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2024/11/03 02:35 |
銀の針と翳の意図 56/セラフィナ(マリムラ)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
------------------------------------------------------------------------

「ボクのこと、怖い?」

 シラはセラフィナを覗き込むようにそう聞いた。

「怖くないわ」

 優しく微笑むセラフィナに、シラはちょっとだけ口を尖らせる。

「みんなそう言うくせに逃げ出すよ?」
「----そんなこと、しない」

 言葉尻に被せるように返ってきた言葉は、ゆっくり噛みしめるような口調で、セラ
フィナの表情のように穏やかだった。
 シラはニッと笑顔を作ると、箱をなにやら弄りはじめた。
 部屋の大半を覆っていたカーテンが開き、眩しい外光が部屋に差し込む。
 おもわず目を細めたセラフィナ。シラはちょいちょいと窓を指し示し、少しふざけ
るような口調でこう言った。

「ほら、見て!いい景色でしょう?」

「ええ、そうね……?」

 何を言いたいのかがよくわからないのだ。
 高台にあるだけあって見晴らしも良く、景色も素晴らしいモノなのだが、どうもそ
ういうことを言いたいわけではないらしい。
 セラフィナは首を傾げ、シラに問う。

「素敵な眺めだけど、見せたいモノは他にあるのよね?」

「んー、気付くと思ったのに~」

 もう一度、外を見る。おかしな所は見当たらない。

「外じゃないよう。ガラス見て、ガラス」

 そこには自分しか映っておらず。--------え?

「あ、わかった?おどろいたでしょー」

 確かに驚いた。ライの時も最初は気付かなかったのだが、「幽霊が居るかもしれな
い」前提でココに来たというのに、何も気づけなかったのだ。呆れる他はない。

「……やっぱり逃げちゃう?他の人みたいに」

「ちょっと驚いちゃったけど、逃げないよ」

 セラフィナは笑った。うん、大丈夫。怖くない。

「ガラスに映らないお友達、他にも知ってるよ」

「え……本当に?」

 シラが身を乗り出す。

「他にも透過の魔法で失敗しちゃった人、居るの?!」

 シラの目は真剣そのものだった。



  バタン  ……バタ……バタバタ……バタバタバタバタ

 下から扉が閉まる大きな音がした。人の声と足音が近づいてくる。
 何を言っているのかまでは聞き取れないが、どうやら声の主は一人らしい。しかも
急いでいるようだった。

「シラ!」

 大きな声で名前を呼びながら部屋のドアを開けたのは、なんだか貧相という表現の
似合うみすぼらしい男だった。

「ああ、珍しいでしょ?ボクのお客さん」

「あの、お邪魔してます」

 客の存在に面食らっている男にセラフィナが会釈する。相手は形ばかりの会釈を返
すと、シラに詰め寄った。

「やっと見つけたんだ!喜んでくれ!」

「……えー、その台詞、何度目~?」

 興奮気味の男とは対照的に、冷ややかな目を向けるシラ。
 しかし男はそんなことには構わず、シラの肩を両手で揺さぶった。

「今度こそ間違いない!手応えがあるんだ!」
「わ、わかったよ、わかったから……」

 前後に揺さぶられた頭を庇うように抑え、シラが男を見上げる。

「で、今すぐ試すの?おじさん」
「勿論だ!」

 おじさんと呼ばれた男の目が怪しげに光った。

「あの、私はそろそろ……」

 セラフィナがおずおずと声をかける。
 しかし、二人同時に振り返られて、つい動けなくなってしまった。

「セラフィナ、ボクを置いていくの?」

 シラが心配そうに問いかける。

 男は既に、香油や灯りの準備を終わらせていた。クックックッとくぐもった笑いを
洩らし、小脇に大事そうに抱えていた魔導書を丁寧にめくりはじめる。

「……杯は既に傾き、輝ける滴はこぼれ、満ち満ちていた力は風前の灯火。
 ならば我々は、こぼれた水を手のひらにすくいあげる」

 男が、下手な詩の朗読を連想させる呪文の詠唱を始めると、シラは身を竦め、一瞬
体を震わせた。

「なんだか背筋がチリチリする……」

 ギロリと睨み付けてシラを黙らせると、男は止まることなく呪文を紡いでゆく。

「立ち込めた霧を払い、蜂蜜をそそぐ。我々は望むがゆえ楽園を見る。
 右手に靴、左手にはかんざしをかざして、混沌から魂を拾い上げる……」

 急にシラの姿が滲み始めた。霞んで、ぼやけて。

「どうなってるのさ……」

 そう言い残して、シラは消えた。頭を抱えて男が叫ぶ。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!」

 悲痛な叫び。手順をどこかで間違えたのか、それとも呪文に誤りがあったのか。
 とりあえず男の思惑通りにはいかなかったのは確かだった。

「何が、どうなってるの……?」

 混乱し、視線が泳ぐセラフィナの目に映ったのは、ガラスに映るシラの姿。

「えっ……?!」

   ボク ハ ココ ニ イル ヨ

 吹き付けた息で僅かに曇るガラス。そしてソコに指で書かれる文字。
 彼はソコにいる、らしかった。



「……位相がズレてしまったのかもしれません……」

 男がぼそりと呟いた。

「シラが鏡に映らなかったのも、ガラス越しにしか彼を見ることが出来ないのも」

 頭をわしゃわしゃと掻きむしる。

「ココとはホンの少しズレた空間にいるからだと思います……」

 最後の方など、消え入りそうな小さな声だった。
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2006/11/30 23:11 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 57/ライ(小林悠輝)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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 ――ああ、ここは寒い。

 雰囲気がそう思わせるのだろう。古から数百年以上を経て生活感など完全に削ぎ落と
された遺跡よりも、こういった廃墟は神経を磨り減らす。誰かがいたという痕跡、その
誰かの生活を窺い知ることができる痕跡が消え去っていない。

 廊下は真っ暗だった。あの男がランプを持って行ってしまったからで、それを見失う
前に追いかけなかったのは、この場所には見覚えがあるかも知れないと思ったからだ。

 壊れた家具、カビと模様が混ざり合った壁紙、扉に刻まれた疵。
 たしかこの廊下をまっすぐに歩いていくと右手に階段がある。二階にはホール。

 暗闇でも不自由はないのだ――自分の存在以外の周囲の様子は、しっかりと認識する
ことができるのだから。わざとカツリカツリと足音を立てながらライは、こんな場所に
は来たことがないはずだと思い直した。
 ベリンザの町には覚えがない。

 二階にはホール。ささやかな宴会を催すための。
 そこから始まったのだ、血濡れの惨劇が。

 町で聞いた話の通りならば、かつてここの主だった商人は、招き入れた旅人に殺され
てしまったらしい。人のいい男で、珍しいほど強い吹雪の中で扉を叩いた吟遊詩人を、
当然のように受け入れて。
 礼に一曲歌いたいと申し出た詩人に喜び、せっかくだからとホールに人を集め。
 呪いの歌で、警備の人間や使用人ともども一人残らず命を奪われた。

(呪歌ねぇ……)

 呪い歌。古い言葉で綴られた伝承歌には、旋律や歌詞に魔法的な音階を、或いは人間
の心理につけこんだ細工を施されたものが存在する。

 演奏されることで再生し、その音律を耳にした者を魅惑し、眠りに誘い、恐怖に陥れ、
錯乱させ、絶望に突き落とし、優しく死を説き、狂乱を沈める、様々に人の心を揺さぶ
る楽曲。音楽技巧的には稚拙と呼ばれ、歌詞もありふれた伝説を歌っている。知る者に
しか相手にされない。

 使い込んだ楽器と共に各地を渡り歩く吟遊詩人たちの間でのみ密かに伝えられる、人
の心を操る技術。考えてみればいい。どれだけ歌が上手く見目がよくとも、それだけで
一国の政治に介入する者がいるか。王に寵愛された彼らがどのような魔性を操ったのか。

(聞いたら即死する歌なんてあったかな……誇張して話されたんだろうな)

 よくあることだ。
 さて、と思考を切り替える。あの男はどこへ行ったのだろうか。
 あまり大きな屋敷ではなさそうだが部屋の数は少なくなさそうだ。いや、人の気配を
探るのなら簡単か。大人数がいるはずもない。
 だから、衣擦れや空気の動き、話し声。どんな些細な要素もここでは目立ってしまう。

 目の前には闇だけがある。
 男の足音もとっくに聞こえなくなっていたので、ライは再びペンライトを灯した。


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


 そうっとその部屋に忍び入り、ライは思わず『あ』と声を上げてから慌てたが、どう
せ誰にも聞こえないことに気づくまでは数秒かかった。

『なんで、いるんだ……』

 視線の先にはセラフィナがいた。そこにいるのが当たり前というように椅子に腰掛け、
さっき見た男と向かい合って何かを話している。テーブルに置かれている本はさっきの
ものだろう。

 二人が暗い表情でちらちらと窓の方を振り向くのでライもそちらを見ると、窓には子
供が映っていた――ちょうど、部屋の中、窓のすぐ手前に立っているだろう位置だが、
実際には誰もいない。子供の表情は何かを怒っているようだった。

 何が起こっているのかさっぱりわからない。
 ここはどうやら応接室のようだ。奥の方と違って部屋は綺麗に片付けられていて、廊
下もそうだった。

 男がここに住み着いているというのは本当らしい。それなりに健康的な生活を送れそ
うなスペースがあるのだから。

(まさか、あの船員の話を真に受けて来たんじゃあるまいな)

 いくら素直な彼女でもそんなことはないだろう。怪談なんて大半が創作か誇張だ。幽
霊さんなんてそうそういない。ソフィニアが異常だったのだ。膨大な魔法を扱う都市だ
から、何か変な影響で大量発生していたに違いない。

 どんな場所でもいっぱい見えると言い張る人は幻覚でも見ているのではなかろうか。
 自分にしか見えないお友達とは、あんまりお知り合いにならないほうがいい。健康管
理は大切だ。
 むしろ、そういう人を見ている方が、幽霊さんを見るより寒気がする。

 そう思えば今も少し寒いような気がして、ライは左手で右の上腕を掴んでみた。
 自分の体を抱くように、という表現があるが、どういう風にすれば相応しくなるのか
よくわからない。掴んだ腕は布地越しでも異様な感触で指をめり込ませる。

 ――と、どうでもいいことを考えたりやったりしているうちに、窓に映った子供が、
ふとこちらを見た。窓ガラスの彼は窓に背を向けている。つまり部屋の中を見ている。
誰もいない空間から視線を感じた。

 ヤバいな、と、思いながら。
 とりあえずライは愛想笑いをしながら手を振ってみた。

 子供は凍りついたようにライを見ている。
 さて問題です。僕が人間だったのは二年以上前。体なしでそれだけの時間を過ごした
“ナカミ”が、そのまま人間の形を保っているでしょうか。

 いるわけがない。自分で即答。
 確かめようがないからわからないが、可視か不可視の人間の形の幻影を纏わなければ
誰にも見えないはずだから気にしていなかった。だが、誰かに視認される可能性がある
とすれば話は別だ。

 ライは、ほんの一瞬だけ、セラフィナやあの男の気づかれるより早くこの子供をどう
にかできないかと真面目に考えた。

 もう自分が完全に人間以外に成り変わっていることは、セラフィナには絶対に知られ
てはいけないと思ったのだ。そんなことは――ただ、怖い。

 舌打ちして、踵を返し廊下に逃れる。
 おかしいなぁ今回は傍観者に徹するつもりだったのにこのままだと無理じゃないか。

2006/11/30 23:12 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 58/セラフィナ(マリムラ)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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 男は静かに語った。
 少年の快気記念パーティーが行われるはずだったその日、運悪く大きな嵐が来たこ
と。嵐の中の来客も、疑うことなく受け入れた主人。旅人が吟遊詩人であったことを
幸運にすら思い、広間に人を集め、唄を所望したこと。
 そして。

「シラは主役が取られたようで面白くないから、と」

 男は手元の本をさすりながら、力無く笑った。

「父親の古書コレクションの中にあった『透過の魔法』を試したらしいんです」

 男は指が白くなるほど強く拳を握り締める。顔は笑おうとしているのだが、悲痛な
表情を消すことは出来なかった。

「私がシラにその本の存在を教えました。
 こうなってしまったのは、私のせいかもしれない……」

 男は主人のために古書を集めるのを生業としていて、シラとは時々他愛もない話を
していたのだという。たまたまシラとその本の話をして、その日のうちに別の都市へ
立って。後日、帰ってきて初めて事件のことを知ったらしい。

「シラは、きっと他の人を驚かせたかっただけなのでしょうけどね」

 男は窓に目をやる。シラは窓に背を向けていて、表情はわからない。

「でも、私が戻ってきたときには、彼は声だけだったんですよ……」

 関連する書籍を探して各地を転々とし、辛うじて見つけたモノと、ココの秘密書庫
のモノを照らし合わせながら、もう二年以上解読作業をしていたらしかった。
 やっと声だけでなく体も取り戻したと思ったら、シラにはまだ影がなく、治ってい
るはずの足も動かないまま。ようやく元に戻せると思ったが何がおかしかったのか、
余計に酷いことになってしまった……というのだ。

「シラくんは、その間ずっとひとりだったんですか?」

 セラフィナが窓ガラスを見ると、シラが必死で何かを言っている。
 慌てて席を立つと、ガラスに指を走らせるシラにセラフィナは駆け寄った。

『だれか へやに いた』

「……誰?」

 セラフィナが振り返るが、当然誰か見えるわけでもなく。
 もう一度ガラスを凝視する。

『ぜったいに だれか いたよ』

 シラは震えていた。誰とも話せないというだけでなく、得体の知れない何かがいる
という不安。そして。

『あれ ひとじゃ ない』

『はやく たすけて』

 男は弱々しく目を逸らした。
 セラフィナはどうすることも出来ずに、本を見た。

「あの……この記号、どこかで見たような気がするんですが……」

 そう、どこで見たものだったか。そうたしか。

「ああ、音楽記号ですね。
 この魔法はどうも呪歌の一種を掛け合わせたオリジナルのモノらしくて」

 急に、ライの言葉がよみがえる。彼はなんと言っていた?
 コールベルに向かう前、彼は言った。
   「僕は吟遊詩人になりたかったんだ。
    だから、一度は行ってみようと思ってんだよね」
 と……。彼はもしかしたら、この本を正確に読み解けるかもしれない。

「……吟遊詩人を志していたという友人がこの町にいます。
 僅かな望みでも、賭けてみる価値はあるかもしれません」

 言ってからセラフィナは思う。
 巻き込んでしまったら、ライは怒るだろうか。それとも呆れるだろうか。
 彼の助けになりたくて、でも何もできなくて。
 彼に余計な負担をかけてしまっているのかもしれないけれど、でもこのままシラを
見捨てることもできなくて。

 男は無言で、縋るような目でセラフィナに本を手渡した。
 セラフィナは両手で大事そうに抱きかかえると、小さく頭を下げる。

「ライさん……助けて」

 小さく呟くと、もう一度抱く手に力を込め、扉へ向かって走り出した。
 振り向くと、シラを置いて行けなくなる。そんな気がしたから。

2006/11/30 23:12 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 59/ライ(小林悠輝)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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 ――吹雪の中、僕は扉を叩く。
   マフラーとコートの下で体は震え、手袋の中で手が凍える。

  入れてください、入れてください。
  僕は旅の吟遊詩人。どうか暖をとらせてください。

 ――吹雪の中、僕は扉を叩く。
   背中の袋には買ったばかりのリュート。懐に毒薬。


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


 暗い廊下、扉の前で中の話を聞きながら、ライは混乱していた。

 わけがわからない。いくらなんでも話が矛盾しすぎている。自然にここまで滅茶苦茶
になるはずがない。だが、この屋敷の住人が話す話の方が、直接関係のない町人たちの
語る興味本位の噂よりも信憑性の面では高いことも承知している。

 だが、それでは腑に落ちない。
 謎を解明しようなどという気はまったくもってなかったが、ここまでちぐはぐだと気
味が悪い。

 この屋敷で何かが起こったのは、嵐の夜? ――僕が聞いた話では吹雪の夜だ。
 それに今の話では、吟遊詩人は何もしなかったことになる。この屋敷の中でどうにか
あったのはあの子供だけ。

 なら、ここはどうして廃墟なのだ? さっき見た弾痕は、何だ?
 今の話が本当なら無事なはずの父親や使用人や客は、どこへ消えてしまった?

 この屋敷では、一体、何が起こったのだ?



「……誰?」



 中から訝しむような声が聞こえた。子供がこちらの存在を伝えたのだろうか。
 となれば、窓ガラスだけに写っているのか、それともガラスの中にいるのか、どちら
にしても喋れないということはないのだろう。見ている間は一言も発さなかったし、今
も声は聞こえなかったから別の方法かも知れない。

 見つかることはないだろうが、今の声がきっかけになって、ライは扉の前を離れた。
 ここは寒い。外では雪でも降っているのではないか? そんなことはあり得ない。
 窓から見えるのは青空。どこまでも晴れ渡って憎らしいほど。

 日の当たらない屋内で、換気もあまりされていないようだから、冷気が溜まっている
らしい。だが、気温が低いという意味での寒さなんか、認識しても実感できない。

 階段を上がり大きな扉を開くと、そこはがらんとした空間だった。
 今はもう使われていない場所なのか、ふさがれた窓はいくらか割れ、打ち付けられた
板の隙間から細い光の柱がいくつも落ちている。

 ここは寒い。外では雪でも降っているのではないか? そんなことは……

 風の流れがあるらしく、埃がきらきらと舞っている。
 それはまるで粉雪のようで美しく、恐ろしい。
 雪が降っている。だからここは寒いのか。

 足元に敷かれた絨毯はひどく焼け爛れていた。その火は壁を焦がし天井に煤をつけた
らしい。まるで、使い物にならなくなった絨毯を燃やすために火をつけたようだ。
 無理もない。これは血で真っ赤になったのだから。

 踏み出した足元が、ぐっしょりと濡れているような気がした。見下ろせば気のせい。
熱で割れたタイルに絨毯だった墨や灰がこびりついた醜い斑が一面に広がっている。

 湿気と乾気ですっかり固まったそれらを踏みながらホールの真ん中まで歩いて、それ
から振り返った扉には、絵が描いてあった。ぼろぼろになってすっかりわからないそれ
は、空と天使。楽園の風景だったはず。
 それだけでは別に珍しいものではない、のだが。

 描かれた天使のうち一人がネコミミなのが不思議だった。
 これを描いた画家に一体何があったのだろう。

 今となってはそこに絵があったらしいということしかわからないから、余計に知る術
はない。でも覚えている。あの天使は確かにネコミミだった。確信しながらさっきの思
いを撤回する。
 間違いなく僕はここを知っている。霧の向こうにあるような、おぼろげな輪郭だけの
記憶。もう思い出せない? そんなことない。
 嫌な予感に冷や汗が滲み鼓動が早くなる。気のせいだ。もうわかりきっている。

 そう思うと、このホール自体にも見覚えがある気がしてきた。
 昔はシャンデリアがあったはずなんだけど、あれはどうしたんだろう?
 天井を見上げて思う。飾りがないと、随分と高い天井だ。

 唾を飲み込んだ喉が焼きつくように痛んだ。咳き込むと余計に痛みそうなのでこみ上
げてきた何かを強引に飲み下し、息苦しさに呻いた。

『…………マズいな』

「誰か、いるんですか?」

「え?」

 思わず声に出して返事をしてしまってからライは後悔した。諦めて振り返る。
 セラフィナが、さっき開けた扉の隙間からこちらを見ている。きっと、さっき扉を開
けたときの音を聞いて様子を見に来たのだろう。

「ライさん……?」

「ああ、うん。だってこの町、他に見る場所なくてさ」

 言いながら姿を現し苦笑い。
 セラフィナはくすくすと笑った。

「やっぱり怪談が好きなんですね?」

「違うよ」

 足元に、何か、灰と一緒に固まったものを蹴った。原型を留めないほど溶けてゴミと
混ざりかけたそれを拾い上げ、観察してからセラフィナに放る。

「! なんですかコレ」

「金かも」

「金?」

「ゴールドだよゴールド。こんなんじゃカネにはならないかな」

 自分の発言ながら面白くない。
 セラフィナはますます困惑を深くして、指先で持ったそれを見ている。

「……これ、ブローチですか? ピンの部分だけ別の金属で、残ってます」

「あげる」

「え? これって、誰のですか?」

「僕が拾ったから僕のだったけど、もうあげたからセラフィナさんの」

 よくわからないことを言いながら、彼女の横をすり抜けてホールを出る。
 昔、金のブローチなら溶けていないやつを持っていたが……死体と一緒に行方不明だ。
弟が同じのを持っているはず。

 そういえばさっきの子供はどうなったのだろうか。元に戻すのを手伝うとか言い出し
そうな状況だったけど、だったら手がかりの一つもないと出航までに終わりそうもない。

 なんか、余計なことに首を突っ込むのには慣れてきた。どちらかというと自分もそう
いうことを好んでする傾向にあるから人のことだけ言えないし。

「こういうところで意味ありげに拾ったものって、意外とキーアイテムだったり」

「あの、ライさん……お願いがあるんです」

 くだらない冗談は無視された。ちょっと寂しい気分になりながらライは振り返る。
 ああうんわかってるよ。あの子供のことだよね。なんとか助けてあげたいって言うん
だよね?
 そういった言葉を覚悟して――或いは期待してうなずくと、セラフィナは真剣な表情
で訊いてきた。

「音楽記号とか楽譜とか、読めますか?」

「…………はァ?」


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


     どこへ行っていたの、ランダル卿、私の息子?
       どこへ行っていたの、わたしの綺麗な若者よ

     緑の森に行きました。母さま、ベッドをしつらえて
       僕は狩りで疲れました、横になりたいのです


 見せられた本のページには、古い楽譜らしきものが書かれていた。
 音符を追って旋律を脳裏に描きながら、下の歌詞を流し読みしていく。


     そこでだれに会ったの、ランダル卿、私の息子?
       そこでだれに会ったの、わたしの綺麗な若者よ

     恋びとに会いました。母さま、ベッドをしつらえて
       僕は狩りで疲れました、横になりたいのです


「“ロード・ランダル”か……」

 古びたページをめくりながら、ライは思わず感嘆の声をあげた。

「すごいな、この本は。オールドバラッドってのは滅多に楽譜に残らないんだけど、十
曲以上の譜面がある。歌詞も古いみたいだ。歌われるうちに少しずつ変わっていくから、
オリジナルに近いものは貴重だよ。
 郷土研究家あたりに、かなり高く売れるんじゃない?」

「ライさん……そんな場合じゃありません」

 セラフィナが眉をひそめて言う。不安そうな男の方をちらりと見てから、彼女は念を
押すように少しだけ強く睨んできた。

 窓ガラスに見える少年は脅えた様子でこちらを見ている。セラフィナが最初に紹介し
てくれたお陰でさっきほどあからさまには怖がられていないみたいだけど、彼には一体
どのように見えているのだろうか。聞いてみたいが、彼はいま話ができない状態らしい。

「でもね、古い民謡や伝承歌ってのは民俗学の観点から見ても重要なもので――」

「……ライさん」

 二度目は怖かったので言葉を切る。わざとらしく咳払いしちゃったりして。
 わかってるよと口の中だけで言い訳してページをめくっていく。さっき男が書庫で読
み上げていた歌の譜面を見つけ、その下に書かれた文章を読もうとしたが知らない文字
だ。

「呪歌って知ってますか?」

「もちろん。
 ……子供騙しだよ。歌で催眠術をかけるようなもの。魔法の楽器でも使うか、よっぽ
ど上手い人なら別だけどね?
 そもそも、お貴族様が好むけったいな音楽と違って、こういう伝承歌には教科書も原
典も存在しないんだ。自分が聞いた伝説を、まぁ定番の旋律はあるんだけど、それをア
レンジしながら、もっとも相応しいと思う歌い方で歌う。
 時代によって曲や歌い方にも傾向があるだろう? だからこの本は貴重なんだ。
 現代と比較することによって過去を知るために、大いに役立つだろうね」

「この魔法は、呪歌の一種を組み合わせたオリジナルのものって聞いたんですけど……
何か、わかりますか?」

 三度目は黙殺だった。
 仕方がないのでため息をついて、下の文字を見ようとする。曲の弾きかたを文字で説
明されているのだろうか――それはないな。だったら楽譜に直接書き込む。
 だから魔法そのものの説明なのだろう。これが読めないと話にならない。

 うーん、と唸ってライは頭をかいて、無責任なセリフを吐いてみた。

「とりあえず誰か歌ってみれば? 今度はメロディーつけて」

「……ライさんは?」

「いや、このノドを治してくれるならいくらでも。
 そうなったらもう毎晩ラブソングでも捧げるよ」

 襟元に手をやって傷を見せながら笑うと、セラフィナは顔をゆがめて子供を振り返っ
た。というよりこちらから視線を外した。

 しまった我ながら悪趣味か。
 問題の文章を指差しながら慌てて誤魔化すことにする。

「――と、冗談は置いといて……これの解読はできてないの、おじさん?」

2006/11/30 23:13 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図
銀の針と翳の意図 60/セラフィナ(マリムラ)
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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 ライの問いに、男はぼそぼそと答える。

「この部分だけ、古代シルス語で書かれています。
 とても狭い地方で使われていた言葉で、殆ど文献には残っていません」

「で、なんて書いてあるの?」

「特定条件下で旋律を間違えずに謳うと、歌を聴くすべての人の位相がずれる。
 そして、元に戻すためには正しい旋律でもう一度同じ歌を謳えばいい」

 男は溜め息をついた。ガラス窓をちらっと見て、続ける。

「特定条件下とは、キッカスの香油で灯す明かりのようです」

 男は香油の壺とランプを指し示した。

「でも、旋律をどう間違っているのか、シラの位相ばかりがずれてゆく……」

 テーブルに伏すように頭を抱える男。セラフィナは、話に引っかかりを覚えた。

「正しい旋律で謳う、特定条件下で謳う……同じではないかもしれませんよ」

 もし男が信じたように同じであるなら、元に戻すどころか入れ替わりで位相がずれ
てしまうことになるのではないか。今まで失敗していたのは運が良かっただけなのか
もしれない。

「ちょっと待って。そんな危険なことにセラフィナさんを立ち会わせたの?
 彼女があの子みたいになったらどうするつもりだったんだ!」

 ライが少し苛立ったように声を荒げた。セラフィナも思わず身を竦める。
 怒るタイミングを逃して少し冷静になったとき、ふと、思い出したことがあった。

「え、と。さっきから気になっていたんですけど、他の方々はどうしたんですか?
 その日は、大勢屋敷にいらした……」
「自分が危険に晒されてたんだよ?ちゃんとわからせないとダメだって!」

 語尾に被せるようにライが遮る。ライの言うことは確かにもっともなことなのだ
が、とても重要なことのような気がして、疑問が頭を離れない。
 竦んでしまっている男が、更に頭を抱えるのが目に入る。
 彼も随分苦しんできたのだろう。本当は見た目よりももっと若いのかもしれない。

 自分が危険に晒されていたことよりも、その事で心配してくれる人が居ることがな
んだか嬉しくなって。

「……ライさん」

「なに?」

「私の分まで怒ってくれてありがとう」

 セラフィナがにっこり微笑むと、ライは目に見えて脱力した。

「……なんか、お礼言うところじゃないような気がするんだけどー」

 そうかもしれない。
 でも、セラフィナはすごく救われた気分だったのだ。

「あー……なんだっけ、そう、他の人の事。教えてよ、おじさん」

 何となくバツが悪そうにライが訊ねると、男はおそるおそる顔を上げた。

「お二人も噂でお聞きでしょう?」

「え」

「一人残らず殺されましたよ。旅人を装って入り込んだ奴らに」

 しばしの沈黙。
 さっきの話では、シラが人を驚かせるために呪歌を謳ったのではなかったのか。

「ああ、言葉が足りませんでしたね。どうも人に話をするのが苦手で……。
 シラは一人部屋に篭もって自分に透過の魔法をかけたんです」

 男がシラをちらりと見やる。

「でも、旋律を間違えたのか、シラは声だけになってしまった。というか、実際には
コチラへ声しか届かなくなってしまった。モノに触れなくなってしまったんです」

 視線をシラから外し、嫌悪の表情と共に男は眉をひそめた。

「シラは助けを呼ぼうとした。でもできなかった。
 人々の悲鳴と銃声がいくつも聞こえてきたんだそうです。……全滅でした」

 ライもセラフィナも、黙って話を聞いている。
 男の表情には鬼気迫るモノがあった。

「シラは黙って隠れていることしかできなかった。
 外は酷い嵐で、最後には外が見えないほど吹雪いていたと言います。
 ……私が戻ったとき、屋敷は荒らされていましたから、主人のコレクションを狙っ
た強盗の類でしょう。珍しい宝石を手に入れたばかりだと聞いていましたから」

 目には溢れんばかりに涙を溜め、男は言った。

「私に出来ることは、書籍のコレクション用に作られた隠し部屋の文献を使って、シ
ラを元に戻す手がかりを掴むことだけでした。
 お願いします、助けて下さい。私には歌のセンスがないのかもしれない。
 解読できたと思っても、その通りに謳っているつもりでも……」

 男は言葉に詰まる。……下を向いて泣いていた。
 ボロボロの雑巾のように見窄らしく、小さくなって泣いていた。

2006/11/30 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | ●銀の針と翳の意図

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