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2024/11/07 00:24 |
イェルヒ&ジュリア31/イェルヒ(フンヅワーラー)
キャスト:ジュリア  イェルヒ
場所:ソフィニア近郊

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 偶然などという話で済まされるものか。これは、あり得ない光景なのだ。
 確率論などの話ではない。物理的な話で、この光景は在り得ない。
 イェルヒは慄いた。



 イェルヒは、あの古代文字の周囲に、簡易的な陣を描き、2つの細工をした。
 ひとつは、残留魔力でも発動できるようにするための、強化の陣。
 もう一つは、場所の変更。

 物体の瞬間移動の魔法は、危険極まりないものである。移動物体の再構成ももちろんのことだが、それ以外にも、空高い場所に移動してしまい、そのまま墜落するという場合や、その逆として地中深い場所に移動させられ、そのまま圧死となる場合もある。
 別種類の魔術が古代文字へ干渉しているので、効果が歪む恐れがあると思ったイェルヒは、どうせ歪むならばと思い、さらに魔法陣を加えた。
 歪むならば、汎用性のある、つまり変化されやすい場所の指定の部分。そこを、「不定」にした。
 通常、瞬間移動を使うのが難しいとされるのは、物体の再構成の部分。位置の指定はさほど難しくない。
 最後の仕上げに、位置の指定の術式をタイミングを見計らい、直接魔力を陣へ送り込む。

 イェルヒは、その場所の指定に、3つの条件を考慮した。
 まずは、自分がよく見知っている場所。これが確かなイメージであればあるほど、場所のズレが少なくなる。
 次に、広い場所。再構成場所にさまざまな物体があっては、失敗する恐れが高くなるからだ。
 そして、安全な場所であるところ。
 さて。今回の「安全」とは何か。

 あの重度の躁病にかかっている人物達から一刻も早く遠ざかり、一般の世界に戻ること。

 これ以外に無いとイェルヒは断言できる。
 以上の条件からイェルヒが思い当たったのは、とある公園だった。買出しに出かける時、近道として通り抜けるのに利用する公園だ。これで第一条件はクリア。
 今は昼過ぎ頃。通常ならば、そこは母と子供などが溢れ返って遊んでいる場所であろうが、昨日酒場で聞こえてきた話によると、昨日の昼ごろに街路樹に少女の死体が晒されるように放置されたという事件がその近くで起きたらしい。その翌日にその公園が賑わっている可能性は無い。第二条件クリア。
 そして、この古代文字の移動は、通常は、上下にしか移動しない。つまり、普通に考えれば、あの短時間でこの遺跡から、ソフィニアの市街地まで、通常ならば到達できるはずがない。
 これで第三条件もクリアのはず……だった。



 目の前に繰り広げられる光景に、イェルヒは目を疑った。

「嘘だろう……?」

 あまりの驚愕に、意識が遠のく。だが、ジュリアに服を引っ張られながらの「おい!」という声に我に返った。
 公園になだれこむ、クラークを先頭とする有象無象達。
 判断力が戻るのが少しだけ遅かった。クラークが、こちらの姿を認め、ニタリと笑みを作り、「ひゃへーい!」と叫びながらこちらに近づいて来る。
 こんな恐ろしい光景は今まで100年近く生きてきたが、見たことが無い。イェルヒは底冷えするほどの思いに襲われた。
 逃げなければ……!!
 そう、生存本能が叫ぶ。しかし、その直後、理性がささやいた。
 イェルヒは逃げようとするジュリアの肩を引っつかんでこちらを向かせる。

「離せ! あれが見えないのか!?」

「待て、アレを拘束するんだ!」

「はぁ? 何言ってるんだ、お前!」

 そう言って、付き合いきれないとばかりに、ジュリアは再び逃げ出そうとした。

「関係者だと思われるぞ。
 今なら口をふさぐことができる」

 ジュリアの動きが止まった。
 それ以上の言葉は何も必要なかった。
 即座に、彼女は今までに無い本気の顔を見せ、魔力の構成を練りだした。強い意志のこもった彼女の目のふちには、キラリとなにか光るものがあったがイェルヒは気づかないフリをした。なぜならば、きっと今の自分も同じ状態だろうからだ。
 イェルヒも即座に強化をつとめる。再び茨の魔法らしく、さきほどよりもサポートしやすかった。今度は戒めが目的であろうから、茨のしなやかさと強さの方向に流す。
 ジュリアの魔法が完成し、こちらにせまってくるクラークの目の前に茨の壁が立ちはだかった。
 さすがのクラークもそれには立ち止まる。茨の触手は更に伸びて分散し、クラークの体に巻きつき、口までもふさぐ。もがー、などという声が聞こえるが言葉にはなっていない。
 突然の茨の出現に警邏たちも驚いていたが、包丁を振り回す狂人が拘束されるのをみると、「おぉ」などとどよめき、クラークを囲んだ。
 数人の警邏がこちらに駆け寄るのが見える。あとは「いやぁ、大変ですね。なにが起こったんですか?」などと一般市民を装うだけだ。
 が、その駆け寄る警邏の後ろのクラークの異常にイェルヒは気づいた。
 茨の蔦が指の間にまでからまっているクラークの拳。それに握られた包丁の刃に、なにか文字らしきものが光る。近くでないのでハッキリと読み取れはしないが、十中八九、それは古代文字であろう。
 ブルブルと震えていた腕が急にピタリと動きが止まり、いきなり滑らかな動きで茨を断ち切った。

 イェルヒはそのとき、思い当たった。
 ただ、ひとつ、この男がここにいることが可能な方法を。

 パジオの遺跡から、ソフィニアまで、100mダッシュのペースを保ったまま走り続けること。

「もぎょぉぉぉぉう!!!!」

 クラークはなぜか断ち切った茨をくわえたまま叫んだ。
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2007/02/10 16:56 | Comments(0) | TrackBack() | ●もやしーず
イェルヒ&ジュリア32/ジュリア(小林悠輝)
キャスト:ジュリア  イェルヒ
場所:魔法都市ソフィニア -公園
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 何の脈絡もなく茨が燃え上がり、灰になって風に溶けた。

「魔剣が目覚めたぞ!」

 と叫んだのは、誰だったかよくわからないが、なんとなく、チャーハン魔王の声に似ていたかも知れない。こいつも全力で走り続けたのか――いや、もういい。魔王を自称するくらいだし、その程度のことはできるのだろう。

「ひゃらははははははははっ!」

 笑い声なのか奇声なのかよくわからない声が上がる。
 クラークは極めて楽しそうな表情で、包丁を振り回している。魔剣に取り憑かれるという話は何度か聞いたことがあるが、そういうものではない。彼は、彼の基準で常に正気のように見えた。一般の基準ではノーコメント。

「――化け物め!」

 硬直から立ち直ってとりあえず叫んでみた言葉は、我ながらひどく適確であるような気がした。ジュリアは危険な引き攣り笑いを口の端に刻んで、二度目の魔法を準備する。もういい手段は選ばない。止めればいいんだろ、止めれば?

 今回は、茨なんかもう適当でいい。むしろ適当でないものを作ってもういちど裁断されたらプライドに響く。もう半ば無意識に紡ぐことができる魔法だ。別のことに集中しながら意識の端で構築していく。

 その間にも馬鹿改め化け物は、やたら元気に公園の中を走り回っている。警邏や一般人を傷つける意志がなさそうなのは不幸中の幸いだろう。拘束を抜ける間に追いついてきた集団を引き離そうとしているらしい。

「おい」

 魔法の尋常でないほつれ方にぎょっとしたらしいエルフに、さっさと援護しろと勝手なことを言い返しながらクラークを睨む。これで発動だけはできるはずだ。
 そして、一瞬でも足を止められればそれでいい。止めを刺してやる。そのための呪文を早口に囁いていく。

「躍り踊ると形容され喰らい打ち倒す光は――」

 魔法を解き放つ。実体の薄い茨がクラークの足に絡まっていく。
 そんなことはどうでもいい。ジュリアはうろ覚えの呪文の最後を声高に叫んだ。
 何をしようとしているのか気づいたらしいエルフが、すごい形相で振り返ってきた。

「待て、それはマズい!」

「――緋く赭く朱く赤くここにある!」


 爆音。視界を灼く炎。
 クラークのいた場所に火柱が立ち上がる。


「キャアアアアッ!!」

「今度は何だ!?」

 いくつもの悲鳴が重なった。
 追っていた人々が慌てて足を止め、熱に押しやられて遠巻きに囲んで呆然と見上げる。

 警邏の一人が奇跡的に我に返り、「ちょっと君たち!」と言いながら近づいてきた。
 それを見たエルフが即座に他人のフリをしようとするのを見て、ジュリアはその首根っこを力いっぱい掴んだ。逃がすものか。

「放せッ」

「他に方法はなかったんだ!」

「他人だ! 俺とこの女は他人だ!」

「往生際が悪いぞっ」

「本当に他人だろうが!」

 そして目の前まで来た警邏が口を開こうとした瞬間――炎の中から雄叫びが轟いた。
 誰もが驚愕して振りかえる。

 悪魔の産声にも似た禍々しさ。炎は止まない。明らかにおかしい。そもそも、これだけ強力な魔術は扱えない。火柱が立った時点でおかしいということに今更ながら気づく。

 もう事態に取り残されすぎた人々が見守る中で、雄叫びは朗らかな笑い声に変わっていった。ジュリアは本気で戦慄し、半ば恐怖しながら火柱を凝視する。
 炎の中にうずくまる人影がゆらりと立ち上がるのが見えた。

「……まさか……」

 ざん、と、振るわれた刃の軌跡を追って、炎が寸断された。
 熱波を放出し散り消える炎。熱風が髪を揺らし皮膚がちりちりと痛んだ。

「びっくりしたんだなもし」

 そしてクラークは、相変わらず無駄に爽やかな笑顔で立っている。その姿に、炎に包まれていたという痕跡はまったくない。彼の手に握られた包丁の腹で、ぼんやりと読めない文字が輝いている。

 この場には似つかわしくない、爽やかな風が吹き抜けた。
 それと共に人垣の中から進み出たのはチャーハン魔王。

「それは、肉を切ったときに断面を熱することにより旨みと肉汁を閉じ込める包丁!
 封じられたあまりに強大な魔力ゆえ、総ゆる炎を制し、その料理に適した最高の火加減に調節するという」

 周囲の空気が歪み陽炎が見えるほどの闘気を纏い、彼は不敵な笑みを浮かべた。
 クラークは不思議そうに首を傾げている。

「その力を解き放つとは、ただものではないな!」

「そうなの?」

 ただものどころか大馬鹿者だ。
 そういえば馬鹿の数が足りないな、と思ったら、警邏に縛り倒されて猿轡まで噛まされてたルークとイマツが公園の隅に転がっているのが見えた。
 それを見ながらジュリアは口を開く。

「……で、何の用だ?」

「え? ああ、目の前で殺人が起こったかなと思ったけど気のせいだったみたいだ。
 確かに見たんだけどなぁ、おかしいなぁ、おかしいなあ!」

 目の前で固まっていた警邏は、投げやりに喚きながら仲間の元へ戻っていった。
 クラークとチャーハン魔王の二人は睨みあい、同時に動き出した。


 そして。


 米、葱、豚肉、人参、卵――あらゆるチャーハンの具材が宙を舞い、放たれた油が陽光を受けて輝き、炎と絡まる。究極の包丁と料理人による戦いが今、始まった。


2007/02/10 16:56 | Comments(0) | TrackBack() | ●もやしーず
イェルヒ&ジュリア33/イェルヒ(フンヅワーラー)
キャスト:ジュリア  イェルヒ
場所:魔法都市ソフィニア -公園
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 老人が、いた。
 その目は鋭い形を作っており、鼻も鷲のくちばしのように精悍で、眉山の傾斜も険しい。しかし、なによりも、その刻まれた顔面の皺が、彼の人生の厳しさを語っている。
 しかし、老人の切れ長のまぶたに収まっている目には、虚ろな鈍い光が宿っていた。
 老人は、椅子にだらしなく背を預け、空中を眺めていた。
 数ヶ月前、彼の伴侶が、突然神の御許へ召されてからというものの、彼のこの時間が増えた。
 老人の伴侶は、彼とは違い、いつもニコニコ笑っていた。無愛想でしかめっ面の彼に、笑顔で話しかけてくれたことのありがたさが、今になってわかった。
 老人は、仕事で、その厳しさを自分にも他にも求め、成果を得て、評価をされた。そして、そうやって勤勉に働き、長いことかけて貯めた財産で、小さな公園の近くに豪邸とは呼べないものの、立派な一軒家を建てた。昼間には子供達の声が聞こえる場所だ。子供に恵まれなかった彼ら老夫婦には、ささやかな安らぎを与えてくれた。
 しかし、今ではその声も、老人の心には響かなかった。あの安らぎは、ニコニコと笑いながら彼の隣で一緒に聞いてくれる者がいなければ、届かないものだったのだと、老人はぼんやりと気づいた。
 それを思って、ふいに、涙が出るか、と彼は覚悟した。だが、涙は出てこなかった。それがまた悲しかった。
 彼の肌のように枯れ果てた目に、大きな食器棚が映った。その中には、2人暮らしには似つかわしくないほど、大量の皿がつんである。
 彼の伴侶は、いつも、誰に対してでも笑顔だった。近所づきあいも広く、よく、いろんな人をこの家に招待して、彼女の趣味の料理の作品を披露していた。時には異国の料理も作るほど、彼女の好奇心とチャレンジ精神は旺盛だった。それらが、いつもあの大量の皿に載せられ、テーブルにところ狭しと並べられ、大勢の人々が談笑しながら食していた。
 時折、その時間は無口で人付き合いが苦手な老人にとっては苦痛な時間であったが、今思えば、あの時が一番幸せだった時間なのかもしれない、と老人は大量の皿を眺めてそう思った。
 なぜならば、あの時の彼の伴侶の笑顔は、本当に楽しそうだったからだ。

「あなたは駄目ですよ。そりゃぁ、おいしいとか、まずいとか言ってくれるいいアドバイザーですけどね。
 だって、あなた、何を食べても同じしかめっ面なんですもの」

 老人の伴侶は、そう言っては、困ったように、だけども本当におかしそうにコロコロと少女のように笑った。

 神は残酷だ。
 そりゃぁ彼女のような素晴らしい人を、自分の近くに置いておきたい気持ちは分かる。彼女といれば、わずかな事柄でさえも喜びを感じられ、幸せを心に灯してくれる。
 だが、神は、我々人間の時間の、神の存在に比べれは一瞬の時間さえも、削ってまで奪ったのだ。
 神に慈悲というものがあれば、あんなあっけない死を与えなくてもいいではないか。せめて、別れを告げる時間くらい……。

 彼は椅子から、のろのろと立ち上がった。そして、食器棚から皿を取り出した。
 客人はもう来ない。来たとしても、老人には料理を振舞うことができない。そして、なにより、彼女がいない。
 ならば、この皿は不要だ。

 皿を両手でつかみ、頭の上に高く掲げる。
 床に叩きつけようとした瞬間、窓から赤い光が差し込んだ。

 そういえば、と老人はそこで初めて気づいた。
 外が騒がしい。なにかの嬌声が聞こえる。子供の声ではない、大人の声だ。
 笑い声も聞こえる。狂ったような、しかし本当に楽しそうな、子供のような笑い方だ。
 老人は窓を覗いた。公園には多くの人が集まって騒いでいた。そしてその中心には、なにやらキャンプファイヤーをして、料理を作っている様子だった。
 老人は、皿を落とした。高く上げられていた手はすでに下ろされていたので、皿は割れることなく、ごわんごわんと間抜けな音を出しながら、縁で円を描いてのん気に回った。
 そこで、老人は、気づいた。
 彼は、涙を流していたのだった。

 枯れた身体から熱い一滴が、床に落ちて滲んだ。

 キャンプファイヤーで作られている料理は、よく彼の伴侶が作ってくれた、メニューだった。






 宙を舞い、跳ね踊る金色の米。
 熱々に炊かれた米が、溶き卵によって全体を均一に包まれ、米がふやかされる間も無く、瞬時に熱によってコーティングされた米だけが出せる色鮮やかで輝きさえ放っている色合い。
 その米の踊る様は、一つ一つが独立して自由を唄ってるかのようだった。これが、主義主張理想などの概念を遥かに超えた、誇りある真の自由だと。
 それは、もはやそれだけで食の芸術品だといえる代物だった。
 長年料理をするもの特有の、分厚い皮に覆われた指先から、白くきらめく塩が大胆にも鍋の大海へ撒かれる。その動作に不安など無い。まるで何かの舞のように優雅であった。
 次に、機敏に小刻みにたんたんたん、と手首のスナップをきかせ、胡椒が振り撒かれる。胡椒の刺激的な香りが、一気に食欲を増進させる。
 ふいに、チャーシューが肉汁を振りまきながら青空へと跳んだ。
 そこに、すぐさま炎をまとった包丁が一閃するかしないかの軌跡が見えた途端、程よく煮込まれたチャーシューは小さくサイコロ状にカットされ、太陽の光を一身に浴びて喜びの音と香りを立てながら金色の米の海原に泳ぎ出す。
 一見、わずかにでも触れてしまえば煮汁があふれ出そうなそのチャーシューは、実は肉が固くならない程度のギリギリの境界を見極めてのラインで、断面が焼かれており、その旨みのこめられた汁を、肉を構成している一つ一つの隙間に閉じ込めている。
 チャーシューを投入してから、炒められる時間はほんのわずかだ。熱しすぎてせっかくの絶妙な肉のタイミングを崩してはいけない。すぐに白ネギのみじん切りが入れられる。ネギの独特な香りがまだ散っておらず、それは刻みたてだということがすぐにわかる。
 白ネギは高温の鉄なべの中ですぐさま、香ばしい匂い発する。そして白ネギは飴色に変わり、その香ばしい匂いに、野菜が熱せられたときにしか出ない甘みが加えられる。その小さい破片にぎっしりと自然な甘みを含んだものは、綺麗に放物線を描き、再び鍋へ戻り、また放物線を描き、再び鍋へ戻る繰り返しの中で笑っていた。
 鼻腔をくすぐるそのなんともいえない香りは米へと移っていき、一体化する。そう、まさにここは豊穣の海。
 その香りが引き出され、そして散ってしまわない、絶頂の瞬間を見極める。男の顔に、なんともいえないほどうれしそうな笑みが浮かんだ。
 と、じょわわわわ、と鉄鍋が音を立てる。白い煙が舞い上がると、そこにいた誰もが全員思わず唾液が零れそうになり、ごくりと喉を鳴らしてそれを押さえる。
 醤油だ。あえて鍋肌に醤油を撒き、適度な”おこげ”のこうばしい香りを作る。米と食材には直接触れさせず、あくまで香りのみを加えるが目的であることが分かる。そう、男は、味はシンプルに、食材の本来の味と、そして塩のみで勝負するつもりだった。見てのとおり、具材もチャーシューと白ネギだけという超シンプルな構成である。このシンプルさだからこそ、料理人としての腕がはっきりとわかる。こんな恐ろしいメニューだからこそ、一品目にもってきた。
 醤油をいれたあと、鍋を2回だけ振り、その香りが飛ばないうちに、男はいくつかの皿に盛る。あえて形を整えず、パラパラな食感を楽しませるため、無造作に置かれていく。
 金のチャーハンは無造作に盛られているというのに、より、その美しさを増していた。
 そう、飾る必要など無い。これは、最高のチャーハンなのだから。
 すべて盛り終わると、男は2枚の皿を両手に持って、一つを炎の包丁を握る男に手渡した。
 そして、二人は、互いを牽制するように目を合わせながら、レンゲで黄金色に輝くチャーハンすくい、その美しさをためらうことなく口にし、ゆっくりと咀嚼する。
 両者はニヤリと不敵に笑った。

「……なかなかやるな。この火の加減の見極め、そして鍋を振るリズム、鍋と炎との距離。すべてが計算してあったというのか……」

「何を言う……。そっちも、絶妙な炎の調節だけでも驚いたというのに、チャーシューを焼きながら刻む具合を、鍋で炒めることを考慮していたとはな……。
 やはり、只者ではない」

 二人は、陰のある含み笑いをする。しかし、目の前のライバルの存在を喜んでいることは、生き生きと輝いている瞳から伺える。
 一方は包丁を握り、もう一方は鉄鍋を構える。そして、炎が二人を包むと、次のチャーハンが作られ始めた。
 海老が、ニンジンが、豚肉が、たまねぎが、青ネギが……無数の食材が、彼らと、煌めく米達を取り巻いた。



 そんな二人を遠巻きにして、イェルヒとジュリアは茫然と眺めていた。そんなに時間は経っていない。彼らのチャーハンの調理時間は、2分ほどのものだった。
 どこから持ってきたのか、いつの間にか揃いの皿が用意され、警邏も含め、周囲にいた人々が彼らの死闘の産物を、のん気に口にしていた。よくよく見ると、騒ぎのきっかけも何も知らない野次馬が次々と集まってきて、チャーハンを食しているのがわかる。中には、涙しながら食べている老人の男性まで見かけることができた。
 いつの間にか、「チャーハンを配る人」と自ら位置づけた人(いつでもどんなときでも、こういう人は必ずどこからか出てくるものである)が、イェルヒとジュリアに皿を差し出してきた。
 断る気力も無く、イェルヒとジュリアはそれを、うぅ、などと無意味な呻きを弱々しくあげながら受け取る。チャーハン配りの人は、そんな二人の様子を気にせず、次の人へと配りに戻った。
 おいしそうな匂いを湯気と共に立ち上らせるチャーハンを持ったまま、とある疑問がイェルヒの口からついてでた。

「……これは何がどうなったら勝敗がつくんだ」

「知らん」

 そう言うと、ジュリアは、ため息をついて、チャーハンをパクリと口にした。
 それを横目で見て、イェルヒも口にする。
 少し前まで、走ったり叫んだり頭を使ったりしたので、こんな良い匂いのするものを目の前にしてそれを拒否することなど、少ししにくいコトではあった。
 チャーハンはうまかった。ただ、普段から菜食生活をしているイェルヒは少し、油が多いなと思った。
 チャーハンを咀嚼しながら、次々と空中から食材が生み出される様を見て、イェルヒはぼんやり考えた。
 この、食品を無尽蔵に作り出すにしろ、取り出すにしろ、これは簡単な魔法ではない。しかし、チャーハン魔王は疲労することなく、次々と繰り出す。
 そういえば、彼は、どうやってあの遺跡から外に出たのだろう。脱出の文字は1つのみだったというのに。
 機会があれば聞いてみようか、と一瞬思ったが、「チャーハン魔法で脱出したから」などという答えを聞きたくなかったので、その質問は永遠に心の中に封印した。
 食べ終わると、今度は別の人がやってきて、「片付けましょうか?」と聞いてきたので空になった皿を渡した。ジュリアも同様に皿を渡す。

「さて。俺は学院に戻る。そして寝る。そして忘れる」

「私もすぐにでも旅立つ準備をする」

 一呼吸分の間を置き、同時に公園の出口へと向かう。次々と作られる多種のチャーハンを口にして楽しんでいる周囲の人々をすり抜け、公園の外に出る。
 そして、互いに別れの言葉も告げずにそれぞれの方向へ向かおうとした途端。
 空から、上品にスカートの裾をひらめかせながら、赤い鮮やかなドレスがスタンと舞い降りた。
 二人の体が、その鼻をつく匂いに硬直する。

「アラ。さっきも会いましたわね。ごきげんよう」

 紅生姜夫人こと、ベニ夫人である。 今度は先ほどとは違い、ピンク色のパラソルを持っている。だけども先ほどと同様に、紅生姜をバリバリと食べている。パラソルを持ちながら、器用に。

「そういえば、そちらのお嬢さん。先ほどの扉の先には、夫はいなかったですわよ?」

 あの鉄の固い扉を開けれたのか……と戦慄を覚えながら、教えを習ったことのあるリクラゼットがベニ夫人の夫でないことに、イェルヒは少しだけほっとした。
 ベニ夫人は、少女のように、ためらい無くまっすぐとジュリアの目を見つめる。責めるようでもなく、ただ純粋に疑問をぶつけるように。
 ジュリアは、そんな視線から逃げるように、決して目を合わせようとはしなかった。
 ベニ夫人の注目を最小限で食い止めようとするように、ぽつぽつとジュリアは、言葉を搾り出した。

「……チャーハン、魔王は、今……あっちで死闘を繰り広げて……チャーハンを」

「そうですの」 

 そう言って、ベニ夫人は、紅生姜を一掴みして、バリバリと小気味良い音を立てて食べる。

「じゃ、私は用事があるので……」

 そう言って、ジュリアは何気なさを装いながら歩き出そうとしたが、ベニ夫人は彼女の肩を掴んだ。赤い汁が付着した手で。

「今度はあなたにもついてきていただくことにしましたわ」

「なっ……」

 ベニ夫人の力は見かけによらず強く、ジュリアは引きずられて公園へと連れて行かれる。それはそうだ。力押しであの扉を開けれたのだからこんなことは造作も無いだろう。

「だ、だいたいどうやってここに来たんだ!? 理不尽な存在どもめ!!」

 ジュリアの罵声が聞こえる。それに、ベニ夫人はなんでもないように律儀に答えた。

「紅生姜魔法に決まってるじゃぁないですか」

 聞きたくなかった理論をここで聞くハメになるとは。
 軽く見送って、一息ついたイェルヒは、とりあえず帰って、紅茶の一杯でも飲もうかな、と思って帰路へ踏み出した。
 瞬間、イェルヒは顔面からこけた。
 何が起きたのか。即座に手をついて起き上がろうとすると、何かが足をひっつかんでイェルヒの進行方向とは逆へ引き込む。立てた腕で支えていた体はまたすぐに地面に落ち、イェルヒの顔面が路地にざりざりと摩り下ろされる。

「あだだだだだだだだ!」

 引きずられながらも必死に体を反転させて、仰向けにする。見ると、イェルヒの足に茨が巻きついており、それがイェルヒの体を引きずっていた。
 視点を遠くにやると、呪うような目つきでジュリアがぼそぼそと詠唱している。その瞳に宿るほの暗い炎は雄弁に語っていた。「一人で平穏な日常に戻れると思うなよ」と。
 恐怖にかられ、イェルヒはすぐに打ち消しの対抗魔法を編み出す。
 が、そのとき、地面に転がっていた赤ちゃんの拳ほどの石がイェルヒの尾てい骨を強く打った。

「おごぉぅ!」

 イェルヒの集中が途切れた。あっという間に霧散していく魔法の構成。
 その後も、背中もごりごりとその石はイェルヒの背中を蹂躙するが、その時にはイェルヒは声も出なかった。
 駄目押しに後頭部にそれは強く打ちつけ、イェルヒの頭の中は真っ白になった。
 わずかに残っていた魔法の式が完全に散った。



 イェルヒの飛んだ意識が再び戻った時、一番に目に入ったのは青空だった。
 すべてが終わっていることを望んだが、すぐに聞こえた叫び声がそれを砕く。

「あなた……!!」

 ……残念ながら、意識を失っていたのはほんの数秒だったらしい。顔面と、尾てい骨と、背中と、後頭部と……あとその他もろもろが痛む。頭の中身も朦朧としている。
 いつの間にか涙が出ていた。気絶をしている間にも涙は出てくるのだと、イェルヒは初めて知った。

「ベニー……、一体なんで君がここにいるんだい……!?」

 紅生姜夫人の夫の正体――クラークの声がする。

「あ、あなた……。それより、なんでアタクシの兄と……!?」

 思わぬ言葉にイェルヒは上半身だけ、少し起こす。
 そこには、チャーハン魔王を見つめるベニ夫人とクラーク。そして、冷ややかにベニ夫人を見返すチャーハン魔王。そして虚ろな目をしたジュリアがいた。
 そしてイェルヒのいる場所といえば……その両者の真ん中のワーストスポットだ。

「ベニー。久しぶりだな」

「お兄様……」

 紅生姜夫人は憂いを含んだ複雑そうな表情でチャーハン魔王を見つめる。
 対称的にチャーハン魔王はリクラゼットに見せた笑みからは想像のつかない、冷笑をベニ夫人に浴びせている。

「お前が家を飛び出して何年になるかな……」

「そ、そんなこと、お兄様には関係ないですわ!」

 怯える少女のように、ベニ夫人はクラークの腕にしがみつき、後ろに隠れる。

「そうか……家を飛び出し、お前が選んだのはその男というわけか……」

 冷たく固い笑みが緩み、チャーハン魔王の顔に一瞬だけ、寂しげながらも祝福の表情が浮かんだ。
 そして、再びまっすぐと紅生姜夫人とクラークを見つめた目からは、先ほどの嘲りの色は消えていた。

「なるほどな」

「そうよ! この人の……このクラークの情熱は、お兄様には負けませんわ! お兄様にはできなかった、紅生姜に合うチャーハンを、きっと……!!」

「お前はまだそんな夢を……。
 クラークとやらも、教えてやれ。その包丁の力をいとも簡単に解放できたんだ。お前の頭の中にはチャーハンの英知が流れ込んでいるはずだ。分かっているだろう……?」

「な、何をおっしゃりたいの!? お兄様……!? クラークも……」

 紅生姜夫人の問いかける視線から、クラークはつらそうに目をそらす。
 チャーハン魔王は哀れむような目で紅生姜夫人を見やる。

「そうか……私があの時、お前に言ってやれば、お前は家を出なかったかもしれなかったのだな……。
 これは私の業ということか……」

 悲しげに、チャーハン魔王は自嘲した。

「よかろう。あの時は、お前を傷つけまいと言うことができなかったが。言わないままであると、返ってお前を傷つけるということが、よくわかった……。
 よく聞くんだ、ベニー」

 紅生姜夫人は、これから聞く言葉に、恐怖と期待を混じり合わせたような、今にも泣きそうな顔になっていた。

「紅生姜は、薬味なんだ。具材には、なれない」

 チャーハン魔王と、クラークの目に、からかいの色はまったく無いと確信すると、張り詰めた糸が切れたように紅生姜夫人は、わぁぁぁぁぁ、とその場に泣き崩れた。
 ピンクのパラソルが、地面に落ちた。

 一体、こいつらは何がしたいんだ、とようやく意識がはっきりしてきたイェルヒはぼんやりと思った。




2007/02/10 16:57 | Comments(0) | TrackBack() | ●もやしーず
イェルヒ&ジュリア34/ジュリア(小林悠輝)
キャスト:ジュリア  イェルヒ
場所:魔法都市ソフィニア -公園
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 落ちたパラソルが、風に吹かれて転がった。
 崩れ落ちたベニ夫人。彼女を見下ろすチャーハン大王とクラークの目は痛々しい。

「知っていました――知っていましたわ!」

 号泣のためにひきつって、喉が裂けるのではないかと思うような悲痛な声だ。
 ベニ夫人は嗚咽を噛み殺そうと唇をきつく閉ざしたが、無駄な努力でしかなかった。肩が細かく震え、とまらない。それでも彼女は言葉にならない言葉を紡ごうと、必死に口を開く。

「紅生姜は…薬味です! だけどっ、だけど、だからといって……諦める、のは!
 試しもしないで諦めるなんて……! できない、できなかったの。お兄様はわかってくださらない……」

「ベニー……」

「だからアタクシは家を出たわ!」

 叫び声は高く谺した。
 散りかけていた人々の興味を引き、また人だかりができ始める。

「伝説のチャーハンソード……その力さえあれば、紅生姜に合う、アタクシが追い求め続けた究極のチャーハンが、実現すると思ったのに」

 ベニ夫人はキッと顔を上げた。涙に濡れた瞳はもう泣いていなかった。
 睨んでいるのはクラーク。しかしその目は彼を通り越して、運命を呪っているようにも見えた。クラークが初めてうろたえる。

「すまない……ベニー」

「あなた……約束してくれたじゃない! 必ずチャーハンソードを手に入れて、アタクシのために、紅生姜に合うチャーハンを作ってくださると!」

 一瞬の沈黙。
 そして。

 絶叫が空気を凍らせ、砕いた。



  「――――あの約束は嘘だったのねッ!?」









「さっさと世界が滅びればいいのに」

 ジュリアは至極真面目に言った。今日だけで何度そう思ったかわからない。
 もう、こいつら消えてくれとかそういう問題ではなくて、こいつらを生み出した土台そのものに問題がありすぎる気がする。チャーハンがそこそこおいしかったからと言って、それはまた別問題だ。

「滅びればいいのに」

 と、声が聞こえて自分の真横を見ると、いつの間にかエルフが立っていた。
 たぶん、チャーハンファミリーが盛り上がっている間に、こそこそと移動してきたのだろう。彼は恨みがましくジュリアを見た後、またおなじことを小声で呟いた。
 なんだかおなじくらい絶望しているようなので、聞いてみる。

「どうしようこいつら」

「ソフィニアの黒歴史がまた一つ、だな」

「隠蔽は?」

「俺はこの場から俺を隠蔽したい」

「…それが一番手っ取り早いか」

 互いに頷く。
 今なら逃げられる――むしろ今しかない、と。

 エルフの方からしたらさっきの時点で逃げられたはずなのにどうして今俺はここにいるんだろうとかそういう心境だろうが、そんなのは知ったことではない。
 一人で幸せになるのが許せなかっただけだ。巻き添えは多い方がいい。

 ついでに逃走の供も多い方がいい。
 いざとなったら蹴倒して生贄にできるから。
 大丈夫、遺跡の奥でも逃げきれた。だから今回もきっと。

 ゆっくりと体勢を低くして、クラウチングスタートで走り出す――その正に一瞬前に、チャーハンファミリーが一斉に振り向いてきた。あまりの不気味さに体が硬直する。その時点で負けだった。

「そういうわけで君たち!」

 憎たらしいほど清々しく言ったのはクラークだ。
 どういうわけだかさっぱりわからない。この馬鹿に関してはいつものことだが。

「今この場で、オレはベニーに愛の証を見せることになった!」

「素敵よクラーク!
 ついに挑んでくれるのね。アタクシの夢、紅生姜チャーハンに」

 フフフ☆ と夢見る瞳でベニ夫人はクラークを見上げた。
 少し離れたところで、チャーハン大魔王が二人の様子をじっと見ている。慈愛に溢れた目で、彼が説得されて折れたのだと知った。ずっともめててくれればよかったのに。

 クラークは、ジュリアとエルフの二人にズビシと指を――包丁ごと突きつけて片目をつぶった。殴りたいことこの上ない仕草にまで爽やかさを感じさせるところは、さすがといえばさすがだ。でもやっぱり殴りたい。

「見ていてくれ、オレが妻の願いを叶えられるかどうか!
 チャーハン大魔王の称号を受け継ぐことができるかどうか!!」

 ぶっちゃけどうでもいい。
 でもそれを言ってもまったく相手にされないことは確信できた。

 クラークが包丁を振りかざすと、その刃を追って炎がうず巻いた。野次馬がどよめく。それに背を押されたのか、クラークの表情に、今まで以上の自信がみなぎった。今ならできる、究極のチャーハンを、この世に生み出すことが!

 応えるように、黙したままだったチャーハン大王が進み出た。
 湧きあがる歓声の中、伝説を生み出そうとする男達は向かい合い――








 なんだかよくわからないまま、騒ぎは夜半過ぎまで続いた。
 世界なんか滅べばいいのに。

2007/02/10 16:58 | Comments(0) | TrackBack() | ●もやしーず
イェルヒ&ジュリア35/イェルヒ(フンヅワーラー)
キャスト:ジュリア  イェルヒ
場所:魔法都市ソフィニア、遺跡パジオ




 さて。結果から言ってしまおう。

 世界は滅ばなかった。
 
 あの2人の願いだけで、世界は滅ぶほど優しくはなかった。
 もし、世界という概念に意思があれば「何を言ってるんだ、コイツ」と、気を悪くするよりも、変なものを見るかのような目で見るだろう。もし、あなたはある日ハエの心の声が聞こえるようになり、その内一匹のハエが「人間なんて滅べばいいのに」と思っていることを知ってしまった時を想像してみれば、その気持ちは容易に分かるだろう。

 ……話が逸れた。
 結果。そう、結果だ。

 あの騒ぎは、人々が明かりを消し始める時間に終わった。
 興奮が最高潮に達した時、紅生姜チャーハンが完成した。
 チャーハン魔王、紅生姜夫人、クラーク。そして、この3人の絶望的なまでの希望を持った姿に感動したのだろう、ルーク、イマツ。さらには野次馬の中には奇人もいた。そのような面々の最後まで付き合った幾人かの人々は次々と倒れた。幸せそうに、あるいは、苦悶の表情を浮かべながら。

 さて。
 究極の紅生姜チャーハンのことだが。
 彼らの脳内には、エンドルフィンが多く分泌された状態だったので、それは客観的に評価されたものだとは言いがたいだろう。
 だが、それで満足できたのならば、いいのではないか。などと、関係のない私はそう思う。



 そう。あの2人だ。あの、女とエルフの男。
 あの2人は、紅生姜チャーハンが佳境に入る前に、見事逃げることができた。
 そのその頃になると、人々はある種のトランス状態に陥っていたので、逃げることは簡単だった。
 あの2人は、とてもじゃないが、あまりスマートとは言えない様で逃げた。
 
 女、ジュリアは、宿に帰ると、すぐさま旅支度をし、時間外営業を金と脅しで半ば強要するよう馬車を御者ごと借り出した。そして、夜中だというのにこの魔法都市から逃げるように、西の方角へ馬車を走らせた。
 後にその御者が語った言葉を紹介しよう。

「……えぇ、そうなんですよ。
 夜の移動なんて、賊や獣、もしかしたらとんでもないモンスターにまで襲われるようなもんでしょ? だから、私は断ったんですよ。いくら脅されようと、金をつまれようとねぇ。
 そりゃぁねぇ。いくら『全力を尽くしてそいつらを追い払う』とかって言われても……ねぇ。ギルドのAランクだとか言っていたけど……やっぱ、女性でしょ? それに、私もAランクのカードなんか初めて見ますし。偽造かもしれないし。……あ、いや、あとからホンモノって分かったんですけどね。そのときは、急ぎみたいだったから確かめる手段なんてありませんでしたからねぇ。
 まぁ、とにかく、頑として断ったんですよ。
 そしたらね、その女、どう言ったと思います?
 ……え? 私を殺す? いやいやいやいや。違いますよ

 『……街を燃やさなきゃいけなくなる』

 そう、言ったんですよ。ぼそりと、追い詰められたように。
 わたしはね、もぉ、すごい怖くて。目がね、本当に、本気なんですよ。
 こう……なんて言うんです? 鬼気迫るというか……幽鬼のような? そんな目をしながら、虚ろにつぶやいたんですよ。
 ……えぇ、行きましたよ。そりゃぁね、できやしないって頭の中では分かってたんですよ。ほら……あの頃、連続殺人事件、起きていたでしょ? 見回りも強化されてたから、例え放火しても、すぐにぼやのうちに消されるだろうし。
 でもねぇ……。なんていうか……あの女の目の中には、火に包まれたソフィニアの街が映っていたんですよ……。
 ……気のせい……じゃなかったと、私は、今でも思ってます……。
 …………。
 こ、こんなことをあなたに言うのもなんですけども……。あ、あの。あの日を境に、収まった、でしょう? その……もしかして、わたし、連続殺人犯を………い、いえ、なんでもないです。す、すみません、今のは忘れてください……」

 顔色悪く、目の下にはクマが出来ていた御者は、最後に、こう呟いた。

「……連続殺人犯は……まだ、つかまらないんですかね……」




 さて。もう一人のこと、エルフのイェルヒについての消息を話そう。
 彼は、学院の敷地内にある、割り当てられた生活棟に戻ると、さして親しくも無い顔見知り程度の同僚で同期の生徒部屋に乗り込んだ。薬学に関する研究を行っているその同僚生から、強力な睡眠剤を奪うようにして取っていった。「副作用の恐れがある」という制止の声も聞かずに。
 そしてすぐに自室に戻ると、しばらくはなにか物音を立てていたが、すぐに静かになり、そのまま朝を迎えた。
 朝食の時間になっても起きてこないのを心配した同僚生は、様子を見に行った。だが、鍵が閉まっていた。
 備え付けの鍵ではなく、魔法でかけた鍵らしく、扉は微塵も動かなかった。魔術の実践はあまり得意でなかったその青年は、周囲の寮生の強力を得て、どうにか扉をこじ開けた。
 その部屋は、あまりに異様であった。壁という壁には、ありったけの呪符が張られていた。その符には、効果を高めるようにしたのだろう、イェルヒの血を混ぜたインクで書かれていた。
 床には、乱暴に、しかし正確さを一向に失わず、護身に関する魔法陣が重厚に書き連ねてあり、イェルヒはその中に倒れていた。
 発見されたイェルヒは、すぐに介抱された。数日で体調は良くなったものの、周囲によると、記憶に障害が残ったらしく、なにやら混乱しているようだと語った。

 おかしいとは思ったんです。
 そう切り出して、睡眠薬を渡した同期の彼は語りだした。

「はい。彼のことは知っていました。あの……彼、エルフで、珍しいから、同期に近い人ならば、みんな彼のことを知っていると思います。だから、僕も……。話したことは数回だけなんですけどね。だから、あの夜は驚きました。とても。なんで僕のところに、って。
 あの……彼は、そう。『眠れる類のものは無いか』と、部屋に入るなり聞いたんです。怒鳴る……というか、なにか、とても焦っているような、そんな感じだったので、僕、更に驚いちゃって。
 で、彼は、部屋に入ってきて、探し出したんですよ。だから、僕は慌てて止めて、どうしたのか聞いたんだけど、聞いても何も答えてくれなくて……。
 で、よりにもよって、量を間違えると副作用のあるものを、彼は見つけてしまったんですよ。 止めました。もちろん。でも、聞いてはくれませんでした……。
 まぁ、僕も、優秀な彼のことだから、大丈夫だと思って、そんなに強くは止めなかったんですけど。でも、やっぱり、彼はあの時普通じゃなかったから、止めるべきだったと、今では思います。
 ……そういえば、副作用を説明したとき、彼は呟いたんです。あの時はよく聞き取れなくて確信が持てなかったんですけど……多分「丁度いい」って、呟いたんです……。
 彼のあの発言は……やはり、あの薬のせいなんです。じゃないと、普段は理論的な彼があんな滑稽な発言をするとは思えないんですよ。
 副作用、ですか?
 多量に飲んでしまうと、前後の記憶に障害が生じるんですよ。一番多いパターンは、数時間前から数日前ほど記憶の喪失ということなんですけども。まれに、その空白を自分で記憶を作って埋めてしまう症状もあるんです。
 ……彼は、あの作られた悪夢と引き換えに、どんな記憶を失ったのか、今となっては確かめる手段はありません」

 事実を、伝えておこう。イェルヒは記憶など、一切失っていなかった。人間とエルフは種が違っていたので、彼自身は多く服用したつもりだったが、エルフ種族にとっては適量の範囲内であった。
 混乱していたのは確かだ。失っているはずの記憶が……あの学生に言わせると「悪夢」が、鮮明に自分の脳の中にあぐらをかいて存在していたのだから。
 だから、思い余って口走ってしまったのだ。
 彼は、3日間、休養するよう、時間を与えられた。
 尚、彼がその「作られた悪夢」について喋ったのは、あの発見された直後のみで、口にすることは、もう二度となかったらしい。
 ただし、寝る前にはいつも、1枚の呪符をドアに貼る習慣がその日からできたという。



 寂れた遺跡に、2人の姿があった。
 一人は、老人。一人は、青年とも、壮年とも見える、年齢不詳の男。奇妙な組み合わせの2人は、散策するような足取りで、歩いていた。

「よりにもよって、ここに足を突っ込むとは、アイツも不運としか言いようがないな」

 しわがれた声で、しかし明瞭にかくしゃくと、老人は発音した。
 男は、それを受け、何も答えない。ただ、口元に貼り付けたような、わざとらしい笑みを浮かべている。
 しかし、老人はそんな男の様子を気にした様子はない。

「知っているか? 古代遺跡には、時折、今の技術では解明できないほどの文明の跡が見つかるんだよ。古代文字が、いい例だ。
 とある説では、私達とは違うが、非常に良く似た高等な種の文明の跡ではとかいうのがある。
 それも、1種だけでなく、複数、……魔力に秀でたもの、体質が違うものなど……存在するらしい」

 男は、そこで初めて口を開いた。

「僕みたいに?」

 軽く上げて見せる手は、異形だった。なんとも、まがまがしい6本指。

「……かもしれんな。どこかで血を引いているのかもしれんな」

 老人は、動じず、うなずいただけだった。

「話の途中、悪いけど。ここ」

 男は、六本指の1本を立て、床を差した。
 そこには、古代文字がひとつ。
 老人は立ち止まる。

「そういった、特殊な種は、いるんだよ。お前の他にも。
 だがな。今現在繁栄している……私のような、劣った種である多くの人間はな、そういうものを測れる物差しが足りないんだよ。わかるだろう?」

 やはり、男は答えない。
 老人は、床の古代文字に、引っかき傷をつけ、効力を失わせる。

「あーあ。貴重な、遺産が」

 途端、無責任にからかうよう、男が笑った。

「学院の、意志だ。私はその手足なだけだよ。
 学院としては、認めてはならん事実らしい。このような種は、認めては、な」

「度量が狭いね」

「そうだな。だから、古代文字を研究していた教師がここに興味を持ったが、学院は無視をしたこともあった。
 すごい、狭量なんだよ。組織というものはな」

 さて、と老人は男を振り返った。

「これで最後か?」

「そうだね。僕が感じられるほどの強さは、これくらいかな」

「じゃぁ、終いだ。報酬のそれは、くれてやっていいそうだ。学院は、持つことすら、厭うということらしい」

 六本指の男は、目を細めて笑った。

「じゃぁ、遠慮なく」

 そう言って、確認するよう、「それ」を出した。
 布につつまれてはいるが、その形状は……包丁。

「そうそう。何に興味を持ったかは知らんがな。これ以上、探るのはやめてくれ、と言っていたな。
 何をやってるのかは知らんがな」

 やる気のない嗜める言葉を、老人は男に言った。

「僕は、単に結果を知ろうとしているに過ぎないよ」

「それが、迷惑らしい」

「やっぱり、狭量だ」

 おかしそうに、男は笑った。

「あぁ、最後に、教えてくれないかな? あなたのお弟子さんのエルフについて」

「……構わんよ」

「特待の資格はどうなったの?」

 老人は、「つまらない質問だ」と呟いたものの、律儀に答えた。

「一応、通告から決定までの期間の短さと、今回の体調不良を理由に、今回だけは特別措置をしてもらうように、今度の会議に切り出す。
 アイツは成績だけはいいから、それでごり押しするさ」

「師弟愛」

 そのからかいの声を無視し、老人は遺跡の出口へと歩みだした。


2007/02/10 16:58 | Comments(0) | TrackBack() | ●もやしーず

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