キャスト:ディアン・マレフィセント・フレア
場所:クーロン近くの丘
―――――――――――――――
フレアが次にディアンの姿を見たのは、雨があがったあとだった。
行列が通っていた丘からさらに横手にずれ、クーロンの街並みに沿う様に
点在している丘の、中腹。
祭りのざわめきと光が、ここからでも窺える。その先で、過ぎ去った
雷鳴がひかえめに瞬いていた。
雨に濡れた草木が、夜陰の中で輝いている。
つれてきたマレフィセントに、「ここで待ってて」と視線で言うと、
どうやら少女は理解してくれたようで、不安そうにだが歩みを止めた。
笑顔で頭を撫でてやってから、歩き出す。
ディアンは背を向けていた。彼の足元には、黒い塊。
それはちょうど5体あった。死の気配が、そこを満たしていた。
すぐにフレアが来たという事は分かったらしい。
振り返りもせずに、ただ一言。
「俺、行くわ」
「!?」
あまりに唐突な別れの言葉に、フレアは思わず一歩踏み出していた。
「自慢じゃあない、が…。俺はそのテの世界じゃちょいと有名人でな。
今までも何度かこういう事はあったんだ」
手に提げていた剣を一振りして、鞘に収める。そこで振り返った彼の顔は、
いつもとなんら変わらないように思えた。
「だが、今回ばかりは毛色が違うな」
「でも――」
「現にここまで刺客がきてたんだ。あいつらももう手段を選ばない…。
お前やマレを人質にとられる可能性だってあるんだ」
「だけど、ディアン!」
音すら、しなかった。
何か反論しようとしてさらに一歩踏み出すフレアの眼前を、白刄が遮る。
先をたどると、いまだかつて見たことのないほど険しい表情の、
ディアンの顔があった。
背を向けてしかも間合いがあったというのに。一瞬で、ここまで。
「このくらいならある程度の輩にゃできる。この意味、わかるな?」
眼球まであと数センチにまで迫っている銀から目を離せないまま、
ディアンの声を聞く。
「今回の相手はプロ中のプロだ。さっきのもな、Aランクから下の奴は
いなかったよ。ま…そんなのはどうでもいい」
いつ抜いたか知れない剣は、いつのまにか鞘に収められていた。
ディアンは面倒臭そうに、見ていた指輪やカードらしきものを放る。
ギルドでは、Bランク以上になると身分証明書となるギルドカードを
自分で好きな形状のものを持つことができる――という話は
フレアでも知っていた。
彼の話に嘘偽りがないのなら、ディアンはトップクラスのハンターを
複数相手にしておきながら、無傷でいるということになる。
「別に弱気になってる訳じゃねぇ。こいつが事実なのさ。
フレア、お前は馬鹿じゃないからわかるな?」
二度目の確認。つまり、それは。
お前では敵わない――と。
ディアンが気を使ってくれていた事はわかっている。
でも、そんなの。
――癪にさわる。
激昂にまかせ足元の草を蹴り飛ばして、フレアは怒鳴った。
「いきなりそんな事言われてわかるわけないじゃないか!
なんでもわかったような口きいて!人質?馬鹿じゃないからわかる?
一体なんなんだ!私を舐めているのか!?」
罵りの言葉しか出てこない。
「なぜ一緒に旅をしたんだ。どうせ別れるのならなんで出会ったんだ!」
――これでは繰り返しだ。
『なんにしろ、アンタは俺より出会いを楽しめる』
ヴィルフリードの言葉が蘇る。会いたい、会いたい。
リタの金髪と、快活な笑顔が脳裏をよぎった。会いたい、笑顔が見たい。
でもそれは、エゴだ。愛とか友情とか絆とか名前は変えても、結局は
ただのわがままだ。
だけど、だけど。
ディアンの眉間に皺が寄る。彼もまた別れがつらいのだろう――と、
今だけは自惚れてもいいのだろうか。
「フレア」
「マレフィセントはどうするんだ。あの子はディアンに懐いている。
ディアンがいなくなったらきっと悲しむ!」
「だからこそ、だ。これ以上一緒にいると危険に晒すことになる」
「そうはさせない!私が守る。マレフィセントも、ディアンも!」
言ってしまってから、心の底で自嘲した。守る?
Aランク級のハンターを短時間で倒す化け物みたいなこの男を?
途方もない力を持つ、それこそ人間外の魔物の娘を?
自分はその片鱗にすら及ばないというのに。
やれやれ…と、いつものようにディアンが嘆息した。
「そこまで言うんなら、俺から一本取ってみろ」
「一本…」
「そうだな…俺をここから一歩でも動かせたらお前の勝ちだ」
どうだ?と無防備に両手を軽く広げてみせる。
ゆっくりと収めた剣をふたたび抜き放ち、濡れた草を踏んで
身構えて。
「いくらでも打ち込んでこい。魔術でもなんでも使っていいぞ」
ただ時間がないんでな。手短に頼むぜ」
その言葉にはっとして、濡れた外套を脱ぎ捨て、自らも剣を抜く。
(何を言っても、無駄か)
ヒィン、と銀の刄が震えて鳴る。闇の中でなお目立つディアンの姿は
狙いやすいようにも思えた――渾身の突き。
カン、と澄んだ音ひとつ。払われた突きはあっさり軌道を変え、
彼の脇腹すれすれに通り過ぎた。反動で前につんのめる。
今度は逆にがら空きの脇腹を鞘で打たれて転倒する。痛みに唸る暇もない。
転がるようにして立ち上がり、下段からすくいあげるような払いを放つ。
当然のように防がれる斬撃。
すぐ切り返しをはかるが、それすら読まれて再度転ばせられる。
また切り結んで、叩き伏せられて。それが数回続いた。
転んで、がばと跳ね起きて――それだけだった。
どうしろと言うのだ。
ディアンは一歩も動いていない。
既に酸欠になりそうなフレアに対し、彼は息すらあがっていない。
草ごと柄を握って走り出す。彼の前ぎりぎりまで近づき、あと一歩で
体にあたりそうな位置で立ち止まると、上半身を捻った反動で
薙ぎを繰り出し胴を狙う。柱を狙うようなものだ。
外すはずが、ない――
「!?」
いきなり足が宙に浮いた。
ぐるりと視界が反転する。煌くクーロンの夜景と、草の群れが
そっくり上下逆さまになっていた。
そのまま視界は元に戻り――次の瞬間、フレアは思い切り
地面に叩きつけられていた。
肺に溜まった息が一気に口から飛び出す。地面は柔らかくそれほど
衝撃は強くなかったが、それでも肩が痺れるように痛んだ。
立ち上がると、なぜかディアンは離れたところにいた。
自分と、彼の間にフレアの剣が落ちているのに気づき、フレアは理解した。
ディアンは突っ込んできたフレアを抱え上げ、ここまで投げ飛ばしたのだ。
剣はその途中で落としたのだろう。逆に持っていたままなら自分で自分を
貫いていたかもしれない。
「時間だ、フレア」
かちん、と剣を収めて、ディアンはただ一言だけそう言った。
フレアは呆然と目を見開いてその声を聴いた。
が、すぐに表情を険しくして彼の元へ向かう。
「悔しいじゃないか…」
口からつぶやきが漏れる。
途中で落ちている剣には目もくれず、ただずかずかと
草を踏んで一直線にディアンの元へ早足で歩いていく。
「勝てっこないのはわかってた。何をしても無駄だってわかってた。
言葉でも、体でも、私の力では守ることも、止めることすらできないって。
全部わかってた。だから――」
彼の目の前で立ち止まり、ディアンの顔を見上げる。
当然のことながら、彼は困惑した表情で見返してきた。
その顔に、思い切り張り手を飛ばす。彼のかけていていた眼鏡が飛んだ。
「…一発くらい殴らせろ」
あえて避けなかったのか、不意をつかれてまともに受けたのかはわからない。
雨に濡れて湿った顔と手では景気のいい音は響かなかったが、それでも
闇の中で、叩いたところにうっすらと赤みが差したのが見える。
「さよなら、ディアン」
泣き顔を見られたくなかったので、フレアは彼に抱き付いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
数分後、フレアはただ一人で夜の雨上がりの丘に立っていた。
もう空に雲はない。かわりに、クーロンの灯をそっくり映したかのような
星空が頭上に広がっている。
膝から力が抜け、とさ、と草の上に座り込む。
しばらくぼんやりと星空を見ていると、かすかな羽ばたきが近づいてきて、
フレアの目の前で止まった。
へたり込んだまま、見上げる。マレフィセントだった。
少女は不安そうにこちらの顔を覗き込んできた。ずっと今まで一人にされて
寂しかったのだろう。「ごめんね」と言ってから、両手を広げる。
マレフィセントもまた座り込み、フレアの胸に頭をすりつけてきた。
しっかり、抱きしめてやる。
少女の肩に顔をうずめるようにしながら、囁く。
「…行ってしまった…」
御伽噺を聞かせるかのようにゆっくりとしたテンポで背中を叩いてやる。
ディアンはすぐに発った。いつもの笑顔といつもの仕草を残して。
それが自然すぎて、別れの言葉だとは気づかなかった。
『また会える』なんて気休めでは、今は寂しすぎる。
きっと、朝までには泣き止んでみせるから。だから。
「しばらく、こうさせて」
少女は答えなかったが、フレアは自分の背中に細い腕が回ったのを感じた。
場所:クーロン近くの丘
―――――――――――――――
フレアが次にディアンの姿を見たのは、雨があがったあとだった。
行列が通っていた丘からさらに横手にずれ、クーロンの街並みに沿う様に
点在している丘の、中腹。
祭りのざわめきと光が、ここからでも窺える。その先で、過ぎ去った
雷鳴がひかえめに瞬いていた。
雨に濡れた草木が、夜陰の中で輝いている。
つれてきたマレフィセントに、「ここで待ってて」と視線で言うと、
どうやら少女は理解してくれたようで、不安そうにだが歩みを止めた。
笑顔で頭を撫でてやってから、歩き出す。
ディアンは背を向けていた。彼の足元には、黒い塊。
それはちょうど5体あった。死の気配が、そこを満たしていた。
すぐにフレアが来たという事は分かったらしい。
振り返りもせずに、ただ一言。
「俺、行くわ」
「!?」
あまりに唐突な別れの言葉に、フレアは思わず一歩踏み出していた。
「自慢じゃあない、が…。俺はそのテの世界じゃちょいと有名人でな。
今までも何度かこういう事はあったんだ」
手に提げていた剣を一振りして、鞘に収める。そこで振り返った彼の顔は、
いつもとなんら変わらないように思えた。
「だが、今回ばかりは毛色が違うな」
「でも――」
「現にここまで刺客がきてたんだ。あいつらももう手段を選ばない…。
お前やマレを人質にとられる可能性だってあるんだ」
「だけど、ディアン!」
音すら、しなかった。
何か反論しようとしてさらに一歩踏み出すフレアの眼前を、白刄が遮る。
先をたどると、いまだかつて見たことのないほど険しい表情の、
ディアンの顔があった。
背を向けてしかも間合いがあったというのに。一瞬で、ここまで。
「このくらいならある程度の輩にゃできる。この意味、わかるな?」
眼球まであと数センチにまで迫っている銀から目を離せないまま、
ディアンの声を聞く。
「今回の相手はプロ中のプロだ。さっきのもな、Aランクから下の奴は
いなかったよ。ま…そんなのはどうでもいい」
いつ抜いたか知れない剣は、いつのまにか鞘に収められていた。
ディアンは面倒臭そうに、見ていた指輪やカードらしきものを放る。
ギルドでは、Bランク以上になると身分証明書となるギルドカードを
自分で好きな形状のものを持つことができる――という話は
フレアでも知っていた。
彼の話に嘘偽りがないのなら、ディアンはトップクラスのハンターを
複数相手にしておきながら、無傷でいるということになる。
「別に弱気になってる訳じゃねぇ。こいつが事実なのさ。
フレア、お前は馬鹿じゃないからわかるな?」
二度目の確認。つまり、それは。
お前では敵わない――と。
ディアンが気を使ってくれていた事はわかっている。
でも、そんなの。
――癪にさわる。
激昂にまかせ足元の草を蹴り飛ばして、フレアは怒鳴った。
「いきなりそんな事言われてわかるわけないじゃないか!
なんでもわかったような口きいて!人質?馬鹿じゃないからわかる?
一体なんなんだ!私を舐めているのか!?」
罵りの言葉しか出てこない。
「なぜ一緒に旅をしたんだ。どうせ別れるのならなんで出会ったんだ!」
――これでは繰り返しだ。
『なんにしろ、アンタは俺より出会いを楽しめる』
ヴィルフリードの言葉が蘇る。会いたい、会いたい。
リタの金髪と、快活な笑顔が脳裏をよぎった。会いたい、笑顔が見たい。
でもそれは、エゴだ。愛とか友情とか絆とか名前は変えても、結局は
ただのわがままだ。
だけど、だけど。
ディアンの眉間に皺が寄る。彼もまた別れがつらいのだろう――と、
今だけは自惚れてもいいのだろうか。
「フレア」
「マレフィセントはどうするんだ。あの子はディアンに懐いている。
ディアンがいなくなったらきっと悲しむ!」
「だからこそ、だ。これ以上一緒にいると危険に晒すことになる」
「そうはさせない!私が守る。マレフィセントも、ディアンも!」
言ってしまってから、心の底で自嘲した。守る?
Aランク級のハンターを短時間で倒す化け物みたいなこの男を?
途方もない力を持つ、それこそ人間外の魔物の娘を?
自分はその片鱗にすら及ばないというのに。
やれやれ…と、いつものようにディアンが嘆息した。
「そこまで言うんなら、俺から一本取ってみろ」
「一本…」
「そうだな…俺をここから一歩でも動かせたらお前の勝ちだ」
どうだ?と無防備に両手を軽く広げてみせる。
ゆっくりと収めた剣をふたたび抜き放ち、濡れた草を踏んで
身構えて。
「いくらでも打ち込んでこい。魔術でもなんでも使っていいぞ」
ただ時間がないんでな。手短に頼むぜ」
その言葉にはっとして、濡れた外套を脱ぎ捨て、自らも剣を抜く。
(何を言っても、無駄か)
ヒィン、と銀の刄が震えて鳴る。闇の中でなお目立つディアンの姿は
狙いやすいようにも思えた――渾身の突き。
カン、と澄んだ音ひとつ。払われた突きはあっさり軌道を変え、
彼の脇腹すれすれに通り過ぎた。反動で前につんのめる。
今度は逆にがら空きの脇腹を鞘で打たれて転倒する。痛みに唸る暇もない。
転がるようにして立ち上がり、下段からすくいあげるような払いを放つ。
当然のように防がれる斬撃。
すぐ切り返しをはかるが、それすら読まれて再度転ばせられる。
また切り結んで、叩き伏せられて。それが数回続いた。
転んで、がばと跳ね起きて――それだけだった。
どうしろと言うのだ。
ディアンは一歩も動いていない。
既に酸欠になりそうなフレアに対し、彼は息すらあがっていない。
草ごと柄を握って走り出す。彼の前ぎりぎりまで近づき、あと一歩で
体にあたりそうな位置で立ち止まると、上半身を捻った反動で
薙ぎを繰り出し胴を狙う。柱を狙うようなものだ。
外すはずが、ない――
「!?」
いきなり足が宙に浮いた。
ぐるりと視界が反転する。煌くクーロンの夜景と、草の群れが
そっくり上下逆さまになっていた。
そのまま視界は元に戻り――次の瞬間、フレアは思い切り
地面に叩きつけられていた。
肺に溜まった息が一気に口から飛び出す。地面は柔らかくそれほど
衝撃は強くなかったが、それでも肩が痺れるように痛んだ。
立ち上がると、なぜかディアンは離れたところにいた。
自分と、彼の間にフレアの剣が落ちているのに気づき、フレアは理解した。
ディアンは突っ込んできたフレアを抱え上げ、ここまで投げ飛ばしたのだ。
剣はその途中で落としたのだろう。逆に持っていたままなら自分で自分を
貫いていたかもしれない。
「時間だ、フレア」
かちん、と剣を収めて、ディアンはただ一言だけそう言った。
フレアは呆然と目を見開いてその声を聴いた。
が、すぐに表情を険しくして彼の元へ向かう。
「悔しいじゃないか…」
口からつぶやきが漏れる。
途中で落ちている剣には目もくれず、ただずかずかと
草を踏んで一直線にディアンの元へ早足で歩いていく。
「勝てっこないのはわかってた。何をしても無駄だってわかってた。
言葉でも、体でも、私の力では守ることも、止めることすらできないって。
全部わかってた。だから――」
彼の目の前で立ち止まり、ディアンの顔を見上げる。
当然のことながら、彼は困惑した表情で見返してきた。
その顔に、思い切り張り手を飛ばす。彼のかけていていた眼鏡が飛んだ。
「…一発くらい殴らせろ」
あえて避けなかったのか、不意をつかれてまともに受けたのかはわからない。
雨に濡れて湿った顔と手では景気のいい音は響かなかったが、それでも
闇の中で、叩いたところにうっすらと赤みが差したのが見える。
「さよなら、ディアン」
泣き顔を見られたくなかったので、フレアは彼に抱き付いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
数分後、フレアはただ一人で夜の雨上がりの丘に立っていた。
もう空に雲はない。かわりに、クーロンの灯をそっくり映したかのような
星空が頭上に広がっている。
膝から力が抜け、とさ、と草の上に座り込む。
しばらくぼんやりと星空を見ていると、かすかな羽ばたきが近づいてきて、
フレアの目の前で止まった。
へたり込んだまま、見上げる。マレフィセントだった。
少女は不安そうにこちらの顔を覗き込んできた。ずっと今まで一人にされて
寂しかったのだろう。「ごめんね」と言ってから、両手を広げる。
マレフィセントもまた座り込み、フレアの胸に頭をすりつけてきた。
しっかり、抱きしめてやる。
少女の肩に顔をうずめるようにしながら、囁く。
「…行ってしまった…」
御伽噺を聞かせるかのようにゆっくりとしたテンポで背中を叩いてやる。
ディアンはすぐに発った。いつもの笑顔といつもの仕草を残して。
それが自然すぎて、別れの言葉だとは気づかなかった。
『また会える』なんて気休めでは、今は寂しすぎる。
きっと、朝までには泣き止んでみせるから。だから。
「しばらく、こうさせて」
少女は答えなかったが、フレアは自分の背中に細い腕が回ったのを感じた。
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PC:フレア、マレフィセント
NPC:リノ、いけすかないごろつき数人、馬
place:クーロン
----------------------------------------------------------------------
「お嬢ちゃん達?気持ちは分かるけれどねぇ…未成年は、ちょっと」
今日を迎えて七度目の言葉に、ぐっと怒りが煮詰まる思いのフレアであった。
今まで、自分の年齢など気にせずやってこれたのも、自分の力ではなく、周囲
の人々がいたからだと、否応にも痛感する。
傍目から見れば、頼りない少女と幼い子供。酷い対応の宿屋の店員は子供の家
出とせせら笑わらわれたが、いくら反論しても取り合ってくれなかった。
クーロンの人ごみの中で、悔しさに歯軋りをする。
と、俯いた視線にマレフィセントの青空のような瞳と出会った。
「…ごめんね、こんなところで突っ立って。行こうか、マレ」
自分を奮い立たせるように、フレアは今までのわだかまりを振り払ってマレフ
ィセントの手を引いた。
自分は一人でも、ディアンがいなくたってこの子ぐらい面倒を見れるんだ、
と。
明らかにフレアが無茶してる。
マレフィセントは困ったように彼女を見るも、自分の内面で精一杯の彼女には
マレフィセントの視線が届かない。
白い人がいなくて、昨日も一昨日もいなかった。
<小さなお母さん>は、それ以来まるで自身に怒っているように無口だ。時々、
苦しそうに思いつめた顔で、それでもマレフィセントを見ると笑顔を見せて手
を引いてくれる。
自分を抱きしめて、泣き続けたあの日から、<小さなお母さん>はずっと苦しん
でる。そうとわかっても、自分はどうすることもできていない。
「………」
なんていえばいいんだろう。
母親と二人暮しの生き方で、慰めてくれるのは常に母親の方だった。
頭をなでで、優しい声で謳ってくれる。異国の話、神様の話、最後は悪魔の
話。
1番目の真っ黒な王様の話から、2番目の真っ黒なドラゴンのお話。
そうして、最後は20番目のお父様のお話。
『身体は封じられても、必ずお父様は戻ってくる。
だから、空を見なさい。夜明けに抗う夜の果て、お前のお父様は空にいる』
お話してあげればいいのだろうか?
1番目の真っ黒な王様の話から、2番目の真っ黒なドラゴンのお話。
そうして、最後は20番目のお父様のお話。
神の有限さに逆らう私達の物語、ユピテルの金鎖を解き、世界の向こう側を目
指す黒い物語を。
「……a…」
でも、言葉はどうやって伝えよう?
お話してあげようにも、言葉が分からない。伝わらない。
どうしようもないもどかしさに、マレフィセントはただ、フレアの繋いだ手を
握り締めるだけだった。
…気がつくと、クーロン路地でもかなりはずれのほうに来てしまっていた。
「…あ…」
しまった、考え事に耽りすぎて道を誤ったことすら気がつかなかった。
クーロンにはつくづくいい思い出がない。もと来た道を戻ろうと、マレフィセ
ントの手を引いたまま、早足に駆け戻ろうとして、
「おっと、こちらの道は封鎖中だよ」
いけすかないごろつきに、前を塞がれた。
飄々とした風貌に、滴る悪意と害意。相手する価値もないと判断したフレア
は、素早く右の裏路地に滑り込むも、
「残念、こっちは袋小路だ」
今度は、酒臭い巨漢がこちらを見て笑っている。
どうやら何人かにつけられていたようだと悟り、フレアに憤りの感情が浮か
ぶ。
「金か?金なんてもってないぞ」
「色々あるさ…武器防具洋服髪の毛…そうそう、知ってるかい?
女の赤い眼球っていうのは、悪魔に取り付かれてるから魔力が残ってるとか
で、魔術師が大層高く買ってくれんだぜ」
あははは、ははははは、と哄笑が響く。
「迷信だのに、実際高く売れるんだなこれが」
自分の体質を言われて、思わず握った拳に力が入るフレア。
目の前の男を睨んでいて、後ろから伸ばされた薄汚い手がマレフィセントのフ
ードを掴んだことに気がつかなかった。
「!?」
「なっ…こ、こいつ!?」
ローブの裂ける音に驚いたフレアと、ローブの残りで隠そうにも隠せない角を
抱えるマレフィセントに、周囲のごろつきの笑いがとまった。
「な、こ、こいつ…化け物!?」
「マレに触れるな!」
思わず反射的にマレフィセントを抱えながら、相手の手を蹴り上げる。
マレフィセントを隠すように抱きしめて、周囲を睨む。
「さぁどけ!もういいだろう!」
「…珍しい赤目の女に、見たこともない化け物か。珍しさできっと売れるぞ、
お前ら…」
ざわざわと周囲に満ちた殺気に、唇を噛むフレア。
このままだと、自分だけじゃなくマレフィセントまで…こんなときにディアン
がいてくれたら、と思い、自分を叱咤する。
この子を守れるのは、今ここで、私だけなのだから
そう決断し、腕の一本を失くすと決め、剣を取ろうとした、その時。
Hiiiiiiiiiin!!
甲高い嘶きと共に、横にいた三人ぐらいの禿げ頭のごろつきが前を光速でぶっ
飛んでいった。
「…はっ?」
「なっ、こんどはおぶわっ!!!?」
乗り手のいない馬が、蹄を振りかざして男の横っ腹に体当たりした。
ついてに後ろ足で思いっきり、巨漢の男を蹴り上げて失神させる。馬は平均的
な大きさだったが、それでも人体と比べると強度や質量はとんでもない破壊力
だ。よほどのじゃじゃ馬なのか、興奮して綺麗にごろつきどもを片付けてい
る。
何がなんだか、呆然と目を丸くして抱き合うフレアとマレフィセントの横で、
ぼやくような声がした。
「…まったく騙された。何が貞淑な妻のようにだ、あれではノクテュルヌと同
じぐらいではないか」
ぽかん、と振り返ると、そこには非常に遺憾な顔をした男性が立っていた。
歳は30半過ぎ、40には届かないという感じで、肩に届くチョコレートのように
深いウェーブを一まとめにくくっている。
その瞳は穏やかで父性を感じさせる、緑色。稲穂の青を思わせる緑色の瞳に映
るのは呆れた感情だろうか。
「……ええと、その、助けてくれて?」
「…残念だが、そういうわけではない。その気はあったのだが私が気がつく前
にあれが勝手に興奮して、私を振り落としたのだよ。
…っく、我が神よ…常に我が伴侶となるべくものは試練ばかりとは何故か…」
どうやら、額がちょっと紅く腫れているのは、どこかにぶつかったのか。
想像するに、馬に振り落とされた際に道端の木箱にでも当たったのだろう。神
に呪いじみた問いかけをする男に慰めの言葉を捜したが、フレアの脳内にはそ
んな複雑な状況で慰める言葉は思いつかなかった。
「…その、ご愁傷様だ…」
「…嫌な予感はしてたんだ。手綱を握った時から頼まなくても爆走しはじめ
た。歳を考えて欲しいものだ、私は若くないのだから」
む、としかめる男に、思わずフレアはくすっと笑ってしまった。
慌てて笑いを押さえるも、一度緩んだ頬は止まらない。
くつくつと笑い始めるフレアに抱きしめられたまま、マレフィセントはきょと
んとしたまま目の前の大惨劇を見つめていた。
男は顔に手を当てて諦めたように瞼を閉じた。
やがて、ごろつきが綺麗にのされた後、男性は穏やかな微笑で手を差し伸べ
た。
「さて、とりあえず夜も来たようだ。宿まで送ろう」
「あ、ありがとう。ええと…貴方の名前は?」
ふむ、と少し意味ありげな沈黙の後、彼はフレアの頭を撫でながらこういっ
た。
「リノ、そう呼んでくれ」
NPC:リノ、いけすかないごろつき数人、馬
place:クーロン
----------------------------------------------------------------------
「お嬢ちゃん達?気持ちは分かるけれどねぇ…未成年は、ちょっと」
今日を迎えて七度目の言葉に、ぐっと怒りが煮詰まる思いのフレアであった。
今まで、自分の年齢など気にせずやってこれたのも、自分の力ではなく、周囲
の人々がいたからだと、否応にも痛感する。
傍目から見れば、頼りない少女と幼い子供。酷い対応の宿屋の店員は子供の家
出とせせら笑わらわれたが、いくら反論しても取り合ってくれなかった。
クーロンの人ごみの中で、悔しさに歯軋りをする。
と、俯いた視線にマレフィセントの青空のような瞳と出会った。
「…ごめんね、こんなところで突っ立って。行こうか、マレ」
自分を奮い立たせるように、フレアは今までのわだかまりを振り払ってマレフ
ィセントの手を引いた。
自分は一人でも、ディアンがいなくたってこの子ぐらい面倒を見れるんだ、
と。
明らかにフレアが無茶してる。
マレフィセントは困ったように彼女を見るも、自分の内面で精一杯の彼女には
マレフィセントの視線が届かない。
白い人がいなくて、昨日も一昨日もいなかった。
<小さなお母さん>は、それ以来まるで自身に怒っているように無口だ。時々、
苦しそうに思いつめた顔で、それでもマレフィセントを見ると笑顔を見せて手
を引いてくれる。
自分を抱きしめて、泣き続けたあの日から、<小さなお母さん>はずっと苦しん
でる。そうとわかっても、自分はどうすることもできていない。
「………」
なんていえばいいんだろう。
母親と二人暮しの生き方で、慰めてくれるのは常に母親の方だった。
頭をなでで、優しい声で謳ってくれる。異国の話、神様の話、最後は悪魔の
話。
1番目の真っ黒な王様の話から、2番目の真っ黒なドラゴンのお話。
そうして、最後は20番目のお父様のお話。
『身体は封じられても、必ずお父様は戻ってくる。
だから、空を見なさい。夜明けに抗う夜の果て、お前のお父様は空にいる』
お話してあげればいいのだろうか?
1番目の真っ黒な王様の話から、2番目の真っ黒なドラゴンのお話。
そうして、最後は20番目のお父様のお話。
神の有限さに逆らう私達の物語、ユピテルの金鎖を解き、世界の向こう側を目
指す黒い物語を。
「……a…」
でも、言葉はどうやって伝えよう?
お話してあげようにも、言葉が分からない。伝わらない。
どうしようもないもどかしさに、マレフィセントはただ、フレアの繋いだ手を
握り締めるだけだった。
…気がつくと、クーロン路地でもかなりはずれのほうに来てしまっていた。
「…あ…」
しまった、考え事に耽りすぎて道を誤ったことすら気がつかなかった。
クーロンにはつくづくいい思い出がない。もと来た道を戻ろうと、マレフィセ
ントの手を引いたまま、早足に駆け戻ろうとして、
「おっと、こちらの道は封鎖中だよ」
いけすかないごろつきに、前を塞がれた。
飄々とした風貌に、滴る悪意と害意。相手する価値もないと判断したフレア
は、素早く右の裏路地に滑り込むも、
「残念、こっちは袋小路だ」
今度は、酒臭い巨漢がこちらを見て笑っている。
どうやら何人かにつけられていたようだと悟り、フレアに憤りの感情が浮か
ぶ。
「金か?金なんてもってないぞ」
「色々あるさ…武器防具洋服髪の毛…そうそう、知ってるかい?
女の赤い眼球っていうのは、悪魔に取り付かれてるから魔力が残ってるとか
で、魔術師が大層高く買ってくれんだぜ」
あははは、ははははは、と哄笑が響く。
「迷信だのに、実際高く売れるんだなこれが」
自分の体質を言われて、思わず握った拳に力が入るフレア。
目の前の男を睨んでいて、後ろから伸ばされた薄汚い手がマレフィセントのフ
ードを掴んだことに気がつかなかった。
「!?」
「なっ…こ、こいつ!?」
ローブの裂ける音に驚いたフレアと、ローブの残りで隠そうにも隠せない角を
抱えるマレフィセントに、周囲のごろつきの笑いがとまった。
「な、こ、こいつ…化け物!?」
「マレに触れるな!」
思わず反射的にマレフィセントを抱えながら、相手の手を蹴り上げる。
マレフィセントを隠すように抱きしめて、周囲を睨む。
「さぁどけ!もういいだろう!」
「…珍しい赤目の女に、見たこともない化け物か。珍しさできっと売れるぞ、
お前ら…」
ざわざわと周囲に満ちた殺気に、唇を噛むフレア。
このままだと、自分だけじゃなくマレフィセントまで…こんなときにディアン
がいてくれたら、と思い、自分を叱咤する。
この子を守れるのは、今ここで、私だけなのだから
そう決断し、腕の一本を失くすと決め、剣を取ろうとした、その時。
Hiiiiiiiiiin!!
甲高い嘶きと共に、横にいた三人ぐらいの禿げ頭のごろつきが前を光速でぶっ
飛んでいった。
「…はっ?」
「なっ、こんどはおぶわっ!!!?」
乗り手のいない馬が、蹄を振りかざして男の横っ腹に体当たりした。
ついてに後ろ足で思いっきり、巨漢の男を蹴り上げて失神させる。馬は平均的
な大きさだったが、それでも人体と比べると強度や質量はとんでもない破壊力
だ。よほどのじゃじゃ馬なのか、興奮して綺麗にごろつきどもを片付けてい
る。
何がなんだか、呆然と目を丸くして抱き合うフレアとマレフィセントの横で、
ぼやくような声がした。
「…まったく騙された。何が貞淑な妻のようにだ、あれではノクテュルヌと同
じぐらいではないか」
ぽかん、と振り返ると、そこには非常に遺憾な顔をした男性が立っていた。
歳は30半過ぎ、40には届かないという感じで、肩に届くチョコレートのように
深いウェーブを一まとめにくくっている。
その瞳は穏やかで父性を感じさせる、緑色。稲穂の青を思わせる緑色の瞳に映
るのは呆れた感情だろうか。
「……ええと、その、助けてくれて?」
「…残念だが、そういうわけではない。その気はあったのだが私が気がつく前
にあれが勝手に興奮して、私を振り落としたのだよ。
…っく、我が神よ…常に我が伴侶となるべくものは試練ばかりとは何故か…」
どうやら、額がちょっと紅く腫れているのは、どこかにぶつかったのか。
想像するに、馬に振り落とされた際に道端の木箱にでも当たったのだろう。神
に呪いじみた問いかけをする男に慰めの言葉を捜したが、フレアの脳内にはそ
んな複雑な状況で慰める言葉は思いつかなかった。
「…その、ご愁傷様だ…」
「…嫌な予感はしてたんだ。手綱を握った時から頼まなくても爆走しはじめ
た。歳を考えて欲しいものだ、私は若くないのだから」
む、としかめる男に、思わずフレアはくすっと笑ってしまった。
慌てて笑いを押さえるも、一度緩んだ頬は止まらない。
くつくつと笑い始めるフレアに抱きしめられたまま、マレフィセントはきょと
んとしたまま目の前の大惨劇を見つめていた。
男は顔に手を当てて諦めたように瞼を閉じた。
やがて、ごろつきが綺麗にのされた後、男性は穏やかな微笑で手を差し伸べ
た。
「さて、とりあえず夜も来たようだ。宿まで送ろう」
「あ、ありがとう。ええと…貴方の名前は?」
ふむ、と少し意味ありげな沈黙の後、彼はフレアの頭を撫でながらこういっ
た。
「リノ、そう呼んでくれ」
キャスト:ディアン・マレフィセント・フレア
NPC:リノツェロス
場所:クーロン市内→宿
―――――――――――――――
「さ、行くとしようか」
そのまま拉致される可能性もないこともなかったが、フレアは助けられた手前、
戸惑いながらも男のことばに頷かざるを得なかった。
いくらクーロンでも悪人ばかりだとは思いたくない。
なにより、リノと名乗ったこの男の物腰の柔らかさと紳士的な態度は、
そんな邪推とは無縁に思えた。
黙考したまま立ち止まっているこちらを訝って、リノが言う。
「どうした?怪我でもしたか?」
見せなさい、と、伸ばした手を下ろして本気で心配そうに顔を覗き込んでくる。
フレアは慌ててかぶりを振ると、遮るように男の前に両手をかざした。
「なんでもない!大丈夫だ…でも、その」
「でも?」
「宿をまだ、とっていない」
とれなかった、と言わなかったのは意地だった。
なぜか申し訳なくなって、フレアは顔を伏せた。
リノはそんな自分と、その後ろで破れたローブで遊んでいる
マレフィセントを見比べると、納得したように頷いた。
「なるほど」
ささやかな嘘はどうやらあっさりばれたらしい。
ますますみじめになって、フレアは顔をあげることができない。
「では、こういうのはどうだろう?」
そういって男は、自分の着ていたマントをばさりとマレフィセントに被せる。
驚いてフレアが顔を上げたときには、男は馬の手綱を手に
ひとつの提案をしてから、答えも待たずに歩き出していた。
・・・★・・・
「…」
運ばれてきた鶏肉のシチューを前に、 フレアは正直に
こくりと喉を鳴らした。
リノの提案というのは、宿を彼の名で二部屋とるという事だった。
最初は断った――助けられた上にそこまでやってもらうのは忍びない。
だが、宿なしで夜を越すつもりか、と問われて言い返せなかったのは
本当のことで、結局フレアたちが甘えている形になっている。
このままだと宿代も負担するといいかねないので先に精算しようと申し出たが、
リノは腹が減ったと妙なタイミングでいい、今に至る。
「食べなさい。今にも倒れそうな顔をしている」
「え」
向かいに座っているリノが、間にあるパンを盛った籠をこちらに押しやる。
食堂に誘ったのは向こうなのに、驚いてフレアはとっさに顔に手をやった。
だがそれで顔色がわかるわけでもなく、鏡を探してせわしなく周囲を見渡す。
しかし食堂には椅子と、テーブル。そして少し離れた場所に厨房があるだけだ。
周囲はそれなりに繁盛しており、酒が回っているテーブルもいくつかある。
フレアの様子を見て、はは、とリノが笑う。
皮肉でも嘲笑でもない、純粋な笑い声だった。
「とにかく今日は食べて、ゆっくり休むといい。そうすれば大抵のことは
治ってしまうものだよ」
穏やかにそう言うと、手を組んで短い祈りを捧げ、パンを手に取る。
その横ではマレフィセントが一人でシチューと格闘していた。
「でも」
「そのシチューを美味しく食べてくれることが、君から私への礼だと
思うことにするよ」
遠慮をしすぎて、逆に相手に気を使わせていることに気づく。
フレアは随分ためらってから「いただきます」と言うと、
空腹で逸る手を自制しながらスプーンを手にした。
沈黙が流れる。
だが食堂のにぎやかさがその空白を埋めるように滑り込み、
陰鬱とした空気とはほど遠い雰囲気を保っていた。
ややしばらくして、リノが口を開く。
「…君を見ていると妻を思い出すよ。あれも同じ色の瞳をしている」
「ん?」
いつの間にか食事に没頭していたフレアは、
あつかましさを恥じながらも口を拭き、顔を上げた。
ついでにマレフィセントの口の周りも拭いてやる。
「…さっきの話、どう思う?」
「さっきの話?」
「赤い色の瞳…」
スプーンを皿に置いて、リノを見る。彼は聞き返してきて――記憶を辿ってから
「あぁ」と合点がいったように頷いた。
「気にすることはないよ。あれは浅はかな者の言った事だ。
いちいち気に掛けていてはきりがない。それに、それを肯定してしまうのは
妻を卑下しているのと同じことだからね」
「…そう、か」
うなずく。
フレア自身、赤い瞳であることにコンプレックスはなかった。
いや、コンプレックスを抱かせるような出来事が今までなかったと言うべきか。
出会う人はみな普通に接してくれていたし、フレアもまたそれが
普通だと思っていた。
「だが、気をつけるべきだな…今後また、ああいった輩が出ないとも限らない」
そこで話を切って、リノは店員に食後のコーヒーを注文して――フレアに
「何か追加は?」と訊いてくる。
フレアは首を振ったが、彼はかまわず「紅茶を二つ」と言い添えた。
「ρυ」
まだシチューを食べているマレフィセント。リノのマントを着たままなので、
汚しはしないかとフレアが見ていると、前触れなく名前を呼ばれた。
まるで恐縮している自分をどうにか和ませたかったのか、その声色は
ごくごく明るい。
「ひとつ、訊いてもいいかね」
フレアが頷くと、彼は空になった皿を横に押しやり、軽く咳払いをした。
「この街に来たのは何か理由があるのかな?」
「…理由…」
考える。
そもそも目的はマレフィセントを親元に帰すことだ。ただ、そのために
一番異界に近いであろうという理由だけでライガールへ向かっているのだ。
クーロンに来たのは、その通過点であるからに過ぎない。
「この子の家に向かっている途中に立ち寄っただけだ。目的地はここじゃない」
結局、大幅に詳細を省いて答える。リノはふむ、と両の手を組んだ。
「家、とは?」
「……」
「答えられないのならそれでいいが…」
「いや、答える。わからないんだ…この子が、どこから来たのか」
そこで、コーヒーと紅茶を盆に載せた店員がやってきた。
コーヒーをリノの前に、紅茶をフレアとマレフィセントの前に置いて、
てきぱきと空の皿を片して持ってゆく。
「なるほど…」
そう謎めいた答えを返したつもりはなかったのだが、リノはやってきた
コーヒーに手もつけず、組んだ手をテーブルに置いて考え込む。
フレアは何を言われるのか不安だったものの、マレフィセントのカップに
砂糖とミルクをたっぷり入れてやらなければいけなかったので、
その作業にしばらく気を取られていた。
次にリノを見たとき、彼は額に手を当てて真剣なまなざしでコーヒーの
渦を見つめていた。
NPC:リノツェロス
場所:クーロン市内→宿
―――――――――――――――
「さ、行くとしようか」
そのまま拉致される可能性もないこともなかったが、フレアは助けられた手前、
戸惑いながらも男のことばに頷かざるを得なかった。
いくらクーロンでも悪人ばかりだとは思いたくない。
なにより、リノと名乗ったこの男の物腰の柔らかさと紳士的な態度は、
そんな邪推とは無縁に思えた。
黙考したまま立ち止まっているこちらを訝って、リノが言う。
「どうした?怪我でもしたか?」
見せなさい、と、伸ばした手を下ろして本気で心配そうに顔を覗き込んでくる。
フレアは慌ててかぶりを振ると、遮るように男の前に両手をかざした。
「なんでもない!大丈夫だ…でも、その」
「でも?」
「宿をまだ、とっていない」
とれなかった、と言わなかったのは意地だった。
なぜか申し訳なくなって、フレアは顔を伏せた。
リノはそんな自分と、その後ろで破れたローブで遊んでいる
マレフィセントを見比べると、納得したように頷いた。
「なるほど」
ささやかな嘘はどうやらあっさりばれたらしい。
ますますみじめになって、フレアは顔をあげることができない。
「では、こういうのはどうだろう?」
そういって男は、自分の着ていたマントをばさりとマレフィセントに被せる。
驚いてフレアが顔を上げたときには、男は馬の手綱を手に
ひとつの提案をしてから、答えも待たずに歩き出していた。
・・・★・・・
「…」
運ばれてきた鶏肉のシチューを前に、 フレアは正直に
こくりと喉を鳴らした。
リノの提案というのは、宿を彼の名で二部屋とるという事だった。
最初は断った――助けられた上にそこまでやってもらうのは忍びない。
だが、宿なしで夜を越すつもりか、と問われて言い返せなかったのは
本当のことで、結局フレアたちが甘えている形になっている。
このままだと宿代も負担するといいかねないので先に精算しようと申し出たが、
リノは腹が減ったと妙なタイミングでいい、今に至る。
「食べなさい。今にも倒れそうな顔をしている」
「え」
向かいに座っているリノが、間にあるパンを盛った籠をこちらに押しやる。
食堂に誘ったのは向こうなのに、驚いてフレアはとっさに顔に手をやった。
だがそれで顔色がわかるわけでもなく、鏡を探してせわしなく周囲を見渡す。
しかし食堂には椅子と、テーブル。そして少し離れた場所に厨房があるだけだ。
周囲はそれなりに繁盛しており、酒が回っているテーブルもいくつかある。
フレアの様子を見て、はは、とリノが笑う。
皮肉でも嘲笑でもない、純粋な笑い声だった。
「とにかく今日は食べて、ゆっくり休むといい。そうすれば大抵のことは
治ってしまうものだよ」
穏やかにそう言うと、手を組んで短い祈りを捧げ、パンを手に取る。
その横ではマレフィセントが一人でシチューと格闘していた。
「でも」
「そのシチューを美味しく食べてくれることが、君から私への礼だと
思うことにするよ」
遠慮をしすぎて、逆に相手に気を使わせていることに気づく。
フレアは随分ためらってから「いただきます」と言うと、
空腹で逸る手を自制しながらスプーンを手にした。
沈黙が流れる。
だが食堂のにぎやかさがその空白を埋めるように滑り込み、
陰鬱とした空気とはほど遠い雰囲気を保っていた。
ややしばらくして、リノが口を開く。
「…君を見ていると妻を思い出すよ。あれも同じ色の瞳をしている」
「ん?」
いつの間にか食事に没頭していたフレアは、
あつかましさを恥じながらも口を拭き、顔を上げた。
ついでにマレフィセントの口の周りも拭いてやる。
「…さっきの話、どう思う?」
「さっきの話?」
「赤い色の瞳…」
スプーンを皿に置いて、リノを見る。彼は聞き返してきて――記憶を辿ってから
「あぁ」と合点がいったように頷いた。
「気にすることはないよ。あれは浅はかな者の言った事だ。
いちいち気に掛けていてはきりがない。それに、それを肯定してしまうのは
妻を卑下しているのと同じことだからね」
「…そう、か」
うなずく。
フレア自身、赤い瞳であることにコンプレックスはなかった。
いや、コンプレックスを抱かせるような出来事が今までなかったと言うべきか。
出会う人はみな普通に接してくれていたし、フレアもまたそれが
普通だと思っていた。
「だが、気をつけるべきだな…今後また、ああいった輩が出ないとも限らない」
そこで話を切って、リノは店員に食後のコーヒーを注文して――フレアに
「何か追加は?」と訊いてくる。
フレアは首を振ったが、彼はかまわず「紅茶を二つ」と言い添えた。
「ρυ」
まだシチューを食べているマレフィセント。リノのマントを着たままなので、
汚しはしないかとフレアが見ていると、前触れなく名前を呼ばれた。
まるで恐縮している自分をどうにか和ませたかったのか、その声色は
ごくごく明るい。
「ひとつ、訊いてもいいかね」
フレアが頷くと、彼は空になった皿を横に押しやり、軽く咳払いをした。
「この街に来たのは何か理由があるのかな?」
「…理由…」
考える。
そもそも目的はマレフィセントを親元に帰すことだ。ただ、そのために
一番異界に近いであろうという理由だけでライガールへ向かっているのだ。
クーロンに来たのは、その通過点であるからに過ぎない。
「この子の家に向かっている途中に立ち寄っただけだ。目的地はここじゃない」
結局、大幅に詳細を省いて答える。リノはふむ、と両の手を組んだ。
「家、とは?」
「……」
「答えられないのならそれでいいが…」
「いや、答える。わからないんだ…この子が、どこから来たのか」
そこで、コーヒーと紅茶を盆に載せた店員がやってきた。
コーヒーをリノの前に、紅茶をフレアとマレフィセントの前に置いて、
てきぱきと空の皿を片して持ってゆく。
「なるほど…」
そう謎めいた答えを返したつもりはなかったのだが、リノはやってきた
コーヒーに手もつけず、組んだ手をテーブルに置いて考え込む。
フレアは何を言われるのか不安だったものの、マレフィセントのカップに
砂糖とミルクをたっぷり入れてやらなければいけなかったので、
その作業にしばらく気を取られていた。
次にリノを見たとき、彼は額に手を当てて真剣なまなざしでコーヒーの
渦を見つめていた。
PC:フレア、マレフィセント
NPC:リノ、ミヤガワ
place:クーロン/宿
----------------------------------------------------------------------
「では、まず整理しようか」
従業員らしい豊満な太さの女性が、通りすがりに慣れた手つきでチーズの塊を
落とした。まるで心得たように手を差し出したリノは受け取ると、これまた慣
れた手付きでそれを切り分ける。
「君はその子を家まで届けたい、しかし家の宛先がとんと分からない、とこれ
でいいのかな?」
「あぁ、マレは私達の言葉が喋れないんだ」
チーズの塊を受け取ると、先程の籠から取ったくるみパンにチーズを塗りたく
りながら、フレアは溜息をついた。そのまま食べるかと思いきや、隣のマレの
シチュー皿の中においてやる。そのタイミングを待っていたかのようにマレフ
ィセントがフォークとナイフを両手もちという快挙で突き刺しながら大口を開
ける。
最近はフレアもマレフィセントも互いの呼吸があってきたので、タイミングの
バランスが絶妙である。
「マレ、という名前は?」
「それも不確かだ、自分のことを言ってるらしい単語がそう聞こえる」
「なるほど」
どこかの本にあるような、巨大肉を食べる原始人のように頬一杯にパンとチー
ズとシチューを突っ込むマレフィセント。いつもフレアはマレフィセントには
頬袋というリスとかにある器官がついているのでは、と常に怪しんでいる。
そんな姿を見ていると、ぷ、と思わず気が緩んで笑ってしまった。
「悪魔というより、小動物だな。それでは」
リノも穏やかに微笑みながら、今度はテーブル席の向こう側の女中に片手を上
げる。
気がついた女中の向けて、銀貨を一枚指で弾く。彗星のように空を飛んだ銀貨
を慌ててキャッチする女中。
「君の名前と歳は?」
「は?あ、名前はフレア、歳は16だ」
いきなり話しかけられて、もごもごするフレア。
「ではフレア、何か甘いものでも頼みなさい。そうそう、クーロンは食べ物の
流通も良い。
季節でない果実や野菜もあるだろうし、新鮮な卵もある」
「いや自分で払う、それぐらい」
「マレが頼れるのは君だけだ、まだ16歳の君だけしかその子は身を寄せるこ
とができないのだろう?それはとても大変で、苦労で、中々疲れることだ。
自己犠牲の精神は素晴らしいが、それだけでは人は壊れてしまうよ。ましてや
君はまだ16、ならば大人というものを思いっきり利用して、頼れる時は思い
っきり圧し掛かってしまいなさい」
リノは微笑んだまま、まるで一言一言釘を打つかのように、石に言葉を刻むよ
うに話す。
その口調には、責めるでもない説得するでもない、もっと穏やかで凪のよう
な、それでな深い響きがあった。
「ちなみに私は今年で37だ、21歳もの年下の少女に食事代を出さないとあっ
ては騎士道にも反するし、何より面目が立たん。銀貨とて、世の中にはいくら
でもある」
フレアは、しばし何もいえなくなって口をぱかっと開けていた。
お礼か、謙虚か、何かを言わねばと思ったその瞬間、何を勘違いしたかマレが
チーズの残りをフレアの口の中に突っ込んだので、思わずむせてしまう。
それを見たリノはさすがに悪いと思いつつも、豪快に笑い声をたてた。
年齢の差なのか、相手の人柄か、すっかり自分の強がりや不安が見抜かれてし
まっているフレアであった。
「簡単だ、悪魔のことなら悪魔に聞けばいい」
「…あ」
食事の後、部屋にやって来たリノは「既婚の身なので、夜は女性の部屋に入れ
ない」と妙に頑固に部屋へ入るのを断ったので、宿屋の外でランプを持ちなが
ら宿屋の庭にでたフレアとマレに、リノはさもあっさりと解決策を提案した。
「闇雲に探そうとて世界は広い、ましてや異界の住人の住処など人が知る以上
の知識だ。
イムヌス教の導師クラトルも、悪魔の居場所を知る為に悪魔に化けて聞き出し
たという」
「悪魔…でも、どうやって」
悪魔の知り合いなんて、フレアには思いつかない。
似たような知り合いはいたが、悪魔とは少し違うし、そもそもマレフィセント
とは少し、何かが違う気がした。
「悪魔と接触するのは危険を伴うぞ。悪魔といっても理性の欠片もない輩もい
る。
総じて人類に敵意を抱く者も多いし、そもそも人類の仮想敵とみなされている
悪魔と言葉を交わすだけでも悪しき心に魅入られるやもしれん」
「でも、それであの子を帰せるなら」
軽く肩をすくめるリノ。フレアは前々から薄々疑問に思うことを口にした。
「リノ、どうしてここまで私達に話をしてくれるんだ?少なくとも善意の幅を
超えている。
ここまでしてくれると、裏があるのじゃないか、と疑いたくなるんだ。
…でも貴方を疑いたくない。だから、何かあるのなら話してくれないか?」
「真っ直ぐだな、そうやって本音を直線で問える年齢とは羨ましい。私には取
り戻せないものだ」
不躾ともとれる発言にさえ、リノの頑健ともいえる穏やかさは崩れなかった。
さして動揺の素振りさえも見せない仕草で、腕を組む。
ランプの明かりがカラリと揺れる。
「君と逆でね、悪魔を連れ帰らないといけないんだ」
「…は?」
軽くウインクしながらおどけて語るリノに、思わずフレアはまた口がぽかんと
開いた。
「【天使】になれる悪魔を探してるのさ、見つけるまで帰ってくるなと言われ
てる」
「て、天使?天使ってあの…?」
「というわけでね、悪魔らしい子を連れてる君を見かけて話をきこうと思った
のだよ。
君の連れ子は【天使】として連れていけないみたいだが、悪魔を探すというな
らぜひ私も連れて行って欲しいんだが…こう見えても剣術はそこそこできる
し、実は悪魔払いの真似事程度ならできるぞ?」
司祭でも修道士でもないので、せいぜい悪魔除けぐらいだが、と付け加える。
「こう見えても【厄種】とも対決したこともある、そこそこ頼りになるぞ」
「【厄種】?」
「イムヌス教で最も恐れ呪われている十体の悪魔のことさ。一番強いものから
順に数えて十体、これらを【厄種】と呼ぶ。到底人ではギリギリ耐えることは
出来ても、倒すことは不可能な悪魔らのことだ。
魔帝ゲルニカ、魔竜スターレス、堕天使イルズフィヨル…文字通り【天使】と
いった御使いでなければ倒せない怪物だ」
「そんな悪魔はどれくらいいるんだ?」
「さてね、そもそもイムヌス教が真の敵とするのは【七十七悪魔】と呼ばれる
聖戦で戦った七十七体のみ。悪魔種族は他にも無数にいる、それら全てを殲滅
対象にするか、は派閥ごとで解釈もことなる」
なかなかイムヌス教も曖昧だ とリノは取り繕ったように笑う。
フレアはよく考え、考えて顔をあげる。
「私には、そういったことはよく分からないけれど。
マレはそういった悪魔とは違う、貴方の言うような【天使】でも悪魔でもない
と思う。
本当に、本当に無邪気な子供なんだ」
「分かっている、君の連れ子には手を出さないよ。
だが、その子を戻すにしても闇雲に大陸中を彷徨うのは危険だ。もちろん、悪
魔を探すにしても危険極まりないことには変わりないがね」
だから、私のようなものを雇ってはみないか?とにこにこ笑うリノ。
穏やかさと人の良さそうな彼が、悪魔と本当に戦えるのだろうか?とフレアは
少し疑問に思ったが、彼の言うことも正しい。
自分らの知識では、あの子の名前ぐらいしか聞き取れない。ならば、毒を知る
には同じ毒を探さねばならないかもしれない。
「…じゃあ、むしろ私のほうからお願いしたい。
リノ、あの子を家に帰したい。だから、貴方にも協力して欲しい」
「交渉成立だな…ではそろそろ部屋に戻るか。
明日は行き先の検討をつけよう、悪魔の情報も欲しい、ギルドに出向くことに
なるかもしれないな」
気づけば、宿屋の看板の横でぼんやり光るランタンに群がる虫を掴もうと、マ
レフィセントが虚空に何度も手を伸ばしては空ぶっている。
指先に止まった鮮やかな蛾を、興味津々に見つめる頭に、手を置くフレア。
おやすみ、と挨拶して二人は宿屋へ戻る。その様子を父親のように見送った
後、別人のように鋭い視線を宿屋とは反対の向こうの闇にむける。
「ミヤガワか、ベルスモンドはどうした?」
「逃がした。だが、やはりブロッサムの血に固執しているようだ、ブロッサム
の不死の娘に【追跡者】が何人か見張りをつけている。ブロッサム周辺を固め
ればいずれ向こうから来るだろう」
「お前の【右目】は、あの少女に反応したか?」
「いや、悪魔のようだが七十七悪魔ではない」
「…そうか、あと」
「【虹追い人】は今だ行方知れずだ、ヴァルカンで異国風の女と瘴気じみた男
とパーティーを組んでいたらしいが、その後がまだつかめない」
「…そうか」
「心配するな、あの娘がそうくたばる訳も無い。なにせ最後の切り札に【聖グ
ラナダリアの声】があるんだ、でなければ女の一人旅など【白い貴婦人】どの
が許可するわけもないだろう」
「なに、妻には天使ラームンデルがついている。私が心配しているのは妻が周
囲に甚大な被害を与えていないか、だけだが」
「俺の世界ではああいうのを【不思議系】とか【天然】とか言ったぞ。
ああいうのはいるものさ、俺が知ってる限りでは眼鏡をかけた褌マニアだった
しな」
「フンドシ?なんだそれは?」
「…伝統的な男性下着の名前だ、まぁ、そういう訳の分からない奴ほどしぶと
いものさ」
声だけの会話はすぐに終ったらしく、しばらくするとリノは宿屋に戻ってい
く。
闇はすぐにまた闇だけになり、風の音だけが灯りの前を素通りしていった。
NPC:リノ、ミヤガワ
place:クーロン/宿
----------------------------------------------------------------------
「では、まず整理しようか」
従業員らしい豊満な太さの女性が、通りすがりに慣れた手つきでチーズの塊を
落とした。まるで心得たように手を差し出したリノは受け取ると、これまた慣
れた手付きでそれを切り分ける。
「君はその子を家まで届けたい、しかし家の宛先がとんと分からない、とこれ
でいいのかな?」
「あぁ、マレは私達の言葉が喋れないんだ」
チーズの塊を受け取ると、先程の籠から取ったくるみパンにチーズを塗りたく
りながら、フレアは溜息をついた。そのまま食べるかと思いきや、隣のマレの
シチュー皿の中においてやる。そのタイミングを待っていたかのようにマレフ
ィセントがフォークとナイフを両手もちという快挙で突き刺しながら大口を開
ける。
最近はフレアもマレフィセントも互いの呼吸があってきたので、タイミングの
バランスが絶妙である。
「マレ、という名前は?」
「それも不確かだ、自分のことを言ってるらしい単語がそう聞こえる」
「なるほど」
どこかの本にあるような、巨大肉を食べる原始人のように頬一杯にパンとチー
ズとシチューを突っ込むマレフィセント。いつもフレアはマレフィセントには
頬袋というリスとかにある器官がついているのでは、と常に怪しんでいる。
そんな姿を見ていると、ぷ、と思わず気が緩んで笑ってしまった。
「悪魔というより、小動物だな。それでは」
リノも穏やかに微笑みながら、今度はテーブル席の向こう側の女中に片手を上
げる。
気がついた女中の向けて、銀貨を一枚指で弾く。彗星のように空を飛んだ銀貨
を慌ててキャッチする女中。
「君の名前と歳は?」
「は?あ、名前はフレア、歳は16だ」
いきなり話しかけられて、もごもごするフレア。
「ではフレア、何か甘いものでも頼みなさい。そうそう、クーロンは食べ物の
流通も良い。
季節でない果実や野菜もあるだろうし、新鮮な卵もある」
「いや自分で払う、それぐらい」
「マレが頼れるのは君だけだ、まだ16歳の君だけしかその子は身を寄せるこ
とができないのだろう?それはとても大変で、苦労で、中々疲れることだ。
自己犠牲の精神は素晴らしいが、それだけでは人は壊れてしまうよ。ましてや
君はまだ16、ならば大人というものを思いっきり利用して、頼れる時は思い
っきり圧し掛かってしまいなさい」
リノは微笑んだまま、まるで一言一言釘を打つかのように、石に言葉を刻むよ
うに話す。
その口調には、責めるでもない説得するでもない、もっと穏やかで凪のよう
な、それでな深い響きがあった。
「ちなみに私は今年で37だ、21歳もの年下の少女に食事代を出さないとあっ
ては騎士道にも反するし、何より面目が立たん。銀貨とて、世の中にはいくら
でもある」
フレアは、しばし何もいえなくなって口をぱかっと開けていた。
お礼か、謙虚か、何かを言わねばと思ったその瞬間、何を勘違いしたかマレが
チーズの残りをフレアの口の中に突っ込んだので、思わずむせてしまう。
それを見たリノはさすがに悪いと思いつつも、豪快に笑い声をたてた。
年齢の差なのか、相手の人柄か、すっかり自分の強がりや不安が見抜かれてし
まっているフレアであった。
「簡単だ、悪魔のことなら悪魔に聞けばいい」
「…あ」
食事の後、部屋にやって来たリノは「既婚の身なので、夜は女性の部屋に入れ
ない」と妙に頑固に部屋へ入るのを断ったので、宿屋の外でランプを持ちなが
ら宿屋の庭にでたフレアとマレに、リノはさもあっさりと解決策を提案した。
「闇雲に探そうとて世界は広い、ましてや異界の住人の住処など人が知る以上
の知識だ。
イムヌス教の導師クラトルも、悪魔の居場所を知る為に悪魔に化けて聞き出し
たという」
「悪魔…でも、どうやって」
悪魔の知り合いなんて、フレアには思いつかない。
似たような知り合いはいたが、悪魔とは少し違うし、そもそもマレフィセント
とは少し、何かが違う気がした。
「悪魔と接触するのは危険を伴うぞ。悪魔といっても理性の欠片もない輩もい
る。
総じて人類に敵意を抱く者も多いし、そもそも人類の仮想敵とみなされている
悪魔と言葉を交わすだけでも悪しき心に魅入られるやもしれん」
「でも、それであの子を帰せるなら」
軽く肩をすくめるリノ。フレアは前々から薄々疑問に思うことを口にした。
「リノ、どうしてここまで私達に話をしてくれるんだ?少なくとも善意の幅を
超えている。
ここまでしてくれると、裏があるのじゃないか、と疑いたくなるんだ。
…でも貴方を疑いたくない。だから、何かあるのなら話してくれないか?」
「真っ直ぐだな、そうやって本音を直線で問える年齢とは羨ましい。私には取
り戻せないものだ」
不躾ともとれる発言にさえ、リノの頑健ともいえる穏やかさは崩れなかった。
さして動揺の素振りさえも見せない仕草で、腕を組む。
ランプの明かりがカラリと揺れる。
「君と逆でね、悪魔を連れ帰らないといけないんだ」
「…は?」
軽くウインクしながらおどけて語るリノに、思わずフレアはまた口がぽかんと
開いた。
「【天使】になれる悪魔を探してるのさ、見つけるまで帰ってくるなと言われ
てる」
「て、天使?天使ってあの…?」
「というわけでね、悪魔らしい子を連れてる君を見かけて話をきこうと思った
のだよ。
君の連れ子は【天使】として連れていけないみたいだが、悪魔を探すというな
らぜひ私も連れて行って欲しいんだが…こう見えても剣術はそこそこできる
し、実は悪魔払いの真似事程度ならできるぞ?」
司祭でも修道士でもないので、せいぜい悪魔除けぐらいだが、と付け加える。
「こう見えても【厄種】とも対決したこともある、そこそこ頼りになるぞ」
「【厄種】?」
「イムヌス教で最も恐れ呪われている十体の悪魔のことさ。一番強いものから
順に数えて十体、これらを【厄種】と呼ぶ。到底人ではギリギリ耐えることは
出来ても、倒すことは不可能な悪魔らのことだ。
魔帝ゲルニカ、魔竜スターレス、堕天使イルズフィヨル…文字通り【天使】と
いった御使いでなければ倒せない怪物だ」
「そんな悪魔はどれくらいいるんだ?」
「さてね、そもそもイムヌス教が真の敵とするのは【七十七悪魔】と呼ばれる
聖戦で戦った七十七体のみ。悪魔種族は他にも無数にいる、それら全てを殲滅
対象にするか、は派閥ごとで解釈もことなる」
なかなかイムヌス教も曖昧だ とリノは取り繕ったように笑う。
フレアはよく考え、考えて顔をあげる。
「私には、そういったことはよく分からないけれど。
マレはそういった悪魔とは違う、貴方の言うような【天使】でも悪魔でもない
と思う。
本当に、本当に無邪気な子供なんだ」
「分かっている、君の連れ子には手を出さないよ。
だが、その子を戻すにしても闇雲に大陸中を彷徨うのは危険だ。もちろん、悪
魔を探すにしても危険極まりないことには変わりないがね」
だから、私のようなものを雇ってはみないか?とにこにこ笑うリノ。
穏やかさと人の良さそうな彼が、悪魔と本当に戦えるのだろうか?とフレアは
少し疑問に思ったが、彼の言うことも正しい。
自分らの知識では、あの子の名前ぐらいしか聞き取れない。ならば、毒を知る
には同じ毒を探さねばならないかもしれない。
「…じゃあ、むしろ私のほうからお願いしたい。
リノ、あの子を家に帰したい。だから、貴方にも協力して欲しい」
「交渉成立だな…ではそろそろ部屋に戻るか。
明日は行き先の検討をつけよう、悪魔の情報も欲しい、ギルドに出向くことに
なるかもしれないな」
気づけば、宿屋の看板の横でぼんやり光るランタンに群がる虫を掴もうと、マ
レフィセントが虚空に何度も手を伸ばしては空ぶっている。
指先に止まった鮮やかな蛾を、興味津々に見つめる頭に、手を置くフレア。
おやすみ、と挨拶して二人は宿屋へ戻る。その様子を父親のように見送った
後、別人のように鋭い視線を宿屋とは反対の向こうの闇にむける。
「ミヤガワか、ベルスモンドはどうした?」
「逃がした。だが、やはりブロッサムの血に固執しているようだ、ブロッサム
の不死の娘に【追跡者】が何人か見張りをつけている。ブロッサム周辺を固め
ればいずれ向こうから来るだろう」
「お前の【右目】は、あの少女に反応したか?」
「いや、悪魔のようだが七十七悪魔ではない」
「…そうか、あと」
「【虹追い人】は今だ行方知れずだ、ヴァルカンで異国風の女と瘴気じみた男
とパーティーを組んでいたらしいが、その後がまだつかめない」
「…そうか」
「心配するな、あの娘がそうくたばる訳も無い。なにせ最後の切り札に【聖グ
ラナダリアの声】があるんだ、でなければ女の一人旅など【白い貴婦人】どの
が許可するわけもないだろう」
「なに、妻には天使ラームンデルがついている。私が心配しているのは妻が周
囲に甚大な被害を与えていないか、だけだが」
「俺の世界ではああいうのを【不思議系】とか【天然】とか言ったぞ。
ああいうのはいるものさ、俺が知ってる限りでは眼鏡をかけた褌マニアだった
しな」
「フンドシ?なんだそれは?」
「…伝統的な男性下着の名前だ、まぁ、そういう訳の分からない奴ほどしぶと
いものさ」
声だけの会話はすぐに終ったらしく、しばらくするとリノは宿屋に戻ってい
く。
闇はすぐにまた闇だけになり、風の音だけが灯りの前を素通りしていった。
キャスト:マレフィセント・フレア
NPC:リノツェロス
場所:クーロン市内→宿
―――――――――――――――
森の中を歩いている。
幾つもの光の柱が立ち並び、木々が葉ひとつ揺らさずそこにある。
森には音がなかった。
靴の裏から、踏んだ小枝が折れる感触が伝わってくる。
だがそれでも音はない。
気が付くと、足元に酒瓶が転がっていた。
未開封で、隣にはグラスさえあった。瓶だけを抱えてさらに歩きだす。
見上げれば碧い梢の向こうで青空が輝いている。雲ひとつない、青い空。
風の吹き抜ける声も、小鳥のさえずりも聞こえない世界。
しばらく行くと、本が落ちている。
児童書らしく、鮮やかな色刷りの表紙が落ち葉の上で目立って見えた。
右手に本、左腕に酒瓶を抱えてさらに進む。
木の根を踏みしめて歩く。何度か転んだのかもしれない。
でもとにかく、ただひたすらに進まないといけない気がする。
すると今度は、鮮やかな白が目に飛び込んできた。
それが誰の物なのか自分は知っている。あそこにあの人がいる。
名前を呼びたい。
だが口からは枯れた声しか出ない。
このままでは届かない。
走りだす。やっとのことで白い厚手の布――というよりマントを捕まえる。
安堵して木の向こうに本体を探す。
しかし。
そこには誰もいなかった。
手にしたマントは、鋭利な蔦にずたずたに裂かれている。
遠目からでは木に隠れてこの部分は見えていなかったのだ。
いつのまにか抱えていたはずの瓶と本もなくなっていた。
ただ音のない森のなかで、自分の枯れた悲鳴だけがこだまする。
…★…
ぺたぺたと頬を触られる感覚で、フレアは覚醒した。
透き通る青の瞳に自分の姿が映っている。つまりはその持ち主――
マレフィセントがそこまで顔を近付けているという事だった。
瞳の色とは裏腹に、少女の表情は暗い。
どうやらうなされていたのを心配しているようだ。
苦笑して、上半身を起こす。
「大丈夫…ありがとう」
そこは森などではなくて、ただの宿の一室だった。
窓からは朝の清浄な光がまぶしいまでに差し込んできている。
ひどい夢を見た。どんな内容だったかは忘れてしまったが、
恐ろしくて悲しい感覚と、枯れた喉の痛みが残っている。
風邪でもひいただろうか?
マレフィセントはまだ心配そうにこちらを見ていたが、
フレアが着替えているうちに、ベッドの上で遊びだした。
遊ぶといってもただ転がる程度だが、なかなか気に入ったらしく、
フレアの支度が終わるまで飽きずにやっていた。
フレアはもう一度窓の外を見た。小鳥が通り過ぎ、
床に落ちた光の中に小さな影を作って消える。
さっきの悪夢も、きっとこの影のようなものだったのだ。
…★…
一日のはじまりにリノが持ち出してきた話はお世辞にも気の利いた内容ではなかったが、
それでもフレアはオートミールを食べる手を止めて慎重に聞き返した。
「悪魔の森?」
うむ、とリノが頷く。彼の前には、とじられた紙の束が置いてある。
「私達が探しているものに何か関連があるのではないかと思ってな。
少しだけ調べてみた」
悪魔――いるのかいないのか、いたとしても遭遇して無事でいられるのかすら
わからない、そんな存在。
悪魔の少女を連れて、天使のような悪魔を探している男と一緒に悪魔を探す。
それこそ夢のようにありえない組み合わせの者が同じテーブルについている。
「バッカの東側に突如、意志を持った森が出現し、ひとつの旅団が全滅。
森へ討伐に入った傭兵、信徒なども含め、あわせて50人強の犠牲者を出した…。
と、この報告書にはあった。
君達もその方面から来たのだろう?何か知らないか?」
そういって、目の前の紙の束――報告書を無造作に持ち上げ、揺らしてみせる。
機密文書だからといって見せてもらえなかったのだが、内容は知っている。
知らないわけがない。何しろ、当事者だ。
リノが読んだ報告書は、おそらくイザベルの書いたものだろう。
だとすればマレフィセントの事に関しては書かれていまい。
またリノがフレア本人を目の前にしてその問いを発するという事は、
自分やディアンの事も伏せられているとみていい。
フレアは少し迷ったものの、真剣な面持ちでリノの顔を見た。
もう既に彼は行動を共にする仲間になったのだ。嘘をついていいわけがない。
「…実は」
「実は?」
「その森にいたんだ、私達。この子が…一人で迷い込んでしまって」
リノはそのセリフを聞いても、「ほう」とあいづちを打っただけだった。
意外な反応にこちらが驚いてしまう。開きかけた口を慌てて手でふさぐ。
彼は視線で「それで?」と訊いてきている。
頭の中を整理しながら、フレアは事の顛末を手短に話した。
「…なるほど」
リノはいくつかの質問をはさみつつも、なんとか理解してくれたらしい。
重々しい表情をどうにか払拭したかったのだろう。リノが顎をさすって顔を上げる。
その時にはもう、彼の口調はずいぶん明るさを取り戻していた。
「結論から言えば、君達が遭遇したのは七十七悪魔ではないようだ。すまないな、
尋問するつもりはなかったのだが」
「いや、いいんだ」
フレアもなんとか笑顔を作ってそれに応える。だが、リノの表情がいきなり変わる。
落ち着いた物腰の彼がそんな顔をする事をいぶかしんで――隣が静かな事に気がつく。
はっと、見るが。
「…マレフィセント!」
「まずい」
そこには空になった食器と、リノの外套のみが置いてあった。
NPC:リノツェロス
場所:クーロン市内→宿
―――――――――――――――
森の中を歩いている。
幾つもの光の柱が立ち並び、木々が葉ひとつ揺らさずそこにある。
森には音がなかった。
靴の裏から、踏んだ小枝が折れる感触が伝わってくる。
だがそれでも音はない。
気が付くと、足元に酒瓶が転がっていた。
未開封で、隣にはグラスさえあった。瓶だけを抱えてさらに歩きだす。
見上げれば碧い梢の向こうで青空が輝いている。雲ひとつない、青い空。
風の吹き抜ける声も、小鳥のさえずりも聞こえない世界。
しばらく行くと、本が落ちている。
児童書らしく、鮮やかな色刷りの表紙が落ち葉の上で目立って見えた。
右手に本、左腕に酒瓶を抱えてさらに進む。
木の根を踏みしめて歩く。何度か転んだのかもしれない。
でもとにかく、ただひたすらに進まないといけない気がする。
すると今度は、鮮やかな白が目に飛び込んできた。
それが誰の物なのか自分は知っている。あそこにあの人がいる。
名前を呼びたい。
だが口からは枯れた声しか出ない。
このままでは届かない。
走りだす。やっとのことで白い厚手の布――というよりマントを捕まえる。
安堵して木の向こうに本体を探す。
しかし。
そこには誰もいなかった。
手にしたマントは、鋭利な蔦にずたずたに裂かれている。
遠目からでは木に隠れてこの部分は見えていなかったのだ。
いつのまにか抱えていたはずの瓶と本もなくなっていた。
ただ音のない森のなかで、自分の枯れた悲鳴だけがこだまする。
…★…
ぺたぺたと頬を触られる感覚で、フレアは覚醒した。
透き通る青の瞳に自分の姿が映っている。つまりはその持ち主――
マレフィセントがそこまで顔を近付けているという事だった。
瞳の色とは裏腹に、少女の表情は暗い。
どうやらうなされていたのを心配しているようだ。
苦笑して、上半身を起こす。
「大丈夫…ありがとう」
そこは森などではなくて、ただの宿の一室だった。
窓からは朝の清浄な光がまぶしいまでに差し込んできている。
ひどい夢を見た。どんな内容だったかは忘れてしまったが、
恐ろしくて悲しい感覚と、枯れた喉の痛みが残っている。
風邪でもひいただろうか?
マレフィセントはまだ心配そうにこちらを見ていたが、
フレアが着替えているうちに、ベッドの上で遊びだした。
遊ぶといってもただ転がる程度だが、なかなか気に入ったらしく、
フレアの支度が終わるまで飽きずにやっていた。
フレアはもう一度窓の外を見た。小鳥が通り過ぎ、
床に落ちた光の中に小さな影を作って消える。
さっきの悪夢も、きっとこの影のようなものだったのだ。
…★…
一日のはじまりにリノが持ち出してきた話はお世辞にも気の利いた内容ではなかったが、
それでもフレアはオートミールを食べる手を止めて慎重に聞き返した。
「悪魔の森?」
うむ、とリノが頷く。彼の前には、とじられた紙の束が置いてある。
「私達が探しているものに何か関連があるのではないかと思ってな。
少しだけ調べてみた」
悪魔――いるのかいないのか、いたとしても遭遇して無事でいられるのかすら
わからない、そんな存在。
悪魔の少女を連れて、天使のような悪魔を探している男と一緒に悪魔を探す。
それこそ夢のようにありえない組み合わせの者が同じテーブルについている。
「バッカの東側に突如、意志を持った森が出現し、ひとつの旅団が全滅。
森へ討伐に入った傭兵、信徒なども含め、あわせて50人強の犠牲者を出した…。
と、この報告書にはあった。
君達もその方面から来たのだろう?何か知らないか?」
そういって、目の前の紙の束――報告書を無造作に持ち上げ、揺らしてみせる。
機密文書だからといって見せてもらえなかったのだが、内容は知っている。
知らないわけがない。何しろ、当事者だ。
リノが読んだ報告書は、おそらくイザベルの書いたものだろう。
だとすればマレフィセントの事に関しては書かれていまい。
またリノがフレア本人を目の前にしてその問いを発するという事は、
自分やディアンの事も伏せられているとみていい。
フレアは少し迷ったものの、真剣な面持ちでリノの顔を見た。
もう既に彼は行動を共にする仲間になったのだ。嘘をついていいわけがない。
「…実は」
「実は?」
「その森にいたんだ、私達。この子が…一人で迷い込んでしまって」
リノはそのセリフを聞いても、「ほう」とあいづちを打っただけだった。
意外な反応にこちらが驚いてしまう。開きかけた口を慌てて手でふさぐ。
彼は視線で「それで?」と訊いてきている。
頭の中を整理しながら、フレアは事の顛末を手短に話した。
「…なるほど」
リノはいくつかの質問をはさみつつも、なんとか理解してくれたらしい。
重々しい表情をどうにか払拭したかったのだろう。リノが顎をさすって顔を上げる。
その時にはもう、彼の口調はずいぶん明るさを取り戻していた。
「結論から言えば、君達が遭遇したのは七十七悪魔ではないようだ。すまないな、
尋問するつもりはなかったのだが」
「いや、いいんだ」
フレアもなんとか笑顔を作ってそれに応える。だが、リノの表情がいきなり変わる。
落ち着いた物腰の彼がそんな顔をする事をいぶかしんで――隣が静かな事に気がつく。
はっと、見るが。
「…マレフィセント!」
「まずい」
そこには空になった食器と、リノの外套のみが置いてあった。