キャスト:ジュリア アーサー
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
--------------------------------------------------------------------------
「竜殺しィ?」
ジュリアは思わず素頓狂な声を上げてしまってから、珍しくも少しばかり反省した。
というのも夜の森に、思った以上に声は高く響いてしまったから。誤魔化すように顔を
しかめて、溜め息をついて言ってみる。
「正気か?」
自称騎士は傷ついたような顔をした。彼が今までに表情を修うのに成功しているのを
見たことはないから、恐らく本当に傷ついたのだろう。素直な人間はいちいちこういう
面倒な反応をするので付き合いにくい、胸の奥だけで身勝手に毒を吐いて、ジュリアは
彼が何か答えるのを待った。
耳は夜風に慣れて、ほとんど静寂と変わらない。
自然と声は抑えめになった。
「正気を疑うのか」
彼は腰に提げていた小さな鞄をごそごそと探った。
やがて取りだされたのは掌に収まるほどの小さな小瓶で、中にはとろみのある透明な
液体が半分より少し多いくらい入っている。赤みがかった魔法の光に照らされて、ほん
のりと輝いてみえるそれは、あまり変わり映えしないように見えた。
「父が以前に手に入れてきたもので……数滴を水に溶かしただけで広間いっぱいの人々
に強い酒を振舞うことができたと聞いています。気付けのためにと持ち歩いていたので
すが、敵が竜であるとすれば、きっと役に立つでしょう」
その話が本当なら気付けには使えないだろうと思ったが、口を挟むのはやめておいた。
ただ、彼が実際にその用途のために使ってみたことがあるのかだけは気になった。
とにかく手っ取り早くアル中を作り上げるにはこれ以上ない道具のようだ。もちろん、
本物ならば。彼が本物の騎士であるかどうかよりも可能性の低い問題で、“真の騎士は
嘘をつかない”というような幻想を信じるかどうか――いや、必要ないか。
テイラックが、こちらも胡散臭がっている表情で言った。
「本物なのか?」
「ま、また疑うのか」
自称騎士はいっそ自信を喪失した口調で言った。
「本物に決まっている、父はこれを使って火竜を退治したんだから。
手柄自体はどこの馬の骨ともわからない男に取られてしまったそうだから歌には残っ
てないが――そもそも父は誰が名誉を受けるかよりも人々の脅威が取り払われるかどう
かの方が重要だと」
「わかったわかった……」
テイラックはこれ以上なくあからさまに「黙れ」と伝えて黙らせた。
どうやら自称騎士は何かを挽回すべく必死になっているようだが、彼のその取り組み
に興味を持っている者はここにはいないように見えた。
魔女は楽しそうに微笑みながら彼の様子を眺めている。
ジュリアも彼女のように他人事として聞いていたかったが、とにかく竜とやらを何と
かしなければ魔女は話を聞かないらしい。実に面倒だ。普段通りに魔法が使えるなら、
木ごと薙ぎ倒して話を終わりにできるかも知れないのに。
――純粋な魔力勝負なら……勝てるだろうか?
封じの術の種類にもよるが、隙をつくことができた場合のことを検討するのは無駄で
はないだろう。
「本物かどうかなんて、飲んでみればわかる」
「倒れますよ、お嬢さん」
だからそんなものを気付けに使うな。
ジュリアは手を伸ばして、自称騎士の手から小瓶を奪い取った。彼は「あ」と声を上
げたが、自分がやられたように取り戻すのは躊躇った。
栓を抜いた途端、強いアルコールのにおいが鼻先を掠めた。テイラックが顔をしかめ、
自称騎士は後退った。かなり強い酒であることは間違いない。火花を散らせば空気が燃
えるかも知れない。
栓に付着していた液体を指に掬うと、すっと指先の体温を奪って気化しはじめた。
栓を締め、掬った酒を舐めてみる。舌を刺すような味がした。何らかの魔法的な加工
がされているのか純粋なアルコールよりも強いように思える。
ジュリアは小瓶を目の高さに透かせて眺めてから、あまり丁寧ではない手つきで自称
騎士に返した。慌てて受け取る彼が何とも言えない表情をしていたので、ジュリアは言
い訳を考えなければならなかった。
「味を見る前に気化してしまった」
「急に何をするんだ……こんなところで倒れでもしたら」
テイラックが溜め息をついた。
「強い酒だということは間違いないようだが、どうする?」
老木の魔女が微笑んだまま言った。
「森の中心に湖があるわ。
夜のたびに黒い竜はそこにいて、月の光を浴びているの」
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場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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「竜殺しィ?」
ジュリアは思わず素頓狂な声を上げてしまってから、珍しくも少しばかり反省した。
というのも夜の森に、思った以上に声は高く響いてしまったから。誤魔化すように顔を
しかめて、溜め息をついて言ってみる。
「正気か?」
自称騎士は傷ついたような顔をした。彼が今までに表情を修うのに成功しているのを
見たことはないから、恐らく本当に傷ついたのだろう。素直な人間はいちいちこういう
面倒な反応をするので付き合いにくい、胸の奥だけで身勝手に毒を吐いて、ジュリアは
彼が何か答えるのを待った。
耳は夜風に慣れて、ほとんど静寂と変わらない。
自然と声は抑えめになった。
「正気を疑うのか」
彼は腰に提げていた小さな鞄をごそごそと探った。
やがて取りだされたのは掌に収まるほどの小さな小瓶で、中にはとろみのある透明な
液体が半分より少し多いくらい入っている。赤みがかった魔法の光に照らされて、ほん
のりと輝いてみえるそれは、あまり変わり映えしないように見えた。
「父が以前に手に入れてきたもので……数滴を水に溶かしただけで広間いっぱいの人々
に強い酒を振舞うことができたと聞いています。気付けのためにと持ち歩いていたので
すが、敵が竜であるとすれば、きっと役に立つでしょう」
その話が本当なら気付けには使えないだろうと思ったが、口を挟むのはやめておいた。
ただ、彼が実際にその用途のために使ってみたことがあるのかだけは気になった。
とにかく手っ取り早くアル中を作り上げるにはこれ以上ない道具のようだ。もちろん、
本物ならば。彼が本物の騎士であるかどうかよりも可能性の低い問題で、“真の騎士は
嘘をつかない”というような幻想を信じるかどうか――いや、必要ないか。
テイラックが、こちらも胡散臭がっている表情で言った。
「本物なのか?」
「ま、また疑うのか」
自称騎士はいっそ自信を喪失した口調で言った。
「本物に決まっている、父はこれを使って火竜を退治したんだから。
手柄自体はどこの馬の骨ともわからない男に取られてしまったそうだから歌には残っ
てないが――そもそも父は誰が名誉を受けるかよりも人々の脅威が取り払われるかどう
かの方が重要だと」
「わかったわかった……」
テイラックはこれ以上なくあからさまに「黙れ」と伝えて黙らせた。
どうやら自称騎士は何かを挽回すべく必死になっているようだが、彼のその取り組み
に興味を持っている者はここにはいないように見えた。
魔女は楽しそうに微笑みながら彼の様子を眺めている。
ジュリアも彼女のように他人事として聞いていたかったが、とにかく竜とやらを何と
かしなければ魔女は話を聞かないらしい。実に面倒だ。普段通りに魔法が使えるなら、
木ごと薙ぎ倒して話を終わりにできるかも知れないのに。
――純粋な魔力勝負なら……勝てるだろうか?
封じの術の種類にもよるが、隙をつくことができた場合のことを検討するのは無駄で
はないだろう。
「本物かどうかなんて、飲んでみればわかる」
「倒れますよ、お嬢さん」
だからそんなものを気付けに使うな。
ジュリアは手を伸ばして、自称騎士の手から小瓶を奪い取った。彼は「あ」と声を上
げたが、自分がやられたように取り戻すのは躊躇った。
栓を抜いた途端、強いアルコールのにおいが鼻先を掠めた。テイラックが顔をしかめ、
自称騎士は後退った。かなり強い酒であることは間違いない。火花を散らせば空気が燃
えるかも知れない。
栓に付着していた液体を指に掬うと、すっと指先の体温を奪って気化しはじめた。
栓を締め、掬った酒を舐めてみる。舌を刺すような味がした。何らかの魔法的な加工
がされているのか純粋なアルコールよりも強いように思える。
ジュリアは小瓶を目の高さに透かせて眺めてから、あまり丁寧ではない手つきで自称
騎士に返した。慌てて受け取る彼が何とも言えない表情をしていたので、ジュリアは言
い訳を考えなければならなかった。
「味を見る前に気化してしまった」
「急に何をするんだ……こんなところで倒れでもしたら」
テイラックが溜め息をついた。
「強い酒だということは間違いないようだが、どうする?」
老木の魔女が微笑んだまま言った。
「森の中心に湖があるわ。
夜のたびに黒い竜はそこにいて、月の光を浴びているの」
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PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
エンプティ バルメ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
「竜が月明かりのした水浴び?そういうものは美しい乙女がするものだろう!」
肉体的な疲労と、寝不足と、精神的な疲労と・・・もろもろの因子が重なって――
思わず怒気を含んだ声で本音をもらし、人々の視線が集まった。
失礼、と謝罪の言葉を口にすると、俺は魔女の方に顔を向けた。
「この騎士殿が竜退治を引き受けてくださるそうです」
「えぇ!?」
「魔女殿もご協力くださいますか?」
突如押し付けられた重責に自称騎士が声を上げたが、隣にいたジュリアが「観念し
ろ」だの「騎士道に献身はつきものだ」などと追い討ちをかけて大人しくさせた。
魔女はあいも変わらずほのかな笑みをたたえていて、感情を読み取りにくい。
そもそも、竜退治は魔女の使命であって俺達は無関係なのだ。
もっと乗り気になってもいいはずだ。
しかし、老木の魔女も使い魔たちもふわふわと夢の中にでもいるような様子でわれ
われ人間を見ていた。
ほかの生き物に姿を変えるということは、その人外の能力を受け継ぐと同時に、人
間としての何かを捨てるということではないだろうか?
それは、自分を捨てるということ以上に冗談じゃない行為で、俺が彼らを見るたび
に感じる嫌悪感はそこにあるのではないかと思った。
そんな彼らと対照的に、エンプティだけが暗く沈んだ眼孔で、魔女の後ろに控えて
いた。
この男の目的がいまいち分からないが、もしかしたら二人はかつて恋人同士だった
のではないだろうか。
「わかったわ、協力しましょう」
沈黙の後、応えた声が誰のものなのか一瞬分からなかった。
その声にはいままでの老婆のものとは違う力が宿っていた。
ざざざ。
ずわんずわん。
木々が葉を揺らす音と、地面が脈打つ音があたりを揺らした。
何かが懸命に移動しようとする音だった。
「今となってはこの森は全て私の身体の一部。私はこうして動けないけれど、私の手
を貸してあげることはできるわ」
俺達を囲んでいた木々が、湖へと導くように道をあけた。
人一人通れるかという細い道の向こうに、月光にきらめく湖が見えた。
それほど大きい湖ではない。
先ほどの話が本当ならば数滴で、酒の湖が出来るだろう。
「今夜はまだ竜は水浴びをしていないの。さぁ、いそいで」
相変わらずの口調だったが、魔女の声には期待がこめられていた。
「バルメの魔女の物語には確かに偽りがございました。しかし、今宵はそれを真実に
するチャンスでございます。では、道中お気をつけて」
エンプティが薄く笑って頭を下げ、自称騎士がごくりと喉を鳴らした。
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PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
エンプティ バルメ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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「竜が月明かりのした水浴び?そういうものは美しい乙女がするものだろう!」
肉体的な疲労と、寝不足と、精神的な疲労と・・・もろもろの因子が重なって――
思わず怒気を含んだ声で本音をもらし、人々の視線が集まった。
失礼、と謝罪の言葉を口にすると、俺は魔女の方に顔を向けた。
「この騎士殿が竜退治を引き受けてくださるそうです」
「えぇ!?」
「魔女殿もご協力くださいますか?」
突如押し付けられた重責に自称騎士が声を上げたが、隣にいたジュリアが「観念し
ろ」だの「騎士道に献身はつきものだ」などと追い討ちをかけて大人しくさせた。
魔女はあいも変わらずほのかな笑みをたたえていて、感情を読み取りにくい。
そもそも、竜退治は魔女の使命であって俺達は無関係なのだ。
もっと乗り気になってもいいはずだ。
しかし、老木の魔女も使い魔たちもふわふわと夢の中にでもいるような様子でわれ
われ人間を見ていた。
ほかの生き物に姿を変えるということは、その人外の能力を受け継ぐと同時に、人
間としての何かを捨てるということではないだろうか?
それは、自分を捨てるということ以上に冗談じゃない行為で、俺が彼らを見るたび
に感じる嫌悪感はそこにあるのではないかと思った。
そんな彼らと対照的に、エンプティだけが暗く沈んだ眼孔で、魔女の後ろに控えて
いた。
この男の目的がいまいち分からないが、もしかしたら二人はかつて恋人同士だった
のではないだろうか。
「わかったわ、協力しましょう」
沈黙の後、応えた声が誰のものなのか一瞬分からなかった。
その声にはいままでの老婆のものとは違う力が宿っていた。
ざざざ。
ずわんずわん。
木々が葉を揺らす音と、地面が脈打つ音があたりを揺らした。
何かが懸命に移動しようとする音だった。
「今となってはこの森は全て私の身体の一部。私はこうして動けないけれど、私の手
を貸してあげることはできるわ」
俺達を囲んでいた木々が、湖へと導くように道をあけた。
人一人通れるかという細い道の向こうに、月光にきらめく湖が見えた。
それほど大きい湖ではない。
先ほどの話が本当ならば数滴で、酒の湖が出来るだろう。
「今夜はまだ竜は水浴びをしていないの。さぁ、いそいで」
相変わらずの口調だったが、魔女の声には期待がこめられていた。
「バルメの魔女の物語には確かに偽りがございました。しかし、今宵はそれを真実に
するチャンスでございます。では、道中お気をつけて」
エンプティが薄く笑って頭を下げ、自称騎士がごくりと喉を鳴らした。
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PC:セラフィナ ザンクード
NPC:
場所:カフール
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
セラフィナはザンクードに腕を掴まれ目を覚ました。まだ夜明け前だ。
宙を見たまま静止するザンクードをよく見ると、触覚が小刻みに揺れていた。
何かを察知したのだろう。おそらくは……追っ手。
「相手が人だろうが手加減する気はない」
冷たい声が、セラフィナに「今度の敵は同じ人間なのだ」と告げる。
出来れば殺したくなどはない。避けられるものなら傷つけることすら避けるだろう。
だが、今その余裕はなかった。全力で戦い、生き残れるかも怪しいのだから。
「分かっています」
セラフィナは静かに黙祷した。
素性の知れない命のために、これから失われる命のために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
廃村に辿り着いたということは、カフール国内に入ったという証しでもあった。
ザンクードは何も言わないが、道の痕跡を辿れば、もう道案内など必要ない。
それでもここに留まっているのは、セラフィナとの約束のためだろうか?
セラフィナは空を仰ぎ見た。じきに日が昇る。
ザンクードとは別行動をとることになっていた。足手まといが側にいると動きづらいというだけでなく、木々の生い茂る廃村の外で奇襲をかけるためである。
追っ手の規模を、セラフィナはまだ知らない。ザンクードの手をかいくぐるような別動隊がいたときのために、備えておく必要があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
男は、配下の者をばらけさせた。アラクネと名乗る化け物の情報が正しければ、相手は自分達追っ手の存在にいち早く気付いているはずである。おそらく地の利が得られる廃村手前で奇襲してくる……そう予想していた。
手勢は少ない。アラクネに骨折させられた部下は使い者にならないと判断し、置いてきた。危険を感じてからでは遅い。屋外で催涙弾がどれほどの威力を発揮するかが鍵となるだろう。一瞬の迷いが死を招く……そう感じるのは、経験か。いや、今まで見てきた惨殺体の酷さのせいかもしれない。
催涙弾のピンに指をかけたまま、男は五感を研ぎ澄ます。
先に動いたのはザンクードだった。配下の一人の頭上から音もなく降ってくる。想定よりも速い動き。男はピンを抜きながら走った。不気味な複眼がこちらを捕らえているのは分かっている。催涙弾を落としながら、男は一直線に廃村へ向かって駆け抜ける。ザンクードが動くのが分かるが、急所である首、もしくは頭を狙っていることに賭けて、姿勢を低くしながら走り抜けた。頭のすぐ上を鎌状の武器が掠めた感覚がやけにリアルだった。
一気に視界が白く染まる。
催涙弾が発動したのだ。男の頭によぎったのは、煙の香りが「菊花香」によく似ている、ということだった。
「菊花香」とは、カフールに古くから伝わるお香で、山神の好きな香りとされている。昔はどこの家でも菊花香を焚いたものだが、最近は国外から入ってきた珍しい香などが好まれたり、家によっては香を焚く習慣自体が無くなってきているという古風な香だ。
その「菊花香」が、何故。
男は配下の者に敵の足止めをさせ、独りで「神の子」殺しに挑むつもりであった。自分の仕える姫と違い、一通りの護身術を学んでいるセラフィナはそう侮れる相手ではなかったし、そんな重荷を背負うのは自分一人で充分だったからだ。
森を抜け、視界に飛び込んだのは紫色の異質な煙。のろしだ。
古い民家を燃やしながら、煙は高く高く上る。
男は舌打ちした。こののろしに気付いて援軍が駆けつけるまでに姫を殺し、撤収しなければならない。民家の火を消すのは無駄だと判断、まだ遠くまで逃げてはいないであろうセラフィナ捜索に神経を傾けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昔カイに貰ったお守りを使ってしまった。セラフィナは燃え始めた廃屋を背に走り出した。
カイが近くにいるのなら駆けつけてもくれよう。だが、カイはいない。日の出とともに空を見上げ、こののろしに気付く者がどれだけいるだろうか?のろしの示す色の意味さえ知らないセラフィナは、人が様子を見に来てくれるかどうかも怪しいと思っていた。だが、誰かへの特定のメッセージだと追っ手が思いこんでくれればソレでいい。焦りは判断を鈍らせる。
木の陰に隠れ、様子を窺う。突然白い煙が森で広がり、この辺りまで香りを運ぶ。菊花香だ。目くらましの煙幕なら知っている。だが、ソレとはどうも異質なようだ。白い煙から一人の男が走り出てきた。見覚えのある男だった。あれは……姉の護衛剣士。つまり自分を狙う派閥の一つは姉の勢力と確定したわけだ。
一緒に育った間柄でもなければ、姉妹としての情も希薄だ。それでも命を狙われるほど憎まれているのか。
男はまだこちらに気付いていない。廃屋の燃える音が自分の気配を消してくれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
男はしゃがんで地面の状態を確かめた。大雨の影響が残っている。踏み固められた道なら足跡を見つけるのは難しいだろうが、ここは廃村、永く人の行き来がなかった場所である。
近くで一度振り返り、炎上する廃屋の方へ走り出した足跡を発見するのは、そう時間がかからなかった。泥地ではないため足跡としては痕跡が薄いものの、歩幅や跡の大きさから女性と分かる。ほぼ確実にターゲットだろう。しかも彼女は「他に護衛を付けていない」。狩りを邪魔するものは他にいないのだ。
炎上する中を突っ切るわけには行かない。迂回しながら端々に視線を走らせる。追われる側は追っ手の動向を警戒する傾向にある。今もこちらを見ているかも知れない。もし追っ手を振りきるつもりで走り続けているのだとしても、体力ならこっちが上だ。追いつくことなど造作もないだろう。
何かがキラリと光った。とっさに茂みへ転がり込む。地面に残されたのは、針。一矢報いようとでも言うのだろうか。男は口の端だけで笑った。ターゲットのいる方向は、これで絞れた。
木を楯に、距離を詰める。針はその後飛んでこない。こちらが視認しにくい場所に入り込んだのだろうか。だとすれば、距離はそう遠くない。
音が、した。左前方の木の裏だ。男は駆け寄りながら剣を抜き、飛び出してきた何かを切りつけた。
しまった、罠だ。切ったのは落とされた蜂の巣で、無数の蜂が攻撃してくる。
少し離れたところで翻る青い布が見えた。ただの箱入り娘ではなく、身を守るための教育を思ったより徹底して受けているらしい。なるほど、今までの追っ手が手を焼いたわけだ。男は蜂の巣を焼き討ちにしながら、追ってくる蜂を無視しつつ、青い布の見えた方へ駆けだした。
針が再び飛んでくる。視認できたのは三本。急所を狙った二本だけは、何とか剣で打ち落とす。
が、残りの一本がまずかった。左足に受けた傷は、確実に運動機能を奪う。
麻痺針もしくは麻酔針と呼ばれる高度な技術。彼女を侮っていたつもりはなかったのに。
針を抜き、投げ捨てながらも片足で間合いを詰める。蜂蜜にまみれた剣は切れ味が劣るだろうが、首を取ってこいと言われたわけではない。叩きつけることで充分致命傷を与えられる。
不意に、セラフィナが姿を現した。一見無防備で、しかし片足の利かない現状では迂闊に飛びかかることも出来ず。空気が膠着する。
「神の子を殺めた貴方に残るものは何です?」
セラフィナの声は、悲しそうに響いた。彼女がそっと目を伏せた瞬間、男は間髪入れずに飛びかかる。
セラフィナはまるで分かってでもいたように体を引いた。そして正確に針を打つ。
四肢の自由を奪われ、崩れ落ちる男を見ながら、セラフィナは溜息を付いた。
「貴重な生き証人を、死なせるわけにはいきません」
ロープで自由を奪い、口に猿ぐつわを噛ませて、セラフィナは静かに男の治療を始めた。
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NPC:
場所:カフール
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セラフィナはザンクードに腕を掴まれ目を覚ました。まだ夜明け前だ。
宙を見たまま静止するザンクードをよく見ると、触覚が小刻みに揺れていた。
何かを察知したのだろう。おそらくは……追っ手。
「相手が人だろうが手加減する気はない」
冷たい声が、セラフィナに「今度の敵は同じ人間なのだ」と告げる。
出来れば殺したくなどはない。避けられるものなら傷つけることすら避けるだろう。
だが、今その余裕はなかった。全力で戦い、生き残れるかも怪しいのだから。
「分かっています」
セラフィナは静かに黙祷した。
素性の知れない命のために、これから失われる命のために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
廃村に辿り着いたということは、カフール国内に入ったという証しでもあった。
ザンクードは何も言わないが、道の痕跡を辿れば、もう道案内など必要ない。
それでもここに留まっているのは、セラフィナとの約束のためだろうか?
セラフィナは空を仰ぎ見た。じきに日が昇る。
ザンクードとは別行動をとることになっていた。足手まといが側にいると動きづらいというだけでなく、木々の生い茂る廃村の外で奇襲をかけるためである。
追っ手の規模を、セラフィナはまだ知らない。ザンクードの手をかいくぐるような別動隊がいたときのために、備えておく必要があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
男は、配下の者をばらけさせた。アラクネと名乗る化け物の情報が正しければ、相手は自分達追っ手の存在にいち早く気付いているはずである。おそらく地の利が得られる廃村手前で奇襲してくる……そう予想していた。
手勢は少ない。アラクネに骨折させられた部下は使い者にならないと判断し、置いてきた。危険を感じてからでは遅い。屋外で催涙弾がどれほどの威力を発揮するかが鍵となるだろう。一瞬の迷いが死を招く……そう感じるのは、経験か。いや、今まで見てきた惨殺体の酷さのせいかもしれない。
催涙弾のピンに指をかけたまま、男は五感を研ぎ澄ます。
先に動いたのはザンクードだった。配下の一人の頭上から音もなく降ってくる。想定よりも速い動き。男はピンを抜きながら走った。不気味な複眼がこちらを捕らえているのは分かっている。催涙弾を落としながら、男は一直線に廃村へ向かって駆け抜ける。ザンクードが動くのが分かるが、急所である首、もしくは頭を狙っていることに賭けて、姿勢を低くしながら走り抜けた。頭のすぐ上を鎌状の武器が掠めた感覚がやけにリアルだった。
一気に視界が白く染まる。
催涙弾が発動したのだ。男の頭によぎったのは、煙の香りが「菊花香」によく似ている、ということだった。
「菊花香」とは、カフールに古くから伝わるお香で、山神の好きな香りとされている。昔はどこの家でも菊花香を焚いたものだが、最近は国外から入ってきた珍しい香などが好まれたり、家によっては香を焚く習慣自体が無くなってきているという古風な香だ。
その「菊花香」が、何故。
男は配下の者に敵の足止めをさせ、独りで「神の子」殺しに挑むつもりであった。自分の仕える姫と違い、一通りの護身術を学んでいるセラフィナはそう侮れる相手ではなかったし、そんな重荷を背負うのは自分一人で充分だったからだ。
森を抜け、視界に飛び込んだのは紫色の異質な煙。のろしだ。
古い民家を燃やしながら、煙は高く高く上る。
男は舌打ちした。こののろしに気付いて援軍が駆けつけるまでに姫を殺し、撤収しなければならない。民家の火を消すのは無駄だと判断、まだ遠くまで逃げてはいないであろうセラフィナ捜索に神経を傾けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昔カイに貰ったお守りを使ってしまった。セラフィナは燃え始めた廃屋を背に走り出した。
カイが近くにいるのなら駆けつけてもくれよう。だが、カイはいない。日の出とともに空を見上げ、こののろしに気付く者がどれだけいるだろうか?のろしの示す色の意味さえ知らないセラフィナは、人が様子を見に来てくれるかどうかも怪しいと思っていた。だが、誰かへの特定のメッセージだと追っ手が思いこんでくれればソレでいい。焦りは判断を鈍らせる。
木の陰に隠れ、様子を窺う。突然白い煙が森で広がり、この辺りまで香りを運ぶ。菊花香だ。目くらましの煙幕なら知っている。だが、ソレとはどうも異質なようだ。白い煙から一人の男が走り出てきた。見覚えのある男だった。あれは……姉の護衛剣士。つまり自分を狙う派閥の一つは姉の勢力と確定したわけだ。
一緒に育った間柄でもなければ、姉妹としての情も希薄だ。それでも命を狙われるほど憎まれているのか。
男はまだこちらに気付いていない。廃屋の燃える音が自分の気配を消してくれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
男はしゃがんで地面の状態を確かめた。大雨の影響が残っている。踏み固められた道なら足跡を見つけるのは難しいだろうが、ここは廃村、永く人の行き来がなかった場所である。
近くで一度振り返り、炎上する廃屋の方へ走り出した足跡を発見するのは、そう時間がかからなかった。泥地ではないため足跡としては痕跡が薄いものの、歩幅や跡の大きさから女性と分かる。ほぼ確実にターゲットだろう。しかも彼女は「他に護衛を付けていない」。狩りを邪魔するものは他にいないのだ。
炎上する中を突っ切るわけには行かない。迂回しながら端々に視線を走らせる。追われる側は追っ手の動向を警戒する傾向にある。今もこちらを見ているかも知れない。もし追っ手を振りきるつもりで走り続けているのだとしても、体力ならこっちが上だ。追いつくことなど造作もないだろう。
何かがキラリと光った。とっさに茂みへ転がり込む。地面に残されたのは、針。一矢報いようとでも言うのだろうか。男は口の端だけで笑った。ターゲットのいる方向は、これで絞れた。
木を楯に、距離を詰める。針はその後飛んでこない。こちらが視認しにくい場所に入り込んだのだろうか。だとすれば、距離はそう遠くない。
音が、した。左前方の木の裏だ。男は駆け寄りながら剣を抜き、飛び出してきた何かを切りつけた。
しまった、罠だ。切ったのは落とされた蜂の巣で、無数の蜂が攻撃してくる。
少し離れたところで翻る青い布が見えた。ただの箱入り娘ではなく、身を守るための教育を思ったより徹底して受けているらしい。なるほど、今までの追っ手が手を焼いたわけだ。男は蜂の巣を焼き討ちにしながら、追ってくる蜂を無視しつつ、青い布の見えた方へ駆けだした。
針が再び飛んでくる。視認できたのは三本。急所を狙った二本だけは、何とか剣で打ち落とす。
が、残りの一本がまずかった。左足に受けた傷は、確実に運動機能を奪う。
麻痺針もしくは麻酔針と呼ばれる高度な技術。彼女を侮っていたつもりはなかったのに。
針を抜き、投げ捨てながらも片足で間合いを詰める。蜂蜜にまみれた剣は切れ味が劣るだろうが、首を取ってこいと言われたわけではない。叩きつけることで充分致命傷を与えられる。
不意に、セラフィナが姿を現した。一見無防備で、しかし片足の利かない現状では迂闊に飛びかかることも出来ず。空気が膠着する。
「神の子を殺めた貴方に残るものは何です?」
セラフィナの声は、悲しそうに響いた。彼女がそっと目を伏せた瞬間、男は間髪入れずに飛びかかる。
セラフィナはまるで分かってでもいたように体を引いた。そして正確に針を打つ。
四肢の自由を奪われ、崩れ落ちる男を見ながら、セラフィナは溜息を付いた。
「貴重な生き証人を、死なせるわけにはいきません」
ロープで自由を奪い、口に猿ぐつわを噛ませて、セラフィナは静かに男の治療を始めた。
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PC:スーシャ ロンシュタット
NPC:バルデラス 店主
場所:セーラムの街(宿屋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――スーシャ!
体が、ビクッと震える。
……養母。
絵本の中に出てくる、恐ろしい風貌の魔女よりも、スーシャにとっては恐ろしい存
在。
魔女の方が、まだ可愛い。
だって、魔女は絵本の中にいるのだから。
どう頑張ったって、絵本から抜け出して追いかけては来れない。
しかし、養母は……現実にいるのだ。
こちらがどんなに存在を拒もうとも、怒鳴り声を張り上げ、手を上げ、どこまでも追
い詰めてくる。
何をぐずぐずやってるんだい、このノロマめ!
親のいないガキはこれだから駄目なんだ、しつけし直してやる!
養母の血走った目がスーシャを見据え、片方の手が胸元を掴み上げる。
そして、残った手がぐっと握り締められ――
――やめて!
頭を両手でかばった……途端、目の前の景色が暗闇に飲まれる。
わけもわからず固まっていると、カエルのゲコゲコ鳴く声が聞こえてきた。
……夢、だったようだ。
目が慣れてくると、辺りの様子がはっきりしてくる。
ここは、宿屋の一室。
自警団の詰め所から帰ってきた後、クタクタだったのですぐに眠ってしまったのだ。
スーシャは、もそもそと毛布から這い出して、ベッドの上に座りこむ。
体が熱い。
心臓が、物凄い速度で鼓動を打っている。
――もう、いないのに。
真っ暗な壁を見つめ、スーシャはもう一度、胸の中でその言葉を反芻する。
そう、あの人達はもうこの世にいない。
心無い発言で傷つけられることも、暴力を振るわれることも、もうない。
その事実に安心している自分を感じて、スーシャはぞっとした。
自分の心の中の、一番醜くて汚い部分を見たからだ。
あの人達にいなくなって欲しいと……極端に言ってしまえば、死んで欲しいと思った
ことが一度もないのかと言われると、「そうだ」とは答えられない。
心の奥底では、こうなることを望んでいた。
ひどいことをされるたびに、心を傷つけられるたびに、本当は思っていた。
死んでしまえばいい、と。
スーシャは、毛布をぎゅっと抱きしめた。
たとえ何があっても、他人の不幸や死なんて、考えてはいけない。
相手にひどく傷つけられたとしても、そんなことを望んではいけない。
そんなことを考えるのは、とてもとても悪いことだ。
考えてしまう奴は、悪人だ。
(わたしは、悪い子なんだ)
そう思うと、前向きに生きていこうとか、幸せになろうなんて気持ちにはなれそうに
ない。
憂うつな気持ちで毛布の糸目を見つめていると、ざああ……という雨音が聴覚をぼか
していく。
ロンシュタットという青年と出会った時から降っている雨。
今頃、あの青年はどうしているのだろう。
ふと、スーシャは考えた。
(……眠っているのかな……?)
まさか、仕立て屋に赴いているとは夢にも思わないスーシャである。
(わたし、どうして「助けて」って言おうとしてたんだろう……)
スーシャはぼんやりと考えた。
今までなら、あの人達から「助けて」と言おうとしていたと考えられる。
しかし、あの時はすでに全員死んでいることがわかっていたのだから、あの人達から
「助けて」とは言わないはずである。
では、自分は、何から助けて欲しいと思っていたのか?
――わからない。
スーシャはため息をつき、窓に近寄ると、そっと押し開けた。
どうにかして、ぐちゃぐちゃしてきた気分を変えたかったのだ。
開けた窓からは雨に濡れる町並みが見え、冷たく湿った空気が流れこんでくる。
(あ……)
雨の降る夜中だというのに、歩いている人間がいる。
大人が二人と、子供が一人。
薄暗くてよくわからないが、大人の方は男女の組み合せのようだ。
(親子……?)
そう思うと、見る目が変わる。
あの家族は血がつながっているのだろうか。幸せなのだろうか。
そんなことを、つらつらと考えてしまう。
それにしても、あの衣服、どこかで見たような……。
ぼんやりと思ったその瞬間、スーシャの背中を悪寒が駆け抜けた。
――まさか。
あり得ない。
でも……?
スーシャの体が凍りつく。
体の震えが止まらない。
寒さのせいではない。
あの三人の背格好、そして着ているものに、見覚えがあった。
歩き方こそ全く違う――まるでずるずると引きずるような歩き方だが、あれは間違い
なく、あの人達だ。
死んだはずの、かりそめの「家族」。
何故?
あの人達は、もうこの世にはいないはずなのに。
(あれは……何?)
まさか、幽霊だとでもいうのだろうか?
……コン、コン。
その時、ドアをノックする音がして、スーシャは飛びあがるほど驚いた。
「は、はい」
取りあえず、返事をする。
その声は震えていて、弱々しかった。
「スーシャ、こんな時間に悪いねぇ。ちょっと起きてくれないかい?」
店主の声とわかり、スーシャはほっとした。
ドアを開けに行こうとして、その前に、おそるおそる、もう一度外をのぞいてみる。
……どこにも、あの人達の姿はなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NPC:バルデラス 店主
場所:セーラムの街(宿屋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――スーシャ!
体が、ビクッと震える。
……養母。
絵本の中に出てくる、恐ろしい風貌の魔女よりも、スーシャにとっては恐ろしい存
在。
魔女の方が、まだ可愛い。
だって、魔女は絵本の中にいるのだから。
どう頑張ったって、絵本から抜け出して追いかけては来れない。
しかし、養母は……現実にいるのだ。
こちらがどんなに存在を拒もうとも、怒鳴り声を張り上げ、手を上げ、どこまでも追
い詰めてくる。
何をぐずぐずやってるんだい、このノロマめ!
親のいないガキはこれだから駄目なんだ、しつけし直してやる!
養母の血走った目がスーシャを見据え、片方の手が胸元を掴み上げる。
そして、残った手がぐっと握り締められ――
――やめて!
頭を両手でかばった……途端、目の前の景色が暗闇に飲まれる。
わけもわからず固まっていると、カエルのゲコゲコ鳴く声が聞こえてきた。
……夢、だったようだ。
目が慣れてくると、辺りの様子がはっきりしてくる。
ここは、宿屋の一室。
自警団の詰め所から帰ってきた後、クタクタだったのですぐに眠ってしまったのだ。
スーシャは、もそもそと毛布から這い出して、ベッドの上に座りこむ。
体が熱い。
心臓が、物凄い速度で鼓動を打っている。
――もう、いないのに。
真っ暗な壁を見つめ、スーシャはもう一度、胸の中でその言葉を反芻する。
そう、あの人達はもうこの世にいない。
心無い発言で傷つけられることも、暴力を振るわれることも、もうない。
その事実に安心している自分を感じて、スーシャはぞっとした。
自分の心の中の、一番醜くて汚い部分を見たからだ。
あの人達にいなくなって欲しいと……極端に言ってしまえば、死んで欲しいと思った
ことが一度もないのかと言われると、「そうだ」とは答えられない。
心の奥底では、こうなることを望んでいた。
ひどいことをされるたびに、心を傷つけられるたびに、本当は思っていた。
死んでしまえばいい、と。
スーシャは、毛布をぎゅっと抱きしめた。
たとえ何があっても、他人の不幸や死なんて、考えてはいけない。
相手にひどく傷つけられたとしても、そんなことを望んではいけない。
そんなことを考えるのは、とてもとても悪いことだ。
考えてしまう奴は、悪人だ。
(わたしは、悪い子なんだ)
そう思うと、前向きに生きていこうとか、幸せになろうなんて気持ちにはなれそうに
ない。
憂うつな気持ちで毛布の糸目を見つめていると、ざああ……という雨音が聴覚をぼか
していく。
ロンシュタットという青年と出会った時から降っている雨。
今頃、あの青年はどうしているのだろう。
ふと、スーシャは考えた。
(……眠っているのかな……?)
まさか、仕立て屋に赴いているとは夢にも思わないスーシャである。
(わたし、どうして「助けて」って言おうとしてたんだろう……)
スーシャはぼんやりと考えた。
今までなら、あの人達から「助けて」と言おうとしていたと考えられる。
しかし、あの時はすでに全員死んでいることがわかっていたのだから、あの人達から
「助けて」とは言わないはずである。
では、自分は、何から助けて欲しいと思っていたのか?
――わからない。
スーシャはため息をつき、窓に近寄ると、そっと押し開けた。
どうにかして、ぐちゃぐちゃしてきた気分を変えたかったのだ。
開けた窓からは雨に濡れる町並みが見え、冷たく湿った空気が流れこんでくる。
(あ……)
雨の降る夜中だというのに、歩いている人間がいる。
大人が二人と、子供が一人。
薄暗くてよくわからないが、大人の方は男女の組み合せのようだ。
(親子……?)
そう思うと、見る目が変わる。
あの家族は血がつながっているのだろうか。幸せなのだろうか。
そんなことを、つらつらと考えてしまう。
それにしても、あの衣服、どこかで見たような……。
ぼんやりと思ったその瞬間、スーシャの背中を悪寒が駆け抜けた。
――まさか。
あり得ない。
でも……?
スーシャの体が凍りつく。
体の震えが止まらない。
寒さのせいではない。
あの三人の背格好、そして着ているものに、見覚えがあった。
歩き方こそ全く違う――まるでずるずると引きずるような歩き方だが、あれは間違い
なく、あの人達だ。
死んだはずの、かりそめの「家族」。
何故?
あの人達は、もうこの世にはいないはずなのに。
(あれは……何?)
まさか、幽霊だとでもいうのだろうか?
……コン、コン。
その時、ドアをノックする音がして、スーシャは飛びあがるほど驚いた。
「は、はい」
取りあえず、返事をする。
その声は震えていて、弱々しかった。
「スーシャ、こんな時間に悪いねぇ。ちょっと起きてくれないかい?」
店主の声とわかり、スーシャはほっとした。
ドアを開けに行こうとして、その前に、おそるおそる、もう一度外をのぞいてみる。
……どこにも、あの人達の姿はなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ラズロ リリア リック
場所:エドランス国 香草の畑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山の斜面に開墾された畑は、日当たりがよい上に、風のとおりも程よく、
時折そよぐ風が香草からの香りを巻き上げて、実に健やかに過ごせる場所だ
った。
広大な敷地にはまさに「売るほど」の香草が茂っているが、それほどの高さ
に成長しない種類のようで、五人の目線からすると緑の絨毯の上に空の青とい
う自然の絵画が存分に楽しめた。
「はー、こりゃちょっとした絶景だなぁ」
周りを見渡しながら、リックが感心したように言った。
確かに整備された畑は、視界をさえぎりそうなものが何もなく、かといっ
て少し向こうには山の森林があって殺風景でもなく、植えられた香草のさわ
やかな香りもあいまって、ちょっとした空中庭園のようだった。
「俺もそう思うが……これほど茂っていて、なぜ『不作』だったのだ?」
「そういやそうだな?」
ラズロはリックの感想に共感しつつも、こんなに茂っていてどこが荒らさ
れてるんだろうと首をひねった。
アベルも一緒に首をひねる。
たしかに見る限り香草はたくさん生えている。
これで出荷できるほどの収穫がなく、その理由が畑が荒らされてると言う
のは何か変だった。
「どういうことだろう?」
「ま、いいんじゃね? 俺は最悪このかご背負ってやまを駆けずり回るのか
と思ったよ」
「アベルもかご男もさったとはじめましょ。」
「だから、かご男いうな!」
リリアにせっつかれる二人に連なるように全員が、畑に入っていった。
足を踏み入れてみると、一面に生い茂っているように見えたのは、成長し
て増えた枝葉が広がっていただけで、ちゃんと棟ごとに列になるように整備
されていた。
列と列の間を歩きながらおくに入り、比較的成長してそうなあたりにめぼし
をつけて移動した。
「よし、ここらでいいだろう」
リックがかごを脇に下ろしたのを合図に、それぞれしゃがんで香草をつみに
かかった。
「あら?」
暫く香草の出来を確認するように観察していたヴァネッサは、何かに気がつ
いたのか、不意に立ち上がると皆に声をかけた。
「ねえ、この先の方に少し緑が薄くて柔らかい部分があるはずなんだけど、皆
のところにはある?」
ヴァネッサが手折った香草を掲げて見せる。
「え……んー、こっちのもないよ」
「こっちもだ」
「俺の方も同じだ」
リリア、リック、ラズロ三人とも首を振る。
「こっちもないけど、それがどうかした?」
アベルも手折ったものを同じように掲げて見せた。
「あのね、この香草は先端部分の若芽のところだけ少し違うの」
その部分は薬草として毒消しに使われることもあり、そこまであわせて売り
に出るのが普通だが、この畑にあるのはそこだけがなくなっていると言うのだ。
「ひょっとして荒らされてるってこれ?」
誰にというのでもなく、香草をみながら拍子抜けしたようにリリアが言った。
王都に入荷しなくなった、そう聞いて直接産地に来れば畑があらされている
という。
その展開なら畑そのものが壊滅的な被害にあってるとかそういうのがお約束
ではないのだろうか。
村で香草の入荷が滞っている真相を聞いから、それなりに勢い込んでいただ
けに、リリアの気持ちももっともといえた。
「んー、でも若芽がないと商品価値もほとんどなくなるし、被害は大きいと思
うけど……」
ヴァネッサが補足をするがさすがに自信はなさそうだった。
田舎育ちなうえ、交易の窓口を兼ねる宿屋(食堂付)兼ギルド支店という実家
に育った経験から言うと、たとえ完全な状態でなくなったとしても、たとえ売
値が暴落するとしても、それを生業とするなら、生産品は必ず売りに出すもの
だった。
実際農作物は天候に左右される不安定な生産品である。
そのため年毎、地域ごとにでき不出来に差が出てしまうが、例え不完全な状
態(未成熟、破損)だとしても、とりあえず各町へと出荷されていく。
それは生活がかかっているのだから当たり前のことだった。
しかし、アベルもヴァネッサもまだ良くわかっていなかったことだが、眷族
というのはいわゆる人型種族に比べ、金銭的欲求は低い。
人と意思疎通できるとはいえ、その本能は姿に見合う動物達にちかく、兎族
もまた基本は生産活動を必要としない。
彼らすれば、あれば便利な金銭獲得手段の一つであり、またそれを喜んで買
ってくれる人たちがいるからたまたま続けているからで、完品でないものをあ
えて売りさばこうとする理由はないのだ。
もし業者が若芽のない香草をあえて望むなら別だったろうけど。
この微妙な違いがまだ理解されない限りは、「安くたたかれるかもしれない
けどなぜ売らないのか?」という疑問は解消されそうになかった。
「まあいいさ。女将さんの料理は薬膳ではないのだから、これで十分だろ?」
ラズロがヴァネッサにきいた。
この中で本当に必要不必要を判断できるのは、レシピを理解しているヴァネ
ッサだけだからだ。
「そうね。 うん、スパイスと香り付けに使うときは若芽は取るから、むしろ
手間が省けていいぐらいかも」
「よっし、ちゃっちゃとすまそうぜ」
そういったアベルは言葉通りどんどん摘んではかごにいれていった。
他の四人も同じように作業を再開した。
それから数時間。
たわいのないおしゃべりをしながら作業してるうちに、香草でかごがいっぱ
いになってきた頃、リックが皆を呼び集めた。
「おーい、ちょっときてくれ」
皆が集まると地面をさしてみせた。
そこにはわかりにくいが足跡のようなものがあった。
「ただの足跡じゃないのよ!」
「本とだ、でもこれが何?」
「おいおい、リリアもアベルもわからねーの?」
「! 靴か?」
「そうそう、さすがラズロはちがうねー」
なにを!とむっとするアベルとリリアをまあまあといつものようになだめな
がら、ヴァネッサも足跡を見る。
「たしかに靴跡にみえるけど……」
「ヴァネッサまで……。 いいか、これは人間、少なくとも人型の足跡で、そ
れも俺たちじゃない。 兎族の人達の足跡じゃないって事。」
「それって……」
皆がみつめるなか、リックは面白くなってきた、という笑みを浮かべて言い
切った。
「白い影とやらが何かしらないけど、少なくとも畑に入って何かやってる生身
のにんげんがいるってことさ」
――――――――――――――――
――――――――――――――――
NPC:ラズロ リリア リック
場所:エドランス国 香草の畑
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山の斜面に開墾された畑は、日当たりがよい上に、風のとおりも程よく、
時折そよぐ風が香草からの香りを巻き上げて、実に健やかに過ごせる場所だ
った。
広大な敷地にはまさに「売るほど」の香草が茂っているが、それほどの高さ
に成長しない種類のようで、五人の目線からすると緑の絨毯の上に空の青とい
う自然の絵画が存分に楽しめた。
「はー、こりゃちょっとした絶景だなぁ」
周りを見渡しながら、リックが感心したように言った。
確かに整備された畑は、視界をさえぎりそうなものが何もなく、かといっ
て少し向こうには山の森林があって殺風景でもなく、植えられた香草のさわ
やかな香りもあいまって、ちょっとした空中庭園のようだった。
「俺もそう思うが……これほど茂っていて、なぜ『不作』だったのだ?」
「そういやそうだな?」
ラズロはリックの感想に共感しつつも、こんなに茂っていてどこが荒らさ
れてるんだろうと首をひねった。
アベルも一緒に首をひねる。
たしかに見る限り香草はたくさん生えている。
これで出荷できるほどの収穫がなく、その理由が畑が荒らされてると言う
のは何か変だった。
「どういうことだろう?」
「ま、いいんじゃね? 俺は最悪このかご背負ってやまを駆けずり回るのか
と思ったよ」
「アベルもかご男もさったとはじめましょ。」
「だから、かご男いうな!」
リリアにせっつかれる二人に連なるように全員が、畑に入っていった。
足を踏み入れてみると、一面に生い茂っているように見えたのは、成長し
て増えた枝葉が広がっていただけで、ちゃんと棟ごとに列になるように整備
されていた。
列と列の間を歩きながらおくに入り、比較的成長してそうなあたりにめぼし
をつけて移動した。
「よし、ここらでいいだろう」
リックがかごを脇に下ろしたのを合図に、それぞれしゃがんで香草をつみに
かかった。
「あら?」
暫く香草の出来を確認するように観察していたヴァネッサは、何かに気がつ
いたのか、不意に立ち上がると皆に声をかけた。
「ねえ、この先の方に少し緑が薄くて柔らかい部分があるはずなんだけど、皆
のところにはある?」
ヴァネッサが手折った香草を掲げて見せる。
「え……んー、こっちのもないよ」
「こっちもだ」
「俺の方も同じだ」
リリア、リック、ラズロ三人とも首を振る。
「こっちもないけど、それがどうかした?」
アベルも手折ったものを同じように掲げて見せた。
「あのね、この香草は先端部分の若芽のところだけ少し違うの」
その部分は薬草として毒消しに使われることもあり、そこまであわせて売り
に出るのが普通だが、この畑にあるのはそこだけがなくなっていると言うのだ。
「ひょっとして荒らされてるってこれ?」
誰にというのでもなく、香草をみながら拍子抜けしたようにリリアが言った。
王都に入荷しなくなった、そう聞いて直接産地に来れば畑があらされている
という。
その展開なら畑そのものが壊滅的な被害にあってるとかそういうのがお約束
ではないのだろうか。
村で香草の入荷が滞っている真相を聞いから、それなりに勢い込んでいただ
けに、リリアの気持ちももっともといえた。
「んー、でも若芽がないと商品価値もほとんどなくなるし、被害は大きいと思
うけど……」
ヴァネッサが補足をするがさすがに自信はなさそうだった。
田舎育ちなうえ、交易の窓口を兼ねる宿屋(食堂付)兼ギルド支店という実家
に育った経験から言うと、たとえ完全な状態でなくなったとしても、たとえ売
値が暴落するとしても、それを生業とするなら、生産品は必ず売りに出すもの
だった。
実際農作物は天候に左右される不安定な生産品である。
そのため年毎、地域ごとにでき不出来に差が出てしまうが、例え不完全な状
態(未成熟、破損)だとしても、とりあえず各町へと出荷されていく。
それは生活がかかっているのだから当たり前のことだった。
しかし、アベルもヴァネッサもまだ良くわかっていなかったことだが、眷族
というのはいわゆる人型種族に比べ、金銭的欲求は低い。
人と意思疎通できるとはいえ、その本能は姿に見合う動物達にちかく、兎族
もまた基本は生産活動を必要としない。
彼らすれば、あれば便利な金銭獲得手段の一つであり、またそれを喜んで買
ってくれる人たちがいるからたまたま続けているからで、完品でないものをあ
えて売りさばこうとする理由はないのだ。
もし業者が若芽のない香草をあえて望むなら別だったろうけど。
この微妙な違いがまだ理解されない限りは、「安くたたかれるかもしれない
けどなぜ売らないのか?」という疑問は解消されそうになかった。
「まあいいさ。女将さんの料理は薬膳ではないのだから、これで十分だろ?」
ラズロがヴァネッサにきいた。
この中で本当に必要不必要を判断できるのは、レシピを理解しているヴァネ
ッサだけだからだ。
「そうね。 うん、スパイスと香り付けに使うときは若芽は取るから、むしろ
手間が省けていいぐらいかも」
「よっし、ちゃっちゃとすまそうぜ」
そういったアベルは言葉通りどんどん摘んではかごにいれていった。
他の四人も同じように作業を再開した。
それから数時間。
たわいのないおしゃべりをしながら作業してるうちに、香草でかごがいっぱ
いになってきた頃、リックが皆を呼び集めた。
「おーい、ちょっときてくれ」
皆が集まると地面をさしてみせた。
そこにはわかりにくいが足跡のようなものがあった。
「ただの足跡じゃないのよ!」
「本とだ、でもこれが何?」
「おいおい、リリアもアベルもわからねーの?」
「! 靴か?」
「そうそう、さすがラズロはちがうねー」
なにを!とむっとするアベルとリリアをまあまあといつものようになだめな
がら、ヴァネッサも足跡を見る。
「たしかに靴跡にみえるけど……」
「ヴァネッサまで……。 いいか、これは人間、少なくとも人型の足跡で、そ
れも俺たちじゃない。 兎族の人達の足跡じゃないって事。」
「それって……」
皆がみつめるなか、リックは面白くなってきた、という笑みを浮かべて言い
切った。
「白い影とやらが何かしらないけど、少なくとも畑に入って何かやってる生身
のにんげんがいるってことさ」
――――――――――――――――
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