PC:カロリーナ
NPC:フォガス
場所:カルマーン
-------------------------------------------------------
時間を浪費する罪悪感がいつも目の端にいて、煩わしい。
パティオでだらだらとお茶を飲みながら思う。
あの生活も、悪くはなかった。日が昇る前に起きて水を汲み、日が暮れるま
で戦闘訓練。時々は遠征に参加して死と隣り合わせに戦う。そしていつかは命
を落とす。それは日常であって、日常である限り苦痛はなかった。厳しく、優
しい両親。命を預けられる仲間。スリヴァン家の長女として慕ってくれる町の
人々。そしてアレク。私は、恐らく幸せだった。日常が、非日常に変わってし
まう瞬間まで。
家を飛び出した途端に、私は途方に暮れてしまった。ある人物を探し出すつ
もりだったのだが、幼い頃から戦う術しか教わらなかった私には、名前さえ知
らない人物を一体どう探せばよいのかまるで分からなかった。やがて持ち出し
たお金も尽き、一時は本当にこのまま行き倒れてしまうかと思ったが、冒険者
ギルドに登録することで何とか日銭を稼いでいる。
だが、未だに途方に暮れていることには変わりはない。探す人は、その手が
かりすら見つからない。
「お待たせしました。クランベリーチーズケーキです。それと、この干菓子は
サービスです。ごゆっくり、カロリーナさん」
私は顔なじみのウェイトレスに礼を言って、フォークを手に取った。濃厚な
チーズと、爽やかなクランベリーの風味が口の中に広がる。
お茶を一口啜って、このままずっと途方に暮れているのも悪くはないかな、
と思い始めている自分を自覚した。
日が暮れ始めて、カフェがバーに姿を変える頃になって、ようやくカロリー
ナは腰を上げた。
熟れる前の青白い月が、所在無げに空に佇んでいる。
熱気の引きはじめたカルマーンの町はどこか現実感を失っていて、カロリー
ナは少し不安を感じた。足早に、歩く。
たどり着いた先は冒険者ギルドと提携している宿屋であった。
「こんばんは、フォガスさん」
「ああ、カロリーナちゃん。いらっしゃい」
マスターへの挨拶もそこそこに、依頼の張り紙が掲示されている一角へ進
む。
カロリーナはしばらく張り紙を眺めていたが、やがてその中の一枚に目を留
めた。
「フォガスさん、これなんだけど・・・」
「ああ、そいつは今朝来たばかりのヤツだ。条件はそこそこいいんだが、ほ
ら、ちょっと遠いだろ? 護衛した後、帰って来るのが一苦労だ」
「でも、帰って来ないのなら問題ないわ」
宿屋のマスターは少し目を大きくしてカロリーナを見た。
「そうか、そうだな、確かに。馬車に乗れて、しかも金までもらえる。最高の
移動手段だ」
言いながらも、マスターの声には寂しさの響きが含まれていた。
「正直、オレはカロリーナちゃんはここに根を張るものだとばかり思っていた
んだが。カルマーンは良い町だろ? 36年住んできたオレが言うんだ。間違い
ない」
「ええ、私もそう思うけれど、でも、前に話したでしょう? 探している人が
いるの」
「じゃあ、何か手がかりが?」
首を横に振るカロリーナ。
「案外、この町にいるかも知れないぜ? 灯台元暗しってな」
「でも、行かないと。そうしなければ私は、ここに住み着いて静かに暮らした
いと思ってしまう」
「もう、思ってるんだろう? そうしたらどうだ。名前も分からない赤の他人
を闇雲に探すより、ずっといい」
また、首を横に振るカロリーナ。
「故郷に住む大切な人たちを、私は裏切れない」
カロリーナはいつもの淡々とした表情。マスターはそれは数刻見つめていた
が、無言でカウンターに引き返すと、詳しい連絡先が書かれた紙を取り出して
カロリーナに渡した。
「ありがとう、フォガスさん。本当にお世話になったわ」
「いや、悪かった、引き止めるようなことを言って」
「いいの、うれしかった」
そうして、その日の夜は更けていった。
それは一つの別れであったが、同時に物語の始まりでもあった。
NPC:フォガス
場所:カルマーン
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時間を浪費する罪悪感がいつも目の端にいて、煩わしい。
パティオでだらだらとお茶を飲みながら思う。
あの生活も、悪くはなかった。日が昇る前に起きて水を汲み、日が暮れるま
で戦闘訓練。時々は遠征に参加して死と隣り合わせに戦う。そしていつかは命
を落とす。それは日常であって、日常である限り苦痛はなかった。厳しく、優
しい両親。命を預けられる仲間。スリヴァン家の長女として慕ってくれる町の
人々。そしてアレク。私は、恐らく幸せだった。日常が、非日常に変わってし
まう瞬間まで。
家を飛び出した途端に、私は途方に暮れてしまった。ある人物を探し出すつ
もりだったのだが、幼い頃から戦う術しか教わらなかった私には、名前さえ知
らない人物を一体どう探せばよいのかまるで分からなかった。やがて持ち出し
たお金も尽き、一時は本当にこのまま行き倒れてしまうかと思ったが、冒険者
ギルドに登録することで何とか日銭を稼いでいる。
だが、未だに途方に暮れていることには変わりはない。探す人は、その手が
かりすら見つからない。
「お待たせしました。クランベリーチーズケーキです。それと、この干菓子は
サービスです。ごゆっくり、カロリーナさん」
私は顔なじみのウェイトレスに礼を言って、フォークを手に取った。濃厚な
チーズと、爽やかなクランベリーの風味が口の中に広がる。
お茶を一口啜って、このままずっと途方に暮れているのも悪くはないかな、
と思い始めている自分を自覚した。
日が暮れ始めて、カフェがバーに姿を変える頃になって、ようやくカロリー
ナは腰を上げた。
熟れる前の青白い月が、所在無げに空に佇んでいる。
熱気の引きはじめたカルマーンの町はどこか現実感を失っていて、カロリー
ナは少し不安を感じた。足早に、歩く。
たどり着いた先は冒険者ギルドと提携している宿屋であった。
「こんばんは、フォガスさん」
「ああ、カロリーナちゃん。いらっしゃい」
マスターへの挨拶もそこそこに、依頼の張り紙が掲示されている一角へ進
む。
カロリーナはしばらく張り紙を眺めていたが、やがてその中の一枚に目を留
めた。
「フォガスさん、これなんだけど・・・」
「ああ、そいつは今朝来たばかりのヤツだ。条件はそこそこいいんだが、ほ
ら、ちょっと遠いだろ? 護衛した後、帰って来るのが一苦労だ」
「でも、帰って来ないのなら問題ないわ」
宿屋のマスターは少し目を大きくしてカロリーナを見た。
「そうか、そうだな、確かに。馬車に乗れて、しかも金までもらえる。最高の
移動手段だ」
言いながらも、マスターの声には寂しさの響きが含まれていた。
「正直、オレはカロリーナちゃんはここに根を張るものだとばかり思っていた
んだが。カルマーンは良い町だろ? 36年住んできたオレが言うんだ。間違い
ない」
「ええ、私もそう思うけれど、でも、前に話したでしょう? 探している人が
いるの」
「じゃあ、何か手がかりが?」
首を横に振るカロリーナ。
「案外、この町にいるかも知れないぜ? 灯台元暗しってな」
「でも、行かないと。そうしなければ私は、ここに住み着いて静かに暮らした
いと思ってしまう」
「もう、思ってるんだろう? そうしたらどうだ。名前も分からない赤の他人
を闇雲に探すより、ずっといい」
また、首を横に振るカロリーナ。
「故郷に住む大切な人たちを、私は裏切れない」
カロリーナはいつもの淡々とした表情。マスターはそれは数刻見つめていた
が、無言でカウンターに引き返すと、詳しい連絡先が書かれた紙を取り出して
カロリーナに渡した。
「ありがとう、フォガスさん。本当にお世話になったわ」
「いや、悪かった、引き止めるようなことを言って」
「いいの、うれしかった」
そうして、その日の夜は更けていった。
それは一つの別れであったが、同時に物語の始まりでもあった。
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PC:トウヤ(PL:ミキ)、カロリーナ(PL:千夜)
NPC:サーカス、カイン、ライアン、エリザベス
場所:カルマーン
朝食時を過ぎたカフェは人が少ない。と思っていたのだがそれはどうやら間違
いのようだ。
ぼくとタークの二人だけで五人分のテーブルとイスを確保しているのが申し訳
なく思えるぐらい、
カフェは客でにぎわっていた。隣のテーブルを見る限りでは、みな遅めの朝食
が目当てらしい。
知り合いに会いたくなかった、冒険者ギルドのならず者と待ち合わせをしてい
るところを知り合いに見られたら、
ぼくの行き先がばれるのもかなり早くなってしまうはずだ。
だから、ぼくの似合わない安いカフェで、カークの服を借りて着ているのだ。
カークの方は逆に、ぼくの持っているような品格の高い服はあまり持ち合わせ
ていないらしい。
そこは身分の違いだし、それを超えてぼくはカークを良き友だと思ってる。
「こんな時間に朝食とは・・・・どうせ夜遅くまで酒ばかり飲んでいたんだろ
うな。
貧しい人間は時間を有効に使う力も貧しいんだな。夜早く寝れば朝日がとて
も気持ちいいのに。」
「夕陽が暮れると共に目覚めるトウヤからそんな言葉が聞けるなんてね。」
「この旅のために朝早く起きる生活にしてみたんだ。
あんなに早起きが清々しいモノだとは、思っても見なかったよ。」
苦笑しながら、ぼくはカークがさっきくれた紙に目を落とした。
その紙にはカークが調べてきてくれた冒険者の名前と経歴のようなモノが書い
てあった。
まずは、ライアン。ファミリーネームはないのか、身分はきっと平民以下だ
な。
「なぁ、このライアンってヤツは、元騎士って書いてあるけどどういうこと
だ。
しかも人情深く女子供に優しい、それで居て努力家?こんな騎士向けのヤツ
が何で今も現役じゃないんだ。」
「分からないよ。」
「辞めたか、辞めさせられたか、とにかく何か事情があったんだろうな。信用
できない。」
ぼくがサーカス・アルゥ・ミリアムをタークと呼ぶのは親愛を込めてだ。
短い呼び名は親近感を感じさせる。
だが呼びやすいのにはもう一つ利点がある。それは命令しやすいことだ。
立場の上の者が下の者の名を略して呼び、逆に立場の低い者は高い者に対し
て、
ミスターやマスターなどつけて呼び、自分の意見や報告を的確に伝えるのだ。
それが、ある世界ではルールになっているのだとパパから教わったことがあ
る。
ライアン、この男の呼び方はライでいいかな。
次の男はカイン・アデル。
金に強欲な男。金を払えば何でもする。と書いてある。
こいつも信用ならないやつだな。マシなのは居ないのか。不安になってきた。
それでも持っている金には少し自信があった。
この旅のために、自分の持ち物や家の安い調度品を売り払った。
買い与えてくれたパパには悪いとは思ったが、金がないのが理由で旅を失敗さ
せたくない。
この旅は、他人から見たらたいしたこと無いかも知れないけれどぼくにとって
は大切だった。
ぼくはあと二年とちょっとしか・・・・・それなのに一生家と学校の往復ばか
りしているのは耐えられない。
呼び方はキーンで良いかな。
次は女性だ。カロリーナ・スリヴィエ。
人柄が掴めるほどこの街のギルドには長くいるわけではないらしい。
この人だけランクがDなのはおそらく、女性は腕より美貌で選べとぼくが言っ
たからだろう。
「このカロリーナってのは、美人なんだろうなぁ。」
「多分ね。私だって会ったこと無い。オヤジどもには評判が良いらしい。」
「年は幾つぐらいなのか分からなかったのか。」
「女性の年を知るのがどれだけ大変か分かってないね・・・。」
「知るか。」
まぁ、長旅の間に仲良くなれるだろう。
ぼく自身が長旅に耐えられるか心配だが、寂しくなったと泣きつけば案外簡単
に落ちるかも知れないな。
それとも頼りない子供より、同行する別の男の方が女性にとっては魅力的なん
だろうか。
ぼくからみんな離れていってしまうのだろうか、ミキさんのように・・・・。
「ところでカーク・・・・。」
「ん、なにか?」
「・・・・ここまでぼくに付き合ってくれてありがとう。お陰でずっと願って
た旅に出られる。
でも、本当に一緒に来るのか。護衛を雇ったんだから別に付いてきてくれな
くても良いんだぞ。」
「いや、絶対に付いていくよ。ここでトウヤを一人で行かせたら、もしかした
らもう二度と会えないかも知れない。
私はトウヤの最後の時まで、ずっといっしょにいるんだ。だから一緒に行かせ
てくれ。」
「カーク、何があるか分からないんだぞ。」
「大丈夫さ、トウヤより先には死なない。最後の時まで絶対一緒だ。」
「だといいが。」
「・・・・・。なぁ、トウヤ。実は・・・・・」
カークの言葉を遮って、男が一人話しかけてきた。
「もしかして、トウヤ・アルゥ・セルシエナかな。」
「ぼくがそうだ。ギルドの者かな?」
「驚いた、まさかこんな子供だったとは!」
「子供でも依頼人だ、口を慎んでくれ。」
「ははは、言うねぇ。私はカイン・アデルだ。よろしく。」
「よろしく。まぁ、かけたまえ。こっちはぼくの友人だ。」
カークの紹介をしようとしたとき、近くのテーブルに座っていた男女が飲み物
を持って立ち上がった。
そしてこっちを見ながら歩いてくる。
男の方は太い腕に、厚い胸板で、頭まで筋肉かいと聞きたくなるくらい体中ム
キムキだった。
そして女性の方は、男に比べたら子供のように小さかったけれども、きっとぼ
くより背は高い。
綺麗な人だったが、顔に染みついたような冷たい表情のせいで、ぼくにはいま
いちぴんと来ない。
「もし、セルシエナ殿かな。」
「いかにも。ライアンにカロリーナだね。かけたまえ。」
カークがぼくの隣にずれ、三人と向き合う形でテーブルに着いた。
ライアンとカトリーナは確かぼくらより前から居たはずで、
ぼくが依頼人だとはきっと微塵も思わなかったんだろうな。
「改めて、ぼくがトウヤ・アルゥ・セルシエナだ。こっちは友人のサーカス・
アルゥ・ミリアム。」
「よろしくお願いします。」
「ぼくのことは、マスターと呼んでくれ。」
「こんな子供がマスターか。これは暫く楽しくなりそうだ。くっくっく。」
キーンめ、子供扱いしやがって。いつか立派な大人になって見返してやりたい
な。
大人になれるものなら・・・・。いや、年じゃないさ、この旅でぼくは大人に
なるんだ。
「ライアンとカトリーナは知り合いなのか?」
「ええ、一度仕事であったことがあるの」
「そうか、よろしく。みな旅の準備はもう出来てるか?」
「荷物はまとめてありますが、まだ宿屋に置いてありますよ。」
「カフェになんて持ってくれるかっての。」
ぼくは持ってきてしまったよ。カークと出かけてくるとママに行って家を出
て、
ばれないよう用意しておいたスーツケースをもって家を出てきたのだ。
「じゃぁ、一度とってきてくれ。キャメロンという馬車小屋で合流しよう。」
「カーク・・・・・・まさか、さっき言いかけていたのはこのことか?」
「すまない。」
「どうしてこんなことに!」
「すまない、ついつい話してしまって、そしたら付いていくって聞かなく
て。」
ぼくはいま馬車小屋にいる。カルマーンの中央通りに面した比較的寂れた馬車
小屋だ。
そこにはカークが用意してくれた馬と、馬車だけが用意されているはずなのだ
が、
スーツケースを引きずってたどり着いたぼくらを待っていたのは、
馬に話しかけながらブラシで背中を撫でる、良く見知った女の子だった。
「あ、やっときたのー?遅くて待ちくたびれちゃった!」
「エリ、なにをやってるんだ。」
「む、あたしはずっと待ってたのに、全然来ないからブラシ借りてお馬さんの
世話してたのよ!」
エリザベス・マルゥ・マックウィルソン。
ぼくとタークと同じ学校に通う、仲の良い友人だ。
たしかタークがお熱だったはずなんだが、まさか危険な旅に連れて行く訳じゃ
ないだろうな。
「昨日はね、ワクワクして眠れなかったんだ~」
「じゃぁ眠いだろう、今から帰って寝ると良いよ。」
「あれ、まだ今日は出発しないの?」
来るつもりだったのか、やっぱり!
タークめ、何を考えているんだ。
「本当にすまない。」
ああ、首っ丈だからダメとは言えないのか。惚れた男の弱みだなぁ。
でも女の子を連れて行けるような軽々しい旅じゃないし。
エリの親は・・・・ああ、そうか、駄目な飲んだくれ親父が一人だったな。
「いえ、これから出発のはずですよね」
「なにー!トウヤってば騙して置いてきぼりにしようとしたなぁ!」
誰が余計なことを、と振り向くと居たのはキーンだった。
金に強欲、という文句にはそぐわない、優しい微笑みをエリに向けていた。
「絶対行くんだから!あたし一人だけ留守番なんて絶対ヤダよ!」
「といってますよ、マスター。大丈夫、安全は保障しますよ。払う金を払って
くれればね。」
エリに聞こえないよう、キーンは囁いた。
やはり金のことを考えていたのか、くそ、一瞬でも微笑みに愛情のようなもの
を感じたのは、
金のためなら表情も作れると言ったところなのだろうか。
「なんのことだい。」
「いやですねぇ、マスター。お二人様護衛の依頼が三名様になるんですよ?」
「つまり依頼料を増やせと言うことかな。」
「頂けないならお坊ちゃま方お二人だけを護衛するだけですから。」
「・・・・・二割増やせばいいか?」
「二人が三人ですよ、五割り増しでお願いします。」
「三割だ。」
「五割いただきます。」
金を渡せば何でもやる男、逆にいえば金がなければいつ裏切るか・・・。
金の量に答える男なら多く渡しておかないとまずいかもしれない。
「四割増しでどうだ。」
「その四割、前渡しして貰えますか。」
「逃げる気じゃないだろうな。」
「逃げませんよ、ただ頂いたら預けに行きますが。」
ランクCの冒険者だ、こんなところで依頼をすっぽかすわけがない・・・。
ぼくはちらっとエリの方を見た。今はカークと二人して馬車の荷物の点検をし
ている。
カークはエリを説得しているつもりだろうが、ここからは馴れ合っているよう
にしか見えない。
この旅で二人が仲良くなれたらそれも良いかもしれないな。
ぼくには未来はない、この旅はぼくの自己満足。でも、二人の間に残る何かが
あるなら・・・・。
ぼくは、金貨を入れた袋から何枚か硬貨を取り出してキーンに手渡した。
「すぐ戻りますよ。荷物はここに置いておきますね。」
そういってキーンは外へ出て行った。
入れ替わりにカロリーナが入ってきた。
「やぁ、実は旅の仲間が一人増えたんだが、いいかな。」
「私はかまわないわ。」
そう言い捨ててカロリーナはぼくの隣を通って馬車に向かった。
同じ女性が来たのでエリが喜んでカロリーナに話しかけ始めた。
鉄砲のように放たれるエリの言葉をカロリーナは淡々と短く返す。
それでも女性二人の会話というのは男性には入りにくいもののようで、
タークが居心地が悪くなったらしくこっちに戻ってきた。
「金を渡したのかい。」
「ああ、渡さないとどうなるか分からないからな。」
「すまない。」
「まぁ、賑やかになったし、これで道中飽きることがないだろ。」
話していると、ライアンが大きな荷物を持って入ってきた。
「皆さんお揃いですか、遅れて申し訳ありません。」
「ライアン、一人女の子が増えたんだが、構わないかな。」
「それは賑やかになりそうですね、カロリーナさんも女性が増えて安心でしょ
う。」
ガシャンガシャンいう自分の荷物と、置いてあったキーンの荷物を軽々と持っ
て、
馬車に積み始める、ライアン。どうやら悪いヤツじゃなさそうだ、頼りにな
る。
ぼくとタークの荷物を積み終わった頃、キーンも戻ってきた。
ぼくはキーンに聞こえるようにだけつぶやいた。
「他の二人は追加で金なんて必要ないみたいだよ?」
「それは良かったですね、マスター。ですがいざというとき私は命など惜しく
ありませんよ。
私は金さえ頂ければ、何でもしますので、覚えておいてください。」
この人は何のために生きて居るんだ。ぼくはそんな疑問が浮かんだ。
「予定通り、まずは北のハイゼンに寄る。そしてその後、ソフィニアに向か
う。さぁ、出発だ!」
馬車に馬を繋ぎ、ぼくは出発の声を叫んだ。
馬車小屋を出て中央通りを北へ登る。まずは門から街を出なければならない。
街を出る者に対して警備は厳しくない、ぼくら子供の行き先がばれぬように、
馬車の中で見つからないようにしていた。
ぼくは遠く、小さくなっていくぼくの生まれた街を見るのが楽しみだったのだ
けれども、
街を出てすぐ森に入ってしまったため、気が付いたらもう街は見えなくなって
いた。
ちょっと寂しくなったけれども、ぼくにはもう旅の仲間がいたから辛くなかっ
た。
実は、昨夜はなかなか寝付けなかった。
見知らぬ人間と旅に出なければいけない。
ぼくは死なないけれども、売られて一生奴隷として働かされ、
16になったとたん過労死なんて事があるかも知れないと思っていた。
それにぼくが大丈夫でもカークのことは心配だった。
期待より不安に押しつぶされて夜を過ごした。
でもいまは、期待で胸がいっぱいになっている。
賑やかな、ぼくのこの世で一番仲の良い友達二人と、
金のためだけどこうして微笑みあいながら共に歩める仲間がいるから安心だ。
そう思ったら急に眠気が襲ってきた。
「さっそく馬車酔いしたみたいだ。しばらく寝かせてくれ。」
「そうですか、遅めの昼食の時間には起こしますよ。ゆっくり休んでくださ
い。」
マスターをつけろ、という前にぼくは眠りに落ちてしまった。
NPC:サーカス、カイン、ライアン、エリザベス
場所:カルマーン
朝食時を過ぎたカフェは人が少ない。と思っていたのだがそれはどうやら間違
いのようだ。
ぼくとタークの二人だけで五人分のテーブルとイスを確保しているのが申し訳
なく思えるぐらい、
カフェは客でにぎわっていた。隣のテーブルを見る限りでは、みな遅めの朝食
が目当てらしい。
知り合いに会いたくなかった、冒険者ギルドのならず者と待ち合わせをしてい
るところを知り合いに見られたら、
ぼくの行き先がばれるのもかなり早くなってしまうはずだ。
だから、ぼくの似合わない安いカフェで、カークの服を借りて着ているのだ。
カークの方は逆に、ぼくの持っているような品格の高い服はあまり持ち合わせ
ていないらしい。
そこは身分の違いだし、それを超えてぼくはカークを良き友だと思ってる。
「こんな時間に朝食とは・・・・どうせ夜遅くまで酒ばかり飲んでいたんだろ
うな。
貧しい人間は時間を有効に使う力も貧しいんだな。夜早く寝れば朝日がとて
も気持ちいいのに。」
「夕陽が暮れると共に目覚めるトウヤからそんな言葉が聞けるなんてね。」
「この旅のために朝早く起きる生活にしてみたんだ。
あんなに早起きが清々しいモノだとは、思っても見なかったよ。」
苦笑しながら、ぼくはカークがさっきくれた紙に目を落とした。
その紙にはカークが調べてきてくれた冒険者の名前と経歴のようなモノが書い
てあった。
まずは、ライアン。ファミリーネームはないのか、身分はきっと平民以下だ
な。
「なぁ、このライアンってヤツは、元騎士って書いてあるけどどういうこと
だ。
しかも人情深く女子供に優しい、それで居て努力家?こんな騎士向けのヤツ
が何で今も現役じゃないんだ。」
「分からないよ。」
「辞めたか、辞めさせられたか、とにかく何か事情があったんだろうな。信用
できない。」
ぼくがサーカス・アルゥ・ミリアムをタークと呼ぶのは親愛を込めてだ。
短い呼び名は親近感を感じさせる。
だが呼びやすいのにはもう一つ利点がある。それは命令しやすいことだ。
立場の上の者が下の者の名を略して呼び、逆に立場の低い者は高い者に対し
て、
ミスターやマスターなどつけて呼び、自分の意見や報告を的確に伝えるのだ。
それが、ある世界ではルールになっているのだとパパから教わったことがあ
る。
ライアン、この男の呼び方はライでいいかな。
次の男はカイン・アデル。
金に強欲な男。金を払えば何でもする。と書いてある。
こいつも信用ならないやつだな。マシなのは居ないのか。不安になってきた。
それでも持っている金には少し自信があった。
この旅のために、自分の持ち物や家の安い調度品を売り払った。
買い与えてくれたパパには悪いとは思ったが、金がないのが理由で旅を失敗さ
せたくない。
この旅は、他人から見たらたいしたこと無いかも知れないけれどぼくにとって
は大切だった。
ぼくはあと二年とちょっとしか・・・・・それなのに一生家と学校の往復ばか
りしているのは耐えられない。
呼び方はキーンで良いかな。
次は女性だ。カロリーナ・スリヴィエ。
人柄が掴めるほどこの街のギルドには長くいるわけではないらしい。
この人だけランクがDなのはおそらく、女性は腕より美貌で選べとぼくが言っ
たからだろう。
「このカロリーナってのは、美人なんだろうなぁ。」
「多分ね。私だって会ったこと無い。オヤジどもには評判が良いらしい。」
「年は幾つぐらいなのか分からなかったのか。」
「女性の年を知るのがどれだけ大変か分かってないね・・・。」
「知るか。」
まぁ、長旅の間に仲良くなれるだろう。
ぼく自身が長旅に耐えられるか心配だが、寂しくなったと泣きつけば案外簡単
に落ちるかも知れないな。
それとも頼りない子供より、同行する別の男の方が女性にとっては魅力的なん
だろうか。
ぼくからみんな離れていってしまうのだろうか、ミキさんのように・・・・。
「ところでカーク・・・・。」
「ん、なにか?」
「・・・・ここまでぼくに付き合ってくれてありがとう。お陰でずっと願って
た旅に出られる。
でも、本当に一緒に来るのか。護衛を雇ったんだから別に付いてきてくれな
くても良いんだぞ。」
「いや、絶対に付いていくよ。ここでトウヤを一人で行かせたら、もしかした
らもう二度と会えないかも知れない。
私はトウヤの最後の時まで、ずっといっしょにいるんだ。だから一緒に行かせ
てくれ。」
「カーク、何があるか分からないんだぞ。」
「大丈夫さ、トウヤより先には死なない。最後の時まで絶対一緒だ。」
「だといいが。」
「・・・・・。なぁ、トウヤ。実は・・・・・」
カークの言葉を遮って、男が一人話しかけてきた。
「もしかして、トウヤ・アルゥ・セルシエナかな。」
「ぼくがそうだ。ギルドの者かな?」
「驚いた、まさかこんな子供だったとは!」
「子供でも依頼人だ、口を慎んでくれ。」
「ははは、言うねぇ。私はカイン・アデルだ。よろしく。」
「よろしく。まぁ、かけたまえ。こっちはぼくの友人だ。」
カークの紹介をしようとしたとき、近くのテーブルに座っていた男女が飲み物
を持って立ち上がった。
そしてこっちを見ながら歩いてくる。
男の方は太い腕に、厚い胸板で、頭まで筋肉かいと聞きたくなるくらい体中ム
キムキだった。
そして女性の方は、男に比べたら子供のように小さかったけれども、きっとぼ
くより背は高い。
綺麗な人だったが、顔に染みついたような冷たい表情のせいで、ぼくにはいま
いちぴんと来ない。
「もし、セルシエナ殿かな。」
「いかにも。ライアンにカロリーナだね。かけたまえ。」
カークがぼくの隣にずれ、三人と向き合う形でテーブルに着いた。
ライアンとカトリーナは確かぼくらより前から居たはずで、
ぼくが依頼人だとはきっと微塵も思わなかったんだろうな。
「改めて、ぼくがトウヤ・アルゥ・セルシエナだ。こっちは友人のサーカス・
アルゥ・ミリアム。」
「よろしくお願いします。」
「ぼくのことは、マスターと呼んでくれ。」
「こんな子供がマスターか。これは暫く楽しくなりそうだ。くっくっく。」
キーンめ、子供扱いしやがって。いつか立派な大人になって見返してやりたい
な。
大人になれるものなら・・・・。いや、年じゃないさ、この旅でぼくは大人に
なるんだ。
「ライアンとカトリーナは知り合いなのか?」
「ええ、一度仕事であったことがあるの」
「そうか、よろしく。みな旅の準備はもう出来てるか?」
「荷物はまとめてありますが、まだ宿屋に置いてありますよ。」
「カフェになんて持ってくれるかっての。」
ぼくは持ってきてしまったよ。カークと出かけてくるとママに行って家を出
て、
ばれないよう用意しておいたスーツケースをもって家を出てきたのだ。
「じゃぁ、一度とってきてくれ。キャメロンという馬車小屋で合流しよう。」
「カーク・・・・・・まさか、さっき言いかけていたのはこのことか?」
「すまない。」
「どうしてこんなことに!」
「すまない、ついつい話してしまって、そしたら付いていくって聞かなく
て。」
ぼくはいま馬車小屋にいる。カルマーンの中央通りに面した比較的寂れた馬車
小屋だ。
そこにはカークが用意してくれた馬と、馬車だけが用意されているはずなのだ
が、
スーツケースを引きずってたどり着いたぼくらを待っていたのは、
馬に話しかけながらブラシで背中を撫でる、良く見知った女の子だった。
「あ、やっときたのー?遅くて待ちくたびれちゃった!」
「エリ、なにをやってるんだ。」
「む、あたしはずっと待ってたのに、全然来ないからブラシ借りてお馬さんの
世話してたのよ!」
エリザベス・マルゥ・マックウィルソン。
ぼくとタークと同じ学校に通う、仲の良い友人だ。
たしかタークがお熱だったはずなんだが、まさか危険な旅に連れて行く訳じゃ
ないだろうな。
「昨日はね、ワクワクして眠れなかったんだ~」
「じゃぁ眠いだろう、今から帰って寝ると良いよ。」
「あれ、まだ今日は出発しないの?」
来るつもりだったのか、やっぱり!
タークめ、何を考えているんだ。
「本当にすまない。」
ああ、首っ丈だからダメとは言えないのか。惚れた男の弱みだなぁ。
でも女の子を連れて行けるような軽々しい旅じゃないし。
エリの親は・・・・ああ、そうか、駄目な飲んだくれ親父が一人だったな。
「いえ、これから出発のはずですよね」
「なにー!トウヤってば騙して置いてきぼりにしようとしたなぁ!」
誰が余計なことを、と振り向くと居たのはキーンだった。
金に強欲、という文句にはそぐわない、優しい微笑みをエリに向けていた。
「絶対行くんだから!あたし一人だけ留守番なんて絶対ヤダよ!」
「といってますよ、マスター。大丈夫、安全は保障しますよ。払う金を払って
くれればね。」
エリに聞こえないよう、キーンは囁いた。
やはり金のことを考えていたのか、くそ、一瞬でも微笑みに愛情のようなもの
を感じたのは、
金のためなら表情も作れると言ったところなのだろうか。
「なんのことだい。」
「いやですねぇ、マスター。お二人様護衛の依頼が三名様になるんですよ?」
「つまり依頼料を増やせと言うことかな。」
「頂けないならお坊ちゃま方お二人だけを護衛するだけですから。」
「・・・・・二割増やせばいいか?」
「二人が三人ですよ、五割り増しでお願いします。」
「三割だ。」
「五割いただきます。」
金を渡せば何でもやる男、逆にいえば金がなければいつ裏切るか・・・。
金の量に答える男なら多く渡しておかないとまずいかもしれない。
「四割増しでどうだ。」
「その四割、前渡しして貰えますか。」
「逃げる気じゃないだろうな。」
「逃げませんよ、ただ頂いたら預けに行きますが。」
ランクCの冒険者だ、こんなところで依頼をすっぽかすわけがない・・・。
ぼくはちらっとエリの方を見た。今はカークと二人して馬車の荷物の点検をし
ている。
カークはエリを説得しているつもりだろうが、ここからは馴れ合っているよう
にしか見えない。
この旅で二人が仲良くなれたらそれも良いかもしれないな。
ぼくには未来はない、この旅はぼくの自己満足。でも、二人の間に残る何かが
あるなら・・・・。
ぼくは、金貨を入れた袋から何枚か硬貨を取り出してキーンに手渡した。
「すぐ戻りますよ。荷物はここに置いておきますね。」
そういってキーンは外へ出て行った。
入れ替わりにカロリーナが入ってきた。
「やぁ、実は旅の仲間が一人増えたんだが、いいかな。」
「私はかまわないわ。」
そう言い捨ててカロリーナはぼくの隣を通って馬車に向かった。
同じ女性が来たのでエリが喜んでカロリーナに話しかけ始めた。
鉄砲のように放たれるエリの言葉をカロリーナは淡々と短く返す。
それでも女性二人の会話というのは男性には入りにくいもののようで、
タークが居心地が悪くなったらしくこっちに戻ってきた。
「金を渡したのかい。」
「ああ、渡さないとどうなるか分からないからな。」
「すまない。」
「まぁ、賑やかになったし、これで道中飽きることがないだろ。」
話していると、ライアンが大きな荷物を持って入ってきた。
「皆さんお揃いですか、遅れて申し訳ありません。」
「ライアン、一人女の子が増えたんだが、構わないかな。」
「それは賑やかになりそうですね、カロリーナさんも女性が増えて安心でしょ
う。」
ガシャンガシャンいう自分の荷物と、置いてあったキーンの荷物を軽々と持っ
て、
馬車に積み始める、ライアン。どうやら悪いヤツじゃなさそうだ、頼りにな
る。
ぼくとタークの荷物を積み終わった頃、キーンも戻ってきた。
ぼくはキーンに聞こえるようにだけつぶやいた。
「他の二人は追加で金なんて必要ないみたいだよ?」
「それは良かったですね、マスター。ですがいざというとき私は命など惜しく
ありませんよ。
私は金さえ頂ければ、何でもしますので、覚えておいてください。」
この人は何のために生きて居るんだ。ぼくはそんな疑問が浮かんだ。
「予定通り、まずは北のハイゼンに寄る。そしてその後、ソフィニアに向か
う。さぁ、出発だ!」
馬車に馬を繋ぎ、ぼくは出発の声を叫んだ。
馬車小屋を出て中央通りを北へ登る。まずは門から街を出なければならない。
街を出る者に対して警備は厳しくない、ぼくら子供の行き先がばれぬように、
馬車の中で見つからないようにしていた。
ぼくは遠く、小さくなっていくぼくの生まれた街を見るのが楽しみだったのだ
けれども、
街を出てすぐ森に入ってしまったため、気が付いたらもう街は見えなくなって
いた。
ちょっと寂しくなったけれども、ぼくにはもう旅の仲間がいたから辛くなかっ
た。
実は、昨夜はなかなか寝付けなかった。
見知らぬ人間と旅に出なければいけない。
ぼくは死なないけれども、売られて一生奴隷として働かされ、
16になったとたん過労死なんて事があるかも知れないと思っていた。
それにぼくが大丈夫でもカークのことは心配だった。
期待より不安に押しつぶされて夜を過ごした。
でもいまは、期待で胸がいっぱいになっている。
賑やかな、ぼくのこの世で一番仲の良い友達二人と、
金のためだけどこうして微笑みあいながら共に歩める仲間がいるから安心だ。
そう思ったら急に眠気が襲ってきた。
「さっそく馬車酔いしたみたいだ。しばらく寝かせてくれ。」
「そうですか、遅めの昼食の時間には起こしますよ。ゆっくり休んでくださ
い。」
マスターをつけろ、という前にぼくは眠りに落ちてしまった。
PC:カロリーナ トウヤ
NPC:サーカス エリザベス ライアン カイン
場所:林道
___________________________
既に夜営も三度目。道中は穏やかであった。
地図によれば道から外れたところに水辺があるらしく、ライアンとカインが
水を汲みに行くことになった。
「残ったのは女子供か。まぁ、あの陰気なレディに力仕事は期待できないから
仕方ないが、あまりのんびりはしない方がよいな」
前を歩くライアンに話しかけるカイン。
「確かに、早く戻るに越したことはありませんが、彼女なら大丈夫です。余程
のことがない限り心配ありません」
妙にはっきりと言い切るライアンに、カインは眉をひそめる。
「そういえば、前に仕事で会ったとか言ってたな」
「はい。丁度一年くらい前だったと思います。その頃私は傭兵として戦争に参
加していて、彼女もそうでした。そして、ある戦で同じ陣営で戦いました」
その時のことを思い出しているのだろう。ライアンは目を細めて森の暗がり
を見つめているようだった。
「カイン、彼女の戦闘スタイルをどのように推測します?」
「推測も何も、弓しかないと思うが。肌身離さず持ってるじゃないか。見た限
り他に武器はなさそうだし、まぁ魔法の心得があってもおかしくはないが」
「そう、彼女はよく弓を使う。しかし、あなたは矢を見ましたか?」
記憶を辿るカイン。思わず足を止めてしまう。
ない。確かになかった。矢がなければ弓など何の役にも立たない。ではなぜ?
なぜ彼女は弓だけを持っているのか。
「傭兵団の中で、彼女は『魔弓の射手』と呼ばれていました」
「魔弓だって? あれが? 俺はそっちの方面には詳しくないが、随分と安っ
ぽい魔弓があったものだな」
カロリーナの持つ弓は、特に何の意匠もないありふれたものだった、ように
思う。
「私はこの目で見ました。彼女が弦を弾くと、一人、また一人と敵兵が倒れて
ゆくのを。そして、彼女の戦術の本質は弓での遠距離攻撃ではない」
「何なんだ?」
「口止めされています。『敵を欺くにはまず味方から』だそうで。・・・いず
れ目にする機会があるかも知れません」
いつの間にか二人は完全に足を止めて話し込んでいた。
来た道の方から微かな悲鳴が聞こえたのはその時であった。
時はやや遡る。
焚き木を囲む四人。トウヤとサーカスはカルマーンの思い出や、まだ見ぬ希
望の地について語り合い、カロリーナはどうやら木に彫刻をしているらしい。
エリザベスはその手元をじっと見ている。
「すごい・・・どうしたらそんなに上手く彫れるんですか?」
「もう、随分長い間続けてるから・・・私がこれを始めたのは五つか六つの時
だったわ。それに、とても腕の良い先生がいたの」
エリザベスは出来上がった小さな鳥を見てしきりに感心している。女性二人
ということもあって、彼女たちは大分打ち解けているようだ。
その様子を見ていたサーカスがエリザベスに声を掛ける。
「エリザ、私にも見せてくれないか?」
はい、と手渡される小鳥。
トウヤとサーカスはそれをまじまじと見て、思わず感嘆の声を上げる。
「これは、すごいな。屋敷にも高名な彫刻家の作品がいくつかあったが、それ
に引けをとらない」
「カロリーナさんは、どうしてこんな危険な仕事をしているんです? これだ
けの腕があれば工房で働けるんじゃないですか?」
「・・・・・」
「カロリーナさん?」
カロリーナは無言で手元の弓を取った。何かを察したサーカスが後ろを振り
返り、釣られて残りの二人も振り向く。
エリザベスが悲鳴を上げた。
駆けつけたライアン達が見たのは、刃物を突きつけられて縛られようとして
いる四人だった。
二人は茂みに隠れ、様子を伺う。相手は旅人を狙う盗賊団のようだ。数
は・・・六人。
「何が心配ありません、だ。ライアン、どうする?」
ふむ、と考え込むライアン。頭の中身まで筋肉のように見える彼だが、その
実思慮深いようである。
「彼女ならこんな盗賊団物の数ではありません。しかし戦おうとしない」
「武器がないんだろ」
「いえ、弓は足元にありますし・・・・彼女に武器は必要ない」
その間にも四人は縛られ、馬車から荷物が運び出されてゆく。
「おい、早くどうにかしないと、あいつらは売られるか殺されるかのどちらし
かないぞ」
「そうですね・・・きっとそうだ。恐らく彼女はそれを待っている。行きまし
ょう。正面から」
「こっちは人質を取られてるんだぞ?」
「大丈夫、心配ありません」
「お前の『心配ありません』はあてにならない」
そう言うカインを無視して、ライアンは茂みから飛び出した。カインも慌て
て後を追う。どうにでもなれ、と呟きながら。
盗賊団は二人が姿を現すなり、人質に向けた刃物を近づけ、二人を牽制し
た。
「武器を置け、こいつらの命が惜しくなければな」
あっさりと武器を置くライアン。それを倣うカイン。
二人の登場に期待の表情を見せたトウヤは、再び絶望の色を浮かべ、エリザ
ベスに至ってはほとんど泣き出しそうである。そんな中でカロリーナだけが平
然としていた。
武器を地面に落とした二人に近づく四人の盗賊。彼らが人質がからやや離れ
た時、カロリーナが動いた。
「・・・・・・っ!」
声にならない悲鳴を上げながら、喉を切り裂かれた二人の盗賊が倒れる。カ
ロリーナ達に刃物を向けていた二人だ。ライアンとカインに近づく四人は気づ
かない。
カロリーナは足元にあった弓を取って、矢もなしに、射る。風切り音がし
て、背を向けていた盗賊の延髄に透明な何かが突き刺さった。
異変に気づいて振り返った三人だが、その瞬間に四人目の犠牲者が出た。い
つの間にかに二人だけになっていた盗賊たちは混乱しつつも、身構える。そし
て武器を拾い上げたライアンとカインに一人ずつ後ろから殺された。
全ては一瞬の出来事であった。トウヤ、サーカス、エリザベスの三人は何が
起きたのか分からず、ただ呆けている。
「水は?」
沈黙を突き刺したのはカロリーナの平坦な声であった。
「いや、途中で悲鳴が聞こえて・・・・」
「そう。まだ多少余裕があるのだし、あきらめて移動しましょう。ここに留ま
るのは、この子達に良くないわ」
そうだな、と呟いて、カインは冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
「あれが彼女の能力です。何もないところから透明な武器を作り出す・・・・
知らない相手はひとたまりもありません」
一行は慌しく薄闇を移動しはじめた。
馬車の中は奇妙な沈黙に支配されている。この夜はこれで終わったが、それ
は本当の始まりの前の、ささやかな余興でしかなかった。
NPC:サーカス エリザベス ライアン カイン
場所:林道
___________________________
既に夜営も三度目。道中は穏やかであった。
地図によれば道から外れたところに水辺があるらしく、ライアンとカインが
水を汲みに行くことになった。
「残ったのは女子供か。まぁ、あの陰気なレディに力仕事は期待できないから
仕方ないが、あまりのんびりはしない方がよいな」
前を歩くライアンに話しかけるカイン。
「確かに、早く戻るに越したことはありませんが、彼女なら大丈夫です。余程
のことがない限り心配ありません」
妙にはっきりと言い切るライアンに、カインは眉をひそめる。
「そういえば、前に仕事で会ったとか言ってたな」
「はい。丁度一年くらい前だったと思います。その頃私は傭兵として戦争に参
加していて、彼女もそうでした。そして、ある戦で同じ陣営で戦いました」
その時のことを思い出しているのだろう。ライアンは目を細めて森の暗がり
を見つめているようだった。
「カイン、彼女の戦闘スタイルをどのように推測します?」
「推測も何も、弓しかないと思うが。肌身離さず持ってるじゃないか。見た限
り他に武器はなさそうだし、まぁ魔法の心得があってもおかしくはないが」
「そう、彼女はよく弓を使う。しかし、あなたは矢を見ましたか?」
記憶を辿るカイン。思わず足を止めてしまう。
ない。確かになかった。矢がなければ弓など何の役にも立たない。ではなぜ?
なぜ彼女は弓だけを持っているのか。
「傭兵団の中で、彼女は『魔弓の射手』と呼ばれていました」
「魔弓だって? あれが? 俺はそっちの方面には詳しくないが、随分と安っ
ぽい魔弓があったものだな」
カロリーナの持つ弓は、特に何の意匠もないありふれたものだった、ように
思う。
「私はこの目で見ました。彼女が弦を弾くと、一人、また一人と敵兵が倒れて
ゆくのを。そして、彼女の戦術の本質は弓での遠距離攻撃ではない」
「何なんだ?」
「口止めされています。『敵を欺くにはまず味方から』だそうで。・・・いず
れ目にする機会があるかも知れません」
いつの間にか二人は完全に足を止めて話し込んでいた。
来た道の方から微かな悲鳴が聞こえたのはその時であった。
時はやや遡る。
焚き木を囲む四人。トウヤとサーカスはカルマーンの思い出や、まだ見ぬ希
望の地について語り合い、カロリーナはどうやら木に彫刻をしているらしい。
エリザベスはその手元をじっと見ている。
「すごい・・・どうしたらそんなに上手く彫れるんですか?」
「もう、随分長い間続けてるから・・・私がこれを始めたのは五つか六つの時
だったわ。それに、とても腕の良い先生がいたの」
エリザベスは出来上がった小さな鳥を見てしきりに感心している。女性二人
ということもあって、彼女たちは大分打ち解けているようだ。
その様子を見ていたサーカスがエリザベスに声を掛ける。
「エリザ、私にも見せてくれないか?」
はい、と手渡される小鳥。
トウヤとサーカスはそれをまじまじと見て、思わず感嘆の声を上げる。
「これは、すごいな。屋敷にも高名な彫刻家の作品がいくつかあったが、それ
に引けをとらない」
「カロリーナさんは、どうしてこんな危険な仕事をしているんです? これだ
けの腕があれば工房で働けるんじゃないですか?」
「・・・・・」
「カロリーナさん?」
カロリーナは無言で手元の弓を取った。何かを察したサーカスが後ろを振り
返り、釣られて残りの二人も振り向く。
エリザベスが悲鳴を上げた。
駆けつけたライアン達が見たのは、刃物を突きつけられて縛られようとして
いる四人だった。
二人は茂みに隠れ、様子を伺う。相手は旅人を狙う盗賊団のようだ。数
は・・・六人。
「何が心配ありません、だ。ライアン、どうする?」
ふむ、と考え込むライアン。頭の中身まで筋肉のように見える彼だが、その
実思慮深いようである。
「彼女ならこんな盗賊団物の数ではありません。しかし戦おうとしない」
「武器がないんだろ」
「いえ、弓は足元にありますし・・・・彼女に武器は必要ない」
その間にも四人は縛られ、馬車から荷物が運び出されてゆく。
「おい、早くどうにかしないと、あいつらは売られるか殺されるかのどちらし
かないぞ」
「そうですね・・・きっとそうだ。恐らく彼女はそれを待っている。行きまし
ょう。正面から」
「こっちは人質を取られてるんだぞ?」
「大丈夫、心配ありません」
「お前の『心配ありません』はあてにならない」
そう言うカインを無視して、ライアンは茂みから飛び出した。カインも慌て
て後を追う。どうにでもなれ、と呟きながら。
盗賊団は二人が姿を現すなり、人質に向けた刃物を近づけ、二人を牽制し
た。
「武器を置け、こいつらの命が惜しくなければな」
あっさりと武器を置くライアン。それを倣うカイン。
二人の登場に期待の表情を見せたトウヤは、再び絶望の色を浮かべ、エリザ
ベスに至ってはほとんど泣き出しそうである。そんな中でカロリーナだけが平
然としていた。
武器を地面に落とした二人に近づく四人の盗賊。彼らが人質がからやや離れ
た時、カロリーナが動いた。
「・・・・・・っ!」
声にならない悲鳴を上げながら、喉を切り裂かれた二人の盗賊が倒れる。カ
ロリーナ達に刃物を向けていた二人だ。ライアンとカインに近づく四人は気づ
かない。
カロリーナは足元にあった弓を取って、矢もなしに、射る。風切り音がし
て、背を向けていた盗賊の延髄に透明な何かが突き刺さった。
異変に気づいて振り返った三人だが、その瞬間に四人目の犠牲者が出た。い
つの間にかに二人だけになっていた盗賊たちは混乱しつつも、身構える。そし
て武器を拾い上げたライアンとカインに一人ずつ後ろから殺された。
全ては一瞬の出来事であった。トウヤ、サーカス、エリザベスの三人は何が
起きたのか分からず、ただ呆けている。
「水は?」
沈黙を突き刺したのはカロリーナの平坦な声であった。
「いや、途中で悲鳴が聞こえて・・・・」
「そう。まだ多少余裕があるのだし、あきらめて移動しましょう。ここに留ま
るのは、この子達に良くないわ」
そうだな、と呟いて、カインは冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
「あれが彼女の能力です。何もないところから透明な武器を作り出す・・・・
知らない相手はひとたまりもありません」
一行は慌しく薄闇を移動しはじめた。
馬車の中は奇妙な沈黙に支配されている。この夜はこれで終わったが、それ
は本当の始まりの前の、ささやかな余興でしかなかった。
PC:セラフィナ ザンクード
NPC:
場所:カフール国境近辺
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
前日まで、酷い豪雨が続いていた。少なくとも、カフールへ急ぐ旅人が宿に
連泊するほどには、一帯は旅に不向きな環境であった。雨の勢いは強く、数件
離れた家も霞んで見える。窓をぼんやり眺め、それでも風がないだけましなの
だろうか、とセラフィナは考える。横殴りの雨ではなく、上から叩きつけられ
るような雨。修理の追いつかない宿の一角では、雨漏りが奏でる水滴の音が止
まずに響いている。もう何日降り続いていただろうか……急いで馬を駆ってい
たときには考えないようにしていた顔が浮かんでは消えた。何事もなかったか
のように目の前に現れ、笑いかけてくれたらどんなにいいだろう。だが、自分
が突き放したのだ。彼を危険に晒さずに済むようになるまで、会いには行けな
い。
そんなもやもやを抱えたまま、さらに数日が過ぎ、ぬかるんだ大地にようや
く雲間から光が差し込んだ。
「……まだ止めといたらどうだい。足場が悪いし、馬が滑ると怪我するよ?」
「いえ、ちょっと急いでいるものですから」
「そうかい? 無理に引きとめはしないが、気を付けな」
「ありがとうございます」
雨が止んで、一番に身支度を整える。祖国カフールへ戻るために。
セラフィナは宿を出て街道を少し進むと、馬を山道の方へ向けた。今でもセ
ラフィナの命を狙っているものがどこかにいて、帰国を阻止しようとしている
はずだった。だから、街道沿いに国境を越えるわけにはいかない。普段人通り
のない山から入った方が無難だろう、という判断だった。
「この辺まで来れば、後は東へ向かえばいいはず」
口に出しながら、雲間に途切れ途切れに顔を出す日の位置を確認する。もう
随分カフールへと近づいているはずだった。
「!?」
川を渡ろうと浅瀬を探していたところ、上流に倒れた人のような姿が見え
た。豪雨のせいで川は増水し、川幅も広くなっている。もちろん流れも速い。
すぐにでも助けに行きたいところだが、その人影は泥にまみれ、反対側の川岸
に流れ着いているようだった。小さく唇を噛む。
「馬は渡れそうにないですね……」
優しく馬を撫でると、馬具の後ろに積んだ旅支度を解き始める。毛布や携帯
食料の入った背負い袋を下ろし、縛っていたロープを解く。ロープは細めだ
が、長く丈夫なものだった。先に鉤状の爪が付いている。そのロープをヒュン
ヒュンと音を立てながら数度振り回すと、向こう岸へ投げた。そして頃合を見
計らって軽く引き寄せる。迫り出した木の幹に三度巻きつくと、鉤爪は狙い通
りにロープを固定した。セラフィナが安堵の息を漏らす。
実際はここからが大変なのだ。ロープのもう片方の端をこちら側の木に結び
つける。ピンと張るのはなかなか困難な作業なのだが、向こう岸よりも高い位
置の太い枝にロープを引っ掛け、体重をかけて慎重にロープを張った。滑車が
あれば楽に渡れるだろうが、そんなものは旅支度に含まれていない。
セラフィナは少し考えると、馬から鞍を外し、ロープの上に渡した。毛布も
背負い袋の紐で縛り付け、一緒に背負い込む。
「いずれにしても、渡る必要があるんですから……」
自分に言い訳をしつつ、危険を承知で身を躍らせる。鐙(あぶみ)にかけた
手が、かかる重さに悲鳴を上げる。セラフィナは渋面になりながらも必死に堪
え、足が流れに飲み込まれないよう体を曲げた。硬い鞍はロープを滑るように
向こう岸へセラフィナを運ぶ。
木にぶつかる前に足を何とかクッションにし、勢いのついた体を止める事が
出来た。しかし、手は真っ赤に染まり、じんじんと痺れが残っている。腕や肩
にも余計な負担をかけたようだが、倒れている人影の方が気がかりだった。息
はあるのだろうか。
よろり、とセラフィナが立ち上がる。泥流にまみれた人影は、よく見ると人
ではない何かだった。しかし、かすかに動くのを見た事が、セラフィナに力を
与えた。
(アレは……蟲と呼ばれる種族かしら)
セラフィナが蟲について知っていることは少ない。文献で読んだ中には、大
きく3つの勢力があることと、蜂種・蟻種には女王が存在することが書かれて
いたくらいだろうか。ああ、もっとも危険な殺戮集団“侵略種血統”を忘れて
はいけない。カフールでは殆ど見かけるどころか噂も聞かない蟲種だが、過去
に蟲種特有の毒で死者が出た事があったはずだ。カフール奥地の山に隠れ住ん
でいないとも限らない。
(でも、怪我をしている。助けなければ)
複眼は見慣れないものだったが、その腕には深い傷が見えた。傷を閉じる前
に荷物を降ろし、毛布をかけて暖め、水筒の水で傷口をすすぐ。毒でただれて
いる様な傷口を出来るだけ触れないように両手で覆うと、解毒に集中する。
「……ね、え……さん」
途切れ途切れに聞こえたのは間違いなく人が話す言葉で、一瞬意識が戻る
と、再び意識を手放したようだった。セラフィナは一度かすかに笑みを浮かべ
ると、まだ赤く腫れた両手で治療を再開した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ぱちぱちっと枝が爆ぜる音がする。事情があって帰国を急いでいるにもかか
わらず、患者を放って行けないのがセラフィナであった。くたくたになるまで
治療を続け、解毒をし、傷を塞ぐ頃には日は傾いてきていた。山は夜に歩く場
所ではない。そのくらいは分かっているつもりだ。
携帯食料をかじりながら焚き火に拾ってきた細枝をくべる。折れ落ちた細枝
は水分を含んでいるから、しばらくするとまたぱちっと火が爆ぜた。空には星
が出始めていた。雲も随分減ったようだ。
「……!?」
気が付いたのだろう、毛布を跳ね飛ばして臨戦態勢になった患者に、セラフ
ィナは動じずに声をかけた。
「一応傷は塞ぎましたが、完治にはまだかかりますよ」
穏やかに語りかける。蟲種の患者は傷跡と毛布を見比べ、辺りに殺気がない
ことから少し離れた位置に腰を下ろした。
「セラフィナです。あなたは?」
「……ザンクード」
まだ警戒を解かない患者に、セラフィナは尋ねた。
「この川は、カフールを通っていますね。何があったんですか」
「……」
「答えられないなら違う質問にしましょう。ねえさんって誰です?」
「!?」
ザンクードは目に見えて狼狽した。そして、しどろもどろに語りだしたのだ
った。
NPC:
場所:カフール国境近辺
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
前日まで、酷い豪雨が続いていた。少なくとも、カフールへ急ぐ旅人が宿に
連泊するほどには、一帯は旅に不向きな環境であった。雨の勢いは強く、数件
離れた家も霞んで見える。窓をぼんやり眺め、それでも風がないだけましなの
だろうか、とセラフィナは考える。横殴りの雨ではなく、上から叩きつけられ
るような雨。修理の追いつかない宿の一角では、雨漏りが奏でる水滴の音が止
まずに響いている。もう何日降り続いていただろうか……急いで馬を駆ってい
たときには考えないようにしていた顔が浮かんでは消えた。何事もなかったか
のように目の前に現れ、笑いかけてくれたらどんなにいいだろう。だが、自分
が突き放したのだ。彼を危険に晒さずに済むようになるまで、会いには行けな
い。
そんなもやもやを抱えたまま、さらに数日が過ぎ、ぬかるんだ大地にようや
く雲間から光が差し込んだ。
「……まだ止めといたらどうだい。足場が悪いし、馬が滑ると怪我するよ?」
「いえ、ちょっと急いでいるものですから」
「そうかい? 無理に引きとめはしないが、気を付けな」
「ありがとうございます」
雨が止んで、一番に身支度を整える。祖国カフールへ戻るために。
セラフィナは宿を出て街道を少し進むと、馬を山道の方へ向けた。今でもセ
ラフィナの命を狙っているものがどこかにいて、帰国を阻止しようとしている
はずだった。だから、街道沿いに国境を越えるわけにはいかない。普段人通り
のない山から入った方が無難だろう、という判断だった。
「この辺まで来れば、後は東へ向かえばいいはず」
口に出しながら、雲間に途切れ途切れに顔を出す日の位置を確認する。もう
随分カフールへと近づいているはずだった。
「!?」
川を渡ろうと浅瀬を探していたところ、上流に倒れた人のような姿が見え
た。豪雨のせいで川は増水し、川幅も広くなっている。もちろん流れも速い。
すぐにでも助けに行きたいところだが、その人影は泥にまみれ、反対側の川岸
に流れ着いているようだった。小さく唇を噛む。
「馬は渡れそうにないですね……」
優しく馬を撫でると、馬具の後ろに積んだ旅支度を解き始める。毛布や携帯
食料の入った背負い袋を下ろし、縛っていたロープを解く。ロープは細めだ
が、長く丈夫なものだった。先に鉤状の爪が付いている。そのロープをヒュン
ヒュンと音を立てながら数度振り回すと、向こう岸へ投げた。そして頃合を見
計らって軽く引き寄せる。迫り出した木の幹に三度巻きつくと、鉤爪は狙い通
りにロープを固定した。セラフィナが安堵の息を漏らす。
実際はここからが大変なのだ。ロープのもう片方の端をこちら側の木に結び
つける。ピンと張るのはなかなか困難な作業なのだが、向こう岸よりも高い位
置の太い枝にロープを引っ掛け、体重をかけて慎重にロープを張った。滑車が
あれば楽に渡れるだろうが、そんなものは旅支度に含まれていない。
セラフィナは少し考えると、馬から鞍を外し、ロープの上に渡した。毛布も
背負い袋の紐で縛り付け、一緒に背負い込む。
「いずれにしても、渡る必要があるんですから……」
自分に言い訳をしつつ、危険を承知で身を躍らせる。鐙(あぶみ)にかけた
手が、かかる重さに悲鳴を上げる。セラフィナは渋面になりながらも必死に堪
え、足が流れに飲み込まれないよう体を曲げた。硬い鞍はロープを滑るように
向こう岸へセラフィナを運ぶ。
木にぶつかる前に足を何とかクッションにし、勢いのついた体を止める事が
出来た。しかし、手は真っ赤に染まり、じんじんと痺れが残っている。腕や肩
にも余計な負担をかけたようだが、倒れている人影の方が気がかりだった。息
はあるのだろうか。
よろり、とセラフィナが立ち上がる。泥流にまみれた人影は、よく見ると人
ではない何かだった。しかし、かすかに動くのを見た事が、セラフィナに力を
与えた。
(アレは……蟲と呼ばれる種族かしら)
セラフィナが蟲について知っていることは少ない。文献で読んだ中には、大
きく3つの勢力があることと、蜂種・蟻種には女王が存在することが書かれて
いたくらいだろうか。ああ、もっとも危険な殺戮集団“侵略種血統”を忘れて
はいけない。カフールでは殆ど見かけるどころか噂も聞かない蟲種だが、過去
に蟲種特有の毒で死者が出た事があったはずだ。カフール奥地の山に隠れ住ん
でいないとも限らない。
(でも、怪我をしている。助けなければ)
複眼は見慣れないものだったが、その腕には深い傷が見えた。傷を閉じる前
に荷物を降ろし、毛布をかけて暖め、水筒の水で傷口をすすぐ。毒でただれて
いる様な傷口を出来るだけ触れないように両手で覆うと、解毒に集中する。
「……ね、え……さん」
途切れ途切れに聞こえたのは間違いなく人が話す言葉で、一瞬意識が戻る
と、再び意識を手放したようだった。セラフィナは一度かすかに笑みを浮かべ
ると、まだ赤く腫れた両手で治療を再開した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ぱちぱちっと枝が爆ぜる音がする。事情があって帰国を急いでいるにもかか
わらず、患者を放って行けないのがセラフィナであった。くたくたになるまで
治療を続け、解毒をし、傷を塞ぐ頃には日は傾いてきていた。山は夜に歩く場
所ではない。そのくらいは分かっているつもりだ。
携帯食料をかじりながら焚き火に拾ってきた細枝をくべる。折れ落ちた細枝
は水分を含んでいるから、しばらくするとまたぱちっと火が爆ぜた。空には星
が出始めていた。雲も随分減ったようだ。
「……!?」
気が付いたのだろう、毛布を跳ね飛ばして臨戦態勢になった患者に、セラフ
ィナは動じずに声をかけた。
「一応傷は塞ぎましたが、完治にはまだかかりますよ」
穏やかに語りかける。蟲種の患者は傷跡と毛布を見比べ、辺りに殺気がない
ことから少し離れた位置に腰を下ろした。
「セラフィナです。あなたは?」
「……ザンクード」
まだ警戒を解かない患者に、セラフィナは尋ねた。
「この川は、カフールを通っていますね。何があったんですか」
「……」
「答えられないなら違う質問にしましょう。ねえさんって誰です?」
「!?」
ザンクードは目に見えて狼狽した。そして、しどろもどろに語りだしたのだ
った。
PC:セラフィナ ザンクード
NPC:ゴキブリ血統種軍団&侵略種幹部
場所:カフール国境近辺
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
───空そらには…僅かな重低音が響き始めていた。
全てが深い闇に包まれた刻、東の果ての森の奥深く…霧に包まれ濃い緑がかかった更
なる闇の中を…高速で蠢く影が飛び交っていた。
通常の人間が飛び出せば一瞬ではね飛ばされる程の超高速で、樹木駆け回り時にぶつ
かり合うその影は…
時に刃物の衝突する音を立て、火花を散らし辺りの枝から果ては樹木まで斬り裂いて
いた。
と……突如その中で大きく呻く断末魔。それはヒトのモノどころか、一般に見られる
生物のそれよりもずっと醜いうなり声である。
醜い断末魔が森の中に響きわたり…バラバラになって大木から降ってくるナニカ…。
それは当然ヒトでも無く…余りにも醜くく、まるで鳥でも獣でもなく…昆虫に近い異
形の外骨格に覆われた怪物の骸であった。
それも無数の投擲小鎌が胴体を貫き、首から腕まで細切れにされた無残な死骸であ
る。
<ギズリーッ!!>
直後に轟く…硬質な物を激しくこすりあわせるような、ギチギチと鳴り響く“声”…
その“声”の根元を辿ると、そこには亡きギズリと呼ばれた異形の同族達が、巨大な
大木の枝に群をなしていた。
彼らは黒色とも言って良い程濃い茶色の外骨格と鎧に体を覆われ、黒い複眼と鋏状の
口のあるバケモノの形相で憤怒し、長く伸びた触角で相手を探る
<後悔すると言ったはずだ。>
そんな言葉が先程のような“声”で響く。
群の異形達は振り向くと、更に高い巨大な大木の先端に、朧気な月光に照らされたも
う一体の異形を見つける。
先程と同じく異形の外骨格がその一体にも覆っていたが、対峙する群のおどろおどろ
しい形状をした茶色の外骨格とは異なり、どちらかと言えば細長く人型に近く、付近
の樹木の葉の如く深い緑に染まった外骨格だった。
<ザンクードッ!!…てめぇよくも…>
<安心しろ…、もう直ぐ仲間の下に送ってやる、貴様ら外道をな…>
そんな言葉を彼らの触角が感知すると、逆上した群はほうこうし、直後に頂点まで唸
り声が達した暗雲が月光をかき消し、稲光が呻く。
高速移動で襲いかかる群。
事態の全ての動きを予め読み切っていた…ザンクードという名で呼ばれしその異形
は、深緑の闇に落下し…地に着く直前で羽を展開し飛ぶ。
すると低空飛行で辺りの落ち葉を撒き散らした直後、外骨格の体色が変化し、落ち葉
が地面に落ちる頃には…判別不能な領域までに深き森の景色の闇に紛れ、群はその姿
を見失う。
ギチギチと牙を擦りあわせ発生させた音波で、
<探し出してブチ殺せェッ!!>
と空中で騒ぎ出し、辺りを探るが…
……背後から突如として投擲小鎌の雨が飛来し一体が斬り刻まれ、
その攪乱に乗じて続いて二体目が突然背に重圧がかかるかと思うと…そこに深緑の闇
と同化したザンクードが、その一体の背に乗るような体勢で元の体色を露わにして姿
を現し、背後からの至近距離で…鋭利な棘と爪が付いた手刀が繰り出す斬撃で斬り刻
み、相手の異形がバラバラになると…次の“足場”へ跳躍するように空中を飛んでま
た姿を消す。
<探せェッ!!ブチ殺せェ!早く奴の擬態を炙り出してブチ殺せェッ!!>
姿を察知し、群達は鉤爪を剥き出し闇雲に辺りの森の木を斬り裂き始めるが、
最中にある一体は突如鎖で締め殺され、またある一体は混乱を利用されて斬り倒され
る樹木に潰され…
群は相手の思惑通りに攪乱されその数を消耗していく。
<騒かずとも…、お前らは全員死ぬ。>
とうとう生き残りが三体となった群はその声に反応し振り返ると、そこには泥で湿っ
た草村に着地し…いつの間にか既に元の体色に変化していたザンクードがそこにい
た。
周囲に生き残った三体の異形が舞い降りると同時に待ちかまえる…
三体は連携を取って標的を取り囲み、それを察知すると鎧の背部に手を回すと、ザン
クードはヌンチャクのような武器を取り出してから振り回し始め…構えると同時に棍
の部分が鎌のような武器に可変し、二丁鎌が鎖で繋がれた鎌ヌンチャクに形態を変え
た。
次第に三体は速度を上げる。それは到底人間の肉眼では確認出来ぬ程の超速にまで達
し…
そしてそれが一定にまで到達したその時…
<くたばれぇッ!!!!>
風を切って彼らの姿は消え、そのいびつ爪が標的の異形の腹を喰い破る…
その寸前───…
腰部を軸にして上半身をほぼ90度に反ると、構えていた鎌ヌンチャクの鎖で…
腹を喰い破ろうとして急接近した群の一体の腕を捕らえ、
そのまま体に回転をかけて次に攻撃を仕掛けるもう一体に叩きつけ、鎖を解くと同時
に外骨格の関節を狙い投擲小鎌を投げつけ、空中で回転する刃で二体はバラバラに刻
む。
直後、その背後に最後の一体であるリーダー格が高速接近し…牙で噛み千切ろうとす
るが…
──<…遅い>
瞬間的に反応した彼の殺戮能力の方が速く、もう少しで牙が触れる直前で外骨格の体
色が変化し、回避と同時に消えた。
相手は激情し、気配をその長く伸びた触角で探ろうと振り返るが…
──……刹那─ 息が止まる程の殺気が背後から襲い……
触角が斬り裂かれた瞬時にリーダー格の四肢に鎖がを巻き付き、身動きがとれなくな
ると…元の体色で相手が現れたのを確認した直後…
<終わりだ…>
リーダー格の心臓は…回転をかけて縛り付く鎖の最先端についた鎌に突き刺され、鎖
を解かれた勢いで鎌を引き抜くと…さらに首から下をザンクードの持つもう一方の鎌
に千切りにされ…激しい流血を上げてリーダー格の首が落ちた。
暫時───森の気配が静かになり、倒れた異形を…見下ろして首を蹴りで異形の仲間
の死骸へと寄せると、“彼”は手にした二丁鎌に付着した己の命を狩りに来た者達の
血を振り払う。
──ふと物思いにふけるように、彼は…“皮肉”にも、仲睦まじく寄り添う骸を見つ
め佇んでいると…
やがて激しい雨が降り出す。
雨に打たれ…彼は思う。
これは重ねる殺戮の天命を洗い流すモノではなく、ただその寒気で彼を攻め続ける拷
問のソレでしかない、と…───
彼は次の標的の動向も掴んでいたため、即座な足を歩ませた…が…。
──その時
殺気を感じた彼は鎌ヌンチャクを構えたとほぼ同時に…紫色の刀身の刃が襲った。
間一髪、外骨格に多少かする程度ですみ、鎖で受け止めた刃を跳ね返し、
襲いかかる脅威を確認すると…それは…自分と同族の異形の外骨格を持つ者ではな
く、唐笠をさし紅い着物を羽織った一人の舞子の女だった。
「どこへ行く気だい…“暗鬼刀”さん…。あたいと遊ばないかい?」
無色なまでに白い肌で、紅く塗られた口で嘲笑い、手には先程の紫色の刀身をもつ刀
が握られており、
女の真上の闇には、巨大な獣がまるでそこに隠れているかのように・…不気味な眼球
が
浮いていた。
彼は牙を擦りあわせ無害な超音波を発生させて女に放ち…触角に跳ね返り伝わる音波
の反応を、感覚神経を通して複眼に“映像処理”させる。
蝙蝠の超音波の扱いに酷似したこの能力は、
簡単に言うなら骨格レベルでの硬質な物質のみを視覚化する透視能力。
つまりは骸を被った“侵略種”を見抜く護身術であり…
案の定…彼の察しは的中した。
女の背後にあるのは…獣の眼球では無かった。木陰から見せた…獣の眼球のように見
えるその正体は、血のように濃厚な紅い四枚の羽の異様な模様であり、彼は即座に投
擲小鎌を投げつけ距離をとるが、女はその四枚の羽で宙を舞い軽々と避けた。
「声帯言語で…俺出し抜けるとでも思ったか?」
「あら、残念。“見た”のねェ~。えげつないわぁ~」
すると、彼はさっきまでのギチギチという音波から…通常の声帯から発せられる声に
変わり女に話かけると…
女の声は…男の声のモノへ変化していく。
「貴様らのような外道に許されるのか…、他者をえげつないと言うセリフを吐く事
が…」
「殺りまくりのあんたも同じ穴のムジナじゃないのよぉ~♪あたいら“仲間”じゃな
ぁい♪」
「そんなもの俺には不必要な要因に過ぎない。ましてや貴様は下世話すぎる。連携な
ど取らずとも…お前の首を斬る事は出来る。」
鎌ヌンチャクを構え戦闘体勢をとる。
「カリカリしちゃって…。そんなに根に持つような事?…あの女“喰った”事が…」
と…ここで女が言った言葉に対し…
先ほどまで、彼の冷淡な思考に怒りのブレが見え始めたのはこの時だった…
彼にとって、この相手が出現する事は想定外だったが…
殺傷能力で比較するなら、さっきまでの雑魚よりも多少高い程度で脅威とは思えない
範囲だと、先程受けた攻撃から推測していた…。“連中”の幹部の奴を殺すなら今だ
という事は充分察していた…。
逆上の殺気が彼から漏れだし……体色変化と高速移動で姿が消えた瞬間、
直後、その殺気のみを具現化したような刃が女の首に食らいつこうと迫った………。
─ところが…
消えてから女が微笑みながら指を鳴らした時だった。──
刃が女の首に触れる寸前…
切っ先の速度が鈍り女に回避されると、彼に突然目眩と息苦しさが襲い、足下がぐら
つき始めた。
痛覚に感じる痺れの感覚を踏ん張るが…
…周囲の闇の色素にとけ込んでいた外骨格が…茶色の斑模様に変色し始めた……。
彼は…女の姿をかぶったソレが宙に浮き、急降下で猛毒の塗られた刀で斬りかかって
くるのを反射的に交わそうとしてギリギリ鎌ヌンチャクの鎖の防御で防ぎるが…毒が
体力を奪い続け、全感覚が次第に薄れていく。
<この神経毒食らってよく立てるねぇ~♪けどォ…十八番の擬態は使用不可ッ♪!!つ
いでにあんたの体の機能は…もって1日も経たないうちに止まっちまうんだからねェ
エッ!!♪この刃の毒が外骨格に触れた時点で…あんたの負けさぁッ!!♪>
斬り合いの最中に伝えられる死の宣告…
薄れゆく意識の中、怒りで立ち上がるものの…必死に防御の動きを止めなかったザン
クードだったが、
とうとう腹を毒の塗られた刃が貫き、
勢いよく引き抜かれ…ザンクードは牙の隙間から血を吐き出すと、痺れが限界を越え
た脚は遂に膝が着き…ゆっくりと力尽き果てて倒れた。
「もう少し楽しませてくれたら良いのにねェ…。」
毒に侵食されていく相手を見下ろしながら、それだけ言って…ゲタゲタと笑うその女
の表情は…
次第に禍々くなっていき、すでに鋏状の牙がむき出し眼球は昆虫の複眼と化してい
た。
意識が全く無いザンクードは…外骨格ごと首もとを掴まれ、
片腕一本で…人間の女のものとは思えない程の力で投げ飛ばされると…
嵐で濁流化した付近の河川に叩き落とされた。
<さぁて…そろそろ行かないとね…ギドリが五月蝿く言わないウチに…、蜂や蟻ども
に気付かれると厄介だしね…>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
―――――――─良いかい?…ザンクード。あんたがもしこの“戦い方”ってやつを
完全に会得したその時…、あんたは誰かの“刀”になるんだよ…────
ふとそんな…懐かしい声が聞こえ…、悪夢に覚めかけていた彼には…ぼやけた長い髪
の女の残像が見え…─
────「姉…さん…?」
やがてそれは…彼がよく知る人物でない事がはっきりと視覚化されていき…、完全に
覚醒したと同時に体が反応し、…仰向けに倒れた状態の自分の付近に女の姿が映った
瞬間、
──半身を起き上がらせ、相手が身を引き戦闘に充分な距離を取らせる間も与えない
程の速度で…手刀の爪を相手の眼前すれすれに突き立てた。
自身の記憶が途切れた箇所が確かなら、あの突然現れた毒蛾血統に死の宣告を受けて
から…嵐の濁流に飲まれたはずだった。
周囲を見た状況判断から、俺は嵐が収まった夜中の山中におり…
焚き火が燃えている最中…目の前には全く面識の無い人間の女がいる…
「一応傷は塞ぎましたが、完治にはまだかかりますよ」
人間の女の顔には…恐れというものが無く、この状況にも関わらずただ満面に微笑み
ながら…そんな医者のようなセリフを吐く。
音波探知で相手を見ても、恐らく“侵略種”ではない…。ただの人間である。
恐る恐る己の体に目を向ければ…外骨格の変色は消え、外傷もほぼ治癒されかけてい
る…。
半身に掛けられている毛布、女の側には荷物があり、すぐ隣には自分の上半身の鎧と
武器…。
治療するにあたっておそらく外したかのように見せて、抵抗の手段を奪い取る、…と
いう理由も…ザンクードは当てはめたが…
そんな姑息な方法を手にする奴ならば…そうだとしても今の臨戦態勢で、想定外の危
険性に対する手段を考慮しないなら“同業者”としてはかなりの素人だと考えられ
た。
“俺の体に何か施した事は明確であり…
河岸が付近だった事から推測するに、濁流に飲まれた後に…嵐が収まってから俺は岸
に流れ着き、この女に運ばれたというのは察する事が出来るが、
…その目的が不明。
だが……現時点ではこいつに、俺が殺される可能性は無いだ…。
殺気が無いのもただ隠しているだけなのかもしれないが…、そうだとしても…危険性
はまず無い。”
──そう判断した彼は…
女の眼前に向けた手刀を退かせ、臨戦態勢を解いて女から離れた位置に座る。
「セラフィナです。あなたは…?」
「……ザンクード」
人間共には二つ名しかあまり知られていないのが幸いだった。
侵略種と無関係でないなら話は別だが…。
「この川はカフールに通っていますね。何があったんですか」
やや神経そうな表情で話かけ、どんなに危険ないざこざに巻きこまれて死にかけてい
たか分からない相手の素性を質問する相手を…
実に向こう見ずで…余程“死に急いでるバカ女”だと彼は思い、敢えて答えたくはな
かった。
触角から“連中”の匂いも気配も感じられ無いので、既に目的地に移動を開始した後
だと彼は察知出来たが…
何らかの目的で多数の兵士を引き連れてこの先のカフールという国に向かって移動し
てる情報から、彼がそれを追って来た所で戦闘になり死にかけたと言ってみれば…
こういう人間は真っ先に興味本意で接触した挙げ句、“連中”のディナーになる眼に
見えていた。
「答えられ無いなら違う質問をしましょう。“ねえさん”って誰です?」
…と、質問責めが…とうとう彼の寝言の話までエスカレートしてくるのに対し…ザン
クードは焦った。
視覚がかすんでいたとは言え…“身内”とこの女を間違えた事についてだったので…
流石に少々怯んだ。
「…聞いてたのか…」
「はい、一応」
その外骨格の顔面には表情など無いが…
彼は困ったように頭を抑え…こればかり参ったと言いたげな素振りを見せると、
「…見ず知らずの貴様には関係無い…。忘れろ。一切だ」
「そう…ですか」
ぴしゃりと言って相手を怯ませる中、ザンクードは改めて腕の状態を診る
「治してくれたのか…」
「はい…」
と…爪から腕の棘まで舐めるように確認している様が…まるで鎌状の腕の手入れをす
るカマキリに見えたのか…
クスりと微笑される。
「・…なんだ?」
「…ゴメンなさい。あなたみたいな方に会ったのは初めてだったもので…」
恐らく…よほどものすごく不快に思ったのか、
ザンクードはこんな事を言う。
「俺は歩く昆虫図鑑じゃない。いい標本が造れそうか?」
「いえっ・・そんなつもりじゃ」
「別にいい…“そういう扱い”は腐るほど慣れてる。」
―たちまち重圧な沈黙を、辺りにぶちまけてしまう・…―
「……」
本心は…相手を探るための挑発のつもりでもあったが…
…お互いとてつもなくやり難い状態になっているのに少々罪悪感を感じ…
先に口を開いたのはザンクードだった。
「…不躾ですまない…。おかげで、“仕事”で死にかけたところを命拾いで済んだ
…恩に着る」
「え…あ、いえ…こちらこそ」
そしてやっと本題に話を進めた。
「ここの地元民なら…頼みたい事がある。もし良ければ…この先のカフールという地
への近道を案内して欲しい。」
今は“奴ら”を追う事が最優先であり…このセラフィナという女が何者であれ、案内
人としての利用価値はあると踏んだザンクードは、その返答を待ちかまえた。
NPC:ゴキブリ血統種軍団&侵略種幹部
場所:カフール国境近辺
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
───空そらには…僅かな重低音が響き始めていた。
全てが深い闇に包まれた刻、東の果ての森の奥深く…霧に包まれ濃い緑がかかった更
なる闇の中を…高速で蠢く影が飛び交っていた。
通常の人間が飛び出せば一瞬ではね飛ばされる程の超高速で、樹木駆け回り時にぶつ
かり合うその影は…
時に刃物の衝突する音を立て、火花を散らし辺りの枝から果ては樹木まで斬り裂いて
いた。
と……突如その中で大きく呻く断末魔。それはヒトのモノどころか、一般に見られる
生物のそれよりもずっと醜いうなり声である。
醜い断末魔が森の中に響きわたり…バラバラになって大木から降ってくるナニカ…。
それは当然ヒトでも無く…余りにも醜くく、まるで鳥でも獣でもなく…昆虫に近い異
形の外骨格に覆われた怪物の骸であった。
それも無数の投擲小鎌が胴体を貫き、首から腕まで細切れにされた無残な死骸であ
る。
<ギズリーッ!!>
直後に轟く…硬質な物を激しくこすりあわせるような、ギチギチと鳴り響く“声”…
その“声”の根元を辿ると、そこには亡きギズリと呼ばれた異形の同族達が、巨大な
大木の枝に群をなしていた。
彼らは黒色とも言って良い程濃い茶色の外骨格と鎧に体を覆われ、黒い複眼と鋏状の
口のあるバケモノの形相で憤怒し、長く伸びた触角で相手を探る
<後悔すると言ったはずだ。>
そんな言葉が先程のような“声”で響く。
群の異形達は振り向くと、更に高い巨大な大木の先端に、朧気な月光に照らされたも
う一体の異形を見つける。
先程と同じく異形の外骨格がその一体にも覆っていたが、対峙する群のおどろおどろ
しい形状をした茶色の外骨格とは異なり、どちらかと言えば細長く人型に近く、付近
の樹木の葉の如く深い緑に染まった外骨格だった。
<ザンクードッ!!…てめぇよくも…>
<安心しろ…、もう直ぐ仲間の下に送ってやる、貴様ら外道をな…>
そんな言葉を彼らの触角が感知すると、逆上した群はほうこうし、直後に頂点まで唸
り声が達した暗雲が月光をかき消し、稲光が呻く。
高速移動で襲いかかる群。
事態の全ての動きを予め読み切っていた…ザンクードという名で呼ばれしその異形
は、深緑の闇に落下し…地に着く直前で羽を展開し飛ぶ。
すると低空飛行で辺りの落ち葉を撒き散らした直後、外骨格の体色が変化し、落ち葉
が地面に落ちる頃には…判別不能な領域までに深き森の景色の闇に紛れ、群はその姿
を見失う。
ギチギチと牙を擦りあわせ発生させた音波で、
<探し出してブチ殺せェッ!!>
と空中で騒ぎ出し、辺りを探るが…
……背後から突如として投擲小鎌の雨が飛来し一体が斬り刻まれ、
その攪乱に乗じて続いて二体目が突然背に重圧がかかるかと思うと…そこに深緑の闇
と同化したザンクードが、その一体の背に乗るような体勢で元の体色を露わにして姿
を現し、背後からの至近距離で…鋭利な棘と爪が付いた手刀が繰り出す斬撃で斬り刻
み、相手の異形がバラバラになると…次の“足場”へ跳躍するように空中を飛んでま
た姿を消す。
<探せェッ!!ブチ殺せェ!早く奴の擬態を炙り出してブチ殺せェッ!!>
姿を察知し、群達は鉤爪を剥き出し闇雲に辺りの森の木を斬り裂き始めるが、
最中にある一体は突如鎖で締め殺され、またある一体は混乱を利用されて斬り倒され
る樹木に潰され…
群は相手の思惑通りに攪乱されその数を消耗していく。
<騒かずとも…、お前らは全員死ぬ。>
とうとう生き残りが三体となった群はその声に反応し振り返ると、そこには泥で湿っ
た草村に着地し…いつの間にか既に元の体色に変化していたザンクードがそこにい
た。
周囲に生き残った三体の異形が舞い降りると同時に待ちかまえる…
三体は連携を取って標的を取り囲み、それを察知すると鎧の背部に手を回すと、ザン
クードはヌンチャクのような武器を取り出してから振り回し始め…構えると同時に棍
の部分が鎌のような武器に可変し、二丁鎌が鎖で繋がれた鎌ヌンチャクに形態を変え
た。
次第に三体は速度を上げる。それは到底人間の肉眼では確認出来ぬ程の超速にまで達
し…
そしてそれが一定にまで到達したその時…
<くたばれぇッ!!!!>
風を切って彼らの姿は消え、そのいびつ爪が標的の異形の腹を喰い破る…
その寸前───…
腰部を軸にして上半身をほぼ90度に反ると、構えていた鎌ヌンチャクの鎖で…
腹を喰い破ろうとして急接近した群の一体の腕を捕らえ、
そのまま体に回転をかけて次に攻撃を仕掛けるもう一体に叩きつけ、鎖を解くと同時
に外骨格の関節を狙い投擲小鎌を投げつけ、空中で回転する刃で二体はバラバラに刻
む。
直後、その背後に最後の一体であるリーダー格が高速接近し…牙で噛み千切ろうとす
るが…
──<…遅い>
瞬間的に反応した彼の殺戮能力の方が速く、もう少しで牙が触れる直前で外骨格の体
色が変化し、回避と同時に消えた。
相手は激情し、気配をその長く伸びた触角で探ろうと振り返るが…
──……刹那─ 息が止まる程の殺気が背後から襲い……
触角が斬り裂かれた瞬時にリーダー格の四肢に鎖がを巻き付き、身動きがとれなくな
ると…元の体色で相手が現れたのを確認した直後…
<終わりだ…>
リーダー格の心臓は…回転をかけて縛り付く鎖の最先端についた鎌に突き刺され、鎖
を解かれた勢いで鎌を引き抜くと…さらに首から下をザンクードの持つもう一方の鎌
に千切りにされ…激しい流血を上げてリーダー格の首が落ちた。
暫時───森の気配が静かになり、倒れた異形を…見下ろして首を蹴りで異形の仲間
の死骸へと寄せると、“彼”は手にした二丁鎌に付着した己の命を狩りに来た者達の
血を振り払う。
──ふと物思いにふけるように、彼は…“皮肉”にも、仲睦まじく寄り添う骸を見つ
め佇んでいると…
やがて激しい雨が降り出す。
雨に打たれ…彼は思う。
これは重ねる殺戮の天命を洗い流すモノではなく、ただその寒気で彼を攻め続ける拷
問のソレでしかない、と…───
彼は次の標的の動向も掴んでいたため、即座な足を歩ませた…が…。
──その時
殺気を感じた彼は鎌ヌンチャクを構えたとほぼ同時に…紫色の刀身の刃が襲った。
間一髪、外骨格に多少かする程度ですみ、鎖で受け止めた刃を跳ね返し、
襲いかかる脅威を確認すると…それは…自分と同族の異形の外骨格を持つ者ではな
く、唐笠をさし紅い着物を羽織った一人の舞子の女だった。
「どこへ行く気だい…“暗鬼刀”さん…。あたいと遊ばないかい?」
無色なまでに白い肌で、紅く塗られた口で嘲笑い、手には先程の紫色の刀身をもつ刀
が握られており、
女の真上の闇には、巨大な獣がまるでそこに隠れているかのように・…不気味な眼球
が
浮いていた。
彼は牙を擦りあわせ無害な超音波を発生させて女に放ち…触角に跳ね返り伝わる音波
の反応を、感覚神経を通して複眼に“映像処理”させる。
蝙蝠の超音波の扱いに酷似したこの能力は、
簡単に言うなら骨格レベルでの硬質な物質のみを視覚化する透視能力。
つまりは骸を被った“侵略種”を見抜く護身術であり…
案の定…彼の察しは的中した。
女の背後にあるのは…獣の眼球では無かった。木陰から見せた…獣の眼球のように見
えるその正体は、血のように濃厚な紅い四枚の羽の異様な模様であり、彼は即座に投
擲小鎌を投げつけ距離をとるが、女はその四枚の羽で宙を舞い軽々と避けた。
「声帯言語で…俺出し抜けるとでも思ったか?」
「あら、残念。“見た”のねェ~。えげつないわぁ~」
すると、彼はさっきまでのギチギチという音波から…通常の声帯から発せられる声に
変わり女に話かけると…
女の声は…男の声のモノへ変化していく。
「貴様らのような外道に許されるのか…、他者をえげつないと言うセリフを吐く事
が…」
「殺りまくりのあんたも同じ穴のムジナじゃないのよぉ~♪あたいら“仲間”じゃな
ぁい♪」
「そんなもの俺には不必要な要因に過ぎない。ましてや貴様は下世話すぎる。連携な
ど取らずとも…お前の首を斬る事は出来る。」
鎌ヌンチャクを構え戦闘体勢をとる。
「カリカリしちゃって…。そんなに根に持つような事?…あの女“喰った”事が…」
と…ここで女が言った言葉に対し…
先ほどまで、彼の冷淡な思考に怒りのブレが見え始めたのはこの時だった…
彼にとって、この相手が出現する事は想定外だったが…
殺傷能力で比較するなら、さっきまでの雑魚よりも多少高い程度で脅威とは思えない
範囲だと、先程受けた攻撃から推測していた…。“連中”の幹部の奴を殺すなら今だ
という事は充分察していた…。
逆上の殺気が彼から漏れだし……体色変化と高速移動で姿が消えた瞬間、
直後、その殺気のみを具現化したような刃が女の首に食らいつこうと迫った………。
─ところが…
消えてから女が微笑みながら指を鳴らした時だった。──
刃が女の首に触れる寸前…
切っ先の速度が鈍り女に回避されると、彼に突然目眩と息苦しさが襲い、足下がぐら
つき始めた。
痛覚に感じる痺れの感覚を踏ん張るが…
…周囲の闇の色素にとけ込んでいた外骨格が…茶色の斑模様に変色し始めた……。
彼は…女の姿をかぶったソレが宙に浮き、急降下で猛毒の塗られた刀で斬りかかって
くるのを反射的に交わそうとしてギリギリ鎌ヌンチャクの鎖の防御で防ぎるが…毒が
体力を奪い続け、全感覚が次第に薄れていく。
<この神経毒食らってよく立てるねぇ~♪けどォ…十八番の擬態は使用不可ッ♪!!つ
いでにあんたの体の機能は…もって1日も経たないうちに止まっちまうんだからねェ
エッ!!♪この刃の毒が外骨格に触れた時点で…あんたの負けさぁッ!!♪>
斬り合いの最中に伝えられる死の宣告…
薄れゆく意識の中、怒りで立ち上がるものの…必死に防御の動きを止めなかったザン
クードだったが、
とうとう腹を毒の塗られた刃が貫き、
勢いよく引き抜かれ…ザンクードは牙の隙間から血を吐き出すと、痺れが限界を越え
た脚は遂に膝が着き…ゆっくりと力尽き果てて倒れた。
「もう少し楽しませてくれたら良いのにねェ…。」
毒に侵食されていく相手を見下ろしながら、それだけ言って…ゲタゲタと笑うその女
の表情は…
次第に禍々くなっていき、すでに鋏状の牙がむき出し眼球は昆虫の複眼と化してい
た。
意識が全く無いザンクードは…外骨格ごと首もとを掴まれ、
片腕一本で…人間の女のものとは思えない程の力で投げ飛ばされると…
嵐で濁流化した付近の河川に叩き落とされた。
<さぁて…そろそろ行かないとね…ギドリが五月蝿く言わないウチに…、蜂や蟻ども
に気付かれると厄介だしね…>
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―――――――─良いかい?…ザンクード。あんたがもしこの“戦い方”ってやつを
完全に会得したその時…、あんたは誰かの“刀”になるんだよ…────
ふとそんな…懐かしい声が聞こえ…、悪夢に覚めかけていた彼には…ぼやけた長い髪
の女の残像が見え…─
────「姉…さん…?」
やがてそれは…彼がよく知る人物でない事がはっきりと視覚化されていき…、完全に
覚醒したと同時に体が反応し、…仰向けに倒れた状態の自分の付近に女の姿が映った
瞬間、
──半身を起き上がらせ、相手が身を引き戦闘に充分な距離を取らせる間も与えない
程の速度で…手刀の爪を相手の眼前すれすれに突き立てた。
自身の記憶が途切れた箇所が確かなら、あの突然現れた毒蛾血統に死の宣告を受けて
から…嵐の濁流に飲まれたはずだった。
周囲を見た状況判断から、俺は嵐が収まった夜中の山中におり…
焚き火が燃えている最中…目の前には全く面識の無い人間の女がいる…
「一応傷は塞ぎましたが、完治にはまだかかりますよ」
人間の女の顔には…恐れというものが無く、この状況にも関わらずただ満面に微笑み
ながら…そんな医者のようなセリフを吐く。
音波探知で相手を見ても、恐らく“侵略種”ではない…。ただの人間である。
恐る恐る己の体に目を向ければ…外骨格の変色は消え、外傷もほぼ治癒されかけてい
る…。
半身に掛けられている毛布、女の側には荷物があり、すぐ隣には自分の上半身の鎧と
武器…。
治療するにあたっておそらく外したかのように見せて、抵抗の手段を奪い取る、…と
いう理由も…ザンクードは当てはめたが…
そんな姑息な方法を手にする奴ならば…そうだとしても今の臨戦態勢で、想定外の危
険性に対する手段を考慮しないなら“同業者”としてはかなりの素人だと考えられ
た。
“俺の体に何か施した事は明確であり…
河岸が付近だった事から推測するに、濁流に飲まれた後に…嵐が収まってから俺は岸
に流れ着き、この女に運ばれたというのは察する事が出来るが、
…その目的が不明。
だが……現時点ではこいつに、俺が殺される可能性は無いだ…。
殺気が無いのもただ隠しているだけなのかもしれないが…、そうだとしても…危険性
はまず無い。”
──そう判断した彼は…
女の眼前に向けた手刀を退かせ、臨戦態勢を解いて女から離れた位置に座る。
「セラフィナです。あなたは…?」
「……ザンクード」
人間共には二つ名しかあまり知られていないのが幸いだった。
侵略種と無関係でないなら話は別だが…。
「この川はカフールに通っていますね。何があったんですか」
やや神経そうな表情で話かけ、どんなに危険ないざこざに巻きこまれて死にかけてい
たか分からない相手の素性を質問する相手を…
実に向こう見ずで…余程“死に急いでるバカ女”だと彼は思い、敢えて答えたくはな
かった。
触角から“連中”の匂いも気配も感じられ無いので、既に目的地に移動を開始した後
だと彼は察知出来たが…
何らかの目的で多数の兵士を引き連れてこの先のカフールという国に向かって移動し
てる情報から、彼がそれを追って来た所で戦闘になり死にかけたと言ってみれば…
こういう人間は真っ先に興味本意で接触した挙げ句、“連中”のディナーになる眼に
見えていた。
「答えられ無いなら違う質問をしましょう。“ねえさん”って誰です?」
…と、質問責めが…とうとう彼の寝言の話までエスカレートしてくるのに対し…ザン
クードは焦った。
視覚がかすんでいたとは言え…“身内”とこの女を間違えた事についてだったので…
流石に少々怯んだ。
「…聞いてたのか…」
「はい、一応」
その外骨格の顔面には表情など無いが…
彼は困ったように頭を抑え…こればかり参ったと言いたげな素振りを見せると、
「…見ず知らずの貴様には関係無い…。忘れろ。一切だ」
「そう…ですか」
ぴしゃりと言って相手を怯ませる中、ザンクードは改めて腕の状態を診る
「治してくれたのか…」
「はい…」
と…爪から腕の棘まで舐めるように確認している様が…まるで鎌状の腕の手入れをす
るカマキリに見えたのか…
クスりと微笑される。
「・…なんだ?」
「…ゴメンなさい。あなたみたいな方に会ったのは初めてだったもので…」
恐らく…よほどものすごく不快に思ったのか、
ザンクードはこんな事を言う。
「俺は歩く昆虫図鑑じゃない。いい標本が造れそうか?」
「いえっ・・そんなつもりじゃ」
「別にいい…“そういう扱い”は腐るほど慣れてる。」
―たちまち重圧な沈黙を、辺りにぶちまけてしまう・…―
「……」
本心は…相手を探るための挑発のつもりでもあったが…
…お互いとてつもなくやり難い状態になっているのに少々罪悪感を感じ…
先に口を開いたのはザンクードだった。
「…不躾ですまない…。おかげで、“仕事”で死にかけたところを命拾いで済んだ
…恩に着る」
「え…あ、いえ…こちらこそ」
そしてやっと本題に話を進めた。
「ここの地元民なら…頼みたい事がある。もし良ければ…この先のカフールという地
への近道を案内して欲しい。」
今は“奴ら”を追う事が最優先であり…このセラフィナという女が何者であれ、案内
人としての利用価値はあると踏んだザンクードは、その返答を待ちかまえた。