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人物:ライ セラフィナ
場所:海上(デルクリフ⇔ルクセン)
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ライは実体化したままでいなければいけないというこの状況に苛立ちを感じてい
た。
「くそっ……邪魔なんだよっ」
人の気配を感じても、迂回すると酷く遠回りになってしまうのだ。通り抜けように
も……実体化を維持するつもりなら止めざるを得ない。逃げてくる海賊相手に暴れた
方が早いのか。眉間に皺を寄せながらも物陰に身を潜める。
「なんなんだよぉ、あのおっさん怖ぇよぉ」
半泣きで駆け抜ける海賊が一人。向こうが周りに注意を向けていないのかコッチが
上手く潜めただけなのか、どちらにしても気付かれることはなかった。しかし。
「何でアッチから逃げて来るんだ……」
向こうには船長室があるのに。コッチの船に移って真っ先にあの部屋を目指したと
でもいうのか?!
だんだんと強く感じる魔力の波動にイヤな予感が外れていないことを知りつつも、
ライは船長室に向かって駆け出していた。
徐々に爆発の音が近づいてくる。悲鳴や足音も聞こえる。
「……ライさん……」
両手を胸の前で硬く握り、ベッドの上で小さくなっていることしか出来なかったセ
ラフィナ。彼女の命運もここまでかと思われた。が、しかし。
バタン。
大きく開け放たれた扉。そこに現れたのは予想していた海賊ではなく……。
「……ライゼルさん、何故ここに?」
デルクリフの宿で会った壮年の男性がソコにいた。痕が残ったのか、額から眉間を
通り鼻の脇まで一筋の裂け目が目に付く。
「君は……あの宿の者ではなかったのか」
驚いた顔でセラフィナを見たライゼル。一通り部屋を見渡して、一言。
「これは君の趣味かね」
「違います!」
両手を突き出しながらセラフィナが否定する。囚われの証である鈍色の手枷。じゃ
らりとイヤな音がした。
「ふむ……昨日の礼になるかな?」
ライゼルがパチンと指を一つ鳴らす。すると枷の繋ぎ目がパンッと弾けて、玩具の
ようにベッド脇へと転がった。
「あ……りがとうございます」
「なんのこれしき」
バタン。
言葉尻に被せるように、ライゼルの後ろの扉が勢いよく開いた。とっさに扉の影に
避けたライゼルの後ろから、雪崩れ込むようにライが飛び込んでくる。
「セラフィナさん!」
セラフィナが顔を上げて一番に目に入ったのは、昼間見たときより存在が希薄にな
ったライだった。今にも透けてしまいそうな儚いその姿。セラフィナが思わず浮かべ
た悲痛の表情にライは駆け寄った。
「大丈夫?なんかされたの?」
心配と憤りの混じった表情で訊ねるライに、セラフィナは無理矢理作った笑顔で答
える。
「ライさんが来てくれたから、もう大丈夫です」
にっこり。しかしライは、一刻も早く外そうとした手枷が砕けているのを見て顔が
凍り付いた。すぐ側で強い魔力を感じていたのに、何故この部屋を警戒しなかった?!
慌てて振り返った先には、腕を組み、扉の影に立つ顔に傷のある男が一人。
「君、人じゃなかったのか。昨日は気付かなかったよ」
「彼女に何かしたのか?!」
セラフィナを立たせ、庇うように立つライ。眩しそうにその姿を見たライゼルは、
ぽりぽりと顎を掻きながら首を竦めた。
「私は奪われたこの船を奪い返しに来ただけなんだがね」
その為に密航者となり船に潜んでいたというのか。海賊に遭遇するまで何回も何十
回も同じコトを繰り返すのを想像すると、女に愛想を尽かされても仕方がないなぁと
思ってしまう。しかも、船に損傷を与えかねない爆発はやり方が上手いとは思えない
のだが。
「枷を壊す以外は何もしてないよ」
「本当ですライさん、危害なんか加えられていませんから」
敵意を剥き出しにするライを抑えるようにセラフィナが腕に縋[すが]った。
「船長室に大将がいると思って来たんだが……」
辺りを見回してげんなりするライゼル。
「何なんだこの部屋は。船長の尊厳もあったもんじゃない」
そういうと大げさに一つため息を付いた。
「オマエ、こんなコトして生きて帰れるとは思ってないよネェ……?」
最初の悲鳴が聞こえたところから爆発と悲鳴を頼りに辿る長身の海賊。舌なめずり
をする海賊の目が猟奇的に笑う。向かう先は船長室のある一角。キャプテンは左手で
髪を掻き上げると、ニヤリと口角をあげ、歩速を早めた。
空に浮かんでいた月はもう見えない。空は雲に覆われ、重くのしかかってくる。
どこかで、猫の鳴き声が聞こえた。
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人物:ライ セラフィナ
場所:海上(デルクリフ⇔ルクセン)
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気を抜くと途切れそうになる意識が実際に闇に閉ざされることはないのだろう。
ひどい眠気を感じているのに眠りに落ちることができない。勿論、ここで気を失うこ
とがあってはいけなかった。だから救いではあったが、同時にある種の苦痛でもあった。
「何なんだこの部屋は。船長の尊厳もあったもんじゃない」
大げさな溜め息をつく魔法使いには見覚えがある。
デルクリフの海岸で見た男だ。セラフィナが治した傷が額に跡を残している。何故こ
いつがこんなところにいるのだろう。この船を取り返しに?
「誰だ……あんた」
「この船は、元々ある国の所有物でね。
私はそれを奪い返しに来たのだよ」
奪い返しに。確かに彼の取った行動は、“奪う”という乱暴な言葉には相応しいよう
に思える。そこまで意識して言ったのかはわからないが、深い事情を説明する気がない
という意図は読み取れた。こちらとしても興味があるわけではなかったが。
最初に船を見たときの、軍艦みたいだ、という適当な感想が当たっていただけ。それ
がわかったところで現状を打開する役に立つとは思えなかった。
「まぁ、それは建前で、もっと個人的な事情なんだがね」
彼は少し照れくさそうに苦笑する。その意味はわからなかったものの、海賊以外に対
して敵対するつもりはなさそうだ。判断して、ライは表情から険しさを少しだけ取り払
った。
「なんだか知らないけど、やり方が穏やかじゃないよ」
一歩、距離を詰めようとして、軽くひっぱられる感覚があった。
抱え込むように腕を捕まえられている。寝台の上に上体を起こしたセラフィナを見下
ろして、彼女の細い手首に赤い擦り傷から血が滲んでいるのを見る。見上げてきた彼女
と目を合わせて、ライは微笑んだ。
「放して。大丈夫だから」
何が“大丈夫”なのか自分でもわからない。いきなり目の前の相手に飛び掛ったりし
ない程度の冷静さは取り戻したということなのか、それとも、ただ思いついた文句を口
にしただけなのか。たぶん後者だ。
「あ……ごめんなさい」
セラフィナが顔を曇らせた。何か、彼女の気に障るようなことをしただろうか。
そう思ってからライは気がついた。セラフィナが直前まで触れていた自分の腕は、先
ほどよりも随分と色を失い輪郭を霞ませている。気づかないうちにこんなことになって
いたのか。まだ実体を保っていられるのだから見た目ほどひどい状態ではないのだけど。
体の中を通り抜けていく不可視の流れ。すぐ近くにいる男が魔力の流れを掴んだまま
でいるのが、変に影響しているらしかった。最初の爆発が起こる直前から調子がおかし
くなったのだから間違いない。
優しい彼女を心配させてしまった。
そんなことをしていいわけがないというのに。
「ホントに大丈夫だから。
僕はもう落ち着いてるし……これは、時間が経てば少しは、なおるよ」
作れたのは、曖昧としかいいようのない、中途半端な笑顔だけだったが――かすかに
聞こえた含み笑いに、ライは男を睨みつける。何を考えているのかわからない相手は、
気味が悪い。
「仲がいいな」
「……は?」
突拍子のない言葉に思わず聞き返す。セラフィナも虚をつかれたような顔をしている
のが視界の隅に見えた。何、この人。意味が分からないどころじゃない。
この状況で――騒ぎの張本人が目の前にいて敵意がないようだが、少なくとも平和に
雑談している余裕があるとも思えないのに。
「えっ……と、その……」
「なに慌ててるの、セラフィナさん?」
別に、彼女がすごく慌てているようには見えなかったけど、それ以外にも見えなかっ
たので問い返す。ライは男が勘ぐった内容がわからないほど子供ではないつもりでいる。
だが実際に、恋愛とかそういうのじゃないはずだ。
生身だったときに女性経験が豊富だったわけもないのだが――皆無でもないけど、と
にかく、未だに恋愛感情というのがどういうものだかわからない。わからないままとい
うことは知らないということだ。
愛を知らないのはガキ? 馬鹿か。
初めてセラフィナと会ったときに感じたのは、今まで知り合った女の子たちに抱いた
のとは少し別の感情だった。だが、それはそういう意味ではなくて。
公園で出会ったときの彼女があまりに綺麗に見えたからだろうか?
――人でなくなってから初めて、人を殺して魂を喰らいたいという衝動を覚えたのだ。
すぐに例の事件が起こって、それどころじゃなくなったからもう大丈夫だけど。
「いや……無駄話してる場合じゃない。セラフィナさん、あっちの船に戻ろう。
船員さんたちが捕まってるんだ」
「! わかりました」
セラフィナが表情を引き締める。
黒いドレスを蝶の羽のように翻らせて彼女は立ち上がった。
助けないと、船が動かない。よく聞くように、舵が壊されているということはなかっ
たようだから彼らを解放すれば、なんとか逃げられるかも知れない。密航者の襲撃で海
賊たちが負傷しているなら、すぐに海賊船が動き出すことはないだろう。
逃げられるかも知れない。
望みは薄いが真正面から戦うよりは賢いはずだ。
「そういうわけで、僕たちは行くから」
「ライゼルさん……ありがとうございました」
深々と頭を下げるセラフィナに男は苦笑を浮かべる。枷を外したのは彼にとって、さ
したる苦労も必要のないことだったのだろう。
そのまま部屋を出ようと思った時。
――早足で、高い靴音が聞こえてきた。
開かれたままの扉から現れたのは長身の海賊。彼は密航者を見て一瞬、表情を強張ら
せたように見えた。抜き身の剣をわずかに持ち上げ、今までの挑発的な余裕が嘘のよう
に、憎々しげな様子で吐き出す。
「オマエ……」
「船を返してもらいにきた」
どこか厳かに告げた男の手に炎が集まる。
やめろこれ以上魔法を使うな――ライは顔をしかめたが、男には敵意や殺意といった
ものが感じられない。飄々と彼は言った。
「久しぶりだな、パトリシア」
――別の意味で空気が凍った。
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人物:ライ セラフィナ
場所:海上(デルクリフ⇔ルクセン)
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「久しぶりだな、パトリシア」
敵意や殺意は感じられなかった。にも関わらず、ライゼルは表情一つ変えずに炎の
塊を海賊に投げつけてみせる。
「せっかく可愛いのに、そんな格好じゃ台無しだろう?」
「……キエろ」
吐き捨てるように言いながら、剣を突き出し踏み込んでくる海賊。コートの一部が
丸く焼け焦げ、それでも致命傷にならなかったその人物は、憎悪の視線をライゼルに
向けた。
ライゼルは笑みを浮かべ、眩しそうにその視線を受ける。
自分を庇うように立つライの後ろでセラフィナは二人の隙を窺っていた。が、素通
りさせてくれるとは到底思えなかった。
若干眉根を寄せ、ライの手を一瞥する。いつもよりも希薄な骨の手が霞んで見えた
のは、見間違いではないようだ。彼が辛そうなのは魔法の影響かもしれないし、長居
は無理だろう。一刻も早くココから離れなければ。
「……仲良さそうだね」
苦しそうなライが皮肉混じりに呟いた。
「先にヤられたいか?幽霊」
「そうかそうか、仲良さそうに見えるか」
返ってきた反応は両極端。海賊は敵意剥き出しの目でギラギラとライを睨み付ける
し、ライゼルはホクホクと嬉しそうに笑みを浮かべる。
「って、ナニ気持ち悪い反応してンだよ!」
「ははは、せっかくの美人さんが台無しだぞ?」
「……っ!斬る!!」
おもむろに振り下ろされる刃も狭い室内のせいか振り切れず、一瞬揺らめいたライ
ゼルの手でいなされる。詠唱無しに魔法を使いこなすライゼルは、実は宮廷魔術師と
かそういうクラスの人間なのかもしれない。
「……パトリシア、お前が俺に勝てると思うのか?」
「ウルサイウルサイウルサイ!その名前で呼ぶな!!」
「俺が付けた名だ、他は知らん」
「……オマエは母さんの仇だ、表へ出ろ!」
なんだか複雑な家庭の事情が垣間見えたが、頭に血が上った海賊が部屋を出るのを
息を飲んで見守った。やれやれという表情で後に続くライゼルが振り返らずに言う。
「迷惑かけたね。時間は稼ぐから早いトコ逃げなさい」
「……行こう、セラフィナさん」
ライに手を引かれ、部屋を出ようとして、セラフィナは慌てて振り返った。
「急がないと」
「でも、服を……」
「いいから。アイツが気付いてからじゃ遅い」
折角新しい服を用意してくれた宿の女将さんに心の中で頭を下げながら、セラフィ
ナはライに続いて走った。そうだ、囚われている水夫達を早く解放しなければ。
「それにね」
「はい?」
「似合うよ、ソレ」
少しからかうような、照れくさそうな声でライが笑った。
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人物:ライ セラフィナ
場所:海上(デルクリフ⇔ルクセン)
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「ありがとうございます」
セラフィナが頬をうっすらと赤らめて控えめに笑った。
少しだけ気恥ずかしさを覚え、目を逸らし、意味も無く頷いて走り出す。
一際大きな轟音が船を揺るがせた。あちこちから悲鳴が上がる。
ライは悪寒を堪えながら天井を振り仰ぐ。お願いだから少しは遠慮してくれ。
爆発が起こったのは上の階層のようだった。決闘するなら甲板で、という暗黙の了解
でもあるのだろうか。確かに、船内には自由に暴れられるような広い空間なんて他には
あまりないんだろうけど。
「あのおっさん、沈める気なんじゃないか……?」
「まさかそんなことは」
冗談と取って笑うセラフィナの声も少し自信がなさそうだった。「まさかね」と呟い
てライは行く先に目をやった。ばたばたと何人もが走り回る音があちこちから聞こえる。
少し前方の角から一人の海賊が現れて、「あ」と呟いた。先ほどからの大騒ぎで、こち
らのことなど失念していたのだろう。
「……敵っ!?」
「大正解! ……っと」
すれ違い様、鳩尾に右拳を叩き込む。よし成功。心の中でガッツポーズ。
妙な声だか音だかを口から溢して海賊は体を折る。手加減したから内蔵がどうかなる
ことはないだろう。殺しはマズい。前は自分だけのためだったが、今は理由が少し増え
た。誰かが死んだらきっとセラフィナが悲しむだろうから。
この人は、友人とか敵とかそんなこと関係なく人の死に心を痛めてしまいそうだ。
それはきっと僕が無意味な執着に傷むのなんかよりもずっと大切で尊くて――
「――あ、ごめんセラフィナさん。手ェ離すよ」
するりと左手を引き抜いて、早足までペースを落とし、革の手袋を虚空から取り出し
て両手に嵌める。掌から伝わった彼女の体温が妙に気になったのは、さっき変にからか
われたからに違いない。
「そういえばライさん、その右手……」
「肘の辺りからは普通……でもないか。ちと腐ってる。
二の腕の真ん中くらいから普通だから大丈夫だよ。動くし」
素直に答えたつもりなのに、セラフィナからの返事はなかった。
足は止めずに振り返る。彼女はすぐ後ろにいた。その表情が暗くなっていることに気
がついて、ライは「馬鹿か」と口の中で呟いた。何が彼女の気分を重くさせるか。まだ
思慮が足りない。そうとも昔からこうなんだ。馬鹿は死んでも直らない。
「気にしなくていいよ。痛いわけじゃないからね」
傷口が壊死するのに痛みは伴わない。うっとりと腐敗を語った夢想家が想像した、甘
く痺れるような感覚さえもなかった。
人間だった頃に出会った変人の一人だった彼女は、歌うように口ずさんだその数日後
に自殺した。自分は前の夜を思い出して酷く嘔吐した。退廃に憧れる女は美しかったの
だ――ほのかに上気した肌の艶[あで]やかさ。
「……わかりました」
「ありがと」
小さな声にライは笑顔で応えた。
忘却の淵から何の脈絡もなく蘇った映像に、さっきの海賊の言葉を連想する。
セラフィナの体に、大きな傷跡? 気にならないわけがなかったが、問うことはでき
なかった。彼女の何を知っているのかと嘲笑われたのが、今更になって癇に障った。
何も知らない。デルクリフでも、彼女は詮索されたくないという色の曖昧な表情で誤
魔化した。だから何も聞かない。
あの変態とは違って、無理やり人の秘密を暴いたりはしない。
そのことだけは決意して行く手を睨む。やがて甲板に出ると室内よりもずっと強い塩
のにおいが吹き付けた。
さっき殴り倒した一人以外には遭遇しなかったからもう騒ぎは収まったのかと思った
が、海賊たちのほぼ全員がこの場に集まっているというだけのことだった。
冷たい潮風に野ざらしで、大勢の海賊たちが――伸びている。
「え…ええと……これは?」
事態がまったく理解できずに思わず足を止めたライの横をセラフィナが通り過ぎた。
近くの一人に駆け寄って様子を確かめる。
「……気絶しているだけのようですね」
周囲の板が薄い煤に覆われてるのにライは気がついて、何が起こったのかなんとなく
予想がついた。マストに一際大きな焦げ目が出来て穴が開きかけている。空中で爆発を
起こして、その衝撃波で全員を昏倒させた? 予測を立てながら、そんな馬鹿なと否定
する。
「下手に起こして騒がれても面倒だな……放っとく?」
「早く船員さんたちを助けなければ、ですね」
ここからでは見えない場所から連続する金属音が微かに聞こえた。
剣戟だとすぐに分かる。頑張ってるなぁと、それらしい方向を横目にしてから、ライ
は二隻の船の間に張られたままのロープを手繰り寄せた。
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人物:ライ セラフィナ
場所:海上(デルクリフ⇔ルクセン)
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囚われていた船員達は、何故静かにしていられたのか。
答えは簡単だった。ライゼルは彼らも気絶させてきていたのだから。
「派手好きだな、あのおっさん」
決めつけるようにライが呟く。セラフィナが振り向くと、海賊船では奇妙に発光す
る煙が立ち上っていた。
「狼煙[のろし]かしら……」
後ろに大きな組織があるのなら、足止めをしている間に応援を呼んでもおかしくは
ない。おそらくライゼルの仕業だろう。セラフィナは倒れた船員達一人一人の側に跪
[ひざまづ]き、容態を確認した。
「皆さんの命に別状はなさそうですね」
ホッと小さく胸を撫で下ろす。同じく倒れていた見張りの海賊をライが縛り終わっ
たのを確認して、セラフィナは船長に気付けを施した。
「……ぉぉ」
「お静かに」
状況が把握できていない船長に間髪入れずに声をかける。
「これから船員さん達を起こします。静かに迅速に、船を出すことは可能ですか?」
「……ああ、なんとか」
「どれくらい猶予があるのかわかりません。急いでかかってください」
返事を声に出さず頷く船長。セラフィナは小さく微笑み、他を起こし始めた。
「キミは……?」
「客だよ」
セラフィナと一緒に船員を起こして回るライは、稀薄になった容姿に苦笑いしなが
ら答える。船長と三人がかりで起こして回り、なんとか静かに動いてもらえるよう話
をつけた。
「これから忙しくなるからね」
「そうそう、シロートさんが邪魔しちゃイケナイな」
「客室にでも篭もっててよ」
セラフィナを気遣うように船員達が声をかける。ライに近づきたがらない恐がりな
船員も、セラフィナには興味があるらしい。
何しろこの船には場違いなドレスを身に纏い、気絶していた船員達を一人一人起こ
して回ったのだ。怪我がある者にはもちろん治療を施す。セラフィナは天使だか女神
だかを見るような視線に耐えかねて、素直に部屋へ篭もることにした。甲板を後にし
ようと歩き出す。
――ミャア
小さな鳴き声が聞こえた。
出来るだけ静かに、でも出来るだけ急いで作業をする船員達の間をすり抜けて、三
毛猫はライの元へと駆け寄る。
「お前、大丈夫だったか?」
ライが優しく頭を撫でると、猫はもう一度嬉しそうにミャアと鳴いた。
セラフィナは目を細めてその微笑ましい光景を見つめていた。
「ほら、向こうから艦隊が来るよパトリシア」
「だからそのナマエで呼ぶなって!」
肩で息をしながらもまだ、敵意を剥き出しにしたままのキャプテンは、遠くから近
づいてくる船団の灯りに舌打ちをした。
「……クソッタレ」
「言葉遣い悪いなぁ」
「アンタに言われたかないよ!クソオヤジ」
「今……親父って」
「だー!せーったい認めねー!」
激しい親子喧嘩は止まることを知らず、そしてその頃こっそりと、貨物船は海賊船
から離れていった……。