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『 易 し い ギ ル ド 入 門 【18】』
~ 女難の相 ~
場所 :ソフィニア
PC :エンジュ シエル イェルヒ
NPC:ベルベッド
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その日は、いつもよりもイライラしていた。
本当ならば、寮で食事がでる日だというのに、先日来たばかりのいつもの酒場
に来たのは他でもない。気分を変えたかったからだ。
先日の事件……いや、あれは悪夢だ……は、ここの場所からが発端だったので、あ
まり来たい場所ではなかったが、他に店は知らなかった。
ただでさえ、昨日の公開講座のアルバイトを入れていたのをキャンセルせざる
を得なかったというのに、知らぬ店に入って、思わぬ多額の出費を出したくは無
い。結局は、値段を知った店に入った。
勿論、入る前に、店の中に、あの悪夢の登場人物がいないかどうかは細心に注
意を払った。
確認がとれ、ほっとしていつもの定位置へと席につく。
「いらっしゃいませー」
店員の声に反応し、まさか、と思って入り口を見る。
入り口には、仮面をつけた女がいた。
その容姿に、目を奪われる。白い……そう、それ以外に形容しようの無い、容姿
だ。肌も、髪も白い。
ただし、その女は変わっていた。その白さの次に目を奪われるのは、仮装パー
ティーにでもつけるような奇異な仮面だ。その非日常さがありながらも、服装は
飾り気も何も無い、全身黒尽くめ。
……変な女だ。イェルヒの評はそんなものだった。
視線を戻そうとしたとき、その変な女がびくり、と身を竦《すく》ませた。直
後、その変な女は身を翻して、駆け出して店を出て行った。
なんなんだ。気分が悪い。思わず、その背に向けて睨みつける。
あぁ、そうだ。ここに来た理由も、女が理由だった。
今日は女難だ。
「お待ちどうさまです」
すぐそばまで来ていたのだろう、女給が野菜炒めセットを盆で運んできていた。
見やると、いつもの野菜炒めセットとは別に、注文した覚えの無い皿が置いて
ある。
「……なんだ? コレは」
抑えているつもりであったのに、わずかに声が震えた。
指でささなかったのは正解だ。きっと、隠しようが無いほど、震えたに違いない。
女給は、そんな様子に全く気づかず、答える。
「新メニュー、今日から始めたんですよ。
お得意様にだけ、現在無料サービスでつけてるんです」
しばし絶句している間に、女給は他のお客の追加注文の呼び声に応え、その場
を離れた。
小さく呻いて、そのサービスの皿を睨みつけるように対面する。睨まれた小皿
に盛られているのは、小さく刻んだ具材と米を炒めたモノ。
普段なら全く見ないメニューを見る。派手派手しく赤と黄色のインクを使っ
て”チャーハン 始めました!”と元気良い書体で書かれているのを読み取って、
イェルヒは絶望した。
忘れようと決めたのに、あの事件の爪あとは深々と傷痕を残してくれたようだ。
下げてもらおうか……そう思ったが、「あのエルフ、2日前の騒動の関係者か」
と不審がられるかもしれない……いや、冷静になれ。多少変な客であると思われる
であろうが、普通の人間はそこまで考えないはずだ。ならば大丈夫だ。
……そこまで思って、イェルヒは、過剰反応を起こしている自分自身に対して落
ち込んだ。
落ち着こう。
お冷をぐい、と一口含み、頭にこもった熱を追いやる。
改めて、例の小皿と対面する。今度は、先ほどのように、威嚇するようにでは
なく、克服する相手を見定めるように。
銀のさじを掴み、チャーハンをすくい、震える手を押さえながら、一気に口に
運んだ。 ここの味付けの傾向通り、味は濃い。卵はボロボロと炒り卵が混ざっ
ているような感じでご飯にパラパラ感があまり生まれていない。具材はありあわ
せの野菜と、きっとチャーシューは用意できなかったのだろう……鶏肉を用いていた。
味は、比較するまでもない。所詮、見よう見まねでつくった”もどき”モノだ。
そうだ、あの恐怖は、もう終わったのだ。
イェルヒは、わずかに頬をほころばせる。それが今日で初めての笑顔らしきも
のであるという事実は、彼に伝えない方が良いだろう。きっと再び落ち込むこと
だろう。
背後に気配を感じた。
怪訝に思って振り向くと、長身の銀髪のエルフがいた。……いや、よくよく見る
と、ハーフ・エルフのようだ。しかも、やたら胸のでかい女だ。
「ごめんなさい。エルフ違いだったみたい」
ハーフ・エルフの女は肩をすくめてみせる。それだけの動作だというのに、や
けに胸が揺れる。
一般的な多くの男性ならば思わず見入ってしまうだろう。しかし、イェルヒの
率直な感想は、気持ち悪いという、ミもフタも無いものだった。
イェルヒは再び食事に戻った。
とにかく今日は、あまり女には関わりたくない。
イェルヒは朝のことを思い出していた。
*******
「ちょっと!!」
起こされたのは、甲高い女の声だった。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
目を開けると、勝気そうな目をした赤毛の女がイェルヒの胸倉を掴んでいた。
「昨日、なんで来なかったのよ!!
まぁいいわ。ちょっと聞きなさいよ! 昨日、ムカつくクソ女がいてね……」
目が開いたのを確認するやいなや、機関銃のように喋りだす、
イェルヒは女の顎を、掌《てのひら》の腹の部分で上へ押しやった。すると、女
は舌を噛んだようで、なんとも表記しがたい発音をする。その際、襟《えり》から
女の手が離れた。
「何すんのよ!」
「それはこっちのセリフだ! お前こそが世界一のクソ女だッ!!
ここは、男子寮だぞ!? バカじゃないのか!?」
「何よ。アンタに押し倒す甲斐性なんてあるわけ無いし。
押し倒されたとしても、アンタ、私より非力じゃない」
「そういうことじゃないだろう……」
寝覚めから聞かされた声によって、まだ頭がくぁんくぁんとする。思わず、額
に手を当てて支える。
「近々結婚するんだろう」
そのイェルヒの言葉に、赤毛の女、ベルベッドは、決まり悪そうになった。
「……心配してくれ…」
「これがきっかけで、自業自得で破談して、関係ない俺を騒動に巻きこむつもり
か。退学になったらどうしてくれる」
「……アンタが友達いないのがよぉく分かるわ」
冬山の豪雪を含んだ風よりも冷たい視線をイェルヒに送るも、このエルフの男
はちっとも効かないようだ。
「人のことが言えるのか?」
ひらひらと手のひらを振り、ベッドから降りろと指示する。
イェルヒは棚にある1つのコップに水差しから水を注ぎ、寝起きで乾いた喉を
潤す。朝から怒鳴ったので、張り付いていた喉がみずみずしさを得る。
「私室にコップが1つしかない男に言われたくないわ」
「必要ないからな」
それは、2つ目のコップのことなのか、友達のことなのか。どちらにしても、
侘しい男であることには変わりない。
「この前だってそうだ。あの鳥の封印を俺に頼むなんて、友人が居ないと言って
いるも同然だ」
自ら言う台詞でもないことを、イェルヒは何にも気にせずに言う。
「何よ。礼はたっぷり払ったでしょ」
イェルヒのセリフからは的外れな言葉を吐くベルベッド。
話が飛躍したのは「金をもらったくせに」と言いたいからか。その金も、婚約
者の親が出したもので、自分が出したわけではないというのに。
イェルヒは、フンと鼻を鳴らして口元と眉間を歪めた。それは皮肉げに笑った
のではなく、単に不快さを表した表情なだけに、ベルベッドは、地味に、そして
彼以上に不快になった。
学院で魔女と揶揄されているベルベッドは、学院でイェルヒに積極的に声をか
ける珍しい人物の1人だった。
しかし、それは好意からではない。興味からだ。生物学寄りの専攻をしている
彼女は、『イェルヒ』にというよりは、『エルフ』に興味を持っていた。
イェルヒは、学院から正式に依頼があった時のみ、髪の毛や血などのサンプル
摂取に協力しているが、そのサンプルは普通の研究員や学生のもとへは届かない
ようで、個人的に頼んでくる者も少なくない。しかし、イェルヒはその他の場合
は頑としてその類の頼みは聞き入れないことにしていた。
勿論、1人許可すると、他の人が求めてくるというのもあったが、それより
も、『研究対象』として見られるのは、あまりいい気分ではないからだというの
が本音だ。
だから、多分にもれずベルベッドの存在も、イェルヒにとって気分のいいもの
ではなかった。何かとあれば話しかけてきて、隙を見つけては肩に付いた髪の毛
を狙っているのだからうんざりする。
その彼女が、先日、鳥篭を持ってきて封印の施しを頼むため、イェルヒを訪ね
てきた。
「だからといって、愚痴まで付き合う謂《いわ》れは無いな。
というか、俺のところに来るって、末期だぞ。
お前、特に同性の友達いないだろ」
「……できたわよ。昨日」
ふん、とイェルヒは興味なさそうな声を出した。事実、質問したのは自分であ
るが、興味は無い。
「アナタと違って、とても協力的だわ。
いい友達になれそうって言われたもの」
他種族か。
この女は、同種族である人間にはひねくれているクセに、研究対象である他種
族であると、興味が剥き出しになる分、普段他の人間には見せない素顔の部分を
見せる。
今の台詞一つ取っても、隠しているものの、本音として嬉しそうなのが伺える。
「それじゃぁ、そのオトモダチに愚痴るんだな。
俺は、熱があるんだ。健康状態であっても聞きたくないがな」
椅子にかけてある上着を羽織る。
熱は少し下がったようだが、まだ完全とは言い切れない。
あの悪夢から再び意識を戻したとき、先生から3日間休養するようにと告げら
れた。イェルヒは覚えていないのだが、昨日発見されたときは、人づてによる
と、高熱の上、何か口走って暴れたとのことだ。
よくよく見れば、魔法陣を描いたチョークの名残や、床には部屋の隅のゴミ箱
の中には、紙くずとなってしまった呪符が集積していた。
イェルヒは、その事実から目を逸らした。その意識を拡散したかったからだろ
うか、イェルヒは、先ほど自分から否定した話を広げた。
「どうせ、婚約者がらみだろう。
普通の言い合いなら、怒鳴りながら『ムカツク女』だと言うことはないだろ
う。せいぜい、いつものあの笑みで嘲うくらいだ。
なんだ? あの獣人の恋人とやらが殴りこみにでも来たか?」
ベルベッドは何も言わない。
当たらずとも遠からず、というところだろうか、とイェルヒは中《あた》りをつ
ける。 自分から怒鳴りこんできておいて、聞かれたら口ごもる。なんなんだ、
この女は。まったく分からない。
分からないついでに、イェルヒは質問を重ねる
「お前の結婚の目的はなんだ? あのボンボンを獲得したいわけか?」
「馬鹿言わないで。私の目的はあくまで研究費よ」
巷で言われているお得意の”ウィッチ・スマイル”をベルベッドは作る。何故、
世間はこの笑みに嫌悪を示すのか、イェルヒには理解できない。イェルヒは、そ
の笑みは滑稽にしか見えなかった。
「なら、別にどうでもいいだろう。
お前が欲しいのは、金。男は金を捨ててまで欲しい愛だ。共存できなくはない
だろう。
男は、お前と結婚し、愛する女とそのまま愛し続けりゃいい。お前は、それを
黙認して金を吸い取ればいい。
家のために、お前とその男との子供は産まなきゃならんだろうが、そこは我慢
してもらえ。
女と張り合う意味がわからんな。俺なら懐柔する」
しかし、ウィッチ・スマイルは微塵もたじろがなかった。そんなことは考え済
みだと言いたいかのようだ。
「魔女は、全てを奪うからこそ恐れられるのよ。
私はね、ろくな苦労をしたこと無い男が、愛さえあれば生きられるとと思って
いる、あの思い込みのを壊したいのよ」
その言葉に、イェルヒは何故だか、イラついた。
反射的に出た言葉は、乱暴な響きを持っていた。
「なら、脱げばいいだろう」
イェルヒの言葉にベルベッドの笑みが凍りついた。
「着飾って、化粧して、『愛してる』と言って男にしなだれかかれ。
あとは脱いで既成事実を作れば、土台に”婚約”というのがある分、『愛』とい
う言葉に酔っている男は罪悪感に苛まれるさ。
それで簡単に壊せれる。
まさか純情を気取るつもりじゃあるまい?」
今や、ウィッチ・スマイルは完全に崩れていた。ベルベッドは、何か悔しがる
ように、あるいは耐えるように、歯噛みしていた。
”人間の男に心を奪われた魔女は、ただの人間の女に成り下がる”
それは、どこかで聞いた童話の内容を思い出させた。
あぁ、そうだ。ウィッチ・スマイルが滑稽にしか見えないのは、それが虚勢だ
からだ。
イェルヒは、鼻で嘲った。
ベルベッドという女は、口で否定しておきながら、結局は『愛』とやらを信じ
ているのだ。単に、得られないのが……負けるのが怖いから、否定しているに過ぎ
ない。
イェルヒに愚痴りに来たのは、イェルヒが『愛』を信じていないからだ。イェ
ルヒを利用して、魔女であるという錯覚をしたかったのだ。
不快だ。
イェルヒにはそれが、ひどくカンに触った。
「金目当てなら、別に、他の男でもいいわけだろう。
時々見かける、あの植物男、クノーヴィ家の人間なんだろう? 学院への寄付
金だって、かなり多いらしいじゃないか」
嫌味に、嘲笑を含んでそれを言い放つ。
握り締められたベルベッドの拳は、ぶるぶると震えていた。
惨めさを自覚したのか、恥辱に耐えているのか、それとも単に侮辱された怒り
か……はたまた自分の本音と対面した慄《おののき》きか。
その姿を見ても、イェルヒの胸の内はすっきりしなかった。それどころか、途
端に、自分に嫌気が差した。
暴いて、何になるというのだ。
少なくとも、自分の利益にはこれっぽっちもならない。
自分の内にこもった熱が、途端に逃げていく。
寒気を覚え、鳥肌が立った。だが、心はもっと、冷めていた。
「……出て行ってくれ。体調が、悪いんだ」
泣いているかもしれない、と思っていたが、顔を上げたベルベッドの目は、気
丈にもイェルヒを睨んだ。
今日初めて見る真正面の彼女の顔は、疲れの色が伺えた。
「言われなくても、帰るわ。
友達が、お昼から来るの」
威力の弱まったウィッチ・スマイルを、それでも彼女は浮かべる。
「その前に、渡しておくわ。これ」
イェルヒの手の平に、紙包みが置かれる。
「解熱の作用がある薬。よかったら飲んで。
それじゃ、邪魔したわね」
くるりと踵《きびす》を返して、ドアを開けるベルベッドに、イェルヒは、思わ
ず声をかけた。
「おい、待て……」
ベルベッドは、立ち止まる。
「その……」
次に出す言葉の選択に迷いは無かった。
「ポケットに入ってるモノを、置いていけ」
「……? 何のことかしら?」
ベルベッドは、振り向き、怪訝な表情で問いただす。
「置いていけ」
しかし、イェルヒは動じない。
観念したように、ベルベッドはポケットから、一枚のくしゃくしゃになった紙
切れを机の上に叩き置く。イェルヒの血が含まれている、あの呪符だ。
「これでいいんでしょ!」
駆け出そうとするベルベッドの腕を、イェルヒは掴む。
「まだあるだろう」
数秒、睨まれたが、イェルヒの鉄面皮には全く効かなかった。
ベルベッドは、掴まれた腕を振り払うと、ポケットから、今度は折りたたまれ
た紙片が出される。
イェルヒが中身を確認すると、予想通り、イェルヒの髪の毛があった。
ふと見たらベッドや枕に、髪の毛が全く付着してないので、もしや、と思って
いたら案の定、予想通りだった。
「これで全部よ!」
今度こそ、ベルベッドは駆けて部屋を出て行った。
出て行ったのを確認して、イェルヒは扉を閉める。
こうなると、先ほど手渡された薬も、怪しいものだ。
紙包みを鼻先に持っていき、恐る恐る匂いを嗅ぐ。
「………」
懐かしい、匂いがした。
エルフの里で、よく解熱に使っていた、薬草を干した、あの匂いだ。
里では比較的よく見つかったが、このソフィニアではちょっと探し回らないと
手に入らない薬草であるはずだ。
「髪の毛の1本ぐらいならくれてやってもよかったかもしれないな……」
そんなコトを思いながら、包み紙を開く。
……まさかな、と思って、イェルヒは、軽く舌先で薬に触れた。
舌先は、思い出の薬草には全く無かった、痺れるような刺激を受けた
イェルヒは、再び、丁寧に包んで、くずかごにソレを叩きつけるように捨てた。
*******
結局、あの後、再びベッドにもぐりこんでも、素直に寝ることが出来なかった。
あの部屋にいるのが苦痛になり、飛び出したのだ。
その苦々しい思いをすりつぶすように、野菜炒めをゴリゴリと咀嚼し、水と一
緒に流し込む。
あぁ、そうだ、今日は、やたら女と関わるといいことが無い。
やっぱり、食事を済ませたら、すぐに帰ろうと、イェルヒは決めた。
いつの間にやら、店内はにぎわってきた。テーブル席はどこも埋まっている。
食事は、まだ半分も残っている。熱のせいか、いつもよりペースが落ちてい
た。まだ、かかりそうだ。
再び、野菜炒めにとりかかろうとしたとき、声をかけられた。
「ここの席、空いてるかしら」
それは、女だった。
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【18】』
~ 女難の相 ~
場所 :ソフィニア
PC :エンジュ シエル イェルヒ
NPC:ベルベッド
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その日は、いつもよりもイライラしていた。
本当ならば、寮で食事がでる日だというのに、先日来たばかりのいつもの酒場
に来たのは他でもない。気分を変えたかったからだ。
先日の事件……いや、あれは悪夢だ……は、ここの場所からが発端だったので、あ
まり来たい場所ではなかったが、他に店は知らなかった。
ただでさえ、昨日の公開講座のアルバイトを入れていたのをキャンセルせざる
を得なかったというのに、知らぬ店に入って、思わぬ多額の出費を出したくは無
い。結局は、値段を知った店に入った。
勿論、入る前に、店の中に、あの悪夢の登場人物がいないかどうかは細心に注
意を払った。
確認がとれ、ほっとしていつもの定位置へと席につく。
「いらっしゃいませー」
店員の声に反応し、まさか、と思って入り口を見る。
入り口には、仮面をつけた女がいた。
その容姿に、目を奪われる。白い……そう、それ以外に形容しようの無い、容姿
だ。肌も、髪も白い。
ただし、その女は変わっていた。その白さの次に目を奪われるのは、仮装パー
ティーにでもつけるような奇異な仮面だ。その非日常さがありながらも、服装は
飾り気も何も無い、全身黒尽くめ。
……変な女だ。イェルヒの評はそんなものだった。
視線を戻そうとしたとき、その変な女がびくり、と身を竦《すく》ませた。直
後、その変な女は身を翻して、駆け出して店を出て行った。
なんなんだ。気分が悪い。思わず、その背に向けて睨みつける。
あぁ、そうだ。ここに来た理由も、女が理由だった。
今日は女難だ。
「お待ちどうさまです」
すぐそばまで来ていたのだろう、女給が野菜炒めセットを盆で運んできていた。
見やると、いつもの野菜炒めセットとは別に、注文した覚えの無い皿が置いて
ある。
「……なんだ? コレは」
抑えているつもりであったのに、わずかに声が震えた。
指でささなかったのは正解だ。きっと、隠しようが無いほど、震えたに違いない。
女給は、そんな様子に全く気づかず、答える。
「新メニュー、今日から始めたんですよ。
お得意様にだけ、現在無料サービスでつけてるんです」
しばし絶句している間に、女給は他のお客の追加注文の呼び声に応え、その場
を離れた。
小さく呻いて、そのサービスの皿を睨みつけるように対面する。睨まれた小皿
に盛られているのは、小さく刻んだ具材と米を炒めたモノ。
普段なら全く見ないメニューを見る。派手派手しく赤と黄色のインクを使っ
て”チャーハン 始めました!”と元気良い書体で書かれているのを読み取って、
イェルヒは絶望した。
忘れようと決めたのに、あの事件の爪あとは深々と傷痕を残してくれたようだ。
下げてもらおうか……そう思ったが、「あのエルフ、2日前の騒動の関係者か」
と不審がられるかもしれない……いや、冷静になれ。多少変な客であると思われる
であろうが、普通の人間はそこまで考えないはずだ。ならば大丈夫だ。
……そこまで思って、イェルヒは、過剰反応を起こしている自分自身に対して落
ち込んだ。
落ち着こう。
お冷をぐい、と一口含み、頭にこもった熱を追いやる。
改めて、例の小皿と対面する。今度は、先ほどのように、威嚇するようにでは
なく、克服する相手を見定めるように。
銀のさじを掴み、チャーハンをすくい、震える手を押さえながら、一気に口に
運んだ。 ここの味付けの傾向通り、味は濃い。卵はボロボロと炒り卵が混ざっ
ているような感じでご飯にパラパラ感があまり生まれていない。具材はありあわ
せの野菜と、きっとチャーシューは用意できなかったのだろう……鶏肉を用いていた。
味は、比較するまでもない。所詮、見よう見まねでつくった”もどき”モノだ。
そうだ、あの恐怖は、もう終わったのだ。
イェルヒは、わずかに頬をほころばせる。それが今日で初めての笑顔らしきも
のであるという事実は、彼に伝えない方が良いだろう。きっと再び落ち込むこと
だろう。
背後に気配を感じた。
怪訝に思って振り向くと、長身の銀髪のエルフがいた。……いや、よくよく見る
と、ハーフ・エルフのようだ。しかも、やたら胸のでかい女だ。
「ごめんなさい。エルフ違いだったみたい」
ハーフ・エルフの女は肩をすくめてみせる。それだけの動作だというのに、や
けに胸が揺れる。
一般的な多くの男性ならば思わず見入ってしまうだろう。しかし、イェルヒの
率直な感想は、気持ち悪いという、ミもフタも無いものだった。
イェルヒは再び食事に戻った。
とにかく今日は、あまり女には関わりたくない。
イェルヒは朝のことを思い出していた。
*******
「ちょっと!!」
起こされたのは、甲高い女の声だった。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
目を開けると、勝気そうな目をした赤毛の女がイェルヒの胸倉を掴んでいた。
「昨日、なんで来なかったのよ!!
まぁいいわ。ちょっと聞きなさいよ! 昨日、ムカつくクソ女がいてね……」
目が開いたのを確認するやいなや、機関銃のように喋りだす、
イェルヒは女の顎を、掌《てのひら》の腹の部分で上へ押しやった。すると、女
は舌を噛んだようで、なんとも表記しがたい発音をする。その際、襟《えり》から
女の手が離れた。
「何すんのよ!」
「それはこっちのセリフだ! お前こそが世界一のクソ女だッ!!
ここは、男子寮だぞ!? バカじゃないのか!?」
「何よ。アンタに押し倒す甲斐性なんてあるわけ無いし。
押し倒されたとしても、アンタ、私より非力じゃない」
「そういうことじゃないだろう……」
寝覚めから聞かされた声によって、まだ頭がくぁんくぁんとする。思わず、額
に手を当てて支える。
「近々結婚するんだろう」
そのイェルヒの言葉に、赤毛の女、ベルベッドは、決まり悪そうになった。
「……心配してくれ…」
「これがきっかけで、自業自得で破談して、関係ない俺を騒動に巻きこむつもり
か。退学になったらどうしてくれる」
「……アンタが友達いないのがよぉく分かるわ」
冬山の豪雪を含んだ風よりも冷たい視線をイェルヒに送るも、このエルフの男
はちっとも効かないようだ。
「人のことが言えるのか?」
ひらひらと手のひらを振り、ベッドから降りろと指示する。
イェルヒは棚にある1つのコップに水差しから水を注ぎ、寝起きで乾いた喉を
潤す。朝から怒鳴ったので、張り付いていた喉がみずみずしさを得る。
「私室にコップが1つしかない男に言われたくないわ」
「必要ないからな」
それは、2つ目のコップのことなのか、友達のことなのか。どちらにしても、
侘しい男であることには変わりない。
「この前だってそうだ。あの鳥の封印を俺に頼むなんて、友人が居ないと言って
いるも同然だ」
自ら言う台詞でもないことを、イェルヒは何にも気にせずに言う。
「何よ。礼はたっぷり払ったでしょ」
イェルヒのセリフからは的外れな言葉を吐くベルベッド。
話が飛躍したのは「金をもらったくせに」と言いたいからか。その金も、婚約
者の親が出したもので、自分が出したわけではないというのに。
イェルヒは、フンと鼻を鳴らして口元と眉間を歪めた。それは皮肉げに笑った
のではなく、単に不快さを表した表情なだけに、ベルベッドは、地味に、そして
彼以上に不快になった。
学院で魔女と揶揄されているベルベッドは、学院でイェルヒに積極的に声をか
ける珍しい人物の1人だった。
しかし、それは好意からではない。興味からだ。生物学寄りの専攻をしている
彼女は、『イェルヒ』にというよりは、『エルフ』に興味を持っていた。
イェルヒは、学院から正式に依頼があった時のみ、髪の毛や血などのサンプル
摂取に協力しているが、そのサンプルは普通の研究員や学生のもとへは届かない
ようで、個人的に頼んでくる者も少なくない。しかし、イェルヒはその他の場合
は頑としてその類の頼みは聞き入れないことにしていた。
勿論、1人許可すると、他の人が求めてくるというのもあったが、それより
も、『研究対象』として見られるのは、あまりいい気分ではないからだというの
が本音だ。
だから、多分にもれずベルベッドの存在も、イェルヒにとって気分のいいもの
ではなかった。何かとあれば話しかけてきて、隙を見つけては肩に付いた髪の毛
を狙っているのだからうんざりする。
その彼女が、先日、鳥篭を持ってきて封印の施しを頼むため、イェルヒを訪ね
てきた。
「だからといって、愚痴まで付き合う謂《いわ》れは無いな。
というか、俺のところに来るって、末期だぞ。
お前、特に同性の友達いないだろ」
「……できたわよ。昨日」
ふん、とイェルヒは興味なさそうな声を出した。事実、質問したのは自分であ
るが、興味は無い。
「アナタと違って、とても協力的だわ。
いい友達になれそうって言われたもの」
他種族か。
この女は、同種族である人間にはひねくれているクセに、研究対象である他種
族であると、興味が剥き出しになる分、普段他の人間には見せない素顔の部分を
見せる。
今の台詞一つ取っても、隠しているものの、本音として嬉しそうなのが伺える。
「それじゃぁ、そのオトモダチに愚痴るんだな。
俺は、熱があるんだ。健康状態であっても聞きたくないがな」
椅子にかけてある上着を羽織る。
熱は少し下がったようだが、まだ完全とは言い切れない。
あの悪夢から再び意識を戻したとき、先生から3日間休養するようにと告げら
れた。イェルヒは覚えていないのだが、昨日発見されたときは、人づてによる
と、高熱の上、何か口走って暴れたとのことだ。
よくよく見れば、魔法陣を描いたチョークの名残や、床には部屋の隅のゴミ箱
の中には、紙くずとなってしまった呪符が集積していた。
イェルヒは、その事実から目を逸らした。その意識を拡散したかったからだろ
うか、イェルヒは、先ほど自分から否定した話を広げた。
「どうせ、婚約者がらみだろう。
普通の言い合いなら、怒鳴りながら『ムカツク女』だと言うことはないだろ
う。せいぜい、いつものあの笑みで嘲うくらいだ。
なんだ? あの獣人の恋人とやらが殴りこみにでも来たか?」
ベルベッドは何も言わない。
当たらずとも遠からず、というところだろうか、とイェルヒは中《あた》りをつ
ける。 自分から怒鳴りこんできておいて、聞かれたら口ごもる。なんなんだ、
この女は。まったく分からない。
分からないついでに、イェルヒは質問を重ねる
「お前の結婚の目的はなんだ? あのボンボンを獲得したいわけか?」
「馬鹿言わないで。私の目的はあくまで研究費よ」
巷で言われているお得意の”ウィッチ・スマイル”をベルベッドは作る。何故、
世間はこの笑みに嫌悪を示すのか、イェルヒには理解できない。イェルヒは、そ
の笑みは滑稽にしか見えなかった。
「なら、別にどうでもいいだろう。
お前が欲しいのは、金。男は金を捨ててまで欲しい愛だ。共存できなくはない
だろう。
男は、お前と結婚し、愛する女とそのまま愛し続けりゃいい。お前は、それを
黙認して金を吸い取ればいい。
家のために、お前とその男との子供は産まなきゃならんだろうが、そこは我慢
してもらえ。
女と張り合う意味がわからんな。俺なら懐柔する」
しかし、ウィッチ・スマイルは微塵もたじろがなかった。そんなことは考え済
みだと言いたいかのようだ。
「魔女は、全てを奪うからこそ恐れられるのよ。
私はね、ろくな苦労をしたこと無い男が、愛さえあれば生きられるとと思って
いる、あの思い込みのを壊したいのよ」
その言葉に、イェルヒは何故だか、イラついた。
反射的に出た言葉は、乱暴な響きを持っていた。
「なら、脱げばいいだろう」
イェルヒの言葉にベルベッドの笑みが凍りついた。
「着飾って、化粧して、『愛してる』と言って男にしなだれかかれ。
あとは脱いで既成事実を作れば、土台に”婚約”というのがある分、『愛』とい
う言葉に酔っている男は罪悪感に苛まれるさ。
それで簡単に壊せれる。
まさか純情を気取るつもりじゃあるまい?」
今や、ウィッチ・スマイルは完全に崩れていた。ベルベッドは、何か悔しがる
ように、あるいは耐えるように、歯噛みしていた。
”人間の男に心を奪われた魔女は、ただの人間の女に成り下がる”
それは、どこかで聞いた童話の内容を思い出させた。
あぁ、そうだ。ウィッチ・スマイルが滑稽にしか見えないのは、それが虚勢だ
からだ。
イェルヒは、鼻で嘲った。
ベルベッドという女は、口で否定しておきながら、結局は『愛』とやらを信じ
ているのだ。単に、得られないのが……負けるのが怖いから、否定しているに過ぎ
ない。
イェルヒに愚痴りに来たのは、イェルヒが『愛』を信じていないからだ。イェ
ルヒを利用して、魔女であるという錯覚をしたかったのだ。
不快だ。
イェルヒにはそれが、ひどくカンに触った。
「金目当てなら、別に、他の男でもいいわけだろう。
時々見かける、あの植物男、クノーヴィ家の人間なんだろう? 学院への寄付
金だって、かなり多いらしいじゃないか」
嫌味に、嘲笑を含んでそれを言い放つ。
握り締められたベルベッドの拳は、ぶるぶると震えていた。
惨めさを自覚したのか、恥辱に耐えているのか、それとも単に侮辱された怒り
か……はたまた自分の本音と対面した慄《おののき》きか。
その姿を見ても、イェルヒの胸の内はすっきりしなかった。それどころか、途
端に、自分に嫌気が差した。
暴いて、何になるというのだ。
少なくとも、自分の利益にはこれっぽっちもならない。
自分の内にこもった熱が、途端に逃げていく。
寒気を覚え、鳥肌が立った。だが、心はもっと、冷めていた。
「……出て行ってくれ。体調が、悪いんだ」
泣いているかもしれない、と思っていたが、顔を上げたベルベッドの目は、気
丈にもイェルヒを睨んだ。
今日初めて見る真正面の彼女の顔は、疲れの色が伺えた。
「言われなくても、帰るわ。
友達が、お昼から来るの」
威力の弱まったウィッチ・スマイルを、それでも彼女は浮かべる。
「その前に、渡しておくわ。これ」
イェルヒの手の平に、紙包みが置かれる。
「解熱の作用がある薬。よかったら飲んで。
それじゃ、邪魔したわね」
くるりと踵《きびす》を返して、ドアを開けるベルベッドに、イェルヒは、思わ
ず声をかけた。
「おい、待て……」
ベルベッドは、立ち止まる。
「その……」
次に出す言葉の選択に迷いは無かった。
「ポケットに入ってるモノを、置いていけ」
「……? 何のことかしら?」
ベルベッドは、振り向き、怪訝な表情で問いただす。
「置いていけ」
しかし、イェルヒは動じない。
観念したように、ベルベッドはポケットから、一枚のくしゃくしゃになった紙
切れを机の上に叩き置く。イェルヒの血が含まれている、あの呪符だ。
「これでいいんでしょ!」
駆け出そうとするベルベッドの腕を、イェルヒは掴む。
「まだあるだろう」
数秒、睨まれたが、イェルヒの鉄面皮には全く効かなかった。
ベルベッドは、掴まれた腕を振り払うと、ポケットから、今度は折りたたまれ
た紙片が出される。
イェルヒが中身を確認すると、予想通り、イェルヒの髪の毛があった。
ふと見たらベッドや枕に、髪の毛が全く付着してないので、もしや、と思って
いたら案の定、予想通りだった。
「これで全部よ!」
今度こそ、ベルベッドは駆けて部屋を出て行った。
出て行ったのを確認して、イェルヒは扉を閉める。
こうなると、先ほど手渡された薬も、怪しいものだ。
紙包みを鼻先に持っていき、恐る恐る匂いを嗅ぐ。
「………」
懐かしい、匂いがした。
エルフの里で、よく解熱に使っていた、薬草を干した、あの匂いだ。
里では比較的よく見つかったが、このソフィニアではちょっと探し回らないと
手に入らない薬草であるはずだ。
「髪の毛の1本ぐらいならくれてやってもよかったかもしれないな……」
そんなコトを思いながら、包み紙を開く。
……まさかな、と思って、イェルヒは、軽く舌先で薬に触れた。
舌先は、思い出の薬草には全く無かった、痺れるような刺激を受けた
イェルヒは、再び、丁寧に包んで、くずかごにソレを叩きつけるように捨てた。
*******
結局、あの後、再びベッドにもぐりこんでも、素直に寝ることが出来なかった。
あの部屋にいるのが苦痛になり、飛び出したのだ。
その苦々しい思いをすりつぶすように、野菜炒めをゴリゴリと咀嚼し、水と一
緒に流し込む。
あぁ、そうだ、今日は、やたら女と関わるといいことが無い。
やっぱり、食事を済ませたら、すぐに帰ろうと、イェルヒは決めた。
いつの間にやら、店内はにぎわってきた。テーブル席はどこも埋まっている。
食事は、まだ半分も残っている。熱のせいか、いつもよりペースが落ちてい
た。まだ、かかりそうだ。
再び、野菜炒めにとりかかろうとしたとき、声をかけられた。
「ここの席、空いてるかしら」
それは、女だった。
PR
****************************************************************
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【19】』
~ 後悔先に立たず ~
場所 :ソフィニア
PC :エンジュ シエル 金髪お嬢様 (イェルヒ)
NPC:イルラン
****************************************************************
シエルはエンジュが店内に入っていく後姿を見ながら、このまま喧嘩沙汰に
なるとしても関わりたくないと踵を返した。うっかり姿を見られようものなら
何を言い出すか分からない。あんな芝居じみた勘違い野郎、顔を合わせるのも
嫌だ。エンジュに心の中で詫びつつ、無言のまま走り出す。
エンジュとは宿に戻ればいずれ会えるだろう。情報を聞くのはその後でもい
い。というか、どんな理屈を並べるより一刻も早くココから遠ざかりたかっ
た。
後で思えば風を使ってでも宿へ舞い戻り、不貞寝していればよかったのだろ
う。が、それはそのときの選択肢にはなかった。思いつかなかった。
それが運命の分かれ道であることなど、まだ知る由もなく。
シエルは知らずのうちに避けていたはずの魔術学院へと近づいていた。
昨日利用した正門からは遠い。しかし、学院の領域というのは予想以上に広
く、そして変形したものだった。地図を見た際に確認したはずだったのに、迂
闊だった。
「ごめんなさ……!!」
幾つ目の角を曲がったところだったろう。出会い頭に誰かとぶつかった。予
想以上の速度が出ていたらしく、双方弾かれる様に尻餅をつく。
「シエルさん!!」
ぶつかったのは二度目の男、出来れば今一番会いたくなかった男、昨日の悪
夢の原因、生粋のエルフ・イルラン。
顔を上げたときに愕然としたこちらに、満面の笑みで名を呼びかけてきた彼
を見て、何故自分は本名を知られてしまったのだろうと強く後悔した。いや、
アレはパリスが悪い。私のせいじゃない。でも不本意で、不愉快だ。
後悔先に立たず。
分かってる。後悔するときにはもう遅いのだ。遅いから後悔するのだ。た
だ、分かっていても後悔することには変わりなく。ただ、エンジュの元を無言
で走り去ったことを悔やむのだった。
「また会えると思ってましたよ」
本当に嬉しそうに立ち上がる彼を見て、さすがに眩暈がした。
手を差し伸べられるが、それを無視して自力で立ち上がり、体に付いた砂埃
をはたく。ちょっと残念そうに手を引くと、イルランは困ったように笑った。
「こういうの、嫌いですか?」
「……運命を語る人は嫌いです。道は自分で切り開くものだから」
キッと睨み上げる。エンジュに比べれば自分に身長が近いかもしれないが、
それは男女比のなせる業か、必然的に見上げる格好になってしまう。
「貴女に、こうしてもう一度会えたのに?」
「アナタこそ偶然に理由を付けたがるのは何故?」
目をまっすぐ見ながら話すイルランの視線から逃げるように、シエルは視線
を外した。
「もし運命が存在するのなら、私が村から出ることなどありえなかったことに
なるわね。ここに居ることもなかったってこと。矛盾してるじゃない」
シエルはヴァーンの風の巫女の家系だ。数年前にヴァーンが守り続けた遺跡
がさらに砂の奥深くへ沈み込んだりしなければ、今でも村に縛られ続けていた
だろう。
「……あと、芝居じみた決闘も嫌いよ。絶対に止めて。そもそも何のための決
闘なのよ。それで私が喜ぶと本気で思ってるの?」
最後の方は半ば畳み掛けるように語気が荒くなっていた。大きく息を吸う。
少し肩を落としたイルランは、落ち着いてゆっくり、語りかけるように口を
開いた。
「彼が貴女にそぐわないと思った。だから決闘を申し込んだ。……人間の文化
とはそういうものだと思っていました」
「太古の昔か、物語の世界ね」
そんな少女向けの夢物語があると、いつだったか聞いた気がする。
「私はエルフの森から出る前に沢山の本を読みました。すべて人の手による本
です。私は人と友達になりたかった。変わり者だとは言われましたが、人の手
による本はエルフの手で書かれた書物よりもずっと魅力的だった。だから、本
当に沢山、沢山読みました」
まるで今その手に大事な本を持っているかのように、イルランをじっと手を
見る。
「貴女に出会って、私は貴女に会うために森を出たのだと思いました。心臓を
鷲掴みにされる思いは初めてだったんです」
手をぎゅっと握り締め、視線をまっすぐシエルへ戻す。まっすぐな、恋する
視線。
「……アナタの知識は間違ってる。古いものなのか偏ったものなのかは知らな
いけど」
「ではやはり、貴女が私に人間の文化を教えてくれませんか?」
待て。まてまてまて!!
「アナタの感情は一目惚れに近いものかもしれないけど、それはきっと勘違
い。今のアナタならお芝居を見たって役者に恋をするわね。……言ってるこ
と、通じてる?」
「……ああ、コレが一目惚れなんですね。本で読んだけど、こんなにドキドキ
するなんて知りませんでした」
イルランが嬉しそうに頬を染めながら笑った。自分とは何の関係もないエル
フなら、可愛くも見えよう。だが、当事者には頭痛の種にしかならない。
微妙に話が食い違いを見せる。それがシエルをさらにイライラさせる。
「だーかーらー、違うの。勘違いなの。私はアナタが夢見ていたような物語の
お姫様じゃないの!」
「こんなに可憐な方は物語の挿絵ですら見た事がない。謙遜しなくても」
「……とりあえず容姿のことには触れないで。私のコンプレックスだから」
「しかし、貴女は思ったとおり知的で、そして優しい方だということは変わら
ない」
「そういう取って付けたような語り口が嫌なのよ! 芝居はもう終わってる
の!!」
視線を外すだけでは足りず、体ごと横を向く。道は狭い。走り抜けように
も、手首を捕まれるのがオチだろう。
イルランは考えながら、確かめるように聞いてきた。
「……あれはお芝居だったんですか?」
「まあ、そんなところね」
イルランは心底ほっとしたように胸を撫で下ろす。
「彼を愛しているわけではないんですね?」
「まあね。でも、これ以上は詮索しても無駄よ。企業秘密ってやつだから」
腕を組み、向き直るシエルに、イルランは嬉しそうに言い放った。
「じゃあ、私にもまだチャンスがありますね」
何故そうなる!?
「えーと、芝居がかったのも鬱陶しいのも嫌い。問題外です」
「そんなに私は鬱陶しいですか?」
シエルの切り返しは早かった。
「鬱陶しい」
どキッパリ。
「では、私が不快な存在にならないように、やはり色々と教えていただかなけ
れば」
「既に不快なので却下します」
会話が、やはりどこかおかしな気がする。
人間文化オタクの知識は偏っているし、受け答えも的外れだ。自分が付き合
わされる苦痛をどうすれば伝えられるのだろうか。
「とりあえず、今会いたくない人の中でもダントツ一位がアナタなので、私帰
ります」
頼むから、苦手だと思われていることを自覚してください。
「また会えますか?」
「少なくとも、自分から会う機会は作らないわねあ」
「私は貴女に会いたい」
最初のような芝居じみた感じは減っていた。でも、まっすぐに熱のこもった
視線を向けられるのは勘弁して欲しかった。
「私は、二度と、会いたくないんです」
二度と、を強調して、シエルは冷たく見返した。
「冷たいおっしゃりようだ」
「そういう性分です」
「そういうところも好きですよ」
さらり。何でこの会話のタイミングでその言葉が出るのか。ガツンと頭を殴
られた気分になって、シエルは頭を抱えた。
「どうしました? さっきぶつかったせいかな……」
「気にしないで下さい。逃げる算段中です」
「そうですか。私の得意魔法は魔法効果の打消しです」
にっこり。逃がさないつもりか、この男は。
じりじりと後退して、背中がレンガ造りの塀にぶつかる。シエルは再会して
初めて笑顔を浮かべた。
「もう会わないと思うけど、お元気で」
「え」
「……【クードヴァン】!」
シエルの使う風は、発動が早いのが魅力だ。詠唱が必要な魔法は多岐にわた
ると聞くが、シエルの場合、よほど大掛かりな魔法でなければキーワードだけ
で発動できる。
シエルは瞬く間に宙へと舞い上がり、上を見上げた。
「ちょっ……【解(ほど)けよ解(ほつ)れよ風の精霊 我が声に耳を傾け
静まり鎮まり給え】」
イルランが咄嗟に風の精霊に打消しを求めるが、その詠唱が終わるまでシエ
ルは高度を上げた。この高度での落下は危険だ。抱きとめようとイルランが手
を広げる。
シエルは風の揚力が消える寸前、背面跳びのように宙を舞った。元の位置へ
ではなく、レンガの塀の向こう側へと落下していく。
「シエルさん!!」
イルランの絶叫に近い声は、シエルが木の枝に引っかかり、バキバキガサガ
サと音を立てながら落ちる壮絶な音でほぼかき消される形になった。ドスン、
と着地したらしき音がやけに痛々しく響いた。
「シエルさーん!!」
イルランがもう一度叫ぶ。彼が軽く越えられるような高さの塀ではなかった
ことを、シエルは痛む体をさすりながらも強く感謝した。
レンガの向こうは、高い常葉樹の林と、硬質な透明物で出来た温室らしきも
のがあった。とりあえず青々と茂る木の下はほぼ日陰となっていることに救わ
れる。
木々に突っ込むように落下したシエルは、途中で服のところどころが裂け、
仮面も落としてしまっていた。露出した肌に直射日光を浴びると火傷をしてし
まう体質のため、日陰でより濃い影へと必死に這い進む。
「……今の風、貴女?」
温室の陰から出てきたのは、金の髪が眩しいお嬢様だった。縦ロールの髪型
がこんなに似合う人も珍しい。そう思いながら見上げると、女の冷たい蒼眼が
シエルを見下ろす。まあ、見るからに不審者なのだから仕方がない。
「……ええと、匿ってくれない?」
シエルの苦笑をどう受け取ったのだろうか。女は小首を傾げ、シエルに問う
た。
「使えるの風だけ? 水が使える人を探しているのだけど」
「霧や雨なら多少。水単独では使用経験がないわ」
「じゃあ、協力するなら手当てしてあげる」
じーっと観察するように見る女の目線は気分のいいものではなかったが、今
はイルランの視線と比べてしまうせいか、大抵の事は気にならない。自分に非
があるのは明白だったこともあるだろう。不法侵入者なのだから追い返されて
も不思議はないのだ。
「今日中に帰れる?」
「協力しだいね」
女は少しだけ笑うと、シエルに手を差し伸べた。
シエルは少しだけ躊躇すると、白く細い女の手を取った。
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【19】』
~ 後悔先に立たず ~
場所 :ソフィニア
PC :エンジュ シエル 金髪お嬢様 (イェルヒ)
NPC:イルラン
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シエルはエンジュが店内に入っていく後姿を見ながら、このまま喧嘩沙汰に
なるとしても関わりたくないと踵を返した。うっかり姿を見られようものなら
何を言い出すか分からない。あんな芝居じみた勘違い野郎、顔を合わせるのも
嫌だ。エンジュに心の中で詫びつつ、無言のまま走り出す。
エンジュとは宿に戻ればいずれ会えるだろう。情報を聞くのはその後でもい
い。というか、どんな理屈を並べるより一刻も早くココから遠ざかりたかっ
た。
後で思えば風を使ってでも宿へ舞い戻り、不貞寝していればよかったのだろ
う。が、それはそのときの選択肢にはなかった。思いつかなかった。
それが運命の分かれ道であることなど、まだ知る由もなく。
シエルは知らずのうちに避けていたはずの魔術学院へと近づいていた。
昨日利用した正門からは遠い。しかし、学院の領域というのは予想以上に広
く、そして変形したものだった。地図を見た際に確認したはずだったのに、迂
闊だった。
「ごめんなさ……!!」
幾つ目の角を曲がったところだったろう。出会い頭に誰かとぶつかった。予
想以上の速度が出ていたらしく、双方弾かれる様に尻餅をつく。
「シエルさん!!」
ぶつかったのは二度目の男、出来れば今一番会いたくなかった男、昨日の悪
夢の原因、生粋のエルフ・イルラン。
顔を上げたときに愕然としたこちらに、満面の笑みで名を呼びかけてきた彼
を見て、何故自分は本名を知られてしまったのだろうと強く後悔した。いや、
アレはパリスが悪い。私のせいじゃない。でも不本意で、不愉快だ。
後悔先に立たず。
分かってる。後悔するときにはもう遅いのだ。遅いから後悔するのだ。た
だ、分かっていても後悔することには変わりなく。ただ、エンジュの元を無言
で走り去ったことを悔やむのだった。
「また会えると思ってましたよ」
本当に嬉しそうに立ち上がる彼を見て、さすがに眩暈がした。
手を差し伸べられるが、それを無視して自力で立ち上がり、体に付いた砂埃
をはたく。ちょっと残念そうに手を引くと、イルランは困ったように笑った。
「こういうの、嫌いですか?」
「……運命を語る人は嫌いです。道は自分で切り開くものだから」
キッと睨み上げる。エンジュに比べれば自分に身長が近いかもしれないが、
それは男女比のなせる業か、必然的に見上げる格好になってしまう。
「貴女に、こうしてもう一度会えたのに?」
「アナタこそ偶然に理由を付けたがるのは何故?」
目をまっすぐ見ながら話すイルランの視線から逃げるように、シエルは視線
を外した。
「もし運命が存在するのなら、私が村から出ることなどありえなかったことに
なるわね。ここに居ることもなかったってこと。矛盾してるじゃない」
シエルはヴァーンの風の巫女の家系だ。数年前にヴァーンが守り続けた遺跡
がさらに砂の奥深くへ沈み込んだりしなければ、今でも村に縛られ続けていた
だろう。
「……あと、芝居じみた決闘も嫌いよ。絶対に止めて。そもそも何のための決
闘なのよ。それで私が喜ぶと本気で思ってるの?」
最後の方は半ば畳み掛けるように語気が荒くなっていた。大きく息を吸う。
少し肩を落としたイルランは、落ち着いてゆっくり、語りかけるように口を
開いた。
「彼が貴女にそぐわないと思った。だから決闘を申し込んだ。……人間の文化
とはそういうものだと思っていました」
「太古の昔か、物語の世界ね」
そんな少女向けの夢物語があると、いつだったか聞いた気がする。
「私はエルフの森から出る前に沢山の本を読みました。すべて人の手による本
です。私は人と友達になりたかった。変わり者だとは言われましたが、人の手
による本はエルフの手で書かれた書物よりもずっと魅力的だった。だから、本
当に沢山、沢山読みました」
まるで今その手に大事な本を持っているかのように、イルランをじっと手を
見る。
「貴女に出会って、私は貴女に会うために森を出たのだと思いました。心臓を
鷲掴みにされる思いは初めてだったんです」
手をぎゅっと握り締め、視線をまっすぐシエルへ戻す。まっすぐな、恋する
視線。
「……アナタの知識は間違ってる。古いものなのか偏ったものなのかは知らな
いけど」
「ではやはり、貴女が私に人間の文化を教えてくれませんか?」
待て。まてまてまて!!
「アナタの感情は一目惚れに近いものかもしれないけど、それはきっと勘違
い。今のアナタならお芝居を見たって役者に恋をするわね。……言ってるこ
と、通じてる?」
「……ああ、コレが一目惚れなんですね。本で読んだけど、こんなにドキドキ
するなんて知りませんでした」
イルランが嬉しそうに頬を染めながら笑った。自分とは何の関係もないエル
フなら、可愛くも見えよう。だが、当事者には頭痛の種にしかならない。
微妙に話が食い違いを見せる。それがシエルをさらにイライラさせる。
「だーかーらー、違うの。勘違いなの。私はアナタが夢見ていたような物語の
お姫様じゃないの!」
「こんなに可憐な方は物語の挿絵ですら見た事がない。謙遜しなくても」
「……とりあえず容姿のことには触れないで。私のコンプレックスだから」
「しかし、貴女は思ったとおり知的で、そして優しい方だということは変わら
ない」
「そういう取って付けたような語り口が嫌なのよ! 芝居はもう終わってる
の!!」
視線を外すだけでは足りず、体ごと横を向く。道は狭い。走り抜けように
も、手首を捕まれるのがオチだろう。
イルランは考えながら、確かめるように聞いてきた。
「……あれはお芝居だったんですか?」
「まあ、そんなところね」
イルランは心底ほっとしたように胸を撫で下ろす。
「彼を愛しているわけではないんですね?」
「まあね。でも、これ以上は詮索しても無駄よ。企業秘密ってやつだから」
腕を組み、向き直るシエルに、イルランは嬉しそうに言い放った。
「じゃあ、私にもまだチャンスがありますね」
何故そうなる!?
「えーと、芝居がかったのも鬱陶しいのも嫌い。問題外です」
「そんなに私は鬱陶しいですか?」
シエルの切り返しは早かった。
「鬱陶しい」
どキッパリ。
「では、私が不快な存在にならないように、やはり色々と教えていただかなけ
れば」
「既に不快なので却下します」
会話が、やはりどこかおかしな気がする。
人間文化オタクの知識は偏っているし、受け答えも的外れだ。自分が付き合
わされる苦痛をどうすれば伝えられるのだろうか。
「とりあえず、今会いたくない人の中でもダントツ一位がアナタなので、私帰
ります」
頼むから、苦手だと思われていることを自覚してください。
「また会えますか?」
「少なくとも、自分から会う機会は作らないわねあ」
「私は貴女に会いたい」
最初のような芝居じみた感じは減っていた。でも、まっすぐに熱のこもった
視線を向けられるのは勘弁して欲しかった。
「私は、二度と、会いたくないんです」
二度と、を強調して、シエルは冷たく見返した。
「冷たいおっしゃりようだ」
「そういう性分です」
「そういうところも好きですよ」
さらり。何でこの会話のタイミングでその言葉が出るのか。ガツンと頭を殴
られた気分になって、シエルは頭を抱えた。
「どうしました? さっきぶつかったせいかな……」
「気にしないで下さい。逃げる算段中です」
「そうですか。私の得意魔法は魔法効果の打消しです」
にっこり。逃がさないつもりか、この男は。
じりじりと後退して、背中がレンガ造りの塀にぶつかる。シエルは再会して
初めて笑顔を浮かべた。
「もう会わないと思うけど、お元気で」
「え」
「……【クードヴァン】!」
シエルの使う風は、発動が早いのが魅力だ。詠唱が必要な魔法は多岐にわた
ると聞くが、シエルの場合、よほど大掛かりな魔法でなければキーワードだけ
で発動できる。
シエルは瞬く間に宙へと舞い上がり、上を見上げた。
「ちょっ……【解(ほど)けよ解(ほつ)れよ風の精霊 我が声に耳を傾け
静まり鎮まり給え】」
イルランが咄嗟に風の精霊に打消しを求めるが、その詠唱が終わるまでシエ
ルは高度を上げた。この高度での落下は危険だ。抱きとめようとイルランが手
を広げる。
シエルは風の揚力が消える寸前、背面跳びのように宙を舞った。元の位置へ
ではなく、レンガの塀の向こう側へと落下していく。
「シエルさん!!」
イルランの絶叫に近い声は、シエルが木の枝に引っかかり、バキバキガサガ
サと音を立てながら落ちる壮絶な音でほぼかき消される形になった。ドスン、
と着地したらしき音がやけに痛々しく響いた。
「シエルさーん!!」
イルランがもう一度叫ぶ。彼が軽く越えられるような高さの塀ではなかった
ことを、シエルは痛む体をさすりながらも強く感謝した。
レンガの向こうは、高い常葉樹の林と、硬質な透明物で出来た温室らしきも
のがあった。とりあえず青々と茂る木の下はほぼ日陰となっていることに救わ
れる。
木々に突っ込むように落下したシエルは、途中で服のところどころが裂け、
仮面も落としてしまっていた。露出した肌に直射日光を浴びると火傷をしてし
まう体質のため、日陰でより濃い影へと必死に這い進む。
「……今の風、貴女?」
温室の陰から出てきたのは、金の髪が眩しいお嬢様だった。縦ロールの髪型
がこんなに似合う人も珍しい。そう思いながら見上げると、女の冷たい蒼眼が
シエルを見下ろす。まあ、見るからに不審者なのだから仕方がない。
「……ええと、匿ってくれない?」
シエルの苦笑をどう受け取ったのだろうか。女は小首を傾げ、シエルに問う
た。
「使えるの風だけ? 水が使える人を探しているのだけど」
「霧や雨なら多少。水単独では使用経験がないわ」
「じゃあ、協力するなら手当てしてあげる」
じーっと観察するように見る女の目線は気分のいいものではなかったが、今
はイルランの視線と比べてしまうせいか、大抵の事は気にならない。自分に非
があるのは明白だったこともあるだろう。不法侵入者なのだから追い返されて
も不思議はないのだ。
「今日中に帰れる?」
「協力しだいね」
女は少しだけ笑うと、シエルに手を差し伸べた。
シエルは少しだけ躊躇すると、白く細い女の手を取った。
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場所 :ソフィニア
PC :シエル ミルエ
NPC:イルラン
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これは楽しいことになりそうですわね。
感じたのは風だった。
自然に近い風だったが、流れが異質。
かといって精霊や魔法要素を含んでいるわけでもない。
一体コレは?
その後に何か重いものが地面に落ちた音が聞こえる。
何か落ちたのだろうか。
確かめに裏へ回ると、その落し物は木陰を気にしながら移動している白髪の美
女だった。
「……ええと、匿ってくれない?」
その美女は追われているらしい。だからミルエはクスリと笑う。
これは楽しいことになりそうですわね、と。
先程の風で思い当たったこと。
植物の育成を研究しているミルエにとって、空気や水は密接した関係にある。
精霊への干渉度が低そうな自然界に近い風。
気ままな精霊・妖精は自分がやっていることに対しての干渉を嫌う。
精霊魔法を駆使して成長過程を促進させてはいるが、その他の面にはなかなか
手が回っていないのが現状だ。
育成を促進させつつ適度な温度や湿度の調節が出来れば……。
「使えるのは風だけかしら? 水が使える人を探しているのですけど……」
「霧や雨なら多少。水単独では使用経験がないわ」
好都合だった。
ふふ、と笑みを漏らしながら白髪の美女を眺める。
木にブツかって落ちたままの姿、彼女の黒い服のところどころが破けている。
よほど急いでいたのか、ただの失敗か。見つめながら考えるが答えはでない
かった。
ただ、することは
「では、協力してくれるのなら手当てしてさしあげますわ」
交換条件を取り付けること。
彼女のような異質なものを簡単に手放しては面白くない。
せっかくの出会いを楽しんでみよう。
「今日中に帰れる?」
あなたを見極めてから考えますわ。と心の中で呟いてミルエは少し笑った。
「協力しだいですわね」
差し伸べた手を、彼女は手に取った。
****************************************************************
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【20】』
~ 逃走には細心の注意を ~
****************************************************************
「こちらに逃げ込んだようですけど、まだ追われていますの?」
次の行動を考える。
彼女の手当てをするのを先にしたい所だが、そうもいかない都合がある。
「……私としては早くここを遠ざかりたいんだけど」
相手はしつこいらしい。
彼女は緊迫した表情ではなく、うんざりとした感じで眉間にシワを寄せている。
ミルエはせっかくの容姿が台無しだと思いながら、顎に指を当てて意識を頭の
隅に集中する。
「仕方ありませんわね、私の研究室へ向いましょう。そう遠くないところですけ
ど、私(わたくし)の知り合いしか訪れませんわ」
知り合いが彼女を追っているということもあるが、追い返すことは容易だろう。
互いに、決めたことなら押し通す知り合いばかりだからだ。
相手がそれを知っているからこそ、深くは踏み入らないだろう。
踏み入れば互いに実力行使になるだろうことを。
「匿ってもらう手前、あまり文句も言えないわね」
「それでは行きましょうか」
「あ、ちょっと」
一歩を踏み出そうとした時に彼女がミルエの手をとって止める。
ミルエは少し不服そうに「何か?」と振り返った。
「日差しのない所を通ってもらえないかしら。私は日光を浴びると火傷を負う体
質なの」
その一言に「まぁ」と驚きの表情を上げ「それは大変ですわね」と付け加えた
後、空にある太陽の位置を確認する。
さらに校舎を眺めた後に「こちらですわ」と歩き始めた。
進路方向には日陰が続いているようで、彼女もミルエの後ろに続いていく。
「貴女を追っているというのはどのような方なのでしょうか?特徴がわからなけ
れば気をつけることもできませんわ」
「馬鹿エルフ。金髪。男」
嫌悪感をたっぷり含んだ彼女のセリフにミルエは思わず笑う。
それを感じたのか彼女はむすっとした表情になった。
「あんなのに付きまとわれる身にもなってみなさいよ……」
恨めしそうに軽く睨みながら呟く。相当キてるらしい。
深いため息が聞こえてくるようだった。
「貴女のお名前を伺ってもよろしいかしら?」
「あ……私は」
「シエルさーん!どこですかー!」
「「……」」
唐突に会話をを止める二人。思わず歩みも止める。
叫んでいる声の主は見当たらないが、周囲一体に響いている。
名前を呼ばれる側としては恥ずかしくてたまらないだろう。
「アレですの?」
「アレです」
眉間をを押さえて悩めるポーズな白髪な彼女。
良く見ればワナワナ震えているようだ。
すでにアレ呼ばわりしているミルエだが、それ相応の価値があると判断している。
「貴女のお名前は?」
「シエルです」
名前はすでに解ったのだがあえて聞きなおすミルエ。シエルは疲れた表情で顔
を上げつつ答えた。
本当に疲れているのだろう。その宝石のように紅い瞳も、すすけて見えるよう
だった。
「親切な方ですわね。追っ手の居場所と貴女のお名前を教えてくれたんですもの」
「なんで!?」
「冗談ですわ。大声を出すと気づかれてしまいますわよ」
う、ぐ。と言葉に詰るシエル。ふふ、と少し冷ややかな笑いを浮かべるミルエ。
不信感あふれるシエルの視線を受けつつ「確かに馬鹿ですわね」と呟いた。
すなわち「待てと言われて待つヤツがいるか」という事だ。
逃げているというのに相手の名前を叫んでは余計逃げるに決まっている。
しかし確実にこちらに向っているという困った現実がある。
この辺りを通らねば日陰伝いで研究棟に入れない。
「魔法で認識をごまかそうにも、相手はエルフ。ごまかせる相手かしら?」
「多分無理。私の風も打ち消してたし」
にっこり、と。ミルエが笑顔を浮かべた。
綺麗な笑顔だというのに、シエルは何故かビクリと体が震えた。
楽しそうな雰囲気なのだがそれが怖い。そんな印象を与えるフシギな表情。
シエルは知らないが、学園内の一部で知られる「何かイイ事を思いついた時」
の顔。
何か言おうにもあまり声が上がらない。
「では、あの方を”説得”してきますわ。ここで待ってていただけます?」
「え、えぇ」
気分はクスクス笑ってゴーゴーである。
<] <] <] <] <] [> [> [> [> [>
「本当にどこに行ってしまったんだろう。大きな音もしていたし……怪我をしてい
たら大変だ。早く手当てをしないと」
少し焦りの表情を見せているエルフの青年が周囲を見回しながら歩いている。
駆け足できたのか少し息が上がってる。
すぅっと息を吸い込み、また声を張り上げた。
「シエルさーん!」
「私の友人の名前を叫ぶのは貴方? 恥ずかしいから止めてくれないかしら」
腕を組んで憮然とした表情でミルエが声をかける。
「あぁすみません。貴女は?」
「シエルの友人ですわ」
「大変なんです!シエルさんが壁を越えた拍子に大きな音がして……怪我をしてい
るかもしれません!」
叫ぶなというミルエの忠告は全く聞き入れられていなかった。
「知っていますわ。手当てしましたもの」
まだ手当てはしていない。ミルエは平然と虚実を言ってのける。
予定された事実なのだからと勝手に括っていた。
彼はミルエの言葉に驚きと喜びを露にし、ミルエのほうに進み出た。
「本当ですか!彼女は無事ですか!」
「かすり傷程度、心配なさらずとも大丈夫ですわ」
近づき過ぎたところをミルエが手で制する。
彼は「これは失礼」と間を置きなおし深く安堵の息を漏らした。
うつむき加減の微笑みが本当に心配していたことを伺わせる。
「よかった……では彼女に会わせてください」
「必要ありませんわ」
一転、彼が驚きに染まる。
ミルエの言葉の意味が理解できないのか、まばたきをニ、三回繰り返す。
頭の中で言葉を反芻し、処理を行うよう回す。一間あいてようやく意味が彼に
浸透する。
「何故です?」
「会わせる理由がりませんもの」
これは事実だ。
むしろ拒絶の理由が挙がっている。
質問に対して即答。ミルエの表情は憮然としている。
「理由ならあります。私が会いたいんです。無事を自分の目で確かめたいんです」
「それは貴方の希望。私が貴方をシエルに会わせる理由ではありませんわ」
熱を持った発言で応対する彼だが、お話にならないと切って捨てるミルエ。
「ではどうすれば貴女は私をシエルさんに会わせてくれるのでしょう」
「そうですわね……貴方が二度とシエルに会わないと誓ってくださらないかしら?」
口調と表情にそわない発言をするミルエ。内容のせいかかギャップのせいか、
彼は即座に理解出来なかった。
ミルエの発言の一つ一つが彼の思考を走らせる。
答えは一つだろうというのに彼はしばらく考えた後にやっと答えをだした。
「それはできません。私はシエルさんに会いたいんです!」
「では無理ですわ」
が、にっこりと嬉しそうに微笑むミルエに呆然とする事になる。
だが彼は律儀にもミルエを押しのけてでも、という思考はできないようだった。
苦虫を潰したような表情へと変わっていく。この壁は厚いと感じたのだろうか。
「貴女はまるで物語に出てくる悪い魔女のようだ」
「貴方はまるで物語に出てくる性質の悪い王子様のようですわね」
悪態をついた即座に反撃を食らい、言葉に詰る。
ミルエは追加で言葉を添えた。
「ついでに頭も悪い……なんていう事はありませんわよね? ”エルフ”なんですから」
「失敬な!」
直接的に罵倒された事はないのだろうか、種族を持ち出され過剰に反応する。
あからさまな敵意を叩きつけるがミルエは涼しい顔をしている。むしろ高圧的
な笑みを浮かべていた。
「では、そう思われないように振舞ってくださらないかしら?今の貴方のような
エルフばかりだと……私はエルフという存在自体を改めて考えなくてはならなくな
りますわ」
わざと深いため息をつき困惑な表情をする。
猛進している彼にはこれが演技だと気づくだろうか。
彼が口を開こうとしたその時、ミルエはさらに言葉を重ねた。
「それと……ここは部外者立ち入り禁止ですわ」
「君。ちょっとこっちに来なさい」
ポムリ、と彼の肩を叩くのは警備員の格好をした白い短髪の男。「ニィちゃん
ちょっと事務所イこうか」という顔をしていた。
ミルエとのやり取りを聞いていたのか、相当ご立腹な様子である。
あれだけ騒いでいれば人目につかない道理はない。
「わ、私は会うべき人がっ」
「ルールやマナーを守れない、事はありませんわよね?」
「ぐっ……」
それではごきげんよう。また会いましょう。
にっこりと微笑みながら連行されていく彼を眺めながら”聞こえるように”呟いた。
<] <] <] <] <] [> [> [> [> [>
木陰に隠れていたシエルの元に戻ってきたミルエ。
その表情は何事もなかったかのように平然としていた。
「さぁ、行きましょうか」
「え、えぇ……」
場所 :ソフィニア
PC :シエル ミルエ
NPC:イルラン
****************************************************************
これは楽しいことになりそうですわね。
感じたのは風だった。
自然に近い風だったが、流れが異質。
かといって精霊や魔法要素を含んでいるわけでもない。
一体コレは?
その後に何か重いものが地面に落ちた音が聞こえる。
何か落ちたのだろうか。
確かめに裏へ回ると、その落し物は木陰を気にしながら移動している白髪の美
女だった。
「……ええと、匿ってくれない?」
その美女は追われているらしい。だからミルエはクスリと笑う。
これは楽しいことになりそうですわね、と。
先程の風で思い当たったこと。
植物の育成を研究しているミルエにとって、空気や水は密接した関係にある。
精霊への干渉度が低そうな自然界に近い風。
気ままな精霊・妖精は自分がやっていることに対しての干渉を嫌う。
精霊魔法を駆使して成長過程を促進させてはいるが、その他の面にはなかなか
手が回っていないのが現状だ。
育成を促進させつつ適度な温度や湿度の調節が出来れば……。
「使えるのは風だけかしら? 水が使える人を探しているのですけど……」
「霧や雨なら多少。水単独では使用経験がないわ」
好都合だった。
ふふ、と笑みを漏らしながら白髪の美女を眺める。
木にブツかって落ちたままの姿、彼女の黒い服のところどころが破けている。
よほど急いでいたのか、ただの失敗か。見つめながら考えるが答えはでない
かった。
ただ、することは
「では、協力してくれるのなら手当てしてさしあげますわ」
交換条件を取り付けること。
彼女のような異質なものを簡単に手放しては面白くない。
せっかくの出会いを楽しんでみよう。
「今日中に帰れる?」
あなたを見極めてから考えますわ。と心の中で呟いてミルエは少し笑った。
「協力しだいですわね」
差し伸べた手を、彼女は手に取った。
****************************************************************
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【20】』
~ 逃走には細心の注意を ~
****************************************************************
「こちらに逃げ込んだようですけど、まだ追われていますの?」
次の行動を考える。
彼女の手当てをするのを先にしたい所だが、そうもいかない都合がある。
「……私としては早くここを遠ざかりたいんだけど」
相手はしつこいらしい。
彼女は緊迫した表情ではなく、うんざりとした感じで眉間にシワを寄せている。
ミルエはせっかくの容姿が台無しだと思いながら、顎に指を当てて意識を頭の
隅に集中する。
「仕方ありませんわね、私の研究室へ向いましょう。そう遠くないところですけ
ど、私(わたくし)の知り合いしか訪れませんわ」
知り合いが彼女を追っているということもあるが、追い返すことは容易だろう。
互いに、決めたことなら押し通す知り合いばかりだからだ。
相手がそれを知っているからこそ、深くは踏み入らないだろう。
踏み入れば互いに実力行使になるだろうことを。
「匿ってもらう手前、あまり文句も言えないわね」
「それでは行きましょうか」
「あ、ちょっと」
一歩を踏み出そうとした時に彼女がミルエの手をとって止める。
ミルエは少し不服そうに「何か?」と振り返った。
「日差しのない所を通ってもらえないかしら。私は日光を浴びると火傷を負う体
質なの」
その一言に「まぁ」と驚きの表情を上げ「それは大変ですわね」と付け加えた
後、空にある太陽の位置を確認する。
さらに校舎を眺めた後に「こちらですわ」と歩き始めた。
進路方向には日陰が続いているようで、彼女もミルエの後ろに続いていく。
「貴女を追っているというのはどのような方なのでしょうか?特徴がわからなけ
れば気をつけることもできませんわ」
「馬鹿エルフ。金髪。男」
嫌悪感をたっぷり含んだ彼女のセリフにミルエは思わず笑う。
それを感じたのか彼女はむすっとした表情になった。
「あんなのに付きまとわれる身にもなってみなさいよ……」
恨めしそうに軽く睨みながら呟く。相当キてるらしい。
深いため息が聞こえてくるようだった。
「貴女のお名前を伺ってもよろしいかしら?」
「あ……私は」
「シエルさーん!どこですかー!」
「「……」」
唐突に会話をを止める二人。思わず歩みも止める。
叫んでいる声の主は見当たらないが、周囲一体に響いている。
名前を呼ばれる側としては恥ずかしくてたまらないだろう。
「アレですの?」
「アレです」
眉間をを押さえて悩めるポーズな白髪な彼女。
良く見ればワナワナ震えているようだ。
すでにアレ呼ばわりしているミルエだが、それ相応の価値があると判断している。
「貴女のお名前は?」
「シエルです」
名前はすでに解ったのだがあえて聞きなおすミルエ。シエルは疲れた表情で顔
を上げつつ答えた。
本当に疲れているのだろう。その宝石のように紅い瞳も、すすけて見えるよう
だった。
「親切な方ですわね。追っ手の居場所と貴女のお名前を教えてくれたんですもの」
「なんで!?」
「冗談ですわ。大声を出すと気づかれてしまいますわよ」
う、ぐ。と言葉に詰るシエル。ふふ、と少し冷ややかな笑いを浮かべるミルエ。
不信感あふれるシエルの視線を受けつつ「確かに馬鹿ですわね」と呟いた。
すなわち「待てと言われて待つヤツがいるか」という事だ。
逃げているというのに相手の名前を叫んでは余計逃げるに決まっている。
しかし確実にこちらに向っているという困った現実がある。
この辺りを通らねば日陰伝いで研究棟に入れない。
「魔法で認識をごまかそうにも、相手はエルフ。ごまかせる相手かしら?」
「多分無理。私の風も打ち消してたし」
にっこり、と。ミルエが笑顔を浮かべた。
綺麗な笑顔だというのに、シエルは何故かビクリと体が震えた。
楽しそうな雰囲気なのだがそれが怖い。そんな印象を与えるフシギな表情。
シエルは知らないが、学園内の一部で知られる「何かイイ事を思いついた時」
の顔。
何か言おうにもあまり声が上がらない。
「では、あの方を”説得”してきますわ。ここで待ってていただけます?」
「え、えぇ」
気分はクスクス笑ってゴーゴーである。
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「本当にどこに行ってしまったんだろう。大きな音もしていたし……怪我をしてい
たら大変だ。早く手当てをしないと」
少し焦りの表情を見せているエルフの青年が周囲を見回しながら歩いている。
駆け足できたのか少し息が上がってる。
すぅっと息を吸い込み、また声を張り上げた。
「シエルさーん!」
「私の友人の名前を叫ぶのは貴方? 恥ずかしいから止めてくれないかしら」
腕を組んで憮然とした表情でミルエが声をかける。
「あぁすみません。貴女は?」
「シエルの友人ですわ」
「大変なんです!シエルさんが壁を越えた拍子に大きな音がして……怪我をしてい
るかもしれません!」
叫ぶなというミルエの忠告は全く聞き入れられていなかった。
「知っていますわ。手当てしましたもの」
まだ手当てはしていない。ミルエは平然と虚実を言ってのける。
予定された事実なのだからと勝手に括っていた。
彼はミルエの言葉に驚きと喜びを露にし、ミルエのほうに進み出た。
「本当ですか!彼女は無事ですか!」
「かすり傷程度、心配なさらずとも大丈夫ですわ」
近づき過ぎたところをミルエが手で制する。
彼は「これは失礼」と間を置きなおし深く安堵の息を漏らした。
うつむき加減の微笑みが本当に心配していたことを伺わせる。
「よかった……では彼女に会わせてください」
「必要ありませんわ」
一転、彼が驚きに染まる。
ミルエの言葉の意味が理解できないのか、まばたきをニ、三回繰り返す。
頭の中で言葉を反芻し、処理を行うよう回す。一間あいてようやく意味が彼に
浸透する。
「何故です?」
「会わせる理由がりませんもの」
これは事実だ。
むしろ拒絶の理由が挙がっている。
質問に対して即答。ミルエの表情は憮然としている。
「理由ならあります。私が会いたいんです。無事を自分の目で確かめたいんです」
「それは貴方の希望。私が貴方をシエルに会わせる理由ではありませんわ」
熱を持った発言で応対する彼だが、お話にならないと切って捨てるミルエ。
「ではどうすれば貴女は私をシエルさんに会わせてくれるのでしょう」
「そうですわね……貴方が二度とシエルに会わないと誓ってくださらないかしら?」
口調と表情にそわない発言をするミルエ。内容のせいかかギャップのせいか、
彼は即座に理解出来なかった。
ミルエの発言の一つ一つが彼の思考を走らせる。
答えは一つだろうというのに彼はしばらく考えた後にやっと答えをだした。
「それはできません。私はシエルさんに会いたいんです!」
「では無理ですわ」
が、にっこりと嬉しそうに微笑むミルエに呆然とする事になる。
だが彼は律儀にもミルエを押しのけてでも、という思考はできないようだった。
苦虫を潰したような表情へと変わっていく。この壁は厚いと感じたのだろうか。
「貴女はまるで物語に出てくる悪い魔女のようだ」
「貴方はまるで物語に出てくる性質の悪い王子様のようですわね」
悪態をついた即座に反撃を食らい、言葉に詰る。
ミルエは追加で言葉を添えた。
「ついでに頭も悪い……なんていう事はありませんわよね? ”エルフ”なんですから」
「失敬な!」
直接的に罵倒された事はないのだろうか、種族を持ち出され過剰に反応する。
あからさまな敵意を叩きつけるがミルエは涼しい顔をしている。むしろ高圧的
な笑みを浮かべていた。
「では、そう思われないように振舞ってくださらないかしら?今の貴方のような
エルフばかりだと……私はエルフという存在自体を改めて考えなくてはならなくな
りますわ」
わざと深いため息をつき困惑な表情をする。
猛進している彼にはこれが演技だと気づくだろうか。
彼が口を開こうとしたその時、ミルエはさらに言葉を重ねた。
「それと……ここは部外者立ち入り禁止ですわ」
「君。ちょっとこっちに来なさい」
ポムリ、と彼の肩を叩くのは警備員の格好をした白い短髪の男。「ニィちゃん
ちょっと事務所イこうか」という顔をしていた。
ミルエとのやり取りを聞いていたのか、相当ご立腹な様子である。
あれだけ騒いでいれば人目につかない道理はない。
「わ、私は会うべき人がっ」
「ルールやマナーを守れない、事はありませんわよね?」
「ぐっ……」
それではごきげんよう。また会いましょう。
にっこりと微笑みながら連行されていく彼を眺めながら”聞こえるように”呟いた。
<] <] <] <] <] [> [> [> [> [>
木陰に隠れていたシエルの元に戻ってきたミルエ。
その表情は何事もなかったかのように平然としていた。
「さぁ、行きましょうか」
「え、えぇ……」
****************************************************************
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【21】』
~ かしましき女たち ~
場所 :ソフィニアの酒場
PC :エンジュ イェルヒ (シエル ミルエ)
NPC :ナンシー
****************************************************************
「同族なら誰もが知り合いだとでも思っているのか?不愉快だ、他をあたってく
れ」
再び店内に入ったエンジュが耳にしたのは、感情の苛立ちを隠そうともしない男の
一言だった。
「あら、ごめんなさい。そういうわけじゃないのよ。ただ、私たち人間より正確で
しょ?無駄足を踏みたくないの」
二人の声が大きかったわけではない。
ただ、ようやく夕方に差し掛かった酒場の店内は閑散としていて、話をしているの
は彼らしかいなかったからだ。
「若い…貴方たちの年齢でいってもそうみたいだけど。金髪のエルフよ。名前はイル
ラン」
「イルランですって!?」
女の口から出た名前に、エンジュは入り口で立ち止まったまま声を上げてしまっ
た。
「あら?」
店の奥で話していた男女が振り返る。
男は先程シエルがイルランと勘違いしたエルフだ。
女は黒髪に短く刈った髪を逆立て、軽装に短剣と、いかにも冒険者、といった雰囲
気をかもし出していた。
30代前半だろうか、未だ衰えのみえない筋肉質な身体をスキップするように躍ら
せて、エンジュの元へやってきた。
「あなた彼を知ってるの!?」
「知ってるというか…」
女から解放されほっとしたのだろうか、先程のエルフがエンジュを見ていた。
その視線がわずかに下に移動し、げんなりとした表情に変わると彼は再びテーブル
へと身体の向きを変えた。
何だか分からないが女性に対し失礼な態度ではないだろうか。
「最近、私の友達の周りに出没してるのよ」
「もしかして、愛だの恋だの語っているんじゃない?」
まさにその通りだ。
「あの男、もしかしてお尋ね者なわけ?」
女が手にした髪には、何かの記号が記されていた。
大きな丸に点二つ、横には二つの線が―――どうやら似顔絵なようだ。
よほど才能のない似顔絵師に頼んだのだろうか。
これではまともな情報も掴めそうにない。
「彼は、結婚・・・いえ、恋愛詐欺師なのよ」
「恋愛詐欺師!?」
初めて聞いたその呼称に再びエンジュは声を上げる。
「彼は、仲の良いカップルの間に割り込んでは女性の気持ちを奪い、彼女が自分惚れ
た頃には姿を消す…要するに壊し屋なのよ」
「イルランがねぇ・・・」
「彼は容姿は美形だし、世の中の女性はああいう顔に弱いのよ。それで被害者が続出
して『イルラン被害者友の会』から、私に依頼がきたのよ」
女はエンジュがたずねもしないのに詳しく理由を語った。
同業者からの情報提供へのギブアンドテイクなのか、単に依頼の保守意識すらない
三流のハンターなのか・・・。
シエルにも入会を勧めようか・・・。
そんな事をぼんやりと思う。
「で、この男を捕まえたらどうするの?まさか命を奪うなんて事は無いわよね」
「それは依頼人たちが決めることだけど、取りあえず『あの長ったらしい金髪を坊主
にしてやりたい』って意見が大半ね」
よほど恨まれているようだ。
「数日前、ソフィニア魔術学院の講義に顔をだしていたわよ。なんでエルフが人間の
魔法なんかを勉強するのかしら」
エンジュは単純に疑問を口に乗せる。
「自分たちの魔法が一番だと思うのはエルフの性質ね」
女はそう言うと、学院をあたってみるわ。と腕を組んだ頷いた。
エンジュも友人の悩みの種を取り除くため協力はしてやりたいが、学院にはベル
ベッドもいるのだ。
当分は近づきたくない。
「私はナンシー・グレイトよ。もし新しい彼の情報が手に入ったらここに連絡をちょ
うだい『肉食エルフ』さん」
「!」
そういってウインクした女は、店員にチップを投げると颯爽と酒場をあとにした。
ナンシーの後姿を見送り、思わず軽く口笛を吹くとエンジュは感心して呟いた。
「なかなか面白い女じゃない」
「・・・エンジュさん・・・」
「わっ!」
上機嫌で席に着こうとしたエンジュが再び身体の向きを変えると、そこにはいつの
間にかアンジェラが立っていた。
肩にはあの青い鳥、パティーがとまっている。
「ア、アンジェラ!パリスに会ったのね」
本来ならば喜びを露わにするはずのアンジェラの顔が暗い。
それは薄暗い照明のせいだけではなかった。
「ど、どうしたの?またベルベッドが仕掛けてきたの?」
「・・・は何処?」
パリスと並んでいるときのあの初々しい様子は何処に行ったのか、半眼でエンジュ
を睨み上げる彼女にはある種の殺気が宿っていた。
「え・・・?」
「あの女は何処なのッ!?」
「ドコナノォ!!」
飼い主の言葉を反芻したパティーが右腕に吸い込まれるように形を変えた。
アンジェラが高ぶった感情のままに武器へと姿を変えたパティー ―――青銅斧を
振るう。
おろされた先にあったテーブルが真っ二つに割れた。
「シエルは何処!? パリスは渡さないわ!!」
その一言にエンジュは全てをさとり、額に手を当てた。
「あンの・・・バカ男」
恋する女は恐ろしい。
恋する男はうっとうしい。
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【21】』
~ かしましき女たち ~
場所 :ソフィニアの酒場
PC :エンジュ イェルヒ (シエル ミルエ)
NPC :ナンシー
****************************************************************
「同族なら誰もが知り合いだとでも思っているのか?不愉快だ、他をあたってく
れ」
再び店内に入ったエンジュが耳にしたのは、感情の苛立ちを隠そうともしない男の
一言だった。
「あら、ごめんなさい。そういうわけじゃないのよ。ただ、私たち人間より正確で
しょ?無駄足を踏みたくないの」
二人の声が大きかったわけではない。
ただ、ようやく夕方に差し掛かった酒場の店内は閑散としていて、話をしているの
は彼らしかいなかったからだ。
「若い…貴方たちの年齢でいってもそうみたいだけど。金髪のエルフよ。名前はイル
ラン」
「イルランですって!?」
女の口から出た名前に、エンジュは入り口で立ち止まったまま声を上げてしまっ
た。
「あら?」
店の奥で話していた男女が振り返る。
男は先程シエルがイルランと勘違いしたエルフだ。
女は黒髪に短く刈った髪を逆立て、軽装に短剣と、いかにも冒険者、といった雰囲
気をかもし出していた。
30代前半だろうか、未だ衰えのみえない筋肉質な身体をスキップするように躍ら
せて、エンジュの元へやってきた。
「あなた彼を知ってるの!?」
「知ってるというか…」
女から解放されほっとしたのだろうか、先程のエルフがエンジュを見ていた。
その視線がわずかに下に移動し、げんなりとした表情に変わると彼は再びテーブル
へと身体の向きを変えた。
何だか分からないが女性に対し失礼な態度ではないだろうか。
「最近、私の友達の周りに出没してるのよ」
「もしかして、愛だの恋だの語っているんじゃない?」
まさにその通りだ。
「あの男、もしかしてお尋ね者なわけ?」
女が手にした髪には、何かの記号が記されていた。
大きな丸に点二つ、横には二つの線が―――どうやら似顔絵なようだ。
よほど才能のない似顔絵師に頼んだのだろうか。
これではまともな情報も掴めそうにない。
「彼は、結婚・・・いえ、恋愛詐欺師なのよ」
「恋愛詐欺師!?」
初めて聞いたその呼称に再びエンジュは声を上げる。
「彼は、仲の良いカップルの間に割り込んでは女性の気持ちを奪い、彼女が自分惚れ
た頃には姿を消す…要するに壊し屋なのよ」
「イルランがねぇ・・・」
「彼は容姿は美形だし、世の中の女性はああいう顔に弱いのよ。それで被害者が続出
して『イルラン被害者友の会』から、私に依頼がきたのよ」
女はエンジュがたずねもしないのに詳しく理由を語った。
同業者からの情報提供へのギブアンドテイクなのか、単に依頼の保守意識すらない
三流のハンターなのか・・・。
シエルにも入会を勧めようか・・・。
そんな事をぼんやりと思う。
「で、この男を捕まえたらどうするの?まさか命を奪うなんて事は無いわよね」
「それは依頼人たちが決めることだけど、取りあえず『あの長ったらしい金髪を坊主
にしてやりたい』って意見が大半ね」
よほど恨まれているようだ。
「数日前、ソフィニア魔術学院の講義に顔をだしていたわよ。なんでエルフが人間の
魔法なんかを勉強するのかしら」
エンジュは単純に疑問を口に乗せる。
「自分たちの魔法が一番だと思うのはエルフの性質ね」
女はそう言うと、学院をあたってみるわ。と腕を組んだ頷いた。
エンジュも友人の悩みの種を取り除くため協力はしてやりたいが、学院にはベル
ベッドもいるのだ。
当分は近づきたくない。
「私はナンシー・グレイトよ。もし新しい彼の情報が手に入ったらここに連絡をちょ
うだい『肉食エルフ』さん」
「!」
そういってウインクした女は、店員にチップを投げると颯爽と酒場をあとにした。
ナンシーの後姿を見送り、思わず軽く口笛を吹くとエンジュは感心して呟いた。
「なかなか面白い女じゃない」
「・・・エンジュさん・・・」
「わっ!」
上機嫌で席に着こうとしたエンジュが再び身体の向きを変えると、そこにはいつの
間にかアンジェラが立っていた。
肩にはあの青い鳥、パティーがとまっている。
「ア、アンジェラ!パリスに会ったのね」
本来ならば喜びを露わにするはずのアンジェラの顔が暗い。
それは薄暗い照明のせいだけではなかった。
「ど、どうしたの?またベルベッドが仕掛けてきたの?」
「・・・は何処?」
パリスと並んでいるときのあの初々しい様子は何処に行ったのか、半眼でエンジュ
を睨み上げる彼女にはある種の殺気が宿っていた。
「え・・・?」
「あの女は何処なのッ!?」
「ドコナノォ!!」
飼い主の言葉を反芻したパティーが右腕に吸い込まれるように形を変えた。
アンジェラが高ぶった感情のままに武器へと姿を変えたパティー ―――青銅斧を
振るう。
おろされた先にあったテーブルが真っ二つに割れた。
「シエルは何処!? パリスは渡さないわ!!」
その一言にエンジュは全てをさとり、額に手を当てた。
「あンの・・・バカ男」
恋する女は恐ろしい。
恋する男はうっとうしい。
****************************************************************
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【22】』
~ エルフの恋愛方程式 ~
場所 :ソフィニアの酒場~ソフィニア学院までの道のり
PC :エンジュ イェルヒ (シエル ミルエ)
NPC :ナンシー
****************************************************************
頭の悪い質問をした女は、跳ねるように移動した。
割って入って叫んだのは、さきほどのハーフエルフの女だった。
やはり、何度見ても、気持ちが悪い。脂肪分をあの局所的な部分にどれだけつ
めこんでいるのか。考えるだけでも、おぞましさで胸がいっぱいになる。
黒髪の女と、そのハーフエルフの女は、なにやら引き続き会話をしだす。も
う、こっちの存在は忘れているかのようだ。
すっかり冷えた野菜炒めを、フォークで突き刺す。が、遊ぶようにそれを何度
か繰り返すだけで、口に運ぶ気にはなれなかった。
何もかもが、食欲を失せる方向にしか動いていないのに、無理して食べること
はない。行儀悪く食べ物をおもちゃにして逡巡していたのは……支払った金が勿体
無いと思ったからだ。
イェルヒは、カウンターから立ち上がり、まだ喋っているあの女二人を尻目に
確認する。出て行く自分にもう興味など持っていないようだ。
店を出る直前に、黒髪の女が笑みを含めた艶のある声が耳に響いた。
「自分たちの魔法が一番だと思うのはエルフの性質ね」
その言葉に反射的な怒りが瞬時に膨張し、それを更に上回る怒りと嘲笑がすり
潰す。交錯し、渦巻き、深く抉る。
――知らない人間が何を言う――捨てたものにいまだ未練を抱くか――
――両方の術を識っているこそ私は理解している――それを認めたら俺の選んだモ
ノはなんなのだ――貴様が生きる世界の力を嘲笑うか――お前が生きる道を嘆くのか
……だから。
だから、なんなのだ。
冷めた心で、混沌としたそれらを蹴散らす。
それらが、どんなに己の内を狂い吹き荒らそうとも、自分はその言葉に食って
かかるなんてことはしないくせに。
指の先まで、血流と共に駆け巡ったモノは、あっという間に融解した。
風が。
扉を開けた途端、頬を撫でるそれに違和感を感じた。
いつも、意識的に、見ないように、感じ無いように閉ざしている感覚が開いて
いたようだ。
誰かが、この街の中で風の精霊が踊らせた、その名残だ。
魔術とは違う。捻じ曲げられた様子は無く、風の精霊自ら動いたような、もっ
と自然に近いモノ。
いや、ここはソフィニアだ。そんなことが起きる可能性は高いとは言わないも
のの、低くは、無い。
「邪魔よ。どいて」
風に気を取られていると、いつのまにか大柄な女性がイェルヒの目の前に立っ
ていた。その目には殺気が込められていた。
「あ……あぁ。悪かった」
ドアの前に突っ立っていた自分に明らかに非があると認め、イェルヒは素直に
その場から退くと、女はもうイェルヒに目をくれることなく、店の中に消えて
いった。
自分が悪かったとはいえ、あそこまで怒ることは無いだろうに。少し不審気味
にそう思う。
店に背を向け寮に戻ろうと歩き出す。
すると、背後で再び扉の開閉の音がした。何気なく振り向こうとすると、首に
するりと腕が絡んだ。
「ハァイ。まだ聞きたいことがあるのよ」
イェルヒの長い耳元で囁き、イェルヒは全身に悪寒を感じ、肘でその声の主を
突き飛ばすように引き剥がす。
絡められた腕は簡単にほどかれ、身軽な足使いでイェルヒから離れる。
声の主の正体を見ると、先ほどの短い黒髪の女だ。イェルヒの反応を見て、
笑っていた。
「こっちは答えることなど一切無い!」
イェルヒは鋭く言い放つと、早足でその場から離れる。しかし、女は気にした
風もなく、難なく付いて来る。
「あなたのせいで、なかなかイルランの足取りが掴めないのよ。金髪のエルフと
いう情報だと、あなたの目撃談も交錯してね。
あなたって有名人なのね。……まぁ、見ていればわかるけど」
目の端で確認すると、決して好意的とは言えない笑み。
「あなたのこの数日の足取りを教えてくれないかしら」
「断る」
女の語尾が終わるか終わらないかで、切り落とすような返答。嫌な記憶がフ
ラッシュバック―――立ち上る炎、熱い鍋肌を焦がす音、舞い上がる金の米、鮮や
かな包丁さばき――それが、脳裏に浮かび、粟肌が立った。
「勿論、お礼はす……」
「断ると言っているんだ」
今度は、最後まで言わせない。
呆れたような、女の顔。
「……理由無くここまで非協力的な人って初めてだわ」
「知らん人間に協力的になる理由は無い」
更に無理して歩くスピードを早める。だが、やはり女は涼しい顔で付いて来る。
「ソフィニア魔術学院所属。学院唯一のエルフにして特待生。妖精種族でありな
がら、魔術を学ぶ異端児。いつもイェルヒ。姓は不明。
私は知ってるわよ。あなたのこと」
「勝手に探られるのは不愉快だ」
「探ったつもりはないわ。イルランとの誤認情報でこれだけ集まったの。
そうそう。いつも不愉快そうな顔をしているって情報もあったわ。
ねぇ、なんで姓は不明なのかしら」
余りのしつこさに、イェルヒは足を止め、真っ直ぐと女の目に、挑戦的な視線
を叩きつける。
「教える義理が俺にあるのか?」
「無いわね。こっちも聞いて益は無いし。
単なる世間話」
大げさに肩をすくめ、そしてようやくこっちをまともに見たわね、と言いたげ
に、大きな口で笑みをにっこり作る。
「ナンシー・グレイトよ」
差し出される右手。だが、イェルヒはそれに応える気は無い。
「仲良くする気は無いと言っているだろう」
ナンシーは気にした風もなく、手を下げる。
「つれないのね。
本当に、イルランと同じエルフなの? 二人の人物像ってまるっきり違うわ」
「その理論だと、人間は皆、お前のように馴れ馴れしく、無礼で、しつこいス
トーカーであるということになるな」
「それを言われたらそうね」
たっぷりの皮肉も、ナンシーには通じないようだ。
イェルヒは深々とため息をつく。
「いつまで付いて来る気だ」
「さぁ? あなた次第じゃないかしら。
住んでいるところを突き止められたらそれはそれで収穫ね」
「……」
流石のイェルヒも沈黙した。
なんなんだ、このムカつく女は。
さっさと要求に応えた方がいいのかもしれない。
「昨日は一日中寝ていた。部屋から一歩も出ていない。
これで十分だろう!」
「いいえ。まだ聞きたいことがあるの」
どこまで、神経を逆なでにする女だ。
「やっと話を聞いてくれる気になったんだものね。
あ、どうぞ。歩きながらでいいわ」
「断る。住居を知られたくない」
「なら、手遅れね。どうせ、学院の寮でしょ?
特待生。高貴な種族のイメージが覆される。特に外部では見られない――特定の
バイトはしていない。
収入があまり無いってのが分かるわ。そんな状態だったら、寮しかないんじゃ
ないかしら。
それだったら、私も今から学院に用事があるから、こっちの方角は丁度いいの」
「……お前は、俺から話を聞きたいのか、それとも怒らせたいのか。どっちだ」
「穏便に話を聞きたいものね。
でも、あなたったらすぐにムキになるからからかいたくなって……と、そんなに
睨まないでよ」
その反応すらも楽しんでいるようで、ナンシーは微笑む。
「聞き出すってほどのものでもないんだけどね。エルフの価値観を知りたいだけ。
ターゲットのことを知っておいて損は無いもの」
「個体差はある。さっきもそのことを話したが、もう忘れたか?」
歩き出す。今度は、無駄だと理解して普通のペースで。
「それに、エルフと一言で言っても、集落によってもすでに別種のものとなって
いるようだ。人との交流が盛んであるところは考え方、文化、生活が。より人間
と親密なところでは人間の血と混じって、体質も性質も本来のエルフ種のものが
薄れているものもいる。
そういう場所になると、平均寿命年齢が低くなっているとか言う学者もいるよ
うだが、いかんせん、人間より遥かに長いし、人間との交流を絶っている所の調
査は難しいから、ちゃんと比較したデータは無いがな」
「そういう固ッ苦しいことを聞きたいんじゃあないわ。
もっと単純。エルフって、簡単に人間の女性を好きになるものなの?」
「ハァ?」
唐突な質問に思わず足を止める。
さっきからの態度といい、面白半分に口説いているのか? そう思ったが、ナ
ンシーは平然とした顔だ。その目にからかっている様子は無い。
「私の持つエルフの情報……というよりイメージね。『長い耳』『美形』『賢い』
『長寿』
それが、人間を好きになりやすいか、というと疑問を抱くのよね。
逆に言ってしまえば、愚かで容姿に劣る種族を好きになるのかしら。決定的に
寿命が違うから、その問題もあるわね。
総合して考えても、人間とエルフの恋愛なんて向いていないもの。
どこの世界にも変わり者はいるとして、短期間に多くの女性をひっかけるなん
てありえるのかしら」
「……実話か? それ」
イェルヒは耳を疑った。
「みたいね。私が追いかけてるエルフがそう。わざわざ男付きの女に求愛して、
両思いになったらトンズラ。それの繰り返し。
まぁ、そうとう人間の文化にかぶれているみたいだから、人間の女性に惚れ
るってのは有り得るかもしれないけど。
あなたはどうなの? やっぱ美しい同族がいいのかしら?」
「……美醜はそこまで関係するのか? 観賞とパートナーは別物じゃないか。 ……
ただ、容姿は関係するがな」
「なにそれ」
「人の生き様は多少なりとも容姿に表れるということだ。
間抜けそうな顔をしたヤツは間抜けであることが多い。それだけだ」
ナンシーが、大きな口をあけて、あっはっはと声を上げて笑った。
「確かに一理あるわね。
でもそれって、人間種族のこと言ってるの?」
まるで「そうだ」と言ってくれることを期待するような目を向けている。
……変な女だ。
まったく理解できない。
イェルヒはにべなくその期待を裏切る。
「知らん」
ナンシーは再び爆笑した。……笑いどころが全く分からない。
イェルヒは目に涙を浮かべてまで笑っているナンシーを無視して話を続ける。
「引っかかるのは、短期間に多数の女性、というところだ。
ただでさえ、寿命の差がある。短命の人間に恋愛感情を抱くのには、覚悟がい
るもんだ。
なのに、そう急いて数打てば当たるように出会いを求める必要があるか? そ
の可能性は限りなく、低いな。
可能性があるとすれば、だ。アンタとおんなじだ。
からかってるんだろう。……人間に興味があるんだったな? ならもしくは、興
味半分かもしれんな」
「やっぱりそう思う?」
「まぁ、いずれにしても本気ではないだろうな。
だが、ひっかかる人間の女も女だな」
その言葉に苦笑するナンシー。
「依頼主達のことはあまり悪く言いたくないけれど……それについては反論できな
いわね。
調べによると、イルランは脈が全く無さそうな女性からは早々に手を引いてる
らしいからね。
でも、女性なら”美しい王子様”に憧れる願望を持つことだってあるから
ねー……。同性として完全に否定はできないわね」
ハン、とわざとらしいと思えるほどのイェルヒの反応。
その次に続くのはふさわしいほどの皮肉げな物言い。
「アンタもそうなのか?」
「まさか。理解はできるけど同意はできないわ。
むしろ私は、あなたみたいな面白い人が結構タイプよ」
ナンシーがイェルヒの前に回りこみ、顔を覗きこむ。するとそこには、反射的
な拒絶というよりも、本能的な嫌悪の意思表示があった。
噴出すナンシー。
「本気にしないで。冗談よ。あなたって、ポーカーが出来ないタイプでしょ」
気づくと、もう魔術学院の建物が見えてきた。
「さて。……最初に言ってたお礼は、お姫様のキスがいいかしら?」
「何もいらん。目の前から消えてくれるだけでいい」
「オーケイ。分かったわ。大人しく去るわよ。いつか会うことがあったらお茶で
もおごるわ。
じゃぁね。ありがとう。参考になった」
しなやかに、猫のように駆けて、ナンシーは投げキッスを一度だけ放ち、その
場を去った。
『 易 し い ギ ル ド 入 門 【22】』
~ エルフの恋愛方程式 ~
場所 :ソフィニアの酒場~ソフィニア学院までの道のり
PC :エンジュ イェルヒ (シエル ミルエ)
NPC :ナンシー
****************************************************************
頭の悪い質問をした女は、跳ねるように移動した。
割って入って叫んだのは、さきほどのハーフエルフの女だった。
やはり、何度見ても、気持ちが悪い。脂肪分をあの局所的な部分にどれだけつ
めこんでいるのか。考えるだけでも、おぞましさで胸がいっぱいになる。
黒髪の女と、そのハーフエルフの女は、なにやら引き続き会話をしだす。も
う、こっちの存在は忘れているかのようだ。
すっかり冷えた野菜炒めを、フォークで突き刺す。が、遊ぶようにそれを何度
か繰り返すだけで、口に運ぶ気にはなれなかった。
何もかもが、食欲を失せる方向にしか動いていないのに、無理して食べること
はない。行儀悪く食べ物をおもちゃにして逡巡していたのは……支払った金が勿体
無いと思ったからだ。
イェルヒは、カウンターから立ち上がり、まだ喋っているあの女二人を尻目に
確認する。出て行く自分にもう興味など持っていないようだ。
店を出る直前に、黒髪の女が笑みを含めた艶のある声が耳に響いた。
「自分たちの魔法が一番だと思うのはエルフの性質ね」
その言葉に反射的な怒りが瞬時に膨張し、それを更に上回る怒りと嘲笑がすり
潰す。交錯し、渦巻き、深く抉る。
――知らない人間が何を言う――捨てたものにいまだ未練を抱くか――
――両方の術を識っているこそ私は理解している――それを認めたら俺の選んだモ
ノはなんなのだ――貴様が生きる世界の力を嘲笑うか――お前が生きる道を嘆くのか
……だから。
だから、なんなのだ。
冷めた心で、混沌としたそれらを蹴散らす。
それらが、どんなに己の内を狂い吹き荒らそうとも、自分はその言葉に食って
かかるなんてことはしないくせに。
指の先まで、血流と共に駆け巡ったモノは、あっという間に融解した。
風が。
扉を開けた途端、頬を撫でるそれに違和感を感じた。
いつも、意識的に、見ないように、感じ無いように閉ざしている感覚が開いて
いたようだ。
誰かが、この街の中で風の精霊が踊らせた、その名残だ。
魔術とは違う。捻じ曲げられた様子は無く、風の精霊自ら動いたような、もっ
と自然に近いモノ。
いや、ここはソフィニアだ。そんなことが起きる可能性は高いとは言わないも
のの、低くは、無い。
「邪魔よ。どいて」
風に気を取られていると、いつのまにか大柄な女性がイェルヒの目の前に立っ
ていた。その目には殺気が込められていた。
「あ……あぁ。悪かった」
ドアの前に突っ立っていた自分に明らかに非があると認め、イェルヒは素直に
その場から退くと、女はもうイェルヒに目をくれることなく、店の中に消えて
いった。
自分が悪かったとはいえ、あそこまで怒ることは無いだろうに。少し不審気味
にそう思う。
店に背を向け寮に戻ろうと歩き出す。
すると、背後で再び扉の開閉の音がした。何気なく振り向こうとすると、首に
するりと腕が絡んだ。
「ハァイ。まだ聞きたいことがあるのよ」
イェルヒの長い耳元で囁き、イェルヒは全身に悪寒を感じ、肘でその声の主を
突き飛ばすように引き剥がす。
絡められた腕は簡単にほどかれ、身軽な足使いでイェルヒから離れる。
声の主の正体を見ると、先ほどの短い黒髪の女だ。イェルヒの反応を見て、
笑っていた。
「こっちは答えることなど一切無い!」
イェルヒは鋭く言い放つと、早足でその場から離れる。しかし、女は気にした
風もなく、難なく付いて来る。
「あなたのせいで、なかなかイルランの足取りが掴めないのよ。金髪のエルフと
いう情報だと、あなたの目撃談も交錯してね。
あなたって有名人なのね。……まぁ、見ていればわかるけど」
目の端で確認すると、決して好意的とは言えない笑み。
「あなたのこの数日の足取りを教えてくれないかしら」
「断る」
女の語尾が終わるか終わらないかで、切り落とすような返答。嫌な記憶がフ
ラッシュバック―――立ち上る炎、熱い鍋肌を焦がす音、舞い上がる金の米、鮮や
かな包丁さばき――それが、脳裏に浮かび、粟肌が立った。
「勿論、お礼はす……」
「断ると言っているんだ」
今度は、最後まで言わせない。
呆れたような、女の顔。
「……理由無くここまで非協力的な人って初めてだわ」
「知らん人間に協力的になる理由は無い」
更に無理して歩くスピードを早める。だが、やはり女は涼しい顔で付いて来る。
「ソフィニア魔術学院所属。学院唯一のエルフにして特待生。妖精種族でありな
がら、魔術を学ぶ異端児。いつもイェルヒ。姓は不明。
私は知ってるわよ。あなたのこと」
「勝手に探られるのは不愉快だ」
「探ったつもりはないわ。イルランとの誤認情報でこれだけ集まったの。
そうそう。いつも不愉快そうな顔をしているって情報もあったわ。
ねぇ、なんで姓は不明なのかしら」
余りのしつこさに、イェルヒは足を止め、真っ直ぐと女の目に、挑戦的な視線
を叩きつける。
「教える義理が俺にあるのか?」
「無いわね。こっちも聞いて益は無いし。
単なる世間話」
大げさに肩をすくめ、そしてようやくこっちをまともに見たわね、と言いたげ
に、大きな口で笑みをにっこり作る。
「ナンシー・グレイトよ」
差し出される右手。だが、イェルヒはそれに応える気は無い。
「仲良くする気は無いと言っているだろう」
ナンシーは気にした風もなく、手を下げる。
「つれないのね。
本当に、イルランと同じエルフなの? 二人の人物像ってまるっきり違うわ」
「その理論だと、人間は皆、お前のように馴れ馴れしく、無礼で、しつこいス
トーカーであるということになるな」
「それを言われたらそうね」
たっぷりの皮肉も、ナンシーには通じないようだ。
イェルヒは深々とため息をつく。
「いつまで付いて来る気だ」
「さぁ? あなた次第じゃないかしら。
住んでいるところを突き止められたらそれはそれで収穫ね」
「……」
流石のイェルヒも沈黙した。
なんなんだ、このムカつく女は。
さっさと要求に応えた方がいいのかもしれない。
「昨日は一日中寝ていた。部屋から一歩も出ていない。
これで十分だろう!」
「いいえ。まだ聞きたいことがあるの」
どこまで、神経を逆なでにする女だ。
「やっと話を聞いてくれる気になったんだものね。
あ、どうぞ。歩きながらでいいわ」
「断る。住居を知られたくない」
「なら、手遅れね。どうせ、学院の寮でしょ?
特待生。高貴な種族のイメージが覆される。特に外部では見られない――特定の
バイトはしていない。
収入があまり無いってのが分かるわ。そんな状態だったら、寮しかないんじゃ
ないかしら。
それだったら、私も今から学院に用事があるから、こっちの方角は丁度いいの」
「……お前は、俺から話を聞きたいのか、それとも怒らせたいのか。どっちだ」
「穏便に話を聞きたいものね。
でも、あなたったらすぐにムキになるからからかいたくなって……と、そんなに
睨まないでよ」
その反応すらも楽しんでいるようで、ナンシーは微笑む。
「聞き出すってほどのものでもないんだけどね。エルフの価値観を知りたいだけ。
ターゲットのことを知っておいて損は無いもの」
「個体差はある。さっきもそのことを話したが、もう忘れたか?」
歩き出す。今度は、無駄だと理解して普通のペースで。
「それに、エルフと一言で言っても、集落によってもすでに別種のものとなって
いるようだ。人との交流が盛んであるところは考え方、文化、生活が。より人間
と親密なところでは人間の血と混じって、体質も性質も本来のエルフ種のものが
薄れているものもいる。
そういう場所になると、平均寿命年齢が低くなっているとか言う学者もいるよ
うだが、いかんせん、人間より遥かに長いし、人間との交流を絶っている所の調
査は難しいから、ちゃんと比較したデータは無いがな」
「そういう固ッ苦しいことを聞きたいんじゃあないわ。
もっと単純。エルフって、簡単に人間の女性を好きになるものなの?」
「ハァ?」
唐突な質問に思わず足を止める。
さっきからの態度といい、面白半分に口説いているのか? そう思ったが、ナ
ンシーは平然とした顔だ。その目にからかっている様子は無い。
「私の持つエルフの情報……というよりイメージね。『長い耳』『美形』『賢い』
『長寿』
それが、人間を好きになりやすいか、というと疑問を抱くのよね。
逆に言ってしまえば、愚かで容姿に劣る種族を好きになるのかしら。決定的に
寿命が違うから、その問題もあるわね。
総合して考えても、人間とエルフの恋愛なんて向いていないもの。
どこの世界にも変わり者はいるとして、短期間に多くの女性をひっかけるなん
てありえるのかしら」
「……実話か? それ」
イェルヒは耳を疑った。
「みたいね。私が追いかけてるエルフがそう。わざわざ男付きの女に求愛して、
両思いになったらトンズラ。それの繰り返し。
まぁ、そうとう人間の文化にかぶれているみたいだから、人間の女性に惚れ
るってのは有り得るかもしれないけど。
あなたはどうなの? やっぱ美しい同族がいいのかしら?」
「……美醜はそこまで関係するのか? 観賞とパートナーは別物じゃないか。 ……
ただ、容姿は関係するがな」
「なにそれ」
「人の生き様は多少なりとも容姿に表れるということだ。
間抜けそうな顔をしたヤツは間抜けであることが多い。それだけだ」
ナンシーが、大きな口をあけて、あっはっはと声を上げて笑った。
「確かに一理あるわね。
でもそれって、人間種族のこと言ってるの?」
まるで「そうだ」と言ってくれることを期待するような目を向けている。
……変な女だ。
まったく理解できない。
イェルヒはにべなくその期待を裏切る。
「知らん」
ナンシーは再び爆笑した。……笑いどころが全く分からない。
イェルヒは目に涙を浮かべてまで笑っているナンシーを無視して話を続ける。
「引っかかるのは、短期間に多数の女性、というところだ。
ただでさえ、寿命の差がある。短命の人間に恋愛感情を抱くのには、覚悟がい
るもんだ。
なのに、そう急いて数打てば当たるように出会いを求める必要があるか? そ
の可能性は限りなく、低いな。
可能性があるとすれば、だ。アンタとおんなじだ。
からかってるんだろう。……人間に興味があるんだったな? ならもしくは、興
味半分かもしれんな」
「やっぱりそう思う?」
「まぁ、いずれにしても本気ではないだろうな。
だが、ひっかかる人間の女も女だな」
その言葉に苦笑するナンシー。
「依頼主達のことはあまり悪く言いたくないけれど……それについては反論できな
いわね。
調べによると、イルランは脈が全く無さそうな女性からは早々に手を引いてる
らしいからね。
でも、女性なら”美しい王子様”に憧れる願望を持つことだってあるから
ねー……。同性として完全に否定はできないわね」
ハン、とわざとらしいと思えるほどのイェルヒの反応。
その次に続くのはふさわしいほどの皮肉げな物言い。
「アンタもそうなのか?」
「まさか。理解はできるけど同意はできないわ。
むしろ私は、あなたみたいな面白い人が結構タイプよ」
ナンシーがイェルヒの前に回りこみ、顔を覗きこむ。するとそこには、反射的
な拒絶というよりも、本能的な嫌悪の意思表示があった。
噴出すナンシー。
「本気にしないで。冗談よ。あなたって、ポーカーが出来ないタイプでしょ」
気づくと、もう魔術学院の建物が見えてきた。
「さて。……最初に言ってたお礼は、お姫様のキスがいいかしら?」
「何もいらん。目の前から消えてくれるだけでいい」
「オーケイ。分かったわ。大人しく去るわよ。いつか会うことがあったらお茶で
もおごるわ。
じゃぁね。ありがとう。参考になった」
しなやかに、猫のように駆けて、ナンシーは投げキッスを一度だけ放ち、その
場を去った。