「私が魔女退治の騎士です」
それは破壊の魔法だった。
今日、このモルフの地で行われた祭――仮装した子供たち、手渡されるクッキー、
モルフ羊の焼けた臭い、人々の熱気――全てが、突如意味をなくし崩れ落ちていくほ
どの、衝撃的な言の葉だった。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
エンプティ バルメ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
「別に騎士でなくとも良かったのです」
エンプティの語りだした、もう一つの『バルメの魔女のお話』。
「人々が、悪しき魔女を倒したと信じられる特別な存在であれば」
子供を使い魔に変え、災いを振りまく魔女。
そんな魔女を倒すのは大抵剣を持った勇者や、魔法に長けた賢者だ。
「勇者や英雄というのは、案外証明するのが難しいものです。魔法使いもいけませ
ん、相手は魔女ですし、モルフは魔法の馴染まぬ土地ですからね」
「そこで、騎士か」
ヴァンが唸った。
いきなり「私は勇者です」と言われても、人々は信用しないだろうが、従者と馬を
連れ立派な甲冑を身に纏った男が「私は騎士です」と名乗れば、信じる者もいるだろ
う。
モルフには王政というものは無く、人々は騎士を見る機会など無かったに違いな
い。
「ヴァン殿、あなただってそうです。馬も、お供の従者もいない・・・それでも貴方は
私たちにとって騎士殿だ」
「僕の事を疑っていたのか・・・!?」
ヴァンはショックを受けたかのように声を上げた。
そして縋るようにこちらを見たが、ジュリアも俺も何故か自然に目をそらしてい
た。
「まぁ、そんな事はどうでもいいんです。先を進めましょう」
「よくない!」
ヴァンが俺にまで噛み付いてきたが、彼を押しのけるようにして俺は話を進めるこ
とにした。
ジュリアは相変わらずやる気の無い態度で立っている。
依頼を受けたはずの彼女が積極的に関わろうとしない以上、他の面子に任せていて
は話がちっとも進まない。
傍観者の予定だった俺だが、エンプティの衝撃の告白の後、多少考えを改めること
にした。何故なら――
「あなた方はこのモルフの地で何をしようとしているのですか?」
―― 俺を除けば、ここに居る大人たちは皆モルフの人間では無いからだ。
「ご婦人。貴女はそもそもどこから来たのです?貴女はどう見てもモルフの人間では
ない。その貴女が怪獣だか猛獣だかを連れてこの森に居座った。そして、子供たちを
攫って使い魔にしたが、大人たちが騒ぎ出すと、エンプティを使って人々を遠ざけ
た。モルフの人間は貴女の目的に巻き込まれたんだ」
「そうね。その通りよ」
バルメはあっさりと肯定した。
素直すぎるほどに。
故に彼女が俺の言葉のどの部分に肯定したのか分からなかった。
恐らくは全てだろうが・・・。
「その目的とは・・・?」
「こわぁい猛獣を倒すことよ」
まるで、足元にある花を摘み取るような調子で魔女は答えた。
そして始まる『魔女の物語』。
「私はとある国に仕える魔法使いだったのよ。今は亡きその国には人を食らう獣がい
たの。その猛獣のせいで国は滅茶苦茶、困った王は私にこの猛獣を退治するように命
令してきたの」
まるで子供に言い聞かせるようにも、娘のようにも聞こえる、不安定な魔女の語り
口調。
老木と同化して皺皺の顔は言い伝え同様に老人を思わせたが、存外に顔だちは若い
ようにも思えた。
魔法使いというと老人のイメージが強いが、逆に若いままの外見を保つ者もいると
聞く。
「もっとも猛獣の動きを抑制できる場所として選ばれたのがこのダウニーの森」
どこかで獣の鳴く声がした。
狼だろうか、我々は声のした方に目を凝らしたが、バルメも使い魔たちもまったく
それには関心を払おうとはしなかった。
「そこで、私はこの子達に会ったの」
老木の魔女は擦り寄ってきた使い魔の少年猫を優しく撫でるような仕草をした。
「親に捨てられ、行き場を失った可愛そうな子供たちに」
―――それは『魔女の使い魔たち』の物語。
***************
それは破壊の魔法だった。
今日、このモルフの地で行われた祭――仮装した子供たち、手渡されるクッキー、
モルフ羊の焼けた臭い、人々の熱気――全てが、突如意味をなくし崩れ落ちていくほ
どの、衝撃的な言の葉だった。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
エンプティ バルメ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
「別に騎士でなくとも良かったのです」
エンプティの語りだした、もう一つの『バルメの魔女のお話』。
「人々が、悪しき魔女を倒したと信じられる特別な存在であれば」
子供を使い魔に変え、災いを振りまく魔女。
そんな魔女を倒すのは大抵剣を持った勇者や、魔法に長けた賢者だ。
「勇者や英雄というのは、案外証明するのが難しいものです。魔法使いもいけませ
ん、相手は魔女ですし、モルフは魔法の馴染まぬ土地ですからね」
「そこで、騎士か」
ヴァンが唸った。
いきなり「私は勇者です」と言われても、人々は信用しないだろうが、従者と馬を
連れ立派な甲冑を身に纏った男が「私は騎士です」と名乗れば、信じる者もいるだろ
う。
モルフには王政というものは無く、人々は騎士を見る機会など無かったに違いな
い。
「ヴァン殿、あなただってそうです。馬も、お供の従者もいない・・・それでも貴方は
私たちにとって騎士殿だ」
「僕の事を疑っていたのか・・・!?」
ヴァンはショックを受けたかのように声を上げた。
そして縋るようにこちらを見たが、ジュリアも俺も何故か自然に目をそらしてい
た。
「まぁ、そんな事はどうでもいいんです。先を進めましょう」
「よくない!」
ヴァンが俺にまで噛み付いてきたが、彼を押しのけるようにして俺は話を進めるこ
とにした。
ジュリアは相変わらずやる気の無い態度で立っている。
依頼を受けたはずの彼女が積極的に関わろうとしない以上、他の面子に任せていて
は話がちっとも進まない。
傍観者の予定だった俺だが、エンプティの衝撃の告白の後、多少考えを改めること
にした。何故なら――
「あなた方はこのモルフの地で何をしようとしているのですか?」
―― 俺を除けば、ここに居る大人たちは皆モルフの人間では無いからだ。
「ご婦人。貴女はそもそもどこから来たのです?貴女はどう見てもモルフの人間では
ない。その貴女が怪獣だか猛獣だかを連れてこの森に居座った。そして、子供たちを
攫って使い魔にしたが、大人たちが騒ぎ出すと、エンプティを使って人々を遠ざけ
た。モルフの人間は貴女の目的に巻き込まれたんだ」
「そうね。その通りよ」
バルメはあっさりと肯定した。
素直すぎるほどに。
故に彼女が俺の言葉のどの部分に肯定したのか分からなかった。
恐らくは全てだろうが・・・。
「その目的とは・・・?」
「こわぁい猛獣を倒すことよ」
まるで、足元にある花を摘み取るような調子で魔女は答えた。
そして始まる『魔女の物語』。
「私はとある国に仕える魔法使いだったのよ。今は亡きその国には人を食らう獣がい
たの。その猛獣のせいで国は滅茶苦茶、困った王は私にこの猛獣を退治するように命
令してきたの」
まるで子供に言い聞かせるようにも、娘のようにも聞こえる、不安定な魔女の語り
口調。
老木と同化して皺皺の顔は言い伝え同様に老人を思わせたが、存外に顔だちは若い
ようにも思えた。
魔法使いというと老人のイメージが強いが、逆に若いままの外見を保つ者もいると
聞く。
「もっとも猛獣の動きを抑制できる場所として選ばれたのがこのダウニーの森」
どこかで獣の鳴く声がした。
狼だろうか、我々は声のした方に目を凝らしたが、バルメも使い魔たちもまったく
それには関心を払おうとはしなかった。
「そこで、私はこの子達に会ったの」
老木の魔女は擦り寄ってきた使い魔の少年猫を優しく撫でるような仕草をした。
「親に捨てられ、行き場を失った可愛そうな子供たちに」
―――それは『魔女の使い魔たち』の物語。
***************
PR
PC クロエ、アダム
NPC イカレ帽子屋、ギルド職員&ギルド職員アニー、シックザール、シメオン
Place クリノクリアの森→ヴィヴィナ渓谷川辺
-----------------------------------------------------------------------
その気味の悪いほどに白い肌の男は聞き返してきた。
「行方不明?彼がですか?」
「はぁ、とりあえずこちらはここヤコイラまでの契約でしたし…」
ヤコイラのギルドの店員は困ったように返す。ギルド登録者であるからといっ
て、個人の行き先まで管轄ではない。
「荷物の運搬警護も何事もなく終わってます。家か、国か、元のところへ帰っ
たのではないですか?」
「もしかして、この前の旅団についてきた片眼鏡の傭兵さんのことかい?彼な
らクリノクリア・エルフの都に行ったんじゃないか…ほら、あのエルフの人買
い騒動のアレ、彼が助けてやったっていうらしいよ」
受付の後ろから、これまたギルドの関係者が顔だけ棚の後ろから出しながら答
えた。荷を棚にしまう仕事らしく、ひょこっと顔をしまっては、またひょこっ
と顔を出した。
「なんでもエルフの人買いから子供を助けた傭兵がいたらしい。だったらクリ
ノクリアの森のラドフォードへ行ったと思うけど…ただ、あそこのエルフは人
間嫌いだから、魔法の矢で蜂の巣にされてなきゃいいけど」
その言葉を聴くと、男は額を抱えて溜息をついた。
「また面倒事に首を突っ込んだのですか…おや、失礼」
後ろから、青い顔をして飛び込んできた若い女性ーギルドの職員の一人だろう
ーがぶつかってきて、男は真摯な態度で気遣った。声を聞いてやや安堵したか
に見えた女性は、しかし男の病的な気配と怪しい風体にわずかに身を引く。
「どうしたんだアーニ、そんなに青い顔で。エディウスの毒蛾か?それとも毒
蝮か?それともアレか、魔女の呪いでも見かけたか?」
「大変です、クリノクリアの森が全部樹林兵になってて、ラドフォード方面が
真っ赤になってるんです!」
と、ギルド全体が慌しくなる。第一領主の樹林兵は強力だ、三百体で国境の全
てを守護できるほどの攻撃力を有する。それが大量に発生したとなれば外交問
題であるし、もし仮に暴走となればひとたまりもない。
慌しく情報が錯綜するなか、男は…「イカレ帽子屋」はさらに憂鬱な溜息をつ
いた。彼にとって、滅多にない嫌な勘は、自分の相方がまた騒動を起こしてい
ると警告していたのだから。
-----------------------------------------------------------------------
馬鹿にされた気がした、ので聞いてみる。
「おい、シックザール。俺を今馬鹿にしただろ?」
『してるしてる、馬鹿というかもう後先考えない究極の行きっ放しの弓矢みた
いな感じ?ほら戻ってこれなーい』
「くそ、なんとなく否定できない!」
"アダム、しっかり掴まってますか?"
シックザールの口合戦に敗北し、悔しそうなアダム。座っている場所は羽毛の
中みたいで、白い毛が水のようにゆれている。高度速度共に問題なし、だが俺
クロエさんの頭から落ちたら問題あり。死ぬというか、なんかそのまま世界か
ら消えそう。
『高ーーーーい!ほらアダム、空の真ん中を泳いでるよ僕達!』
シックザールの無邪気な声が蒼穹に吸い込まれていく。現在の運転手はクロエ
さん、乗り物もクロエさん、俺何もしてない。青空の中を快適走行中なのであ
る。下にはクリノクリアの緑の森、どうやらあの不可解な赤い現象は収まった
ようだ。だが、森全体に覇気というか、生きているという気力がないようにア
ダムは感じた。
「クロエさん、ヴィヴィナ渓谷ってあのフィキサ砂漠とクリノクリアの森の間
にある!?」
"えぇ”
ヴィヴィナ渓谷…前人未到の大自然、と呼ばれる深い渓谷の名前だ。
エディウス国内でも最高の未開地で、規模は大きくないらしいが天然の自然要
塞のような場所だと聞き及んでいる。正統エディウス国内の三分の一を占める
砂漠地帯とクリノクリアの森をわける形で存在しているという。と、ヴィヴィ
ナ渓谷の情報を脳内確認していると、クロエの気まずそうな声が
聞こえてきた。
"シメオンはどうなったのでしょう、アダム、話してください。何故あんな事
が…"
「……」
クロエの声はおそらく音ではないのだろう。最初に出会ったときはまったくわ
からなかったが、クロエが気を使ってくれているのだろう。イメージとしては
胸の中に青い水が波紋を描いて零れる感じで言葉が聞こえる。不安と一抹の翳
りを帯びたクロエの言葉を聴いて、アダムは何も言えない。
「クロエさん、その、」
『アダム!アダム!前方になんかいるよっ!』
「だーーーーーーーっっ!!お前空気読め!むしろ掴め!」
覚悟して口に出した会話を中断されてアダムは頭をかきむしった。そのまま刀
にチョップを入れようとして、顔を上げてぽかんと口を開ける。
青く深い空と緑の濃い森の上。
その気が遠くなるほどに偉大な二つの世界に、相応しくないものがいた。初め
は蠅の群れ程度だったが、それが進路方向の一帯に浮かんでいる。鼓膜に騒々
しい鳴声らしきものも聞こえてきた。
"?"
「なんだ、アレ」
『鳥?鳥じゃない?だって飛んでるし』
「いや鳥じゃなくても空飛ぶ奴いるだろ」
間の抜けた会話の間に、ぐわぁんとクロエが高度を上げた。何かを感じたの
か、目前の群れを避けたいらしい。耳をつんざくほどの大きくなった鳴声はぴ
たりと止んだ。すると、向こうは頼んでもいないのに、急にこちらに向かい突
進してくる!
”!?”
「クロエさん!あいつら襲ってくるけど今度はどこのお知り合い!?」
『うわ!わっ!』
群れをなして飛んできた謎のものに、クロエは大きく右へ回って回避する。俺
の角度斜め四十五度!そのまま身体を捻って下へ、と上から先ほど掠めた群れ
がまた襲ってくる!
「なんだアレ!」
間近に見た怪物に、アダムは悲鳴じみた疑問を叫ぶ。
四枚の翼をもつ蛇…竜だ、だがあれも竜なのだろうか。魚類のような鱗に、ぬ
るっとした表皮。黒に近い茶褐色の胴体に蝙蝠のような不気味な翼がはためい
ている。目は確認できない、それは遠目から見ると、まるで蛭に翼が生えて、
こちらを狙っているように見えた。
"腐竜…!そんな、彼らはこんなところにいるはず…きゃぁ!"
『わぁぁぁぁぁ!』
クロエの左羽の先端が、腐竜と呼ばれる竜に引っかかれてぼろぼろにされる。
がくん、と一度クロエが沈み、また高度を取り戻そうと大きく羽ばたいて垂直
に上がる!俺の角度直角九十度!!ちょいと、というかかなり危険!シックザー
ルも声だけ見れば真っ青である。吐きそうなのだが、ここは我慢。クロエさん
の頭に嘔吐するわけにもいけないし。
「どぉわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
とにかく危機感から、頭上を通過しようした腐竜をシックザールで串刺しにす
る。首を串刺しにされて、腐竜は緑色の血液を噴出しながらびくびくっと動
く。近くでみればみるほど気味わるい生物だ。それを抜き捨てる、と上から口
を開いて襲ってくたもう一匹をとっさに殴る。噛み付かれた腕に痛みが走る、
とクロエが頭を大きく振ったので腐竜がついてこれず離れていく。もう少し揺
れてたら俺も離れそうだった、アブねー!
"ーーーーーっ!"
次々と発生する腐竜はクロエの身体に牙を立てようと襲い掛かってくる。まさ
に蠅のように周囲を旋回しながら、十匹前後のチームで襲ってくる。
「くそっ」
体長は一メートル前後、アダムの感覚ではそれでも大きいがクロエには羽虫の
ようなものだろう。それが五十、六十も群れをなして襲ってくる。クロエの羽
の先端や体の後方を抉るように千切っていく。個体ならクロエにとって無きに
ひとしい存在でも、団体で襲ってくるのならば話は別だ。例えにある一羽の鷲
と千の鼠を思い出す。どんなに一つの強固な存在でも、千の非力さには勝てな
いのだー…。
クロエの羽が端からぼろぼろになっていく。動きも腐竜の群れに翻弄されて少
しづつ鈍くなっていく。このままではドラゴンのクロエといえど危ない。けれ
ども、ただ「見る」ことしかでないアダムはどうすることもーーーー
---------------------------------------------------------
『クロエの歌は、命を奪う』
『はぁ?』
それはシメオンがアダムに釘付けたただ一つの事項だった。
『いや、普通に喋ってましたけど』
『人間の姿のときじゃない、彼女本来の姿の時のだ』
理解の遅い生徒に忍耐強い先生のような顔で、シメオンは説明した。
『無音の炎だ、クロエの"声"は防御も何もない。発すれば周囲一帯のあらゆる
生命を焼き尽くす』
『そりゃまた…なんつーか』
盛大ですね、と相槌を打つ。いまいちアダムはピンとこない、あのほんわかし
た笑顔の少女が一面を地獄絵図にする光景は想像もつかない。
『百の命を吹き消す声だ、気をつけろ…とは言っておくが君に防ぎきれるもの
ではないから、運を天に願っている』
『てかそれ、割と死ぬけどどうにか頑張ってねって丸投げじゃないっすか!』
--------------------------------------------------------
「クロエさん!俺、降りるっ!!」
七秒かけて覚悟を固めた。未来は丸投げ、明日はどっちだ。今日はこの方法
で、と身を乗り出して下方を確認する。簡単な話で、見ることしかできなら戦
線離脱すればいい。
"…えぇぇっ、ちょ、アダム!?"
『アダムが自爆するーーーーーっ!』
アダムの唐突な自殺宣言に、クロエとシックザールは素っ頓狂な声をあげた。
「はやまんないでー!落ちるの二回目ー!もうやだー!わーん!」などと喚く
刀を道連れに、シメオンになぞって運を天に願う。手を離し、視界が反転。青
く美しい空に優美な巨大竜と醜悪な腐竜の絵が眼球に描き出される。落ちる瞬
間に「異常眼」が吐き出した結果は絶対に近い。なら、即死ぐらいは免れるだ
ろう。問題は川に落ちてからのことだが、まぁシメオンも願っているらしい
し、なんとか神様お願いします。
「クロエさん!」
腐竜のけたたましい声に負けじと、声を張り上げる。
アダムを拾おうと、身体をくらねらた竜を静止するように叫んだ。
「歌え!」
"!?"
瞬間、下方にいた腐竜に背中から激突する。
意識がぶれて、二秒ほど暗転。体がきしんで、激痛も叫ぶ。「異常眼」で確認
したとおり、一匹の腐竜の飛行速度と方向を確認していたので予定通り。落下
速度が弱まり、そのまま腐竜がさきに水面へ、続いてアダムが水中に沈む。
アダムの発言の意味を汲み取ったクロエは、瞬間、大きく口を開いた。
光が、差し込んでいる。
冷たい水の中で、流れや気泡が宝石のようにきらめく。水にふさがれた鼓膜は
嫌な感覚を催し、鼻に入り込んだ水で生理的なくらみを起こす。上を見上げれ
ば、水面上の風景はほとんど輪郭をなしておらず、ただ渓谷の崖とその中央に
浮かぶ蛇のようにくねった竜の姿のみがぼやけて確認できる。
(あ…)
水に侵された鼓膜に、ひときわ美しい音が伝わる。ぼやけた風景でさえ確認で
きる、竜からまるで流星群が発生しているかのような、幻想的な風景。きらき
ら、さらさら、という光の粒子さえ確認できそうだ。それは彗星のような声
だ、青く光りながら流れ落ちる幻想的な波動。
それは命を奪う声だという。
それは命を殺す音だという。
シメオンは言っていた。百の命の灯火を吹き消す声だと、それは死の歌だと。
あぁ、それでもーーーーーーー
「…は、…」
先ほどとはうって変わった穏やかな水流の音。
相当流されたらしく、ちろちろと流れる水面に小魚が数匹のんびり泳いでい
る。まず目に入ったのは穏やかな川辺と石とか木々とか。午後の昼下がりのよ
うに暖かい日差し、木々の花の数とめしべおしべの数、木陰の陰影までもつぶ
さに確認できるのは、「異常眼」を抑えるための片眼鏡がないからだ。実はあ
の片眼鏡はこの異常な眼球を「通常の風景」にぼやけさせるためのものだ。片
眼鏡はあの川で流れてしまったのだろう、まずい、あれは「イカレ帽子屋」に
借金のかたにされている物品の一つで、特注品だというのに。そんな心配事も
一秒でどうでもよくなる。
「アダム」
上から声が聞こえた。
人間の時の彼女の声は、青ではなくオレンジだ。ソプラノだがやんわりとした
口調なので、温かみを感じる。神様ありがとう、天に願っておいて正解だっ
た。
「気が付きましたか?」
「…あー…」
首を動かして、声の主を見る。上手く焦点が合わない、何せ片方は普通の、も
う片方のは、相手のまつげの数は右目が134本、左目が131本で平均6mm前後だと
いうのが分かるぐらいの無駄な高性能眼球である。
「よかった…探すの、大変だったんですよ」
「…はは、そっか」
自分が膝枕されていることに気が付く。川辺の淵で、打ち上げられた魚のよう
にだらりと転がる自分と、それを膝枕して介抱してくれている竜。恥ずかしさ
よりも体のだるさが勝利、美味しいシーンなので味わっておきたいのだが、さ
きほどまで溺れていたので、服も身体もびしょ濡れで全身が重い。ぼんやり
と、クロエを眺める。目の前の人型は安堵したように笑う。
「クロエさん」
「はい?どこか傷がーーー」
「クロエさんの声、綺麗だった」
それだけ言って、アダムはへらっと笑った。
-----------------------------------------------------------------------
Rendora診断(最高五つ★)
恋愛レベルLv.1
ドキドキ度…☆☆★★★
ほんわか度…☆☆★★★
ヤヴァイ度…☆☆☆☆★
胸キュン度…☆☆☆★★
NPC イカレ帽子屋、ギルド職員&ギルド職員アニー、シックザール、シメオン
Place クリノクリアの森→ヴィヴィナ渓谷川辺
-----------------------------------------------------------------------
その気味の悪いほどに白い肌の男は聞き返してきた。
「行方不明?彼がですか?」
「はぁ、とりあえずこちらはここヤコイラまでの契約でしたし…」
ヤコイラのギルドの店員は困ったように返す。ギルド登録者であるからといっ
て、個人の行き先まで管轄ではない。
「荷物の運搬警護も何事もなく終わってます。家か、国か、元のところへ帰っ
たのではないですか?」
「もしかして、この前の旅団についてきた片眼鏡の傭兵さんのことかい?彼な
らクリノクリア・エルフの都に行ったんじゃないか…ほら、あのエルフの人買
い騒動のアレ、彼が助けてやったっていうらしいよ」
受付の後ろから、これまたギルドの関係者が顔だけ棚の後ろから出しながら答
えた。荷を棚にしまう仕事らしく、ひょこっと顔をしまっては、またひょこっ
と顔を出した。
「なんでもエルフの人買いから子供を助けた傭兵がいたらしい。だったらクリ
ノクリアの森のラドフォードへ行ったと思うけど…ただ、あそこのエルフは人
間嫌いだから、魔法の矢で蜂の巣にされてなきゃいいけど」
その言葉を聴くと、男は額を抱えて溜息をついた。
「また面倒事に首を突っ込んだのですか…おや、失礼」
後ろから、青い顔をして飛び込んできた若い女性ーギルドの職員の一人だろう
ーがぶつかってきて、男は真摯な態度で気遣った。声を聞いてやや安堵したか
に見えた女性は、しかし男の病的な気配と怪しい風体にわずかに身を引く。
「どうしたんだアーニ、そんなに青い顔で。エディウスの毒蛾か?それとも毒
蝮か?それともアレか、魔女の呪いでも見かけたか?」
「大変です、クリノクリアの森が全部樹林兵になってて、ラドフォード方面が
真っ赤になってるんです!」
と、ギルド全体が慌しくなる。第一領主の樹林兵は強力だ、三百体で国境の全
てを守護できるほどの攻撃力を有する。それが大量に発生したとなれば外交問
題であるし、もし仮に暴走となればひとたまりもない。
慌しく情報が錯綜するなか、男は…「イカレ帽子屋」はさらに憂鬱な溜息をつ
いた。彼にとって、滅多にない嫌な勘は、自分の相方がまた騒動を起こしてい
ると警告していたのだから。
-----------------------------------------------------------------------
馬鹿にされた気がした、ので聞いてみる。
「おい、シックザール。俺を今馬鹿にしただろ?」
『してるしてる、馬鹿というかもう後先考えない究極の行きっ放しの弓矢みた
いな感じ?ほら戻ってこれなーい』
「くそ、なんとなく否定できない!」
"アダム、しっかり掴まってますか?"
シックザールの口合戦に敗北し、悔しそうなアダム。座っている場所は羽毛の
中みたいで、白い毛が水のようにゆれている。高度速度共に問題なし、だが俺
クロエさんの頭から落ちたら問題あり。死ぬというか、なんかそのまま世界か
ら消えそう。
『高ーーーーい!ほらアダム、空の真ん中を泳いでるよ僕達!』
シックザールの無邪気な声が蒼穹に吸い込まれていく。現在の運転手はクロエ
さん、乗り物もクロエさん、俺何もしてない。青空の中を快適走行中なのであ
る。下にはクリノクリアの緑の森、どうやらあの不可解な赤い現象は収まった
ようだ。だが、森全体に覇気というか、生きているという気力がないようにア
ダムは感じた。
「クロエさん、ヴィヴィナ渓谷ってあのフィキサ砂漠とクリノクリアの森の間
にある!?」
"えぇ”
ヴィヴィナ渓谷…前人未到の大自然、と呼ばれる深い渓谷の名前だ。
エディウス国内でも最高の未開地で、規模は大きくないらしいが天然の自然要
塞のような場所だと聞き及んでいる。正統エディウス国内の三分の一を占める
砂漠地帯とクリノクリアの森をわける形で存在しているという。と、ヴィヴィ
ナ渓谷の情報を脳内確認していると、クロエの気まずそうな声が
聞こえてきた。
"シメオンはどうなったのでしょう、アダム、話してください。何故あんな事
が…"
「……」
クロエの声はおそらく音ではないのだろう。最初に出会ったときはまったくわ
からなかったが、クロエが気を使ってくれているのだろう。イメージとしては
胸の中に青い水が波紋を描いて零れる感じで言葉が聞こえる。不安と一抹の翳
りを帯びたクロエの言葉を聴いて、アダムは何も言えない。
「クロエさん、その、」
『アダム!アダム!前方になんかいるよっ!』
「だーーーーーーーっっ!!お前空気読め!むしろ掴め!」
覚悟して口に出した会話を中断されてアダムは頭をかきむしった。そのまま刀
にチョップを入れようとして、顔を上げてぽかんと口を開ける。
青く深い空と緑の濃い森の上。
その気が遠くなるほどに偉大な二つの世界に、相応しくないものがいた。初め
は蠅の群れ程度だったが、それが進路方向の一帯に浮かんでいる。鼓膜に騒々
しい鳴声らしきものも聞こえてきた。
"?"
「なんだ、アレ」
『鳥?鳥じゃない?だって飛んでるし』
「いや鳥じゃなくても空飛ぶ奴いるだろ」
間の抜けた会話の間に、ぐわぁんとクロエが高度を上げた。何かを感じたの
か、目前の群れを避けたいらしい。耳をつんざくほどの大きくなった鳴声はぴ
たりと止んだ。すると、向こうは頼んでもいないのに、急にこちらに向かい突
進してくる!
”!?”
「クロエさん!あいつら襲ってくるけど今度はどこのお知り合い!?」
『うわ!わっ!』
群れをなして飛んできた謎のものに、クロエは大きく右へ回って回避する。俺
の角度斜め四十五度!そのまま身体を捻って下へ、と上から先ほど掠めた群れ
がまた襲ってくる!
「なんだアレ!」
間近に見た怪物に、アダムは悲鳴じみた疑問を叫ぶ。
四枚の翼をもつ蛇…竜だ、だがあれも竜なのだろうか。魚類のような鱗に、ぬ
るっとした表皮。黒に近い茶褐色の胴体に蝙蝠のような不気味な翼がはためい
ている。目は確認できない、それは遠目から見ると、まるで蛭に翼が生えて、
こちらを狙っているように見えた。
"腐竜…!そんな、彼らはこんなところにいるはず…きゃぁ!"
『わぁぁぁぁぁ!』
クロエの左羽の先端が、腐竜と呼ばれる竜に引っかかれてぼろぼろにされる。
がくん、と一度クロエが沈み、また高度を取り戻そうと大きく羽ばたいて垂直
に上がる!俺の角度直角九十度!!ちょいと、というかかなり危険!シックザー
ルも声だけ見れば真っ青である。吐きそうなのだが、ここは我慢。クロエさん
の頭に嘔吐するわけにもいけないし。
「どぉわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
とにかく危機感から、頭上を通過しようした腐竜をシックザールで串刺しにす
る。首を串刺しにされて、腐竜は緑色の血液を噴出しながらびくびくっと動
く。近くでみればみるほど気味わるい生物だ。それを抜き捨てる、と上から口
を開いて襲ってくたもう一匹をとっさに殴る。噛み付かれた腕に痛みが走る、
とクロエが頭を大きく振ったので腐竜がついてこれず離れていく。もう少し揺
れてたら俺も離れそうだった、アブねー!
"ーーーーーっ!"
次々と発生する腐竜はクロエの身体に牙を立てようと襲い掛かってくる。まさ
に蠅のように周囲を旋回しながら、十匹前後のチームで襲ってくる。
「くそっ」
体長は一メートル前後、アダムの感覚ではそれでも大きいがクロエには羽虫の
ようなものだろう。それが五十、六十も群れをなして襲ってくる。クロエの羽
の先端や体の後方を抉るように千切っていく。個体ならクロエにとって無きに
ひとしい存在でも、団体で襲ってくるのならば話は別だ。例えにある一羽の鷲
と千の鼠を思い出す。どんなに一つの強固な存在でも、千の非力さには勝てな
いのだー…。
クロエの羽が端からぼろぼろになっていく。動きも腐竜の群れに翻弄されて少
しづつ鈍くなっていく。このままではドラゴンのクロエといえど危ない。けれ
ども、ただ「見る」ことしかでないアダムはどうすることもーーーー
---------------------------------------------------------
『クロエの歌は、命を奪う』
『はぁ?』
それはシメオンがアダムに釘付けたただ一つの事項だった。
『いや、普通に喋ってましたけど』
『人間の姿のときじゃない、彼女本来の姿の時のだ』
理解の遅い生徒に忍耐強い先生のような顔で、シメオンは説明した。
『無音の炎だ、クロエの"声"は防御も何もない。発すれば周囲一帯のあらゆる
生命を焼き尽くす』
『そりゃまた…なんつーか』
盛大ですね、と相槌を打つ。いまいちアダムはピンとこない、あのほんわかし
た笑顔の少女が一面を地獄絵図にする光景は想像もつかない。
『百の命を吹き消す声だ、気をつけろ…とは言っておくが君に防ぎきれるもの
ではないから、運を天に願っている』
『てかそれ、割と死ぬけどどうにか頑張ってねって丸投げじゃないっすか!』
--------------------------------------------------------
「クロエさん!俺、降りるっ!!」
七秒かけて覚悟を固めた。未来は丸投げ、明日はどっちだ。今日はこの方法
で、と身を乗り出して下方を確認する。簡単な話で、見ることしかできなら戦
線離脱すればいい。
"…えぇぇっ、ちょ、アダム!?"
『アダムが自爆するーーーーーっ!』
アダムの唐突な自殺宣言に、クロエとシックザールは素っ頓狂な声をあげた。
「はやまんないでー!落ちるの二回目ー!もうやだー!わーん!」などと喚く
刀を道連れに、シメオンになぞって運を天に願う。手を離し、視界が反転。青
く美しい空に優美な巨大竜と醜悪な腐竜の絵が眼球に描き出される。落ちる瞬
間に「異常眼」が吐き出した結果は絶対に近い。なら、即死ぐらいは免れるだ
ろう。問題は川に落ちてからのことだが、まぁシメオンも願っているらしい
し、なんとか神様お願いします。
「クロエさん!」
腐竜のけたたましい声に負けじと、声を張り上げる。
アダムを拾おうと、身体をくらねらた竜を静止するように叫んだ。
「歌え!」
"!?"
瞬間、下方にいた腐竜に背中から激突する。
意識がぶれて、二秒ほど暗転。体がきしんで、激痛も叫ぶ。「異常眼」で確認
したとおり、一匹の腐竜の飛行速度と方向を確認していたので予定通り。落下
速度が弱まり、そのまま腐竜がさきに水面へ、続いてアダムが水中に沈む。
アダムの発言の意味を汲み取ったクロエは、瞬間、大きく口を開いた。
光が、差し込んでいる。
冷たい水の中で、流れや気泡が宝石のようにきらめく。水にふさがれた鼓膜は
嫌な感覚を催し、鼻に入り込んだ水で生理的なくらみを起こす。上を見上げれ
ば、水面上の風景はほとんど輪郭をなしておらず、ただ渓谷の崖とその中央に
浮かぶ蛇のようにくねった竜の姿のみがぼやけて確認できる。
(あ…)
水に侵された鼓膜に、ひときわ美しい音が伝わる。ぼやけた風景でさえ確認で
きる、竜からまるで流星群が発生しているかのような、幻想的な風景。きらき
ら、さらさら、という光の粒子さえ確認できそうだ。それは彗星のような声
だ、青く光りながら流れ落ちる幻想的な波動。
それは命を奪う声だという。
それは命を殺す音だという。
シメオンは言っていた。百の命の灯火を吹き消す声だと、それは死の歌だと。
あぁ、それでもーーーーーーー
「…は、…」
先ほどとはうって変わった穏やかな水流の音。
相当流されたらしく、ちろちろと流れる水面に小魚が数匹のんびり泳いでい
る。まず目に入ったのは穏やかな川辺と石とか木々とか。午後の昼下がりのよ
うに暖かい日差し、木々の花の数とめしべおしべの数、木陰の陰影までもつぶ
さに確認できるのは、「異常眼」を抑えるための片眼鏡がないからだ。実はあ
の片眼鏡はこの異常な眼球を「通常の風景」にぼやけさせるためのものだ。片
眼鏡はあの川で流れてしまったのだろう、まずい、あれは「イカレ帽子屋」に
借金のかたにされている物品の一つで、特注品だというのに。そんな心配事も
一秒でどうでもよくなる。
「アダム」
上から声が聞こえた。
人間の時の彼女の声は、青ではなくオレンジだ。ソプラノだがやんわりとした
口調なので、温かみを感じる。神様ありがとう、天に願っておいて正解だっ
た。
「気が付きましたか?」
「…あー…」
首を動かして、声の主を見る。上手く焦点が合わない、何せ片方は普通の、も
う片方のは、相手のまつげの数は右目が134本、左目が131本で平均6mm前後だと
いうのが分かるぐらいの無駄な高性能眼球である。
「よかった…探すの、大変だったんですよ」
「…はは、そっか」
自分が膝枕されていることに気が付く。川辺の淵で、打ち上げられた魚のよう
にだらりと転がる自分と、それを膝枕して介抱してくれている竜。恥ずかしさ
よりも体のだるさが勝利、美味しいシーンなので味わっておきたいのだが、さ
きほどまで溺れていたので、服も身体もびしょ濡れで全身が重い。ぼんやり
と、クロエを眺める。目の前の人型は安堵したように笑う。
「クロエさん」
「はい?どこか傷がーーー」
「クロエさんの声、綺麗だった」
それだけ言って、アダムはへらっと笑った。
-----------------------------------------------------------------------
Rendora診断(最高五つ★)
恋愛レベルLv.1
ドキドキ度…☆☆★★★
ほんわか度…☆☆★★★
ヤヴァイ度…☆☆☆☆★
胸キュン度…☆☆☆★★
キャスト:アダム・クロエ
NPC:シックザール
場所:クリノクリアの森→ヴィヴィナ渓谷川辺
――――――――――――――――
轟音を立てて、火の付いた巨大な枯木が崖下へと転落してゆく。
砂利を跳ね散らかしながらそれが川岸に着地したのを見届けて、
クロエは大きすぎる身体を持て余すように、ゆっくりと
絶壁に身を滑らせた。
川岸まであと2メートルほどまで、というところで呪文を紡ぎ、
人型で着地する。
意外に強い反動によろめきつつもなんとか踏みとどまって
先に落ちた枯れ木を探す。枯れ木は衝撃でだいぶ削れていたが
まだ火を伴って煙を上げていた。
「よい、しょ…」
火が廻っていない枝の部分を両手で掴んで、引きずる。
しかし足場が悪い上に枯れ木は相当な重さなので、結局
枯れ木の位置はさほど変わらなかった。
「クロエさん、えと、ありがとう…いいよそこで。俺が行くから」
なぜか引きつった笑顔でよろりと立ち上がるアダム。
クロエは動かない枯れ木を手放して、小走りで彼の元へ行くと
脇の下から首を滑り込ませてアダムの体重を支えた。
「ありがと」
「さっき悲鳴をあげてましたけど大丈夫ですか?」
『燃えた大木でも落ちてきたんじゃない?』
剣の軽い皮肉に、苦笑する。
「ごめんなさい……火の点け方、わからなくて」
「いいよ。俺の荷物も水浸しで、火を点ける道具もしばらく
使えそうもないし――助かったよ」
どうにかアダムを枯れ木の元まで連れてくる。木はいよいよ本格的に
燃え出し、焚き木を足さずともあと数時間はもちそうだった。
手ごろな岩に座り、ぐしゃぐしゃに濡れた上着を脱ぎながらアダムが
ふと疑問を投げかけてきた。
「それにしてもこれ、どうしたの?」
「さっきの場所まで遡って、余波で燃えた木を運んできたんです」
『そんな手間かけるくらいなら僕達乗せて上まで行けたじゃん!?』
「あ」
剣のツッコミに呆然と立ち尽くす。アダムも数秒ほど気まずそうに
炎を見つめていたが、ふっと息をつくと、クロエを見上げて笑った。
「休んでいこうよ。さすがにちょっと疲れたしね。ここはだいぶ
下流で追っ手も来る様子ないし…。
よく考えたら俺、あんま寝てない上に朝からなんも食ってないんだ」
『やーっぱり人には甘いんだからぁ、アダムはー』
「うるせっ」
ばちん、と木が爆ぜる。羽虫のように細かい火の粉が立ち上り、
虚空で消えた。
「あー…その、クロエさん。悪いけどちょっとむこう向いててもらえるかな」
「?」
突然わからないことを言ってきたアダムの様子を訝って、彼の顔を見る。
何かを躊躇していることはわかるが、何に迷っているのかがわからない。
アダムは自分の体を両手で示しながら、言いにくそうに口を開いた。
「なんていうか…俺、びしょ濡れじゃん?」
「ええ」
『川にドボンだしね。それも自ら』
頷く。剣も調子を合わせて口を挟む。アダムもうんうんと頷いて、時間を
稼ぐように腕を組んだ。
「で、ほら。びしょ濡れってことはなんていうか服もびしょ濡れなんだよね」
「そうですね」
「できれば乾かしたほうがいいよね」
「はい」
「でも服着たままだと乾かしにくいと思わない?」
「思います」
「それって脱がなきゃいけないってことだよね」
「はい」
ここまでアダムは始終笑顔だったが、少なからず疲労をにじませて
きていたのは傍目にも明らかだった。
望みをかけるように、最後に身を乗り出して訊いてくる。
「俺が言いたいこと、わかってくれた?」
遥かスズナ山脈から流れる雪解け水は、相当な冷たさだろう。
アダムの言いたいことはよくわかる。
「えっと、服を脱いで乾かしたいんですよね」
「そう!」
クロエが聞いたそのままのことを繰り返すと、顔を輝かせてアダムが
びしと人差し指でさしてきた。
クロエもにっこり笑って、それに応える。
「どうぞ?」
「なんでだぁああああああああっ!!!!!!」
頭を抱えて絶叫するアダムの様子に仰天して、クロエは慌てて
うずくまるアダムの顔を覗き込んだ。
「え?どういう事ですか?私、今おかしい事言いましたか?」
「なんでそんな『心外だ』みたいな顔できちゃうの、クロエさん…」
ぐったりと力ない声音でそれだけ言って、顔を伏せる。
だがすぐに顔をあげ、傍に転がっていた手ごろな流木に
脱いだ上着をかけると、それを火のそばに立てながら言ってくる。
「んと、いいや。まぁなんていうか俺がいいって言うまで
とりあえず川でも見てて。振向いちゃ駄目だからね」
「え、なんで――」
「いいからっ!お願い!」
強引にそこで話を切られ、しぶしぶとクロエはアダムと
背中合わせになる格好で岩に腰を下ろした。
それを確認してからか、一拍遅れて背後からがさがさとアダムが
服を脱いでいる音が聞こえてくる。
「いててて」
「傷、痛みます?」
不安になって――振り返らないまま、訊く。
さきほどの襲撃以前に、アダムは既に手負いである。
クロエもいくつか手傷を負ったが、ドラゴンの回復力は
人間の比にならないほど高い。今日中にでも完治するだろう。
だが、アダムは人間だ。人間は寿命が短いばかりか治癒力も遅い。
返事はすぐに返ってきた。
「うーん、まぁ痛いっちゃ痛いけど、動けないこともないから大丈夫。
…あちゃー、この包帯ももう限界だな。新しいのはっと…駄目だ。濡れてら」
その後も音は聞こえてきていた。服を脱ぐ音に続き、鞄をひっくり返して
中身を物色している音、アダムのくしゃみなど。
一刻ののち、さすがに飽きてきてクロエは肩越しに問いかけた。
「アダムー、もういいですかー?」
「ダメッ!今一番ダメ!」
慌てたような制止に従い、振り返りかける首を止める。
何かを企むような含み笑いを混ぜながら、剣がぼそりと付け加えた。
『アダムの下着姿見たいなら別だけどね』
「おまっ、余計なこと言うなよ!」
「人の身体って、興味あります」
「クロエさんなんて事言うのちょっと!」
いよいよ慌てる声。そんなアダムに軽く口を尖らせつつ、クロエは反論する。
「だって人のお友達ってあまりいないんですもの。森から出ることだって
ほとんどないし、ラドフォードに来る人間の数は限りがありますから」
「だからって純情な男の子の裸は見ないでお願いだから」
「えー…?」
『環境の違いって怖いねー』
剣の声に首を傾げながらも、視線を虚空から川の流れに戻す。
不意に吹き付けた風――断崖から降りてきた冷たい空気に、
すくむ身体を自分で抱き寄せる。
「ねぇ、アダム」
「んー?」
服を掛ける枝を探しにでも行ったのか、声は遠いところから聞こえてきた。
かまわず、続ける。
「さっき、私の"歌"。褒めてくれましたよね」
「ん……あぁ、綺麗だったよ。ホント」
石を踏む音と共に近づいてくる声。よいしょ、と言って座ったらしいアダムの
気配を感じつつ、クロエは川の煌きを見つめながら決然と言い放った。
「もうあんな事言わないでください」
言ってしまってから――
揃えた膝に両肘をつき、口だけを残して顔を手で覆う。
炎の音と水の流れる音にかき消されそうな、アダムの呟きが背後から漏れた。
「え」
「嬉しかったんです。とっても……。だけど、駄目です。
あれはとても恐ろしい兵器なんです。アダム」
顔を上げて首だけで振向く。りん、とささやかな鈴の音が勢いで鳴った。
肩越しに、意外に広いアダムの裸の背が少しだけ見える。
それを確認して――というわけでもないが、クロエは再び川に向き直った。
「あれをひとたび放ってしまえば、私にはもうどうすることもできません。
目の前の生命が消えていくのを見るしかないんです。
そして気づいたときには、そこに私しかいない…」
アダムは何も言わない。姿が見えないことで、もしかして彼が
この独白を聞いていないのではないかという危惧が頭をかすめたが、
返事のかわりに気まずそうに身じろぎする彼の気配を感じる。
「私は……あれを誇りに思いたくないんです」
暗い眼差しでそれだけ言って、いったん口を閉じる。
沈黙を埋めるように吹き抜ける風は相変わらず冷たい。
「ラドフォードで何が起きたのか、話してもらえますか」
――――――――――――――――
さーて今回のRendora診断だよ!
なんといっても半裸のアダムんがドキドキ度と
ヤヴァイ度を稼ぎまくってひどい結果になったよ!
クロエの暗い独白で胸キュン(悪い意味で)度は3、
次はほんわか度が上がるといいね!
Rendora診断(最高五つ★)
恋愛レベルLv1.5
ドキドキ度… ☆★★★★
ほんわか度…☆☆☆☆★
ヤヴァイ度… ★★★★★
胸キュン度… ☆☆★★★
NPC:シックザール
場所:クリノクリアの森→ヴィヴィナ渓谷川辺
――――――――――――――――
轟音を立てて、火の付いた巨大な枯木が崖下へと転落してゆく。
砂利を跳ね散らかしながらそれが川岸に着地したのを見届けて、
クロエは大きすぎる身体を持て余すように、ゆっくりと
絶壁に身を滑らせた。
川岸まであと2メートルほどまで、というところで呪文を紡ぎ、
人型で着地する。
意外に強い反動によろめきつつもなんとか踏みとどまって
先に落ちた枯れ木を探す。枯れ木は衝撃でだいぶ削れていたが
まだ火を伴って煙を上げていた。
「よい、しょ…」
火が廻っていない枝の部分を両手で掴んで、引きずる。
しかし足場が悪い上に枯れ木は相当な重さなので、結局
枯れ木の位置はさほど変わらなかった。
「クロエさん、えと、ありがとう…いいよそこで。俺が行くから」
なぜか引きつった笑顔でよろりと立ち上がるアダム。
クロエは動かない枯れ木を手放して、小走りで彼の元へ行くと
脇の下から首を滑り込ませてアダムの体重を支えた。
「ありがと」
「さっき悲鳴をあげてましたけど大丈夫ですか?」
『燃えた大木でも落ちてきたんじゃない?』
剣の軽い皮肉に、苦笑する。
「ごめんなさい……火の点け方、わからなくて」
「いいよ。俺の荷物も水浸しで、火を点ける道具もしばらく
使えそうもないし――助かったよ」
どうにかアダムを枯れ木の元まで連れてくる。木はいよいよ本格的に
燃え出し、焚き木を足さずともあと数時間はもちそうだった。
手ごろな岩に座り、ぐしゃぐしゃに濡れた上着を脱ぎながらアダムが
ふと疑問を投げかけてきた。
「それにしてもこれ、どうしたの?」
「さっきの場所まで遡って、余波で燃えた木を運んできたんです」
『そんな手間かけるくらいなら僕達乗せて上まで行けたじゃん!?』
「あ」
剣のツッコミに呆然と立ち尽くす。アダムも数秒ほど気まずそうに
炎を見つめていたが、ふっと息をつくと、クロエを見上げて笑った。
「休んでいこうよ。さすがにちょっと疲れたしね。ここはだいぶ
下流で追っ手も来る様子ないし…。
よく考えたら俺、あんま寝てない上に朝からなんも食ってないんだ」
『やーっぱり人には甘いんだからぁ、アダムはー』
「うるせっ」
ばちん、と木が爆ぜる。羽虫のように細かい火の粉が立ち上り、
虚空で消えた。
「あー…その、クロエさん。悪いけどちょっとむこう向いててもらえるかな」
「?」
突然わからないことを言ってきたアダムの様子を訝って、彼の顔を見る。
何かを躊躇していることはわかるが、何に迷っているのかがわからない。
アダムは自分の体を両手で示しながら、言いにくそうに口を開いた。
「なんていうか…俺、びしょ濡れじゃん?」
「ええ」
『川にドボンだしね。それも自ら』
頷く。剣も調子を合わせて口を挟む。アダムもうんうんと頷いて、時間を
稼ぐように腕を組んだ。
「で、ほら。びしょ濡れってことはなんていうか服もびしょ濡れなんだよね」
「そうですね」
「できれば乾かしたほうがいいよね」
「はい」
「でも服着たままだと乾かしにくいと思わない?」
「思います」
「それって脱がなきゃいけないってことだよね」
「はい」
ここまでアダムは始終笑顔だったが、少なからず疲労をにじませて
きていたのは傍目にも明らかだった。
望みをかけるように、最後に身を乗り出して訊いてくる。
「俺が言いたいこと、わかってくれた?」
遥かスズナ山脈から流れる雪解け水は、相当な冷たさだろう。
アダムの言いたいことはよくわかる。
「えっと、服を脱いで乾かしたいんですよね」
「そう!」
クロエが聞いたそのままのことを繰り返すと、顔を輝かせてアダムが
びしと人差し指でさしてきた。
クロエもにっこり笑って、それに応える。
「どうぞ?」
「なんでだぁああああああああっ!!!!!!」
頭を抱えて絶叫するアダムの様子に仰天して、クロエは慌てて
うずくまるアダムの顔を覗き込んだ。
「え?どういう事ですか?私、今おかしい事言いましたか?」
「なんでそんな『心外だ』みたいな顔できちゃうの、クロエさん…」
ぐったりと力ない声音でそれだけ言って、顔を伏せる。
だがすぐに顔をあげ、傍に転がっていた手ごろな流木に
脱いだ上着をかけると、それを火のそばに立てながら言ってくる。
「んと、いいや。まぁなんていうか俺がいいって言うまで
とりあえず川でも見てて。振向いちゃ駄目だからね」
「え、なんで――」
「いいからっ!お願い!」
強引にそこで話を切られ、しぶしぶとクロエはアダムと
背中合わせになる格好で岩に腰を下ろした。
それを確認してからか、一拍遅れて背後からがさがさとアダムが
服を脱いでいる音が聞こえてくる。
「いててて」
「傷、痛みます?」
不安になって――振り返らないまま、訊く。
さきほどの襲撃以前に、アダムは既に手負いである。
クロエもいくつか手傷を負ったが、ドラゴンの回復力は
人間の比にならないほど高い。今日中にでも完治するだろう。
だが、アダムは人間だ。人間は寿命が短いばかりか治癒力も遅い。
返事はすぐに返ってきた。
「うーん、まぁ痛いっちゃ痛いけど、動けないこともないから大丈夫。
…あちゃー、この包帯ももう限界だな。新しいのはっと…駄目だ。濡れてら」
その後も音は聞こえてきていた。服を脱ぐ音に続き、鞄をひっくり返して
中身を物色している音、アダムのくしゃみなど。
一刻ののち、さすがに飽きてきてクロエは肩越しに問いかけた。
「アダムー、もういいですかー?」
「ダメッ!今一番ダメ!」
慌てたような制止に従い、振り返りかける首を止める。
何かを企むような含み笑いを混ぜながら、剣がぼそりと付け加えた。
『アダムの下着姿見たいなら別だけどね』
「おまっ、余計なこと言うなよ!」
「人の身体って、興味あります」
「クロエさんなんて事言うのちょっと!」
いよいよ慌てる声。そんなアダムに軽く口を尖らせつつ、クロエは反論する。
「だって人のお友達ってあまりいないんですもの。森から出ることだって
ほとんどないし、ラドフォードに来る人間の数は限りがありますから」
「だからって純情な男の子の裸は見ないでお願いだから」
「えー…?」
『環境の違いって怖いねー』
剣の声に首を傾げながらも、視線を虚空から川の流れに戻す。
不意に吹き付けた風――断崖から降りてきた冷たい空気に、
すくむ身体を自分で抱き寄せる。
「ねぇ、アダム」
「んー?」
服を掛ける枝を探しにでも行ったのか、声は遠いところから聞こえてきた。
かまわず、続ける。
「さっき、私の"歌"。褒めてくれましたよね」
「ん……あぁ、綺麗だったよ。ホント」
石を踏む音と共に近づいてくる声。よいしょ、と言って座ったらしいアダムの
気配を感じつつ、クロエは川の煌きを見つめながら決然と言い放った。
「もうあんな事言わないでください」
言ってしまってから――
揃えた膝に両肘をつき、口だけを残して顔を手で覆う。
炎の音と水の流れる音にかき消されそうな、アダムの呟きが背後から漏れた。
「え」
「嬉しかったんです。とっても……。だけど、駄目です。
あれはとても恐ろしい兵器なんです。アダム」
顔を上げて首だけで振向く。りん、とささやかな鈴の音が勢いで鳴った。
肩越しに、意外に広いアダムの裸の背が少しだけ見える。
それを確認して――というわけでもないが、クロエは再び川に向き直った。
「あれをひとたび放ってしまえば、私にはもうどうすることもできません。
目の前の生命が消えていくのを見るしかないんです。
そして気づいたときには、そこに私しかいない…」
アダムは何も言わない。姿が見えないことで、もしかして彼が
この独白を聞いていないのではないかという危惧が頭をかすめたが、
返事のかわりに気まずそうに身じろぎする彼の気配を感じる。
「私は……あれを誇りに思いたくないんです」
暗い眼差しでそれだけ言って、いったん口を閉じる。
沈黙を埋めるように吹き抜ける風は相変わらず冷たい。
「ラドフォードで何が起きたのか、話してもらえますか」
――――――――――――――――
さーて今回のRendora診断だよ!
なんといっても半裸のアダムんがドキドキ度と
ヤヴァイ度を稼ぎまくってひどい結果になったよ!
クロエの暗い独白で胸キュン(悪い意味で)度は3、
次はほんわか度が上がるといいね!
Rendora診断(最高五つ★)
恋愛レベルLv1.5
ドキドキ度… ☆★★★★
ほんわか度…☆☆☆☆★
ヤヴァイ度… ★★★★★
胸キュン度… ☆☆★★★
PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ラズロ リリア リック
場所:エドランス国 ウサギ型眷属の村近く
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「俺は疑問に思っているんだが」
ラズロは、真面目な顔で腕組みをし、アベルとリックにシリアスな口調で告げた。
アベルはきょとんとした顔で、片やリックはラズロの口調にどこか圧倒され、黙って
聞いていた。
ラズロはかまわず続ける。
「女というのは、どうして、ああいった、ふさふさした生き物が関わると喜ぶんだ
?」
……あまり深刻な疑問ではないようだ。
「ふさふさが好きなんじゃねえの?」
単純に答えたのはアベル。
しかし、この答えにラズロは不満なようで、
「だから、どうして女はふさふさが好きなんだろうかと考えているんだが?」
眉間にかすかにシワを寄せた。
「うーん。言われてみると、確かに、女ってさ、小さくてふかふかした毛並みの生き
物を見ると、すぐ『カワイイー!』って言って、なでたり抱きしめたりしたがるんだ
よなぁ」
リックの言うそれは、おそらくリリアのことだろう。
「おまけに、その時一緒にいると、『ちょっと、ほらほらほら、見なさいよ! カワ
イイでしょ? ねぇねぇ』ってうるさくってさ。こっちが『ああそうだね』って言わ
ない限り、しつこく
言ってくるんだぜ。小動物は嫌いじゃないけどさ、別に歓声上げて喜ぶほどじゃない
よ、俺」
「……女はよくわからない」
聞き終えたラズロは、深いため息をつき、腕組みをほどいて地面を睨んだ。
「たかだかウサギ型の眷属の村に行くというだけで、どこからこんなパワーが出てく
るんだ?」
一行……もとい少年三人と、そこから離れた位置で何やら楽しげに会話している少女
二人は、目指していた村が見える位置にいた。
この分だと、予定していたよりもずっと早く、村に到着することになりそうだ。
予定よりもずっと早くここまで来た理由。
それは、リリアとヴァネッサ……というよりも主にリリアが一行を引っ張る形で道中
を突き進んだためである。
ラズロは正直、この少女二人の方が疲労しやすいだろうから、間に休憩を挟むべき
か、とも考えていたのだ。
それなのに、実際は少年三人の方がちょっと疲れている。
少女二人の方は疲れの色など微塵も見せていない。
気がつけば、少女二人の方が前方を歩いている。
――女の子というのは、か弱いのだから、男子が常に守って差し上げなければなりま
せん。
ラズロは、この状況を省みて、ふと、幼少の頃にばあやに言われた言葉が頭をよぎり
――冒頭の台詞に辿りついたわけである。
「女って、たくましい生き物だなぁ」
リックがぼそりと呟き。
「ヴァネッサは違うっての」
ここのところ落ちついているとはいえ、まだ油断のならない発作を持つ姉をかばっ
て、アベルは反論し。
「悪い。撤回。リリアってたくましいよなぁ」
反論を受け、リックが前言を撤回して言い直し。
「こら、アンタたち!」
そこへ突如飛んできたリリアの声に、三人はギクリと固まる。
別に悪いことをしていたわけではないが、コソコソ話していたというのが少しばかり
後ろめたいのだ。
「ちゃっちゃと歩きなさいよ、ったく、さっさとクエスト済ませて、ウサギさん達と
触れ合わなきゃいけないんだから!」
リリアはそんな様子に気付いていないようで、腰に両手を当てて声を上げている。
彼女の中では、すでにクエストよりもウサギ型眷属との触れ合いの方が重要事項に
なっているらしい。
「楽しみだね、リリアちゃん」
その隣で、ヴァネッサは額ににじんだ汗をぬぐい、微笑んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NPC:ラズロ リリア リック
場所:エドランス国 ウサギ型眷属の村近く
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「俺は疑問に思っているんだが」
ラズロは、真面目な顔で腕組みをし、アベルとリックにシリアスな口調で告げた。
アベルはきょとんとした顔で、片やリックはラズロの口調にどこか圧倒され、黙って
聞いていた。
ラズロはかまわず続ける。
「女というのは、どうして、ああいった、ふさふさした生き物が関わると喜ぶんだ
?」
……あまり深刻な疑問ではないようだ。
「ふさふさが好きなんじゃねえの?」
単純に答えたのはアベル。
しかし、この答えにラズロは不満なようで、
「だから、どうして女はふさふさが好きなんだろうかと考えているんだが?」
眉間にかすかにシワを寄せた。
「うーん。言われてみると、確かに、女ってさ、小さくてふかふかした毛並みの生き
物を見ると、すぐ『カワイイー!』って言って、なでたり抱きしめたりしたがるんだ
よなぁ」
リックの言うそれは、おそらくリリアのことだろう。
「おまけに、その時一緒にいると、『ちょっと、ほらほらほら、見なさいよ! カワ
イイでしょ? ねぇねぇ』ってうるさくってさ。こっちが『ああそうだね』って言わ
ない限り、しつこく
言ってくるんだぜ。小動物は嫌いじゃないけどさ、別に歓声上げて喜ぶほどじゃない
よ、俺」
「……女はよくわからない」
聞き終えたラズロは、深いため息をつき、腕組みをほどいて地面を睨んだ。
「たかだかウサギ型の眷属の村に行くというだけで、どこからこんなパワーが出てく
るんだ?」
一行……もとい少年三人と、そこから離れた位置で何やら楽しげに会話している少女
二人は、目指していた村が見える位置にいた。
この分だと、予定していたよりもずっと早く、村に到着することになりそうだ。
予定よりもずっと早くここまで来た理由。
それは、リリアとヴァネッサ……というよりも主にリリアが一行を引っ張る形で道中
を突き進んだためである。
ラズロは正直、この少女二人の方が疲労しやすいだろうから、間に休憩を挟むべき
か、とも考えていたのだ。
それなのに、実際は少年三人の方がちょっと疲れている。
少女二人の方は疲れの色など微塵も見せていない。
気がつけば、少女二人の方が前方を歩いている。
――女の子というのは、か弱いのだから、男子が常に守って差し上げなければなりま
せん。
ラズロは、この状況を省みて、ふと、幼少の頃にばあやに言われた言葉が頭をよぎり
――冒頭の台詞に辿りついたわけである。
「女って、たくましい生き物だなぁ」
リックがぼそりと呟き。
「ヴァネッサは違うっての」
ここのところ落ちついているとはいえ、まだ油断のならない発作を持つ姉をかばっ
て、アベルは反論し。
「悪い。撤回。リリアってたくましいよなぁ」
反論を受け、リックが前言を撤回して言い直し。
「こら、アンタたち!」
そこへ突如飛んできたリリアの声に、三人はギクリと固まる。
別に悪いことをしていたわけではないが、コソコソ話していたというのが少しばかり
後ろめたいのだ。
「ちゃっちゃと歩きなさいよ、ったく、さっさとクエスト済ませて、ウサギさん達と
触れ合わなきゃいけないんだから!」
リリアはそんな様子に気付いていないようで、腰に両手を当てて声を上げている。
彼女の中では、すでにクエストよりもウサギ型眷属との触れ合いの方が重要事項に
なっているらしい。
「楽しみだね、リリアちゃん」
その隣で、ヴァネッサは額ににじんだ汗をぬぐい、微笑んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC.アンシェリー
NPC.買取屋,胡散臭い髭面の男
Place.ルバイバキエーロ通り三番街
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
「嬢ちゃん、あんた知っているかい?もうすぐルバイバで“魔道書市”が開かれるんだ」
その情報を耳にしたとき、普段から「削るなら食費だ」と言って本の海に埋没しているのに
も関わらず、アンシェリーは単純に心躍るといった気持ちに浸ることが出来なかった。それ
は過去の苦い想い出がフラッシュバックしたからであった。
去る年の十二月、要塞都市カールスベルグでは年末恒例である古書市が催されていた。
古代より戦火が絶えなかった都市とあって、魔道書は勿論、先述指南書等が多く目立つの
が特徴である。噂を聞きつけやってきていたアンシェリーは持ち前の審美眼を光らせながら
魔道書の品定めをしていたのだが、その最中、突然ぼろを纏った乞食の少女に体当たりを
食らわされ財布を盗まれたのであった。アンシェリーは決死の追走を敢行したが、複雑に入
り組んだ迷路のような要塞都市においては少女に地の利があった。魔力をフルに使用して
やっとのことで財布を取り戻すものの、市へ戻ったころには目星を付けていたものたちは既
に新たな主人の下へと奉公に出ていた。思いあまったアンシェリーは『財布の紐が堅くなる
本』などという理解に苦しむ本を買ってしまい泣くに泣けなくなった。
そんなことがあったためどうにも素直に喜べないアンシェリーであったが、気付くと船の搭
乗手続きを済ませていたのだから体は嘘を付けないようだ。あまずっぱいとでも言えば可愛
がってもらえるだろうか。期待と焦りが混ざったような感情がアンシェリーの空に雲となって
広がっていた。
魔道書を求めて旅をするアンシェリーは、各地で仕事をして生計を立てているのだが、そ
の傍ら、もう一つ生業としているものがあった。魔道書の転売である。これがなかなか儲か
るらしく、お金持ちとまでは言えないものの、アンシェリーが路銀に困るといったことは終生
なかったと言われる。しかしその反面、面倒事に巻き込まれやすいらしく、魔術学校の客員
教授に迎え入れられたり、地方宗教の神の使いに祭り上げられたりしたまではまだいいも
のの、邪教の徒として迫害を被ったり、魔女裁判にかけられ危うく極刑を言い渡されそうに
なったことまでもあった。
そんな小金持ちアンシェリーが航海の旅を終え、ルバイバの街に到着して、魔道書市へ
の逸る思いを抑え、真っ先に行ったのが手持ちの魔道書の売却であった。
ルバイバキエーロ通り三番街にて催されている魔道書市は、通りに架かる大小三本の橋
によって出店傾向が異なる。先ず、三番街の最も北に架かるのはソプラノ橋。名前に似合
わず三本橋の中で最も太く長い。がっしりとした造りのこの橋を叩いて渡るなど杞憂中の杞
憂である。面積の広いこの橋では、今回の目玉商品や有名魔道書、広範囲に使用されて
いる大系魔法を取り扱ったものや、魔法を使えない人にも楽しめる本が並んでいる。正統
派の魔術師であればこの橋を見て回るだけで用を済ませることが出来るであろう。実際来
客の殆どはこの橋に集中しており大変な賑わいを見せている。次に、ソプラノ橋の南、三番
街のほぼ中央に位置するのがアルト橋である。三本の橋では一番歴史が古く、施された彫
刻も非常に価値が高い。ここには一般にはあまり普及していない珍しい魔道書や、地方的
なものや、古代魔術の書等が並んでいる。ソプラノ橋と比べてしまうと客足は寂しいのだ
が、まあまあといった盛況ぶりである。そしてアルト橋を渡り更に南下し、しばらく歩くと三番
街の最後の橋に辿り着く。テナー橋。退廃的なアーチを描くこの橋上では、魔道書市の裏
の顔を見ることが出来る。元々治安が良くない地域に架かるこの橋に広がるのは、黒魔
法、呪術、屍霊魔法といった外道の類である。店を出す者も訪れる者も他の橋とは明らか
に雰囲気が違い、目が合っただけで殺されてしまいそうな気さえ起こる。
そしてアンシェリーが今いるのはソプラノ橋の最南端にある、買い取り専門の店である。最
初アンシェリーが店を訪れるとまん丸の顔にちょび髭をのせた店主は迷子の仔猫を見つめ
るようないぶかしげな顔をし、手持ちの本を差し出すと、にっと嫌らしい笑顔を浮かべ良心的
な雰囲気を装いつつも、露骨に足元を見てきた。本の価値も解らない小娘だと思われること
は全く快くなかったが、アンシェリーは冷静を保って交渉に臨み、多少赤字ではあるが購入
金額とほぼ同額で売却することに成功した。
思いがけず時間も体力も消費してしまったが何とか資金繰りが出来た。ここでへばってい
ては意味がない。アンシェリーは本を売りに来たのではない。買いに来たのだ。本番はここ
からである。
通常レベルでは潤沢と言っていい程の資金を得たものの、魔道書を買い漁るという夢のよ
うな行為には程遠かった。アンシェリーには限られた資金の中で効用を最大化する為の作
戦立案が要求された。良い物を、安く、速く、手に入れなければならないのだ。手当たり次
第欲しい物を買っていては一つの橋を回りきる前に資金が尽きてしまうし、一つ一つ吟味し
ていると良い物はどんどん買われていってしまう。用意するのは正確な観察眼と素速い決
断力、出来ることなら運も欲しいところだ。前述の三つのうち始めの二つをアンシェリーは持
っていた。しかし、三つ目に関してはあったともなかったとも言い難いものであった。後にア
ンシェリー本人に聞くと、「なかった」と即答されることだけは間違いないのだが。
買い取り屋を後にしたアンシェリーは思案していた。無情にもここでも性急な決断が迫ら
れていた。楽しいお買い物という訳にはいかない。一国の命運を賭すにも値する、これは聖
戦なのだ。負けることなど決して許されない、玉砕覚悟の全面抗争である。その戦いの指揮
をとるのは弱冠18歳の将、アンシェリー・チェレスタである。彼女は今回のルバイバへの壮
大な遠征に際し、自軍を2:4:3:1に分割することを決断した。自国の防衛に当たる第一部
隊は全軍の二割にしか満たないが、これは決して少ない数ではない。通常の生活を送るに
は十分すぎる程の兵力をアンシェリーは残したのである。そして全軍の四割の兵力を保有
する第二部隊が先陣を切り、三番街ソプラノ橋への攻撃を開始する。文字通りその身を削
り、敵の大将を討ち取るのが使命である。その後、第二部隊の残存兵は全軍の三割の兵
力を持つ第三部隊に合流しアルト橋へと時間差攻撃を仕掛ける。最後に全軍最小の第四
部隊は終始遊撃に徹し各部隊の全滅を防ぐことを任務とした。
かくしてアンシェリー・チェレスタ提督指揮の下、ルバイバキエーロ通り三番街魔道書市に
於ける戦いが幕を開けたのだが、提督の作戦は開始から三時間後、第二部隊がその兵力
の四分の三を消耗したところで脆くも破綻したのである。思いもよらない敵の、それもとんで
もない大物の、奇襲を受けたのである。
それまで第二部隊は順調に作戦を遂行し、三つの手柄を立てていた。『聖魔法~Holy Vi
olence~』、『魔法の三分料理レシピ』、『桃色キノコ大全』。いずれも今日まで数々の武勲
あげてきた歴戦の名将であった。当然一筋縄では行かず、各々の討伐に当たった兵で生き
残った者は一人たりともいなかった。そして本作戦の最高責任者アンシェリー・チェレスタ元
帥はポーカーフェイスを貫きながらも心の内では満面の笑みを浮かべることを禁じ得なか
った。何もかもが上手く行っていたのである。アンシェリーは全能の神にでもなったような感
覚に溺れかけていた。そう、その瞬間までは。
「そこのお嬢さん、ルバイバの魔道書市に来たなら最低、二冊は買って帰らにゃ死ねない
ぜ?」
振り向き様に一瞬視線が交差した。目に入る髭面に何か感想を持つよりも、既に三冊買っ
ているというつっこみを入れるよりも早く、アンシェリーは敵の総大将のゼロ距離からの砲撃
を被った。それは余りに不意打ちすぎた。最早認識外となった男の持っていた青い装丁の
二冊の本。空の青と、海の青。曖昧な境界線。アンシェリーは眼前に広がる世界へと吸い
込まれていった。四角い二つの窓に映る世界こそが真の世界で、今自分たちのいる世界は
この広大な海と空の上にのった薄っぺらな贋の世界のように思えた。一度は総崩れになり
かけたが、アンシェリーは素早く部隊を再編し、吹き荒れる嵐と荒れる波の中、勇敢にも敵
の総大将に立ち向かった。雌雄が決したとき、アンシェリー軍の犠牲はついに7割に達し
た。
アンシェリーが代金を差し出すと、ヒゲ面の男は所有権を体で主張するように乱暴に受け
取り足早に去っていった。アンシェリーの腕の中に穏やかに落ち着いた空と海だけが残っ
た。神は世界を手にした。 この二つの本が災いの種でしかなかったことなどは、このとき
神ですらも知るところでなかった。
日は傾き、空は茜に染まる。紅い魔王が遠く聳えるストンビ山脈へと消えていく。各所で店
じまいの支度が始まるが、人々の往来は止まることを知らないかのようであった。家路へつ
く者、未だ書物を求める者、それぞれの目的を持った跫音が幾重にも重なり合う。そんな無
意識的な雑音の中から一つの音がアンシェリーの頭上に響いた。石畳を叩くような、鋭い跫
音。得体の知れない目的。第二音を奏でない旋律はすぐに無意識へと散っていった。アン
シェリーは五人にも上る将軍の首を重そうに抱えながら、ふらふらと雑踏の中へと消えてい
った。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
NPC.買取屋,胡散臭い髭面の男
Place.ルバイバキエーロ通り三番街
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
「嬢ちゃん、あんた知っているかい?もうすぐルバイバで“魔道書市”が開かれるんだ」
その情報を耳にしたとき、普段から「削るなら食費だ」と言って本の海に埋没しているのに
も関わらず、アンシェリーは単純に心躍るといった気持ちに浸ることが出来なかった。それ
は過去の苦い想い出がフラッシュバックしたからであった。
去る年の十二月、要塞都市カールスベルグでは年末恒例である古書市が催されていた。
古代より戦火が絶えなかった都市とあって、魔道書は勿論、先述指南書等が多く目立つの
が特徴である。噂を聞きつけやってきていたアンシェリーは持ち前の審美眼を光らせながら
魔道書の品定めをしていたのだが、その最中、突然ぼろを纏った乞食の少女に体当たりを
食らわされ財布を盗まれたのであった。アンシェリーは決死の追走を敢行したが、複雑に入
り組んだ迷路のような要塞都市においては少女に地の利があった。魔力をフルに使用して
やっとのことで財布を取り戻すものの、市へ戻ったころには目星を付けていたものたちは既
に新たな主人の下へと奉公に出ていた。思いあまったアンシェリーは『財布の紐が堅くなる
本』などという理解に苦しむ本を買ってしまい泣くに泣けなくなった。
そんなことがあったためどうにも素直に喜べないアンシェリーであったが、気付くと船の搭
乗手続きを済ませていたのだから体は嘘を付けないようだ。あまずっぱいとでも言えば可愛
がってもらえるだろうか。期待と焦りが混ざったような感情がアンシェリーの空に雲となって
広がっていた。
魔道書を求めて旅をするアンシェリーは、各地で仕事をして生計を立てているのだが、そ
の傍ら、もう一つ生業としているものがあった。魔道書の転売である。これがなかなか儲か
るらしく、お金持ちとまでは言えないものの、アンシェリーが路銀に困るといったことは終生
なかったと言われる。しかしその反面、面倒事に巻き込まれやすいらしく、魔術学校の客員
教授に迎え入れられたり、地方宗教の神の使いに祭り上げられたりしたまではまだいいも
のの、邪教の徒として迫害を被ったり、魔女裁判にかけられ危うく極刑を言い渡されそうに
なったことまでもあった。
そんな小金持ちアンシェリーが航海の旅を終え、ルバイバの街に到着して、魔道書市へ
の逸る思いを抑え、真っ先に行ったのが手持ちの魔道書の売却であった。
ルバイバキエーロ通り三番街にて催されている魔道書市は、通りに架かる大小三本の橋
によって出店傾向が異なる。先ず、三番街の最も北に架かるのはソプラノ橋。名前に似合
わず三本橋の中で最も太く長い。がっしりとした造りのこの橋を叩いて渡るなど杞憂中の杞
憂である。面積の広いこの橋では、今回の目玉商品や有名魔道書、広範囲に使用されて
いる大系魔法を取り扱ったものや、魔法を使えない人にも楽しめる本が並んでいる。正統
派の魔術師であればこの橋を見て回るだけで用を済ませることが出来るであろう。実際来
客の殆どはこの橋に集中しており大変な賑わいを見せている。次に、ソプラノ橋の南、三番
街のほぼ中央に位置するのがアルト橋である。三本の橋では一番歴史が古く、施された彫
刻も非常に価値が高い。ここには一般にはあまり普及していない珍しい魔道書や、地方的
なものや、古代魔術の書等が並んでいる。ソプラノ橋と比べてしまうと客足は寂しいのだ
が、まあまあといった盛況ぶりである。そしてアルト橋を渡り更に南下し、しばらく歩くと三番
街の最後の橋に辿り着く。テナー橋。退廃的なアーチを描くこの橋上では、魔道書市の裏
の顔を見ることが出来る。元々治安が良くない地域に架かるこの橋に広がるのは、黒魔
法、呪術、屍霊魔法といった外道の類である。店を出す者も訪れる者も他の橋とは明らか
に雰囲気が違い、目が合っただけで殺されてしまいそうな気さえ起こる。
そしてアンシェリーが今いるのはソプラノ橋の最南端にある、買い取り専門の店である。最
初アンシェリーが店を訪れるとまん丸の顔にちょび髭をのせた店主は迷子の仔猫を見つめ
るようないぶかしげな顔をし、手持ちの本を差し出すと、にっと嫌らしい笑顔を浮かべ良心的
な雰囲気を装いつつも、露骨に足元を見てきた。本の価値も解らない小娘だと思われること
は全く快くなかったが、アンシェリーは冷静を保って交渉に臨み、多少赤字ではあるが購入
金額とほぼ同額で売却することに成功した。
思いがけず時間も体力も消費してしまったが何とか資金繰りが出来た。ここでへばってい
ては意味がない。アンシェリーは本を売りに来たのではない。買いに来たのだ。本番はここ
からである。
通常レベルでは潤沢と言っていい程の資金を得たものの、魔道書を買い漁るという夢のよ
うな行為には程遠かった。アンシェリーには限られた資金の中で効用を最大化する為の作
戦立案が要求された。良い物を、安く、速く、手に入れなければならないのだ。手当たり次
第欲しい物を買っていては一つの橋を回りきる前に資金が尽きてしまうし、一つ一つ吟味し
ていると良い物はどんどん買われていってしまう。用意するのは正確な観察眼と素速い決
断力、出来ることなら運も欲しいところだ。前述の三つのうち始めの二つをアンシェリーは持
っていた。しかし、三つ目に関してはあったともなかったとも言い難いものであった。後にア
ンシェリー本人に聞くと、「なかった」と即答されることだけは間違いないのだが。
買い取り屋を後にしたアンシェリーは思案していた。無情にもここでも性急な決断が迫ら
れていた。楽しいお買い物という訳にはいかない。一国の命運を賭すにも値する、これは聖
戦なのだ。負けることなど決して許されない、玉砕覚悟の全面抗争である。その戦いの指揮
をとるのは弱冠18歳の将、アンシェリー・チェレスタである。彼女は今回のルバイバへの壮
大な遠征に際し、自軍を2:4:3:1に分割することを決断した。自国の防衛に当たる第一部
隊は全軍の二割にしか満たないが、これは決して少ない数ではない。通常の生活を送るに
は十分すぎる程の兵力をアンシェリーは残したのである。そして全軍の四割の兵力を保有
する第二部隊が先陣を切り、三番街ソプラノ橋への攻撃を開始する。文字通りその身を削
り、敵の大将を討ち取るのが使命である。その後、第二部隊の残存兵は全軍の三割の兵
力を持つ第三部隊に合流しアルト橋へと時間差攻撃を仕掛ける。最後に全軍最小の第四
部隊は終始遊撃に徹し各部隊の全滅を防ぐことを任務とした。
かくしてアンシェリー・チェレスタ提督指揮の下、ルバイバキエーロ通り三番街魔道書市に
於ける戦いが幕を開けたのだが、提督の作戦は開始から三時間後、第二部隊がその兵力
の四分の三を消耗したところで脆くも破綻したのである。思いもよらない敵の、それもとんで
もない大物の、奇襲を受けたのである。
それまで第二部隊は順調に作戦を遂行し、三つの手柄を立てていた。『聖魔法~Holy Vi
olence~』、『魔法の三分料理レシピ』、『桃色キノコ大全』。いずれも今日まで数々の武勲
あげてきた歴戦の名将であった。当然一筋縄では行かず、各々の討伐に当たった兵で生き
残った者は一人たりともいなかった。そして本作戦の最高責任者アンシェリー・チェレスタ元
帥はポーカーフェイスを貫きながらも心の内では満面の笑みを浮かべることを禁じ得なか
った。何もかもが上手く行っていたのである。アンシェリーは全能の神にでもなったような感
覚に溺れかけていた。そう、その瞬間までは。
「そこのお嬢さん、ルバイバの魔道書市に来たなら最低、二冊は買って帰らにゃ死ねない
ぜ?」
振り向き様に一瞬視線が交差した。目に入る髭面に何か感想を持つよりも、既に三冊買っ
ているというつっこみを入れるよりも早く、アンシェリーは敵の総大将のゼロ距離からの砲撃
を被った。それは余りに不意打ちすぎた。最早認識外となった男の持っていた青い装丁の
二冊の本。空の青と、海の青。曖昧な境界線。アンシェリーは眼前に広がる世界へと吸い
込まれていった。四角い二つの窓に映る世界こそが真の世界で、今自分たちのいる世界は
この広大な海と空の上にのった薄っぺらな贋の世界のように思えた。一度は総崩れになり
かけたが、アンシェリーは素早く部隊を再編し、吹き荒れる嵐と荒れる波の中、勇敢にも敵
の総大将に立ち向かった。雌雄が決したとき、アンシェリー軍の犠牲はついに7割に達し
た。
アンシェリーが代金を差し出すと、ヒゲ面の男は所有権を体で主張するように乱暴に受け
取り足早に去っていった。アンシェリーの腕の中に穏やかに落ち着いた空と海だけが残っ
た。神は世界を手にした。 この二つの本が災いの種でしかなかったことなどは、このとき
神ですらも知るところでなかった。
日は傾き、空は茜に染まる。紅い魔王が遠く聳えるストンビ山脈へと消えていく。各所で店
じまいの支度が始まるが、人々の往来は止まることを知らないかのようであった。家路へつ
く者、未だ書物を求める者、それぞれの目的を持った跫音が幾重にも重なり合う。そんな無
意識的な雑音の中から一つの音がアンシェリーの頭上に響いた。石畳を叩くような、鋭い跫
音。得体の知れない目的。第二音を奏でない旋律はすぐに無意識へと散っていった。アン
シェリーは五人にも上る将軍の首を重そうに抱えながら、ふらふらと雑踏の中へと消えてい
った。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-