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PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士 エンプティ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
ダウニーの森の湖には、竜より先に月が淡い光を放ちながら水浴びをするように浮
かんでいた。
夜風が吹くと、ゆらゆらと揺れる水面が星屑のように煌いた。
そんな幻想的な見た目とは裏腹に、嗅覚に届くのは、その美しい湖から立ち昇る酒
精の香りだ。
まるで、山賊たちが酒盛りでも開いているかのような、むせ返るような甘い匂い。
果たしてこんな湖に竜が水浴びをしに来るのか、俺は段々不安になってきた。
隣で待機する自称騎士の姿勢がやや前屈みになったのは、酒の匂いに酔ったせだろ
う。
こんな状態で、あの酒を上手く活用することが出来たのかは疑問なところである。
まさしく宝の持ち腐れだ。
それに対し、ジュリアは相変わらずの無表情で湖を眺めていた。
エンプティから貰った細身の剣を、手に慣らすように握ったり放したりしている。
今までの会話を聞くに、どうやら彼女はこの森では自由に魔法が使えないらしい。
国を滅ぼすほどの竜を相手に戦力が落ちるのは惜しいが、仕草を見るに剣の扱いに
も慣れているようだ。
月夜の湖畔で凶暴な竜を待ち構えるのは、
自称騎士と年齢不詳の魔法使い、剣を持った魔女、盗賊上がりの商人の四人。
まるで喜劇のような寄せ集めのパーティに竜退治がつとまるのか。
現状の滑稽さに思わず鼻で笑うと、俺は竜が姿をあらわすのを待った。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
研ぎ澄まされた感覚が、今までとは違う生き物の気配を捕らえた。
風を切り森の中を疾走する獣の息遣い。
「あそこだ」
草陰の中から現れた一匹の獣の姿を捉えると、俺は小さく囁いた。
――これが竜・・・
月光に縁取られて、徐々に露わになる竜のシルエットは、想像していた以上に小柄
で優美な姿であった。
馬より一回りほど大きいだろうか―――。
竜は一度身を震わせると、我々の存在に気づく様子も無く真っ直ぐと湖へ足を進め
た。
その目は
森の木々に姿を隠しながらも、俺たちはそっと竜の様子を見守った。
『竜殺し』の溶けた湖に口をつけ、一回、二回。
嚥下する竜の喉の動きを確認すると、見守る俺達にも緊張が走る。
変化が現れるのに幾らも待つ必要は無かった。
真紅の瞳を見開き、首を大きく振った竜は、グルルッ、ガァァっと喉を鳴らしはじ
めた。
「・・・・・・笑い上戸か?」
「むしろ泣き上戸だろう」
俺の呟きにジュリアが律儀に反応した。
このまま泥酔して倒れてくれれば万々歳なのだが・・・。
――挑んだ戦士たちは一飲みにされるか、爪で切り裂かれるかしてしまった。
凶暴な獣。
魔女の言葉を思い出すと安易には手を出せない。
「エンプティ。魔法か何かで竜を拘束できないか?」
「では、試してみましょう」
エンプティはすぐさま頷き、呪文を唱えた。
つぷりと地面の中から木の根が顔を出し、竜の身体にまきついて行く。
動きの鈍くなった竜は、そのまま木の根に巻き取られていくように見えたが・・・
グゥオアア―――!
咆哮とともにその口より放たれた焔が、竜の身体に巻きついていた木の根をすべて
焼き払った。
「!?」
「バルメは竜が火を吐くなんていってなかったぞ!」
思わずエンプティに怒鳴ると、彼も驚いた顔をしていた。
「わたくしも、今の今まで存じませんでした」
「・・・・・・」
ならば、理由は一つしかない。
突如訪れた沈黙に耐え切れなくなったのか、自称騎士が弱弱しい声で言った。
「あの・・・・酒のせいでしょうか」
分かりきったことだったので、それについてとやかく言う者はいなかった。
ここで責任追及を始めたり、口論になる人種が居ないことはありがたかったが、そ
れが問題の解決に繋がるわけでもない。
「火は・・・困りましたね」
「あぁ。近づきづらいな」
暗闇の中で、竜の吐く炎が何度か周囲を明るく照らした。
一応酒の効果が出ているらしく、狂ったように炎を吐く竜の足取りはふらついてい
る。
俺がエンプティの言葉に同意すると、ジュリアはかぶりを振って言った。
「そういう意味じゃない。ヤツが炎でこの森を焼き払えば、バルメの魔法は消え、竜
は外界に放たれる」
いくら魔女の森といっても、その属性に逆らうことはできないということか・・・。
ならば炎は危険だ。
早々と手を打たねばならない。
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PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士 エンプティ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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ダウニーの森の湖には、竜より先に月が淡い光を放ちながら水浴びをするように浮
かんでいた。
夜風が吹くと、ゆらゆらと揺れる水面が星屑のように煌いた。
そんな幻想的な見た目とは裏腹に、嗅覚に届くのは、その美しい湖から立ち昇る酒
精の香りだ。
まるで、山賊たちが酒盛りでも開いているかのような、むせ返るような甘い匂い。
果たしてこんな湖に竜が水浴びをしに来るのか、俺は段々不安になってきた。
隣で待機する自称騎士の姿勢がやや前屈みになったのは、酒の匂いに酔ったせだろ
う。
こんな状態で、あの酒を上手く活用することが出来たのかは疑問なところである。
まさしく宝の持ち腐れだ。
それに対し、ジュリアは相変わらずの無表情で湖を眺めていた。
エンプティから貰った細身の剣を、手に慣らすように握ったり放したりしている。
今までの会話を聞くに、どうやら彼女はこの森では自由に魔法が使えないらしい。
国を滅ぼすほどの竜を相手に戦力が落ちるのは惜しいが、仕草を見るに剣の扱いに
も慣れているようだ。
月夜の湖畔で凶暴な竜を待ち構えるのは、
自称騎士と年齢不詳の魔法使い、剣を持った魔女、盗賊上がりの商人の四人。
まるで喜劇のような寄せ集めのパーティに竜退治がつとまるのか。
現状の滑稽さに思わず鼻で笑うと、俺は竜が姿をあらわすのを待った。
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研ぎ澄まされた感覚が、今までとは違う生き物の気配を捕らえた。
風を切り森の中を疾走する獣の息遣い。
「あそこだ」
草陰の中から現れた一匹の獣の姿を捉えると、俺は小さく囁いた。
――これが竜・・・
月光に縁取られて、徐々に露わになる竜のシルエットは、想像していた以上に小柄
で優美な姿であった。
馬より一回りほど大きいだろうか―――。
竜は一度身を震わせると、我々の存在に気づく様子も無く真っ直ぐと湖へ足を進め
た。
その目は
森の木々に姿を隠しながらも、俺たちはそっと竜の様子を見守った。
『竜殺し』の溶けた湖に口をつけ、一回、二回。
嚥下する竜の喉の動きを確認すると、見守る俺達にも緊張が走る。
変化が現れるのに幾らも待つ必要は無かった。
真紅の瞳を見開き、首を大きく振った竜は、グルルッ、ガァァっと喉を鳴らしはじ
めた。
「・・・・・・笑い上戸か?」
「むしろ泣き上戸だろう」
俺の呟きにジュリアが律儀に反応した。
このまま泥酔して倒れてくれれば万々歳なのだが・・・。
――挑んだ戦士たちは一飲みにされるか、爪で切り裂かれるかしてしまった。
凶暴な獣。
魔女の言葉を思い出すと安易には手を出せない。
「エンプティ。魔法か何かで竜を拘束できないか?」
「では、試してみましょう」
エンプティはすぐさま頷き、呪文を唱えた。
つぷりと地面の中から木の根が顔を出し、竜の身体にまきついて行く。
動きの鈍くなった竜は、そのまま木の根に巻き取られていくように見えたが・・・
グゥオアア―――!
咆哮とともにその口より放たれた焔が、竜の身体に巻きついていた木の根をすべて
焼き払った。
「!?」
「バルメは竜が火を吐くなんていってなかったぞ!」
思わずエンプティに怒鳴ると、彼も驚いた顔をしていた。
「わたくしも、今の今まで存じませんでした」
「・・・・・・」
ならば、理由は一つしかない。
突如訪れた沈黙に耐え切れなくなったのか、自称騎士が弱弱しい声で言った。
「あの・・・・酒のせいでしょうか」
分かりきったことだったので、それについてとやかく言う者はいなかった。
ここで責任追及を始めたり、口論になる人種が居ないことはありがたかったが、そ
れが問題の解決に繋がるわけでもない。
「火は・・・困りましたね」
「あぁ。近づきづらいな」
暗闇の中で、竜の吐く炎が何度か周囲を明るく照らした。
一応酒の効果が出ているらしく、狂ったように炎を吐く竜の足取りはふらついてい
る。
俺がエンプティの言葉に同意すると、ジュリアはかぶりを振って言った。
「そういう意味じゃない。ヤツが炎でこの森を焼き払えば、バルメの魔法は消え、竜
は外界に放たれる」
いくら魔女の森といっても、その属性に逆らうことはできないということか・・・。
ならば炎は危険だ。
早々と手を打たねばならない。
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PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ラズロ リリア リック 畑の妖精(?)
場所:エドランス国 香草の畑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「行くか」
ラズロが緊張した面持ちでそっと剣を抜き出した。
アベルも同じように剣を抜き出し、
「作戦どうする?」
最後の確認とばかり、尋ねた。
他のメンバーにとっても重要事項なので、必然的に全員が顔を寄せることになった。
「そうだな……リーダー格らしい人間を集中して狙うことにして……」
そこまで言ってからラズロはちらりとヴァネッサ、リック、リリアを見て、難しそう
な顔をした。
攻撃役の方が少ないという事実を、一体どうしたものかと考えたらしい。
「ああ、それなら、こっちでコボルド相手にしてもいいぞ」
リックのあっさりとした物言いに、リリア以外の全員が目を丸くする。
「だ、大丈夫かよ?」
意外とばかりにアベルが声を上げると、リックは苦笑いを浮かべた。
「言ってなかったけど、こう見えてもアカデミーに入る前に色々やってたからな、コ
ボルドぐらいなら何とかなる」
「……もしかして、お前、強かったりする?」
「お前の『強い』の基準はわかんないけどさ。まあそれなりに、コボルドぐらいなら
勝率が高い、ってとこかな」
「なんだよ、早く言えよっ」
「言う機会があると思うのかよお前~~~っ」
リックがどこか恨めしげな目をしている。
……リックと言えば。
普段はリリアに振り回され、今日は今日でじゃんけんに負けてカゴを背負っていた、
あまり活躍どころのない少年である。
目立つか目立たないかで問われたら、確実に「目立たない」少年である。
そのリックが、不思議と今は頼もしく見えた。
雰囲気まで、いつもと違うような気がする。
「なーによ。威張っちゃって。アカデミーに入る前、ずううううっとあたしに助けて
もらってたのは誰だったっけー?」
そこに茶々を入れるのはリリアである。
途端、リックがガキリ、と凍りついた。
「誰だっけー? 飢え死にしかかってて、ゴハン食べさせてもらったのは。無鉄砲に
突っ込んでって、返り討ちにされて、ちょっと涙ぐんでた頃が懐かしいわねぇ。ぐじ
ぐじ言ってうずくまって、いつまでたっても立とうとしないから、手を引っ張って立
ちあがらせてもらったりして。そんでー」
「ううううるさい、昔のことはいいだろっ!」
リリアの発言を、リックがややムキになりながらさえぎる。
いつもならリリアがムキになり、リックがそれをいなすパターンが多かったので、こ
れはかなり珍しい事態である。
「……あー。はいはい。どうどう」
リリアがリックの頭をぽふぽふと叩き、リックがそれを「俺は馬かっ」と嫌がる。
ヴァネッサは、そのやり取りの中に『何か』を感じた。
一つは、二人はアカデミーに入る前から知り合いだったのだろうな、ということ。
それともう一つは……。
(二人とも、昔のこと、あまり知られたくないんだろうな)
そう言えば、二人は昔どこでどうしていたかをあまり言わなかった。
――ねえ、この仕事が終わってゆっくりできるときにさ、みんなに聞いてほしいこと
があるんだけど、いいかな?――
不意に、先ほどのリリアの言葉が頭をよぎる。
聞いて欲しいこととは、どんなことだろう。
たとえ、どんな話だったとしても、それをちゃんと受け止めよう。
ヴァネッサは、そう決めた。
「心強いな。それじゃあコボルドはそっちに任せる。人間の方をできるだけ早く片付
けて戻るから」
「おう、がんばれよ、アベル、ラズロ」
「こちらの台詞だ……さて」
ラズロの言葉に、全員がみるみる緊張した顔つきになった。
「まあ、僕も手伝うから、心配ないよ」
妖精がふよふよと漂いながら、励ましらしいことを口にする。
(手伝うって、何ができるんだろう……)
ヴァネッサはほんの少しだけ首を傾げた。
そういえばこの妖精、何ができるかまだわからない。
見た目からすると、こうやってふわふわ漂う以外に能がなさそうで、まともに戦える
などとは思えないのだが……。
ヴァネッサは、ちらりとリリアの顔を見た。
視線に気付いたリリアが笑みを作る。
「あたしのことも頼りにしてて良いよ。リックより役に立つからね」
「なんか言ったか?」
「いえいえ、何も。おほほほ」
リックとの短いやり取りを終えると、彼女は真剣な表情になり、懐から短剣を取り出
して握りしめた。
「行くぞ。3・2・1……!」
ラズロの合図で、全員が茂みから飛び出した。
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NPC:ラズロ リリア リック 畑の妖精(?)
場所:エドランス国 香草の畑
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「行くか」
ラズロが緊張した面持ちでそっと剣を抜き出した。
アベルも同じように剣を抜き出し、
「作戦どうする?」
最後の確認とばかり、尋ねた。
他のメンバーにとっても重要事項なので、必然的に全員が顔を寄せることになった。
「そうだな……リーダー格らしい人間を集中して狙うことにして……」
そこまで言ってからラズロはちらりとヴァネッサ、リック、リリアを見て、難しそう
な顔をした。
攻撃役の方が少ないという事実を、一体どうしたものかと考えたらしい。
「ああ、それなら、こっちでコボルド相手にしてもいいぞ」
リックのあっさりとした物言いに、リリア以外の全員が目を丸くする。
「だ、大丈夫かよ?」
意外とばかりにアベルが声を上げると、リックは苦笑いを浮かべた。
「言ってなかったけど、こう見えてもアカデミーに入る前に色々やってたからな、コ
ボルドぐらいなら何とかなる」
「……もしかして、お前、強かったりする?」
「お前の『強い』の基準はわかんないけどさ。まあそれなりに、コボルドぐらいなら
勝率が高い、ってとこかな」
「なんだよ、早く言えよっ」
「言う機会があると思うのかよお前~~~っ」
リックがどこか恨めしげな目をしている。
……リックと言えば。
普段はリリアに振り回され、今日は今日でじゃんけんに負けてカゴを背負っていた、
あまり活躍どころのない少年である。
目立つか目立たないかで問われたら、確実に「目立たない」少年である。
そのリックが、不思議と今は頼もしく見えた。
雰囲気まで、いつもと違うような気がする。
「なーによ。威張っちゃって。アカデミーに入る前、ずううううっとあたしに助けて
もらってたのは誰だったっけー?」
そこに茶々を入れるのはリリアである。
途端、リックがガキリ、と凍りついた。
「誰だっけー? 飢え死にしかかってて、ゴハン食べさせてもらったのは。無鉄砲に
突っ込んでって、返り討ちにされて、ちょっと涙ぐんでた頃が懐かしいわねぇ。ぐじ
ぐじ言ってうずくまって、いつまでたっても立とうとしないから、手を引っ張って立
ちあがらせてもらったりして。そんでー」
「ううううるさい、昔のことはいいだろっ!」
リリアの発言を、リックがややムキになりながらさえぎる。
いつもならリリアがムキになり、リックがそれをいなすパターンが多かったので、こ
れはかなり珍しい事態である。
「……あー。はいはい。どうどう」
リリアがリックの頭をぽふぽふと叩き、リックがそれを「俺は馬かっ」と嫌がる。
ヴァネッサは、そのやり取りの中に『何か』を感じた。
一つは、二人はアカデミーに入る前から知り合いだったのだろうな、ということ。
それともう一つは……。
(二人とも、昔のこと、あまり知られたくないんだろうな)
そう言えば、二人は昔どこでどうしていたかをあまり言わなかった。
――ねえ、この仕事が終わってゆっくりできるときにさ、みんなに聞いてほしいこと
があるんだけど、いいかな?――
不意に、先ほどのリリアの言葉が頭をよぎる。
聞いて欲しいこととは、どんなことだろう。
たとえ、どんな話だったとしても、それをちゃんと受け止めよう。
ヴァネッサは、そう決めた。
「心強いな。それじゃあコボルドはそっちに任せる。人間の方をできるだけ早く片付
けて戻るから」
「おう、がんばれよ、アベル、ラズロ」
「こちらの台詞だ……さて」
ラズロの言葉に、全員がみるみる緊張した顔つきになった。
「まあ、僕も手伝うから、心配ないよ」
妖精がふよふよと漂いながら、励ましらしいことを口にする。
(手伝うって、何ができるんだろう……)
ヴァネッサはほんの少しだけ首を傾げた。
そういえばこの妖精、何ができるかまだわからない。
見た目からすると、こうやってふわふわ漂う以外に能がなさそうで、まともに戦える
などとは思えないのだが……。
ヴァネッサは、ちらりとリリアの顔を見た。
視線に気付いたリリアが笑みを作る。
「あたしのことも頼りにしてて良いよ。リックより役に立つからね」
「なんか言ったか?」
「いえいえ、何も。おほほほ」
リックとの短いやり取りを終えると、彼女は真剣な表情になり、懐から短剣を取り出
して握りしめた。
「行くぞ。3・2・1……!」
ラズロの合図で、全員が茂みから飛び出した。
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PC:スーシャ、ロンシュタット
NPC:バルデラス、団員
場所:セーラムの街
魔物が、跳ねた。
普通の人になら「翔んだ」と見えたかもしれない敵を、ロンシュタットは平然と迎撃する。
洗うのが嫌だから、という理由ではないだろうが、持っているバルデラスをくるりと回す。
「ああん?」
バルデラス自身も何をするのか分からなかったのだろう、怪訝な声を出すと同時に、頭上から降ってくる魔物をロンシュタットは剣の腹で叩き落した。
べしゃり、と泥の中で潰れる魔物。それきり動くことも無く、続いて振り下ろされたロンシュタットの止めの一撃を脳天に喰らい、頭蓋を爆ぜて息絶えた。
「俺はハエ叩きか!」
バルデラスが抗議の声を上げる。
弱い敵を切れば手応えがないと愚痴をこぼし、本物の悪魔を倒せば倒し方に文句をつける。
ロンシュタットは、きっと余りにうるさいから無視してるんだろうな。
スーシャはまだ自分の体をあちこち触って無事を確認している団員の側で、戦闘とも呼べない一部始終を見ながら思った。
異形の生物を見た恐怖は、大して無い。
まだ神経が麻痺しているのかもしれないが、簡単に退治してしまった様を見れば、逆にあの怪物は何だったのか、とすら思ってしまう。
呆然としている団員と、きょとんとしているスーシャの元へロンシュタットが戻って来ると、また質問をした。
「ここへ来る前、宿では人がいた、と言っていたな」
口を利くことも無く、ただ頷く団員。
ようやく立ち上がりはするが、自分の身に起きたことはまだ分かっていない。
「では、ふたりはそのまま宿へ戻れ。途中で人がいるなら、一緒にいるように勧めることだ」
そう言うと、ロンシュタットは剣を手に持ったまま背を向け、歩き出す。
スーシャはびっくりした。
一緒にいないの?
てっきり自分たちと一緒にこれからどうするのか、教えてくれると思っていたスーシャには彼の行動は分からなかった。
どうして一緒にいないの?
訳のわからないまま、声をかけることもできず、ただロンシュタットの去る背中を見ることしかできない。
胸中に秘める思いは別だが、団員はもっと切迫した事情から声をかけることができた。
「ちょっと待て、いや、待ってくれないか!」
振り返ることなく、ロンシュタットの歩みが止まる。
「どうして俺たちは宿へ行くんだ? そこにまともな連中がいるから、か?」
「そうだ」
ロンシュタットは答える。
「詰め所の中で、行方不明になったはずの医者や仕立て屋に襲われた。どこから入ってきたのか分からない。だが、大勢で集まっていれば侵入は防げるだろうし、追い返すこともできるだろう。まして、今の悪魔のようなものが現れたら、お前たちでは何もできない」
「それは、足手まといだから、一箇所に集まって避難していろ、ということか?」
団員にとってその考えは、屈辱的なものであるに違いない。
しかし、悪魔に対して無力である上に、この目の前の青年は悠々と返り討ちにしたのだ。
だから
「そうだ」
と、短く答えられたときも、彼我にある絶望的な実力の差を感じ、しぶしぶ頷くしかなかった。
「……分かった、宿へ戻っていよう」
そう言い終えるより早く、ロンシュタットは立ち去り始めていた。
スーシャは団員と誰とも会わない道を、宿へと歩きながら、下ばかり見ている。
何だか、寂しいな。
そんなふうに思う。
別に気温が低すぎるからではない。人の気配の途絶えたこの街が、雑踏さえ消えているせいで、いつもの見知った場所から、全く知らない街へひとりで迷い込んでしまったようで、その違和感がひしひしと皮膚を通して身に染み込んで来るからでもある。
だが、それだけではない。
宿で自分が詰め所へ行く時、どうしてロンシュタットへ何かが口を割って出ようとしたのか──その言葉は何だったのか?
詰め所で再会した時、ロンシュタットは自分の側にいてくれた──守ってくれると自分が勝手に思い込んだのか?
もしそうなら恥ずかしい。
もしそうでないなら寂しい。
そしてどちらであっても、今は、辛い。
歩きながら、ふと彼の消えていった方を振り返る。
その都度、じんわりと目が熱くなって、また俯いて歩き出す。
慣れたはずなのに。
寂しいなぁ。
「ふうう、生き返るぜ~」
井戸からくみ上げた水を浴びて、バルデラスの機嫌は直った。
すっかりきれいになった刀身を、ロンシュタットは鞘に収め、再び腰に吊るして歩き出す。
最も、バルデラスの機嫌が良かろうと悪かろうと、彼にとってはどうでもいいのだが。
単に悪魔の腐臭が気に入らない、という理由で洗ってもらった事など知ることも無く、バルデラスは陽気に話す。
「しっかしまあ、あんな弱っちい奴じゃ、こんなことはできっこねえよな。どうだ、ロン。何か分かったか?」
「少しな」
おや、と一瞬言葉の詰まるバルデラス。
「珍しいな、お前が答えるなんざ。ようし、それじゃあ、いっちょ聞かせてもらおうか、何が分かったんだ?」
「あの悪魔の来た方角だ」
「はあん!?」
びっくりして大声を上げるバルデラス。
もし通行人がいたなら、腹話術でもしてるのかと、よほどびっくりしたに違いない。
「あいつを殺した後、体が溶けて地面に染み込んだ。それが地中を通って、今、足元を進んでいる」
「何だって!」
確かに、驚く内容だ。
「どういうカラクリか分からないが、これは悪魔の肉体だ。それが戻るところはひとつしかない」
「ははん、なるほどな」
バルデラスが意識を向ける先には、古びた教会と、地下墓地がある。
「けけけ、馬鹿な奴だな。それはそうと、ロン」
バルデラスが急に話題を変える。
「スーシャちゃんのことなんだが」
歩みを止めることなく、視線だけ向けて、ロンシュタットが何だ、と聞く。
「何だか、後味悪い別れ方したけど、いいのか? 大人し過ぎてよく分からんけど、いい娘だと思うぜ? 俺の事も嫌がったりしなかったし、お前の事も少しは頼りにしてたんじゃないのか? そんな娘をほっぽって、いいのかよ?」
しかし、ロンシュタットの答えは、やはり短かった。
「それがどうした?」
唖然とした間が空いた後、ふうう、と長い溜息が聞こえる。
「お前なぁ……いや、いやいや、そうだ、お前はそういう奴だった。けっ、本当に、悪魔を殺すことにしか関心がねえんだな。まあ、こっちもそれが楽しくてついていってんだけどな。ひっひっひ、今度はどんな屍の山ができることか」
それ以上言わなかったのは、ロンシュタットが墓地に足を踏み入れ、いい加減に黙れ、と目で脅してきたからだ。
だが一言だけ、
「あの悪魔は、彼女も狙った」
バルデラスにも聞こえず、ロンシュタットはぽつりと呟いた。
ロンシュタットはそのまま、迷うことなく墓地の中を進む。
誰かが墓参りにでも来たのか、枯れかけた花束がひとつ置かれている墓石がある。
その墓石を過ぎて、教会へと続く道から外れまた少し歩くと、柵で囲われた石造りの礼拝所があった。
礼拝所と言うよりは、小さな神殿じみている。正確に何と言うのか分からないのは、ロンシュタットにこれが何なのか、はっきり分からない為だ。
恐らく、遺体を然るべきときまで安置する為の場所なのだろう。普段から手入れをされ、人の出入りが頻繁にある場所ではないのは、周囲に足跡が無いことや、落ち葉がそのままになっていたり、柵に草が引っかかったままになっていることからも判断できる。
柵を軽々と飛び越え、枯れ葉を舞い散らせながら中へ入る。
床に落ちる葉の音さえ聞こえるような静けさだけが支配する安置所の、中央には石畳が敷かれて一段高くなっていて、そこにはロンシュタットの目線ほどの高さのある、これも石造りの棺がある。
ここに埋葬前の遺体が安置されるのだろうか。
両手をつくと、力任せにそれを横にずらす。
石柱の隙間から差し込む僅かな陽光の通り道を示す様に、土埃がうっすらと舞う。
半分ほどずらし、人ひとりが通れるようになると、重力を感じさせず、音すら立てずにひらりと乗る。
「地下への入り口か?」
棺の中を覗き込んだバルデラスが言う。
ロンシュタットも否定しないところを見ると、同意見なのだろう。
恐らく、正確には地下墓地、または納骨堂などになるそこへ、大の大人でさえ、昼に一人では入りたくないそこへ、ロンシュタットは躊躇う素振りも見せず飛び降りて入っていく。
死者の眠りを揺り覚ますような行動だが、幸い、階段を下って行っても、遺体も遺骨も無かった。
地下にあったのは、数メートル四方の小さな空間。
それが階段の先。
既に光の届かぬ場所に、明かりも持たず周囲の様子を見ているのは、やはり、ロンシュタットは暗闇でも眼が見えるからだろう。
その彼の眼が捕えたのは、朽ちかけた木製の棚だけだった。
何か道具でも置いておくのか、それとも荼毘にふした遺骨を納めるのか。しかし棚には、今は何も無い。
「何も無いのか? おかしいじゃねぇか」
バルデラスが疑問に感じるのも当然だ。
そしてまた、壁面が濡れている事を知り、そちらに疑問を抱いたのはロンシュタットだ。
いくら地下とはいえ、石で完全に囲まれた場所で、壁面が濡れ、天井からも水が滴り落ちるほど湿気が充満するものだろうか?
まして、ここが遺骨や遺体を安置しておく場所なら、なおさらだ。例え昨夜が雨であっても。
「おい、ここが悪魔のいる場所なのか?」
バルデラスが訊いて来る。
「地下を通った悪魔は、今、ここにいる」
スーシャや団員がいれば、腰を抜かすような事を、だが彼はまるで気にしていないように言う。
どんな神経をしているのか。
「どうやら」
と、ロンシュタットはバルデラスの柄を右手で握り、続ける。
「この液体が、悪魔の正体らしい」
くるりと振り返るロンシュタットの背後に、詰め所の時と同じ様に、殺したはずの医者と仕立て屋一家が立っていた。
「だが、おかしいな」
徐々に距離を詰めてくる相手を前に、まるで敵がいないかのように、何の抑揚も変えずに疑問を口にする。
「街の人間を襲い、短時間で行方不明にさせたり、すばしこく逃げる犬や猫を襲うには、これでは無理がある」
「つまり?」
バルデラスが先を促した。
「本体は、別の場所へ移動したと言うことだ」
はぁ? と首を傾げるバルデラス。
「それじゃ、何か? これは俺たちをここに誘き寄せる罠だった、そういうことか? おいおい、悪魔を殺すことだけに目が眩んで仕留め損なうんじゃ、話にならんぜ」
「違うな」
ロンシュタットは短く否定する。
「狙いは、スーシャだろう」
しばらく沈黙が続いた後、バルデラスが言った。
「ははぁ、それでお前、本体を叩いて街に……というより、スーシャちゃんに被害が及ぶ前に仕留めようとしたのか。彼女を街に残してひとりで悪魔と対決しようとしたのは、つまり、彼女の身の安全が第一と考えたからだな?」
ロンシュタットは肩をすくめる。
「全く、他人を気遣うなんざ、慣れねぇ事するからだ」
やれやれ、と言いたげに罵って、バルデラスも先程、自分も同じ事をしたことを思い出す。
「そう思うなら、少しは役に立ってもらうぞ」
ロンシュタットが右手に力を込めて柄を握る。
その瞬間、狭い石室に、無いはずの光が放たれた。
NPC:バルデラス、団員
場所:セーラムの街
魔物が、跳ねた。
普通の人になら「翔んだ」と見えたかもしれない敵を、ロンシュタットは平然と迎撃する。
洗うのが嫌だから、という理由ではないだろうが、持っているバルデラスをくるりと回す。
「ああん?」
バルデラス自身も何をするのか分からなかったのだろう、怪訝な声を出すと同時に、頭上から降ってくる魔物をロンシュタットは剣の腹で叩き落した。
べしゃり、と泥の中で潰れる魔物。それきり動くことも無く、続いて振り下ろされたロンシュタットの止めの一撃を脳天に喰らい、頭蓋を爆ぜて息絶えた。
「俺はハエ叩きか!」
バルデラスが抗議の声を上げる。
弱い敵を切れば手応えがないと愚痴をこぼし、本物の悪魔を倒せば倒し方に文句をつける。
ロンシュタットは、きっと余りにうるさいから無視してるんだろうな。
スーシャはまだ自分の体をあちこち触って無事を確認している団員の側で、戦闘とも呼べない一部始終を見ながら思った。
異形の生物を見た恐怖は、大して無い。
まだ神経が麻痺しているのかもしれないが、簡単に退治してしまった様を見れば、逆にあの怪物は何だったのか、とすら思ってしまう。
呆然としている団員と、きょとんとしているスーシャの元へロンシュタットが戻って来ると、また質問をした。
「ここへ来る前、宿では人がいた、と言っていたな」
口を利くことも無く、ただ頷く団員。
ようやく立ち上がりはするが、自分の身に起きたことはまだ分かっていない。
「では、ふたりはそのまま宿へ戻れ。途中で人がいるなら、一緒にいるように勧めることだ」
そう言うと、ロンシュタットは剣を手に持ったまま背を向け、歩き出す。
スーシャはびっくりした。
一緒にいないの?
てっきり自分たちと一緒にこれからどうするのか、教えてくれると思っていたスーシャには彼の行動は分からなかった。
どうして一緒にいないの?
訳のわからないまま、声をかけることもできず、ただロンシュタットの去る背中を見ることしかできない。
胸中に秘める思いは別だが、団員はもっと切迫した事情から声をかけることができた。
「ちょっと待て、いや、待ってくれないか!」
振り返ることなく、ロンシュタットの歩みが止まる。
「どうして俺たちは宿へ行くんだ? そこにまともな連中がいるから、か?」
「そうだ」
ロンシュタットは答える。
「詰め所の中で、行方不明になったはずの医者や仕立て屋に襲われた。どこから入ってきたのか分からない。だが、大勢で集まっていれば侵入は防げるだろうし、追い返すこともできるだろう。まして、今の悪魔のようなものが現れたら、お前たちでは何もできない」
「それは、足手まといだから、一箇所に集まって避難していろ、ということか?」
団員にとってその考えは、屈辱的なものであるに違いない。
しかし、悪魔に対して無力である上に、この目の前の青年は悠々と返り討ちにしたのだ。
だから
「そうだ」
と、短く答えられたときも、彼我にある絶望的な実力の差を感じ、しぶしぶ頷くしかなかった。
「……分かった、宿へ戻っていよう」
そう言い終えるより早く、ロンシュタットは立ち去り始めていた。
スーシャは団員と誰とも会わない道を、宿へと歩きながら、下ばかり見ている。
何だか、寂しいな。
そんなふうに思う。
別に気温が低すぎるからではない。人の気配の途絶えたこの街が、雑踏さえ消えているせいで、いつもの見知った場所から、全く知らない街へひとりで迷い込んでしまったようで、その違和感がひしひしと皮膚を通して身に染み込んで来るからでもある。
だが、それだけではない。
宿で自分が詰め所へ行く時、どうしてロンシュタットへ何かが口を割って出ようとしたのか──その言葉は何だったのか?
詰め所で再会した時、ロンシュタットは自分の側にいてくれた──守ってくれると自分が勝手に思い込んだのか?
もしそうなら恥ずかしい。
もしそうでないなら寂しい。
そしてどちらであっても、今は、辛い。
歩きながら、ふと彼の消えていった方を振り返る。
その都度、じんわりと目が熱くなって、また俯いて歩き出す。
慣れたはずなのに。
寂しいなぁ。
「ふうう、生き返るぜ~」
井戸からくみ上げた水を浴びて、バルデラスの機嫌は直った。
すっかりきれいになった刀身を、ロンシュタットは鞘に収め、再び腰に吊るして歩き出す。
最も、バルデラスの機嫌が良かろうと悪かろうと、彼にとってはどうでもいいのだが。
単に悪魔の腐臭が気に入らない、という理由で洗ってもらった事など知ることも無く、バルデラスは陽気に話す。
「しっかしまあ、あんな弱っちい奴じゃ、こんなことはできっこねえよな。どうだ、ロン。何か分かったか?」
「少しな」
おや、と一瞬言葉の詰まるバルデラス。
「珍しいな、お前が答えるなんざ。ようし、それじゃあ、いっちょ聞かせてもらおうか、何が分かったんだ?」
「あの悪魔の来た方角だ」
「はあん!?」
びっくりして大声を上げるバルデラス。
もし通行人がいたなら、腹話術でもしてるのかと、よほどびっくりしたに違いない。
「あいつを殺した後、体が溶けて地面に染み込んだ。それが地中を通って、今、足元を進んでいる」
「何だって!」
確かに、驚く内容だ。
「どういうカラクリか分からないが、これは悪魔の肉体だ。それが戻るところはひとつしかない」
「ははん、なるほどな」
バルデラスが意識を向ける先には、古びた教会と、地下墓地がある。
「けけけ、馬鹿な奴だな。それはそうと、ロン」
バルデラスが急に話題を変える。
「スーシャちゃんのことなんだが」
歩みを止めることなく、視線だけ向けて、ロンシュタットが何だ、と聞く。
「何だか、後味悪い別れ方したけど、いいのか? 大人し過ぎてよく分からんけど、いい娘だと思うぜ? 俺の事も嫌がったりしなかったし、お前の事も少しは頼りにしてたんじゃないのか? そんな娘をほっぽって、いいのかよ?」
しかし、ロンシュタットの答えは、やはり短かった。
「それがどうした?」
唖然とした間が空いた後、ふうう、と長い溜息が聞こえる。
「お前なぁ……いや、いやいや、そうだ、お前はそういう奴だった。けっ、本当に、悪魔を殺すことにしか関心がねえんだな。まあ、こっちもそれが楽しくてついていってんだけどな。ひっひっひ、今度はどんな屍の山ができることか」
それ以上言わなかったのは、ロンシュタットが墓地に足を踏み入れ、いい加減に黙れ、と目で脅してきたからだ。
だが一言だけ、
「あの悪魔は、彼女も狙った」
バルデラスにも聞こえず、ロンシュタットはぽつりと呟いた。
ロンシュタットはそのまま、迷うことなく墓地の中を進む。
誰かが墓参りにでも来たのか、枯れかけた花束がひとつ置かれている墓石がある。
その墓石を過ぎて、教会へと続く道から外れまた少し歩くと、柵で囲われた石造りの礼拝所があった。
礼拝所と言うよりは、小さな神殿じみている。正確に何と言うのか分からないのは、ロンシュタットにこれが何なのか、はっきり分からない為だ。
恐らく、遺体を然るべきときまで安置する為の場所なのだろう。普段から手入れをされ、人の出入りが頻繁にある場所ではないのは、周囲に足跡が無いことや、落ち葉がそのままになっていたり、柵に草が引っかかったままになっていることからも判断できる。
柵を軽々と飛び越え、枯れ葉を舞い散らせながら中へ入る。
床に落ちる葉の音さえ聞こえるような静けさだけが支配する安置所の、中央には石畳が敷かれて一段高くなっていて、そこにはロンシュタットの目線ほどの高さのある、これも石造りの棺がある。
ここに埋葬前の遺体が安置されるのだろうか。
両手をつくと、力任せにそれを横にずらす。
石柱の隙間から差し込む僅かな陽光の通り道を示す様に、土埃がうっすらと舞う。
半分ほどずらし、人ひとりが通れるようになると、重力を感じさせず、音すら立てずにひらりと乗る。
「地下への入り口か?」
棺の中を覗き込んだバルデラスが言う。
ロンシュタットも否定しないところを見ると、同意見なのだろう。
恐らく、正確には地下墓地、または納骨堂などになるそこへ、大の大人でさえ、昼に一人では入りたくないそこへ、ロンシュタットは躊躇う素振りも見せず飛び降りて入っていく。
死者の眠りを揺り覚ますような行動だが、幸い、階段を下って行っても、遺体も遺骨も無かった。
地下にあったのは、数メートル四方の小さな空間。
それが階段の先。
既に光の届かぬ場所に、明かりも持たず周囲の様子を見ているのは、やはり、ロンシュタットは暗闇でも眼が見えるからだろう。
その彼の眼が捕えたのは、朽ちかけた木製の棚だけだった。
何か道具でも置いておくのか、それとも荼毘にふした遺骨を納めるのか。しかし棚には、今は何も無い。
「何も無いのか? おかしいじゃねぇか」
バルデラスが疑問に感じるのも当然だ。
そしてまた、壁面が濡れている事を知り、そちらに疑問を抱いたのはロンシュタットだ。
いくら地下とはいえ、石で完全に囲まれた場所で、壁面が濡れ、天井からも水が滴り落ちるほど湿気が充満するものだろうか?
まして、ここが遺骨や遺体を安置しておく場所なら、なおさらだ。例え昨夜が雨であっても。
「おい、ここが悪魔のいる場所なのか?」
バルデラスが訊いて来る。
「地下を通った悪魔は、今、ここにいる」
スーシャや団員がいれば、腰を抜かすような事を、だが彼はまるで気にしていないように言う。
どんな神経をしているのか。
「どうやら」
と、ロンシュタットはバルデラスの柄を右手で握り、続ける。
「この液体が、悪魔の正体らしい」
くるりと振り返るロンシュタットの背後に、詰め所の時と同じ様に、殺したはずの医者と仕立て屋一家が立っていた。
「だが、おかしいな」
徐々に距離を詰めてくる相手を前に、まるで敵がいないかのように、何の抑揚も変えずに疑問を口にする。
「街の人間を襲い、短時間で行方不明にさせたり、すばしこく逃げる犬や猫を襲うには、これでは無理がある」
「つまり?」
バルデラスが先を促した。
「本体は、別の場所へ移動したと言うことだ」
はぁ? と首を傾げるバルデラス。
「それじゃ、何か? これは俺たちをここに誘き寄せる罠だった、そういうことか? おいおい、悪魔を殺すことだけに目が眩んで仕留め損なうんじゃ、話にならんぜ」
「違うな」
ロンシュタットは短く否定する。
「狙いは、スーシャだろう」
しばらく沈黙が続いた後、バルデラスが言った。
「ははぁ、それでお前、本体を叩いて街に……というより、スーシャちゃんに被害が及ぶ前に仕留めようとしたのか。彼女を街に残してひとりで悪魔と対決しようとしたのは、つまり、彼女の身の安全が第一と考えたからだな?」
ロンシュタットは肩をすくめる。
「全く、他人を気遣うなんざ、慣れねぇ事するからだ」
やれやれ、と言いたげに罵って、バルデラスも先程、自分も同じ事をしたことを思い出す。
「そう思うなら、少しは役に立ってもらうぞ」
ロンシュタットが右手に力を込めて柄を握る。
その瞬間、狭い石室に、無いはずの光が放たれた。
PC:スーシャ ロンシュタット
NPC:バルデラス 自警団員
場所:セーラムの街 宿屋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の宿屋は、珍しく大勢の人が集まっていた。
とはいっても客ではないので、主人としては嬉しくも何ともないだろう。
街の住人たちが避難所よろしく集まっているに過ぎない。
小さい子供らがどたばたと走りまわり、その親達はどこか陰鬱な表情をつき合わせて
いる。
団員は他の団員と腕に覚えのある者を集め、表側の入り口と裏口の二手に分かれて外
からの侵入者に備えている。
先ほど一緒に行動していた団員は入り口側を守っていた。
スーシャは酒場のすみの方に一人でぽつんと椅子に座り、ただひたすら黙っていた。
そのうち、スカートのポケットをごそごそと探り始める。
再び手をポケットから抜き出した時、その手にはししゅう糸を何本か束ねて途中まで
三つ編みにしたものが握られていた。
スーシャの認識するところ、お守りの一種の作りかけである。
本当ならばそのお守りを作る時は道具などを使うのだが、見よう見真似でやっている
に過ぎず、やり方としてはでたらめである。
別に、お守りを作りたくてやっているわけではない。
手持ちぶさたでどうしようもない時に時間を潰すためにしているだけだ。
これをやっている間なら、誰かの視線を気にしておどおどすることもないし、何かや
ることはないのかと変に気をもむこともない。
――物思いにふけることもできる。
(ロンシュタットさん、今どうしているんだろう……)
不意に、あの黒髪の青年のことが頭をよぎる。
一番安全なこの宿ではないところにいるという事は、危険に身をさらしているという
事だ。
その危険の度合いは、申し訳ないが、宿の出入り口を守っている人々とは比べものに
ならない。
たった一人で脅威に立ち向かっているのだ。
今、この間にも。
(無事だと……いいな)
スーシャは、手を止めた。
思えば、薄っぺらい間柄だ。
何の義理もないし、親しい言葉を交わしたわけでもない。
それでも……無事でいて欲しかった。
何事もなく、またその姿を見たいと思った。
突然誰かがいなくなってしまうのは……置いて行かれてしまうのは、もう嫌だ。
『兄ちゃん、絶対に迎えに来るから……だから、ここで待ってろよ』
優しい記憶を思い出しそうになって、スーシャは耳をふさいだ。
「あたしゃ聞いたんだけどね。なんでも、悪魔がいるんだって?」
「ああ、そうらしいよ。団員が言うんだから間違いないさ」
「おそろしい! この街は一体どうなっちまうんだろうね」
「悪魔って言ったらあれだろ? 美人の血をすするんだろ?」
「あら~、じゃああたしなんか危険だわねぇ」
「あんたは一番安全だよ!」
「まったくだわ」
「あっはっはっはっは」
スーシャの向かいのテーブルでは、中年を過ぎた女性が集まってわいわいと話をして
いる。
話が進めば進むほど妙な方向に向かっているようだが……いかなる状況でも口さがな
いのが、おばさんというものの習性である。
事の重大性がわかっていないのか、わかってはいるが神経が太いのかは不明である。
その時、ぞっとするような寒気を、スーシャは感じた。
ごく自然に、目が宿の入り口の方へと引き寄せられた。
寒気を起こさせる“何か”があると、本能が感じ取ったためである。
「団長……っ」
団員の顔が強張っている。
「突然街の人々が見えないから心配になって、あちこち見回って来た。ここにいるな
らいると連絡をよこしてもらいたいものだ」
――団長が、宿の扉に手をかけていた。
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NPC:バルデラス 自警団員
場所:セーラムの街 宿屋
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今日の宿屋は、珍しく大勢の人が集まっていた。
とはいっても客ではないので、主人としては嬉しくも何ともないだろう。
街の住人たちが避難所よろしく集まっているに過ぎない。
小さい子供らがどたばたと走りまわり、その親達はどこか陰鬱な表情をつき合わせて
いる。
団員は他の団員と腕に覚えのある者を集め、表側の入り口と裏口の二手に分かれて外
からの侵入者に備えている。
先ほど一緒に行動していた団員は入り口側を守っていた。
スーシャは酒場のすみの方に一人でぽつんと椅子に座り、ただひたすら黙っていた。
そのうち、スカートのポケットをごそごそと探り始める。
再び手をポケットから抜き出した時、その手にはししゅう糸を何本か束ねて途中まで
三つ編みにしたものが握られていた。
スーシャの認識するところ、お守りの一種の作りかけである。
本当ならばそのお守りを作る時は道具などを使うのだが、見よう見真似でやっている
に過ぎず、やり方としてはでたらめである。
別に、お守りを作りたくてやっているわけではない。
手持ちぶさたでどうしようもない時に時間を潰すためにしているだけだ。
これをやっている間なら、誰かの視線を気にしておどおどすることもないし、何かや
ることはないのかと変に気をもむこともない。
――物思いにふけることもできる。
(ロンシュタットさん、今どうしているんだろう……)
不意に、あの黒髪の青年のことが頭をよぎる。
一番安全なこの宿ではないところにいるという事は、危険に身をさらしているという
事だ。
その危険の度合いは、申し訳ないが、宿の出入り口を守っている人々とは比べものに
ならない。
たった一人で脅威に立ち向かっているのだ。
今、この間にも。
(無事だと……いいな)
スーシャは、手を止めた。
思えば、薄っぺらい間柄だ。
何の義理もないし、親しい言葉を交わしたわけでもない。
それでも……無事でいて欲しかった。
何事もなく、またその姿を見たいと思った。
突然誰かがいなくなってしまうのは……置いて行かれてしまうのは、もう嫌だ。
『兄ちゃん、絶対に迎えに来るから……だから、ここで待ってろよ』
優しい記憶を思い出しそうになって、スーシャは耳をふさいだ。
「あたしゃ聞いたんだけどね。なんでも、悪魔がいるんだって?」
「ああ、そうらしいよ。団員が言うんだから間違いないさ」
「おそろしい! この街は一体どうなっちまうんだろうね」
「悪魔って言ったらあれだろ? 美人の血をすするんだろ?」
「あら~、じゃああたしなんか危険だわねぇ」
「あんたは一番安全だよ!」
「まったくだわ」
「あっはっはっはっは」
スーシャの向かいのテーブルでは、中年を過ぎた女性が集まってわいわいと話をして
いる。
話が進めば進むほど妙な方向に向かっているようだが……いかなる状況でも口さがな
いのが、おばさんというものの習性である。
事の重大性がわかっていないのか、わかってはいるが神経が太いのかは不明である。
その時、ぞっとするような寒気を、スーシャは感じた。
ごく自然に、目が宿の入り口の方へと引き寄せられた。
寒気を起こさせる“何か”があると、本能が感じ取ったためである。
「団長……っ」
団員の顔が強張っている。
「突然街の人々が見えないから心配になって、あちこち見回って来た。ここにいるな
らいると連絡をよこしてもらいたいものだ」
――団長が、宿の扉に手をかけていた。
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キャスト:ジュリア アーサー
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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「速やかにやるしかないということか」
と言ってテイラックは一歩前に進みかけたが、すぐに立ち止まった。
振り返って自称騎士を一瞥した意図は「お前が先に行け」に間違いなかった。ヴァンは生
唾を飲み込んでから、そろろそろと慎重な足取りで歩き始める。その後ろ姿には確かに武芸
を嗜んでいる者独特の風情があった。
ジュリアはそれだけでは腕前までを測ることはできなかったのでテイラックの顔を横目に
したが、彼の表情に今まで以上の不安が上乗りされるようなことはなかった。ということは
騎士は不足を感じさせない程度には腕が立つのだろう。
まさか、テイラックがジュリアとおなじくらい武芸に疎いということもあるまい。
彼は上等のスーツを着こなしているが、その生地に誤魔化されたシルエットは鍛えられて
いるように見える。そして何よりこんなところまでついてきたのだから、実力に自負がない
ということはないだろう。
では私は? と思いかけ、ジュリアは首を横に振った。
意味のないことだ。確認するまでもなくわかりきっている。
剣の柄を軽く握る。手首を返して刃を煌かせる動作だけは軽快だった。
だからといって騎士と並んで獣相手に白兵戦をしようなどという気はまったくもってない。
ジュリアは視線を上げ、黒い獣を見据えた。
炎を吐き散らす竜の周囲は既に熱を帯びて燃え上がり始めている。森全体が燃えるまでに
は時間がかかるだろう。しかし放っておけば間違いなくいつかは焼け落ちるに違いない。
「先鋒は任せた」
「あ、ああ」
自称騎士はためらいがちにうなずいた。腕はともかく度胸は据わっていないようだ。
情けない。が、案外、化け物に挑む勇者というのはそういうものなのかも知れない。圧倒
的な脅威を前にして怖気づかない不敗の戦士など伝説の中にしか存在しない。少なくともジ
ュリアはそんなものにお目にかかったことはない。
真しやかな噂に語られる英雄など当てにしてはいけない。
とにかくここに揃っているだけで何とかしなければ――と、ジュリアはエンプティを横目
にした。
「お前は?」
「わたくしにできることならば何なりと」
そう、と頷くだけにしておいた。指図などしなくとも自分の役目は承知しているだろう。
恐らくこの場の全員がそうであるだろうから、先ほどの騎士への言葉も、実際は、彼の士気
を高めるか揺さぶるかのどちらかの効果でしかなかった。
騎士が、すっと息を吸った。
次の踏み込みは深い。ほとんど音を立てず、しかし泉のほとりの土と草を蹴散らしながら
失踪する彼の腕の先で白刃が踊る。竜の雄たけびが轟いて血の飛沫が散るまで、ジュリアは
何が起きたのかほとんどわからなかった。
「ほう」とテイラックが感嘆の息をつく。彼は片腕を前に伸ばして、銃を獣に向けている。
油断のない目つきは標的のわずかな動きも捉えているようだ。彼は発砲せず、機会を疑って
いる。
「……一人でも十分そうだ。何せ弾丸は高価なものでね」
「経費の方はわたくしが手配いたしましょう」
エンプティが囁く。
テイラックは苦笑したが、獣からは目を逸らさない。
自称騎士は竜の吐く炎を掻い潜り、爪を剣で弾き返し、わずかな隙で黒い毛皮に浅い傷を
つけていく。竜の体表はすぐに染み出した血液でじっとりと湿り、月の光をぬらぬらと照り
返すようになった。
耳をつんざく咆哮は或いは悲鳴かも知れない。
唸り声には紛れもない憤怒と憎悪が滴っている。
腕に押され、のけぞって炎を避けた自称騎士を一飲みにしようと竜が口を開く。が、牙が
咬み合わさる寸前、ヂィンと鋭い金属音と共に獣の顎が後ろに跳ねた。
その一瞬で騎士は体勢を立て直した。
テイラックの掲げる銃から昇る硝煙が立ち上って酒の臭気に溶けていく。
ジュリアは彼を横目にして、そろそろ自分も仕事にかかるかと剣を持ち上げた。細く鋭い
刃はエンプティに注文をつけるまでもなく鏡のように磨きぬかれた銀だった。切っ先を見下
ろし、唱える。
「潰えたる王国の瓦礫は茨に埋もれ、月だけが見下ろしている。
皓々たる宮殿の屍骸は闇に葬られ、私だけが未だ覚えている」
呪文の言葉に意味はない。刃に魔法を注ぎ込む。
銀は魔力と相性がいいと言い出したのは誰だったか知らないが、その誰かのお陰でそうい
うことになっている。後で検証が行われたのかただの迷信なのかジュリアは知らなかったが、
広く浸透した概念は実際に力を持つことがある。
となれば銀の刃は魔法を帯びる。そこに根拠の真偽は関係ない。
刀身に巻きつかせた茨の蔓は、傷つけた肉に食い込み引きちぎるための魔法。
さて問題は、小手先だけの技術はあるとは言え、目の前で繰り広げられる熾烈な争いにど
うやって手を出そうかという一点だけだった。
――ジュリアが余計な手を出さなくとも、片付けてしまえそうにも見えたが。
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場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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「速やかにやるしかないということか」
と言ってテイラックは一歩前に進みかけたが、すぐに立ち止まった。
振り返って自称騎士を一瞥した意図は「お前が先に行け」に間違いなかった。ヴァンは生
唾を飲み込んでから、そろろそろと慎重な足取りで歩き始める。その後ろ姿には確かに武芸
を嗜んでいる者独特の風情があった。
ジュリアはそれだけでは腕前までを測ることはできなかったのでテイラックの顔を横目に
したが、彼の表情に今まで以上の不安が上乗りされるようなことはなかった。ということは
騎士は不足を感じさせない程度には腕が立つのだろう。
まさか、テイラックがジュリアとおなじくらい武芸に疎いということもあるまい。
彼は上等のスーツを着こなしているが、その生地に誤魔化されたシルエットは鍛えられて
いるように見える。そして何よりこんなところまでついてきたのだから、実力に自負がない
ということはないだろう。
では私は? と思いかけ、ジュリアは首を横に振った。
意味のないことだ。確認するまでもなくわかりきっている。
剣の柄を軽く握る。手首を返して刃を煌かせる動作だけは軽快だった。
だからといって騎士と並んで獣相手に白兵戦をしようなどという気はまったくもってない。
ジュリアは視線を上げ、黒い獣を見据えた。
炎を吐き散らす竜の周囲は既に熱を帯びて燃え上がり始めている。森全体が燃えるまでに
は時間がかかるだろう。しかし放っておけば間違いなくいつかは焼け落ちるに違いない。
「先鋒は任せた」
「あ、ああ」
自称騎士はためらいがちにうなずいた。腕はともかく度胸は据わっていないようだ。
情けない。が、案外、化け物に挑む勇者というのはそういうものなのかも知れない。圧倒
的な脅威を前にして怖気づかない不敗の戦士など伝説の中にしか存在しない。少なくともジ
ュリアはそんなものにお目にかかったことはない。
真しやかな噂に語られる英雄など当てにしてはいけない。
とにかくここに揃っているだけで何とかしなければ――と、ジュリアはエンプティを横目
にした。
「お前は?」
「わたくしにできることならば何なりと」
そう、と頷くだけにしておいた。指図などしなくとも自分の役目は承知しているだろう。
恐らくこの場の全員がそうであるだろうから、先ほどの騎士への言葉も、実際は、彼の士気
を高めるか揺さぶるかのどちらかの効果でしかなかった。
騎士が、すっと息を吸った。
次の踏み込みは深い。ほとんど音を立てず、しかし泉のほとりの土と草を蹴散らしながら
失踪する彼の腕の先で白刃が踊る。竜の雄たけびが轟いて血の飛沫が散るまで、ジュリアは
何が起きたのかほとんどわからなかった。
「ほう」とテイラックが感嘆の息をつく。彼は片腕を前に伸ばして、銃を獣に向けている。
油断のない目つきは標的のわずかな動きも捉えているようだ。彼は発砲せず、機会を疑って
いる。
「……一人でも十分そうだ。何せ弾丸は高価なものでね」
「経費の方はわたくしが手配いたしましょう」
エンプティが囁く。
テイラックは苦笑したが、獣からは目を逸らさない。
自称騎士は竜の吐く炎を掻い潜り、爪を剣で弾き返し、わずかな隙で黒い毛皮に浅い傷を
つけていく。竜の体表はすぐに染み出した血液でじっとりと湿り、月の光をぬらぬらと照り
返すようになった。
耳をつんざく咆哮は或いは悲鳴かも知れない。
唸り声には紛れもない憤怒と憎悪が滴っている。
腕に押され、のけぞって炎を避けた自称騎士を一飲みにしようと竜が口を開く。が、牙が
咬み合わさる寸前、ヂィンと鋭い金属音と共に獣の顎が後ろに跳ねた。
その一瞬で騎士は体勢を立て直した。
テイラックの掲げる銃から昇る硝煙が立ち上って酒の臭気に溶けていく。
ジュリアは彼を横目にして、そろそろ自分も仕事にかかるかと剣を持ち上げた。細く鋭い
刃はエンプティに注文をつけるまでもなく鏡のように磨きぬかれた銀だった。切っ先を見下
ろし、唱える。
「潰えたる王国の瓦礫は茨に埋もれ、月だけが見下ろしている。
皓々たる宮殿の屍骸は闇に葬られ、私だけが未だ覚えている」
呪文の言葉に意味はない。刃に魔法を注ぎ込む。
銀は魔力と相性がいいと言い出したのは誰だったか知らないが、その誰かのお陰でそうい
うことになっている。後で検証が行われたのかただの迷信なのかジュリアは知らなかったが、
広く浸透した概念は実際に力を持つことがある。
となれば銀の刃は魔法を帯びる。そこに根拠の真偽は関係ない。
刀身に巻きつかせた茨の蔓は、傷つけた肉に食い込み引きちぎるための魔法。
さて問題は、小手先だけの技術はあるとは言え、目の前で繰り広げられる熾烈な争いにど
うやって手を出そうかという一点だけだった。
――ジュリアが余計な手を出さなくとも、片付けてしまえそうにも見えたが。
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