キャスト:ジュリア (アーサー)
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
--------------------------------------------------------------------------
なんだかひどく悪い夢を見ていたような気がするが、記憶を辿ってもその内容を思い
出すことはできなかった。目を醒まして体を起こす。体中が軋んで、ついでに肩の後ろ
がポキポキ鳴った。疲労のせいに違いない。決して歳のせいではない。
寝ぼけたまま部屋中を見渡して、眠る前とまったくおなじ感想を持った。
すなわち、よくもまぁこんな無駄に“ちゃんとした”部屋を用意したものだ、と。
恐らく一番か二番目にランクの低い客室だろう。それでも一人が専有するには十分す
ぎるほどの広さがあり、調度品もしっかりしたものだ。趣味も悪くないが、あまりにも
こざっぱりしているといえばしているか。そのせいで余計に広く見えるのかも知れない。
そんなことはどうでもいい。不満を感じない程度に眠れたのだから。
ふかふかすぎて寝心地の悪いベッドから降り、壁の衣装かけに手を伸ばす。
と、自分の服の隣にもう一着かかっているのに気が付いた。
似たようなデザインのワンピースだがどうやら背中に編み上げが入っているらしく、
胴の部分が細く絞られている。生地は一目で上等とわかるものだった。
伝え書きを置くならこの辺だろうとサイドテーブルを見ると、予想通り白い紙があっ
た。書いてあることも大体予想通りだ。
“せっかくのパーティーには是非とも汚れていない服で参加してみたらどうだろう、そ
うするなら明日には元々着ていた服を洗濯して返すつもりだけど。”
洗濯してくれるなら、ということで自分の服はかけたままにして身支度を済ませ、部
屋を出た。カーテンをかけていたので気付かなかったが、長い時間を睡眠に費やしてい
たということはなさそうだった。
窓からは日の光が差し込んでいる。夕方まではまだあるらしい。
さて、ここはどこだろう? 見覚えのあるはずがない廊下の左右を見渡す。
どちらが正しいかも、どんな場所に辿り着けば正解なのかもわからない。
とりあえずマイルズを探すべきだろうが、それこそどこにいるのか検討もつかない。
もう一眠りしてしまおうか? いや、この編み上げの服を後でまた着直すのは面倒だ。
それに、これ以上寝たら、今日中には起きられない気がする。今の状態は、明け方に
寒さか何かでふと目が醒めたときのそれによく似ている。眠気が残っているようでいて、
頭が妙に冴えている。
わずかに悩み、右へ歩き始める。
廊下の先を横切る人影が見えたのだ。迷い込むなら人間がいる方向がいい。
「――おや、お客さまですかな?」
振り向くと一人の男が立っていた。
色褪せ、変色しかけた黒の服。乞食じみた格好は、この屋敷にはあまりにも不釣合い。
ジュリアは無言で彼を観察したが、目に留める程の特徴は何一つとして見つけられな
かった。ただ、目の前に立たれてあまり気持ちのいい相手ではないな、と思った。
「ああ、道に迷ってしまって。
マイルズ・ファブリーはどこにいるかな」
「……マイルズさまの魔法使いですか。彼でしたら」
男は勿体ぶった仕草でジュリアの背後を指差した。そう、そちらへ向かおうとしてい
たのだ。二分の一の選択肢で、正解を選び取っていたらしい。ジュリアは短く礼を言っ
て男に背を向け――待て、彼はどこから現れた?
再び振り向く。無尽の廊下が続いている。ああやはりこうなるよな、いつの間にか現
れるような奴はいつの間にか消えているんだ。ただの怪奇現象の類だと自分を納得させ
ることになんとか成功すると、ジュリアはまた廊下を歩き出した。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
マイルズはすぐに見つかった。
つきあたりを右に曲がると、ちょうどこちらへ向かってくる彼と鉢合わせることにな
ったのだ。
「あれ、起きてたの」
「呪われてるんじゃないか、あのベッド。嫌な夢を見た」
「は? 何のことだ?」
「……キャベツと紅生姜が……その、寝覚めが悪いだけだ」
実際、それ以上を覚えていない。その食料品二つがどのように登場したのかも。
マイルズはきょとんとした後で「まだ寝たりないんじゃない?」と聞いてきた。恐ら
くその通りだと思う。だからといって、ジュリアは、もう一眠りはしないと既に決めて
いたので肩を竦めるだけにして、目の前の相手を無遠慮に観察した。
黒の盛装。髪も整えられていて朝とは比べものにならないほど御曹司らしい格好にな
っているようだが、残念なことにそれがあまり似合う人間ではないらしい。服に着られ
ているとかそういうことではなくて、何と言えばいいものか、根本的に
「なんとか、事業家の息子に見えなくもないな」
「見えなくてもいいさ。それにあんただって……いや、何でもない」
ジュリアは鼻で笑うだけにして追求はしなかった。
相手の言いかけたことに対して、本当に興味がなかったのだ。
「余興までまだ時間があるけど」
「なら、食事を。昨日の朝から何も胃に入れていない気がする」
「んー……会場に軽食くらいなら用意されてるはず」
言って彼は踵を返す。ジュリアは後に続いて歩きながら、さっき軽く磨いた靴の具合
を確かめた。例の遺跡歩きで酷使した影響が出ていなければいいのだが。
「マイルズ、用事があったんじゃないのか?」
「別に構わないよ。妹を探していただけだから」
何度か角を曲がり、すれ違う人々が増え始め、やがてホールへ辿り着いた。
ほんの一瞬、何だかすごく記憶に新しい、“忌々しい”料理のにおいが鼻先を掠めた
ような気がした。精神が疲労しているに違いない。
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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なんだかひどく悪い夢を見ていたような気がするが、記憶を辿ってもその内容を思い
出すことはできなかった。目を醒まして体を起こす。体中が軋んで、ついでに肩の後ろ
がポキポキ鳴った。疲労のせいに違いない。決して歳のせいではない。
寝ぼけたまま部屋中を見渡して、眠る前とまったくおなじ感想を持った。
すなわち、よくもまぁこんな無駄に“ちゃんとした”部屋を用意したものだ、と。
恐らく一番か二番目にランクの低い客室だろう。それでも一人が専有するには十分す
ぎるほどの広さがあり、調度品もしっかりしたものだ。趣味も悪くないが、あまりにも
こざっぱりしているといえばしているか。そのせいで余計に広く見えるのかも知れない。
そんなことはどうでもいい。不満を感じない程度に眠れたのだから。
ふかふかすぎて寝心地の悪いベッドから降り、壁の衣装かけに手を伸ばす。
と、自分の服の隣にもう一着かかっているのに気が付いた。
似たようなデザインのワンピースだがどうやら背中に編み上げが入っているらしく、
胴の部分が細く絞られている。生地は一目で上等とわかるものだった。
伝え書きを置くならこの辺だろうとサイドテーブルを見ると、予想通り白い紙があっ
た。書いてあることも大体予想通りだ。
“せっかくのパーティーには是非とも汚れていない服で参加してみたらどうだろう、そ
うするなら明日には元々着ていた服を洗濯して返すつもりだけど。”
洗濯してくれるなら、ということで自分の服はかけたままにして身支度を済ませ、部
屋を出た。カーテンをかけていたので気付かなかったが、長い時間を睡眠に費やしてい
たということはなさそうだった。
窓からは日の光が差し込んでいる。夕方まではまだあるらしい。
さて、ここはどこだろう? 見覚えのあるはずがない廊下の左右を見渡す。
どちらが正しいかも、どんな場所に辿り着けば正解なのかもわからない。
とりあえずマイルズを探すべきだろうが、それこそどこにいるのか検討もつかない。
もう一眠りしてしまおうか? いや、この編み上げの服を後でまた着直すのは面倒だ。
それに、これ以上寝たら、今日中には起きられない気がする。今の状態は、明け方に
寒さか何かでふと目が醒めたときのそれによく似ている。眠気が残っているようでいて、
頭が妙に冴えている。
わずかに悩み、右へ歩き始める。
廊下の先を横切る人影が見えたのだ。迷い込むなら人間がいる方向がいい。
「――おや、お客さまですかな?」
振り向くと一人の男が立っていた。
色褪せ、変色しかけた黒の服。乞食じみた格好は、この屋敷にはあまりにも不釣合い。
ジュリアは無言で彼を観察したが、目に留める程の特徴は何一つとして見つけられな
かった。ただ、目の前に立たれてあまり気持ちのいい相手ではないな、と思った。
「ああ、道に迷ってしまって。
マイルズ・ファブリーはどこにいるかな」
「……マイルズさまの魔法使いですか。彼でしたら」
男は勿体ぶった仕草でジュリアの背後を指差した。そう、そちらへ向かおうとしてい
たのだ。二分の一の選択肢で、正解を選び取っていたらしい。ジュリアは短く礼を言っ
て男に背を向け――待て、彼はどこから現れた?
再び振り向く。無尽の廊下が続いている。ああやはりこうなるよな、いつの間にか現
れるような奴はいつの間にか消えているんだ。ただの怪奇現象の類だと自分を納得させ
ることになんとか成功すると、ジュリアはまた廊下を歩き出した。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
マイルズはすぐに見つかった。
つきあたりを右に曲がると、ちょうどこちらへ向かってくる彼と鉢合わせることにな
ったのだ。
「あれ、起きてたの」
「呪われてるんじゃないか、あのベッド。嫌な夢を見た」
「は? 何のことだ?」
「……キャベツと紅生姜が……その、寝覚めが悪いだけだ」
実際、それ以上を覚えていない。その食料品二つがどのように登場したのかも。
マイルズはきょとんとした後で「まだ寝たりないんじゃない?」と聞いてきた。恐ら
くその通りだと思う。だからといって、ジュリアは、もう一眠りはしないと既に決めて
いたので肩を竦めるだけにして、目の前の相手を無遠慮に観察した。
黒の盛装。髪も整えられていて朝とは比べものにならないほど御曹司らしい格好にな
っているようだが、残念なことにそれがあまり似合う人間ではないらしい。服に着られ
ているとかそういうことではなくて、何と言えばいいものか、根本的に
「なんとか、事業家の息子に見えなくもないな」
「見えなくてもいいさ。それにあんただって……いや、何でもない」
ジュリアは鼻で笑うだけにして追求はしなかった。
相手の言いかけたことに対して、本当に興味がなかったのだ。
「余興までまだ時間があるけど」
「なら、食事を。昨日の朝から何も胃に入れていない気がする」
「んー……会場に軽食くらいなら用意されてるはず」
言って彼は踵を返す。ジュリアは後に続いて歩きながら、さっき軽く磨いた靴の具合
を確かめた。例の遺跡歩きで酷使した影響が出ていなければいいのだが。
「マイルズ、用事があったんじゃないのか?」
「別に構わないよ。妹を探していただけだから」
何度か角を曲がり、すれ違う人々が増え始め、やがてホールへ辿り着いた。
ほんの一瞬、何だかすごく記憶に新しい、“忌々しい”料理のにおいが鼻先を掠めた
ような気がした。精神が疲労しているに違いない。
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▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史 チャーミー 少年
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
「モルフの更なる繁栄を祝って!」
そんな台詞と共に、グラスの鳴る音があちこちで聞こえた。
喉を流れる酒はなかなかの上物で、思わず顔が緩む。
商工組合の仲間と談笑を楽しみながら、パーティは緩やかに時間が過ぎていった。
しかし、視界の端々に移る道化師、もとい魔法使いたちの不釣合いな姿が、このパーティが魔女バルメの為に開かれている事を思い出させてくれる。
頭上を強い風が通り抜けた。
見上げると、鱗の生えた巨大な生物の尻尾が視界を横切ってゆく。
「ドラゴン・・・か」
幻だろうか、それとも本当に『召喚』というやつを行ったのだろうか、招待客はその余興に感嘆の声を上げていた。
どこかから、モルフ羊の素焼きの臭いがした。
その不快な香りに、急に煙草が吸いたくなって、俺は庭に続くテラスの方へと足を向けた。
「ねぇ、クッキーを頂戴」
庭に出る一歩手前のところで、俺の服を誰かが引っ張った。
視線を下げると、そこには白いドレスを着た少女が立っている。
年は6つか7つ程、社交界に出るには早すぎる年頃だ。
おそらくファブリー家の子供だろう。
「お嬢さんお名前は?」
「チャーミーよ。チャーミー・G・ファブリー」
この年頃の女の子は、大人びているというが、少女はドレスの端をつまむと可愛く会釈をした。
俺は、苦笑すると少女の調子に合わせて答えた。
子供はあまり好きではないのだが・・・。
「初めまして、レディ。私はアーサー・テイラックと申します。残念ですがクッキーは昼間配り終えてしまいましてね」
既に夜もふけているせいか、俺を見上げる少女の顔は眠たそうな呆け顔である。
もしかしたら、寝ぼけてパーティに紛れ込んだのだろうか。
そのうち少女の存在に家の者が気がつくだろう、と周りを見渡すと、一人の少年と目が合った。
夜会服の上に、魔法使いが着るような濃紺の長衣を着るという変わった格好の少年は、俺と少女を交互に見返すとこちらに足を進めた。
途中、幾度となく客人に挨拶をしながらゆったりとした様子でやってくる。
ただの客人ではなさそうだ。
「チャーミー、もう寝る時間だろう?こんな所で・・・」
「・・・から」
「ん?」
やっと手に余る子供の面倒から解放される。
ほっと安心した俺の横で小さくチャーミーが呟いた。
「クッキーくれないなら、悪戯しちゃうから!!」
癇癪を起こした甲高い少女の声が会場に響いた。
その声に答えるかのように、開け放たれた扉から一斉に突風が飛び込む。
脇に置かれた花瓶が、テーブルの上の料理がひっくり返り、誰かの手放したハンカチがあっという間に天井に舞い上がり、風に巻かれて飛んでいった。
「――風よ!その者を包み守りたまえ!」
少年の言葉が俺に投げかけられて、温かい不思議な何かが俺を守った。
暴れ馬のように室内を蹂躙した風は、そのまま外に逃げていったのかしばらくして治まる。
シャンデリアの光が消え、人々のざわめきだけが聞こえる。
「今のは・・・なんだ?」
最後に見た少女の体には黒い薄膜に覆われた羽と、角。
まさに、子供達が扮する使い魔そのものだった。
暗闇の中で、ぽつぽつと、魔法使いたちの灯りを求める言葉が唱えられ、微かな光がともった。
その光景は、部屋の中の荒れた様子を想像さえしなければ、幻想的でもあった。
それにしても、余興にしては、大仰すぎやしないか?
PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史 チャーミー 少年
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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「モルフの更なる繁栄を祝って!」
そんな台詞と共に、グラスの鳴る音があちこちで聞こえた。
喉を流れる酒はなかなかの上物で、思わず顔が緩む。
商工組合の仲間と談笑を楽しみながら、パーティは緩やかに時間が過ぎていった。
しかし、視界の端々に移る道化師、もとい魔法使いたちの不釣合いな姿が、このパーティが魔女バルメの為に開かれている事を思い出させてくれる。
頭上を強い風が通り抜けた。
見上げると、鱗の生えた巨大な生物の尻尾が視界を横切ってゆく。
「ドラゴン・・・か」
幻だろうか、それとも本当に『召喚』というやつを行ったのだろうか、招待客はその余興に感嘆の声を上げていた。
どこかから、モルフ羊の素焼きの臭いがした。
その不快な香りに、急に煙草が吸いたくなって、俺は庭に続くテラスの方へと足を向けた。
「ねぇ、クッキーを頂戴」
庭に出る一歩手前のところで、俺の服を誰かが引っ張った。
視線を下げると、そこには白いドレスを着た少女が立っている。
年は6つか7つ程、社交界に出るには早すぎる年頃だ。
おそらくファブリー家の子供だろう。
「お嬢さんお名前は?」
「チャーミーよ。チャーミー・G・ファブリー」
この年頃の女の子は、大人びているというが、少女はドレスの端をつまむと可愛く会釈をした。
俺は、苦笑すると少女の調子に合わせて答えた。
子供はあまり好きではないのだが・・・。
「初めまして、レディ。私はアーサー・テイラックと申します。残念ですがクッキーは昼間配り終えてしまいましてね」
既に夜もふけているせいか、俺を見上げる少女の顔は眠たそうな呆け顔である。
もしかしたら、寝ぼけてパーティに紛れ込んだのだろうか。
そのうち少女の存在に家の者が気がつくだろう、と周りを見渡すと、一人の少年と目が合った。
夜会服の上に、魔法使いが着るような濃紺の長衣を着るという変わった格好の少年は、俺と少女を交互に見返すとこちらに足を進めた。
途中、幾度となく客人に挨拶をしながらゆったりとした様子でやってくる。
ただの客人ではなさそうだ。
「チャーミー、もう寝る時間だろう?こんな所で・・・」
「・・・から」
「ん?」
やっと手に余る子供の面倒から解放される。
ほっと安心した俺の横で小さくチャーミーが呟いた。
「クッキーくれないなら、悪戯しちゃうから!!」
癇癪を起こした甲高い少女の声が会場に響いた。
その声に答えるかのように、開け放たれた扉から一斉に突風が飛び込む。
脇に置かれた花瓶が、テーブルの上の料理がひっくり返り、誰かの手放したハンカチがあっという間に天井に舞い上がり、風に巻かれて飛んでいった。
「――風よ!その者を包み守りたまえ!」
少年の言葉が俺に投げかけられて、温かい不思議な何かが俺を守った。
暴れ馬のように室内を蹂躙した風は、そのまま外に逃げていったのかしばらくして治まる。
シャンデリアの光が消え、人々のざわめきだけが聞こえる。
「今のは・・・なんだ?」
最後に見た少女の体には黒い薄膜に覆われた羽と、角。
まさに、子供達が扮する使い魔そのものだった。
暗闇の中で、ぽつぽつと、魔法使いたちの灯りを求める言葉が唱えられ、微かな光がともった。
その光景は、部屋の中の荒れた様子を想像さえしなければ、幻想的でもあった。
それにしても、余興にしては、大仰すぎやしないか?
キャスト:ジュリア (アーサー)
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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「モルフの更なる繁栄を祝って」
打ち鳴らされるガラスの多重奏が、パーティーのはじまりを告げた。
ジュリアはオリーブの乗ったクラッカーをワインで喉の奥に流し込んで、とりあえず
食事を終えることにした。直前に行われていた演説の最中から食べ続けていたせいで、
周囲の顰蹙をまったく買っていないわけではなかった。この場に集う紳士淑女は洗練さ
れたマナーをご所望らしいが、他人の要望に応えようと思う程、気力が充実していない。
周囲で大勢ががやがやと好き勝手に騒いでいる空間そのものは嫌いではないが、場に
溶け込んで自分も参加するには多少の努力と気遣いが必要だ。合憎と、今はそういった
ものがほとんど擦り切れている。
とはいえ――と、考えて、ジュリアは少しだけ気分がよくなるのを感じた。
どうやら、もう、ソフィニアのあの悪夢から完全に抜け出すことができたようだ。遠
くまで逃げてきた甲斐があるというものだ。
マイルズは当主らしき男が会場に姿を現すなり、「用事を思い出した」などと言って
こそこそとどこかへ姿を消してしまった。逃げたか、先ほど言っていた通り妹を探しに
行ったのだろう。特に同伴者を必要としていないから構わないが、誘っておいてこの扱
いは少々非常識ではあるまいか。
物静かな壁際で、グラスを片手に周囲を眺める。招待客らしい人々に混じって、仮装
じみた格好の者が目立つ。彼らが何か大げさな身振りをするたびに、光や幻が燦めいた。
余興の魔法使いらしい。大半は基礎をかじっただけの手品まがいだったが、どうやら、
そうでない者もいるようだ。風を砕いて夜空を駆け抜けた竜が本物か或いは極めて精巧
な幻なのかは、ジュリアも一目では判別できなかった。
竜。あの忌々しい生き物め。奴らのせいでどれほどのものを喪ったことか。
思わず舌打ちしかけ辛うじて我慢する。祝祭の場に呪いの仕草は相応しくない。
「お嬢さん、お一人ですか?」
「私の連れは移り気らしくてな。他の女に用があると消えてしまった」
落ち着いた声音で問われ、返事をしてから振り向いた。
そこに立っていたのがまだ年端も行かない少年であることは意外だった。絶句したジ
ュリアを見て、彼はクスクスと笑う。ジュリアはそれを憮然と見下ろして問い返した。
「何の用かな、お坊ちゃん」
目の前の少年も魔法使いの着るようなローブを羽織っている。
賑やかしの一人、にしては泰然としている。客人だろうか?
「マイルズ兄さんの連れてきた魔法使いが気になって。あなたですよね」
疑問は一瞬で解決した。主催者の家族となればそれなりの挨拶をするべきだろうが、
もうそんな気は起こらない。
「期待を裏切るようで悪いが、手品しかできないよ。生憎と派手な術は苦手でね」
「でも有名な人なんでしょう?」
あの男、余計なことを。
「せっかくちゃんとした魔法使いに会える機会だから楽しみにしてたのに、大した事の
ない連中ばかりでがっかりです」
「独学でやっているのか」
「……ええ、まあ、そんなようなものです」
「さっきの竜の術者は? あれはかなりの腕だろう」
「探したけど見つかりませんでしたが、後でお話したいと思っています。
あなたはどんなことなら得意なんですか?」
「好奇心旺盛で結構なことだな」
その好奇心が、ジュリアにではなくて所謂“魔法使い”全般に向いていることには気
付いている。少年自身もそれを思わせる格好をしているのは仮装なのか、実際に、少し
は魔を扱うことができるのか。どちらだとしても関係ないが。
「何が得意……か?」
何も考えずに言いかけて、はっとする。
自分には何ができる? 考えてみたこともなかった。その場その場は凌いできた。が、
改めて“どんなことができる”のかを考えようとすると、うまくいかない。光を灯すこ
とはできる。炎を生み出すことも。茨を操ること、少しだけ空間を歪めること……
ジュリアが黙っているうちに、少年は広間を見渡し、一点で視線を固定した。
「すみませんが、所用ができましたので失礼します」
「……ああ。子供は早く寝るように」
少年は一礼して立ち去って行く。あまり適切でない別れの挨拶で見送ったジュリアは、
グラスの中身を一気に飲み干し、近くの給仕から鮮やかな青色のカクテルを奪った。予
想通り強い酒のようだが酔いは回らない。神経がささくれ立つのは、まだ疲れが取れな
いせいだろうか。
遠くで金髪の少女と話しているさっきの少年を見て、そういえば名前も聞いていなか
ったことに気付いた。彼は恐らく、相手が自分のことを知っていると思って話していた
のだろうが……まあ別にいいか。わざわざ聞く必要もない。
ふいに、視界に何者かが割って入った。観察するまでもなく若い男だとわかる。彼は
あの少年とおなじ第一声を放ち、それから長々しくてとても覚えられないような名を名
乗ったあと、ジュリアにも自己紹介を求めてきた。
「私は……」
「クッキーくれないなら、悪戯しちゃうから!!」
甲高い子供の声が響き渡った。何事だと口を閉ざすと同時に、突風が押し寄せた。
あちこちで悲鳴が上がる。ジュリアは、目の前の男が情けなく叫んで頭を抱えるのを
眺めながら、風に弄られた髪を片手で押さえた。ガラスが震える音、テーブル上からク
ロスとグラスが吹き飛ぶ音――他にも様々な騒音が連続して、止んだ。シャンデリアの
光が消え、闇が落ちる。
その原因を知るには、この上なく邪魔な障害物があった。押しのけてやろうかとも思
ったが、ひどい狼狽を取り繕おうと必死な男に対して哀れみのような感情を抱いたので
やめておいた。
あちらこちらで光が灯り始める。魔法使いたちの術、使用人が慌てて点けたランタン。
ジュリアも彼らに倣って短く詠唱し、淡い光を作り出した。それから目の前の男がグラ
スを取り落としてしまっていたのを見て、近くに立ち尽くしてた給仕の盆から、代わり
のそれを手渡してやった。男は震える手で杯の中身をあおぎ、咽せた。
「ゲホ、ゲホッ。お嬢さん、お怪我はありませんか?」
「お前こそ大丈夫じゃなさそ……なんでもない。私は平気」
男の肩ごしに見ると、少し離れた場所に人だかりができているようだ。
子供が、と誰かが言ったのが聞こえたが、それ以上のことはわかりそうになかった。
ジュリアは近くの使用人を呼びとめ、まだ落ち着かない様子の男の介抱を押し付けて
から、少し離れた場所へ移動することにした。
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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「モルフの更なる繁栄を祝って」
打ち鳴らされるガラスの多重奏が、パーティーのはじまりを告げた。
ジュリアはオリーブの乗ったクラッカーをワインで喉の奥に流し込んで、とりあえず
食事を終えることにした。直前に行われていた演説の最中から食べ続けていたせいで、
周囲の顰蹙をまったく買っていないわけではなかった。この場に集う紳士淑女は洗練さ
れたマナーをご所望らしいが、他人の要望に応えようと思う程、気力が充実していない。
周囲で大勢ががやがやと好き勝手に騒いでいる空間そのものは嫌いではないが、場に
溶け込んで自分も参加するには多少の努力と気遣いが必要だ。合憎と、今はそういった
ものがほとんど擦り切れている。
とはいえ――と、考えて、ジュリアは少しだけ気分がよくなるのを感じた。
どうやら、もう、ソフィニアのあの悪夢から完全に抜け出すことができたようだ。遠
くまで逃げてきた甲斐があるというものだ。
マイルズは当主らしき男が会場に姿を現すなり、「用事を思い出した」などと言って
こそこそとどこかへ姿を消してしまった。逃げたか、先ほど言っていた通り妹を探しに
行ったのだろう。特に同伴者を必要としていないから構わないが、誘っておいてこの扱
いは少々非常識ではあるまいか。
物静かな壁際で、グラスを片手に周囲を眺める。招待客らしい人々に混じって、仮装
じみた格好の者が目立つ。彼らが何か大げさな身振りをするたびに、光や幻が燦めいた。
余興の魔法使いらしい。大半は基礎をかじっただけの手品まがいだったが、どうやら、
そうでない者もいるようだ。風を砕いて夜空を駆け抜けた竜が本物か或いは極めて精巧
な幻なのかは、ジュリアも一目では判別できなかった。
竜。あの忌々しい生き物め。奴らのせいでどれほどのものを喪ったことか。
思わず舌打ちしかけ辛うじて我慢する。祝祭の場に呪いの仕草は相応しくない。
「お嬢さん、お一人ですか?」
「私の連れは移り気らしくてな。他の女に用があると消えてしまった」
落ち着いた声音で問われ、返事をしてから振り向いた。
そこに立っていたのがまだ年端も行かない少年であることは意外だった。絶句したジ
ュリアを見て、彼はクスクスと笑う。ジュリアはそれを憮然と見下ろして問い返した。
「何の用かな、お坊ちゃん」
目の前の少年も魔法使いの着るようなローブを羽織っている。
賑やかしの一人、にしては泰然としている。客人だろうか?
「マイルズ兄さんの連れてきた魔法使いが気になって。あなたですよね」
疑問は一瞬で解決した。主催者の家族となればそれなりの挨拶をするべきだろうが、
もうそんな気は起こらない。
「期待を裏切るようで悪いが、手品しかできないよ。生憎と派手な術は苦手でね」
「でも有名な人なんでしょう?」
あの男、余計なことを。
「せっかくちゃんとした魔法使いに会える機会だから楽しみにしてたのに、大した事の
ない連中ばかりでがっかりです」
「独学でやっているのか」
「……ええ、まあ、そんなようなものです」
「さっきの竜の術者は? あれはかなりの腕だろう」
「探したけど見つかりませんでしたが、後でお話したいと思っています。
あなたはどんなことなら得意なんですか?」
「好奇心旺盛で結構なことだな」
その好奇心が、ジュリアにではなくて所謂“魔法使い”全般に向いていることには気
付いている。少年自身もそれを思わせる格好をしているのは仮装なのか、実際に、少し
は魔を扱うことができるのか。どちらだとしても関係ないが。
「何が得意……か?」
何も考えずに言いかけて、はっとする。
自分には何ができる? 考えてみたこともなかった。その場その場は凌いできた。が、
改めて“どんなことができる”のかを考えようとすると、うまくいかない。光を灯すこ
とはできる。炎を生み出すことも。茨を操ること、少しだけ空間を歪めること……
ジュリアが黙っているうちに、少年は広間を見渡し、一点で視線を固定した。
「すみませんが、所用ができましたので失礼します」
「……ああ。子供は早く寝るように」
少年は一礼して立ち去って行く。あまり適切でない別れの挨拶で見送ったジュリアは、
グラスの中身を一気に飲み干し、近くの給仕から鮮やかな青色のカクテルを奪った。予
想通り強い酒のようだが酔いは回らない。神経がささくれ立つのは、まだ疲れが取れな
いせいだろうか。
遠くで金髪の少女と話しているさっきの少年を見て、そういえば名前も聞いていなか
ったことに気付いた。彼は恐らく、相手が自分のことを知っていると思って話していた
のだろうが……まあ別にいいか。わざわざ聞く必要もない。
ふいに、視界に何者かが割って入った。観察するまでもなく若い男だとわかる。彼は
あの少年とおなじ第一声を放ち、それから長々しくてとても覚えられないような名を名
乗ったあと、ジュリアにも自己紹介を求めてきた。
「私は……」
「クッキーくれないなら、悪戯しちゃうから!!」
甲高い子供の声が響き渡った。何事だと口を閉ざすと同時に、突風が押し寄せた。
あちこちで悲鳴が上がる。ジュリアは、目の前の男が情けなく叫んで頭を抱えるのを
眺めながら、風に弄られた髪を片手で押さえた。ガラスが震える音、テーブル上からク
ロスとグラスが吹き飛ぶ音――他にも様々な騒音が連続して、止んだ。シャンデリアの
光が消え、闇が落ちる。
その原因を知るには、この上なく邪魔な障害物があった。押しのけてやろうかとも思
ったが、ひどい狼狽を取り繕おうと必死な男に対して哀れみのような感情を抱いたので
やめておいた。
あちらこちらで光が灯り始める。魔法使いたちの術、使用人が慌てて点けたランタン。
ジュリアも彼らに倣って短く詠唱し、淡い光を作り出した。それから目の前の男がグラ
スを取り落としてしまっていたのを見て、近くに立ち尽くしてた給仕の盆から、代わり
のそれを手渡してやった。男は震える手で杯の中身をあおぎ、咽せた。
「ゲホ、ゲホッ。お嬢さん、お怪我はありませんか?」
「お前こそ大丈夫じゃなさそ……なんでもない。私は平気」
男の肩ごしに見ると、少し離れた場所に人だかりができているようだ。
子供が、と誰かが言ったのが聞こえたが、それ以上のことはわかりそうになかった。
ジュリアは近くの使用人を呼びとめ、まだ落ち着かない様子の男の介抱を押し付けて
から、少し離れた場所へ移動することにした。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
PC :アーサー ジュリア
NPC:ファブリーズ(マイル ジョイ レノア) エンプティ
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
騒ぎが収まると、パーティはつつがなく進行した。
最後に、客人には綺麗に包装されたクッキーが土産として配られた。
「もしもまた、魔女の使い魔が現れたら、それで難を逃れてください」
ファブリー氏は、先ほどの騒ぎは余興なのだとユーモアたっぷりに告げた。
しかし、実際は違う。
でなければ、パーティが終了した今、俺がここに残される理由などなかった。
「何故、私まで残らなくてはいけないんだ?」
女が、俺の心中を代弁したかのように隣の男に抗議した。
「だって、貴女は……でしょう?チャーミーを見つけるのに協力してください」
「だ、そうだ」
答えたのは、女が睨む男ではなく、その反対側に立つ少年だった。
その言葉に、男も面倒くさげに付け足す。
二人ともファブリー家特有の暗い赤毛をしていて、少年のほうは先ほど魔法で俺を庇ってくれた人物だ。
女は、言葉の代わりに腕を組んで一度だけ軽く床を踏み鳴らした。
他に興味をひくものも無く、俺は自然とその女を観察していた。
黒い髪に、上質の黒いドレスを身に纏っていた。
夜会に相応しいドレスとは思わなかったが、彼女にはよく似合っている。
歳は二十歳半ば…といったところだろうか、あまり女らしさを感じさせない女だった。
二人に挟まれながらも、両足を広げ大地を踏みしめて立つ姿は、男に頼る様子を微塵も感じさせない。
右の男と夫婦なのかと思ったが、そういった関係ではなさそうだ。
「皆様、お待たせして申し訳ない」
執事を伴ってファブリー家当主が戻ってきた。
先ほどまでの落ち着いた様子とは一変し、額にかく汗を懸命にハンカチでふき取っていた。
しかし、ここに残っている連中といったら、会場の片づけを行う使用人と余興に呼ばれた魔法使いくらいだ。
後は、俺と、女と―――ファブリー家の男二人。
「チャーミーの姿はやはり何処にも見当たりません。乳母の話では、パーティを始まる直前から姿が見えなかったそうです」
やはり、という空気が辺りを包んだ。
あの時の少女の様子は明らかに異常だった。
それに、あの風だ。
「チャーミーの一番近くにいたテイラックさんにも、何か手がかりを頂けないかと残って頂いたのですが……」
そこで初めて俺が周りから視線を浴びる。
「近く…といいましてもね。普段のご令嬢の姿を私も存じませんから。ただ、表情がどこかぼんやりしていたような…」
「獣化、していましたよね?」
少年が俺の前に歩み出ると、じっとこちらを見つめた。
いかにも利発で育ちの良さそうな身のこなしだったが、どこか芝居めいて見えるのは、その大きすぎる魔法のマントのせいだろうか。
「じゅうか…?」
「羽と角が見えませんでしたか?」
「あぁ…そういえば」
強風と直後の停電のせいですっかり忘れていた。
それに、今日は同じような格好をした子供たちを多く目撃していた為、それほど違和感を感じていなかった。
「今日はバルメ祭。魔女の為の祭りです。何が起きても不思議ではない。そこで、魔法使いの皆さんに失踪した末娘のチャーミーを探していただきたいのです」
辺りにざわめきが起きる。
「もちろん、魔法使いの皆様にも向き不向きがございましょう。今日の余興の分はちゃんと報酬をお支払いしますので帰っていただいても結構。しかし、是非力を貸していただきたい」
「私は、残りましょう」
最初に応えたのは意外にもエンプティだった。
驚く俺の視線を感じ取ってニヤリと笑うと「私は目端が利きますからね。人探しは得意なんです」と続けた。
確かに、チャーミーを探すのに必要なのは魔法の力ばかりではない。
「ハンターの方には改めて翌日ギルドを通して依頼いたします」
そこで、ファブリー氏は女を見た。
女はあからさまに嫌そうな顔をしたが、何も言わない。
なるほど、あの女はハンターなのか。
「ご用はこの執事と息子のレノアに申しつけください。息子は趣味で魔法に関するものを収集しておりますのでお役に立つものがあるやもしれません」
「どうか妹をお願いします」
先ほどの少年――レノアは頭を下げた。
静かになった屋敷に、10時を告げる鐘が鳴った。
バルメ祭が終わるまで残り2時間。
それまでにチャーミーが見つからなければ……そんな不吉な予感を感じずにはいられなかった。
PC :アーサー ジュリア
NPC:ファブリーズ(マイル ジョイ レノア) エンプティ
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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騒ぎが収まると、パーティはつつがなく進行した。
最後に、客人には綺麗に包装されたクッキーが土産として配られた。
「もしもまた、魔女の使い魔が現れたら、それで難を逃れてください」
ファブリー氏は、先ほどの騒ぎは余興なのだとユーモアたっぷりに告げた。
しかし、実際は違う。
でなければ、パーティが終了した今、俺がここに残される理由などなかった。
「何故、私まで残らなくてはいけないんだ?」
女が、俺の心中を代弁したかのように隣の男に抗議した。
「だって、貴女は……でしょう?チャーミーを見つけるのに協力してください」
「だ、そうだ」
答えたのは、女が睨む男ではなく、その反対側に立つ少年だった。
その言葉に、男も面倒くさげに付け足す。
二人ともファブリー家特有の暗い赤毛をしていて、少年のほうは先ほど魔法で俺を庇ってくれた人物だ。
女は、言葉の代わりに腕を組んで一度だけ軽く床を踏み鳴らした。
他に興味をひくものも無く、俺は自然とその女を観察していた。
黒い髪に、上質の黒いドレスを身に纏っていた。
夜会に相応しいドレスとは思わなかったが、彼女にはよく似合っている。
歳は二十歳半ば…といったところだろうか、あまり女らしさを感じさせない女だった。
二人に挟まれながらも、両足を広げ大地を踏みしめて立つ姿は、男に頼る様子を微塵も感じさせない。
右の男と夫婦なのかと思ったが、そういった関係ではなさそうだ。
「皆様、お待たせして申し訳ない」
執事を伴ってファブリー家当主が戻ってきた。
先ほどまでの落ち着いた様子とは一変し、額にかく汗を懸命にハンカチでふき取っていた。
しかし、ここに残っている連中といったら、会場の片づけを行う使用人と余興に呼ばれた魔法使いくらいだ。
後は、俺と、女と―――ファブリー家の男二人。
「チャーミーの姿はやはり何処にも見当たりません。乳母の話では、パーティを始まる直前から姿が見えなかったそうです」
やはり、という空気が辺りを包んだ。
あの時の少女の様子は明らかに異常だった。
それに、あの風だ。
「チャーミーの一番近くにいたテイラックさんにも、何か手がかりを頂けないかと残って頂いたのですが……」
そこで初めて俺が周りから視線を浴びる。
「近く…といいましてもね。普段のご令嬢の姿を私も存じませんから。ただ、表情がどこかぼんやりしていたような…」
「獣化、していましたよね?」
少年が俺の前に歩み出ると、じっとこちらを見つめた。
いかにも利発で育ちの良さそうな身のこなしだったが、どこか芝居めいて見えるのは、その大きすぎる魔法のマントのせいだろうか。
「じゅうか…?」
「羽と角が見えませんでしたか?」
「あぁ…そういえば」
強風と直後の停電のせいですっかり忘れていた。
それに、今日は同じような格好をした子供たちを多く目撃していた為、それほど違和感を感じていなかった。
「今日はバルメ祭。魔女の為の祭りです。何が起きても不思議ではない。そこで、魔法使いの皆さんに失踪した末娘のチャーミーを探していただきたいのです」
辺りにざわめきが起きる。
「もちろん、魔法使いの皆様にも向き不向きがございましょう。今日の余興の分はちゃんと報酬をお支払いしますので帰っていただいても結構。しかし、是非力を貸していただきたい」
「私は、残りましょう」
最初に応えたのは意外にもエンプティだった。
驚く俺の視線を感じ取ってニヤリと笑うと「私は目端が利きますからね。人探しは得意なんです」と続けた。
確かに、チャーミーを探すのに必要なのは魔法の力ばかりではない。
「ハンターの方には改めて翌日ギルドを通して依頼いたします」
そこで、ファブリー氏は女を見た。
女はあからさまに嫌そうな顔をしたが、何も言わない。
なるほど、あの女はハンターなのか。
「ご用はこの執事と息子のレノアに申しつけください。息子は趣味で魔法に関するものを収集しておりますのでお役に立つものがあるやもしれません」
「どうか妹をお願いします」
先ほどの少年――レノアは頭を下げた。
静かになった屋敷に、10時を告げる鐘が鳴った。
バルメ祭が終わるまで残り2時間。
それまでにチャーミーが見つからなければ……そんな不吉な予感を感じずにはいられなかった。
キャスト:ジュリア アーサー
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
--------------------------------------------------------------------------
「見つからないじゃないか」
そう言って真っ先に諦めたのはジュリアだったが、咎める者は誰もいなかった。
当時者たち――ファブリー家の人々――以外は、誰かが諦めようと言い出すのを待っ
ていたかも知れない。張り詰めていた空気が緩むのを感じた。
部屋も、物置も、屋根裏も、噴水の下も、植木の影も、つまりは子供が隠れそうな場
所すべてを探した。普通ならば見つかっていて当然で、そうでないということはつまり、
少女は極めて巧妙に隠れているか、もうこの屋敷内にはいないということになる。
もしも彼女が家の敷地の外へ出たのだとしたら、そしてそれが彼女の意思によるもの
でないという可能性が少しでもあるとしたら、一刻も早くしかるべき公的機関へ通報す
るべきだ。
ジュリアがそう思ったときには他の魔法使いが言葉を継いでいた。
「すぐに使いを走らせるべきでしょう。
もしも誘拐などであったら――」
どこかおずおずとした進言に、この家の主人らしき男は頷く。
取り乱した様子だったが、なんとかこの場にいて見苦しくないように態度を取り繕う
としているのが一目でわかった。
「そ、そうですね。これ以上みなさまをお引きとめするわけにもいきませんし……」
「いえ、犯人はこの中にいるかも知れない」
言って一同の中心に進み出たのは、先ほど一緒にいた男だった。
ジュリアは彼がまだここにいたことに初めて気づいた。彼は得意げな流し目を向けて
きたが、迷いなく他人のふりをした。
それにしても何て頭の悪い発言だろう。
ここには密室も変死体も存在しないというのに。
「だって、この屋敷には、パーティーに参加していた人しかいないのだから。
お嬢さんはこの屋敷で消えた。連れ去ることができるとしたら、ここに入ることがで
きた人間だけです」
それ不特定多数って言わないか。
「し、しかし……参加者のほとんどはもうここにはおりません」
「犯人なら残るはずです! だって犯人ですから!」
なんだそれ。
「これはぼくの推測に過ぎませんが……」
男は勿体ぶった仕草でくるりと一同を見渡すと、傾聴を促すように咳払いした。
確かに推理劇を披露する名探偵に見えないこともなかったが、滑稽でないようには見
えないということも確かだった。
ジュリアは醒めた気分のまま他の聴衆の様子を窺った。ほとんどの者がしらけた顔を
している中で、主人らしき男が熱心に聞いている。きっと今は何にでも縋りたい気持ち
なんだろう、だからこんな馬鹿話も真に受けているに違いない、と、ジュリアは彼に対
して好意的な解釈をすることにした。
だって、今夜の寝床の家主なのだから。
ああ、そういえば眠いな。もう一眠りしたいところだが……
深夜を過ぎるまで、そうだな、日付が変わるまでは我慢して付き合うことにするか。
今、寝るなんて言ったらどれだけバッシング喰らうかわからない。
それだけなら別に気にしない。でも追い出されたら困るから。
男は“ぼくの推論”とやらを披露していたが、ジュリアはほとんど聞いていなかった。
片付けられずにいたワインを眠気覚ましにあおって、ため息。
その間にも男は話し続けた。
周囲ではざわざわと低い囁き声が交わされはじめていたが、誰も探偵気取りを怒鳴り
つけたりはしない。彼はほとんどの人間に相手にされていないにも関わらず、気取った
口調で話し続けている。
興味を失って、視線を巡らす。
少し離れたところで呆れ顔で立っている金髪の男が目に付いた。
「……飲むか?」
「ん…ああ、ありがとう、親切なお嬢さん」
「もう冷たくはないけど」
言うと、男は苦笑した。ジュリアは彼に見覚えがあるなと思ってから、さっき、失踪
直前の少女の様子を証言していた男だと思い出す。獣化、と言っていたか。
「冷やし過ぎない方がおいしいワインもありますよ」
「覚えておこう」
ジュリアはグラスを取り上げて、その上に瓶の口を傾けた。
甘い香りの液体が零れ落ちる、こぽん、こぽんという音が耳に心地いい。
集団の中心で、あの男はまだ演説していた。これは事件なのです。一刻も早く犯人と
お嬢さんを探し出さなければ大変なことになりますが、下手に場を掻き乱して、犯人に
証拠隠滅の隙を与えてはいけません――
無闇に混乱を撒いているのはお前だ、と、思った。
証拠って、何を隠滅するんだ? 誘拐に凶器は必要ない、いや、脅すのには使うかも
知れないけれど、それがたとえば少女の血で濡れることなんてよっぽど手際の悪い誘拐
犯でもないかぎり起こらない。それに、誰があの突風の中、彼女に近寄れたというのだ
ろうか。
それに、本当に誘拐だとしたら。
探偵の理論なんかでは立ち向かえない不条理が絡んでいる。たとえば、この町の御伽
話にあるように、魔女が彼女を使い魔にして連れて行ってしまったのだとか。
「お任せください。このぼくが必ず、事件の真相を暴いてさしあげましょう!」
探偵気取りの高らかな宣言が白々しく場に響いた。
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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「見つからないじゃないか」
そう言って真っ先に諦めたのはジュリアだったが、咎める者は誰もいなかった。
当時者たち――ファブリー家の人々――以外は、誰かが諦めようと言い出すのを待っ
ていたかも知れない。張り詰めていた空気が緩むのを感じた。
部屋も、物置も、屋根裏も、噴水の下も、植木の影も、つまりは子供が隠れそうな場
所すべてを探した。普通ならば見つかっていて当然で、そうでないということはつまり、
少女は極めて巧妙に隠れているか、もうこの屋敷内にはいないということになる。
もしも彼女が家の敷地の外へ出たのだとしたら、そしてそれが彼女の意思によるもの
でないという可能性が少しでもあるとしたら、一刻も早くしかるべき公的機関へ通報す
るべきだ。
ジュリアがそう思ったときには他の魔法使いが言葉を継いでいた。
「すぐに使いを走らせるべきでしょう。
もしも誘拐などであったら――」
どこかおずおずとした進言に、この家の主人らしき男は頷く。
取り乱した様子だったが、なんとかこの場にいて見苦しくないように態度を取り繕う
としているのが一目でわかった。
「そ、そうですね。これ以上みなさまをお引きとめするわけにもいきませんし……」
「いえ、犯人はこの中にいるかも知れない」
言って一同の中心に進み出たのは、先ほど一緒にいた男だった。
ジュリアは彼がまだここにいたことに初めて気づいた。彼は得意げな流し目を向けて
きたが、迷いなく他人のふりをした。
それにしても何て頭の悪い発言だろう。
ここには密室も変死体も存在しないというのに。
「だって、この屋敷には、パーティーに参加していた人しかいないのだから。
お嬢さんはこの屋敷で消えた。連れ去ることができるとしたら、ここに入ることがで
きた人間だけです」
それ不特定多数って言わないか。
「し、しかし……参加者のほとんどはもうここにはおりません」
「犯人なら残るはずです! だって犯人ですから!」
なんだそれ。
「これはぼくの推測に過ぎませんが……」
男は勿体ぶった仕草でくるりと一同を見渡すと、傾聴を促すように咳払いした。
確かに推理劇を披露する名探偵に見えないこともなかったが、滑稽でないようには見
えないということも確かだった。
ジュリアは醒めた気分のまま他の聴衆の様子を窺った。ほとんどの者がしらけた顔を
している中で、主人らしき男が熱心に聞いている。きっと今は何にでも縋りたい気持ち
なんだろう、だからこんな馬鹿話も真に受けているに違いない、と、ジュリアは彼に対
して好意的な解釈をすることにした。
だって、今夜の寝床の家主なのだから。
ああ、そういえば眠いな。もう一眠りしたいところだが……
深夜を過ぎるまで、そうだな、日付が変わるまでは我慢して付き合うことにするか。
今、寝るなんて言ったらどれだけバッシング喰らうかわからない。
それだけなら別に気にしない。でも追い出されたら困るから。
男は“ぼくの推論”とやらを披露していたが、ジュリアはほとんど聞いていなかった。
片付けられずにいたワインを眠気覚ましにあおって、ため息。
その間にも男は話し続けた。
周囲ではざわざわと低い囁き声が交わされはじめていたが、誰も探偵気取りを怒鳴り
つけたりはしない。彼はほとんどの人間に相手にされていないにも関わらず、気取った
口調で話し続けている。
興味を失って、視線を巡らす。
少し離れたところで呆れ顔で立っている金髪の男が目に付いた。
「……飲むか?」
「ん…ああ、ありがとう、親切なお嬢さん」
「もう冷たくはないけど」
言うと、男は苦笑した。ジュリアは彼に見覚えがあるなと思ってから、さっき、失踪
直前の少女の様子を証言していた男だと思い出す。獣化、と言っていたか。
「冷やし過ぎない方がおいしいワインもありますよ」
「覚えておこう」
ジュリアはグラスを取り上げて、その上に瓶の口を傾けた。
甘い香りの液体が零れ落ちる、こぽん、こぽんという音が耳に心地いい。
集団の中心で、あの男はまだ演説していた。これは事件なのです。一刻も早く犯人と
お嬢さんを探し出さなければ大変なことになりますが、下手に場を掻き乱して、犯人に
証拠隠滅の隙を与えてはいけません――
無闇に混乱を撒いているのはお前だ、と、思った。
証拠って、何を隠滅するんだ? 誘拐に凶器は必要ない、いや、脅すのには使うかも
知れないけれど、それがたとえば少女の血で濡れることなんてよっぽど手際の悪い誘拐
犯でもないかぎり起こらない。それに、誰があの突風の中、彼女に近寄れたというのだ
ろうか。
それに、本当に誘拐だとしたら。
探偵の理論なんかでは立ち向かえない不条理が絡んでいる。たとえば、この町の御伽
話にあるように、魔女が彼女を使い魔にして連れて行ってしまったのだとか。
「お任せください。このぼくが必ず、事件の真相を暴いてさしあげましょう!」
探偵気取りの高らかな宣言が白々しく場に響いた。