PC: フェイ
NPC: エルガー 先生
場所:エドランス
――――――――――――――――
泣き叫ぶ事もできないほどに恐怖に硬直する子供にから、目が離せずにいると
頭の中で冷静な部分が声を響かせる。
(アレハ、ボクジャナイ……ボクジャナイ……)
その子供をかばうつもりだったのか、飛び出した戦士の一人が一撃の下に崩れ落
とされる。
その戦士の体をまたぐように乗り越えてきたのは、豹の体に人間のようにも見え
る頭をもつ人頭獣身の魔獣だった。
全長3メートルはゆうに超えるであろう巨体ながら、豹の肉体にふさわしいしな
やかさで大地を踏みしめるさまは、脆弱な生命を威圧するにふさわしかった。
しかしながらその頭部は醜悪な男の顔を連想させる人頭で、耳元まで避ける口か
らは細かく並んだ牙の列がよだれに光り、目から感じる邪悪な意思とあいなって、
とても雄大とか壮大といった形容詞が思い浮かばないような有様だった。
(アレモチガウ……アノトキノアイツトハ……ニテイルケドチガウ……)
頭が痛む。
魔獣を確認して、声がより大きく響く。
気が遠くなりそうな声に耐えるその視界に、立ち尽くす子供を見定めた魔獣がゆ
っくり歩み寄るのが映った。
子供の瞳が恐怖から絶望に変わるのを感じた瞬間、目の前が赤く染まり周りが何
も見えなくなり、それとともに体が駆け出すのを感じた。
「フェイ! まだはやい!」
後ろで誰かが叫ぶのが聞こえたが、それを無視して駆ける。
魔獣が前足を振り上げようとしていたが、気配を察したのかフェイが飛び出して
くるほうを向き、とっさにそちらに向かって凪ぐように前足を振った。
「オオオオオオオオオ!」
「GAAAAAAAAAAA!」
のどから自然にもれる咆哮が魔獣のそれと交じり合い大地を揺らす。
魔獣の左側面に突っ込んだフェイは、片手で抜き放った直刀を水平に突き出すよ
うにしたまま腰に構え、腕をさながら弓を限界まで引き絞るようにそらしたまま、
寸前で急停止をして鉄すら引き裂く必殺の爪をかわす。
そして腰元からひねりの力を腕先にまで伝えるようにし、その上に急停止の「た
め」のちからを乗せて魔獣の横っ腹にぶち込んだ。
「GUAAAWOOOOOO!」
3メートル強の体がはじけるように横に倒れる。
ほんの刹那の攻防に、もてる最大の攻撃力を打ち込んだフェイはそれでも油断な
く魔獣の様子を伺っていたが、視界の隅で子供が動き出したのを捕らえた。
「おい、こっちくんな! 逃げろ!」
注意をそらしたといっても気は張っていたはずだったが、高度な戦闘においてそ
のわずかな隙が命取りになる。
フェイが味方とわかったのか、こちらに来る気配を向けた子供に声をかけたその
一瞬、魔獣が跳ねるように起き上がると、その勢いのまま前足の凶爪を振り下ろし
た。
「っが!」
気がつくのが遅れた分交わしきれないと悟ったフェイは、とっさに剣を斜に構え
て受けようとしたが、その圧力に抗しきれずになぎ倒されるように飛ばされた。
「GOAAAAAA!!」
弾かれるときに腕から胸にかけて、鎧ごと引き裂かれ、地面に打ちつけた衝撃と
凶爪によるその傷とでふらつく視界に猛る魔獣の姿が映った。
おそらく魔獣も致命傷を負ったはずなに、今だけは怒りに狂い、もてる力すべて
を暴力と化す嵐となっていた。
だが、その嵐がフェイを襲う事はなかった。
薄れ行く意識のなか、体制を整えた仲間達が連携をとりながら魔獣に対している
のをみた。
(ちっくしょう……オレはまだ……。)
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「死にたいのかと、聞いている! フェイ・ロー!」
魔獣退治の依頼を終え、アカデミーにて事後報告と手続きを済ませた冒険者達は
休憩用の一室にいた。
「るっせーな、勝ったんだからいいだろ?」
フェイに詰め寄っているのは今回の依頼で組んだパーティのリーダーで、アカデ
ミーでも名の知れた戦士であるエルガーだった。
180前後の長身のフェイよりもさらに頭一つ高いエルガーは、体つきもしっかりと
鍛えられた筋肉におおわれ、いかにも戦死を体現したような巨漢の青年だった。
かれらはとある遺跡で目覚めた魔獣討伐のために臨時で組んだ仲間であり、顔見
知りではあるものの普段は別々に活動していた。
一応リーダーを決めては見たものの、フェイが独走する形となり、こうしてもめ
ているわけだった。
「いくら君の体が人並みはずれていたとしても……。」
「ああ、だからわかったって!」
「フェイ!君のことは知ってるつもりだがこのままでは……。」
「だからうるさいってんたろ!それ以上は言うな!」
フェイは臆する事もなく真っ直ぐ射抜くようににらみつけ、ふいに話を打ち切る
ように部屋を出て行こうとする。
戸口に手をかけたところで思い出したように振り向きもせずに、今まで黙って様
子を見ていたアカデミーの教官であり、修士を取ったエルガーやフェイが所属する
「教室」の主任でもある壮年の男に話しかけた。
「先生、あのときの子供は……。」
先生と呼ばれた男は落ち着いた低い声で答えた。
「大丈夫だ。お前の稼いだ時間がパーティの布陣を完成させるのに役立った。たて
になった戦士も一命を取りとめたそうだ。」
そう聞いて懸念が消えたのか、少しだけ目元を和らげるとそのまま戸を引こうと
するフェイの背に、今度は男のほうが声をかけた。
「フェイ、一つ間違えばあの子も殺されていたところだ。なんらかのペナルティは
かくごしておけ。」
フェイは何も言わぬまま、肩越しに手を振ってそのまま外へ出て行った。
「ふー、あいつにもこまったものだな。」
「先生!そんなのんきな。」
フェイが出て行った戸口を見ながらため息をついた『先生』に、エルガーは渋い
顔で応じた。
「あいつがいくら頑丈だとは言え、人の血が濃くなった今の体は銀の魔力しか効か
ないっていう不死身の肉体ではないんですよ。このままじゃあいつ、本当に死にま
すよ。」
「わかっているよ、エルガー。それはあいつも。」
「ですが……。」
「そうだな……、あいつは連携というものを知らん。今以上のレベルで戦っていく
上でそれは致命的な欠点でもある。」
一人でいくら強くなろうと、剣闘士のように限定され誕生しかないのであればと
もかく、敵も戦場も条件も常に不確定な中で高いレベルの先頭に勝ち残るのは不可
能に近い。
今回の件にしても、連携をきちっととっていれば、フェイが一撃入れた後に魔獣
が再び立ち上がる事はなかっただろう。
「ちょうどペナルティも必要な事だし、あいつには自分よりレベルの高いものより
も、むしろ自分が補う側に回る経験が必要かもしれんな。」
エルガーは『先生』の言わんとするとこを悟って言葉を詰まらせる。
「意味はわかりますが、うかつな者だとつぶされるだけに成りかねませんよ。フェ
イは人を育てるタイプとは思えませんし。」
「まあまて。実は心当たりがなくもないのだ。向こうは向こうで首似た図名をつけ
れるものを探しているらしくてな。」
「……大丈夫なんですか?」
エルガーの不安に『先生』は肩をすくめた。
「なるようにしかなるまいよ。」
――――――――――――――――
NPC: エルガー 先生
場所:エドランス
――――――――――――――――
泣き叫ぶ事もできないほどに恐怖に硬直する子供にから、目が離せずにいると
頭の中で冷静な部分が声を響かせる。
(アレハ、ボクジャナイ……ボクジャナイ……)
その子供をかばうつもりだったのか、飛び出した戦士の一人が一撃の下に崩れ落
とされる。
その戦士の体をまたぐように乗り越えてきたのは、豹の体に人間のようにも見え
る頭をもつ人頭獣身の魔獣だった。
全長3メートルはゆうに超えるであろう巨体ながら、豹の肉体にふさわしいしな
やかさで大地を踏みしめるさまは、脆弱な生命を威圧するにふさわしかった。
しかしながらその頭部は醜悪な男の顔を連想させる人頭で、耳元まで避ける口か
らは細かく並んだ牙の列がよだれに光り、目から感じる邪悪な意思とあいなって、
とても雄大とか壮大といった形容詞が思い浮かばないような有様だった。
(アレモチガウ……アノトキノアイツトハ……ニテイルケドチガウ……)
頭が痛む。
魔獣を確認して、声がより大きく響く。
気が遠くなりそうな声に耐えるその視界に、立ち尽くす子供を見定めた魔獣がゆ
っくり歩み寄るのが映った。
子供の瞳が恐怖から絶望に変わるのを感じた瞬間、目の前が赤く染まり周りが何
も見えなくなり、それとともに体が駆け出すのを感じた。
「フェイ! まだはやい!」
後ろで誰かが叫ぶのが聞こえたが、それを無視して駆ける。
魔獣が前足を振り上げようとしていたが、気配を察したのかフェイが飛び出して
くるほうを向き、とっさにそちらに向かって凪ぐように前足を振った。
「オオオオオオオオオ!」
「GAAAAAAAAAAA!」
のどから自然にもれる咆哮が魔獣のそれと交じり合い大地を揺らす。
魔獣の左側面に突っ込んだフェイは、片手で抜き放った直刀を水平に突き出すよ
うにしたまま腰に構え、腕をさながら弓を限界まで引き絞るようにそらしたまま、
寸前で急停止をして鉄すら引き裂く必殺の爪をかわす。
そして腰元からひねりの力を腕先にまで伝えるようにし、その上に急停止の「た
め」のちからを乗せて魔獣の横っ腹にぶち込んだ。
「GUAAAWOOOOOO!」
3メートル強の体がはじけるように横に倒れる。
ほんの刹那の攻防に、もてる最大の攻撃力を打ち込んだフェイはそれでも油断な
く魔獣の様子を伺っていたが、視界の隅で子供が動き出したのを捕らえた。
「おい、こっちくんな! 逃げろ!」
注意をそらしたといっても気は張っていたはずだったが、高度な戦闘においてそ
のわずかな隙が命取りになる。
フェイが味方とわかったのか、こちらに来る気配を向けた子供に声をかけたその
一瞬、魔獣が跳ねるように起き上がると、その勢いのまま前足の凶爪を振り下ろし
た。
「っが!」
気がつくのが遅れた分交わしきれないと悟ったフェイは、とっさに剣を斜に構え
て受けようとしたが、その圧力に抗しきれずになぎ倒されるように飛ばされた。
「GOAAAAAA!!」
弾かれるときに腕から胸にかけて、鎧ごと引き裂かれ、地面に打ちつけた衝撃と
凶爪によるその傷とでふらつく視界に猛る魔獣の姿が映った。
おそらく魔獣も致命傷を負ったはずなに、今だけは怒りに狂い、もてる力すべて
を暴力と化す嵐となっていた。
だが、その嵐がフェイを襲う事はなかった。
薄れ行く意識のなか、体制を整えた仲間達が連携をとりながら魔獣に対している
のをみた。
(ちっくしょう……オレはまだ……。)
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「死にたいのかと、聞いている! フェイ・ロー!」
魔獣退治の依頼を終え、アカデミーにて事後報告と手続きを済ませた冒険者達は
休憩用の一室にいた。
「るっせーな、勝ったんだからいいだろ?」
フェイに詰め寄っているのは今回の依頼で組んだパーティのリーダーで、アカデ
ミーでも名の知れた戦士であるエルガーだった。
180前後の長身のフェイよりもさらに頭一つ高いエルガーは、体つきもしっかりと
鍛えられた筋肉におおわれ、いかにも戦死を体現したような巨漢の青年だった。
かれらはとある遺跡で目覚めた魔獣討伐のために臨時で組んだ仲間であり、顔見
知りではあるものの普段は別々に活動していた。
一応リーダーを決めては見たものの、フェイが独走する形となり、こうしてもめ
ているわけだった。
「いくら君の体が人並みはずれていたとしても……。」
「ああ、だからわかったって!」
「フェイ!君のことは知ってるつもりだがこのままでは……。」
「だからうるさいってんたろ!それ以上は言うな!」
フェイは臆する事もなく真っ直ぐ射抜くようににらみつけ、ふいに話を打ち切る
ように部屋を出て行こうとする。
戸口に手をかけたところで思い出したように振り向きもせずに、今まで黙って様
子を見ていたアカデミーの教官であり、修士を取ったエルガーやフェイが所属する
「教室」の主任でもある壮年の男に話しかけた。
「先生、あのときの子供は……。」
先生と呼ばれた男は落ち着いた低い声で答えた。
「大丈夫だ。お前の稼いだ時間がパーティの布陣を完成させるのに役立った。たて
になった戦士も一命を取りとめたそうだ。」
そう聞いて懸念が消えたのか、少しだけ目元を和らげるとそのまま戸を引こうと
するフェイの背に、今度は男のほうが声をかけた。
「フェイ、一つ間違えばあの子も殺されていたところだ。なんらかのペナルティは
かくごしておけ。」
フェイは何も言わぬまま、肩越しに手を振ってそのまま外へ出て行った。
「ふー、あいつにもこまったものだな。」
「先生!そんなのんきな。」
フェイが出て行った戸口を見ながらため息をついた『先生』に、エルガーは渋い
顔で応じた。
「あいつがいくら頑丈だとは言え、人の血が濃くなった今の体は銀の魔力しか効か
ないっていう不死身の肉体ではないんですよ。このままじゃあいつ、本当に死にま
すよ。」
「わかっているよ、エルガー。それはあいつも。」
「ですが……。」
「そうだな……、あいつは連携というものを知らん。今以上のレベルで戦っていく
上でそれは致命的な欠点でもある。」
一人でいくら強くなろうと、剣闘士のように限定され誕生しかないのであればと
もかく、敵も戦場も条件も常に不確定な中で高いレベルの先頭に勝ち残るのは不可
能に近い。
今回の件にしても、連携をきちっととっていれば、フェイが一撃入れた後に魔獣
が再び立ち上がる事はなかっただろう。
「ちょうどペナルティも必要な事だし、あいつには自分よりレベルの高いものより
も、むしろ自分が補う側に回る経験が必要かもしれんな。」
エルガーは『先生』の言わんとするとこを悟って言葉を詰まらせる。
「意味はわかりますが、うかつな者だとつぶされるだけに成りかねませんよ。フェ
イは人を育てるタイプとは思えませんし。」
「まあまて。実は心当たりがなくもないのだ。向こうは向こうで首似た図名をつけ
れるものを探しているらしくてな。」
「……大丈夫なんですか?」
エルガーの不安に『先生』は肩をすくめた。
「なるようにしかなるまいよ。」
――――――――――――――――
PR
PC.ライアヒルト.アーシェリー
NPC.声だけの使者、赤い髪の吸血姫、胡散臭い髭面の男
Place.プロピア盆地の街リオン・ドール→ルバイバ・キエーロ通り三番街
--------------------------------------------------------------------
「なんですとぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
絶叫は真夜中の大聖堂の礼拝堂に響き渡った。
その悲痛さと音量は、殉教した聖者も柩から飛び上がって驚くかといわんばか
りの絶叫だった。
「だってその”本”を運ぶ旅団が通るっていうからっ!三日三晩山道で張って
たんですよっ!!」
深夜の静寂を切り裂く絹、というかガラスを引っかいたような金切り声をあげ
たのは一人の神父。へなへなと床に座り込み、がっくりと両手を床について土
下座のような姿勢に崩れる。周囲にリアクションをする人物の影は見当たらな
い…と、思いきや、礼拝堂の十字架の裏手から声が聞こえた。
「”向こう”も予想外だったらしい、なにせ翌日には今までの巧妙さなんて欠
片もない混乱っぷりだ。おかげで組織を丸ごと潰せたんだが、肝心の”本”の
行方がわからない という事だ」
モルフ地方で最も大きいイムヌス教大聖堂、ボルド山の麓に広がるプロピア盆
地の街リオン・ドール。イムヌス教が色濃く根付くこの街の守護聖人は「金獅
子」と呼ばれる巨漢で、その身体で千人の民を救い出したとされ、街のシンボ
ルとして大聖堂でも威風堂々とした屈強な男の像が祭られている。その屈強な
男の像の下で、女々しく声を震わせながら泣く男に声は同情したのか、続けて
事情を説明しはじめた。
「その組織なんだが、一人取り逃がしたらしい。というか、よりによって一番
面倒な男を取り逃がした…召喚術士のエストイって奴だ」
リオン・ドール大聖堂、七十七悪魔第十四番・魔術師シズが封印されているこ
の大聖堂は順位が高い悪魔が封印されているとあり、聖堂というよりも要塞と
いったほうが相応しい外観をしている。窓枠は全て鉄格子で塞がれており、開
いている鉄扉ごしに見える廊下には物々しい武器ばかりが飾られていた。
「召喚術士……?召喚師ではないんですかぁ?」
「師じゃない、士だ。数年前まで魔術学院に在籍してたらしいが異端の悪魔召
喚集団に手を貸していた、ってことで学院から即時退学されてる。事実は手を
貸すどころか主催者だったらしい。その後、悪魔召喚集団のカリスマに身を落
として…」
「つまり屑ね、まるで第十四番のような男」
今までの会話にない、ソプラノヴォイス。
「そのとおり」
礼拝堂の角、長椅子に座っていた一人の淑女の答えに神父以外の男が答える。
先ほどから冷静に神父に返答していた声だ。
「その屑なんだが、おそらく盗まれた”本”を取り戻しに夜盗の足を追ったん
だろう。盗賊ギルドの情報を買いに来たとこまではこっちも掴んだ、もちろ
ん”本”の足取りもだ」
「なんでそれで捕まらないのかしら?”本”の足取りが掴めたなら、先回りし
て回収してしまえばいいじゃない」
淑女の髪は血よりも鮮やかに赤くて、宝石のように透き通っていた。月の曖昧
な光ですら反射して、きらきらと輝いている。人にはありえない艶だ。神父と
の会話が果てしなく無駄だと気が付いたのか、声だけの相手は淑女の方に気配
を向ける。
「…足取りは掴んだが行方が分からない。その阿呆な夜盗はその旅団がどんな
組織か、奪い盗んだ”本”がどんなものかも知らずに見知らぬ商人に転売した
らしい。場所は大陸南のルバイバという街の手前で、四日後にはある市が開か
れるということでかなりの商人が入り込んでいるらしい。商人個人の特定は掴
めていない」
「…あら、ルバイバ?あそこは美味しい料理店があったのよ。八十五年前ぐら
いだけれどまだあるかしら?」
ふと回想に入る淑女の口元が薄く笑った。異様な八重歯を除かせて、うっとり
と呟く。
「…それは知らんが。とにかく四日後からルバイバをあげて開催される”魔道
書市”のために各地から本屋らが詰め掛けてる。ルバイバ手前でその夜盗、ど
この馬の骨にそれを売ったらしく何百もいる商人一人一人潰していくしかな
い」
「それで行方が分からない?と」
「おおよそ三万冊、本という本が揃い集うらしい。魔術者、魔法使いには垂涎
ものらしいな。面倒な事になった、興味本位の輩に売られると事は大きくなる
ぞ」
「あのぉ……」
二人の会話の間に、間抜けな声が邪魔をした。いささか冷たい沈黙の後、おず
おずと崩れていた男…四角眼鏡のひょろんとした男が立ち上がる。神父服だ
が、胸元に下がったロザリオはイムヌス教で有名な金十字架ではなく、真っ白
な十字架だ。中央には右目が異様な開き方をしている天使と竜の精緻な彫り物
が刻まれている。
「僕、不眠不休で山道を見張ってたんです…そりゃあもう大変で大変で…蚊に
さされるわ、狸に出くわすわ、雨が降ってくるわ、鴉にめがねを持ってかれる
わ…!!」
必死に今までの経緯を熱心に説明する男。熱弁が上がるほどに二人(一人+声)
の視線が冷たくなっていくのに気が付かないらしい。
「だからその」
「…ラーヒィが行きたくないなら、私も行かないわ。でも、このままじゃ無辜
の人々の手に”アルス・モンディの書”が渡るかもしれないわね。あら大変、
悪魔召喚なんて一度呼び出すと帰すのにどれだけちと肉が必要かしら?」
「さりげに貴女の目的が分かってしまった僕はなんて不幸なんでしょう、あぁ
聖女アグネス様、僕の愛する人はルバイバのご飯が食べたいだけに僕を死地へ
と向かうよう圧力をかけてきますぅぅぅ」
二人の男女の会話がどこかネジがずれていることも声は百も承知のようだっ
た。その中身には触れずに、今回の任務の題名を言葉にした。
「……”アルス・モンディの書”、七十七悪魔第二十九番・不死人オーエンハ
イムの「死」が宿るとされる禁書だ。エストイの狙いはそれだ、その本を回収
し、可能ならば消し去れ。これは聖命である」
-----------------------------------------------------------------------
----------------------------------------------------------------------
ルバイバの街は、怪しげな人々が所狭しとひしめき合っている。
今、街を見渡せば人、人、人。良く見ればエルフ、ダークエルフ、ドワーフ、
獣人、思いつき限りの人種がひしめき合っていて、中には複眼をそなえた昆虫
の外見をした人型もいる。まったく共通性のない人々だが、総じて胸にめいっ
ぱい抱えているのは大量の本、本、本。
ルバイバの街が、年に一度怪しく活気付くのがこの”魔道書市”だ。本自体は
まだまだ希少価値が高く、保存にかなりの気遣いが必要とされる。ただでさえ
紙という素材は消耗しやすい。そんな、普段は棚や箱にしまって表に出ない”
本”、しかも「魔法」「魔術」果ては「誰にでもはじめられる錬金術」から
「魔女の料理本」まで…魔法を中心にした様々な蔵書が一挙に出揃うこの市
は、大陸各国から多くの魔術者、魔法使い、研究者を呼び寄せる。
ルバイバで一番広い、ルバイバのキエーロ通り3番街。
ルバイバの街は上から見ると十字の通りに区分されており、さらに運河が枝分
かれして街の中を血管のようにめぐっている。北の通りは1番街、東の通りは2
番街…というふうになっていて、ここは南側の大通りなので「3番街」と呼ばれ
ている。
そんな妙におどろおどろしく、なぜかわくわくする人々の群れの中に、やや低
い身長の女性が苦労して歩いている。まるで人の波が壁のように、しかも動く
ので背が低い者にとってはあまり歩きやすいとはいえないのだろう。黒髪のセ
ミロングを揺らして群れのなかを泳いでいく。
キエーロ通り三番街の通りにかかる川は三つ。その石橋のうえには、この時期
に国内から国外から来た本の売り手のために用意されている建物があった。窓
から落ちそうなほどに乗り出した本の商人が声高に「惚薬の作り方」の本を片
手に宣言をしている。その隣では背の曲がった老婆が口の中の金歯を(全部が
金歯らしい)光らせながら、自身の伝記だというガマガエル表紙の本を法外な
値段で客に押し付けている。
黒髪の女性、はようやく人並みから少し外れてほっとしたらしく。人並みで乱
れたマントを直す。
「そこのお嬢さん、ルバイバの魔道書市に来たなら最低、二冊は買って帰らに
ゃ死ねないぜ?」
と、男の声に女性が振り向く。
そこには胡散臭い髭面の男が、真っ青な装丁の二冊の本を差し出しながら笑っ
ていた。
-----------------------------------------------------------------------
NPC.声だけの使者、赤い髪の吸血姫、胡散臭い髭面の男
Place.プロピア盆地の街リオン・ドール→ルバイバ・キエーロ通り三番街
--------------------------------------------------------------------
「なんですとぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
絶叫は真夜中の大聖堂の礼拝堂に響き渡った。
その悲痛さと音量は、殉教した聖者も柩から飛び上がって驚くかといわんばか
りの絶叫だった。
「だってその”本”を運ぶ旅団が通るっていうからっ!三日三晩山道で張って
たんですよっ!!」
深夜の静寂を切り裂く絹、というかガラスを引っかいたような金切り声をあげ
たのは一人の神父。へなへなと床に座り込み、がっくりと両手を床について土
下座のような姿勢に崩れる。周囲にリアクションをする人物の影は見当たらな
い…と、思いきや、礼拝堂の十字架の裏手から声が聞こえた。
「”向こう”も予想外だったらしい、なにせ翌日には今までの巧妙さなんて欠
片もない混乱っぷりだ。おかげで組織を丸ごと潰せたんだが、肝心の”本”の
行方がわからない という事だ」
モルフ地方で最も大きいイムヌス教大聖堂、ボルド山の麓に広がるプロピア盆
地の街リオン・ドール。イムヌス教が色濃く根付くこの街の守護聖人は「金獅
子」と呼ばれる巨漢で、その身体で千人の民を救い出したとされ、街のシンボ
ルとして大聖堂でも威風堂々とした屈強な男の像が祭られている。その屈強な
男の像の下で、女々しく声を震わせながら泣く男に声は同情したのか、続けて
事情を説明しはじめた。
「その組織なんだが、一人取り逃がしたらしい。というか、よりによって一番
面倒な男を取り逃がした…召喚術士のエストイって奴だ」
リオン・ドール大聖堂、七十七悪魔第十四番・魔術師シズが封印されているこ
の大聖堂は順位が高い悪魔が封印されているとあり、聖堂というよりも要塞と
いったほうが相応しい外観をしている。窓枠は全て鉄格子で塞がれており、開
いている鉄扉ごしに見える廊下には物々しい武器ばかりが飾られていた。
「召喚術士……?召喚師ではないんですかぁ?」
「師じゃない、士だ。数年前まで魔術学院に在籍してたらしいが異端の悪魔召
喚集団に手を貸していた、ってことで学院から即時退学されてる。事実は手を
貸すどころか主催者だったらしい。その後、悪魔召喚集団のカリスマに身を落
として…」
「つまり屑ね、まるで第十四番のような男」
今までの会話にない、ソプラノヴォイス。
「そのとおり」
礼拝堂の角、長椅子に座っていた一人の淑女の答えに神父以外の男が答える。
先ほどから冷静に神父に返答していた声だ。
「その屑なんだが、おそらく盗まれた”本”を取り戻しに夜盗の足を追ったん
だろう。盗賊ギルドの情報を買いに来たとこまではこっちも掴んだ、もちろ
ん”本”の足取りもだ」
「なんでそれで捕まらないのかしら?”本”の足取りが掴めたなら、先回りし
て回収してしまえばいいじゃない」
淑女の髪は血よりも鮮やかに赤くて、宝石のように透き通っていた。月の曖昧
な光ですら反射して、きらきらと輝いている。人にはありえない艶だ。神父と
の会話が果てしなく無駄だと気が付いたのか、声だけの相手は淑女の方に気配
を向ける。
「…足取りは掴んだが行方が分からない。その阿呆な夜盗はその旅団がどんな
組織か、奪い盗んだ”本”がどんなものかも知らずに見知らぬ商人に転売した
らしい。場所は大陸南のルバイバという街の手前で、四日後にはある市が開か
れるということでかなりの商人が入り込んでいるらしい。商人個人の特定は掴
めていない」
「…あら、ルバイバ?あそこは美味しい料理店があったのよ。八十五年前ぐら
いだけれどまだあるかしら?」
ふと回想に入る淑女の口元が薄く笑った。異様な八重歯を除かせて、うっとり
と呟く。
「…それは知らんが。とにかく四日後からルバイバをあげて開催される”魔道
書市”のために各地から本屋らが詰め掛けてる。ルバイバ手前でその夜盗、ど
この馬の骨にそれを売ったらしく何百もいる商人一人一人潰していくしかな
い」
「それで行方が分からない?と」
「おおよそ三万冊、本という本が揃い集うらしい。魔術者、魔法使いには垂涎
ものらしいな。面倒な事になった、興味本位の輩に売られると事は大きくなる
ぞ」
「あのぉ……」
二人の会話の間に、間抜けな声が邪魔をした。いささか冷たい沈黙の後、おず
おずと崩れていた男…四角眼鏡のひょろんとした男が立ち上がる。神父服だ
が、胸元に下がったロザリオはイムヌス教で有名な金十字架ではなく、真っ白
な十字架だ。中央には右目が異様な開き方をしている天使と竜の精緻な彫り物
が刻まれている。
「僕、不眠不休で山道を見張ってたんです…そりゃあもう大変で大変で…蚊に
さされるわ、狸に出くわすわ、雨が降ってくるわ、鴉にめがねを持ってかれる
わ…!!」
必死に今までの経緯を熱心に説明する男。熱弁が上がるほどに二人(一人+声)
の視線が冷たくなっていくのに気が付かないらしい。
「だからその」
「…ラーヒィが行きたくないなら、私も行かないわ。でも、このままじゃ無辜
の人々の手に”アルス・モンディの書”が渡るかもしれないわね。あら大変、
悪魔召喚なんて一度呼び出すと帰すのにどれだけちと肉が必要かしら?」
「さりげに貴女の目的が分かってしまった僕はなんて不幸なんでしょう、あぁ
聖女アグネス様、僕の愛する人はルバイバのご飯が食べたいだけに僕を死地へ
と向かうよう圧力をかけてきますぅぅぅ」
二人の男女の会話がどこかネジがずれていることも声は百も承知のようだっ
た。その中身には触れずに、今回の任務の題名を言葉にした。
「……”アルス・モンディの書”、七十七悪魔第二十九番・不死人オーエンハ
イムの「死」が宿るとされる禁書だ。エストイの狙いはそれだ、その本を回収
し、可能ならば消し去れ。これは聖命である」
-----------------------------------------------------------------------
----------------------------------------------------------------------
ルバイバの街は、怪しげな人々が所狭しとひしめき合っている。
今、街を見渡せば人、人、人。良く見ればエルフ、ダークエルフ、ドワーフ、
獣人、思いつき限りの人種がひしめき合っていて、中には複眼をそなえた昆虫
の外見をした人型もいる。まったく共通性のない人々だが、総じて胸にめいっ
ぱい抱えているのは大量の本、本、本。
ルバイバの街が、年に一度怪しく活気付くのがこの”魔道書市”だ。本自体は
まだまだ希少価値が高く、保存にかなりの気遣いが必要とされる。ただでさえ
紙という素材は消耗しやすい。そんな、普段は棚や箱にしまって表に出ない”
本”、しかも「魔法」「魔術」果ては「誰にでもはじめられる錬金術」から
「魔女の料理本」まで…魔法を中心にした様々な蔵書が一挙に出揃うこの市
は、大陸各国から多くの魔術者、魔法使い、研究者を呼び寄せる。
ルバイバで一番広い、ルバイバのキエーロ通り3番街。
ルバイバの街は上から見ると十字の通りに区分されており、さらに運河が枝分
かれして街の中を血管のようにめぐっている。北の通りは1番街、東の通りは2
番街…というふうになっていて、ここは南側の大通りなので「3番街」と呼ばれ
ている。
そんな妙におどろおどろしく、なぜかわくわくする人々の群れの中に、やや低
い身長の女性が苦労して歩いている。まるで人の波が壁のように、しかも動く
ので背が低い者にとってはあまり歩きやすいとはいえないのだろう。黒髪のセ
ミロングを揺らして群れのなかを泳いでいく。
キエーロ通り三番街の通りにかかる川は三つ。その石橋のうえには、この時期
に国内から国外から来た本の売り手のために用意されている建物があった。窓
から落ちそうなほどに乗り出した本の商人が声高に「惚薬の作り方」の本を片
手に宣言をしている。その隣では背の曲がった老婆が口の中の金歯を(全部が
金歯らしい)光らせながら、自身の伝記だというガマガエル表紙の本を法外な
値段で客に押し付けている。
黒髪の女性、はようやく人並みから少し外れてほっとしたらしく。人並みで乱
れたマントを直す。
「そこのお嬢さん、ルバイバの魔道書市に来たなら最低、二冊は買って帰らに
ゃ死ねないぜ?」
と、男の声に女性が振り向く。
そこには胡散臭い髭面の男が、真っ青な装丁の二冊の本を差し出しながら笑っ
ていた。
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PC アダム クロエ
NPC 第一領領主シメオン/シックザール/黒太子ロンデヴァルト三世/指導者大
佐アルビオル/エルフ衛兵
Place ラドフォード内シメオン屋敷⇒隠し通路
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「へぇ、ドラゴン?でも、ここじゃぁ特に珍しいものでもないよね」
少年の口調は気さくで明るい。幅広い玉座にちょこんと座る黒髪の少年は、小
首を傾げる仕草をした。正統エディウス帝国第一領内帝都ノスタルジア・オー
クレール城でも城で最も広いとされる、皇帝の間の玉座で。
「ふぅん、“夢見鳥”ね…うわっ!すごいね、百年とちょっと前だとしても人
間相手に100人殺してるんだ
!しかも一撃?」
言葉の内容を疑うような、あっけらかんとした明るいソプラノ・ボーイが響
く。まるで玩具の性能を見ているような感じで、漆黒の瞳を輝かせる少年。少
年は側近が差し出した資料を嬉しそうに受け取る。資料庫から引っ張り出して
きたらしい蔵書はぼろぼろだが、そんなことは気にせず、鼻歌を歌いながらめ
くっていく。頁をめくる手が止まったのは、蛇のような竜が人間を焼き殺して
いる絵のところだ。それを瞳を輝かせながら、
「効率がいいよね。人間同士で戦わせたって片付けられる数なんてたかがしれ
てるし。見た目もカッコイイし、何よりこう、理不尽なぐらいに強いのがいい
よね!」
いいなぁいいなぁと羨ましそうに頬杖をつく。次に側近が持っていた一抱えも
ある大型本を受け取って、台座に沈みながら開く。本の内容は『竜の伝説』、
足をぶらつかせてながら重い一枚一枚の頁をめくりながら、さらりと一言告げ
た。
「ねぇ、“夢見鳥”(これ)でやってみたいな、次の戦争」
***********************************************
「君は、本業は傭兵だそうだね」
「はぁ」
シメオンの唐突な問いに、曖昧に答えるアダム。
夜更けと夜明けの中間で叩き起こされた内容にしては、そんなことで起こして
欲しくない。せっかく久しぶりの羽毛布団の柔らかさで寝入ってたのに。夜の
ラドフォードの景観は、昼間見た光景よりもそれはそれでまた美しい。クリノ
クリア・オークの木々の走る様脈がまるで夜空の星のように輝き、森はまるで
夜空の映し鏡のようである。が、時刻は幽霊も営業終了する夜明け前。アダム
の脳も景観の美しさを評価する前に営業終了中である。
「えぇまぁ…そんだけですか?」
アダムの思考を読み取ったのか、シメオンは軽くため息をついてから
「頼みがある。望みの枚数を全て、金貨で支払おう」
美味しい話には裏がある。ついでにまず最初に金銭を先に提示される依頼は
常々厄介だと、職業上の経験があるアダムは嫌そうな顔をした。さすがにこの
深夜に営業用スマイルは出せない。それでも、シメオンには少しばかりの温情
と多大な感謝もあるので、取り繕って話を聞く。
「内容にもよりますけど。俺は剣の達人でもないし、シメオンさんみたいに樹
林兵を操る魔力もないし」
アダムにしてみれば、樹林兵を数百操り、魔法を操るエルフをまとめあげてい
るシメオンがアダムに頼るような依頼がまったく思いつかないのである。だ
が、シメオンはもっと思いつかなかったことを言いはじめた。
「簡単だが、私には出来ないことだ。クロエをエディウスから脱出させてく
れ」
は?とぽかんと口を開けて、しばらくシメオンの横顔を見つめるアダム。どう
いう理由でいきなり、そうなるのか理解に苦しんでいると、シメオンの言葉の
口調がビジネスライクから赤裸々な苦言に変化した。
「出来るだけ、遠くへ。少なくともこの国はまずい」
「なんでですか?」
「今日の昼過ぎ、クロエの覚醒を目撃した帝國兵がラドフォードから帝都ノス
タルジアに向かったらしい。クロエの事を【黒太子】に報告するのだろう。ま
ずいことになる」
「そりゃご苦労さんです、んで、なんで?」
アダムには、なんで帝國兵が一匹の竜の寝起きで帝都に連絡するのかわからな
い。【黒太子】も知り合いなのだろうか?と首を捻っていると、シメオンは否
定の意を告げた。
「君は、ここが新生エディウスと断続的に戦争中だということは知っている
ね?今は小康状態だが、ただでさえ兵士が不足しているのだから【黒太子】は
新しい戦力を常に求めている。…例えば、一体だけで百体の敵を滅ぼせるよう
な、効率よく戦争ができるような力を持つ者が現れたならどうだろう?」
「あ…」
アダムもようやく、シメオンの言いたいことが分かってきた。シメオンはクロ
エが戦争の道具として使われることに危機感を持っているのだ。
「でもクロエさんが、戦争なんかに参加するはずないじゃないですか…だって
人間どころか虫一匹殺すような人、あいやドラゴンじゃないし」
と、アダムの発言の後にシメオンは無表情で発言した。
「クロエは、百年前に人間を殺している」
「…え」
「【黒太子】にとっては願ってもない玩具だ。クロエ単体で幾百人の敵兵を一
瞬で倒せる。ドラゴンを使役しているとなれば『新生エディウス帝國』の貴族
は動揺し、騎士らも戦争に二の足を踏むかもしれない。だが、そんなことにク
ロエを巻き込むわけにはいかない」
エディウスには名のあるドラゴンは多い。また名のないドラゴンも多い。が、
ドラゴンが人間の戦争に参加するという話は聞いたこともない。ドラゴンはほ
とんどが人間との境界を厳密に保ち、また人間界に不可侵を貫くものが多い。
多種族の戦争に加わるほど、彼らは愚かでも欲深くもない。
「まずは懐柔、それが駄目なら強制的に従わせるつもりだろう。魔女ベルンハ
ルディーネの遺産に『人造精霊』というものがある。肉を使わずに生まれた禁
忌の生命体で、散々戦争の道具として使い回された挙句、使い切れなくなると
魔女ごと火刑にされた哀れな存在だ。クロエも同じ運命を辿るとしか思えな
い」
「無理でしょ、いくらなんでもクロエさんはドラゴンですよ?無理矢理たっ
て、人間の力でどうにか従わせられるもんなんですか!?」
なおさら、クロエが強力であれば人間など到底かなわないはずだ。
「そうだ、彼女は強大だ。だが、力はそこまで問題ではない。問題なのはその
方法だ…【黒太子】ならクリノクリア・エルフ全員を人質にと脅迫して彼女を
戦地に引き摺り出すことも厭わないだろう。クリノクリアエルフを一人でも国
境線に放り込み、彼女にその話をすれば彼女は絶対に仲間を助けに戦場へ行く
だろう」
つまり、一体のドラゴンに殺戮を強制するために、不特定多数の命を危険にさ
らす。ドラゴンが強く正しくあればあるほど、弱者を助けようすればするほ
ど、きっとその戦場は血が流れるのだろう。
「…この国とあの国ではね、気高い騎士も、敬うべきドラゴンも、はては命す
ら戦争の為の道具だ。我らクリノクリフ・エルフですらも、その仕様からは逃
れられない」
なんと言えばいいのか。アダムの足りない脳ではシメオンに届く言葉はない。
国とか民とか、そういうものとはアダムはあまりにもかけ離れているし、立場
も暮らしも違いすぎている。守る者も自分の身と相棒一振りだけの自分に、何
百人を背負うシメオンの負担を和らげられる言葉をアダムは知らなかったし、
そういうことを考えたこともなかった。
「夜明けに屋敷を出てヴィヴィナ渓谷の方に出るんだ。ルートはクロエが知っ
ている、書簡を第六自治領ヴァーンの【風の首領】に届けている。彼らなら君
達を安全にフィキサ砂漠から国外に抜け出せるだろう…君には重荷かもしれな
いが、君以外に頼れるものがいない。アダム、君にクロエを託す」
***********************************************
アダムと話してからまだ一時間程度しか経っていなく、夜明けがうっすらと空
を変えていた。
「なんだと…!?」
シメオンは寝不足気味の瞳を大きくさせて、凍りついた。従者の慌て様をすり
抜け、大股で客間へと歩く。朝靄の静けさを打ち破るように客間の扉を開く
と、そこには見慣れた魔女の森のように暗鬱とした、深緑の衣服を着用した妖
艶な女性がいた。
「やぁ御機嫌よう第一領主殿、あれかね?クリノクリアエルフは朝も早いのか
な?」
「アルビオル大佐…っ!何故、ここに」
「何故?あぁそうか君は知らないかな…なんでも百年前に民を殺戮した危険な
ドラゴンが再び目撃されたそうでね。私達『指導者』が来たわけだが…おや、
どうやら君もその話は聞いていたようだね」
隻眼の女性は、シメオンを舐めるように見下した。シメオンの心中をせせら笑
うように唇を舐めた。
「危険だ、とてつもなく危険だ。そう思わないかね?」
「…あれほどラドフォードに入る際には事前の許可をと…!!」
「民の危機に許可がいるのかね領主殿?」
シメオンは混乱する頭で必死に事態を整理する。帝都ノスタルジアまで馬をど
んなに速く走らせても半日以上はかかる。クロエが目撃されたと同時に馬を走
らせたとしても夜更け、さらに国王の許可と委任状を出すのには四時間はかか
る。いや、独断で即決したとしても、都合よく『指導者』を出せるわけがな
い!
「そんなに不思議がることではないだろう、ラドフォードは両エディウスの中
でも技術水準が高い=重要都市だ。まぁ、確かに私が最近ラドフォード近辺に
配置変えされたことは明日ごろに連絡が行く予定だから、知らなかったのも無
理は無い」
「…国境線に配置されていた貴女が…この、我らの都にだと…」
秘密裏に配置されていたとしか思えない。ラドフォードは魔法水準の高い都市
だ、常に一人は正統帝国軍でも強力な、あるいは凶悪な人材が配置されてい
る。以前までは【氷の王】と呼ばれた『指導者』の中でも最強と呼ばれる青年
だった。が、彼は人格的に優秀であり、シメオンとも理解を共有できる人徳者
であった。
「そう気張るな、真相は単に国境線沿いの兵士は飽きただけだ。新生エディウ
スが見捨てた捕虜をあらかた殺しつくしてしまい、やりすぎも良くないとの
【黒太子】の仰せでね。何事も効率よく力を分配しないとな」
まだアダムとクロエは出発すらしていないというのに、よりによって“首狩り
の"アルビオル”が来るとは…!!シメオンは歯軋りをした。
***********************************************
「あ?」
ふと、何か良くない予感がしてアダムは振り返った。後ろにはきょとんとした
顔のクロエがいた。
「どうしたんですか?」
「いや、何だろ?」
クロエには『シメオンさんがクロエさんに是非行ってきて欲しい場所がある』
とだけ告げられている。純粋に他愛無い頼まれごとだと思っているクロエは、
何の疑いも抱かずにアダムについてくる用意を終わらせていた。
「あれ?」
今度はクロエが首を傾げる番だった。不思議そうに窓に寄り、下を見つめる。
「あの女の人は誰でしょう…なんか、その、ちょっと他の人とは違うような感
じが」
「ふぅーん」
アダムも続いて下を見る。
すると、入り口から周囲を見回していた女性…クロエの言う『他の人とは違う
ような』感じの女性、上から見ると胸の谷間が…あいや妖艶な雰囲気の、だ
が、その魅惑的な肢体を深い緑色の軍服に身を沈めていて、隻眼の瞳がつ、と
こちらを見た。
「…!!」
ぞっとする、いいや、ぞわぁりとする何かが背中を這いずり回るような気配を
感じて、アダムはどっと冷や汗を書いた。思わずカーテンを閉めたところで、
自分が荒い息をついていたことに気が付く。
「アダム?どうしたんですか、何か具合が」
「行こう、えとクロエさん」
「クロエ、でいいですよ。最初に会った時に呼んでくれた様に」
「あぁはい、じゃあクロエ…さん」
何故か照れる。というか、仕事仲間や傭兵以外で敬称をつけずに名前を呼び合
うような異性はいない。なんか妙に意識してしまう、って相手は哺乳類じゃな
いぞ俺!相手は50メートルだ!!
「ってんなことでワクワクしてるな俺!」
「はい、わくわくするんですか?名前?」
「はい、実は…ってあーーーーー!違うっ、クロエさんとにかく来て!!」
「はいっ」
なんかクロエさんは確実に“ちょっとしたピクニック”気分っぽいが、俺は断
じて違う。あの制服は国境沿いで見た正統帝国軍の制服だ!てかシメオンさん
話だとあと半日はあるって情報でしたよね?
クロエさんの手を引っ張り、自分の荷物を抱え込んで部屋を飛び出す。廊下を
走り、正面出口とは全く違う方向に走り出す。シックザールを落とした日に走
ったルートを走りっていると、
「アダム!」
「シメオっ」
思わず叫ぼうとして、口を塞がれる。クロエの驚き顔に、シメオンは唇に人差
し指をあてて黙秘のサインを送る。廊下の物置部屋にずるずる三人で隠れる。
「せ、狭っ!」
「そうだな、何せ隠し通路だ」
「シメオンは昔からかくれんぼが得意でしたよね、こんな通路を知ってたんで
すね」
「あぁ、しかし君はいつも擬態しているつもりで必ず尾が出ているからな。君
を見つけるのは容易かった」
「そりゃぁドラゴン本体で隠れたんですねクロエさん、どう考えても体積的に
見付かりやすいって違ーーーーーうっ!!」
アダムは絶叫しかけ、慌てて口を塞ぐ。そのまま、ひそひそとシメオンの顔色
を伺いながら問いただす。
「どうなってるんですかシメオンさんっ!あれ、下の胸の谷間ってじゃなく
て、すっげぇムンムンの女の人!あれ、あれ!!」
「指導者大佐アルビオル…エディウスの魔女を刈り取った魔女殺しの英雄だ。
ついでに補足するなら人殺しの達人の上に、“首狩りのアルビオル”といえば
ギルド最高ランクA級の怪物狩りハンターだった経歴の持ち主だ」
「えーきゅう…」
おれまだC、しかも割と依頼とか誤魔化したり、イカレ帽子屋に裏でちよっと
手を回してもらってC。相手はAだって、エー。
「隠し通路でクリノクリアの森に出られる。ヴィヴィナ渓谷は自然の要塞だ、
そこまで行けばまず逃げ切れるだろう…といいたいが、相手は人間時代はA級
ハンター、その後は魔女の呪いに感染して本物の化け物だ。何をしでかすかわ
からない」
「えぇと、シメオン?アダムさん?話が、よく解らないんですけれど…」
一人、話についていけてないクロエをアダムとシメオンが同じ目で見る。もう
隠す必要もないが、今話していることではない。
「後で説明する、クロエ…アダムを守ってあげてくれ」
「待てシメオンさん、逆じゃね?逆!」
『わーん、アダムは僕が守るもーん!』
「はいっ、アダムをしっかり助けてあげますから!」
隠し通路の中だというのに、外側の廊下から見るとかなり賑やかな声が聞こえ
てきていたので、衛兵のエルフらは戦々恐々としていた。
***********************************************
「…おや、領主殿?では捜索に付き合っていただけますのかしら?」
猥らな弧を描く赤い唇は死体に群がる蛭のようだ。その蛭は死体どころか生者
にさえ蝕もうとしている。シメオンは脳裏で蛭を踏み付けるように、目前の女
性の形をした者を睨み付ける。
「残念だが、私には公務がある。化け物狩りなら自分でしていただきたい、何
せ貴女の本職だろう?私程度がお邪魔になってはいけないのでね」
「確かに残念だ、だが安心してくれ。領主殿は邪魔に違いないが、それは私の
邪魔じゃない」
と、アルビオルは胸の谷間から一枚の黒い羊毛紙を引きずり出す。赤い唇で、
その端を食い千切るように八重歯で噛みしめる。艶かしい悪意に反応するよう
に、黒い紙に描かれた文字が赤く発光していく。と、同時にシメオンの視界も
真っ赤に染まり、首を真っ赤に焼いた鉄で締め付けられるような激痛が走る。
「…--------がっ、あああああ!!」
「シメオン!!貴様っ、何を!」
部屋の外に控えていたエルフの近衛兵らが駆け込んでくる。シメオンの苦痛の
表情の現況が、目の前の人間だと知ると烈火のごとく牙をむく。
「長に何をした!」
「ほぅ、さすがは直筆の契約書だけあって効果は抜群だな。懐かしいか?これ
は領主殿の姉・エディトが自殺した三日後、領主殿が国王に服従を誓うと誓約
した誓約書だ。何せクリノクリアエルフ手製の呪(まじな)いで出来た誓約の
紙、それが当人であろうとも厳格に処罰するそうだ」
勝手に身を焦がして発動する魔法。それは普段、シメオンが管理しているクリ
ノクリアの森、セラフィナイト・オーク全てに直結する魔法経路だった。エル
フ特有の魔法神経が無理やり力を呼び覚まされて、シメオンからぐいぐいと魔
力をむさぼっていく。すると、屋敷の外から幾多の悲鳴が聞こえてきた。森を
構成するあらゆる木々が真っ赤に光って次々と蠢きだす。
”森を全て樹林兵にするつもりか…!?”
シメオンの樹林兵(トレント)は、普通の木だった彼らにエルフの掟による
「森の守護」を架して兵士とさせる手段だ。森を構成するあらゆるセラフィナ
イト・オークはシメオンの命令さえあれば、いつだって樹林兵として戦えるよ
うになっているのだ。
「--------あああああああああああああああ!!」
思考が轢断され、激痛が脳を壊す。クリノクリアエルフの長として、魔法力は
大陸広しといえどシメオンに匹敵する人材は限られている。そんなシメオンの
魔法力でさえ、おおよそ森を構成する何千、何万のセラフィナイト・オークを
樹林兵として補うには足りなさ過ぎる。呼吸すら追いつかない領主を守るた
め、衛兵は一斉に槍をアルビオルへ突き出した。エルフの兵士は殺生を限りな
く嫌うが、それゆえにその覚悟を抱けば何よりも強靭な武力になる。
が、身体を貫通するはずだった槍は黒い契約書の前ではじかれた。金色の火花
を散らして、槍の刃が折れてはじけた。
アルビオルの笑みが深くなる。そう、この契約書の呪いはそもそも目の前のク
リノクリアエルフらが自ら施したもの。一人の仲間の理不尽な死を諦めきれな
いエルフらの気高さが、こうして今、呪いのように彼らを支配する。
「安心しろ、考えてもみてくれ。
このままそのドラゴンを【黒太子】に差し出してでも見ろ、私の狩場がなくな
ってしまう。私とて職を失いたくはないからね…だから」
満足げに懐いて、崩れ落ちたシメオンを足元に見下す。
「戦争の道具になる前に死んでもらうさ」
------------------------------------------------------------
NPC 第一領領主シメオン/シックザール/黒太子ロンデヴァルト三世/指導者大
佐アルビオル/エルフ衛兵
Place ラドフォード内シメオン屋敷⇒隠し通路
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「へぇ、ドラゴン?でも、ここじゃぁ特に珍しいものでもないよね」
少年の口調は気さくで明るい。幅広い玉座にちょこんと座る黒髪の少年は、小
首を傾げる仕草をした。正統エディウス帝国第一領内帝都ノスタルジア・オー
クレール城でも城で最も広いとされる、皇帝の間の玉座で。
「ふぅん、“夢見鳥”ね…うわっ!すごいね、百年とちょっと前だとしても人
間相手に100人殺してるんだ
!しかも一撃?」
言葉の内容を疑うような、あっけらかんとした明るいソプラノ・ボーイが響
く。まるで玩具の性能を見ているような感じで、漆黒の瞳を輝かせる少年。少
年は側近が差し出した資料を嬉しそうに受け取る。資料庫から引っ張り出して
きたらしい蔵書はぼろぼろだが、そんなことは気にせず、鼻歌を歌いながらめ
くっていく。頁をめくる手が止まったのは、蛇のような竜が人間を焼き殺して
いる絵のところだ。それを瞳を輝かせながら、
「効率がいいよね。人間同士で戦わせたって片付けられる数なんてたかがしれ
てるし。見た目もカッコイイし、何よりこう、理不尽なぐらいに強いのがいい
よね!」
いいなぁいいなぁと羨ましそうに頬杖をつく。次に側近が持っていた一抱えも
ある大型本を受け取って、台座に沈みながら開く。本の内容は『竜の伝説』、
足をぶらつかせてながら重い一枚一枚の頁をめくりながら、さらりと一言告げ
た。
「ねぇ、“夢見鳥”(これ)でやってみたいな、次の戦争」
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「君は、本業は傭兵だそうだね」
「はぁ」
シメオンの唐突な問いに、曖昧に答えるアダム。
夜更けと夜明けの中間で叩き起こされた内容にしては、そんなことで起こして
欲しくない。せっかく久しぶりの羽毛布団の柔らかさで寝入ってたのに。夜の
ラドフォードの景観は、昼間見た光景よりもそれはそれでまた美しい。クリノ
クリア・オークの木々の走る様脈がまるで夜空の星のように輝き、森はまるで
夜空の映し鏡のようである。が、時刻は幽霊も営業終了する夜明け前。アダム
の脳も景観の美しさを評価する前に営業終了中である。
「えぇまぁ…そんだけですか?」
アダムの思考を読み取ったのか、シメオンは軽くため息をついてから
「頼みがある。望みの枚数を全て、金貨で支払おう」
美味しい話には裏がある。ついでにまず最初に金銭を先に提示される依頼は
常々厄介だと、職業上の経験があるアダムは嫌そうな顔をした。さすがにこの
深夜に営業用スマイルは出せない。それでも、シメオンには少しばかりの温情
と多大な感謝もあるので、取り繕って話を聞く。
「内容にもよりますけど。俺は剣の達人でもないし、シメオンさんみたいに樹
林兵を操る魔力もないし」
アダムにしてみれば、樹林兵を数百操り、魔法を操るエルフをまとめあげてい
るシメオンがアダムに頼るような依頼がまったく思いつかないのである。だ
が、シメオンはもっと思いつかなかったことを言いはじめた。
「簡単だが、私には出来ないことだ。クロエをエディウスから脱出させてく
れ」
は?とぽかんと口を開けて、しばらくシメオンの横顔を見つめるアダム。どう
いう理由でいきなり、そうなるのか理解に苦しんでいると、シメオンの言葉の
口調がビジネスライクから赤裸々な苦言に変化した。
「出来るだけ、遠くへ。少なくともこの国はまずい」
「なんでですか?」
「今日の昼過ぎ、クロエの覚醒を目撃した帝國兵がラドフォードから帝都ノス
タルジアに向かったらしい。クロエの事を【黒太子】に報告するのだろう。ま
ずいことになる」
「そりゃご苦労さんです、んで、なんで?」
アダムには、なんで帝國兵が一匹の竜の寝起きで帝都に連絡するのかわからな
い。【黒太子】も知り合いなのだろうか?と首を捻っていると、シメオンは否
定の意を告げた。
「君は、ここが新生エディウスと断続的に戦争中だということは知っている
ね?今は小康状態だが、ただでさえ兵士が不足しているのだから【黒太子】は
新しい戦力を常に求めている。…例えば、一体だけで百体の敵を滅ぼせるよう
な、効率よく戦争ができるような力を持つ者が現れたならどうだろう?」
「あ…」
アダムもようやく、シメオンの言いたいことが分かってきた。シメオンはクロ
エが戦争の道具として使われることに危機感を持っているのだ。
「でもクロエさんが、戦争なんかに参加するはずないじゃないですか…だって
人間どころか虫一匹殺すような人、あいやドラゴンじゃないし」
と、アダムの発言の後にシメオンは無表情で発言した。
「クロエは、百年前に人間を殺している」
「…え」
「【黒太子】にとっては願ってもない玩具だ。クロエ単体で幾百人の敵兵を一
瞬で倒せる。ドラゴンを使役しているとなれば『新生エディウス帝國』の貴族
は動揺し、騎士らも戦争に二の足を踏むかもしれない。だが、そんなことにク
ロエを巻き込むわけにはいかない」
エディウスには名のあるドラゴンは多い。また名のないドラゴンも多い。が、
ドラゴンが人間の戦争に参加するという話は聞いたこともない。ドラゴンはほ
とんどが人間との境界を厳密に保ち、また人間界に不可侵を貫くものが多い。
多種族の戦争に加わるほど、彼らは愚かでも欲深くもない。
「まずは懐柔、それが駄目なら強制的に従わせるつもりだろう。魔女ベルンハ
ルディーネの遺産に『人造精霊』というものがある。肉を使わずに生まれた禁
忌の生命体で、散々戦争の道具として使い回された挙句、使い切れなくなると
魔女ごと火刑にされた哀れな存在だ。クロエも同じ運命を辿るとしか思えな
い」
「無理でしょ、いくらなんでもクロエさんはドラゴンですよ?無理矢理たっ
て、人間の力でどうにか従わせられるもんなんですか!?」
なおさら、クロエが強力であれば人間など到底かなわないはずだ。
「そうだ、彼女は強大だ。だが、力はそこまで問題ではない。問題なのはその
方法だ…【黒太子】ならクリノクリア・エルフ全員を人質にと脅迫して彼女を
戦地に引き摺り出すことも厭わないだろう。クリノクリアエルフを一人でも国
境線に放り込み、彼女にその話をすれば彼女は絶対に仲間を助けに戦場へ行く
だろう」
つまり、一体のドラゴンに殺戮を強制するために、不特定多数の命を危険にさ
らす。ドラゴンが強く正しくあればあるほど、弱者を助けようすればするほ
ど、きっとその戦場は血が流れるのだろう。
「…この国とあの国ではね、気高い騎士も、敬うべきドラゴンも、はては命す
ら戦争の為の道具だ。我らクリノクリフ・エルフですらも、その仕様からは逃
れられない」
なんと言えばいいのか。アダムの足りない脳ではシメオンに届く言葉はない。
国とか民とか、そういうものとはアダムはあまりにもかけ離れているし、立場
も暮らしも違いすぎている。守る者も自分の身と相棒一振りだけの自分に、何
百人を背負うシメオンの負担を和らげられる言葉をアダムは知らなかったし、
そういうことを考えたこともなかった。
「夜明けに屋敷を出てヴィヴィナ渓谷の方に出るんだ。ルートはクロエが知っ
ている、書簡を第六自治領ヴァーンの【風の首領】に届けている。彼らなら君
達を安全にフィキサ砂漠から国外に抜け出せるだろう…君には重荷かもしれな
いが、君以外に頼れるものがいない。アダム、君にクロエを託す」
***********************************************
アダムと話してからまだ一時間程度しか経っていなく、夜明けがうっすらと空
を変えていた。
「なんだと…!?」
シメオンは寝不足気味の瞳を大きくさせて、凍りついた。従者の慌て様をすり
抜け、大股で客間へと歩く。朝靄の静けさを打ち破るように客間の扉を開く
と、そこには見慣れた魔女の森のように暗鬱とした、深緑の衣服を着用した妖
艶な女性がいた。
「やぁ御機嫌よう第一領主殿、あれかね?クリノクリアエルフは朝も早いのか
な?」
「アルビオル大佐…っ!何故、ここに」
「何故?あぁそうか君は知らないかな…なんでも百年前に民を殺戮した危険な
ドラゴンが再び目撃されたそうでね。私達『指導者』が来たわけだが…おや、
どうやら君もその話は聞いていたようだね」
隻眼の女性は、シメオンを舐めるように見下した。シメオンの心中をせせら笑
うように唇を舐めた。
「危険だ、とてつもなく危険だ。そう思わないかね?」
「…あれほどラドフォードに入る際には事前の許可をと…!!」
「民の危機に許可がいるのかね領主殿?」
シメオンは混乱する頭で必死に事態を整理する。帝都ノスタルジアまで馬をど
んなに速く走らせても半日以上はかかる。クロエが目撃されたと同時に馬を走
らせたとしても夜更け、さらに国王の許可と委任状を出すのには四時間はかか
る。いや、独断で即決したとしても、都合よく『指導者』を出せるわけがな
い!
「そんなに不思議がることではないだろう、ラドフォードは両エディウスの中
でも技術水準が高い=重要都市だ。まぁ、確かに私が最近ラドフォード近辺に
配置変えされたことは明日ごろに連絡が行く予定だから、知らなかったのも無
理は無い」
「…国境線に配置されていた貴女が…この、我らの都にだと…」
秘密裏に配置されていたとしか思えない。ラドフォードは魔法水準の高い都市
だ、常に一人は正統帝国軍でも強力な、あるいは凶悪な人材が配置されてい
る。以前までは【氷の王】と呼ばれた『指導者』の中でも最強と呼ばれる青年
だった。が、彼は人格的に優秀であり、シメオンとも理解を共有できる人徳者
であった。
「そう気張るな、真相は単に国境線沿いの兵士は飽きただけだ。新生エディウ
スが見捨てた捕虜をあらかた殺しつくしてしまい、やりすぎも良くないとの
【黒太子】の仰せでね。何事も効率よく力を分配しないとな」
まだアダムとクロエは出発すらしていないというのに、よりによって“首狩り
の"アルビオル”が来るとは…!!シメオンは歯軋りをした。
***********************************************
「あ?」
ふと、何か良くない予感がしてアダムは振り返った。後ろにはきょとんとした
顔のクロエがいた。
「どうしたんですか?」
「いや、何だろ?」
クロエには『シメオンさんがクロエさんに是非行ってきて欲しい場所がある』
とだけ告げられている。純粋に他愛無い頼まれごとだと思っているクロエは、
何の疑いも抱かずにアダムについてくる用意を終わらせていた。
「あれ?」
今度はクロエが首を傾げる番だった。不思議そうに窓に寄り、下を見つめる。
「あの女の人は誰でしょう…なんか、その、ちょっと他の人とは違うような感
じが」
「ふぅーん」
アダムも続いて下を見る。
すると、入り口から周囲を見回していた女性…クロエの言う『他の人とは違う
ような』感じの女性、上から見ると胸の谷間が…あいや妖艶な雰囲気の、だ
が、その魅惑的な肢体を深い緑色の軍服に身を沈めていて、隻眼の瞳がつ、と
こちらを見た。
「…!!」
ぞっとする、いいや、ぞわぁりとする何かが背中を這いずり回るような気配を
感じて、アダムはどっと冷や汗を書いた。思わずカーテンを閉めたところで、
自分が荒い息をついていたことに気が付く。
「アダム?どうしたんですか、何か具合が」
「行こう、えとクロエさん」
「クロエ、でいいですよ。最初に会った時に呼んでくれた様に」
「あぁはい、じゃあクロエ…さん」
何故か照れる。というか、仕事仲間や傭兵以外で敬称をつけずに名前を呼び合
うような異性はいない。なんか妙に意識してしまう、って相手は哺乳類じゃな
いぞ俺!相手は50メートルだ!!
「ってんなことでワクワクしてるな俺!」
「はい、わくわくするんですか?名前?」
「はい、実は…ってあーーーーー!違うっ、クロエさんとにかく来て!!」
「はいっ」
なんかクロエさんは確実に“ちょっとしたピクニック”気分っぽいが、俺は断
じて違う。あの制服は国境沿いで見た正統帝国軍の制服だ!てかシメオンさん
話だとあと半日はあるって情報でしたよね?
クロエさんの手を引っ張り、自分の荷物を抱え込んで部屋を飛び出す。廊下を
走り、正面出口とは全く違う方向に走り出す。シックザールを落とした日に走
ったルートを走りっていると、
「アダム!」
「シメオっ」
思わず叫ぼうとして、口を塞がれる。クロエの驚き顔に、シメオンは唇に人差
し指をあてて黙秘のサインを送る。廊下の物置部屋にずるずる三人で隠れる。
「せ、狭っ!」
「そうだな、何せ隠し通路だ」
「シメオンは昔からかくれんぼが得意でしたよね、こんな通路を知ってたんで
すね」
「あぁ、しかし君はいつも擬態しているつもりで必ず尾が出ているからな。君
を見つけるのは容易かった」
「そりゃぁドラゴン本体で隠れたんですねクロエさん、どう考えても体積的に
見付かりやすいって違ーーーーーうっ!!」
アダムは絶叫しかけ、慌てて口を塞ぐ。そのまま、ひそひそとシメオンの顔色
を伺いながら問いただす。
「どうなってるんですかシメオンさんっ!あれ、下の胸の谷間ってじゃなく
て、すっげぇムンムンの女の人!あれ、あれ!!」
「指導者大佐アルビオル…エディウスの魔女を刈り取った魔女殺しの英雄だ。
ついでに補足するなら人殺しの達人の上に、“首狩りのアルビオル”といえば
ギルド最高ランクA級の怪物狩りハンターだった経歴の持ち主だ」
「えーきゅう…」
おれまだC、しかも割と依頼とか誤魔化したり、イカレ帽子屋に裏でちよっと
手を回してもらってC。相手はAだって、エー。
「隠し通路でクリノクリアの森に出られる。ヴィヴィナ渓谷は自然の要塞だ、
そこまで行けばまず逃げ切れるだろう…といいたいが、相手は人間時代はA級
ハンター、その後は魔女の呪いに感染して本物の化け物だ。何をしでかすかわ
からない」
「えぇと、シメオン?アダムさん?話が、よく解らないんですけれど…」
一人、話についていけてないクロエをアダムとシメオンが同じ目で見る。もう
隠す必要もないが、今話していることではない。
「後で説明する、クロエ…アダムを守ってあげてくれ」
「待てシメオンさん、逆じゃね?逆!」
『わーん、アダムは僕が守るもーん!』
「はいっ、アダムをしっかり助けてあげますから!」
隠し通路の中だというのに、外側の廊下から見るとかなり賑やかな声が聞こえ
てきていたので、衛兵のエルフらは戦々恐々としていた。
***********************************************
「…おや、領主殿?では捜索に付き合っていただけますのかしら?」
猥らな弧を描く赤い唇は死体に群がる蛭のようだ。その蛭は死体どころか生者
にさえ蝕もうとしている。シメオンは脳裏で蛭を踏み付けるように、目前の女
性の形をした者を睨み付ける。
「残念だが、私には公務がある。化け物狩りなら自分でしていただきたい、何
せ貴女の本職だろう?私程度がお邪魔になってはいけないのでね」
「確かに残念だ、だが安心してくれ。領主殿は邪魔に違いないが、それは私の
邪魔じゃない」
と、アルビオルは胸の谷間から一枚の黒い羊毛紙を引きずり出す。赤い唇で、
その端を食い千切るように八重歯で噛みしめる。艶かしい悪意に反応するよう
に、黒い紙に描かれた文字が赤く発光していく。と、同時にシメオンの視界も
真っ赤に染まり、首を真っ赤に焼いた鉄で締め付けられるような激痛が走る。
「…--------がっ、あああああ!!」
「シメオン!!貴様っ、何を!」
部屋の外に控えていたエルフの近衛兵らが駆け込んでくる。シメオンの苦痛の
表情の現況が、目の前の人間だと知ると烈火のごとく牙をむく。
「長に何をした!」
「ほぅ、さすがは直筆の契約書だけあって効果は抜群だな。懐かしいか?これ
は領主殿の姉・エディトが自殺した三日後、領主殿が国王に服従を誓うと誓約
した誓約書だ。何せクリノクリアエルフ手製の呪(まじな)いで出来た誓約の
紙、それが当人であろうとも厳格に処罰するそうだ」
勝手に身を焦がして発動する魔法。それは普段、シメオンが管理しているクリ
ノクリアの森、セラフィナイト・オーク全てに直結する魔法経路だった。エル
フ特有の魔法神経が無理やり力を呼び覚まされて、シメオンからぐいぐいと魔
力をむさぼっていく。すると、屋敷の外から幾多の悲鳴が聞こえてきた。森を
構成するあらゆる木々が真っ赤に光って次々と蠢きだす。
”森を全て樹林兵にするつもりか…!?”
シメオンの樹林兵(トレント)は、普通の木だった彼らにエルフの掟による
「森の守護」を架して兵士とさせる手段だ。森を構成するあらゆるセラフィナ
イト・オークはシメオンの命令さえあれば、いつだって樹林兵として戦えるよ
うになっているのだ。
「--------あああああああああああああああ!!」
思考が轢断され、激痛が脳を壊す。クリノクリアエルフの長として、魔法力は
大陸広しといえどシメオンに匹敵する人材は限られている。そんなシメオンの
魔法力でさえ、おおよそ森を構成する何千、何万のセラフィナイト・オークを
樹林兵として補うには足りなさ過ぎる。呼吸すら追いつかない領主を守るた
め、衛兵は一斉に槍をアルビオルへ突き出した。エルフの兵士は殺生を限りな
く嫌うが、それゆえにその覚悟を抱けば何よりも強靭な武力になる。
が、身体を貫通するはずだった槍は黒い契約書の前ではじかれた。金色の火花
を散らして、槍の刃が折れてはじけた。
アルビオルの笑みが深くなる。そう、この契約書の呪いはそもそも目の前のク
リノクリアエルフらが自ら施したもの。一人の仲間の理不尽な死を諦めきれな
いエルフらの気高さが、こうして今、呪いのように彼らを支配する。
「安心しろ、考えてもみてくれ。
このままそのドラゴンを【黒太子】に差し出してでも見ろ、私の狩場がなくな
ってしまう。私とて職を失いたくはないからね…だから」
満足げに懐いて、崩れ落ちたシメオンを足元に見下す。
「戦争の道具になる前に死んでもらうさ」
------------------------------------------------------------
PC :セシル フロウ イヴァン
場所 :クーロン(カランズ邸・別宅)
NPC :フィーク フィル・パンドゥール フィール・マグラルド
-----------------------------------------------------------------------
「さて、帰りましょうか」
フィール・マグラルドはにこりと笑った。何でもないようなその表情が上辺だけであ
るのか、それとも本物なのかの見分けをつけることは、少なくともセシルにはできなか
った。その場にいる他の連中にしてもセシルとおなじか、或いは、見分けたところで気
にすることはないだろう。
「皆もそろそろ息苦しいでしょう?
――せっちゃん以外は気にしてないかしら」
「俺が気にしてるよ」
妖精が小声で毒吐いた。フィールはまた薄く笑う。
「とても似合ってるわ、皆。
たまにはまったくの別人になるのも悪くないと思わない?」
セシルはその言葉を聞いて、これ以上、愚痴を言うのをやめようと決めた。
今回はこれだけ入念な変装が必要だったのだ。わかっていたことではあったが、ここ
まで直接的に言われてしまったら、反論の言葉は思いつかない。だからといって女装は
――女なら油断されるし、身体検査もされない。それだけのこと。
理解はしていても、嫌だということは変わらないけれど。
「……襲われるためにわざわざ来るなんて、気が違ってる」
「正気だからこそ、時にはそう見えるのよ」
言って、フィールは踵を返した。焼け焦げて落ちていたテーブルクロスを高いヒール
で上品に蹴散らし、彼女はもうさっさと帰還するつもりらしい。無言で後ろに従うイヴ
ァンは果たして何を考えているのか。何も考えていないのかも知れない、というあまり
にも悪い予感を強引に押しやると、セシルも彼らの後に続くことにした。
フィールは最後に一度だけ振り向いた。
「疲れたでしょう? 帰ったら食事にしようか」
「本当ですか!」
フロウが鋭く反応して、小走りで彼女に駆け寄った。
「まだ食べるの」という妖精の呟きを意に介す者はいない。
それにしても、これだけ大掛かりな罠を用意されるとは、フィール・マグラルドとい
う女は一体どんな恨みを買ったのだろうか。間違えても本人には聞けないし、調べてみ
ようという気にもなれないが。
-----------------------------------------------------------------------
PC :クランティーニ ライ
場所 :クーロン(カランズ邸・本宅)
-----------------------------------------------------------------------
「……暗殺なんてよくないと思うけどなぁ」
「あら、指名手配中の凶悪犯が道徳観念を語るの」
背の高い女だ。彼女の言葉に、ライは曖昧な笑顔だけを返した。何かを言い返すこと
に意味は見出せなかった。わざわざ誤解を解こうと努力したって徒労に終わるだろう。
付き合うつもりがなければ簡単に消えることだってできるのに、ついついここまで来て
しまった時点で、もう大方を諦めるしかないということはわかっている。気まぐれの代
償なら、決して高くはないだろう。
「クーロンは恐い場所だって聞いてたけど、本当みたいですね」
「人のいるところならどこだって変わらないわ」
「なんだかなぁ」
「とにかく話を合わせて」
ライはやる気なく「はぁい」とだけ答えた。
それから事前に彼女に言われた通り――つまり“それらしい格好をしなさい”――、
実体をいじくって服装を変えた。いつだか見た、貴族の護衛がこんな格好をしていた気
がする。藍色の上衣、踵の堅いブーツ。帽子を少しだけ深くかぶる。
かつかつ歩いて、女が「この建物」と示したのは、なかなかの豪邸だった。
門には紋章が飾られているが、形式からして貴族ではなさそうだということくらいし
かわからない。クーロンの住人事情なんてまったく知らない。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
「ええ、本当に。
確かにこの時間、リリィお嬢様と約束しましたの」
「そう言われましても……」
召使らしき男は困ったような表情で玄関を横目にした。
「お嬢様は現在、留守にしております」
「忘れてしまわれたのかしら、お嬢様の新しい事業についての、とても重要なお話なの
ですけれど。
今日でなくてはならない、何かの間違いで一日たりとも遅れることがあれば、待ちに
待った機会を失うことになってしまうとお嬢様が仰られたので、わたくしも今日だけは
と予定を明けて伺ったのです」
「……ふむ」
しばらくの逡巡の後、召使はどうやら、この客を返して主人の怒りを買うことを恐れ
たようだった。「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「クリスティーナ・フィオナ・エテツィオと申しますわ」
「! エテツィオ家の……失礼致しました、お嬢様」
彼女の後ろに立っていたライは、随分とまぁ大胆な嘘をつくものだと思ったが、澄ま
し顔で護衛のふりをしながら、視線だけで周囲を観察した。さて、帰りはどこから逃げ
ようか。
「どうぞ、客間へご案内いたします――エテツィオ家の方がいらっしゃった際には丁重
に遇すよう言い遣っております故に」
ライが横目で女を見ると、表情のわずかな変化から、どうやら本人にとって予想以上
の反応のようだった。異国の伯爵家とこの家の令嬢にどのような関係があるのかは、き
っと知らない方がいいんだろうな。どうせ何かしら後ろ暗いに決まってるんだから。
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場所 :クーロン(カランズ邸・別宅)
NPC :フィーク フィル・パンドゥール フィール・マグラルド
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「さて、帰りましょうか」
フィール・マグラルドはにこりと笑った。何でもないようなその表情が上辺だけであ
るのか、それとも本物なのかの見分けをつけることは、少なくともセシルにはできなか
った。その場にいる他の連中にしてもセシルとおなじか、或いは、見分けたところで気
にすることはないだろう。
「皆もそろそろ息苦しいでしょう?
――せっちゃん以外は気にしてないかしら」
「俺が気にしてるよ」
妖精が小声で毒吐いた。フィールはまた薄く笑う。
「とても似合ってるわ、皆。
たまにはまったくの別人になるのも悪くないと思わない?」
セシルはその言葉を聞いて、これ以上、愚痴を言うのをやめようと決めた。
今回はこれだけ入念な変装が必要だったのだ。わかっていたことではあったが、ここ
まで直接的に言われてしまったら、反論の言葉は思いつかない。だからといって女装は
――女なら油断されるし、身体検査もされない。それだけのこと。
理解はしていても、嫌だということは変わらないけれど。
「……襲われるためにわざわざ来るなんて、気が違ってる」
「正気だからこそ、時にはそう見えるのよ」
言って、フィールは踵を返した。焼け焦げて落ちていたテーブルクロスを高いヒール
で上品に蹴散らし、彼女はもうさっさと帰還するつもりらしい。無言で後ろに従うイヴ
ァンは果たして何を考えているのか。何も考えていないのかも知れない、というあまり
にも悪い予感を強引に押しやると、セシルも彼らの後に続くことにした。
フィールは最後に一度だけ振り向いた。
「疲れたでしょう? 帰ったら食事にしようか」
「本当ですか!」
フロウが鋭く反応して、小走りで彼女に駆け寄った。
「まだ食べるの」という妖精の呟きを意に介す者はいない。
それにしても、これだけ大掛かりな罠を用意されるとは、フィール・マグラルドとい
う女は一体どんな恨みを買ったのだろうか。間違えても本人には聞けないし、調べてみ
ようという気にもなれないが。
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PC :クランティーニ ライ
場所 :クーロン(カランズ邸・本宅)
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「……暗殺なんてよくないと思うけどなぁ」
「あら、指名手配中の凶悪犯が道徳観念を語るの」
背の高い女だ。彼女の言葉に、ライは曖昧な笑顔だけを返した。何かを言い返すこと
に意味は見出せなかった。わざわざ誤解を解こうと努力したって徒労に終わるだろう。
付き合うつもりがなければ簡単に消えることだってできるのに、ついついここまで来て
しまった時点で、もう大方を諦めるしかないということはわかっている。気まぐれの代
償なら、決して高くはないだろう。
「クーロンは恐い場所だって聞いてたけど、本当みたいですね」
「人のいるところならどこだって変わらないわ」
「なんだかなぁ」
「とにかく話を合わせて」
ライはやる気なく「はぁい」とだけ答えた。
それから事前に彼女に言われた通り――つまり“それらしい格好をしなさい”――、
実体をいじくって服装を変えた。いつだか見た、貴族の護衛がこんな格好をしていた気
がする。藍色の上衣、踵の堅いブーツ。帽子を少しだけ深くかぶる。
かつかつ歩いて、女が「この建物」と示したのは、なかなかの豪邸だった。
門には紋章が飾られているが、形式からして貴族ではなさそうだということくらいし
かわからない。クーロンの住人事情なんてまったく知らない。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
「ええ、本当に。
確かにこの時間、リリィお嬢様と約束しましたの」
「そう言われましても……」
召使らしき男は困ったような表情で玄関を横目にした。
「お嬢様は現在、留守にしております」
「忘れてしまわれたのかしら、お嬢様の新しい事業についての、とても重要なお話なの
ですけれど。
今日でなくてはならない、何かの間違いで一日たりとも遅れることがあれば、待ちに
待った機会を失うことになってしまうとお嬢様が仰られたので、わたくしも今日だけは
と予定を明けて伺ったのです」
「……ふむ」
しばらくの逡巡の後、召使はどうやら、この客を返して主人の怒りを買うことを恐れ
たようだった。「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「クリスティーナ・フィオナ・エテツィオと申しますわ」
「! エテツィオ家の……失礼致しました、お嬢様」
彼女の後ろに立っていたライは、随分とまぁ大胆な嘘をつくものだと思ったが、澄ま
し顔で護衛のふりをしながら、視線だけで周囲を観察した。さて、帰りはどこから逃げ
ようか。
「どうぞ、客間へご案内いたします――エテツィオ家の方がいらっしゃった際には丁重
に遇すよう言い遣っております故に」
ライが横目で女を見ると、表情のわずかな変化から、どうやら本人にとって予想以上
の反応のようだった。異国の伯爵家とこの家の令嬢にどのような関係があるのかは、き
っと知らない方がいいんだろうな。どうせ何かしら後ろ暗いに決まってるんだから。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC:ヘクセ カイ
NPC:アティア
場所:カフール国、スーリン僧院
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中天に月が浮かんでいた。
あと2日もすれば満月だろうか。
ヘクセは月を見上げながら思索にふけっていた。
「そんな顔もするんだな。」
不意に背後から声をかけられた。
振り向くとカイが立っていた。
「何か変な顔をしてたかい?」
にへらと笑ってみせる。
カイは隣に腰を下ろした。
「切なそうな顔をしていた。」
「そりゃ、私だって切なそうな顔の一つや二つ持ってるさ。
女の子なんだぞ。」
「お前はいつも楽しそうにしてたから、
悩みなど持ってないと思ってたよ。」
カイは本気っぽかった。
「人間だもの。悩みもするし、苦しみもするさ。」
ヘクセはそのまま仰向けに転がった。
そして月に向かって手を伸ばす。
「…私は月の光に誘われる羽虫だ。
届かぬと知ってても、そこに向かって飛ばずにはいられない。」
ヘクセはふふっと笑った。
「月の光の下はよくないな。
思わず素直になる。」
「…お前がそれほど求めるものってなんだ?」
カイが尋ねてきた。
会話の機微を楽しまないなんて、つまらない男だ。
「それはカイがここにいる理由と引き換えの約束だよ?」
ヘクセは意地悪く切り返した。
「こんな月の下で探り合いは風情がないと思わない?
それよりも、もっとおしゃべりをしよう。
…カイ、私が羽虫なら、君はさしずめ蟻といったところか。
それも巣穴への道を失った蟻だね。
…帰り道は見つかりそうかい?」
カイは息を呑んでヘクセを見た。
「カイって嘘のつけないタイプでしょ?
目の奥に、寂しさと迷いが見えるよ。
…寂しいなら寂しいと伝えればよかったのだよ。
幼馴染君にさ。
そうすれば、次に進めただろうに。
大方、物分かりいいフリして、送り出しちゃったんだろう?
バッカだねー。
なんでカフールの人ってそうなのかね?
禁欲的というか、弱音を吐きたがらないっていうか。
人生ハレもあればケもあるって。
その両方とも素直に受け入れて、
ハレの時には心からはじけて、
ケの時にはいっぱい泣いて…
そうやって生きれば楽しいのに…」
「…言ったところで、彼女を困らせるだけだ。
彼女とて十分に悩んで出した答えだろうし、
私に何が言える?」
「それがやせ我慢っていうの。
あげく、ここでうじうじしてたってしょうがないじゃん。
それともここで修行を積んで鉄の意志を身につければ、
そんな人の弱さを捨てられるとでも?」
ヘクセは唇を尖らせてダメ出ししたが、ふっと表情を緩めた。
「しょうがないなぁ。
カイ君のために、その幼馴染君の代わりをしてあげよう。
さぁ、私をその幼馴染君だと思って、
あの日言えなかった言葉を言いたまえ。」
カイはヘクセをまじまじと見て、言った。
「無理。」
「なんで!」
「お前とフィーとじゃ、全然違う。」
カイはそう言ってから、吹き出した。
ひとしきり笑ってから、ヘクセの頭をぽんぽんと叩いた。
「気持だけ受け取っておくよ。
ありがとう。」
ヘクセは不満げに唇を尖らせたが、カイの笑い顔を見て頬を緩めた。
「ま、いっか。
時に迷うのも人生だ。
一ついいことを教えてあげよう。
人は幸せになるために生きてるのだよ。
そりゃ、置かれた環境は選べないけど、
どんな状況でだって、どう反応することを選ぶかは自身なのだしね。」
カイは月を見上げ黙り込んだ。
ヘクセも月を見上げた。
言葉は交わさなかったが、不思議と分かり合えた気がした。
* * *
「昔々、グーティエという偉い僧正がここにいたんだよ。
この人、誰が何を問うても、ただ指を1本立てるだけなんだ。
彼には若い侍者が仕えていたんだけどね。
ある時訪問者が、『あなたの師匠はどんな教えを説かれますか』
って聞いたんだ。
侍者は何も言わず指を1本立てた。
これを聞いたグーティエは、刃で侍者の指をちょん切っちゃった。
侍者が泣きながら走り去ろうとした時、グーティエは彼を呼んだ。
彼が頭をめぐらすと、グーティエは指を1本立てた。
そして侍者は忽然として悟った。
…『一指の悟り』か。
この話はカフール哲学の特徴を示す有名な話だねー。
カフール哲学は『不律文字』。
ありていに言うなら『言葉には出来ない』だ。
自らがその境地に達する他無い。
だからこそ、カフール哲学のことを『道』と呼ぶんだし、
修行のことを『求道』と呼ぶわけだね。
『道』とは魂を練磨し、領悟の頂きへと至る手段だ。
武術、気孔術、仙術、針術、漢方…カフール特有の技術の真髄でね、
これによってカフールの武人達や仙人たちは人を超えた業を使える。
でもね、実のところ、そんな業は求道の過程で得る副産物なんだ。
『道』とは、自然の周期と調和して動くことにより
人体の最大潜在力を引き出すための生き方なんだね。
わかる?」
「うん、グーティエって人が指をちょん切っちゃう人ってことはわかった。」
アティアは力強く頷いた。
「珍しく、おとなしく本を読んでやってると思ったら何の話をしてるんだ?
子供には難しすぎるだろ?」
脇で見ていたカイが思わず突っ込みを入れる。
「ごめんごめんw
ついつい夢中になっちゃって。
ちなみにこのグーティエさんの姓がゲンマって言って、
『指きりげんまん、嘘ついたらはりせんぼんのーます』
って歌の元になったんだよ♪」
「ホント!?」
「ううん、嘘w」
目を輝かせて乗り出すアティアに、ヘクセはにこやかに告げた。
奇妙な沈黙があたりを支配する。
「ヘクセのうそつきー!
はりせんぼん飲ませてやるー!」
「きゃーっ!
やめて助けてー!」
本を放り出し取っ組み合いを始める二人。
カイは溜息をついて、本を拾い集めた。
その部屋の横をばたばたと僧達が走っていく。
「何か騒がしいね。
何があったんだろう?」
「確認しよう。」
カイは襖を開き部屋を出ると、近くの僧に声をかけた。
「何かありましたか。」
「ええ、今、大僧正がお戻りになられたのですが、
お怪我をなされて…。
お付きの者達はいなくなったと…。
どうやら帰路にて、何者かの襲撃を受けたようで…」
カイはその言葉を聞いた瞬間駆け出した。
後ろをヘクセがついて来る。
二人が駆けつけたときには、大僧正は多くの僧に囲まれ
正殿へと運び込まれるところだった。
「大僧正!」
カイが声をかけるが、大僧正はちらりと見ただけで、苦痛のうめきを上げ顔を
伏せた。
そのまま慌しく寝室へと運ばれていく。
ヘクセはその様子を黙って見ていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC:ヘクセ カイ
NPC:アティア
場所:カフール国、スーリン僧院
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中天に月が浮かんでいた。
あと2日もすれば満月だろうか。
ヘクセは月を見上げながら思索にふけっていた。
「そんな顔もするんだな。」
不意に背後から声をかけられた。
振り向くとカイが立っていた。
「何か変な顔をしてたかい?」
にへらと笑ってみせる。
カイは隣に腰を下ろした。
「切なそうな顔をしていた。」
「そりゃ、私だって切なそうな顔の一つや二つ持ってるさ。
女の子なんだぞ。」
「お前はいつも楽しそうにしてたから、
悩みなど持ってないと思ってたよ。」
カイは本気っぽかった。
「人間だもの。悩みもするし、苦しみもするさ。」
ヘクセはそのまま仰向けに転がった。
そして月に向かって手を伸ばす。
「…私は月の光に誘われる羽虫だ。
届かぬと知ってても、そこに向かって飛ばずにはいられない。」
ヘクセはふふっと笑った。
「月の光の下はよくないな。
思わず素直になる。」
「…お前がそれほど求めるものってなんだ?」
カイが尋ねてきた。
会話の機微を楽しまないなんて、つまらない男だ。
「それはカイがここにいる理由と引き換えの約束だよ?」
ヘクセは意地悪く切り返した。
「こんな月の下で探り合いは風情がないと思わない?
それよりも、もっとおしゃべりをしよう。
…カイ、私が羽虫なら、君はさしずめ蟻といったところか。
それも巣穴への道を失った蟻だね。
…帰り道は見つかりそうかい?」
カイは息を呑んでヘクセを見た。
「カイって嘘のつけないタイプでしょ?
目の奥に、寂しさと迷いが見えるよ。
…寂しいなら寂しいと伝えればよかったのだよ。
幼馴染君にさ。
そうすれば、次に進めただろうに。
大方、物分かりいいフリして、送り出しちゃったんだろう?
バッカだねー。
なんでカフールの人ってそうなのかね?
禁欲的というか、弱音を吐きたがらないっていうか。
人生ハレもあればケもあるって。
その両方とも素直に受け入れて、
ハレの時には心からはじけて、
ケの時にはいっぱい泣いて…
そうやって生きれば楽しいのに…」
「…言ったところで、彼女を困らせるだけだ。
彼女とて十分に悩んで出した答えだろうし、
私に何が言える?」
「それがやせ我慢っていうの。
あげく、ここでうじうじしてたってしょうがないじゃん。
それともここで修行を積んで鉄の意志を身につければ、
そんな人の弱さを捨てられるとでも?」
ヘクセは唇を尖らせてダメ出ししたが、ふっと表情を緩めた。
「しょうがないなぁ。
カイ君のために、その幼馴染君の代わりをしてあげよう。
さぁ、私をその幼馴染君だと思って、
あの日言えなかった言葉を言いたまえ。」
カイはヘクセをまじまじと見て、言った。
「無理。」
「なんで!」
「お前とフィーとじゃ、全然違う。」
カイはそう言ってから、吹き出した。
ひとしきり笑ってから、ヘクセの頭をぽんぽんと叩いた。
「気持だけ受け取っておくよ。
ありがとう。」
ヘクセは不満げに唇を尖らせたが、カイの笑い顔を見て頬を緩めた。
「ま、いっか。
時に迷うのも人生だ。
一ついいことを教えてあげよう。
人は幸せになるために生きてるのだよ。
そりゃ、置かれた環境は選べないけど、
どんな状況でだって、どう反応することを選ぶかは自身なのだしね。」
カイは月を見上げ黙り込んだ。
ヘクセも月を見上げた。
言葉は交わさなかったが、不思議と分かり合えた気がした。
* * *
「昔々、グーティエという偉い僧正がここにいたんだよ。
この人、誰が何を問うても、ただ指を1本立てるだけなんだ。
彼には若い侍者が仕えていたんだけどね。
ある時訪問者が、『あなたの師匠はどんな教えを説かれますか』
って聞いたんだ。
侍者は何も言わず指を1本立てた。
これを聞いたグーティエは、刃で侍者の指をちょん切っちゃった。
侍者が泣きながら走り去ろうとした時、グーティエは彼を呼んだ。
彼が頭をめぐらすと、グーティエは指を1本立てた。
そして侍者は忽然として悟った。
…『一指の悟り』か。
この話はカフール哲学の特徴を示す有名な話だねー。
カフール哲学は『不律文字』。
ありていに言うなら『言葉には出来ない』だ。
自らがその境地に達する他無い。
だからこそ、カフール哲学のことを『道』と呼ぶんだし、
修行のことを『求道』と呼ぶわけだね。
『道』とは魂を練磨し、領悟の頂きへと至る手段だ。
武術、気孔術、仙術、針術、漢方…カフール特有の技術の真髄でね、
これによってカフールの武人達や仙人たちは人を超えた業を使える。
でもね、実のところ、そんな業は求道の過程で得る副産物なんだ。
『道』とは、自然の周期と調和して動くことにより
人体の最大潜在力を引き出すための生き方なんだね。
わかる?」
「うん、グーティエって人が指をちょん切っちゃう人ってことはわかった。」
アティアは力強く頷いた。
「珍しく、おとなしく本を読んでやってると思ったら何の話をしてるんだ?
子供には難しすぎるだろ?」
脇で見ていたカイが思わず突っ込みを入れる。
「ごめんごめんw
ついつい夢中になっちゃって。
ちなみにこのグーティエさんの姓がゲンマって言って、
『指きりげんまん、嘘ついたらはりせんぼんのーます』
って歌の元になったんだよ♪」
「ホント!?」
「ううん、嘘w」
目を輝かせて乗り出すアティアに、ヘクセはにこやかに告げた。
奇妙な沈黙があたりを支配する。
「ヘクセのうそつきー!
はりせんぼん飲ませてやるー!」
「きゃーっ!
やめて助けてー!」
本を放り出し取っ組み合いを始める二人。
カイは溜息をついて、本を拾い集めた。
その部屋の横をばたばたと僧達が走っていく。
「何か騒がしいね。
何があったんだろう?」
「確認しよう。」
カイは襖を開き部屋を出ると、近くの僧に声をかけた。
「何かありましたか。」
「ええ、今、大僧正がお戻りになられたのですが、
お怪我をなされて…。
お付きの者達はいなくなったと…。
どうやら帰路にて、何者かの襲撃を受けたようで…」
カイはその言葉を聞いた瞬間駆け出した。
後ろをヘクセがついて来る。
二人が駆けつけたときには、大僧正は多くの僧に囲まれ
正殿へと運び込まれるところだった。
「大僧正!」
カイが声をかけるが、大僧正はちらりと見ただけで、苦痛のうめきを上げ顔を
伏せた。
そのまま慌しく寝室へと運ばれていく。
ヘクセはその様子を黙って見ていた。
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