PC:ジルヴァ ラルク マックス
NPC:エルネスト(回想
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
あの人は言った。強くなれ、と。
だから必死でついていった。他に頼る者はなかった。
あの人は言った。オマエは必要なかったから捨てられたんだ、と。
だから今度こそ捨てられないよう、貪欲に目にする全てを学んだ。
なのに。あの人は言うのだ。
オマエは人の中に帰れ、と。自分には必要ない、と。
「……どうしてですか、エル」
「オマエを養うのはもう飽きたよ。だから、山を下りろ」
ハーフエルフの中でも、人間・エルフ双方に馴染めず、一人旅をする『はぐれ』は
少なくない。その『はぐれ』と呼ばれる女・エルネストは、気まぐれに拾った捨て子
をあっけなく手放した。
「人の成長は早いから面白いよ、ラルク」
「……僕はもう面白くないんですね?」
「まあね」
それは、ラルクが拾われて丁度十五年目の事だった。
「人の子の成長は驚くほど早い。エルフにもハーフエルフにも考えられない速度だ」
身長の高いエルは、ラルクを見下ろしながら腕を組む。
「僕は……役に立ちませんか」
「雑用は一通り出来るけど、オマエ鬱陶しいからね」
グサグサと言葉に心臓を貫かれながら、彼女の言葉を聞いていた。
頭が重くて、顔を上げることすら出来なかった。
「教えられることはもう殆ど覚えたろう。教える楽しみがなくなっちまったんだよ」
小さな頃から「見るからに似てないだろう。オマエは拾ったんだ」と聞かされ続け
てきた。血の繋がりがなくても、すぐに罵声を浴びせながらも、根気強く色んな事を
教えてもらった。彼女の外見はいつまでも変わらなかったが、ラルクの身長は拾われ
た当初の倍以上になっていて、その目に見える違いが、やけに孤独感を煽った。
------オマエはアタシが捨てられた歳になるまで面倒見てやるよ。
昔言われた言葉が蘇る。ああ、彼女は十五で『はぐれ』になったのか。
目から溢れたものに視界を阻まれ、世界が歪む。頬を伝って、ソレはすたすたと地
面に落ち続けた。
捨てられる自分にも、そしてかつて捨てられた彼女にも何もできない。そんな無力
感。
「山を下りたら冒険者ギルドにでも入るんだね。
アタシの教えた弓の腕があれば、死なない程度に食えるだろ」
まだ、顔が上げられない。
「ごめんなさい、僕……」
言葉が詰まる。いったい何と言おうというのか。
「そういうときはゴメンじゃない、アリガトウって言うんだよ」
頭をはたかれた。いつもと違い、吹き飛ばされることはなく。
「あ……」
頭を上げたときにはもう、彼女は姿を消していた。
あれからもう七年になる。
結局彼女に教えて貰ったことしか知らないのだと痛感し、冒険者ギルドに登録した
わけだが、弓の腕を必要とする仕事はそう多くはなかった。弓と森の知識、雑用以外
に何も出来ないというコンプレックスは、未だ根強く、なかなか抜け出せそうにな
い。
「おー『味方殺し』じゃん、今日も一人でお仕事ですかー?」
冷やかした今の男は、ラルクの不名誉な通り名を好んで使う。イヤなオヤジだ。
冒険者ギルドに登録したばかりの頃、大したことないはずの仕事なのに、一緒に仕
事を請けた同行者に何故か死人が出る、という不幸な偶然が続けて三度起こった。一
度目は土砂崩れに巻き込まれ、二度目は足を滑らせて河で溺れたのだ。
どちらも短い別行動中のことだったが、一緒に行動していたら土砂崩れの前兆に気
付けたのでは、とか、プレートメイルを脱ぐのを手伝えれば泳げたのでは、と気が重
かった。
三度目は野獣に襲われ、戦死した。応急処置も間に合わなかった。
弔い合戦となった野獣戦で味方を誤射した光景を、彼は偶然居合わせ、目撃したら
しかった。
誤射された男の命に別状はなかったのだが、彼が吹聴した為に誤解が誤解を呼ん
で、今では通り名となってしまっている。三度とも自分のせいで死人が出たのだと噂
されると、本当にそう思えてきて隠れて泣いた。自分はやはり、いらない子なのか
と。しかも、生き残った同行者達は皆、揃いも揃って国を出てしまったため、もう弁
護もしてもらえないという始末。……彼らは今、どうしていることだろう。生きてい
るのだろうか?
以来、一緒に仕事を請けてくれる人などいようはずもなく、一人寂しくギルダー人
生まっしぐらなわけだ。
酒飲みオヤジを無視して通り過ぎ、背中で品のない笑い声を聞いた。
自分はあんなヤツにも蔑まれる程度の人間なのか。悲しくなる。
角を曲がり、向こうからこっちが見えなくなった途端に走り出した。
少しでも早くヤツから離れたかった。そして、幸い足は人より早かった。
通りを一本全速力で駆け抜ける。人が驚いて避ける気配が伝わってくるが、いかん
せん、俯きがちに走っていたので、周りの景色なんて見えていない。
がふっ、という衝撃と共に、視界が黒く染まった。
もがもがと動く何かから離れて、やっと視界を塞いだのが黒い布だと分かった。そ
の布を纏った小柄な女性が、やはり転んでいたのだ。
「……あたしみたいなババアにぶつかっておいて、タダで済むと思うなよー!」
至近距離から不意打ちのキィキィ声に、両手で耳を塞ぐ。
老女はしばらく手足をバタバタさせて、何か、多分恨み言を叫んでいた。耳を塞い
でいて内容までは聞き取れないが、騒音であることは確かだった。
しばらくして急に罵声が止んだので、慌てて起きるのを手伝おうと手を伸ばす。
「すみませ……」
「謝るな!(ゴフッ」
言い終わる前に鳩尾を殴られた。怯んで一歩後ろに下がる。
「ごめんなさ……」
「謝るなって言ってんだろ!(ゲシゲシ」
今度は両足で攻撃。何なんだこの人は。
------そういうときはゴメンじゃない、アリガトウって言うんだよ。
こんな時にエルの言葉を思い出して泣きそうになる。
でも、この状況でありがとうはおかしいだろう!?
「と、とりあえず起きられますか」
もう一度手を差し伸べる。これで駄目なら逃げようと、本気で思いつつ。
「……湖水亭の月餅、食わせな」
アッという間だった。しっかりと手首を捕まれ、まるで手錠をかけられたようにな
る。彼女の力は予想以上に強く、暴れたくらいでは解けそうにもない。
そんなに悪いことをしたのか、僕は。
半泣きな顔で、周りに助けを求めようと顔を上げる。
特に興味もなさそうにこちらを見ている男と、目があった様な気がした。
が、すぐに視線を逸らされる。
「そ、そこの人! 助けて下さい!!」
涙声が、通りに響いた。
通りで見ても見ぬフリをしていたその他大勢の視線が、その男に集中する。
NPC:エルネスト(回想
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
あの人は言った。強くなれ、と。
だから必死でついていった。他に頼る者はなかった。
あの人は言った。オマエは必要なかったから捨てられたんだ、と。
だから今度こそ捨てられないよう、貪欲に目にする全てを学んだ。
なのに。あの人は言うのだ。
オマエは人の中に帰れ、と。自分には必要ない、と。
「……どうしてですか、エル」
「オマエを養うのはもう飽きたよ。だから、山を下りろ」
ハーフエルフの中でも、人間・エルフ双方に馴染めず、一人旅をする『はぐれ』は
少なくない。その『はぐれ』と呼ばれる女・エルネストは、気まぐれに拾った捨て子
をあっけなく手放した。
「人の成長は早いから面白いよ、ラルク」
「……僕はもう面白くないんですね?」
「まあね」
それは、ラルクが拾われて丁度十五年目の事だった。
「人の子の成長は驚くほど早い。エルフにもハーフエルフにも考えられない速度だ」
身長の高いエルは、ラルクを見下ろしながら腕を組む。
「僕は……役に立ちませんか」
「雑用は一通り出来るけど、オマエ鬱陶しいからね」
グサグサと言葉に心臓を貫かれながら、彼女の言葉を聞いていた。
頭が重くて、顔を上げることすら出来なかった。
「教えられることはもう殆ど覚えたろう。教える楽しみがなくなっちまったんだよ」
小さな頃から「見るからに似てないだろう。オマエは拾ったんだ」と聞かされ続け
てきた。血の繋がりがなくても、すぐに罵声を浴びせながらも、根気強く色んな事を
教えてもらった。彼女の外見はいつまでも変わらなかったが、ラルクの身長は拾われ
た当初の倍以上になっていて、その目に見える違いが、やけに孤独感を煽った。
------オマエはアタシが捨てられた歳になるまで面倒見てやるよ。
昔言われた言葉が蘇る。ああ、彼女は十五で『はぐれ』になったのか。
目から溢れたものに視界を阻まれ、世界が歪む。頬を伝って、ソレはすたすたと地
面に落ち続けた。
捨てられる自分にも、そしてかつて捨てられた彼女にも何もできない。そんな無力
感。
「山を下りたら冒険者ギルドにでも入るんだね。
アタシの教えた弓の腕があれば、死なない程度に食えるだろ」
まだ、顔が上げられない。
「ごめんなさい、僕……」
言葉が詰まる。いったい何と言おうというのか。
「そういうときはゴメンじゃない、アリガトウって言うんだよ」
頭をはたかれた。いつもと違い、吹き飛ばされることはなく。
「あ……」
頭を上げたときにはもう、彼女は姿を消していた。
あれからもう七年になる。
結局彼女に教えて貰ったことしか知らないのだと痛感し、冒険者ギルドに登録した
わけだが、弓の腕を必要とする仕事はそう多くはなかった。弓と森の知識、雑用以外
に何も出来ないというコンプレックスは、未だ根強く、なかなか抜け出せそうにな
い。
「おー『味方殺し』じゃん、今日も一人でお仕事ですかー?」
冷やかした今の男は、ラルクの不名誉な通り名を好んで使う。イヤなオヤジだ。
冒険者ギルドに登録したばかりの頃、大したことないはずの仕事なのに、一緒に仕
事を請けた同行者に何故か死人が出る、という不幸な偶然が続けて三度起こった。一
度目は土砂崩れに巻き込まれ、二度目は足を滑らせて河で溺れたのだ。
どちらも短い別行動中のことだったが、一緒に行動していたら土砂崩れの前兆に気
付けたのでは、とか、プレートメイルを脱ぐのを手伝えれば泳げたのでは、と気が重
かった。
三度目は野獣に襲われ、戦死した。応急処置も間に合わなかった。
弔い合戦となった野獣戦で味方を誤射した光景を、彼は偶然居合わせ、目撃したら
しかった。
誤射された男の命に別状はなかったのだが、彼が吹聴した為に誤解が誤解を呼ん
で、今では通り名となってしまっている。三度とも自分のせいで死人が出たのだと噂
されると、本当にそう思えてきて隠れて泣いた。自分はやはり、いらない子なのか
と。しかも、生き残った同行者達は皆、揃いも揃って国を出てしまったため、もう弁
護もしてもらえないという始末。……彼らは今、どうしていることだろう。生きてい
るのだろうか?
以来、一緒に仕事を請けてくれる人などいようはずもなく、一人寂しくギルダー人
生まっしぐらなわけだ。
酒飲みオヤジを無視して通り過ぎ、背中で品のない笑い声を聞いた。
自分はあんなヤツにも蔑まれる程度の人間なのか。悲しくなる。
角を曲がり、向こうからこっちが見えなくなった途端に走り出した。
少しでも早くヤツから離れたかった。そして、幸い足は人より早かった。
通りを一本全速力で駆け抜ける。人が驚いて避ける気配が伝わってくるが、いかん
せん、俯きがちに走っていたので、周りの景色なんて見えていない。
がふっ、という衝撃と共に、視界が黒く染まった。
もがもがと動く何かから離れて、やっと視界を塞いだのが黒い布だと分かった。そ
の布を纏った小柄な女性が、やはり転んでいたのだ。
「……あたしみたいなババアにぶつかっておいて、タダで済むと思うなよー!」
至近距離から不意打ちのキィキィ声に、両手で耳を塞ぐ。
老女はしばらく手足をバタバタさせて、何か、多分恨み言を叫んでいた。耳を塞い
でいて内容までは聞き取れないが、騒音であることは確かだった。
しばらくして急に罵声が止んだので、慌てて起きるのを手伝おうと手を伸ばす。
「すみませ……」
「謝るな!(ゴフッ」
言い終わる前に鳩尾を殴られた。怯んで一歩後ろに下がる。
「ごめんなさ……」
「謝るなって言ってんだろ!(ゲシゲシ」
今度は両足で攻撃。何なんだこの人は。
------そういうときはゴメンじゃない、アリガトウって言うんだよ。
こんな時にエルの言葉を思い出して泣きそうになる。
でも、この状況でありがとうはおかしいだろう!?
「と、とりあえず起きられますか」
もう一度手を差し伸べる。これで駄目なら逃げようと、本気で思いつつ。
「……湖水亭の月餅、食わせな」
アッという間だった。しっかりと手首を捕まれ、まるで手錠をかけられたようにな
る。彼女の力は予想以上に強く、暴れたくらいでは解けそうにもない。
そんなに悪いことをしたのか、僕は。
半泣きな顔で、周りに助けを求めようと顔を上げる。
特に興味もなさそうにこちらを見ている男と、目があった様な気がした。
が、すぐに視線を逸らされる。
「そ、そこの人! 助けて下さい!!」
涙声が、通りに響いた。
通りで見ても見ぬフリをしていたその他大勢の視線が、その男に集中する。
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PC:ジルヴァ ラルク マックス
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
----------------------------------------------------------------
心の窓が瞳だというならば。
自分の心の窓は、すりガラスでできているのだろう。
だから、自分は
ある公衆の場所で、見知らぬ誰かが、困った様子で「助けてください」と叫
んだとき。実際に助ける人は5%ほどらしい。
しかし、「そこの人、助けてください」などと名指しされると、助ける人の
割合は90%ほどに跳ね上がる。
だから、とりあえずその呼びかけに反応したマックスの行動は、実に普通
だったといえる。
「えーと」
ほんの2秒前ほどに立ち去ろうとしていたので、身体を反転させて、涙目の
男を見る。
どうやら、そのタイミングの動作で目を引いてしまったのだろう。
「なにを……助けたら」
「へ?」
男は、何を質問されたのかが分からないというよりも……つながらなかった
ようだ。
ちらりと、理不尽な言葉を叫んでいた老婆を見る。ちらりとだけ。ごくまっ
とうな心理として、「からまれたくない」というのがあるのは、負い目を感じ
る必要もない当然の気持ちだ。
老婆は……仕方のないことだが、マックスの方を注視しているらしかった。
布で瞳が隠れていたのであまりわからないが。とりあえず、男を引きずること
をやめたようだ。
……とりあえず、これで「助けた」ということにはならないか。と、なんの
期待もよせず、そんなぬるいことを夢想する。
「だから、ですね。
一部始終を見てたわけですけど……。
どうやら、あなた方は……ぶつかった様子で。……ですよね?」
「……はぁ」
今目の前の男の心理は手に取るように分かった。
とりあえず、なにか返事をしなければいけないように感じたときに出るの
だ。この相槌は。
「で、ぶつかった瞬間を、私は見たわけじゃないので、どちらが悪いのかはわ
かりませんけどね」
「あたしが悪いってのかい! この弱者である老婆が悪者ってのかい!?」
キィキィと叫ぶヒステリーな声と、その老婆の一挙一動に反応する鈴の音
が、見事なハーモニーを奏で……なんというか……聞き苦しかった。
あぁ、これは、老婆にも過失があったな、と感じながら、マックスは、変わ
らず淡々と続ける。
「いえ……あの。だから、私にはわかりませんけど。
あの、こちらの方が、謝ったわけですから、こちらの方にはなんらかの過失
があった……わけですよね?」
「あ、はい。余所見をして走ってて……」
「で、謝った」
「はい」
「で、こちらの方の要求は『謝るな』」
老婆を見るが、返事はしない。むくれているのか。満足しているのか。それ
とも、勘がよさそうなので、案外、マックスの思っていることに気づいたのか
もしれない。
「……でしたよね?」
しょうがないので、男に振る。
「はい……」
理不尽な思いなのだろう。そうだろう、過失は相手にあるという態度でい
て、それを認める謝罪を拒否するそれは、まぎれもない”理不尽”と呼ばれる
ものなのだから。
「つまり、あなたは自分が原因であることを認めて、さらには……」
変な言い方だなぁ、と思いながら、マックスは少し躊躇したものの、続け
た。
「……謝ってしまった。それも、謝罪をするなといわれたのに、更にもう一度
謝ってしまった。
……まぁ、それで暴力を振るったこちらの……奥さんもわる……」
「アタシはこー見えても独身だよ!」
……自分の都合の悪いところを、無理矢理さえぎったようだ。
とりあえず、目をつけられたくないので、マックスはこの老女の意向に沿う
ことにした。
「……失礼。
で、話を戻しますが。
こちらの……ご婦人は」
反応は無い。セーフらしい。
少し安心して、続ける。
「湖月亭の月餅で、許そう、と。
そう、和解をもちかけたわけですよね?」
「え? あ、はい」
まだ、男は、何もわからないらしい。
「で。私は、何を助ければ……?」
男はあんぐりと口をあけたままだ。
「その和解策は、無茶というものではないですし……。
これから、あなたに何かしらの用事がなければ、……湖月亭ですから、少し
お金はかかるでしょうけど、可能なものでしょうし。一緒に行くことが無理な
らば、代金をここでお支払いすれば……誠意は少し欠けるでしょうが、解決す
るお話ですよね」
「そうそう、ヒトをオニ婆ァのように扱って『助けて下さいぃぃぃ』って叫ん
で。失礼にもホドがあるとは思わないのかい?」
極度に誇張した似ていないモノマネを老女は披露する。
……あの暴行っぷりはオニ婆ァの称号にふさわしいものだが。
「で」
男は、目が虚ろだ。
酷なことだろう。なにもかもが、ふさいでいるような状況だ。
しかし、酷なのは自分も同じことだ。何にも関係なかったのに、なぜこんな
ところに突っ立っているのか。
マックスは、最初と同じ質問を繰り返した。できるだけ、嫌味に聞こえない
ように、事務的に。
「私は、何を助ければいいんでしょうか」
男は、数度口をパクパクさせて、うぅ、とうめき声をもらし……蚊の鳴くよ
うな声を搾り出した。
「お金……貸してください。……生活費に余裕が無くて」
これほどまでに情けない声を聞いたのは初めてだった。
だから……彼にしては、本当に珍しいことに……本当に、本当に珍しいこと
なのだが、マックスは、同情の念をわずかに抱いてしまった。
それが、始まりだった。
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
----------------------------------------------------------------
心の窓が瞳だというならば。
自分の心の窓は、すりガラスでできているのだろう。
だから、自分は
ある公衆の場所で、見知らぬ誰かが、困った様子で「助けてください」と叫
んだとき。実際に助ける人は5%ほどらしい。
しかし、「そこの人、助けてください」などと名指しされると、助ける人の
割合は90%ほどに跳ね上がる。
だから、とりあえずその呼びかけに反応したマックスの行動は、実に普通
だったといえる。
「えーと」
ほんの2秒前ほどに立ち去ろうとしていたので、身体を反転させて、涙目の
男を見る。
どうやら、そのタイミングの動作で目を引いてしまったのだろう。
「なにを……助けたら」
「へ?」
男は、何を質問されたのかが分からないというよりも……つながらなかった
ようだ。
ちらりと、理不尽な言葉を叫んでいた老婆を見る。ちらりとだけ。ごくまっ
とうな心理として、「からまれたくない」というのがあるのは、負い目を感じ
る必要もない当然の気持ちだ。
老婆は……仕方のないことだが、マックスの方を注視しているらしかった。
布で瞳が隠れていたのであまりわからないが。とりあえず、男を引きずること
をやめたようだ。
……とりあえず、これで「助けた」ということにはならないか。と、なんの
期待もよせず、そんなぬるいことを夢想する。
「だから、ですね。
一部始終を見てたわけですけど……。
どうやら、あなた方は……ぶつかった様子で。……ですよね?」
「……はぁ」
今目の前の男の心理は手に取るように分かった。
とりあえず、なにか返事をしなければいけないように感じたときに出るの
だ。この相槌は。
「で、ぶつかった瞬間を、私は見たわけじゃないので、どちらが悪いのかはわ
かりませんけどね」
「あたしが悪いってのかい! この弱者である老婆が悪者ってのかい!?」
キィキィと叫ぶヒステリーな声と、その老婆の一挙一動に反応する鈴の音
が、見事なハーモニーを奏で……なんというか……聞き苦しかった。
あぁ、これは、老婆にも過失があったな、と感じながら、マックスは、変わ
らず淡々と続ける。
「いえ……あの。だから、私にはわかりませんけど。
あの、こちらの方が、謝ったわけですから、こちらの方にはなんらかの過失
があった……わけですよね?」
「あ、はい。余所見をして走ってて……」
「で、謝った」
「はい」
「で、こちらの方の要求は『謝るな』」
老婆を見るが、返事はしない。むくれているのか。満足しているのか。それ
とも、勘がよさそうなので、案外、マックスの思っていることに気づいたのか
もしれない。
「……でしたよね?」
しょうがないので、男に振る。
「はい……」
理不尽な思いなのだろう。そうだろう、過失は相手にあるという態度でい
て、それを認める謝罪を拒否するそれは、まぎれもない”理不尽”と呼ばれる
ものなのだから。
「つまり、あなたは自分が原因であることを認めて、さらには……」
変な言い方だなぁ、と思いながら、マックスは少し躊躇したものの、続け
た。
「……謝ってしまった。それも、謝罪をするなといわれたのに、更にもう一度
謝ってしまった。
……まぁ、それで暴力を振るったこちらの……奥さんもわる……」
「アタシはこー見えても独身だよ!」
……自分の都合の悪いところを、無理矢理さえぎったようだ。
とりあえず、目をつけられたくないので、マックスはこの老女の意向に沿う
ことにした。
「……失礼。
で、話を戻しますが。
こちらの……ご婦人は」
反応は無い。セーフらしい。
少し安心して、続ける。
「湖月亭の月餅で、許そう、と。
そう、和解をもちかけたわけですよね?」
「え? あ、はい」
まだ、男は、何もわからないらしい。
「で。私は、何を助ければ……?」
男はあんぐりと口をあけたままだ。
「その和解策は、無茶というものではないですし……。
これから、あなたに何かしらの用事がなければ、……湖月亭ですから、少し
お金はかかるでしょうけど、可能なものでしょうし。一緒に行くことが無理な
らば、代金をここでお支払いすれば……誠意は少し欠けるでしょうが、解決す
るお話ですよね」
「そうそう、ヒトをオニ婆ァのように扱って『助けて下さいぃぃぃ』って叫ん
で。失礼にもホドがあるとは思わないのかい?」
極度に誇張した似ていないモノマネを老女は披露する。
……あの暴行っぷりはオニ婆ァの称号にふさわしいものだが。
「で」
男は、目が虚ろだ。
酷なことだろう。なにもかもが、ふさいでいるような状況だ。
しかし、酷なのは自分も同じことだ。何にも関係なかったのに、なぜこんな
ところに突っ立っているのか。
マックスは、最初と同じ質問を繰り返した。できるだけ、嫌味に聞こえない
ように、事務的に。
「私は、何を助ければいいんでしょうか」
男は、数度口をパクパクさせて、うぅ、とうめき声をもらし……蚊の鳴くよ
うな声を搾り出した。
「お金……貸してください。……生活費に余裕が無くて」
これほどまでに情けない声を聞いたのは初めてだった。
だから……彼にしては、本当に珍しいことに……本当に、本当に珍しいこと
なのだが、マックスは、同情の念をわずかに抱いてしまった。
それが、始まりだった。
PC:ジルヴァ ラルク マックス
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
----------------------------------------------
乾燥した果物の入ったものと、木の実が入ったものと、その両方が入ったものと。
さらに、餡の入ってない分厚いクッキーに似た焼き菓子タイプのもの。
つまりは、近くにあった湖水亭の卸店にあった全ての種類を数個ずつ、すべてをあわ
せると20個は優に超えるだけの月餅を、さきほどぶつかった男に奢らせたジルヴァ
は機嫌よく男の背中をどつく。
「ったくジメジメしてんじゃないよ。こっちまで身体が重くなっちまう」
「…………」
褐色の肌の若い男は、ちらりとジルヴァのほうを見上げたが、すぐに視線は抱えこん
だ膝に落ちる。今にも「の」の字を地面に書き出しそうな風情だ。
目の前の大きな河の上では、小さな船がときおり行きかっている。
ジルヴァ抱え込んでいる袋からはまた新たな月餅を取り出すと、湖水亭の銘の入った
外装を剥いてかじりついた。
「あの、一つどうですか?」
昼行灯めいたもう一人の男が、若い男に話しかけた。
彼は、若い男がジルヴァに引きずられて行く時に、懇願の眼差しとともにはしと上着
の裾を掴まれてしまい、こうして二人と橋の下で月餅を食べるためになっている。
「………。
いえ、結構です」
若い男は、話しかけた人物の手にある月餅----彼が、自分の金でついでに買ったもの
だ----を未練がましく見ながらも首を横に振る。
「欲しいなら欲しいって言えばいいだろうに」
奢らせた月餅を次々とパクつきながらジルヴァがそう言っても、もちろん彼はますま
すうなだれるだけだ。
河の流れは光を反射してきらきらと輝き、その上気持ちのいい風が吹いているだけ
に、男の周りの空気の淀みがくっきりと際立つ。
思えば、ジルヴァは連れの保護を離れてこんなふうに知らない人間と接するのは、実
に久々なのだ。
次はどれにしようかと、袋の中を探っていたジルヴァの手がふと止まった。
もう片方の手も袋の中に入れ、わずかにローブの袖を引き上げる。
枯れ枝を思わせる手の、その甲にはわずかに赤い血が滲んでいた。
ジルヴァの身体は魔力を受け付けない。
たとえ回復を意図した力の働きだろうが、それはジルヴァの身体を痛めつけるだけ
だ。
力の強さや相性によって、ただ皮膚がぴりぴりするだけであったり強く咳き込んだ
り、示す様は変わるがとにかく不快な目に遭う。
魔力に対する感度も状況によって変わってくるが、よほどの至近距離か直接ジルヴァ
に魔力が行使されないかぎりジルヴァにダメージがくることはない。
同じ街で魔法が使われた程度で逐一影響を受けていたのでは、そもそもジルヴァはこ
うして旅をすることも不可能だ。
ほんの少し皮膚が裂けただけで、黒い袖で拭ってしまえばもう血は止まっていた。菓
子を取り出し、二人の男を横目で伺う。
「…な、なにか?」
びくりと若い男が怯える。
「何でもないよ。ビクビクして、アンタほんっとうに情けないね!」
…この二人ではない、か。
ジルヴァはそう結論づける。
若い男はもちろん、ぼうと菓子を食べる昼行灯めいた方も何か力を振るったようには
思えないし、このほど近くで魔力をぶつけられたらジルヴァももっとはっきりしたも
のを感じるはずだ。
橋の上でも別段騒ぎが起こっているようでなない。先ほどと変わらず、直轄領らしく
賑やかに人の通りがある。
ならば、遠くでよほど強い魔法が使われたのか。
冷たい予感を、ジルヴァは即座に頭から追い出す。
往来で簡単な術が使われただけかもしれないではないか。例えば、キセルに火をつけ
るだとか。それがたまたま届くことだってありえないことではない。
今取り出した月餅をろくに味わいもせずに数口で飲み込むと、ジルヴァは勢いよく立
ち上がった。二人に向かってにたりと笑う。
「あたしはジル。黒い小鳥[バード]、うたうたいのジルヴァっつったらあたしのこと
さ。まぁ聞いたことはないだろうがね」
そう、今日は天気もいいし菓子もうまい。外にでて、こうして知らない人間をひっか
けることだってできたのだ。
たいした実害もなかったことをうじうじと考えているのは、全くジルヴァの性に合わ
ないことだ。
「アンタたち、名前くらい教えたって損はないだろう?」
杖の先の鈴をしゃんと鳴らして、ジルヴァは明るく言った。
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
----------------------------------------------
乾燥した果物の入ったものと、木の実が入ったものと、その両方が入ったものと。
さらに、餡の入ってない分厚いクッキーに似た焼き菓子タイプのもの。
つまりは、近くにあった湖水亭の卸店にあった全ての種類を数個ずつ、すべてをあわ
せると20個は優に超えるだけの月餅を、さきほどぶつかった男に奢らせたジルヴァ
は機嫌よく男の背中をどつく。
「ったくジメジメしてんじゃないよ。こっちまで身体が重くなっちまう」
「…………」
褐色の肌の若い男は、ちらりとジルヴァのほうを見上げたが、すぐに視線は抱えこん
だ膝に落ちる。今にも「の」の字を地面に書き出しそうな風情だ。
目の前の大きな河の上では、小さな船がときおり行きかっている。
ジルヴァ抱え込んでいる袋からはまた新たな月餅を取り出すと、湖水亭の銘の入った
外装を剥いてかじりついた。
「あの、一つどうですか?」
昼行灯めいたもう一人の男が、若い男に話しかけた。
彼は、若い男がジルヴァに引きずられて行く時に、懇願の眼差しとともにはしと上着
の裾を掴まれてしまい、こうして二人と橋の下で月餅を食べるためになっている。
「………。
いえ、結構です」
若い男は、話しかけた人物の手にある月餅----彼が、自分の金でついでに買ったもの
だ----を未練がましく見ながらも首を横に振る。
「欲しいなら欲しいって言えばいいだろうに」
奢らせた月餅を次々とパクつきながらジルヴァがそう言っても、もちろん彼はますま
すうなだれるだけだ。
河の流れは光を反射してきらきらと輝き、その上気持ちのいい風が吹いているだけ
に、男の周りの空気の淀みがくっきりと際立つ。
思えば、ジルヴァは連れの保護を離れてこんなふうに知らない人間と接するのは、実
に久々なのだ。
次はどれにしようかと、袋の中を探っていたジルヴァの手がふと止まった。
もう片方の手も袋の中に入れ、わずかにローブの袖を引き上げる。
枯れ枝を思わせる手の、その甲にはわずかに赤い血が滲んでいた。
ジルヴァの身体は魔力を受け付けない。
たとえ回復を意図した力の働きだろうが、それはジルヴァの身体を痛めつけるだけ
だ。
力の強さや相性によって、ただ皮膚がぴりぴりするだけであったり強く咳き込んだ
り、示す様は変わるがとにかく不快な目に遭う。
魔力に対する感度も状況によって変わってくるが、よほどの至近距離か直接ジルヴァ
に魔力が行使されないかぎりジルヴァにダメージがくることはない。
同じ街で魔法が使われた程度で逐一影響を受けていたのでは、そもそもジルヴァはこ
うして旅をすることも不可能だ。
ほんの少し皮膚が裂けただけで、黒い袖で拭ってしまえばもう血は止まっていた。菓
子を取り出し、二人の男を横目で伺う。
「…な、なにか?」
びくりと若い男が怯える。
「何でもないよ。ビクビクして、アンタほんっとうに情けないね!」
…この二人ではない、か。
ジルヴァはそう結論づける。
若い男はもちろん、ぼうと菓子を食べる昼行灯めいた方も何か力を振るったようには
思えないし、このほど近くで魔力をぶつけられたらジルヴァももっとはっきりしたも
のを感じるはずだ。
橋の上でも別段騒ぎが起こっているようでなない。先ほどと変わらず、直轄領らしく
賑やかに人の通りがある。
ならば、遠くでよほど強い魔法が使われたのか。
冷たい予感を、ジルヴァは即座に頭から追い出す。
往来で簡単な術が使われただけかもしれないではないか。例えば、キセルに火をつけ
るだとか。それがたまたま届くことだってありえないことではない。
今取り出した月餅をろくに味わいもせずに数口で飲み込むと、ジルヴァは勢いよく立
ち上がった。二人に向かってにたりと笑う。
「あたしはジル。黒い小鳥[バード]、うたうたいのジルヴァっつったらあたしのこと
さ。まぁ聞いたことはないだろうがね」
そう、今日は天気もいいし菓子もうまい。外にでて、こうして知らない人間をひっか
けることだってできたのだ。
たいした実害もなかったことをうじうじと考えているのは、全くジルヴァの性に合わ
ないことだ。
「アンタたち、名前くらい教えたって損はないだろう?」
杖の先の鈴をしゃんと鳴らして、ジルヴァは明るく言った。
PC:ジルヴァ ラルク マックス
NPC:エルネスト(回想
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あたしはジル。黒い小鳥[バード]、うたうたいのジルヴァっつったらあたしのこと
さ。まぁ聞いたことはないだろうがね」
そう名乗った彼女の名前を頭の中で反芻する。ジルヴァ。うん、いい響きだ。
音のイメージでは、褐色の肌に黒く縮れた長い髪の表情豊かで豊満な女性……だ
が。
ちらりと見上げ、黒づくめの細っこい老女と比べてしまう。
まあ、そんなものだ。もう一度膝を抱え直す。
「アンタたち、名前くらい教えたって損はないだろう?」
杖の先の鈴をしゃんと鳴らして、そのジルヴァが明るく言った……が、流れるのは
沈黙。
顔を上げ、少しほんやりとした感じの青年に視線で促すが、彼も同じように視線で
返してくる。そちらが先にどうぞ、いえいえそちらこそ、と視線で譲り合いをしてい
るのだ。
折角のいい気分を台無しにされたと思ったのかもしれない。
ジルヴァは杖の先をピシッとこちらへ向けた。怖い。
「えと、僕はラルク、です。よろしく」
僕は仕方なく口を開き、弱々しく笑う。
味方殺しやギルダーという蔑称は、あまり進んで知らせたいモノでもない。
そして、他に自分を表す言葉も知らなかった。何だか惨め。
「マックスです」
食べかけの菓子を一旦下ろし、礼儀正しく男が名乗った。マックス。へぇ。
その名前のイメージでは、体格の良い、明るい体育会系の好青年……なのだが。
が。
再び菓子を黙々と食べる男は、体格が悪いとは言わないが、けして体育会系ではな
さそうに見える風貌で、なんというか、普通の人。
そこでハタと思った。
金持ちでもない人に金を借りた場合、それは相手の人が困ることになるのではない
か?
それとも見えないだけで(失礼)実はお金持ちだったりするんだろうか……?
うわぁ、もしかして酷いコトした!?
「……あの、どうしました?」
マックスと名乗った男に怪訝な顔をされてしまった。
どうも、考えが飛躍したせいか、妙な表情で凝視していたようだ。
「すみませっ(ゴフッ」
つい、ペコペコと頭を下げて、老女に杖でどつかれる。
膝を横に崩したような姿勢で地面に手を付き、辛うじて体を支ることに成功。転が
ったらまず間違いなく水路に落ちていただろう。
命の危険性すら感じ、心臓をバクバクさせながら、老女を見上げる。
「まったく、簡単に謝るんじゃないよ」
何故か楽しそうだ。こっちは命に関わったかもしれないというのに。
「ご……えーと、はい。気をつけます……」
つい謝りそうになって、なんとか修正。
おかしい、なんでこうなってしまったのだろう。
疑問に思いつつも立ち上がろうと重心をずらし、
「うぁ」
腰を浮かせて初めて脚の痺れに気付く。間に合わない。
あたふたと手が宙を泳ぎ、スローモーションで落ちていく。あ、という男の視線に
気付いたが、時既に遅し。背中から飛沫も高く着水する。もちろん全身が水浸し。
「あー……」
経緯を目で追っていた男が、座り込んで覗き込んできた。
溺れることなく岸まで泳ぎ着けたのは、育ての親の教えの賜物だと感謝する。が、
体を引き上げるには水を吸ったマントは重すぎて、自力で這い上がれそうにない。
「……大丈夫ですか?」
捨てられた犬みたいな目をしていると、男が手を伸ばしてくれた。いい人だ。
差し伸べられた男の手を取り、なんとか岸へ上がる。服から水滴と呼べないほどの
水を滴らせつつ、照れ笑いをしながら頭を下げた。
「あはは……ありがとうございました」
「そうそう、それでいいんだよ」
自信たっぷりに答えたのは男ではなく老女の方で。
男と顔を見合わせ、笑う。
「なんだいアンタたち、あたしの顔になんか付いているっていうのかい」
そもそも、落ちた原因は彼女なのに。
マントを絞り、非常に情けない恰好のまま、おかしな気分になっていた。
「じゃあ、私はそろそろ」
「え、あ、あの、お金を……!」
立ち去ろうとした男に縋るような目を向ける。
男は懐から屋号入りの手ぬぐいを出すと、どうぞ、と差し出した。
「お金ができたら、しばらくはここにいるから来てくださいね」
手ぬぐいとは珍しい。ありがたく受け取って髪を拭きながら、立ち去る男に声をか
ける。
「必ず返しに行きますから……!!」
男は軽く手を挙げ、去っていく。いい人だ……!
「アンタ、返すアテはあるのかい?」
いつの間にか隣に立っている老女に驚き、一歩引こうとして堪える。
今度落ちたら、本当に這い上がれない気がして必死だ。
「とりあえず、狩りに……(ギルドの仕事がなかったから金欠なワケで」
「じゃあ、すぐ行かないと日が暮れるね」
菓子の袋を閉じて、手に付いた粉を服で払い落とす老女。
その仕草があまりに行く気満々で、かえってこっちが驚いてしまう。
正直、ここで別れると思ってたのに。
「なんだね、迷惑なのかい」
呆気にとられていたから、つい首を横に振った……あれ、断るべきだったのだろう
か?
「じゃあ、狩りとやらに行こうかね!」
そう言って背中をどつく姿が何だかすごく楽しそうで。
「……ックシュン」
寒さが身にしみる季節になったことを実感しつつ、まあいいかと思ってしまうのだ
った。
着いたところは湖畔。
といっても、シカラグァ直轄領は巨大な淡水湖に浮かぶ島の為、どこもかしこも湖
に面していると言えなくもない。しかも領内は大小様々な水路が走り、元々の川と人
工的な運河とで至る所が湖に繋がっている。
まあ、とにかくさっき幸運にも水に落とさずに済んだ合成弓を構え、岩場の影に潜
んで獲物を待っているのだ。
「何にもいないじゃないか。釣りの方がマシなんじゃないのかい?」
一応声を潜めて、ジルヴァは言った。少し退屈になってきたのかもしれない。
「いいんですよ、もうすぐですから」
日は傾き、空は紫に染まる。
夕暮れのオレンジを通り越した、ほんの僅かな時間。
遠くから飛んでくる鳥の群が目に入った。その中でどれが太っているか、どれが健
康そうかを見極め、出来る限り引きつける。
小さくジルヴァが欠伸をしたとき、引き絞った弓がヒュンと音を立てた。立て続け
に矢をつがえ、二本、三本と矢を射っていく。
降り立とうとした鳥達は、慌ててもう一度飛び上がろうと隊列を乱し、逃げ切れな
かった数羽が湖に撃ち落とされた。
よく見ようとジルヴァが立ち上がり、初めて細い紐の存在に気付く。
「なんだい、コレ」
「さっきの矢に端を結わえておいたんですよ。そうすれば猟犬がいなくても、矢と獲
物の回収が出来ますからね」
試しに一本手繰り寄せてみると、岸まで太った鳥が流れてくるのだ。
結局全ての矢に一羽ずつ丸々とした鳥が射抜かれていて、今日の収穫は六羽であっ
た。
「へえ、見かけによらず、やるじゃないか」
「え……そうですか?」
ジルヴァが目をきらきらさせている横で、ナイフを取り出し、黙々と血抜きと羽む
しりを続けている。さすがに空気が冷たくなってきた。濡れた体でこれ以上長居は出
来ない。
「えーと、じゃあ」
血抜きした鳥の足を紐で結び直し、拾った棒に吊す。
「今日は失礼しました。そろそろ帰らないと、お連れさんが心配しますよ」
「心配なんかするもんかね」
もう大分暗くなってきた。足場が見えるうちに、人通りの多い道へ出なくては。
とりあえず歩き出す。当然のようにジルヴァが後をついてくる。
「……ックシュン」
何で気に入られちゃったんだろうと、それが不思議でならなかった。
「全部でこんなもんだね」
ここは料理屋の勝手口。小銭をつかんで、店員が提示する。
時々こうやって捕ったばかりの鳥やウサギなどを買い取ってもらっているのだ。
「ぼったくるんじゃないよ!」
『え?』
思いも寄らぬ一言に、対応していた店員も自分も、気の抜けた声で反応する。
もちろんついてきてしまった彼女の一言なのだが。
「アンタ、こっちが下手に出てると思って買い叩くつもりだね!?」
キーキー声が耳に痛い。
「……あのね、おばあちゃん。いつもこの値段で買い取ってるんだよ」
渋々対応する店員。しかし、彼女の罵声は留まることを知らない。
延々と大声で罵声を浴びせるものだから、とうとう店主らしき人が奥から顔を見せ
た。
ああ、ちなみに途中から耳を塞いでいたので、内容までは把握していない。
わかっているのは彼女が叫ぶのをやめようとしなかったということだけだ。
「いったい何の騒ぎかね」
「ここではいつもこんなに安値で買い叩いているのかい」
片手で耳を塞ぎながら出てきた店主は、思いの外静かに対応したジルヴァに興味を
持ったようだった。耳から手を外し、話を聞く体勢にはいる。
「こんなに安値、とは?」
「丸々太った六羽ものカモを、月餅三つ分とは何かの間違いだろうって言ってるんだ
よ」
店主がちらりと店員を見やる。店員は小さくなって、顔を伏せたままだった。
「それは彼の勘違いです、申し訳ない。しかし、こちらも商売ですから」
「詐欺と商売は違うはずさね」
「ごもっとも。しかし、味方殺しの捕った鳥となると、こちらも高く売れない以上、
高く買い取るわけにはいかんのです」
そう言って店長が提示した額は、当初示された額の十倍のものであった。
あまりの展開に言葉が出ない。
いままで、何で気付かなかったのだろう?
「仕方ないね、今日のところは勘弁してやるよ」
そういうと、小突いて鳥を渡させ、金を受け取るジルヴァ。
あれ、もしかして、これで借金が返せるのか?
「……ックシュン」
……その前に宿に泊まる必要がありそうだった。風呂と布団があれば、酷くはなる
まい。
いつもの安宿に向かおう。素泊まりできる冒険者御用達の宿に。
「ほら、半分。残りはあたしの交渉の報酬としてありがたーくもらっとくよ」
楽しそうに、とても楽しそうに、ジルヴァは半分を押しつけてくれた。
……まあいい。当初予定よりも五倍の収入があったのだ。彼女には感謝しなけれ
ば。
「ありがとう、ジルヴァさん」
若干熱っぽいような気がしながらも、思ったよりもいい人なんだなぁと笑った。
NPC:エルネスト(回想
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あたしはジル。黒い小鳥[バード]、うたうたいのジルヴァっつったらあたしのこと
さ。まぁ聞いたことはないだろうがね」
そう名乗った彼女の名前を頭の中で反芻する。ジルヴァ。うん、いい響きだ。
音のイメージでは、褐色の肌に黒く縮れた長い髪の表情豊かで豊満な女性……だ
が。
ちらりと見上げ、黒づくめの細っこい老女と比べてしまう。
まあ、そんなものだ。もう一度膝を抱え直す。
「アンタたち、名前くらい教えたって損はないだろう?」
杖の先の鈴をしゃんと鳴らして、そのジルヴァが明るく言った……が、流れるのは
沈黙。
顔を上げ、少しほんやりとした感じの青年に視線で促すが、彼も同じように視線で
返してくる。そちらが先にどうぞ、いえいえそちらこそ、と視線で譲り合いをしてい
るのだ。
折角のいい気分を台無しにされたと思ったのかもしれない。
ジルヴァは杖の先をピシッとこちらへ向けた。怖い。
「えと、僕はラルク、です。よろしく」
僕は仕方なく口を開き、弱々しく笑う。
味方殺しやギルダーという蔑称は、あまり進んで知らせたいモノでもない。
そして、他に自分を表す言葉も知らなかった。何だか惨め。
「マックスです」
食べかけの菓子を一旦下ろし、礼儀正しく男が名乗った。マックス。へぇ。
その名前のイメージでは、体格の良い、明るい体育会系の好青年……なのだが。
が。
再び菓子を黙々と食べる男は、体格が悪いとは言わないが、けして体育会系ではな
さそうに見える風貌で、なんというか、普通の人。
そこでハタと思った。
金持ちでもない人に金を借りた場合、それは相手の人が困ることになるのではない
か?
それとも見えないだけで(失礼)実はお金持ちだったりするんだろうか……?
うわぁ、もしかして酷いコトした!?
「……あの、どうしました?」
マックスと名乗った男に怪訝な顔をされてしまった。
どうも、考えが飛躍したせいか、妙な表情で凝視していたようだ。
「すみませっ(ゴフッ」
つい、ペコペコと頭を下げて、老女に杖でどつかれる。
膝を横に崩したような姿勢で地面に手を付き、辛うじて体を支ることに成功。転が
ったらまず間違いなく水路に落ちていただろう。
命の危険性すら感じ、心臓をバクバクさせながら、老女を見上げる。
「まったく、簡単に謝るんじゃないよ」
何故か楽しそうだ。こっちは命に関わったかもしれないというのに。
「ご……えーと、はい。気をつけます……」
つい謝りそうになって、なんとか修正。
おかしい、なんでこうなってしまったのだろう。
疑問に思いつつも立ち上がろうと重心をずらし、
「うぁ」
腰を浮かせて初めて脚の痺れに気付く。間に合わない。
あたふたと手が宙を泳ぎ、スローモーションで落ちていく。あ、という男の視線に
気付いたが、時既に遅し。背中から飛沫も高く着水する。もちろん全身が水浸し。
「あー……」
経緯を目で追っていた男が、座り込んで覗き込んできた。
溺れることなく岸まで泳ぎ着けたのは、育ての親の教えの賜物だと感謝する。が、
体を引き上げるには水を吸ったマントは重すぎて、自力で這い上がれそうにない。
「……大丈夫ですか?」
捨てられた犬みたいな目をしていると、男が手を伸ばしてくれた。いい人だ。
差し伸べられた男の手を取り、なんとか岸へ上がる。服から水滴と呼べないほどの
水を滴らせつつ、照れ笑いをしながら頭を下げた。
「あはは……ありがとうございました」
「そうそう、それでいいんだよ」
自信たっぷりに答えたのは男ではなく老女の方で。
男と顔を見合わせ、笑う。
「なんだいアンタたち、あたしの顔になんか付いているっていうのかい」
そもそも、落ちた原因は彼女なのに。
マントを絞り、非常に情けない恰好のまま、おかしな気分になっていた。
「じゃあ、私はそろそろ」
「え、あ、あの、お金を……!」
立ち去ろうとした男に縋るような目を向ける。
男は懐から屋号入りの手ぬぐいを出すと、どうぞ、と差し出した。
「お金ができたら、しばらくはここにいるから来てくださいね」
手ぬぐいとは珍しい。ありがたく受け取って髪を拭きながら、立ち去る男に声をか
ける。
「必ず返しに行きますから……!!」
男は軽く手を挙げ、去っていく。いい人だ……!
「アンタ、返すアテはあるのかい?」
いつの間にか隣に立っている老女に驚き、一歩引こうとして堪える。
今度落ちたら、本当に這い上がれない気がして必死だ。
「とりあえず、狩りに……(ギルドの仕事がなかったから金欠なワケで」
「じゃあ、すぐ行かないと日が暮れるね」
菓子の袋を閉じて、手に付いた粉を服で払い落とす老女。
その仕草があまりに行く気満々で、かえってこっちが驚いてしまう。
正直、ここで別れると思ってたのに。
「なんだね、迷惑なのかい」
呆気にとられていたから、つい首を横に振った……あれ、断るべきだったのだろう
か?
「じゃあ、狩りとやらに行こうかね!」
そう言って背中をどつく姿が何だかすごく楽しそうで。
「……ックシュン」
寒さが身にしみる季節になったことを実感しつつ、まあいいかと思ってしまうのだ
った。
着いたところは湖畔。
といっても、シカラグァ直轄領は巨大な淡水湖に浮かぶ島の為、どこもかしこも湖
に面していると言えなくもない。しかも領内は大小様々な水路が走り、元々の川と人
工的な運河とで至る所が湖に繋がっている。
まあ、とにかくさっき幸運にも水に落とさずに済んだ合成弓を構え、岩場の影に潜
んで獲物を待っているのだ。
「何にもいないじゃないか。釣りの方がマシなんじゃないのかい?」
一応声を潜めて、ジルヴァは言った。少し退屈になってきたのかもしれない。
「いいんですよ、もうすぐですから」
日は傾き、空は紫に染まる。
夕暮れのオレンジを通り越した、ほんの僅かな時間。
遠くから飛んでくる鳥の群が目に入った。その中でどれが太っているか、どれが健
康そうかを見極め、出来る限り引きつける。
小さくジルヴァが欠伸をしたとき、引き絞った弓がヒュンと音を立てた。立て続け
に矢をつがえ、二本、三本と矢を射っていく。
降り立とうとした鳥達は、慌ててもう一度飛び上がろうと隊列を乱し、逃げ切れな
かった数羽が湖に撃ち落とされた。
よく見ようとジルヴァが立ち上がり、初めて細い紐の存在に気付く。
「なんだい、コレ」
「さっきの矢に端を結わえておいたんですよ。そうすれば猟犬がいなくても、矢と獲
物の回収が出来ますからね」
試しに一本手繰り寄せてみると、岸まで太った鳥が流れてくるのだ。
結局全ての矢に一羽ずつ丸々とした鳥が射抜かれていて、今日の収穫は六羽であっ
た。
「へえ、見かけによらず、やるじゃないか」
「え……そうですか?」
ジルヴァが目をきらきらさせている横で、ナイフを取り出し、黙々と血抜きと羽む
しりを続けている。さすがに空気が冷たくなってきた。濡れた体でこれ以上長居は出
来ない。
「えーと、じゃあ」
血抜きした鳥の足を紐で結び直し、拾った棒に吊す。
「今日は失礼しました。そろそろ帰らないと、お連れさんが心配しますよ」
「心配なんかするもんかね」
もう大分暗くなってきた。足場が見えるうちに、人通りの多い道へ出なくては。
とりあえず歩き出す。当然のようにジルヴァが後をついてくる。
「……ックシュン」
何で気に入られちゃったんだろうと、それが不思議でならなかった。
「全部でこんなもんだね」
ここは料理屋の勝手口。小銭をつかんで、店員が提示する。
時々こうやって捕ったばかりの鳥やウサギなどを買い取ってもらっているのだ。
「ぼったくるんじゃないよ!」
『え?』
思いも寄らぬ一言に、対応していた店員も自分も、気の抜けた声で反応する。
もちろんついてきてしまった彼女の一言なのだが。
「アンタ、こっちが下手に出てると思って買い叩くつもりだね!?」
キーキー声が耳に痛い。
「……あのね、おばあちゃん。いつもこの値段で買い取ってるんだよ」
渋々対応する店員。しかし、彼女の罵声は留まることを知らない。
延々と大声で罵声を浴びせるものだから、とうとう店主らしき人が奥から顔を見せ
た。
ああ、ちなみに途中から耳を塞いでいたので、内容までは把握していない。
わかっているのは彼女が叫ぶのをやめようとしなかったということだけだ。
「いったい何の騒ぎかね」
「ここではいつもこんなに安値で買い叩いているのかい」
片手で耳を塞ぎながら出てきた店主は、思いの外静かに対応したジルヴァに興味を
持ったようだった。耳から手を外し、話を聞く体勢にはいる。
「こんなに安値、とは?」
「丸々太った六羽ものカモを、月餅三つ分とは何かの間違いだろうって言ってるんだ
よ」
店主がちらりと店員を見やる。店員は小さくなって、顔を伏せたままだった。
「それは彼の勘違いです、申し訳ない。しかし、こちらも商売ですから」
「詐欺と商売は違うはずさね」
「ごもっとも。しかし、味方殺しの捕った鳥となると、こちらも高く売れない以上、
高く買い取るわけにはいかんのです」
そう言って店長が提示した額は、当初示された額の十倍のものであった。
あまりの展開に言葉が出ない。
いままで、何で気付かなかったのだろう?
「仕方ないね、今日のところは勘弁してやるよ」
そういうと、小突いて鳥を渡させ、金を受け取るジルヴァ。
あれ、もしかして、これで借金が返せるのか?
「……ックシュン」
……その前に宿に泊まる必要がありそうだった。風呂と布団があれば、酷くはなる
まい。
いつもの安宿に向かおう。素泊まりできる冒険者御用達の宿に。
「ほら、半分。残りはあたしの交渉の報酬としてありがたーくもらっとくよ」
楽しそうに、とても楽しそうに、ジルヴァは半分を押しつけてくれた。
……まあいい。当初予定よりも五倍の収入があったのだ。彼女には感謝しなけれ
ば。
「ありがとう、ジルヴァさん」
若干熱っぽいような気がしながらも、思ったよりもいい人なんだなぁと笑った。
PC:(ジルヴァ ラルク) マックス
NPC:謎の女
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
--------------------------------------------------------------
軽快なくせに気力のなさそうな足取りで、マックスは雑踏の中を歩いていた。
日はもう暮れかけ、街中の活気あふれた空気にも、冷気が忍び込んできた。い
そいそとした足取りで女性たちは次々とマックスを追い抜かす。帰って腹を空か
せた旦那と子どものために食事をつくらなければならないと急いでいるのだろ
う。それを呼び止めようと、露店では、売れ残りを売り切ろうと、大声を張り上
げている。いや、露店だけではない。「うちの宿ほど安いとこはない」「いや、
そっちは馬の世話がおざなりだ。うちの宿は良心的だ」と、旅人の袖をひっぱっ
て客の取り合いまでもが始まっていた。と、その後ろでは、この急いだ空気に乗
じて一稼ぎしようと、スリが目を光らせて物色していた。
そんなせわしない空気の中、マックスは浮いていた。だが、浮いているはずな
のだが、誰もマックスに目をくれない。スリにとっては、ぼうっとしたマックス
など格好の獲物だと思いそうなものなのだが、スリの目からは、マックスは外れ
ていた。注がれる視線といえば、時折、家路に急ぐ女性に肩が当たって、「ぼ
さっとしてんじゃないわよ」という肩越しに見せる険悪な横顔のまなざしを投げ
られるだけだ。
おかしな言い方かもしれないが……マックスは、浮いているはずなのだが、非常
に周囲に馴染んでいた。なぜ、と言われると、細かく見れば、理由はいくつか見
つかる。1つ、足取りは緩いものの、その実、流されるように歩いているため。
1つ、視線は泳いでいないくせに、視野広く見つめたような空気が「余所者」と
いう空気を薄れさせている。1つ、平面的な顔立ちはこの地域の民族に近い。……
色々あるのだが、今ひとつ、それらは決定打に欠けている。この男を説明するの
に、まわりくどい言葉はいらない。この一言で集約される。
平凡なのだ。
いや、平凡に見える、というべきか。なんというか、マックスは、薄い人間で
あった。見た目も薄く、気力も薄く、表情も薄く、印象も薄い。自然、それは
「平凡」という、実態のはっきりしない概念に収められる、というメカニズムで
ある。
予定では、今日は旅のための買出しをする予定だったのだが、思いがけない、
出費をしてしまった。
もしかすると、もう数日、滞在させてもらうことになるかもしれない。好意で
寝床をを借りているあの男に言ったらなんと言われるかはわかっている。
「馬鹿だな、あんた」さして熱の無い目で、そう言うだろう。
だが、マックスはさして気にしていなかった。自分の人を見る目というもの
に、多少なりとも自負があったし、もし、あのラルクという少年が金を返しにこ
なくとも、それは自分の見る目というのを過信した、自業自得の結果だからだ。
さして、急いだ旅でもないし。と、マックスは心の中で付け加える。
まぁ、なんにしろ、安酒の一本でも買って、機嫌をとっておくにこしたことは
ないだろう。
突如、花の香りがした。
視界に入ったのは、風に舞い、赤い夕日の光を受けながら輝くブロンドの髪。
反射的に、振り返る。花の香りを振りまきながら、恋をする少女のように軽や
かなステップで道を歩く女の後姿が見えた。煩雑な人ごみの隙間を、踊るように
通り抜けてゆくその姿はやけに現実味が無かった。
なんだ、あれは。
マックスは、ゾッとした。
あんなに浮いた……いや、それどころでは無い。あんなに”目立つ”存在が、すれ
違う瞬間まで、視界に入らなかった。……いや、周囲の人間は、あんなおかしな女
の存在に気づいていない……いや、いると認識すらしていないのだろう。
女が、足取りをとめないまま、チラリとこちらを見た。
艶やかな顔立ち。大きな目と、小さいが鮮やかな唇が印象的な、その顔が、二
コリと笑った。
「ちょっと、あんた、なにぼーっと突っ立ってんだい!」
その声で気づいた。どうやら、足を止めていたらしい。慌てて前を向くと、買
い物帰りの女性がにらんでいた。「すいません」という台詞が言い終わらないう
ち、怒鳴った中年の女性はもう早足で去っていた。
再び、後ろを振り返ってみたが、ブロンドの女の姿は無かった。甘い花の香り
がまだ僅かに残っていたが、それもすぐに消えた。
マックスは、二度ほど瞬きをして、そして、何事もなかったようにまた歩き出
した。
NPC:謎の女
場所:シカラグァ連合王国・直轄領
--------------------------------------------------------------
軽快なくせに気力のなさそうな足取りで、マックスは雑踏の中を歩いていた。
日はもう暮れかけ、街中の活気あふれた空気にも、冷気が忍び込んできた。い
そいそとした足取りで女性たちは次々とマックスを追い抜かす。帰って腹を空か
せた旦那と子どものために食事をつくらなければならないと急いでいるのだろ
う。それを呼び止めようと、露店では、売れ残りを売り切ろうと、大声を張り上
げている。いや、露店だけではない。「うちの宿ほど安いとこはない」「いや、
そっちは馬の世話がおざなりだ。うちの宿は良心的だ」と、旅人の袖をひっぱっ
て客の取り合いまでもが始まっていた。と、その後ろでは、この急いだ空気に乗
じて一稼ぎしようと、スリが目を光らせて物色していた。
そんなせわしない空気の中、マックスは浮いていた。だが、浮いているはずな
のだが、誰もマックスに目をくれない。スリにとっては、ぼうっとしたマックス
など格好の獲物だと思いそうなものなのだが、スリの目からは、マックスは外れ
ていた。注がれる視線といえば、時折、家路に急ぐ女性に肩が当たって、「ぼ
さっとしてんじゃないわよ」という肩越しに見せる険悪な横顔のまなざしを投げ
られるだけだ。
おかしな言い方かもしれないが……マックスは、浮いているはずなのだが、非常
に周囲に馴染んでいた。なぜ、と言われると、細かく見れば、理由はいくつか見
つかる。1つ、足取りは緩いものの、その実、流されるように歩いているため。
1つ、視線は泳いでいないくせに、視野広く見つめたような空気が「余所者」と
いう空気を薄れさせている。1つ、平面的な顔立ちはこの地域の民族に近い。……
色々あるのだが、今ひとつ、それらは決定打に欠けている。この男を説明するの
に、まわりくどい言葉はいらない。この一言で集約される。
平凡なのだ。
いや、平凡に見える、というべきか。なんというか、マックスは、薄い人間で
あった。見た目も薄く、気力も薄く、表情も薄く、印象も薄い。自然、それは
「平凡」という、実態のはっきりしない概念に収められる、というメカニズムで
ある。
予定では、今日は旅のための買出しをする予定だったのだが、思いがけない、
出費をしてしまった。
もしかすると、もう数日、滞在させてもらうことになるかもしれない。好意で
寝床をを借りているあの男に言ったらなんと言われるかはわかっている。
「馬鹿だな、あんた」さして熱の無い目で、そう言うだろう。
だが、マックスはさして気にしていなかった。自分の人を見る目というもの
に、多少なりとも自負があったし、もし、あのラルクという少年が金を返しにこ
なくとも、それは自分の見る目というのを過信した、自業自得の結果だからだ。
さして、急いだ旅でもないし。と、マックスは心の中で付け加える。
まぁ、なんにしろ、安酒の一本でも買って、機嫌をとっておくにこしたことは
ないだろう。
突如、花の香りがした。
視界に入ったのは、風に舞い、赤い夕日の光を受けながら輝くブロンドの髪。
反射的に、振り返る。花の香りを振りまきながら、恋をする少女のように軽や
かなステップで道を歩く女の後姿が見えた。煩雑な人ごみの隙間を、踊るように
通り抜けてゆくその姿はやけに現実味が無かった。
なんだ、あれは。
マックスは、ゾッとした。
あんなに浮いた……いや、それどころでは無い。あんなに”目立つ”存在が、すれ
違う瞬間まで、視界に入らなかった。……いや、周囲の人間は、あんなおかしな女
の存在に気づいていない……いや、いると認識すらしていないのだろう。
女が、足取りをとめないまま、チラリとこちらを見た。
艶やかな顔立ち。大きな目と、小さいが鮮やかな唇が印象的な、その顔が、二
コリと笑った。
「ちょっと、あんた、なにぼーっと突っ立ってんだい!」
その声で気づいた。どうやら、足を止めていたらしい。慌てて前を向くと、買
い物帰りの女性がにらんでいた。「すいません」という台詞が言い終わらないう
ち、怒鳴った中年の女性はもう早足で去っていた。
再び、後ろを振り返ってみたが、ブロンドの女の姿は無かった。甘い花の香り
がまだ僅かに残っていたが、それもすぐに消えた。
マックスは、二度ほど瞬きをして、そして、何事もなかったようにまた歩き出
した。