PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ギア カタリナ ラズロ ランバート
場所:ギサガ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目を覚ますと、既に朝日は昇りきった後だった。
起き上がり、ヴァネッサはぼんやりと前方に視線を投げる。
記憶にあるうちでは、壁伝いにずるずると横倒しに倒れたはずである。
それなのに、朝目覚めてみるとどういうわけか、きちんとベッドに寝ていた。
無意識のうちにベッドの中に入ったのかなぁ、とヴァネッサは寝ぼけた頭で考えた。
…………。
(いけないっ)
寝起きの頭が、ようやく正常な回転を始める。
そうだ、いつまでも寝ぼけていられない。
今日は、ゆうべの酒盛りの片づけをしなくてはならないのだ。
片付けをしている人がいるというのに、グースカ寝ていたなどとあっては申し訳な
い。
慌てて寝巻きからいつもの服に着替え、ヴァネッサは台所に向かった。
空腹で手伝いに行って倒れたら、かえって片付けの邪魔になってしまう。
そうならないように、チーズの一かけらでもお腹に入れておこう、と思ったのであ
る。
「……あれ……?」
しかし、台所に行ってみてヴァネッサは拍子抜けした。
普段、家族は台所にあるテーブルで食事をする。
片付けに出払っているのなら誰もいないはずのテーブルに、アベルとカタリナ、さら
にランバートとギア、ラズロがついていた。
しかも食事をとっている。
「あ、起きたね。おはよう」
暖炉の鍋の中身をかき混ぜていたカタリナが笑う。
鍋の中身は、匂いから察するにシチューだろう。
「お、おはよ……ございます」
家族以外の人間もいることに気付いて、ヴァネッサは語尾に敬語を付け足した。
「お義母さん……片付けは?」
「ん? 昨日のうちに終わったよ。昨日は疲れただろ? もっと寝てても良かったん
だよ」
「……ごめんなさい」
思わずしょげるヴァネッサだった。
「気にすんなって。発作だったんだろ?」
むしゃむしゃとパンを頬張りながら、アベルが口をはさむ。
「え?」
その言葉に、ヴァネッサは一瞬、戸惑ったような顔をした。
よく見れば、カタリナとギアの表情も固まっているのだが……それには気付かなかっ
た。
「そんなに周りに気ぃ使うことねーじゃん。どーんと構えてりゃいいんだよ、どーん
と」
「う…うん」
ヴァネッサは、曖昧に返事をし、頷いた。
『発作』の話題になると、最近はあることが頭をよぎって仕方がなかった。
避けることのできない、嫌でも考えなくてはならない事態。
だけど、それだけは誰にも言いたくなかった。
『発作』のことを知った時の、グラントとカタリナのことを思い出す。
二人はひどく心配し、喉や肺に良いという薬草を煎じて飲ませてくれたり、つきっき
りで看病してくれたり、嫌な顔一つせずに世話をしてくれた。
そのことを思う時、ヴァネッサは感謝すると同時に、『すまない』という気持ちが沸
き上がった。
二人にとってはその分、負担だっただろうから。
それに、二人がヴァネッサのことにかかりきりになっている間、アベルは随分寂しい
思いもしただろうから。
父親が、『これが現れたら、お前はあと3年しか生きられない』と言っていた刻印。
記憶にある母親にも、胸の中央にそれらしいものがあった。
それが自分の胸の中央に現れた時、ヴァネッサは誰にも伝えなかった。
これ以上の負担を家族にかけたくなかったのだ。
ヴァネッサは一人、決めたのである。
――『その時』が来るまで、このことは黙っていよう、と。
どうせ、どうにもならないことなのだから。
……発作のことで話題が掘り下げられてはいけない。
ヴァネッサは、話題を変えなくちゃと思った。
「あ、そ……そうだ」
ヴァネッサは、ちらりとラズロに目をやった。
「宿のお客さん、どうして家の方でご飯食べてるの? やっぱり片付いてないん
じゃ……」
「ああ、それね」
カタリナが、一枚の皿を取り、シチューをよそう。
コトコトと煮込まれたことがわかるとろみ具合と、優しい匂い、ほかほかと立つ湯気
がなんとも食欲をそそる。
「人数少ないし、昔からの知り合いだから、こっちで一緒に食ったほうがいいと思っ
てね」
ランバートは以前、宿に長期滞在していたことがあるし、ギアはカタリナの幼なじみ
だ。
今更気がねする必要もないからと、そういうことになったらしい。
しかし、ギアの弟子であるラズロは、どこか居心地悪そうにしていた。
カタリナからシチューの盛られた皿を受け取ると、ヴァネッサは空いた場所に腰を降
ろした。
そこはアベルとラズロのちょうど中間ほどの場所だった。
「ヴァネッサちゃん」
「はい?」
とりとめもない会話に参加したりしながらあらかた食べ終えたところで、ギアが話し
かけてきた。
「これから、時間あるか?」
「え……」
それはどういう意味なんだろうか、とヴァネッサは思わず勘ぐってしまった。
一応、多感な年頃である。
これがよぼよぼのおじいさんだったりしたなら、別に何とも思わなかったところだ
が、ギアはまだそれほどの年齢ではない。
まさかそんなことあるわけないでしょ、と冷静になろうとすればするほど、どうして
か顔が赤くなってくる。
「先生……」
ラズロはギアに軽蔑したような目を向け、
「ギア……アンタ、昨日あたしに言われたこと、忘れたんじゃないだろうね?」
カタリナは拳を握り、
「なんだ?」
アベルはきょとんとした顔をしていた。
彼はまだ、そういうところに思考が働かないらしい。
「い、いや、違う、違うって」
ギアは、特にカタリナの拳を恐れながら両手を前に出して「落ちつけ」と訴えた。
「……誤解を招くような物言いをするからじゃぞ。はっきり言わんか」
ランバートは険しい顔をして茶をすすっている。
ゴホン、とギアは気まずそうに咳払いをした。
その頬は、心なしか赤らんでいる。
「い、いや、あのな。その……アベルに昨日話したことを話そうと思って」
「あ、そう、そうですか」
妙な勘違いをしたことに気付き、
(私……自意識過剰なのかな……)
と、ヴァネッサはちょっとした自己嫌悪に襲われた。
「今から大丈夫か?」
「はい」
ヴァネッサが頷くと、
「んじゃ、ちと借りてくぞ」
ギアはカタリナに一言伝え、椅子から立ち上がって玄関に向かって歩き出した。
察するに、ついて来い、ということらしい。
ヴァネッサは、「ごちそうさまでした」と言うと、その後を追った。
家を出たギアが足を止めたのは、宿の裏庭にあたる場所である。
茂みに囲まれた場所で、傍らには薪や樽が積み上げられている。
日常的に人の気配のない場所だった。
「あのな、ヴァネッサちゃん」
そんな場所で、ギアはヴァネッサと向き合い、口を開く。
「はい」
「アベルにはもう話したことなんだが」
ガリガリ、とこめかみの辺りをかき、ギアは続ける。
「ギルドアカデミーに興味ないか?」
「ギルドアカデミー……ですか」
一応、名前ぐらいは知っている。
元は王立の学術機関だった王立アカデミーに、ギルドが協力して技術や知識などを伝
達していくうちにギルドアカデミーと呼ばれるようになった機関のことである。
その役割を一言で言えば、『エドランス国の人材育成』だろう。
「どうして、その話を私に……?」
だいたいの答えは予想がつくというのに、ヴァネッサの口はそんな言葉を紡いでい
た。
「率直に言うと、スカウトだな」
……予想は当たっていた。
ヴァネッサは、表情を曇らせて片肘を押さえた。
「折角ですけど、私、そこに入れるぐらいの才能、ないと思います」
「そんな事ない。生まれついて治癒の魔法が使えたんだろ?」
「でも、それって本当に弱いものなんです。お義父さんやランバート先生に教わった
けど、いまだに重症の傷は治せません」
「ちゃんと専門的な勉強をしたら、できるようになるさ」
ヴァネッサは、ギアの顔を見れなかった。
お願い。
お願いだから、これ以上かまわないでください。
ここで引き下がってください。
「グラントも…あいつも、多分それを望んで」
「あ…あのっ!」
遮るように、ヴァネッサは声を上げていた。
ギアは、真摯な目でじっと見つめ返す。
「家族には、絶対……絶対、言わないでください。私、あと……3年しか、生きられ
ないんです」
言った。
とうとう、言ってしまった。
誰にも言わないでいた……家族にすら黙っていたことを。
「だから、もう何をやったって意味ないんです。どうせ、あと3年だけなんだか
ら……」
内心にずっと溜め込み続けていたものを吐き出した後、ヴァネッサは一気に力が抜け
ていくような気がした。
「……それで、か」
「え?」
ギアの呟きを聞きとがめ、思わず顔を上げたその時――近くの茂みが、ガサッ、と大
きな音を立てた。
いきなりのことに驚いて身をすくめ、それから、おずおずとそちらの方向に目を向け
る。
「あ……アベル君」
ヴァネッサの視線の先。
茂みの向こうに、アベルがと驚いた表情で立ち尽くしていた。
NPC:ギア カタリナ ラズロ ランバート
場所:ギサガ村
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目を覚ますと、既に朝日は昇りきった後だった。
起き上がり、ヴァネッサはぼんやりと前方に視線を投げる。
記憶にあるうちでは、壁伝いにずるずると横倒しに倒れたはずである。
それなのに、朝目覚めてみるとどういうわけか、きちんとベッドに寝ていた。
無意識のうちにベッドの中に入ったのかなぁ、とヴァネッサは寝ぼけた頭で考えた。
…………。
(いけないっ)
寝起きの頭が、ようやく正常な回転を始める。
そうだ、いつまでも寝ぼけていられない。
今日は、ゆうべの酒盛りの片づけをしなくてはならないのだ。
片付けをしている人がいるというのに、グースカ寝ていたなどとあっては申し訳な
い。
慌てて寝巻きからいつもの服に着替え、ヴァネッサは台所に向かった。
空腹で手伝いに行って倒れたら、かえって片付けの邪魔になってしまう。
そうならないように、チーズの一かけらでもお腹に入れておこう、と思ったのであ
る。
「……あれ……?」
しかし、台所に行ってみてヴァネッサは拍子抜けした。
普段、家族は台所にあるテーブルで食事をする。
片付けに出払っているのなら誰もいないはずのテーブルに、アベルとカタリナ、さら
にランバートとギア、ラズロがついていた。
しかも食事をとっている。
「あ、起きたね。おはよう」
暖炉の鍋の中身をかき混ぜていたカタリナが笑う。
鍋の中身は、匂いから察するにシチューだろう。
「お、おはよ……ございます」
家族以外の人間もいることに気付いて、ヴァネッサは語尾に敬語を付け足した。
「お義母さん……片付けは?」
「ん? 昨日のうちに終わったよ。昨日は疲れただろ? もっと寝てても良かったん
だよ」
「……ごめんなさい」
思わずしょげるヴァネッサだった。
「気にすんなって。発作だったんだろ?」
むしゃむしゃとパンを頬張りながら、アベルが口をはさむ。
「え?」
その言葉に、ヴァネッサは一瞬、戸惑ったような顔をした。
よく見れば、カタリナとギアの表情も固まっているのだが……それには気付かなかっ
た。
「そんなに周りに気ぃ使うことねーじゃん。どーんと構えてりゃいいんだよ、どーん
と」
「う…うん」
ヴァネッサは、曖昧に返事をし、頷いた。
『発作』の話題になると、最近はあることが頭をよぎって仕方がなかった。
避けることのできない、嫌でも考えなくてはならない事態。
だけど、それだけは誰にも言いたくなかった。
『発作』のことを知った時の、グラントとカタリナのことを思い出す。
二人はひどく心配し、喉や肺に良いという薬草を煎じて飲ませてくれたり、つきっき
りで看病してくれたり、嫌な顔一つせずに世話をしてくれた。
そのことを思う時、ヴァネッサは感謝すると同時に、『すまない』という気持ちが沸
き上がった。
二人にとってはその分、負担だっただろうから。
それに、二人がヴァネッサのことにかかりきりになっている間、アベルは随分寂しい
思いもしただろうから。
父親が、『これが現れたら、お前はあと3年しか生きられない』と言っていた刻印。
記憶にある母親にも、胸の中央にそれらしいものがあった。
それが自分の胸の中央に現れた時、ヴァネッサは誰にも伝えなかった。
これ以上の負担を家族にかけたくなかったのだ。
ヴァネッサは一人、決めたのである。
――『その時』が来るまで、このことは黙っていよう、と。
どうせ、どうにもならないことなのだから。
……発作のことで話題が掘り下げられてはいけない。
ヴァネッサは、話題を変えなくちゃと思った。
「あ、そ……そうだ」
ヴァネッサは、ちらりとラズロに目をやった。
「宿のお客さん、どうして家の方でご飯食べてるの? やっぱり片付いてないん
じゃ……」
「ああ、それね」
カタリナが、一枚の皿を取り、シチューをよそう。
コトコトと煮込まれたことがわかるとろみ具合と、優しい匂い、ほかほかと立つ湯気
がなんとも食欲をそそる。
「人数少ないし、昔からの知り合いだから、こっちで一緒に食ったほうがいいと思っ
てね」
ランバートは以前、宿に長期滞在していたことがあるし、ギアはカタリナの幼なじみ
だ。
今更気がねする必要もないからと、そういうことになったらしい。
しかし、ギアの弟子であるラズロは、どこか居心地悪そうにしていた。
カタリナからシチューの盛られた皿を受け取ると、ヴァネッサは空いた場所に腰を降
ろした。
そこはアベルとラズロのちょうど中間ほどの場所だった。
「ヴァネッサちゃん」
「はい?」
とりとめもない会話に参加したりしながらあらかた食べ終えたところで、ギアが話し
かけてきた。
「これから、時間あるか?」
「え……」
それはどういう意味なんだろうか、とヴァネッサは思わず勘ぐってしまった。
一応、多感な年頃である。
これがよぼよぼのおじいさんだったりしたなら、別に何とも思わなかったところだ
が、ギアはまだそれほどの年齢ではない。
まさかそんなことあるわけないでしょ、と冷静になろうとすればするほど、どうして
か顔が赤くなってくる。
「先生……」
ラズロはギアに軽蔑したような目を向け、
「ギア……アンタ、昨日あたしに言われたこと、忘れたんじゃないだろうね?」
カタリナは拳を握り、
「なんだ?」
アベルはきょとんとした顔をしていた。
彼はまだ、そういうところに思考が働かないらしい。
「い、いや、違う、違うって」
ギアは、特にカタリナの拳を恐れながら両手を前に出して「落ちつけ」と訴えた。
「……誤解を招くような物言いをするからじゃぞ。はっきり言わんか」
ランバートは険しい顔をして茶をすすっている。
ゴホン、とギアは気まずそうに咳払いをした。
その頬は、心なしか赤らんでいる。
「い、いや、あのな。その……アベルに昨日話したことを話そうと思って」
「あ、そう、そうですか」
妙な勘違いをしたことに気付き、
(私……自意識過剰なのかな……)
と、ヴァネッサはちょっとした自己嫌悪に襲われた。
「今から大丈夫か?」
「はい」
ヴァネッサが頷くと、
「んじゃ、ちと借りてくぞ」
ギアはカタリナに一言伝え、椅子から立ち上がって玄関に向かって歩き出した。
察するに、ついて来い、ということらしい。
ヴァネッサは、「ごちそうさまでした」と言うと、その後を追った。
家を出たギアが足を止めたのは、宿の裏庭にあたる場所である。
茂みに囲まれた場所で、傍らには薪や樽が積み上げられている。
日常的に人の気配のない場所だった。
「あのな、ヴァネッサちゃん」
そんな場所で、ギアはヴァネッサと向き合い、口を開く。
「はい」
「アベルにはもう話したことなんだが」
ガリガリ、とこめかみの辺りをかき、ギアは続ける。
「ギルドアカデミーに興味ないか?」
「ギルドアカデミー……ですか」
一応、名前ぐらいは知っている。
元は王立の学術機関だった王立アカデミーに、ギルドが協力して技術や知識などを伝
達していくうちにギルドアカデミーと呼ばれるようになった機関のことである。
その役割を一言で言えば、『エドランス国の人材育成』だろう。
「どうして、その話を私に……?」
だいたいの答えは予想がつくというのに、ヴァネッサの口はそんな言葉を紡いでい
た。
「率直に言うと、スカウトだな」
……予想は当たっていた。
ヴァネッサは、表情を曇らせて片肘を押さえた。
「折角ですけど、私、そこに入れるぐらいの才能、ないと思います」
「そんな事ない。生まれついて治癒の魔法が使えたんだろ?」
「でも、それって本当に弱いものなんです。お義父さんやランバート先生に教わった
けど、いまだに重症の傷は治せません」
「ちゃんと専門的な勉強をしたら、できるようになるさ」
ヴァネッサは、ギアの顔を見れなかった。
お願い。
お願いだから、これ以上かまわないでください。
ここで引き下がってください。
「グラントも…あいつも、多分それを望んで」
「あ…あのっ!」
遮るように、ヴァネッサは声を上げていた。
ギアは、真摯な目でじっと見つめ返す。
「家族には、絶対……絶対、言わないでください。私、あと……3年しか、生きられ
ないんです」
言った。
とうとう、言ってしまった。
誰にも言わないでいた……家族にすら黙っていたことを。
「だから、もう何をやったって意味ないんです。どうせ、あと3年だけなんだか
ら……」
内心にずっと溜め込み続けていたものを吐き出した後、ヴァネッサは一気に力が抜け
ていくような気がした。
「……それで、か」
「え?」
ギアの呟きを聞きとがめ、思わず顔を上げたその時――近くの茂みが、ガサッ、と大
きな音を立てた。
いきなりのことに驚いて身をすくめ、それから、おずおずとそちらの方向に目を向け
る。
「あ……アベル君」
ヴァネッサの視線の先。
茂みの向こうに、アベルがと驚いた表情で立ち尽くしていた。
PR
PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ギア
場所:ギサガ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ヴァネッサ、今……。」
アベルは自分の思考がほとんど止まりかけているのを自覚しながら、
それでも何か言わなくてはと、絞り出すようにうめいた。
ここにきたのに深い意味は無かった。
実に単純に、どうせアカデミーの話になるのなら、一緒にきこう、と
それだけのことだった。
きてみたところなにやら深刻そうな話をしてるみたいだったので、藪
からでるに出れなくなってしまったのも、なんとなくていどの事だった。
そんな中、出るタイミングをうかがっていたアベルが聞いてしまった
のは、ヴァネッサの命が長くないという事実だった。
辺境の小さな村で生きてきたアベルにとって、家族は小さな世界のほ
とんどといっていいほどの存在。
それも、冒険にでた父なら有る程度覚悟の範疇といえるが、よりにも
よって、最も近くの存在である姉が欠けるなど、想像の中ですら考えた
ことのないことだった。
「そ、その話……本当なのか?」
喉の奥が乾いて張り付いたかのような……なぜか体が声を出すのを拒
絶してるかのような感覚を感じながら、アベルはようやくで声を絞り出
す。
「アベル君……。」
ヴァネッサも隠し通せるとは思ってなかったが、打ち明けるのはもっ
とさしせまってから、と考えていたため、まだ心の準備ができていず、
動揺を隠せなかった。
それでも仮にも姉であるヴァネッサは、つとめて冷静に返事をした。
「ええ、ほんとうよ。私のお母さん……生んでくれたお母さんもそうだ
ったし、おばあちゃんもそうだったの。」
「なんでだよ!」
「私達の血筋は強力な呪詛に縛られてる。それから逃れる術はないのよ。」
ヴァネッサは全てを受け入れたかのように静かに話した。
その様子に口を挟もうとしたギアも躊躇してしまったほどだった。
だが、アベルはむしろ何かいわなければならないことがあるような気
がして、さっきまでとは逆に考えるより先に口を開いていた。
「ヴァネッサが自分で確かめたわけじゃないだろ! アカデミーにいけ
ば情報も集められるかもしれないし、修行次第で、自分の力でのろいを
解けるかもしれないじゃないか。」
「ダメよ。私達の運命は決められているの。」
「だから、何もする前から決め付けるなよ!」
アベルは言い知れない怒りにも似た思いを感じていた。
その思いが先ほどからアベルの口を動かしていたのだ。
自分の運命を真の親からきいたのなら、ヴァネッサがこの村に来たと
きにはすでに覚悟が決まっていたのかもしれない。
アベルが覚えている最初から、ヴァネッサは「良い子」だった。
優しく気のつく少女は村の大人達にも可愛がられ、アベルにとっても
自慢になる姉であった。
とはいえ、人のためにという思いが強すぎ、先の洞窟のときのように、
飛び出していってしまうところがあり、アベルでさえも心配させられる
こともあった。
それも持ち前の優しさが過ぎているのだろうと思っていたのだが、も
しそれが、自分をあきらめているがゆえ、外に向ける思いが先走るのだ
としたら……。
「アベル君……私は大丈夫だから……。」
思いが言葉にならずに焦れるアベルを気遣うように、ヴァネッサはゆ
っくり近寄り、軽く頬に触れようと手を伸ばす。
「違う!」
その手をつかみ、叫ぶようにアベルは言った。
「違う、違う!」
「アベル君……。」
「ヴァネッサはわかってない!」
限られた寿命、それもまだ幼い内から知ってしまったとしたら……。
頑丈すぎる体を持っているアベルは死をほんとの意味で感じたことは
無い。
強いて言えばあの洞窟のときだが、それにしても戦士としての昂ぶり
や村を護る使命感が先に立ち、死を考えたとは言いがたい。
そんなアベルはヴァネッサの気持ちを完全に理解した言葉を言えるわ
けは無かったが、それでもいわなければならない言葉があった。
「ヴァネッサ! 俺が……俺達がヴァネッサに生きていて欲しいんだ!」
悩んで焦れて、結局でてきたのは唯一つの本音の言葉。
「アベル君……。」
人生経験があるがゆえに、少女の苦しみを想像できてしまい、口を挟め
ずにいたギアの目元が緩む。
アベルの心が伝わったかどうかはわからないが、それでいいと思えた。
(嬢ちゃんも気がついてるはずだ。精霊が力を貸したのは、嬢ちゃんが皆
に愛されてるからなんだぜ)
それは当事者で無いからこその傲慢かもしれない。
しかし、そうだと知っても望まれる、それこそが百の言葉に勝る真実。
ギアもまた、少女の未来に光を望む一人であるのだった。
NPC:ギア
場所:ギサガ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ヴァネッサ、今……。」
アベルは自分の思考がほとんど止まりかけているのを自覚しながら、
それでも何か言わなくてはと、絞り出すようにうめいた。
ここにきたのに深い意味は無かった。
実に単純に、どうせアカデミーの話になるのなら、一緒にきこう、と
それだけのことだった。
きてみたところなにやら深刻そうな話をしてるみたいだったので、藪
からでるに出れなくなってしまったのも、なんとなくていどの事だった。
そんな中、出るタイミングをうかがっていたアベルが聞いてしまった
のは、ヴァネッサの命が長くないという事実だった。
辺境の小さな村で生きてきたアベルにとって、家族は小さな世界のほ
とんどといっていいほどの存在。
それも、冒険にでた父なら有る程度覚悟の範疇といえるが、よりにも
よって、最も近くの存在である姉が欠けるなど、想像の中ですら考えた
ことのないことだった。
「そ、その話……本当なのか?」
喉の奥が乾いて張り付いたかのような……なぜか体が声を出すのを拒
絶してるかのような感覚を感じながら、アベルはようやくで声を絞り出
す。
「アベル君……。」
ヴァネッサも隠し通せるとは思ってなかったが、打ち明けるのはもっ
とさしせまってから、と考えていたため、まだ心の準備ができていず、
動揺を隠せなかった。
それでも仮にも姉であるヴァネッサは、つとめて冷静に返事をした。
「ええ、ほんとうよ。私のお母さん……生んでくれたお母さんもそうだ
ったし、おばあちゃんもそうだったの。」
「なんでだよ!」
「私達の血筋は強力な呪詛に縛られてる。それから逃れる術はないのよ。」
ヴァネッサは全てを受け入れたかのように静かに話した。
その様子に口を挟もうとしたギアも躊躇してしまったほどだった。
だが、アベルはむしろ何かいわなければならないことがあるような気
がして、さっきまでとは逆に考えるより先に口を開いていた。
「ヴァネッサが自分で確かめたわけじゃないだろ! アカデミーにいけ
ば情報も集められるかもしれないし、修行次第で、自分の力でのろいを
解けるかもしれないじゃないか。」
「ダメよ。私達の運命は決められているの。」
「だから、何もする前から決め付けるなよ!」
アベルは言い知れない怒りにも似た思いを感じていた。
その思いが先ほどからアベルの口を動かしていたのだ。
自分の運命を真の親からきいたのなら、ヴァネッサがこの村に来たと
きにはすでに覚悟が決まっていたのかもしれない。
アベルが覚えている最初から、ヴァネッサは「良い子」だった。
優しく気のつく少女は村の大人達にも可愛がられ、アベルにとっても
自慢になる姉であった。
とはいえ、人のためにという思いが強すぎ、先の洞窟のときのように、
飛び出していってしまうところがあり、アベルでさえも心配させられる
こともあった。
それも持ち前の優しさが過ぎているのだろうと思っていたのだが、も
しそれが、自分をあきらめているがゆえ、外に向ける思いが先走るのだ
としたら……。
「アベル君……私は大丈夫だから……。」
思いが言葉にならずに焦れるアベルを気遣うように、ヴァネッサはゆ
っくり近寄り、軽く頬に触れようと手を伸ばす。
「違う!」
その手をつかみ、叫ぶようにアベルは言った。
「違う、違う!」
「アベル君……。」
「ヴァネッサはわかってない!」
限られた寿命、それもまだ幼い内から知ってしまったとしたら……。
頑丈すぎる体を持っているアベルは死をほんとの意味で感じたことは
無い。
強いて言えばあの洞窟のときだが、それにしても戦士としての昂ぶり
や村を護る使命感が先に立ち、死を考えたとは言いがたい。
そんなアベルはヴァネッサの気持ちを完全に理解した言葉を言えるわ
けは無かったが、それでもいわなければならない言葉があった。
「ヴァネッサ! 俺が……俺達がヴァネッサに生きていて欲しいんだ!」
悩んで焦れて、結局でてきたのは唯一つの本音の言葉。
「アベル君……。」
人生経験があるがゆえに、少女の苦しみを想像できてしまい、口を挟め
ずにいたギアの目元が緩む。
アベルの心が伝わったかどうかはわからないが、それでいいと思えた。
(嬢ちゃんも気がついてるはずだ。精霊が力を貸したのは、嬢ちゃんが皆
に愛されてるからなんだぜ)
それは当事者で無いからこその傲慢かもしれない。
しかし、そうだと知っても望まれる、それこそが百の言葉に勝る真実。
ギアもまた、少女の未来に光を望む一人であるのだった。
PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ギア
場所:ギサガ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――ヴァネッサちゃんは、大きくなったら何になりたい?
あれは、9歳になった年の、春先のことだった。
宿の裏庭に咲いていた花を摘んで花輪を作ったヴァネッサは、それをカタリナにあげ
ようと思って宿の方に戻った。
本当はアベルにあげたかったのだが、7歳になったアベルは花輪で飾られるのを嫌が
るようになったので、カタリナにあげることにしたのだ。
宿に入ると、カタリナとお茶を飲んでいた近所のおばさんが、手招きしてヴァネッサ
を呼び、先ほどの質問を投げかけてきたのである。
後でわかったのだが、おばさんの一人息子はその頃、「俺は街に出る。農家の後継ぎ
なんか御免だ」と言ってきかなかったそうで、結構モメていたらしい。
そのグチを言っていたところへ、ひょっこりヴァネッサが現れたものだから、彼女は
何気なく尋ねたのだろう。
自分の一人息子がなくして久しい、『子供特有の可愛げ』を求めて。
尋ねられたヴァネッサは、困惑した。
(大きくなったら?)
自分に課せられた宿命というものをいやでも自覚していたヴァネッサにとって、その
質問は残酷だった。
ちらりと考えたことすら、なかったのだ。
成長した自分の姿、というものを。
普通の女の子なら、お嫁さんとか何とか答えるところだろう。
そして、おばさんもおそらくそんな答えを求めていた。
ヴァネッサは言いたかった。
(私、大人になったら死んじゃうんだよ)
そう、言いたかった。
もし事情を知っていれば、おばさんだって無神経な質問をしなかっただろうから。
でも、ヴァネッサの頭に浮かんだのは、それを告げた後のことだった。
今だって、グラントやカタリナに心配をかけている。
二人は「ヴァネッサは家族なんだから、当たり前のことをしてるだけなんだよ」と
言ってくれるが……幼心に申し訳ない気持ちは募った。
(これ以上、誰かに心配をかけちゃいけない)
後々の性格や行動に影響を及ぼす、そんな考えが芽生えたのは、ごく初期の段階だっ
た。
結局のところ、ヴァネッサは、少し困ったように微笑みを浮かべ「わからない」と答
えた。
おばさんは、少しだけがっかりしたような表情を浮かべたが、「まだ9歳だもんね」
とすぐにあったかく笑った。
ヴァネッサは、手に持っていた花輪を、強く握り締めていた。
「ヴァネッサ! 俺が……俺達がヴァネッサに生きていて欲しいんだ!」
「アベル君……」
ふわ、と優しい風が吹いた。
それはヴァネッサの亜麻色の髪をなで、アベルの黒い髪をなでて過ぎ去っていった。
紫色の目が、まっすぐにヴァネッサを見つめている。
アベルは、いつも、まっすぐに人を見る少年だ。
世間にいわく、『心の中にやましいことがあると、人の顔をまっすぐに見られないも
のだ』とあるから、アベルは何らやましいことのない少年なのだろう。
そのまっすぐさが、うらやましいと思ったことがある。
「アベル君……手、痛い」
大して痛くもなかったのだが、ヴァネッサはかすれた声で呟いた。
「あ、悪い……」
アベルの手が離れ――そこから、なんともぎくしゃくした空気が流れる。
ヴァネッサはお腹の前で両指を組み、うつむいたままで。
アベルは、そんなヴァネッサにかける言葉を必死に探しているのか、うろうろしたり
頭をかいたりしていた。
「あのな。ヴァネッサちゃん」
それまで黙っていたギアが、不意に声をあげた。
ヴァネッサとアベルの二人は、ギアへと顔を向ける。
「俺、昔聞いた事あるんだ。ネッサ、っていうのは何処かの言葉で『奇跡』を意味す
るんだとさ。あー……その、俺は女房も子供もいないから、説得力に欠けるんだ
が……もし……酷いこと言っちまうとな、どうせ死んでしまうんだなんて思っていた
ら、奇跡なんて言葉が入った名前、たぶんつけたりしないさ。ええと……だからな」
ギアは、ぼす、と大きな手をヴァネッサの頭にのせた。
「ヴァネッサちゃんのご両親は、娘が生きることを望んでそう名付けたはずだ。それ
に、たった今、『生きていて欲しい』ってアベルが言っただろ? 『俺が』じゃなく
て『俺達が』ってな」
ギアは、ちらりとアベルを見る。
アベルは、肯定の意味を含めて力強く頷いた。
「幸せモンだぜ、ヴァネッサちゃん。生きていて欲しいって望んでる奴らがいるん
だ。簡単に諦めるもんじゃねぇぜ」
――最愛たる娘に、奇跡あれ。
忌まわしい血の呪いを継いだ我が娘。
生まれ落ちたその瞬間から背負わされた宿命への、せめてもの抗いとして、両親は娘
の名前の中に『奇跡』を指す言葉を織り込んだのかもしれない。
切なる両親の想いをこめて。
「奇跡ってのはな、待ってて起きるもんじゃねぇんだ。ない知恵絞って、ちっぽけな
勇気奮い立たせて、だだこねて泣き喚いて……でも、逃げないで……奇跡ってのは
な、神様の特権じゃねぇ。人の手で起こすもんなんだよ」
ぐい、とギアはアベルとヴァネッサをそれぞれ片腕に抱いて引き寄せる。
いきなりのことで驚きはしたが、不快ではなかった。
「俺と一緒に来い。全員まとめて面倒みてやる」
ヴァネッサは、両手で顔を覆った。
――自分は、逃げていただけなのかもしれない。
思えば、どうにかしようなどと一度も考えたことはなかった。
いつもいつも、どうしようもないことだから、という一言で片付けて済ませていた。
最後の瞬間を考えるのは、怖かったくせに。
「……ギアさん、私……アカデミー、行きます」
しばらく間をおいてから、ヴァネッサの唇から紡がれたのは、生きることに少しだけ
前向きになった言葉だった。
「ヴァネッサ!」
その言葉を聞いたアベルが、ぱっと明るい表情を浮かべる。
「うん……」
何かを言おうとして……でも、言葉が浮かばなくて、ヴァネッサはアベルに微笑みを
返した。
――すべては、生きるために。
NPC:ギア
場所:ギサガ村
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――ヴァネッサちゃんは、大きくなったら何になりたい?
あれは、9歳になった年の、春先のことだった。
宿の裏庭に咲いていた花を摘んで花輪を作ったヴァネッサは、それをカタリナにあげ
ようと思って宿の方に戻った。
本当はアベルにあげたかったのだが、7歳になったアベルは花輪で飾られるのを嫌が
るようになったので、カタリナにあげることにしたのだ。
宿に入ると、カタリナとお茶を飲んでいた近所のおばさんが、手招きしてヴァネッサ
を呼び、先ほどの質問を投げかけてきたのである。
後でわかったのだが、おばさんの一人息子はその頃、「俺は街に出る。農家の後継ぎ
なんか御免だ」と言ってきかなかったそうで、結構モメていたらしい。
そのグチを言っていたところへ、ひょっこりヴァネッサが現れたものだから、彼女は
何気なく尋ねたのだろう。
自分の一人息子がなくして久しい、『子供特有の可愛げ』を求めて。
尋ねられたヴァネッサは、困惑した。
(大きくなったら?)
自分に課せられた宿命というものをいやでも自覚していたヴァネッサにとって、その
質問は残酷だった。
ちらりと考えたことすら、なかったのだ。
成長した自分の姿、というものを。
普通の女の子なら、お嫁さんとか何とか答えるところだろう。
そして、おばさんもおそらくそんな答えを求めていた。
ヴァネッサは言いたかった。
(私、大人になったら死んじゃうんだよ)
そう、言いたかった。
もし事情を知っていれば、おばさんだって無神経な質問をしなかっただろうから。
でも、ヴァネッサの頭に浮かんだのは、それを告げた後のことだった。
今だって、グラントやカタリナに心配をかけている。
二人は「ヴァネッサは家族なんだから、当たり前のことをしてるだけなんだよ」と
言ってくれるが……幼心に申し訳ない気持ちは募った。
(これ以上、誰かに心配をかけちゃいけない)
後々の性格や行動に影響を及ぼす、そんな考えが芽生えたのは、ごく初期の段階だっ
た。
結局のところ、ヴァネッサは、少し困ったように微笑みを浮かべ「わからない」と答
えた。
おばさんは、少しだけがっかりしたような表情を浮かべたが、「まだ9歳だもんね」
とすぐにあったかく笑った。
ヴァネッサは、手に持っていた花輪を、強く握り締めていた。
「ヴァネッサ! 俺が……俺達がヴァネッサに生きていて欲しいんだ!」
「アベル君……」
ふわ、と優しい風が吹いた。
それはヴァネッサの亜麻色の髪をなで、アベルの黒い髪をなでて過ぎ去っていった。
紫色の目が、まっすぐにヴァネッサを見つめている。
アベルは、いつも、まっすぐに人を見る少年だ。
世間にいわく、『心の中にやましいことがあると、人の顔をまっすぐに見られないも
のだ』とあるから、アベルは何らやましいことのない少年なのだろう。
そのまっすぐさが、うらやましいと思ったことがある。
「アベル君……手、痛い」
大して痛くもなかったのだが、ヴァネッサはかすれた声で呟いた。
「あ、悪い……」
アベルの手が離れ――そこから、なんともぎくしゃくした空気が流れる。
ヴァネッサはお腹の前で両指を組み、うつむいたままで。
アベルは、そんなヴァネッサにかける言葉を必死に探しているのか、うろうろしたり
頭をかいたりしていた。
「あのな。ヴァネッサちゃん」
それまで黙っていたギアが、不意に声をあげた。
ヴァネッサとアベルの二人は、ギアへと顔を向ける。
「俺、昔聞いた事あるんだ。ネッサ、っていうのは何処かの言葉で『奇跡』を意味す
るんだとさ。あー……その、俺は女房も子供もいないから、説得力に欠けるんだ
が……もし……酷いこと言っちまうとな、どうせ死んでしまうんだなんて思っていた
ら、奇跡なんて言葉が入った名前、たぶんつけたりしないさ。ええと……だからな」
ギアは、ぼす、と大きな手をヴァネッサの頭にのせた。
「ヴァネッサちゃんのご両親は、娘が生きることを望んでそう名付けたはずだ。それ
に、たった今、『生きていて欲しい』ってアベルが言っただろ? 『俺が』じゃなく
て『俺達が』ってな」
ギアは、ちらりとアベルを見る。
アベルは、肯定の意味を含めて力強く頷いた。
「幸せモンだぜ、ヴァネッサちゃん。生きていて欲しいって望んでる奴らがいるん
だ。簡単に諦めるもんじゃねぇぜ」
――最愛たる娘に、奇跡あれ。
忌まわしい血の呪いを継いだ我が娘。
生まれ落ちたその瞬間から背負わされた宿命への、せめてもの抗いとして、両親は娘
の名前の中に『奇跡』を指す言葉を織り込んだのかもしれない。
切なる両親の想いをこめて。
「奇跡ってのはな、待ってて起きるもんじゃねぇんだ。ない知恵絞って、ちっぽけな
勇気奮い立たせて、だだこねて泣き喚いて……でも、逃げないで……奇跡ってのは
な、神様の特権じゃねぇ。人の手で起こすもんなんだよ」
ぐい、とギアはアベルとヴァネッサをそれぞれ片腕に抱いて引き寄せる。
いきなりのことで驚きはしたが、不快ではなかった。
「俺と一緒に来い。全員まとめて面倒みてやる」
ヴァネッサは、両手で顔を覆った。
――自分は、逃げていただけなのかもしれない。
思えば、どうにかしようなどと一度も考えたことはなかった。
いつもいつも、どうしようもないことだから、という一言で片付けて済ませていた。
最後の瞬間を考えるのは、怖かったくせに。
「……ギアさん、私……アカデミー、行きます」
しばらく間をおいてから、ヴァネッサの唇から紡がれたのは、生きることに少しだけ
前向きになった言葉だった。
「ヴァネッサ!」
その言葉を聞いたアベルが、ぱっと明るい表情を浮かべる。
「うん……」
何かを言おうとして……でも、言葉が浮かばなくて、ヴァネッサはアベルに微笑みを
返した。
――すべては、生きるために。
PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ギア ラズロ
場所:エドランス城下(首都)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……うおおお!」
驚愕の声を上げ固まるアベルの、田舎モノ丸出しの態度に、いつもなら
皮肉とも取れる冷静なコメントで一刺しそうなラズロも珍しく目の前の光
景に釘付けになっている。
「あ、ほらアベル君、そんなところにいると邪魔になるよ。」
一緒になって突っ立っていたヴァネッサは、われに返って注意を促す。
「まあ、こんな大きい街は初めてだからな。」
ギアはいつになく子供らしい様子の三人に笑いを誘われながらヴァネッ
サにこえをかける。
「なにせエドランス国随一にして唯一っていいくらいの大都市だからな。」
そして、いまやエドランスを象徴するといってもいい存在となったアカ
デミーがある学院都市でもあった。
あの朝、ヴァネッサはギアとアベルを交えて、カタリナに全てを話した。
最後まで黙って聞いていたカタリナはおもむろに席を立つと、三人を待
たせたまま奥へいき、しばらくして一冊の小さなノートを持ってきた。
「これはあの人の忘れ物らしくてね。」
「……グラントの?」
「そう、旅にでてから半年ぐらいして、アカデミーからの荷物に入ってた
のさ。」
ギアの疑問に答えつつテーブルにそれをおいたカタリナは、三人に目で
見るように促した。
席の並びが、カタリナの真向かいにヴァネッサ、その両側にアベルとギ
アだったので、自然ヴァネッサが手に取り、二人はそれを覗き込む形にな
った。
そのノートはまるで考古学の研究所のように、伝承や神話、それもいく
つかの遺跡が見つかった時代を中心に研究されているようだった。
そのノートをしばらく捲るに任せて眺めていたギアが、何かに気がつい
たようにヴァネッサの手を止める。
「ちょっとまってくれ! この遺跡、とくにこの古代文字……まさか、神
人を追いかけてるのか!」
ギアの驚きはアベルとヴァネッサにはわからなかったが、洞窟の一件を
連想させられ不安げな顔をカタリナに向けた。
「まあね。とくにあんなことの後だし、ヴァネッサのことが無くても近い
うちこの話しなきゃね、とは思ってたとこなのよね。」
ギアには、と後の言葉を消してカタリナは苦笑いを浮かべた。
その一方でいまいち理解し切れてない子供達のために説明をしてやった。
「洞窟のやつらが、亜神ってのはきいたね。その亜神ってのは大抵王や女
王といった頭以外はそれほどたいした知能も無い本能の塊みたいなものな
んだけど、なかには人に近い種族もいてね。彼らは意思の疎通が可能だっ
たこともあり神人と呼ばれ、現世の神と崇められたのさ。」
「神人の中には人に交わったものもあり、種によっては自然よりも人の文
明を取り込み独自の文明へ高めたものさえいたんだ。このノートのは特に
その神人の関わってるものがあつめられてるわけさ。」
補足をしたギアにアベルは少し眉をひそめた。
「でもさっきの驚き方はそれだけじゃないよね?」
意外とアベルがよく見ていたことに内心感心しつつ、それでも言うべき
かどうかカタリナに視線を送る。
それを受けて頷くカタリナをみてギアはアベルとヴァネッサに向き直る。
「この神人は他の亜神と同じくすでに歴史からは姿を消している。ここの
蟻みたいに封じられているのか滅んだのかはわからんがな。だが一つの噂
話があるんだ。」
「うわさ?」
「ああ、その末裔は今も闇にひそんでるってな。」
「へ?」
目いっぱいマジに話したつもりだったが、アベルはそれがどうしたのか、
とキョトンとしている。
横に目をむけとヴァネッサも同様だった。
「あー、つまりな、この件を追う研究者や冒険者にはなぜか死んだり行方
不明になるやつが多くてな……。」
さすがに息を飲む二人。
「もう一つ……、ヴァネッサの実父からこのノートは引き継いだんだ。」
「それって!」
「まさか!」
驚きにこえをあげるヴァネッサにつづいて、あることに気がついたアベ
ルも声を上げる。
(もしかして、ヴァネッサの呪いに関係がある?)
だがカタリナの強い視線に二の句をふさがれる。
おそらくヴァネッサもそのことには気がついただろう。
しかしそれは同時に、実父の死疑惑を浮かび上がらせる。
だがアベルにとってヴァネッサは大事でも、完全に赤の他人の知らぬその
実父のことまで気を回すことはできなかった。
そのため、せっかく見つけた希望を口にすることを妨げられたことに、あ
きらかに納得いかない様子で口を閉じている。
(はー、この子もまだまだだね。)
もっともそういう気の使い方をするアベルも気色悪い、と母にしてはひど
いことを思いつつも、このことをできれば知らせたくは無かったと、カタリ
ナにしては珍しく少し悔いを感じていた。
「あんたたちがただ勉強しに行くならともかく、目的があるなら教えとかな
いとね。」
そういったカタリナはいつものカタリナで、ヴァネッサの運命を知った衝
撃も、知らせずに済ませたかったことをよりにもよってこんなときに言わね
ばならなかった後悔も感じさせなかった。
それらが全てヴァネッサのことを思いやってのことだとわかったヴァネッ
サ改めて、生きたいと感じていた。
それから用意を整え、ギアとラズロとともに二人が旅立つのはすぐだった。
村人と、仲間と共に残るランバートに見送られながら、二人は初めて自分
達の旅にでたのだった。
「さて、どうする?」
道の端によけて、一息ついた一行に、ギアが聞いた。
「このままカデミーにいってもいいし、とりあえず宿を決めてもいいぞ。」
「そうか、アカデミーに通うなら、長期にとまれる、むしろ住処をきめなき
ゃダメか。」
いまさらながら気がついたようにアベルが頷く。
「まあ寮とかもあるらしいけどな。」
「うーん、どうしよう?」
ほんとうなら、ここでいつもラズロがそつの無いところを見せると子なの
だが、ラズロもこういうときのことはわからないらしく、自然とヴァネッサ
へと、視線が集まるのは仕方が無いのかもしれない。
「えーと……。」
もう勉強が始まってるということなのか、このたびの間は何かと子供達を
フォローしていたギアは黙ってみているだけだった。
NPC:ギア ラズロ
場所:エドランス城下(首都)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……うおおお!」
驚愕の声を上げ固まるアベルの、田舎モノ丸出しの態度に、いつもなら
皮肉とも取れる冷静なコメントで一刺しそうなラズロも珍しく目の前の光
景に釘付けになっている。
「あ、ほらアベル君、そんなところにいると邪魔になるよ。」
一緒になって突っ立っていたヴァネッサは、われに返って注意を促す。
「まあ、こんな大きい街は初めてだからな。」
ギアはいつになく子供らしい様子の三人に笑いを誘われながらヴァネッ
サにこえをかける。
「なにせエドランス国随一にして唯一っていいくらいの大都市だからな。」
そして、いまやエドランスを象徴するといってもいい存在となったアカ
デミーがある学院都市でもあった。
あの朝、ヴァネッサはギアとアベルを交えて、カタリナに全てを話した。
最後まで黙って聞いていたカタリナはおもむろに席を立つと、三人を待
たせたまま奥へいき、しばらくして一冊の小さなノートを持ってきた。
「これはあの人の忘れ物らしくてね。」
「……グラントの?」
「そう、旅にでてから半年ぐらいして、アカデミーからの荷物に入ってた
のさ。」
ギアの疑問に答えつつテーブルにそれをおいたカタリナは、三人に目で
見るように促した。
席の並びが、カタリナの真向かいにヴァネッサ、その両側にアベルとギ
アだったので、自然ヴァネッサが手に取り、二人はそれを覗き込む形にな
った。
そのノートはまるで考古学の研究所のように、伝承や神話、それもいく
つかの遺跡が見つかった時代を中心に研究されているようだった。
そのノートをしばらく捲るに任せて眺めていたギアが、何かに気がつい
たようにヴァネッサの手を止める。
「ちょっとまってくれ! この遺跡、とくにこの古代文字……まさか、神
人を追いかけてるのか!」
ギアの驚きはアベルとヴァネッサにはわからなかったが、洞窟の一件を
連想させられ不安げな顔をカタリナに向けた。
「まあね。とくにあんなことの後だし、ヴァネッサのことが無くても近い
うちこの話しなきゃね、とは思ってたとこなのよね。」
ギアには、と後の言葉を消してカタリナは苦笑いを浮かべた。
その一方でいまいち理解し切れてない子供達のために説明をしてやった。
「洞窟のやつらが、亜神ってのはきいたね。その亜神ってのは大抵王や女
王といった頭以外はそれほどたいした知能も無い本能の塊みたいなものな
んだけど、なかには人に近い種族もいてね。彼らは意思の疎通が可能だっ
たこともあり神人と呼ばれ、現世の神と崇められたのさ。」
「神人の中には人に交わったものもあり、種によっては自然よりも人の文
明を取り込み独自の文明へ高めたものさえいたんだ。このノートのは特に
その神人の関わってるものがあつめられてるわけさ。」
補足をしたギアにアベルは少し眉をひそめた。
「でもさっきの驚き方はそれだけじゃないよね?」
意外とアベルがよく見ていたことに内心感心しつつ、それでも言うべき
かどうかカタリナに視線を送る。
それを受けて頷くカタリナをみてギアはアベルとヴァネッサに向き直る。
「この神人は他の亜神と同じくすでに歴史からは姿を消している。ここの
蟻みたいに封じられているのか滅んだのかはわからんがな。だが一つの噂
話があるんだ。」
「うわさ?」
「ああ、その末裔は今も闇にひそんでるってな。」
「へ?」
目いっぱいマジに話したつもりだったが、アベルはそれがどうしたのか、
とキョトンとしている。
横に目をむけとヴァネッサも同様だった。
「あー、つまりな、この件を追う研究者や冒険者にはなぜか死んだり行方
不明になるやつが多くてな……。」
さすがに息を飲む二人。
「もう一つ……、ヴァネッサの実父からこのノートは引き継いだんだ。」
「それって!」
「まさか!」
驚きにこえをあげるヴァネッサにつづいて、あることに気がついたアベ
ルも声を上げる。
(もしかして、ヴァネッサの呪いに関係がある?)
だがカタリナの強い視線に二の句をふさがれる。
おそらくヴァネッサもそのことには気がついただろう。
しかしそれは同時に、実父の死疑惑を浮かび上がらせる。
だがアベルにとってヴァネッサは大事でも、完全に赤の他人の知らぬその
実父のことまで気を回すことはできなかった。
そのため、せっかく見つけた希望を口にすることを妨げられたことに、あ
きらかに納得いかない様子で口を閉じている。
(はー、この子もまだまだだね。)
もっともそういう気の使い方をするアベルも気色悪い、と母にしてはひど
いことを思いつつも、このことをできれば知らせたくは無かったと、カタリ
ナにしては珍しく少し悔いを感じていた。
「あんたたちがただ勉強しに行くならともかく、目的があるなら教えとかな
いとね。」
そういったカタリナはいつものカタリナで、ヴァネッサの運命を知った衝
撃も、知らせずに済ませたかったことをよりにもよってこんなときに言わね
ばならなかった後悔も感じさせなかった。
それらが全てヴァネッサのことを思いやってのことだとわかったヴァネッ
サ改めて、生きたいと感じていた。
それから用意を整え、ギアとラズロとともに二人が旅立つのはすぐだった。
村人と、仲間と共に残るランバートに見送られながら、二人は初めて自分
達の旅にでたのだった。
「さて、どうする?」
道の端によけて、一息ついた一行に、ギアが聞いた。
「このままカデミーにいってもいいし、とりあえず宿を決めてもいいぞ。」
「そうか、アカデミーに通うなら、長期にとまれる、むしろ住処をきめなき
ゃダメか。」
いまさらながら気がついたようにアベルが頷く。
「まあ寮とかもあるらしいけどな。」
「うーん、どうしよう?」
ほんとうなら、ここでいつもラズロがそつの無いところを見せると子なの
だが、ラズロもこういうときのことはわからないらしく、自然とヴァネッサ
へと、視線が集まるのは仕方が無いのかもしれない。
「えーと……。」
もう勉強が始まってるということなのか、このたびの間は何かと子供達を
フォローしていたギアは黙ってみているだけだった。
PC:アベル ヴァネッサ
NPC:ギア ラズロ ウサギの女将さん
場所:エドランス城下(首都)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「え……えぇっと……」
アカデミーに通う間に滞在する、いわば住処となる場所。
……自分が、決めてしまっていいことなのだろうか。
ヴァネッサは少し戸惑った。
二人にだって言い分や考えというものもあるのではないだろうか。
「宿と寮って、何が違うんですか?」
いろんなことを悩みつつギアに尋ねてみると、彼はあごをなで、うーん、と視線を上
に向けた。
何かを思い出そうとしている仕草だ。
おそらく、自分の経験を織り交ぜて説明したいのだろう。
「寮はな、料金も安いし何より学校に近いからな、空き時間がちょっと増える。だが
な、やたら規則がうるさくってな。俺の通ってた頃だと、規則違反した奴には頭から
冷水ぶっ掛けてたな」
懐かしさと共に、あの頃の嫌な思い出の一つ二つも思い出したのだろう、ギアは少し
顔をしかめた。
「で、宿の方は、ちっと割高なんだよ。で、アカデミーから離れてるから早めに起き
る必要もある。ただ、寮じゃねえから規則もない。最大の利点は『好きにできる』っ
てことだな」
ヴァネッサは、ここでしばらく考えた。
甘ったれた考え方……なのかもしれないが、規則がうるさい寮よりも、多少自由の利
く宿の方が良いような気がした。
「……宿、にします」
それから、二人に対して、「どうするの?」という風に視線を向ける。
「俺も宿にする。ヴァネッサの発作、心配だし」
アベルはすぐに答えた。
気を使わせているのだろうか。
そう思うと、ヴァネッサの表情は曇った。
「僕は……」
残るラズロは、なかなか決まらない様子だった。
どうやら、彼は二者択一という行動が苦手らしい。
「折角知り合ったんだし、一緒だっていいんじゃねえの? 旅は道連れ世は情け、っ
て言うじゃん」
あっけらかんと言うアベルに、
「それは、この場合当てはまらないんじゃないか……?」
疑問を口にしつつも、彼は結局宿を選択した。
「じゃ、決定だな」
ガリガリとギアは頭をかいた。
(……宿の方が実は厳しいんだよな)
内心の言葉を、彼は口にしなかった。
まとめて面倒みてやる、とは言ったが、それは何でもかんでも指図して用意して膳立
てしてやる、という意味合いではない。
これから社会に出ていく彼らのために、自立心を育ててやらねばならない、という思
いがあった。
規則でビシビシ取り締まっている寮の方が、実は楽なのだ。
こちらで何も考えずとも、向こうが勝手にああしろこうしろと言ってくれるのだか
ら。
あとはそれにならって行動していればいいのだから。
まあ、「規則がうるさいのに何が楽なんだ」という意見もあるだろうが。
しかし、宿で寝泊りしながら勉学に励むというのは容易なことではない。
規則が無い、ということは、堕落しやすい環境である、とも言えるのだ。
自分に甘い人間では、あっという間にサボり癖がついてしまう。
実際、そういう風になってしまって、何も身につかないままアカデミーを去っていっ
た人間を、ギアは何人も見た。
「学生に評判のいい宿があるんだ。案内するからついてこい」
ギアは、三人の先頭に立って街を歩き出した。
* * * * * * *
ギアが案内したのは、アカデミーからそう離れていない場所にある、赤い屋根の小さ
な宿だった。
表に出ている看板には、『せせらぎ亭』と宿の名前が書かれている。
さらにその下に小さく、『下宿大歓迎』と記されていた。
「おーい、女将さーん!」
ギアは木製のドアを開け、奥に向かって声を張る。
人気は全く感じられないが、掃除がよく行き届いているようで、床はピカピカに磨か
れていた。
「はいはいはいはい、ちょっと待ってて」
奥の方から、やや高めの、中年女性の声が答える。
パタパタと慌ただしげな……しかし、人間のものにしては軽すぎる足音を立てて、
“店主”は現れた。
「まあまあまあ、お客さんね。いらっしゃい」
「こ……こんにちは」
ヴァネッサは、それだけを言うのがやっとだった。
「う、う、うさぎっ……?」
アベルは目をまん丸くしていたが、ラズロはいつもと同じく黙りこくっていた。
現れた“店主”は、人間ではなかった。
大きさは、人間の子供ぐらいだろうか。
真っ白い、ふさふさとした毛並みのウサギが、人間の衣服を着ていた。
本来のウサギとの相違点を挙げるとしたら、その背後でぴこぴこと揺れている、長い
尻尾だろう。
「女将、ここってまだ下宿させてくれるのか?」
「えぇえぇえぇ、大丈夫ですよ。うちみたいな小さい宿だと、旅人さんは気付いてく
れないもの。学生さんが下宿してくれなかったら、干上がっちゃうわ」
などと言いつつ、ウサギは両頬を押さえ、ふうぅ…とため息をついた。
「実はな、三人、下宿先を探してるんだが……ここ、空いてるか?」
「まあまあまあ! 大歓迎よぉ。こないだ、下宿してた人がアカデミーを卒業し
ちゃったもんだから、今、だぁれもいないのよ」
ウサギはキラキラと目を輝かせた。
人間であるヴァネッサにも、喜んでいる表情だとはっきり分かる。
「……だそうだが、どうする? ここにするか?」
ヴァネッサ、アベル、ラズロは何ともぎこちなく頷いた。
三人とも、人間以外の種族を見たことがなかったのである。
「ああ良かった。これでうちも安泰だわぁ」
ウサギはのん気に笑うと、
「じゃあ、ここに座って、ちょっと待っててね」
手近なところのテーブルを指し、椅子につくようすすめると、ウサギは宿屋のカウン
ターから紙を持って戻ってきた。
「この紙に必要事項書いてちょうだいね。これ、後でアカデミーに持ってかなきゃい
けないのよ。生徒の連絡先ってことになるから」
慣れた様子でそれぞれの前に紙を差し出しすウサギを見て、ヴァネッサは思った。
(もしかして、ギルドアカデミーって人間以外の種族も通ってるのかしら……?
……仲良くなれたらいいんだけど……)
NPC:ギア ラズロ ウサギの女将さん
場所:エドランス城下(首都)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「え……えぇっと……」
アカデミーに通う間に滞在する、いわば住処となる場所。
……自分が、決めてしまっていいことなのだろうか。
ヴァネッサは少し戸惑った。
二人にだって言い分や考えというものもあるのではないだろうか。
「宿と寮って、何が違うんですか?」
いろんなことを悩みつつギアに尋ねてみると、彼はあごをなで、うーん、と視線を上
に向けた。
何かを思い出そうとしている仕草だ。
おそらく、自分の経験を織り交ぜて説明したいのだろう。
「寮はな、料金も安いし何より学校に近いからな、空き時間がちょっと増える。だが
な、やたら規則がうるさくってな。俺の通ってた頃だと、規則違反した奴には頭から
冷水ぶっ掛けてたな」
懐かしさと共に、あの頃の嫌な思い出の一つ二つも思い出したのだろう、ギアは少し
顔をしかめた。
「で、宿の方は、ちっと割高なんだよ。で、アカデミーから離れてるから早めに起き
る必要もある。ただ、寮じゃねえから規則もない。最大の利点は『好きにできる』っ
てことだな」
ヴァネッサは、ここでしばらく考えた。
甘ったれた考え方……なのかもしれないが、規則がうるさい寮よりも、多少自由の利
く宿の方が良いような気がした。
「……宿、にします」
それから、二人に対して、「どうするの?」という風に視線を向ける。
「俺も宿にする。ヴァネッサの発作、心配だし」
アベルはすぐに答えた。
気を使わせているのだろうか。
そう思うと、ヴァネッサの表情は曇った。
「僕は……」
残るラズロは、なかなか決まらない様子だった。
どうやら、彼は二者択一という行動が苦手らしい。
「折角知り合ったんだし、一緒だっていいんじゃねえの? 旅は道連れ世は情け、っ
て言うじゃん」
あっけらかんと言うアベルに、
「それは、この場合当てはまらないんじゃないか……?」
疑問を口にしつつも、彼は結局宿を選択した。
「じゃ、決定だな」
ガリガリとギアは頭をかいた。
(……宿の方が実は厳しいんだよな)
内心の言葉を、彼は口にしなかった。
まとめて面倒みてやる、とは言ったが、それは何でもかんでも指図して用意して膳立
てしてやる、という意味合いではない。
これから社会に出ていく彼らのために、自立心を育ててやらねばならない、という思
いがあった。
規則でビシビシ取り締まっている寮の方が、実は楽なのだ。
こちらで何も考えずとも、向こうが勝手にああしろこうしろと言ってくれるのだか
ら。
あとはそれにならって行動していればいいのだから。
まあ、「規則がうるさいのに何が楽なんだ」という意見もあるだろうが。
しかし、宿で寝泊りしながら勉学に励むというのは容易なことではない。
規則が無い、ということは、堕落しやすい環境である、とも言えるのだ。
自分に甘い人間では、あっという間にサボり癖がついてしまう。
実際、そういう風になってしまって、何も身につかないままアカデミーを去っていっ
た人間を、ギアは何人も見た。
「学生に評判のいい宿があるんだ。案内するからついてこい」
ギアは、三人の先頭に立って街を歩き出した。
* * * * * * *
ギアが案内したのは、アカデミーからそう離れていない場所にある、赤い屋根の小さ
な宿だった。
表に出ている看板には、『せせらぎ亭』と宿の名前が書かれている。
さらにその下に小さく、『下宿大歓迎』と記されていた。
「おーい、女将さーん!」
ギアは木製のドアを開け、奥に向かって声を張る。
人気は全く感じられないが、掃除がよく行き届いているようで、床はピカピカに磨か
れていた。
「はいはいはいはい、ちょっと待ってて」
奥の方から、やや高めの、中年女性の声が答える。
パタパタと慌ただしげな……しかし、人間のものにしては軽すぎる足音を立てて、
“店主”は現れた。
「まあまあまあ、お客さんね。いらっしゃい」
「こ……こんにちは」
ヴァネッサは、それだけを言うのがやっとだった。
「う、う、うさぎっ……?」
アベルは目をまん丸くしていたが、ラズロはいつもと同じく黙りこくっていた。
現れた“店主”は、人間ではなかった。
大きさは、人間の子供ぐらいだろうか。
真っ白い、ふさふさとした毛並みのウサギが、人間の衣服を着ていた。
本来のウサギとの相違点を挙げるとしたら、その背後でぴこぴこと揺れている、長い
尻尾だろう。
「女将、ここってまだ下宿させてくれるのか?」
「えぇえぇえぇ、大丈夫ですよ。うちみたいな小さい宿だと、旅人さんは気付いてく
れないもの。学生さんが下宿してくれなかったら、干上がっちゃうわ」
などと言いつつ、ウサギは両頬を押さえ、ふうぅ…とため息をついた。
「実はな、三人、下宿先を探してるんだが……ここ、空いてるか?」
「まあまあまあ! 大歓迎よぉ。こないだ、下宿してた人がアカデミーを卒業し
ちゃったもんだから、今、だぁれもいないのよ」
ウサギはキラキラと目を輝かせた。
人間であるヴァネッサにも、喜んでいる表情だとはっきり分かる。
「……だそうだが、どうする? ここにするか?」
ヴァネッサ、アベル、ラズロは何ともぎこちなく頷いた。
三人とも、人間以外の種族を見たことがなかったのである。
「ああ良かった。これでうちも安泰だわぁ」
ウサギはのん気に笑うと、
「じゃあ、ここに座って、ちょっと待っててね」
手近なところのテーブルを指し、椅子につくようすすめると、ウサギは宿屋のカウン
ターから紙を持って戻ってきた。
「この紙に必要事項書いてちょうだいね。これ、後でアカデミーに持ってかなきゃい
けないのよ。生徒の連絡先ってことになるから」
慣れた様子でそれぞれの前に紙を差し出しすウサギを見て、ヴァネッサは思った。
(もしかして、ギルドアカデミーって人間以外の種族も通ってるのかしら……?
……仲良くなれたらいいんだけど……)