PC: 雑
NPC:
場所:ポポル北東の森
――――――――――――――――
確か二十日前。
全てはここから始まったんだと思う。うん。
「気ままな一人旅に、乾杯だぁーっ、と!」
ポポル北東の森。
今俺は、テントを張りつつポポルへ向かって移動中。
前の街で騎士団の装備を新調して、ついでに個人依頼もいくつかこなしたおかげで懐
はほくほく。
移動鍛冶屋っつー物珍しさは毎回いい販促になる。
旅道具も服も新しくできて嬉しい限り。
「…っぷはー!久々に順調な旅だ!運が向いてきたな!」
月が隠れた森の夜は真の暗闇だが、焚火の周りだけは色を持つ。
パチパチと爆ぜる音をBGMに、酒は進む。
この時点での失敗点。
一つ、俺は酒に弱い
二つ、傍に焚火
三つ、この後の行動
「この後どう行くんだっけか…?」
地図を引っ張り出し、コンパスと合わせ確認する。
焦点が上手く合わないのは何でだろうか。
四つ、自分が酔ってることに気付いていない
「…んぁ?良く見えねぇな…」
拍車をかけるように、焚火の明るさが減少する。
どうやら焚き木が燃え尽きたらしい。
「っと、燃える物燃える物… っと」
その時真っ先に目に入ったのは、手に持っている、地図が描かれた羊皮紙であり。
大事な地図が描かれた(強調)、羊皮紙であり。
「ほれっ。 これでよしっと。 … …おう?」
それを無くしたら確実に迷うので絶対に燃やしてはいけないという事を思い出したの
は、焚火の中で黒ずむ羊皮紙を見届けた後だった。
五つ。“順調な旅”は俺には無理。
■滅びの巨人-2 空腹絶倒
――目を覚ますと、そこは大自然。
木々に降りた朝露が、森の合間から差し込む朝日に照らされ輝く。
耳に聞こえるのは、傍の美しい渓流のせせらぎ。
新緑が萌えいずる香りと新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで、伸びでもしようかと思っ
た刹那、
ぐぅ。
…先に腹の虫が泣き声を上げた。
「…くぁーぁ、っと。悪いな腹の虫。今日も食いモンはねぇぞ。水だけで頑張れ、あ
と草」
し損ねた伸びをすると同時に、腹の虫におあずけ宣告。
ぱんぱんと腹を叩くと、腹の虫がもう一度悲痛な泣き声をあげた。
からっぽの腹を水で無理矢理埋めて、荷物を纏め、歩き始める。
どこまでも続く茶と緑。遠い地平は霧が覆う。
――草と水のみで生きる生活、十日目。
二十日前。地図を燃やした後、少し落ち込んだものの特に焦ったりはしなかった。
幼少をスラムで過ごした経験と、近くの物を瞬間的に加熱できる魔法。
それらが他の追随を許さないほどのサバイバル能力を与えてくれていたので、荒野な
らまだしも森で迷って死ぬ要素は皆無。
まして非常食も含め約十日分のまともな食料も持ってきている。
コンパスは残っているので、大まかな方向の検討を付けて一直線に歩けばいつか何処
かの街に着くだろう、と。
…思っていたのだが。
「…どうなってんだ。…やっぱ生き物の気配すらしねぇ」
大誤算だった。十日ほど歩き、持ってきた食料を食い尽くした頃に気付いたのは、
“付近から生き物の気配が完全に消えた”
という事。鳥も獣も、虫すらも居ない。
森を支配するのは、不気味なほどの静けさ。
「コンパスも狂いっぱなし。かぁーっ、太陽の方向だけじゃ限界があるぜ、ったく」
コンパスもいつの間にか狂い始め、引き返すことも満足にできなくなってしまった。
そして十日間が過ぎ、飯にありつくことも出来ず、方向を定めることも出来ず今に至
る、というわけだ。
「…絶対絶命、ってやつか。…何より嫌な予感がするぜ。ちくしょう、大抵あたんだ
よなぁ、こういう予感って」
コンパスの狂いは地質から行って十分ありえる。
ここらへんには特殊金属、“魔蓄鉱”が豊富にあると聞く。魔具を作るのに良く用い
られる、魔力を備蓄できる鉱物だ。電磁系の魔力を帯びてるのがここらへんに多いの
だろう。
…が。生き物の存在の消滅は納得できない。
森といえば命の象徴といっても過言ではないはずだ。それに生活の跡はある。まるで
“一斉に逃げた”かのような状況。
…沈没する船からは鼠が逃げ、火事が起こる山からは猿が逃げ。
よく聞く大災害前の動物の予知を思い出させる。
俺にはそんな力なんて無い。…筈なんだが。
第六感、とでも言うべきか。感覚器官以外の感覚も、ここは危ない、ここはおかしい
と告げる。
「離れられるなら速攻で離れてるっつの」
ぐぅ。
「おうおう、お前もそう思うか」
腹の虫と会話しながら歩く。
いや、彷徨う。
「…ッ!」
と、不意に木の根に躓き倒れかけた。足を上げる高さと注意力、両方が自然と下がっ
ている。
「…と。…かーっ、足に力入んなくなってきたか…流石にそろそろヤベェな…」
商売道具を詰め込んだ鉄製のリュックが重心を大きく揺らす。
前の街で調子に乗って金属の塊を大量に仕入れたのが不味かったかもしれん。
今や合計120kg近い荷物は、身体強化魔法をかけた体にもじわじわと疲労を与えてく
る。
まして十日間まともな栄養を取ってない体には、エネルギーがもう残っていない。
森ん中は平坦。
だが今の俺に移る道のりは、まさに死の行進“レミングス”。
「…目まで霞むか。体自体も酷使しすぎたな」
再び、躓く。 今度は耐え切れなかった。
派手な音を立てて、うつ伏せに倒れる。荷物たちが、俺を押さえつけるように背中に
食い込む。
…これを退かす気力は、もう残っていなかった。
「…動かねぇ、か。…ちくしょう、あの世行ったら絶対酒なんか飲まねぇ」
瞼が重い。おそらくこの目を閉じればもう俺は“終わる”。
スラムに生きて、鍛冶屋に育てられて。鍛冶屋になって、世界を回って。
まだまだ色んなことしたかったんだがなぁ。運が無いな、俺。
「…今行くぜ、お前等」
浮かぶのは、先に逝ったスラムの仲間達。
あっちで会ったら、何して遊ぼうか。まずは両手一杯の土産話だな。
格好つけた台詞吐いて、目を閉じる。
「…?」
…閉じようとしたんだが、その前に手が“何か”の感触を感じた。
硬い、明らかな無機物質の感触。
うつ伏せに倒れてるせいで詳しくは分からない。
「…くっ、そっ」
じりじりと、手と足を醜くもがかせて、方向を変える。
目に入ったのは、箱のような物体。蓋は…なんとか開けられそうだ。
「…ははっ、やっと運が向いてきたか…?」
瞬間移動用のポータルなんかだったら最高だが、それじゃないにしろ食料が入ってた
ら万々歳だ。
ともすれば力尽きそうな手を、必死に動かして箱を開けて…
「……」
箱の中身が全て奇妙な夜空だったり人だったりの“絵”であることを確認した時点
で。
「…なんじゃ、こりゃ…」
力尽きた。
「… は、 ……うぁは、うぁはははは」
尽きた…が。
「……神さんめ、あれか?期待させて落とすっていう常套手段か?」
そう。呆気を越えて何か腹が立ってきた。
「…そう簡単に、死んでたまるかよ…」
手を前へ。最後の精神集中を、目前の木へ。
「…溺れる者ってのは、藁も、魚も、藻も掴むんだぜ…」
意識を木へ飛ばすと、その木が“一瞬”で炭となった。
――俺の使える数少ない魔法。
付近の意識した対象の内部に直接干渉し、その温度を一瞬で任意の温度へ上昇させる
魔法、“瞬間加熱”。
炭となった木から、大量の煙が上がる。
それは生への狼煙。
誰かが見つけてくれるなんて、万に一つもないかもしれない。
でもゼロよりはましだろ?
少し笑って、今度こそ気を失った。
その時俺は知らなかった。
ここが実はポポルに非常に近い場所で、さらにこの区域の清掃をポポルの学校が今日
しようとしていること。
その時俺は知らなかった。
こんな行き倒れなんて問題にもならないような大問題。
ポポルに、鳥が、獣が、虫さえも逃げる元凶、大厄災が迫ってきていること。
…その時、俺は知らなかった。
まさか俺が、一介の鍛冶師の俺が、そんなもんに真正面から向っていくハメになるな
んて。
――――――――――――――――
NPC:
場所:ポポル北東の森
――――――――――――――――
確か二十日前。
全てはここから始まったんだと思う。うん。
「気ままな一人旅に、乾杯だぁーっ、と!」
ポポル北東の森。
今俺は、テントを張りつつポポルへ向かって移動中。
前の街で騎士団の装備を新調して、ついでに個人依頼もいくつかこなしたおかげで懐
はほくほく。
移動鍛冶屋っつー物珍しさは毎回いい販促になる。
旅道具も服も新しくできて嬉しい限り。
「…っぷはー!久々に順調な旅だ!運が向いてきたな!」
月が隠れた森の夜は真の暗闇だが、焚火の周りだけは色を持つ。
パチパチと爆ぜる音をBGMに、酒は進む。
この時点での失敗点。
一つ、俺は酒に弱い
二つ、傍に焚火
三つ、この後の行動
「この後どう行くんだっけか…?」
地図を引っ張り出し、コンパスと合わせ確認する。
焦点が上手く合わないのは何でだろうか。
四つ、自分が酔ってることに気付いていない
「…んぁ?良く見えねぇな…」
拍車をかけるように、焚火の明るさが減少する。
どうやら焚き木が燃え尽きたらしい。
「っと、燃える物燃える物… っと」
その時真っ先に目に入ったのは、手に持っている、地図が描かれた羊皮紙であり。
大事な地図が描かれた(強調)、羊皮紙であり。
「ほれっ。 これでよしっと。 … …おう?」
それを無くしたら確実に迷うので絶対に燃やしてはいけないという事を思い出したの
は、焚火の中で黒ずむ羊皮紙を見届けた後だった。
五つ。“順調な旅”は俺には無理。
■滅びの巨人-2 空腹絶倒
――目を覚ますと、そこは大自然。
木々に降りた朝露が、森の合間から差し込む朝日に照らされ輝く。
耳に聞こえるのは、傍の美しい渓流のせせらぎ。
新緑が萌えいずる香りと新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで、伸びでもしようかと思っ
た刹那、
ぐぅ。
…先に腹の虫が泣き声を上げた。
「…くぁーぁ、っと。悪いな腹の虫。今日も食いモンはねぇぞ。水だけで頑張れ、あ
と草」
し損ねた伸びをすると同時に、腹の虫におあずけ宣告。
ぱんぱんと腹を叩くと、腹の虫がもう一度悲痛な泣き声をあげた。
からっぽの腹を水で無理矢理埋めて、荷物を纏め、歩き始める。
どこまでも続く茶と緑。遠い地平は霧が覆う。
――草と水のみで生きる生活、十日目。
二十日前。地図を燃やした後、少し落ち込んだものの特に焦ったりはしなかった。
幼少をスラムで過ごした経験と、近くの物を瞬間的に加熱できる魔法。
それらが他の追随を許さないほどのサバイバル能力を与えてくれていたので、荒野な
らまだしも森で迷って死ぬ要素は皆無。
まして非常食も含め約十日分のまともな食料も持ってきている。
コンパスは残っているので、大まかな方向の検討を付けて一直線に歩けばいつか何処
かの街に着くだろう、と。
…思っていたのだが。
「…どうなってんだ。…やっぱ生き物の気配すらしねぇ」
大誤算だった。十日ほど歩き、持ってきた食料を食い尽くした頃に気付いたのは、
“付近から生き物の気配が完全に消えた”
という事。鳥も獣も、虫すらも居ない。
森を支配するのは、不気味なほどの静けさ。
「コンパスも狂いっぱなし。かぁーっ、太陽の方向だけじゃ限界があるぜ、ったく」
コンパスもいつの間にか狂い始め、引き返すことも満足にできなくなってしまった。
そして十日間が過ぎ、飯にありつくことも出来ず、方向を定めることも出来ず今に至
る、というわけだ。
「…絶対絶命、ってやつか。…何より嫌な予感がするぜ。ちくしょう、大抵あたんだ
よなぁ、こういう予感って」
コンパスの狂いは地質から行って十分ありえる。
ここらへんには特殊金属、“魔蓄鉱”が豊富にあると聞く。魔具を作るのに良く用い
られる、魔力を備蓄できる鉱物だ。電磁系の魔力を帯びてるのがここらへんに多いの
だろう。
…が。生き物の存在の消滅は納得できない。
森といえば命の象徴といっても過言ではないはずだ。それに生活の跡はある。まるで
“一斉に逃げた”かのような状況。
…沈没する船からは鼠が逃げ、火事が起こる山からは猿が逃げ。
よく聞く大災害前の動物の予知を思い出させる。
俺にはそんな力なんて無い。…筈なんだが。
第六感、とでも言うべきか。感覚器官以外の感覚も、ここは危ない、ここはおかしい
と告げる。
「離れられるなら速攻で離れてるっつの」
ぐぅ。
「おうおう、お前もそう思うか」
腹の虫と会話しながら歩く。
いや、彷徨う。
「…ッ!」
と、不意に木の根に躓き倒れかけた。足を上げる高さと注意力、両方が自然と下がっ
ている。
「…と。…かーっ、足に力入んなくなってきたか…流石にそろそろヤベェな…」
商売道具を詰め込んだ鉄製のリュックが重心を大きく揺らす。
前の街で調子に乗って金属の塊を大量に仕入れたのが不味かったかもしれん。
今や合計120kg近い荷物は、身体強化魔法をかけた体にもじわじわと疲労を与えてく
る。
まして十日間まともな栄養を取ってない体には、エネルギーがもう残っていない。
森ん中は平坦。
だが今の俺に移る道のりは、まさに死の行進“レミングス”。
「…目まで霞むか。体自体も酷使しすぎたな」
再び、躓く。 今度は耐え切れなかった。
派手な音を立てて、うつ伏せに倒れる。荷物たちが、俺を押さえつけるように背中に
食い込む。
…これを退かす気力は、もう残っていなかった。
「…動かねぇ、か。…ちくしょう、あの世行ったら絶対酒なんか飲まねぇ」
瞼が重い。おそらくこの目を閉じればもう俺は“終わる”。
スラムに生きて、鍛冶屋に育てられて。鍛冶屋になって、世界を回って。
まだまだ色んなことしたかったんだがなぁ。運が無いな、俺。
「…今行くぜ、お前等」
浮かぶのは、先に逝ったスラムの仲間達。
あっちで会ったら、何して遊ぼうか。まずは両手一杯の土産話だな。
格好つけた台詞吐いて、目を閉じる。
「…?」
…閉じようとしたんだが、その前に手が“何か”の感触を感じた。
硬い、明らかな無機物質の感触。
うつ伏せに倒れてるせいで詳しくは分からない。
「…くっ、そっ」
じりじりと、手と足を醜くもがかせて、方向を変える。
目に入ったのは、箱のような物体。蓋は…なんとか開けられそうだ。
「…ははっ、やっと運が向いてきたか…?」
瞬間移動用のポータルなんかだったら最高だが、それじゃないにしろ食料が入ってた
ら万々歳だ。
ともすれば力尽きそうな手を、必死に動かして箱を開けて…
「……」
箱の中身が全て奇妙な夜空だったり人だったりの“絵”であることを確認した時点
で。
「…なんじゃ、こりゃ…」
力尽きた。
「… は、 ……うぁは、うぁはははは」
尽きた…が。
「……神さんめ、あれか?期待させて落とすっていう常套手段か?」
そう。呆気を越えて何か腹が立ってきた。
「…そう簡単に、死んでたまるかよ…」
手を前へ。最後の精神集中を、目前の木へ。
「…溺れる者ってのは、藁も、魚も、藻も掴むんだぜ…」
意識を木へ飛ばすと、その木が“一瞬”で炭となった。
――俺の使える数少ない魔法。
付近の意識した対象の内部に直接干渉し、その温度を一瞬で任意の温度へ上昇させる
魔法、“瞬間加熱”。
炭となった木から、大量の煙が上がる。
それは生への狼煙。
誰かが見つけてくれるなんて、万に一つもないかもしれない。
でもゼロよりはましだろ?
少し笑って、今度こそ気を失った。
その時俺は知らなかった。
ここが実はポポルに非常に近い場所で、さらにこの区域の清掃をポポルの学校が今日
しようとしていること。
その時俺は知らなかった。
こんな行き倒れなんて問題にもならないような大問題。
ポポルに、鳥が、獣が、虫さえも逃げる元凶、大厄災が迫ってきていること。
…その時、俺は知らなかった。
まさか俺が、一介の鍛冶師の俺が、そんなもんに真正面から向っていくハメになるな
んて。
――――――――――――――――
PR
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
エンプティ バルメ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
強い風が暗い森を揺らし、刹那、月の光が彼らの顔を照らした。
愛らしい子供の顔と、大地に落ちる異形なシルエット。
絵本の中に迷い込んだような、可笑しくも恐ろしくも感じるそのアンバランスさ
に、俺は一瞬顔を逸らした。
「確かに・・・ほかの子供たちはそうかもしれません。しかし、その少女は別です。
そ
こに倒れている少年は彼女の兄で、彼女を探しにやって来たのです」
貧しく身寄りの無い子供たちとは違い、チャーミーは富豪ファブリー氏の娘だ。
何不自由ない暮らしをしている幸福な子供を何故バルメが招きよせたのか、この誤
解さえ解けばチャーミーを取り戻せるはずだ。
俺はそう踏んで魔女に説得を始めた。
「彼女を帰してあげてはくれませんか?」
「何故分らないのかしら?子供が大人と同じ尺度を持っているとは限らないわ」
しかし、俺の努力は徒労に終わったようだ。
魔女はまるで異国の言葉を聞いたように小首をかしげた。
「彼女はとっても可愛そうな子供なのよ」
「――そうですか」
眉間に手を当てて、俺は深く考え込む仕草をした。
指の合間から睨みつけるように後ろを振り返ると、ジュリアも自称騎士も逃げるよ
うに視線をはずした。
話が通じない。
こうなったら実力行使でチャーミーを奪還するか、魔女とともに怖い怪物を倒すか
の二つに一つしか手段は無い。
竜――。
先ほどのパーティで見たイリュージョンを思い出す。
ヘビのような長い肢体を持ち、優美に空を飛ぶあの生き物と、バルメの話した竜で
は多少毛色が違うようである。
多少は腕に心得があったが、それは人を相手にしたときの事。
竜など、俺の範疇をこえている。
しかし、必ずしも攻略不可能かといえば、そうでもない。
『ドラゴンスレイヤー』を称する人間は存在するし、多少金を払えば雇えないこと
も――
お金で解決しようとする思考をムリヤリ軌道修正する。
「騎士殿、実はその腰の立派な剣が、かつて竜を倒した伝説の名剣って事はないです
よね?」
「・・・無い」
「では、あなた自身が実はかなりの剣の達人でモンスターなど片手でねじ伏せるなん
て事は・・・」
「無い」
「使えない男だ」
思わず自分の本音が口を出たのかと思ったが、その声は女性のものだった。
自称騎士はジュリアの言葉に傷ついた顔をしたが、申し訳程度の小さな声である幻
の一品の名を口にした。
「ですが、一滴口にすれば竜をも酔わすという酒なら・・・」
その名も銘酒『竜殺し』。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
エンプティ バルメ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
強い風が暗い森を揺らし、刹那、月の光が彼らの顔を照らした。
愛らしい子供の顔と、大地に落ちる異形なシルエット。
絵本の中に迷い込んだような、可笑しくも恐ろしくも感じるそのアンバランスさ
に、俺は一瞬顔を逸らした。
「確かに・・・ほかの子供たちはそうかもしれません。しかし、その少女は別です。
そ
こに倒れている少年は彼女の兄で、彼女を探しにやって来たのです」
貧しく身寄りの無い子供たちとは違い、チャーミーは富豪ファブリー氏の娘だ。
何不自由ない暮らしをしている幸福な子供を何故バルメが招きよせたのか、この誤
解さえ解けばチャーミーを取り戻せるはずだ。
俺はそう踏んで魔女に説得を始めた。
「彼女を帰してあげてはくれませんか?」
「何故分らないのかしら?子供が大人と同じ尺度を持っているとは限らないわ」
しかし、俺の努力は徒労に終わったようだ。
魔女はまるで異国の言葉を聞いたように小首をかしげた。
「彼女はとっても可愛そうな子供なのよ」
「――そうですか」
眉間に手を当てて、俺は深く考え込む仕草をした。
指の合間から睨みつけるように後ろを振り返ると、ジュリアも自称騎士も逃げるよ
うに視線をはずした。
話が通じない。
こうなったら実力行使でチャーミーを奪還するか、魔女とともに怖い怪物を倒すか
の二つに一つしか手段は無い。
竜――。
先ほどのパーティで見たイリュージョンを思い出す。
ヘビのような長い肢体を持ち、優美に空を飛ぶあの生き物と、バルメの話した竜で
は多少毛色が違うようである。
多少は腕に心得があったが、それは人を相手にしたときの事。
竜など、俺の範疇をこえている。
しかし、必ずしも攻略不可能かといえば、そうでもない。
『ドラゴンスレイヤー』を称する人間は存在するし、多少金を払えば雇えないこと
も――
お金で解決しようとする思考をムリヤリ軌道修正する。
「騎士殿、実はその腰の立派な剣が、かつて竜を倒した伝説の名剣って事はないです
よね?」
「・・・無い」
「では、あなた自身が実はかなりの剣の達人でモンスターなど片手でねじ伏せるなん
て事は・・・」
「無い」
「使えない男だ」
思わず自分の本音が口を出たのかと思ったが、その声は女性のものだった。
自称騎士はジュリアの言葉に傷ついた顔をしたが、申し訳程度の小さな声である幻
の一品の名を口にした。
「ですが、一滴口にすれば竜をも酔わすという酒なら・・・」
その名も銘酒『竜殺し』。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
キャスト:トノヤ・ファング
NPC:ワッチ・月見・リア・サジー・セバス
場所:ヴァルカン/古い屋敷内
___________________
「リア様、お客さまがいらっしゃいました」
開かれた扉の先は、およそ雑然としていた。
正面に大きめの窓、その前には装飾のない書斎机。
壁には美術書、児童書、辞書、小説など様々なジャンルの本が適当に
並べてあり、中には背表紙が逆さまになっているものさえあった。
致命的なのは正面を遮るように置いてある陳列棚だった。
どう見ても二束三文の価値しかないような一抱えほどもある翡翠の原石や、
一体なにを想定して作られたのかわからない奇妙なオブジェなどが
等間隔で飾ってある。というより、置いてある。
それらは腰の高さまでしかないので視界が遮られることはないが、
明らかに客を迎える応接室としてはふさわしくないだろう。
しかしそれ以前に、迎えに出てくるべきの当主の姿がどこにもない。
「おや?おりませんな…ははぁ、作業中ですな。ただ今呼んで参りますので、
そちらでどうぞ掛けてお待ちください」
特に驚いたふうでもなく執事はそう言うと、自分は扉の脇に控えたまま
ファング達を部屋に通し、扉を閉めた。
「…なんつーか工房って感じしないね」
種類がてんでばらばらなソファーに腰掛け、執事の足音が遠ざかって開口一番、
ファングはそう呟いた。
「かといって屋敷って感じも…しないよな」
書斎机の上にうず高く積み上げられた本と、注文書らしき手紙を
のんびり眺めながら、ワッチも頷く。彼だけ座高が極端に低いのは、
その巨体にソファーが耐えかねているからだ。
「あーあ。昼飯出してくんねぇかな。その前に茶。食後にも茶」
「はいはい!あたしもそれ賛成ですぞー!」
それまでうろうろと部屋の中を物色していた月見が、ファングの呟きに
無駄な元気の良さで同意してくる。
数十分前に二日酔いでダウンしていた事などはもう忘却の彼方へ
押しやったようだ。
「じじいかよ。茶って」
「俺の紅茶好きをなめんなよ」
「知るか」
不敵に笑って親指を立てて、口を挟んできたトノヤに突きつける。
彼はテーブルの上に組んだ足を乗せ、この場にいる誰よりも退屈そうな顔で
その身をソファーに沈めた。
「だりー。早く来いよ」
「お待たせしました」
「どぅわっ!?」
突然の執事の声に驚いたのはトノヤだけではなかった。
座ったまま振り返ると、そこには さきほどの執事が
直立不動で立っている。
「あんたどっから…」
「――お待たせ」
ファングの問いかけに執事が答える間もなく。あまりにも気軽な挨拶と共に、
一人の女が部屋に一つしかない扉を開けて入ってきた。
年齢は20代後半といったところだろうか。肩ほどまで伸びた金髪を
後ろでまとめているせいかだいぶ小顔に見えた。その中心に
やや太いフレームの眼鏡と、うっすらとそばかすの残った鼻がある。
「リアよ。よろしく」
そう名乗った彼女は、この屋敷の主だというのにこの場でいちばん
ふさわしくない雰囲気をまとっていた。
まず格好がいけない。脱いだ消し炭色のツナギの上半分を腰に結び、
上はタンクトップといういでたちで、まるで屋敷にあっていない。
「あ…ども。ファングです」
「月見ですッ!いやーお姉様ったら二の腕が眩しいッ!触りたい!」
「オイラはワッチってんだ。よろしくな」
慌てて名乗ると、それに被せてワッチと月見も自己紹介する。
トノヤはテーブルの上から足をどけて、「トノヤ」と一言いっただけだった。
「ドムじいの紹介だっていうから、トロールでも来るのかと思ってたけど。
違ったみたいね」
リアは手に持った瓶の中身をその場で飲み干し、肩にかけたタオルで
口元を拭うと、ずかずかとワッチの座っているソファーの後ろから
大きく回りこんで書斎机の前で立った。
まるで職員室に呼ばれた生徒を叱る教師のように腕を組み、そっけない
口調で4人の顔を順々に見る。
「意外に早かったわね。もしかしたら今日中には着かないんじゃないかと
思ってたわ」
「ていうかここに来るまでどんだけ苦労したか!」
思わず立ち上がって、両こぶしを握る。力が入ったせいでまた腹の虫が
鳴くが、リアはそれにはとりあわずうなずいた。
「ええ。聞いたもの」
「え?」
「サジー」
呼ばれて――
後ろの扉がいきなり開き、ひとりの老人が歩み出てきた。
「うぉお!?……さっきの根暗なんとか!」
「ネクロマンサー、でしょ」
悲鳴をあげてのけぞるファングの指摘を静かに訂正して、
書斎机のふちに寄りかかるリア。
組んだ腕の一方で真後ろの窓を示してから、いまだ爪を噛むのをやめない
サジーとやらを指さす。
「裏の墓場、見たでしょ?サジーはそこの墓守なのよ」
「墓守…?」
「じゃ、あの変な鳥はなんなんだよ?骨で…できた」
「鳥?――あぁ、彼の使い魔よ」
礼儀の無さに関して言えば彼女を上回るトノヤのことばにも、
眉ひとつ動かさず答えるリア。
「ごめんなさいね。迎えに出せるのが彼しかいなくて…。
でも無事着いてよかったわ」
「こんなん迎えによこすなよ…」
頭を抱えてトノヤが沈黙する。それにはファングも同感だった。
月見とはいうと、さっそく話に飽き始めたのか足をばたつかせて
ソファーを揺らしていた。ワッチは話の内容より、いつ自分が座っている
場所が陥没しないかという事のほうに気を取られているようだった。
「セバスと私はここを動けないもの。それに、ドムじいが言ってた目印になる
剣っていうの、見つけられるのは彼ぐらいしかいないから」
「剣って…こいつのことか?」
リアの言葉に、ワッチが鞘に収まったままのンルディを剣帯から外して見せた。
一番の反応を見せたのはやはりサジーとやらだった。爪を噛むのをやめて、
ひときわ高い声で笑う。と、控えていたセバスが無言で老人を引っ張って
ずるずると引きずっていった。
「それがンルディ?…ふうん、普通ね」
執事と老人が出てゆくのを待たずに、リアが腰を屈めてワッチに顔を近づける。
そっけない台詞にワッチはにやりと笑みを浮かべて、ぐっと腕を伸ばして
得意そうに魔剣を掲げた。
「ところがどっこい、実はこいつは――」
「七色に光るんでしょ?それと、アンデッドを完全に葬り去る力を持っている。
――まぁ、サジーがなんでそんなのに興味を持ったのかわからないけど。
それはそれとして、本題に入りましょうか」
そう言って、さっとこちらを向いてくる。ファングは自分が何をすべきか
瞬時には判断できなかったものの、リアの問いかけるような視線でやっと
思い当たり、慌ててザックから菓子袋の包みと、布切れで包んだ棒状のものを
テーブルの上に置いた。
「これ…なんすけど」
「なによこれ」
「や、だから依頼の品。直してほしいんすけど」
いきなり眉根を寄せて不穏な声で言ってくるリアに、きょとんとして答える。
彼女はこわごわと菓子袋に手を伸ばしながら、それを真っ向から否定した。
「そうじゃなくて!このスナック袋はなんだって聞いてるのよ」
「遺産の欠片っす」
「ちなみにじゃがバタおでん風味ですッ★」
余計なちゃちゃを入れてくる月見にちらりと不審そうに目を向け、
リアは菓子袋を両手で広げた。
中身は最初に入れた時より数を増やした欠片が、スナック菓子の残りと
油と塩にまみれてなお、輝きを失わずにそこにあった。
がっくりとリアがその場に膝をつく。額をテーブルのふちにくっつけて、
わなわなと菓子袋の端を持ったままの両手を震わせている。
「なんでこんなことできるわけ…?」
「なかったんスよー袋が」
いやぁ、と照れるように頭の後ろを掻く。次いで、口々にほかの3人も
フォローを入れるように口を出す。
「慌ててその場で食べたんだよね!」
「オイラ、コンソメパンチのほうがよかったんだけどな」
「いや絶対ジャガバタおでん風味だって。わかっちゃいねぇなオヤジ殿」
「あーもー。これ使えないわよ?こんな不純物だらけのガラス…」
ようやっとそこで顔をあげて、無念そうにリア。立ち上がり、菓子袋は
そこに置いて布の包みを取り上げる。布をすぐ払おうとするが――ふと
手を止めて、じっとりとした目でこちらを見てくる。
「…この布は?」
「いや!それは普通の布っすよ!なんすかその目!」
「おう。間違ってもふんどしじゃないから安心しろや」
「力の限り推薦したら力で阻止されましたッ!なんという無念!」
「……」
明らかに不審さを拭えない顔でため息をついてから、さっと布を取り払う。
顔色はすぐに変わった。現れた透明の棒をあらゆる角度から観察しはじめる。
きら、きらと光の反射の違いによって輝く遺産をたっぷり時間をかけて見て、
ぽつりと一言。
「綺麗ね」
「…な、直せそうっすか?」
リアはおずおずと尋ねてきたファングへと視線を移すと、今までの挙動の
中で一番丁寧な所作で遺産を布に包みなおしながら、頷いた。
「時間はかかるかもしれないけれど、やってみるわ」
「まじっすか!?」
思わず立ち上がる。彼女は傷ついた小鳥を抱くように布の包みだけを
書斎机に静かに置くと、自分は回り込んで革張りの椅子に座る。
引き出しから一枚の紙を出し、ペンが刺さったままのインク壷を
押しやってきた。
「そこに名前書いて。あなたのだけでいいわ。あと依頼内容もね」
「よっしゃー!!」
書斎机に飛びついてインク壷から羽ペンを引き出す。長い間インクに
浸っていたペン先は見れたものではなかったが、加えてリアが
差し出してきたフェルトで拭きとってから、書き始める。
「ところであなた達。さっきから気になってたんだけど、もしかして
お腹減ってる?」
「減ってる!スゲー減ってる!なんか食わせろ!」
「よッ!副将軍ストレート!」
待ってましたとばかりにファングの後ろでトノヤが立ち上がる。
月見も同じく立ち上がり、大仰な手振りでそれを後押しした。
「じゃ、屋敷の裏で薪割りよろしく」
「あ"ぁ"!?」
「生野菜とか生肉が食べたいならいいけど?」
書斎机に肘をついてにっこりと笑うリアの顔に、ぐっと口をつぐむトノヤ。
するとワッチが指を鳴らしながら立ち上がり、なぜか楽しげにがっちりと
トノヤの肩を掴んだ。
「よっしオイラにまかせとけ!行くぞトノヤ!」
「おいコラ!ふざけんな!」
「あ。たまに変な音がしても幽霊の仕業だから気にしなくて大丈夫よー」
「ファイオーですぞ副将軍!これも皆の暖かいごはんの為!非体育会系の
自分はここでファング君の契約書作成を応援してますゆえー!」
人事のように遠くから声を張り上げて手を振る月見を睨み、トノヤは
引きずられながらファングを指差して怒鳴った。
「ファングおめー絶対来いよ!すぐ来いよ!じゃねーとどうなるか
わかってんだろうな!」
「へっへー。いってらっさいトノヤ君ー。俺はしーっかり3時間ぐらいかけて
から行くからよろしく♪」
「ぶっとばす!」
消えて行くトノヤとワッチに月見と同じようにぶんぶんと手を振り、
扉の閉まる音とトノヤの怒鳴り声を聴きながら、ファングは
満面の笑みで契約書にペンを走らせた。
――――――――――――――――
NPC:ワッチ・月見・リア・サジー・セバス
場所:ヴァルカン/古い屋敷内
___________________
「リア様、お客さまがいらっしゃいました」
開かれた扉の先は、およそ雑然としていた。
正面に大きめの窓、その前には装飾のない書斎机。
壁には美術書、児童書、辞書、小説など様々なジャンルの本が適当に
並べてあり、中には背表紙が逆さまになっているものさえあった。
致命的なのは正面を遮るように置いてある陳列棚だった。
どう見ても二束三文の価値しかないような一抱えほどもある翡翠の原石や、
一体なにを想定して作られたのかわからない奇妙なオブジェなどが
等間隔で飾ってある。というより、置いてある。
それらは腰の高さまでしかないので視界が遮られることはないが、
明らかに客を迎える応接室としてはふさわしくないだろう。
しかしそれ以前に、迎えに出てくるべきの当主の姿がどこにもない。
「おや?おりませんな…ははぁ、作業中ですな。ただ今呼んで参りますので、
そちらでどうぞ掛けてお待ちください」
特に驚いたふうでもなく執事はそう言うと、自分は扉の脇に控えたまま
ファング達を部屋に通し、扉を閉めた。
「…なんつーか工房って感じしないね」
種類がてんでばらばらなソファーに腰掛け、執事の足音が遠ざかって開口一番、
ファングはそう呟いた。
「かといって屋敷って感じも…しないよな」
書斎机の上にうず高く積み上げられた本と、注文書らしき手紙を
のんびり眺めながら、ワッチも頷く。彼だけ座高が極端に低いのは、
その巨体にソファーが耐えかねているからだ。
「あーあ。昼飯出してくんねぇかな。その前に茶。食後にも茶」
「はいはい!あたしもそれ賛成ですぞー!」
それまでうろうろと部屋の中を物色していた月見が、ファングの呟きに
無駄な元気の良さで同意してくる。
数十分前に二日酔いでダウンしていた事などはもう忘却の彼方へ
押しやったようだ。
「じじいかよ。茶って」
「俺の紅茶好きをなめんなよ」
「知るか」
不敵に笑って親指を立てて、口を挟んできたトノヤに突きつける。
彼はテーブルの上に組んだ足を乗せ、この場にいる誰よりも退屈そうな顔で
その身をソファーに沈めた。
「だりー。早く来いよ」
「お待たせしました」
「どぅわっ!?」
突然の執事の声に驚いたのはトノヤだけではなかった。
座ったまま振り返ると、そこには さきほどの執事が
直立不動で立っている。
「あんたどっから…」
「――お待たせ」
ファングの問いかけに執事が答える間もなく。あまりにも気軽な挨拶と共に、
一人の女が部屋に一つしかない扉を開けて入ってきた。
年齢は20代後半といったところだろうか。肩ほどまで伸びた金髪を
後ろでまとめているせいかだいぶ小顔に見えた。その中心に
やや太いフレームの眼鏡と、うっすらとそばかすの残った鼻がある。
「リアよ。よろしく」
そう名乗った彼女は、この屋敷の主だというのにこの場でいちばん
ふさわしくない雰囲気をまとっていた。
まず格好がいけない。脱いだ消し炭色のツナギの上半分を腰に結び、
上はタンクトップといういでたちで、まるで屋敷にあっていない。
「あ…ども。ファングです」
「月見ですッ!いやーお姉様ったら二の腕が眩しいッ!触りたい!」
「オイラはワッチってんだ。よろしくな」
慌てて名乗ると、それに被せてワッチと月見も自己紹介する。
トノヤはテーブルの上から足をどけて、「トノヤ」と一言いっただけだった。
「ドムじいの紹介だっていうから、トロールでも来るのかと思ってたけど。
違ったみたいね」
リアは手に持った瓶の中身をその場で飲み干し、肩にかけたタオルで
口元を拭うと、ずかずかとワッチの座っているソファーの後ろから
大きく回りこんで書斎机の前で立った。
まるで職員室に呼ばれた生徒を叱る教師のように腕を組み、そっけない
口調で4人の顔を順々に見る。
「意外に早かったわね。もしかしたら今日中には着かないんじゃないかと
思ってたわ」
「ていうかここに来るまでどんだけ苦労したか!」
思わず立ち上がって、両こぶしを握る。力が入ったせいでまた腹の虫が
鳴くが、リアはそれにはとりあわずうなずいた。
「ええ。聞いたもの」
「え?」
「サジー」
呼ばれて――
後ろの扉がいきなり開き、ひとりの老人が歩み出てきた。
「うぉお!?……さっきの根暗なんとか!」
「ネクロマンサー、でしょ」
悲鳴をあげてのけぞるファングの指摘を静かに訂正して、
書斎机のふちに寄りかかるリア。
組んだ腕の一方で真後ろの窓を示してから、いまだ爪を噛むのをやめない
サジーとやらを指さす。
「裏の墓場、見たでしょ?サジーはそこの墓守なのよ」
「墓守…?」
「じゃ、あの変な鳥はなんなんだよ?骨で…できた」
「鳥?――あぁ、彼の使い魔よ」
礼儀の無さに関して言えば彼女を上回るトノヤのことばにも、
眉ひとつ動かさず答えるリア。
「ごめんなさいね。迎えに出せるのが彼しかいなくて…。
でも無事着いてよかったわ」
「こんなん迎えによこすなよ…」
頭を抱えてトノヤが沈黙する。それにはファングも同感だった。
月見とはいうと、さっそく話に飽き始めたのか足をばたつかせて
ソファーを揺らしていた。ワッチは話の内容より、いつ自分が座っている
場所が陥没しないかという事のほうに気を取られているようだった。
「セバスと私はここを動けないもの。それに、ドムじいが言ってた目印になる
剣っていうの、見つけられるのは彼ぐらいしかいないから」
「剣って…こいつのことか?」
リアの言葉に、ワッチが鞘に収まったままのンルディを剣帯から外して見せた。
一番の反応を見せたのはやはりサジーとやらだった。爪を噛むのをやめて、
ひときわ高い声で笑う。と、控えていたセバスが無言で老人を引っ張って
ずるずると引きずっていった。
「それがンルディ?…ふうん、普通ね」
執事と老人が出てゆくのを待たずに、リアが腰を屈めてワッチに顔を近づける。
そっけない台詞にワッチはにやりと笑みを浮かべて、ぐっと腕を伸ばして
得意そうに魔剣を掲げた。
「ところがどっこい、実はこいつは――」
「七色に光るんでしょ?それと、アンデッドを完全に葬り去る力を持っている。
――まぁ、サジーがなんでそんなのに興味を持ったのかわからないけど。
それはそれとして、本題に入りましょうか」
そう言って、さっとこちらを向いてくる。ファングは自分が何をすべきか
瞬時には判断できなかったものの、リアの問いかけるような視線でやっと
思い当たり、慌ててザックから菓子袋の包みと、布切れで包んだ棒状のものを
テーブルの上に置いた。
「これ…なんすけど」
「なによこれ」
「や、だから依頼の品。直してほしいんすけど」
いきなり眉根を寄せて不穏な声で言ってくるリアに、きょとんとして答える。
彼女はこわごわと菓子袋に手を伸ばしながら、それを真っ向から否定した。
「そうじゃなくて!このスナック袋はなんだって聞いてるのよ」
「遺産の欠片っす」
「ちなみにじゃがバタおでん風味ですッ★」
余計なちゃちゃを入れてくる月見にちらりと不審そうに目を向け、
リアは菓子袋を両手で広げた。
中身は最初に入れた時より数を増やした欠片が、スナック菓子の残りと
油と塩にまみれてなお、輝きを失わずにそこにあった。
がっくりとリアがその場に膝をつく。額をテーブルのふちにくっつけて、
わなわなと菓子袋の端を持ったままの両手を震わせている。
「なんでこんなことできるわけ…?」
「なかったんスよー袋が」
いやぁ、と照れるように頭の後ろを掻く。次いで、口々にほかの3人も
フォローを入れるように口を出す。
「慌ててその場で食べたんだよね!」
「オイラ、コンソメパンチのほうがよかったんだけどな」
「いや絶対ジャガバタおでん風味だって。わかっちゃいねぇなオヤジ殿」
「あーもー。これ使えないわよ?こんな不純物だらけのガラス…」
ようやっとそこで顔をあげて、無念そうにリア。立ち上がり、菓子袋は
そこに置いて布の包みを取り上げる。布をすぐ払おうとするが――ふと
手を止めて、じっとりとした目でこちらを見てくる。
「…この布は?」
「いや!それは普通の布っすよ!なんすかその目!」
「おう。間違ってもふんどしじゃないから安心しろや」
「力の限り推薦したら力で阻止されましたッ!なんという無念!」
「……」
明らかに不審さを拭えない顔でため息をついてから、さっと布を取り払う。
顔色はすぐに変わった。現れた透明の棒をあらゆる角度から観察しはじめる。
きら、きらと光の反射の違いによって輝く遺産をたっぷり時間をかけて見て、
ぽつりと一言。
「綺麗ね」
「…な、直せそうっすか?」
リアはおずおずと尋ねてきたファングへと視線を移すと、今までの挙動の
中で一番丁寧な所作で遺産を布に包みなおしながら、頷いた。
「時間はかかるかもしれないけれど、やってみるわ」
「まじっすか!?」
思わず立ち上がる。彼女は傷ついた小鳥を抱くように布の包みだけを
書斎机に静かに置くと、自分は回り込んで革張りの椅子に座る。
引き出しから一枚の紙を出し、ペンが刺さったままのインク壷を
押しやってきた。
「そこに名前書いて。あなたのだけでいいわ。あと依頼内容もね」
「よっしゃー!!」
書斎机に飛びついてインク壷から羽ペンを引き出す。長い間インクに
浸っていたペン先は見れたものではなかったが、加えてリアが
差し出してきたフェルトで拭きとってから、書き始める。
「ところであなた達。さっきから気になってたんだけど、もしかして
お腹減ってる?」
「減ってる!スゲー減ってる!なんか食わせろ!」
「よッ!副将軍ストレート!」
待ってましたとばかりにファングの後ろでトノヤが立ち上がる。
月見も同じく立ち上がり、大仰な手振りでそれを後押しした。
「じゃ、屋敷の裏で薪割りよろしく」
「あ"ぁ"!?」
「生野菜とか生肉が食べたいならいいけど?」
書斎机に肘をついてにっこりと笑うリアの顔に、ぐっと口をつぐむトノヤ。
するとワッチが指を鳴らしながら立ち上がり、なぜか楽しげにがっちりと
トノヤの肩を掴んだ。
「よっしオイラにまかせとけ!行くぞトノヤ!」
「おいコラ!ふざけんな!」
「あ。たまに変な音がしても幽霊の仕業だから気にしなくて大丈夫よー」
「ファイオーですぞ副将軍!これも皆の暖かいごはんの為!非体育会系の
自分はここでファング君の契約書作成を応援してますゆえー!」
人事のように遠くから声を張り上げて手を振る月見を睨み、トノヤは
引きずられながらファングを指差して怒鳴った。
「ファングおめー絶対来いよ!すぐ来いよ!じゃねーとどうなるか
わかってんだろうな!」
「へっへー。いってらっさいトノヤ君ー。俺はしーっかり3時間ぐらいかけて
から行くからよろしく♪」
「ぶっとばす!」
消えて行くトノヤとワッチに月見と同じようにぶんぶんと手を振り、
扉の閉まる音とトノヤの怒鳴り声を聴きながら、ファングは
満面の笑みで契約書にペンを走らせた。
――――――――――――――――
PC: ベン テッツ 雑
NPC: プレオバンズ教授 セイル ルシーダ
場所:ポポルの森
__________________
前回のつづき
家に鳴り響いたテッツの声に驚いたベンは、急いで集合場所へと
向かった。ところが、時間はとっくに過ぎてしまい、彼はテッツの
特別授業なるものを受けるハメに……
「こりゃあ! さっさと走らんか!」
テッツの叱声があたりにこだました。
__________________
テッツの特別授業は容赦というものを知らなかった。
腕立てやら腹筋やらで体力を消耗した後、彼らはゴミ袋とごみバサミを渡された。そこま
ではよかったのだが、テッツはどこからともなく木刀を引っ張り出してきた。
木刀を装備したテッツに町の中を追い掛け回されながら、森や町の中を追い掛け回された。
しかもゴミを発見すればそれをはさむために減速しなければならず、テッツに追いつかれる
前にもとのスピードまで加速しなければならない。
真夏の暑さもあいまって、普通のランニングの倍以上疲れた。
「はあ、はあ。せんせーい! 走るの……は町の……中じゃありませんでしたっけ」
生徒の一人が悲鳴を上げた。一周は町の中であるはずなのに、森の中などを走ってい
る。あきらかに距離が長い。テッツはすかさず答えた。
「何を言うとるか、今日は森の掃除じゃろうが。町と森の両方を走るに決まっておろう」
「ええー!」
テッツの発言に、遅刻グループが落胆の声をあげた。その声は、見事なタイミングで一致
した。
「つべこべ言わずに走らんかぁ!」
炎天下の中でへばる若人と、恐ろしく元気なご老人との組み合わせは、はたからみるとな
んとも平和な光景であった。当事者の若者達にとっては、地獄の一時であったが。
・
・
・
・
・
結局のところ、生徒達の疲労があまりにひどいかったので、小休止をはさむことになっ
た。
地べたにすわってぐったりしている彼らは、朝食がリバースせんばかりであった。
最年長のテッツばかりが、まだまだ元気そうである。
このジイさん、ほんとうに人間なのか?遅刻グループのだれもがそう思った。
「なんじゃあ、死にそうな面なんぞしよって。午後の部が思いやられるのぉ」
「午後の部」、この言葉を聞いた生徒に戦慄が走った。
「なにをそんなに驚く? とうぜんじゃろうて、わっはっはっはっは!」
遅刻した彼らはもはや、死刑宣告を受けたごとくであった。
豪快な笑い声を立てるテッツの後ろから、長身の老人が近づいてきた。紺色のマントに、銀
の刺繍で何かの紋様が書いてあった。しわが深く刻まれ、頭髪はほとんど白髪になってい
る。
どうやら魔法学院の教授らしい。
「まあまあ、テッツ。彼らも十分反省しているようだし、ここらで一つ勘弁してやらんか?」
「ん? おお、バンズではないか」
現れた老人に、一同の注目が寄せられる。
しかしテッツと違ってこの老人の目つきは、周囲を和ませるような優しい空気があった。
老人は地べたに座って休むベンたちに、自己紹介をした。
「ん、わたしかい? わたしの名はプレオバンズ。ソフィニアの魔法学院かやってきた者だ。
テッツ教授とは昔ながらの友人でね、ポポルの遺跡の研究の手伝いをしてもらっていたの
だよ」
「なあに、わしが勝手に休みを利用してついてきただけじゃ。気にせんでええ」
プレオバンズと名乗ったこの老人は、テッツの友人でもあり、仕事仲間らしい。
会話の雰囲気から、仲のいい間柄であることが見て取れた。
「ぬしの言うことじゃ。今日はこれぐらいにしとこうかの」
「本当ですか!?」
遅刻した生徒たちに歓声があがった。
「はっはっは。まだまだ元気でよかったよ。さてテッツ、わたしらの昼食の用意ができてお
る。そろそろいくか?」
「そうか、ちょうど腹の虫がなってたころでな。カッカッカ! ガキども、ご苦労だったの。あと
は好きにしてよいぞ」
と言い残してテッツとプレオバンズは、にぎわうテントへ向かっていった。プレオバンズは
帰り際に、遅刻した生徒に人柄のよさそうなスマイルをして、テッツの後を追っていった。
「助かったあ」
ベンと一緒に追い掛け回された仲間が声をあげた。
「ほんとほんと。あの先生のおかげだね」
ベンが答えた。こういう状況になると、普段あまり会話をしない間柄でも、自然と会話が弾ん
だ。
わきあいあいと話しているところへ、ベンと反対側に座っていた少年が割って入ってきた。
「へん、なんだこれぐらい。おいベン。まさかもうへばったのか?」
その口調は、ベンを快く思っていない様子であった。
「ああ、セイル。すごいね、君は平気だったの?」
「決まってんだろ。こんくらい楽勝だぜ……ゲホぅ、ゲホッ!」
「だ、大丈夫?」
話しかけてきた少年はセイルという名前らしい。チェックの服に厚手の皮の上着を着て、髪
を額で左右に分け、やや長い茶髪を後ろで結わえている。背丈はベンよりやや高いようだ。
強がってベンを挑発するつもりが、かえって心配されてしまっている。
「大丈夫に決まって……グホゥ! ゲホッ、ゲホッ! うええ……」
セイルは必死に息を整えようとするが、一向に整わない。
実は彼は、ランニングのときに始めのうちは先頭を走っていた。
ところがそれは、彼の見栄であったため、途中から最後尾列にまで回っていた。かなり無理
をして走っていたらしく、途中から彼は鼻水やらよだれやらを吹き散らし始めた。
そのときのセイルの表情たるやすさまじく、道行く人は吹き出してしまうほどであった。
「ゲホッ! ゲホッ!」
「ねぇ、セイル。水をもってこようか?」
「余計なお世話だ!」
心配したベンがセイルに声をかけたそのとき、かん高い声が聞こえてきた。
「おーい、ベン。ここにいたのー?」
遠くからベンたちと同い年くらいの女の子が駆け寄ってきた。
彼女の髪は混じりけのない金色で、長髪をポニーテールにしてまとめている。清楚な雰囲
気が漂よう彼女は、この地区に住む男軍団どもの憧れのマトであった。
「ルシーダ。おーい、こっちこっち」
「何、ルシーダだって!? ちょっとまってくれ……ゲホ! ゲホ!」
ルシーダを確認した瞬間、セイルは死ぬ気で表情を整えた。
彼女が到着するまでの間、何度か咳き込んだが、顔を真っ赤にしてガマンした。
「なあんだ、セイルも一緒だったの?」
「悪いかよ。ゲホッ、ゲホッ!」
セイルは決まり悪そうな様子で言った。
「あらあら、大分まいちゃったみたいね。もうちょっと体力つけたほうがいいんじゃないの。あ
なたもベンを見習ったら?」
よく見てみると、ベンはいつの間にか呼吸も整っていて、咳一つしていない。すっかり回復し
たらしかった。いや、もしかすると、最初から一度も息なんて乱れていなかったかもしれな
い。
「いわれなくったって俺はいつも鍛えてるよ! おい、ベン! あとで覚えてろよ」
セイルはそう言って、憤然と立ち上がった。そのまま森の奥へと続く道を、一人で歩いてい
った。
「あ、ちょっとセイル! どこへいくのさ?」
「特訓だよ特訓」
セイルが振り向くと、いつの間にかルシーダがベンと距離を詰めているのが見えた。
「お昼はどうするのさ?」
「うるさい! そんなもんいるかあ! ……ゲホッ、ゲホッ、グホゥ」
無理して大きな声を出してしまい、セイルは一際盛大に咳き込んだ。大丈夫かなあ、と、ベ
ンは心配する気持ちをもらした。
「ほっとけばいいのよ、あんなヤツ。どうせあとで戻ってくるんだから」
「う、うん。そうだけど……」
ベンがなんとも言いようのないもやもやした気分でいると、ルシーダが声をあげた。
「ねえ、ベン。あれってなにかしら」
「え?」
ルシーダはセイルが森の中へ入っていった方向と、90度東の方角を指差した。見ると、
白い煙がもくもくと立ち上っているのが確認できた。
「ちょっと気にならない?」
「そうだね、僕ちょっと行ってくるよ」
言うが早いか、ベンは煙が立ちのぼる方向へ駆け出し、あっという間に見えなくなってしま
った。
「あ、ちょっと。ベン! ……もう、まだあんなに元気だったのね。疲れたフリでもしてたのか
しら?」
・
・
・
・
・
時刻はちょうど正午を回ったころ。
ベンは木の間をくぐり、草を踏み分けて走っていた。そろそろ煙が出ている場所へ到着して
もいいころだ。
それにしても、森の様子がおかしい。前におとずれたときは、まるで自分を包み込んでくれ
るような暖かい空気が感じられたのに、今日はそれが全くない。
むしろ、自分を突き刺すような感覚さえ覚えた。
「なんだろ、あれ」
そうこうしているうちに、煙の根元に到着した。煙は墨のように真っ黒コゲになった木が発
生源であった。木には葉の一枚も残らず焼き尽くされ、見事に焼き尽くされたような具合だ。
どうしてこんな木がここに? この木も不自然なものだったが、その根元にあるものは、さ
らに奇怪だった。
見ると大きなバッグが転がっている。しかもなんと手と足が生えているではないか。
「え、うそぉ!?」
あまりの事態に困惑するベン。手と足が生えているバッグの異様な存在感に、彼はたじろ
いだ。しかしそんなことがありえるのだろうか?
「いや、違う。だれか倒れているんだ!」
冷静になって考えれば、当たり前のことだった。こうしている場合ではない、一刻も早く助
けてあげなくては。ベンは倒れている人物のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
声をかけてみても返事がない。とりあえずこの大きなバッグをどかさなければ。ベンはとっ
さにバッグをはずすことを試みたが、そのあまりの重量に全く動かすことができなかった。
足腰に力を入れて、全力で動かそうとするも、ピクリともしない。このバッグの中には、何
が入っているのだろう? とてつもない重量であった。
「だ、だめだ。僕一人の力じゃ動かせないや。はやくみんなのところへ……おや、あれは?」
助けを求めに戻ろうとした彼の目に、あるものが飛び込んできた。
コゲコゲになった木の根元に、見覚えのある箱があったのだ。その箱は開けられていて、
中身が確認できた。
中には、何枚かの下手な絵や、どんぐりやら泥ダンゴといったものが詰め込まれている。
「あれって、たしか僕たちのタイムカプセル。そっか、ここにあったんだ」
4歳前後のときだろうか、初等部の卒業式のときグループに分かれて作ったタイムカプセ
ルであった。セイルとルシーダと一緒に詰め込んだまま、どこに置いたか忘れてしまってい
たのだ。
そういえば、自分が何を入れたのか全く記憶にない。ほんのちょっとだけ、のぞいてみるこ
とにした。
「この絵、僕の絵だよね?」
みると、小さいころの自分ながらなんとも稚拙な絵が数枚入っている。このころから星空
の絵を書いていたのかと、変に感心してしまった。
部屋を掃除していて懐かしい写真を見つけたときのように、ベンはそれらの絵を少しだけ
見てみることにした。
「あはは、だめだなぁ。こんな下手っぴじゃ。どこの方角を書いているんだろう」
そこには、彼がまるで見たこともないような天体が描かれていた。
渦を巻く巨大な雲の固まりが衝突しあう様子や、不規則にちりばめられた輝く星々の集
団、それらのなかにポツポツと存在する、真っ黒い空白のようなもの。一点に向けて吸い込
まれるように歪んだ空間。
「おかしいな、僕ってこんな絵をかいたっけ?」
どの絵にも、描いた記憶がなかった。よく見てみると、見慣れない空が書かれているだけ
で、ちゃんと書き込まれている。それどころか、かなりの力作だ。
これだけのものを書けば、覚えていてもいいはずなのに、なぜ?
不思議におもいつつ、次の作品に目をやった。その光景が、彼に衝撃を与えた。
「あ!? この子は!?」
それは、見知らぬ少年と幼いころの自分と思しき子供が手をつないで、星空をとんでいる
絵であった。
少年には透き通った羽が生えていて、あわい輝きを放つ衣を纏っている。耳には、どこかで
見たような青いピアスをつけている。二人はにっこりと笑って、とても仲がいいのが見て取れ
た。
遠くには少年と同じような格好をした人物たちが、まるで見守ってくれるかのように立ち並
んでいた。
ベンは紛れもなく彼を知っていた。いつも夢の中に出てくる、彼だと、ベンは確信が持て
た。
「まさか、こんなことって……」
絵を見た瞬間、ベンはなんともいえない感覚に見舞われた。それはまるで古い友達に会
えたような嬉しさと懐かしさ、そして大きな役目を任されたときの重圧。それらがまとめてや
ってきたような、そういったものだった。
ベンはひとまずこの絵を持ち帰ることにした。うちに帰ったら、部屋でゆっくり考えよう。い
まは、まだ思い出しちゃいけない。なぜかそんな気がしてならなかった。
「ごめんなさい、旅人さん。すぐに助けをよんできます」
ベンは絵を小さく折りたたんでポケットにしまうと、掃除場所まで助けを呼びに走り出した。
・
・
・
・
・
「ふぅ、これくらいでいいだろう。なぁに、ただの栄養失調と過労さ。しばらく休ませておけば
すぐによくなる」
「そうでしたか。よかった」
「ベン、お手柄だったわね」
どうやら彼は命に別城内らしい。心配そうに見守っていたベンの顔がほころんだ。喜ぶベ
ンの顔を見たルシーダも、にこやかな表情を浮かべた。
黒コゲになった木のもとには、プレオバンズ・テッツの両教授を始め、ベンたちが通う学校
の先生たちが集まっている。そこには、ルシーダの姿もあった。
倒れていた人物の荷物はかなりの重さで、大人が十人がかりでやっとどかすことができ
た。
出てきた人物はかなり若く、二十代前半の青年であった。
魔法学院の教授二人の手によって治療が施され、いまでは顔色がよくなっている。若者の
治療が一段楽したところで、教授二人は所感を述べた。
「こやつ、そうとう無理しちょるの。しばらく水しか飲んでおらんと見た。あとは、消化できない
草くらいか」
「わたしも同感だ。テッツが治療薬をもっててくれて助かったよ。私は回復魔法はどうにも苦
手だったからね。お嬢さん、君の回復魔法にも感謝しなくてはならないね」
側で様子を見守っていたルシーダは、ほめられて頬を赤らめた。
「いえ、私なんてまだまだですよ。そちらの先生のお薬がなかったら、こんな具合にはいき
ませんでした」
「はっはっは! かしこまらんでよい。ワシの薬はまだまだ実験段階での、まだまだ効果の
ほどは未確認なんじゃ。むしろこやつの血色がよくなったのはお嬢ちゃんの回復魔法のお
かげじゃろうて」
「おやおや、テッツ。あの薬は大丈夫なのかい?」
「まあの、安全性だけは万端じゃ。それにしても、やはりお嬢ちゃんは大した才能の持ち主じ
ゃのう。魔法学院に進学するつもりはあるかいの?」
「はい、できれば……」
「そうかそうか、お譲ちゃんならきっと審査にパスできるはずじゃ。しっかりがんばるんじゃ
ぞ」
ベンが助けを呼びに言った際、プレオバンズとテッツが治療を引き受けた。その時に近くに
いた学校の職員とルシーダが呼び出されたのだ。教授二人は、ルシーダを一目見たときか
ら、彼女の素質を見抜いていたのだった。
「さて、学校の先生方、どうもご苦労様でした。彼はもうしばらくで目が覚めるでしょう。あと
は私達に任せてください」
バンズ教授が協力してくれた先生たちの労をねぎらうと、みな通常の担当場所へと戻って
いった。
「さて、ごくろうさんじゃったの。お譲ちゃんと坊主ももどってよいぞい」
「はい、どうもありがとうございました。行こう、ベン」
「うん。じゃあ、僕たちも失礼します。」
ベンがその場を立ち去ろうとしたとき、彼はあることを思い出した。この森の異様な空気の
ことだった。ちょうど魔法学院の先生が二人もいたので、尋ねてみることにした。
「あの……すいません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
「む? なんじゃ、言ってみい」
ベンはここの周辺一帯がなんともいえない嫌な気配がすることを打ち明けた。すると、教
授たち二人からも同じような意見を聞くことができた。
「確かに、わたしもここはどうも好かなくてね」
「わしは鈍いからよう分からん。別に嫌な感じなどせん。しかし、ここには虫やら鳥やらの畜
類どもが、一匹もおらんのう。虫の声がせんのは寂しい限りじゃ」
「ベン、あなたも変な感じがしていたのね……」
しばらく沈黙が続いた。場の空気がどんどん深刻さを増していくのを感じ、ベンは少し自ら
の発言を後悔した。そのとき、どこからかうめき声が聞こえた。
「ん……ううぅ! ん、まだ生きてるじゃねぇか、俺。あんた達、だれだい?」
「おや、気がついたようだね」
「ひょっとして、あんたたちが助けてくれたのか?」
沈黙を破ったのは青年だった。彼は自身を雑、と名乗り旅の鍛冶屋をしているとのことだ
った。
彼は道に迷っていたらしかったので、ここがどこなのかと聞いてきた。
「ここはポポルの森の中。古代の遺跡が特に多く遺されている地域だよ。近くに学校がある
から、私よりもそこにいる彼らにお礼を言っておくれ。ベン君と、ルシーダさんだ」
「おう、どうもありがとうな! たすかったぜ。この恩は必ず返すからな」
「いやぁ、いいですよお気になさらなくて……」
重苦しかった空気が明るさを取り戻したなか、ベンの顔が曇った。
「(セイル!?)」
ベンの脳裏に、セイルが巨大な影に襲われている光景が浮かんだ。彼は手にした棒で必
死に抵抗するが、かなり押されている。疲労している様子も、容易に見て取れた。
はやく助けに行かなければ、命が危ない。場所は、ここから南へ向けて進んだところだ。ベ
ンはなぜか、セイルの位置が手に取るように分かった。
「すいません、僕ちょっと急用ができたのでちょっといってきます!」
「あ、ちょっとベン。もう、そっちは掃除場所じゃないでしょ。どこいくのよ、もう」
青年は、ベンが走り出す直前に見せた表情の変化を見逃さなかった。あの目つきは、何
か危険が迫っている目に違いないと、彼は見抜いた。
「どっこいせ、と。わりぃけど、俺も用事ができたもんでな。すまねぇけど礼はあとですっか
ら、待っててくれや」
青年も急に立ち上がると、ベンを追いかけていった。まだふらふらする足に鞭を打って、彼
は懸命にベンの後を追った。
「(くそ! まだまともに走れねぇか。しょうがねぇ、このまま行くか)」
「ちょっと君、まだ無理をしてはならんぞ」
バンズ教授が心配して声を掛けた。
「ああ、大丈夫だ。どうも世話になったな。またあとで会おうぜ」
「ちょっと、大丈夫ですか? 私も一緒に行きます」
後に残ったのは、バンズ、テッツの両教授だけとなった。
「テッツ……どうする? あの子達に任せてもいいのだろうか? やはり私達が行くべき
か?」
バンズ教授は訳知り顔でテッツに相談した。
「放っとけ、若いころの苦労は買ってでもするべきじゃ。なあに、たいした相手ではない。万
が一のときには、そのときにわしらが行けばいいんじゃ」
「しかし……」
「案ずるな、並みのモンスターごとき、丁度いい経験になるじゃろ。あのメンツなら心配ない」
そういってテッツは、懐から古びた紙を取り出した。茶色く変色した紙面には、走っている
ベンと、必死に歩く青年とルシーダの様子が映し出されていた。そして、ぼんやりと熊のよう
なモンスターが浮かび上がっている。
「いや、たしかにそうなのだが、助けを待つ子が心配だったものでな。この子は、確かテッツ
が受け持っていた子じゃないかね?」
「ん? すまんが主のシートを見せてくれんか。わしには遠くのものはよく映しだせんでの。
どれどれ……」
そこに移っていたのは、セイルの姿だった。彼は今にも死にそうな顔で、無我夢中で抵抗
を続けている。
見ると手にしていた棒はすでに叩き折られていて、独学で覚えた粗末な火の魔法で相手を
驚かせている。
「なんと、こやつか! かぁー、ちょいと心配になってきたのぅ。なんじゃこのお粗末な火炎
は!? まともに飛ばすこともできんのか」
「どうする? やはり私達が?」
テッツは一考ののち、バンズに答えた
「いや、けっこう。あやつの根性を叩きなおすいい機会じゃ、死にゃせんだろう」
「了解した」
二人の教授は、その場に腰をおろして帰りを待つことにした。
________________________
NPC: プレオバンズ教授 セイル ルシーダ
場所:ポポルの森
__________________
前回のつづき
家に鳴り響いたテッツの声に驚いたベンは、急いで集合場所へと
向かった。ところが、時間はとっくに過ぎてしまい、彼はテッツの
特別授業なるものを受けるハメに……
「こりゃあ! さっさと走らんか!」
テッツの叱声があたりにこだました。
__________________
テッツの特別授業は容赦というものを知らなかった。
腕立てやら腹筋やらで体力を消耗した後、彼らはゴミ袋とごみバサミを渡された。そこま
ではよかったのだが、テッツはどこからともなく木刀を引っ張り出してきた。
木刀を装備したテッツに町の中を追い掛け回されながら、森や町の中を追い掛け回された。
しかもゴミを発見すればそれをはさむために減速しなければならず、テッツに追いつかれる
前にもとのスピードまで加速しなければならない。
真夏の暑さもあいまって、普通のランニングの倍以上疲れた。
「はあ、はあ。せんせーい! 走るの……は町の……中じゃありませんでしたっけ」
生徒の一人が悲鳴を上げた。一周は町の中であるはずなのに、森の中などを走ってい
る。あきらかに距離が長い。テッツはすかさず答えた。
「何を言うとるか、今日は森の掃除じゃろうが。町と森の両方を走るに決まっておろう」
「ええー!」
テッツの発言に、遅刻グループが落胆の声をあげた。その声は、見事なタイミングで一致
した。
「つべこべ言わずに走らんかぁ!」
炎天下の中でへばる若人と、恐ろしく元気なご老人との組み合わせは、はたからみるとな
んとも平和な光景であった。当事者の若者達にとっては、地獄の一時であったが。
・
・
・
・
・
結局のところ、生徒達の疲労があまりにひどいかったので、小休止をはさむことになっ
た。
地べたにすわってぐったりしている彼らは、朝食がリバースせんばかりであった。
最年長のテッツばかりが、まだまだ元気そうである。
このジイさん、ほんとうに人間なのか?遅刻グループのだれもがそう思った。
「なんじゃあ、死にそうな面なんぞしよって。午後の部が思いやられるのぉ」
「午後の部」、この言葉を聞いた生徒に戦慄が走った。
「なにをそんなに驚く? とうぜんじゃろうて、わっはっはっはっは!」
遅刻した彼らはもはや、死刑宣告を受けたごとくであった。
豪快な笑い声を立てるテッツの後ろから、長身の老人が近づいてきた。紺色のマントに、銀
の刺繍で何かの紋様が書いてあった。しわが深く刻まれ、頭髪はほとんど白髪になってい
る。
どうやら魔法学院の教授らしい。
「まあまあ、テッツ。彼らも十分反省しているようだし、ここらで一つ勘弁してやらんか?」
「ん? おお、バンズではないか」
現れた老人に、一同の注目が寄せられる。
しかしテッツと違ってこの老人の目つきは、周囲を和ませるような優しい空気があった。
老人は地べたに座って休むベンたちに、自己紹介をした。
「ん、わたしかい? わたしの名はプレオバンズ。ソフィニアの魔法学院かやってきた者だ。
テッツ教授とは昔ながらの友人でね、ポポルの遺跡の研究の手伝いをしてもらっていたの
だよ」
「なあに、わしが勝手に休みを利用してついてきただけじゃ。気にせんでええ」
プレオバンズと名乗ったこの老人は、テッツの友人でもあり、仕事仲間らしい。
会話の雰囲気から、仲のいい間柄であることが見て取れた。
「ぬしの言うことじゃ。今日はこれぐらいにしとこうかの」
「本当ですか!?」
遅刻した生徒たちに歓声があがった。
「はっはっは。まだまだ元気でよかったよ。さてテッツ、わたしらの昼食の用意ができてお
る。そろそろいくか?」
「そうか、ちょうど腹の虫がなってたころでな。カッカッカ! ガキども、ご苦労だったの。あと
は好きにしてよいぞ」
と言い残してテッツとプレオバンズは、にぎわうテントへ向かっていった。プレオバンズは
帰り際に、遅刻した生徒に人柄のよさそうなスマイルをして、テッツの後を追っていった。
「助かったあ」
ベンと一緒に追い掛け回された仲間が声をあげた。
「ほんとほんと。あの先生のおかげだね」
ベンが答えた。こういう状況になると、普段あまり会話をしない間柄でも、自然と会話が弾ん
だ。
わきあいあいと話しているところへ、ベンと反対側に座っていた少年が割って入ってきた。
「へん、なんだこれぐらい。おいベン。まさかもうへばったのか?」
その口調は、ベンを快く思っていない様子であった。
「ああ、セイル。すごいね、君は平気だったの?」
「決まってんだろ。こんくらい楽勝だぜ……ゲホぅ、ゲホッ!」
「だ、大丈夫?」
話しかけてきた少年はセイルという名前らしい。チェックの服に厚手の皮の上着を着て、髪
を額で左右に分け、やや長い茶髪を後ろで結わえている。背丈はベンよりやや高いようだ。
強がってベンを挑発するつもりが、かえって心配されてしまっている。
「大丈夫に決まって……グホゥ! ゲホッ、ゲホッ! うええ……」
セイルは必死に息を整えようとするが、一向に整わない。
実は彼は、ランニングのときに始めのうちは先頭を走っていた。
ところがそれは、彼の見栄であったため、途中から最後尾列にまで回っていた。かなり無理
をして走っていたらしく、途中から彼は鼻水やらよだれやらを吹き散らし始めた。
そのときのセイルの表情たるやすさまじく、道行く人は吹き出してしまうほどであった。
「ゲホッ! ゲホッ!」
「ねぇ、セイル。水をもってこようか?」
「余計なお世話だ!」
心配したベンがセイルに声をかけたそのとき、かん高い声が聞こえてきた。
「おーい、ベン。ここにいたのー?」
遠くからベンたちと同い年くらいの女の子が駆け寄ってきた。
彼女の髪は混じりけのない金色で、長髪をポニーテールにしてまとめている。清楚な雰囲
気が漂よう彼女は、この地区に住む男軍団どもの憧れのマトであった。
「ルシーダ。おーい、こっちこっち」
「何、ルシーダだって!? ちょっとまってくれ……ゲホ! ゲホ!」
ルシーダを確認した瞬間、セイルは死ぬ気で表情を整えた。
彼女が到着するまでの間、何度か咳き込んだが、顔を真っ赤にしてガマンした。
「なあんだ、セイルも一緒だったの?」
「悪いかよ。ゲホッ、ゲホッ!」
セイルは決まり悪そうな様子で言った。
「あらあら、大分まいちゃったみたいね。もうちょっと体力つけたほうがいいんじゃないの。あ
なたもベンを見習ったら?」
よく見てみると、ベンはいつの間にか呼吸も整っていて、咳一つしていない。すっかり回復し
たらしかった。いや、もしかすると、最初から一度も息なんて乱れていなかったかもしれな
い。
「いわれなくったって俺はいつも鍛えてるよ! おい、ベン! あとで覚えてろよ」
セイルはそう言って、憤然と立ち上がった。そのまま森の奥へと続く道を、一人で歩いてい
った。
「あ、ちょっとセイル! どこへいくのさ?」
「特訓だよ特訓」
セイルが振り向くと、いつの間にかルシーダがベンと距離を詰めているのが見えた。
「お昼はどうするのさ?」
「うるさい! そんなもんいるかあ! ……ゲホッ、ゲホッ、グホゥ」
無理して大きな声を出してしまい、セイルは一際盛大に咳き込んだ。大丈夫かなあ、と、ベ
ンは心配する気持ちをもらした。
「ほっとけばいいのよ、あんなヤツ。どうせあとで戻ってくるんだから」
「う、うん。そうだけど……」
ベンがなんとも言いようのないもやもやした気分でいると、ルシーダが声をあげた。
「ねえ、ベン。あれってなにかしら」
「え?」
ルシーダはセイルが森の中へ入っていった方向と、90度東の方角を指差した。見ると、
白い煙がもくもくと立ち上っているのが確認できた。
「ちょっと気にならない?」
「そうだね、僕ちょっと行ってくるよ」
言うが早いか、ベンは煙が立ちのぼる方向へ駆け出し、あっという間に見えなくなってしま
った。
「あ、ちょっと。ベン! ……もう、まだあんなに元気だったのね。疲れたフリでもしてたのか
しら?」
・
・
・
・
・
時刻はちょうど正午を回ったころ。
ベンは木の間をくぐり、草を踏み分けて走っていた。そろそろ煙が出ている場所へ到着して
もいいころだ。
それにしても、森の様子がおかしい。前におとずれたときは、まるで自分を包み込んでくれ
るような暖かい空気が感じられたのに、今日はそれが全くない。
むしろ、自分を突き刺すような感覚さえ覚えた。
「なんだろ、あれ」
そうこうしているうちに、煙の根元に到着した。煙は墨のように真っ黒コゲになった木が発
生源であった。木には葉の一枚も残らず焼き尽くされ、見事に焼き尽くされたような具合だ。
どうしてこんな木がここに? この木も不自然なものだったが、その根元にあるものは、さ
らに奇怪だった。
見ると大きなバッグが転がっている。しかもなんと手と足が生えているではないか。
「え、うそぉ!?」
あまりの事態に困惑するベン。手と足が生えているバッグの異様な存在感に、彼はたじろ
いだ。しかしそんなことがありえるのだろうか?
「いや、違う。だれか倒れているんだ!」
冷静になって考えれば、当たり前のことだった。こうしている場合ではない、一刻も早く助
けてあげなくては。ベンは倒れている人物のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
声をかけてみても返事がない。とりあえずこの大きなバッグをどかさなければ。ベンはとっ
さにバッグをはずすことを試みたが、そのあまりの重量に全く動かすことができなかった。
足腰に力を入れて、全力で動かそうとするも、ピクリともしない。このバッグの中には、何
が入っているのだろう? とてつもない重量であった。
「だ、だめだ。僕一人の力じゃ動かせないや。はやくみんなのところへ……おや、あれは?」
助けを求めに戻ろうとした彼の目に、あるものが飛び込んできた。
コゲコゲになった木の根元に、見覚えのある箱があったのだ。その箱は開けられていて、
中身が確認できた。
中には、何枚かの下手な絵や、どんぐりやら泥ダンゴといったものが詰め込まれている。
「あれって、たしか僕たちのタイムカプセル。そっか、ここにあったんだ」
4歳前後のときだろうか、初等部の卒業式のときグループに分かれて作ったタイムカプセ
ルであった。セイルとルシーダと一緒に詰め込んだまま、どこに置いたか忘れてしまってい
たのだ。
そういえば、自分が何を入れたのか全く記憶にない。ほんのちょっとだけ、のぞいてみるこ
とにした。
「この絵、僕の絵だよね?」
みると、小さいころの自分ながらなんとも稚拙な絵が数枚入っている。このころから星空
の絵を書いていたのかと、変に感心してしまった。
部屋を掃除していて懐かしい写真を見つけたときのように、ベンはそれらの絵を少しだけ
見てみることにした。
「あはは、だめだなぁ。こんな下手っぴじゃ。どこの方角を書いているんだろう」
そこには、彼がまるで見たこともないような天体が描かれていた。
渦を巻く巨大な雲の固まりが衝突しあう様子や、不規則にちりばめられた輝く星々の集
団、それらのなかにポツポツと存在する、真っ黒い空白のようなもの。一点に向けて吸い込
まれるように歪んだ空間。
「おかしいな、僕ってこんな絵をかいたっけ?」
どの絵にも、描いた記憶がなかった。よく見てみると、見慣れない空が書かれているだけ
で、ちゃんと書き込まれている。それどころか、かなりの力作だ。
これだけのものを書けば、覚えていてもいいはずなのに、なぜ?
不思議におもいつつ、次の作品に目をやった。その光景が、彼に衝撃を与えた。
「あ!? この子は!?」
それは、見知らぬ少年と幼いころの自分と思しき子供が手をつないで、星空をとんでいる
絵であった。
少年には透き通った羽が生えていて、あわい輝きを放つ衣を纏っている。耳には、どこかで
見たような青いピアスをつけている。二人はにっこりと笑って、とても仲がいいのが見て取れ
た。
遠くには少年と同じような格好をした人物たちが、まるで見守ってくれるかのように立ち並
んでいた。
ベンは紛れもなく彼を知っていた。いつも夢の中に出てくる、彼だと、ベンは確信が持て
た。
「まさか、こんなことって……」
絵を見た瞬間、ベンはなんともいえない感覚に見舞われた。それはまるで古い友達に会
えたような嬉しさと懐かしさ、そして大きな役目を任されたときの重圧。それらがまとめてや
ってきたような、そういったものだった。
ベンはひとまずこの絵を持ち帰ることにした。うちに帰ったら、部屋でゆっくり考えよう。い
まは、まだ思い出しちゃいけない。なぜかそんな気がしてならなかった。
「ごめんなさい、旅人さん。すぐに助けをよんできます」
ベンは絵を小さく折りたたんでポケットにしまうと、掃除場所まで助けを呼びに走り出した。
・
・
・
・
・
「ふぅ、これくらいでいいだろう。なぁに、ただの栄養失調と過労さ。しばらく休ませておけば
すぐによくなる」
「そうでしたか。よかった」
「ベン、お手柄だったわね」
どうやら彼は命に別城内らしい。心配そうに見守っていたベンの顔がほころんだ。喜ぶベ
ンの顔を見たルシーダも、にこやかな表情を浮かべた。
黒コゲになった木のもとには、プレオバンズ・テッツの両教授を始め、ベンたちが通う学校
の先生たちが集まっている。そこには、ルシーダの姿もあった。
倒れていた人物の荷物はかなりの重さで、大人が十人がかりでやっとどかすことができ
た。
出てきた人物はかなり若く、二十代前半の青年であった。
魔法学院の教授二人の手によって治療が施され、いまでは顔色がよくなっている。若者の
治療が一段楽したところで、教授二人は所感を述べた。
「こやつ、そうとう無理しちょるの。しばらく水しか飲んでおらんと見た。あとは、消化できない
草くらいか」
「わたしも同感だ。テッツが治療薬をもっててくれて助かったよ。私は回復魔法はどうにも苦
手だったからね。お嬢さん、君の回復魔法にも感謝しなくてはならないね」
側で様子を見守っていたルシーダは、ほめられて頬を赤らめた。
「いえ、私なんてまだまだですよ。そちらの先生のお薬がなかったら、こんな具合にはいき
ませんでした」
「はっはっは! かしこまらんでよい。ワシの薬はまだまだ実験段階での、まだまだ効果の
ほどは未確認なんじゃ。むしろこやつの血色がよくなったのはお嬢ちゃんの回復魔法のお
かげじゃろうて」
「おやおや、テッツ。あの薬は大丈夫なのかい?」
「まあの、安全性だけは万端じゃ。それにしても、やはりお嬢ちゃんは大した才能の持ち主じ
ゃのう。魔法学院に進学するつもりはあるかいの?」
「はい、できれば……」
「そうかそうか、お譲ちゃんならきっと審査にパスできるはずじゃ。しっかりがんばるんじゃ
ぞ」
ベンが助けを呼びに言った際、プレオバンズとテッツが治療を引き受けた。その時に近くに
いた学校の職員とルシーダが呼び出されたのだ。教授二人は、ルシーダを一目見たときか
ら、彼女の素質を見抜いていたのだった。
「さて、学校の先生方、どうもご苦労様でした。彼はもうしばらくで目が覚めるでしょう。あと
は私達に任せてください」
バンズ教授が協力してくれた先生たちの労をねぎらうと、みな通常の担当場所へと戻って
いった。
「さて、ごくろうさんじゃったの。お譲ちゃんと坊主ももどってよいぞい」
「はい、どうもありがとうございました。行こう、ベン」
「うん。じゃあ、僕たちも失礼します。」
ベンがその場を立ち去ろうとしたとき、彼はあることを思い出した。この森の異様な空気の
ことだった。ちょうど魔法学院の先生が二人もいたので、尋ねてみることにした。
「あの……すいません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
「む? なんじゃ、言ってみい」
ベンはここの周辺一帯がなんともいえない嫌な気配がすることを打ち明けた。すると、教
授たち二人からも同じような意見を聞くことができた。
「確かに、わたしもここはどうも好かなくてね」
「わしは鈍いからよう分からん。別に嫌な感じなどせん。しかし、ここには虫やら鳥やらの畜
類どもが、一匹もおらんのう。虫の声がせんのは寂しい限りじゃ」
「ベン、あなたも変な感じがしていたのね……」
しばらく沈黙が続いた。場の空気がどんどん深刻さを増していくのを感じ、ベンは少し自ら
の発言を後悔した。そのとき、どこからかうめき声が聞こえた。
「ん……ううぅ! ん、まだ生きてるじゃねぇか、俺。あんた達、だれだい?」
「おや、気がついたようだね」
「ひょっとして、あんたたちが助けてくれたのか?」
沈黙を破ったのは青年だった。彼は自身を雑、と名乗り旅の鍛冶屋をしているとのことだ
った。
彼は道に迷っていたらしかったので、ここがどこなのかと聞いてきた。
「ここはポポルの森の中。古代の遺跡が特に多く遺されている地域だよ。近くに学校がある
から、私よりもそこにいる彼らにお礼を言っておくれ。ベン君と、ルシーダさんだ」
「おう、どうもありがとうな! たすかったぜ。この恩は必ず返すからな」
「いやぁ、いいですよお気になさらなくて……」
重苦しかった空気が明るさを取り戻したなか、ベンの顔が曇った。
「(セイル!?)」
ベンの脳裏に、セイルが巨大な影に襲われている光景が浮かんだ。彼は手にした棒で必
死に抵抗するが、かなり押されている。疲労している様子も、容易に見て取れた。
はやく助けに行かなければ、命が危ない。場所は、ここから南へ向けて進んだところだ。ベ
ンはなぜか、セイルの位置が手に取るように分かった。
「すいません、僕ちょっと急用ができたのでちょっといってきます!」
「あ、ちょっとベン。もう、そっちは掃除場所じゃないでしょ。どこいくのよ、もう」
青年は、ベンが走り出す直前に見せた表情の変化を見逃さなかった。あの目つきは、何
か危険が迫っている目に違いないと、彼は見抜いた。
「どっこいせ、と。わりぃけど、俺も用事ができたもんでな。すまねぇけど礼はあとですっか
ら、待っててくれや」
青年も急に立ち上がると、ベンを追いかけていった。まだふらふらする足に鞭を打って、彼
は懸命にベンの後を追った。
「(くそ! まだまともに走れねぇか。しょうがねぇ、このまま行くか)」
「ちょっと君、まだ無理をしてはならんぞ」
バンズ教授が心配して声を掛けた。
「ああ、大丈夫だ。どうも世話になったな。またあとで会おうぜ」
「ちょっと、大丈夫ですか? 私も一緒に行きます」
後に残ったのは、バンズ、テッツの両教授だけとなった。
「テッツ……どうする? あの子達に任せてもいいのだろうか? やはり私達が行くべき
か?」
バンズ教授は訳知り顔でテッツに相談した。
「放っとけ、若いころの苦労は買ってでもするべきじゃ。なあに、たいした相手ではない。万
が一のときには、そのときにわしらが行けばいいんじゃ」
「しかし……」
「案ずるな、並みのモンスターごとき、丁度いい経験になるじゃろ。あのメンツなら心配ない」
そういってテッツは、懐から古びた紙を取り出した。茶色く変色した紙面には、走っている
ベンと、必死に歩く青年とルシーダの様子が映し出されていた。そして、ぼんやりと熊のよう
なモンスターが浮かび上がっている。
「いや、たしかにそうなのだが、助けを待つ子が心配だったものでな。この子は、確かテッツ
が受け持っていた子じゃないかね?」
「ん? すまんが主のシートを見せてくれんか。わしには遠くのものはよく映しだせんでの。
どれどれ……」
そこに移っていたのは、セイルの姿だった。彼は今にも死にそうな顔で、無我夢中で抵抗
を続けている。
見ると手にしていた棒はすでに叩き折られていて、独学で覚えた粗末な火の魔法で相手を
驚かせている。
「なんと、こやつか! かぁー、ちょいと心配になってきたのぅ。なんじゃこのお粗末な火炎
は!? まともに飛ばすこともできんのか」
「どうする? やはり私達が?」
テッツは一考ののち、バンズに答えた
「いや、けっこう。あやつの根性を叩きなおすいい機会じゃ、死にゃせんだろう」
「了解した」
二人の教授は、その場に腰をおろして帰りを待つことにした。
________________________
PC:スーシャ ロンシュタット
NPC:バルデラス
場所:セーラムの街(仕立て屋)
夜半を過ぎて雨は収まりを見せたが、風は相変わらず強く、室内にいるとまだ鎧戸をうる
さく叩く音が聞こえる。
そんな悪天候の中、ロンシュタットは闇夜を平然と歩いている。
家の窓の隙間から明かりが漏れているわけではない。雨が降っているので月、星明かり
があるわけでもない。
それにも関わらず、一切の光が無い中を、彼は石に躓くことも、建物にぶつかる事も無く、
事件のあった家を探す。
こんな深夜だ。誰にも事件のあった場所を訊く事はできなかったが、家が集まる地区を歩
くだけで簡単に見つけることができた。
事件があった建物は、仕立て屋だった。
相変わらず頬に風が吹き付ける中、ロンシュタットはその前に立ち視線を向けるが、外観
からは事件があったようには見えない。
だが、入り口となっている扉には縄が巻かれ、外から入れないようになっている。
「だが、内側にいる何かを出さないようにしているようにも見えるな」
黒い剣バルデラスがそんな事を言った。
ロンシュタットは無視して、入れる場所を探して家の周りを歩くが、全ての窓には鍵がかか
っており、外から入ることはできなかった。
仕方なく玄関へ戻り、縄を解いて入ることにした。
「いいのかよ、ロン? この街の自警団が、自分達以外に誰も入れないようにしたに違いな
いぜ?」
「家を出る時に縛り直せば問題ない」
抑揚の無い、低い声でそう告げると、縄を解き始めるロンシュタットを興味深そうに見て、
バルデラスは言った。
「それにしても、急だよなぁ。いきなりこの事件を調べ始めるとは。一体、何がお前をそうさせ
たんだ?」
ロンシュタット、無言。
「ひょっとして、あのスーシャって娘が、去り際に言おうとした言葉が何か、分かったから調
べようとしているのか? 何を訴えようとしていたのか、理解したから心が動かされて調べて
いるのか?」
バルデラスは数秒、持ち主の返答を待ってみたが、相変わらず何も言わないので、また
いやらしい笑いをすると、話を続けた。
「けけけ、そんな訳ないよなぁ。このロンシュタットに、そんな人間らしい感情なんてあるわけ
がない。お前は目の前であの娘が殺されても、平気で素通りするか無視を決め込むような
奴だ。誰がどうなっても、お前にとっちゃどうでもいい事だ。そうだろう?」
ロンシュタットは何も答えず、辺りには静かに縄を解く擦れた音だけがする。
「昔の自分を重ね合わせるような事もなかったんだろう? 同情もしない、手も差し伸べな
い、そんなお前が、どうして調べる気になったんだ? 当ててやろうか、お前は悪魔の気配
を感じたんじゃないのか? だから調べているんだ。あのスーシャって娘がどうなろうが、悪
魔を殺すのに、そんな事は関係ないからな」
相変わらず何も答えないロンシュタットは、解き終えた縄を地面に放ると、ゆっくりと扉を開
けた。
中は、闇だった。
この時間であれば灯されている、やわらかなランプの光の代わりに、押し包むように内部
から漏れ出てきたのは、湿った空気と、その原因となった大量の血の臭いだ。
あまりに突然のことに処置が追いついていないのか、死体は片付けられもせず、布を被
せてあるだけだった。
確かにこれで死体は見えないが、床一面を覆っている血は流石に隠せない。
むせ返る血の臭いに埋め尽くされた室内に、ロンシュタットは足を踏み入れる。
ブーツの底に粘りつくように糸を引きながら、それはぐちゃぐちゃ音を立てる。
入り口近くの死体から、奥の死体へ順に布をめくって見ていくロンシュタット。
一番奥にある、この家の母親らしき死体を見て、先に声を発したのはバルデラスだった。
「おい、ロン。気付いているだろう、入り口にあった子供の死体といい、この死体といい、全部
眼がないぞ」
その通りだった。
死体は自分が何に襲われたのか、分かったように皆一様に深い恐怖を刻み込んでいる。
おかしな角度に捩れた首は、逃げようとした所を捕まり、無理矢理向きを変えられたように
見える。
身体のあちこちは切り裂かれ、内臓が引き出されている。これも恐らく、生きながら抜き出
されたのだろう。
絶叫を放ったまま凍りついた口は、死後硬直を始め、塞ぐ事もできない。
そして本来、眼が入っていた場所は何も無く、ただ暗い穴がふたつあるだけだった。しかも
おぞましいことに
「おい、ロン」バルデラスが言った。「『向こう』が見えるぞ」
ロンシュタットは眼窩を覗き込む。
そこには本来収まっているはずの脳が、完全に無くなっていた。
その代わり見えるのは、頭蓋骨の内側、ぬらぬらと湿っている後頭部の内側だった。
「何だ、これは?」
バルデラスが言った。
「まるで、眼から脳を吸い出されたみたいじゃないか!」
何の為に?
もちろん、喰う為に。
バルデラスはしばらく声が出なかったが、ロンシュタットは超然としていた。相変わらず無
表情のまま、じっと死体を観察している。
「何だか、落ち着かないな」
バルデラスが言った。
「どうなんだよ? 悪魔の仕業か? 悪魔が近くにいるのか、分かったのか?」
「いや」
ロンシュタットは短く答える。
「悪魔の仕業かどうか、分からない。近くにはいない」
「そ、そうか」
バルデラスが頷く。
「お前の感覚は、外れたことが無いからな。それじゃあ、こいつは人間の仕業って事になる
な」
ロンシュタットは何も言わず、興味深そうに調査を続ける。
「とにかく、ここから出て宿へ帰ろうぜ。悪魔の仕業じゃないなら、こいつは自警団の仕事
だ」
確かにそうだった。
ロンシュタットはその意見に賛同した訳では無いが、ここで見るべきものは何も無いと判
断したのか、死体に布を再び被せ、きびすを返して玄関へ向かう……いや、向かおうとし
た。
振り返り、数歩進んだところで、バルデラスが声を上げた。
「おい! 何だよ、こりゃあ!? 一体、どうなってる!」
バルデラスが叫ぶのも無理は無い。
先程、玄関近くにあった死体が、忽然と消えていた。
死体があった場所には、被せてあった布が広がっているだけだ。
「誰かが死体を動かしたのか? いや、この暗闇で死体のありかがわかる人間なんていな
い。それに、床一面に血が広がっているんだぞ。音を立てずに歩くことなんてできるもの
か! 第一、この俺と、お前に気付かれずに部屋へ入って死体を動かせるやつなんて、い
るはずがない!」
驚いているバルデラス。ロンシュタットも眼を細め、死体があった場所を凝視している。
「なあ、ロン」
バルデラスが言った。
「本当に何の気配も感じなかったのか? だとしたら、一体何がこんなことをしたんだ!?」
そんな事、ロンシュタットにも答えられる訳が無い。
室内には、吹き付ける風と雨音しかしなかった。
-----------------------------------------
NPC:バルデラス
場所:セーラムの街(仕立て屋)
夜半を過ぎて雨は収まりを見せたが、風は相変わらず強く、室内にいるとまだ鎧戸をうる
さく叩く音が聞こえる。
そんな悪天候の中、ロンシュタットは闇夜を平然と歩いている。
家の窓の隙間から明かりが漏れているわけではない。雨が降っているので月、星明かり
があるわけでもない。
それにも関わらず、一切の光が無い中を、彼は石に躓くことも、建物にぶつかる事も無く、
事件のあった家を探す。
こんな深夜だ。誰にも事件のあった場所を訊く事はできなかったが、家が集まる地区を歩
くだけで簡単に見つけることができた。
事件があった建物は、仕立て屋だった。
相変わらず頬に風が吹き付ける中、ロンシュタットはその前に立ち視線を向けるが、外観
からは事件があったようには見えない。
だが、入り口となっている扉には縄が巻かれ、外から入れないようになっている。
「だが、内側にいる何かを出さないようにしているようにも見えるな」
黒い剣バルデラスがそんな事を言った。
ロンシュタットは無視して、入れる場所を探して家の周りを歩くが、全ての窓には鍵がかか
っており、外から入ることはできなかった。
仕方なく玄関へ戻り、縄を解いて入ることにした。
「いいのかよ、ロン? この街の自警団が、自分達以外に誰も入れないようにしたに違いな
いぜ?」
「家を出る時に縛り直せば問題ない」
抑揚の無い、低い声でそう告げると、縄を解き始めるロンシュタットを興味深そうに見て、
バルデラスは言った。
「それにしても、急だよなぁ。いきなりこの事件を調べ始めるとは。一体、何がお前をそうさせ
たんだ?」
ロンシュタット、無言。
「ひょっとして、あのスーシャって娘が、去り際に言おうとした言葉が何か、分かったから調
べようとしているのか? 何を訴えようとしていたのか、理解したから心が動かされて調べて
いるのか?」
バルデラスは数秒、持ち主の返答を待ってみたが、相変わらず何も言わないので、また
いやらしい笑いをすると、話を続けた。
「けけけ、そんな訳ないよなぁ。このロンシュタットに、そんな人間らしい感情なんてあるわけ
がない。お前は目の前であの娘が殺されても、平気で素通りするか無視を決め込むような
奴だ。誰がどうなっても、お前にとっちゃどうでもいい事だ。そうだろう?」
ロンシュタットは何も答えず、辺りには静かに縄を解く擦れた音だけがする。
「昔の自分を重ね合わせるような事もなかったんだろう? 同情もしない、手も差し伸べな
い、そんなお前が、どうして調べる気になったんだ? 当ててやろうか、お前は悪魔の気配
を感じたんじゃないのか? だから調べているんだ。あのスーシャって娘がどうなろうが、悪
魔を殺すのに、そんな事は関係ないからな」
相変わらず何も答えないロンシュタットは、解き終えた縄を地面に放ると、ゆっくりと扉を開
けた。
中は、闇だった。
この時間であれば灯されている、やわらかなランプの光の代わりに、押し包むように内部
から漏れ出てきたのは、湿った空気と、その原因となった大量の血の臭いだ。
あまりに突然のことに処置が追いついていないのか、死体は片付けられもせず、布を被
せてあるだけだった。
確かにこれで死体は見えないが、床一面を覆っている血は流石に隠せない。
むせ返る血の臭いに埋め尽くされた室内に、ロンシュタットは足を踏み入れる。
ブーツの底に粘りつくように糸を引きながら、それはぐちゃぐちゃ音を立てる。
入り口近くの死体から、奥の死体へ順に布をめくって見ていくロンシュタット。
一番奥にある、この家の母親らしき死体を見て、先に声を発したのはバルデラスだった。
「おい、ロン。気付いているだろう、入り口にあった子供の死体といい、この死体といい、全部
眼がないぞ」
その通りだった。
死体は自分が何に襲われたのか、分かったように皆一様に深い恐怖を刻み込んでいる。
おかしな角度に捩れた首は、逃げようとした所を捕まり、無理矢理向きを変えられたように
見える。
身体のあちこちは切り裂かれ、内臓が引き出されている。これも恐らく、生きながら抜き出
されたのだろう。
絶叫を放ったまま凍りついた口は、死後硬直を始め、塞ぐ事もできない。
そして本来、眼が入っていた場所は何も無く、ただ暗い穴がふたつあるだけだった。しかも
おぞましいことに
「おい、ロン」バルデラスが言った。「『向こう』が見えるぞ」
ロンシュタットは眼窩を覗き込む。
そこには本来収まっているはずの脳が、完全に無くなっていた。
その代わり見えるのは、頭蓋骨の内側、ぬらぬらと湿っている後頭部の内側だった。
「何だ、これは?」
バルデラスが言った。
「まるで、眼から脳を吸い出されたみたいじゃないか!」
何の為に?
もちろん、喰う為に。
バルデラスはしばらく声が出なかったが、ロンシュタットは超然としていた。相変わらず無
表情のまま、じっと死体を観察している。
「何だか、落ち着かないな」
バルデラスが言った。
「どうなんだよ? 悪魔の仕業か? 悪魔が近くにいるのか、分かったのか?」
「いや」
ロンシュタットは短く答える。
「悪魔の仕業かどうか、分からない。近くにはいない」
「そ、そうか」
バルデラスが頷く。
「お前の感覚は、外れたことが無いからな。それじゃあ、こいつは人間の仕業って事になる
な」
ロンシュタットは何も言わず、興味深そうに調査を続ける。
「とにかく、ここから出て宿へ帰ろうぜ。悪魔の仕業じゃないなら、こいつは自警団の仕事
だ」
確かにそうだった。
ロンシュタットはその意見に賛同した訳では無いが、ここで見るべきものは何も無いと判
断したのか、死体に布を再び被せ、きびすを返して玄関へ向かう……いや、向かおうとし
た。
振り返り、数歩進んだところで、バルデラスが声を上げた。
「おい! 何だよ、こりゃあ!? 一体、どうなってる!」
バルデラスが叫ぶのも無理は無い。
先程、玄関近くにあった死体が、忽然と消えていた。
死体があった場所には、被せてあった布が広がっているだけだ。
「誰かが死体を動かしたのか? いや、この暗闇で死体のありかがわかる人間なんていな
い。それに、床一面に血が広がっているんだぞ。音を立てずに歩くことなんてできるもの
か! 第一、この俺と、お前に気付かれずに部屋へ入って死体を動かせるやつなんて、い
るはずがない!」
驚いているバルデラス。ロンシュタットも眼を細め、死体があった場所を凝視している。
「なあ、ロン」
バルデラスが言った。
「本当に何の気配も感じなかったのか? だとしたら、一体何がこんなことをしたんだ!?」
そんな事、ロンシュタットにも答えられる訳が無い。
室内には、吹き付ける風と雨音しかしなかった。
-----------------------------------------