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PC:タオ、ライ
NPC:ソム、巨漢、神父、ほかたくさん
場所:シカラグァ・サランガ氏族領近海の船上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どこまでも蒼い空の下、大きな白い帆いっぱいに風を受け船は進む。
護衛は、有事のその時に動けさえすれば、遊んでいても許される。
暇を持て余した護衛の多くがカード遊びに興じたり、日光浴よろしくごろ寝したり、思い思いに羽根を伸ばしている中、甲板の上で、タオは一人日々の鍛錬に精を出していた。
正中線を意識し、正しい立ち姿で立つ。
呼気により周囲の気を取り込み全身に行き渡らせる。
タオにとっては呼吸一つ、姿勢一つとっても功夫であった。
普段意識せずに行っていることではあるが、毎朝、確認するように行うのがタオの日課だった。
雲が流れ、風が頬をなでる。
波の揺れを足元に捉えながら、タオはしばらくそう過ごすと、
やがてゆっくりと単調で緩慢な動作を繰り返す。
それは舞のようでもあった。
「なんだそりゃ。ダンスの練習か?」
頭上から嘲りを含んだ声が響いてくる。
出港時に絡んできた巨躯の男がいた。
呼気には酒のにおいが含んでおり、酔っているようだ。
これで、いざというとき動けるのだろうか。
タオは内心そんな心配をしたが、他人のことなので口にはしなかった。
代わりに当たり障りのない返事をしておく。
「鍛錬ですよ。
しかしダンスとは慧眼ですね。
"武"と"舞"は通じるものが多い。」
「はぁ?お前、何言ってんの?
トレーニング?それで強くなれるわけねーだろw
それとも、あのダンスはまじないかなんかか?
チチンプイプイ強くなぁれってか?」
巨躯の男は自らの言葉に腹を抱えて笑い出す。
「オーケィ、オーケィ
お前意外と笑わかせてくれんなぁ。
そんじゃま、俺にそのトレーニングの成果とやらを見せてみろよ。」
「戦いの技は戦いの場でしかお見せすることは出来ません。」
「でったー!ハッタリ台詞!!
やっぱお前、あれだな。
レットシュタインで野盗やったっての、ウソだろ?
いいぜ、俺様が軽く揉んでやんよ。」
タオは目の前の巨漢をしばらく眺めたあと口を開いた。
「それはあまりよろしい考えではないかと。」
「何がだよ?」
「そのような心構えで戦いに臨むのは危険かと存じますが。」
「はぁ?お前相手に何があるってんだ?
あのなぁ、Mrハッタリ。
俺様を誰だと思ってんだ?
俺はエディウス内乱でも活躍したフェドート・クライだぜ!」
世情に疎いタオでも、その名は知っていた。
"フェドート・クライ"。
それは冒険者たちの間で囁かれる、様々な怪物退治の伝説を持つ戦士だ。貴族的な容貌の隻腕の男と言われている。
活動時期が現在から過去数十年に渡るため、その武勇譚の多くは、フェドート本人のものではなく、他の冒険者や地方の神話などが混ざってるとも言われているが、実際イスカーナのフィリア派兵やエディウス内乱などで戦果もあげているため、まるっきり架空の人物とも言えない、いわば生きた都市伝説となっている人物だ。
しかし、目の前の男は、そんな伝説に謳われるほどの人物とは思えなかった。
容姿がそもそも貴族というよりは山賊といったほうが的確というのもあるが、百歩譲って、エディウス内乱から10年。時の流れがいかに残酷だとしても、伝説の戦士が凡百の戦士に後戻りするはずもない。
「…彼の人は、隻腕と聞いていましたが。」
「俺様のスタイルでな。
戦場では片腕だけ肩まで金属鎧で覆っていたからな。
いつの間にか義手って噂が流れてたんだよ。」
「…嘘を口にするなとは申しませんが、
身の丈にあったものにしなければ、自らの首を絞めますよ。」
「なんだと!テメェ俺が嘘ついてるってか!?」
その瞬間、巨漢の後ろで何人かの笑い声が聞こえた。
何人かの傭兵がこちらの様子を見て笑っている。
何故巨漢がこうも執拗に絡むのか、ようやくタオは得心がいった。
どうやらこの巨漢、仲間内でも"フェドート・クライ"だと信じてもらえず、誰かを使って強さを示さなければならなかったのだろう。そしてタオが一番くみしやすいと考えたようだ。
巨漢も後ろの笑い声に、少し冷静になったのか、口元に引きつった笑みを浮かべてタオに向き直った。目の奥には隠しようもない怒りが渦巻いているが。
「…まぁ、信じきれねぇのもムリねぇかも知れねぇがな。
俺様相手なら不足はねぇだろ?
トレーニングの成果を見てやるぜ。」
「それは私とし合うということですか?」
「あぁ、手加減してやるぜ。」
「そんな必要はないのですが…。」
タオはため息をついた。
「私達がし合う必要がありますか?」
「びびったのかよ?
安心しろ。
素手で相手してやるから。」
「素手でなくとも構いませんが、そうことではなく。」
「ほら、ギャラリーも期待してんだぜ。可愛がってやんよ。」
周囲には、退屈しきっていた人々が集まりだしていた。
ご丁寧に、護衛仲間は二人の周囲の樽やらを除けて場所を空けている。
止める気はなさそうだ。
「期待するのは自由ですが、
それに応えるつもりはありません。」
「煮えきらねぇハッタリ野郎だなぁ。
そんなにケガが怖いのか?
それともナニか?
ダンスのレッスンばっかで、戦い方を忘れたのか?」
巨漢は挑発するようにせせら笑う。
それを聞き流していたタオだが、皮膚の上を走る気配に視線を移した。
そこには幽霊詩人がいた。
幽霊詩人は一瞬驚いた顔を見せたが、ひらひらと手を振ってみせる。
「おいおい、びびって声も出せないのかよ。」
巨漢ががなる。
「どうにも気分が乗らない。」
タオがため息と共に呟く。
巨漢はそんなタオの周囲をフットワークで回り始めた。
周囲がいよいよ始まるのかと沸き始めた。
「あなたとやり合って、意味があるとは思えないのですが。」
「うるせぇ。意味なんて関係ねぇんだよ。」
巨漢が一気にタオの間合いに踏み込んだ。
* * *
「胴元を立ててくれれば考える。もう始まるみたいだけどね」
ライがそう即席の試合場を指した時、巨漢がフットワークを始めた時だった。
「胴元がいりゃいいんだな?」
傭兵は視線をギャラリーの中に移す。一際人だかりの多い、その中心にその人物はいた。
首から、この地では珍しいイムヌス教の聖印をぶらさげ、聖衣にその身を包んだその人物は、人だかりの中で、一際大きな声を張り上げていた。
「これはいけません。主曰く『汝の隣人を愛せよ』。
暴力で解決できることは何もありません。
しかし!試合であるなら話は別。
スポーツマンシップに乗っ取って技術を競い合うことは、
云わば拳をもって、隣人と会話し愛し合うことなのでしょう!
さらには!退屈という試練を科せられた我らに一時の至福を与えようとは、
何たるアガペー!!
これを献身と言わずして、何を献身と言わんや!
そのような深き愛の前に、主に忠実なるしもべの私の出来ることは唯一つ。
彼らの愛が無駄にならぬよう、共に退屈という悪魔を打ち破るべく、
出来る限り盛り上げることだけです!
さぁ主はおっしゃられた。
『右の方に張ってダメだったら、左の方も張れ』と!
伝説の傭兵フェドート・クライVsレットシュタインの野盗殺し!
今日は、主の寛大な御心に従って、テラ銭は負けた側の掛け金のたったの1割!
残りは勝ちを当てた方々で、賭け口に応じた均等配分!
一口当たり金貨1枚!さぁ張った!」
その神父の目の前には空の樽が二つ並べられていて、表面に汚く、『フェドート』と『レットシュタイン』と刻まれている。周囲の人々が次々金貨を差し出し、神父は忙しそうに樽の表面になにやら刻み付けていた。
「昨日のおたくの儲けは金貨10枚だったよな?」
傭兵はにやりと笑うと、人だかりの中心にいた人物に声をかけた。
「神父!幽霊詩人殿はちっこいのに賭けるぜ!10だ!」
「なんと!幽霊詩人殿は10と!大胆な!
しかし当たればでかいですぞ!主の祝福あれ!」
神父はそう答えながら手を差し出す。
ライはしぶしぶ神父に金貨を渡した。
『レットシュタイン』の樽の表面に『ゆーれー、10』と新たに刻まれ、ライの金貨がその中に放り込まれた。
* * *
巨漢の拳がタオの髪を揺らしたのを、タオは無表情で眺めていた。
「どうした?速すぎて反応できなかったか?」
単にタオはそれがただの挑発行為で、危険がないことを知っていたから反応しなかっただけなのだが、巨漢の男は自慢げに笑う。
この男と拳を交わしても、おそらく学ぶことも得ることもないだろう。
それでも相手がやるのであるば、流れに任せるつもりであった。
その時、ギャラリーの中からソムが声をかけてきた。
「ケンカじゃなくって、手ほどきだ。
そいつに一手ご教授してやれよ。」
「なるほど。
そういうことであれば、
まだまだ未熟な身なれどお相手仕りましょう。」
巨漢が不機嫌な表情に変わる。
「…逆だろ?
俺様が教えてやるんだぜ。
実戦の厳しさってヤツをな。」
「まぁまぁ、やればわかるし。」
ソムが宥めてるその横で、タオが巨漢に言葉をかけた。
「…あの、必要なら武器装備を整えてこられては?」
「上等だ、テメェ。構えろよ。」
拳を構え、フットワークを駆使する巨漢と違い、タオは未だ構えもせず立っているだけだった。
「いつでもどうぞ。
それともあなたの言う実戦とは、
相手が構えるのを待つものなのですか?」
「…死ねよ」
一気に踏み込んだ巨漢だったが、次の瞬間タオを見失い、足をすくわれ甲板に転がっていた。
タオは何もなかったように立ったままだ。
「出だしがわかりやすすぎます。
それにその移動方は、平たい場所ならともかく、不安定な場所には不向きです。
あと、力みすぎですね。」
タオが冷静に告げる。
「なめんな!」
巨漢がさらに激昂して襲い掛かる。
数分後、何度も床に転がり疲れ果てた巨漢の横で、タオは涼しげな顔で立っていた。
「もう終わりですか?」
「…てめぇ、逃げて…ばっかで…卑怯だぞ。」
「そうですか?」
「…よし、…じゃぁ次は…てめぇの番だ。…殴ってみろよ。
お前の拳なんざ…効かねぇって…見せてやるぜ。」
巨漢がそう言って立ち上がると、発達した筋肉を引き締めた。
「…うわ、あいつ馬鹿だ…」
ソムが呟く。
「わかりました。」
タオがそう言ったと同時に、巨漢の懐に滑り込んでいた。
思考の虚を突かれた巨漢の腹に掌をそっと添えると同時に、太鼓が響くような大きな音がして、そのまま巨漢は沈み込んだ。
タオが離れたその後ろで、巨漢の様子を覗き込んだ護衛仲間が、「脈ねぇぞ」と呟く。周囲にいた人々がざわめき始めた。
「加減しろよ。」
「したんですがね。」
タオはそう言うと、巨漢の傍らに座り、うつぶせにした後、心臓の上に掌を添えた。そして軽く打ち込む。巨漢は次の瞬間息を吹き返し、激しく咳き込みだした。
「これで大丈夫ですね。」
涎と涙まみれの顔を上げた巨漢は、タオの微笑みを見て、悲鳴を上げて逃げ出した。
* * *
月明かりの下の甲板の上、ソムと神父それにタオとライが酒を酌み交わしていた。
もっとも酒を飲んでいるのは神父とソムだったが。
「いやぁ、お前のお陰で、ずいぶんと稼がせてもらったぜ。」
「まったく、主は思わぬ祝福を我らに施します。」
上機嫌なソムと神父の横で、同じく大勝ちしたという理由だけで呼ばれたライは、微妙に居場所がなかった。ソムや神父のように酒を呷り大騒ぎすることもできず、いまいち二人の馬鹿騒ぎにも加われない。
同じく素面のタオはというと、我関せずで沈黙を守り星を眺めている。
「ずいぶん強いんだね。」
仕方なしに、ライはタオに話しかけた。
「いえ。まだ未熟です。」
「えー、だってあの巨漢、それなりに強かったよね?」
「そうですね。しかし、あなたでも彼に苦労しないでしょう?」
タオは幽霊詩人の目を正面から見た。
「…まぁ幽霊だからね。」
「いえ、生前でも。」
タオの言葉にライが怪訝そうな表情を浮かべる。
「あの場で、私との戦いを想像していたのは3人。
ソムと、バラントレイ、それにあなたです。
そしてあなただけ、私を倒す方法を考えたのではなく、殺す方法を考えた。
死者としてではなく、生者としての手段で。」
タオは星に視線を移し呟いた。
「魂は地に還り、魄だけとなれど、
思考は人である頃に捉われてしまうものなのですね。」
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PC:タオ、ライ
NPC:ソム、巨漢、神父、ほかたくさん
場所:シカラグァ・サランガ氏族領近海の船上
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どこまでも蒼い空の下、大きな白い帆いっぱいに風を受け船は進む。
護衛は、有事のその時に動けさえすれば、遊んでいても許される。
暇を持て余した護衛の多くがカード遊びに興じたり、日光浴よろしくごろ寝したり、思い思いに羽根を伸ばしている中、甲板の上で、タオは一人日々の鍛錬に精を出していた。
正中線を意識し、正しい立ち姿で立つ。
呼気により周囲の気を取り込み全身に行き渡らせる。
タオにとっては呼吸一つ、姿勢一つとっても功夫であった。
普段意識せずに行っていることではあるが、毎朝、確認するように行うのがタオの日課だった。
雲が流れ、風が頬をなでる。
波の揺れを足元に捉えながら、タオはしばらくそう過ごすと、
やがてゆっくりと単調で緩慢な動作を繰り返す。
それは舞のようでもあった。
「なんだそりゃ。ダンスの練習か?」
頭上から嘲りを含んだ声が響いてくる。
出港時に絡んできた巨躯の男がいた。
呼気には酒のにおいが含んでおり、酔っているようだ。
これで、いざというとき動けるのだろうか。
タオは内心そんな心配をしたが、他人のことなので口にはしなかった。
代わりに当たり障りのない返事をしておく。
「鍛錬ですよ。
しかしダンスとは慧眼ですね。
"武"と"舞"は通じるものが多い。」
「はぁ?お前、何言ってんの?
トレーニング?それで強くなれるわけねーだろw
それとも、あのダンスはまじないかなんかか?
チチンプイプイ強くなぁれってか?」
巨躯の男は自らの言葉に腹を抱えて笑い出す。
「オーケィ、オーケィ
お前意外と笑わかせてくれんなぁ。
そんじゃま、俺にそのトレーニングの成果とやらを見せてみろよ。」
「戦いの技は戦いの場でしかお見せすることは出来ません。」
「でったー!ハッタリ台詞!!
やっぱお前、あれだな。
レットシュタインで野盗やったっての、ウソだろ?
いいぜ、俺様が軽く揉んでやんよ。」
タオは目の前の巨漢をしばらく眺めたあと口を開いた。
「それはあまりよろしい考えではないかと。」
「何がだよ?」
「そのような心構えで戦いに臨むのは危険かと存じますが。」
「はぁ?お前相手に何があるってんだ?
あのなぁ、Mrハッタリ。
俺様を誰だと思ってんだ?
俺はエディウス内乱でも活躍したフェドート・クライだぜ!」
世情に疎いタオでも、その名は知っていた。
"フェドート・クライ"。
それは冒険者たちの間で囁かれる、様々な怪物退治の伝説を持つ戦士だ。貴族的な容貌の隻腕の男と言われている。
活動時期が現在から過去数十年に渡るため、その武勇譚の多くは、フェドート本人のものではなく、他の冒険者や地方の神話などが混ざってるとも言われているが、実際イスカーナのフィリア派兵やエディウス内乱などで戦果もあげているため、まるっきり架空の人物とも言えない、いわば生きた都市伝説となっている人物だ。
しかし、目の前の男は、そんな伝説に謳われるほどの人物とは思えなかった。
容姿がそもそも貴族というよりは山賊といったほうが的確というのもあるが、百歩譲って、エディウス内乱から10年。時の流れがいかに残酷だとしても、伝説の戦士が凡百の戦士に後戻りするはずもない。
「…彼の人は、隻腕と聞いていましたが。」
「俺様のスタイルでな。
戦場では片腕だけ肩まで金属鎧で覆っていたからな。
いつの間にか義手って噂が流れてたんだよ。」
「…嘘を口にするなとは申しませんが、
身の丈にあったものにしなければ、自らの首を絞めますよ。」
「なんだと!テメェ俺が嘘ついてるってか!?」
その瞬間、巨漢の後ろで何人かの笑い声が聞こえた。
何人かの傭兵がこちらの様子を見て笑っている。
何故巨漢がこうも執拗に絡むのか、ようやくタオは得心がいった。
どうやらこの巨漢、仲間内でも"フェドート・クライ"だと信じてもらえず、誰かを使って強さを示さなければならなかったのだろう。そしてタオが一番くみしやすいと考えたようだ。
巨漢も後ろの笑い声に、少し冷静になったのか、口元に引きつった笑みを浮かべてタオに向き直った。目の奥には隠しようもない怒りが渦巻いているが。
「…まぁ、信じきれねぇのもムリねぇかも知れねぇがな。
俺様相手なら不足はねぇだろ?
トレーニングの成果を見てやるぜ。」
「それは私とし合うということですか?」
「あぁ、手加減してやるぜ。」
「そんな必要はないのですが…。」
タオはため息をついた。
「私達がし合う必要がありますか?」
「びびったのかよ?
安心しろ。
素手で相手してやるから。」
「素手でなくとも構いませんが、そうことではなく。」
「ほら、ギャラリーも期待してんだぜ。可愛がってやんよ。」
周囲には、退屈しきっていた人々が集まりだしていた。
ご丁寧に、護衛仲間は二人の周囲の樽やらを除けて場所を空けている。
止める気はなさそうだ。
「期待するのは自由ですが、
それに応えるつもりはありません。」
「煮えきらねぇハッタリ野郎だなぁ。
そんなにケガが怖いのか?
それともナニか?
ダンスのレッスンばっかで、戦い方を忘れたのか?」
巨漢は挑発するようにせせら笑う。
それを聞き流していたタオだが、皮膚の上を走る気配に視線を移した。
そこには幽霊詩人がいた。
幽霊詩人は一瞬驚いた顔を見せたが、ひらひらと手を振ってみせる。
「おいおい、びびって声も出せないのかよ。」
巨漢ががなる。
「どうにも気分が乗らない。」
タオがため息と共に呟く。
巨漢はそんなタオの周囲をフットワークで回り始めた。
周囲がいよいよ始まるのかと沸き始めた。
「あなたとやり合って、意味があるとは思えないのですが。」
「うるせぇ。意味なんて関係ねぇんだよ。」
巨漢が一気にタオの間合いに踏み込んだ。
* * *
「胴元を立ててくれれば考える。もう始まるみたいだけどね」
ライがそう即席の試合場を指した時、巨漢がフットワークを始めた時だった。
「胴元がいりゃいいんだな?」
傭兵は視線をギャラリーの中に移す。一際人だかりの多い、その中心にその人物はいた。
首から、この地では珍しいイムヌス教の聖印をぶらさげ、聖衣にその身を包んだその人物は、人だかりの中で、一際大きな声を張り上げていた。
「これはいけません。主曰く『汝の隣人を愛せよ』。
暴力で解決できることは何もありません。
しかし!試合であるなら話は別。
スポーツマンシップに乗っ取って技術を競い合うことは、
云わば拳をもって、隣人と会話し愛し合うことなのでしょう!
さらには!退屈という試練を科せられた我らに一時の至福を与えようとは、
何たるアガペー!!
これを献身と言わずして、何を献身と言わんや!
そのような深き愛の前に、主に忠実なるしもべの私の出来ることは唯一つ。
彼らの愛が無駄にならぬよう、共に退屈という悪魔を打ち破るべく、
出来る限り盛り上げることだけです!
さぁ主はおっしゃられた。
『右の方に張ってダメだったら、左の方も張れ』と!
伝説の傭兵フェドート・クライVsレットシュタインの野盗殺し!
今日は、主の寛大な御心に従って、テラ銭は負けた側の掛け金のたったの1割!
残りは勝ちを当てた方々で、賭け口に応じた均等配分!
一口当たり金貨1枚!さぁ張った!」
その神父の目の前には空の樽が二つ並べられていて、表面に汚く、『フェドート』と『レットシュタイン』と刻まれている。周囲の人々が次々金貨を差し出し、神父は忙しそうに樽の表面になにやら刻み付けていた。
「昨日のおたくの儲けは金貨10枚だったよな?」
傭兵はにやりと笑うと、人だかりの中心にいた人物に声をかけた。
「神父!幽霊詩人殿はちっこいのに賭けるぜ!10だ!」
「なんと!幽霊詩人殿は10と!大胆な!
しかし当たればでかいですぞ!主の祝福あれ!」
神父はそう答えながら手を差し出す。
ライはしぶしぶ神父に金貨を渡した。
『レットシュタイン』の樽の表面に『ゆーれー、10』と新たに刻まれ、ライの金貨がその中に放り込まれた。
* * *
巨漢の拳がタオの髪を揺らしたのを、タオは無表情で眺めていた。
「どうした?速すぎて反応できなかったか?」
単にタオはそれがただの挑発行為で、危険がないことを知っていたから反応しなかっただけなのだが、巨漢の男は自慢げに笑う。
この男と拳を交わしても、おそらく学ぶことも得ることもないだろう。
それでも相手がやるのであるば、流れに任せるつもりであった。
その時、ギャラリーの中からソムが声をかけてきた。
「ケンカじゃなくって、手ほどきだ。
そいつに一手ご教授してやれよ。」
「なるほど。
そういうことであれば、
まだまだ未熟な身なれどお相手仕りましょう。」
巨漢が不機嫌な表情に変わる。
「…逆だろ?
俺様が教えてやるんだぜ。
実戦の厳しさってヤツをな。」
「まぁまぁ、やればわかるし。」
ソムが宥めてるその横で、タオが巨漢に言葉をかけた。
「…あの、必要なら武器装備を整えてこられては?」
「上等だ、テメェ。構えろよ。」
拳を構え、フットワークを駆使する巨漢と違い、タオは未だ構えもせず立っているだけだった。
「いつでもどうぞ。
それともあなたの言う実戦とは、
相手が構えるのを待つものなのですか?」
「…死ねよ」
一気に踏み込んだ巨漢だったが、次の瞬間タオを見失い、足をすくわれ甲板に転がっていた。
タオは何もなかったように立ったままだ。
「出だしがわかりやすすぎます。
それにその移動方は、平たい場所ならともかく、不安定な場所には不向きです。
あと、力みすぎですね。」
タオが冷静に告げる。
「なめんな!」
巨漢がさらに激昂して襲い掛かる。
数分後、何度も床に転がり疲れ果てた巨漢の横で、タオは涼しげな顔で立っていた。
「もう終わりですか?」
「…てめぇ、逃げて…ばっかで…卑怯だぞ。」
「そうですか?」
「…よし、…じゃぁ次は…てめぇの番だ。…殴ってみろよ。
お前の拳なんざ…効かねぇって…見せてやるぜ。」
巨漢がそう言って立ち上がると、発達した筋肉を引き締めた。
「…うわ、あいつ馬鹿だ…」
ソムが呟く。
「わかりました。」
タオがそう言ったと同時に、巨漢の懐に滑り込んでいた。
思考の虚を突かれた巨漢の腹に掌をそっと添えると同時に、太鼓が響くような大きな音がして、そのまま巨漢は沈み込んだ。
タオが離れたその後ろで、巨漢の様子を覗き込んだ護衛仲間が、「脈ねぇぞ」と呟く。周囲にいた人々がざわめき始めた。
「加減しろよ。」
「したんですがね。」
タオはそう言うと、巨漢の傍らに座り、うつぶせにした後、心臓の上に掌を添えた。そして軽く打ち込む。巨漢は次の瞬間息を吹き返し、激しく咳き込みだした。
「これで大丈夫ですね。」
涎と涙まみれの顔を上げた巨漢は、タオの微笑みを見て、悲鳴を上げて逃げ出した。
* * *
月明かりの下の甲板の上、ソムと神父それにタオとライが酒を酌み交わしていた。
もっとも酒を飲んでいるのは神父とソムだったが。
「いやぁ、お前のお陰で、ずいぶんと稼がせてもらったぜ。」
「まったく、主は思わぬ祝福を我らに施します。」
上機嫌なソムと神父の横で、同じく大勝ちしたという理由だけで呼ばれたライは、微妙に居場所がなかった。ソムや神父のように酒を呷り大騒ぎすることもできず、いまいち二人の馬鹿騒ぎにも加われない。
同じく素面のタオはというと、我関せずで沈黙を守り星を眺めている。
「ずいぶん強いんだね。」
仕方なしに、ライはタオに話しかけた。
「いえ。まだ未熟です。」
「えー、だってあの巨漢、それなりに強かったよね?」
「そうですね。しかし、あなたでも彼に苦労しないでしょう?」
タオは幽霊詩人の目を正面から見た。
「…まぁ幽霊だからね。」
「いえ、生前でも。」
タオの言葉にライが怪訝そうな表情を浮かべる。
「あの場で、私との戦いを想像していたのは3人。
ソムと、バラントレイ、それにあなたです。
そしてあなただけ、私を倒す方法を考えたのではなく、殺す方法を考えた。
死者としてではなく、生者としての手段で。」
タオは星に視線を移し呟いた。
「魂は地に還り、魄だけとなれど、
思考は人である頃に捉われてしまうものなのですね。」
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PR
PC: デコ、ヒュー
NPC: イーネス(今回は自宅待機?)
場所: コタナ村
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ミシッミシッミシッと、密度の濃い雪を踏み締める音と松明の爆ぜる音だけが支配する暗闇。
一歩、そしてまた一歩、着実にデコは自らが捉えた気配の主の元へと足を進める。
デコの捉えた気配は殺意でも、敵意でもなく、それら全てを含んだ狂気とも言える物だった。
この秋に地震で崩れた冬篭り用の巣穴。
そのせいであっさりと越冬を拒まれた哀れな獣・・・
どんな事情があれ、彼は自然の掟に従いこのまま滅びるしかない。
歩み寄る自然の力と死の恐怖。
そして彼は世界に見捨てられた・・・
「チッ、たまらんな、神も仏も無いって奴だ」
視界を遮る雪を睨みつけ、舌打ちしながら苛立っていた。
これから屠らねばならない熊の事、そして熊が奪った命の事を、それを救えない自分の事を。
そして彼は思う、この力だけが支配するこの地で最も力を持つはずの神の無慈悲さ、
そして、無慈悲ゆえの優しさを・・・
「デコは神が嫌いなのか?」
独り言に反応したヒューはポツリと問い掛ける。
若者のそれは純粋な疑問。
「嫌い・・・とは違うな、まっ色々あるんだ、色々な」
面倒臭そうに答えながら弄ろうとした髭は分厚い手袋に邪魔された。
弄り損ねた右手。
さまよった視線はヒューに注ぐ
真っ直ぐなヒューの存在を感じながら思い出す。
(成すべき事を・・・人が成す事、神が成す事、神は人ならず、人は神ならず・・・)
昔タナクアから響いた言葉を…
降りしきる雪を踏み締め、隣にヒューを並べ歩み、そして口を再び開いた。
「タナクアは・・・俺の信じる神はな、俺に色々な事を教えた、ガキの頃からな
そして俺はその声に従ってきた・・・それは正しくもあり、間違いでもあった」
隣を歩くヒューに首を向けることも無く
吹雪く雪道を真っ直ぐ目的に向って歩く
「小僧もいつか判る、司祭にとって、神とは従う者じゃなく、共に歩む存在
そして・・・」
デコはそこで独白を止めた
周囲に自らの存在を隠そうともしない獣の匂いが漂う。
「居る、風上っ」
獣臭のする方角に向けてヒューは剣を構え睨みを効かす。
松明を高く掲げ巨大な獣を映し出そうとデコは2歩、3歩と足を進める。
右手に松明、左手には聖印
そして朗々と聖なる言葉を詠みあげる。
一方ヒューはデコを守るように、そしてその先に存在する巨大な獣を威嚇するように飾り気の無い剣を高く両手で掲げ
まるで、その剣そのものが神であるかのようにその切っ先に祈りを籠める。
二つの神氣が頂点まで高まると同時に一つの巨大な影が現れた・・・
170センチに満たないデコの二倍近い体格。
直立すればデコでは頭部への攻撃は、ほぼ不可能。
圧倒的な威圧感がデコの身体を竦ませる。
グオォォォォォォォと、地鳴りのように熊は吼える。
「参る!」
ギュムと、靴が雪を噛む音と共にヒューの剣が踊る。
敵の視線がヒューに集まる。
フッという抜息と共に横に薙いだ剣を足元から二の腕に向けて軌道修正し克ち上げる
「いつになったら、俺は神の揺り篭から二本の足で立てるようになるのかね」
余計な一言と共に溜息を一つ。
ヒューが剣を舞わせてる後ろで朗々とデコは呪を紡ぐ。
一つ一つの神聖な言葉、声、動作は舞いとなり、呪を形取る。
ヒューとデコ、二つの舞いが、巨大な獣を中心に紡がれる、
そして二人は無言のまま、乱れそうな呼吸を必死で整える。
二合、三合と熊へと叩きつけられる剣。
後方で延々と紡がれるは、”神漁の呪”と呼ばれる山吹鮪漁の時に捧げられる神への舞い。
(願わくば哀れなる獣に鎮魂と安らぎを)
謳い、舞い、願いながらデコはヒューへの祝福の舞いを続けていった。
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NPC: イーネス(今回は自宅待機?)
場所: コタナ村
---------------------------------------
ミシッミシッミシッと、密度の濃い雪を踏み締める音と松明の爆ぜる音だけが支配する暗闇。
一歩、そしてまた一歩、着実にデコは自らが捉えた気配の主の元へと足を進める。
デコの捉えた気配は殺意でも、敵意でもなく、それら全てを含んだ狂気とも言える物だった。
この秋に地震で崩れた冬篭り用の巣穴。
そのせいであっさりと越冬を拒まれた哀れな獣・・・
どんな事情があれ、彼は自然の掟に従いこのまま滅びるしかない。
歩み寄る自然の力と死の恐怖。
そして彼は世界に見捨てられた・・・
「チッ、たまらんな、神も仏も無いって奴だ」
視界を遮る雪を睨みつけ、舌打ちしながら苛立っていた。
これから屠らねばならない熊の事、そして熊が奪った命の事を、それを救えない自分の事を。
そして彼は思う、この力だけが支配するこの地で最も力を持つはずの神の無慈悲さ、
そして、無慈悲ゆえの優しさを・・・
「デコは神が嫌いなのか?」
独り言に反応したヒューはポツリと問い掛ける。
若者のそれは純粋な疑問。
「嫌い・・・とは違うな、まっ色々あるんだ、色々な」
面倒臭そうに答えながら弄ろうとした髭は分厚い手袋に邪魔された。
弄り損ねた右手。
さまよった視線はヒューに注ぐ
真っ直ぐなヒューの存在を感じながら思い出す。
(成すべき事を・・・人が成す事、神が成す事、神は人ならず、人は神ならず・・・)
昔タナクアから響いた言葉を…
降りしきる雪を踏み締め、隣にヒューを並べ歩み、そして口を再び開いた。
「タナクアは・・・俺の信じる神はな、俺に色々な事を教えた、ガキの頃からな
そして俺はその声に従ってきた・・・それは正しくもあり、間違いでもあった」
隣を歩くヒューに首を向けることも無く
吹雪く雪道を真っ直ぐ目的に向って歩く
「小僧もいつか判る、司祭にとって、神とは従う者じゃなく、共に歩む存在
そして・・・」
デコはそこで独白を止めた
周囲に自らの存在を隠そうともしない獣の匂いが漂う。
「居る、風上っ」
獣臭のする方角に向けてヒューは剣を構え睨みを効かす。
松明を高く掲げ巨大な獣を映し出そうとデコは2歩、3歩と足を進める。
右手に松明、左手には聖印
そして朗々と聖なる言葉を詠みあげる。
一方ヒューはデコを守るように、そしてその先に存在する巨大な獣を威嚇するように飾り気の無い剣を高く両手で掲げ
まるで、その剣そのものが神であるかのようにその切っ先に祈りを籠める。
二つの神氣が頂点まで高まると同時に一つの巨大な影が現れた・・・
170センチに満たないデコの二倍近い体格。
直立すればデコでは頭部への攻撃は、ほぼ不可能。
圧倒的な威圧感がデコの身体を竦ませる。
グオォォォォォォォと、地鳴りのように熊は吼える。
「参る!」
ギュムと、靴が雪を噛む音と共にヒューの剣が踊る。
敵の視線がヒューに集まる。
フッという抜息と共に横に薙いだ剣を足元から二の腕に向けて軌道修正し克ち上げる
「いつになったら、俺は神の揺り篭から二本の足で立てるようになるのかね」
余計な一言と共に溜息を一つ。
ヒューが剣を舞わせてる後ろで朗々とデコは呪を紡ぐ。
一つ一つの神聖な言葉、声、動作は舞いとなり、呪を形取る。
ヒューとデコ、二つの舞いが、巨大な獣を中心に紡がれる、
そして二人は無言のまま、乱れそうな呼吸を必死で整える。
二合、三合と熊へと叩きつけられる剣。
後方で延々と紡がれるは、”神漁の呪”と呼ばれる山吹鮪漁の時に捧げられる神への舞い。
(願わくば哀れなる獣に鎮魂と安らぎを)
謳い、舞い、願いながらデコはヒューへの祝福の舞いを続けていった。
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PC: デコ、ヒュー
NPC: イーネス
場所: コタナ村
---------------------------------------
ヒューは動きの早さに焦っていた。熊のではない。自分の動きだ。あの不思議な舞の効果なのだろうが、戸惑う。体のリズムが変化するとここまで違うものなのか。長時間戦った時になる、上気した感覚にそれは似ていた。
奇妙な加護だ、と場違いな思いを巡らせながら、ヒューは熊の豪腕を刃で受け流した。
掠れるような肉を裂く音と吠え猛る声が目の前で響くが、ヒューは目を逸らさず見つめた。威嚇に負けた獣は戦う資格がなくなるのだから。
体格に似合わないなめらかな動きで膝を折り曲げ、肩口に剣を構え、思い切り雪を蹴った。そうして体当たりするように剣を叩きつける。
熊は腕を振り下ろし、突撃を防ごうとするがくぐり抜けられてしまった。
ヒューは剣が当たる直前、祈念を剣に集約した。祈りによって重量が上がった剣は通常の倍近い衝撃で、大熊の足を叩く。
めりりっという嫌な音と共に熊の骨が曲がり、剣が食い込んだ。足から緩やかに崩れる。ヒューは食い込んだ剣を引き抜くと一端離れる。血溝にわずかに溜まった赤が散り、刃は衝撃ですっかり潰れていた。
血で雪が静かに汚れた。熊は咆哮を響かせるが、血が足りないためかすぐに弱々しくなった。それでも、三本足で何とか体を立て直す。
それを眺めながらヒューは剣が軽くなるのを感じた。加護が失われたのだろう。ヒューはデコのように恒久的な加護や呪いを使うことはできない。だが、なくても構わないだろう。剣があれば神はそこにいるのだから。
熊は怒りに任せて、前足で雪を叩き、近寄ってくる。以前ほどの早さはない。勝負や生死はあっさりと決まるものだ、と老人にきいたことがある。その通りなのだろう。
ヒューはそれを受け止めるように剣を突き出し、少しだけ踏み出した。簡単な突きが熊の突撃によって倍増されて、肩口へと深々と突き刺さった。そして体当たりを受け止める。勢いは意外なほど弱々しく、ほんの少しヒューの足を雪に埋めただけだった。
そうして熊は動かなくなった。息はしているが、もうこと切れる寸前だろう。
「終わった、か。」
熊に悲しげな視線をデコは向けていた。ヒューはそれに答えず剣を手放し、熊の体を倒す。
「終わってた」
足への一撃で出血死は決まっていた。ヒューはそう思い返すとデコをすねたように睨んだ。
「援護があるなら、いってくれ。びっくりした」
デコは少しきょとんとした後、少しだけ笑って「ん、すまん」とだけ答えた。
「終わったのね」
イーネスが家から出てくる。表情はボウッとしたもので、感情はあまり読めなかった。
「ああ」
どちらともなく、それに頷く。
それに答えることもない、イーネスは熊へと近づいた。するとほんの少しだけ、熊が動いた。ヒューはすぐさま短剣を抜こうと腰に手を当てるが、デコはそれを引き留める。
熊はふんふんとイーネスに甘えるように鼻を当てた。
「もう、そんなこと、遅すぎるよ」
少女はそう言って首を振ると、ゆっくりと、痛みがないように、剣を抜いてやった。血が穏やかに抜けていき、大熊はようやく眠りについた。
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NPC: イーネス
場所: コタナ村
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ヒューは動きの早さに焦っていた。熊のではない。自分の動きだ。あの不思議な舞の効果なのだろうが、戸惑う。体のリズムが変化するとここまで違うものなのか。長時間戦った時になる、上気した感覚にそれは似ていた。
奇妙な加護だ、と場違いな思いを巡らせながら、ヒューは熊の豪腕を刃で受け流した。
掠れるような肉を裂く音と吠え猛る声が目の前で響くが、ヒューは目を逸らさず見つめた。威嚇に負けた獣は戦う資格がなくなるのだから。
体格に似合わないなめらかな動きで膝を折り曲げ、肩口に剣を構え、思い切り雪を蹴った。そうして体当たりするように剣を叩きつける。
熊は腕を振り下ろし、突撃を防ごうとするがくぐり抜けられてしまった。
ヒューは剣が当たる直前、祈念を剣に集約した。祈りによって重量が上がった剣は通常の倍近い衝撃で、大熊の足を叩く。
めりりっという嫌な音と共に熊の骨が曲がり、剣が食い込んだ。足から緩やかに崩れる。ヒューは食い込んだ剣を引き抜くと一端離れる。血溝にわずかに溜まった赤が散り、刃は衝撃ですっかり潰れていた。
血で雪が静かに汚れた。熊は咆哮を響かせるが、血が足りないためかすぐに弱々しくなった。それでも、三本足で何とか体を立て直す。
それを眺めながらヒューは剣が軽くなるのを感じた。加護が失われたのだろう。ヒューはデコのように恒久的な加護や呪いを使うことはできない。だが、なくても構わないだろう。剣があれば神はそこにいるのだから。
熊は怒りに任せて、前足で雪を叩き、近寄ってくる。以前ほどの早さはない。勝負や生死はあっさりと決まるものだ、と老人にきいたことがある。その通りなのだろう。
ヒューはそれを受け止めるように剣を突き出し、少しだけ踏み出した。簡単な突きが熊の突撃によって倍増されて、肩口へと深々と突き刺さった。そして体当たりを受け止める。勢いは意外なほど弱々しく、ほんの少しヒューの足を雪に埋めただけだった。
そうして熊は動かなくなった。息はしているが、もうこと切れる寸前だろう。
「終わった、か。」
熊に悲しげな視線をデコは向けていた。ヒューはそれに答えず剣を手放し、熊の体を倒す。
「終わってた」
足への一撃で出血死は決まっていた。ヒューはそう思い返すとデコをすねたように睨んだ。
「援護があるなら、いってくれ。びっくりした」
デコは少しきょとんとした後、少しだけ笑って「ん、すまん」とだけ答えた。
「終わったのね」
イーネスが家から出てくる。表情はボウッとしたもので、感情はあまり読めなかった。
「ああ」
どちらともなく、それに頷く。
それに答えることもない、イーネスは熊へと近づいた。するとほんの少しだけ、熊が動いた。ヒューはすぐさま短剣を抜こうと腰に手を当てるが、デコはそれを引き留める。
熊はふんふんとイーネスに甘えるように鼻を当てた。
「もう、そんなこと、遅すぎるよ」
少女はそう言って首を振ると、ゆっくりと、痛みがないように、剣を抜いてやった。血が穏やかに抜けていき、大熊はようやく眠りについた。
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PC:タオ, ライ
場所:シカラグァ・サランガ氏族領・港湾都市ルプール - 船上
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不意に放たれた言葉に、苛立を覚えないでもなかった。
だがライは曖昧に笑って視線を逸らした。
「人間同士の勝負に賭けるのに、人間以外の戦い方を想像してどうするの?」
「では、あなたにはあの手合わせが、殺し合いに見えたというのですか?」
タオの言葉に首を傾げる。眺める景色は地上では見られぬものだった。天上で瞬
く星と月が波を白く煌めかせ、波の音は遠い豪風の唸りに似て聞こえる。ライは目
を細めた。「戦いには詳しくないから、いちばん確実に相手を無力化させられそう
な方法を考えただけだよ」
「そうでしょうか」
ライは一瞬、言葉に詰まった。タオは引き下がると思い込んでおり、追求の言葉
は予想外だった。「幽霊ってのは寂しがり屋でね」笑い飛ばす。「仲間を増やす機
会を狙ってるのさ」
「なんだそれ、物騒だな」と割り込んできたのは、ソムという名の傭兵だった。見
るからに泥酔していたが、目の奥には醒めた輝きがあった。この男も隙がない。
ライは苦笑して不平を言った。「このちっさくて強いお兄さん、戦いのことで夢
中なんだ。か弱い僕まで巻き込もうとする。助けてよ」
ソムはくっくっと笑った。「諦めるんだね、傭兵なんてのはそんな連中ばっかり
だ。俺は違うけどな」
「そうかな? まあ、この中で僕が一番怖いのは、そこの罰当たり……じゃなかっ
た。徳の高い神父様だけど」
「神は彼にも恩恵を賜りました」神父は杯を空にしてから言った。彼は心底機嫌が
よさそうだった。「ならば今宵は共に飲むのが神の御心というもの」
ちなみに金貨三枚がこの船の護衛の前金程度の恩恵らしい。高いのか安いのか微
妙なところだが、数人分を根こそぎ掠めとったのだから、戦果としてはまずまずだ。
ソムが片手で瓶を持ち上げ、神父の杯を酒で満たす。
ライは彼におざなりに手を振った。「使徒曰く、“受けるよりも与える方が幸い
である”。神父様、どうぞ僕の分もお飲み下さいな」
「おお、敬虔たる仔羊に祝福あれ!」神父は酒を一気に呷った。「あの彼には気の
毒ですがね」
「あー……」ソムは苦笑いした。「まあ、そうだな。あの一点だけは同情する」
「何のことです? 私は彼の挑戦に応じただけです」
「ああ、うん。あなたは悪くないと思う」ライは視線だけを彼に向けた。正に、苦
笑するしかない理由での同情だ。彼がタオに負けたのは、彼自身の素質もあるが、
相手が悪かった。陸の上なら戦えるだろうし、戦い慣れているだろう。
「さっき、暇だったから、からかいに行ったんだ。ウザいくらい凹んでたから、試
しにちょっと話を聞いてみたら、本名なんだって、フェドート・クライ」
タオは意味がわからないとばかりに首を傾げた。
ライは補足した。「クライって、エディウスとかパウラのあたりでよくある苗字
なんだよ。親が都市伝説にあやかってつけたか、偶然か、とにかく騙りじゃないん
だってさ」
「しかしエディウス内乱に参戦していたと言っていますが」
「あの時期、でかい戦はあそこだけだったからな。本当にいたんじゃねえの?」ソ
ムが肩を竦め、手酌で杯を満たした。ついでに自分の杯を寄せた神父に酒を注ぎ、
瓶は空になった。神父は卓の下から新しい瓶を出し、縁ぎりぎりまで継ぎ足した。
「戦果の方は誇張も入ってるだろうが」
「武勇伝なんてそんなものだよ」ライは適当に答えた。「生きてれば商売道具だし、
悲劇的に死ねば伝説になれる。でも、存在するのかもわからない有名人と同姓同名
だと、名声もそっちに奪われるだろうね」
「エディウス内乱のフェドート・クライっつーと、黒騎士と竜眼がスコア争いして
たからな。他におなじ名前の奴がいたとしても、霞むだろ」ソムは杯を口元にやっ
た。「黒騎士のおっさん、まだ現役なんだぜ? この前見たが相変わらず隻腕で大
剣振り回してやがった。四十路すぎてよくやるわ」
「うわ、恐。もうそれ本物でいいよ」
ライが言うと、ソムはげらげらと笑った。
関心なさそうに聞いていたタオが、「そちらは有名な方なのですか」と聞いた。
ソムが答えた。「冒険者ギルドのAランクだ。死ぬまでは有名だと思うね」と言っ
た。タオは納得したように頷いたが、ライは、きっと彼は今、彼にしか見えない何
かのリストに名前を追加したのだろうなと思った。
純粋な腕試しをしたいなら傭兵や冒険者はあまり適役でないように感じられる。
彼らは逃げも隠れもするし、欺きも略奪も平気行う。冒険者はまだマシだが、やは
り潔くはない。どちらにしたって正々堂々真剣勝負なんて、遊びでしかあり得ない。
たとえば、昼間のような。
ライはふと思いついて尋ねてみた。「タオって、本業は傭兵じゃないよね。なん
か、それっぽくない」
「ええ、修練のために旅をしています」タオは答えた。柔和な笑みからは、真も嘘
も読み取れない。ライはただ「そうなんだ、大変だね」と答えた。ソムは聞いてい
ない様子だったが、一瞬、ちらと横目でタオを見た。神父はまた酒を呷っている。
倒れるまで飲み続けそうだが、彼の限界より夜明けの方が早く来るかも知れない。
海風が強くなってきた。塩気を含んだ生臭い風が吹き付け、ランプの炎がガラス
の中で揺れる。月の位置からは深夜と呼ぶには早い時刻と思えたが、船上の夜は長
く、暗い。
神父はふらふらと船室へ降りた。ライはその背中を見送ってから、自分もそろそ
ろ引き上げようと立ち上がった。風が強い。寒気がする。夜番の船員たちが無言で
立ち動き、時折、大声で合図を送り合う。その声も漆黒の狭間に消えていく。
「…………?」
海風に異臭が混じった気がした。ほんの一瞬、感覚の端を掠めた何か。
船員の一人が何かを叫んだ。途端に船上の空気が張り詰めた。船乗りの言葉は訛
りがきついが、異常事態を告げる声音のようだった。
ソムが椅子を鳴らして立ち上がり、「飲みすぎた」と呻いた。タオはいつの間に
か立っていた。
瞬く間に霧が周囲を覆った。闇の中、微かな光を反射して、灯火をますます明る
く見せる。近くに立つ人間たちの姿は、霧のせいでぼんやりとして見えた。
「どう思う?」ソムが尋ねた。「用心に越したことはないが」
「この霧で座礁とかしたら嫌だね」ライは反射的に答えた。「……死臭がする、よ
うな気がする」
「曖昧だな」
ソムの言葉に苦笑する。「そりゃ一般人だからね。本格的な所見と対策は本業に
お任せして、僕は下に避難するよ。ちいさいお兄さん的には、どう?」
場所:シカラグァ・サランガ氏族領・港湾都市ルプール - 船上
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不意に放たれた言葉に、苛立を覚えないでもなかった。
だがライは曖昧に笑って視線を逸らした。
「人間同士の勝負に賭けるのに、人間以外の戦い方を想像してどうするの?」
「では、あなたにはあの手合わせが、殺し合いに見えたというのですか?」
タオの言葉に首を傾げる。眺める景色は地上では見られぬものだった。天上で瞬
く星と月が波を白く煌めかせ、波の音は遠い豪風の唸りに似て聞こえる。ライは目
を細めた。「戦いには詳しくないから、いちばん確実に相手を無力化させられそう
な方法を考えただけだよ」
「そうでしょうか」
ライは一瞬、言葉に詰まった。タオは引き下がると思い込んでおり、追求の言葉
は予想外だった。「幽霊ってのは寂しがり屋でね」笑い飛ばす。「仲間を増やす機
会を狙ってるのさ」
「なんだそれ、物騒だな」と割り込んできたのは、ソムという名の傭兵だった。見
るからに泥酔していたが、目の奥には醒めた輝きがあった。この男も隙がない。
ライは苦笑して不平を言った。「このちっさくて強いお兄さん、戦いのことで夢
中なんだ。か弱い僕まで巻き込もうとする。助けてよ」
ソムはくっくっと笑った。「諦めるんだね、傭兵なんてのはそんな連中ばっかり
だ。俺は違うけどな」
「そうかな? まあ、この中で僕が一番怖いのは、そこの罰当たり……じゃなかっ
た。徳の高い神父様だけど」
「神は彼にも恩恵を賜りました」神父は杯を空にしてから言った。彼は心底機嫌が
よさそうだった。「ならば今宵は共に飲むのが神の御心というもの」
ちなみに金貨三枚がこの船の護衛の前金程度の恩恵らしい。高いのか安いのか微
妙なところだが、数人分を根こそぎ掠めとったのだから、戦果としてはまずまずだ。
ソムが片手で瓶を持ち上げ、神父の杯を酒で満たす。
ライは彼におざなりに手を振った。「使徒曰く、“受けるよりも与える方が幸い
である”。神父様、どうぞ僕の分もお飲み下さいな」
「おお、敬虔たる仔羊に祝福あれ!」神父は酒を一気に呷った。「あの彼には気の
毒ですがね」
「あー……」ソムは苦笑いした。「まあ、そうだな。あの一点だけは同情する」
「何のことです? 私は彼の挑戦に応じただけです」
「ああ、うん。あなたは悪くないと思う」ライは視線だけを彼に向けた。正に、苦
笑するしかない理由での同情だ。彼がタオに負けたのは、彼自身の素質もあるが、
相手が悪かった。陸の上なら戦えるだろうし、戦い慣れているだろう。
「さっき、暇だったから、からかいに行ったんだ。ウザいくらい凹んでたから、試
しにちょっと話を聞いてみたら、本名なんだって、フェドート・クライ」
タオは意味がわからないとばかりに首を傾げた。
ライは補足した。「クライって、エディウスとかパウラのあたりでよくある苗字
なんだよ。親が都市伝説にあやかってつけたか、偶然か、とにかく騙りじゃないん
だってさ」
「しかしエディウス内乱に参戦していたと言っていますが」
「あの時期、でかい戦はあそこだけだったからな。本当にいたんじゃねえの?」ソ
ムが肩を竦め、手酌で杯を満たした。ついでに自分の杯を寄せた神父に酒を注ぎ、
瓶は空になった。神父は卓の下から新しい瓶を出し、縁ぎりぎりまで継ぎ足した。
「戦果の方は誇張も入ってるだろうが」
「武勇伝なんてそんなものだよ」ライは適当に答えた。「生きてれば商売道具だし、
悲劇的に死ねば伝説になれる。でも、存在するのかもわからない有名人と同姓同名
だと、名声もそっちに奪われるだろうね」
「エディウス内乱のフェドート・クライっつーと、黒騎士と竜眼がスコア争いして
たからな。他におなじ名前の奴がいたとしても、霞むだろ」ソムは杯を口元にやっ
た。「黒騎士のおっさん、まだ現役なんだぜ? この前見たが相変わらず隻腕で大
剣振り回してやがった。四十路すぎてよくやるわ」
「うわ、恐。もうそれ本物でいいよ」
ライが言うと、ソムはげらげらと笑った。
関心なさそうに聞いていたタオが、「そちらは有名な方なのですか」と聞いた。
ソムが答えた。「冒険者ギルドのAランクだ。死ぬまでは有名だと思うね」と言っ
た。タオは納得したように頷いたが、ライは、きっと彼は今、彼にしか見えない何
かのリストに名前を追加したのだろうなと思った。
純粋な腕試しをしたいなら傭兵や冒険者はあまり適役でないように感じられる。
彼らは逃げも隠れもするし、欺きも略奪も平気行う。冒険者はまだマシだが、やは
り潔くはない。どちらにしたって正々堂々真剣勝負なんて、遊びでしかあり得ない。
たとえば、昼間のような。
ライはふと思いついて尋ねてみた。「タオって、本業は傭兵じゃないよね。なん
か、それっぽくない」
「ええ、修練のために旅をしています」タオは答えた。柔和な笑みからは、真も嘘
も読み取れない。ライはただ「そうなんだ、大変だね」と答えた。ソムは聞いてい
ない様子だったが、一瞬、ちらと横目でタオを見た。神父はまた酒を呷っている。
倒れるまで飲み続けそうだが、彼の限界より夜明けの方が早く来るかも知れない。
海風が強くなってきた。塩気を含んだ生臭い風が吹き付け、ランプの炎がガラス
の中で揺れる。月の位置からは深夜と呼ぶには早い時刻と思えたが、船上の夜は長
く、暗い。
神父はふらふらと船室へ降りた。ライはその背中を見送ってから、自分もそろそ
ろ引き上げようと立ち上がった。風が強い。寒気がする。夜番の船員たちが無言で
立ち動き、時折、大声で合図を送り合う。その声も漆黒の狭間に消えていく。
「…………?」
海風に異臭が混じった気がした。ほんの一瞬、感覚の端を掠めた何か。
船員の一人が何かを叫んだ。途端に船上の空気が張り詰めた。船乗りの言葉は訛
りがきついが、異常事態を告げる声音のようだった。
ソムが椅子を鳴らして立ち上がり、「飲みすぎた」と呻いた。タオはいつの間に
か立っていた。
瞬く間に霧が周囲を覆った。闇の中、微かな光を反射して、灯火をますます明る
く見せる。近くに立つ人間たちの姿は、霧のせいでぼんやりとして見えた。
「どう思う?」ソムが尋ねた。「用心に越したことはないが」
「この霧で座礁とかしたら嫌だね」ライは反射的に答えた。「……死臭がする、よ
うな気がする」
「曖昧だな」
ソムの言葉に苦笑する。「そりゃ一般人だからね。本格的な所見と対策は本業に
お任せして、僕は下に避難するよ。ちいさいお兄さん的には、どう?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC:タオ、ライ
NPC:ソム、神父、水兵、海賊ほかたくさん
場所:シカラグァ・サランガ氏族領近海の船上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
霧がまるで生き物かのように、甲板の上を滑り、船を呑み込んだ。
「…僕は下に避難するよ。ちいさいお兄さん的には、どう?」
幽霊詩人の言葉にタオは頷いた。
「よくはわかりませんが、いやな感じですね。」
タオは船の行く手、濃い霧の中をじっと見つめた。
まるでそうすることで霧が見通せると信じてるかのように。
「で、ちいさいお兄さんは、ここに残って警戒?」
「何が起こるかはわかりませんから、なるようにします。」
「…は?」
「…悪ぃ。俺の勘もヤバイって言ってる。
下にいる護衛連中呼んできてくれ。」
タオの意味不明な返事に戸惑うライに、ソムは的確に指示を伝えた。
その顔からは、先ほどまでの酔いが消えている。
「ソフィニアの酔い覚ましは高いだけあって効くね。」
ソムは軽口を叩きながらも鋭い目つきを霧の奥に向ける。
ふと霧の中から波音に紛れて、木の軋むような音が響いてきた。
規則正しいその音が、オールを漕ぐ音だと気付くのが遅れたのは、水夫達が知っているそれよりも、すいぶんと早いピッチだったからだ。
最初に気付いたのは見張り台にいた水夫だった。
その水夫は霧の中に一瞬見えたそれに目を見張り、すぐさま叫んだ。
「海賊だ!!」
同時に三人の目も、それを捉えた。
霧の中から突然現れた黒い帆。
そしてそこに描かれた禍禍しいジョリー・ロジャー。
しかし何故、この真夜中の深い霧の中を航海灯も点さずに移動できるのか。
微弱な風の中、しかも風下から、何故それほどの速度で突っ込んでこれるのか。
そんな疑問を抱く間もなく、その海賊船は三人の乗る船の横腹目掛けて突っ込んでくる。
半ばパニックになりながらも、水夫達は必死に回避行動を行おうとするが、間に合うわけはなかった。
「ぶつかるぞ!」
水夫が叫ぶ。
次の瞬間、激しい衝撃が船を襲った。
見張り台にいた水夫は転落し甲板に叩きつけられ、甲板上の水夫達も転倒し、一部は海に投げ出される。
ソムとタオもまた、衝撃のため、甲板に転がっていた。
喫水線から浮かび上がった衝角が禍々しい牙のように、船の側面に突き刺さる。
船材が周囲に飛び散り、水飛沫と一緒に降り注ぐ。
海賊船の船首はそのまま船に乗り上げるようになり、こちらの船は、やや斜めに傾いたまま、衝角を外すこともできず、押さえこまれた。
バウスプリットの下部に彫られた美女の胸像が冷ややかに甲板の惨状を見下ろしている。
そこからはまさしく鉄火場だった。
次々と海賊達が飛び降りてきて、甲板のそこかしこで水夫達に襲い掛かる。
護衛たち甲板へ駆け上がり、その中に飛び込んでいく。
甲板の上は、あっという間に乱戦状態になった。
怒号、剣撃、悲鳴それらが霧の中に響き渡り、血の匂いに混じり、死の匂いが色濃く立ち込めてくる。
甲板が血で染め上げられ、人間の部品があちこちに散らばる。
水夫たちも喧嘩慣れした猛者であり、それ以上に戦いを生きる糧としている傭兵たちが加わっている。生半可な海賊なら、じきに退けられるはずだった。
だが、すぐに彼らは異常に気付くことになる。
水夫や護衛達とは対照的に、襲い掛かりながらも、声一つ発することのない海賊達。格好こそ普通の海賊であったが、彼らの肌は異様に白く、人とは思えない膂力を振るい、何より銃で撃たれても、剣で斬られても平気で動き続け、その鋭い犬歯で首にかじりついてくる。
「アンデッドか!」
誰かが叫んでいた。
ソムとタオもまた乱戦の最中にいた。
ソムの剣が一閃し海賊の腕を切断する。そのまま剣は翻り、大きく口を開けた海賊の上顎から上を切り落とした。
その横でタオは海賊の懐に踏み込む。同時に激しい衝撃音が響き、海賊は宙を舞った。
「万鬼(ワンクェイ)ですね。私の故郷で会ったことがあります。
魄、天に返して、魂、地に返さず。もって万鬼と成す。」
「なんだよそれ!」
「動く死者です。」
「そんなこた、わかってる!」
ソムはタオのずれた答えに叫んだ。
「どんな奴だよ!」
「見ての通り。
死人ですから剣も銃も効かない。
枷が外れたので膂力が跳ね上がってる。
爪には毒が含んでいる。
呼気も食事も行えないから、天地から気を取り込むことが出来ず、
従って、血を欲す。
血(chi)と気(chi)は通ずるもの。
血を吸われて死した者もまた万鬼と化します。」
「カフーリアン・ヴァンプかよ…。」
ソムはうめいた。
これがヴァンパイアなら水を渡れないはずだし、イムヌス教の十字架も効いてくれそうだが、ワンクェイとやらは少なくとも水は平気らしい。
「弱点は!?」
「日光に当たればなんとか。」
「今、夜だよ!」
「昼間でも、この霧では厳しいでしょう。」
必死なソムの横で、タオはどこまでも落ち着いていた。それがなおさらソムを苛立たせる。
「他には!?」
「道士なら祓う術も。」
「イムヌスの聖職者なら…って、あの神父じゃあてになりそうにないか…。」
「あるいは"気"を纏うか、魔化した武具を用いるか。」
「そんなん都合よくあるか!」
ふと見ると、タオが倒した海賊はもう起き上がってはこない。
「なんで!?」
「ですから、"気"を纏えばと申したはず。」
「んな器用な真似できるか!!」
「私は出来ます。」
「お前だけ狡いぞ!」
「そうおっしゃられても。」
ソムは舌打ちすると、目の前の海賊の四肢を切り裂いた。そしてその頭部を海に蹴り落とす。たとえ死ななかろうが、バラバラに解体してしまえば戦闘不能には出来るという発想だ。
冷静さを取り戻すことができた護衛たちの一部も、ソムと同じように、四肢や頭部を砕くか、切り落とし海に落としている。
それでも落ち着きを取り戻せなかった多くの護衛たちや水夫が倒されてしまっていた。
戦況は極めて不利になっていた。
始めこそ、数では勝っていたが、今や数でも海賊が上回りだしていた。
* * *
「早く隔壁を閉めろ!」
衝撃の後、衝角に突き破られた穴から水が入り込む。
水夫達は怒号のように声を掛け合いながら、その区画の水密隔壁を閉じる。
一応の措置がすむと、すぐさま水夫達はカトラス片手に飛び出していった。
後に残されたのは、不安に震える乗客たちだけ。
何人かは先ほどの衝突で怪我を負っている。
しかし手当てをするような状況でもなく、震えるその身を寄せ合っていた。
甲板を突破されれば、海賊は一気に船内になだれ込む。
そうすれば戦う術のない乗客たちは皆殺しにされるだろう。
乗客たちは息をひそめ、耳だけに意識を傾け、甲板の様子を伺っている。
この中で恐怖に怯えてないのは、ある意味、死の怖れのないライだけであった。
「上の様子はどうでしたか?」
そうライに尋ねるのは神父。
「わからないよ。
僕が最後に見たのは、海賊旗と飛び移る海賊と、
それを迎え撃つ水夫だけだったからね。」
ぱっと見た海賊船は、おそらくスループ船。漕ぎ手も合わせて150人程度だろう。
一方、こちらはガリオン船。400人は収容できる規模ではあるが、積荷がスペースをとり、実際は船乗り、護衛を合わせて200人程度。数では勝るとはいえ、油断ならない戦力差ではあった。
「アンデッドか!」
甲板の上の怒号や叫喚に紛れ、そんな声が聞こえてくる。
その声の意味するところに、神父とライは顔を見合わせた。
「…アンデッドだってさ。」
「…聞こえました。」
「…神父の出番じゃない?」
「…主は、しもべたちの前に乗り越えられる試練を与えるといいます。」
「うん。」
「…」
「…」
一瞬、奇妙な沈黙が二人の間に流れる。
「…で?」
「ですから、あれは私の試練ではない。」
ライは目を覆った。
「むしろ、貴方がなんとかしてくださいよ。」
「なんで。」
「同じ死人同士ってことで、話聞いてくれそうじゃないですか。」
「…いや、無理だし。」
その時、背後から悲鳴が上がった。
振り返ると、砲門の蓋が破壊され、そこから白い顔、鋭い牙をむき出しにした海賊が船内に乗り込むところであった。
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PC:タオ、ライ
NPC:ソム、神父、水兵、海賊ほかたくさん
場所:シカラグァ・サランガ氏族領近海の船上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
霧がまるで生き物かのように、甲板の上を滑り、船を呑み込んだ。
「…僕は下に避難するよ。ちいさいお兄さん的には、どう?」
幽霊詩人の言葉にタオは頷いた。
「よくはわかりませんが、いやな感じですね。」
タオは船の行く手、濃い霧の中をじっと見つめた。
まるでそうすることで霧が見通せると信じてるかのように。
「で、ちいさいお兄さんは、ここに残って警戒?」
「何が起こるかはわかりませんから、なるようにします。」
「…は?」
「…悪ぃ。俺の勘もヤバイって言ってる。
下にいる護衛連中呼んできてくれ。」
タオの意味不明な返事に戸惑うライに、ソムは的確に指示を伝えた。
その顔からは、先ほどまでの酔いが消えている。
「ソフィニアの酔い覚ましは高いだけあって効くね。」
ソムは軽口を叩きながらも鋭い目つきを霧の奥に向ける。
ふと霧の中から波音に紛れて、木の軋むような音が響いてきた。
規則正しいその音が、オールを漕ぐ音だと気付くのが遅れたのは、水夫達が知っているそれよりも、すいぶんと早いピッチだったからだ。
最初に気付いたのは見張り台にいた水夫だった。
その水夫は霧の中に一瞬見えたそれに目を見張り、すぐさま叫んだ。
「海賊だ!!」
同時に三人の目も、それを捉えた。
霧の中から突然現れた黒い帆。
そしてそこに描かれた禍禍しいジョリー・ロジャー。
しかし何故、この真夜中の深い霧の中を航海灯も点さずに移動できるのか。
微弱な風の中、しかも風下から、何故それほどの速度で突っ込んでこれるのか。
そんな疑問を抱く間もなく、その海賊船は三人の乗る船の横腹目掛けて突っ込んでくる。
半ばパニックになりながらも、水夫達は必死に回避行動を行おうとするが、間に合うわけはなかった。
「ぶつかるぞ!」
水夫が叫ぶ。
次の瞬間、激しい衝撃が船を襲った。
見張り台にいた水夫は転落し甲板に叩きつけられ、甲板上の水夫達も転倒し、一部は海に投げ出される。
ソムとタオもまた、衝撃のため、甲板に転がっていた。
喫水線から浮かび上がった衝角が禍々しい牙のように、船の側面に突き刺さる。
船材が周囲に飛び散り、水飛沫と一緒に降り注ぐ。
海賊船の船首はそのまま船に乗り上げるようになり、こちらの船は、やや斜めに傾いたまま、衝角を外すこともできず、押さえこまれた。
バウスプリットの下部に彫られた美女の胸像が冷ややかに甲板の惨状を見下ろしている。
そこからはまさしく鉄火場だった。
次々と海賊達が飛び降りてきて、甲板のそこかしこで水夫達に襲い掛かる。
護衛たち甲板へ駆け上がり、その中に飛び込んでいく。
甲板の上は、あっという間に乱戦状態になった。
怒号、剣撃、悲鳴それらが霧の中に響き渡り、血の匂いに混じり、死の匂いが色濃く立ち込めてくる。
甲板が血で染め上げられ、人間の部品があちこちに散らばる。
水夫たちも喧嘩慣れした猛者であり、それ以上に戦いを生きる糧としている傭兵たちが加わっている。生半可な海賊なら、じきに退けられるはずだった。
だが、すぐに彼らは異常に気付くことになる。
水夫や護衛達とは対照的に、襲い掛かりながらも、声一つ発することのない海賊達。格好こそ普通の海賊であったが、彼らの肌は異様に白く、人とは思えない膂力を振るい、何より銃で撃たれても、剣で斬られても平気で動き続け、その鋭い犬歯で首にかじりついてくる。
「アンデッドか!」
誰かが叫んでいた。
ソムとタオもまた乱戦の最中にいた。
ソムの剣が一閃し海賊の腕を切断する。そのまま剣は翻り、大きく口を開けた海賊の上顎から上を切り落とした。
その横でタオは海賊の懐に踏み込む。同時に激しい衝撃音が響き、海賊は宙を舞った。
「万鬼(ワンクェイ)ですね。私の故郷で会ったことがあります。
魄、天に返して、魂、地に返さず。もって万鬼と成す。」
「なんだよそれ!」
「動く死者です。」
「そんなこた、わかってる!」
ソムはタオのずれた答えに叫んだ。
「どんな奴だよ!」
「見ての通り。
死人ですから剣も銃も効かない。
枷が外れたので膂力が跳ね上がってる。
爪には毒が含んでいる。
呼気も食事も行えないから、天地から気を取り込むことが出来ず、
従って、血を欲す。
血(chi)と気(chi)は通ずるもの。
血を吸われて死した者もまた万鬼と化します。」
「カフーリアン・ヴァンプかよ…。」
ソムはうめいた。
これがヴァンパイアなら水を渡れないはずだし、イムヌス教の十字架も効いてくれそうだが、ワンクェイとやらは少なくとも水は平気らしい。
「弱点は!?」
「日光に当たればなんとか。」
「今、夜だよ!」
「昼間でも、この霧では厳しいでしょう。」
必死なソムの横で、タオはどこまでも落ち着いていた。それがなおさらソムを苛立たせる。
「他には!?」
「道士なら祓う術も。」
「イムヌスの聖職者なら…って、あの神父じゃあてになりそうにないか…。」
「あるいは"気"を纏うか、魔化した武具を用いるか。」
「そんなん都合よくあるか!」
ふと見ると、タオが倒した海賊はもう起き上がってはこない。
「なんで!?」
「ですから、"気"を纏えばと申したはず。」
「んな器用な真似できるか!!」
「私は出来ます。」
「お前だけ狡いぞ!」
「そうおっしゃられても。」
ソムは舌打ちすると、目の前の海賊の四肢を切り裂いた。そしてその頭部を海に蹴り落とす。たとえ死ななかろうが、バラバラに解体してしまえば戦闘不能には出来るという発想だ。
冷静さを取り戻すことができた護衛たちの一部も、ソムと同じように、四肢や頭部を砕くか、切り落とし海に落としている。
それでも落ち着きを取り戻せなかった多くの護衛たちや水夫が倒されてしまっていた。
戦況は極めて不利になっていた。
始めこそ、数では勝っていたが、今や数でも海賊が上回りだしていた。
* * *
「早く隔壁を閉めろ!」
衝撃の後、衝角に突き破られた穴から水が入り込む。
水夫達は怒号のように声を掛け合いながら、その区画の水密隔壁を閉じる。
一応の措置がすむと、すぐさま水夫達はカトラス片手に飛び出していった。
後に残されたのは、不安に震える乗客たちだけ。
何人かは先ほどの衝突で怪我を負っている。
しかし手当てをするような状況でもなく、震えるその身を寄せ合っていた。
甲板を突破されれば、海賊は一気に船内になだれ込む。
そうすれば戦う術のない乗客たちは皆殺しにされるだろう。
乗客たちは息をひそめ、耳だけに意識を傾け、甲板の様子を伺っている。
この中で恐怖に怯えてないのは、ある意味、死の怖れのないライだけであった。
「上の様子はどうでしたか?」
そうライに尋ねるのは神父。
「わからないよ。
僕が最後に見たのは、海賊旗と飛び移る海賊と、
それを迎え撃つ水夫だけだったからね。」
ぱっと見た海賊船は、おそらくスループ船。漕ぎ手も合わせて150人程度だろう。
一方、こちらはガリオン船。400人は収容できる規模ではあるが、積荷がスペースをとり、実際は船乗り、護衛を合わせて200人程度。数では勝るとはいえ、油断ならない戦力差ではあった。
「アンデッドか!」
甲板の上の怒号や叫喚に紛れ、そんな声が聞こえてくる。
その声の意味するところに、神父とライは顔を見合わせた。
「…アンデッドだってさ。」
「…聞こえました。」
「…神父の出番じゃない?」
「…主は、しもべたちの前に乗り越えられる試練を与えるといいます。」
「うん。」
「…」
「…」
一瞬、奇妙な沈黙が二人の間に流れる。
「…で?」
「ですから、あれは私の試練ではない。」
ライは目を覆った。
「むしろ、貴方がなんとかしてくださいよ。」
「なんで。」
「同じ死人同士ってことで、話聞いてくれそうじゃないですか。」
「…いや、無理だし。」
その時、背後から悲鳴が上がった。
振り返ると、砲門の蓋が破壊され、そこから白い顔、鋭い牙をむき出しにした海賊が船内に乗り込むところであった。
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