--------------------------------------------------------
PC イートン・ニーツ・八重
場所 ヴェルン湖
NPC ベル=リアン・ユサ一味・市長(ジェームス)・ナスビ
---------------------------------------------------
「お前の手下・・・」
とんっ、と軽く地面を蹴ると、ニーツは真上に大きく飛び上がった。満月にニーツのシルエットが浮かび上がる。ベルもニーツを追うように高く飛び上がると、両手の間に赤い魔力の玉を溜め始めた。バチバチバチッ、と赤い玉がベルの手の中で放電する。
「はあっ!!」
しかしニーツはベルが放った赤い玉を空中で右に交わしてよけた。赤い玉はニーツに当たる代わりに、
どうんっ!!
地面に当たり、手下に使っていたユサの仲間の一人の体を吹っ飛ばした。
「はははっ、またはずれちゃったぁ」
ベルが軽い笑い声を立てる。
「お前・・・」
「何?ニーツ、何で怒ってるのさ」
何の罪悪感もなさそうな顔できょとん、と尋ねるベルにニーツはますます腹が立った。
「僕の仲間をふっ飛ばしちゃったから?でも何で怒るのさ?」
「それもあるがな。もっと根本的なことだ」
ベルに吹っ飛ばされた仲間は、…頭と右手がないままの姿でゆっくりと、立ち上がった。その体から、血を滴らせることなく。ニーツは氷のような視線をベルに向け、ゆっくりと言った。
「お前はユサたちを<ゾンビ>にしたな。それともやったのはお前の兄か?」
「そんなのどっちでもいいじゃん」
ベルはけろりとして言う。
「それにこっちのほうが<生身>より使いやすいよ?」
「・・・」
無言でニーツは紫色の閃光をベルに放った。どうしようもない怒りが、ニーツの体を支配していく。そして次なる攻撃のために魔力を両手に溜め、ベルに向かっていくとき、ちらりとニーツは思った。
(こんな状況は、とてもじゃないが、イートンには見せられたもんじゃない)
仲があまりよくなかったとはいえ、ユサたちはかつてイートンの仲間だったのだ。今やゾンビと化した、仲間のこの姿を見れば、きっとイートンは悲しむだろう。イートンを慰めてやる義理はないが、それでも、イートンの悲しむ顔はあまり見たくないものだった。
きゅっと唇を噛むと、ニーツはベルに手の中の閃光を放った。
「いいかげんにしろ!八重!」
どおんという破裂音とともにナスビはウサギを突き飛ばした。
「ガウウウッ!!」
めきめきっと周りの木をへし折り、ウサギは大きく吹っ飛ぶ。
「邪魔すんじゃねぇ!!この赤目野郎!」
ジェームスが喉の奥でうううっと唸りながら、ナスビを睨みつける。
「お前もオレに喰われてぇかよぉ」
「喰われる?」
ウサギをふっ飛ばした後、ナスビはくるりとジェームスに向き直った。
「この我輩が、オマエに?」
そう言って、嘲笑した目つきでジェームスを見つめた。その目は完全にジェ
ームスを小ばかにしてあざ笑っている。
「完全なる姿のこの我輩が、レン様の失敗作にも及ばぬ、オマエに喰われるだと?」
ナスビはふ・・と笑い、その赤い瞳でジェームスを見据えた。
「ちゃんちゃら可笑しいわ」
「ざけやがってぇ!この赤目野郎がァ!!」
ナスビの態度に、怒り狂った狂犬が矢のような速さでナスビに突っ込んでくる。しかし、ナスビの悠々とした笑みは崩れることはなかった。
風のように走る狂犬が噛み付くより早く、ナスビは体をひゅうっと横にそらすと拳を狂犬のみぞおちに当てた。
「がふっ・・・」
狂犬が血を吐いて、地面にどうと倒れる。ナスビはそれを冷ややかに見やると、今度はくるりと向き直って先ほどから蠢く草むらを見つめた。
「グルルルルゥ・・・」
草むらの中から赤い瞳が光る。
「市長より何より、厄介なのはオマエだよ、八重」
そう言いながら、ゆっくりとナスビは手をウサギの方向にかざした。
「オマエも市長との戦いでだいぶやられただろうから、動きが鈍くなっているだろう」
かざしたナスビの手の中に、だんだんと金色の光が溜まってくる。
「一発で仕留めてやるぞ、八重」
がさがさっと動く草むらに、イートンは戦慄を覚えた。
(ついに来たか・・・!)
ごくりとイートンは生唾を飲んだ。この方角の先にあるのはB地点。つまり、この先からやってるくのはターゲットの市長か、それとも<ウサギ>化した八重のどちらかだった。ゲートの準備は整っている。しかし、ウサギと狂犬に遭遇することを考えると、イートンは身も凍るような思いだった。
(ああ、一体どっちがここから出てくるんだろう・・・)
魔法陣の中で、イートンは息を呑んで草むらを見つめた。
しかし、草むらから出てきたのは、
「ナスビちゃん!!」
イートンは喜びの声を上げた。ナスビは疲れた顔で笑みを返す。
「ふ・・・、全く、今回は手こずったぞ」
ナスビは一方の肩に、気絶したジェームスを背負っていた。そして空いたもう一方の手には、
「キュ・・・」
「目くらましを当ててから、オマエがいうようににんじんを食わせてやった」
そう言って、ナスビは弱小化したウサギを見つめた。
「なんか、こう・・・、ずいぶんとかわいくなるものだな。キュ、しかいわないぞ、ほれ」
空いた手でウサギのほっぺたをつねると、ウサギは「キュ~っ」と悲鳴を上げた。
(ああ・・・)
思わずイートンの口からため息が漏れた。
(なんか、こう、純粋にかわいいって思える生き物に会ってみたい・・・)
これから危険な状況が待っているにもかかわらず、ナスビとウサギを見て、思わず脱力するイートンだった。
PC イートン・ニーツ・八重
場所 ヴェルン湖
NPC ベル=リアン・ユサ一味・市長(ジェームス)・ナスビ
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「お前の手下・・・」
とんっ、と軽く地面を蹴ると、ニーツは真上に大きく飛び上がった。満月にニーツのシルエットが浮かび上がる。ベルもニーツを追うように高く飛び上がると、両手の間に赤い魔力の玉を溜め始めた。バチバチバチッ、と赤い玉がベルの手の中で放電する。
「はあっ!!」
しかしニーツはベルが放った赤い玉を空中で右に交わしてよけた。赤い玉はニーツに当たる代わりに、
どうんっ!!
地面に当たり、手下に使っていたユサの仲間の一人の体を吹っ飛ばした。
「はははっ、またはずれちゃったぁ」
ベルが軽い笑い声を立てる。
「お前・・・」
「何?ニーツ、何で怒ってるのさ」
何の罪悪感もなさそうな顔できょとん、と尋ねるベルにニーツはますます腹が立った。
「僕の仲間をふっ飛ばしちゃったから?でも何で怒るのさ?」
「それもあるがな。もっと根本的なことだ」
ベルに吹っ飛ばされた仲間は、…頭と右手がないままの姿でゆっくりと、立ち上がった。その体から、血を滴らせることなく。ニーツは氷のような視線をベルに向け、ゆっくりと言った。
「お前はユサたちを<ゾンビ>にしたな。それともやったのはお前の兄か?」
「そんなのどっちでもいいじゃん」
ベルはけろりとして言う。
「それにこっちのほうが<生身>より使いやすいよ?」
「・・・」
無言でニーツは紫色の閃光をベルに放った。どうしようもない怒りが、ニーツの体を支配していく。そして次なる攻撃のために魔力を両手に溜め、ベルに向かっていくとき、ちらりとニーツは思った。
(こんな状況は、とてもじゃないが、イートンには見せられたもんじゃない)
仲があまりよくなかったとはいえ、ユサたちはかつてイートンの仲間だったのだ。今やゾンビと化した、仲間のこの姿を見れば、きっとイートンは悲しむだろう。イートンを慰めてやる義理はないが、それでも、イートンの悲しむ顔はあまり見たくないものだった。
きゅっと唇を噛むと、ニーツはベルに手の中の閃光を放った。
「いいかげんにしろ!八重!」
どおんという破裂音とともにナスビはウサギを突き飛ばした。
「ガウウウッ!!」
めきめきっと周りの木をへし折り、ウサギは大きく吹っ飛ぶ。
「邪魔すんじゃねぇ!!この赤目野郎!」
ジェームスが喉の奥でうううっと唸りながら、ナスビを睨みつける。
「お前もオレに喰われてぇかよぉ」
「喰われる?」
ウサギをふっ飛ばした後、ナスビはくるりとジェームスに向き直った。
「この我輩が、オマエに?」
そう言って、嘲笑した目つきでジェームスを見つめた。その目は完全にジェ
ームスを小ばかにしてあざ笑っている。
「完全なる姿のこの我輩が、レン様の失敗作にも及ばぬ、オマエに喰われるだと?」
ナスビはふ・・と笑い、その赤い瞳でジェームスを見据えた。
「ちゃんちゃら可笑しいわ」
「ざけやがってぇ!この赤目野郎がァ!!」
ナスビの態度に、怒り狂った狂犬が矢のような速さでナスビに突っ込んでくる。しかし、ナスビの悠々とした笑みは崩れることはなかった。
風のように走る狂犬が噛み付くより早く、ナスビは体をひゅうっと横にそらすと拳を狂犬のみぞおちに当てた。
「がふっ・・・」
狂犬が血を吐いて、地面にどうと倒れる。ナスビはそれを冷ややかに見やると、今度はくるりと向き直って先ほどから蠢く草むらを見つめた。
「グルルルルゥ・・・」
草むらの中から赤い瞳が光る。
「市長より何より、厄介なのはオマエだよ、八重」
そう言いながら、ゆっくりとナスビは手をウサギの方向にかざした。
「オマエも市長との戦いでだいぶやられただろうから、動きが鈍くなっているだろう」
かざしたナスビの手の中に、だんだんと金色の光が溜まってくる。
「一発で仕留めてやるぞ、八重」
がさがさっと動く草むらに、イートンは戦慄を覚えた。
(ついに来たか・・・!)
ごくりとイートンは生唾を飲んだ。この方角の先にあるのはB地点。つまり、この先からやってるくのはターゲットの市長か、それとも<ウサギ>化した八重のどちらかだった。ゲートの準備は整っている。しかし、ウサギと狂犬に遭遇することを考えると、イートンは身も凍るような思いだった。
(ああ、一体どっちがここから出てくるんだろう・・・)
魔法陣の中で、イートンは息を呑んで草むらを見つめた。
しかし、草むらから出てきたのは、
「ナスビちゃん!!」
イートンは喜びの声を上げた。ナスビは疲れた顔で笑みを返す。
「ふ・・・、全く、今回は手こずったぞ」
ナスビは一方の肩に、気絶したジェームスを背負っていた。そして空いたもう一方の手には、
「キュ・・・」
「目くらましを当ててから、オマエがいうようににんじんを食わせてやった」
そう言って、ナスビは弱小化したウサギを見つめた。
「なんか、こう・・・、ずいぶんとかわいくなるものだな。キュ、しかいわないぞ、ほれ」
空いた手でウサギのほっぺたをつねると、ウサギは「キュ~っ」と悲鳴を上げた。
(ああ・・・)
思わずイートンの口からため息が漏れた。
(なんか、こう、純粋にかわいいって思える生き物に会ってみたい・・・)
これから危険な状況が待っているにもかかわらず、ナスビとウサギを見て、思わず脱力するイートンだった。
PR
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PC ニーツ イートン 八重(ウサギ)
場所 ヴェルン湖
NPC 市長(ジェームス)・ナスビ・ベル=リアン・ユサと部下達
--------------------------------------------------------
紅い月の下で、二つの影が優雅に舞う。
だが其処に絡みつくのは、死の香り。
一つステップを踏み間違えば、永遠に命が奪われる、ギリギリの攻防。
しかし、そんな中でも、ニーツの口元には笑みが浮かんでいた。
全身に駆け抜ける昂揚感。
月の魔力に、爛と瞳を輝かせ、相手を見据える。
相手を見ると、ベル=リアンも同様に、瞳を爛々と輝かせて、こちらを見返していた。
だがその奥には、狂ったような憎悪が見え隠れする。
月の魔力に負の心を増幅され、精神のバランスを崩されているのが、一目で見て取れ た。
(哀れだな…)
だが、同情する余地も無ければ、義理も無い。あるのは、不快感のみ。
「あああああぁ!!」
ベル=リアンが、何度目かの炎を放つ。
子供らしい、単調な攻撃。ニーツは、今度は避ける事をせず、炎を構成していた魔力 を自らの腕に引きつけ、纏わり付かせた。
ニーツを傷つけようと暴れる炎に、己の魔力を流し込み、支配する。その状態で、ニーツは一瞬でベル=リアンの真横へ移動する。
「―――――!!」
ベル=リアンが振り向きざまに撃った赤い玉は、虚しく空を切った。その時には既にニーツは地面にふわりと降り立っている。
ニーツの狙いは初めからベル=リアンではなく…
―ゴゥ―
ニーツ自身の魔力を流し込まれた炎が、一瞬で膨れ上がる。それは、地上にいたベル =リアンの捨て駒、ユサ達を呑み込み、燃え上がった。
『ガ…ガァァァ…!!』
獣のような断末魔の叫びが、あちらこちらから上がる。それはまるで、人間へ戻りたいという、心からの叫びと嘆きに聞こえた。
同情などしない。哀れにも思わない。自らの行いが招いた事だ。
だがせめて、消し去ってしまうのが彼らの為だと、ニーツは思ったのだ。
姿も留めず、ただ、人の記憶には人間として、残るように。
一瞬にして焼き払われたユサ達の姿が、形も残さずに消えると、その存在を消し去った炎もまた、消え失せた。
「さて、これで一対一だな」
ニーツが、上空のベル=リアンを見上げて言った。リアンの瞳は、かなり危険な色に染まっている。
「貴様…!よくも!」
お気に入りの玩具を奪われた子供のように、ベル=リアンはニーツを睨みつける。
「返せ!返せ!!」
だが一瞬後、その狂気に染まった顔に、勝ち誇ったような笑みが張り付いた。ぞくりと背筋に寒気が走り、ニーツは身を翻す。
しかしわずかに遅れ、誰かがニーツを背後から羽交い絞めにした。
「…!まだ残っていたか!」
生気も気配も感じさせないゾンビの一匹が、何時の間にか忍び寄っていたのだ。
強引に、ニーツは抑えられている腕を振り切り、ゾンビを焼き払った。そして体勢を
整える間もなく、咄嗟に魔力障壁を張る。至近距離に迫っていたベル=リアンから放たれた魔力がそれにぶち当たり、弾け、反動でニーツとベル=リアンは後方に吹き飛ばされた。
「ち…大した連携攻撃だな」
「くそう!」
必殺の攻撃をかわされ、ベル=リアンが歯軋りする。
ニーツはざっと戦場を一瞥した。もう、ゾンビの生き残りはいない。本当に、一対一。
ベル=リアンがギリッとニーツを睨む。赤い魔力の光が、その全身から右手に凝縮し、ニーツの方へ駆け出した。が、一歩進んだところで、その動きが止まる。
「あ…あぁ!?」
ベル=リアンが、信じられない物を見るように、自らの足へ視線を移した。其処には、何時の間にか地面から生えていた一本の蔦が絡み付いていた。
いや、絡みつくだけではない。その蔦は所々、赤く変色している。よく見れば、蔦の先端が、ベル=リアンの足に喰い込んでいた。
集中力をなくしたベル=リアンの魔力が拡散する。
「未熟者」
ふっと笑みを浮かべて、ニーツは言い捨てた。そう言っている間にも、蔦はベル=リアンの体を這うように、成長していった。
「くぅぅ…」
蔦に身動きを封じられ、集中力すら失われたベル=リアンは、膝をつき、ニーツを見上げる。必死に蔦を振りほどこうとしたが、ニーツの魔力が込められた蔦には何の影響も及ぼさない。
歴然とした魔力の差が、其処にあった。
「直球だけが戦いじゃない。ひとつお利口になっただろう?もっとも…」
ニーツはゆっくりとベル=リアンに近寄った。
その手には魔力が集まり、剣の形をとった。
スッと、ベル=リアンの首筋にそれを当てる。
「お前に未来は無いけどな」
「く…」
「知っているか?ドクター・レンが召喚術で繋いだ場所…何処の魔族達を呼び出して
いたか」
冷ややかな眼差しで語るニーツ。腕は、動かさない。
ベル=リアンの頬に、ザアッと汗が流れた。
「し、知ってるわけないじゃないか」
「…深遠なる闇。苦痛と悲鳴が折り重なる場所。永久の牢獄。死するよりも辛い、絶望の地。
お前も魔族なら、これの意味する場所が解るだろう?」
ベル=リアンの瞳が大きく見開かれる。その顔に浮かんだものは、絶望。
ニーツは、ベル=リアンに顔を寄せた。目の前に、その金の瞳を捉える。
口元には笑み。瞳の奥には、明確な殺意。声に含まれるのは、残忍さ。
果たしてそれは、怒りに起因するものなのか。それとも、本性なのか。
「…ふふ…今ならまだ間に合う。さあ、行こうか」
告げるニーツの言葉に、ベル=リアンの絶叫が重なった。
---------------------------
空間に闇が滲み出している。
魔界へのゲート。
魔界、と一言に言っても、その意味は広い。魔族と言っても様々な個体を指すように。
今この場で繋がっているのは、ドクター・レンが好んで繋いでいた場所。
魔族の中でも、特に残虐で、残酷、犯罪行為を好み、誰にも手がつけられない様な魔族たちが堕とされた場所。
名は特に無い。吹き溜まり、とも呼ばれる。永遠の闇、と呼ぶものもいる。その呼び名は様々だが、其処に行った者は、二度と帰ってこられないとされる場所。
そんな危険な場所故に、召喚術に失敗は許されない。
無論、今行われている儀式にも。
古代文字が燦然と輝き、術者の姿を浮かび上がらせた。
術者が立つ魔方陣の横には魔方陣がもう一つ描かれており、其処に市長が横たえられている。
魔方陣の傍らには、魔力の風に髪を靡かせたナスビの姿。更には、弱体化したウサギが、その横に座り込んでいる。
市長が目覚め暴れるのを警戒していたナスビは、ふと顔をあげた。
「ふむ…」
カサリと叢が揺れ、其処から蔦を巻きつけたベル=リアンを引きずる形で、ニーツが姿を現す。
「遅かったな。間に合ったか。
…そいつは?」
「お土産さ」
にっこりと―本当に、邪気を感じられない程に、可愛らしくにっこりと―ニーツは微笑む。
それが逆に怖くて、ナスビは思わず後ずさった。
「……何かあったのか?」
「いや?特に何も無いが?
ふうん。イートンにしては頑張っているな。もう少しで最終段階じゃないか」
微笑みながら言うニーツに、ナスビはこれまでこんなに恐怖を感じた事があるかと、思わず過去を思い返していた。
「さて、こいつも祭りに入れてもらおうかな…」
そんなナスビに構わず、ふふ…っと笑って、ニーツは気絶したベル=リアンを見下ろした。
PC ニーツ イートン 八重(ウサギ)
場所 ヴェルン湖
NPC 市長(ジェームス)・ナスビ・ベル=リアン・ユサと部下達
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紅い月の下で、二つの影が優雅に舞う。
だが其処に絡みつくのは、死の香り。
一つステップを踏み間違えば、永遠に命が奪われる、ギリギリの攻防。
しかし、そんな中でも、ニーツの口元には笑みが浮かんでいた。
全身に駆け抜ける昂揚感。
月の魔力に、爛と瞳を輝かせ、相手を見据える。
相手を見ると、ベル=リアンも同様に、瞳を爛々と輝かせて、こちらを見返していた。
だがその奥には、狂ったような憎悪が見え隠れする。
月の魔力に負の心を増幅され、精神のバランスを崩されているのが、一目で見て取れ た。
(哀れだな…)
だが、同情する余地も無ければ、義理も無い。あるのは、不快感のみ。
「あああああぁ!!」
ベル=リアンが、何度目かの炎を放つ。
子供らしい、単調な攻撃。ニーツは、今度は避ける事をせず、炎を構成していた魔力 を自らの腕に引きつけ、纏わり付かせた。
ニーツを傷つけようと暴れる炎に、己の魔力を流し込み、支配する。その状態で、ニーツは一瞬でベル=リアンの真横へ移動する。
「―――――!!」
ベル=リアンが振り向きざまに撃った赤い玉は、虚しく空を切った。その時には既にニーツは地面にふわりと降り立っている。
ニーツの狙いは初めからベル=リアンではなく…
―ゴゥ―
ニーツ自身の魔力を流し込まれた炎が、一瞬で膨れ上がる。それは、地上にいたベル =リアンの捨て駒、ユサ達を呑み込み、燃え上がった。
『ガ…ガァァァ…!!』
獣のような断末魔の叫びが、あちらこちらから上がる。それはまるで、人間へ戻りたいという、心からの叫びと嘆きに聞こえた。
同情などしない。哀れにも思わない。自らの行いが招いた事だ。
だがせめて、消し去ってしまうのが彼らの為だと、ニーツは思ったのだ。
姿も留めず、ただ、人の記憶には人間として、残るように。
一瞬にして焼き払われたユサ達の姿が、形も残さずに消えると、その存在を消し去った炎もまた、消え失せた。
「さて、これで一対一だな」
ニーツが、上空のベル=リアンを見上げて言った。リアンの瞳は、かなり危険な色に染まっている。
「貴様…!よくも!」
お気に入りの玩具を奪われた子供のように、ベル=リアンはニーツを睨みつける。
「返せ!返せ!!」
だが一瞬後、その狂気に染まった顔に、勝ち誇ったような笑みが張り付いた。ぞくりと背筋に寒気が走り、ニーツは身を翻す。
しかしわずかに遅れ、誰かがニーツを背後から羽交い絞めにした。
「…!まだ残っていたか!」
生気も気配も感じさせないゾンビの一匹が、何時の間にか忍び寄っていたのだ。
強引に、ニーツは抑えられている腕を振り切り、ゾンビを焼き払った。そして体勢を
整える間もなく、咄嗟に魔力障壁を張る。至近距離に迫っていたベル=リアンから放たれた魔力がそれにぶち当たり、弾け、反動でニーツとベル=リアンは後方に吹き飛ばされた。
「ち…大した連携攻撃だな」
「くそう!」
必殺の攻撃をかわされ、ベル=リアンが歯軋りする。
ニーツはざっと戦場を一瞥した。もう、ゾンビの生き残りはいない。本当に、一対一。
ベル=リアンがギリッとニーツを睨む。赤い魔力の光が、その全身から右手に凝縮し、ニーツの方へ駆け出した。が、一歩進んだところで、その動きが止まる。
「あ…あぁ!?」
ベル=リアンが、信じられない物を見るように、自らの足へ視線を移した。其処には、何時の間にか地面から生えていた一本の蔦が絡み付いていた。
いや、絡みつくだけではない。その蔦は所々、赤く変色している。よく見れば、蔦の先端が、ベル=リアンの足に喰い込んでいた。
集中力をなくしたベル=リアンの魔力が拡散する。
「未熟者」
ふっと笑みを浮かべて、ニーツは言い捨てた。そう言っている間にも、蔦はベル=リアンの体を這うように、成長していった。
「くぅぅ…」
蔦に身動きを封じられ、集中力すら失われたベル=リアンは、膝をつき、ニーツを見上げる。必死に蔦を振りほどこうとしたが、ニーツの魔力が込められた蔦には何の影響も及ぼさない。
歴然とした魔力の差が、其処にあった。
「直球だけが戦いじゃない。ひとつお利口になっただろう?もっとも…」
ニーツはゆっくりとベル=リアンに近寄った。
その手には魔力が集まり、剣の形をとった。
スッと、ベル=リアンの首筋にそれを当てる。
「お前に未来は無いけどな」
「く…」
「知っているか?ドクター・レンが召喚術で繋いだ場所…何処の魔族達を呼び出して
いたか」
冷ややかな眼差しで語るニーツ。腕は、動かさない。
ベル=リアンの頬に、ザアッと汗が流れた。
「し、知ってるわけないじゃないか」
「…深遠なる闇。苦痛と悲鳴が折り重なる場所。永久の牢獄。死するよりも辛い、絶望の地。
お前も魔族なら、これの意味する場所が解るだろう?」
ベル=リアンの瞳が大きく見開かれる。その顔に浮かんだものは、絶望。
ニーツは、ベル=リアンに顔を寄せた。目の前に、その金の瞳を捉える。
口元には笑み。瞳の奥には、明確な殺意。声に含まれるのは、残忍さ。
果たしてそれは、怒りに起因するものなのか。それとも、本性なのか。
「…ふふ…今ならまだ間に合う。さあ、行こうか」
告げるニーツの言葉に、ベル=リアンの絶叫が重なった。
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空間に闇が滲み出している。
魔界へのゲート。
魔界、と一言に言っても、その意味は広い。魔族と言っても様々な個体を指すように。
今この場で繋がっているのは、ドクター・レンが好んで繋いでいた場所。
魔族の中でも、特に残虐で、残酷、犯罪行為を好み、誰にも手がつけられない様な魔族たちが堕とされた場所。
名は特に無い。吹き溜まり、とも呼ばれる。永遠の闇、と呼ぶものもいる。その呼び名は様々だが、其処に行った者は、二度と帰ってこられないとされる場所。
そんな危険な場所故に、召喚術に失敗は許されない。
無論、今行われている儀式にも。
古代文字が燦然と輝き、術者の姿を浮かび上がらせた。
術者が立つ魔方陣の横には魔方陣がもう一つ描かれており、其処に市長が横たえられている。
魔方陣の傍らには、魔力の風に髪を靡かせたナスビの姿。更には、弱体化したウサギが、その横に座り込んでいる。
市長が目覚め暴れるのを警戒していたナスビは、ふと顔をあげた。
「ふむ…」
カサリと叢が揺れ、其処から蔦を巻きつけたベル=リアンを引きずる形で、ニーツが姿を現す。
「遅かったな。間に合ったか。
…そいつは?」
「お土産さ」
にっこりと―本当に、邪気を感じられない程に、可愛らしくにっこりと―ニーツは微笑む。
それが逆に怖くて、ナスビは思わず後ずさった。
「……何かあったのか?」
「いや?特に何も無いが?
ふうん。イートンにしては頑張っているな。もう少しで最終段階じゃないか」
微笑みながら言うニーツに、ナスビはこれまでこんなに恐怖を感じた事があるかと、思わず過去を思い返していた。
「さて、こいつも祭りに入れてもらおうかな…」
そんなナスビに構わず、ふふ…っと笑って、ニーツは気絶したベル=リアンを見下ろした。
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PC ニーツ イートン 八重(ウサギ)
場所 ヴェルン湖
NPC 市長(ジェームス)・ナスビ・ベル=リアン
------------------------------------------
最後にベル=リアンの瞳に映ったのは、冷徹で美しい、赤と青の瞳。
中性的な、歌うような少年の声が逆うことを許さない絶対的な魔力と共に審判を下す。
「お前を連れて行ってやろう―――絶望の淵へ」
----
「うぅ……」
閉じた瞼に、容赦なく光が溢れた。目の奥を焼かれるような眩い光に、ベル=リアンは意識を覚醒させた。
「ここは…」
身体中が痛みを訴えている。治癒の速度が遅いのは、殺傷の意志を持った魔力に傷つけられたからだ。
後ろには、巨大な黒い怪物が伏していた。
(出来損ないの駄犬か)
彼ら兄弟がこの地に来た際、最初に目をつけた存在。人間などに魔族の魂を弄ばれるのは気に食わないのでいつか始末してやろうと思っていた……。その黒い毛並みに手を触れようとして、止める。
魔力が封じられている。
(ちっ。まずはこの結界から出なければ)
心の中で舌打ちして周りを見ると、光の壁の向こうで困惑気にこちらを見る紫の瞳と目が合った。
―――あいつが術者か。
「ねぇ、お願い助けてよ」
----
イートンは、迷っていた。
あと一節唱えれば、魔方陣は完成する。市長の複数の人格を結び付けていた核――
―魔族の魂を魔界へ還せば全てが終わるのだ。しかし、ニーツが放り入れた少年魔族、ベル=リアンの存在が、イートンに戸惑いを生じさせた。
「コラっ、イートン!さっさとせぬか!夜が明けてしまうわッ」
「ねぇ!本当だよ。僕本当に反省してるんだ!人間とだって仲良く出来るよ。あんな
酷い場所に閉じ込める気なの!?」
「酷い・・・場所?」
思わずベルの言葉を反芻する。魔族を魔界に返す魔方陣。イートンは唯、彼らを元の場所に戻すだけだと思っていた。 だからこそ、呪文の最後の節とベルの狼狽ぶりが気になっていたのだが・・・。
「イートン!何をぼさっとしてる!」
先ほどまで、上機嫌だったニーツの顔が見る見る不機嫌なものへと変わっていく。
その殺気にイートンまでが身を竦ます程だ。
「おいおい、ニーツ。お主まで月の魔力に振り回されておるのか?」
ニーツの横でナスビが呆れた声を上げた。
「ニーツ君・・・これはどういう・・・」
イートンは問いを口に乗せるが、最後までいう事ができない。ベルの後ろで黒い影が動いた。
「・・・・・・ジェームズ」
陽炎のように身体を揺らめかせ、『月夜の野犬』が体を起こす。意識が覚醒する前から、本能的にこの魔方陣から脱出しようと輝く壁にその身体をぶつけた。二度、三度。グワァァンと音の波紋が広がり、結界内で反響する。その衝撃は、術者であるイートンまで伝わり、その激痛で胸を押さえる。
「くッ」
光の壁が破れぬことを知ると、次に『月夜の野犬』の行動を支配したのは《食欲》だ。脱出困難な場所において、野犬が狙うことができる獲物は唯一人。それも、幼く旨そうな――――
「や、やめろッ」
光の灯った野犬の瞳を見て、ベル=リアンは恐怖の声を上げた。先ほどの、イートンに対する演技とは違う。いくら魔族の運動能力を持ってしても、魔力の行使の出来ないベル=リアンでは獰猛な獣に勝つすべは無い。
「だ、誰か。に、兄ぃ……」
背が結界に触れた。光により生じた熱が、恐怖で震える少年の体を温めることは無かった。汗が頬を伝う。逆に、獲物を前にして、野犬の口から流れる涎は地に垂れ落ち、すぐに高熱の空間であっという間に蒸発した。
「ガルルゥ―――!」
貪欲な牙が、ベル=リアンの首元を狙った。咄嗟によけるが肩の肉を持っていかれる。それを胃袋へ流し込んだ野犬が再び襲い掛かる。地面に押し付けられると、野犬は少年の内臓を荒らし始めた。いっそ意識を失ってしまえれば良かったのに。しかし、魔族の驚異的な意思と生命力がそれを許してはくれなかった。鋭い牙に切断された組織が再び再生を始める。線維が絡み合い筋肉を形成し、再び食われていく。拷問のように激痛が繰り返される―――。
「ぐァああああああ!!!」
「駄目です!!僕は、黙って見てられません!!」
「ならばさっさとゲートを閉じる呪文でも唱えるんだな」
堪らず声を上げたイートンに、ニーツが冷ややかな返答を返した。既にゲートは降りている。あとは彼らを魔界へ帰すだけ。
「どのみち、死ぬより辛い場所に行くはずだったんだ。死ねるだけ幸いだろう。兄の元にも行けるんだしな」
「そ、そんな……酷い」
「酷いのはお前だろう?お前は市長との約束を破り、たかがあのガキの為に儀式を中断させる気か?失敗すれば、二度目は無い。八重の秘密を知るチャンスも同時に無くなるんだぞ?」
ニーツの言葉は正しかった。だから、イートンもまた従うしか無かったのだ。
胸が、ジュームズに結界を攻撃されたときよりも強く締め付けられ痛んだ。全身が、この行為を否定する。
「魔界への門番よ! 我は鍵を受け取りし者 極寒の檻の道を望む者
この獰猛なる獣を 永劫の沼地に身を沈めん―――!!」
コレデ、イイノ?――――
---
ヴェルンの森から一筋の光が立ち昇った。
まるで湖に降り立った月の女神が、使者に誘われて満る月の都に帰って行く様な眩い光の橋。その異変に気がついた人々は、その幻想的な夜景に心を奪われたが、町の外れで、森の入り口で、この光景の真実を知るものだけが、複雑な表情で、安堵の息を吐いた。
「ようやく終わったようだな……」
---
イートンを囲っていた魔方陣は余波の風と共に解け、魔法文字だけが、蛍のように微かな光を放っていた。
目の前には、市長――既に人の姿に戻っている――が倒れていて、ベル=リアンの姿は無かった。
ただ、血痕だけは、暗闇の中でも見紛うことなく広がり、己の目に焼き付けた生々しい光景がイートンの中でフィードバックする。
「どうして……言ってくれなかったんですか?」
「手に余る犬を二度と戻って来れ無い場所に捨てるのに何の問題がある」
「でも、あの子まで道連れにする必要は無かった!」
「イートン、お前はあいつが魔族だと言うことを忘れていないか?」
「でも、子供じゃないですか!!」
幼い頃、家の隣に住んでいた少年が突然消えた。満月の翌日だった。別に、彼がベル=リアンに似ていたわけではない。
彼ではなく、ベル=リアンと重ねたのはイートン自身だった。ニーツはベル=リアンに一切の情けもかけようとしなかった。確かに、彼は仲間ではない。それでも、いつか自分もこんな風に切り捨てられてしまうのではないかと恐怖を感じていたのだ。
そして、ニーツは今も訳が分からないと言う顔でこちらを見ていた。もちろん、少し怒っているようだったが。
「やっぱり、あなたは魔族なんですね」
足元で、発光していた文字が徐々に光を失い消えた。それは空が明るくなり始めた印でもあった。
一度もこちらを振り返らずにその場を後にしたイートンに、ニーツは小さく呟く。
「何を今更…」
それは彼の耳には届かなかったが、隣に立っていたナスビには十分に届く声量。
「お主こそ、いい訳くらいすれば良かったのだ。野暮用に随分と時間をかけておったではないか」
「ふん、たかが弱小魔族の相手をしただけだ」
「ほほぅ。ならば何故そのような顔をしておるのだ?いくら長き時を生きておろうと所詮は見かけ通りの子供だのぅ」
「五月蝿い!」
わざわざ腰を曲げて子供に言い聞かせるような仕草をしたナスビの足に、ニーツが蹴りを入れる。
しかし、衝撃は軽く無く、ニーツの足は勢い余って空を切った。再び兎の木彫り人形へと戻ったナスビがコロコロと転がっていく。
「コラーー!!ナニするのだ!」
「もう……朝か」
長い一夜を終えた彼らにも、普段と変わらず朝が訪れた。
--------------------------------------------
PC イートン・ニーツ・八重
場所 ヴェルン湖畔・メイルーン市長邸の一室
NPC ワトスン市長・ナスビ・クリエッド
---------------------------------------------------
気がついたら一人だった。
朝日が金色に世界を照らし、小刻みに震えるその小さな身体に、一筋の陽の光が当たったとき、彼の変身は解けた。
素っ裸の彼がふと横を見ると、そこには洋服一そろいがきちんと折りたたまれて置いてあった。目の前には何かが丸く焼き焦げた跡。その大きさ、そして
自分がいる場所から推測して、ここはイートンが魔方陣をスタンバイしていた地点だということが解った。
ようやく彼にも理解できた。どうやら彼は…イートンやニーツたち一行に、置き去りにされたらしい。
「とりあえず…」
彼はいつものように、…その行為は、もう習慣のようになってしまったが…ふうとため息をつくと、空を仰いだ。空は茜色から青に変わろうとしている。
「服を、着るかね…‥」
(寒いしな…‥)
そうして八重は一人、もぞもぞと着替えを始めた…‥。
***********************************
「今日という日は、素晴らしい日だ…‥。人生最高の日といってもいいかもしれない」
そう言って市長は、まるで屋敷の天井をこの腕に抱きしめようとでもするかのように、「ああ…、なんて素晴らしいんだ…」ともう一度高らかに叫んで大きく腕を広げた。
「ああ、私が召喚術の失敗に巻き込まれたのが十歳の頃…‥、長かった…、私の苦しみ…‥、しかし、それももう過ぎ去ったことだ、ああ、イートン君!」
市長はくるっと真後ろにいたイートンの方に振り向いた。その頬は薔薇色に上気している。八重とニーツの隣に、はさまれるように立っていたイートンは、思わず、びくっと驚く。その気迫に押されて一歩、二歩、たじたじと後に下がるイートンの手を、市長はがっちりと両手で捕らえた。
「ありがとう、ありがとう、イートン君!!私がもう満月に怯えなくてすむのは君たちの努力のお陰だ!!」
「し、市長、手が痛い、痛いです!」
「ありがとう、ありがとう!イートン君!!君たちには本当に、何とお礼を言えばいいのか…‥」
「と、とりあえず、手が痛いです!手を離して下さい!市長!」
「ああ…、おっと、すまなかったね、イートン君」
その言葉に、ようやく市長は骨も折れんばかりに力強く握り締めていた手を離した。「ったぁ…‥」と、イートンは離された手をぶんぶんと振る。その手は市長の強烈な握力で、少し赤くなっていた。
「ああ、本当に君たちには何とお礼を言っていいか…‥、お礼の言葉も見つからない程だ…。ありがとう、イートン君、ニーツ君、八重さん。それにナスビちゃんも」
部屋の隅では、クリエッドが白いハンカチでそっと目頭を拭いている。市長に礼を言われ、イートンは「いえ…、そんな…」と少し赤くなってうつむき、ニーツはフン、と鼻を鳴らし、八重は目を少し細め、薄く微笑んだ。
(よかったな、市長)
八重は薄い微笑を浮かべて思う。
(月の呪いから解放されて…)
『我輩を「ちゃん」づけするでない!』
ただ一匹、三人と同じく、その部屋にいたナスビがぷりぷり怒る。
『大体、我輩の名は本来<ナスビ>などというものではないわ!』
「はいはい、<ヴェルンの守護霊>でしょ?」
笑いながら言うイートンを、ナスビはそのルビー色の瞳できっと睨んだ。
『違う…‥、それはレン様が我輩に与えてくださった使命だ。我輩の本当の名は…』
その言葉に、一瞬、その場の空気の流れが止まり、視線がナスビに集中した。
ナスビは言う。
『我輩の名…、我輩は…‥、<ヒエログリフ77>』
どくん
ヒエログリフ。その言葉に八重の心臓が反応した。
(ヒエログリフ…‥、何故…‥?)
八重はぎゅっと服の…、心臓の位置を握り締めていた。黄土色のスーツが皺になる。
(解らない…、この気持ちは何だ…?)
意識というものをコーヒーのようにスプーンでぐるぐるとかき回されたような気持ちだった。…憎い?…懐かしい?…愛しい?どれも違う。
「ヒエログリフ…?そうなると、お前、<ヒエログリフ>なのか?」
ニーツがナスビに尋ねる。そして、
「おい、八重、お前がルナシーの情報に飛びつかないなんて珍しいな。…おい、どうした?顔色が悪いぞ」
「え…‥?ちょっと、八重さん!」
ヒエログリフ、という言葉に唖然としていたイートンは、はっとして八重の身体を揺さぶった。
「八重さん…‥、ちょっと…、どうしたんですか?八重さん!」
「あ…ああ…‥、大丈夫だ…」
イートンの顔を見て八重は弱々しく笑った。
「大丈夫だよ」
彼が弱さを見せたのはここまでだった。イートンから目をそらした八重は、次の瞬間からはその鳶色の瞳をナスビに向けた。その瞳はすっと細く、冷徹なものを奥に秘めた決意のある瞳だった。
「ナスビ…‥、いや、<ヒエログリフ77>…‥。お前の知っている全てを」
ナスビと八重の視線がまっすぐに合った。
「私に話して欲しい」
PC イートン・ニーツ・八重
場所 ヴェルン湖畔・メイルーン市長邸の一室
NPC ワトスン市長・ナスビ・クリエッド
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気がついたら一人だった。
朝日が金色に世界を照らし、小刻みに震えるその小さな身体に、一筋の陽の光が当たったとき、彼の変身は解けた。
素っ裸の彼がふと横を見ると、そこには洋服一そろいがきちんと折りたたまれて置いてあった。目の前には何かが丸く焼き焦げた跡。その大きさ、そして
自分がいる場所から推測して、ここはイートンが魔方陣をスタンバイしていた地点だということが解った。
ようやく彼にも理解できた。どうやら彼は…イートンやニーツたち一行に、置き去りにされたらしい。
「とりあえず…」
彼はいつものように、…その行為は、もう習慣のようになってしまったが…ふうとため息をつくと、空を仰いだ。空は茜色から青に変わろうとしている。
「服を、着るかね…‥」
(寒いしな…‥)
そうして八重は一人、もぞもぞと着替えを始めた…‥。
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「今日という日は、素晴らしい日だ…‥。人生最高の日といってもいいかもしれない」
そう言って市長は、まるで屋敷の天井をこの腕に抱きしめようとでもするかのように、「ああ…、なんて素晴らしいんだ…」ともう一度高らかに叫んで大きく腕を広げた。
「ああ、私が召喚術の失敗に巻き込まれたのが十歳の頃…‥、長かった…、私の苦しみ…‥、しかし、それももう過ぎ去ったことだ、ああ、イートン君!」
市長はくるっと真後ろにいたイートンの方に振り向いた。その頬は薔薇色に上気している。八重とニーツの隣に、はさまれるように立っていたイートンは、思わず、びくっと驚く。その気迫に押されて一歩、二歩、たじたじと後に下がるイートンの手を、市長はがっちりと両手で捕らえた。
「ありがとう、ありがとう、イートン君!!私がもう満月に怯えなくてすむのは君たちの努力のお陰だ!!」
「し、市長、手が痛い、痛いです!」
「ありがとう、ありがとう!イートン君!!君たちには本当に、何とお礼を言えばいいのか…‥」
「と、とりあえず、手が痛いです!手を離して下さい!市長!」
「ああ…、おっと、すまなかったね、イートン君」
その言葉に、ようやく市長は骨も折れんばかりに力強く握り締めていた手を離した。「ったぁ…‥」と、イートンは離された手をぶんぶんと振る。その手は市長の強烈な握力で、少し赤くなっていた。
「ああ、本当に君たちには何とお礼を言っていいか…‥、お礼の言葉も見つからない程だ…。ありがとう、イートン君、ニーツ君、八重さん。それにナスビちゃんも」
部屋の隅では、クリエッドが白いハンカチでそっと目頭を拭いている。市長に礼を言われ、イートンは「いえ…、そんな…」と少し赤くなってうつむき、ニーツはフン、と鼻を鳴らし、八重は目を少し細め、薄く微笑んだ。
(よかったな、市長)
八重は薄い微笑を浮かべて思う。
(月の呪いから解放されて…)
『我輩を「ちゃん」づけするでない!』
ただ一匹、三人と同じく、その部屋にいたナスビがぷりぷり怒る。
『大体、我輩の名は本来<ナスビ>などというものではないわ!』
「はいはい、<ヴェルンの守護霊>でしょ?」
笑いながら言うイートンを、ナスビはそのルビー色の瞳できっと睨んだ。
『違う…‥、それはレン様が我輩に与えてくださった使命だ。我輩の本当の名は…』
その言葉に、一瞬、その場の空気の流れが止まり、視線がナスビに集中した。
ナスビは言う。
『我輩の名…、我輩は…‥、<ヒエログリフ77>』
どくん
ヒエログリフ。その言葉に八重の心臓が反応した。
(ヒエログリフ…‥、何故…‥?)
八重はぎゅっと服の…、心臓の位置を握り締めていた。黄土色のスーツが皺になる。
(解らない…、この気持ちは何だ…?)
意識というものをコーヒーのようにスプーンでぐるぐるとかき回されたような気持ちだった。…憎い?…懐かしい?…愛しい?どれも違う。
「ヒエログリフ…?そうなると、お前、<ヒエログリフ>なのか?」
ニーツがナスビに尋ねる。そして、
「おい、八重、お前がルナシーの情報に飛びつかないなんて珍しいな。…おい、どうした?顔色が悪いぞ」
「え…‥?ちょっと、八重さん!」
ヒエログリフ、という言葉に唖然としていたイートンは、はっとして八重の身体を揺さぶった。
「八重さん…‥、ちょっと…、どうしたんですか?八重さん!」
「あ…ああ…‥、大丈夫だ…」
イートンの顔を見て八重は弱々しく笑った。
「大丈夫だよ」
彼が弱さを見せたのはここまでだった。イートンから目をそらした八重は、次の瞬間からはその鳶色の瞳をナスビに向けた。その瞳はすっと細く、冷徹なものを奥に秘めた決意のある瞳だった。
「ナスビ…‥、いや、<ヒエログリフ77>…‥。お前の知っている全てを」
ナスビと八重の視線がまっすぐに合った。
「私に話して欲しい」
--------------------------------------------------------
PC イートン・ニーツ・八重
場所 メイルーン市長邸
NPC ナスビ・市長・クリエッド
--------------------------------------------------------
部屋は静かな雰囲気に満ちていた。
ごおおと部屋の外で風が鳴る。外には強い風が吹いている。
ナスビ、もとい、<ヒエログリフ77>の話を聞くために、市長とクリエッドには少しの間席を外してもらった。二人は、半分うわの空でそれを承諾してくれた。二人とも、今は『野犬』が分離した喜びで、頭の中はお花畑状態だ。
「これで邪魔するものは誰もいない。さあ、話してもらおうか」
八重がナスビの瞳をじっと見据え、話を促す。ナスビは…、じっと何かを思い出すように、静かに目を閉じた。まるで、この場の雰囲気を乱してはならないかのように。
『我輩は…、レン様によって造られた融合生物、<ヒエログリフ>だ。77と
いうのは、我輩につけられた番号。我輩たちは全て、番号で呼ばれていた』
「まるで、囚人か実験動物扱いじゃないですか…」
イートンの言葉に、ナスビは赤い目で冷静な視線を返す。
『レン様には我輩たちは所詮、実験動物にしか見えていなかったのだろうな。レン様は人間と魔族、魔獣を融合させて幾度も実験を繰り返した。我輩はその実験の中でも数少ない成功例だ。満月の晩になっても暴走しない。人に戻ったときは、並みの人間をはるかに上回る力を出すことが出来る』
「魔族や魔獣を人間と融合させる実験を繰り返すなど…、そのドクターレンというヤツは相当狂ってるな」
ニーツが静かに目を閉じたまま言う。魔族の彼には、魔族・魔獣との融合という話には人一倍、思うところがあるのだろう。
「ところで私も、そのドクターレンによって造り出された融合生物なのだろう」
八重が尋ねる。ナスビは静かに『ああ』と答えた。
「ならば何故私は満月の晩、暴走するんだ?そもそも<ルナシー>とは何だ?さっきから聞いていると<ヒエログリフ>の話ばかりだ。私はずっと」
八重は目の奥に訴えるような視線を宿してナスビを見つめた。
「私は<ヒエログリフ>との融合によって<ルナシー>から解放されると思っていた。そのような伝承をある村で発見したからだ。その伝承はウソなのか?<ルナシー>とは<ヒエログリフ>の一体何なんだ?」
『ルナシーは、ヒエログリフの影だ』
視線を落としてナスビが言う。
「影?」
『そう、ヒエログリフが魔力の暴走を起こさない訳。それはレン様が、人間と魔獣を一つに融合させ、さらにそれを二つに分離することによって、魔力の暴走を起こすことのない、魔獣の体の強さのみを受けついだ人間を作り出したからだ。融合生物を、長所のみの塊と、その残りカスに分けて。その長所のみを受け継いだ方は<ヒエログリフ>と呼ばれた、そしてその残りカスは』
「…‥<ルナシー>、か」
八重の自嘲するようなセリフに、イートンが絶句し、ニーツが厳しい眼差しになった。
『お前は幸いだ』
ナスビが八重を見て言う。
『普通ルナシーは人間としての原型も留めていない。お前がルナシーであるにもかかわらずヒトの形を留めていられるのは奇跡に近いことなのだぞ。我輩は…‥我輩は、一度、自分のルナシーを見たことがある』
ナスビの瞳がいつになくぽっかりと虚ろになった。
『それはもう、『ヒト』でも『魔族』でもなかった…‥。紫色の皮膚をした…‥哀れで醜い生き物だった。我輩は…‥、我輩のルナシーのあの醜い姿を、忘れたことなど一度もない』
沈黙がしばらく続いた。風の鳴る音が聞こえる。
「…私のヒエログリフはまだ存在しているのだろうか」
八重がぽつりと呟いた。
「ドクターレンが、私やナスビ…お前を作り出したのは千年も前だ。しかし、私は何故か、ここに存在している。お前も生きている。それなら、私のヒエログリフも…、まだこの世界の何処かで生きているのかもしれない」
『お前が先ほど言った伝承の話』
ナスビが言う。
『ヒエログリフとの融合によってルナシーから解放される…‥。あながち、嘘ではないかもしれないな』
「本当か!」
『ああ、ヒエログリフというのは、お前の欠けたピースのような存在だ。お前たちがまた融合し、それぞれ本来のあるべき姿…‥、魔族と人間の姿に分裂することが出来れば、あるいは、お前は元の人間の姿に戻れるかもしれない』
人間に戻れる…‥、それは八重が四十年間生きてきて、生まれて初めて聞いた、希望ある答えだった。八重は放心して、かたん、と床に膝をついた。
戻れる…。人間に、戻れる…‥。
「しかし、そんな<融合>のできる人間など、この世に滅多にいないんじゃないのか」
ニーツのつっこみにナスビは首を横に振った。
『ああ…‥、たぶんそんなことが出来るのは後にも先にもレン様ただ一人だけであろうな』
八重はため息をついた。
「それでは、無理なのだな…‥。ドクターレンは、千年も昔にとっくに死んでしまっている…」
『レン様なら、あるいは…‥まだ生きておられるかもしれない』
ナスビの言葉に全員がナスビを直視した。
『生きておられれば、レン様はジュベッカに囚われておられるはずだ』
PC イートン・ニーツ・八重
場所 メイルーン市長邸
NPC ナスビ・市長・クリエッド
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部屋は静かな雰囲気に満ちていた。
ごおおと部屋の外で風が鳴る。外には強い風が吹いている。
ナスビ、もとい、<ヒエログリフ77>の話を聞くために、市長とクリエッドには少しの間席を外してもらった。二人は、半分うわの空でそれを承諾してくれた。二人とも、今は『野犬』が分離した喜びで、頭の中はお花畑状態だ。
「これで邪魔するものは誰もいない。さあ、話してもらおうか」
八重がナスビの瞳をじっと見据え、話を促す。ナスビは…、じっと何かを思い出すように、静かに目を閉じた。まるで、この場の雰囲気を乱してはならないかのように。
『我輩は…、レン様によって造られた融合生物、<ヒエログリフ>だ。77と
いうのは、我輩につけられた番号。我輩たちは全て、番号で呼ばれていた』
「まるで、囚人か実験動物扱いじゃないですか…」
イートンの言葉に、ナスビは赤い目で冷静な視線を返す。
『レン様には我輩たちは所詮、実験動物にしか見えていなかったのだろうな。レン様は人間と魔族、魔獣を融合させて幾度も実験を繰り返した。我輩はその実験の中でも数少ない成功例だ。満月の晩になっても暴走しない。人に戻ったときは、並みの人間をはるかに上回る力を出すことが出来る』
「魔族や魔獣を人間と融合させる実験を繰り返すなど…、そのドクターレンというヤツは相当狂ってるな」
ニーツが静かに目を閉じたまま言う。魔族の彼には、魔族・魔獣との融合という話には人一倍、思うところがあるのだろう。
「ところで私も、そのドクターレンによって造り出された融合生物なのだろう」
八重が尋ねる。ナスビは静かに『ああ』と答えた。
「ならば何故私は満月の晩、暴走するんだ?そもそも<ルナシー>とは何だ?さっきから聞いていると<ヒエログリフ>の話ばかりだ。私はずっと」
八重は目の奥に訴えるような視線を宿してナスビを見つめた。
「私は<ヒエログリフ>との融合によって<ルナシー>から解放されると思っていた。そのような伝承をある村で発見したからだ。その伝承はウソなのか?<ルナシー>とは<ヒエログリフ>の一体何なんだ?」
『ルナシーは、ヒエログリフの影だ』
視線を落としてナスビが言う。
「影?」
『そう、ヒエログリフが魔力の暴走を起こさない訳。それはレン様が、人間と魔獣を一つに融合させ、さらにそれを二つに分離することによって、魔力の暴走を起こすことのない、魔獣の体の強さのみを受けついだ人間を作り出したからだ。融合生物を、長所のみの塊と、その残りカスに分けて。その長所のみを受け継いだ方は<ヒエログリフ>と呼ばれた、そしてその残りカスは』
「…‥<ルナシー>、か」
八重の自嘲するようなセリフに、イートンが絶句し、ニーツが厳しい眼差しになった。
『お前は幸いだ』
ナスビが八重を見て言う。
『普通ルナシーは人間としての原型も留めていない。お前がルナシーであるにもかかわらずヒトの形を留めていられるのは奇跡に近いことなのだぞ。我輩は…‥我輩は、一度、自分のルナシーを見たことがある』
ナスビの瞳がいつになくぽっかりと虚ろになった。
『それはもう、『ヒト』でも『魔族』でもなかった…‥。紫色の皮膚をした…‥哀れで醜い生き物だった。我輩は…‥、我輩のルナシーのあの醜い姿を、忘れたことなど一度もない』
沈黙がしばらく続いた。風の鳴る音が聞こえる。
「…私のヒエログリフはまだ存在しているのだろうか」
八重がぽつりと呟いた。
「ドクターレンが、私やナスビ…お前を作り出したのは千年も前だ。しかし、私は何故か、ここに存在している。お前も生きている。それなら、私のヒエログリフも…、まだこの世界の何処かで生きているのかもしれない」
『お前が先ほど言った伝承の話』
ナスビが言う。
『ヒエログリフとの融合によってルナシーから解放される…‥。あながち、嘘ではないかもしれないな』
「本当か!」
『ああ、ヒエログリフというのは、お前の欠けたピースのような存在だ。お前たちがまた融合し、それぞれ本来のあるべき姿…‥、魔族と人間の姿に分裂することが出来れば、あるいは、お前は元の人間の姿に戻れるかもしれない』
人間に戻れる…‥、それは八重が四十年間生きてきて、生まれて初めて聞いた、希望ある答えだった。八重は放心して、かたん、と床に膝をついた。
戻れる…。人間に、戻れる…‥。
「しかし、そんな<融合>のできる人間など、この世に滅多にいないんじゃないのか」
ニーツのつっこみにナスビは首を横に振った。
『ああ…‥、たぶんそんなことが出来るのは後にも先にもレン様ただ一人だけであろうな』
八重はため息をついた。
「それでは、無理なのだな…‥。ドクターレンは、千年も昔にとっくに死んでしまっている…」
『レン様なら、あるいは…‥まだ生きておられるかもしれない』
ナスビの言葉に全員がナスビを直視した。
『生きておられれば、レン様はジュベッカに囚われておられるはずだ』