りに気付いていた。いつもは、身分の低
いものには高圧的で、自分より上のものにはおびえて暮らすだけの人間だったはずな
のに…。
「ははははははッッ!」
笑い転げるウォダック。ヴォルボはなんとなく思った。あのヲタクの中にテスカトリ
ポカが入り込んだだろう。理屈は分からないが、あれだけ凶悪なオーラを放っていた
存在だ。ましてやここは魔法学院。なにかしらの魔力などを助長させる装置があった
のかもしれない。
拳を握り、ウォダックに殴りかかる。
「うぉぉぉおおおお!」
バチンッ
妙に低い音がしたと思うと、ヴォルボは宙を舞っていた。
ウォダックのデコピンでだ。
「カハッ…。」
そして、短く息と血を吐いて動かなくなった。かすかに、胸が上下しているから死ん
でいないだろうが、放っておいていいとは思えない。
ウェイスターは、ようやく我に返った。
正直、ヴォルボがここにいる理由は良く分からないが、彼がまずい状況に有るのは理
解できた。だが、どうできるといえよう。多分、あのヲタクはもはやヲタクではな
く、 テスカトリポカであるのは間違いないだろう。となれば、何ができるだろう
か。
ヴォルボの戦闘能力がどの程度かは詳しく知らないが、さっきの様子を見ると決して
弱くはないだろう。それが、いとも簡単にだ。
真正面からの戦闘では勝ち目はないだろう。なら、どうする?
「…なんだったんだ?さっきのドワーフは。」
しれっと言ってのける。ヲタクが、だ。
周りの学生は、それを機に出口に向けて走り出す。なにかが間違っている。それに気
付くと、その場にはいられなくなったのだ。
ばたばたと走り抜ける学生たち。取り残されたのは、ウォダックとウェイスター、
ヴォルボだけだった。
薄暗い部屋。黒い世界が始まった。
一瞬だった。ウォダックが、ウェイスターと距離を詰める。咄嗟に剣を取るウェイス
ター。
「オオッ!こんなに早く歩けるなんて!」
驚愕のウェイスターとは対照的に歓喜の声を上げるウォダック。
「このッ!」
剣を横に一閃。が、それを跳躍してかわすウォダック。
「ははッ!」
天井まで跳ね上がり、天井を蹴ってウェイスターに向かって落下する。
ウェイスターはかろうじて顔を上げた。
落下と脚力をあわせた推進力に加えた、テスカトリポカの力でウェイスターの頭を叩
きおろす。
ばし
目の玉が飛び出るくらいの衝撃を受け、ウェイスターはあっけなく昏倒した。
少しだけ残った意識の中で、ウェイスターは絶望を思った。
高笑いするウォダックの声だけが暗い地下室に鳴り響いていた…。
PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヴォルボの脳裏にふと浮かんだのは、新しい武器を購入しなくてはいけな
い、と言うことだった。でも、しかし、ともかくもこの場を何とかしなくて
は。敵は直ぐ目の前に立ちはだかっているのだし、そう易々と逃がしてくれそ
うに無さそうだった。
だから突撃を敢行したのだった。だが、あえなく撃沈した。
ヴォルボが気が付いたときには、倒れ伏したウェイスターと、それを目の前
にして高笑いをあげているウォダックが立ちはだかっている所だった。ウォダ
ックは腰に手を当て、高笑いを押さえ切れないで喘ぐように息をしている。そ
れでも尚、高笑いを繰り返していた。こいつ、頭がおかしいんじゃないのか、
そうヴォルボが思った時、ウォダックの高笑いが不意に止んだ。それはまる
で、轟いていた雷鳴が不意に鳴り止むのに酷似していた。
ヴォルボが何事かと目を瞠っていると、ウォダックは自分の頭を両手で抱え
込み、身体を腰の辺りで半分直角に折り曲げて苦悩の格好で苦しむように声を
絞り出した。
「う、うう……。……ボクは、ボクだ。ボクは、オマエ……じゃない……」
一体彼の中で何が起こっているというのか。
暫し呆然と様子を覗っていたヴォルボの脳裏に、閃光と共に閃くものがあっ
た。
ひょっとして、彼の本質はテスカトリポカと同化出来ずにいるのではないの
か。仮にも神であるテスカトリポカと完全に同化するには、その本質を変えな
くてはならない。あくまでも人間でしかない彼がテスカトリポカと完全に同化
する事は出来ないのだ。だから、無理に使った身体に反動が跳ね返って来てい
るのではないだろうか。力を行使する、と言うことはそういう事だ。
「何を言うか! お前が望んだ事なのだぞ!」
テスカトリポカがウォダックの口を借りて喋っていることは明白だが、傍か
ら見ればまるで独り言をほざいているかのようで不謹慎だが面白い。
「ボクが……望んだ……こと? そうだ……ボクは、世界を……ぐあぁ!」
ウォダックの中で何かと葛藤しているようだ。
自分の良心と葛藤しているのか、それともウォダックの本質とテスカトリポ
カの本質がぶつかっているのか。何れにせよ心の葛藤であることには代わりが
無い。
ウォダックはいつに無く、焦っていた。
単位が危ないという事もあったが、もっと大きなことはテスカトリポカを召
喚することに成功したらA+をくれてやると言った、一教授に急かされたから
だ。その教授はずり落ちそうな眼鏡を鼻で支えながらいつも本を読んでいた。
髪の毛がおかっぱで、カッパ頭の教授と呼ばれていた。ついでに目付きが物凄
く悪かった。
そんな教授に呼ばれたウォダックは、初め当然の如く疑問を抱いたし、単位
が危ないんだなと思っていよいよもって諦めざるを得ない心境に陥っていた。
進退窮まったウォダックは教授のゼミの扉を軽くノックした。考えてみたらそ
んな時から既に運命は決められていたのかもしれない。あの日、あの時、あの
場所に行かなければ。そして、あの教授の口車に乗せられていなければ。
教授は普通の人が見ても邪悪に見えるほどだった。その教授の名前は――確
か、ケインといったか。ケイン・ウォーゼフ。
その彼に、嵌められた。
今だからこそ、言える。確かに、彼に嵌められた、と。
彼はウォダックにこう言った。
テスカトリポカと言う名前の邪神を召喚し、そいつの力を取り込めと。
だが、理想と現実は異なっていた。
考えてみれば、神ほどの力の持ち主をたかが人間の身体が支えられるわけが
無い。神としての力を振舞おうとすれば、人間の身体では持たないのが現実
だ。ウォダックは、乗っ取られてからその真実を思い知らされた。
自分は、神にはなれないのだと。
自分は、変われないのだと。
所詮、自分は自分でしかないのだと。
絶叫が、木霊した。
人間の本質と、神の本質とのぶつかり合いで、ウォダックはその内面をズタ
ズタにされていた。心が壊れて、空っぽになっていく。後には、虚ろな洞だけ
が残った。口をだらしなく開き、目はウェイスターとヴォルボの頭上を滑る様
に動いているが何も映していないことが解る。何かに向かって動き出そうとし
ているが、その動きは緩慢で片輪を無くし惰性で走る馬車のように遅くて不安
定な動作だった。やがて、片手が何かを掴むように上げられる。だが、何も掴
む事はなかった。ただ空虚な何かを掴んだだけに過ぎなかった。
「……ボクは、……ボクは、……ボクは、神だ……」
ウォダックの呟きが聞こえて来た時、ヴォルボは既に武器となるものを手に
していた。
魔剣で無くとも良い。邪神は既に神ではなく、人間の身体の内に潜り込んで
いるのだから。どのような武器でさえも容易に傷付ける事が出来るだろう。例
え拳でさえも――。
そう思って手にした得物は、ナイフだった。
一振りのナイフ。それには、とある魔法が付与されていた。
ヴォルボはその時はっと気付いて、懐に忍ばせておいた髪飾りを取り出し
た。その日作っていた孔雀の髪飾りだ。これはマリリアンに渡す筈のものだっ
た奴だ。だが、愛しのマリリアンはもう既にいない。この世から永遠に消され
てしまったのだ。だからこそ、このアイテムは相応しきものに渡すべきだ。今
この場で相応しき者――ウェイスターに。
「ウェイスターさん! 受け取ってください!」
決意を固めるように強く握り締めると、ヴォルボは髪飾りをウェイスターの
方へと投げた。
その髪飾りには一つの能力が付加されていた。
魔法防御力と物理防御力を飛躍的に上げる能力。
それが、その髪飾り“孔雀の髪飾り”の能力だった。
古来より、魔法鉱石には魔力が備わっているという。ヴォルボはその魔力を
利用して、魔法防御力と物理防御力が上がる魔法を髪飾りに付与しておいたの
だ。ドワーフ特有の、魔法付与の能力である。自分で作ったアイテムに鉱石に
含まれている力を利用して、魔法を付与するのだ。
「それを、頭髪に付けてください! そうすれば、魔法防御力と物理防御力が
――」
「うるさい!」
ヴォルボの語尾は残念ながらウォダック――テスカトリポカといった方がい
いか――の怒号に掻き消された。そしてその怒号と同時に振り下ろされた右拳
は床にめり込んでいた。めり込まれた床には無数の亀裂がまるで魔方陣の如く
張り巡らされていた。そして一際大きな地響きが響いたと思いきや床一面に太
くて大きな亀裂が走り、床が、部屋が、地響きを立てて崩落した。
落下していく瓦礫と共にウェイスターとヴォルボは落ちていく。
ヴォルボは咄嗟の判断で、空中で身体を反転させて受身の姿勢になる。その
体制を整えながら、落下していった。当然降りくる瓦礫を避けながらの作業と
なる。ウェイスターの方はどうなったか解らない。恐らく受身ぐらいは取って
いるだろう。だが、いかんせん無数の瓦礫の束が壁となってヴォルボの位置か
らではウェイスターの様子は見えなかった。
降り立った場所は、広い地下空洞だった。魔術学院の地下に、こんな空洞が
あったなんて初耳だった。
ヴォルボは無言で身構える。
目の前には、テスカトリポカに完全に乗っ取られたウォダックが居た――。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヴォルボの脳裏にふと浮かんだのは、新しい武器を購入しなくてはいけな
い、と言うことだった。でも、しかし、ともかくもこの場を何とかしなくて
は。敵は直ぐ目の前に立ちはだかっているのだし、そう易々と逃がしてくれそ
うに無さそうだった。
だから突撃を敢行したのだった。だが、あえなく撃沈した。
ヴォルボが気が付いたときには、倒れ伏したウェイスターと、それを目の前
にして高笑いをあげているウォダックが立ちはだかっている所だった。ウォダ
ックは腰に手を当て、高笑いを押さえ切れないで喘ぐように息をしている。そ
れでも尚、高笑いを繰り返していた。こいつ、頭がおかしいんじゃないのか、
そうヴォルボが思った時、ウォダックの高笑いが不意に止んだ。それはまる
で、轟いていた雷鳴が不意に鳴り止むのに酷似していた。
ヴォルボが何事かと目を瞠っていると、ウォダックは自分の頭を両手で抱え
込み、身体を腰の辺りで半分直角に折り曲げて苦悩の格好で苦しむように声を
絞り出した。
「う、うう……。……ボクは、ボクだ。ボクは、オマエ……じゃない……」
一体彼の中で何が起こっているというのか。
暫し呆然と様子を覗っていたヴォルボの脳裏に、閃光と共に閃くものがあっ
た。
ひょっとして、彼の本質はテスカトリポカと同化出来ずにいるのではないの
か。仮にも神であるテスカトリポカと完全に同化するには、その本質を変えな
くてはならない。あくまでも人間でしかない彼がテスカトリポカと完全に同化
する事は出来ないのだ。だから、無理に使った身体に反動が跳ね返って来てい
るのではないだろうか。力を行使する、と言うことはそういう事だ。
「何を言うか! お前が望んだ事なのだぞ!」
テスカトリポカがウォダックの口を借りて喋っていることは明白だが、傍か
ら見ればまるで独り言をほざいているかのようで不謹慎だが面白い。
「ボクが……望んだ……こと? そうだ……ボクは、世界を……ぐあぁ!」
ウォダックの中で何かと葛藤しているようだ。
自分の良心と葛藤しているのか、それともウォダックの本質とテスカトリポ
カの本質がぶつかっているのか。何れにせよ心の葛藤であることには代わりが
無い。
ウォダックはいつに無く、焦っていた。
単位が危ないという事もあったが、もっと大きなことはテスカトリポカを召
喚することに成功したらA+をくれてやると言った、一教授に急かされたから
だ。その教授はずり落ちそうな眼鏡を鼻で支えながらいつも本を読んでいた。
髪の毛がおかっぱで、カッパ頭の教授と呼ばれていた。ついでに目付きが物凄
く悪かった。
そんな教授に呼ばれたウォダックは、初め当然の如く疑問を抱いたし、単位
が危ないんだなと思っていよいよもって諦めざるを得ない心境に陥っていた。
進退窮まったウォダックは教授のゼミの扉を軽くノックした。考えてみたらそ
んな時から既に運命は決められていたのかもしれない。あの日、あの時、あの
場所に行かなければ。そして、あの教授の口車に乗せられていなければ。
教授は普通の人が見ても邪悪に見えるほどだった。その教授の名前は――確
か、ケインといったか。ケイン・ウォーゼフ。
その彼に、嵌められた。
今だからこそ、言える。確かに、彼に嵌められた、と。
彼はウォダックにこう言った。
テスカトリポカと言う名前の邪神を召喚し、そいつの力を取り込めと。
だが、理想と現実は異なっていた。
考えてみれば、神ほどの力の持ち主をたかが人間の身体が支えられるわけが
無い。神としての力を振舞おうとすれば、人間の身体では持たないのが現実
だ。ウォダックは、乗っ取られてからその真実を思い知らされた。
自分は、神にはなれないのだと。
自分は、変われないのだと。
所詮、自分は自分でしかないのだと。
絶叫が、木霊した。
人間の本質と、神の本質とのぶつかり合いで、ウォダックはその内面をズタ
ズタにされていた。心が壊れて、空っぽになっていく。後には、虚ろな洞だけ
が残った。口をだらしなく開き、目はウェイスターとヴォルボの頭上を滑る様
に動いているが何も映していないことが解る。何かに向かって動き出そうとし
ているが、その動きは緩慢で片輪を無くし惰性で走る馬車のように遅くて不安
定な動作だった。やがて、片手が何かを掴むように上げられる。だが、何も掴
む事はなかった。ただ空虚な何かを掴んだだけに過ぎなかった。
「……ボクは、……ボクは、……ボクは、神だ……」
ウォダックの呟きが聞こえて来た時、ヴォルボは既に武器となるものを手に
していた。
魔剣で無くとも良い。邪神は既に神ではなく、人間の身体の内に潜り込んで
いるのだから。どのような武器でさえも容易に傷付ける事が出来るだろう。例
え拳でさえも――。
そう思って手にした得物は、ナイフだった。
一振りのナイフ。それには、とある魔法が付与されていた。
ヴォルボはその時はっと気付いて、懐に忍ばせておいた髪飾りを取り出し
た。その日作っていた孔雀の髪飾りだ。これはマリリアンに渡す筈のものだっ
た奴だ。だが、愛しのマリリアンはもう既にいない。この世から永遠に消され
てしまったのだ。だからこそ、このアイテムは相応しきものに渡すべきだ。今
この場で相応しき者――ウェイスターに。
「ウェイスターさん! 受け取ってください!」
決意を固めるように強く握り締めると、ヴォルボは髪飾りをウェイスターの
方へと投げた。
その髪飾りには一つの能力が付加されていた。
魔法防御力と物理防御力を飛躍的に上げる能力。
それが、その髪飾り“孔雀の髪飾り”の能力だった。
古来より、魔法鉱石には魔力が備わっているという。ヴォルボはその魔力を
利用して、魔法防御力と物理防御力が上がる魔法を髪飾りに付与しておいたの
だ。ドワーフ特有の、魔法付与の能力である。自分で作ったアイテムに鉱石に
含まれている力を利用して、魔法を付与するのだ。
「それを、頭髪に付けてください! そうすれば、魔法防御力と物理防御力が
――」
「うるさい!」
ヴォルボの語尾は残念ながらウォダック――テスカトリポカといった方がい
いか――の怒号に掻き消された。そしてその怒号と同時に振り下ろされた右拳
は床にめり込んでいた。めり込まれた床には無数の亀裂がまるで魔方陣の如く
張り巡らされていた。そして一際大きな地響きが響いたと思いきや床一面に太
くて大きな亀裂が走り、床が、部屋が、地響きを立てて崩落した。
落下していく瓦礫と共にウェイスターとヴォルボは落ちていく。
ヴォルボは咄嗟の判断で、空中で身体を反転させて受身の姿勢になる。その
体制を整えながら、落下していった。当然降りくる瓦礫を避けながらの作業と
なる。ウェイスターの方はどうなったか解らない。恐らく受身ぐらいは取って
いるだろう。だが、いかんせん無数の瓦礫の束が壁となってヴォルボの位置か
らではウェイスターの様子は見えなかった。
降り立った場所は、広い地下空洞だった。魔術学院の地下に、こんな空洞が
あったなんて初耳だった。
ヴォルボは無言で身構える。
目の前には、テスカトリポカに完全に乗っ取られたウォダックが居た――。
PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院の地下
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヴォルボが何かを言っていた気がする。
かすかに残る記憶の中で、そんなことをウェイスターは考えていた。
ここはかび臭く、暗い。石造りで頑丈そうな壁。学院の地下なのだろうか。ふと見上
げた頭上には、さっきまで自分がいた部屋があったからだ。事の顛末については、よ
くわからないが、とりあえず地下に落ち、あの場で死ぬことだけは避けられたという
ことだろう。
瓦礫の中で、身を起こし、瓦礫と埃を払う。すると足元に何かが落ちているのに気が
ついた。
「…髪飾り?」
ウェイスターはヴォルボが何を言っていたか覚えていなかった。テスカトリポカの力
の前に絶望し、意識はあっても何も考えられなかったからだ。
身体が痛む。とても戦える気がしない。ウェイスターは髪飾りを懐にしまいこみ、瓦
礫に腰かけ静かに目を閉じた。
「私の求めた正義とは…かくも脆弱なものだったのだな。」
正義を愛し、妄信してきた彼にとって、それが打ち砕かれるとは思わなかった。正義
は勝つ。
だから、世は回ってきたのだ。夜は明けてきたのだ。
なのに、彼は負けた。
正義は勝つはずなのにだ。
「…違うな。脆弱なのは正義ではない…。私…か。」
負ける正義は正義ではない。
私は…正義ではないのだ。
そう思うと、ウェイスターには戦う理由が一切見当たらなかったのだ。
それが例え、たった一枚の壁の向こうでヴォルボが危機的状況にあったとしても。
*□■*
テスカトリポカは困惑していた。
それは、ウォダックの精神がテスカトリポカとの同化を拒んでいたからではない。大
概の人間というヤツは、自分で望んでおきながら、いざとなると邪神との同化を拒む
ものだ。
だから、テスカトリポカの困惑の原因は肉体の方だった。ウォダックの肉体があまり
に貧弱だったのだ。
かつて、テスカトリポカと同化しようとするものは、心身ともに強靭かつ、野心の大
きなものだった。つまり、善悪の区別をつけなければ間違いなく英雄と呼ばれるよう
な…である。
ところがウォダックの肉体は、まさに貧弱。雑誌のウラなんかに書いてある、通信販
売の筋トレ器具の【以前のボクはこんなに貧弱だったんだ】の見本のような体つき
だ。アバラのういた腹。小枝のような腕。…うんざりだ。
「う…ぅぅ…。ボクは…ボクだ…。」
全身を震わし、涙やらよだれやら体液を垂れ流しながら、ウォダックは自我を保とう
と必死だった。
目の前にいる、ドワーフになど目に移って入るものの見えてはいなかった。
ただただ、必死で自分が生きる理由を探す。やり残したこと、言えなかった言葉、会
いたい人…。
そして、数えて泣きたくなった。
なんてボクには何もないのだろう。毎日を必死に生きるだけで、誰かを気にかけるこ
となんてしていなかった。
恋人はおろか、友人だってろくにいない。両親は必死にボクの学費のために働いてく
れているが、僕はそれに答えることなど一つとしてできなかった。…いっそ邪神にで
もなってしまえばいいのかもしれない。
「あぁああああああああッッ!!」
こんな風に叫んだのは…何年ぶりだろう。
腹の奥から感情を垂れ流すのは………。
その間、ヴォルボは何をしていたかといえば、逃げ出していた。
逃げるといえば響きは悪いが、先ほどの突撃でもどうにもならないとなると、頼みの
綱は例の髪飾りだ。
しかし、それはウェイスターに渡してしまって手元にはない。
となれば、髪飾りを探すか、ウェイスターを探すか…。どちらにせよ、今、あのヲタ
クとやりあうのは得策ではない。
冷静に頭を切り替えてヴォルボは駆け出していた。
ほとんど光はなく、普通の人間なら歩き出すのを躊躇うところだが、ドワーフである
彼にはそんな心配はなかった。
とりあえず、ヲタクと距離をとる。行くべき方向など初めからないのだ。
「マリリアン…。」
なんとなく、彼女を思い出すと涙がこぼれそうになった。が、彼は男だ。かすかに目
を赤くした程度で涙を流すには至らない。だから、胸に残る寂しさや悔しさ…そう
いった感情が、何一つ晴れるわけではなかった。
走り続けてどのくらいたっただろうか、肺が張り裂けそうだ。足がもつれる。喉が渇
いた。身体が痛い。めまいがする。
めまいついでに何かがぼんやり見えてきた。
「…?マリリアン?」
デブでブスで、それに気付かないという犯罪行為的な女性、マリリアンの姿があっ
た。
「…マリリアン。どうしてここに。」
マリリアンの声は聞こえない。そんなに距離があるわけではないはずなのに。口だけ
がパクパクと動いている。
「なに?聞こえない。」
駆け寄る。もつれる足で懸命に。
「あれ?ちょっと…。」
進んでいるのに、ちっとも近づかない。むしろ遠のいているかと思うぐらいだ。
「待ってよ。どこに行くの?」
やっとのことで、手の届く位置まで歩み寄り、手を伸ばす。
「ねえ、マリリアン…。」
スゥ…と、ヴォルボの手が空を切った。
「………。」
うなだれ、膝を突く。
何故だろう。悲しくてむなしいはずなのに…涙が出るような気がしなかった。
『あきらめないで…。』
マリリアンの声がして、ふと顔を上げた。
どこか遠く…。
辺りを見回しても、姿はない。
『がんばってね…。ヴォルボ…。』
声の主は遠くなどなかった。むしろ、頭の中に直接響くようだった。
「…うん。」
ヴォルボが、それが幻聴だと気付くころには、学園を出ていた。
少しだけ澄んだ空気を吸って、自分が生きていることを確かめた。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院の地下
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヴォルボが何かを言っていた気がする。
かすかに残る記憶の中で、そんなことをウェイスターは考えていた。
ここはかび臭く、暗い。石造りで頑丈そうな壁。学院の地下なのだろうか。ふと見上
げた頭上には、さっきまで自分がいた部屋があったからだ。事の顛末については、よ
くわからないが、とりあえず地下に落ち、あの場で死ぬことだけは避けられたという
ことだろう。
瓦礫の中で、身を起こし、瓦礫と埃を払う。すると足元に何かが落ちているのに気が
ついた。
「…髪飾り?」
ウェイスターはヴォルボが何を言っていたか覚えていなかった。テスカトリポカの力
の前に絶望し、意識はあっても何も考えられなかったからだ。
身体が痛む。とても戦える気がしない。ウェイスターは髪飾りを懐にしまいこみ、瓦
礫に腰かけ静かに目を閉じた。
「私の求めた正義とは…かくも脆弱なものだったのだな。」
正義を愛し、妄信してきた彼にとって、それが打ち砕かれるとは思わなかった。正義
は勝つ。
だから、世は回ってきたのだ。夜は明けてきたのだ。
なのに、彼は負けた。
正義は勝つはずなのにだ。
「…違うな。脆弱なのは正義ではない…。私…か。」
負ける正義は正義ではない。
私は…正義ではないのだ。
そう思うと、ウェイスターには戦う理由が一切見当たらなかったのだ。
それが例え、たった一枚の壁の向こうでヴォルボが危機的状況にあったとしても。
*□■*
テスカトリポカは困惑していた。
それは、ウォダックの精神がテスカトリポカとの同化を拒んでいたからではない。大
概の人間というヤツは、自分で望んでおきながら、いざとなると邪神との同化を拒む
ものだ。
だから、テスカトリポカの困惑の原因は肉体の方だった。ウォダックの肉体があまり
に貧弱だったのだ。
かつて、テスカトリポカと同化しようとするものは、心身ともに強靭かつ、野心の大
きなものだった。つまり、善悪の区別をつけなければ間違いなく英雄と呼ばれるよう
な…である。
ところがウォダックの肉体は、まさに貧弱。雑誌のウラなんかに書いてある、通信販
売の筋トレ器具の【以前のボクはこんなに貧弱だったんだ】の見本のような体つき
だ。アバラのういた腹。小枝のような腕。…うんざりだ。
「う…ぅぅ…。ボクは…ボクだ…。」
全身を震わし、涙やらよだれやら体液を垂れ流しながら、ウォダックは自我を保とう
と必死だった。
目の前にいる、ドワーフになど目に移って入るものの見えてはいなかった。
ただただ、必死で自分が生きる理由を探す。やり残したこと、言えなかった言葉、会
いたい人…。
そして、数えて泣きたくなった。
なんてボクには何もないのだろう。毎日を必死に生きるだけで、誰かを気にかけるこ
となんてしていなかった。
恋人はおろか、友人だってろくにいない。両親は必死にボクの学費のために働いてく
れているが、僕はそれに答えることなど一つとしてできなかった。…いっそ邪神にで
もなってしまえばいいのかもしれない。
「あぁああああああああッッ!!」
こんな風に叫んだのは…何年ぶりだろう。
腹の奥から感情を垂れ流すのは………。
その間、ヴォルボは何をしていたかといえば、逃げ出していた。
逃げるといえば響きは悪いが、先ほどの突撃でもどうにもならないとなると、頼みの
綱は例の髪飾りだ。
しかし、それはウェイスターに渡してしまって手元にはない。
となれば、髪飾りを探すか、ウェイスターを探すか…。どちらにせよ、今、あのヲタ
クとやりあうのは得策ではない。
冷静に頭を切り替えてヴォルボは駆け出していた。
ほとんど光はなく、普通の人間なら歩き出すのを躊躇うところだが、ドワーフである
彼にはそんな心配はなかった。
とりあえず、ヲタクと距離をとる。行くべき方向など初めからないのだ。
「マリリアン…。」
なんとなく、彼女を思い出すと涙がこぼれそうになった。が、彼は男だ。かすかに目
を赤くした程度で涙を流すには至らない。だから、胸に残る寂しさや悔しさ…そう
いった感情が、何一つ晴れるわけではなかった。
走り続けてどのくらいたっただろうか、肺が張り裂けそうだ。足がもつれる。喉が渇
いた。身体が痛い。めまいがする。
めまいついでに何かがぼんやり見えてきた。
「…?マリリアン?」
デブでブスで、それに気付かないという犯罪行為的な女性、マリリアンの姿があっ
た。
「…マリリアン。どうしてここに。」
マリリアンの声は聞こえない。そんなに距離があるわけではないはずなのに。口だけ
がパクパクと動いている。
「なに?聞こえない。」
駆け寄る。もつれる足で懸命に。
「あれ?ちょっと…。」
進んでいるのに、ちっとも近づかない。むしろ遠のいているかと思うぐらいだ。
「待ってよ。どこに行くの?」
やっとのことで、手の届く位置まで歩み寄り、手を伸ばす。
「ねえ、マリリアン…。」
スゥ…と、ヴォルボの手が空を切った。
「………。」
うなだれ、膝を突く。
何故だろう。悲しくてむなしいはずなのに…涙が出るような気がしなかった。
『あきらめないで…。』
マリリアンの声がして、ふと顔を上げた。
どこか遠く…。
辺りを見回しても、姿はない。
『がんばってね…。ヴォルボ…。』
声の主は遠くなどなかった。むしろ、頭の中に直接響くようだった。
「…うん。」
ヴォルボが、それが幻聴だと気付くころには、学園を出ていた。
少しだけ澄んだ空気を吸って、自分が生きていることを確かめた。
PC:ヴォルボ ウェイスター
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
何処をどうやって歩いてきたのか解らなかった。
ただ一つ判明している事は、ここは学園の敷地内で学園の地下からは出てい
るのだという事だけだった。学園の敷地内である事が解るのは、推測でしかな
いが然程歩き回った訳でもないので学園の敷地から出ている訳ではないだろう
ということと、周囲に点在している建物が魔術学院のそれだったからだ。学園
の地下――先程の場所から出ているのだという判断は、日の光が見えたから
だ。恐らく朝日だろう。曙光がビロードの天幕と大地を割って顔を覗かせてい
た。といっても、建物に曙光が当たって朱色に輝いているところからの推測に
過ぎないが。
ヴォルボは暫く呆けていたが、はっと気付いてウェイスターを助けに行かな
ければという思いに駆られた。どういう訳で彼が自分と行動を共にしているの
かは解らないが、唯一ついえる事は今回の件に関して彼が深く関わってしまっ
たと言う事だ。それも、自分の所為かもしれないのだ。自分の所為で彼が危険
な目にあっているのだとしたら、つまるところそれは助けなければならないと
いうことだ。
ヴォルボは急いで元来た道を引き返そうと、踵を返した。
が、そこではたと止まった。
元来た道?
はたして、元来た道と言うのをヴォルボは知らなかった。当然だ。何処をど
うやって歩いて来たかも解らないのだから。はたして、どうしたものか。ヴォ
ルボは悩んだ。今となってはテスカトリポカに対する恐怖と言うのも、不思議
と薄れていた。ひょっとしたら先程見た、マリリアンの幻が恐怖を払拭してく
れたのかもしれない。詳しいことは解らないが、ともかくウェイスターを放っ
ておくわけにはいかない。
ヴォルボは意を決し、再び暗黒の口の中へと踊り込んだのだった。
「待ってて下さいよ、ウェイスター殿。今すぐに助けに行きますからね」
地下講堂のそのまた下に造られた、ということはひょっとしたらここは古の
実験場か何かだったのかもしれない。今は使われていないようだが。所々に見
たことも無いような文様やら文字の様なものやらが、点在していた。時々通る
道筋に魔法陣のようなものも描かれていたりする。地面が陥没したり意図的に
陣の一部を消されたりして、今は機能していない様だが。ヴォルボがそれを知
ることが出来たのは、その陣の上に乗っても何も起こらなかったからだ。最初
は警戒して、遠巻きに魔法陣を迂回していたが、そのうち迂闊に足を踏み入れ
てしまったのだ。その時何かが起こると思って、思わず目を瞑ったが暫く経っ
ても何も起こらなかった。そして、その事から、ここは使われなくなって久し
い場所なのだと知ることが出来た。今では魔法陣を見ても迂回せずに堂々と踏
み荒らすことが出来る。魔法文字の知識が無いので、その魔法陣が元々持って
いた機能が何なのか、知ることは出来ないが。時々完全な形で残っている魔法
陣があって、その場所だけは慎重に迂回することにした。
何処をどう歩いたのかすら覚えてない。記憶にあるのは、ただ暗い迷路のよ
うに入り組んだ地下道を右往左往し行きつ戻りつしたことだけだ。ただ、外に
出た時と同じ道順を進んでいるであろうことは薄々勘付いていた。
暫く進むと、仄かな明かりが見えてきた。
おかしい。ここは人が立ち入らなくなって久しい地だというのに。
ヴォルボは、警戒しつつも静かに近付いていった。ひょっとしたらその明か
りは、ウェイスターが灯したものかもしれないからだ。
それは、魔法の明かりだった。
魔法の明かり、と言うことはそれはウェイスターが灯したものではない、と
言うことだ。ウェイスターではない第三者、つまり、テスカトリポカが灯した
ものであろうことは明白だった。
(しまった! ウェイスター殿に合流するよりも先に敵に遭遇してしまった
か!)
ヴォルボは算段した。
ウェイスターの助けもなしにどれだけテスカトリポカと渡り合えるか。
戦斧[バトルアックス]は壊れてしまったが、先程取り出しておいた風の魔法
が掛かった短剣、鞠村がこちらにはある。だが、これだけでは心もとない事も
また事実だ。
まだ姿を見た訳ではないから明確ではないが、何れ近付けばはっきりするだ
ろう。だが、近付いてからでは遅いのだ。
ヴォルボは考えあぐねていた。焦って汗が滴り落ちるのも気が付かないほど
だ。知恵の輪を解けそうで解けないもどかしさにも似ている。焦りすぎると
段々腹が立って仕方がなくなるものだ。ドワーフであるヴォルボもその例には
漏れなかった。
ヴォルボの焦りとは裏腹に、足音が初め小さかったものが段々大きく響くよ
うになって来た。それはつまるところ、こちらに向かって近付いている、と言
うことだ。複数ある柱の影に隠れてはいるが、いつ見つかるとも解らない。ヴ
ォルボの焦りは頂点に達していた。心臓の鼓動が早鐘のように打ち鳴らす。汗
が滝のように滴り落ちる。呼吸が乱れて荒くなる。
足音は、ヴォルボが隠れている柱の手前で止まった。
くすりと、影が嗤った様な気がした。
ヴォルボの心拍数は今まで生きてきた中で最高拍をたたき出していた。
鞠村を握る手が白く変色する。どこか汗ばんでいるようだった。
だが、足音の主は暫くその場に立ち止まっていただけで何をする事もなかっ
た。
ヴォルボの予想は杞憂に終わった。
男は無言で立ち止まっていた後、徐に歩き出した。今までの進行方向、前へ
と。
それでその場は丸く収まる筈だった。
ヴォルボが男の言葉を耳にしなければ――。
「――今は見逃しておいてやるよ。今はね――」
男は、ぼそりと呟いただけだった。
ほんの小さく、ぼそりと。
普通なら殆ど耳に入らないくらい、小さく、小さく、呟いただけだった。
だが、ここは静寂の支配する空間。そして、聞いていた当人はドワーフだっ
た。普通の人間よりも少し、耳が良いのだ。耳に入らないはずがない。そし
て、一度耳にしてみれば空恐ろしさを感じずにはいられなかった。その言葉は
枯れ木の間を吹き荒ぶ寒風の如く、不気味に聞こえた。およそ人間の声音とは
思えない声音だった。何処から声を出しているのか解らないほど、それは異形
のもの、人ならざるものに近しい声だった。その声を耳にしたものは発狂する
か、意識を持ってかれるかのどちらかだろう。だがしかし、ヴォルボはそのど
ちらにも当てはまらなかった。正気を保つ事に、成功したのだ。
ヴォルボは意を奮い立たせて、仲間――ウェイスターの元へと向かったのだ
った。
*□■*
ウェイスターは瓦礫の上に仰向けになって気絶していた。
一体何が起こったのか、ウェイスターの身体全体に薔薇の様に鮮やかな鮮血
がこびり付いていた。顔面には血と共に青あざ等も刻み込まれていた。足は折
られ、腕には爪で引っかかれたのだろう切り傷が見られた。ご自慢の制服は当
然の事ながら破れてボロボロになっている。そうとう凄惨な戦闘が行われたの
だろうと窺わせた。それも、一方的な私刑[リンチ]に近い戦闘が。
ヴォルボは小走りに近寄って、声を掛けた。
「大丈夫ですか? ウェイスター殿」
が、返事がない。
無理もない。意識を手放しているのだから。
ヴォルボはウェイスターの意識が無いのを見て取ると、手早く応急処置を施
した。先ず脈を診て、閉じている瞼を開けて瞳孔が開いているかどうかを確認
して、次に息をしているかどうかを見るために唇に掌を翳す。そして、気道確
保のために頭部を持ち上げて口を開かせる。頚椎を四十五度の角度に固定する
と、次の作業に移った。即ち止血だ。腕の引っかき傷には腕を圧迫して止血す
る。服の一部を破って腕に巻いていく。折れている足は何処からか拾ってきた
棒切れを服の切れ端で固定した。
てきぱきと慣れた手つきだ。何年も冒険者をやっていると、こういうことに
長けてくる。
応急処置を施して、ヴォルボはほっと胸を撫で下ろした。幸いな事に命には
別状がないらしい。
ヴォルボは、満身創痍のウェイスターを背に担ぐと足早に歩き去って行っ
た。ここではないところ、ここから外へと通じる竪穴へと――。
*□■*
ヴォルボはとりあえずこの場――魔術学院から出ることにした。
とりあえず今は受けた傷を癒す事に専念するしかない。そのためには出来る
だけテスカトリポカから遠ざかる必要があった。今の力では、テスカトリポカ
に打ち勝つことは出来ない。今はまだ力が及ばないのだ。それを今し方痛感し
たばかりだ。先程の焦りと緊張の連続した時間と、満身創痍にされたウェイス
ターを見れば一目瞭然だ。
とりあえず傷を癒す事。
それから、戦力を立て直し戦術を練って様子を見るしかないようだ。
そう思って、街へと足を伸ばすヴォルボ。その背にはウィスターが意識を手
放して圧し掛かっていた。ウェイスターの足を引き摺るように彼を運んで街へ
と赴くヴォルボ。当然だ。彼の背丈は人間のそれよりもはるかに小さいのだ。
ずるずるとウェイスターの足を引き摺りながらソフィニアの街へと出る。
魔術学院を出て初めて、ソレに遭遇した。
ソフィニアの街では今や、チャーハン祭りなるものが催されていたのだ。
何故、そうなったのか。ヴォルボは熟考してみた。
思い当たる節があった。
髪飾りを造っていたとき、奇声を上げて何かがソフィニアの街に押し寄せて
きた。きっと、多分、絶対、ソレのせいだろうと思った。
NPC:ウォダック(テスカトリポカ)
場所:ソフィニア魔術学院
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
何処をどうやって歩いてきたのか解らなかった。
ただ一つ判明している事は、ここは学園の敷地内で学園の地下からは出てい
るのだという事だけだった。学園の敷地内である事が解るのは、推測でしかな
いが然程歩き回った訳でもないので学園の敷地から出ている訳ではないだろう
ということと、周囲に点在している建物が魔術学院のそれだったからだ。学園
の地下――先程の場所から出ているのだという判断は、日の光が見えたから
だ。恐らく朝日だろう。曙光がビロードの天幕と大地を割って顔を覗かせてい
た。といっても、建物に曙光が当たって朱色に輝いているところからの推測に
過ぎないが。
ヴォルボは暫く呆けていたが、はっと気付いてウェイスターを助けに行かな
ければという思いに駆られた。どういう訳で彼が自分と行動を共にしているの
かは解らないが、唯一ついえる事は今回の件に関して彼が深く関わってしまっ
たと言う事だ。それも、自分の所為かもしれないのだ。自分の所為で彼が危険
な目にあっているのだとしたら、つまるところそれは助けなければならないと
いうことだ。
ヴォルボは急いで元来た道を引き返そうと、踵を返した。
が、そこではたと止まった。
元来た道?
はたして、元来た道と言うのをヴォルボは知らなかった。当然だ。何処をど
うやって歩いて来たかも解らないのだから。はたして、どうしたものか。ヴォ
ルボは悩んだ。今となってはテスカトリポカに対する恐怖と言うのも、不思議
と薄れていた。ひょっとしたら先程見た、マリリアンの幻が恐怖を払拭してく
れたのかもしれない。詳しいことは解らないが、ともかくウェイスターを放っ
ておくわけにはいかない。
ヴォルボは意を決し、再び暗黒の口の中へと踊り込んだのだった。
「待ってて下さいよ、ウェイスター殿。今すぐに助けに行きますからね」
地下講堂のそのまた下に造られた、ということはひょっとしたらここは古の
実験場か何かだったのかもしれない。今は使われていないようだが。所々に見
たことも無いような文様やら文字の様なものやらが、点在していた。時々通る
道筋に魔法陣のようなものも描かれていたりする。地面が陥没したり意図的に
陣の一部を消されたりして、今は機能していない様だが。ヴォルボがそれを知
ることが出来たのは、その陣の上に乗っても何も起こらなかったからだ。最初
は警戒して、遠巻きに魔法陣を迂回していたが、そのうち迂闊に足を踏み入れ
てしまったのだ。その時何かが起こると思って、思わず目を瞑ったが暫く経っ
ても何も起こらなかった。そして、その事から、ここは使われなくなって久し
い場所なのだと知ることが出来た。今では魔法陣を見ても迂回せずに堂々と踏
み荒らすことが出来る。魔法文字の知識が無いので、その魔法陣が元々持って
いた機能が何なのか、知ることは出来ないが。時々完全な形で残っている魔法
陣があって、その場所だけは慎重に迂回することにした。
何処をどう歩いたのかすら覚えてない。記憶にあるのは、ただ暗い迷路のよ
うに入り組んだ地下道を右往左往し行きつ戻りつしたことだけだ。ただ、外に
出た時と同じ道順を進んでいるであろうことは薄々勘付いていた。
暫く進むと、仄かな明かりが見えてきた。
おかしい。ここは人が立ち入らなくなって久しい地だというのに。
ヴォルボは、警戒しつつも静かに近付いていった。ひょっとしたらその明か
りは、ウェイスターが灯したものかもしれないからだ。
それは、魔法の明かりだった。
魔法の明かり、と言うことはそれはウェイスターが灯したものではない、と
言うことだ。ウェイスターではない第三者、つまり、テスカトリポカが灯した
ものであろうことは明白だった。
(しまった! ウェイスター殿に合流するよりも先に敵に遭遇してしまった
か!)
ヴォルボは算段した。
ウェイスターの助けもなしにどれだけテスカトリポカと渡り合えるか。
戦斧[バトルアックス]は壊れてしまったが、先程取り出しておいた風の魔法
が掛かった短剣、鞠村がこちらにはある。だが、これだけでは心もとない事も
また事実だ。
まだ姿を見た訳ではないから明確ではないが、何れ近付けばはっきりするだ
ろう。だが、近付いてからでは遅いのだ。
ヴォルボは考えあぐねていた。焦って汗が滴り落ちるのも気が付かないほど
だ。知恵の輪を解けそうで解けないもどかしさにも似ている。焦りすぎると
段々腹が立って仕方がなくなるものだ。ドワーフであるヴォルボもその例には
漏れなかった。
ヴォルボの焦りとは裏腹に、足音が初め小さかったものが段々大きく響くよ
うになって来た。それはつまるところ、こちらに向かって近付いている、と言
うことだ。複数ある柱の影に隠れてはいるが、いつ見つかるとも解らない。ヴ
ォルボの焦りは頂点に達していた。心臓の鼓動が早鐘のように打ち鳴らす。汗
が滝のように滴り落ちる。呼吸が乱れて荒くなる。
足音は、ヴォルボが隠れている柱の手前で止まった。
くすりと、影が嗤った様な気がした。
ヴォルボの心拍数は今まで生きてきた中で最高拍をたたき出していた。
鞠村を握る手が白く変色する。どこか汗ばんでいるようだった。
だが、足音の主は暫くその場に立ち止まっていただけで何をする事もなかっ
た。
ヴォルボの予想は杞憂に終わった。
男は無言で立ち止まっていた後、徐に歩き出した。今までの進行方向、前へ
と。
それでその場は丸く収まる筈だった。
ヴォルボが男の言葉を耳にしなければ――。
「――今は見逃しておいてやるよ。今はね――」
男は、ぼそりと呟いただけだった。
ほんの小さく、ぼそりと。
普通なら殆ど耳に入らないくらい、小さく、小さく、呟いただけだった。
だが、ここは静寂の支配する空間。そして、聞いていた当人はドワーフだっ
た。普通の人間よりも少し、耳が良いのだ。耳に入らないはずがない。そし
て、一度耳にしてみれば空恐ろしさを感じずにはいられなかった。その言葉は
枯れ木の間を吹き荒ぶ寒風の如く、不気味に聞こえた。およそ人間の声音とは
思えない声音だった。何処から声を出しているのか解らないほど、それは異形
のもの、人ならざるものに近しい声だった。その声を耳にしたものは発狂する
か、意識を持ってかれるかのどちらかだろう。だがしかし、ヴォルボはそのど
ちらにも当てはまらなかった。正気を保つ事に、成功したのだ。
ヴォルボは意を奮い立たせて、仲間――ウェイスターの元へと向かったのだ
った。
*□■*
ウェイスターは瓦礫の上に仰向けになって気絶していた。
一体何が起こったのか、ウェイスターの身体全体に薔薇の様に鮮やかな鮮血
がこびり付いていた。顔面には血と共に青あざ等も刻み込まれていた。足は折
られ、腕には爪で引っかかれたのだろう切り傷が見られた。ご自慢の制服は当
然の事ながら破れてボロボロになっている。そうとう凄惨な戦闘が行われたの
だろうと窺わせた。それも、一方的な私刑[リンチ]に近い戦闘が。
ヴォルボは小走りに近寄って、声を掛けた。
「大丈夫ですか? ウェイスター殿」
が、返事がない。
無理もない。意識を手放しているのだから。
ヴォルボはウェイスターの意識が無いのを見て取ると、手早く応急処置を施
した。先ず脈を診て、閉じている瞼を開けて瞳孔が開いているかどうかを確認
して、次に息をしているかどうかを見るために唇に掌を翳す。そして、気道確
保のために頭部を持ち上げて口を開かせる。頚椎を四十五度の角度に固定する
と、次の作業に移った。即ち止血だ。腕の引っかき傷には腕を圧迫して止血す
る。服の一部を破って腕に巻いていく。折れている足は何処からか拾ってきた
棒切れを服の切れ端で固定した。
てきぱきと慣れた手つきだ。何年も冒険者をやっていると、こういうことに
長けてくる。
応急処置を施して、ヴォルボはほっと胸を撫で下ろした。幸いな事に命には
別状がないらしい。
ヴォルボは、満身創痍のウェイスターを背に担ぐと足早に歩き去って行っ
た。ここではないところ、ここから外へと通じる竪穴へと――。
*□■*
ヴォルボはとりあえずこの場――魔術学院から出ることにした。
とりあえず今は受けた傷を癒す事に専念するしかない。そのためには出来る
だけテスカトリポカから遠ざかる必要があった。今の力では、テスカトリポカ
に打ち勝つことは出来ない。今はまだ力が及ばないのだ。それを今し方痛感し
たばかりだ。先程の焦りと緊張の連続した時間と、満身創痍にされたウェイス
ターを見れば一目瞭然だ。
とりあえず傷を癒す事。
それから、戦力を立て直し戦術を練って様子を見るしかないようだ。
そう思って、街へと足を伸ばすヴォルボ。その背にはウィスターが意識を手
放して圧し掛かっていた。ウェイスターの足を引き摺るように彼を運んで街へ
と赴くヴォルボ。当然だ。彼の背丈は人間のそれよりもはるかに小さいのだ。
ずるずるとウェイスターの足を引き摺りながらソフィニアの街へと出る。
魔術学院を出て初めて、ソレに遭遇した。
ソフィニアの街では今や、チャーハン祭りなるものが催されていたのだ。
何故、そうなったのか。ヴォルボは熟考してみた。
思い当たる節があった。
髪飾りを造っていたとき、奇声を上げて何かがソフィニアの街に押し寄せて
きた。きっと、多分、絶対、ソレのせいだろうと思った。