キャスト:ジュリア イェルヒ
場所:魔法都市ソフィニア、遺跡パジオ
さて。結果から言ってしまおう。
世界は滅ばなかった。
あの2人の願いだけで、世界は滅ぶほど優しくはなかった。
もし、世界という概念に意思があれば「何を言ってるんだ、コイツ」と、気を悪くするよりも、変なものを見るかのような目で見るだろう。もし、あなたはある日ハエの心の声が聞こえるようになり、その内一匹のハエが「人間なんて滅べばいいのに」と思っていることを知ってしまった時を想像してみれば、その気持ちは容易に分かるだろう。
……話が逸れた。
結果。そう、結果だ。
あの騒ぎは、人々が明かりを消し始める時間に終わった。
興奮が最高潮に達した時、紅生姜チャーハンが完成した。
チャーハン魔王、紅生姜夫人、クラーク。そして、この3人の絶望的なまでの希望を持った姿に感動したのだろう、ルーク、イマツ。さらには野次馬の中には奇人もいた。そのような面々の最後まで付き合った幾人かの人々は次々と倒れた。幸せそうに、あるいは、苦悶の表情を浮かべながら。
さて。
究極の紅生姜チャーハンのことだが。
彼らの脳内には、エンドルフィンが多く分泌された状態だったので、それは客観的に評価されたものだとは言いがたいだろう。
だが、それで満足できたのならば、いいのではないか。などと、関係のない私はそう思う。
そう。あの2人だ。あの、女とエルフの男。
あの2人は、紅生姜チャーハンが佳境に入る前に、見事逃げることができた。
そのその頃になると、人々はある種のトランス状態に陥っていたので、逃げることは簡単だった。
あの2人は、とてもじゃないが、あまりスマートとは言えない様で逃げた。
女、ジュリアは、宿に帰ると、すぐさま旅支度をし、時間外営業を金と脅しで半ば強要するよう馬車を御者ごと借り出した。そして、夜中だというのにこの魔法都市から逃げるように、西の方角へ馬車を走らせた。
後にその御者が語った言葉を紹介しよう。
「……えぇ、そうなんですよ。
夜の移動なんて、賊や獣、もしかしたらとんでもないモンスターにまで襲われるようなもんでしょ? だから、私は断ったんですよ。いくら脅されようと、金をつまれようとねぇ。
そりゃぁねぇ。いくら『全力を尽くしてそいつらを追い払う』とかって言われても……ねぇ。ギルドのAランクだとか言っていたけど……やっぱ、女性でしょ? それに、私もAランクのカードなんか初めて見ますし。偽造かもしれないし。……あ、いや、あとからホンモノって分かったんですけどね。そのときは、急ぎみたいだったから確かめる手段なんてありませんでしたからねぇ。
まぁ、とにかく、頑として断ったんですよ。
そしたらね、その女、どう言ったと思います?
……え? 私を殺す? いやいやいやいや。違いますよ
『……街を燃やさなきゃいけなくなる』
そう、言ったんですよ。ぼそりと、追い詰められたように。
わたしはね、もぉ、すごい怖くて。目がね、本当に、本気なんですよ。
こう……なんて言うんです? 鬼気迫るというか……幽鬼のような? そんな目をしながら、虚ろにつぶやいたんですよ。
……えぇ、行きましたよ。そりゃぁね、できやしないって頭の中では分かってたんですよ。ほら……あの頃、連続殺人事件、起きていたでしょ? 見回りも強化されてたから、例え放火しても、すぐにぼやのうちに消されるだろうし。
でもねぇ……。なんていうか……あの女の目の中には、火に包まれたソフィニアの街が映っていたんですよ……。
……気のせい……じゃなかったと、私は、今でも思ってます……。
…………。
こ、こんなことをあなたに言うのもなんですけども……。あ、あの。あの日を境に、収まった、でしょう? その……もしかして、わたし、連続殺人犯を………い、いえ、なんでもないです。す、すみません、今のは忘れてください……」
顔色悪く、目の下にはクマが出来ていた御者は、最後に、こう呟いた。
「……連続殺人犯は……まだ、つかまらないんですかね……」
さて。もう一人のこと、エルフのイェルヒについての消息を話そう。
彼は、学院の敷地内にある、割り当てられた生活棟に戻ると、さして親しくも無い顔見知り程度の同僚で同期の生徒部屋に乗り込んだ。薬学に関する研究を行っているその同僚生から、強力な睡眠剤を奪うようにして取っていった。「副作用の恐れがある」という制止の声も聞かずに。
そしてすぐに自室に戻ると、しばらくはなにか物音を立てていたが、すぐに静かになり、そのまま朝を迎えた。
朝食の時間になっても起きてこないのを心配した同僚生は、様子を見に行った。だが、鍵が閉まっていた。
備え付けの鍵ではなく、魔法でかけた鍵らしく、扉は微塵も動かなかった。魔術の実践はあまり得意でなかったその青年は、周囲の寮生の強力を得て、どうにか扉をこじ開けた。
その部屋は、あまりに異様であった。壁という壁には、ありったけの呪符が張られていた。その符には、効果を高めるようにしたのだろう、イェルヒの血を混ぜたインクで書かれていた。
床には、乱暴に、しかし正確さを一向に失わず、護身に関する魔法陣が重厚に書き連ねてあり、イェルヒはその中に倒れていた。
発見されたイェルヒは、すぐに介抱された。数日で体調は良くなったものの、周囲によると、記憶に障害が残ったらしく、なにやら混乱しているようだと語った。
おかしいとは思ったんです。
そう切り出して、睡眠薬を渡した同期の彼は語りだした。
「はい。彼のことは知っていました。あの……彼、エルフで、珍しいから、同期に近い人ならば、みんな彼のことを知っていると思います。だから、僕も……。話したことは数回だけなんですけどね。だから、あの夜は驚きました。とても。なんで僕のところに、って。
あの……彼は、そう。『眠れる類のものは無いか』と、部屋に入るなり聞いたんです。怒鳴る……というか、なにか、とても焦っているような、そんな感じだったので、僕、更に驚いちゃって。
で、彼は、部屋に入ってきて、探し出したんですよ。だから、僕は慌てて止めて、どうしたのか聞いたんだけど、聞いても何も答えてくれなくて……。
で、よりにもよって、量を間違えると副作用のあるものを、彼は見つけてしまったんですよ。 止めました。もちろん。でも、聞いてはくれませんでした……。
まぁ、僕も、優秀な彼のことだから、大丈夫だと思って、そんなに強くは止めなかったんですけど。でも、やっぱり、彼はあの時普通じゃなかったから、止めるべきだったと、今では思います。
……そういえば、副作用を説明したとき、彼は呟いたんです。あの時はよく聞き取れなくて確信が持てなかったんですけど……多分「丁度いい」って、呟いたんです……。
彼のあの発言は……やはり、あの薬のせいなんです。じゃないと、普段は理論的な彼があんな滑稽な発言をするとは思えないんですよ。
副作用、ですか?
多量に飲んでしまうと、前後の記憶に障害が生じるんですよ。一番多いパターンは、数時間前から数日前ほど記憶の喪失ということなんですけども。まれに、その空白を自分で記憶を作って埋めてしまう症状もあるんです。
……彼は、あの作られた悪夢と引き換えに、どんな記憶を失ったのか、今となっては確かめる手段はありません」
事実を、伝えておこう。イェルヒは記憶など、一切失っていなかった。人間とエルフは種が違っていたので、彼自身は多く服用したつもりだったが、エルフ種族にとっては適量の範囲内であった。
混乱していたのは確かだ。失っているはずの記憶が……あの学生に言わせると「悪夢」が、鮮明に自分の脳の中にあぐらをかいて存在していたのだから。
だから、思い余って口走ってしまったのだ。
彼は、3日間、休養するよう、時間を与えられた。
尚、彼がその「作られた悪夢」について喋ったのは、あの発見された直後のみで、口にすることは、もう二度となかったらしい。
ただし、寝る前にはいつも、1枚の呪符をドアに貼る習慣がその日からできたという。
寂れた遺跡に、2人の姿があった。
一人は、老人。一人は、青年とも、壮年とも見える、年齢不詳の男。奇妙な組み合わせの2人は、散策するような足取りで、歩いていた。
「よりにもよって、ここに足を突っ込むとは、アイツも不運としか言いようがないな」
しわがれた声で、しかし明瞭にかくしゃくと、老人は発音した。
男は、それを受け、何も答えない。ただ、口元に貼り付けたような、わざとらしい笑みを浮かべている。
しかし、老人はそんな男の様子を気にした様子はない。
「知っているか? 古代遺跡には、時折、今の技術では解明できないほどの文明の跡が見つかるんだよ。古代文字が、いい例だ。
とある説では、私達とは違うが、非常に良く似た高等な種の文明の跡ではとかいうのがある。
それも、1種だけでなく、複数、……魔力に秀でたもの、体質が違うものなど……存在するらしい」
男は、そこで初めて口を開いた。
「僕みたいに?」
軽く上げて見せる手は、異形だった。なんとも、まがまがしい6本指。
「……かもしれんな。どこかで血を引いているのかもしれんな」
老人は、動じず、うなずいただけだった。
「話の途中、悪いけど。ここ」
男は、六本指の1本を立て、床を差した。
そこには、古代文字がひとつ。
老人は立ち止まる。
「そういった、特殊な種は、いるんだよ。お前の他にも。
だがな。今現在繁栄している……私のような、劣った種である多くの人間はな、そういうものを測れる物差しが足りないんだよ。わかるだろう?」
やはり、男は答えない。
老人は、床の古代文字に、引っかき傷をつけ、効力を失わせる。
「あーあ。貴重な、遺産が」
途端、無責任にからかうよう、男が笑った。
「学院の、意志だ。私はその手足なだけだよ。
学院としては、認めてはならん事実らしい。このような種は、認めては、な」
「度量が狭いね」
「そうだな。だから、古代文字を研究していた教師がここに興味を持ったが、学院は無視をしたこともあった。
すごい、狭量なんだよ。組織というものはな」
さて、と老人は男を振り返った。
「これで最後か?」
「そうだね。僕が感じられるほどの強さは、これくらいかな」
「じゃぁ、終いだ。報酬のそれは、くれてやっていいそうだ。学院は、持つことすら、厭うということらしい」
六本指の男は、目を細めて笑った。
「じゃぁ、遠慮なく」
そう言って、確認するよう、「それ」を出した。
布につつまれてはいるが、その形状は……包丁。
「そうそう。何に興味を持ったかは知らんがな。これ以上、探るのはやめてくれ、と言っていたな。
何をやってるのかは知らんがな」
やる気のない嗜める言葉を、老人は男に言った。
「僕は、単に結果を知ろうとしているに過ぎないよ」
「それが、迷惑らしい」
「やっぱり、狭量だ」
おかしそうに、男は笑った。
「あぁ、最後に、教えてくれないかな? あなたのお弟子さんのエルフについて」
「……構わんよ」
「特待の資格はどうなったの?」
老人は、「つまらない質問だ」と呟いたものの、律儀に答えた。
「一応、通告から決定までの期間の短さと、今回の体調不良を理由に、今回だけは特別措置をしてもらうように、今度の会議に切り出す。
アイツは成績だけはいいから、それでごり押しするさ」
「師弟愛」
そのからかいの声を無視し、老人は遺跡の出口へと歩みだした。
場所:魔法都市ソフィニア、遺跡パジオ
さて。結果から言ってしまおう。
世界は滅ばなかった。
あの2人の願いだけで、世界は滅ぶほど優しくはなかった。
もし、世界という概念に意思があれば「何を言ってるんだ、コイツ」と、気を悪くするよりも、変なものを見るかのような目で見るだろう。もし、あなたはある日ハエの心の声が聞こえるようになり、その内一匹のハエが「人間なんて滅べばいいのに」と思っていることを知ってしまった時を想像してみれば、その気持ちは容易に分かるだろう。
……話が逸れた。
結果。そう、結果だ。
あの騒ぎは、人々が明かりを消し始める時間に終わった。
興奮が最高潮に達した時、紅生姜チャーハンが完成した。
チャーハン魔王、紅生姜夫人、クラーク。そして、この3人の絶望的なまでの希望を持った姿に感動したのだろう、ルーク、イマツ。さらには野次馬の中には奇人もいた。そのような面々の最後まで付き合った幾人かの人々は次々と倒れた。幸せそうに、あるいは、苦悶の表情を浮かべながら。
さて。
究極の紅生姜チャーハンのことだが。
彼らの脳内には、エンドルフィンが多く分泌された状態だったので、それは客観的に評価されたものだとは言いがたいだろう。
だが、それで満足できたのならば、いいのではないか。などと、関係のない私はそう思う。
そう。あの2人だ。あの、女とエルフの男。
あの2人は、紅生姜チャーハンが佳境に入る前に、見事逃げることができた。
そのその頃になると、人々はある種のトランス状態に陥っていたので、逃げることは簡単だった。
あの2人は、とてもじゃないが、あまりスマートとは言えない様で逃げた。
女、ジュリアは、宿に帰ると、すぐさま旅支度をし、時間外営業を金と脅しで半ば強要するよう馬車を御者ごと借り出した。そして、夜中だというのにこの魔法都市から逃げるように、西の方角へ馬車を走らせた。
後にその御者が語った言葉を紹介しよう。
「……えぇ、そうなんですよ。
夜の移動なんて、賊や獣、もしかしたらとんでもないモンスターにまで襲われるようなもんでしょ? だから、私は断ったんですよ。いくら脅されようと、金をつまれようとねぇ。
そりゃぁねぇ。いくら『全力を尽くしてそいつらを追い払う』とかって言われても……ねぇ。ギルドのAランクだとか言っていたけど……やっぱ、女性でしょ? それに、私もAランクのカードなんか初めて見ますし。偽造かもしれないし。……あ、いや、あとからホンモノって分かったんですけどね。そのときは、急ぎみたいだったから確かめる手段なんてありませんでしたからねぇ。
まぁ、とにかく、頑として断ったんですよ。
そしたらね、その女、どう言ったと思います?
……え? 私を殺す? いやいやいやいや。違いますよ
『……街を燃やさなきゃいけなくなる』
そう、言ったんですよ。ぼそりと、追い詰められたように。
わたしはね、もぉ、すごい怖くて。目がね、本当に、本気なんですよ。
こう……なんて言うんです? 鬼気迫るというか……幽鬼のような? そんな目をしながら、虚ろにつぶやいたんですよ。
……えぇ、行きましたよ。そりゃぁね、できやしないって頭の中では分かってたんですよ。ほら……あの頃、連続殺人事件、起きていたでしょ? 見回りも強化されてたから、例え放火しても、すぐにぼやのうちに消されるだろうし。
でもねぇ……。なんていうか……あの女の目の中には、火に包まれたソフィニアの街が映っていたんですよ……。
……気のせい……じゃなかったと、私は、今でも思ってます……。
…………。
こ、こんなことをあなたに言うのもなんですけども……。あ、あの。あの日を境に、収まった、でしょう? その……もしかして、わたし、連続殺人犯を………い、いえ、なんでもないです。す、すみません、今のは忘れてください……」
顔色悪く、目の下にはクマが出来ていた御者は、最後に、こう呟いた。
「……連続殺人犯は……まだ、つかまらないんですかね……」
さて。もう一人のこと、エルフのイェルヒについての消息を話そう。
彼は、学院の敷地内にある、割り当てられた生活棟に戻ると、さして親しくも無い顔見知り程度の同僚で同期の生徒部屋に乗り込んだ。薬学に関する研究を行っているその同僚生から、強力な睡眠剤を奪うようにして取っていった。「副作用の恐れがある」という制止の声も聞かずに。
そしてすぐに自室に戻ると、しばらくはなにか物音を立てていたが、すぐに静かになり、そのまま朝を迎えた。
朝食の時間になっても起きてこないのを心配した同僚生は、様子を見に行った。だが、鍵が閉まっていた。
備え付けの鍵ではなく、魔法でかけた鍵らしく、扉は微塵も動かなかった。魔術の実践はあまり得意でなかったその青年は、周囲の寮生の強力を得て、どうにか扉をこじ開けた。
その部屋は、あまりに異様であった。壁という壁には、ありったけの呪符が張られていた。その符には、効果を高めるようにしたのだろう、イェルヒの血を混ぜたインクで書かれていた。
床には、乱暴に、しかし正確さを一向に失わず、護身に関する魔法陣が重厚に書き連ねてあり、イェルヒはその中に倒れていた。
発見されたイェルヒは、すぐに介抱された。数日で体調は良くなったものの、周囲によると、記憶に障害が残ったらしく、なにやら混乱しているようだと語った。
おかしいとは思ったんです。
そう切り出して、睡眠薬を渡した同期の彼は語りだした。
「はい。彼のことは知っていました。あの……彼、エルフで、珍しいから、同期に近い人ならば、みんな彼のことを知っていると思います。だから、僕も……。話したことは数回だけなんですけどね。だから、あの夜は驚きました。とても。なんで僕のところに、って。
あの……彼は、そう。『眠れる類のものは無いか』と、部屋に入るなり聞いたんです。怒鳴る……というか、なにか、とても焦っているような、そんな感じだったので、僕、更に驚いちゃって。
で、彼は、部屋に入ってきて、探し出したんですよ。だから、僕は慌てて止めて、どうしたのか聞いたんだけど、聞いても何も答えてくれなくて……。
で、よりにもよって、量を間違えると副作用のあるものを、彼は見つけてしまったんですよ。 止めました。もちろん。でも、聞いてはくれませんでした……。
まぁ、僕も、優秀な彼のことだから、大丈夫だと思って、そんなに強くは止めなかったんですけど。でも、やっぱり、彼はあの時普通じゃなかったから、止めるべきだったと、今では思います。
……そういえば、副作用を説明したとき、彼は呟いたんです。あの時はよく聞き取れなくて確信が持てなかったんですけど……多分「丁度いい」って、呟いたんです……。
彼のあの発言は……やはり、あの薬のせいなんです。じゃないと、普段は理論的な彼があんな滑稽な発言をするとは思えないんですよ。
副作用、ですか?
多量に飲んでしまうと、前後の記憶に障害が生じるんですよ。一番多いパターンは、数時間前から数日前ほど記憶の喪失ということなんですけども。まれに、その空白を自分で記憶を作って埋めてしまう症状もあるんです。
……彼は、あの作られた悪夢と引き換えに、どんな記憶を失ったのか、今となっては確かめる手段はありません」
事実を、伝えておこう。イェルヒは記憶など、一切失っていなかった。人間とエルフは種が違っていたので、彼自身は多く服用したつもりだったが、エルフ種族にとっては適量の範囲内であった。
混乱していたのは確かだ。失っているはずの記憶が……あの学生に言わせると「悪夢」が、鮮明に自分の脳の中にあぐらをかいて存在していたのだから。
だから、思い余って口走ってしまったのだ。
彼は、3日間、休養するよう、時間を与えられた。
尚、彼がその「作られた悪夢」について喋ったのは、あの発見された直後のみで、口にすることは、もう二度となかったらしい。
ただし、寝る前にはいつも、1枚の呪符をドアに貼る習慣がその日からできたという。
寂れた遺跡に、2人の姿があった。
一人は、老人。一人は、青年とも、壮年とも見える、年齢不詳の男。奇妙な組み合わせの2人は、散策するような足取りで、歩いていた。
「よりにもよって、ここに足を突っ込むとは、アイツも不運としか言いようがないな」
しわがれた声で、しかし明瞭にかくしゃくと、老人は発音した。
男は、それを受け、何も答えない。ただ、口元に貼り付けたような、わざとらしい笑みを浮かべている。
しかし、老人はそんな男の様子を気にした様子はない。
「知っているか? 古代遺跡には、時折、今の技術では解明できないほどの文明の跡が見つかるんだよ。古代文字が、いい例だ。
とある説では、私達とは違うが、非常に良く似た高等な種の文明の跡ではとかいうのがある。
それも、1種だけでなく、複数、……魔力に秀でたもの、体質が違うものなど……存在するらしい」
男は、そこで初めて口を開いた。
「僕みたいに?」
軽く上げて見せる手は、異形だった。なんとも、まがまがしい6本指。
「……かもしれんな。どこかで血を引いているのかもしれんな」
老人は、動じず、うなずいただけだった。
「話の途中、悪いけど。ここ」
男は、六本指の1本を立て、床を差した。
そこには、古代文字がひとつ。
老人は立ち止まる。
「そういった、特殊な種は、いるんだよ。お前の他にも。
だがな。今現在繁栄している……私のような、劣った種である多くの人間はな、そういうものを測れる物差しが足りないんだよ。わかるだろう?」
やはり、男は答えない。
老人は、床の古代文字に、引っかき傷をつけ、効力を失わせる。
「あーあ。貴重な、遺産が」
途端、無責任にからかうよう、男が笑った。
「学院の、意志だ。私はその手足なだけだよ。
学院としては、認めてはならん事実らしい。このような種は、認めては、な」
「度量が狭いね」
「そうだな。だから、古代文字を研究していた教師がここに興味を持ったが、学院は無視をしたこともあった。
すごい、狭量なんだよ。組織というものはな」
さて、と老人は男を振り返った。
「これで最後か?」
「そうだね。僕が感じられるほどの強さは、これくらいかな」
「じゃぁ、終いだ。報酬のそれは、くれてやっていいそうだ。学院は、持つことすら、厭うということらしい」
六本指の男は、目を細めて笑った。
「じゃぁ、遠慮なく」
そう言って、確認するよう、「それ」を出した。
布につつまれてはいるが、その形状は……包丁。
「そうそう。何に興味を持ったかは知らんがな。これ以上、探るのはやめてくれ、と言っていたな。
何をやってるのかは知らんがな」
やる気のない嗜める言葉を、老人は男に言った。
「僕は、単に結果を知ろうとしているに過ぎないよ」
「それが、迷惑らしい」
「やっぱり、狭量だ」
おかしそうに、男は笑った。
「あぁ、最後に、教えてくれないかな? あなたのお弟子さんのエルフについて」
「……構わんよ」
「特待の資格はどうなったの?」
老人は、「つまらない質問だ」と呟いたものの、律儀に答えた。
「一応、通告から決定までの期間の短さと、今回の体調不良を理由に、今回だけは特別措置をしてもらうように、今度の会議に切り出す。
アイツは成績だけはいいから、それでごり押しするさ」
「師弟愛」
そのからかいの声を無視し、老人は遺跡の出口へと歩みだした。
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