キャスト:ジュリア (アーサー)
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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「モルフの更なる繁栄を祝って」
打ち鳴らされるガラスの多重奏が、パーティーのはじまりを告げた。
ジュリアはオリーブの乗ったクラッカーをワインで喉の奥に流し込んで、とりあえず
食事を終えることにした。直前に行われていた演説の最中から食べ続けていたせいで、
周囲の顰蹙をまったく買っていないわけではなかった。この場に集う紳士淑女は洗練さ
れたマナーをご所望らしいが、他人の要望に応えようと思う程、気力が充実していない。
周囲で大勢ががやがやと好き勝手に騒いでいる空間そのものは嫌いではないが、場に
溶け込んで自分も参加するには多少の努力と気遣いが必要だ。合憎と、今はそういった
ものがほとんど擦り切れている。
とはいえ――と、考えて、ジュリアは少しだけ気分がよくなるのを感じた。
どうやら、もう、ソフィニアのあの悪夢から完全に抜け出すことができたようだ。遠
くまで逃げてきた甲斐があるというものだ。
マイルズは当主らしき男が会場に姿を現すなり、「用事を思い出した」などと言って
こそこそとどこかへ姿を消してしまった。逃げたか、先ほど言っていた通り妹を探しに
行ったのだろう。特に同伴者を必要としていないから構わないが、誘っておいてこの扱
いは少々非常識ではあるまいか。
物静かな壁際で、グラスを片手に周囲を眺める。招待客らしい人々に混じって、仮装
じみた格好の者が目立つ。彼らが何か大げさな身振りをするたびに、光や幻が燦めいた。
余興の魔法使いらしい。大半は基礎をかじっただけの手品まがいだったが、どうやら、
そうでない者もいるようだ。風を砕いて夜空を駆け抜けた竜が本物か或いは極めて精巧
な幻なのかは、ジュリアも一目では判別できなかった。
竜。あの忌々しい生き物め。奴らのせいでどれほどのものを喪ったことか。
思わず舌打ちしかけ辛うじて我慢する。祝祭の場に呪いの仕草は相応しくない。
「お嬢さん、お一人ですか?」
「私の連れは移り気らしくてな。他の女に用があると消えてしまった」
落ち着いた声音で問われ、返事をしてから振り向いた。
そこに立っていたのがまだ年端も行かない少年であることは意外だった。絶句したジ
ュリアを見て、彼はクスクスと笑う。ジュリアはそれを憮然と見下ろして問い返した。
「何の用かな、お坊ちゃん」
目の前の少年も魔法使いの着るようなローブを羽織っている。
賑やかしの一人、にしては泰然としている。客人だろうか?
「マイルズ兄さんの連れてきた魔法使いが気になって。あなたですよね」
疑問は一瞬で解決した。主催者の家族となればそれなりの挨拶をするべきだろうが、
もうそんな気は起こらない。
「期待を裏切るようで悪いが、手品しかできないよ。生憎と派手な術は苦手でね」
「でも有名な人なんでしょう?」
あの男、余計なことを。
「せっかくちゃんとした魔法使いに会える機会だから楽しみにしてたのに、大した事の
ない連中ばかりでがっかりです」
「独学でやっているのか」
「……ええ、まあ、そんなようなものです」
「さっきの竜の術者は? あれはかなりの腕だろう」
「探したけど見つかりませんでしたが、後でお話したいと思っています。
あなたはどんなことなら得意なんですか?」
「好奇心旺盛で結構なことだな」
その好奇心が、ジュリアにではなくて所謂“魔法使い”全般に向いていることには気
付いている。少年自身もそれを思わせる格好をしているのは仮装なのか、実際に、少し
は魔を扱うことができるのか。どちらだとしても関係ないが。
「何が得意……か?」
何も考えずに言いかけて、はっとする。
自分には何ができる? 考えてみたこともなかった。その場その場は凌いできた。が、
改めて“どんなことができる”のかを考えようとすると、うまくいかない。光を灯すこ
とはできる。炎を生み出すことも。茨を操ること、少しだけ空間を歪めること……
ジュリアが黙っているうちに、少年は広間を見渡し、一点で視線を固定した。
「すみませんが、所用ができましたので失礼します」
「……ああ。子供は早く寝るように」
少年は一礼して立ち去って行く。あまり適切でない別れの挨拶で見送ったジュリアは、
グラスの中身を一気に飲み干し、近くの給仕から鮮やかな青色のカクテルを奪った。予
想通り強い酒のようだが酔いは回らない。神経がささくれ立つのは、まだ疲れが取れな
いせいだろうか。
遠くで金髪の少女と話しているさっきの少年を見て、そういえば名前も聞いていなか
ったことに気付いた。彼は恐らく、相手が自分のことを知っていると思って話していた
のだろうが……まあ別にいいか。わざわざ聞く必要もない。
ふいに、視界に何者かが割って入った。観察するまでもなく若い男だとわかる。彼は
あの少年とおなじ第一声を放ち、それから長々しくてとても覚えられないような名を名
乗ったあと、ジュリアにも自己紹介を求めてきた。
「私は……」
「クッキーくれないなら、悪戯しちゃうから!!」
甲高い子供の声が響き渡った。何事だと口を閉ざすと同時に、突風が押し寄せた。
あちこちで悲鳴が上がる。ジュリアは、目の前の男が情けなく叫んで頭を抱えるのを
眺めながら、風に弄られた髪を片手で押さえた。ガラスが震える音、テーブル上からク
ロスとグラスが吹き飛ぶ音――他にも様々な騒音が連続して、止んだ。シャンデリアの
光が消え、闇が落ちる。
その原因を知るには、この上なく邪魔な障害物があった。押しのけてやろうかとも思
ったが、ひどい狼狽を取り繕おうと必死な男に対して哀れみのような感情を抱いたので
やめておいた。
あちらこちらで光が灯り始める。魔法使いたちの術、使用人が慌てて点けたランタン。
ジュリアも彼らに倣って短く詠唱し、淡い光を作り出した。それから目の前の男がグラ
スを取り落としてしまっていたのを見て、近くに立ち尽くしてた給仕の盆から、代わり
のそれを手渡してやった。男は震える手で杯の中身をあおぎ、咽せた。
「ゲホ、ゲホッ。お嬢さん、お怪我はありませんか?」
「お前こそ大丈夫じゃなさそ……なんでもない。私は平気」
男の肩ごしに見ると、少し離れた場所に人だかりができているようだ。
子供が、と誰かが言ったのが聞こえたが、それ以上のことはわかりそうになかった。
ジュリアは近くの使用人を呼びとめ、まだ落ち着かない様子の男の介抱を押し付けて
から、少し離れた場所へ移動することにした。
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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「モルフの更なる繁栄を祝って」
打ち鳴らされるガラスの多重奏が、パーティーのはじまりを告げた。
ジュリアはオリーブの乗ったクラッカーをワインで喉の奥に流し込んで、とりあえず
食事を終えることにした。直前に行われていた演説の最中から食べ続けていたせいで、
周囲の顰蹙をまったく買っていないわけではなかった。この場に集う紳士淑女は洗練さ
れたマナーをご所望らしいが、他人の要望に応えようと思う程、気力が充実していない。
周囲で大勢ががやがやと好き勝手に騒いでいる空間そのものは嫌いではないが、場に
溶け込んで自分も参加するには多少の努力と気遣いが必要だ。合憎と、今はそういった
ものがほとんど擦り切れている。
とはいえ――と、考えて、ジュリアは少しだけ気分がよくなるのを感じた。
どうやら、もう、ソフィニアのあの悪夢から完全に抜け出すことができたようだ。遠
くまで逃げてきた甲斐があるというものだ。
マイルズは当主らしき男が会場に姿を現すなり、「用事を思い出した」などと言って
こそこそとどこかへ姿を消してしまった。逃げたか、先ほど言っていた通り妹を探しに
行ったのだろう。特に同伴者を必要としていないから構わないが、誘っておいてこの扱
いは少々非常識ではあるまいか。
物静かな壁際で、グラスを片手に周囲を眺める。招待客らしい人々に混じって、仮装
じみた格好の者が目立つ。彼らが何か大げさな身振りをするたびに、光や幻が燦めいた。
余興の魔法使いらしい。大半は基礎をかじっただけの手品まがいだったが、どうやら、
そうでない者もいるようだ。風を砕いて夜空を駆け抜けた竜が本物か或いは極めて精巧
な幻なのかは、ジュリアも一目では判別できなかった。
竜。あの忌々しい生き物め。奴らのせいでどれほどのものを喪ったことか。
思わず舌打ちしかけ辛うじて我慢する。祝祭の場に呪いの仕草は相応しくない。
「お嬢さん、お一人ですか?」
「私の連れは移り気らしくてな。他の女に用があると消えてしまった」
落ち着いた声音で問われ、返事をしてから振り向いた。
そこに立っていたのがまだ年端も行かない少年であることは意外だった。絶句したジ
ュリアを見て、彼はクスクスと笑う。ジュリアはそれを憮然と見下ろして問い返した。
「何の用かな、お坊ちゃん」
目の前の少年も魔法使いの着るようなローブを羽織っている。
賑やかしの一人、にしては泰然としている。客人だろうか?
「マイルズ兄さんの連れてきた魔法使いが気になって。あなたですよね」
疑問は一瞬で解決した。主催者の家族となればそれなりの挨拶をするべきだろうが、
もうそんな気は起こらない。
「期待を裏切るようで悪いが、手品しかできないよ。生憎と派手な術は苦手でね」
「でも有名な人なんでしょう?」
あの男、余計なことを。
「せっかくちゃんとした魔法使いに会える機会だから楽しみにしてたのに、大した事の
ない連中ばかりでがっかりです」
「独学でやっているのか」
「……ええ、まあ、そんなようなものです」
「さっきの竜の術者は? あれはかなりの腕だろう」
「探したけど見つかりませんでしたが、後でお話したいと思っています。
あなたはどんなことなら得意なんですか?」
「好奇心旺盛で結構なことだな」
その好奇心が、ジュリアにではなくて所謂“魔法使い”全般に向いていることには気
付いている。少年自身もそれを思わせる格好をしているのは仮装なのか、実際に、少し
は魔を扱うことができるのか。どちらだとしても関係ないが。
「何が得意……か?」
何も考えずに言いかけて、はっとする。
自分には何ができる? 考えてみたこともなかった。その場その場は凌いできた。が、
改めて“どんなことができる”のかを考えようとすると、うまくいかない。光を灯すこ
とはできる。炎を生み出すことも。茨を操ること、少しだけ空間を歪めること……
ジュリアが黙っているうちに、少年は広間を見渡し、一点で視線を固定した。
「すみませんが、所用ができましたので失礼します」
「……ああ。子供は早く寝るように」
少年は一礼して立ち去って行く。あまり適切でない別れの挨拶で見送ったジュリアは、
グラスの中身を一気に飲み干し、近くの給仕から鮮やかな青色のカクテルを奪った。予
想通り強い酒のようだが酔いは回らない。神経がささくれ立つのは、まだ疲れが取れな
いせいだろうか。
遠くで金髪の少女と話しているさっきの少年を見て、そういえば名前も聞いていなか
ったことに気付いた。彼は恐らく、相手が自分のことを知っていると思って話していた
のだろうが……まあ別にいいか。わざわざ聞く必要もない。
ふいに、視界に何者かが割って入った。観察するまでもなく若い男だとわかる。彼は
あの少年とおなじ第一声を放ち、それから長々しくてとても覚えられないような名を名
乗ったあと、ジュリアにも自己紹介を求めてきた。
「私は……」
「クッキーくれないなら、悪戯しちゃうから!!」
甲高い子供の声が響き渡った。何事だと口を閉ざすと同時に、突風が押し寄せた。
あちこちで悲鳴が上がる。ジュリアは、目の前の男が情けなく叫んで頭を抱えるのを
眺めながら、風に弄られた髪を片手で押さえた。ガラスが震える音、テーブル上からク
ロスとグラスが吹き飛ぶ音――他にも様々な騒音が連続して、止んだ。シャンデリアの
光が消え、闇が落ちる。
その原因を知るには、この上なく邪魔な障害物があった。押しのけてやろうかとも思
ったが、ひどい狼狽を取り繕おうと必死な男に対して哀れみのような感情を抱いたので
やめておいた。
あちらこちらで光が灯り始める。魔法使いたちの術、使用人が慌てて点けたランタン。
ジュリアも彼らに倣って短く詠唱し、淡い光を作り出した。それから目の前の男がグラ
スを取り落としてしまっていたのを見て、近くに立ち尽くしてた給仕の盆から、代わり
のそれを手渡してやった。男は震える手で杯の中身をあおぎ、咽せた。
「ゲホ、ゲホッ。お嬢さん、お怪我はありませんか?」
「お前こそ大丈夫じゃなさそ……なんでもない。私は平気」
男の肩ごしに見ると、少し離れた場所に人だかりができているようだ。
子供が、と誰かが言ったのが聞こえたが、それ以上のことはわかりそうになかった。
ジュリアは近くの使用人を呼びとめ、まだ落ち着かない様子の男の介抱を押し付けて
から、少し離れた場所へ移動することにした。
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