PC:アベル ヴァネッサ
NPC:セリア ギア
場所:エドランス国 ウサギ型眷属の村付近
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――二度目となるウサギ村への道中は、子供達だけだった時と違い、静かだった。
ギアとセリアが前を歩き、アベルとヴァネッサに時折どちらへ進むのかと質問するぐ
らいで、あとは余計な会話をしない。
しゃべればその分体力を消耗するから……ということらしい。
「その犯人、名前何ていうんだ?」
道中、前を歩くギアが唐突に呟いた。
……何かを手の中でいじくっている。
「あ……そういえば、聞き出してなかった」
アベルが頭をかく。
そういえば、犯人の名前を聞いていない。
縛り上げた時に張り飛ばすなり何なりして徹底的に締め上げれば、色々と情報を得ら
れたかもしれないが……アベルやラズロは平然とそれができる人間ではない。
「まあ、今回は別にいい。そいつ、もしかしたら手配されてる奴かもと思っただけだ
から」
ギアは、手の中でいじくっていた物を、ぐっと握りしめる。
「実物を見てねえから、もしかしたら違うかもしれねえけどな。そいつ、前にアカデ
ミーから指輪盗もうとした犯人だと思う」
「ええっ、そんな奴、いたのか!?」
アベルが驚いていると、ギアはしれっと「いたよ」と答えた。
「お前らが入学するだいぶ前だけどな。間抜けな奴で、指輪を保管してる部屋までは
来れたが、そこから先に進めなくて、罠に引っかかったんだ。ロープに引っかかって
ぷらぷら揺れてた」
ギアの説明に、セリアがうなずいている。
「まあ、逃げ足だけは早い奴だったな。取り押さえてちょっと目を離しているすき
に、全速力で逃げられた。まったく呆れたものだ」
今回は逃がしてたまるものか、とセリアが拳を手の平に打ちつける。
――気合充分、といったところか。
(そんなに凄い奴だったかなー……)
アベルは疑問に思う。
あの犯人に、アカデミーの教師に取り押さえられて逃げるという芸当ができるとは思
えないのだろう。
コボルド3匹がいなくなった途端弱気になり、リリアに凄まれては怯えていた姿が目
立っていたのだから、仕方ない反応である。
「で、だ。ちょっと見ろ……」
ギアは足を止め、手を開いて中身を二人に見せた。
ゴツゴツした大きな手に握られていたのは、犯人が持っていた指輪だ。
アカデミーに戻った時にセリアに渡したものを、ギアが受け取って色々と見ていたら
しい。
「ここに文字が入ってるんだよ。わかるか?」
ギアが指輪を傾け、内側が見えるようにすると……確かに、文字らしいものが刻み込
まれている。
「何て書いてあるんですか?」
ヴァネッサが尋ねると、ギアはしかめ面をして指輪を見つめた。
「んー……このテの場合、普通は名前とかだったりするけどな。セリア頼む」
やがて、セリアに向けて指輪を放る。
要するに、読めない、ということだろう。
「馬鹿者っ! 貴重な物を放ってよこす奴があるかっ!」
セリアはギアを一睨みしてから、指輪の裏側に目を光らせた。
「ええと……『 永久 我が子らよ 地平 願いて うた 』 」
指輪を回しながら文字を追っていたセリアが、黙りこむ。
「……これだけだな」
「そんだけっ!?」
アベルが驚いた顔をする。
無理もない。
指輪の中に刻まれているのは、単語を並べただけと言うべきもので、文章として成り
立っていない。
これでは、一体何を伝えたいのかさっぱりわからない。
「ああ、そうだ。私の個人的な意見だが、一つのメッセージをいくつかに分けている
んだろう。探せばこの前後につながる文字の入った指輪もあると思う……」
セリアは難しい顔をして、手の中の指輪を見つめていた。
「アカデミーにある物も、いずれきちんと解読する必要がありそうだな。学園長に頼
んでみよ
う」
――指輪の淵が、太陽の光を反射して鋭い光を放っていた。
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NPC:セリア ギア
場所:エドランス国 ウサギ型眷属の村付近
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――二度目となるウサギ村への道中は、子供達だけだった時と違い、静かだった。
ギアとセリアが前を歩き、アベルとヴァネッサに時折どちらへ進むのかと質問するぐ
らいで、あとは余計な会話をしない。
しゃべればその分体力を消耗するから……ということらしい。
「その犯人、名前何ていうんだ?」
道中、前を歩くギアが唐突に呟いた。
……何かを手の中でいじくっている。
「あ……そういえば、聞き出してなかった」
アベルが頭をかく。
そういえば、犯人の名前を聞いていない。
縛り上げた時に張り飛ばすなり何なりして徹底的に締め上げれば、色々と情報を得ら
れたかもしれないが……アベルやラズロは平然とそれができる人間ではない。
「まあ、今回は別にいい。そいつ、もしかしたら手配されてる奴かもと思っただけだ
から」
ギアは、手の中でいじくっていた物を、ぐっと握りしめる。
「実物を見てねえから、もしかしたら違うかもしれねえけどな。そいつ、前にアカデ
ミーから指輪盗もうとした犯人だと思う」
「ええっ、そんな奴、いたのか!?」
アベルが驚いていると、ギアはしれっと「いたよ」と答えた。
「お前らが入学するだいぶ前だけどな。間抜けな奴で、指輪を保管してる部屋までは
来れたが、そこから先に進めなくて、罠に引っかかったんだ。ロープに引っかかって
ぷらぷら揺れてた」
ギアの説明に、セリアがうなずいている。
「まあ、逃げ足だけは早い奴だったな。取り押さえてちょっと目を離しているすき
に、全速力で逃げられた。まったく呆れたものだ」
今回は逃がしてたまるものか、とセリアが拳を手の平に打ちつける。
――気合充分、といったところか。
(そんなに凄い奴だったかなー……)
アベルは疑問に思う。
あの犯人に、アカデミーの教師に取り押さえられて逃げるという芸当ができるとは思
えないのだろう。
コボルド3匹がいなくなった途端弱気になり、リリアに凄まれては怯えていた姿が目
立っていたのだから、仕方ない反応である。
「で、だ。ちょっと見ろ……」
ギアは足を止め、手を開いて中身を二人に見せた。
ゴツゴツした大きな手に握られていたのは、犯人が持っていた指輪だ。
アカデミーに戻った時にセリアに渡したものを、ギアが受け取って色々と見ていたら
しい。
「ここに文字が入ってるんだよ。わかるか?」
ギアが指輪を傾け、内側が見えるようにすると……確かに、文字らしいものが刻み込
まれている。
「何て書いてあるんですか?」
ヴァネッサが尋ねると、ギアはしかめ面をして指輪を見つめた。
「んー……このテの場合、普通は名前とかだったりするけどな。セリア頼む」
やがて、セリアに向けて指輪を放る。
要するに、読めない、ということだろう。
「馬鹿者っ! 貴重な物を放ってよこす奴があるかっ!」
セリアはギアを一睨みしてから、指輪の裏側に目を光らせた。
「ええと……『 永久 我が子らよ 地平 願いて うた 』 」
指輪を回しながら文字を追っていたセリアが、黙りこむ。
「……これだけだな」
「そんだけっ!?」
アベルが驚いた顔をする。
無理もない。
指輪の中に刻まれているのは、単語を並べただけと言うべきもので、文章として成り
立っていない。
これでは、一体何を伝えたいのかさっぱりわからない。
「ああ、そうだ。私の個人的な意見だが、一つのメッセージをいくつかに分けている
んだろう。探せばこの前後につながる文字の入った指輪もあると思う……」
セリアは難しい顔をして、手の中の指輪を見つめていた。
「アカデミーにある物も、いずれきちんと解読する必要がありそうだな。学園長に頼
んでみよ
う」
――指輪の淵が、太陽の光を反射して鋭い光を放っていた。
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PC:礫 メイ
NPC:ガリュウ・ソーン 朧月の店主
場所:ガリュウの家~ポポル
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
礫が扉を叩こうと拳を振り上げると、いきなり中から扉が開いた。だが、扉の直
ぐそこには誰もいない。奥から「開いてるよ。来ることはわかっていた。入ってき
なさい」と声がかかる。礫とメイは一瞬顔を見合わせると、声に促されるように入
っていった。
中には一人の、みすぼらしいが威厳と風格のある老人が椅子に腰掛けていた。白
髪と白髭は伸びきったままだ。端々が切れ切れのローブを纏っている。どこからど
う見てもただの隠居老爺にしか見えない。だが、纏っているオーラが違った。礫に
はわかる。ただのじじいではないと。
小屋はこの居間兼台所の他にもう一つ奥に部屋があるようだ。礫は老爺に近付い
て、誰何した。
「あなたが、ガリュウ・ソーンさんですね?」
念のためだ。老爺は即答で答えた。
「そうだ」続けて、
「お前達が来ることは解っていた。さあ、座りなさい」
ニコリとも、振り向きもせずに、着席を促した。礫は静かにそれに従う。着席し
たところを見計らうようにテーブルに置いてあった菓子入れを指して、
「月餅は好きかね?」
と訊いてきた。礫は見たことも聞いたことも食べたことも無かったので、沈黙で
答えた。すると、ガリュウは一つ摘むとそれを一口かじり咀嚼してから言った。
「月餅はシカラグァの名産品でね。おいしいよ。一つどうだね?」
礫は何の意図があって、月餅を進めるのか解りかねていた。理解しがたい。魔術
師とは皆こうなのか。変人が多いとは聞いていたが、まさか本当にそうだとは思っ
ていなかった。だが、目前にしてそれが正しいことが解ったような気がする。
「あの、今日はあなたに頼みたいことがあって、やって来ました」
切り口上にまくし立てる。しかしそれも、相手はどこ吹く風だ。メイは卓上で瞳
を煌かせながら月餅を見詰めている。よだれが垂れそうに口を半開きにさせて。礫
は胸の中で溜息をつく。メイちゃんもやっぱり食べたいのか、月餅と。
礫は一ついいですか、と断りを入れてから月餅を一つ掴むと、小さいメイでも食
べやすいように小さく千切ってメイに渡す。
「れっきぃぃぃぃ……ありがとう」
満面の笑みを浮かべるメイ。この笑顔を見れただけで礫は嬉しかった。
「皆まで言わなくてよい。解っている」
威厳のある声音でガリュウが言葉を紡ぐ。礫はきょとんとガリュウを見詰める。
やがて、ああ、先ほどの話の続きか、と合点がいってやっと話に戻る。見る間に笑
顔に変わり、
「じゃあ、引き受けてくれるんですね!」
と確認する。だが、次の瞬間、ガリュウが口にした言葉を聞いて、愕然とする。
「君達の頼みを聞き入れるのに、条件がある。――ポポルに、朧月という酒場があ
る。その店の主が困っているようだ。その困り事を解決したら、頼みを聞き入れて
やっても良い」
条件? 条件って何だ。このじじいはそれ程偉いのか。と怒鳴りたくなる衝動を
律して、礫はやっと話の内容を飲み込んだ。飲み込んで、飲み下して、消化して、
言葉を吐き出す。
「……つまり、その店の困り事を解決したら、僕たちの頼みを聞いてくれるんです
ね」
相手は沈黙で答える。その沈黙を、了承と取る礫。かくて契約は成り立った。後
は気まぐれが発動しないことを願うだけである。
■□
ガリュウの家を出た礫達は、森の中をポポルに向けて歩いている。正午の日差し
を受けて、木漏れ日が眩しい。しかし、とても清々しい。木々の間から見える青く
高い空が目に突き刺さってくる。この時間、太陽を直接見ることは自殺行為だ。目
が焼きついて暫く白い点しか見えなくなる。目が潰れるほどではないが、目を酷使
することは事実である。だから礫は太陽の大体の位置を把握したあと、直ぐに視線
を前に戻した。
「ねぇ、れっきー」
「何? メイちゃん」
「あのおじいさん、本当に私たちの頼み事聞いてくれると思う?」
「それは…………解らないな。あの人に、誠実さがあればいいけど」
苦笑する礫。これから先のことはその時になってから考えれば良い。
礫は、メイを見ていてふと不思議な感覚に襲われた。この胸のドキドキはなんだ
ろう。強い衝撃を受けたときのような、魂が揺らぐあの感じ。強敵と対峙した時と
は違う。実の父さんと母さんが死んだ人だと聞かされたときの、あの感じとも違う。
何かが決定的に違う、でも魂が揺らぐあの感じ。この感じはなんだろう。よく解ら
ない。でも、とても心地いいような気がする。メイを見ると自然とにこやかになっ
ている自分を意識した。
太陽が西の空に少し傾いた頃、だから二時くらいにポポルの町並みが見えてきた。
開放的な町らしく、外壁は無い。と、いうよりも、森が自然の要塞になっているの
だろう。確かに道に明るくなければ迷いやすい森だ。でも迷いの森のように、魔法
が掛かっている訳ではないので多少日数を要するが、抜け出せないレベルではない。
しかし、一番警戒しなければいけないのは森に住むエルフ達だろう。エルフ達は木
と一対なので、木を汚すもの、傷付ける者達には容赦しない。それが、森エルフと
呼ばれるものたちだ。その森エルフの存在があるからこそ、あえて外壁を作らない
のだろう。
ポポルの町に入って、最初に異変に気付いた。
ポポルの町近郊の森に近い場所。そこに巨大なクレーターがぽっかりと口を開け
ていた。暗い眼窩を穿たれたその大地の傷は、一種異様な迫力があった。
「すごい穴だねー」
「一体、何があったんだ?」
二人はその穿たれた墓穴を避けるように大回りして町に入った。
地図を書いてもらった場所に、その店はあった。ワイングラスを模った木製の看
板の丸い外枠に“朧月”と書いてある。確かにこの店のようだ。
礫は決意も新たに店の扉を潜った。
中には中年の上品そうな男がカウンターの奥に居た。中肉中背の鍛え上げてはい
るけれど、それを見せない体格の持ち主だ。
「何用だい? まだ店はやっていないよ」
男の言葉に周りを見渡すと、確かに椅子が丸テーブルの上に上げてある。開店は
どうやら夕方からのようだ。
「すいません。ガリュウ・ソーンさんの依頼できたのですが」
礫があらたまった声音で声を掛ける。ガリュウの名前を聞くと、男はぴくりと眉
毛を動かした。心当たりがあるらしい。
「君は……誰だね?」
「はじめまして。僕は礫と申します。冒険者です。こちらはメイといいます」
こちらはというところで、礫はメイを指して紹介した。
「はじめましてー」
男はあからさまに怪訝な顔をした。
「依頼だって?」
「ガリュウさんから、あなたの困り事を解決して欲しいと言われまして」
男は無言で、数秒値踏みするように礫を眺め回した。
「……なぜ、そのことを知っている?」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
NPC:ガリュウ・ソーン 朧月の店主
場所:ガリュウの家~ポポル
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礫が扉を叩こうと拳を振り上げると、いきなり中から扉が開いた。だが、扉の直
ぐそこには誰もいない。奥から「開いてるよ。来ることはわかっていた。入ってき
なさい」と声がかかる。礫とメイは一瞬顔を見合わせると、声に促されるように入
っていった。
中には一人の、みすぼらしいが威厳と風格のある老人が椅子に腰掛けていた。白
髪と白髭は伸びきったままだ。端々が切れ切れのローブを纏っている。どこからど
う見てもただの隠居老爺にしか見えない。だが、纏っているオーラが違った。礫に
はわかる。ただのじじいではないと。
小屋はこの居間兼台所の他にもう一つ奥に部屋があるようだ。礫は老爺に近付い
て、誰何した。
「あなたが、ガリュウ・ソーンさんですね?」
念のためだ。老爺は即答で答えた。
「そうだ」続けて、
「お前達が来ることは解っていた。さあ、座りなさい」
ニコリとも、振り向きもせずに、着席を促した。礫は静かにそれに従う。着席し
たところを見計らうようにテーブルに置いてあった菓子入れを指して、
「月餅は好きかね?」
と訊いてきた。礫は見たことも聞いたことも食べたことも無かったので、沈黙で
答えた。すると、ガリュウは一つ摘むとそれを一口かじり咀嚼してから言った。
「月餅はシカラグァの名産品でね。おいしいよ。一つどうだね?」
礫は何の意図があって、月餅を進めるのか解りかねていた。理解しがたい。魔術
師とは皆こうなのか。変人が多いとは聞いていたが、まさか本当にそうだとは思っ
ていなかった。だが、目前にしてそれが正しいことが解ったような気がする。
「あの、今日はあなたに頼みたいことがあって、やって来ました」
切り口上にまくし立てる。しかしそれも、相手はどこ吹く風だ。メイは卓上で瞳
を煌かせながら月餅を見詰めている。よだれが垂れそうに口を半開きにさせて。礫
は胸の中で溜息をつく。メイちゃんもやっぱり食べたいのか、月餅と。
礫は一ついいですか、と断りを入れてから月餅を一つ掴むと、小さいメイでも食
べやすいように小さく千切ってメイに渡す。
「れっきぃぃぃぃ……ありがとう」
満面の笑みを浮かべるメイ。この笑顔を見れただけで礫は嬉しかった。
「皆まで言わなくてよい。解っている」
威厳のある声音でガリュウが言葉を紡ぐ。礫はきょとんとガリュウを見詰める。
やがて、ああ、先ほどの話の続きか、と合点がいってやっと話に戻る。見る間に笑
顔に変わり、
「じゃあ、引き受けてくれるんですね!」
と確認する。だが、次の瞬間、ガリュウが口にした言葉を聞いて、愕然とする。
「君達の頼みを聞き入れるのに、条件がある。――ポポルに、朧月という酒場があ
る。その店の主が困っているようだ。その困り事を解決したら、頼みを聞き入れて
やっても良い」
条件? 条件って何だ。このじじいはそれ程偉いのか。と怒鳴りたくなる衝動を
律して、礫はやっと話の内容を飲み込んだ。飲み込んで、飲み下して、消化して、
言葉を吐き出す。
「……つまり、その店の困り事を解決したら、僕たちの頼みを聞いてくれるんです
ね」
相手は沈黙で答える。その沈黙を、了承と取る礫。かくて契約は成り立った。後
は気まぐれが発動しないことを願うだけである。
■□
ガリュウの家を出た礫達は、森の中をポポルに向けて歩いている。正午の日差し
を受けて、木漏れ日が眩しい。しかし、とても清々しい。木々の間から見える青く
高い空が目に突き刺さってくる。この時間、太陽を直接見ることは自殺行為だ。目
が焼きついて暫く白い点しか見えなくなる。目が潰れるほどではないが、目を酷使
することは事実である。だから礫は太陽の大体の位置を把握したあと、直ぐに視線
を前に戻した。
「ねぇ、れっきー」
「何? メイちゃん」
「あのおじいさん、本当に私たちの頼み事聞いてくれると思う?」
「それは…………解らないな。あの人に、誠実さがあればいいけど」
苦笑する礫。これから先のことはその時になってから考えれば良い。
礫は、メイを見ていてふと不思議な感覚に襲われた。この胸のドキドキはなんだ
ろう。強い衝撃を受けたときのような、魂が揺らぐあの感じ。強敵と対峙した時と
は違う。実の父さんと母さんが死んだ人だと聞かされたときの、あの感じとも違う。
何かが決定的に違う、でも魂が揺らぐあの感じ。この感じはなんだろう。よく解ら
ない。でも、とても心地いいような気がする。メイを見ると自然とにこやかになっ
ている自分を意識した。
太陽が西の空に少し傾いた頃、だから二時くらいにポポルの町並みが見えてきた。
開放的な町らしく、外壁は無い。と、いうよりも、森が自然の要塞になっているの
だろう。確かに道に明るくなければ迷いやすい森だ。でも迷いの森のように、魔法
が掛かっている訳ではないので多少日数を要するが、抜け出せないレベルではない。
しかし、一番警戒しなければいけないのは森に住むエルフ達だろう。エルフ達は木
と一対なので、木を汚すもの、傷付ける者達には容赦しない。それが、森エルフと
呼ばれるものたちだ。その森エルフの存在があるからこそ、あえて外壁を作らない
のだろう。
ポポルの町に入って、最初に異変に気付いた。
ポポルの町近郊の森に近い場所。そこに巨大なクレーターがぽっかりと口を開け
ていた。暗い眼窩を穿たれたその大地の傷は、一種異様な迫力があった。
「すごい穴だねー」
「一体、何があったんだ?」
二人はその穿たれた墓穴を避けるように大回りして町に入った。
地図を書いてもらった場所に、その店はあった。ワイングラスを模った木製の看
板の丸い外枠に“朧月”と書いてある。確かにこの店のようだ。
礫は決意も新たに店の扉を潜った。
中には中年の上品そうな男がカウンターの奥に居た。中肉中背の鍛え上げてはい
るけれど、それを見せない体格の持ち主だ。
「何用だい? まだ店はやっていないよ」
男の言葉に周りを見渡すと、確かに椅子が丸テーブルの上に上げてある。開店は
どうやら夕方からのようだ。
「すいません。ガリュウ・ソーンさんの依頼できたのですが」
礫があらたまった声音で声を掛ける。ガリュウの名前を聞くと、男はぴくりと眉
毛を動かした。心当たりがあるらしい。
「君は……誰だね?」
「はじめまして。僕は礫と申します。冒険者です。こちらはメイといいます」
こちらはというところで、礫はメイを指して紹介した。
「はじめましてー」
男はあからさまに怪訝な顔をした。
「依頼だって?」
「ガリュウさんから、あなたの困り事を解決して欲しいと言われまして」
男は無言で、数秒値踏みするように礫を眺め回した。
「……なぜ、そのことを知っている?」
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PC:スーシャ、ロンシュタット
NPC:バルデラス、喰らわれた魂の永劫の牢獄(悪魔)
場所:セーラムの街、宿屋前の大通り
悲鳴はすぐ金切り声に変わった。
水が植物の蔦のように伸びてきて、近くにいた女の脚に巻きついた。
女はそれを振りほどこうとしたが叶わず、逆に益々力強く絡みつく。
街人がぎょっとして一歩離れると、蔦は女を本体である水柱へ引きずっていく。
何が起こるのか分からないが、あの中に入ったら御終いだと、女は直感的に理解した。
何とか逃れようと地面に手を付くが、女の力では(男の力でも)どうしようもない。ただ地面の土を掴むだけで、水柱へ近づく速さは微塵も落ちなかった。
近づくにつれ女の形相は強張る。
自分も近づいたらどうなるのか分かった街人が誰一人助けに来ないのを見た女は、絶望しながらも、生にしがみつこうと、地面に爪を立てる。
何度も何度も懇願の視線だけを向けながら、ずるずると引きずられる女。
爪が剥がれ、それでもなお死に抵抗しようと腕を振り回すが、悪魔が一度捕えた獲物を逃すことは無い。
やがて水柱まで引きずられた女は、ゆっくりずぶずぶと柱に飲み込まれていく。
誰かに引っ張ってくれ、死にたくないと腕を精一杯伸ばすが、誰も取ろうとはしない。
腰が、胸が、顔が、最後に伸ばしてがくがく震える腕が飲み込まれ、女の死が決まった。地面に十本の細い血の跡だけを残して。
だが、女はただでは死ねなかった。
強い酸の中で溶かされているように、肉が剥離していく。
頬の肉がごっそり削げ落ち、横から歯が見えたと思ったら、腹部が一度に取れ、勢いで上半身と下半身が割れた。水に流されているのか、まだ動いているのか、腕と脚がじたばたしている。
しかし、それも長くなかった。
最後まで残っていた首の肉が一度に溶け、悲鳴を上げるように、骸骨だけとなった頭が歯をがちがち鳴らすと、動きは止まり、流れに乗って外に吐き出された。
一連の捕食が終わると、水の表面に、今飲み込まれた女の顔が苦悶に歪みつつ浮かんだが、これも他の顔と溶け合って沈んでいく。
一斉に悲鳴と怒号が飛び交った。
堰を切ったように我先にと柱から遠ざかる。
自警団も背を向け、街人は蜘蛛の子を散らしたように放射状に逃げ出していく。
その逃げ出す人の群れを割るように、ロンシュタットだけが微動だにせず向かい合っていた。
それどころか、自分から悪魔に歩いていく。掴らない自信があるのか、掴っても振りほどく事ができるのか?
……いや、どちらも違うだろう。ただ彼は、剣の届く位置まで行かなければ倒せないから近づいているだけだ。
「分かっていても、普通はやらないぜ、こんな事。本当にお前はおっかない奴だよ」
バルデラスが笑いながら話しかけるが、持ち主の返答は無い。
柱から無数に蔦が伸び、ロンシュタット目掛けて振り下ろされた。
身軽に飛び退き、あるいは踏み込み、四方八方からの攻撃に掠ることなく、瞬く間に柱まで到達するその動きは正に電光石火。
踏み込む勢いを殺すことなく、長大な剣を横殴りに柱に叩きつける。
まるで爆発でもしたように水が爆ぜ、飛沫が舞うが、水でできている身体は、すぐ元通り柱に戻る。
水で物に穴を開けたり切ることはできても、水を切ることはできない。
柱の周りをステップを踏んで移動しながら何度も切りつけるロンシュタット。だが、その攻撃に見合うだけの傷を悪魔に負わせることができない。
一方、悪魔も散々蔦を伸ばし追い込もうとするが、ロンシュタットを捕えられない。
それも当然のことだ。悪魔の存在を完全に把握できるロンシュタットは、こんな蔦など見なくても位置が分かる。眼は本体を見据えたままで、あらゆる攻撃を避けながら執拗に攻撃を仕掛ける。
ならば、と作戦を変えたのか、蔦が何本も街人に向けられ伸びていく。
再度上がる悲鳴と怒号。
だが最初に逃げていたおかげで、捕えられることは無い。
たったふたり、逃げ遅れた団長の子供と、逃げ場の無かった屋上にいるスーシャを除いて。
背を向けて走り出そうとするふたりを、蔦はやすやすと捕える事ができた。
今度は引きずらず、持ち上げて飲み込もうとする。
幼い男女の悲鳴が上がる。
その内、団長の息子の悲鳴はすぐに途切れた。
取って返したロンシュタットが、また人間離れした跳躍をし、今まさに飲み込まれんとする子供を捉える蔦に剣を振り下ろしたのだ。
水を切ることは出来なくとも、爆ぜさせることは出来る。
飛び散る水と一緒に拘束を解かれた子供が落ちてくるのを、先に着地した彼は地面で受け止めた。
ロンシュタットを見上げ、助かったことが分かった息子は脱兎のごとく、遠巻きに成り行きを、この世ならぬ戦いを見ている街人たちの所へ逃げ出した。
しかし、彼を助けた事で、スーシャが飲み込まれるのを防ぐことは出来なかった。
水の中で溺れるスーシャは、殺される恐怖よりも、息苦しい、ということしか感じられなかった。皮膚がひりひりするのも分からない。
呼吸が出来ず、息を止めていられなくなった彼女は口を大きく開ける。そこに水が勢いよく侵入し、気管から胃に入る。
その時、ふっと力が抜けた。
身体が楽になり、浮遊を感じると、思考は少しだけ働いた。
私も、死んじゃうのかなぁ?(あの女の人みたいに)
このまま死ぬと、どうなっちゃうんだろう? やっぱりここに捕えられるのかな? でも、ここにいたって、何の足しにもなりゃしないよ(仕立て屋の人はみんな言ってた)
わたし……駄目なんだなぁ。
強くなりたかったなぁ。(でも、どうやって? そもそも強いわたしってどんなの?)
目の前がいよいよ暗くなり、思考は停滞を見せ……。
いきなり濁流に飲み込まれたように、身体に強い衝撃が走る。
その衝撃が遠ざかる意識を鮮明にして、彼女は目の前が明るい事に気付いた。
気付くと同時に、苦しさが再び襲いかかって来て、彼女は溜まらず水を吐き出す。吐き出された水の代わりに肺に入って来たのは、土と石の匂いのする湿った空気。咳き込んで飲み込んでしまった水を全て出すと、ようやく見回すことができた。
ロンシュタットが、立っている。片手に剣を持ち、悪魔に向かい合い。
だが、その左腕は皮膚が剥がれ肉が削げ落ち、骨が見えている。
自分の服にその血が残るのを見て、ロンシュタットが柱に腕を入れ、力任せに引き抜いたのだと理解した。
私は助かった、でも、あの腕じゃ……。
彼の腕は力なく垂れ下がったままだが、それでも残る右腕で剣を振るい、蔦と柱を切り続ける。
相変わらず馬鹿げた破壊力を持つ一撃だが、それでも両腕で振るうより力が劣る。
どうしよう、と心配するスーシャは、ロンシュタットの左腕に蔦が巻き付くのを見る。
あっ、と声に出す暇もあればこそ、ロンシュタットは飛び込むように柱に飲み込まれた。
心配することが精一杯のスーシャは、どうすればいいのか見当も付かない。
行けばまた飲み込まれるし、何もしなければロンシュタットが殺されてしまう。
くるり、と振り向くと助けを求めて街人を見た。
だが、彼らもこの人外の戦いをどうしていいのか分からない。怯えた表情でひたすら見ているだけで、誰も助けようとは思っていない。
女の人の時と同じだ。わたしの時と同じだ。
誰も、助けてくれない。
ぽかんと助けを呼ぶ形に口は開いたまま、目から涙がこぼれた。
涙が頬を伝い、地面に落ちると、ドン! と音がした。
びっくりしながら、その音は前にどこかで聞いた音なのを思い出す。そう、あれは昨日の夜。雨に打たれていた時だ。
街人が一斉に表情を変える。指差し、口に手をあて、皆、ああ、とうめく。
後で起きている事を想像すると、振り返ることは出来ない。
間を置かずに音がする。そして自分の影が夕方でもないのに長く伸びる。耳には聞いた事も無い、弾ける様な音が入る。
はっとして振り返るスーシャは、街人と同じく、発光している柱を見た。
いや、それは正確ではない。紫電に絡みつかれ、伸びる蔦の全てが内から放電されている柱だ。
蔦は逃れるように伸び、地面へ潜るが、電撃はそれと同じ速さで追いかける。蔦の先から柱の頂点まで、悪魔の体内で雷が暴れ狂っている。
柱は苦悶するように身をよじり、何とか逃げようとするが、紫電は更に大きく、太く、光の濁流となって悪魔を食い尽くしていく。
浮かぶ顔が見れなくなるほどまぶしく光り、荒れ狂う雷は水面を突き破って所構わず放電を開始する。
悪魔の生命力がバルデラスを退けるか、それとも力を解放したバルデラスの魔力が悪魔の身体を破壊するのが先か?
長く続く命の奪い合いが激しさを増し、雷鳴にも似た轟音が響き渡る。本物の嵐を呼びかねない迫力で繰り広げられた闘争はしかし、急にバルデラスの放電の終了という形で幕を閉じた。
愕然とする街人と、中にいるロンシュタットのことが心配なスーシャ。柱の中にいる以上、彼もあの電撃を受け続けているのだ。
まさか、と思う。
待っていろ、と彼女に言った青年は、戻って来れなくなってしまったのではないだろうか?
柱は最初に形成された時と同じく、水面を揺らしながら立っている。
その様を見守るスーシャの口から、苦しみと悲しみの入り混じる吐息が吐き出されようとしたその瞬間。
轟!
と耳を塞がずにはいられない爆音と同時に、柱と蔦は内側から一斉に爆散する。
辺り一面に飛び散る水しぶきは、もう悪魔の身体ではなく、ただの水であった。
降り注ぐスコールに全身を濡らし、長い髪を頬に纏い付かせるスーシャの前に、黒く長い剣を持った男が、爆心から歩んで来る。
「ロ……ロンシュタット……」
昨夜、宿屋で言うことが出来なかった彼の名前を、スーシャは口にすることが出来た。
名を呼ばれた青年ロンシュタットは、うっすら浮かび上がる虹を背にして、スーシャの元まで戻って来た。
NPC:バルデラス、喰らわれた魂の永劫の牢獄(悪魔)
場所:セーラムの街、宿屋前の大通り
悲鳴はすぐ金切り声に変わった。
水が植物の蔦のように伸びてきて、近くにいた女の脚に巻きついた。
女はそれを振りほどこうとしたが叶わず、逆に益々力強く絡みつく。
街人がぎょっとして一歩離れると、蔦は女を本体である水柱へ引きずっていく。
何が起こるのか分からないが、あの中に入ったら御終いだと、女は直感的に理解した。
何とか逃れようと地面に手を付くが、女の力では(男の力でも)どうしようもない。ただ地面の土を掴むだけで、水柱へ近づく速さは微塵も落ちなかった。
近づくにつれ女の形相は強張る。
自分も近づいたらどうなるのか分かった街人が誰一人助けに来ないのを見た女は、絶望しながらも、生にしがみつこうと、地面に爪を立てる。
何度も何度も懇願の視線だけを向けながら、ずるずると引きずられる女。
爪が剥がれ、それでもなお死に抵抗しようと腕を振り回すが、悪魔が一度捕えた獲物を逃すことは無い。
やがて水柱まで引きずられた女は、ゆっくりずぶずぶと柱に飲み込まれていく。
誰かに引っ張ってくれ、死にたくないと腕を精一杯伸ばすが、誰も取ろうとはしない。
腰が、胸が、顔が、最後に伸ばしてがくがく震える腕が飲み込まれ、女の死が決まった。地面に十本の細い血の跡だけを残して。
だが、女はただでは死ねなかった。
強い酸の中で溶かされているように、肉が剥離していく。
頬の肉がごっそり削げ落ち、横から歯が見えたと思ったら、腹部が一度に取れ、勢いで上半身と下半身が割れた。水に流されているのか、まだ動いているのか、腕と脚がじたばたしている。
しかし、それも長くなかった。
最後まで残っていた首の肉が一度に溶け、悲鳴を上げるように、骸骨だけとなった頭が歯をがちがち鳴らすと、動きは止まり、流れに乗って外に吐き出された。
一連の捕食が終わると、水の表面に、今飲み込まれた女の顔が苦悶に歪みつつ浮かんだが、これも他の顔と溶け合って沈んでいく。
一斉に悲鳴と怒号が飛び交った。
堰を切ったように我先にと柱から遠ざかる。
自警団も背を向け、街人は蜘蛛の子を散らしたように放射状に逃げ出していく。
その逃げ出す人の群れを割るように、ロンシュタットだけが微動だにせず向かい合っていた。
それどころか、自分から悪魔に歩いていく。掴らない自信があるのか、掴っても振りほどく事ができるのか?
……いや、どちらも違うだろう。ただ彼は、剣の届く位置まで行かなければ倒せないから近づいているだけだ。
「分かっていても、普通はやらないぜ、こんな事。本当にお前はおっかない奴だよ」
バルデラスが笑いながら話しかけるが、持ち主の返答は無い。
柱から無数に蔦が伸び、ロンシュタット目掛けて振り下ろされた。
身軽に飛び退き、あるいは踏み込み、四方八方からの攻撃に掠ることなく、瞬く間に柱まで到達するその動きは正に電光石火。
踏み込む勢いを殺すことなく、長大な剣を横殴りに柱に叩きつける。
まるで爆発でもしたように水が爆ぜ、飛沫が舞うが、水でできている身体は、すぐ元通り柱に戻る。
水で物に穴を開けたり切ることはできても、水を切ることはできない。
柱の周りをステップを踏んで移動しながら何度も切りつけるロンシュタット。だが、その攻撃に見合うだけの傷を悪魔に負わせることができない。
一方、悪魔も散々蔦を伸ばし追い込もうとするが、ロンシュタットを捕えられない。
それも当然のことだ。悪魔の存在を完全に把握できるロンシュタットは、こんな蔦など見なくても位置が分かる。眼は本体を見据えたままで、あらゆる攻撃を避けながら執拗に攻撃を仕掛ける。
ならば、と作戦を変えたのか、蔦が何本も街人に向けられ伸びていく。
再度上がる悲鳴と怒号。
だが最初に逃げていたおかげで、捕えられることは無い。
たったふたり、逃げ遅れた団長の子供と、逃げ場の無かった屋上にいるスーシャを除いて。
背を向けて走り出そうとするふたりを、蔦はやすやすと捕える事ができた。
今度は引きずらず、持ち上げて飲み込もうとする。
幼い男女の悲鳴が上がる。
その内、団長の息子の悲鳴はすぐに途切れた。
取って返したロンシュタットが、また人間離れした跳躍をし、今まさに飲み込まれんとする子供を捉える蔦に剣を振り下ろしたのだ。
水を切ることは出来なくとも、爆ぜさせることは出来る。
飛び散る水と一緒に拘束を解かれた子供が落ちてくるのを、先に着地した彼は地面で受け止めた。
ロンシュタットを見上げ、助かったことが分かった息子は脱兎のごとく、遠巻きに成り行きを、この世ならぬ戦いを見ている街人たちの所へ逃げ出した。
しかし、彼を助けた事で、スーシャが飲み込まれるのを防ぐことは出来なかった。
水の中で溺れるスーシャは、殺される恐怖よりも、息苦しい、ということしか感じられなかった。皮膚がひりひりするのも分からない。
呼吸が出来ず、息を止めていられなくなった彼女は口を大きく開ける。そこに水が勢いよく侵入し、気管から胃に入る。
その時、ふっと力が抜けた。
身体が楽になり、浮遊を感じると、思考は少しだけ働いた。
私も、死んじゃうのかなぁ?(あの女の人みたいに)
このまま死ぬと、どうなっちゃうんだろう? やっぱりここに捕えられるのかな? でも、ここにいたって、何の足しにもなりゃしないよ(仕立て屋の人はみんな言ってた)
わたし……駄目なんだなぁ。
強くなりたかったなぁ。(でも、どうやって? そもそも強いわたしってどんなの?)
目の前がいよいよ暗くなり、思考は停滞を見せ……。
いきなり濁流に飲み込まれたように、身体に強い衝撃が走る。
その衝撃が遠ざかる意識を鮮明にして、彼女は目の前が明るい事に気付いた。
気付くと同時に、苦しさが再び襲いかかって来て、彼女は溜まらず水を吐き出す。吐き出された水の代わりに肺に入って来たのは、土と石の匂いのする湿った空気。咳き込んで飲み込んでしまった水を全て出すと、ようやく見回すことができた。
ロンシュタットが、立っている。片手に剣を持ち、悪魔に向かい合い。
だが、その左腕は皮膚が剥がれ肉が削げ落ち、骨が見えている。
自分の服にその血が残るのを見て、ロンシュタットが柱に腕を入れ、力任せに引き抜いたのだと理解した。
私は助かった、でも、あの腕じゃ……。
彼の腕は力なく垂れ下がったままだが、それでも残る右腕で剣を振るい、蔦と柱を切り続ける。
相変わらず馬鹿げた破壊力を持つ一撃だが、それでも両腕で振るうより力が劣る。
どうしよう、と心配するスーシャは、ロンシュタットの左腕に蔦が巻き付くのを見る。
あっ、と声に出す暇もあればこそ、ロンシュタットは飛び込むように柱に飲み込まれた。
心配することが精一杯のスーシャは、どうすればいいのか見当も付かない。
行けばまた飲み込まれるし、何もしなければロンシュタットが殺されてしまう。
くるり、と振り向くと助けを求めて街人を見た。
だが、彼らもこの人外の戦いをどうしていいのか分からない。怯えた表情でひたすら見ているだけで、誰も助けようとは思っていない。
女の人の時と同じだ。わたしの時と同じだ。
誰も、助けてくれない。
ぽかんと助けを呼ぶ形に口は開いたまま、目から涙がこぼれた。
涙が頬を伝い、地面に落ちると、ドン! と音がした。
びっくりしながら、その音は前にどこかで聞いた音なのを思い出す。そう、あれは昨日の夜。雨に打たれていた時だ。
街人が一斉に表情を変える。指差し、口に手をあて、皆、ああ、とうめく。
後で起きている事を想像すると、振り返ることは出来ない。
間を置かずに音がする。そして自分の影が夕方でもないのに長く伸びる。耳には聞いた事も無い、弾ける様な音が入る。
はっとして振り返るスーシャは、街人と同じく、発光している柱を見た。
いや、それは正確ではない。紫電に絡みつかれ、伸びる蔦の全てが内から放電されている柱だ。
蔦は逃れるように伸び、地面へ潜るが、電撃はそれと同じ速さで追いかける。蔦の先から柱の頂点まで、悪魔の体内で雷が暴れ狂っている。
柱は苦悶するように身をよじり、何とか逃げようとするが、紫電は更に大きく、太く、光の濁流となって悪魔を食い尽くしていく。
浮かぶ顔が見れなくなるほどまぶしく光り、荒れ狂う雷は水面を突き破って所構わず放電を開始する。
悪魔の生命力がバルデラスを退けるか、それとも力を解放したバルデラスの魔力が悪魔の身体を破壊するのが先か?
長く続く命の奪い合いが激しさを増し、雷鳴にも似た轟音が響き渡る。本物の嵐を呼びかねない迫力で繰り広げられた闘争はしかし、急にバルデラスの放電の終了という形で幕を閉じた。
愕然とする街人と、中にいるロンシュタットのことが心配なスーシャ。柱の中にいる以上、彼もあの電撃を受け続けているのだ。
まさか、と思う。
待っていろ、と彼女に言った青年は、戻って来れなくなってしまったのではないだろうか?
柱は最初に形成された時と同じく、水面を揺らしながら立っている。
その様を見守るスーシャの口から、苦しみと悲しみの入り混じる吐息が吐き出されようとしたその瞬間。
轟!
と耳を塞がずにはいられない爆音と同時に、柱と蔦は内側から一斉に爆散する。
辺り一面に飛び散る水しぶきは、もう悪魔の身体ではなく、ただの水であった。
降り注ぐスコールに全身を濡らし、長い髪を頬に纏い付かせるスーシャの前に、黒く長い剣を持った男が、爆心から歩んで来る。
「ロ……ロンシュタット……」
昨夜、宿屋で言うことが出来なかった彼の名前を、スーシャは口にすることが出来た。
名を呼ばれた青年ロンシュタットは、うっすら浮かび上がる虹を背にして、スーシャの元まで戻って来た。
キャスト:トノヤ・ファング
NPC:ワッチ・月見・リア・セバス
場所:ヴァルカン/リア邸内
___________________
幽霊屋敷に滞在して今日で一週間が経った。
働かざるもの食うべからず。その言葉通り屋敷の掃除、雑用、家事、その他諸々散々こき使われた。
今日ももちろん例外ではない。
「ちょっと、良いかしら」
今日のノルマ、だだっ広い廊下の窓を磨いていたら、後ろから声をかけられた。
トノヤは手に持っていた雑巾を足下のバケツに放り投げ、のろのろと振り返った。
くわえ煙草のリアが顔を見て驚いたそぶりを見せる。
「なんだ」
「あら、あなたが掃除してるなんてめずらしいわね」
「……親父殿の殺人デコピンはもうくらいたくねぇからな」
何か思い出すように苦い顔をして頭をおさえるトノヤ。
長い前髪の隙間からガーゼがちらりとのぞく。
血がにじんでいたように見えたのは気のせいだろうか。
リアは煙を吐き出し、気にせず続けた。
「バンダナのあの子、ファング君はどこに?話があるんだけど」
「さーな、さっき月見に追っかけられて墓地の方に逃げてったのがこっから見えたけどな。そのあとは知らん」
「まったく、毎日毎日飽きずによくやるわ。まあ、いいわ。サイン、あなたしてくれる?」
「………」
ポケットからぐちゃぐちゃになった羊皮紙とペンを出し、トノヤの目の前に突き出した。
「……出来たのか」
「ええ、完璧よ。だから、ここにサイン。あ、フルネームでね」
「普通ブツを確認してからじゃねぇのかよ」
「なに、あたしの腕を疑うわけ?はじめの契約書にも書いてあったようにここじゃそんな面倒なことはしてないの。文句があるんならもう一度契約して」
「なんだそれ…まあ、なんでもいいけどよ」
リアの手から紙をひったくる。
ペンを持ち、一文字目を書こうとしたところで手を止めた。
「そういや、ここの文字かけねーんだけど。おれの国の字でも良いか」
「別に構わないけど。めずらしいわね今時共通文字使ってない国がまだあったなんて。あなたどこ出身なの」
「……どこだって良いだろ」
壁に紙を押さえつけ、みみずの屍骸のようなバランスの悪い文字を綴る。
「良くわかんないけど、きったない字ねぇ~」
「るせぇな、知らねぇくせにごちゃごちゃ言うな。こういうもんなんだよ」
リアは書類を受け取り、少し不満そうな顔をしながら見慣れない文字のサインを眺めていたが、すぐに丸めてポケットに突っ込んだ。
「あとはセバスが準備してくれてるはずだから。帰るなり住み込みでここで働くなり好きにすると良いわ」
「こんなわけわかんねー幽霊屋敷で誰が働くかよ」
「残念ね。一週間もここにいれたのはあなた達が初めてだったから、惜しいわ。まともな生身の人間のお手伝いさんも欲しかったんだけど」
「………」
短くなった煙草をトノヤの足下にあるバケツにほうりこみ、リアは自室へと戻って行った。
トノヤは吸い殻とぞうきんの入ったバケツをちらりと横目で見たが、結局そのままにして廊下を歩き出した。
あてがわれていた部屋へ行く途中、遠くでファングの悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、無視することにした。
部屋に戻ると、ノルマを終えたらしいワッチが首にタオルを巻き大汗をかきながら窓辺で水を飲んでいた。また相当な力仕事をまかされていたようだ。
「お、少年も終わったのか?今日はちゃんとやったんだろうなぁ~」
疑いの目とデコピンの手でトノヤににじりよるワッチ。
「や、や、やったっつーの!窓ふき!あの女主人に聞きゃわかる!」
両手でデコを守り、物凄い勢いで後ずさるトノヤ。
ドン、と背中にぶつかったのは壁、かと思いきや……ひょろ長い執事セバスだった。
「うおあっ、音も無く入るなボケ!」
「失礼いたしました。準備が整いましたのでお知らせに参りました。お揃いになりましたら応接室へいらしてくださいませ」
「お、おう」
浅く一礼するとセバスは部屋を出て行った。
「準備って何だ?」
「終わったらしいぜ、修理」
「おお!意外と早かったなぁ~」
「おれ的にはやっと解放される、って感じだけどな」
「そうか?オイラはあっという間な気がしたけど。毎日色々やることあったし」
「じゃあ、ここで働けよ。人足りてねぇらしいぜ」
「いや、別にそこまでなわけじゃ……っと、」
持っていたコップを置き、ワッチは扉に手をかけた。
「オイラ二人呼んでくるよ。どの辺にいるか知ってるか?」
「さあな、ココ来るとき結構遠くからファングの悲鳴っぽいのは聞こえたけどな。ありゃ外からじゃねぇか」
「うーん、墓地周りから探してみるか…いや、正門あたりからぐるっと…」
「いってら~」
ワッチはぶつぶつと何か言いながら部屋を出て行った。
全開になっている窓から生暖かい風を受け、トノヤはベッドへ倒れ込んだ。
集合に時間がかかると踏み、昼寝をすることにしたらしい。
その読みは正しく、結局ワッチが二人を見つけることが出来たのは日も完全に落ちきった後だった。
______________
NPC:ワッチ・月見・リア・セバス
場所:ヴァルカン/リア邸内
___________________
幽霊屋敷に滞在して今日で一週間が経った。
働かざるもの食うべからず。その言葉通り屋敷の掃除、雑用、家事、その他諸々散々こき使われた。
今日ももちろん例外ではない。
「ちょっと、良いかしら」
今日のノルマ、だだっ広い廊下の窓を磨いていたら、後ろから声をかけられた。
トノヤは手に持っていた雑巾を足下のバケツに放り投げ、のろのろと振り返った。
くわえ煙草のリアが顔を見て驚いたそぶりを見せる。
「なんだ」
「あら、あなたが掃除してるなんてめずらしいわね」
「……親父殿の殺人デコピンはもうくらいたくねぇからな」
何か思い出すように苦い顔をして頭をおさえるトノヤ。
長い前髪の隙間からガーゼがちらりとのぞく。
血がにじんでいたように見えたのは気のせいだろうか。
リアは煙を吐き出し、気にせず続けた。
「バンダナのあの子、ファング君はどこに?話があるんだけど」
「さーな、さっき月見に追っかけられて墓地の方に逃げてったのがこっから見えたけどな。そのあとは知らん」
「まったく、毎日毎日飽きずによくやるわ。まあ、いいわ。サイン、あなたしてくれる?」
「………」
ポケットからぐちゃぐちゃになった羊皮紙とペンを出し、トノヤの目の前に突き出した。
「……出来たのか」
「ええ、完璧よ。だから、ここにサイン。あ、フルネームでね」
「普通ブツを確認してからじゃねぇのかよ」
「なに、あたしの腕を疑うわけ?はじめの契約書にも書いてあったようにここじゃそんな面倒なことはしてないの。文句があるんならもう一度契約して」
「なんだそれ…まあ、なんでもいいけどよ」
リアの手から紙をひったくる。
ペンを持ち、一文字目を書こうとしたところで手を止めた。
「そういや、ここの文字かけねーんだけど。おれの国の字でも良いか」
「別に構わないけど。めずらしいわね今時共通文字使ってない国がまだあったなんて。あなたどこ出身なの」
「……どこだって良いだろ」
壁に紙を押さえつけ、みみずの屍骸のようなバランスの悪い文字を綴る。
「良くわかんないけど、きったない字ねぇ~」
「るせぇな、知らねぇくせにごちゃごちゃ言うな。こういうもんなんだよ」
リアは書類を受け取り、少し不満そうな顔をしながら見慣れない文字のサインを眺めていたが、すぐに丸めてポケットに突っ込んだ。
「あとはセバスが準備してくれてるはずだから。帰るなり住み込みでここで働くなり好きにすると良いわ」
「こんなわけわかんねー幽霊屋敷で誰が働くかよ」
「残念ね。一週間もここにいれたのはあなた達が初めてだったから、惜しいわ。まともな生身の人間のお手伝いさんも欲しかったんだけど」
「………」
短くなった煙草をトノヤの足下にあるバケツにほうりこみ、リアは自室へと戻って行った。
トノヤは吸い殻とぞうきんの入ったバケツをちらりと横目で見たが、結局そのままにして廊下を歩き出した。
あてがわれていた部屋へ行く途中、遠くでファングの悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、無視することにした。
部屋に戻ると、ノルマを終えたらしいワッチが首にタオルを巻き大汗をかきながら窓辺で水を飲んでいた。また相当な力仕事をまかされていたようだ。
「お、少年も終わったのか?今日はちゃんとやったんだろうなぁ~」
疑いの目とデコピンの手でトノヤににじりよるワッチ。
「や、や、やったっつーの!窓ふき!あの女主人に聞きゃわかる!」
両手でデコを守り、物凄い勢いで後ずさるトノヤ。
ドン、と背中にぶつかったのは壁、かと思いきや……ひょろ長い執事セバスだった。
「うおあっ、音も無く入るなボケ!」
「失礼いたしました。準備が整いましたのでお知らせに参りました。お揃いになりましたら応接室へいらしてくださいませ」
「お、おう」
浅く一礼するとセバスは部屋を出て行った。
「準備って何だ?」
「終わったらしいぜ、修理」
「おお!意外と早かったなぁ~」
「おれ的にはやっと解放される、って感じだけどな」
「そうか?オイラはあっという間な気がしたけど。毎日色々やることあったし」
「じゃあ、ここで働けよ。人足りてねぇらしいぜ」
「いや、別にそこまでなわけじゃ……っと、」
持っていたコップを置き、ワッチは扉に手をかけた。
「オイラ二人呼んでくるよ。どの辺にいるか知ってるか?」
「さあな、ココ来るとき結構遠くからファングの悲鳴っぽいのは聞こえたけどな。ありゃ外からじゃねぇか」
「うーん、墓地周りから探してみるか…いや、正門あたりからぐるっと…」
「いってら~」
ワッチはぶつぶつと何か言いながら部屋を出て行った。
全開になっている窓から生暖かい風を受け、トノヤはベッドへ倒れ込んだ。
集合に時間がかかると踏み、昼寝をすることにしたらしい。
その読みは正しく、結局ワッチが二人を見つけることが出来たのは日も完全に落ちきった後だった。
______________
PartyMenber:
フェドート・クライ イヴァン・ルシャヴナ ヴァージニア・ランバート
Stage:
ガルドゼンド王国南部・フォイクテンベルグ
Turn:
フェドート・クライ(01)
------------------------------------------------------------------------------
進行中の仕事の収入が怪しくなってきたので、待機命令が出たのをいいことに、少し
陣を離れて出稼ぎにでてみることにした。傭兵一人の動向を気にするような人間は同職
以外には誰もいなかったので、陣を抜け出すのは簡単だった。
その同職にしても、出かけるなら俺の分も買い出し頼むとか言ってくる暢気さなのだ
から、何の問題も起こるはずがない。
侵攻当初の勢いも弱まってきて、ここからは無防備な城に不意打ちをかけるだけでは
なくなるのだから、どうせしばらく待機は続くだろう。順調に砦を二つ陥落させて、そ
ろそろ上層部が内輪揉めを始める時期でもある。恐らく五日は何の進展もあるまい。
予想進軍経路から大きく外れて、馬を一日半も飛ばしたところに大きな町があること
は知っていた。フォイクテンベルグという長ったらしい名前のその町は交易で常に賑わ
っていて、ちっぽけな内乱程度には動じない。大昔に竜の被害を受けて壊滅した時でさ
え、数日後には焦土の上に大規模な闇市が立った。
“竜眼の”フェドート・クライは町の外に馬を預けてついでに着替えも済ませると、街
壁の検問を越えた。戦時だからか衛兵の様子は物々しかったが、ギルドの登録証を提示
して仕事を探している旨を伝えると、手続きはあっという間に終わった。
いちおう、ここは今の仕事の上では敵国なのだけれど。
市場に出ると、色とりどりの天幕の下に様々な品物が並んでいた。
錫合金や真鍮の食器、古びた書物、異国の布。
金属製の左腕、輝くばかりの金髪、太い帯で纏めた東国風の色鮮やかな衣装。
人目を引く風体で、警戒心なくのこのこと通りを歩き、露店で熟れた果物を買う。
「毎度。お兄さん、その格好、芸者さんかい?」
「んーん、冒険者。営業用だよ。
覚えてもらって、いいお仕事もらえるように」
「へぇー」
果物売りの中年女性は感心したような声を上げた。
フェドートは店の前で果物に噛りつき、端正な顔に無邪気な笑みを浮かべた。
「甘ーい!」
「そうかい、よかった。それは南の方の、星の林檎という果物なんだよ。
うちの旦那が苗を持ってきて育ててるんだ」
「はじめて食べた! おいしいねー」
フェドートはひとしきり騒いでから店を離れた。
紫色の果物を片手に周囲を見渡す。人で賑わう目抜き通りの先、三階部分に鐘時計の
ある飲食店の角を右に曲がり、静かな路地へ入る。小綺麗な住宅地を抜けて、少しずつ
薄汚れた道へ入って行く。
路地裏のごみ箱に果物の種を投げ入れて、指についた果汁を舐め取りながら進む。
鉄の左腕で、衣装の影に殆ど隠れた剣帯の金具と長剣の柄を確かめる。
ギルドを通して仕事を請けるようになったのは近年だ。
前に登録したまま放っておいたのを思い出して寄ってみたところ、放置しすぎで登録
抹消されていた。登録証そのものは手元にあったので、それを元に情報を復元してもら
えたが、前より身元確認制度が厳しくなっていて、手続きが少し面倒だった。
利用してみれば確かに便利な組織ではあった。個人営業の冒険者が減るわけだ。
ある程度ランクが上がると登録証は身分証明書の役割すら果たし始めるらしく、何か
と話が早く済むことも多かった。そのランクの基準というものもわからないが、いくつ
か仕事をこなすうちにぽんぽんと勝手に上がって、上から二番目のところでとまった。
最後の昇級のときに、登録証の形状変更だとか二つ名の登録だとか言われたが、思い
つかなかったので断った。登録証がカード状で困ったことはないし、異名なんて自分か
ら名乗るものではない。しかし、そのときの担当の職員は、二つ名の方はしつこく勧め
てきた。
“フェドート・クライ”というのは都市伝説のようなものの一種で、多くの怪物退治の
逸話を持つ戦士だ。貴族じみた容貌をした隻腕の若者だといわれているが、実際に本
人を見たという話は聞かない。
冒険者や戦士階級の偽名としてよく使われる名前でもある。
ややこしいからすぐにあんただとわかる呼び名を考えてくれと言われてもやっぱり思
いつかなかったので笑って誤魔化しておいたところ、いつの間にか、世間からは“竜眼
の”という冠詞を賜っていた。恐らく、原因の何割かはあの職員だろう。
由来は、虹彩の細い左眸か。それとも「弩さえあれば竜の眼だって射抜ける」と大言
を吐いたことがあるからだろうか。
久しぶりのギルドだ、と思いながら、剣の柄から手を離す。
路地を抜け、周囲を見渡し、いちど通行人に道を尋ねた。礼を言って、また歩く。
事務所などの並ぶ道の先、また大きな通りとぶつかる交差点がある。
後ろから手首を掴まれ、腕を拗り上げられた。
瞬きして、振り返ろうとしたが、相手がこちらを捕まえる手に力を篭めたので無理だ
った。下手に動くと関節がどうにかなる。痛いのは避けたい。
「……見つけた」
「え? 何?」
押し殺した女の声。こちらが反撃しにくい角度と距離。
視界の隅に、ふわふわと柔らかそうな髪が見えた。なんとなく覚えがある気がするが、
果たして誰だろう。それとも気のせいだろうか。
「例の奥さんから盗んだ指輪、返してくれるわね?」
「えー…?」
心当たりがない。それでも思い出そうとしてみる。やっぱり心当たりがない。
知らないと答えようとしたのと同時に、首元に刃物のようなものを当てられる感触が
あった。
「どこにやったの?」
「知らなぁい」
「ふざけてもダメよ」
「えっとー、通りから見えるよ?」
「あなたは未亡人につけこんだ悪い盗人で、わたしはそれを追いかけてきた冒険者。
ほら、見られて都合の悪いことなんて何もないわ」
女は、ふとしたはずみでこちらを見て、ぎょっとして足をとめた通行人に聞こえるよ
うに言った。
フェドートは少し考えた。喋るたびに相手の勘違いが深まっている気がする。
首には薄い金属の網を織り込んだ布飾りを巻いてあるから、一度くらい刃を引かれて
も大丈夫だ。少し大胆に喋ってみようか。でも、何て言おうかなぁ。
「人違いだと思う」
「……」
若干、刃物が今までよりも強く押し付けられた。
駄目だったか。そうだよなぁ。
「じゃあさ、おねーさんが探してるのはどんなひと?」
「……ある裕福な未亡人に囲われていた、自分ひとり養えないダメ男で、」
「うん」
女は続けた。
「しかも受けた恩を忘れて、彼女の大切な指輪を持ち出した言語道断な神経の、」
「うん」
女は続けた。
ところでさっきからこの声にも聞き覚えがある気がするんだけど。
「年の頃は二十四、五。金髪で長身、カフール風の派手な服装をした優男」
「あー、それぼくだ」
思わず言ってしまってから、付け加える。
「最後の部分だけきゃああああ! 痛い痛い痛いヤだー!」
女が腕に無理な力をかけてきたので、暴れようとするふりをして右の肩と肘にかかる
負担を軽くする。女はそのことに気づいた様子はなかったが、実際はどうだろう。
「静かになさい。こんな格好の人間がどれだけいると思ってるの」
「二人くらいいるかも、がんばって探せば」
「……」
女は、今度は完璧な無言で力を篭めた。
鉄の義腕の付け根が鈍い音を立てたが、このくらいでは壊れない。生身の側を庇って、
さっきよりは控えめに喚きながら上半身を捻ってみる。だいぶ楽になった。これなら問
題なく雑談できそうだ。振り払って武器を抜くかはもうちょっとしてから考えよう。
------------------------------------------------------------------------------
フェドート・クライ イヴァン・ルシャヴナ ヴァージニア・ランバート
Stage:
ガルドゼンド王国南部・フォイクテンベルグ
Turn:
フェドート・クライ(01)
------------------------------------------------------------------------------
進行中の仕事の収入が怪しくなってきたので、待機命令が出たのをいいことに、少し
陣を離れて出稼ぎにでてみることにした。傭兵一人の動向を気にするような人間は同職
以外には誰もいなかったので、陣を抜け出すのは簡単だった。
その同職にしても、出かけるなら俺の分も買い出し頼むとか言ってくる暢気さなのだ
から、何の問題も起こるはずがない。
侵攻当初の勢いも弱まってきて、ここからは無防備な城に不意打ちをかけるだけでは
なくなるのだから、どうせしばらく待機は続くだろう。順調に砦を二つ陥落させて、そ
ろそろ上層部が内輪揉めを始める時期でもある。恐らく五日は何の進展もあるまい。
予想進軍経路から大きく外れて、馬を一日半も飛ばしたところに大きな町があること
は知っていた。フォイクテンベルグという長ったらしい名前のその町は交易で常に賑わ
っていて、ちっぽけな内乱程度には動じない。大昔に竜の被害を受けて壊滅した時でさ
え、数日後には焦土の上に大規模な闇市が立った。
“竜眼の”フェドート・クライは町の外に馬を預けてついでに着替えも済ませると、街
壁の検問を越えた。戦時だからか衛兵の様子は物々しかったが、ギルドの登録証を提示
して仕事を探している旨を伝えると、手続きはあっという間に終わった。
いちおう、ここは今の仕事の上では敵国なのだけれど。
市場に出ると、色とりどりの天幕の下に様々な品物が並んでいた。
錫合金や真鍮の食器、古びた書物、異国の布。
金属製の左腕、輝くばかりの金髪、太い帯で纏めた東国風の色鮮やかな衣装。
人目を引く風体で、警戒心なくのこのこと通りを歩き、露店で熟れた果物を買う。
「毎度。お兄さん、その格好、芸者さんかい?」
「んーん、冒険者。営業用だよ。
覚えてもらって、いいお仕事もらえるように」
「へぇー」
果物売りの中年女性は感心したような声を上げた。
フェドートは店の前で果物に噛りつき、端正な顔に無邪気な笑みを浮かべた。
「甘ーい!」
「そうかい、よかった。それは南の方の、星の林檎という果物なんだよ。
うちの旦那が苗を持ってきて育ててるんだ」
「はじめて食べた! おいしいねー」
フェドートはひとしきり騒いでから店を離れた。
紫色の果物を片手に周囲を見渡す。人で賑わう目抜き通りの先、三階部分に鐘時計の
ある飲食店の角を右に曲がり、静かな路地へ入る。小綺麗な住宅地を抜けて、少しずつ
薄汚れた道へ入って行く。
路地裏のごみ箱に果物の種を投げ入れて、指についた果汁を舐め取りながら進む。
鉄の左腕で、衣装の影に殆ど隠れた剣帯の金具と長剣の柄を確かめる。
ギルドを通して仕事を請けるようになったのは近年だ。
前に登録したまま放っておいたのを思い出して寄ってみたところ、放置しすぎで登録
抹消されていた。登録証そのものは手元にあったので、それを元に情報を復元してもら
えたが、前より身元確認制度が厳しくなっていて、手続きが少し面倒だった。
利用してみれば確かに便利な組織ではあった。個人営業の冒険者が減るわけだ。
ある程度ランクが上がると登録証は身分証明書の役割すら果たし始めるらしく、何か
と話が早く済むことも多かった。そのランクの基準というものもわからないが、いくつ
か仕事をこなすうちにぽんぽんと勝手に上がって、上から二番目のところでとまった。
最後の昇級のときに、登録証の形状変更だとか二つ名の登録だとか言われたが、思い
つかなかったので断った。登録証がカード状で困ったことはないし、異名なんて自分か
ら名乗るものではない。しかし、そのときの担当の職員は、二つ名の方はしつこく勧め
てきた。
“フェドート・クライ”というのは都市伝説のようなものの一種で、多くの怪物退治の
逸話を持つ戦士だ。貴族じみた容貌をした隻腕の若者だといわれているが、実際に本
人を見たという話は聞かない。
冒険者や戦士階級の偽名としてよく使われる名前でもある。
ややこしいからすぐにあんただとわかる呼び名を考えてくれと言われてもやっぱり思
いつかなかったので笑って誤魔化しておいたところ、いつの間にか、世間からは“竜眼
の”という冠詞を賜っていた。恐らく、原因の何割かはあの職員だろう。
由来は、虹彩の細い左眸か。それとも「弩さえあれば竜の眼だって射抜ける」と大言
を吐いたことがあるからだろうか。
久しぶりのギルドだ、と思いながら、剣の柄から手を離す。
路地を抜け、周囲を見渡し、いちど通行人に道を尋ねた。礼を言って、また歩く。
事務所などの並ぶ道の先、また大きな通りとぶつかる交差点がある。
後ろから手首を掴まれ、腕を拗り上げられた。
瞬きして、振り返ろうとしたが、相手がこちらを捕まえる手に力を篭めたので無理だ
った。下手に動くと関節がどうにかなる。痛いのは避けたい。
「……見つけた」
「え? 何?」
押し殺した女の声。こちらが反撃しにくい角度と距離。
視界の隅に、ふわふわと柔らかそうな髪が見えた。なんとなく覚えがある気がするが、
果たして誰だろう。それとも気のせいだろうか。
「例の奥さんから盗んだ指輪、返してくれるわね?」
「えー…?」
心当たりがない。それでも思い出そうとしてみる。やっぱり心当たりがない。
知らないと答えようとしたのと同時に、首元に刃物のようなものを当てられる感触が
あった。
「どこにやったの?」
「知らなぁい」
「ふざけてもダメよ」
「えっとー、通りから見えるよ?」
「あなたは未亡人につけこんだ悪い盗人で、わたしはそれを追いかけてきた冒険者。
ほら、見られて都合の悪いことなんて何もないわ」
女は、ふとしたはずみでこちらを見て、ぎょっとして足をとめた通行人に聞こえるよ
うに言った。
フェドートは少し考えた。喋るたびに相手の勘違いが深まっている気がする。
首には薄い金属の網を織り込んだ布飾りを巻いてあるから、一度くらい刃を引かれて
も大丈夫だ。少し大胆に喋ってみようか。でも、何て言おうかなぁ。
「人違いだと思う」
「……」
若干、刃物が今までよりも強く押し付けられた。
駄目だったか。そうだよなぁ。
「じゃあさ、おねーさんが探してるのはどんなひと?」
「……ある裕福な未亡人に囲われていた、自分ひとり養えないダメ男で、」
「うん」
女は続けた。
「しかも受けた恩を忘れて、彼女の大切な指輪を持ち出した言語道断な神経の、」
「うん」
女は続けた。
ところでさっきからこの声にも聞き覚えがある気がするんだけど。
「年の頃は二十四、五。金髪で長身、カフール風の派手な服装をした優男」
「あー、それぼくだ」
思わず言ってしまってから、付け加える。
「最後の部分だけきゃああああ! 痛い痛い痛いヤだー!」
女が腕に無理な力をかけてきたので、暴れようとするふりをして右の肩と肘にかかる
負担を軽くする。女はそのことに気づいた様子はなかったが、実際はどうだろう。
「静かになさい。こんな格好の人間がどれだけいると思ってるの」
「二人くらいいるかも、がんばって探せば」
「……」
女は、今度は完璧な無言で力を篭めた。
鉄の義腕の付け根が鈍い音を立てたが、このくらいでは壊れない。生身の側を庇って、
さっきよりは控えめに喚きながら上半身を捻ってみる。だいぶ楽になった。これなら問
題なく雑談できそうだ。振り払って武器を抜くかはもうちょっとしてから考えよう。
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