キャスト:ジュリア
場所:ソフィニア
--------------------------------------------------------------------------
友人曰く。或いは、良識のある人間曰く。
――“明らかに挙動不審な者には関わるな。”
至極尤もな見識だと思う。怪しい人とお付き合いすると、大抵においてロクな目に遭わない。遭ったという話も聞いたことはあるような気もするが……それは、例外中の例外だ。
最初に誰が言ったのかは知らないけど、それが誰であろうと関係ない。
誰もが同意し実践する。これほどまでにポピュラーな名言が他にあろうか。
ジュリアは半眼で男を見遣った。
この名言、問題なのは、遅かれ早かれ手遅れになってから思い出すという一点。
「――浪漫ってわかるかい? お姉さん。
浪漫。それは男の……いや違う。漢[ヲトコ]の生き様。
なんというか、たとえるなら空を駆けるひとすじの……」
「あのさ」
べらべらと喋り続ける男の話が、どうしようもなく危ない方向に向かっているのを感じ取って、それまで我慢していたジュリアは口を開いた。
「私は神ほど寛容じゃないよ」
「神さまの心の広さを知ってるのかいー?」
しばきたおしてしまおうか。
体格がいいとはお世辞には言えないとはいえ、相手はいちおう男。一撃で沈めるのは難しそうだ。
だったら、魔法で黙らせる?
それこそ却下だ。こんな人通りの多い場所で目立つことはしたくない。そして、犯罪者にもなりたくない。
「たとえば……お前が教会へ行って、いま私にしていたのと同じような調子で喋り倒したとしよう」
「たまに男みたいな喋り方するね、お姉さん」
明らかに相手の方が年上だ。
黙殺して、ジュリアは続けた。
「謎の落雷も、天井の剥離落下も、教会の倒壊もなしに、お前が無事に出てこられたら、神は寛容なんだろう」
「ふーん」
特別に皮肉めいた響きもない声で男は呟いて頷いた。
もしも、本当に納得したのだとしたら大物だ。
「私だったら天罰を下さずにいられないから」
「お姉さん、オレのこと嫌い?」
カンが鈍すぎるというわけでもないらしい。もう少し早く気づいてくれると常人並みなんだけど。
思うだけに留めておいて、口に出しはしなかった。
元々ジュリアは無口な方だ。必要以上に喋るのは、疲れるからあまり好きではない。もちろん、趣味の領域のこととなれば話は別であるが……
そんなことは関係なく、話をしていて楽しい相手ではないだろう。どう転んでも気が合うタイプではない。この男と仲良く談笑できるような人間(それ以外含)ともお近づきになりたくない。
さっきから自分の口数が多いような気がする。初対面の他人に対しては、に限定してではあるが。
溜息をつきかけてやめた。むかし誰かが「溜息の数だけ幸運が逃げる」と言っていた気がするから。
他人の言葉に踊らされながら日々を過ごすというのは悪くない。
「とにかく、そういうわけであの地図はとっても大切なものなのさー」
何が“そういうわけで”なのかよくわからなかったが、ジュリアは頷いておいた。これ以上ツッコミを入れても無駄だろう。ギルドにでも連れて行って、誰かにこの厄介物を押し付けてしまうのが最善だ。
タライ回しというよりは、バトンリレー。
「何の地図だか聞きたい? 聞きたいよね?」
「さっき、宝の地図って聞いたから、二度目はイラナイ」
「ノリ悪いねお姉さん」
しばきたおしてしまおうか。再度その思いが脳裏を掠めた。あまりに魅力的な誘惑に耐えるため――この男が石畳に沈むのは歓迎だが、目撃者がいてはマズい――、ジュリアは通りの向こうに目をやった。
昼間は騒がしかったが、夜になれば人通りはそれなりにある。
急ぎの馬車がトップスピードでやってきて男をお空の星にしてくれないかと物騒なことを考えかけながら歩を進める。隣でまた何か喚いているようだったが意図してすべて聞き流す。
すぐにギルドの建物が見えてきた。
これでようやく、この男とサヨナラすることができる。そう気を緩めたその一瞬、世界から乖離させていた鬱陶しいお喋りが甦り。
「――その遺跡には魔剣があるのさ」
「……なに?」
あまりに突拍子のない一言に思わず問い返す。即座に後悔したが、表情に出すことなくジュリアは男を見上げた。緑の双眸が見下ろしてくる。
自分の身長がこの男よりも低いということに意味のない苛立ちを覚えた。男の軽薄な声が自分のよりも低いということにも。
両方とも、当たり前であるのはわかっているが。
別に見下ろしたいわけではないし、ドスの利いた声で喋りたいわけでもない。ただ、男の存在そのものを気分よく思っていないからだろう。
「やっと反応したね」
ニヤリと、いたずらに成功した悪ガキのように男が笑った。
「昔の魔法使いが作った、恐ろしい魔剣があるのさ。
無理だと思うけどいちおう言ってみよう。聞いて驚け。さあ驚け」
「……私を無感動だと思っている?」
どうもさっきから会話が噛み合わない。噛み合わせたくないから意図的にズラしている分を差し引いても。
「なんと!
いちど手にすると、ことあるごとにチャーハンを作りたくなる呪いのナイフ!」
「さよなら」
「ちょ、ちょっと待とう! 氷水が氷になったみたいにならなくてもー」
即座に踵を返すが、よくわからないことを言いながら男は追いすがってきた。
ジュリアは毒虫でも見るような目で相手を捉えて……捕えて、
「何、そのくだらないもの」
場所:ソフィニア
--------------------------------------------------------------------------
友人曰く。或いは、良識のある人間曰く。
――“明らかに挙動不審な者には関わるな。”
至極尤もな見識だと思う。怪しい人とお付き合いすると、大抵においてロクな目に遭わない。遭ったという話も聞いたことはあるような気もするが……それは、例外中の例外だ。
最初に誰が言ったのかは知らないけど、それが誰であろうと関係ない。
誰もが同意し実践する。これほどまでにポピュラーな名言が他にあろうか。
ジュリアは半眼で男を見遣った。
この名言、問題なのは、遅かれ早かれ手遅れになってから思い出すという一点。
「――浪漫ってわかるかい? お姉さん。
浪漫。それは男の……いや違う。漢[ヲトコ]の生き様。
なんというか、たとえるなら空を駆けるひとすじの……」
「あのさ」
べらべらと喋り続ける男の話が、どうしようもなく危ない方向に向かっているのを感じ取って、それまで我慢していたジュリアは口を開いた。
「私は神ほど寛容じゃないよ」
「神さまの心の広さを知ってるのかいー?」
しばきたおしてしまおうか。
体格がいいとはお世辞には言えないとはいえ、相手はいちおう男。一撃で沈めるのは難しそうだ。
だったら、魔法で黙らせる?
それこそ却下だ。こんな人通りの多い場所で目立つことはしたくない。そして、犯罪者にもなりたくない。
「たとえば……お前が教会へ行って、いま私にしていたのと同じような調子で喋り倒したとしよう」
「たまに男みたいな喋り方するね、お姉さん」
明らかに相手の方が年上だ。
黙殺して、ジュリアは続けた。
「謎の落雷も、天井の剥離落下も、教会の倒壊もなしに、お前が無事に出てこられたら、神は寛容なんだろう」
「ふーん」
特別に皮肉めいた響きもない声で男は呟いて頷いた。
もしも、本当に納得したのだとしたら大物だ。
「私だったら天罰を下さずにいられないから」
「お姉さん、オレのこと嫌い?」
カンが鈍すぎるというわけでもないらしい。もう少し早く気づいてくれると常人並みなんだけど。
思うだけに留めておいて、口に出しはしなかった。
元々ジュリアは無口な方だ。必要以上に喋るのは、疲れるからあまり好きではない。もちろん、趣味の領域のこととなれば話は別であるが……
そんなことは関係なく、話をしていて楽しい相手ではないだろう。どう転んでも気が合うタイプではない。この男と仲良く談笑できるような人間(それ以外含)ともお近づきになりたくない。
さっきから自分の口数が多いような気がする。初対面の他人に対しては、に限定してではあるが。
溜息をつきかけてやめた。むかし誰かが「溜息の数だけ幸運が逃げる」と言っていた気がするから。
他人の言葉に踊らされながら日々を過ごすというのは悪くない。
「とにかく、そういうわけであの地図はとっても大切なものなのさー」
何が“そういうわけで”なのかよくわからなかったが、ジュリアは頷いておいた。これ以上ツッコミを入れても無駄だろう。ギルドにでも連れて行って、誰かにこの厄介物を押し付けてしまうのが最善だ。
タライ回しというよりは、バトンリレー。
「何の地図だか聞きたい? 聞きたいよね?」
「さっき、宝の地図って聞いたから、二度目はイラナイ」
「ノリ悪いねお姉さん」
しばきたおしてしまおうか。再度その思いが脳裏を掠めた。あまりに魅力的な誘惑に耐えるため――この男が石畳に沈むのは歓迎だが、目撃者がいてはマズい――、ジュリアは通りの向こうに目をやった。
昼間は騒がしかったが、夜になれば人通りはそれなりにある。
急ぎの馬車がトップスピードでやってきて男をお空の星にしてくれないかと物騒なことを考えかけながら歩を進める。隣でまた何か喚いているようだったが意図してすべて聞き流す。
すぐにギルドの建物が見えてきた。
これでようやく、この男とサヨナラすることができる。そう気を緩めたその一瞬、世界から乖離させていた鬱陶しいお喋りが甦り。
「――その遺跡には魔剣があるのさ」
「……なに?」
あまりに突拍子のない一言に思わず問い返す。即座に後悔したが、表情に出すことなくジュリアは男を見上げた。緑の双眸が見下ろしてくる。
自分の身長がこの男よりも低いということに意味のない苛立ちを覚えた。男の軽薄な声が自分のよりも低いということにも。
両方とも、当たり前であるのはわかっているが。
別に見下ろしたいわけではないし、ドスの利いた声で喋りたいわけでもない。ただ、男の存在そのものを気分よく思っていないからだろう。
「やっと反応したね」
ニヤリと、いたずらに成功した悪ガキのように男が笑った。
「昔の魔法使いが作った、恐ろしい魔剣があるのさ。
無理だと思うけどいちおう言ってみよう。聞いて驚け。さあ驚け」
「……私を無感動だと思っている?」
どうもさっきから会話が噛み合わない。噛み合わせたくないから意図的にズラしている分を差し引いても。
「なんと!
いちど手にすると、ことあるごとにチャーハンを作りたくなる呪いのナイフ!」
「さよなら」
「ちょ、ちょっと待とう! 氷水が氷になったみたいにならなくてもー」
即座に踵を返すが、よくわからないことを言いながら男は追いすがってきた。
ジュリアは毒虫でも見るような目で相手を捉えて……捕えて、
「何、そのくだらないもの」
PR
キャスト:イェルヒ
場所:ソフィニア
----------------------------------------------------------------
辞書で「浪漫」の項を、イェルヒは静かに閉じた。
「つまりは、現実逃避の誇大妄想か」
この辞書の「浪漫」の解釈に、多少の歪みがあるということを感じ取ってはいるものの、イェルヒはこの編者の意見に深く賛同していた。
「男の浪漫、ここにあり」と書かれている地図を広げる。
イェルヒは、落ち着いていた。
行き先は同じなのだ。
明日朝早く行けば、事情を説明して地図の交換を申し込めばいいのだ。
遺跡もボランティアを要請するほどだ。ちゃんと管理がされ、入り口に監視人などいるに違いない。
つまり、 相手の方が早く着いていたとしても、あの地図を持っている者は『ボランティアをしなければならない』のだ。ロマンを追い求める馬鹿が、そんなものを好き好んでするとも思えない。
だいたい、そのロマン……恐らく財宝の類、もしくは仕掛け等だろうが……は、現段階で存在するのか。と、イェルヒは考える。
大掛かりな調査の終わっている遺跡だ。その『ロマン』は発掘、もしくは解明されているのではないか。
「宝の地図」だとかを発見して、その場所に行ったはいいものの、既にそこは発見されており、荒らされているということは、よくある話だ。
今回のこの遺跡は、比較的ソフィニアの近郊にあるということで観光地化されるようなので、荒らされるということはないだろう。が、発掘されたものは、ゆくゆくはその遺跡に展示されるものの、現段階では保管されているはずだ。
「男の浪漫、ここにあり」の文字を眺める。
いかにも頭の悪そうな文字だ。もともと汚い字体を、変な努力をして、派手に見せようとしながら加工をしながら書いた文字だ。
これを書いた人物も、それに触発された人物も、そこまで考えているとも思えない。……偏見だと言われようとも、ロマンを「浪漫」と漢字でわざわざ書いてある人物に、イェルヒは、どうしても好意的にはなれない。辞書を引いた後は、更にその思いが強くなった。
ふと、思考を切り替える。
最悪の事態を考えよう。
最悪の事態とはなにか。それは、イェルヒの地図を返してくれないこと。
その事態になるには、どのような理由が考えられるか。それは、イェルヒが財宝を横取りしようと勘違いされること……。
……誇大妄想(ロマンチスト)ならではの勘違い。ありえない話ではない。
その可能性を想像し、一瞬にしてイェルヒの背筋に鳥肌が立った。
まさか、そこまでの馬鹿ではあるまい。
そう、頭の中では判断する。が、隅っこあたりで何か……いわゆる『嫌な予感』だとかを知らせているのを、イェルヒは無視できなかった。
明日の荷物に、念のため、魔術発動の杖を沿え、イェルヒは寝る準備を始めた。
明日は、早いのだ。
場所:ソフィニア
----------------------------------------------------------------
浪漫(ロマン)
〔フ roman〕
1 壮大なスケールの構想とドラマチックな筋立てを経(タテイト)とし、青春の叙情性と深く湛(タタ)えられた神秘性などを緯(ヨコイト)として織り成された(長編)物語。
用例・作例
ミステリー―・海洋―
2 △厳しい現実(退屈な毎日の生活)に疲れがちな人びとが、潤いや安らぎを与えてくれるものとして求めてやまない世界。また、それを求める心。
用例・作例
古代史の―〔=なぞ〕に挑む
―〔=夢〕をかきたてる
男の―〔=理想〕
―〔=甘美な世界〕へのいざない
ローマン。
辞書で「浪漫」の項を、イェルヒは静かに閉じた。
「つまりは、現実逃避の誇大妄想か」
この辞書の「浪漫」の解釈に、多少の歪みがあるということを感じ取ってはいるものの、イェルヒはこの編者の意見に深く賛同していた。
「男の浪漫、ここにあり」と書かれている地図を広げる。
イェルヒは、落ち着いていた。
行き先は同じなのだ。
明日朝早く行けば、事情を説明して地図の交換を申し込めばいいのだ。
遺跡もボランティアを要請するほどだ。ちゃんと管理がされ、入り口に監視人などいるに違いない。
つまり、 相手の方が早く着いていたとしても、あの地図を持っている者は『ボランティアをしなければならない』のだ。ロマンを追い求める馬鹿が、そんなものを好き好んでするとも思えない。
だいたい、そのロマン……恐らく財宝の類、もしくは仕掛け等だろうが……は、現段階で存在するのか。と、イェルヒは考える。
大掛かりな調査の終わっている遺跡だ。その『ロマン』は発掘、もしくは解明されているのではないか。
「宝の地図」だとかを発見して、その場所に行ったはいいものの、既にそこは発見されており、荒らされているということは、よくある話だ。
今回のこの遺跡は、比較的ソフィニアの近郊にあるということで観光地化されるようなので、荒らされるということはないだろう。が、発掘されたものは、ゆくゆくはその遺跡に展示されるものの、現段階では保管されているはずだ。
「男の浪漫、ここにあり」の文字を眺める。
いかにも頭の悪そうな文字だ。もともと汚い字体を、変な努力をして、派手に見せようとしながら加工をしながら書いた文字だ。
これを書いた人物も、それに触発された人物も、そこまで考えているとも思えない。……偏見だと言われようとも、ロマンを「浪漫」と漢字でわざわざ書いてある人物に、イェルヒは、どうしても好意的にはなれない。辞書を引いた後は、更にその思いが強くなった。
ふと、思考を切り替える。
最悪の事態を考えよう。
最悪の事態とはなにか。それは、イェルヒの地図を返してくれないこと。
その事態になるには、どのような理由が考えられるか。それは、イェルヒが財宝を横取りしようと勘違いされること……。
……誇大妄想(ロマンチスト)ならではの勘違い。ありえない話ではない。
その可能性を想像し、一瞬にしてイェルヒの背筋に鳥肌が立った。
まさか、そこまでの馬鹿ではあるまい。
そう、頭の中では判断する。が、隅っこあたりで何か……いわゆる『嫌な予感』だとかを知らせているのを、イェルヒは無視できなかった。
明日の荷物に、念のため、魔術発動の杖を沿え、イェルヒは寝る準備を始めた。
明日は、早いのだ。
キャスト:ジュリア
場所:ソフィニア
--------------------------------------------------------------------------
「くだらなくなんかないぞ! 壮大な浪漫が詰まってるんだから!」
何故か態度を一変させて今にも掴みかかってきそうな勢いで叫ぶ男に気圧されたというわけではないが、唾が飛んできそうだったので、ジュリアは半歩、後ろに退いた。
「使い方によっては国だって手に入れられる必殺アイテムだ!」
それは無理だろう。
言っても聞いてくれそうになかったので黙っておく。
往来で堂々と馬鹿馬鹿しいことから物騒なことまで絶叫できる男の度胸と情熱――というか考えのなさというか思い込みというか――にはただただ感心するばかりだ。
「……違うな、寒心だ」
「何が?」
どうでもいい呟きはしっかりと聞き取られた。
ジュリアは肩を竦めて歩き出す。男は「だから待とうってば」などといいながら手首を掴んできた。
悲鳴でも上げてみようか。今は官憲がピリピリしているようだから、ちょっとした不審者も問答無用で連れて行ってくれるかも知れない。
とはいえ、わざわざそんなものに関わって夜間外出を咎められても気分が悪い。他にもたくさん出歩いている人はいるのだから。そして、多少のことならば問題なく対処できるつもりでいるから平気でここにいるわけなのだから。
どんな格好のいいことを言ったって、クールを決めこんだって、少しくらいの驕りがなければ、ハンターなんてやっていけない。持論に過ぎないが。
「っていうか、なんでついてくるの」
「野良犬に噛まれたと思って」
「野良犬以下!」
思わず声を荒げてしまってから、ジュリアは顔をしかめる。クールを気取るつもりなど毛頭ないとはいえ、他人に対して感情を露にするのはあまり好まない。
「ひどいなぁ」
傷ついた、といわんばかりに男は肩をすくめる。大仰というよりも滑稽なその仕草を横目にしながらジュリアは決心した。くだらないかも知れないが、踏みとどまるための儀式といっていいくらいに重要なことを。
――即ち。絶対に、名前だけは訊いてやらない。
「そいえばオレってばクラークっていう」
撃沈。しかも悪意がなさそうだから始末が悪い。
なんとなく泣きたい気分になりかけながら、ジュリアは「そう」とだけ頷いた。
「仲良くなったところでレッツ遺跡」
「地図はっ?!」
一方的に名乗っただけで仲良くなったと称すのはもちろん問題外だと思うが、それよりも大きなツッコミどころがある。少なくとも三つくらい思いつける。
でも、反射的に叫び返したのはそれだけだった。
男はここが往来であるということを忘れたように――あるいは最初から気づいていなかったように、ばっと両手を広げて、顔を輝かせて言った。
「盗んだからには、あいつもあの恐ろしい魔剣を狙っているに違いない!
待ち伏せて捕まえればいいじゃないかーあ」
場所:ソフィニア
--------------------------------------------------------------------------
「くだらなくなんかないぞ! 壮大な浪漫が詰まってるんだから!」
何故か態度を一変させて今にも掴みかかってきそうな勢いで叫ぶ男に気圧されたというわけではないが、唾が飛んできそうだったので、ジュリアは半歩、後ろに退いた。
「使い方によっては国だって手に入れられる必殺アイテムだ!」
それは無理だろう。
言っても聞いてくれそうになかったので黙っておく。
往来で堂々と馬鹿馬鹿しいことから物騒なことまで絶叫できる男の度胸と情熱――というか考えのなさというか思い込みというか――にはただただ感心するばかりだ。
「……違うな、寒心だ」
「何が?」
どうでもいい呟きはしっかりと聞き取られた。
ジュリアは肩を竦めて歩き出す。男は「だから待とうってば」などといいながら手首を掴んできた。
悲鳴でも上げてみようか。今は官憲がピリピリしているようだから、ちょっとした不審者も問答無用で連れて行ってくれるかも知れない。
とはいえ、わざわざそんなものに関わって夜間外出を咎められても気分が悪い。他にもたくさん出歩いている人はいるのだから。そして、多少のことならば問題なく対処できるつもりでいるから平気でここにいるわけなのだから。
どんな格好のいいことを言ったって、クールを決めこんだって、少しくらいの驕りがなければ、ハンターなんてやっていけない。持論に過ぎないが。
「っていうか、なんでついてくるの」
「野良犬に噛まれたと思って」
「野良犬以下!」
思わず声を荒げてしまってから、ジュリアは顔をしかめる。クールを気取るつもりなど毛頭ないとはいえ、他人に対して感情を露にするのはあまり好まない。
「ひどいなぁ」
傷ついた、といわんばかりに男は肩をすくめる。大仰というよりも滑稽なその仕草を横目にしながらジュリアは決心した。くだらないかも知れないが、踏みとどまるための儀式といっていいくらいに重要なことを。
――即ち。絶対に、名前だけは訊いてやらない。
「そいえばオレってばクラークっていう」
撃沈。しかも悪意がなさそうだから始末が悪い。
なんとなく泣きたい気分になりかけながら、ジュリアは「そう」とだけ頷いた。
「仲良くなったところでレッツ遺跡」
「地図はっ?!」
一方的に名乗っただけで仲良くなったと称すのはもちろん問題外だと思うが、それよりも大きなツッコミどころがある。少なくとも三つくらい思いつける。
でも、反射的に叫び返したのはそれだけだった。
男はここが往来であるということを忘れたように――あるいは最初から気づいていなかったように、ばっと両手を広げて、顔を輝かせて言った。
「盗んだからには、あいつもあの恐ろしい魔剣を狙っているに違いない!
待ち伏せて捕まえればいいじゃないかーあ」
キャスト:イェルヒ
場所:ソフィニア
----------------------------------------------------------------
首都ソフィニアから、少しだけ南下した所に位置する遺跡パジオ。
発見されたのは数年前なんてモノではない。47年前だ。きっかけは、どっかのお偉いさんがピクニックに行ったところ、はぐれ、雨露をしのごうと遺跡に迷い込み、そこに文明の跡を発見したのがきっかけであるらしい。
その発見者が魔術学院関係者であり、なおかつ魔法都市ソフィニアから近い場所にあるということで、魔術学院によって管理され、ギルドにも働きかけ、冒険者の介入を遮ってきた。とはいっても、血の気の多い冒険者は何度か侵入したらしいと、記録には残っている。
だが。その数も少なくなっていく。
理由は簡単である。
たいしたものが発見されないからである
骨董品価値にしても、学術的価値にしても、低いものしか発見されないのだ。
遺跡自体も、他の地域で多く発見されている時代のもので、規模は、小さくはないが、把握しきれないというほどでもない、中規模程度。
大体のめぼしい発掘物は、初期段階に学院が管理しているし、後発の冒険者にとっては、魅力的ではない遺跡であった。
こうなると。
損をするのは学院側で。ギルドに掛け合ってまで規制を敷いたというのに、このザマである。赤字の上、赤っ恥以外の何ものでもない。徐々に、発掘作業は小規模なものになっていった。
そして、近年、学院はその地味な遺跡のことを思い出したようで、『観光地化』の提案の採用に踏み切った。
今から行く遺跡について関連する情報を、イェルヒは頭の中で復唱していた。
「……ピクニックではぐれるほどはしゃぐから、余計なものを発見するんだ」
うんざりと、発見者を恨む。名前は浮かばない。所詮、その程度の価値遺跡であるということを示している。
その時、木々の隙間から、何かが覗いた。
それは、風景に馴染んでいた。
なぜ、人工物が、自然の風景になじんでいるのか。理由は簡単。寂れているからだ。
「少し……早かったか」
日が出てから、出発したのだ。ボランティア要員がまだいなくても不思議ではない時間帯である。
明確な目標物が視界に存在し、少し足が速まる。
と、その時。
つまづいた。
「……っと」
転んだのではない。ただ、つまづいた。
妙な感触だった。石や、木の根などにつまづいたのではない。
足元を、観察する。
草が、結わえられていた。
「………何なんだ?」
この手の罠は、決定的な攻撃には成り得ない種類だ。隙を付くという意味しか持たず、それの意味を有効にさせるには、第2の手が必要である。
が。一向に、それは作動しない。
何者かが待ち伏せて出てくる様子も、無い。
結わえられた草を観察する。先の萎れ方を見ると、しばらく時間が経っている様子ではあるが、昨日の夜からのものではないようだ。
よくよく見ると、他にいくつかまだその意味不明な罠は存在していた。(その内、二つは既に踏み越えられていた)
と。明らかに不自然に萎れた雑草が一部に積み重なっていた。持ってきた杖で、その部分をいじってみる。
穴があった。
深さは30cmほどで、中には何も仕掛けていない、単なる穴が。
付近の草の足掛けの罠との位置を見る。連動されるような位置ではない。いや、よしんば連動したとしても、やはり、決定打にはならないのは明白である。
「………意味が分からん」
その、意図の汲めない仕掛けを、踏み、あるいは避けながら、遺跡の入り口を目指す。
その途中、これまた不自然な、泥があったが、ひょいと避ける。隠そうとしていない分だけ、先ほどの、穴よりも稚拙である。
どんどん、思考能力が奪われていく感覚に、イェルヒは襲われていた。
入り口にたどり着いた。そこは、一本のロープで、その入り口はさえぎられていた。が、越えようと思えば、何の支障にもならない程度のものだ。
そのロープにぶら下がっている板切れには、『関係者以外立ち入り禁止』と、『関係者』の定義が明確ではない、ありふれた言葉が書かれている。
イェルヒはその文字を見て、少しだけ、散らばってしまった思考能力を掻き集められたような気がした。
だから、その遺跡の入り口から、意味不明の罠を眺める気になったのだ。
改めて眺めると、先ほどの仕掛け以外にも、木の枝から不自然にぶら下がった縄や、木にロープで吊り下げられた棒などが存在していた。
もはや「仕掛け」などと呼びたくない、その光景に、イェルヒは度肝を抜かれていた。
思考能力は、一気に霧散した。
その思考能力の最後かけらで、イェルヒは、ただ一つのことを認識した。
……とてつもない馬鹿が、先に来ている。
なんだか、もぉ全部がどうでもいいような心地で、イェルヒは思った。
場所:ソフィニア
----------------------------------------------------------------
首都ソフィニアから、少しだけ南下した所に位置する遺跡パジオ。
発見されたのは数年前なんてモノではない。47年前だ。きっかけは、どっかのお偉いさんがピクニックに行ったところ、はぐれ、雨露をしのごうと遺跡に迷い込み、そこに文明の跡を発見したのがきっかけであるらしい。
その発見者が魔術学院関係者であり、なおかつ魔法都市ソフィニアから近い場所にあるということで、魔術学院によって管理され、ギルドにも働きかけ、冒険者の介入を遮ってきた。とはいっても、血の気の多い冒険者は何度か侵入したらしいと、記録には残っている。
だが。その数も少なくなっていく。
理由は簡単である。
たいしたものが発見されないからである
骨董品価値にしても、学術的価値にしても、低いものしか発見されないのだ。
遺跡自体も、他の地域で多く発見されている時代のもので、規模は、小さくはないが、把握しきれないというほどでもない、中規模程度。
大体のめぼしい発掘物は、初期段階に学院が管理しているし、後発の冒険者にとっては、魅力的ではない遺跡であった。
こうなると。
損をするのは学院側で。ギルドに掛け合ってまで規制を敷いたというのに、このザマである。赤字の上、赤っ恥以外の何ものでもない。徐々に、発掘作業は小規模なものになっていった。
そして、近年、学院はその地味な遺跡のことを思い出したようで、『観光地化』の提案の採用に踏み切った。
今から行く遺跡について関連する情報を、イェルヒは頭の中で復唱していた。
「……ピクニックではぐれるほどはしゃぐから、余計なものを発見するんだ」
うんざりと、発見者を恨む。名前は浮かばない。所詮、その程度の価値遺跡であるということを示している。
その時、木々の隙間から、何かが覗いた。
それは、風景に馴染んでいた。
なぜ、人工物が、自然の風景になじんでいるのか。理由は簡単。寂れているからだ。
「少し……早かったか」
日が出てから、出発したのだ。ボランティア要員がまだいなくても不思議ではない時間帯である。
明確な目標物が視界に存在し、少し足が速まる。
と、その時。
つまづいた。
「……っと」
転んだのではない。ただ、つまづいた。
妙な感触だった。石や、木の根などにつまづいたのではない。
足元を、観察する。
草が、結わえられていた。
「………何なんだ?」
この手の罠は、決定的な攻撃には成り得ない種類だ。隙を付くという意味しか持たず、それの意味を有効にさせるには、第2の手が必要である。
が。一向に、それは作動しない。
何者かが待ち伏せて出てくる様子も、無い。
結わえられた草を観察する。先の萎れ方を見ると、しばらく時間が経っている様子ではあるが、昨日の夜からのものではないようだ。
よくよく見ると、他にいくつかまだその意味不明な罠は存在していた。(その内、二つは既に踏み越えられていた)
と。明らかに不自然に萎れた雑草が一部に積み重なっていた。持ってきた杖で、その部分をいじってみる。
穴があった。
深さは30cmほどで、中には何も仕掛けていない、単なる穴が。
付近の草の足掛けの罠との位置を見る。連動されるような位置ではない。いや、よしんば連動したとしても、やはり、決定打にはならないのは明白である。
「………意味が分からん」
その、意図の汲めない仕掛けを、踏み、あるいは避けながら、遺跡の入り口を目指す。
その途中、これまた不自然な、泥があったが、ひょいと避ける。隠そうとしていない分だけ、先ほどの、穴よりも稚拙である。
どんどん、思考能力が奪われていく感覚に、イェルヒは襲われていた。
入り口にたどり着いた。そこは、一本のロープで、その入り口はさえぎられていた。が、越えようと思えば、何の支障にもならない程度のものだ。
そのロープにぶら下がっている板切れには、『関係者以外立ち入り禁止』と、『関係者』の定義が明確ではない、ありふれた言葉が書かれている。
イェルヒはその文字を見て、少しだけ、散らばってしまった思考能力を掻き集められたような気がした。
だから、その遺跡の入り口から、意味不明の罠を眺める気になったのだ。
改めて眺めると、先ほどの仕掛け以外にも、木の枝から不自然にぶら下がった縄や、木にロープで吊り下げられた棒などが存在していた。
もはや「仕掛け」などと呼びたくない、その光景に、イェルヒは度肝を抜かれていた。
思考能力は、一気に霧散した。
その思考能力の最後かけらで、イェルヒは、ただ一つのことを認識した。
……とてつもない馬鹿が、先に来ている。
なんだか、もぉ全部がどうでもいいような心地で、イェルヒは思った。
キャスト:ジュリア
場所:ソフィニア近郊 -遺跡パジオ、内部
--------------------------------------------------------------------------
ひんやりじとじとした遺跡の中を歩きながら、ジュリアは、前を行くクラークの後ろ頭を、どうにか視線で物理的に貫けないものかと思索していた。
鞄の中には一応マトモな物も入っていたらしく、周囲を照らしているのは、彼が持っているランプだ。明らかに室内用であるのが不安ではあるが、屋外用だってそこそこの衝撃を与えれば壊れるのだから、一緒といえば一緒だろう。重量についても、自分が持つのではないから関係ない。
「つまりさ」
湿った空気にへらへらと浮いていくような声でクラークが言い出した。
返事をする前に(するつもりもなかったが)、彼は大仰に両手を広げた。大きな鞄を背負っているせいで、まるで亀が伸びをしたように見える。ランプが動いたせいで、影が揺れた。
「あれだけ待っても来なかったんだから、犯人はこの先にいるに違いないんだ」
一般的には、あれだけしか待たなかった、というべきではなかろうか。
そして彼は幾度目かの角を曲がる。
「なんたって、あれは恐ろしい宝だからね。手にした者だけでなく、その周囲……いや、国ひとつに途方もない災厄をもたらすような!」
「……チャーハンで?」
「そうとも!」
力強い断言で、彼はランプを握った拳を振り上げた。よくもまぁ、あんな重そうなものを振り回せるなと感心しながらジュリアはこっそりと溜め息を吐く。
「この剣に魅入られた者は、いつでもどこでもどんなときでもチャーハンを作りたくてたまらなくなるのさ。そしてその材料を得るためならなんでもするようになる。
全財産を使い果たし、万引きなんてまだ可愛いほうで、強盗から人殺しまで躊躇いなく犯す。そして最後には、調理の火を起こすために自分の家を」
「もういいから、黙れ」
だんだんとどこかで聞いたような話になってきたので、割り込んでおく。ジュリアは頭痛でもしてきたような気分になって額に片手をやりかけたが、爪の間に泥が詰まっているのを見て、顔をしかめた。
クラークは不満そうな表情で振り向いて、
「これから、ひとつの町を一夜にして消滅させた伝説の男が記憶を失い生き残って、優しい娘さんに助けられて数ヶ月間お世話になりつつ、実はチャーハン大王の最後の弟子だった娘さんと料理対決をし、苦難の末に打ち破って、究極のチャーハンを作るために王都へ乗り込む話が」
「聞きたくないから。ワケわかんないし」
「お姉さんて、けっこぉ冷血だったりしたり?」
駄目だこいつ本格的に話が通じない。
昨日も思ったが、やはり、すかっと殴り倒すのがいちばん賢い解決方法だろうか。
だとしたらすぐにでも実行したいが、先行しているのがクラークということは、帰り道を知っているのも彼ということで……
…………いや、ちょっと待て。
一瞬、脳裏を過ぎったとても禍々しい想像に、ジュリアは思わず足を止めた。
スカートの生地が肌に触れる。不快なくすぐったさに気分が沈みかける。
どうしてこんな格好でこんなところにいるのだろうとか、それも問題ではあったが、差し迫って、どうしようもなくどうしようもない大問題が目の前にぶら下がっている。
気のせいだと願うことさえ、昨日から今朝にかけての記憶が許してくれない。
「おい、お前――」
クラーク、と覚えていたが本当にそう名乗られたかどうかはあまり覚えていないため、そして名前を呼んでしまったら、本当に手遅れに(今、何に間に合うのかは知らないが)なってしまいそうだったため、そう呼びかける。
「どしたのだに、お姉さん」
なんでわざわざ変な言葉遣いをするんだ、とか、そのことも問い詰めてみたくないわけではなかったが……
目の前の冴えない男は昨日、傷を盗まれたと言っていた。そして、それを盗んだ人間を捕まえるために今朝、遺跡の前でくだらない細工をしていた。しかも、遺跡を入ってからもたまに、しつこく細工をしていた。
曰く、「これで後から奴が来ても対策ばっちりだ!」
――と、いうことは、だ。
「帰路はわかっている……?」
クラークはへらへらと笑って振り向いた。
下から照らされる軽薄な笑顔が、何よりも恐ろしい言葉を紡ぐ。
「ヤだなぁ、そんな今更」
「死ねッ!」
とりあえずジュリアは、馬鹿の鳩尾にヒールの底を思いっきり叩き込んでやった。避けられたが。
場所:ソフィニア近郊 -遺跡パジオ、内部
--------------------------------------------------------------------------
ひんやりじとじとした遺跡の中を歩きながら、ジュリアは、前を行くクラークの後ろ頭を、どうにか視線で物理的に貫けないものかと思索していた。
鞄の中には一応マトモな物も入っていたらしく、周囲を照らしているのは、彼が持っているランプだ。明らかに室内用であるのが不安ではあるが、屋外用だってそこそこの衝撃を与えれば壊れるのだから、一緒といえば一緒だろう。重量についても、自分が持つのではないから関係ない。
「つまりさ」
湿った空気にへらへらと浮いていくような声でクラークが言い出した。
返事をする前に(するつもりもなかったが)、彼は大仰に両手を広げた。大きな鞄を背負っているせいで、まるで亀が伸びをしたように見える。ランプが動いたせいで、影が揺れた。
「あれだけ待っても来なかったんだから、犯人はこの先にいるに違いないんだ」
一般的には、あれだけしか待たなかった、というべきではなかろうか。
そして彼は幾度目かの角を曲がる。
「なんたって、あれは恐ろしい宝だからね。手にした者だけでなく、その周囲……いや、国ひとつに途方もない災厄をもたらすような!」
「……チャーハンで?」
「そうとも!」
力強い断言で、彼はランプを握った拳を振り上げた。よくもまぁ、あんな重そうなものを振り回せるなと感心しながらジュリアはこっそりと溜め息を吐く。
「この剣に魅入られた者は、いつでもどこでもどんなときでもチャーハンを作りたくてたまらなくなるのさ。そしてその材料を得るためならなんでもするようになる。
全財産を使い果たし、万引きなんてまだ可愛いほうで、強盗から人殺しまで躊躇いなく犯す。そして最後には、調理の火を起こすために自分の家を」
「もういいから、黙れ」
だんだんとどこかで聞いたような話になってきたので、割り込んでおく。ジュリアは頭痛でもしてきたような気分になって額に片手をやりかけたが、爪の間に泥が詰まっているのを見て、顔をしかめた。
クラークは不満そうな表情で振り向いて、
「これから、ひとつの町を一夜にして消滅させた伝説の男が記憶を失い生き残って、優しい娘さんに助けられて数ヶ月間お世話になりつつ、実はチャーハン大王の最後の弟子だった娘さんと料理対決をし、苦難の末に打ち破って、究極のチャーハンを作るために王都へ乗り込む話が」
「聞きたくないから。ワケわかんないし」
「お姉さんて、けっこぉ冷血だったりしたり?」
駄目だこいつ本格的に話が通じない。
昨日も思ったが、やはり、すかっと殴り倒すのがいちばん賢い解決方法だろうか。
だとしたらすぐにでも実行したいが、先行しているのがクラークということは、帰り道を知っているのも彼ということで……
…………いや、ちょっと待て。
一瞬、脳裏を過ぎったとても禍々しい想像に、ジュリアは思わず足を止めた。
スカートの生地が肌に触れる。不快なくすぐったさに気分が沈みかける。
どうしてこんな格好でこんなところにいるのだろうとか、それも問題ではあったが、差し迫って、どうしようもなくどうしようもない大問題が目の前にぶら下がっている。
気のせいだと願うことさえ、昨日から今朝にかけての記憶が許してくれない。
「おい、お前――」
クラーク、と覚えていたが本当にそう名乗られたかどうかはあまり覚えていないため、そして名前を呼んでしまったら、本当に手遅れに(今、何に間に合うのかは知らないが)なってしまいそうだったため、そう呼びかける。
「どしたのだに、お姉さん」
なんでわざわざ変な言葉遣いをするんだ、とか、そのことも問い詰めてみたくないわけではなかったが……
目の前の冴えない男は昨日、傷を盗まれたと言っていた。そして、それを盗んだ人間を捕まえるために今朝、遺跡の前でくだらない細工をしていた。しかも、遺跡を入ってからもたまに、しつこく細工をしていた。
曰く、「これで後から奴が来ても対策ばっちりだ!」
――と、いうことは、だ。
「帰路はわかっている……?」
クラークはへらへらと笑って振り向いた。
下から照らされる軽薄な笑顔が、何よりも恐ろしい言葉を紡ぐ。
「ヤだなぁ、そんな今更」
「死ねッ!」
とりあえずジュリアは、馬鹿の鳩尾にヒールの底を思いっきり叩き込んでやった。避けられたが。