PC:ジルヴァ ラルク マックス
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――
真昼の光の強さよりも、ぽってりと熟れた果物のようになった傾いだ太陽の放つ
明かりのほうが、世界を美しく見せるとジルヴァは思っている。
木の葉の輪郭や建物の造作が赤く際立つのはもちろんだが、この時間特有の、浮き
足だった埃っぽい匂いすら好ましい。
結局行きかう人ごみの中、ジルヴァは宿に向かうラルクの後を杖の先に付いた鈴を
鳴らして歩いている。
ある程度の問答はあったが、ジルヴァが負けるわけがない。飽きるまでは、ラルク
と行動しようと勝手に決めていた。
喧嘩別れした相手の待つ宿に帰るのは気分が悪いし、ちょうどよいことに路銀も手
に入った。
「あ」
ジルヴァの目が、人ごみの一角にとまる。
「少しそこで待ってな」
ラルクの服の裾を掴んで立ち止まらせる。
駆けていったジルヴァが、彼の元に戻ってきたとき、片腕に紙袋を二つ抱えてい
た。
「焼き栗は嫌いかい?」
「え…、僕にもくれるんですか?」
わたわたと慌てる大の男に、ジルヴァは舌打ちする。
「失礼な奴だねぇ。やるよ。その上奢りだよ。今日は儲けさせてもらったから、それ
くらいやっても当然だろう?」
そう言って袋の片方をラルクの方に押し出すと、さすがの彼も手を伸ばした。
暖かい栗の袋を抱いて、彼の表情にちらりと笑みが覗く。と、次の瞬間に飛び出た
くしゃみのせいで、顔中くしゃくしゃになってしまった。
「くしゃみするときはあっち向きな! 唾がとんだじゃないか」
「すみませ…」
「その前に言うことがあるんじゃないかい」
「えと、ありがとうございます」
礼を言い終わると同時に、また大きくくしゃみをする。今度は、ちゃんと顔を背け
ていた。
元の肌が浅黒いのと夕暮れ時なのとでわかりにくいが、ラルクの顔色は、昼に会っ
たときよりもより土気色に近いようだ。風邪を引きかけているのかもしれない。裾を
掴んだときも、まだじっとりと湿っていた。
「栗食べないのかい?」
「あ、い、今はなんだか食欲がなくて」
歩き出してから聞いてみると、不興を買ったと思ったのか、ラルクがびくりと身を
縮ませる。
その様子が気に入らなくて、ジルヴァは彼の背中を杖で小突いた。ラルクがバラン
スを崩し、袋にいっぱい入っていた栗が二つほど落ちて、雑踏を転がった。
「ったく、人が話しかけるたびにびくびくして、うっとおしいったらありゃしない」
ジルヴァは、手のひらでずっと転がしていた自分の栗をラルクに示した。
「こういう細かい仕事は苦手なんだ。剥いておくれ」
「あ、はい…」
受け取ったラルクの目はうっすら涙がにじんでいるように見えたが、それでも片手
で栗を扱って、殻を割った。が、「うわぁ」と声を上げる。
「す、すみません…。中身割れちゃいました…」
ジルヴァに返された栗は、実が薄皮に張り付いたまま二つに別れていた。これでは
刃物で皮を剥くか、中身をほじり出さなければ食べられない。
「使えないねぇ! こっちはアンタにやるから、もう1個やってみな」
「は、はい…」
栗を剥くのが苦手なのか、あたりが悪いのか、それともジルヴァのかけるプレッ
シャーのせいなのか。二個目の栗も綺麗に二つに割れてしまった。
ジルヴァが苛立つのと反比例して、ラルクは主人にしかられ耳としっぽがぺたんと
垂れてしまった犬のように肩が落ちる。
本当に自分は細かい作業が苦手で、こういうときに困る、とジルヴァは思う。
歯を使って剥いてしまってもいいのだが、今の保護者の前でそれをやって、たしな
められたことがあるのだ。
「………?」
ジルヴァが、前触れなく足をとめてあたりを見まわした。遅れて立ち止まったラル
クは、タイミング悪く年配の女性とぶつかり、通りすがりざまに罵られる。
「…花の匂いがしないかい?」
「え、別に…。花売りの人ならあっちのほうにいますけど」
「いや、そんなしおれたのじゃないさ。もっと、薔薇か百合か、そういう…」
「さぁ…、僕は感じませんけど…」
ラルクは、空気の匂いを嗅いで首を傾げている。ジルヴァは周りをまだきょろきょ
ろしているが、すぐに断念した。
「あぁ、駄目だ。もう消えちまった…ん?」
何かに気が付くと、ジルヴァは黒い裾を引き摺って駆け出した。その反応の俊敏さ
は見かけの外見と釣り合わないもので、ラルクは遅れてついてくる。
ジルヴァの走る速度はそれほどではないが、人の間を縫って器用に動くので、ラル
クは一苦労だ。
それほど移動せず、程なくしてジルヴァは止まると、後ろから1人で歩いていた男
の服を皮のたるんだ手できゅっと掴んだ。
「栗を剥くの得意かい?」
振り返ったのは、とりたてて特徴もない、中肉中背の男。
凡庸としかいいようのない顔立ちに驚きを浮かべている男に、ジルヴァはニィと笑
いかけてやった。
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
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真昼の光の強さよりも、ぽってりと熟れた果物のようになった傾いだ太陽の放つ
明かりのほうが、世界を美しく見せるとジルヴァは思っている。
木の葉の輪郭や建物の造作が赤く際立つのはもちろんだが、この時間特有の、浮き
足だった埃っぽい匂いすら好ましい。
結局行きかう人ごみの中、ジルヴァは宿に向かうラルクの後を杖の先に付いた鈴を
鳴らして歩いている。
ある程度の問答はあったが、ジルヴァが負けるわけがない。飽きるまでは、ラルク
と行動しようと勝手に決めていた。
喧嘩別れした相手の待つ宿に帰るのは気分が悪いし、ちょうどよいことに路銀も手
に入った。
「あ」
ジルヴァの目が、人ごみの一角にとまる。
「少しそこで待ってな」
ラルクの服の裾を掴んで立ち止まらせる。
駆けていったジルヴァが、彼の元に戻ってきたとき、片腕に紙袋を二つ抱えてい
た。
「焼き栗は嫌いかい?」
「え…、僕にもくれるんですか?」
わたわたと慌てる大の男に、ジルヴァは舌打ちする。
「失礼な奴だねぇ。やるよ。その上奢りだよ。今日は儲けさせてもらったから、それ
くらいやっても当然だろう?」
そう言って袋の片方をラルクの方に押し出すと、さすがの彼も手を伸ばした。
暖かい栗の袋を抱いて、彼の表情にちらりと笑みが覗く。と、次の瞬間に飛び出た
くしゃみのせいで、顔中くしゃくしゃになってしまった。
「くしゃみするときはあっち向きな! 唾がとんだじゃないか」
「すみませ…」
「その前に言うことがあるんじゃないかい」
「えと、ありがとうございます」
礼を言い終わると同時に、また大きくくしゃみをする。今度は、ちゃんと顔を背け
ていた。
元の肌が浅黒いのと夕暮れ時なのとでわかりにくいが、ラルクの顔色は、昼に会っ
たときよりもより土気色に近いようだ。風邪を引きかけているのかもしれない。裾を
掴んだときも、まだじっとりと湿っていた。
「栗食べないのかい?」
「あ、い、今はなんだか食欲がなくて」
歩き出してから聞いてみると、不興を買ったと思ったのか、ラルクがびくりと身を
縮ませる。
その様子が気に入らなくて、ジルヴァは彼の背中を杖で小突いた。ラルクがバラン
スを崩し、袋にいっぱい入っていた栗が二つほど落ちて、雑踏を転がった。
「ったく、人が話しかけるたびにびくびくして、うっとおしいったらありゃしない」
ジルヴァは、手のひらでずっと転がしていた自分の栗をラルクに示した。
「こういう細かい仕事は苦手なんだ。剥いておくれ」
「あ、はい…」
受け取ったラルクの目はうっすら涙がにじんでいるように見えたが、それでも片手
で栗を扱って、殻を割った。が、「うわぁ」と声を上げる。
「す、すみません…。中身割れちゃいました…」
ジルヴァに返された栗は、実が薄皮に張り付いたまま二つに別れていた。これでは
刃物で皮を剥くか、中身をほじり出さなければ食べられない。
「使えないねぇ! こっちはアンタにやるから、もう1個やってみな」
「は、はい…」
栗を剥くのが苦手なのか、あたりが悪いのか、それともジルヴァのかけるプレッ
シャーのせいなのか。二個目の栗も綺麗に二つに割れてしまった。
ジルヴァが苛立つのと反比例して、ラルクは主人にしかられ耳としっぽがぺたんと
垂れてしまった犬のように肩が落ちる。
本当に自分は細かい作業が苦手で、こういうときに困る、とジルヴァは思う。
歯を使って剥いてしまってもいいのだが、今の保護者の前でそれをやって、たしな
められたことがあるのだ。
「………?」
ジルヴァが、前触れなく足をとめてあたりを見まわした。遅れて立ち止まったラル
クは、タイミング悪く年配の女性とぶつかり、通りすがりざまに罵られる。
「…花の匂いがしないかい?」
「え、別に…。花売りの人ならあっちのほうにいますけど」
「いや、そんなしおれたのじゃないさ。もっと、薔薇か百合か、そういう…」
「さぁ…、僕は感じませんけど…」
ラルクは、空気の匂いを嗅いで首を傾げている。ジルヴァは周りをまだきょろきょ
ろしているが、すぐに断念した。
「あぁ、駄目だ。もう消えちまった…ん?」
何かに気が付くと、ジルヴァは黒い裾を引き摺って駆け出した。その反応の俊敏さ
は見かけの外見と釣り合わないもので、ラルクは遅れてついてくる。
ジルヴァの走る速度はそれほどではないが、人の間を縫って器用に動くので、ラル
クは一苦労だ。
それほど移動せず、程なくしてジルヴァは止まると、後ろから1人で歩いていた男
の服を皮のたるんだ手できゅっと掴んだ。
「栗を剥くの得意かい?」
振り返ったのは、とりたてて特徴もない、中肉中背の男。
凡庸としかいいようのない顔立ちに驚きを浮かべている男に、ジルヴァはニィと笑
いかけてやった。
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PC:ジルヴァ ラルク マックス
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
呼び止められた男は、昼間の優しい人だった。
「あ、マックスさんだー。ジルヴァさん、よく気付きましたねー」
へらへら笑い、近づくラルク。どうも力が入らない。
困ったな、早く着替えないと本気で風邪を引いてしまう。
そんなことを考える頭も緩慢で、考えることを放棄しそうだ。
一方、通行人に荷物をぶつけられながら、マックスはジルヴァの相手をしていた。
「あの、とりあえずここで話は迷惑ですから……」
「じゃあアンタも来な」
ニィと笑う。文句を言わせる気もないらしい。
諦めたように小さく「はあ」と気のない返事をすると、マックスはジルヴァからラ
ルクへと視線を移した。
「そういうことらしいです」
そういうこととはそういうことだ。彼女がそう決めたら、他の人が覆すのは難し
い。
ジルヴァもマックスは逃げないと判断したのか、服の裾から手を離した。
「さ、行こうかね!」
ジルヴァに小突かれてラルクがよろめく。思ったよりも足にきているようだった。
宿に戻って体を拭いて、着替えて寝ていればよくなるだろうか?
力無く歩くラルクの後を、ジルヴァが鈴を鳴らしながら歩き、マックスは黙々と歩
いた。
宿はそう遠くなかった。
顔見知りに片手を挙げて挨拶すると、いつもの部屋を頼む。ここは安い上に荷物預
かりもしてくれるので重宝しているのだ。着替えや日用品等、預けておいた箱を受け
取りながら、顔を背けてくしゃみをした。
「相変わらず景気悪そうね、ギルダーさん」
「うん、ちょっと水に落ちちゃって。タオルとお湯が欲しいんだけど」
「それは構わないけど、お連れさんがいるなら狭いんじゃない?」
「……そうかな?」
寝に帰るためだけの安宿だ。風呂もついていない。部屋の広さも三畳の畳敷き。布
団を畳んで置いてあるので更に狭い。いつも独りなので不都合は感じなかったのだ
が……。
「あの、着替えるので少し待ってて頂けますか?」
振り向いてそう聞いた。さすがに着替えるときは独りじゃないと狭すぎるかもしれ
ない。
「早く着替えた方がいいですよ」
「さっさと着替えな。あんまり待たせるんじゃないよ」
二人とも優しいなぁ。
ラルクは洗面器一杯のお湯とタオルを受け取って、部屋へと向かった。
ずっしりと重く冷たいマントを体から引き剥がす。もう水が滴ってはいないようだ
が、明らかに乾いていないソレを窓辺に吊す。お湯に浸したタオルを固く絞り、擦る
ように体を拭き上げ、着替えのシャツに袖を通す。黙々と一連の作業を進め、そう時
間も掛けずに着替えを終わらせる。
「ふぅ」
一息つく。
みんなで甘栗を食べて、少し談笑して、独りになったら銭湯に行こう。お金を一部
返して、また残りを返す約束をして……。
そんなことを考えながら鼻をかむ。途端に強い花の香りがした。
「……?」
窓を開けて見下ろすと、雑踏の中にブロンドの髪が揺れている。彼女が香りの主だ
ろうかと考えたが、すぐに目を逸らした。強い香りのためか、それとも熱のせいなの
か、頭がクラクラしてきたのだ。再び彼女を目で追ったときにはもう姿はなく、幻覚
を見たのだろうかと頭を抱えた。確かに少し頭が熱い。
タオルと洗面器を小脇に抱えたラルクが階段を下りると、ジルヴァに杖で小突かれ
た。
「遅い!!」
今までで一番痛くない。手加減してくれているんだなぁと勝手に解釈して、ラルク
はニコニコと笑った。その表情にマックスは不思議そうだ。
「お待たせしました。広くはないですけど、上なら座って話せますよ」
顔なじみに洗面器とタオルを返し、先に立って階段を上る。階段が若干急なので、
時折振り返っては様子を窺いながら進むが、引きずるほど長い裾でありながらジルヴ
ァは危なげなく階段を上っていた。最後尾を普通に上ってくるのはマックスだ。
「どうぞ」
引き戸を開け、狭い部屋に招き入れると、ジルヴァは当然のように積んであった布
団の上に腰掛けた。座布団もない部屋だが、一応宿泊施設ということで板間ではなく
畳敷きなのが救いか。畳に直に腰を下ろす。
「さっきもこの花の香りがしたんですよ」
くん、と鼻を鳴らし、漂う花の香りを嗅ぐ。手にした甘栗とは明らかに質の違う香
り。
すると二人は、通りを見下ろすように立ち上がった。
「どうしました? ブロンドの女性と知り合いなんですか?」
何気なく言ったその言葉に、空気が固まった。
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
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呼び止められた男は、昼間の優しい人だった。
「あ、マックスさんだー。ジルヴァさん、よく気付きましたねー」
へらへら笑い、近づくラルク。どうも力が入らない。
困ったな、早く着替えないと本気で風邪を引いてしまう。
そんなことを考える頭も緩慢で、考えることを放棄しそうだ。
一方、通行人に荷物をぶつけられながら、マックスはジルヴァの相手をしていた。
「あの、とりあえずここで話は迷惑ですから……」
「じゃあアンタも来な」
ニィと笑う。文句を言わせる気もないらしい。
諦めたように小さく「はあ」と気のない返事をすると、マックスはジルヴァからラ
ルクへと視線を移した。
「そういうことらしいです」
そういうこととはそういうことだ。彼女がそう決めたら、他の人が覆すのは難し
い。
ジルヴァもマックスは逃げないと判断したのか、服の裾から手を離した。
「さ、行こうかね!」
ジルヴァに小突かれてラルクがよろめく。思ったよりも足にきているようだった。
宿に戻って体を拭いて、着替えて寝ていればよくなるだろうか?
力無く歩くラルクの後を、ジルヴァが鈴を鳴らしながら歩き、マックスは黙々と歩
いた。
宿はそう遠くなかった。
顔見知りに片手を挙げて挨拶すると、いつもの部屋を頼む。ここは安い上に荷物預
かりもしてくれるので重宝しているのだ。着替えや日用品等、預けておいた箱を受け
取りながら、顔を背けてくしゃみをした。
「相変わらず景気悪そうね、ギルダーさん」
「うん、ちょっと水に落ちちゃって。タオルとお湯が欲しいんだけど」
「それは構わないけど、お連れさんがいるなら狭いんじゃない?」
「……そうかな?」
寝に帰るためだけの安宿だ。風呂もついていない。部屋の広さも三畳の畳敷き。布
団を畳んで置いてあるので更に狭い。いつも独りなので不都合は感じなかったのだ
が……。
「あの、着替えるので少し待ってて頂けますか?」
振り向いてそう聞いた。さすがに着替えるときは独りじゃないと狭すぎるかもしれ
ない。
「早く着替えた方がいいですよ」
「さっさと着替えな。あんまり待たせるんじゃないよ」
二人とも優しいなぁ。
ラルクは洗面器一杯のお湯とタオルを受け取って、部屋へと向かった。
ずっしりと重く冷たいマントを体から引き剥がす。もう水が滴ってはいないようだ
が、明らかに乾いていないソレを窓辺に吊す。お湯に浸したタオルを固く絞り、擦る
ように体を拭き上げ、着替えのシャツに袖を通す。黙々と一連の作業を進め、そう時
間も掛けずに着替えを終わらせる。
「ふぅ」
一息つく。
みんなで甘栗を食べて、少し談笑して、独りになったら銭湯に行こう。お金を一部
返して、また残りを返す約束をして……。
そんなことを考えながら鼻をかむ。途端に強い花の香りがした。
「……?」
窓を開けて見下ろすと、雑踏の中にブロンドの髪が揺れている。彼女が香りの主だ
ろうかと考えたが、すぐに目を逸らした。強い香りのためか、それとも熱のせいなの
か、頭がクラクラしてきたのだ。再び彼女を目で追ったときにはもう姿はなく、幻覚
を見たのだろうかと頭を抱えた。確かに少し頭が熱い。
タオルと洗面器を小脇に抱えたラルクが階段を下りると、ジルヴァに杖で小突かれ
た。
「遅い!!」
今までで一番痛くない。手加減してくれているんだなぁと勝手に解釈して、ラルク
はニコニコと笑った。その表情にマックスは不思議そうだ。
「お待たせしました。広くはないですけど、上なら座って話せますよ」
顔なじみに洗面器とタオルを返し、先に立って階段を上る。階段が若干急なので、
時折振り返っては様子を窺いながら進むが、引きずるほど長い裾でありながらジルヴ
ァは危なげなく階段を上っていた。最後尾を普通に上ってくるのはマックスだ。
「どうぞ」
引き戸を開け、狭い部屋に招き入れると、ジルヴァは当然のように積んであった布
団の上に腰掛けた。座布団もない部屋だが、一応宿泊施設ということで板間ではなく
畳敷きなのが救いか。畳に直に腰を下ろす。
「さっきもこの花の香りがしたんですよ」
くん、と鼻を鳴らし、漂う花の香りを嗅ぐ。手にした甘栗とは明らかに質の違う香
り。
すると二人は、通りを見下ろすように立ち上がった。
「どうしました? ブロンドの女性と知り合いなんですか?」
何気なく言ったその言葉に、空気が固まった。
PC:ジルヴァ ラルク マックス
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「どうしました? ブロンドの女性と知り合いなんですか?」
「ブロンドの女性?」
マックスが答える前に、ジルヴァが先に答えた。
「いえ、この香りが……あ、もう消えてますけど……まぁ、香ったとき。
窓の下の人ごみに、ブロンドの女性が……」
なんとはなしに、マックスの心臓が、ビクリ、と震える。
しかし、隣の老婆は、「やれやれ」というようにため息をついた。
「……どうして、その香りの主が、そのブロンドの女性だと、人ごみの中から特定
できたんだい?」
「……へ?」
ラルクは言っている意味すらもう理解できないらしい。完全に熱にやられている。
「色惚けてんじゃないよ、この小僧が。もうアタシらは帰るから、とっとと寝な」
ラルクは、数秒ぼうっとしていたが、ふふ、と笑って……熱に浮かされているの
でその様子は傍から見ていて不気味なものではあったが……「やさしいんですね」
と言った。
あの湖に落ちたときからずいぶんと時間が経過している。この遅すぎる忠告
は、決して「優しい」ものではないと思ったが、マックスは何も言わなかった。
本人らがそれで丸く収まるのならば、それに越したことはないし、何よりも早く
休んだほうがいいという点ではマックスは同意見だった。
「ありがとうございます」
のん気な笑顔で、ラルクはそう言った。
靴を履いていると、お金を返すと言われたが、マックスは断った。ラルクの病
状が悪化したら医者にかかる金が必要になると思ったからだ。これで医者にかか
る金もなく、この三畳一間の部屋で死なれては寝覚めが悪い。……まぁ、万が一そ
のような状況になっても、マックスという男は、それをさほど気にする男ではな
いのだが。
外に出ると、もう薄暗くなりかけていた。人通りの多さも、もう薄らいでいる。
マックスは、少し冷えた外の空気を吸うと、改めて隣にいる老婆のことを思った。
思えば、この老婆との直のコミュニケーションは、マックスから行ったことは
無い。ラルクという仲介がいたからこそ、一緒に行動していたに過ぎない。
このまま別れるのが無難だろう。
そう思っていたら、ジルヴァは、マックスに焼き栗の入った袋を渡し、歩き出
した。そういえば、「栗を剥くのは得意か」と呼び止められたことを思い出す。
どうやら、剥けということらしい。
「もう、冷めちまった」
と、ブツブツジルヴァは言った。
「焼き栗はしばらく冷ましたほうが剥きやすいですよ。薄皮が、蒸気で蒸らされ
て剥きやすくなるから」
栗の腹のあたりに爪を入れる。パキン、と小気味良い音がすると、中から薄皮
も綺麗に剥けた栗が、ころんと出てきた。
「どうぞ」
ジルヴァは上機嫌そうにその栗をつまんでパクリと口の中に入れる。
「うまいね」
栗が、ということか。それとも、マックスの栗剥きが、ということか。
どっちだか分からなくて、マックスはとりあえず「はぁ」と答えておいた。
「ところで、どこに向かっているんです?」
パキン。ころん。パクリ。
「あたしのツレん所だ」
パキン。ころん。パクリ。
マックスは、少し驚いた。だが、よくよく思えば納得できた。この老婆一人が
旅をするというのは、なんとなく、生き辛そうと思ったからだ。
「どうせアンタ、急いでいないんだろう? 送っていっておくれ」
パキン。ころん。パクリ。
”特に断る理由もなかったので”という理由でマックスは、ジルヴァに並んで歩
いた。
ペチ。
栗の皮があまり膨らんでいなかったようだ。薄皮をつけたままの栗が、爪の跡
をつけて出てきた。
ペリペリと薄皮を剥いていると、
「アンタにやるよ」
とジルヴァが言った。栗を剥いているお礼なのか。それとも、爪の跡のついた
栗は嫌なのか。どっちなのか判じかねたが、とりあえず、マックスはラルクに倣
うことにした。
「ありがとうございます」
「ふん」
ラルクの時の満足そうな感じとは微妙に違うニュアンスで鼻を鳴らした。
その後、ジルヴァは何も話しかけず、歩いていった。マックスも、それを特に
気にした風もなく、栗剥きをしながらついていく。
栗に爪を入れながら、マックスは暇つぶしがてら、考えていた。
ジルヴァには、「嫌われてはいない」が、ラルクとは違い、「気に入られては
いない」、というところだろう。
それでは、何故、そんな「どうでもいい人物」と一緒に自分のねぐらにつれて
いくのか。
案外、この老婆のことだ。”帰りづらいなにか”とかいうもののがあったかもし
れない。と、”暇つぶしの遊びがてらの妄想”をぼんやりと思う。しかし、現実的
な「栗の皮を剥いてもらうため」という本命の意見が頭の中に占めている。
と、ジルヴァの足が止まった。
「ここでいいよ」
マックスは、剥き途中の栗を、最後に剥き、それを渡した。
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「どうしました? ブロンドの女性と知り合いなんですか?」
「ブロンドの女性?」
マックスが答える前に、ジルヴァが先に答えた。
「いえ、この香りが……あ、もう消えてますけど……まぁ、香ったとき。
窓の下の人ごみに、ブロンドの女性が……」
なんとはなしに、マックスの心臓が、ビクリ、と震える。
しかし、隣の老婆は、「やれやれ」というようにため息をついた。
「……どうして、その香りの主が、そのブロンドの女性だと、人ごみの中から特定
できたんだい?」
「……へ?」
ラルクは言っている意味すらもう理解できないらしい。完全に熱にやられている。
「色惚けてんじゃないよ、この小僧が。もうアタシらは帰るから、とっとと寝な」
ラルクは、数秒ぼうっとしていたが、ふふ、と笑って……熱に浮かされているの
でその様子は傍から見ていて不気味なものではあったが……「やさしいんですね」
と言った。
あの湖に落ちたときからずいぶんと時間が経過している。この遅すぎる忠告
は、決して「優しい」ものではないと思ったが、マックスは何も言わなかった。
本人らがそれで丸く収まるのならば、それに越したことはないし、何よりも早く
休んだほうがいいという点ではマックスは同意見だった。
「ありがとうございます」
のん気な笑顔で、ラルクはそう言った。
靴を履いていると、お金を返すと言われたが、マックスは断った。ラルクの病
状が悪化したら医者にかかる金が必要になると思ったからだ。これで医者にかか
る金もなく、この三畳一間の部屋で死なれては寝覚めが悪い。……まぁ、万が一そ
のような状況になっても、マックスという男は、それをさほど気にする男ではな
いのだが。
外に出ると、もう薄暗くなりかけていた。人通りの多さも、もう薄らいでいる。
マックスは、少し冷えた外の空気を吸うと、改めて隣にいる老婆のことを思った。
思えば、この老婆との直のコミュニケーションは、マックスから行ったことは
無い。ラルクという仲介がいたからこそ、一緒に行動していたに過ぎない。
このまま別れるのが無難だろう。
そう思っていたら、ジルヴァは、マックスに焼き栗の入った袋を渡し、歩き出
した。そういえば、「栗を剥くのは得意か」と呼び止められたことを思い出す。
どうやら、剥けということらしい。
「もう、冷めちまった」
と、ブツブツジルヴァは言った。
「焼き栗はしばらく冷ましたほうが剥きやすいですよ。薄皮が、蒸気で蒸らされ
て剥きやすくなるから」
栗の腹のあたりに爪を入れる。パキン、と小気味良い音がすると、中から薄皮
も綺麗に剥けた栗が、ころんと出てきた。
「どうぞ」
ジルヴァは上機嫌そうにその栗をつまんでパクリと口の中に入れる。
「うまいね」
栗が、ということか。それとも、マックスの栗剥きが、ということか。
どっちだか分からなくて、マックスはとりあえず「はぁ」と答えておいた。
「ところで、どこに向かっているんです?」
パキン。ころん。パクリ。
「あたしのツレん所だ」
パキン。ころん。パクリ。
マックスは、少し驚いた。だが、よくよく思えば納得できた。この老婆一人が
旅をするというのは、なんとなく、生き辛そうと思ったからだ。
「どうせアンタ、急いでいないんだろう? 送っていっておくれ」
パキン。ころん。パクリ。
”特に断る理由もなかったので”という理由でマックスは、ジルヴァに並んで歩
いた。
ペチ。
栗の皮があまり膨らんでいなかったようだ。薄皮をつけたままの栗が、爪の跡
をつけて出てきた。
ペリペリと薄皮を剥いていると、
「アンタにやるよ」
とジルヴァが言った。栗を剥いているお礼なのか。それとも、爪の跡のついた
栗は嫌なのか。どっちなのか判じかねたが、とりあえず、マックスはラルクに倣
うことにした。
「ありがとうございます」
「ふん」
ラルクの時の満足そうな感じとは微妙に違うニュアンスで鼻を鳴らした。
その後、ジルヴァは何も話しかけず、歩いていった。マックスも、それを特に
気にした風もなく、栗剥きをしながらついていく。
栗に爪を入れながら、マックスは暇つぶしがてら、考えていた。
ジルヴァには、「嫌われてはいない」が、ラルクとは違い、「気に入られては
いない」、というところだろう。
それでは、何故、そんな「どうでもいい人物」と一緒に自分のねぐらにつれて
いくのか。
案外、この老婆のことだ。”帰りづらいなにか”とかいうもののがあったかもし
れない。と、”暇つぶしの遊びがてらの妄想”をぼんやりと思う。しかし、現実的
な「栗の皮を剥いてもらうため」という本命の意見が頭の中に占めている。
と、ジルヴァの足が止まった。
「ここでいいよ」
マックスは、剥き途中の栗を、最後に剥き、それを渡した。
PC:ジルヴァ マックス (ラルク)
場所:シカラグァ連合王国・直轄領(宿屋前)
―――――――――――――――――――――――――――
マックスから受け取った剥いた栗を口に入れようとした瞬間に目の前の建物の窓が
割れた。
宿屋の、隣の建物に面した窓を椅子が突き破ったのだ。椅子は隣の建物の壁にあた
り、しかも二階から登場したので落下して地面に衝突し、用途を二度と果たせないほ
どに分解した。
ジルヴァとマックスは通りに立っていたので、ガラスの破片は当たっていない。し
かし衝撃音と今起こった出来事の脈絡のなさに、2人を含めて周囲の人間が凍りつい
た。
「…あんた、何かしたのかい?」
不覚にも栗と取り落としたジルヴァは、あてつけがましくマックスを見上げる。
その理不尽な言い様にマックスは何か反論しようとしたようだ。しかし、その言葉
は封じられる。
同じ窓からさらにどさりと何かが落下したのだ。
跪いていたのは、肌に一点の曇りもない黒い女。
肌も髪もぬばたまのように黒い女は、このような登場の仕方をしていなければ、建
物の影に宵の口の薄闇が凝って形を持ったように見えたかもしれない。
大きく息を吐くと女は編んだ髪をかき揚げ頭を上げる。
そして通りに立つジルヴァを見つけて、目や口の大きい派手な作りの顔が思い切り
歪んだ。その表情を音声に直すなら一言、「げ」だ。
しかし、彼女はこの場はジルヴァを無視することに決めたようだ。
南国美人は、鋭い破片の散った地面に降り立ったにも関わらず、すぐさま立ち上
がった。そのとき、彼女が拳で目元を拭ったのにジルヴァは気づく。しかし彼女はジ
ルヴァのほうにはもう見向きもせず、通りの奥をきつい眼光で見据えると、その方向
に向かって駆け出した。
立て続いた出来事に頭がついていかなかったのか、なんとなくその場にいた皆でそ
れを見送ってしまった。
「えっと…」
「何だい?」
女の背を呆然と見送ったマックスの呟きにジルヴァが反応する。
「え、いや、とくに意味はないんですけど。というか…なんだったんでしょう」
「さぁね。痴話喧嘩かなんかじゃないのかい?」
野次馬がざわめきだしていると、宿の従業員が悪態をつきながらでてきた。涼しい
ことになっている窓からは、他のものが飛び出る様子はないが、この分だと中も煩い
ことになっているに違いない。
「戻るよ」
ジルヴァはマックスの裾をひっぱって言った。
「え…、いいんですか?」
「騒がしいのは好きじゃないんだよ。晩飯くらい奢るから、もうすこし付き合いな」
「はぁ…」
ジルヴァが歩きだすと、マックスも歩き出す。「晩飯をおごる」という言葉が聞い
ているのかもしれない。
大きな通りまでひっぱって歩き、彼が逃げ出さない、という確信を得てから裾を放
した。
「ったく。今夜はどこで寝ようかねぇ」
「あの程度の騒ぎなら、時期に収まると思いますよ。しばらくしてから宿に戻れば問
題はないと思いますが」
「そういう問題じゃないよ。ケチがついちまったんだ。あんなわけの分からないとこ
ろに戻りたくないね」
ジルヴァが吐き捨てるようにいうと、然したる特徴のない男の顔に怪訝な表情が浮
かんだような気がした。きゃんきゃんと煩い老婆であるジルヴァが、あのような事件
について知りたがろうとしないことを不思議に思っているのかもしれない。
ジルヴァだって、普段なら連れの愛人が絡んでいようが、というかそれならなおの
こと好奇心が刺激されるだろうし、そのように振舞うほうが自分にとって自然な行動
だということも知っている。
ジルヴァは夜の空気を大きく吸い込む。煮炊きや喧騒の生活の匂いが胸を満たす。
今回は、今夜どころか明日の夜だって、あの部屋に戻れるか分からなかった。
なにしろ、割れた窓から噴出した強い魔法の気配に、ジルヴァの肌は今だにビリビ
リと痛んでいたのだから。
場所:シカラグァ連合王国・直轄領(宿屋前)
―――――――――――――――――――――――――――
マックスから受け取った剥いた栗を口に入れようとした瞬間に目の前の建物の窓が
割れた。
宿屋の、隣の建物に面した窓を椅子が突き破ったのだ。椅子は隣の建物の壁にあた
り、しかも二階から登場したので落下して地面に衝突し、用途を二度と果たせないほ
どに分解した。
ジルヴァとマックスは通りに立っていたので、ガラスの破片は当たっていない。し
かし衝撃音と今起こった出来事の脈絡のなさに、2人を含めて周囲の人間が凍りつい
た。
「…あんた、何かしたのかい?」
不覚にも栗と取り落としたジルヴァは、あてつけがましくマックスを見上げる。
その理不尽な言い様にマックスは何か反論しようとしたようだ。しかし、その言葉
は封じられる。
同じ窓からさらにどさりと何かが落下したのだ。
跪いていたのは、肌に一点の曇りもない黒い女。
肌も髪もぬばたまのように黒い女は、このような登場の仕方をしていなければ、建
物の影に宵の口の薄闇が凝って形を持ったように見えたかもしれない。
大きく息を吐くと女は編んだ髪をかき揚げ頭を上げる。
そして通りに立つジルヴァを見つけて、目や口の大きい派手な作りの顔が思い切り
歪んだ。その表情を音声に直すなら一言、「げ」だ。
しかし、彼女はこの場はジルヴァを無視することに決めたようだ。
南国美人は、鋭い破片の散った地面に降り立ったにも関わらず、すぐさま立ち上
がった。そのとき、彼女が拳で目元を拭ったのにジルヴァは気づく。しかし彼女はジ
ルヴァのほうにはもう見向きもせず、通りの奥をきつい眼光で見据えると、その方向
に向かって駆け出した。
立て続いた出来事に頭がついていかなかったのか、なんとなくその場にいた皆でそ
れを見送ってしまった。
「えっと…」
「何だい?」
女の背を呆然と見送ったマックスの呟きにジルヴァが反応する。
「え、いや、とくに意味はないんですけど。というか…なんだったんでしょう」
「さぁね。痴話喧嘩かなんかじゃないのかい?」
野次馬がざわめきだしていると、宿の従業員が悪態をつきながらでてきた。涼しい
ことになっている窓からは、他のものが飛び出る様子はないが、この分だと中も煩い
ことになっているに違いない。
「戻るよ」
ジルヴァはマックスの裾をひっぱって言った。
「え…、いいんですか?」
「騒がしいのは好きじゃないんだよ。晩飯くらい奢るから、もうすこし付き合いな」
「はぁ…」
ジルヴァが歩きだすと、マックスも歩き出す。「晩飯をおごる」という言葉が聞い
ているのかもしれない。
大きな通りまでひっぱって歩き、彼が逃げ出さない、という確信を得てから裾を放
した。
「ったく。今夜はどこで寝ようかねぇ」
「あの程度の騒ぎなら、時期に収まると思いますよ。しばらくしてから宿に戻れば問
題はないと思いますが」
「そういう問題じゃないよ。ケチがついちまったんだ。あんなわけの分からないとこ
ろに戻りたくないね」
ジルヴァが吐き捨てるようにいうと、然したる特徴のない男の顔に怪訝な表情が浮
かんだような気がした。きゃんきゃんと煩い老婆であるジルヴァが、あのような事件
について知りたがろうとしないことを不思議に思っているのかもしれない。
ジルヴァだって、普段なら連れの愛人が絡んでいようが、というかそれならなおの
こと好奇心が刺激されるだろうし、そのように振舞うほうが自分にとって自然な行動
だということも知っている。
ジルヴァは夜の空気を大きく吸い込む。煮炊きや喧騒の生活の匂いが胸を満たす。
今回は、今夜どころか明日の夜だって、あの部屋に戻れるか分からなかった。
なにしろ、割れた窓から噴出した強い魔法の気配に、ジルヴァの肌は今だにビリビ
リと痛んでいたのだから。
PC:ジルヴァ ラルク マックス
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ギルダーさーん、無事じゃないでしょー?」
ノックもなしに戸が開き、顔だけ出したのはこの安宿の中でも若い店員だ。
「あー、とりあえずおとなしく寝てようかと思うんですけど」
ラルクが横になった体を半分起こしながら返答すると、その娘はむっと口を
尖らせた。かわいいと言えなくも無いが、ローティーンではないのでかえって
子供じみて見える。あまり稼ぎの無いラルクの世話を良く焼いてくれる、ちょ
っと変わり者と評判の娘だった。
「やっぱり無事じゃないじゃない。気功師さん連れてきたから入るわよ」
いつものように返事も聞かぬまま部屋へと入る姿に苦笑しながら、ラルクは
至極当然のこととしてそれを受け入れた。
「もう寒くなってきたというのに、濡れたまま放置したらどうなるかも分から
ないんですか」
「あ、この人いつものことなんです。気にしないでください」
「しかし、熱を下げるくらいなら出来ますが、抵抗力が弱っているので食で補
わないとまた倒れますよ」
「私が責任もって雑炊食べさせますから、とりあえず熱を下げてあげて」
「そうですね」
当事者であるラルクがまったく会話に入り込めないまま、小さな髭を鼻の左
右に垂らした男が手をかざす。
なんだかあったかくて、やわらかくて、気が抜けて、眠くなった。
うつらうつらしていると、額をぺちっと叩かれる。
「……え、あれ?」
「もうとっくに帰ったわよ。ほら、雑炊食べなきゃ」
思ったよりもぼんやりした時間が長かったのか、娘は一人用の小さな土鍋で
作った雑炊を、枕元に置いていた。
「……あーんってしてあげよっか」
体にまだ力はみなぎらないが、確かに頭がすっきりしてきて気分がいい。自
分で額を触るが、熱くない。自力で体を起こして、ゆっくりと伸びをした。
「いつも心配ばっかりかけてごめんねー。大丈夫そうだから自分で食べるよ」
「そう……」
娘はほんのちょっと口を尖らせたが、ラルクは逸れは彼女の癖だと思ってい
たので気にも留めていなかった。小さな声で「わーい」と言いながら、土鍋の
蓋を開ける。
「……コレ、何雑炊なのかなぁ」
「キノコ雑炊」
「へぇ……君が作ってくれたの?」
「もちろんよ。文句ある?」
キルドランクが低くてもレンジャー技能の高いラルクには、非常に心当たり
のあるキノコがあった。それは強い幻覚作用があり、食用としてはかなりの美
味らしいのだが、惚れ薬的効能がある。……いわゆる桃色キノコだ。
「このキノコ、どうしたの?」
数種類のキノコに混ぜてあっても、雑炊の中でほんの少量でも、雑炊全体を
桃色に染めるほど自己主張の強いキノコを見間違えるはずが無い。
小さく刻まれたかけらを木製のレンゲで取り出し、彼女の前に差し出す。
「八百屋のおばさんが取って置きの滋養強壮薬だよって……」
語尾が小さくなり、視線を逸らしがちなのは「何も知らなかったから」か、
それとも「すべてを知っていて使ったか」だ。
「もー、僕を実験台にしちゃ駄目ですよ。別の創作料理の実験はもっと元気な
ときに付き合いますから」
せっかく作ってもらったとはいえ、あの幻覚作用の強いキノコを食する気分
にはなれない。ラルクはそっと土鍋を下ろし、丁寧に蓋を被せた。
「私がせっかく作ってあげたのに食べないのー!?」
「あはは、これは僕が食べるわけにはいきませんねー」
「なんでよっ」
「振り向かせたい男性が居るのなら、直接食べさせたらいい。この実験にはさ
すがに僕も付き合えません」
さて、にっこり笑うラルクはしたたかなのか鈍いのか。
何も言えない彼女の横でテキパキと布団を上げると、ラルクは外へ出る身支
度を始めた。
「病み上がりがどこに行くってのよっ」
「さー?創作料理の実験台にされないところで栄養補給をしますー」
「気功代、立て替えた分はツケにしておきますからね!!」
「わー、本当に助かります。ありがとうー」
「この街で他の宿に泊まったり出来ないように根回ししてやるんだからー!」
「あ、それ必要ないです。”味方殺し”のギルダーを受け入れてくれるところ
なんて、ココぐらいだから。いつも助かってるんですよー」
にっこり。相変わらず口を尖らせる彼女を置いて、ラルクは寒くなってきた
通りへと出て行った。
甘いものが食べたいが、栄養の付くものを食べておかないと本当に翌日が辛
くなるので、なーにを食べようかなーとぼんやり考えながら歩いていると、黒
い人が凄い勢いで走り去っていく姿を見た。あ、黒蜜いいなぁ、でもお菓子じ
ゃなくてちゃんと料理を食べなきゃ……なんて考えていたら、今度は「滋養と
健康のためにかぼちゃを食べましょう!」という八百屋の売り込みの声が聞こ
えた。かぼちゃー、かぼちゃー、かぼちゃぷりんー。あ、かぼちゃは普通に煮
物とかスープにしても甘いか。その辺で手を打つか。でも魅力的だなぁ、かぼ
ちゃぷりんー。
「何やってんだい!!」
怒鳴り声で現実に引き戻されたラルクが見たのは、ジルヴァと、彼女に連れ
られてきたのであろうマックスの姿だった。
「あんた、部屋でおとなしく寝てるはずだろう?」
「あー、親切にも宿の人がカフールの気功師呼んできてくれたので、今から夕
飯食べに行くんですよー。ほら、顔色もだいぶ良くなったでしょう?」
「威張るんじゃないよっ」
げしっ。やっぱり杖で殴られる。でもラルクは笑った。きっとこれはこの人
なりのコミュニケーションなのだ。だってほら、前ほど痛くないし。
慣れ、という言葉の存在を忘れかけているラルクは、やはりまだ完治してい
ないのかもしれない。
「お二人も今から夕飯ですかー?」
「そんなに早く食えやしないよ!」
「ええ、まあ」
「じゃあ、せっかくまた会えたので、一緒に行きましょうよ」
「食後にうまい菓子を出してくれる店じゃなきゃヤだ」
「うーん、僕は安い店しか知らないので……」
それが当たり前のように三人で歩く。
ラルクは一人で歩く事が本当に多かったんだなぁ、長かったんだなぁと幸せ
を噛み締めていた。
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ギルダーさーん、無事じゃないでしょー?」
ノックもなしに戸が開き、顔だけ出したのはこの安宿の中でも若い店員だ。
「あー、とりあえずおとなしく寝てようかと思うんですけど」
ラルクが横になった体を半分起こしながら返答すると、その娘はむっと口を
尖らせた。かわいいと言えなくも無いが、ローティーンではないのでかえって
子供じみて見える。あまり稼ぎの無いラルクの世話を良く焼いてくれる、ちょ
っと変わり者と評判の娘だった。
「やっぱり無事じゃないじゃない。気功師さん連れてきたから入るわよ」
いつものように返事も聞かぬまま部屋へと入る姿に苦笑しながら、ラルクは
至極当然のこととしてそれを受け入れた。
「もう寒くなってきたというのに、濡れたまま放置したらどうなるかも分から
ないんですか」
「あ、この人いつものことなんです。気にしないでください」
「しかし、熱を下げるくらいなら出来ますが、抵抗力が弱っているので食で補
わないとまた倒れますよ」
「私が責任もって雑炊食べさせますから、とりあえず熱を下げてあげて」
「そうですね」
当事者であるラルクがまったく会話に入り込めないまま、小さな髭を鼻の左
右に垂らした男が手をかざす。
なんだかあったかくて、やわらかくて、気が抜けて、眠くなった。
うつらうつらしていると、額をぺちっと叩かれる。
「……え、あれ?」
「もうとっくに帰ったわよ。ほら、雑炊食べなきゃ」
思ったよりもぼんやりした時間が長かったのか、娘は一人用の小さな土鍋で
作った雑炊を、枕元に置いていた。
「……あーんってしてあげよっか」
体にまだ力はみなぎらないが、確かに頭がすっきりしてきて気分がいい。自
分で額を触るが、熱くない。自力で体を起こして、ゆっくりと伸びをした。
「いつも心配ばっかりかけてごめんねー。大丈夫そうだから自分で食べるよ」
「そう……」
娘はほんのちょっと口を尖らせたが、ラルクは逸れは彼女の癖だと思ってい
たので気にも留めていなかった。小さな声で「わーい」と言いながら、土鍋の
蓋を開ける。
「……コレ、何雑炊なのかなぁ」
「キノコ雑炊」
「へぇ……君が作ってくれたの?」
「もちろんよ。文句ある?」
キルドランクが低くてもレンジャー技能の高いラルクには、非常に心当たり
のあるキノコがあった。それは強い幻覚作用があり、食用としてはかなりの美
味らしいのだが、惚れ薬的効能がある。……いわゆる桃色キノコだ。
「このキノコ、どうしたの?」
数種類のキノコに混ぜてあっても、雑炊の中でほんの少量でも、雑炊全体を
桃色に染めるほど自己主張の強いキノコを見間違えるはずが無い。
小さく刻まれたかけらを木製のレンゲで取り出し、彼女の前に差し出す。
「八百屋のおばさんが取って置きの滋養強壮薬だよって……」
語尾が小さくなり、視線を逸らしがちなのは「何も知らなかったから」か、
それとも「すべてを知っていて使ったか」だ。
「もー、僕を実験台にしちゃ駄目ですよ。別の創作料理の実験はもっと元気な
ときに付き合いますから」
せっかく作ってもらったとはいえ、あの幻覚作用の強いキノコを食する気分
にはなれない。ラルクはそっと土鍋を下ろし、丁寧に蓋を被せた。
「私がせっかく作ってあげたのに食べないのー!?」
「あはは、これは僕が食べるわけにはいきませんねー」
「なんでよっ」
「振り向かせたい男性が居るのなら、直接食べさせたらいい。この実験にはさ
すがに僕も付き合えません」
さて、にっこり笑うラルクはしたたかなのか鈍いのか。
何も言えない彼女の横でテキパキと布団を上げると、ラルクは外へ出る身支
度を始めた。
「病み上がりがどこに行くってのよっ」
「さー?創作料理の実験台にされないところで栄養補給をしますー」
「気功代、立て替えた分はツケにしておきますからね!!」
「わー、本当に助かります。ありがとうー」
「この街で他の宿に泊まったり出来ないように根回ししてやるんだからー!」
「あ、それ必要ないです。”味方殺し”のギルダーを受け入れてくれるところ
なんて、ココぐらいだから。いつも助かってるんですよー」
にっこり。相変わらず口を尖らせる彼女を置いて、ラルクは寒くなってきた
通りへと出て行った。
甘いものが食べたいが、栄養の付くものを食べておかないと本当に翌日が辛
くなるので、なーにを食べようかなーとぼんやり考えながら歩いていると、黒
い人が凄い勢いで走り去っていく姿を見た。あ、黒蜜いいなぁ、でもお菓子じ
ゃなくてちゃんと料理を食べなきゃ……なんて考えていたら、今度は「滋養と
健康のためにかぼちゃを食べましょう!」という八百屋の売り込みの声が聞こ
えた。かぼちゃー、かぼちゃー、かぼちゃぷりんー。あ、かぼちゃは普通に煮
物とかスープにしても甘いか。その辺で手を打つか。でも魅力的だなぁ、かぼ
ちゃぷりんー。
「何やってんだい!!」
怒鳴り声で現実に引き戻されたラルクが見たのは、ジルヴァと、彼女に連れ
られてきたのであろうマックスの姿だった。
「あんた、部屋でおとなしく寝てるはずだろう?」
「あー、親切にも宿の人がカフールの気功師呼んできてくれたので、今から夕
飯食べに行くんですよー。ほら、顔色もだいぶ良くなったでしょう?」
「威張るんじゃないよっ」
げしっ。やっぱり杖で殴られる。でもラルクは笑った。きっとこれはこの人
なりのコミュニケーションなのだ。だってほら、前ほど痛くないし。
慣れ、という言葉の存在を忘れかけているラルクは、やはりまだ完治してい
ないのかもしれない。
「お二人も今から夕飯ですかー?」
「そんなに早く食えやしないよ!」
「ええ、まあ」
「じゃあ、せっかくまた会えたので、一緒に行きましょうよ」
「食後にうまい菓子を出してくれる店じゃなきゃヤだ」
「うーん、僕は安い店しか知らないので……」
それが当たり前のように三人で歩く。
ラルクは一人で歩く事が本当に多かったんだなぁ、長かったんだなぁと幸せ
を噛み締めていた。