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PC:タオ、ライ
NPC:ソム、巨漢、神父、ほかたくさん
場所:シカラグァ・サランガ氏族領近海の船上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どこまでも蒼い空の下、大きな白い帆いっぱいに風を受け船は進む。
護衛は、有事のその時に動けさえすれば、遊んでいても許される。
暇を持て余した護衛の多くがカード遊びに興じたり、日光浴よろしくごろ寝したり、思い思いに羽根を伸ばしている中、甲板の上で、タオは一人日々の鍛錬に精を出していた。
正中線を意識し、正しい立ち姿で立つ。
呼気により周囲の気を取り込み全身に行き渡らせる。
タオにとっては呼吸一つ、姿勢一つとっても功夫であった。
普段意識せずに行っていることではあるが、毎朝、確認するように行うのがタオの日課だった。
雲が流れ、風が頬をなでる。
波の揺れを足元に捉えながら、タオはしばらくそう過ごすと、
やがてゆっくりと単調で緩慢な動作を繰り返す。
それは舞のようでもあった。
「なんだそりゃ。ダンスの練習か?」
頭上から嘲りを含んだ声が響いてくる。
出港時に絡んできた巨躯の男がいた。
呼気には酒のにおいが含んでおり、酔っているようだ。
これで、いざというとき動けるのだろうか。
タオは内心そんな心配をしたが、他人のことなので口にはしなかった。
代わりに当たり障りのない返事をしておく。
「鍛錬ですよ。
しかしダンスとは慧眼ですね。
"武"と"舞"は通じるものが多い。」
「はぁ?お前、何言ってんの?
トレーニング?それで強くなれるわけねーだろw
それとも、あのダンスはまじないかなんかか?
チチンプイプイ強くなぁれってか?」
巨躯の男は自らの言葉に腹を抱えて笑い出す。
「オーケィ、オーケィ
お前意外と笑わかせてくれんなぁ。
そんじゃま、俺にそのトレーニングの成果とやらを見せてみろよ。」
「戦いの技は戦いの場でしかお見せすることは出来ません。」
「でったー!ハッタリ台詞!!
やっぱお前、あれだな。
レットシュタインで野盗やったっての、ウソだろ?
いいぜ、俺様が軽く揉んでやんよ。」
タオは目の前の巨漢をしばらく眺めたあと口を開いた。
「それはあまりよろしい考えではないかと。」
「何がだよ?」
「そのような心構えで戦いに臨むのは危険かと存じますが。」
「はぁ?お前相手に何があるってんだ?
あのなぁ、Mrハッタリ。
俺様を誰だと思ってんだ?
俺はエディウス内乱でも活躍したフェドート・クライだぜ!」
世情に疎いタオでも、その名は知っていた。
"フェドート・クライ"。
それは冒険者たちの間で囁かれる、様々な怪物退治の伝説を持つ戦士だ。貴族的な容貌の隻腕の男と言われている。
活動時期が現在から過去数十年に渡るため、その武勇譚の多くは、フェドート本人のものではなく、他の冒険者や地方の神話などが混ざってるとも言われているが、実際イスカーナのフィリア派兵やエディウス内乱などで戦果もあげているため、まるっきり架空の人物とも言えない、いわば生きた都市伝説となっている人物だ。
しかし、目の前の男は、そんな伝説に謳われるほどの人物とは思えなかった。
容姿がそもそも貴族というよりは山賊といったほうが的確というのもあるが、百歩譲って、エディウス内乱から10年。時の流れがいかに残酷だとしても、伝説の戦士が凡百の戦士に後戻りするはずもない。
「…彼の人は、隻腕と聞いていましたが。」
「俺様のスタイルでな。
戦場では片腕だけ肩まで金属鎧で覆っていたからな。
いつの間にか義手って噂が流れてたんだよ。」
「…嘘を口にするなとは申しませんが、
身の丈にあったものにしなければ、自らの首を絞めますよ。」
「なんだと!テメェ俺が嘘ついてるってか!?」
その瞬間、巨漢の後ろで何人かの笑い声が聞こえた。
何人かの傭兵がこちらの様子を見て笑っている。
何故巨漢がこうも執拗に絡むのか、ようやくタオは得心がいった。
どうやらこの巨漢、仲間内でも"フェドート・クライ"だと信じてもらえず、誰かを使って強さを示さなければならなかったのだろう。そしてタオが一番くみしやすいと考えたようだ。
巨漢も後ろの笑い声に、少し冷静になったのか、口元に引きつった笑みを浮かべてタオに向き直った。目の奥には隠しようもない怒りが渦巻いているが。
「…まぁ、信じきれねぇのもムリねぇかも知れねぇがな。
俺様相手なら不足はねぇだろ?
トレーニングの成果を見てやるぜ。」
「それは私とし合うということですか?」
「あぁ、手加減してやるぜ。」
「そんな必要はないのですが…。」
タオはため息をついた。
「私達がし合う必要がありますか?」
「びびったのかよ?
安心しろ。
素手で相手してやるから。」
「素手でなくとも構いませんが、そうことではなく。」
「ほら、ギャラリーも期待してんだぜ。可愛がってやんよ。」
周囲には、退屈しきっていた人々が集まりだしていた。
ご丁寧に、護衛仲間は二人の周囲の樽やらを除けて場所を空けている。
止める気はなさそうだ。
「期待するのは自由ですが、
それに応えるつもりはありません。」
「煮えきらねぇハッタリ野郎だなぁ。
そんなにケガが怖いのか?
それともナニか?
ダンスのレッスンばっかで、戦い方を忘れたのか?」
巨漢は挑発するようにせせら笑う。
それを聞き流していたタオだが、皮膚の上を走る気配に視線を移した。
そこには幽霊詩人がいた。
幽霊詩人は一瞬驚いた顔を見せたが、ひらひらと手を振ってみせる。
「おいおい、びびって声も出せないのかよ。」
巨漢ががなる。
「どうにも気分が乗らない。」
タオがため息と共に呟く。
巨漢はそんなタオの周囲をフットワークで回り始めた。
周囲がいよいよ始まるのかと沸き始めた。
「あなたとやり合って、意味があるとは思えないのですが。」
「うるせぇ。意味なんて関係ねぇんだよ。」
巨漢が一気にタオの間合いに踏み込んだ。
* * *
「胴元を立ててくれれば考える。もう始まるみたいだけどね」
ライがそう即席の試合場を指した時、巨漢がフットワークを始めた時だった。
「胴元がいりゃいいんだな?」
傭兵は視線をギャラリーの中に移す。一際人だかりの多い、その中心にその人物はいた。
首から、この地では珍しいイムヌス教の聖印をぶらさげ、聖衣にその身を包んだその人物は、人だかりの中で、一際大きな声を張り上げていた。
「これはいけません。主曰く『汝の隣人を愛せよ』。
暴力で解決できることは何もありません。
しかし!試合であるなら話は別。
スポーツマンシップに乗っ取って技術を競い合うことは、
云わば拳をもって、隣人と会話し愛し合うことなのでしょう!
さらには!退屈という試練を科せられた我らに一時の至福を与えようとは、
何たるアガペー!!
これを献身と言わずして、何を献身と言わんや!
そのような深き愛の前に、主に忠実なるしもべの私の出来ることは唯一つ。
彼らの愛が無駄にならぬよう、共に退屈という悪魔を打ち破るべく、
出来る限り盛り上げることだけです!
さぁ主はおっしゃられた。
『右の方に張ってダメだったら、左の方も張れ』と!
伝説の傭兵フェドート・クライVsレットシュタインの野盗殺し!
今日は、主の寛大な御心に従って、テラ銭は負けた側の掛け金のたったの1割!
残りは勝ちを当てた方々で、賭け口に応じた均等配分!
一口当たり金貨1枚!さぁ張った!」
その神父の目の前には空の樽が二つ並べられていて、表面に汚く、『フェドート』と『レットシュタイン』と刻まれている。周囲の人々が次々金貨を差し出し、神父は忙しそうに樽の表面になにやら刻み付けていた。
「昨日のおたくの儲けは金貨10枚だったよな?」
傭兵はにやりと笑うと、人だかりの中心にいた人物に声をかけた。
「神父!幽霊詩人殿はちっこいのに賭けるぜ!10だ!」
「なんと!幽霊詩人殿は10と!大胆な!
しかし当たればでかいですぞ!主の祝福あれ!」
神父はそう答えながら手を差し出す。
ライはしぶしぶ神父に金貨を渡した。
『レットシュタイン』の樽の表面に『ゆーれー、10』と新たに刻まれ、ライの金貨がその中に放り込まれた。
* * *
巨漢の拳がタオの髪を揺らしたのを、タオは無表情で眺めていた。
「どうした?速すぎて反応できなかったか?」
単にタオはそれがただの挑発行為で、危険がないことを知っていたから反応しなかっただけなのだが、巨漢の男は自慢げに笑う。
この男と拳を交わしても、おそらく学ぶことも得ることもないだろう。
それでも相手がやるのであるば、流れに任せるつもりであった。
その時、ギャラリーの中からソムが声をかけてきた。
「ケンカじゃなくって、手ほどきだ。
そいつに一手ご教授してやれよ。」
「なるほど。
そういうことであれば、
まだまだ未熟な身なれどお相手仕りましょう。」
巨漢が不機嫌な表情に変わる。
「…逆だろ?
俺様が教えてやるんだぜ。
実戦の厳しさってヤツをな。」
「まぁまぁ、やればわかるし。」
ソムが宥めてるその横で、タオが巨漢に言葉をかけた。
「…あの、必要なら武器装備を整えてこられては?」
「上等だ、テメェ。構えろよ。」
拳を構え、フットワークを駆使する巨漢と違い、タオは未だ構えもせず立っているだけだった。
「いつでもどうぞ。
それともあなたの言う実戦とは、
相手が構えるのを待つものなのですか?」
「…死ねよ」
一気に踏み込んだ巨漢だったが、次の瞬間タオを見失い、足をすくわれ甲板に転がっていた。
タオは何もなかったように立ったままだ。
「出だしがわかりやすすぎます。
それにその移動方は、平たい場所ならともかく、不安定な場所には不向きです。
あと、力みすぎですね。」
タオが冷静に告げる。
「なめんな!」
巨漢がさらに激昂して襲い掛かる。
数分後、何度も床に転がり疲れ果てた巨漢の横で、タオは涼しげな顔で立っていた。
「もう終わりですか?」
「…てめぇ、逃げて…ばっかで…卑怯だぞ。」
「そうですか?」
「…よし、…じゃぁ次は…てめぇの番だ。…殴ってみろよ。
お前の拳なんざ…効かねぇって…見せてやるぜ。」
巨漢がそう言って立ち上がると、発達した筋肉を引き締めた。
「…うわ、あいつ馬鹿だ…」
ソムが呟く。
「わかりました。」
タオがそう言ったと同時に、巨漢の懐に滑り込んでいた。
思考の虚を突かれた巨漢の腹に掌をそっと添えると同時に、太鼓が響くような大きな音がして、そのまま巨漢は沈み込んだ。
タオが離れたその後ろで、巨漢の様子を覗き込んだ護衛仲間が、「脈ねぇぞ」と呟く。周囲にいた人々がざわめき始めた。
「加減しろよ。」
「したんですがね。」
タオはそう言うと、巨漢の傍らに座り、うつぶせにした後、心臓の上に掌を添えた。そして軽く打ち込む。巨漢は次の瞬間息を吹き返し、激しく咳き込みだした。
「これで大丈夫ですね。」
涎と涙まみれの顔を上げた巨漢は、タオの微笑みを見て、悲鳴を上げて逃げ出した。
* * *
月明かりの下の甲板の上、ソムと神父それにタオとライが酒を酌み交わしていた。
もっとも酒を飲んでいるのは神父とソムだったが。
「いやぁ、お前のお陰で、ずいぶんと稼がせてもらったぜ。」
「まったく、主は思わぬ祝福を我らに施します。」
上機嫌なソムと神父の横で、同じく大勝ちしたという理由だけで呼ばれたライは、微妙に居場所がなかった。ソムや神父のように酒を呷り大騒ぎすることもできず、いまいち二人の馬鹿騒ぎにも加われない。
同じく素面のタオはというと、我関せずで沈黙を守り星を眺めている。
「ずいぶん強いんだね。」
仕方なしに、ライはタオに話しかけた。
「いえ。まだ未熟です。」
「えー、だってあの巨漢、それなりに強かったよね?」
「そうですね。しかし、あなたでも彼に苦労しないでしょう?」
タオは幽霊詩人の目を正面から見た。
「…まぁ幽霊だからね。」
「いえ、生前でも。」
タオの言葉にライが怪訝そうな表情を浮かべる。
「あの場で、私との戦いを想像していたのは3人。
ソムと、バラントレイ、それにあなたです。
そしてあなただけ、私を倒す方法を考えたのではなく、殺す方法を考えた。
死者としてではなく、生者としての手段で。」
タオは星に視線を移し呟いた。
「魂は地に還り、魄だけとなれど、
思考は人である頃に捉われてしまうものなのですね。」
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PC:タオ、ライ
NPC:ソム、巨漢、神父、ほかたくさん
場所:シカラグァ・サランガ氏族領近海の船上
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どこまでも蒼い空の下、大きな白い帆いっぱいに風を受け船は進む。
護衛は、有事のその時に動けさえすれば、遊んでいても許される。
暇を持て余した護衛の多くがカード遊びに興じたり、日光浴よろしくごろ寝したり、思い思いに羽根を伸ばしている中、甲板の上で、タオは一人日々の鍛錬に精を出していた。
正中線を意識し、正しい立ち姿で立つ。
呼気により周囲の気を取り込み全身に行き渡らせる。
タオにとっては呼吸一つ、姿勢一つとっても功夫であった。
普段意識せずに行っていることではあるが、毎朝、確認するように行うのがタオの日課だった。
雲が流れ、風が頬をなでる。
波の揺れを足元に捉えながら、タオはしばらくそう過ごすと、
やがてゆっくりと単調で緩慢な動作を繰り返す。
それは舞のようでもあった。
「なんだそりゃ。ダンスの練習か?」
頭上から嘲りを含んだ声が響いてくる。
出港時に絡んできた巨躯の男がいた。
呼気には酒のにおいが含んでおり、酔っているようだ。
これで、いざというとき動けるのだろうか。
タオは内心そんな心配をしたが、他人のことなので口にはしなかった。
代わりに当たり障りのない返事をしておく。
「鍛錬ですよ。
しかしダンスとは慧眼ですね。
"武"と"舞"は通じるものが多い。」
「はぁ?お前、何言ってんの?
トレーニング?それで強くなれるわけねーだろw
それとも、あのダンスはまじないかなんかか?
チチンプイプイ強くなぁれってか?」
巨躯の男は自らの言葉に腹を抱えて笑い出す。
「オーケィ、オーケィ
お前意外と笑わかせてくれんなぁ。
そんじゃま、俺にそのトレーニングの成果とやらを見せてみろよ。」
「戦いの技は戦いの場でしかお見せすることは出来ません。」
「でったー!ハッタリ台詞!!
やっぱお前、あれだな。
レットシュタインで野盗やったっての、ウソだろ?
いいぜ、俺様が軽く揉んでやんよ。」
タオは目の前の巨漢をしばらく眺めたあと口を開いた。
「それはあまりよろしい考えではないかと。」
「何がだよ?」
「そのような心構えで戦いに臨むのは危険かと存じますが。」
「はぁ?お前相手に何があるってんだ?
あのなぁ、Mrハッタリ。
俺様を誰だと思ってんだ?
俺はエディウス内乱でも活躍したフェドート・クライだぜ!」
世情に疎いタオでも、その名は知っていた。
"フェドート・クライ"。
それは冒険者たちの間で囁かれる、様々な怪物退治の伝説を持つ戦士だ。貴族的な容貌の隻腕の男と言われている。
活動時期が現在から過去数十年に渡るため、その武勇譚の多くは、フェドート本人のものではなく、他の冒険者や地方の神話などが混ざってるとも言われているが、実際イスカーナのフィリア派兵やエディウス内乱などで戦果もあげているため、まるっきり架空の人物とも言えない、いわば生きた都市伝説となっている人物だ。
しかし、目の前の男は、そんな伝説に謳われるほどの人物とは思えなかった。
容姿がそもそも貴族というよりは山賊といったほうが的確というのもあるが、百歩譲って、エディウス内乱から10年。時の流れがいかに残酷だとしても、伝説の戦士が凡百の戦士に後戻りするはずもない。
「…彼の人は、隻腕と聞いていましたが。」
「俺様のスタイルでな。
戦場では片腕だけ肩まで金属鎧で覆っていたからな。
いつの間にか義手って噂が流れてたんだよ。」
「…嘘を口にするなとは申しませんが、
身の丈にあったものにしなければ、自らの首を絞めますよ。」
「なんだと!テメェ俺が嘘ついてるってか!?」
その瞬間、巨漢の後ろで何人かの笑い声が聞こえた。
何人かの傭兵がこちらの様子を見て笑っている。
何故巨漢がこうも執拗に絡むのか、ようやくタオは得心がいった。
どうやらこの巨漢、仲間内でも"フェドート・クライ"だと信じてもらえず、誰かを使って強さを示さなければならなかったのだろう。そしてタオが一番くみしやすいと考えたようだ。
巨漢も後ろの笑い声に、少し冷静になったのか、口元に引きつった笑みを浮かべてタオに向き直った。目の奥には隠しようもない怒りが渦巻いているが。
「…まぁ、信じきれねぇのもムリねぇかも知れねぇがな。
俺様相手なら不足はねぇだろ?
トレーニングの成果を見てやるぜ。」
「それは私とし合うということですか?」
「あぁ、手加減してやるぜ。」
「そんな必要はないのですが…。」
タオはため息をついた。
「私達がし合う必要がありますか?」
「びびったのかよ?
安心しろ。
素手で相手してやるから。」
「素手でなくとも構いませんが、そうことではなく。」
「ほら、ギャラリーも期待してんだぜ。可愛がってやんよ。」
周囲には、退屈しきっていた人々が集まりだしていた。
ご丁寧に、護衛仲間は二人の周囲の樽やらを除けて場所を空けている。
止める気はなさそうだ。
「期待するのは自由ですが、
それに応えるつもりはありません。」
「煮えきらねぇハッタリ野郎だなぁ。
そんなにケガが怖いのか?
それともナニか?
ダンスのレッスンばっかで、戦い方を忘れたのか?」
巨漢は挑発するようにせせら笑う。
それを聞き流していたタオだが、皮膚の上を走る気配に視線を移した。
そこには幽霊詩人がいた。
幽霊詩人は一瞬驚いた顔を見せたが、ひらひらと手を振ってみせる。
「おいおい、びびって声も出せないのかよ。」
巨漢ががなる。
「どうにも気分が乗らない。」
タオがため息と共に呟く。
巨漢はそんなタオの周囲をフットワークで回り始めた。
周囲がいよいよ始まるのかと沸き始めた。
「あなたとやり合って、意味があるとは思えないのですが。」
「うるせぇ。意味なんて関係ねぇんだよ。」
巨漢が一気にタオの間合いに踏み込んだ。
* * *
「胴元を立ててくれれば考える。もう始まるみたいだけどね」
ライがそう即席の試合場を指した時、巨漢がフットワークを始めた時だった。
「胴元がいりゃいいんだな?」
傭兵は視線をギャラリーの中に移す。一際人だかりの多い、その中心にその人物はいた。
首から、この地では珍しいイムヌス教の聖印をぶらさげ、聖衣にその身を包んだその人物は、人だかりの中で、一際大きな声を張り上げていた。
「これはいけません。主曰く『汝の隣人を愛せよ』。
暴力で解決できることは何もありません。
しかし!試合であるなら話は別。
スポーツマンシップに乗っ取って技術を競い合うことは、
云わば拳をもって、隣人と会話し愛し合うことなのでしょう!
さらには!退屈という試練を科せられた我らに一時の至福を与えようとは、
何たるアガペー!!
これを献身と言わずして、何を献身と言わんや!
そのような深き愛の前に、主に忠実なるしもべの私の出来ることは唯一つ。
彼らの愛が無駄にならぬよう、共に退屈という悪魔を打ち破るべく、
出来る限り盛り上げることだけです!
さぁ主はおっしゃられた。
『右の方に張ってダメだったら、左の方も張れ』と!
伝説の傭兵フェドート・クライVsレットシュタインの野盗殺し!
今日は、主の寛大な御心に従って、テラ銭は負けた側の掛け金のたったの1割!
残りは勝ちを当てた方々で、賭け口に応じた均等配分!
一口当たり金貨1枚!さぁ張った!」
その神父の目の前には空の樽が二つ並べられていて、表面に汚く、『フェドート』と『レットシュタイン』と刻まれている。周囲の人々が次々金貨を差し出し、神父は忙しそうに樽の表面になにやら刻み付けていた。
「昨日のおたくの儲けは金貨10枚だったよな?」
傭兵はにやりと笑うと、人だかりの中心にいた人物に声をかけた。
「神父!幽霊詩人殿はちっこいのに賭けるぜ!10だ!」
「なんと!幽霊詩人殿は10と!大胆な!
しかし当たればでかいですぞ!主の祝福あれ!」
神父はそう答えながら手を差し出す。
ライはしぶしぶ神父に金貨を渡した。
『レットシュタイン』の樽の表面に『ゆーれー、10』と新たに刻まれ、ライの金貨がその中に放り込まれた。
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巨漢の拳がタオの髪を揺らしたのを、タオは無表情で眺めていた。
「どうした?速すぎて反応できなかったか?」
単にタオはそれがただの挑発行為で、危険がないことを知っていたから反応しなかっただけなのだが、巨漢の男は自慢げに笑う。
この男と拳を交わしても、おそらく学ぶことも得ることもないだろう。
それでも相手がやるのであるば、流れに任せるつもりであった。
その時、ギャラリーの中からソムが声をかけてきた。
「ケンカじゃなくって、手ほどきだ。
そいつに一手ご教授してやれよ。」
「なるほど。
そういうことであれば、
まだまだ未熟な身なれどお相手仕りましょう。」
巨漢が不機嫌な表情に変わる。
「…逆だろ?
俺様が教えてやるんだぜ。
実戦の厳しさってヤツをな。」
「まぁまぁ、やればわかるし。」
ソムが宥めてるその横で、タオが巨漢に言葉をかけた。
「…あの、必要なら武器装備を整えてこられては?」
「上等だ、テメェ。構えろよ。」
拳を構え、フットワークを駆使する巨漢と違い、タオは未だ構えもせず立っているだけだった。
「いつでもどうぞ。
それともあなたの言う実戦とは、
相手が構えるのを待つものなのですか?」
「…死ねよ」
一気に踏み込んだ巨漢だったが、次の瞬間タオを見失い、足をすくわれ甲板に転がっていた。
タオは何もなかったように立ったままだ。
「出だしがわかりやすすぎます。
それにその移動方は、平たい場所ならともかく、不安定な場所には不向きです。
あと、力みすぎですね。」
タオが冷静に告げる。
「なめんな!」
巨漢がさらに激昂して襲い掛かる。
数分後、何度も床に転がり疲れ果てた巨漢の横で、タオは涼しげな顔で立っていた。
「もう終わりですか?」
「…てめぇ、逃げて…ばっかで…卑怯だぞ。」
「そうですか?」
「…よし、…じゃぁ次は…てめぇの番だ。…殴ってみろよ。
お前の拳なんざ…効かねぇって…見せてやるぜ。」
巨漢がそう言って立ち上がると、発達した筋肉を引き締めた。
「…うわ、あいつ馬鹿だ…」
ソムが呟く。
「わかりました。」
タオがそう言ったと同時に、巨漢の懐に滑り込んでいた。
思考の虚を突かれた巨漢の腹に掌をそっと添えると同時に、太鼓が響くような大きな音がして、そのまま巨漢は沈み込んだ。
タオが離れたその後ろで、巨漢の様子を覗き込んだ護衛仲間が、「脈ねぇぞ」と呟く。周囲にいた人々がざわめき始めた。
「加減しろよ。」
「したんですがね。」
タオはそう言うと、巨漢の傍らに座り、うつぶせにした後、心臓の上に掌を添えた。そして軽く打ち込む。巨漢は次の瞬間息を吹き返し、激しく咳き込みだした。
「これで大丈夫ですね。」
涎と涙まみれの顔を上げた巨漢は、タオの微笑みを見て、悲鳴を上げて逃げ出した。
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月明かりの下の甲板の上、ソムと神父それにタオとライが酒を酌み交わしていた。
もっとも酒を飲んでいるのは神父とソムだったが。
「いやぁ、お前のお陰で、ずいぶんと稼がせてもらったぜ。」
「まったく、主は思わぬ祝福を我らに施します。」
上機嫌なソムと神父の横で、同じく大勝ちしたという理由だけで呼ばれたライは、微妙に居場所がなかった。ソムや神父のように酒を呷り大騒ぎすることもできず、いまいち二人の馬鹿騒ぎにも加われない。
同じく素面のタオはというと、我関せずで沈黙を守り星を眺めている。
「ずいぶん強いんだね。」
仕方なしに、ライはタオに話しかけた。
「いえ。まだ未熟です。」
「えー、だってあの巨漢、それなりに強かったよね?」
「そうですね。しかし、あなたでも彼に苦労しないでしょう?」
タオは幽霊詩人の目を正面から見た。
「…まぁ幽霊だからね。」
「いえ、生前でも。」
タオの言葉にライが怪訝そうな表情を浮かべる。
「あの場で、私との戦いを想像していたのは3人。
ソムと、バラントレイ、それにあなたです。
そしてあなただけ、私を倒す方法を考えたのではなく、殺す方法を考えた。
死者としてではなく、生者としての手段で。」
タオは星に視線を移し呟いた。
「魂は地に還り、魄だけとなれど、
思考は人である頃に捉われてしまうものなのですね。」
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