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2024/11/03 04:41 |
銀の針と翳の意図 61/ライ(小林悠輝)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
------------------------------------------------------------------------

 ――うん確かに音痴だと思うよ、とはさすがに言えなかった。

 男はもっと落ち込むだろうし、セラフィナは怒るだろう。子供の反応は予想できない
が、呆れるとかそんなところだろうか。

「うーん……」

 特に意味もなく、でも突っ立っているだけでは立場が悪いので、悩んだフリをしなが
ら――実際、何について悩めばいいのか悩んでいた――本の譜面を睨んだ。

 歌というのは、突き詰めれば魔法に行き当たる。
 が、それは遥か古代の話だ。かつては歌そのものが祈祷のための行為だったが、宗教
的な体系がしっかりしてくると、旋律のない言葉に置き換えられた。

 それでも美しい歌声には魔力が宿ると云われ、中世に、それを技術として昇華させた
のが呪歌だ。歌そのものに細工をすることによって魔法的な効果を引き起こそうと試み
たわけである。物理法則を操ることはほぼ不可能だったようだが、人間の精神に影響を
及ぼす効果は絶大だった――歌とは本来、神に届くよう唱えられた言葉だったのだから。

 呪歌を操る歌唄い――或いは楽器弾きは、己が魔法を使っていることなど話さない。
 だから聴衆は彼らの演奏を喝采する。それが仕組まれた感動かも知れないなんて、思
いつきもしない。

 もちろん、そんな小ざかしい手を使う者は少なかっただろう。故に魔術として知られ
ている形態ではなく、使い手も存在を否定される。それに――使い勝手も、非常に悪い。
 歌なのだから、それを聴いた者全員に区別なく効果が及ぶ。

 だが、完全に隠蔽することもできない。
 誰かがそのトリックを暴いて記録に残す可能性はゼロではない。だからこそ、この本
が存在するのだが……

 と、そんなことを考えていても現状が解決するわけでもなく、子供は窓ガラスにしか
映らないし、男はめそめそしているし、セラフィナは難しい顔をしている。

「……で、どうしようか……」

「何か……わかりますか?」

 セラフィナは不安と期待の入り混じった表情で見てくる。
 呪歌と聞いたから、わかるかも知れないと思ったのだろうが――

「完全に魔法とか魔術の領域だからなぁ。
 せめてこの部分を自分で読めたら少しはわかるかも知れないけど……」

「……解読している時間はありませんね」

 魔法に詳しい人間がここにいないのだからどうしようもない。素人ばかりが集まって
実際にやってみても、ロクな結果にはならないだろう。運が悪ければ現状悪化。
 とはいえ――だ。とりあえず実行してみる以外に解決する方法は思いつかない。

 ソフィニアにでもいけば詳しい人はたくさんいるだろう。
 この男がさっさとそういうのを連れてくるなり、この子供をそこに連れて行くなりし
ていればよかったんだ。下手に自分でどうにかしようと考えるより。

 だが、今、ここにそんな人間はいない。
 そしてお嬢さまは解決を望んでいらっしゃる。

「そんなぁ……」

 男がうなだれた。さっきの言い方からすると、どうやら彼も完全に解読できたのでは
なく、内容を解釈できる程度でしかなさそうだった。もう解読は諦めた方がよさそうだ。
分の悪い賭けだが、素人集団でなんとかやってみよう。それしかない。

「そんなぁって……おじさん調べてたんだから、いちばん詳しいはずでしょ?」

「…………」

「ライさん!」

 また怒られた。
 ライは咳払いして、今の失言を誤魔化したような気分になると、ため息をついて再度、
提案した。

「やっぱり誰か歌ってみよーよ。ナントカの明かりもつけてさ」

「キッカスの香油です」

 男がぼそりと呟いた。ひょっとしたら馬鹿にした復讐かも知れないなとライは思った
が、ただの補足なのだろう。馬鹿にしたつもりもないし。
 思ったことを言っただけだ。

 窓ガラスに映る子供は、不安そうな心配そうな諦めたような脅えたような――そして、
少しだけ期待するような顔で相談するこちらを見ていたが、くるりと背を向けて窓の外
に視線を向けた。さっきからこうやって所在無さげにしている様子は、少しかわいそう。

 この子は、惨劇の只中にいて、それから何年も……誰にも自分の姿を認識してもらえ
ないまま過ごしてきたのだ。
 少しの間だけ元に戻りかけたというのだから、さぞかし嬉しかっただろう。
 それが、また見えなくなってしまって、今度は声も聞こえなくて。

 ああ、つらいだろうさ。とてもとてもとてもとても――!!
 誰も自分を見てくれない、誰も声を聞いてくれない。世界全体が不確かで、自分の存
在も確信できなくて。
 人型の幻影を作り、声を音に変えることを覚えるまで、自分もそうだったのだから知
っている。今だって人に見せているのは本当の姿ではない。聞かせているのは本当の声
ではない。そんなものたちは存在しないのだから。

「……」

 シラと、ガラス越しに目が合うとすぐ逸らされた。
 その反応に少しだけ感じた同情を吹き散らされて、ああ僕って短気だったんだな知ら
なかったよとか思いながらライも視線を外した。

 ――だから僕はこの子のためではなくて、セラフィナさんのためにここにいるんだ。
 彼女が望む結末に辿り着く、その手伝いをほんの少しでもするために。

 ライはにこやかに笑って手を叩いた。

「僕、セラフィナさんの歌が聞きたいなー」

「……え?」

「いや、どうせ歌うなら、貧相なおっさんより綺麗なお姉さんの方がいいなと」

「え? でも……」

「……貧相ですか……確かに調べ者を始めてからちょっと髪は減りましたが……」

「大丈夫だよ、メロディー単純だし」

 男がいじけているのは無視。そんなむさくるしい図は見たくないので。
 っていうか言っていることが中途半端にリアルで嫌だ。

「音とれるように伴奏やってあげるからさ」

 少しだけ集中して――軽く掲げた両腕に抱えるようにリュートを具現させる。
 ぽってりとしたシルエットの弦楽器は、昔持っていたそれの記憶そのままに再現して
ある。弾くためには手袋を外さないといけない。

 男が、今の減少に驚いて目を丸くしている。
 手品師ということにしておこう。面倒くさいときの常套手段だ。

「僕は旅の吟遊詩人……“元”と“志望”がつくけどね。
 その僕が簡単だって言うんだから大丈夫だよ。いけるいける」

 セラフィナが明確な答えを探し出す前に押し切ることにした。
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2006/11/30 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 62/セラフィナ(マリムラ)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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「あ、の……」

 おずおずと、セラフィナが言いづらそうに声をかける。

「呪歌の効果は、個人の魔力に比例するんですか?」

 ちょっと首を傾げて、ライは事も無げに笑い飛ばした。

「特殊な旋律を持つモノもあるらしいけどねー、魔力の豊富な人は魔法覚えた方が効
率イイから、多分関係ないんじゃないかな?」

「そう、ですか……」

 そっと額の封魔布に触れ、セラフィナは胸を撫で下ろす。

 セラフィナは、物心付いた頃から封魔布を額に巻いたままの生活を送っていた。
 幼い頃に一度外してしまったことがあるらしいのだが覚えていないし、その時に離
宮を全壊させるほどの爆発を起こしたと言われてもピンとこない。でも、別邸で育て
てくれた乳母夫妻が熱心に何度も何度も言い聞かせるので、外してしまうのは今でも
怖かったりするのだ。何をしてしまうのか、自分でもわからないから。
 封魔布は、その名の通り魔を封じる布である。回復魔法が効きづらかったのもその
せいだが、それ以上に自らの魔力を封じ込めてしまうという効果がある。つまり、封
魔布をつけている間は魔力は皆無に等しい。
 魔力が呪歌に大きな力を与えるというのなら、セラフィナが唄っても何の効果も現
さないだろう。だが、セラフィナはライの言葉を信じたかった。シラのために、自分
にも出来ることがある。そう思いたかった。

「練習、させて下さい。香油はまだ早いと思いますから」

 いじけていた男はライの言葉に光明を見いだしたのだろうか。
 嬉々として準備をしようとしたところをセラフィナに止められ、だが高まる気持ち
を抑えられず、窓辺に向かうとシラと筆談を始めたようだった。

「おじさーん、あんまり期待させすぎないでよねー?」

 肩越しに男へ声をかけると、ライは調律をするように優しく弦を爪弾く。

「うん、大丈夫そう」

 そういうと、右手の手袋の指先を口にくわえ、するりと手袋を外した。

「あ……」

 ちらりと目に映ったのはくすんだ白。白骨化した手は妙にリアルで、無いはずの肉
や筋があるかのように、器用になめらかに弦を爪弾く。
 つい声に出してしまったことを後悔しても、もう遅いだろう。見てはいけないモノ
を見てしまったようなバツの悪さに、セラフィナは目を逸らした。

「いくつか音を出してみるね。あーでもらーでもいいから唄ってみて」

 気付いただろうか。多分気付いているだろう。でも、ライは何も言わなかったし、
態度を変えることもなかった。下を向いて、弦を確かめ、懐かしそうに愛おしそうに
リュートを奏でる。

「……ぁ-----」

「音は合ってるけど、声が小さいなぁセラフィナさん」

 ライは楽しそうに笑う。
 きっと本当に歌が好きだったんだろうと思うと、歌えないのは凄く辛いんじゃない
かとか考えてしまって、そんなことを考える自分がちょっとイヤになった。
 少し落ち着かないと。
 セラフィナは呼吸を整え、静かに目を閉じる。
 余計なことは考えちゃダメ。今は歌に専念しなくちゃ。

 ライのリュートに合わせて、セラフィナが再び声を出す。

「あ--------------------」

 今度はちゃんと声を出せた。

「……綺麗な声だね、驚いたな。うん、いけるいける」

 気分をノせるための方便かもしれないけれど、言い方がちょっとしみじみしていた
せいか、思わず照れてしまうセラフィナ。心なしか顔が熱い。

「じゃあ、一通り弾いてみるからさ、歌詞を目で追ってみてくれる?」

 そういうと、ライは曲を演奏し始めた。
 セラフィナも慌てて歌詞を目で追う。
 流れるような淀みない旋律、複雑ではないが心地よくて、それでいて胸を打つ。
 ……抑揚のみで歌に聞こえなかったさっきの呪文もどきが救いがたい音痴によるモ
ノかと思うと脱力しそうになるが、何とか堪えて自分に言い聞かせる。
 シラくんのためにも、ライさんの分まで私が唄わなきゃ。

「どう?歌詞、合わせられそう?」

 演奏を終えたライと目が合う。ちょっと硬いながらも何とか笑みを浮かべ、セラフ
ィナは頷いた。
 大丈夫、自分一人じゃない。きっと、平気。

「うん、じゃあ」

 リュートの音が染み込むように、体を柔らかく包んでゆく。
 セラフィナは一度目を閉じて深呼吸すると、ゆっくり目を開けて声を紡いだ。

「-----杯は既に傾き 輝ける滴はこぼれ
     満ち満ちていた力は風前の灯火-----

 -----ならば我々は
     こぼれた水を手のひらにすくいあげる-----

 -----立ち込めた霧を払い 蜂蜜をそそぐ
     我々は望むがゆえ楽園を見る-----

 -----右手に靴 左手にはかんざしをかざして
     混沌から魂を拾い上げる----------……  」

 ……上手く唄えたのだろうか。
 最後は天井を仰ぐようにして唄っていたため、顔を下ろすのが少々気恥ずかしい。
 火照る顔を隠すように片手で口元を覆い、目が合ったライに照れ笑い。
 セラフィナは、正直、どうしたらいいのかわからずにいた。

「……上出来上出来!」

 ライの笑顔を見て、力が抜けて、随分緊張していたんだということをようやく実感
する。思わず顔がほころび、へたりと座り込んだ。本番はコレからだというのに。

「……シラ!!」

 男の驚愕の叫びにはっとする。何か、また、やってしまったのか。

「シラ!!シラ!!!」

 しかし、その響きは次第に歓喜へと変わってゆく。

「……おじ…さん、く、るし……」

 その声は紛れもなく、シラのモノだった。

2006/11/30 23:15 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 63/ライ(小林悠輝)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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 目の前で見たことのない子供が苦しんでいる。

 つまり、目の前に見たことのない子供がいるのだ。ライはその理由がわからなくてし
ばらく呆然としてから、ようやく我に返ったときには、もうセラフィナが駆け寄って抱
き起こしていた。

「大丈夫ですか、シラくん!」

「…苦し……」

 搾り出すような声で子供が答えた。小柄な少年で、見るからに頼りない感じ。肌は色
白というより青白く、空を掻く腕は細かった。

 セラフィナが、スクウェア柄のセーターごしに彼の体に手をかざして――そうか、こ
の子の時間は真冬のままだったのか――、例の“気功”で治療をしようと目を細める。
 シラは薄く開いた目で、彼女を見上げた。かすれた声がこぼれて、どうやらそれを言
葉にしようとしているようだった。

「…………ず……」

「え? なんですか、シラくん」

「――水! ……ノド乾いて……痛くて、苦しい……」

 セラフィナはきょとんと瞬きする。
 男がバタバタと慌しく部屋の外に飛び出していった。


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


「ふぅ……」

 グラスに満たされた水を一気に煽ると、シラは、やっと落ち着いた、というように吐
息した。男が水差しから二杯目を注ぐがそれには手をつけず、少年はじいっとセラフィ
ナを見つめる。
 それからシラは、さっと彼女の手を握った。

「ボクが元に戻れたのはセラフィナのお陰だよ。
 ありがとう。あのまま戻れなかったどうしようって……すごくこわかったんだ」

「……!」

 その挙動にライは戦慄した。
 さりげなく、相手に意識させないうちに手をとり、身長差を計算に入れた目線と表情
で相手を見ながら耳ざわりのいい声で哀れみを誘うように囁く。
 わざとらしさは微塵もなく、しかもセラフィナが困惑の表情を浮かべる隙も与えない。

 それはまさしく……

(こいつ、天性のナンパ師か……!)

 ――どうでもいいといえばどうでもいいが。
 どうせ一回きりの付き合いで、二度と会うことはないのだろうから。

 ライはリュートを空中に溶かして手袋をはめなおすと、窓の外に目をやった。外はま
だ明るい。この屋敷に来てから半日も経っていない。これだけの時間で、あの状況がな
んとかなったことが半ば信じられない。

 魔法のことなんかよくわからないけど、きっと、何かいい感じの偶然がはたらいたに
違いない。演奏中に魔力のようなものは感じなかったが……

 まぁ、いいか。考えても分からないことは考えない。なにはともあれ解決したのだ。
無意識に緊張していたのが解けたのか、ふいと疲労感が圧し掛かってきた。
 窓を盗み見てシラも映っていることを確認する。足元には影もある。

 セラフィナの思うとおりになってよかった。



「あ、この人ですよ。鏡に映らないお友達って」

「なんか噂でもしてたの?」

 他に鏡に映らない人がいるとも思わないの振り向くと、シラは相変わらずセラフィナ
の手を握ったままだった。それを見たライの表情がかすかに動く――ほんのかすかに、
だ。

「さっき、ちょっとだけ」

「ふぅん……ところで、シラ君だったかな」

 適当に相槌を打ってから――シラに直接訊いてみる。
 彼には、見られては都合の悪いものを見られてしまったかも知れないから。

「――僕のことが怖いかい?」

「…………今は、人……に見える……けど」

「だったら、さっき見たものは忘れてね。
 誰にも言っちゃ駄目だよ。そのおじさんにも、友達にも……」

「……」

 シラは、不自然な無表情で押し黙った後うなずいた。
 ライは満足げにニコリと笑って、「なんのことですか?」と問うたセラフィナに、な
んでもないと返事した。

 脅えている相手の口を封じるのは簡単だ。少し恫喝してやればいい。その相手が化け
モノとなればますますだ。だって人間じゃない相手が、知らない場所で秘密を破ったの
に絶対に気がつかないという保障はないのだから。

 得体の知れないモノに相対するというのは、そういうことだ。
 お願いだから永遠に黙っていてくれ。僕はまだ狩られたくない。

 ――過去にギルドハンターとして何匹もの怪物を屠ってきた記憶が、今は恐怖に変わ
りつつある。そう、ある程度に力のある人間は、容赦なく人間以外を排除するのだ。
 そこには罪悪感も何かの決意もない。ただの害悪として斃される日は近いかも知れな
い。想像するだけで寒気がする。

 そうだ、ここは寒い。早く離れないと、こごえてしまいそうだ。
 この屋敷で起こったことには関わってはいけない。直感が告げている。

 部屋を見渡してからライは口を開いた。

「僕はもう帰るけど、セラフィナさんはまだここにいる?」

「え? ええと……」

 彼女は、ようやくシラに手を握られていることに気がついたらしい。
 困惑した表情でシラとこちらを見比べる。

2006/11/30 23:15 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 64/セラフィナ(マリムラ)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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 ライとシラを見比べ、セラフィナはシラに向き直った。

「私も、もう行きますね」

 にっこりと笑う。しかし、シラは手を離そうとしなかった。

「シラくん……」
「ダメだよ、セラフィナが居ないとダメなんだ。
 ……ボク、また消えちゃうんじゃないかって不安なんだよ……」

 消え入りそうな声で、しかし手だけはしっかりと握って離さない。
 困ってライを振り返ると、ライは笑って訊ねてきた。

「ねえ、セラフィナさん。僕に気を使ってたりとかする?
 その子が心配なら、別に無理して僕と一緒にいかなくてもいいと思わない?」

「そんなことは……意地悪言わないで下さい」

 胸がズキリと痛む。
 胸に傷は負わなかったはずなのに、ソフィニアの一件から、しばしば酷く胸が痛む
のだ。脇の抉られた後とはまた違った痛み。
 目を伏せ、セラフィナはもう一度シラを見た。
 見上げる少年お目は潤み、僅かに首を傾げてコチラを真っ直ぐに見ている。

「ボクを置いていかないでよセラフィナ」

 シラが心配ではないと言えば嘘になる。でも、シラにはずっと心配してくれていた
男が居て、自分はシラの側にいるよりもライと共に去ることを選んだ。
 男を見る。男は無言で頭を下げる。
 男はシラの肩に手を置くと、静かに言った。

「無理を言ってはいけないよ、シラ」
「ヤだヤだヤだ!ボクはセラフィナと一緒がいい!!」

 シラは握っていた手を離したかと思うと、驚くほどの素早さでセラフィナに抱きつ
いた。胸に顔を押しつけ、離れまいと必死でしがみつく。

「痛っ!」
「セラフィナさん、大丈夫?!」

 シラの回した腕が脇の傷に障ったのだ。思わず顔をしかめたセラフィナを、ライが
シラから強引に引き剥がす。予想外の反応に驚いたのか、それとも単にライが怖いの
か、シラは思いの外あっさり身を引いた。

「……ライさん、一緒に帰りましょう?」

 引き剥がされたときのまま、ライに両肩を支えられたセラフィナは、ライの肩に頭
を預けるようにして呟く。表情を知ろうにも、顔は見えなかった。

「彼女、病み上がりだから気を付けてもらわないと……連れて帰るからね」

 シラがなにかを言いかけて、ライの笑顔を見て、やめた。
 結局名前も聞かなかった男は、深々と頭を下げる。

「じゃあ行こうか、セラフィナさん」

 扉を開け廊下に出る前に、セラフィナは一度立ち止まり、振り向いた。

「シラくん、ずっと側で心配してくれていたヒトがいること、忘れないで」

「もう行っちゃうの?ねぇ……」
「さようなら、シラくん」

「イヤだよ、ねぇ、セラフィナ……!」

 笑顔をもう一度向けると、セラフィナはもう振り返ることはなかった。


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


 シラはセラフィナを見送ると、オジサンを見て小さく溜め息を付いた。

「あーあ、結局オジサンと二人っきりかぁ……」

 ふくれっ面で窓を見やり、セラフィナを思い出してニヤッと笑う。

(……でも、ふわふわして気持ちよかったから、まあイイか)

 なんでヒトじゃないトモダチが居るのか分からなかったけど、オバケはボクが抱き
ついたの、確信犯だって事に気付いていたみたいだったから、もしかして手玉に取ら
れていたりするのかな。なんて事を考えて、否定。アイツのことはもう忘れよう。
 忘れないと、いつか誰かに言ってしまいそう。ソレは……怖い。

 振り返ってオジサンの見窄らしい格好を見て、今度は大げさに溜め息を付いてみせ
る。

「隠し扉の宝石箱、多分気付かれていないからサ、身だしなみ整えようか」

 もう家から出られないのはウンザリだ。
 やっぱり、柔らかくて可愛い女の子が居ないとね。

 さっきの心細そうな表情は微塵も感じられない晴れやかな笑顔で、シラは言った。


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


「ライさん、気付きました?」

「えー何に?」

「シラくん、車椅子から立ってたんですよ。さっき」

「あ、あー……あの、抱きついたとき、か」

 ちょっとイヤそうにライが言う。
 痛かったのは自分のハズなのに、セラフィナは他人事のように笑った。

「きっと、歩けるようになりますよね」

「そうだね」

 何となく一方的にギクシャクしていたものがほぐれたような気がして、セラフィナ
は素直に嬉しかった。とても難しそうに思えたことが、何の偶然か、思いの外簡単に
解決したことで気分がいいだけかもしれないが。
 今は一緒に歩ける。それだけで充分だった。

「……あ」

 セラフィナが突然立ち止まる。

「忘れるところでした……服を取りに行かないと」

「じゃあ、寄ってから帰ろう」

 ライが言うと、セラフィナは嬉しそうに笑った。

 通りの向こうから、顔なじみの船員がやってくるのが見える。なんだか重そうな袋
を抱えて、でも、足取りは軽そうだ。

「おう嬢ちゃんら、相変わらず仲いいな」

「茶化さないで仕事しなよ」

「ははは、ちげぇねぇや。
 ああ、そうそう、なんか降りた客の代わりに若い子が一人乗ってくるってさ」

 それだけ言うと「またあとでな」と、去っていく。まだ仕事があるのだろう。

「仲良くできるとイイですね」

 セラフィナはまだ明るい空を見上げて目を細めた。

2006/11/30 23:16 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 65/ライ(小林悠輝)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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 青空にも飽きが来た。
 そんなことを思った日の午後から空は雲ってぽつぽつと雨が降り始めた。

 ライは甲板の隅、勝手に定位置にしてしまった場所で灰色に煙る海を眺めながら、た
まにはこんな天気もいいなと少し機嫌がいい。

 中に入ってもよかったが、いつもここにいるのだから雨くらいで諦めることもないと
思ったのだ。体が冷えたところで体調を崩すことはないとなれば雨に濡れるのは、逆に
気分よかった。

 雨粒がいくつもいくつも際限なく海に落ちて、それでもきっと海が雨に埋められて水
溜りになることはない。ささくれ立ったように水面で撥ねる雨粒が、ただ不毛だ。

 川が溢れて町を飲み込むことはあるが、海が溢れて町が沈む話はあまり聞かない。神
話の中だけ。それも地震だとか神の怒りだとかで地面の高さが変わるのであって、海が
増えるわけではない。

 ――いや、神の怒りが地震を起こすのか? だとしたら、どちらでも同じことだ。
 だって神さまなんて見えないのだ。いたとしてもわからない。

 これは私がやったことだと教えてくれて、それがまぁ神さまらしいことならば、少し
は信仰心でももってあげられるというものだ。

「……ってことを思われてますよ神サマー」

 反応があるわけもない。だが他に甲板にいるのは不幸にも外の当番だったらしい船員
が二人か三人だけで、彼らとは離れている。雨音で聞こえない。
 誰も聞いていないということは、何も言っていないのとおなじことだ――が、

「おい、カゼひくぞ兄ちゃん」

「うわぁ!」

 振り向くと四人目がいた。前にくだらない怪談話を聞かせてくれた船員だ。
 何が面白いのかゲラゲラ笑っている彼にライは半眼で文句をつけた。

「カゼなんかひかないし。
 それに、オバケ脅かすなんて最低だよね。何しに来たの?」

「交代の時間なんだよ。いいから中入ってろ。カノジョが心配してたぞ」

「なんでそこだけ一昔前の都会風な発音なのかなぁー」

「さっさと戻れって。
 ついでに呼び戻してくるって言っちまったんだからよ」

 それだけ言って船員は、さっさと交代しろと雨の向こうから怒鳴られて走っていった。
 ライはそれを見送ってから甲板を後にした。

 まだ昼間なのに辺りは暗い。
 まさか嵐になったりしないだろうなと、一瞬だけ不安になった。


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


「カゼひきますよ」

「あのおじさんにも言われた」

 笑いながら言ったセラフィナにライは憮然とこたえた。

 水をあんまり丁寧に払わないまま歩いていたら廊下で「掃除大変だから勘弁して」と
か悲鳴を上げられたが自分が掃除するのではないのでそのまま食堂に来たのである。
 雨が降ると食堂に人が集まるようだ。他に退屈をしのげるような場所はないから当然
といえば当然。

 暇そうな客と船員と、人が多いせいで空気が暖まっている。
 少し離れた場所では賭けでもやっているのかやたらと賑わっていた。

「タオルもってないし……借りるのもなんかなぁ。そのうち乾くよ」

 髪から垂れて目の横を滑った水をうっとうしく感じて手のひらで拭うと、濡れた革手
袋にこすられて水気が余計に広がった。やっぱりちゃんと拭いた方がいいかも知れない。

 そのまま前髪を引っ張って左目のあたりを隠そうとしていたら指先が皮膚に引っかか
って嫌な感触がしたので見てみると、少しはがれてしまったらしいものがついていた。

「……あ」

「あ、じゃありません!」

 傷がどんな風に崩れたものか、セラフィナが顔色を変えた。

「いや、大丈夫だって……気が向いたら直すし」

 ライは別にセラフィナに何かしたわけでもないのに彼女に対して後ろめたいような気
分になって、言い訳するように小さく手を振る。

「……そうですか?」

 セラフィナは暗い表情をしてしまう。

(きっと自分には何もできないと思って落ち込んでるんだろうなぁ……)

 こんな顔されるとライも困ってしまう。落ち着かない、というか、やっぱりこれも
後ろめたいというか。

「ただ、船って動いてるでしょ?
 乗ってる間はなかなか消えれないから、それまでどうするかな……」

「痛みますか?」

 何も感じない。

「……ちょっと痛いかも。
 適当に包帯でも巻いとくよ」

「手当てしますから……すこし待っててください」

 セラフィナは言うと、パタパタと食堂を出て行った。
 ライは息をついて近くの椅子を引いて腰を下ろし、テーブルにうつぶせる。
 外にいる間はよかったが、意識してしまうと濡れた服が重いし体に張り付いて気持ち
悪い。服だけじゃなく体まで思いような気がしてくる。
 また甲板に行ってこようか。いや、セラフィナさんに怒られるから駄目だ。

 次に船が泊まるのはルクセンという港町だ。そこに到着したら長かった船旅も終わり
で、陸路でコールベルを目指すことになる。思いつきで言い出したその目的地への興味
はもう失いかけていたが、行きたくないということもない。
 のんびり観光するのもいい。

「彼女とケンカしていじけてるの?」

「……だから、あの人は違うってば」

 ゆっくりと顔を上げてライは相手を見た。
 前の港で乗ってきた女の子。名前は知らないが何度か話をした。

 見るからに年下ではきはきした喋り方をする子だ。
 短い茶髪を手でかきあげて、何故か勝ち誇ったように言ってくる。

「相変わらず見た目も態度もハッキリしないのね。
 見てる方の目が痛くなっちゃう」

「ハッキリしすぎもどうかと思うよ」

 彼女は眉をひそめた。

「その目、ケンカでやられたの?
 魔法でなおしてあげようか? すぐ終わるから」

「だからケンカしてないし、魔法もいらないよ」

 こちらが人間じゃないことには気がついているだろうはずなのだが……ついでに、近
くで魔法を使わないでって頼んだはずなんだけど、わかっているのかいないのか。
 正体云々は別に構わないが、魔法のことは忘れられると困る。

「ケンカしてないのにいじけてたの?」

「……疲れたから突っ伏してただけ」

 ライが言い返すと、彼女は「えー」と不満げに言ったあと、背負っていたリュックか
ら大きなタオルを取り出して、乱暴にライにかぶせた。

「そんなズブ濡れなのほったらかしにして疲れたって言うなんて、馬鹿でしょ」

 ああ、濡れたから調子が悪いのか。寒くはないんだけど。
 ライはせっかくなのでタオルで髪を適当に拭いながらこたえた。

「否定はしないよ」

2006/11/30 23:17 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図

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