PC:(ヴィルフリード) リタルード
NPC:女の人 ミィ爺
場所:エイドの街
-------------------------------------
リタルードと女性がマリに言われた店に駆け込むと、カウンターに突っ伏していた人
物が僅かに白髪の残った頭をむくりと起こした。
「あ…、いらっしゃい」
年寄り特有の掠れた声。
くぐもった口調から察するに居眠りをしていたらしい。皺に埋もれてしまいそうな小
さな目を、皮膚の弛んだ手で擦る。
もともと小柄な体躯が年をとって中身だけぐっと縮んだせいで、表面に襞がよってい
るような印象の人物だ。そのくせ肌はやけに水っぽい。
彼がマリの言っていた『ミィ爺』なのだろう。
「予言と呪文どっちがいいですか。
あ、めんどくさいことだったら魔術師ギルドにあたったほうが絶対いいよ」
「マリさんに、ここだったらかくまってくれるって聞いたんだけど」
「マリちゃん? 『甘味処』の?」
ミィ爺は、手で口を覆ってのんびりとふぁぁぁと欠伸をする。
「あそこのフレッド、最近彼女にふられたらしいねぇ…。
ほら職人で一番若い子」
「あー…、らしいね。『愛っていつもいっしょにいなきゃ駄目なんですか! その程
度のものなんですか!』って泣いてたよ」
「リリィは刹那的な子だからフレッドには合ってなかったよ。
とりあえずおっぱいおっきいけど」
「おっきいんだ」
「おっきいんだよ」
「えーと、あの」
リタルードの後ろに立っていた、女性が二人の注意を引くように頭のところの高さま
で片手を上げて、遠慮がちに言った。わざわざ薄いカーテンを引いてあるせいで薄暗
い室内の中、その手の白さが引き立つ。
「私、追われてるんですけど…。おっぱいの話はとりあえず脇に置いといていただけ
るとありがたいんですが」
「そうなんだ。それは大変だね」
「はい。私の人生のなかではかなり大変な状態だと」
「だよね。普通に生きてたら追われたりしないもんね。
でも、とりあえずここに着たら大丈夫だよ。さっき君らが来たとき『閉じて』おい
たし。
あ、追っ手の中に百戦錬磨っぽいギルドハンターか、魔術学院卒で実践魔術に特化
して長けてそうな人がいたりしなかった?」
「そんな大物はいないと思いますけど…」
「じゃ、大丈夫だよ。あとは100年に一度の才能がどっかの三下奴として埋もれて
て、たまたまこの局限においてその才能が覚醒したってことさえなければ、見つから
ないよ」
「へぇ、おじいちゃんって凄い人なんだね」
リタルードが感心して言うと、ミィ爺は微笑んで恥らった。
「凄くないよ。もうローブなんか恥ずかしくて着れないほど、最近なにもしてないん
だ。
ただここは本当にちょうど局地的に、結界をすごく張りやすい土地なんだよ。あ、
それでも不安ならここから先は有料になるけど、いる?」
後半は女性に当てて言うと、彼女は首を縦に振った。
「あんまり持ち合わせがないんですけど…、でもできれば」
「そんなにボったりしないって。
二人あわせてマリちゃんちのスーパデラックスのやつ一膳分でいいよ」
「それくらいなら、僕が出すよ」
「わかった。ちょっと待ってて」
ミィ爺は頭をひっこめてカウンターの下を除くと、簡単な物置になっているのだろう
そこを漁り始めた。整理がなっていないのか、「違う…これも違う」とぶつぶつ言っ
ている。
「なんだか時間かかりそうだね…マリさんのとこ突破したとしても、追っ手の人たち
普通に通りすぎちゃうんじゃない?」
リタルードが女性に声をかけると、彼女は軽口には乗らずに口元に手をやっておずお
ずと言う。
「あの、よかったの…お金」
「別にあれくらいなら。今、あんまりお金ないんでしょ?」
「うん、助かりました。ありがとう」
そう言って、彼女が浮かべた笑みにリタルードは激しい違和感を覚えた。
口元を手で抑えていても、ぽってりとした唇が横に広がっていることが分かるほど
の、にたとした笑み。
属性で言うなら女郎蜘蛛か猛禽類だ。
もしや、新手の詐欺か。
リタルードは一瞬そう思うがすぐにうちけす。
正体を現すタイミングがあまりにも無意味だ。善哉のセット一つ分の代金が目的と
は、チンケに過ぎる。
「あった!」
リタルードが疑惑を言葉にしようとした直前に、ミィ爺がカウンターの上にぴょこり
と頭を出した。
「ほら、これ。ちょうど二つ見つかってよかったよ」
ぽんぽんとカウンターの上に置かれたのは、埃まみれのずんぐりとした茶色い同形の
塊が二つ。
やや縦長の球体の上に、それよりやや小さい横長の球体が乗っかっている。上部の球
体には、くちばしらしきでっぱりと、丸くて黒いガラス球が二つ。縦長のほうの球体
からは、手足が二つずつ伸びている。
「これって…ぬいぐるみ?」
「うん、ぬいぐるみ。
カモノハシって動物なんだ。知ってる」
リタルードは知らなかったので、悔しさをバネにそのうち暇をみつけてこの未知の生
物について調べようと心に誓う。渋面でミィ爺に「で?」と話の続きを促す。
「コレ抱いて。うんであのタペストリーの下に座ってて。
そしたら、もうかなり絶対確実に、部屋に誰かが入ってきても僕以外は気づかない
から」
「…なんで?」
「とりあえず抱いて座ってよ」
そう言われて仕方なく、リタルードはぬいぐるみを一体まず女性に手渡して、それか
ら自分も胸に抱く。埃がわんと舞って目と鼻が痛くなった。
ミィ爺が指差したタペストリー----と呼んでいいものか、かろうじて幾何学模様が描
かれていたとわかる大きな布----が掛けられた下の床----数年は誰も足を踏み入れて
いないと思われるほど、床が埃で白い----に座り込む。女性が隣に座ってから、
「で?」と再度ミィ爺に話を促した。
「まぁ、別にたいした話じゃないんだけどね。みんな不思議に思うからすごく簡単に
説明するけどね。
若い頃、旅行で行った島で、枝の間にくちばしを挟んで困ってるカモノハシを助け
たんだよ。
それで、そのカモノハシがなんかしゃべるカモノハシで、すごいびっくりしたんだ
けど、義理堅くてそれから加護をもらってるんだよ」
「…本当に簡単な説明だね」
「だって、詳しいはなしって面倒だもん。
あ、どうせしばらくそのまま待つんでしょ。ついでだからお茶入れるよ」
「有料?」
「うん」
ミィ爺はそのままカウンターの奥にあるドアの向こうに行ってしまった。
その一連の態度は、面倒だからというより質問を恐れているのではと思わせるほど素
早かった。
「なにか辛いことでも昔あったのかなぁ」
ぎゅっとカモノハシを抱いたままリタルードはぼやく。
視線を無意識に視線を上げるとタペストリーから埃が降ってきて、慌てて俯いた。
「お茶…有料って言ってたけど、大丈夫?」
同じくカモノハシを抱きしめたまま、女性が話し掛けてきた。
「いくらなんでも一財産、要求したりはしないと思うよ。マリさんが推奨した人だ
し」
「あの女の人? すごくいい人っぽかったよね」
「うん。彼女は信用にたる人だよ」
なんとなく小さな声で会話をしながら、リタルードは彼女を横目で観察する。
黒髪は、てろんとした感であまり質は良くない。目は、この薄暗い部屋では分かりに
くいが、濃い茶色か。陽の光の存在を感じさせない、いっそ青白いほどの肌のなか
ぽってりとした下唇が浮き上がって見える。
赤い唇。
唇と--。
顔の血の気が引いていくのを感じながら、リタルードはいつしかそれから目をそらす
ことができなっていた。
全身に冷たい汗がどっと噴き出す。
彼女がふと視線を上げた。リタルードに目を向ける。
二人の目線が、今日出会ってから初めて、確と絡んだ。
「久しぶりね、ルーディ」
重たく柔らかい唇を、今度は隠さずに真横ににぃと引いて彼女は笑みを浮かべる。
彼女が呼んだ名。
それはほとんど自分が産まれた頃から親しんでいた人間か-------
二度と会うことのないと確信した、仮初めの縁を結んだ人間にしか名乗らない、名
前。
「ハンナ----」
冷たい汗にまみれながら、呆然とリタルードは彼女の名を呟いた。
NPC:女の人 ミィ爺
場所:エイドの街
-------------------------------------
リタルードと女性がマリに言われた店に駆け込むと、カウンターに突っ伏していた人
物が僅かに白髪の残った頭をむくりと起こした。
「あ…、いらっしゃい」
年寄り特有の掠れた声。
くぐもった口調から察するに居眠りをしていたらしい。皺に埋もれてしまいそうな小
さな目を、皮膚の弛んだ手で擦る。
もともと小柄な体躯が年をとって中身だけぐっと縮んだせいで、表面に襞がよってい
るような印象の人物だ。そのくせ肌はやけに水っぽい。
彼がマリの言っていた『ミィ爺』なのだろう。
「予言と呪文どっちがいいですか。
あ、めんどくさいことだったら魔術師ギルドにあたったほうが絶対いいよ」
「マリさんに、ここだったらかくまってくれるって聞いたんだけど」
「マリちゃん? 『甘味処』の?」
ミィ爺は、手で口を覆ってのんびりとふぁぁぁと欠伸をする。
「あそこのフレッド、最近彼女にふられたらしいねぇ…。
ほら職人で一番若い子」
「あー…、らしいね。『愛っていつもいっしょにいなきゃ駄目なんですか! その程
度のものなんですか!』って泣いてたよ」
「リリィは刹那的な子だからフレッドには合ってなかったよ。
とりあえずおっぱいおっきいけど」
「おっきいんだ」
「おっきいんだよ」
「えーと、あの」
リタルードの後ろに立っていた、女性が二人の注意を引くように頭のところの高さま
で片手を上げて、遠慮がちに言った。わざわざ薄いカーテンを引いてあるせいで薄暗
い室内の中、その手の白さが引き立つ。
「私、追われてるんですけど…。おっぱいの話はとりあえず脇に置いといていただけ
るとありがたいんですが」
「そうなんだ。それは大変だね」
「はい。私の人生のなかではかなり大変な状態だと」
「だよね。普通に生きてたら追われたりしないもんね。
でも、とりあえずここに着たら大丈夫だよ。さっき君らが来たとき『閉じて』おい
たし。
あ、追っ手の中に百戦錬磨っぽいギルドハンターか、魔術学院卒で実践魔術に特化
して長けてそうな人がいたりしなかった?」
「そんな大物はいないと思いますけど…」
「じゃ、大丈夫だよ。あとは100年に一度の才能がどっかの三下奴として埋もれて
て、たまたまこの局限においてその才能が覚醒したってことさえなければ、見つから
ないよ」
「へぇ、おじいちゃんって凄い人なんだね」
リタルードが感心して言うと、ミィ爺は微笑んで恥らった。
「凄くないよ。もうローブなんか恥ずかしくて着れないほど、最近なにもしてないん
だ。
ただここは本当にちょうど局地的に、結界をすごく張りやすい土地なんだよ。あ、
それでも不安ならここから先は有料になるけど、いる?」
後半は女性に当てて言うと、彼女は首を縦に振った。
「あんまり持ち合わせがないんですけど…、でもできれば」
「そんなにボったりしないって。
二人あわせてマリちゃんちのスーパデラックスのやつ一膳分でいいよ」
「それくらいなら、僕が出すよ」
「わかった。ちょっと待ってて」
ミィ爺は頭をひっこめてカウンターの下を除くと、簡単な物置になっているのだろう
そこを漁り始めた。整理がなっていないのか、「違う…これも違う」とぶつぶつ言っ
ている。
「なんだか時間かかりそうだね…マリさんのとこ突破したとしても、追っ手の人たち
普通に通りすぎちゃうんじゃない?」
リタルードが女性に声をかけると、彼女は軽口には乗らずに口元に手をやっておずお
ずと言う。
「あの、よかったの…お金」
「別にあれくらいなら。今、あんまりお金ないんでしょ?」
「うん、助かりました。ありがとう」
そう言って、彼女が浮かべた笑みにリタルードは激しい違和感を覚えた。
口元を手で抑えていても、ぽってりとした唇が横に広がっていることが分かるほど
の、にたとした笑み。
属性で言うなら女郎蜘蛛か猛禽類だ。
もしや、新手の詐欺か。
リタルードは一瞬そう思うがすぐにうちけす。
正体を現すタイミングがあまりにも無意味だ。善哉のセット一つ分の代金が目的と
は、チンケに過ぎる。
「あった!」
リタルードが疑惑を言葉にしようとした直前に、ミィ爺がカウンターの上にぴょこり
と頭を出した。
「ほら、これ。ちょうど二つ見つかってよかったよ」
ぽんぽんとカウンターの上に置かれたのは、埃まみれのずんぐりとした茶色い同形の
塊が二つ。
やや縦長の球体の上に、それよりやや小さい横長の球体が乗っかっている。上部の球
体には、くちばしらしきでっぱりと、丸くて黒いガラス球が二つ。縦長のほうの球体
からは、手足が二つずつ伸びている。
「これって…ぬいぐるみ?」
「うん、ぬいぐるみ。
カモノハシって動物なんだ。知ってる」
リタルードは知らなかったので、悔しさをバネにそのうち暇をみつけてこの未知の生
物について調べようと心に誓う。渋面でミィ爺に「で?」と話の続きを促す。
「コレ抱いて。うんであのタペストリーの下に座ってて。
そしたら、もうかなり絶対確実に、部屋に誰かが入ってきても僕以外は気づかない
から」
「…なんで?」
「とりあえず抱いて座ってよ」
そう言われて仕方なく、リタルードはぬいぐるみを一体まず女性に手渡して、それか
ら自分も胸に抱く。埃がわんと舞って目と鼻が痛くなった。
ミィ爺が指差したタペストリー----と呼んでいいものか、かろうじて幾何学模様が描
かれていたとわかる大きな布----が掛けられた下の床----数年は誰も足を踏み入れて
いないと思われるほど、床が埃で白い----に座り込む。女性が隣に座ってから、
「で?」と再度ミィ爺に話を促した。
「まぁ、別にたいした話じゃないんだけどね。みんな不思議に思うからすごく簡単に
説明するけどね。
若い頃、旅行で行った島で、枝の間にくちばしを挟んで困ってるカモノハシを助け
たんだよ。
それで、そのカモノハシがなんかしゃべるカモノハシで、すごいびっくりしたんだ
けど、義理堅くてそれから加護をもらってるんだよ」
「…本当に簡単な説明だね」
「だって、詳しいはなしって面倒だもん。
あ、どうせしばらくそのまま待つんでしょ。ついでだからお茶入れるよ」
「有料?」
「うん」
ミィ爺はそのままカウンターの奥にあるドアの向こうに行ってしまった。
その一連の態度は、面倒だからというより質問を恐れているのではと思わせるほど素
早かった。
「なにか辛いことでも昔あったのかなぁ」
ぎゅっとカモノハシを抱いたままリタルードはぼやく。
視線を無意識に視線を上げるとタペストリーから埃が降ってきて、慌てて俯いた。
「お茶…有料って言ってたけど、大丈夫?」
同じくカモノハシを抱きしめたまま、女性が話し掛けてきた。
「いくらなんでも一財産、要求したりはしないと思うよ。マリさんが推奨した人だ
し」
「あの女の人? すごくいい人っぽかったよね」
「うん。彼女は信用にたる人だよ」
なんとなく小さな声で会話をしながら、リタルードは彼女を横目で観察する。
黒髪は、てろんとした感であまり質は良くない。目は、この薄暗い部屋では分かりに
くいが、濃い茶色か。陽の光の存在を感じさせない、いっそ青白いほどの肌のなか
ぽってりとした下唇が浮き上がって見える。
赤い唇。
唇と--。
顔の血の気が引いていくのを感じながら、リタルードはいつしかそれから目をそらす
ことができなっていた。
全身に冷たい汗がどっと噴き出す。
彼女がふと視線を上げた。リタルードに目を向ける。
二人の目線が、今日出会ってから初めて、確と絡んだ。
「久しぶりね、ルーディ」
重たく柔らかい唇を、今度は隠さずに真横ににぃと引いて彼女は笑みを浮かべる。
彼女が呼んだ名。
それはほとんど自分が産まれた頃から親しんでいた人間か-------
二度と会うことのないと確信した、仮初めの縁を結んだ人間にしか名乗らない、名
前。
「ハンナ----」
冷たい汗にまみれながら、呆然とリタルードは彼女の名を呟いた。
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PC:ヴィルフリード (リタルード)
NPC:
場所:エイドの街(ヴァルカン地方)
----------------------------------------------------------------
水饅頭を届け終え、部屋を取っていた宿屋に着いたのは、のんびりと起きた
であろう数人の人々が朝食を終えようとしていたころだった。
宿屋で鍵を受け取ると、宿屋のおかみが「あ、そうそう」と何か思い出した
ようで、奥に引っ込んだ。しばらくすると、メモ用紙であろう紙切れを持ち出
して出てきた。
「あの、リタルードって言うかわいい子から伝言があってね。
確か……3日前だったかね。ハイ」
4つ折に折られたメモ用紙を渡された。開くと、なかなか達筆な文字で簡潔
に書かれていた。
”『甘味処』のマリさんの所にしばらくお世話になってます。 リタ ”
なんでそんなことになったのか、理由は一切ない。
「ってことは、もう、コイツ、チェックアウトしちまったとか?」
「いいや。これを預かった時に、1週間分の滞在費をもらったからね。ここ最
近は全く立ち寄ってないみたいだけども、部屋はまだ空けていないよ。」
おかみは上機嫌そうに言った。それはそうだ。この商売、金の払いがモノを
言う。泊まった挙句、金が足りないということを一番避けたいものだろう。
礼を軽く言い、ヴィルフリードは2階に上がって一息ついた。
そういえば。リタはどこから収入を得ているのだろう。
伝言を利用しているのならば、全く使用しない部屋を取り続ける意味の無い
行為ができるほどの、余裕ある金銭……。
針でちくりと刺されたような感覚。まただ。リタと一緒にいると、時折それ
がある。
しかし、ヴィルフリードは、それに気づかないフリをした。
なんでもかんでも、相手のことを知り尽くしたいなどという暴挙はガキのす
ることだ。人間関係、壁があるくらいが楽しい。
それで、いいのだ。
ヴィルフリードは息を深く吐き、立ち上がった。
30分ほどで『甘味処』は見つかった。
なかなか繁盛しているらしく、まだ朝なのに客が数人いた。店内はゆったり
とした時間が流れている。
ヴィルフリードは店内を見回し、空いている卓に座った。すぐに、女性が注
文をとりに来た。かわいらしい雰囲気を感じさせるが、落ち着いた風情も持っ
ている女性だ。
ヴィルフリードは、無難そうな、メニューに書いてあるオススメの菓子を注
文した。
「それと、ちょっと聞きたいんだが……。
ここに、リタルードっていうヤツが転がり込んでるって聞いたんだが、いる
かい?」
「……あなた、リタちゃんの知り合い?」
女性は、どんぐりのような眼を見開いてヴィルフリードを見た。
「どういうお知り合い? 随分年が離れているわねぇ」
女性は、不信そうなところも無く、純粋に楽しそうに聞いてきた。ヴィルフ
リードは、そんな彼女の様子に、ヴィルフリードは思わず笑みがこぼれた。
「怪しまれないために、親戚って言ってもいいんだけどな。オトモダチっつー
やつが一番近いかな」
「素敵ねぇ。年齢に左右されない友情って」
女性はにっこりと微笑んだ。
この女性の笑みを見ると、なんだか自分の内側に蓄積した澱みが薄れるよう
だった。ヴィルは、この店の繁盛の一つの理由には、彼女の貢献があるのだろ
う、と思った。
「もしかして、アンタが『マリさん』?」
ヴィルフリードは聞いた。
それは当たっていたようで、女性は、少し驚いた顔をしたが、すぐに
ぱぁぁっと笑顔を輝かせた。
「えぇ、そうよ。当たり」
「やっぱり」
「やっぱり?」
マリはオウム返しに聞いた。
「リタが懐きそうだと思ったから」
うれしい、と幼い女の子のようにマリは喜んでいたが、しかし、すぐにマリ
の眉がキレイな「ハ」の字を形作った。
「でもねぇ……。折角来てくれてなんだけど、リタちゃんは今、ちょっと…
…」
「……何かあったとか……?」
マリは、言いにくそうに口を開いた。
NPC:
場所:エイドの街(ヴァルカン地方)
----------------------------------------------------------------
水饅頭を届け終え、部屋を取っていた宿屋に着いたのは、のんびりと起きた
であろう数人の人々が朝食を終えようとしていたころだった。
宿屋で鍵を受け取ると、宿屋のおかみが「あ、そうそう」と何か思い出した
ようで、奥に引っ込んだ。しばらくすると、メモ用紙であろう紙切れを持ち出
して出てきた。
「あの、リタルードって言うかわいい子から伝言があってね。
確か……3日前だったかね。ハイ」
4つ折に折られたメモ用紙を渡された。開くと、なかなか達筆な文字で簡潔
に書かれていた。
”『甘味処』のマリさんの所にしばらくお世話になってます。 リタ ”
なんでそんなことになったのか、理由は一切ない。
「ってことは、もう、コイツ、チェックアウトしちまったとか?」
「いいや。これを預かった時に、1週間分の滞在費をもらったからね。ここ最
近は全く立ち寄ってないみたいだけども、部屋はまだ空けていないよ。」
おかみは上機嫌そうに言った。それはそうだ。この商売、金の払いがモノを
言う。泊まった挙句、金が足りないということを一番避けたいものだろう。
礼を軽く言い、ヴィルフリードは2階に上がって一息ついた。
そういえば。リタはどこから収入を得ているのだろう。
伝言を利用しているのならば、全く使用しない部屋を取り続ける意味の無い
行為ができるほどの、余裕ある金銭……。
針でちくりと刺されたような感覚。まただ。リタと一緒にいると、時折それ
がある。
しかし、ヴィルフリードは、それに気づかないフリをした。
なんでもかんでも、相手のことを知り尽くしたいなどという暴挙はガキのす
ることだ。人間関係、壁があるくらいが楽しい。
それで、いいのだ。
ヴィルフリードは息を深く吐き、立ち上がった。
30分ほどで『甘味処』は見つかった。
なかなか繁盛しているらしく、まだ朝なのに客が数人いた。店内はゆったり
とした時間が流れている。
ヴィルフリードは店内を見回し、空いている卓に座った。すぐに、女性が注
文をとりに来た。かわいらしい雰囲気を感じさせるが、落ち着いた風情も持っ
ている女性だ。
ヴィルフリードは、無難そうな、メニューに書いてあるオススメの菓子を注
文した。
「それと、ちょっと聞きたいんだが……。
ここに、リタルードっていうヤツが転がり込んでるって聞いたんだが、いる
かい?」
「……あなた、リタちゃんの知り合い?」
女性は、どんぐりのような眼を見開いてヴィルフリードを見た。
「どういうお知り合い? 随分年が離れているわねぇ」
女性は、不信そうなところも無く、純粋に楽しそうに聞いてきた。ヴィルフ
リードは、そんな彼女の様子に、ヴィルフリードは思わず笑みがこぼれた。
「怪しまれないために、親戚って言ってもいいんだけどな。オトモダチっつー
やつが一番近いかな」
「素敵ねぇ。年齢に左右されない友情って」
女性はにっこりと微笑んだ。
この女性の笑みを見ると、なんだか自分の内側に蓄積した澱みが薄れるよう
だった。ヴィルは、この店の繁盛の一つの理由には、彼女の貢献があるのだろ
う、と思った。
「もしかして、アンタが『マリさん』?」
ヴィルフリードは聞いた。
それは当たっていたようで、女性は、少し驚いた顔をしたが、すぐに
ぱぁぁっと笑顔を輝かせた。
「えぇ、そうよ。当たり」
「やっぱり」
「やっぱり?」
マリはオウム返しに聞いた。
「リタが懐きそうだと思ったから」
うれしい、と幼い女の子のようにマリは喜んでいたが、しかし、すぐにマリ
の眉がキレイな「ハ」の字を形作った。
「でもねぇ……。折角来てくれてなんだけど、リタちゃんは今、ちょっと…
…」
「……何かあったとか……?」
マリは、言いにくそうに口を開いた。
PC:(ヴィルフリード) リタルード
NPC:ハンナ ミィ爺
場所:エイドの街(ミィ爺宅)
-------------------------------------
「ドーナツってさ、むしろちょっとくらい乾燥してたほうが美味しいと思うんだよ
ね」
「えー、私は絶対揚げたてのほうがいいと思う。
パサパサしてると喉渇くじゃない」
「あんまり熱いと僕みたいな年寄りは飲み込みにくいんだよ」
「そういうものなんだ?
屋台とかで揚げてるやつが一番おいしいと思うけどなぁ」
「おはよ…」
初めからわずかに開いていたドアを押し開けてリタルードが台所に入ると、ミィ爺と
ハンナは向かい合って座って朝食を取っているところだった。
「…朝から揚げ菓子ってハードじゃない?」
「あれ、ルーディってもしかして朝弱いほうなの?」
忘れているのか意図的なのか、呼ぶなと昨日伝えておいた愛称でハンナはリタルード
を呼ぶ。
「別にそういうわけじゃないけど」
どことなくむすっと答えると適当に食器が積まれている籠から勝手に一つカップを取
り出して、リタルードはあいてる椅子を引いて座った。
「あ、ポットの中コーヒーだから。
嫌だったらそこの棚にたぶんお茶の葉の缶があるから自分でいれてね」
「大丈夫。コーヒー好きだから」
「ならよかった。でさ、今ハンナちゃんと話してたんだけど」
油膜の張ったコーヒーに、一度かじったドーナツを浸しながらミィ爺が言う。
「ドーナツは僕も揚げたてのほうがいいと思う」
「じゃなくて、ハンナちゃんの今後について話してたんだよ」
「よねー、そう思うわよね。
コーヒーにわざわざ油浮かせてまで乾燥したの食べることないわよね」
「コーヒーは油が浮いてたほうが酷があっておいしいし、乾燥してたほうがコーヒー
をよく吸うから好都合なんだよ」
「えー、飲み物にお菓子のカス浮くのって私嫌だ」
「あーハイハイ。脱線してったんだねそうやって。
で、今後のことって?」
ずるずると楽しい話題にずれる二人の話を遮って、リタルードは話を戻した。
「えっと、いい加減私の路銀もつきかけてきてどうしようもないから、一度ルーディ
といっしょにいるって言うギルドハンターの人と会ってみたいなぁって言ってたの
よ」
「それはいいかもね。割引ききそうだし、あの人なら」
ドーナツを一口かじってみると、どれほど前のものなのかかなりパサついていた。口
の中の水分が奪われて、リタルードはぬるいコーヒーを飲む。
「でも、外歩いて大丈夫なの?」
「うん、不安だからそれをミィ爺に相談してたのよ」
「そうそう。そういう話をしてたんだよ。
それで使うかなって思って昨日探しといたんだけど」
ミィ爺は皮膚の弛んだ手についた油を服の袖で拭くと、ポケットから何かを掴み出し
てシミのついたテーブルの上に置いた。
「へぇ」
「わぁ、綺麗」
二人が思わず感嘆の声をあげたのは、蝶を象ったブローチだった。
ぽってりとした作りの細かい細工物で、銀の縁取りのなかに青を基調とした色ガラス
が嵌められている。
「ドワーフ細工らしいんだけど、僕の魔法と相性がいいからよく使うんだ。
他人に気づかれなくなるって程度だけど、あんまり強くすると制約とか面倒になっ
てくるからね」
短く分厚い爪のついた指先で、ブローチをつつきながらミィ爺は言う。
「制約って?」
「説明するのめんどくさいから、数が多かったり厳しかったりするほど他人に強い魔
法がかけれるって思っといてくれればいいよ。僕の場合はってことだけどね」
「ふぅん」
「今回は…、そうだなぁ。名前関係がやりやすくて好きだな。
『相手が自分の名前だと思っている名前で他者を呼ばない』くらいでいいかな」
ブローチをハンナのほうに滑らせると、ミィ爺は新たなドーナツを皿から取る。
「それって偽名なら呼んでもいいってこと?」
「うん。あんまり強い魔法をかけると勘のいい人は逆に変に思うかもしれないしね」
「そういうものなんだ」
ハンナはブローチを取ると、光に翳して目を細めた。青い色がほんのりと白い目元に
落ちる。
「じゃあさ、ルーディのことはなんて呼んだらいいのかなぁ?」
ブローチから目を離して、ハンナはわざとらしく笑みを浮かべてリタルードに問う
た。
その笑みにハンナがわざと自分の愛称を呼び続けていたことを確信して、リタルード
は暗澹とした気分になる。
「呼び方かぁ…」
好きなように呼んでくれと言っても許可されないのだろうとなんとなく思う。
よくわからないが、これは「試し」の一種なのだろう。
女性特有の、人知の及ばない運命とやらすら実は担ってるんじゃないかと思わせる、
言うならば紙の束の間に滑り込まされたごく薄い剃刀のような。
適当な名を言うことも容易にできる。
だが、今回はなぜかほんの一歩だけ踏み出したいと思った。今の自分を形作る輪郭が
揺らぐことを、願ってみたいと不思議と思った。
「『リタ』って呼んでくれればいいよ」
「へぇ。それってあんたにぴったりね」
コーヒーを手に取るふりでハンナから目をそらすと、彼女は黒い髪を掻き揚げてそう
言った。
NPC:ハンナ ミィ爺
場所:エイドの街(ミィ爺宅)
-------------------------------------
「ドーナツってさ、むしろちょっとくらい乾燥してたほうが美味しいと思うんだよ
ね」
「えー、私は絶対揚げたてのほうがいいと思う。
パサパサしてると喉渇くじゃない」
「あんまり熱いと僕みたいな年寄りは飲み込みにくいんだよ」
「そういうものなんだ?
屋台とかで揚げてるやつが一番おいしいと思うけどなぁ」
「おはよ…」
初めからわずかに開いていたドアを押し開けてリタルードが台所に入ると、ミィ爺と
ハンナは向かい合って座って朝食を取っているところだった。
「…朝から揚げ菓子ってハードじゃない?」
「あれ、ルーディってもしかして朝弱いほうなの?」
忘れているのか意図的なのか、呼ぶなと昨日伝えておいた愛称でハンナはリタルード
を呼ぶ。
「別にそういうわけじゃないけど」
どことなくむすっと答えると適当に食器が積まれている籠から勝手に一つカップを取
り出して、リタルードはあいてる椅子を引いて座った。
「あ、ポットの中コーヒーだから。
嫌だったらそこの棚にたぶんお茶の葉の缶があるから自分でいれてね」
「大丈夫。コーヒー好きだから」
「ならよかった。でさ、今ハンナちゃんと話してたんだけど」
油膜の張ったコーヒーに、一度かじったドーナツを浸しながらミィ爺が言う。
「ドーナツは僕も揚げたてのほうがいいと思う」
「じゃなくて、ハンナちゃんの今後について話してたんだよ」
「よねー、そう思うわよね。
コーヒーにわざわざ油浮かせてまで乾燥したの食べることないわよね」
「コーヒーは油が浮いてたほうが酷があっておいしいし、乾燥してたほうがコーヒー
をよく吸うから好都合なんだよ」
「えー、飲み物にお菓子のカス浮くのって私嫌だ」
「あーハイハイ。脱線してったんだねそうやって。
で、今後のことって?」
ずるずると楽しい話題にずれる二人の話を遮って、リタルードは話を戻した。
「えっと、いい加減私の路銀もつきかけてきてどうしようもないから、一度ルーディ
といっしょにいるって言うギルドハンターの人と会ってみたいなぁって言ってたの
よ」
「それはいいかもね。割引ききそうだし、あの人なら」
ドーナツを一口かじってみると、どれほど前のものなのかかなりパサついていた。口
の中の水分が奪われて、リタルードはぬるいコーヒーを飲む。
「でも、外歩いて大丈夫なの?」
「うん、不安だからそれをミィ爺に相談してたのよ」
「そうそう。そういう話をしてたんだよ。
それで使うかなって思って昨日探しといたんだけど」
ミィ爺は皮膚の弛んだ手についた油を服の袖で拭くと、ポケットから何かを掴み出し
てシミのついたテーブルの上に置いた。
「へぇ」
「わぁ、綺麗」
二人が思わず感嘆の声をあげたのは、蝶を象ったブローチだった。
ぽってりとした作りの細かい細工物で、銀の縁取りのなかに青を基調とした色ガラス
が嵌められている。
「ドワーフ細工らしいんだけど、僕の魔法と相性がいいからよく使うんだ。
他人に気づかれなくなるって程度だけど、あんまり強くすると制約とか面倒になっ
てくるからね」
短く分厚い爪のついた指先で、ブローチをつつきながらミィ爺は言う。
「制約って?」
「説明するのめんどくさいから、数が多かったり厳しかったりするほど他人に強い魔
法がかけれるって思っといてくれればいいよ。僕の場合はってことだけどね」
「ふぅん」
「今回は…、そうだなぁ。名前関係がやりやすくて好きだな。
『相手が自分の名前だと思っている名前で他者を呼ばない』くらいでいいかな」
ブローチをハンナのほうに滑らせると、ミィ爺は新たなドーナツを皿から取る。
「それって偽名なら呼んでもいいってこと?」
「うん。あんまり強い魔法をかけると勘のいい人は逆に変に思うかもしれないしね」
「そういうものなんだ」
ハンナはブローチを取ると、光に翳して目を細めた。青い色がほんのりと白い目元に
落ちる。
「じゃあさ、ルーディのことはなんて呼んだらいいのかなぁ?」
ブローチから目を離して、ハンナはわざとらしく笑みを浮かべてリタルードに問う
た。
その笑みにハンナがわざと自分の愛称を呼び続けていたことを確信して、リタルード
は暗澹とした気分になる。
「呼び方かぁ…」
好きなように呼んでくれと言っても許可されないのだろうとなんとなく思う。
よくわからないが、これは「試し」の一種なのだろう。
女性特有の、人知の及ばない運命とやらすら実は担ってるんじゃないかと思わせる、
言うならば紙の束の間に滑り込まされたごく薄い剃刀のような。
適当な名を言うことも容易にできる。
だが、今回はなぜかほんの一歩だけ踏み出したいと思った。今の自分を形作る輪郭が
揺らぐことを、願ってみたいと不思議と思った。
「『リタ』って呼んでくれればいいよ」
「へぇ。それってあんたにぴったりね」
コーヒーを手に取るふりでハンナから目をそらすと、彼女は黒い髪を掻き揚げてそう
言った。
マリは、言いにくそうに口を開いた。
「何かあったにはあったんだけど……。
でも、リタちゃんの身に何かあったってことじゃないの。
リタちゃんは、今、ちょっと近くの所に行っていていないんだけども……ど
うしたらいいかしら」
「んじゃぁ、少し待ってみるよ。注文しちまったしな。蜜豆」
それもそうよね、とふふ、とマリは笑った。
「じゃぁ、すぐに持ってくるわ。お茶は熱いのと冷たいの、どちらがいいかし
ら?」
「蜜豆ってのは暖かいのか?」
「冷たくて、甘いわ」
「じゃぁ、熱いので。
お茶は甘くないんだよな?」
真面目に聞いたのだが、マリは笑いながら「渋いのを作ってあげる」と、厨
房の奥へと消えていった。
あぁ、のどかだ。
布をかぶせた背もたれのない長椅子に座り、通りを行く人々に目をやる。
怠惰を感じさせない、ゆっくりとした時間というものを体験したのはいつ振
りだろう。
「……引退したら、毎日こんな感じなのか」
なにか、諦めに限りなく似たものが、身体を支配する。
身体の力が緩んで、初めて気づくことは多かった。
店の花瓶に飾ってある、花のほのかな香り。青空よりも美しい雲のある空の
美しさ。風の暖かな匂い。朝の鳥のさえずり。
悪くないのかもしれない。
ふ、と口元が緩む。
「あぁ、弱気になってんなぁ」
あくびのような、ため息をついた。
それを全て吐き終わるか終わらないかの時に、この店には似つかわしくな
い、どたどたといわせながらの駆ける足音が入ってきた。
ぶち壊しだ。
思わず、ヴィルフリードは笑った。引退しようがしまいが、やはり日常は穏
やかなものばかりでなく、このような騒音は普通に入ってくるのだ。
何ひたっていたんだか。
口の両端が思わず吊り上げ、顔を上げてその騒音の主を見やる。
「おい、さっき裏口から入っていったヤツがいただろ! 出せ!
昨日はしらばっくれやがったが、そいつと一緒にどこかに逃げていたってこ
とぐらいわかってるんだよ!」
そう大声を出して、若い女の子の従業員が止めるのを聞かずに、奥に入ろう
とする男が一人。
血の気が多そうではあるが、ヴァルカンの地元民や鉱夫の類ではなさそうだ
と、ヴィルフリードは思った。雰囲気が、違う。これは、流れ者に多い気の荒
さだ。
どうしようか、と迷ったのはほんの一瞬で、すぐに腹は決まった。
決めたものの、ヴィルフリードは困った。こういう時、ヴィルフリードは素
直に声をかけれない。……言ってしまえば、「照れ」だった。
立ち上がってみたものの、頭などを掻きながら躊躇していると、男から声が
かかった。
「何見てるんだよ。おっさん」
あぁ? と語尾をあげて、威嚇してくる。
「おっさん」という言葉に、白い男の姿がダブり、有無を言わせず頭を殴り
たくなったが、ヴィルフリードは抑えた。抑えれたのは、奥に、不安そうなマ
リの顔が見えたからだ。
他愛の無い、威嚇するだけの何の意味の無い罵声など、聞き流そう。
「ここは落ち着くための場所なんだがな」
「うるせぇ、すっこんでろ、ハゲ! けがごっ」
最後舌を噛んだのは、有無を言わせず、頭を殴ったからだ。
無意識にナイフの柄を握っていたので、軽いナックルの役割になっていた。
が、ヴィルフリードは微塵も気にせず、意識を失っている男の襟首を掴んだ。
「あーうん、そうだよね。言っていいことと悪いことって、世の中あることぐ
らい分かってるよね。そういうささやかな気遣いの上に世の中って成り立って
る部分ってあるよね。
ションベン垂れてるころからやり直して、イチから年上敬う気持ちを脳髄に
叩き込んでこいや。な。んん?」
誰にも聞き届かれることのない言葉を、ヴィルは耳元で低く小さく呪詛を唱
えた。
「だ、大丈夫ですか?」
マリの言う「大丈夫」というのは、ヴィルフリードのことか、それとも気絶
した男の安否のことか、それとも店の状態のことか。
その問いの答えは、男の軽い脳震盪と、ヴィルフリードの心の傷だけであっ
たが、ヴィルフリードは答えなかった。
「何なんだ? コレは」
といって、男の襟首を離す。男は、そのまま床にくずれた。意識が戻る様子
はなさそうだ。
「リタちゃんが今戻ったらしくて。……裏にも一人いるんだけど、そっちは今
主人が……」
旦那がいたのか、と、なにか納得した思いと同時に、何かが心を、ざり、と
音をたてて、ほんの少しかすった。
「あとをつけられていたみたいで」
何に巻き込まれやがったんだ。
ヴィルは舌打ちをして、急いで裏口へ行った。
「何かあったにはあったんだけど……。
でも、リタちゃんの身に何かあったってことじゃないの。
リタちゃんは、今、ちょっと近くの所に行っていていないんだけども……ど
うしたらいいかしら」
「んじゃぁ、少し待ってみるよ。注文しちまったしな。蜜豆」
それもそうよね、とふふ、とマリは笑った。
「じゃぁ、すぐに持ってくるわ。お茶は熱いのと冷たいの、どちらがいいかし
ら?」
「蜜豆ってのは暖かいのか?」
「冷たくて、甘いわ」
「じゃぁ、熱いので。
お茶は甘くないんだよな?」
真面目に聞いたのだが、マリは笑いながら「渋いのを作ってあげる」と、厨
房の奥へと消えていった。
あぁ、のどかだ。
布をかぶせた背もたれのない長椅子に座り、通りを行く人々に目をやる。
怠惰を感じさせない、ゆっくりとした時間というものを体験したのはいつ振
りだろう。
「……引退したら、毎日こんな感じなのか」
なにか、諦めに限りなく似たものが、身体を支配する。
身体の力が緩んで、初めて気づくことは多かった。
店の花瓶に飾ってある、花のほのかな香り。青空よりも美しい雲のある空の
美しさ。風の暖かな匂い。朝の鳥のさえずり。
悪くないのかもしれない。
ふ、と口元が緩む。
「あぁ、弱気になってんなぁ」
あくびのような、ため息をついた。
それを全て吐き終わるか終わらないかの時に、この店には似つかわしくな
い、どたどたといわせながらの駆ける足音が入ってきた。
ぶち壊しだ。
思わず、ヴィルフリードは笑った。引退しようがしまいが、やはり日常は穏
やかなものばかりでなく、このような騒音は普通に入ってくるのだ。
何ひたっていたんだか。
口の両端が思わず吊り上げ、顔を上げてその騒音の主を見やる。
「おい、さっき裏口から入っていったヤツがいただろ! 出せ!
昨日はしらばっくれやがったが、そいつと一緒にどこかに逃げていたってこ
とぐらいわかってるんだよ!」
そう大声を出して、若い女の子の従業員が止めるのを聞かずに、奥に入ろう
とする男が一人。
血の気が多そうではあるが、ヴァルカンの地元民や鉱夫の類ではなさそうだ
と、ヴィルフリードは思った。雰囲気が、違う。これは、流れ者に多い気の荒
さだ。
どうしようか、と迷ったのはほんの一瞬で、すぐに腹は決まった。
決めたものの、ヴィルフリードは困った。こういう時、ヴィルフリードは素
直に声をかけれない。……言ってしまえば、「照れ」だった。
立ち上がってみたものの、頭などを掻きながら躊躇していると、男から声が
かかった。
「何見てるんだよ。おっさん」
あぁ? と語尾をあげて、威嚇してくる。
「おっさん」という言葉に、白い男の姿がダブり、有無を言わせず頭を殴り
たくなったが、ヴィルフリードは抑えた。抑えれたのは、奥に、不安そうなマ
リの顔が見えたからだ。
他愛の無い、威嚇するだけの何の意味の無い罵声など、聞き流そう。
「ここは落ち着くための場所なんだがな」
「うるせぇ、すっこんでろ、ハゲ! けがごっ」
最後舌を噛んだのは、有無を言わせず、頭を殴ったからだ。
無意識にナイフの柄を握っていたので、軽いナックルの役割になっていた。
が、ヴィルフリードは微塵も気にせず、意識を失っている男の襟首を掴んだ。
「あーうん、そうだよね。言っていいことと悪いことって、世の中あることぐ
らい分かってるよね。そういうささやかな気遣いの上に世の中って成り立って
る部分ってあるよね。
ションベン垂れてるころからやり直して、イチから年上敬う気持ちを脳髄に
叩き込んでこいや。な。んん?」
誰にも聞き届かれることのない言葉を、ヴィルは耳元で低く小さく呪詛を唱
えた。
「だ、大丈夫ですか?」
マリの言う「大丈夫」というのは、ヴィルフリードのことか、それとも気絶
した男の安否のことか、それとも店の状態のことか。
その問いの答えは、男の軽い脳震盪と、ヴィルフリードの心の傷だけであっ
たが、ヴィルフリードは答えなかった。
「何なんだ? コレは」
といって、男の襟首を離す。男は、そのまま床にくずれた。意識が戻る様子
はなさそうだ。
「リタちゃんが今戻ったらしくて。……裏にも一人いるんだけど、そっちは今
主人が……」
旦那がいたのか、と、なにか納得した思いと同時に、何かが心を、ざり、と
音をたてて、ほんの少しかすった。
「あとをつけられていたみたいで」
何に巻き込まれやがったんだ。
ヴィルは舌打ちをして、急いで裏口へ行った。
PC:(ヴィルフリード) リタルード
NPC:ハンナ
場所:エイド
-------------------------------------------------
「…で、キミは何を考えているのかな?」
物置といえども小部屋ほどの広さがあり、そしてミィ爺の家の半分も埃臭くないの
は、さすがは食べ物を扱う家だ。
戸の隙間から差し込む光のおかげで、辛うじてお互いの輪郭だけがわかる。
匿うというよりは、とりあえず邪魔にならないよう二人はここに押し込められたの
だ。
「ルーディ」
「呼ぶなって言ったよ、ね?」
ハンナがミィ爺にかけてもらった魔法を解く鍵は、他者の名前を呼ぶこと。それも
相手が本当に自分の名前だと思っている名前のみで、偽名などは問題なく使える。
まさか自分より年上の成人女性に、それくらいの決まりごとをすぐさま破られてし
まうとはリタルードは思ってもみなかった。
「で、何で?」
見えないとはわかっていても、笑みすら浮かべてリタルードは問う。もちろん目は
笑っていない。
「それくらいのことやってもいいかなって思ったから、かしらね」
「へぇ…」
ハンナのひそやかながら相手に真っ直ぐに向けられた声に、ここは負けてやるべき
ところなのだろうと、それくらいはリタルードにもわかった。傷ついて、黙り込んだ
り取り乱したり相手を責め立てたりするべきところ。
けれど今、リタルードは腹を立てていたし、結局はまだ幼かったから代わりにこう
言った。
「ねぇ、お姉さん元気?」
「…………」
唇を噛み締めるなり手をきつく握り締めるなり、そんな動作を伴わないのがおかし
いほど、ハンナの身体がぎゅっと緊張する。
叩かれるかな、と覚悟する。
「わかった。もうやらない」
しかし、ハンナはさばさばとそう答えただけだった。途端にリタルードは自分に対
して強い嫌悪感を抱く。
「あの人、元気よ。すっごくね」
ここがこんなに暗くなければよかったのに。
リタルードは陰鬱とそう思った。
NPC:ハンナ
場所:エイド
-------------------------------------------------
「…で、キミは何を考えているのかな?」
物置といえども小部屋ほどの広さがあり、そしてミィ爺の家の半分も埃臭くないの
は、さすがは食べ物を扱う家だ。
戸の隙間から差し込む光のおかげで、辛うじてお互いの輪郭だけがわかる。
匿うというよりは、とりあえず邪魔にならないよう二人はここに押し込められたの
だ。
「ルーディ」
「呼ぶなって言ったよ、ね?」
ハンナがミィ爺にかけてもらった魔法を解く鍵は、他者の名前を呼ぶこと。それも
相手が本当に自分の名前だと思っている名前のみで、偽名などは問題なく使える。
まさか自分より年上の成人女性に、それくらいの決まりごとをすぐさま破られてし
まうとはリタルードは思ってもみなかった。
「で、何で?」
見えないとはわかっていても、笑みすら浮かべてリタルードは問う。もちろん目は
笑っていない。
「それくらいのことやってもいいかなって思ったから、かしらね」
「へぇ…」
ハンナのひそやかながら相手に真っ直ぐに向けられた声に、ここは負けてやるべき
ところなのだろうと、それくらいはリタルードにもわかった。傷ついて、黙り込んだ
り取り乱したり相手を責め立てたりするべきところ。
けれど今、リタルードは腹を立てていたし、結局はまだ幼かったから代わりにこう
言った。
「ねぇ、お姉さん元気?」
「…………」
唇を噛み締めるなり手をきつく握り締めるなり、そんな動作を伴わないのがおかし
いほど、ハンナの身体がぎゅっと緊張する。
叩かれるかな、と覚悟する。
「わかった。もうやらない」
しかし、ハンナはさばさばとそう答えただけだった。途端にリタルードは自分に対
して強い嫌悪感を抱く。
「あの人、元気よ。すっごくね」
ここがこんなに暗くなければよかったのに。
リタルードは陰鬱とそう思った。