キャスト:ディアン・フレア・マレフィセント
NPC:ザイリッツ・イザベル・傭兵団
場所:魔の森・沼地
―――――――――――――――
- ACCESS TO WATER -
―――――――――――――――
恐ろしい。
この状況が、失われる命が、それに涙すら流せない自分が。
ぎろりと、魔物が幾人もの目で皆を見渡す。
きっと『彼ら』は、まだ殺されていないのだ。
ぎりぎりまで生かされ、苦痛や憎悪を搾取され、目撃者からも不快感や
絶望を吸い取る。そして絶望しているうちに、食われる。
このサークルを断つためには――
「俺には既に腕一本ぶんのハンデがある!両腕があるお前達が先に死んだら、
末代までの笑い者だぞ!」
絶望しないこと。
ザイリッツの激で、傭兵が動き出す。フレアも瘴気の中に飛び出すと、
剣をふるって蔦を斬り飛ばした。
「キリがねぇな」
ディアンの舌打ちが聞こえる。彼の剣戟は的確に蔦や触手を減らしているが、
本体がすぐにそれを再生させてしまう。
さらに本体が出現したことにより、瘴気の濃さが増している。このままだと
正気を失いかねない。
フレアはざっと周囲を見渡した――いつの間にか濃霧が周囲を包んでいるが、
イザベルの魔術の光のおかげで、かろうじて沼の対岸が見える。
沼の周辺は嫌に静かに見えた。どうやら、本体である魔物がその能力を自らの
防御、攻撃に総動員して、森の運営がおろそかになっているらしい。
もっとも、見た目はだが。
今なら、もしかすれば。
ざふっ!と足元の泥が跳ねる。鞭のようにしなる触手が、フレアの体を断ち切らんと
上空から落ちてきたのだった。
フレアは迷うことなくそれに剣を突き立てた。
まるでゴムのような手ごたえと、気味の悪いぬめりに顔をしかめる。
剣が抜けない。
と、横手から巨大な白い槍が割り込んできた。槍はフレアの剣が刺さったままの
触手をあっさり分断し、ついでにこちらを狙っていた別の蔦や触手を蹴散らすと、
重力を無視した蛇のように去っていった。
「ありがとう」
ようやく剣を抜いて、振り返る。白い槍の持ち主――マレフィセントは礼を言われても
さほど笑顔を見せなかったが、ぱたりと尻尾を振って見せた。
後ろには不安げなイザベルが控えている。
彼女は神聖な白い衣服を纏い、魔物に襲われ、悪魔に守られていた。
これが皮肉でなくて何なのだ、とフレアの胸中は翳ったものの、彼女の元へ走る。
「大丈夫ですか?」
こんな状況ですら、イザベルの口調は丁寧だ。フレアは頷いてから、
まくしたてるように早口で言った。
「このままじゃ埒があかない。もう沼ごと本体を浄化するしかない」
「え――」
宣教師は目を見開いて言葉につまる。説得するように、付け加える。
「消滅までは無理かもしれないけれど、状況は変わるはずです。
協力してください」
イザベルは目を伏せ、かすれた声で訊いてきた。
「…できるのでしょうか」
「私だけでは無理だ。私とあなたを含めたとしても、媒体があと3人は必要になる」
「生贄ということかね?」
いきなり会話に割り込んできたのはザイリッツだった。
フレアははじかれたように振り返って、その巨漢を見る。
「…いや、媒介者は動けないだけで、呪文が発動し終われば自由に」
「もし、呪文が完成しないうちに媒介者が死んだら?」
死んだら。
フレアは一瞬のうちで数種類の選択肢を思い浮かべた。逆上する、座り込む、
泣き出す、自分も後を追う。
だがもう既に、犠牲者は多すぎるほど出ているのだ。答えはもう出ている。
「…媒体がなければ浄化はできない。代役を立ててもらうしか…」
「何か魔術に対する知識が必要かね?」
「いや。銀製のものを持って、ここ以外の沼の三方に立っていてくれればそれで。
それさえできれば、あとはこちらで結界を張り、浄化をかけます」
この間にも、沼からの攻撃は続いている。しかしマレフィセントの能力が
非常に高く、こちらを狙ってくる触手や、地中から侵略してくる蔦までも、
すべて撃墜されてここまで届かない。
だが、ずっとそうしていられるわけでもない。フレアは焦燥にかられながら
ザイリッツかイザベルの返事を待っていた。
「……ザイリッツ様、やりましょう」
それまで黙っていたイザベルが、やはり戦っているマレフィセントやディアンの
姿を見てから、隻腕の傭兵に言った。
思わず彼女を見ると、それしかないでしょう?と言いたげに宣教師は
微笑んで見せた。
ザイリッツは鷹揚に頷き、やはりよく通る声で叫んだ。
「手が空いている奴は、ここ以外の沼の三方に散らばれ!
そのうち一人は淵に立ち、銀の剣を掲げよ!ほかの者は援護をし、
準備ができしだい鏑矢を撃つのだ!」
返事はまばらだったが、おそらく全員の耳に届いただろう。
目に見えて、皆が移動を開始する。
いきなり陣営が動いたことに戸惑っているのか、魔物の攻撃が
少し緩慢になっていた。
「…」
マレフィセントがこちらを見ている。
フレアは安心させるように笑顔を作ると、少女の手を握って膝をついた。
「マレフィセント、今から沼を浄化する。『危険』だから下がっているんだ」
結局、笑顔は保てなかった。
NPC:ザイリッツ・イザベル・傭兵団
場所:魔の森・沼地
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- ACCESS TO WATER -
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恐ろしい。
この状況が、失われる命が、それに涙すら流せない自分が。
ぎろりと、魔物が幾人もの目で皆を見渡す。
きっと『彼ら』は、まだ殺されていないのだ。
ぎりぎりまで生かされ、苦痛や憎悪を搾取され、目撃者からも不快感や
絶望を吸い取る。そして絶望しているうちに、食われる。
このサークルを断つためには――
「俺には既に腕一本ぶんのハンデがある!両腕があるお前達が先に死んだら、
末代までの笑い者だぞ!」
絶望しないこと。
ザイリッツの激で、傭兵が動き出す。フレアも瘴気の中に飛び出すと、
剣をふるって蔦を斬り飛ばした。
「キリがねぇな」
ディアンの舌打ちが聞こえる。彼の剣戟は的確に蔦や触手を減らしているが、
本体がすぐにそれを再生させてしまう。
さらに本体が出現したことにより、瘴気の濃さが増している。このままだと
正気を失いかねない。
フレアはざっと周囲を見渡した――いつの間にか濃霧が周囲を包んでいるが、
イザベルの魔術の光のおかげで、かろうじて沼の対岸が見える。
沼の周辺は嫌に静かに見えた。どうやら、本体である魔物がその能力を自らの
防御、攻撃に総動員して、森の運営がおろそかになっているらしい。
もっとも、見た目はだが。
今なら、もしかすれば。
ざふっ!と足元の泥が跳ねる。鞭のようにしなる触手が、フレアの体を断ち切らんと
上空から落ちてきたのだった。
フレアは迷うことなくそれに剣を突き立てた。
まるでゴムのような手ごたえと、気味の悪いぬめりに顔をしかめる。
剣が抜けない。
と、横手から巨大な白い槍が割り込んできた。槍はフレアの剣が刺さったままの
触手をあっさり分断し、ついでにこちらを狙っていた別の蔦や触手を蹴散らすと、
重力を無視した蛇のように去っていった。
「ありがとう」
ようやく剣を抜いて、振り返る。白い槍の持ち主――マレフィセントは礼を言われても
さほど笑顔を見せなかったが、ぱたりと尻尾を振って見せた。
後ろには不安げなイザベルが控えている。
彼女は神聖な白い衣服を纏い、魔物に襲われ、悪魔に守られていた。
これが皮肉でなくて何なのだ、とフレアの胸中は翳ったものの、彼女の元へ走る。
「大丈夫ですか?」
こんな状況ですら、イザベルの口調は丁寧だ。フレアは頷いてから、
まくしたてるように早口で言った。
「このままじゃ埒があかない。もう沼ごと本体を浄化するしかない」
「え――」
宣教師は目を見開いて言葉につまる。説得するように、付け加える。
「消滅までは無理かもしれないけれど、状況は変わるはずです。
協力してください」
イザベルは目を伏せ、かすれた声で訊いてきた。
「…できるのでしょうか」
「私だけでは無理だ。私とあなたを含めたとしても、媒体があと3人は必要になる」
「生贄ということかね?」
いきなり会話に割り込んできたのはザイリッツだった。
フレアははじかれたように振り返って、その巨漢を見る。
「…いや、媒介者は動けないだけで、呪文が発動し終われば自由に」
「もし、呪文が完成しないうちに媒介者が死んだら?」
死んだら。
フレアは一瞬のうちで数種類の選択肢を思い浮かべた。逆上する、座り込む、
泣き出す、自分も後を追う。
だがもう既に、犠牲者は多すぎるほど出ているのだ。答えはもう出ている。
「…媒体がなければ浄化はできない。代役を立ててもらうしか…」
「何か魔術に対する知識が必要かね?」
「いや。銀製のものを持って、ここ以外の沼の三方に立っていてくれればそれで。
それさえできれば、あとはこちらで結界を張り、浄化をかけます」
この間にも、沼からの攻撃は続いている。しかしマレフィセントの能力が
非常に高く、こちらを狙ってくる触手や、地中から侵略してくる蔦までも、
すべて撃墜されてここまで届かない。
だが、ずっとそうしていられるわけでもない。フレアは焦燥にかられながら
ザイリッツかイザベルの返事を待っていた。
「……ザイリッツ様、やりましょう」
それまで黙っていたイザベルが、やはり戦っているマレフィセントやディアンの
姿を見てから、隻腕の傭兵に言った。
思わず彼女を見ると、それしかないでしょう?と言いたげに宣教師は
微笑んで見せた。
ザイリッツは鷹揚に頷き、やはりよく通る声で叫んだ。
「手が空いている奴は、ここ以外の沼の三方に散らばれ!
そのうち一人は淵に立ち、銀の剣を掲げよ!ほかの者は援護をし、
準備ができしだい鏑矢を撃つのだ!」
返事はまばらだったが、おそらく全員の耳に届いただろう。
目に見えて、皆が移動を開始する。
いきなり陣営が動いたことに戸惑っているのか、魔物の攻撃が
少し緩慢になっていた。
「…」
マレフィセントがこちらを見ている。
フレアは安心させるように笑顔を作ると、少女の手を握って膝をついた。
「マレフィセント、今から沼を浄化する。『危険』だから下がっているんだ」
結局、笑顔は保てなかった。
PR
PC@マレフィセント・フレア・ディアン
NPC@ザイリッツ、イザベル、傭兵達
場所@街道沿いの集落~はずれの獣道
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
沼と森の悪夢は浄化され、残ったのは露草色の月夜だった。
「すまないな」
ザイリッツの苦い謝罪。
それをディアンは無表情に、フレアは耐えられないとばかりに、最後のマレは
ある種の怨恨を受けて頭を垂れていた。
「どう足掻いても、我らは人間なのだ。
そして、今回の事件は君が森にさえ行かなければ怒らなかった。見逃すのはい
ったが、見過ごすことはできないのだよ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
森の悪夢から一週間。
ようやく全てが一段落しかけた街の端の小屋で、フレアたち三人とザイリッツ
が話し合っていた。
机に肘ついたザイリッツは苦々しく笑いながら、煙草を吸った。
「いいかね?」
「未成年者に害がない程度にな」
「厳しいな」
最初から吸う気がなかったのか。
一度出した煙草を苦笑しながら吐いて潰した、まだ十分残っていた煙草が薄い
煙を吹いて沈黙。
「君が出なければ傭兵達は死ぬことはなかった。
しかし君が出なければ別の被害者が生れていただろう…そして、どちらにしろ
死者は必然だった」
ザイリッツ自体、あまり快い気分でもないのだろう。
しきりに溜息をついて頭を掻いてはマレのほうをちらりと見やる。
「…これ以上、ここに置いておくことは出来ない。
傭兵達に不穏な動きがある、宣教師の一団にもな。おそらくその子を火炙りに
するのだろう。
…すまない、すまないな。どうやっても我らは亡き友の仇をと、誰かに求めて
いるのだ」
「部下も統率できねぇのかよ」
「君には理解できないか、白の傭兵。
お前のように孤独で、守れるだけの人数しか抱えてない者に、多くの者達を抱
くことの意味が」
ディアンは珍しく押し黙った。
「…誰も悪くないわけではない。
少なくともその少女が出なければ我らは別の町で仲間と共に酒を飲んで、馬鹿
騒ぎを朝まで興じ、そして新しい仕事を探して右往左往する日々に戻れたの
だ。
そして、別の人間達が嘆きのままに森に食われていた…」
ザイリッツとて、その言葉を言うのにどれほど苦しいか。
その答えは彼がマレフィセントと目を合わせないようとしているところからも
見える。
「…人には感情と、想いと、心がある。
それは時にどうしても抑えきれない場合があるのだ。それは理性を超えて行動
を求める」
フレアが、俯いていた顔を上げた。
「悪魔にだって、この子にだってそれはあるんだ!」
「理解できないんだ、その人の形さえまばらな生き物に、我らと同等のものが
あるなどと。
何故なら、我ら人は同じ人同士でさえ本当に理解し合えないものだ。全てが理
解しあえるのは、もう人ではないからな。分からないから知ろうとして、探り
合って、笑いあう。
…そんなことでしか、他人を信じられないんだ」
フレアは、何か言おうとした。
言わなければならなかった。間違ってる、そんな事は本当は間違ってるんだ
と。
だが、脳内はぽっかり虚が空いてしまって、何もいえなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
出発はすぐだ、だから荷物まとめてこいよ。
ディアンはフレアの心中を察して余計な言葉をかけずにさっさと自室に戻って
しまった。
部屋に青い月明かりが差し込む。
明日の朝に何か動きがあるらしいので、もうすぐにでもここから立たねばなら
ない。
ベットに座って、荷物を確かめてふぅと息を吐く。
そのままこてりと横になる、約束の時間まであと13分。微妙な時間だ。
ふと、いつも側によってくマレがベットの向こうでこちらを見ているだけなの
に気がいつた。
おいで、と手を振っても来ようとしてない。
いぶかしみながらも近寄ると、しっぽさえ振ってこない。
「どうした?」
ベットのシーツをぎゅっと握っているだけで、目を合わそうとしない。
森で何かあったのか。少なくとも最近のマレの様子とは違うことにフレアは不
安を覚えた。
抱きしめてやると、少しだけ緊張して肩を強張らせる様子が伝わってきた。
今までにない、怯えた反応にフレアのほうが怯えた。
「…ごめんね、君のことがわからなくて」
あぁ、どうしてこんな時に言葉は通じないんだろう。
思いだって、うまく表現するのが不得手な自分にどうやってこの子を安心させ
てあげればいい?
抱きしめて温もりが伝わるように、思いだって突き抜きて伝わってしまえばい
いのに。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
マレフィセントは後悔した。
街の人が、白い人と黒髪の少女に冷たくなった理由が自分にあると知っている
から。
自分が、森になんかいかなければあんなことにならなかった。
恐い目で見られることが、とても怖い。
それだけの事をしてしまった自分のせいで、二人は追い出されてしまう。
纏めた荷物、ベットの上のそれは本当に小さなもの。必要最低限しか持ってな
いのだろうか。
言葉が通じないからか、二人は自分を怒らない。
怒ってほしい。そしたら謝れる。ごめんなさいといって赦してもらえる。
そんなことさえ、出来ない。
どうしたらいいんだろう。
こんな時、どうすればいいんだろう。
「本当は、少しだけ怒ってるんだ。君はいつも勝手に飛んで行ってしまうか
ら」
フレアの言葉。
顔を上げて見上げると、笑ったフレアの顔を青い月が照らしている。
必死に見つめて聞き取ろうとする。分からなくても聞こうとした。理解しよう
とした。
「だから…何度だって連れ戻してやるって、決めた。
危ないところになんか放り出しておくか、一人でいったって絶対追いかけてや
る。
君が安心して縋れる場所まで、とことん保護者面してやるって決めたんだ」
めっと、おでこをデコピンで軽くはたいた。
うみぃ、とかかろうじて聞き取れる発音でマレは額を押さえた。その動作が本
当に人間ぽくってフレアはもっと笑った。
「分からないよ、わかんないさ。
言葉だって通じない君の事、本当にわかんないんだよ。でも理解できないか
ら、こっちで勝手に解釈したって構わないだろう?だって、誰だって本当はわ
かんないものなんだから」
理解できないことは、悲しいことだけど。
わかってあげられないのは、苦しいけれど。
それでなくても、一緒にいて笑うことが出来るなら、きっとそれは必要ないの
かもしれない。
マレは、笑うフレアを不思議そうに見上げた。
そして、自分もフレアにデコピンしようと背を伸ばすがフレアに避けられてふく
れっ面を見せた。
その後、何回かそんな遊びを繰り返している内に、いつしか二人とも笑ってい
た。
息があがるまで笑い合った数分間。と、扉がノックの後に開いて、顔を見せた
ディアンはあっけにとられた。
「…おい、何やってんだよ」
「ははは……ディアン、私もやっぱり難しいことは分からなかった」
『υυωа』
ベットで息も絶え絶えに転がって笑い合っている二人を見て、若いっていいよ
なと思ったディアンであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
裏口から出て、そっと通りに出たとき。
「あのう」
小声で声をかけられて、ディアンとフレアが臨戦態勢に入り振りかえる。
そこには、やや驚いた様子で立っている一人の白衣の女性。夜目でもわかるそ
の白衣の主はイザベルだった。
「…あの、通りから出ないほうがいいです。
検問は誰もいませんが見張りがいます。村の端の獣道からなら、多少回り道に
なりますが街道へと出れます。よ、よければ私も獣道までご案内します」
「悪いが、アンタが俺達の味方だっつう理論があるか?」
う、と体をひきかけたイザベルだったが、マレをちらりと見て胸元のロザリオ
を握りしめる。
「私は…私は白い神に誓った身です。嘘を言葉にすることは決していたしませ
ん」
口元を引き締めて、きっとディアンを見つめた。
ディアンは、さてどうしたものかと二人を振り返る。フレアは、信じていいよ
うな気がした。
マレを見つめる視線が、とても優しそうだったとか、そんな理由で。
「ありがとうございます、イザベルさん。ディアン…大丈夫だと思う」
「ま、大丈夫じゃなくても俺は平気だぜ」
イザベルが反論しようとして、溜息をついた。
そして、「静かについて来てください」とそっと通りからはずれて歩き出し
た。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
そして、獣道は鬱蒼と待ち構えていた。
森につくづく縁があるな と皮肉めいたディアンを横目に、フレアは振り返
る。
「あなたは?」
「ここに残ります。そして、悪魔のことを本部に報告しなければなりません」
「…まさか」
かんぐるフレアに、慌てて手をふるイザベル。
「その子のことは書きません!……あ、最後ですが、これを」
手に持った硝子瓶には、琥珀色の液体が揺れていた。
フレアをすり抜けて、マレが手を伸ばした。一瞬だけ怯えたイザベルだが、や
がて優しく微笑んでそれをそっと手に握らせてやった。
「せい、すい?」
「いえ、ただの蜂蜜をお茶葉と混ぜた蜂蜜茶です。子供がぐずったときに、飲
ませるといいんですよ」
見え隠れするかつての母親の姿に、フレアは少しだけ胸が苦しくなった。
過去は知らないが、きっとこの人にも子供がいたんだろう。そう容易に想像で
きた。
「あの、失礼ですがお子さんは…?」
「死にました。聖ジョルジオの悲劇で」
悪魔復活劇、そしてイムヌス権威失墜の話は広まっている。
噂でかじった程度だったが、フレアは息をのんだ。
「だから、貴方達はどうか旅を続けてください。そして、その子に優しくして
あげてくださいね。
私には、もうそんな事をしてあげる権利も、立場もないのですから」
人には、思いと、感情があるから。
悪魔の子でさえも抱きしめてあげたいが、今の彼女は白い法衣の宣教者。
自分はきっと赦されないから、どうぞ貴方達が。
「ありがとう」
「…あなた方に、神のご加護が頭上で微笑むように」
神の言葉は、悪魔の娘を連れたメンバーに加護を与えるのだろうか。
NPC@ザイリッツ、イザベル、傭兵達
場所@街道沿いの集落~はずれの獣道
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沼と森の悪夢は浄化され、残ったのは露草色の月夜だった。
「すまないな」
ザイリッツの苦い謝罪。
それをディアンは無表情に、フレアは耐えられないとばかりに、最後のマレは
ある種の怨恨を受けて頭を垂れていた。
「どう足掻いても、我らは人間なのだ。
そして、今回の事件は君が森にさえ行かなければ怒らなかった。見逃すのはい
ったが、見過ごすことはできないのだよ」
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森の悪夢から一週間。
ようやく全てが一段落しかけた街の端の小屋で、フレアたち三人とザイリッツ
が話し合っていた。
机に肘ついたザイリッツは苦々しく笑いながら、煙草を吸った。
「いいかね?」
「未成年者に害がない程度にな」
「厳しいな」
最初から吸う気がなかったのか。
一度出した煙草を苦笑しながら吐いて潰した、まだ十分残っていた煙草が薄い
煙を吹いて沈黙。
「君が出なければ傭兵達は死ぬことはなかった。
しかし君が出なければ別の被害者が生れていただろう…そして、どちらにしろ
死者は必然だった」
ザイリッツ自体、あまり快い気分でもないのだろう。
しきりに溜息をついて頭を掻いてはマレのほうをちらりと見やる。
「…これ以上、ここに置いておくことは出来ない。
傭兵達に不穏な動きがある、宣教師の一団にもな。おそらくその子を火炙りに
するのだろう。
…すまない、すまないな。どうやっても我らは亡き友の仇をと、誰かに求めて
いるのだ」
「部下も統率できねぇのかよ」
「君には理解できないか、白の傭兵。
お前のように孤独で、守れるだけの人数しか抱えてない者に、多くの者達を抱
くことの意味が」
ディアンは珍しく押し黙った。
「…誰も悪くないわけではない。
少なくともその少女が出なければ我らは別の町で仲間と共に酒を飲んで、馬鹿
騒ぎを朝まで興じ、そして新しい仕事を探して右往左往する日々に戻れたの
だ。
そして、別の人間達が嘆きのままに森に食われていた…」
ザイリッツとて、その言葉を言うのにどれほど苦しいか。
その答えは彼がマレフィセントと目を合わせないようとしているところからも
見える。
「…人には感情と、想いと、心がある。
それは時にどうしても抑えきれない場合があるのだ。それは理性を超えて行動
を求める」
フレアが、俯いていた顔を上げた。
「悪魔にだって、この子にだってそれはあるんだ!」
「理解できないんだ、その人の形さえまばらな生き物に、我らと同等のものが
あるなどと。
何故なら、我ら人は同じ人同士でさえ本当に理解し合えないものだ。全てが理
解しあえるのは、もう人ではないからな。分からないから知ろうとして、探り
合って、笑いあう。
…そんなことでしか、他人を信じられないんだ」
フレアは、何か言おうとした。
言わなければならなかった。間違ってる、そんな事は本当は間違ってるんだ
と。
だが、脳内はぽっかり虚が空いてしまって、何もいえなかった。
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出発はすぐだ、だから荷物まとめてこいよ。
ディアンはフレアの心中を察して余計な言葉をかけずにさっさと自室に戻って
しまった。
部屋に青い月明かりが差し込む。
明日の朝に何か動きがあるらしいので、もうすぐにでもここから立たねばなら
ない。
ベットに座って、荷物を確かめてふぅと息を吐く。
そのままこてりと横になる、約束の時間まであと13分。微妙な時間だ。
ふと、いつも側によってくマレがベットの向こうでこちらを見ているだけなの
に気がいつた。
おいで、と手を振っても来ようとしてない。
いぶかしみながらも近寄ると、しっぽさえ振ってこない。
「どうした?」
ベットのシーツをぎゅっと握っているだけで、目を合わそうとしない。
森で何かあったのか。少なくとも最近のマレの様子とは違うことにフレアは不
安を覚えた。
抱きしめてやると、少しだけ緊張して肩を強張らせる様子が伝わってきた。
今までにない、怯えた反応にフレアのほうが怯えた。
「…ごめんね、君のことがわからなくて」
あぁ、どうしてこんな時に言葉は通じないんだろう。
思いだって、うまく表現するのが不得手な自分にどうやってこの子を安心させ
てあげればいい?
抱きしめて温もりが伝わるように、思いだって突き抜きて伝わってしまえばい
いのに。
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マレフィセントは後悔した。
街の人が、白い人と黒髪の少女に冷たくなった理由が自分にあると知っている
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自分が、森になんかいかなければあんなことにならなかった。
恐い目で見られることが、とても怖い。
それだけの事をしてしまった自分のせいで、二人は追い出されてしまう。
纏めた荷物、ベットの上のそれは本当に小さなもの。必要最低限しか持ってな
いのだろうか。
言葉が通じないからか、二人は自分を怒らない。
怒ってほしい。そしたら謝れる。ごめんなさいといって赦してもらえる。
そんなことさえ、出来ない。
どうしたらいいんだろう。
こんな時、どうすればいいんだろう。
「本当は、少しだけ怒ってるんだ。君はいつも勝手に飛んで行ってしまうか
ら」
フレアの言葉。
顔を上げて見上げると、笑ったフレアの顔を青い月が照らしている。
必死に見つめて聞き取ろうとする。分からなくても聞こうとした。理解しよう
とした。
「だから…何度だって連れ戻してやるって、決めた。
危ないところになんか放り出しておくか、一人でいったって絶対追いかけてや
る。
君が安心して縋れる場所まで、とことん保護者面してやるって決めたんだ」
めっと、おでこをデコピンで軽くはたいた。
うみぃ、とかかろうじて聞き取れる発音でマレは額を押さえた。その動作が本
当に人間ぽくってフレアはもっと笑った。
「分からないよ、わかんないさ。
言葉だって通じない君の事、本当にわかんないんだよ。でも理解できないか
ら、こっちで勝手に解釈したって構わないだろう?だって、誰だって本当はわ
かんないものなんだから」
理解できないことは、悲しいことだけど。
わかってあげられないのは、苦しいけれど。
それでなくても、一緒にいて笑うことが出来るなら、きっとそれは必要ないの
かもしれない。
マレは、笑うフレアを不思議そうに見上げた。
そして、自分もフレアにデコピンしようと背を伸ばすがフレアに避けられてふく
れっ面を見せた。
その後、何回かそんな遊びを繰り返している内に、いつしか二人とも笑ってい
た。
息があがるまで笑い合った数分間。と、扉がノックの後に開いて、顔を見せた
ディアンはあっけにとられた。
「…おい、何やってんだよ」
「ははは……ディアン、私もやっぱり難しいことは分からなかった」
『υυωа』
ベットで息も絶え絶えに転がって笑い合っている二人を見て、若いっていいよ
なと思ったディアンであった。
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裏口から出て、そっと通りに出たとき。
「あのう」
小声で声をかけられて、ディアンとフレアが臨戦態勢に入り振りかえる。
そこには、やや驚いた様子で立っている一人の白衣の女性。夜目でもわかるそ
の白衣の主はイザベルだった。
「…あの、通りから出ないほうがいいです。
検問は誰もいませんが見張りがいます。村の端の獣道からなら、多少回り道に
なりますが街道へと出れます。よ、よければ私も獣道までご案内します」
「悪いが、アンタが俺達の味方だっつう理論があるか?」
う、と体をひきかけたイザベルだったが、マレをちらりと見て胸元のロザリオ
を握りしめる。
「私は…私は白い神に誓った身です。嘘を言葉にすることは決していたしませ
ん」
口元を引き締めて、きっとディアンを見つめた。
ディアンは、さてどうしたものかと二人を振り返る。フレアは、信じていいよ
うな気がした。
マレを見つめる視線が、とても優しそうだったとか、そんな理由で。
「ありがとうございます、イザベルさん。ディアン…大丈夫だと思う」
「ま、大丈夫じゃなくても俺は平気だぜ」
イザベルが反論しようとして、溜息をついた。
そして、「静かについて来てください」とそっと通りからはずれて歩き出し
た。
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そして、獣道は鬱蒼と待ち構えていた。
森につくづく縁があるな と皮肉めいたディアンを横目に、フレアは振り返
る。
「あなたは?」
「ここに残ります。そして、悪魔のことを本部に報告しなければなりません」
「…まさか」
かんぐるフレアに、慌てて手をふるイザベル。
「その子のことは書きません!……あ、最後ですが、これを」
手に持った硝子瓶には、琥珀色の液体が揺れていた。
フレアをすり抜けて、マレが手を伸ばした。一瞬だけ怯えたイザベルだが、や
がて優しく微笑んでそれをそっと手に握らせてやった。
「せい、すい?」
「いえ、ただの蜂蜜をお茶葉と混ぜた蜂蜜茶です。子供がぐずったときに、飲
ませるといいんですよ」
見え隠れするかつての母親の姿に、フレアは少しだけ胸が苦しくなった。
過去は知らないが、きっとこの人にも子供がいたんだろう。そう容易に想像で
きた。
「あの、失礼ですがお子さんは…?」
「死にました。聖ジョルジオの悲劇で」
悪魔復活劇、そしてイムヌス権威失墜の話は広まっている。
噂でかじった程度だったが、フレアは息をのんだ。
「だから、貴方達はどうか旅を続けてください。そして、その子に優しくして
あげてくださいね。
私には、もうそんな事をしてあげる権利も、立場もないのですから」
人には、思いと、感情があるから。
悪魔の子でさえも抱きしめてあげたいが、今の彼女は白い法衣の宣教者。
自分はきっと赦されないから、どうぞ貴方達が。
「ありがとう」
「…あなた方に、神のご加護が頭上で微笑むように」
神の言葉は、悪魔の娘を連れたメンバーに加護を与えるのだろうか。
キャスト:ディアン・マレフィセント・フレア
場所:バッカ/宿屋
―――――――――――――――
- Time And Again -
―――――――――――――――
小さなグラスに入った琥珀色の蜂蜜茶を、顔の位置まで掲げて見る。
ころん、と綺麗な音をたてて、氷が鳴った。
日光に透けた琥珀と、ほのかに香る甘い匂いに目を細めていると、
ディアンが空のグラスを、部屋に備えられた古いテーブルに置いて言った。
「結局、こいつの親探しはふりだしに戻ったってわけだ」
こいつ――マレフィセントはグラスを両手に持って、大事そうに
ちびちびと茶を飲んでいる。よほど気に入ったらしい。
イザベルからもらった蜂蜜茶は、もうすでに底を突きかけていた。
ディアンの向かいに座っているフレアも、うなずいて同意する。
「そうだな」
あれから追っ手がかかるでもなく、手配書が配られるわけでもなく、
拍子抜けがするほど順調にバッカまで着いた。
ただし、森のことはもはやこの一帯でもかなりの事件として伝わっているようだ。
なにせ森がまるごとひとつ消えたのだ。無理もない。
そこまで話が大きくなっているというのに自分達が何も咎められないのは、
イザベルやザイリッツがうまく伏せてくれたのではないかと、ひそかに
フレアは思っている。
「まぁ、ちっと時間は食ったがな。ここまで来りゃ街道だって整備されている
はずだし、そうそうこれ以上トラブルなんか起きねぇだろ」
「明日はどうする?」
どうしても姿勢が良くなってしまう背を自覚しながら、座りなおす。
「そうだな…クーロンまではもう目と鼻の先だから発ってもいいが、一日くらい
ここでゆっくりしてってもバチは当たらないんじゃねぇか?」
なぁ?と彼は唐突に、じっと窓の外を眺めているマレフィセントに話を振った。
もう茶は飲み干してしまったらしい。無造作に空のグラスが床に転がっている。
少女は小首を傾げてディアンを見たが、すぐにまた窓のほうを向いた。
なぜだか妙に目が輝いて見える。
「何を見ているんだ?」
マレフィセントは空が好きなのか、宿屋につくとほとんどこうして窓を気にしている。
放置されていたグラスを取り上げてテーブルの上に置くと、フレアも少女の
隣に立って窓の外を見た。
平坦な街並み。強いて特徴を言うならば、派手なカジノの看板が
多く見られることぐらいだろうが、クーロン周辺の街ではこういった光景は
珍しいというレベルにはほど遠い。
しかし、そこかしこの通りはやたら騒がしかった。
地元人らしき男女が、屋台や店などをなにやら飾りつけている。宿を取ったときとは
全く違う景色と熱気に押され、フレアは軽い驚きに目を見開いた。
「なんだぁ?騒がしいな」
「祭り…か?――マレフィセント!」
同じようにつられて窓に身を乗り出すディアンには答えず、フレアは慌てて
ベッドの上に脱ぎ捨てられた変装用のマントを引っつかむと、
こっそり出て行こうとしている少女の後姿を追った。
・・・★・・・
「仮装…祭り?」
「『森』のことは知ってるよな?そのせいで中止するだのしないだの何やら
揉めてたようだけど、まぁ一年で一回しかない祭りだからな。結局やることが
決まって、大慌てで準備してんのさ」
飴細工屋のワゴンに造花を飾りつけていたその中年の男は、やたらうきうきと
そう答えてきた。
「ほー、仮装ねぇ」
間一髪、誰かに見られる前にマントをマレフィセント被せることに成功したフレアは、
追いついてきたディアンと共にしばらくバッカの街をうろついていた。
そこで適当にこれから何が始まるのかと聞いたら、そのような答えが返ってきたのだ。
「なんでも昔、人間を狙う化け物から身を守るために仮装して旅した男が
いるらしくてな。それにかこつけて、仮装して歩く祭りを毎年やってるってわけだ。
歩くっつってもクーロンまでだがね」
飴屋がそう説明している間にも、すぐ横を仮装したものたちが通り過ぎてゆく。
向こうのほうでは大道芸人が何やら商売道具のチェックをしていた。
耳をすませば、楽団が本番に備えて音を出しているのも聞こえる。
「歩き出すのは今夜だから、それまではお嬢ちゃんも遊んでいるといい」
飴屋のことばに、思わずディアンの顔を見る。
その表情は、どうやら自分と同じことを考えているように見えた。
場所:バッカ/宿屋
―――――――――――――――
- Time And Again -
―――――――――――――――
小さなグラスに入った琥珀色の蜂蜜茶を、顔の位置まで掲げて見る。
ころん、と綺麗な音をたてて、氷が鳴った。
日光に透けた琥珀と、ほのかに香る甘い匂いに目を細めていると、
ディアンが空のグラスを、部屋に備えられた古いテーブルに置いて言った。
「結局、こいつの親探しはふりだしに戻ったってわけだ」
こいつ――マレフィセントはグラスを両手に持って、大事そうに
ちびちびと茶を飲んでいる。よほど気に入ったらしい。
イザベルからもらった蜂蜜茶は、もうすでに底を突きかけていた。
ディアンの向かいに座っているフレアも、うなずいて同意する。
「そうだな」
あれから追っ手がかかるでもなく、手配書が配られるわけでもなく、
拍子抜けがするほど順調にバッカまで着いた。
ただし、森のことはもはやこの一帯でもかなりの事件として伝わっているようだ。
なにせ森がまるごとひとつ消えたのだ。無理もない。
そこまで話が大きくなっているというのに自分達が何も咎められないのは、
イザベルやザイリッツがうまく伏せてくれたのではないかと、ひそかに
フレアは思っている。
「まぁ、ちっと時間は食ったがな。ここまで来りゃ街道だって整備されている
はずだし、そうそうこれ以上トラブルなんか起きねぇだろ」
「明日はどうする?」
どうしても姿勢が良くなってしまう背を自覚しながら、座りなおす。
「そうだな…クーロンまではもう目と鼻の先だから発ってもいいが、一日くらい
ここでゆっくりしてってもバチは当たらないんじゃねぇか?」
なぁ?と彼は唐突に、じっと窓の外を眺めているマレフィセントに話を振った。
もう茶は飲み干してしまったらしい。無造作に空のグラスが床に転がっている。
少女は小首を傾げてディアンを見たが、すぐにまた窓のほうを向いた。
なぜだか妙に目が輝いて見える。
「何を見ているんだ?」
マレフィセントは空が好きなのか、宿屋につくとほとんどこうして窓を気にしている。
放置されていたグラスを取り上げてテーブルの上に置くと、フレアも少女の
隣に立って窓の外を見た。
平坦な街並み。強いて特徴を言うならば、派手なカジノの看板が
多く見られることぐらいだろうが、クーロン周辺の街ではこういった光景は
珍しいというレベルにはほど遠い。
しかし、そこかしこの通りはやたら騒がしかった。
地元人らしき男女が、屋台や店などをなにやら飾りつけている。宿を取ったときとは
全く違う景色と熱気に押され、フレアは軽い驚きに目を見開いた。
「なんだぁ?騒がしいな」
「祭り…か?――マレフィセント!」
同じようにつられて窓に身を乗り出すディアンには答えず、フレアは慌てて
ベッドの上に脱ぎ捨てられた変装用のマントを引っつかむと、
こっそり出て行こうとしている少女の後姿を追った。
・・・★・・・
「仮装…祭り?」
「『森』のことは知ってるよな?そのせいで中止するだのしないだの何やら
揉めてたようだけど、まぁ一年で一回しかない祭りだからな。結局やることが
決まって、大慌てで準備してんのさ」
飴細工屋のワゴンに造花を飾りつけていたその中年の男は、やたらうきうきと
そう答えてきた。
「ほー、仮装ねぇ」
間一髪、誰かに見られる前にマントをマレフィセント被せることに成功したフレアは、
追いついてきたディアンと共にしばらくバッカの街をうろついていた。
そこで適当にこれから何が始まるのかと聞いたら、そのような答えが返ってきたのだ。
「なんでも昔、人間を狙う化け物から身を守るために仮装して旅した男が
いるらしくてな。それにかこつけて、仮装して歩く祭りを毎年やってるってわけだ。
歩くっつってもクーロンまでだがね」
飴屋がそう説明している間にも、すぐ横を仮装したものたちが通り過ぎてゆく。
向こうのほうでは大道芸人が何やら商売道具のチェックをしていた。
耳をすませば、楽団が本番に備えて音を出しているのも聞こえる。
「歩き出すのは今夜だから、それまではお嬢ちゃんも遊んでいるといい」
飴屋のことばに、思わずディアンの顔を見る。
その表情は、どうやら自分と同じことを考えているように見えた。
キャスト:ディアン・マレフィセント・フレア
NPC:イムヌス教司祭
場所:バッカ→クーロン、ある教会→バッカ手前の市場
……………………………………………………………………………………………
………………
夜の街並みは、けばけばしくも昼間に匹敵する明るさだった。
そして、その人工的な照明さながらの鮮やかさで仮装行列で練り歩く人々。
フレアとマレとディアンは普通に紛れて歩いていたつもりだった。
しいて言えばマレフィセントを隠さずに歩いていたが、この乱痴気騒ぎの中
だ。
「すげー」とか「本物みたーい」とマレを珍しそうに眺める人がいるものの、
もっと奇抜な人々の仮装に、すぐ目移りしていく。
「マレとディアンはそのままでもいいみたいだ」
「おいフレア、何か今さり気にトンでもない事言ってないか?」
ディアンがさも不服そうに突っ込むが、マレフィセントがディアンの裾をつま
んでは尻尾をぴょこぴょこさせ「お揃いだね」と暗に言っている気がして眉根
を顰める。
……………………………………………………………………………………………
………………
「それが卿の使命だ」
告げられた使命に対する反弁論を25分間続けたが、最後のその言葉で全てが
無駄だったと知らされ、男は唇を閉じた。
ある教会の一角。
午後も下りに差し掛かる陽光は、オレンジ色を強く投げかけ、教会のステンド
グラスから内部に光りを届けている。
ステンドグラスの豪華さよりも劣る質素な室内には、天使の風貌をもった美し
い黒髪巻き毛の美女の像が瞼を閉じてこちらを伺っている。
守護天使シェザンヌの頬を照らす陽光に目を細めながら、男は衣服を払った。
「…我らは奇跡を作るものではない。奇跡は、与えられるものだ」
「そうもいってられまい。我らが神の時は無限、有限にして矮小なる儚き人の
身で神の気まぐれの恩寵を指を咥えて待つか?時代はすぐに我らの滅びを寿ぐ
だろうよ」
不穏な返答を返した相手は僧衣を着込んでいた。イムヌス教の司祭だ。
イムヌス教派閥では各地の司祭と僧侶の所属は“族長(パトリアルシュ)”派
と呼ばれる。
“族長”派とは主に修道会を中心とした人々が属する派閥だ。その派閥の使命
は「遺産」たる聖遺物の保管や厳守、教えの布教と残された教典の復元・解読
など多岐にわたる。
“族長”派の守護天使は天使シェザンヌだ。良くも悪くもイムヌス教の内外で
知られる天使の一人である。
「…気乗りがせんな」
「個人の意志など必要ない。
…それに、卿には選ぶ余地はなかろう。清教徒派らの根回しは存分に深い、
“聖ジョルジオの悪夢”の現場に居合わせながら悪魔降臨を阻止できなかった
卿を『力量不足』として騎士団長から更迭させようとする動きも強い」
僧衣の男、いやすでに老年に近い男性の言葉には悪意も皮肉もなかったが、対
する相手…正教徒派最高位の騎士リノツェロスはわずかに口元を歪めた。
「耳に痛いな」
「御主の力量不足とは思わぬ。事実、まさか悪魔団長ベルスモンド…悪魔とさ
れる我らが絶対の敵対者どもの中でも、その名は悪魔にさえ恐れられたという
ぐらいだからな。
むしろ教会一つと、そこに居た信徒程度の犠牲で済んだ事がまさに奇跡だ…君
も感謝したまえ、一時的に団長座を『休養』するぐらいで済んだことを」
老人は苦々しいとばかりに虚空を睨む。
言葉の中に出てきたのは、イムヌス教第五派閥にして暗殺集団“追跡者(ポー
トカリス)”達が血眼になって追いかけ続けている悪魔の名前である。
リノツェロスはふと知り合いの悪魔憑きの少女を思い出したが、忘れるように
頭を振った。
「君達“族長”派も風当たりがキツイということかね?」
「無論」
手を後に組んだ司祭は、自らの守護天使の像まで歩む。その足元で敬虔なその
面を俯かせた。
「イムヌス教は黒き悪魔を決して許さない。だが、我らの守護天使シェザンヌ
はかつて異郷の神の御使い『堕天使』であり、老師クラトルの尊い導きにより
白き神の御使いへと昇華された。
我が派閥の教えは“許し”であるが故に、決定的な致命を孕んでいる。悪魔が
存在しなければ、我らの神秘は成り立ち得ない と」
例年にない悪魔の発生率。“聖ジョルジオの悪夢”を発端に次々と各国から悪
魔降臨、悪魔発生の情報がそれこそ蛆虫が沸くように知らされている。
ここ近隣でも信徒集団が「悪魔の森」という群生悪魔によって半数以上が死亡
している。
かつてイムヌス教の発端となった黒き悪魔の再臨。聖戦の再来は近いとする声
も日に日に高まる。
なら、再び奇跡は降りてくる。神話は繰り返される、そのためには神話と同じ
現象が起きねばならない。
「君達“騎士団”の奇跡が悪魔殲滅ならば、我ら“族長”派の奇跡は悪魔救済
による神の許容性にある。すなわち“神は万能ゆえに救えない者はありはせ
ぬ”のだ。全てを受け入れ、弱きもの愚かなもの小さきもの醜きものあらゆる
者は我ら“族長”派の教えでは救われる存在でなければならない。どんな人間
でも救われる、なぜなら神は悪魔でさえ救済可能なのだから。
逆説的に言えば、全ての者は神に拠って救われるために悪であり、魔となるの
だ」
堕天使の面影などないシェザンヌの像は半身が影に覆われて沈んでいた。元々
宗教など、どこもかしこも矛盾だらけなのだ。それを埋められるのは論理でも
統合性でもない。
それは人の信仰心のみが、神の矛盾を埋められるのだ。
すでに時刻は夜へと映りつつあるのだろう。
暗く翳りゆく教会の中、だから、こそと老人は呟いた。
それが卿の使命だ、と。
「騎士リノツェロスよ、奇跡にあたう悪魔を見つけ出せ。
目指すは守護天使シェザンヌの再来である。…悪魔でありながら我らの奇跡と
なりうる者、“シェザンヌの奇跡”の素材を見出すのだ」
……………………………………………………………………………………………
………………
「馬を一頭、買いたいんだが」
大陸中央は訛りが少ない。大陸の中央はいくつもの都市が隣接しているので、
比較的豊かな人々が多い。
商人が品物を揃える手を止めて、声をかけてきた相手を一瞥で判断。
服装は旅人の通常スタイルを頭から足先まで揃えたものだったが、一度に全部
揃えたのだろうか、全部に汚れが見当たらず、また腰には金飾りをつけた帯剣
をしているところから売り手は即座に、相手は金を持っているだろうと判断し
て、これ以上ないほどの業務用笑顔をふりまいた。
「ヘイヘイ、よろしゅうございますとも…うちのは大人しいし忍耐は強いし、
まるで出来た妻のように賢い馬ばかりですぜ」
「なるほど、確かにそれは理想的な連れ添いの条件だな…ノクテュルヌにはな
い素質だ」
「どなたですってぃ?」
売り手は首を傾げたが、リノツェロスは穏やかに笑っただけだった。
「では、その理想的な馬を一頭……さて、仮装祭(パレード)に追いつければ
いいのだが」
NPC:イムヌス教司祭
場所:バッカ→クーロン、ある教会→バッカ手前の市場
……………………………………………………………………………………………
………………
夜の街並みは、けばけばしくも昼間に匹敵する明るさだった。
そして、その人工的な照明さながらの鮮やかさで仮装行列で練り歩く人々。
フレアとマレとディアンは普通に紛れて歩いていたつもりだった。
しいて言えばマレフィセントを隠さずに歩いていたが、この乱痴気騒ぎの中
だ。
「すげー」とか「本物みたーい」とマレを珍しそうに眺める人がいるものの、
もっと奇抜な人々の仮装に、すぐ目移りしていく。
「マレとディアンはそのままでもいいみたいだ」
「おいフレア、何か今さり気にトンでもない事言ってないか?」
ディアンがさも不服そうに突っ込むが、マレフィセントがディアンの裾をつま
んでは尻尾をぴょこぴょこさせ「お揃いだね」と暗に言っている気がして眉根
を顰める。
……………………………………………………………………………………………
………………
「それが卿の使命だ」
告げられた使命に対する反弁論を25分間続けたが、最後のその言葉で全てが
無駄だったと知らされ、男は唇を閉じた。
ある教会の一角。
午後も下りに差し掛かる陽光は、オレンジ色を強く投げかけ、教会のステンド
グラスから内部に光りを届けている。
ステンドグラスの豪華さよりも劣る質素な室内には、天使の風貌をもった美し
い黒髪巻き毛の美女の像が瞼を閉じてこちらを伺っている。
守護天使シェザンヌの頬を照らす陽光に目を細めながら、男は衣服を払った。
「…我らは奇跡を作るものではない。奇跡は、与えられるものだ」
「そうもいってられまい。我らが神の時は無限、有限にして矮小なる儚き人の
身で神の気まぐれの恩寵を指を咥えて待つか?時代はすぐに我らの滅びを寿ぐ
だろうよ」
不穏な返答を返した相手は僧衣を着込んでいた。イムヌス教の司祭だ。
イムヌス教派閥では各地の司祭と僧侶の所属は“族長(パトリアルシュ)”派
と呼ばれる。
“族長”派とは主に修道会を中心とした人々が属する派閥だ。その派閥の使命
は「遺産」たる聖遺物の保管や厳守、教えの布教と残された教典の復元・解読
など多岐にわたる。
“族長”派の守護天使は天使シェザンヌだ。良くも悪くもイムヌス教の内外で
知られる天使の一人である。
「…気乗りがせんな」
「個人の意志など必要ない。
…それに、卿には選ぶ余地はなかろう。清教徒派らの根回しは存分に深い、
“聖ジョルジオの悪夢”の現場に居合わせながら悪魔降臨を阻止できなかった
卿を『力量不足』として騎士団長から更迭させようとする動きも強い」
僧衣の男、いやすでに老年に近い男性の言葉には悪意も皮肉もなかったが、対
する相手…正教徒派最高位の騎士リノツェロスはわずかに口元を歪めた。
「耳に痛いな」
「御主の力量不足とは思わぬ。事実、まさか悪魔団長ベルスモンド…悪魔とさ
れる我らが絶対の敵対者どもの中でも、その名は悪魔にさえ恐れられたという
ぐらいだからな。
むしろ教会一つと、そこに居た信徒程度の犠牲で済んだ事がまさに奇跡だ…君
も感謝したまえ、一時的に団長座を『休養』するぐらいで済んだことを」
老人は苦々しいとばかりに虚空を睨む。
言葉の中に出てきたのは、イムヌス教第五派閥にして暗殺集団“追跡者(ポー
トカリス)”達が血眼になって追いかけ続けている悪魔の名前である。
リノツェロスはふと知り合いの悪魔憑きの少女を思い出したが、忘れるように
頭を振った。
「君達“族長”派も風当たりがキツイということかね?」
「無論」
手を後に組んだ司祭は、自らの守護天使の像まで歩む。その足元で敬虔なその
面を俯かせた。
「イムヌス教は黒き悪魔を決して許さない。だが、我らの守護天使シェザンヌ
はかつて異郷の神の御使い『堕天使』であり、老師クラトルの尊い導きにより
白き神の御使いへと昇華された。
我が派閥の教えは“許し”であるが故に、決定的な致命を孕んでいる。悪魔が
存在しなければ、我らの神秘は成り立ち得ない と」
例年にない悪魔の発生率。“聖ジョルジオの悪夢”を発端に次々と各国から悪
魔降臨、悪魔発生の情報がそれこそ蛆虫が沸くように知らされている。
ここ近隣でも信徒集団が「悪魔の森」という群生悪魔によって半数以上が死亡
している。
かつてイムヌス教の発端となった黒き悪魔の再臨。聖戦の再来は近いとする声
も日に日に高まる。
なら、再び奇跡は降りてくる。神話は繰り返される、そのためには神話と同じ
現象が起きねばならない。
「君達“騎士団”の奇跡が悪魔殲滅ならば、我ら“族長”派の奇跡は悪魔救済
による神の許容性にある。すなわち“神は万能ゆえに救えない者はありはせ
ぬ”のだ。全てを受け入れ、弱きもの愚かなもの小さきもの醜きものあらゆる
者は我ら“族長”派の教えでは救われる存在でなければならない。どんな人間
でも救われる、なぜなら神は悪魔でさえ救済可能なのだから。
逆説的に言えば、全ての者は神に拠って救われるために悪であり、魔となるの
だ」
堕天使の面影などないシェザンヌの像は半身が影に覆われて沈んでいた。元々
宗教など、どこもかしこも矛盾だらけなのだ。それを埋められるのは論理でも
統合性でもない。
それは人の信仰心のみが、神の矛盾を埋められるのだ。
すでに時刻は夜へと映りつつあるのだろう。
暗く翳りゆく教会の中、だから、こそと老人は呟いた。
それが卿の使命だ、と。
「騎士リノツェロスよ、奇跡にあたう悪魔を見つけ出せ。
目指すは守護天使シェザンヌの再来である。…悪魔でありながら我らの奇跡と
なりうる者、“シェザンヌの奇跡”の素材を見出すのだ」
……………………………………………………………………………………………
………………
「馬を一頭、買いたいんだが」
大陸中央は訛りが少ない。大陸の中央はいくつもの都市が隣接しているので、
比較的豊かな人々が多い。
商人が品物を揃える手を止めて、声をかけてきた相手を一瞥で判断。
服装は旅人の通常スタイルを頭から足先まで揃えたものだったが、一度に全部
揃えたのだろうか、全部に汚れが見当たらず、また腰には金飾りをつけた帯剣
をしているところから売り手は即座に、相手は金を持っているだろうと判断し
て、これ以上ないほどの業務用笑顔をふりまいた。
「ヘイヘイ、よろしゅうございますとも…うちのは大人しいし忍耐は強いし、
まるで出来た妻のように賢い馬ばかりですぜ」
「なるほど、確かにそれは理想的な連れ添いの条件だな…ノクテュルヌにはな
い素質だ」
「どなたですってぃ?」
売り手は首を傾げたが、リノツェロスは穏やかに笑っただけだった。
「では、その理想的な馬を一頭……さて、仮装祭(パレード)に追いつければ
いいのだが」
キャスト:ディアン・マレフィセント・フレア
場所:バッカ→クーロンまでの道のり
―――――――――――――――
マレフィセントの姿は案の定「よくできた仮装」と思われているようで、
はじめは警戒していたフレア(むしろ警戒しすぎて目立っていた)も、
ようやくパレードの雰囲気に身体を慣らしはじめていた。
フレア自身、マレフィセントに貸し出していたフードつきの外套を羽織り、
いつも束ねている髪をおろして『仮装』してみてはいるが、我ながら
地味すぎてこれならば何もしないほうがいいのではないかとさえ思えた。
行列に混じっている楽団が、楽しげな音楽を奏で続けている。
道化のような格好をして、仮面をかぶったバイオリン弾きが、
手を休めないまま軽快な足取りでディアンの横をすり抜けていった。
ディアンはうさんくさそうな目つきでそのバイオリン弾きを見送って、
ため息をついた――その手にはなぜか細い針のようなものを持っている。
それが何かを聞く前に、彼は横手の茂みに向かってそれを放ってしまう。
おそらく、ごみだったのだろう。と、フレアは思って質問を変えた。
「結構歩いたけれど…今はどのあたりなんだろう?」
「そうだな、クーロンまであと数刻…てとこかな。おいっ、コラ」
相変わらず彼のマントを引っ張るのをやめないマレフィセントに
叱咤しながら、ディアンはそう答えた。
くす、とフレアは微笑んで、その光景の端にいる自分を嬉しく思った。
・・・★・・・
夕暮れになって、雨が降り始めた。
雨は最初小雨だったものが、だんだん激しくその粒の大きさを増し、
雷鳴まで鳴り始めたために行列は足を速めざるを得なかった。
下ろした髪が水を吸って重い。マントが多少の雨しのぎになるが、
こちらもだいぶ濡れ、フレアの動きを制限させていた。
だが祭りの熱気は雨などまったくお構いなしといった風で、
行列に参加している者たちは激しい雷鳴のたびに笑顔で歓声をあげた。
見えた、と突然誰かが叫んだ。
一瞬、なんのことかわからずフレアが前を見ると、
人々の隙間からクーロンの灯が見えた。
クーロンに来るのは初めてではないが、雨の中にある欲望の都は、
その当時とはまた違う雰囲気があった。
思ったより早く到着した喜びと、これから始まるクーロンでの祭りに
胸躍らせた仮装者たちが、我先にとフレア達を追い越してゆく。
雨にわざと濡れ、仮面をかぶった子供達がわあわあと騒ぎ立てつつ
人ごみを貫いていった。
だが、前を歩くディアンの足取りが重い。
それどころか立ち止まろうとさえしている。
「ディアン?」
彼がちょっと振向いたようだ。額あての先から、雨の滴がばらりと毀れた。
歩調を合わせてフレアとマレフィセントも自然に歩みを遅めた。
ついに、彼が立ち止まる。
その間も行列は行軍を続け、とうとう3人は取り残された。
いや――
雷鳴が瞬き、真っ黒な影を落とす。雨の粒がスローモーションのように
ゆっくり流れ落ちていくような光景の中、一瞬だけ、
ほかの誰かがいるのがはっきり見てとれた。
光が消えて、闇に目を凝らす。
まるで墓標のように立っている者がいた。前後左右見渡してざっと5人。
皆それぞれ違う仮装をしているが、その誰もが仮面をしていた。
その中にはさきほどのバイオリン弾きもいる。さっき走っていった
子供の一人と思われる、小さな人影すらある。
「!」
驚いているのはフレアだけだった。マレフィセントはもとより、気づいて
足を止めたディアン、そして得体も素顔すらわからない者たち。彼らには
ほとんど感情の起伏は見られない。
「悪ぃ」
「え――」
いきなりディアンが謝った。声の調子とは裏腹に、柄に手をかけて、
氷のように冷たく静かな目で前方を見ている。だがきっと、彼のことだ。
前を見ておきながらほかの方向も「視て」いるに違いない。
「抜くなよ」
ひとつ先のセリフの意味もわかっていないのに、今度は釘を刺されて
フレアは完全に状況が読めなくなっていた。が、とりあえず指摘された通り
握っていた柄と鞘から手を離す。かち、と数センチ抜き出されていた白刃が
白磁の鞘に滑り込んだ。
マレフィセントの尾がさわさわと揺れている。喜んでいるはずがない、無論
警戒しているのだ。雨の中をさぐって、フレアの手を掴んできた。
思わず握り返す。
どうしても合点がいかない。一体どういう事なのだ?
「何者だ?ディアン、知っているのか?」
「知らんけど心当たりはある…ま、刺客ってとこだ。」
「刺客!?」
物騒な単語にまた剣に手が伸びるが、再度、彼の視線で制される。
その目には、懇願するような色さえ含まれていた。仕方なく、周囲にいる
不気味な人影を睨むことでフレアは感情を抑えた。
「どういう事だ…狙われているのか?誰から?」
「誰からも、さ」
自嘲気味に放たれたそのセリフが合図だった。
仮面の者達が、いっせいに身構えた――いつの間にか手にはそれぞれ
多種多様な武器を持っている。
ディアンのすぐ前でキン、と硬い音がした。仮面の者に何かを投げられ、
それを彼が剣で叩き落としたという理屈はすぐにわかった。
地面に落ちたのは、さきほど彼が捨てた小さな針。
泥の中で雨に濡れたそれから――夕闇の中ですらわかる、不気味な墨色が
流れ出す。
毒に間違いなかった。
おそらく、パレード中にも何度か放たれていたのではないだろうか。
フレアが気づいていないところで。
気配が一気に動いた。こちらではなく、あくまでもディアンを狙って。
「ディアン!」
しかし彼は誰よりも早く動き出していた。横手の茂みに、
雷鳴と共に消える。
仮面の者たちも迅速に、音をたてずにその後を追って消えた。
あとには豪雨の中立ち尽くすフレアと、ようやく尾を振るのをやめた
マレフィセントだけが取り残された。
雷鳴だけが、悲鳴のように轟いている。
場所:バッカ→クーロンまでの道のり
―――――――――――――――
マレフィセントの姿は案の定「よくできた仮装」と思われているようで、
はじめは警戒していたフレア(むしろ警戒しすぎて目立っていた)も、
ようやくパレードの雰囲気に身体を慣らしはじめていた。
フレア自身、マレフィセントに貸し出していたフードつきの外套を羽織り、
いつも束ねている髪をおろして『仮装』してみてはいるが、我ながら
地味すぎてこれならば何もしないほうがいいのではないかとさえ思えた。
行列に混じっている楽団が、楽しげな音楽を奏で続けている。
道化のような格好をして、仮面をかぶったバイオリン弾きが、
手を休めないまま軽快な足取りでディアンの横をすり抜けていった。
ディアンはうさんくさそうな目つきでそのバイオリン弾きを見送って、
ため息をついた――その手にはなぜか細い針のようなものを持っている。
それが何かを聞く前に、彼は横手の茂みに向かってそれを放ってしまう。
おそらく、ごみだったのだろう。と、フレアは思って質問を変えた。
「結構歩いたけれど…今はどのあたりなんだろう?」
「そうだな、クーロンまであと数刻…てとこかな。おいっ、コラ」
相変わらず彼のマントを引っ張るのをやめないマレフィセントに
叱咤しながら、ディアンはそう答えた。
くす、とフレアは微笑んで、その光景の端にいる自分を嬉しく思った。
・・・★・・・
夕暮れになって、雨が降り始めた。
雨は最初小雨だったものが、だんだん激しくその粒の大きさを増し、
雷鳴まで鳴り始めたために行列は足を速めざるを得なかった。
下ろした髪が水を吸って重い。マントが多少の雨しのぎになるが、
こちらもだいぶ濡れ、フレアの動きを制限させていた。
だが祭りの熱気は雨などまったくお構いなしといった風で、
行列に参加している者たちは激しい雷鳴のたびに笑顔で歓声をあげた。
見えた、と突然誰かが叫んだ。
一瞬、なんのことかわからずフレアが前を見ると、
人々の隙間からクーロンの灯が見えた。
クーロンに来るのは初めてではないが、雨の中にある欲望の都は、
その当時とはまた違う雰囲気があった。
思ったより早く到着した喜びと、これから始まるクーロンでの祭りに
胸躍らせた仮装者たちが、我先にとフレア達を追い越してゆく。
雨にわざと濡れ、仮面をかぶった子供達がわあわあと騒ぎ立てつつ
人ごみを貫いていった。
だが、前を歩くディアンの足取りが重い。
それどころか立ち止まろうとさえしている。
「ディアン?」
彼がちょっと振向いたようだ。額あての先から、雨の滴がばらりと毀れた。
歩調を合わせてフレアとマレフィセントも自然に歩みを遅めた。
ついに、彼が立ち止まる。
その間も行列は行軍を続け、とうとう3人は取り残された。
いや――
雷鳴が瞬き、真っ黒な影を落とす。雨の粒がスローモーションのように
ゆっくり流れ落ちていくような光景の中、一瞬だけ、
ほかの誰かがいるのがはっきり見てとれた。
光が消えて、闇に目を凝らす。
まるで墓標のように立っている者がいた。前後左右見渡してざっと5人。
皆それぞれ違う仮装をしているが、その誰もが仮面をしていた。
その中にはさきほどのバイオリン弾きもいる。さっき走っていった
子供の一人と思われる、小さな人影すらある。
「!」
驚いているのはフレアだけだった。マレフィセントはもとより、気づいて
足を止めたディアン、そして得体も素顔すらわからない者たち。彼らには
ほとんど感情の起伏は見られない。
「悪ぃ」
「え――」
いきなりディアンが謝った。声の調子とは裏腹に、柄に手をかけて、
氷のように冷たく静かな目で前方を見ている。だがきっと、彼のことだ。
前を見ておきながらほかの方向も「視て」いるに違いない。
「抜くなよ」
ひとつ先のセリフの意味もわかっていないのに、今度は釘を刺されて
フレアは完全に状況が読めなくなっていた。が、とりあえず指摘された通り
握っていた柄と鞘から手を離す。かち、と数センチ抜き出されていた白刃が
白磁の鞘に滑り込んだ。
マレフィセントの尾がさわさわと揺れている。喜んでいるはずがない、無論
警戒しているのだ。雨の中をさぐって、フレアの手を掴んできた。
思わず握り返す。
どうしても合点がいかない。一体どういう事なのだ?
「何者だ?ディアン、知っているのか?」
「知らんけど心当たりはある…ま、刺客ってとこだ。」
「刺客!?」
物騒な単語にまた剣に手が伸びるが、再度、彼の視線で制される。
その目には、懇願するような色さえ含まれていた。仕方なく、周囲にいる
不気味な人影を睨むことでフレアは感情を抑えた。
「どういう事だ…狙われているのか?誰から?」
「誰からも、さ」
自嘲気味に放たれたそのセリフが合図だった。
仮面の者達が、いっせいに身構えた――いつの間にか手にはそれぞれ
多種多様な武器を持っている。
ディアンのすぐ前でキン、と硬い音がした。仮面の者に何かを投げられ、
それを彼が剣で叩き落としたという理屈はすぐにわかった。
地面に落ちたのは、さきほど彼が捨てた小さな針。
泥の中で雨に濡れたそれから――夕闇の中ですらわかる、不気味な墨色が
流れ出す。
毒に間違いなかった。
おそらく、パレード中にも何度か放たれていたのではないだろうか。
フレアが気づいていないところで。
気配が一気に動いた。こちらではなく、あくまでもディアンを狙って。
「ディアン!」
しかし彼は誰よりも早く動き出していた。横手の茂みに、
雷鳴と共に消える。
仮面の者たちも迅速に、音をたてずにその後を追って消えた。
あとには豪雨の中立ち尽くすフレアと、ようやく尾を振るのをやめた
マレフィセントだけが取り残された。
雷鳴だけが、悲鳴のように轟いている。