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2024/11/09 07:11 |
水たまりに“落ちた”女/香織(周防松)
PC:香織

場所:現代

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それは、小学校の卒業式が近付いたある日のことだった。

「今日は皆さんに、作文を書いてもらいます」

背後の黒板に、白いチョークで『十年後の私へ』と書き終えた担任の教師が、
生徒達に振り返って微笑む。

「題名は、『十年後の私へ』です。十年後の自分へ手紙を書くようなつもりで、
いろいろなことを書いてみてください。この作文は、十年後、先生が郵便で
皆さんにきちんと届けます」

「せんせ~、十年後、って言ったら、みんな、22歳ですよね~?」

1人の男子生徒が手を上げる。

「ええ、そうなりますね。もう働いている人もいれば、大学に行っている人も
いるでしょう。ああ、もしかしたら、結婚している人もいるかもしれませんね」

おお~、と生徒達の間でどよめきが起こる。
大人になった自分の姿。
中学3年生にもなれば、高校受験を控えているため、将来の進路を考えろと
せっつかれて、嫌でも考えざるを得なくなることだが、この年頃のうちは好き
勝手にいろいろと想像できる。
22歳になった自分は、一体どこでどんなことをしているのか。
そう考えただけで、純粋にわくわくしてしまう。

――まあ、実際なってみるとわかることだが、22歳の人間は、想像していた
よりもずっと子供で、そして無力である。

「はいはい、静かに。作文は、今週中には絶対、先生に提出してください。
提出できなかった人は、居残りで書いてもらいますからね」

生徒達は思い思いに鉛筆を取り、原稿用紙に向かう。

――その中で。
黒い髪を二つに結った1人の女子生徒は、皆と同じように鉛筆を手にし、
ほんの少し悩んだ後、原稿用紙に鉛筆を走らせた。


『十年後の私へ      六年三組  西本 香織』



  * * * * * * * * * 



残業続きのハードな1週間がどうにかこうにか終わり、明日は待ちに待った
休日である。

体には、栄養ドリンクなんかじゃ取れないぐらいの疲れが、風呂場のカビの
ごとくしつこくこびりついている。
くたびれた体を引きずるようにしての、1人暮ししているマンションへの帰り道。
持ち慣れたハンドバッグでさえ、今日はなんだか重たい気がする。
この分では、貴重な休日は体力と気力の回復に費やされることだろう。
それから、残業続きのせいで手が回らなかった、掃除や洗濯、それから
布団干しなどの、ためこんでいた家事も消化せねば。

まったくもって、地味な休日の過ごし方である。

(……こういう大人になりたかったわけじゃないのに)

ふと、彼女――香織の疲れた頭がそんなことを考える。

今の自分は、学生時代、最もなりたくなかった“つまらない大人”というやつ
そのものではないだろうか?

しかしすぐに、仕方が無い、という思考が働く。
香織は特筆すべき才能なんて持っていなかったし、学校の成績も中くらい。
そんな人間が欲を出してはいけない。
幸い、社会というのは、特に夢だの目標だのがなくたって生きていける
仕組みになっている。

そう、欲張りさえしなければ、凡人でもそれなりにやっていけるのだ。

……少し悲しくはあるが。

今日ついたため息の数をまた一つ追加しながらマンションに着き、ぱかん、と
自分の郵便受けを開けてみると、大して興味の沸かないダイレクトメールが
大量に入っている。
1日分ではない。
残業続きで疲れていて、今日まで郵便受けを開けていなかったのだ。
ざっと換算して、これは3・4日分である。
はあ、と小さくため息をつき、ダイレクトメールの束をつかんだ。

(あら?)

香織は、ダイレクトメールの中に、一通の白い封筒が混じっていることに
気付いた。
取り出してみてみると、マンションの住所と共に、『西本香織 様』と丁寧な
字で書いてある。
誰からだろう。
ひょいと引っくり返して差出人を確認した香織は、

「……あ……」

かすかに声を上げ、疲労で冴えなかった表情を一転、明るいものにした。
そこにあったのは、小学6年生の時の担任の名前だった。

(先生……)

担任の教師の笑顔が、脳裏をよぎる。
こみ上げる懐かしさに、胸のどこかがじんわりと暖かくなる。
目を閉じると、その頃の授業風景が浮かんでくるようだ。

ぶわあっ!

その時、冷たい夜風が吹いた。
強風というわけではないが、その風は、感傷にひたっていた香織の手から
封筒をさらっていくのには充分な強さを持っていた。

封筒は、風にあおられて、マンション前の道路にある大きな水たまりへと
落ちていく。

「大変!」

せっかくの手紙が水に濡れては台無しである。
何としても、封筒が水たまりに落ちることだけは避けねばならない。
香織は慌てて駆け出し、落ちてくる封筒へと懸命に手を伸ばした。
指先に触れる、紙の感触。
さらに手を伸ばし、ぐぁしっ! と封筒をつかむ。
おかげで封筒はくしゃくしゃになってしまったが、水たまりに落ちる前に
キャッチすることには成功した。

(……あ……)

ぐらっ、と視界が揺れる。
封筒をキャッチするのに夢中になって、体勢のことまで気が回らなかった
らしい。
よろけた体を支えようと、香織は足を一歩踏み出した。
水たまりに向かって。

さぞ大きな水しぶきが上がるだろう、と香織は思った。
パンプスは水びたしになるだろうし、ストッキングもはねた水で汚れるだろう。
下手をしたら、スーツのスカートも被害を受けるかもしれない。

しかし。
香織の想像した水しぶきは、いつまで経っても上がらず。
踏み出した足は、水たまりの中にずぶりと飲みこまれ――


まるで穴にでも落ちるかのように、彼女の体は水たまりの中へと消えた。
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2007/02/11 23:12 | Comments(0) | TrackBack() | ▲いくつもの今日と明日と世界と
『不思議の国の住人』期待の新人/ハンプティ・ダンプティ(Caku)
PC :『壊れたら元に戻らない者(ハンプティ・ダンプティ)』 
NPC:『イカれ帽子屋』『赤の女王』『三月兎』『絶滅老鳥』
場所:『不思議の国』~ギルド酒場

……………………………………………………………………………………………
………


      それは、不思議な不思議な物語のお茶会の物語りです。


「聞いたわよ『イカれ帽子屋(マッド・ハッター)』、貴方また新しい玩具を
見つけたってね」

真っ赤な唇が、天上の音楽のような声音を紡いだ。
人間とはかけ離れた造形のシルエット、美の女神をかくやと思わせる美しい肢
体。
艶消しの黒髪を、滝が流れる様のように垂らしている女性。紅いドレスが、ま
るで彼女のためだけにある色彩だと言わんばかりに咲き誇る。

「人間を玩具に例えるのは感心致しませんね『赤の女王(レーヌ・ド・ルー
ジュ)』。
まあ、貴女にとっては人も同胞(魔族)も劇場のエキストラと同じでしょう
が」

彼女の声に答えたのは、恐ろしい程に白い肌の男性だった。
白粉をまぶしたようなあり得ない白さの上には、『赤の女王』と呼ばれた女性
に劣るとも勝るともいえない真っ赤な三日月型の口腔が覗く。
喪服と見間違う黒のスーツにシルクハット。
相手をたしなめつつも、どこかその言葉には含み笑いという成分が見える。

「可哀想に、お前に目をつけられたとなるば、平穏な人生を奪われたようなも
のじゃ」

その発言に横から入ってきたのは、しわがれた老人のような声。

「おや、案外失礼なことをおっしゃりますね『絶滅老鳥(ソロモンコー)』。
平穏という絶望と退屈な物語では、観客は心動かされないものです」

いかにも心外である、と嘆かわし気な演技をこなす『イカれ帽子屋』。しかし
その不気味な微笑みは微動だにしない。
その姿を、まるで劇場の光を見るように目を細める鳥。
そう、『絶滅老鳥』と呼ばれる対象は、どうやらこの人間ほどの大きさの老鳥
であるらしい。

「物語としては、平穏はたしかに偏屈で鬱陶しくて残忍。でも、お話の最後は
いつもそうなるの」

と、今度は彼等のやや斜め前から飛んできた口調があった。
幼くて愛らしい少女の音調、人形のウサギの耳が揺れた。

「しかし我らの世界には終末は用意されていないのです。永遠の興奮と感動
を”アリス”はお求めなのです」
「汚らわしい口で”お姉様”の名前を発するな『イカれ帽子屋』!」
「止めぬか『三月兎』」

『イカれ帽子屋』の応対に、何故か嫌悪と憤怒の色が混じった。
少女は振り向き、男を睨む。銀色の髪に、銀色の瞳。黒いリボンで可愛く飾っ
てあり、まるで人形のようだ。制止した老鳥の言葉も耳にしていないらしく、
愛らしい目つきを一振りの刃のように視線で突き刺す。
手には、数個の人形。どれもウサギをかたどった物ばかりである。


不思議な空間、不思議な場所。

見事な紅檜皮(べにひわだ)色ののテーブルを囲って、4人の人物が座ってい
る。
一人は、異常な微笑みを絶やさない赤い三日月を顔に浮かべる青年。
一人は、艶かしい妖艶な眼差しの人にあらざる美神の女帝。
一人は、老いた羽根と深い知識を垣間見せる途絶えたはずの種の鳥。
一人は、人形のような手で人形を持つ、人形のような少女。

まったく共通項が見当たらない集団。
ただ、そこはこの世界ではない。どこの世界でもない場所である。
そう感じさせるほど、『そこ』はあまりにも不可思議で謎めいた空間だった。

さして少女の激怒の感情にも動じなかった男が、まるで吊り上げられたように
立ち上がった。
人間の動きにして、吐き気がするほどに異様な動作だった。


「そろそろ”脇役”は揃ったかな?これより『不思議の国の茶会』を始めま
しょう」

不思議なお茶会の始まりである。




「さて、今宵の茶会の主旨を拝聴したいのだがね『イカれ帽子屋』よ」
『絶滅老鳥』が、古びたパイプの煙をくゆらせつつ尋ねた。
「『不思議の国の住人』を全員拾集させる事態とは、いかなるものかな?」
「例の”異常眼”を持つという貴方の玩具でも新規採用するのかしら?」
女が、愉快そうに後に続く。
「『不思議の国』には”アリス”の許可と承認がなきゃ駄目」
少女は、無表情に釘を刺した。

友情で結ばれた仲間という単語が、これほど似合わない集団の中。名義だけの
「仲間」に彼はあらたな「仲間」の到来を告げることにした。

「ええ皆様、今宵貴方達を集めたのは推測の通りです。
”アリス”によって舞台設定を意味付けられた”脇役”がまた一人、この世界
に誕生したのです」

皆、無表情に彼を見る。
驚愕、哀愁、期待、疑惑など、様々な色で満たされた沈黙がおりた。

「ですが”異常眼”や”虹追い人”ではありません。
彼等は物語の紡ぎ手であり、決して”脇役”という配置には相応しくないから
です」

『イカれ帽子屋』は、上品と礼儀の模範のような仕種で、背後の闇に手を差し
伸べる。
虚空に浮かんだ白い手が、通常の人間にあり得るはずのない白さを穿つ。

「では御紹介しましょう、こちらにどうぞ『壊れたら元に戻らない者(ハンプ
ティ・ダンプティ)』よ」

丁寧に磨かれた、アンバー色の革靴が、闇から姿を現わした。



「おい、何だコイツは?」
「どーしたんだよ」
ギルド直轄運営のある酒場。
カウンター奥の事務員が、一枚の紙切れを同僚に差し出した。
「このA級ランクの集団、ほら、不思議のナントカというふざけた連中」
「一人増えてるな、えーと・・・『壊れたら元に戻らない者』?何だそ
りゃ?」
男性達は、退屈な書類整理を一時中断して、その紙切れに瞳を向ける。

「あ、こいつもしかしてさ。例の”奇術師”じゃないか?」
仲間の疑問に、ああと相づちを打つ。
「酒場でよく見かける坊っちゃんか、ああ、んな名前だったようなー・・・」
思い出す。
最近、ふらりと酒場に出入りするようになった少年の事を。
「いや、A級って嘘だろ。どーみても十代じゃねぇか」
「でもこの不思議のナントカには、10歳程度の娘もいるって話だぜ」
「”話し”だろ?」
やや誇張が混じってるようなヨタ話に、男性はせせら笑う。

「そう、これはお話、つまりは”物語り”なんです」

男性二人が振り返ると、穏やかな微笑みがあった。
驚愕の表情に、暖かな視線を向けて、少年は喋る。

「昔、もし私がそこにいたら、今私はここにはいません。
もし私が今と昔にいるのであれば、新しい物語と古い物語を両方知っている
か、あるいは昔の物語も知らないかです」

鋭い虹彩の、一本の剣のような髪がさらりと揺れた。
「日雇いから臨時雇用に契約していただいた『壊れたら元に戻らない者(ハン
プティ・ダンプティ)』です。よろしくお願い致します」

礼儀正しく、呆気にとられている男性に頭を下げる。
肩の上の、美しい蒼い梟が、まばたきをせずにこちらを見ていた。


不思議の国からやってきた者が、また一人世界の盤面に配置された。



2007/02/11 23:12 | Comments(0) | TrackBack() | ▲いくつもの今日と明日と世界と
『いくつもの今日と明日と世界と』序章”壊れたら元に戻らない者”/ハンプティ・ダンプティ(Caku)
PC 「壊れたら元に戻らない者(ハーティー(愛称)」
NPC「蒼い小鳥(ソクラテス)」、ウェイトレス(レダ)、酒場のマスター
場所 クーロン 酒場『緑の峡谷(ウェッド・レヒ)』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・

   Dreamms are true while they Last.
          and do we not live dreams ?
          
           
    夢は、続いているかぎり現実である。
        そして、我々は夢の中で生きているのではないのか?



橙色の酒場。
ランプの灯火が、筆で掃いたように店内を染めあげる。
鮮やかな茶色の世界に、色とりどりの人間。ごつい傭兵風の壮年の男性がいれ
ば、若いバーテンダーがいる。うら若い瞳を希望に溢れさせた剣士がいる。妙
齢の美しい魔術師が、けだる気に杯を傾ける。老いた弓使いが、使い込まれた
矢を撫でている。
静かなざわめきと無数の言葉が、酒場に塗り込められる。

ここクーロンの町並みと比較すれば、なかなか良い雰囲気の店である。
マスターらしい黒髪の寡黙な男性は、見事な手付きで紅いカクテルの準備をし
ている。
木造の天井に、釣り下がるようにしてぶらさがった金銀の小さなシャンデリア
も、この酒場が穴場である証拠品という訳だ。
そんな店の前の通りを、その酒場目指して歩いている青年がいた。

「ここまで順風満帆だと幸先いいね」
穏やかに独り言を呟きながら、歩みを進める青年。
まだ、少年の面影も濃い顔。
「クーロン第七地区のグァシース市長、武器製造会社のフラグ製造、グレノー
ブル寺院、金細工組合(ゴールドスミス)・・・いやぁ、お得意さまが増える
とお小遣いも増えるなぁ。これでソクラテス長年の夢”目指せ半径3メートル
の鳥篭”が達成できるかもよ?」
話の内容は、青年がかなりの副業を抱えているらしい事がわかる。
「次の目標は”目指せ鈴付き首輪”にでもするかい?可愛いよきっと」
にこにこと微笑んで、肩の上にちょこんと座っている梟に語りかける。
どうやら”ソクラテス”という人名は、この梟の名前であるらしい。

まだ十代を越さない風貌、18、9あたりか。
その外見年齢と比較するなら、青年はあまりにも仕事が多い。よほどの腕利き
なのか、会社や同業組合とまで契約しているらしい。


「奇術師としてもなんだか順調になってきたし、そろそろ誰かの”物語り”
を”創り孵る(つくりかえる)”にはいい頃合かな?やっぱり『不思議の国の
住人』としてはきちんと読者を楽しみませないとねぇ」
意味不明の言葉を呟いている内に、酒場まで辿り着く。
看板には『緑の峡谷(ウェッド・レヒ)』と記載されている。
表に出ていたウェイトレスが、彼に気が付いて近付いてきた。
まだあどけない動作で。
「こんにちわハーティーさん!お早いんですねいつも」
「おはようレダちゃん、ほらソクラテスも御挨拶」
「・・・・・・・・・」
無言。というか鳥が人間語をしゃべれるはずもないのだが。
少女はそんな蒼い鳥の無愛想さに捕われずに、花のような笑顔で笑った。
「いいなぁ、梟ってペットにしては珍しいですよね。
私は部屋にコルリならいますけど」
ここまで綺麗な青色じゃないなぁ とうらやまし気に梟の色彩を眺める。
「そうだね、ペットだったら珍しいかもね。僕の場合彼は”鍵”だから」
それでも珍しいか と付け足す。
レダは、不思議そうに聞き返す。”鍵”?この梟が”鍵”?
「えーと・・・ハーティーさんって時々不思議なことばかり言いますね」
「そうかな?よく言われるけど、気に触ったかな」
「ううん、でもそーいうトコロがマスターのお気に入りかも」
マスター、結構変わった人だから。と腕組みして物真似る。
その仕種にけっこう似てたので、思わず吹き込んだハーティー。
「似てる似てる、レダちゃんいい役者さんだよ」
「えへへ、長年勤めてますからね。このくらいは」
「早く入ってこい、店内につつぬけだ」

木製の、中央にステンドグラスを嵌め込まれた年代物の扉が開いて、
中から黒髪の男性が出てきた。
慌ててウェイトレスは中にひっこんだ。
「レダちゃんて幾つなんでしょうか?」
「三十路だ、確か」
「僕より不思議な気がするねぇ」
「同じぐらいだ」
微笑んで、店内に入るハーティー。
憮然として、そのまま扉を閉めるマスター。



その時、ぽつりと梟が呟いた。
「世界が回転する したたる水滴の中で しかし扉は開き 物語は孵化する」
ハーティー、『壊れたら元に戻らない者(ハンプティ・ダンプティ)』は
目を閉じた。

笑っていた。

「さっそく、かな?しかも別の世界の物語集からの選出とは。
”アリス”も相当退屈らしいね」

微笑みを、この世界ではないどこかに向けて。


2007/02/11 23:13 | Comments(0) | TrackBack() | ▲いくつもの今日と明日と世界と
『いくつもの今日と明日と世界と』 1章/香織(周防松)
PC:香織
NPC:小太りな少年
場所:クーロン 酒場『緑の峡谷(ウェッド・レヒ)』の物置

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


――気がつくと、としか言いようがない。
どうしてそうなったのか、なんて、本人だってわからない。


どんがんがらぐぁらがっしゃああんっ!


とにかく、気付くと、香織は、けたたましい派手な物音の中心にいた。


「い……ったた……」

あちこち痛む体をいたわりながら、香織はよろよろと身を起こす。
ついでに乱れた髪を手早く直し、スーツについたほこりをパタパタとはたき落とす。
スカートのほこりを落とそうと、視線を下に落とした時、
「やだっ、ストッキング伝線しちゃってる」
香織はちょっと顔をしかめた。
スカートからのぞく、膝頭の辺りにうっすらと線が入っている。
(あっちゃ~……後で買いに行かなきゃ)
トホホ、とため息をつく。

(それにしても……)

香織は、ぐるりと周りを見まわしてみる。
全体的にほこりっぽく、そしてジメジメした感じの空気が漂う、薄暗い室内。
隅の方には、何かの入った木箱が乱雑に積まれている。
天井付近に取りつけられた棚には、大小さまざまな鍋が積み重なっている。
足元には、倒れた棚。その下に、割れて粉々になった食器が、無残な姿をさらしてい
る。
その他にも、床にはスプーンだのフォークだの、いろいろなものが転がっている。

その空間は、香織の目に、物置――という風に映った。

(……ここ、どこよ……?)

香織の率直な感想は、その一言につきた。
ここは、マンション前の道路とは、あまりにかけ離れた場所である。
記憶にある限り、自分はマンション前にいたはずだ。

それが何故、こんな所にいるのだろうか?

手がかりを求めて、今までの行動を思い返してみる。
確か、マンションに帰ってきて、郵便受けを開けて、昔の担任からの手紙を見つけ
て、その手紙が風で飛ばされたのをキャッチして、水たまりに足を突っ込んで――
「あっ、手紙っ」
ようやくそこで手紙のことを思い出し、己の手に目を向ける。
幸い、手紙は、ぐしゃぐしゃに握りつぶされてはいるものの、ちゃんと残っていた。
香織は丁寧にシワを伸ばし、ハンドバッグにしまい込む。

がぼっ!

「きゃあっ」

そこへ突然、降ってきた何かが視界を覆い隠す。
あたふたしながら手をやると、ひんやりした、固い鉄のような感触があった。
どうも、円筒形の物体のようである。
両手でどけてみると、よくラーメン屋などでダシを取る時に使っている鍋――いわゆ
る“ずんどう鍋”というやつであった。

(もう、一体何なのよ)

ごとん、とずんどう鍋を床に置く。

気がついたら、いきなりワケのわからない物置みたいな場所にいるわ、鍋は降ってく
るわ。

(……そんなこと、どうだっていいの! 家に帰らなきゃ)
そう。
悠長なことをやっている場合ではない。
何せ、香織の勤める会社には、無断欠勤した者は問答無用でクビ、という社則があ
る。
月曜日までに家に帰るか、あるいはどうにかして会社に連絡をつけられなければ、そ
の恐るべき事態が待ちうけているのだ。
(あっ、携帯電話!)
手をポンと打ち、香織はハンドバッグをごそごそ探る。
こういう時のためにこそ、携帯電話はあるのだ。

「……あれ……?」

携帯を取りだし、香織は呟いた。
電源ボタンを押してみても、携帯の液晶が真っ黒いままなのである。
(おかしいな……)
首を傾げつつ、何度か電源ボタンを押してみるが……やっぱり電源は入らない。
昨日充電したばかりだから、電池切れ、ということはないはずなのに。
その真っ黒い液晶を見つめながら、やがて香織の脳裏に一つの結論が浮かぶ。

(……壊れちゃった?)

ああ、緊急時に使えないなんて、一体何のための携帯電話だ。
香織は、深くため息をつき、あきらめて携帯電話をハンドバッグに戻した。

――ギィ。

小さな、きしむ音。
くるりと香織は振り返り――ぎょっとして目を丸くする。
部屋についた、一つの木製のドア。
そのドアを小さく開け、そっとこちらの様子をうかがっている人物がいた。
よく見るとそれは、小太りな体型の、金髪碧眼の気弱げな少年だった。

香織は思った。

(が、外国人っ?)

とりあえず、少年の外見は、典型的な日本人のものではない。
(も、もしや、これは英語を話さなきゃいけない状況!?)
香織のこめかみを、冷や汗がたらりと伝う。
英語は苦手なのである。
(え、え、英語なんて、全然わからないのに)
あたふたと、学生時代に習った英会話を記憶の底から引っ張り出す。
ええと、まずは怪しいものではないということをアピールしておかねば。
いや、そもそも初対面の相手には、一体何と挨拶すればよいのだろうか。

ハウアーユー? それとも、ナイストゥーミーチュー?

(ああっ、でも両方なんか違う気がするっ!)

……国際人には程遠い英会話知識である。

(落ちつけ私! とにかく、敵意がないってことが伝わりゃいいのよ!)
香織は己を叱咤する。
黙っていても状況が好転しそうにないのなら、せめて、悪化しないように何らかの行
動を起こしてみるもの一つの手、である。
まずは、にっこりと微笑み、軽く片手を上げて友好的な態度をアピールしつつ、

「は、はろ~?」

香織の行動に、少年は目をまん丸くしたまま、固まっている。
(あ、あれ? 英語圏の人じゃないの?)
……こうなったらありったけ言ってみるしかない。
どれか一つくらいは当たるだろう。

「ボンジュール、ニイハオ、グーテンターク、アンニョンハシムニカ……」

なんとかコンタクトを取ろうとする香織の努力もむなしく、少年の香織を見る目は、
しだいに不審人物を見るそれに変わり始めた。 

……この人の母国語、一体何なのよ。

スマイルを浮かべたまま、香織は固まる。
もう、彼女の知る範囲内での「こんにちは」を意味する外国語は出尽くしてしまっ
た。
その場の空気が、確実に緊迫していく。
少年は見ていて気の毒になるほど青ざめ、大した熱さでもないのにダラダラと汗をか
いている。

「……えっと」

いたたまれなくて、ぽつっ、と小さく香織が声を漏らした、その時である。

「マスターっ!! ど、ど、ど、ど、どどっ、泥棒ッスーッ!」

少年は、突如として悲鳴とも絶叫とも取れるような声を上げると、ドタドタと逃げて
いった。
後に残された香織は、ぽかんとしながらその背中を見送った。

あの少年、今なんと言っただろうか。

ド ロ ボ ウ ?

誰が?

私が?

…………。


「ちょっ……だ、誰が泥棒よ、誤解だってば!」

香織は、慌てて少年を追いかけた。


2007/02/11 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | ▲いくつもの今日と明日と世界と
『いくつもの今日と明日と世界と』 1章「出会いと手品と蒼い鳥」/ハンプティ・ダンプティ(Caku)

PC:ハーティー 香織
NPC:少年、マスター、レダ、客など
場所:クーロン 酒場『緑の峡谷(ウェッド・レヒ)』の物置


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・

彼が酒場のカウンターにいつも通りの仕事場の設定を終了した時。

もの凄い大音響が物置き辺りから発表された。
客、店員も皆一様に不審の視線を音の発信源あたりに彷徨わせている。
「何だ?何か落ちたのか・・・?おい、見てきてくれ」
マスターも多少驚いたが、すぐに無表情の鉄仮面に戻り、下働きの少年に指示
を出した。
「やっぱり物置きの大掃除、そろそろしたほうがいいんじゃないですかぁ?」
レダ、三十路である事実とは裏腹な行動と発言で、最近の惨状を指摘する。
「変わった物ばかりマスター集めてくるから、物置きが色んなモノで斜塔作ら
れちゃってますもん」
皮肉だかなんだかを、ちょっぴり混ぜた発言。
ここのマスターは、旅行なども好きで、よく国外に出かけては不思議極まる謎
めいた品物を買い込んで戻ってくるのだ。
「・・・そうだな、しばらく掃除してないな。ボランティアとは助かる」
「やだ!誰もお給料ナシなんかじゃやりませんよー!それならハーティーさん
にお手伝いしてもらえばいいじゃないですかぁ」
ぷうっとふくれて、素早く鉾先を転換するあたりに年齢の重みを感じる。
なぜ自分が槍玉に上げられたのか、さり気なく質問してみることにした。
「ちょっとレダちゃん、なんで僕?」
だって とレダはあどけない瞳を輝かせて語る。
「あたし、いつもハーティーさんの手品感動しますもの!
種も仕掛けもないのに、まるで魔法みたいになんでもやっちゃうんだもん!
ハーティーさんの手品って絶対魔法使ってますでしょ」
「違うよ、きちんと種も仕掛けもあるって。僕だって某4次元ポケットをもつ
何でもロボットじゃないんだから」
困ったように笑う。
褒められるのは嬉しいのだが、レダの表現は誇張し過ぎである。
「嘘です!だって誰もハーティーさんの手品のネタ、解った人いないんです
よ。
用意も下準備もなしにいきなり手品なんてできませんもの!!」
だから とウェイトレスは子供の夢を語るようにおおはしゃぎする。
「ハーティーさんの手品の魔法で、ぱぱぱっと物置きでも酒棚でもあっという
間です!」
困ったな、出来ないこともないけど。
そう思いつつ、マスターに視線で仲介を依頼する。しかし、マスターはむしろ
「構わないぞ、魔法でも」という実に現実的に、救済の手をはね除けた。
少年は、どうしようかと悩むことに悩んでいた。

そんな時。

「マママママ、マスター!!泥棒さんです!!」
さん付けはいらないんじゃないかなぁ とのんびりとした指摘は心の中だけに
しまっておこう。
先ほどの少年がびっくりした顔で戻ってきた。
続いて、慌てたような女性が彼のことを追ってきた。見た事もない服装だ。
「ちょ、ちょっと待って!私泥棒なんかじゃー・・・」
女性の視線が、酒場全体に固定される。

沈黙、さらに沈黙。

皆が皆、一様に女性の出で立ちと不可思議さに疑惑と注目の矢を投げている。
「え・・・ここ・・・」
女性が、強制停止しかけた思考を再開したらしい。
きょろきょろと辺りをせわしなく詮索する。ちょっと怪しい、危ない、おかし
いかも。
「・・・泥棒にして大胆だな。堂々と出てくるとは」
「泥棒じゃありません!!」
マスターの独り言に女性が鋭く突っ込んだ。自分はマスターの発言にそうだよ
ねと同意してたけれど。
「今の子の流行りなのコレ?なんだか・・・へんな、あ、いや変わった服ね」
レダが興味津々で覗き込んでいる。
見知らぬ人間達に囲まれて、さらに視線と注意をあられに浴びせられて、つい
でに泥棒まがいの疑惑もかけられた女性がすこし泣きそうな雰囲気になった。
ちょっとこれは可哀想だな と自分の小指一本ぐらいも残っていた人間の良心
が囁いた。
逃げ場のない女性が、言葉に詰まっておどおどしはじめる。
そんな彼女に、マスターはしごく冷静に一撃を加えようとした。
「とりあえず不法侵入に営業妨害その他という不審人物だ。ギルドの警察に連
行して・・・」
「連行されちゃったら困るよ、これから皆さんの心を盗んでもらうんだから」

皆、ハーティーの方角に注目する。

「え、ちょちょっと・・・わぷっ!?」
女性に問答無用で白い布をかぶせて包む。手品用に持ってきた大きな布だ。
「それでは皆様、この不思議な女性が盗むのは皆様の一時、心の欠片にござい
ます」
浪々と、歌は続く。布の中の女性は何やらもごもご動いているが、今出てきて
もらうとちょっと自分も困るので強制的に布の口を閉める。
「さあ、紳士淑女の皆様方。
今よりこの盗人(ぬすびと)が捕らえる観客の心を奪う技、とくと御覧あれ」
客とマスターとレダと少年が見守る中。そして、

ぶわっ

白い布がはじけたと思ったら、中から色とりどりの蝶が溢れだした。
包んでいた布を少年がはおると、布が崩れた。
そこには女性も少年も居なかった。


「さすがハーティーさん!って何処行ったんですかぁ!?」
お仕事これからですよー と酒場から響くレダの声が、大通りにも響いた。



店の裏側、暗い路地通り。
どすっと、白い塊が空から降ってきた。
結び目をほどいて中から出てきたのは、少年。
「ってけっこうきわどいな今の、ああゴメン”ソクラテス”、もしかしてなく
ても潰してた?」
蒼い梟が自分の腰の下でバタバタもがいているのをゆっくり鑑賞しつつ隣のお
姉さんを見る。
「・・・・・・ってここは何処で、お店の中で、泥棒って私違いますっ!」
「まあまあ、落ち着いて」
女性の返答に生返事を出しつつ、服の汚れを叩く。


「じゃあお姉さん、名前は”カオリ”っていうんだね?」
女性が、びっくりしたように詰め寄る。
「どうして私の名前!?」
「だってそういう名前なんでしょ?」

笑顔で、穏やかに微笑む少年。

「だって貴女がそういう名前だから、貴女の名前なんでしょう?」

蒼い梟が、無感動な夕暮れ色の瞳を、女性に向けていた。

2007/02/11 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | ▲いくつもの今日と明日と世界と

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