キャスト:イェルヒ
NPC:イェルヒの先生
場所:宿屋
―――――――――――――――
その香りに、人は2種類の反応を示す。落ち着くか、それとも圧迫感を感じるのか。その二つに一つだ。
その狭い部屋には、古い書物だけが放つ匂いが染み付いていた。その部屋には数十冊ほどの本があるだけであるから、普段から本を持ち込んでいるのだろう。
その空間の中に、書物を読んでいる、少し小柄な男性がいる。けだるげに、頬杖をつきながら、ただ、ひたすら紙面につづられた文字に目だけを走らせていた。
まずは、その男性の耳に目が行くことだろう。長く、先の尖った耳。エルフ種族の一番の特徴でもある。そして、もう一つの特徴である容姿も、秀麗と呼べる顔立ちであった。
次に、彼についての特徴は、前髪であった。ザックリと短めに切られているのだが、妙に似合ってもいるのだから不思議なものである。
ノック音がした。だが、エルフの青年は、その音に反応もしない。そして、もう一度、同じ音が繰り返され、今度は間髪いれず、ドアが開けられた。
そこで、初めて、エルフの青年は本から視線を外した。
そこには、一枚の4つ折りにされた紙を片手に持った老年の男性が立っていた。頭髪も、長く蓄えている髭も灰色に染まってはいるものの、眼鏡越しから見えるその目の鋭さからは、確実に現役であることを物語っている。
「……先生でしたか」
先生と呼ばれた人物は、ドアのノックにも反応しなかったことに関しては、さほど気にも留めてもいないようであった。
そして、持っていた紙を突き出す。
「イェルヒ君。君宛に書類だ」
眉をひそめながらも、その差し出された紙を受け取る。
「何の書類です? 特待に関すること……しか心当たりはありませんが。
……しかし、この時期にはまだ少し早くないですか?」
「勘が鋭いではないか。特待に関することだよ」
その渡された書類を見て、イェルヒの顔つきは苦々しいものへと変わっていく。
「……何の冗談ですかね? コレ」
「冗談でそんな高価な紙を無駄に使わん。そこに書いてある通りだよ。
特待の条件に、『ボランティア』が必須になった。」
イェルヒは、再びその紙を元の通りに折りたたみこみ、ぴしりと机に軽く叩き付けるように置いた。
「……なんで魔法技術を指針とする学び舎である魔術学院の、優秀人材確保の制度にボランティアが必要なんですか」
「ちゃんと読んでないのか? 人格優秀の定義の物差しだよ」
老人の顔色や口調は、この部屋に入った当初から全く変わらない。どうやら、そういう性格らしい。
「読みましたよ。なんでこんなアホらしいことがまかり通るのか、ということをお聞きしたいんですよ、私は」
「私に聞かれても困るな。上の決めたことだよ。
それに、いくつかの授業で、ボランティア活動は奨励している。それを一つも取得していないのはオマエくらいだ」
その言葉に、一瞬イェルヒは言葉に詰まり、更なる渋面が作られていく。
「……私はフィールドワークが嫌いなんですよ。あと、タダ働きも」
「いいから、とっととボランティアの一つぐらいこなして来い。事務に問い合わせれば、いくらでもあるだろうよ。
嫌なら故郷に帰るんだな。特待無しで授業費を払える身分でもないのだろう」
そう言って、老人は背を向け、ドアのノブに手をかける。
が、その動きがふと止まり、ちらりとだけ振り返り、言葉を付け足した。
「そうそう。
ずっと出歩かないイェルヒ君のことだから、知らないとは思うが。
最近、真昼間にも堂々とした連続殺人事件があるみたいだからな。まぁ、死なん程度にでも頑張ってくれ。
ホラ。死なれたら、ナンだ。後見人代わりである私の手間がかかるし、外聞も悪いからな。
ま、程ほどにな」
そう言って、老人は部屋を出た。
その際、ドアの閉まる音が、無駄に響いた。
イェルヒは、机に置かれた書類の端を掴む。
「クソジジィが」
イェルヒは、小さくそう呟くと同時に、その書類に火がついた。手からその紙は離され、空中にて、それは燃え広がり、床に着く前には炭と化し、崩れ落ちた。
NPC:イェルヒの先生
場所:宿屋
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その香りに、人は2種類の反応を示す。落ち着くか、それとも圧迫感を感じるのか。その二つに一つだ。
その狭い部屋には、古い書物だけが放つ匂いが染み付いていた。その部屋には数十冊ほどの本があるだけであるから、普段から本を持ち込んでいるのだろう。
その空間の中に、書物を読んでいる、少し小柄な男性がいる。けだるげに、頬杖をつきながら、ただ、ひたすら紙面につづられた文字に目だけを走らせていた。
まずは、その男性の耳に目が行くことだろう。長く、先の尖った耳。エルフ種族の一番の特徴でもある。そして、もう一つの特徴である容姿も、秀麗と呼べる顔立ちであった。
次に、彼についての特徴は、前髪であった。ザックリと短めに切られているのだが、妙に似合ってもいるのだから不思議なものである。
ノック音がした。だが、エルフの青年は、その音に反応もしない。そして、もう一度、同じ音が繰り返され、今度は間髪いれず、ドアが開けられた。
そこで、初めて、エルフの青年は本から視線を外した。
そこには、一枚の4つ折りにされた紙を片手に持った老年の男性が立っていた。頭髪も、長く蓄えている髭も灰色に染まってはいるものの、眼鏡越しから見えるその目の鋭さからは、確実に現役であることを物語っている。
「……先生でしたか」
先生と呼ばれた人物は、ドアのノックにも反応しなかったことに関しては、さほど気にも留めてもいないようであった。
そして、持っていた紙を突き出す。
「イェルヒ君。君宛に書類だ」
眉をひそめながらも、その差し出された紙を受け取る。
「何の書類です? 特待に関すること……しか心当たりはありませんが。
……しかし、この時期にはまだ少し早くないですか?」
「勘が鋭いではないか。特待に関することだよ」
その渡された書類を見て、イェルヒの顔つきは苦々しいものへと変わっていく。
「……何の冗談ですかね? コレ」
「冗談でそんな高価な紙を無駄に使わん。そこに書いてある通りだよ。
特待の条件に、『ボランティア』が必須になった。」
イェルヒは、再びその紙を元の通りに折りたたみこみ、ぴしりと机に軽く叩き付けるように置いた。
「……なんで魔法技術を指針とする学び舎である魔術学院の、優秀人材確保の制度にボランティアが必要なんですか」
「ちゃんと読んでないのか? 人格優秀の定義の物差しだよ」
老人の顔色や口調は、この部屋に入った当初から全く変わらない。どうやら、そういう性格らしい。
「読みましたよ。なんでこんなアホらしいことがまかり通るのか、ということをお聞きしたいんですよ、私は」
「私に聞かれても困るな。上の決めたことだよ。
それに、いくつかの授業で、ボランティア活動は奨励している。それを一つも取得していないのはオマエくらいだ」
その言葉に、一瞬イェルヒは言葉に詰まり、更なる渋面が作られていく。
「……私はフィールドワークが嫌いなんですよ。あと、タダ働きも」
「いいから、とっととボランティアの一つぐらいこなして来い。事務に問い合わせれば、いくらでもあるだろうよ。
嫌なら故郷に帰るんだな。特待無しで授業費を払える身分でもないのだろう」
そう言って、老人は背を向け、ドアのノブに手をかける。
が、その動きがふと止まり、ちらりとだけ振り返り、言葉を付け足した。
「そうそう。
ずっと出歩かないイェルヒ君のことだから、知らないとは思うが。
最近、真昼間にも堂々とした連続殺人事件があるみたいだからな。まぁ、死なん程度にでも頑張ってくれ。
ホラ。死なれたら、ナンだ。後見人代わりである私の手間がかかるし、外聞も悪いからな。
ま、程ほどにな」
そう言って、老人は部屋を出た。
その際、ドアの閉まる音が、無駄に響いた。
イェルヒは、机に置かれた書類の端を掴む。
「クソジジィが」
イェルヒは、小さくそう呟くと同時に、その書類に火がついた。手からその紙は離され、空中にて、それは燃え広がり、床に着く前には炭と化し、崩れ落ちた。
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キャスト:ジュリア
場所:ソフィニア
--------------------------------------------------------------------------
「お前は人間のくせに、人間のことを知らな過ぎるんだ」
久しぶりに会った友人は随分と老けていた。
老人と呼べば怒られるだろう。壮年の終わりに差し掛かった、という表現でも同じであろうが。しかし彼の年を直接口にすれば、それがいちばん怒られるに違いない。
対等に話せる、歳の離れた友人。
知り合った切欠はとうに忘れていたが、相手は覚えているかも知れない。しかし呆れられながら教わる程の意味を見出すことはできなかった。
「……お前は、人間のことを知っているから出世した?」
そう問い返せば、ソフィニアを根城とする大商会の重役は苦笑した。
ジュリアは暗紅の衣装の裾を指先で軽く整えてから、腰掛けた椅子の肘掛に腕を預け、首を傾げる。
「久しぶりに会って、いきなり説教から入る? 老けたから?」
「変に正直なところが相変わらずガキだな」
「お前にしか、こんなこと言わないよ」
言い返しながら、テーブルからグラスを取る。相手は更に続けてきた。
「それは光栄。
で、その格好はなんなんだ。お姫様か? お人形か?」
「じゃあ、お姫様。敬いなさいな」
何が「じゃあ」なんだ、と言われたのは無視。ジュリアは紅かかった色の双眸を伏せ、さして美味しそうでなさそうにジュースを飲んだ。
そして初めて、顔をしかめる。
「何が言いたい?」
「家庭教師、即行でクビだって? せっかく紹介してやったのに。
何をヘマしたのかと思えば、態度がでかいのが原因ってどーゆーことだ」
本当に頭を悩ませているようだった。実際に頭を抱えて呻きながら見上げてくる友人にジュリアは肩を竦め、少し乱れた黒髪を指で梳いた。
「……バート、訊いていいかな」
「なんだ、お嬢さん」
呼びかけに応える声に微妙な皮肉が篭められていたのは気にしないことにしながら、ジュリアは言った。
「私が貴族様の相手なんてできると本当に思うんだ?」
「敬語の使い方くらい覚えようぜ。それだけじゃ足りない気もするけどな」
「興味ないや」
ぎゃあぎゃあと、小悪魔[インプ]の悲鳴のような音が沸いて振り返れば、近くの建物の間から、鴉の群れが空へ散っていった。
言い返そうとしていた友人は口を噤み空を見上げる。
それなりに高級なレストランの窓に嵌められたガラスでもその音を防げなかったらしい。
役に立たないならば、すべて壁にして、魔法の灯りを灯しても同じことだ。
分厚い石壁の大げさな造りのせいで、元々、日光など殆ど入ってきていないのだから。
「……とにかく」
仕切りなおしの意を篭めたのだろう、バート――アルバートは咳払いをした。
促すつもりで沈黙を保つジュリアに彼は言う。
「そんな格好でハンターなんか続けてどういうつもりなんだ」
「気に入らない?」
「昔のお前は……悪い、今と比べたらちょっと吐き気がしてきた。
落ち着くまでちょっと待ってくれ」
今のは完全に無視することができなかった。グラスを乱暴にテーブルに叩きつけ、その余韻を測りながらジュリアは「忘れようか」と静かに囁く。
アルバートは、たっぷり十秒は沈黙してから、流すことにしたらしい。僅かに表情が引き攣っていたが。
「お前が何を思ってハンターやるなんて言い出したのかは知らないが、正直、向いてるとは思わないぞ。根っこからぐーたらしてるし。
まともな仕事が見つかればやめるって言ったから紹介してやったのに」
その物言いにジュリアは溜息をついた。
橙がかった照明が光を落とすテーブルに肘を突いて、身を乗り出す。そして問うた。
「何年前のことだか忘れたけど、それから私の気が変わってないなんて期待は」
「ハイハイ、勝手に心配した俺が馬鹿だったんだろうよ」
くだらないやり取りを延々続けて、レストランを出た頃には、日は暮れかかっていた。
「じゃあ、またな」
「近いうちに」
前にもそう言って別れた気がするが、あれはかなり昔だった気がする。
それでも、また会いたいという意思表示だけが再会の頼りなのだ。
少し歩いてから、宿まで送ってもらえばよかったと少し後悔した。
待ち合わせた広場からは、アルバートの斜め後ろを何も考えずについて歩いてレストランまで行ったから、帰り道がわからなくなったのだ。
あまり歩いていないような気がする。結構歩いたかも知れない。
なんど通りを曲がったか。二回以上なのは確かなのだが。
夕方の街は、何故か、昨日までの同じ時間帯よりもずっと人通りが少なかった。
都会の道を独り占めしているような気分になることは真夜中でもないと滅多にないから、宿があると思しき方向を意識しながら歩き回ってみることにした。
場所:ソフィニア
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「お前は人間のくせに、人間のことを知らな過ぎるんだ」
久しぶりに会った友人は随分と老けていた。
老人と呼べば怒られるだろう。壮年の終わりに差し掛かった、という表現でも同じであろうが。しかし彼の年を直接口にすれば、それがいちばん怒られるに違いない。
対等に話せる、歳の離れた友人。
知り合った切欠はとうに忘れていたが、相手は覚えているかも知れない。しかし呆れられながら教わる程の意味を見出すことはできなかった。
「……お前は、人間のことを知っているから出世した?」
そう問い返せば、ソフィニアを根城とする大商会の重役は苦笑した。
ジュリアは暗紅の衣装の裾を指先で軽く整えてから、腰掛けた椅子の肘掛に腕を預け、首を傾げる。
「久しぶりに会って、いきなり説教から入る? 老けたから?」
「変に正直なところが相変わらずガキだな」
「お前にしか、こんなこと言わないよ」
言い返しながら、テーブルからグラスを取る。相手は更に続けてきた。
「それは光栄。
で、その格好はなんなんだ。お姫様か? お人形か?」
「じゃあ、お姫様。敬いなさいな」
何が「じゃあ」なんだ、と言われたのは無視。ジュリアは紅かかった色の双眸を伏せ、さして美味しそうでなさそうにジュースを飲んだ。
そして初めて、顔をしかめる。
「何が言いたい?」
「家庭教師、即行でクビだって? せっかく紹介してやったのに。
何をヘマしたのかと思えば、態度がでかいのが原因ってどーゆーことだ」
本当に頭を悩ませているようだった。実際に頭を抱えて呻きながら見上げてくる友人にジュリアは肩を竦め、少し乱れた黒髪を指で梳いた。
「……バート、訊いていいかな」
「なんだ、お嬢さん」
呼びかけに応える声に微妙な皮肉が篭められていたのは気にしないことにしながら、ジュリアは言った。
「私が貴族様の相手なんてできると本当に思うんだ?」
「敬語の使い方くらい覚えようぜ。それだけじゃ足りない気もするけどな」
「興味ないや」
ぎゃあぎゃあと、小悪魔[インプ]の悲鳴のような音が沸いて振り返れば、近くの建物の間から、鴉の群れが空へ散っていった。
言い返そうとしていた友人は口を噤み空を見上げる。
それなりに高級なレストランの窓に嵌められたガラスでもその音を防げなかったらしい。
役に立たないならば、すべて壁にして、魔法の灯りを灯しても同じことだ。
分厚い石壁の大げさな造りのせいで、元々、日光など殆ど入ってきていないのだから。
「……とにかく」
仕切りなおしの意を篭めたのだろう、バート――アルバートは咳払いをした。
促すつもりで沈黙を保つジュリアに彼は言う。
「そんな格好でハンターなんか続けてどういうつもりなんだ」
「気に入らない?」
「昔のお前は……悪い、今と比べたらちょっと吐き気がしてきた。
落ち着くまでちょっと待ってくれ」
今のは完全に無視することができなかった。グラスを乱暴にテーブルに叩きつけ、その余韻を測りながらジュリアは「忘れようか」と静かに囁く。
アルバートは、たっぷり十秒は沈黙してから、流すことにしたらしい。僅かに表情が引き攣っていたが。
「お前が何を思ってハンターやるなんて言い出したのかは知らないが、正直、向いてるとは思わないぞ。根っこからぐーたらしてるし。
まともな仕事が見つかればやめるって言ったから紹介してやったのに」
その物言いにジュリアは溜息をついた。
橙がかった照明が光を落とすテーブルに肘を突いて、身を乗り出す。そして問うた。
「何年前のことだか忘れたけど、それから私の気が変わってないなんて期待は」
「ハイハイ、勝手に心配した俺が馬鹿だったんだろうよ」
くだらないやり取りを延々続けて、レストランを出た頃には、日は暮れかかっていた。
「じゃあ、またな」
「近いうちに」
前にもそう言って別れた気がするが、あれはかなり昔だった気がする。
それでも、また会いたいという意思表示だけが再会の頼りなのだ。
少し歩いてから、宿まで送ってもらえばよかったと少し後悔した。
待ち合わせた広場からは、アルバートの斜め後ろを何も考えずについて歩いてレストランまで行ったから、帰り道がわからなくなったのだ。
あまり歩いていないような気がする。結構歩いたかも知れない。
なんど通りを曲がったか。二回以上なのは確かなのだが。
夕方の街は、何故か、昨日までの同じ時間帯よりもずっと人通りが少なかった。
都会の道を独り占めしているような気分になることは真夜中でもないと滅多にないから、宿があると思しき方向を意識しながら歩き回ってみることにした。
事務のカウンターの窓口はいくつかあった。
そしてどれもいくつか空いており、そしてどの受付人もヒマそうな所作でなにやら仕事をしている。
が、イェルヒは躊躇無く、一番近い受付に、ツカツカと足音を立てながら近づく。
受付人の男性は、目の前に気配を感じたらしいが、作業のキリが悪いのか、顔は上げない。
そんな受付人の態度を意に介さず、イェルヒは単刀直入に用件を告げる。
「ボランティアを探している」
数秒し、事務員はペンを置き、一度イェルヒの顔をチラリと見、「あー、ハイハイ」などと呟きながら本棚からファイルを取り出し、パラパラとめくり始める。その手つきは、流石、と言うべきであろうか、手馴れている。
「あぁ。聞いています。イェルヒさんですね。先生の方から連絡されましたので。
今、募集しているボランティアは……孤児院への教養の促進、老人ホームへのケア出張、町の清掃に……これなんかどうですかね? 自然と触れ合うという名目の元に、単なる山登りなんかもありますよ」
「ガキと老いぼれ、他人の後始末に、アウトドアは私には向いていない」
苦々しげな……というよりも、不機嫌そうな表情で、イェルヒは突き放すように言う。どことなく、偉そうに言っているようにも感じられる。
「……アンタ、世間を舐めてませんか」
事務員は小さく呟く。が、イェルヒは涼しい顔でその言葉を聞き流す。
「こう……なんか、自分のこの技術の育成に関わるような分野では無いか?」
「あのねぇ……ボランティアは、誠意でやるんですよ? 基本的に見返りを期待するもんじゃないんですよ?」
「本当に心の底から善意の塊でやるヤツなら、こんなところにいない。医療系にでも行っているさ。
主な生徒は単位や、就職っていう見返りのタメだろう?
勿論、私も『特待』という見返りがなきゃやらない。
そのついでに自分を成長させる作用があれば尚良いってだけじゃないか。その当然の要求をして何が悪い」
踏ん反り返って言う台詞でもないのだが……などと思いながらも、事務員は自分の仕事をこなす。
「……仕方ないですねぇ。本当に特別ですよ? このボランティア、本当に貴重で人気なんですから。」
そう良いながら、とあるページを開き、イェルヒに向ける。
「最近、殺人事件が起きているのは知っていますよね? そこで急遽募集されているのが現場の清そ……」
「断る」
間髪入れずに、しかし絶妙な間で入る合いの手。
「ってか、本当にそれは人気なのか……?」
疑いの眼差しを向けるが、事務員はサラリと受け答える。
「……生体構造からのアプローチを考えている生徒さんには人気なんですがねぇ……。分野が違いましたか」
イェルヒは手を差出しながら、うんざりした口調で事務員に告げる。
「もう……いい。自分で探すから、そのファイルを貸してくれ」
半ば奪うようにそのファイルを取る。
その様子を見ながら、事務員はこの今回の措置に納得した。「あぁ、成る程。特待には人格を計る何かしらの便宜が必要だ」と。
とはいえ、自己中心的な変人だからこそ天才なのだ、とも事務員は理解している。
「……この特待制度、矛盾が生じるよなぁ」
そう、ボソリと呟くが、目の前のエルフは眉間にシワを寄せながらファイルを睨むように眺めていて、気づきもしない。単に眺めて選ぶだけだというのに、瞬時に集中力を発揮しているようだ。
「疲れないのかねぇ」などと、他人事のように思い、事務員は、さして急ぎもしない書類に再び取り掛かる。
数分後、ムスリとした顔つきで、エルフの青年が、ファイルのページを開き、事務員に突きつけた。
「コレにする。手続きを、してくれ」
『遺跡探索・発掘の手伝い』
そのページの紙には、大きな字でそう書かれていた。
そしてどれもいくつか空いており、そしてどの受付人もヒマそうな所作でなにやら仕事をしている。
が、イェルヒは躊躇無く、一番近い受付に、ツカツカと足音を立てながら近づく。
受付人の男性は、目の前に気配を感じたらしいが、作業のキリが悪いのか、顔は上げない。
そんな受付人の態度を意に介さず、イェルヒは単刀直入に用件を告げる。
「ボランティアを探している」
数秒し、事務員はペンを置き、一度イェルヒの顔をチラリと見、「あー、ハイハイ」などと呟きながら本棚からファイルを取り出し、パラパラとめくり始める。その手つきは、流石、と言うべきであろうか、手馴れている。
「あぁ。聞いています。イェルヒさんですね。先生の方から連絡されましたので。
今、募集しているボランティアは……孤児院への教養の促進、老人ホームへのケア出張、町の清掃に……これなんかどうですかね? 自然と触れ合うという名目の元に、単なる山登りなんかもありますよ」
「ガキと老いぼれ、他人の後始末に、アウトドアは私には向いていない」
苦々しげな……というよりも、不機嫌そうな表情で、イェルヒは突き放すように言う。どことなく、偉そうに言っているようにも感じられる。
「……アンタ、世間を舐めてませんか」
事務員は小さく呟く。が、イェルヒは涼しい顔でその言葉を聞き流す。
「こう……なんか、自分のこの技術の育成に関わるような分野では無いか?」
「あのねぇ……ボランティアは、誠意でやるんですよ? 基本的に見返りを期待するもんじゃないんですよ?」
「本当に心の底から善意の塊でやるヤツなら、こんなところにいない。医療系にでも行っているさ。
主な生徒は単位や、就職っていう見返りのタメだろう?
勿論、私も『特待』という見返りがなきゃやらない。
そのついでに自分を成長させる作用があれば尚良いってだけじゃないか。その当然の要求をして何が悪い」
踏ん反り返って言う台詞でもないのだが……などと思いながらも、事務員は自分の仕事をこなす。
「……仕方ないですねぇ。本当に特別ですよ? このボランティア、本当に貴重で人気なんですから。」
そう良いながら、とあるページを開き、イェルヒに向ける。
「最近、殺人事件が起きているのは知っていますよね? そこで急遽募集されているのが現場の清そ……」
「断る」
間髪入れずに、しかし絶妙な間で入る合いの手。
「ってか、本当にそれは人気なのか……?」
疑いの眼差しを向けるが、事務員はサラリと受け答える。
「……生体構造からのアプローチを考えている生徒さんには人気なんですがねぇ……。分野が違いましたか」
イェルヒは手を差出しながら、うんざりした口調で事務員に告げる。
「もう……いい。自分で探すから、そのファイルを貸してくれ」
半ば奪うようにそのファイルを取る。
その様子を見ながら、事務員はこの今回の措置に納得した。「あぁ、成る程。特待には人格を計る何かしらの便宜が必要だ」と。
とはいえ、自己中心的な変人だからこそ天才なのだ、とも事務員は理解している。
「……この特待制度、矛盾が生じるよなぁ」
そう、ボソリと呟くが、目の前のエルフは眉間にシワを寄せながらファイルを睨むように眺めていて、気づきもしない。単に眺めて選ぶだけだというのに、瞬時に集中力を発揮しているようだ。
「疲れないのかねぇ」などと、他人事のように思い、事務員は、さして急ぎもしない書類に再び取り掛かる。
数分後、ムスリとした顔つきで、エルフの青年が、ファイルのページを開き、事務員に突きつけた。
「コレにする。手続きを、してくれ」
『遺跡探索・発掘の手伝い』
そのページの紙には、大きな字でそう書かれていた。
キャスト:ジュリア
場所:ソフィニア
--------------------------------------------------------------------------
悲鳴が聞こえて何事かと思った途端、走ってきたらしい誰かにぶつかった。
小さく声を上げて蹈鞴を踏む。文句でも言おうとして睨みかけたが、相手は既に走り去って、追いつくのは面倒なくらいに距離が開いてしまっていた。
「誰か! あいつを捕まえてくれ!」
さっきの悲鳴と同じ声に振り向く。周囲の人々も何事かと騒いでいたが、捕まえてほしい“あいつ”とやらは、彼らの隙間を縫うようにして逃げていく。
「…………」
物取りの類だろうと検討はついた。関わっても面白いことはなさそうだったが、振り向いたところで、石畳に無様に倒れて前方に手を伸ばした男と目が合ってしまったので、仕方がなく問い掛ける。
「……大丈夫?」
「大丈夫じゃないっ! あれを取り戻さないと!!」
「とりあえず起きないと邪魔かも」
“あれ”って何かと問うてしまえばずるずると巻き込まれてしまいそうな気がしたのでジュリアは敢えて少しズレた返答をしたが、男の方は意外と潔く「そうだったな」と立ち上がって、服についた汚れをパンパンと掌で叩いて払った。
「そういうわけであれを取り戻さないと!」
「頑張って」
「あれを取り戻さないと!!」
なんだろうこの人。私に手伝えといっているのだろか。
それにしては誠意が足りない。というかそれ以前だ。
助けを求めたわけではないが無表情に周囲を見渡すと、何事かと思って立ち止まっていた通行人たちは、さっと目を逸らして早足で通り過ぎていく。
「……なるほど。これは貧乏クジというやつ……」
「あ・れ・を! 取り戻さないとッ!!!」
うるさい黙れあっち行け、とでも言うのが普通の反応だろうか。少なくともアルバートならばそうするだろうと検討をつけながら、ジュリアは男に視線を戻した。
くたびれた、という形容詞が最初に思い浮かんだ。くたびれた男。
少なくともどこかに定住しているといった様子ではなくて、旅人か浮浪者か、そんな印象。四十代といわれれば信じるが、二十代の後半かも知れない。
大きな背負い鞄が大都市の小奇麗な通りの風景に浮いている。それを言い出せば、勘違いした冒険家のような服装も含めて、男そのものが周囲から妙に浮いている。
ジュリアは、男の、色だけは綺麗な緑色の双眸を見返して、はっきりと言い放った。
「うるさい黙れあっち行け」
「酷っ」
「なんでいきなり普通の反応するかな……」
「普通の反応したら話を聞いてもらえるかなって」
正しいといえば正しい判断だろう。
叩いて駄目なら押してみろ。不審者の相手をするつもりなど毛頭ないが、普通の人を無下に見捨てるのは寝覚めが悪い、そんな心理をついた戦術だろうか。
別に見捨てても心は痛まないけれど。
不審者でも一般市民でも、他人であることには変わりがないのだから。
「というわけで、あれを取り戻さないと」
「結局、そこに戻るんだ」
「他に言うことないし」
ご尤も。
それにしても「取り戻さないと」とさっきからしつこいワリには自分で追いかけようという必死さが伺えない。
「慌てなくていいの?」
問うと男は、どうも薄っぺらい仕草で肩を竦めた。
ハードボイルドと茹で過ぎの、嫌な意味で中間くらいかな。正直な感想は胸の中だけにしまっておくことにする。
しかも次の言葉は更に情けなかった。潔かったというべきか。
「どうせ追いつけないから」
「…………ああ、そう」
思わず、さっきの物取りが逃げていった方を見るが、それらしい人影も、痕跡も、勿論ありはしなかった。ところで周囲の人々が、こちらを避けて通っているように見えるのは気のせいか。
避けられるのはどうでもいいとして、しかし、目の前の男と同類だと思われるのは気分が悪い。即座にここを後にするにはどうすればいいだろう。
蹴り倒す、という選択肢は例によって友人の影響で思い浮かんだのだが、生憎と、それなりに――あくまでそれなりに――体格のいい彼とは違って、ジュリアには無理そうだった。
「というわけで取り戻すのを手伝ってくれそうな人がいるところに俺を案内してみよう」
「……素直に私に頼まないのが、なんか腹立つなぁ」
じゃあ頼まれたいのかと問われればノーに決まっている。
「できれば男の浪漫がわかる人がいいな。
お姉さんにはわからないだろうけど一応説明すると、さっき盗まれたのは、」
「聞きたくない!」
珍しく声を荒げてジュリアは耳を塞ごうとした。
その直前――まるで狙ったように刹那の隙に男が早口で言い切った。
「宝の地図なんだよね」
場所:ソフィニア
--------------------------------------------------------------------------
悲鳴が聞こえて何事かと思った途端、走ってきたらしい誰かにぶつかった。
小さく声を上げて蹈鞴を踏む。文句でも言おうとして睨みかけたが、相手は既に走り去って、追いつくのは面倒なくらいに距離が開いてしまっていた。
「誰か! あいつを捕まえてくれ!」
さっきの悲鳴と同じ声に振り向く。周囲の人々も何事かと騒いでいたが、捕まえてほしい“あいつ”とやらは、彼らの隙間を縫うようにして逃げていく。
「…………」
物取りの類だろうと検討はついた。関わっても面白いことはなさそうだったが、振り向いたところで、石畳に無様に倒れて前方に手を伸ばした男と目が合ってしまったので、仕方がなく問い掛ける。
「……大丈夫?」
「大丈夫じゃないっ! あれを取り戻さないと!!」
「とりあえず起きないと邪魔かも」
“あれ”って何かと問うてしまえばずるずると巻き込まれてしまいそうな気がしたのでジュリアは敢えて少しズレた返答をしたが、男の方は意外と潔く「そうだったな」と立ち上がって、服についた汚れをパンパンと掌で叩いて払った。
「そういうわけであれを取り戻さないと!」
「頑張って」
「あれを取り戻さないと!!」
なんだろうこの人。私に手伝えといっているのだろか。
それにしては誠意が足りない。というかそれ以前だ。
助けを求めたわけではないが無表情に周囲を見渡すと、何事かと思って立ち止まっていた通行人たちは、さっと目を逸らして早足で通り過ぎていく。
「……なるほど。これは貧乏クジというやつ……」
「あ・れ・を! 取り戻さないとッ!!!」
うるさい黙れあっち行け、とでも言うのが普通の反応だろうか。少なくともアルバートならばそうするだろうと検討をつけながら、ジュリアは男に視線を戻した。
くたびれた、という形容詞が最初に思い浮かんだ。くたびれた男。
少なくともどこかに定住しているといった様子ではなくて、旅人か浮浪者か、そんな印象。四十代といわれれば信じるが、二十代の後半かも知れない。
大きな背負い鞄が大都市の小奇麗な通りの風景に浮いている。それを言い出せば、勘違いした冒険家のような服装も含めて、男そのものが周囲から妙に浮いている。
ジュリアは、男の、色だけは綺麗な緑色の双眸を見返して、はっきりと言い放った。
「うるさい黙れあっち行け」
「酷っ」
「なんでいきなり普通の反応するかな……」
「普通の反応したら話を聞いてもらえるかなって」
正しいといえば正しい判断だろう。
叩いて駄目なら押してみろ。不審者の相手をするつもりなど毛頭ないが、普通の人を無下に見捨てるのは寝覚めが悪い、そんな心理をついた戦術だろうか。
別に見捨てても心は痛まないけれど。
不審者でも一般市民でも、他人であることには変わりがないのだから。
「というわけで、あれを取り戻さないと」
「結局、そこに戻るんだ」
「他に言うことないし」
ご尤も。
それにしても「取り戻さないと」とさっきからしつこいワリには自分で追いかけようという必死さが伺えない。
「慌てなくていいの?」
問うと男は、どうも薄っぺらい仕草で肩を竦めた。
ハードボイルドと茹で過ぎの、嫌な意味で中間くらいかな。正直な感想は胸の中だけにしまっておくことにする。
しかも次の言葉は更に情けなかった。潔かったというべきか。
「どうせ追いつけないから」
「…………ああ、そう」
思わず、さっきの物取りが逃げていった方を見るが、それらしい人影も、痕跡も、勿論ありはしなかった。ところで周囲の人々が、こちらを避けて通っているように見えるのは気のせいか。
避けられるのはどうでもいいとして、しかし、目の前の男と同類だと思われるのは気分が悪い。即座にここを後にするにはどうすればいいだろう。
蹴り倒す、という選択肢は例によって友人の影響で思い浮かんだのだが、生憎と、それなりに――あくまでそれなりに――体格のいい彼とは違って、ジュリアには無理そうだった。
「というわけで取り戻すのを手伝ってくれそうな人がいるところに俺を案内してみよう」
「……素直に私に頼まないのが、なんか腹立つなぁ」
じゃあ頼まれたいのかと問われればノーに決まっている。
「できれば男の浪漫がわかる人がいいな。
お姉さんにはわからないだろうけど一応説明すると、さっき盗まれたのは、」
「聞きたくない!」
珍しく声を荒げてジュリアは耳を塞ごうとした。
その直前――まるで狙ったように刹那の隙に男が早口で言い切った。
「宝の地図なんだよね」
キャスト:イェルヒ
場所:ソフィニア
------------------------------------
自警団からの、夜間出歩き警戒令があるものの、ここは魔術国家ソフィニアの中心部。夕方を過ぎ、あたりが暗くなっても、……いつもよりは少々少ないとはいえ、人足は多いといえる状態である。人が多ければ営業する店も当然多い。
恐らく、正規の治安維持隊が、外出禁止令を出しても、出歩く奴は出歩く。所詮、「他人事」としか思えれないのだ。
そういう自分も、他人事としてしか捉えらえられないということを、イェルヒは重々承知している。
「しょうがないじゃないか。殺人者を恐れて餓死でもしろというのか」
大きめに切られたキャベツの野菜炒めをフォークで突き刺しながら、自分に対する弁護……というよりも、世間に対する皮肉に聞こえるのだが……をする。
月に1度。魔術学院の食堂が空かない日がある。それが今日であった。
そんな日は、少し遠出になるが、イェルヒはいつもこの酒場を利用する。席も、カウンターの隅っこから3番目といつも決めているほどだ。……時々、そこに座れない時は、不機嫌そうに食事をしている。
そこまでその店に拘る理由は明白。安いからである。そして、その酒場のメニューの中でも更に一番安い、野菜炒めセットを必ず頼む。
野菜炒めのエルフのお客。
店員が影でそう呼んでいることを、イェルヒは知らない。そして知ったところで、店を変えることは無いだろう。この店並みに安い場所は、片道1時間ほど歩かなければならないからだ。
イェルヒは、貧乏なのだ。基本的に。
もとより、小食な性質(タチ)である。というよりも、エルフという種族は、ルーツを辿れば森の民族だ。その生活は、農耕は少々はしていたもの、森の生態系を崩さないような狩猟採集が主であった。その民族性により、エルフは一般的に小食である。
そして、イェルヒは、その未だに古い生活様式を行っている森で九十数年を過ごした。だから、イェルヒも、野菜中心の小食であったので、別にこの生活は苦にならなかった。
一度、同級生から聞いた大食家の「肉食エルフ」の噂を聞いたとき、イェルヒは即座に否定した。都市伝説だとしても、あまりに稚拙すぎる「おはなし」ではないか。
味付けのやけに濃いキャベツ炒めを味わいながら、昼に、事務員から渡された地図を取り出す。大量販売されている、市販の地図である。
赤丸印で示されている遺跡の場所は、ソフィニアの近くにある、知っている人ならばすぐにピンと来る遺跡である。近々、観光地化されると噂される場所なので、だいたいの大規模なモノは探索され尽くしており、このボランティアは、どうやら小物の取りこぼしチェックのようである。
その地図の右下には魔術学院の正式印が押されている。この判押しの地図が、身分証明書代わりとなり、ボランティアの遂行証明書の代わりとなる。
「これが最後の一枚ですからね。再発行はしませんから」と、あの事務員に念を押された。
大雑把なのか、それとも、厳密なのか。悩みどころのあるモノである、とイェルヒは思った。
野菜炒めが載せられているお皿を重石代わりにし、元の折り目に沿って4つお
りにし、地図を置いた。
外食時のイェルヒには、一つ、楽しみがあった。
アルコールである。
一杯だけ、いつも食後に注文する。(勿論、一番安い数種類の中から選ぶ)
今月は、甘い果実酒を選んだ。
その一番安い種類では、小さなグラスで出る。しかし、イェルヒにとって、それを啜(すす)る様に、チビチビ呑むだけで十分心地よく酔えるのであった。
そして、いつものように時間をかけ、舐めるように味わう。
途中、隣に座っている男が少し騒がしく探し物をしていた様子があり、少しだけ不機嫌になったものの、すぐにその男が席を立ったので、そんなには気にならなかった。
比較的満足し、席を立とうとしたとき、右手側に置いてあったはずの地図が無いことに気づいた。
皿を下げられたとき、落としたか、と思ったのだが、ありえなかった。そのときは、確かにテーブルの上にあったと、確認したのだ。
そう思いながらも、床下を確認する。
一枚の、4ツ折の紙切れが落ちており、安堵する。
幾分、汚れていたが、中身を確認する。先ほどと同じ場所が赤丸で印をされている。
しかし。
その地図の右下にあったはずの魔術学院の正式印が、無い。
その代わりに、右下部分の余白に、汚い字でこう書かれていた。
「男の浪漫、ここにあり」
酔いが、一気に醒めた。
場所:ソフィニア
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自警団からの、夜間出歩き警戒令があるものの、ここは魔術国家ソフィニアの中心部。夕方を過ぎ、あたりが暗くなっても、……いつもよりは少々少ないとはいえ、人足は多いといえる状態である。人が多ければ営業する店も当然多い。
恐らく、正規の治安維持隊が、外出禁止令を出しても、出歩く奴は出歩く。所詮、「他人事」としか思えれないのだ。
そういう自分も、他人事としてしか捉えらえられないということを、イェルヒは重々承知している。
「しょうがないじゃないか。殺人者を恐れて餓死でもしろというのか」
大きめに切られたキャベツの野菜炒めをフォークで突き刺しながら、自分に対する弁護……というよりも、世間に対する皮肉に聞こえるのだが……をする。
月に1度。魔術学院の食堂が空かない日がある。それが今日であった。
そんな日は、少し遠出になるが、イェルヒはいつもこの酒場を利用する。席も、カウンターの隅っこから3番目といつも決めているほどだ。……時々、そこに座れない時は、不機嫌そうに食事をしている。
そこまでその店に拘る理由は明白。安いからである。そして、その酒場のメニューの中でも更に一番安い、野菜炒めセットを必ず頼む。
野菜炒めのエルフのお客。
店員が影でそう呼んでいることを、イェルヒは知らない。そして知ったところで、店を変えることは無いだろう。この店並みに安い場所は、片道1時間ほど歩かなければならないからだ。
イェルヒは、貧乏なのだ。基本的に。
もとより、小食な性質(タチ)である。というよりも、エルフという種族は、ルーツを辿れば森の民族だ。その生活は、農耕は少々はしていたもの、森の生態系を崩さないような狩猟採集が主であった。その民族性により、エルフは一般的に小食である。
そして、イェルヒは、その未だに古い生活様式を行っている森で九十数年を過ごした。だから、イェルヒも、野菜中心の小食であったので、別にこの生活は苦にならなかった。
一度、同級生から聞いた大食家の「肉食エルフ」の噂を聞いたとき、イェルヒは即座に否定した。都市伝説だとしても、あまりに稚拙すぎる「おはなし」ではないか。
味付けのやけに濃いキャベツ炒めを味わいながら、昼に、事務員から渡された地図を取り出す。大量販売されている、市販の地図である。
赤丸印で示されている遺跡の場所は、ソフィニアの近くにある、知っている人ならばすぐにピンと来る遺跡である。近々、観光地化されると噂される場所なので、だいたいの大規模なモノは探索され尽くしており、このボランティアは、どうやら小物の取りこぼしチェックのようである。
その地図の右下には魔術学院の正式印が押されている。この判押しの地図が、身分証明書代わりとなり、ボランティアの遂行証明書の代わりとなる。
「これが最後の一枚ですからね。再発行はしませんから」と、あの事務員に念を押された。
大雑把なのか、それとも、厳密なのか。悩みどころのあるモノである、とイェルヒは思った。
野菜炒めが載せられているお皿を重石代わりにし、元の折り目に沿って4つお
りにし、地図を置いた。
外食時のイェルヒには、一つ、楽しみがあった。
アルコールである。
一杯だけ、いつも食後に注文する。(勿論、一番安い数種類の中から選ぶ)
今月は、甘い果実酒を選んだ。
その一番安い種類では、小さなグラスで出る。しかし、イェルヒにとって、それを啜(すす)る様に、チビチビ呑むだけで十分心地よく酔えるのであった。
そして、いつものように時間をかけ、舐めるように味わう。
途中、隣に座っている男が少し騒がしく探し物をしていた様子があり、少しだけ不機嫌になったものの、すぐにその男が席を立ったので、そんなには気にならなかった。
比較的満足し、席を立とうとしたとき、右手側に置いてあったはずの地図が無いことに気づいた。
皿を下げられたとき、落としたか、と思ったのだが、ありえなかった。そのときは、確かにテーブルの上にあったと、確認したのだ。
そう思いながらも、床下を確認する。
一枚の、4ツ折の紙切れが落ちており、安堵する。
幾分、汚れていたが、中身を確認する。先ほどと同じ場所が赤丸で印をされている。
しかし。
その地図の右下にあったはずの魔術学院の正式印が、無い。
その代わりに、右下部分の余白に、汚い字でこう書かれていた。
「男の浪漫、ここにあり」
酔いが、一気に醒めた。