キャスト:ジュリア (アーサー)
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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なんだかひどく悪い夢を見ていたような気がするが、記憶を辿ってもその内容を思い
出すことはできなかった。目を醒まして体を起こす。体中が軋んで、ついでに肩の後ろ
がポキポキ鳴った。疲労のせいに違いない。決して歳のせいではない。
寝ぼけたまま部屋中を見渡して、眠る前とまったくおなじ感想を持った。
すなわち、よくもまぁこんな無駄に“ちゃんとした”部屋を用意したものだ、と。
恐らく一番か二番目にランクの低い客室だろう。それでも一人が専有するには十分す
ぎるほどの広さがあり、調度品もしっかりしたものだ。趣味も悪くないが、あまりにも
こざっぱりしているといえばしているか。そのせいで余計に広く見えるのかも知れない。
そんなことはどうでもいい。不満を感じない程度に眠れたのだから。
ふかふかすぎて寝心地の悪いベッドから降り、壁の衣装かけに手を伸ばす。
と、自分の服の隣にもう一着かかっているのに気が付いた。
似たようなデザインのワンピースだがどうやら背中に編み上げが入っているらしく、
胴の部分が細く絞られている。生地は一目で上等とわかるものだった。
伝え書きを置くならこの辺だろうとサイドテーブルを見ると、予想通り白い紙があっ
た。書いてあることも大体予想通りだ。
“せっかくのパーティーには是非とも汚れていない服で参加してみたらどうだろう、そ
うするなら明日には元々着ていた服を洗濯して返すつもりだけど。”
洗濯してくれるなら、ということで自分の服はかけたままにして身支度を済ませ、部
屋を出た。カーテンをかけていたので気付かなかったが、長い時間を睡眠に費やしてい
たということはなさそうだった。
窓からは日の光が差し込んでいる。夕方まではまだあるらしい。
さて、ここはどこだろう? 見覚えのあるはずがない廊下の左右を見渡す。
どちらが正しいかも、どんな場所に辿り着けば正解なのかもわからない。
とりあえずマイルズを探すべきだろうが、それこそどこにいるのか検討もつかない。
もう一眠りしてしまおうか? いや、この編み上げの服を後でまた着直すのは面倒だ。
それに、これ以上寝たら、今日中には起きられない気がする。今の状態は、明け方に
寒さか何かでふと目が醒めたときのそれによく似ている。眠気が残っているようでいて、
頭が妙に冴えている。
わずかに悩み、右へ歩き始める。
廊下の先を横切る人影が見えたのだ。迷い込むなら人間がいる方向がいい。
「――おや、お客さまですかな?」
振り向くと一人の男が立っていた。
色褪せ、変色しかけた黒の服。乞食じみた格好は、この屋敷にはあまりにも不釣合い。
ジュリアは無言で彼を観察したが、目に留める程の特徴は何一つとして見つけられな
かった。ただ、目の前に立たれてあまり気持ちのいい相手ではないな、と思った。
「ああ、道に迷ってしまって。
マイルズ・ファブリーはどこにいるかな」
「……マイルズさまの魔法使いですか。彼でしたら」
男は勿体ぶった仕草でジュリアの背後を指差した。そう、そちらへ向かおうとしてい
たのだ。二分の一の選択肢で、正解を選び取っていたらしい。ジュリアは短く礼を言っ
て男に背を向け――待て、彼はどこから現れた?
再び振り向く。無尽の廊下が続いている。ああやはりこうなるよな、いつの間にか現
れるような奴はいつの間にか消えているんだ。ただの怪奇現象の類だと自分を納得させ
ることになんとか成功すると、ジュリアはまた廊下を歩き出した。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
マイルズはすぐに見つかった。
つきあたりを右に曲がると、ちょうどこちらへ向かってくる彼と鉢合わせることにな
ったのだ。
「あれ、起きてたの」
「呪われてるんじゃないか、あのベッド。嫌な夢を見た」
「は? 何のことだ?」
「……キャベツと紅生姜が……その、寝覚めが悪いだけだ」
実際、それ以上を覚えていない。その食料品二つがどのように登場したのかも。
マイルズはきょとんとした後で「まだ寝たりないんじゃない?」と聞いてきた。恐ら
くその通りだと思う。だからといって、ジュリアは、もう一眠りはしないと既に決めて
いたので肩を竦めるだけにして、目の前の相手を無遠慮に観察した。
黒の盛装。髪も整えられていて朝とは比べものにならないほど御曹司らしい格好にな
っているようだが、残念なことにそれがあまり似合う人間ではないらしい。服に着られ
ているとかそういうことではなくて、何と言えばいいものか、根本的に
「なんとか、事業家の息子に見えなくもないな」
「見えなくてもいいさ。それにあんただって……いや、何でもない」
ジュリアは鼻で笑うだけにして追求はしなかった。
相手の言いかけたことに対して、本当に興味がなかったのだ。
「余興までまだ時間があるけど」
「なら、食事を。昨日の朝から何も胃に入れていない気がする」
「んー……会場に軽食くらいなら用意されてるはず」
言って彼は踵を返す。ジュリアは後に続いて歩きながら、さっき軽く磨いた靴の具合
を確かめた。例の遺跡歩きで酷使した影響が出ていなければいいのだが。
「マイルズ、用事があったんじゃないのか?」
「別に構わないよ。妹を探していただけだから」
何度か角を曲がり、すれ違う人々が増え始め、やがてホールへ辿り着いた。
ほんの一瞬、何だかすごく記憶に新しい、“忌々しい”料理のにおいが鼻先を掠めた
ような気がした。精神が疲労しているに違いない。
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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なんだかひどく悪い夢を見ていたような気がするが、記憶を辿ってもその内容を思い
出すことはできなかった。目を醒まして体を起こす。体中が軋んで、ついでに肩の後ろ
がポキポキ鳴った。疲労のせいに違いない。決して歳のせいではない。
寝ぼけたまま部屋中を見渡して、眠る前とまったくおなじ感想を持った。
すなわち、よくもまぁこんな無駄に“ちゃんとした”部屋を用意したものだ、と。
恐らく一番か二番目にランクの低い客室だろう。それでも一人が専有するには十分す
ぎるほどの広さがあり、調度品もしっかりしたものだ。趣味も悪くないが、あまりにも
こざっぱりしているといえばしているか。そのせいで余計に広く見えるのかも知れない。
そんなことはどうでもいい。不満を感じない程度に眠れたのだから。
ふかふかすぎて寝心地の悪いベッドから降り、壁の衣装かけに手を伸ばす。
と、自分の服の隣にもう一着かかっているのに気が付いた。
似たようなデザインのワンピースだがどうやら背中に編み上げが入っているらしく、
胴の部分が細く絞られている。生地は一目で上等とわかるものだった。
伝え書きを置くならこの辺だろうとサイドテーブルを見ると、予想通り白い紙があっ
た。書いてあることも大体予想通りだ。
“せっかくのパーティーには是非とも汚れていない服で参加してみたらどうだろう、そ
うするなら明日には元々着ていた服を洗濯して返すつもりだけど。”
洗濯してくれるなら、ということで自分の服はかけたままにして身支度を済ませ、部
屋を出た。カーテンをかけていたので気付かなかったが、長い時間を睡眠に費やしてい
たということはなさそうだった。
窓からは日の光が差し込んでいる。夕方まではまだあるらしい。
さて、ここはどこだろう? 見覚えのあるはずがない廊下の左右を見渡す。
どちらが正しいかも、どんな場所に辿り着けば正解なのかもわからない。
とりあえずマイルズを探すべきだろうが、それこそどこにいるのか検討もつかない。
もう一眠りしてしまおうか? いや、この編み上げの服を後でまた着直すのは面倒だ。
それに、これ以上寝たら、今日中には起きられない気がする。今の状態は、明け方に
寒さか何かでふと目が醒めたときのそれによく似ている。眠気が残っているようでいて、
頭が妙に冴えている。
わずかに悩み、右へ歩き始める。
廊下の先を横切る人影が見えたのだ。迷い込むなら人間がいる方向がいい。
「――おや、お客さまですかな?」
振り向くと一人の男が立っていた。
色褪せ、変色しかけた黒の服。乞食じみた格好は、この屋敷にはあまりにも不釣合い。
ジュリアは無言で彼を観察したが、目に留める程の特徴は何一つとして見つけられな
かった。ただ、目の前に立たれてあまり気持ちのいい相手ではないな、と思った。
「ああ、道に迷ってしまって。
マイルズ・ファブリーはどこにいるかな」
「……マイルズさまの魔法使いですか。彼でしたら」
男は勿体ぶった仕草でジュリアの背後を指差した。そう、そちらへ向かおうとしてい
たのだ。二分の一の選択肢で、正解を選び取っていたらしい。ジュリアは短く礼を言っ
て男に背を向け――待て、彼はどこから現れた?
再び振り向く。無尽の廊下が続いている。ああやはりこうなるよな、いつの間にか現
れるような奴はいつの間にか消えているんだ。ただの怪奇現象の類だと自分を納得させ
ることになんとか成功すると、ジュリアはまた廊下を歩き出した。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
マイルズはすぐに見つかった。
つきあたりを右に曲がると、ちょうどこちらへ向かってくる彼と鉢合わせることにな
ったのだ。
「あれ、起きてたの」
「呪われてるんじゃないか、あのベッド。嫌な夢を見た」
「は? 何のことだ?」
「……キャベツと紅生姜が……その、寝覚めが悪いだけだ」
実際、それ以上を覚えていない。その食料品二つがどのように登場したのかも。
マイルズはきょとんとした後で「まだ寝たりないんじゃない?」と聞いてきた。恐ら
くその通りだと思う。だからといって、ジュリアは、もう一眠りはしないと既に決めて
いたので肩を竦めるだけにして、目の前の相手を無遠慮に観察した。
黒の盛装。髪も整えられていて朝とは比べものにならないほど御曹司らしい格好にな
っているようだが、残念なことにそれがあまり似合う人間ではないらしい。服に着られ
ているとかそういうことではなくて、何と言えばいいものか、根本的に
「なんとか、事業家の息子に見えなくもないな」
「見えなくてもいいさ。それにあんただって……いや、何でもない」
ジュリアは鼻で笑うだけにして追求はしなかった。
相手の言いかけたことに対して、本当に興味がなかったのだ。
「余興までまだ時間があるけど」
「なら、食事を。昨日の朝から何も胃に入れていない気がする」
「んー……会場に軽食くらいなら用意されてるはず」
言って彼は踵を返す。ジュリアは後に続いて歩きながら、さっき軽く磨いた靴の具合
を確かめた。例の遺跡歩きで酷使した影響が出ていなければいいのだが。
「マイルズ、用事があったんじゃないのか?」
「別に構わないよ。妹を探していただけだから」
何度か角を曲がり、すれ違う人々が増え始め、やがてホールへ辿り着いた。
ほんの一瞬、何だかすごく記憶に新しい、“忌々しい”料理のにおいが鼻先を掠めた
ような気がした。精神が疲労しているに違いない。
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