バルメ祭は俺にとって忌ま忌ましいモルフの行事の一つだ。
夕食には決まってあのモルフ羊の素焼きが振る舞われるからである。
バルメは、昔モルフに住んでいたと言われる子ども好きの魔女だ。
しかし町の人々に嫌われ森の外れにたった一人で住んでいた。
年老い人恋しさに耐えられなくなった魔女は町の子供たちをさらい自分の使い魔にしてしまった。
使い魔になった子供たちは、姿を猫に変え、蝙蝠に変え、町中で悪戯をして回った。
子供を奪われた親はたまたま町にやってきた騎士に魔女を殺すように懇願した――俺が思うには親たちは子供を返して欲し
くて懇願したのではなく単に子供たちの悪戯に耐えかねて腹を立てていたに違いない――。
騎士が魔女殺すと、魔女の死体は老木に姿を変えた。
親たちは喜んで子供たちを迎えに行ったが、子供たちは魔女の死を大変悲しみ魔法にかかったかのように何日も泣き続け
た。
親たちは困り果て、バルメの老木に魔女の大好物だったというモルフの素焼きとジンジャークッキーを供えたところ、ピタ
リと子供たちは泣き止んだ。
なんともゲンキンな魔女だ。
バルメ祭はそんな子供好きの魔女の鎮魂祭であり、子どもたちは昼間使い魔に仮装して町を回り、魔女の代わりにクッキー
を集め、人々は夜になるとモルフの素焼きを食べるのである。
故にモルフでは悪戯ばかりする悪ガキを『バルメの使い魔になった』と言う。
俺もよく言われたものだ。
そんなモルフだが、実際には全く魔法とは縁のない土地で、工業都市として発展したのちも、移住者が少なくよそ者を嫌う
風潮があるため、バルメのような隠者や魔法を使うハンターもここに居を構えることは少ない。
それを不便に思った事も無いし、モルフを出て大陸を渡り歩いた際も魔法使いという職種と関わる事は殆ど無かった。
モルフがソフィニアにもっと近ければ話は別だったろうが・・・。
つまり何か言いたかったかと言うと、この魔法に縁の薄いモルフの人々は、実際存在したのかすら怪しい魔法を操る老婆の
ためにこんな大層なお祭りを開いているのである。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史
場所 :モルフ地方 某A市
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
ここはモルフ西部に位置する某A市。そのメインストリ-トに面して俺のオフィスは建っている。
「社長、今日もパーティーの招待状が何通かきてますよ」
秘書のエリス女史が数通のカ-ドを持ってやって来た。
半年前に父親が死に、この紡績会社を正式に受け継いだわけだが、その呼び名は未だに慣れない。
「一通は勿論アニス嬢から。バルメ祭の一ヶ月前から毎日来ますね。行ってあげればいいじゃないですか」
「勘弁してくれ。それで前回、婚約者だと紹介されて大変な目に遭った」
アニス嬢は黒い髪と瞳が蠱惑的な市長の一人娘である。美しいというよりは可愛い人だが、俺が数年前モルフに戻って以来
、彼女は初恋の相手だという俺に熱烈なアプローチ(というか、むしろプロポ-ズ)をしてくる。
「アニス嬢も今年で24ですものね。何か鬼気迫るものがありますね」
「彼女にはいくらでも良い相手がいるさ。所で君はバルメ祭の夜は空いているのか?他人の家であの臭い羊の肉の臭いをかぐ
より、美しい女性と二人きりで食事をするほうが有意義だと思うのだが」
エリス女史はちょっと驚いた顔をして俺を見た。
ブルーに縁取られた切れ長の目が真意を探るようにこちらに向けられる。
俺はなるべく真面目な顔をしてその視線に答えてみせたが、返事は「ノ-」だった。
「まだ、夫の思い出に浸る方が有意義な時間を過ごせそうですから」
美貌の未亡人は、艶やかに微笑んだ。やはり、結婚の経験がある女は一筋縄ではいかない。
そこが魅力なのだが。
「残りの二枚は?」
「ご友人のライサ-さんと・・・」
「却下。新婚夫婦の家なんて頼まれたって行くもんか」
「ファブリ-家から来てますね」
「何だって?」
意外な名前に、俺は思わず自分の耳を疑った。
「モルフ東部のファブリー家です。ご家族の誰かに手でも出されたんですか?」
「覚えが無いな」
「向こうにはあるかも」
全く酷い言い草だ。
「ファブリー氏とは組合の集まりで数度顔を合わせた事があるが、ご内儀の顔も娘がいるかも知らない」
ファブリー家といえば、巨大な溶鉱炉を持つ製鉄所の所有者だ。
今まで接点がなかったが、俺は最近銅山を市から買い取ったばかりということもあり、ファブリー家の施設には興味があっ
た。
「もしかしたらビジネスの話かも知れないな。悪いが予定がないなら君も一緒にきてくれ」
「はい」
にっこりと笑みを浮かべ、エリス女史は今度は即座にイエスと答えた。だから、俺は彼女が好きなのだ。
「何でも当日は本物の魔法使いを大勢招待するそうですよ」
渡されたカ-ドには゛魔女たちが一発芸を披露します゛と書いてある。
「大道芸人でも呼ぶのかな・・・?」
まぁ、面白い趣向が用意されているようだし、これで儲け話でも付いてこれば、モルフ羊の素焼きの分を引いてもプラスに
なるかもしれない。
俺はそう期待して、出席可の手紙を返した。
夕食には決まってあのモルフ羊の素焼きが振る舞われるからである。
バルメは、昔モルフに住んでいたと言われる子ども好きの魔女だ。
しかし町の人々に嫌われ森の外れにたった一人で住んでいた。
年老い人恋しさに耐えられなくなった魔女は町の子供たちをさらい自分の使い魔にしてしまった。
使い魔になった子供たちは、姿を猫に変え、蝙蝠に変え、町中で悪戯をして回った。
子供を奪われた親はたまたま町にやってきた騎士に魔女を殺すように懇願した――俺が思うには親たちは子供を返して欲し
くて懇願したのではなく単に子供たちの悪戯に耐えかねて腹を立てていたに違いない――。
騎士が魔女殺すと、魔女の死体は老木に姿を変えた。
親たちは喜んで子供たちを迎えに行ったが、子供たちは魔女の死を大変悲しみ魔法にかかったかのように何日も泣き続け
た。
親たちは困り果て、バルメの老木に魔女の大好物だったというモルフの素焼きとジンジャークッキーを供えたところ、ピタ
リと子供たちは泣き止んだ。
なんともゲンキンな魔女だ。
バルメ祭はそんな子供好きの魔女の鎮魂祭であり、子どもたちは昼間使い魔に仮装して町を回り、魔女の代わりにクッキー
を集め、人々は夜になるとモルフの素焼きを食べるのである。
故にモルフでは悪戯ばかりする悪ガキを『バルメの使い魔になった』と言う。
俺もよく言われたものだ。
そんなモルフだが、実際には全く魔法とは縁のない土地で、工業都市として発展したのちも、移住者が少なくよそ者を嫌う
風潮があるため、バルメのような隠者や魔法を使うハンターもここに居を構えることは少ない。
それを不便に思った事も無いし、モルフを出て大陸を渡り歩いた際も魔法使いという職種と関わる事は殆ど無かった。
モルフがソフィニアにもっと近ければ話は別だったろうが・・・。
つまり何か言いたかったかと言うと、この魔法に縁の薄いモルフの人々は、実際存在したのかすら怪しい魔法を操る老婆の
ためにこんな大層なお祭りを開いているのである。
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PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史
場所 :モルフ地方 某A市
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ここはモルフ西部に位置する某A市。そのメインストリ-トに面して俺のオフィスは建っている。
「社長、今日もパーティーの招待状が何通かきてますよ」
秘書のエリス女史が数通のカ-ドを持ってやって来た。
半年前に父親が死に、この紡績会社を正式に受け継いだわけだが、その呼び名は未だに慣れない。
「一通は勿論アニス嬢から。バルメ祭の一ヶ月前から毎日来ますね。行ってあげればいいじゃないですか」
「勘弁してくれ。それで前回、婚約者だと紹介されて大変な目に遭った」
アニス嬢は黒い髪と瞳が蠱惑的な市長の一人娘である。美しいというよりは可愛い人だが、俺が数年前モルフに戻って以来
、彼女は初恋の相手だという俺に熱烈なアプローチ(というか、むしろプロポ-ズ)をしてくる。
「アニス嬢も今年で24ですものね。何か鬼気迫るものがありますね」
「彼女にはいくらでも良い相手がいるさ。所で君はバルメ祭の夜は空いているのか?他人の家であの臭い羊の肉の臭いをかぐ
より、美しい女性と二人きりで食事をするほうが有意義だと思うのだが」
エリス女史はちょっと驚いた顔をして俺を見た。
ブルーに縁取られた切れ長の目が真意を探るようにこちらに向けられる。
俺はなるべく真面目な顔をしてその視線に答えてみせたが、返事は「ノ-」だった。
「まだ、夫の思い出に浸る方が有意義な時間を過ごせそうですから」
美貌の未亡人は、艶やかに微笑んだ。やはり、結婚の経験がある女は一筋縄ではいかない。
そこが魅力なのだが。
「残りの二枚は?」
「ご友人のライサ-さんと・・・」
「却下。新婚夫婦の家なんて頼まれたって行くもんか」
「ファブリ-家から来てますね」
「何だって?」
意外な名前に、俺は思わず自分の耳を疑った。
「モルフ東部のファブリー家です。ご家族の誰かに手でも出されたんですか?」
「覚えが無いな」
「向こうにはあるかも」
全く酷い言い草だ。
「ファブリー氏とは組合の集まりで数度顔を合わせた事があるが、ご内儀の顔も娘がいるかも知らない」
ファブリー家といえば、巨大な溶鉱炉を持つ製鉄所の所有者だ。
今まで接点がなかったが、俺は最近銅山を市から買い取ったばかりということもあり、ファブリー家の施設には興味があっ
た。
「もしかしたらビジネスの話かも知れないな。悪いが予定がないなら君も一緒にきてくれ」
「はい」
にっこりと笑みを浮かべ、エリス女史は今度は即座にイエスと答えた。だから、俺は彼女が好きなのだ。
「何でも当日は本物の魔法使いを大勢招待するそうですよ」
渡されたカ-ドには゛魔女たちが一発芸を披露します゛と書いてある。
「大道芸人でも呼ぶのかな・・・?」
まぁ、面白い趣向が用意されているようだし、これで儲け話でも付いてこれば、モルフ羊の素焼きの分を引いてもプラスに
なるかもしれない。
俺はそう期待して、出席可の手紙を返した。
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キャスト:ジュリア (アーサー)
場所:モルフ地方東部
--------------------------------------------------------------------------
馬車を降りて御者に報酬を叩きつけると、相手はロクに挨拶もせず、馬に鞭を打って
あっという間に地平の彼方まで逃げ去ってしまった。砂漠の砂で薄汚れた馬車の後ろ姿
をぼんやりと見送った後、ジュリエッタ・ローザンハインは溜息をついて現在位置を確
かめた。
――確かめるも何も、平原だ。明け方の空の下、見渡す限りの。
遠くには山や森が見えるものの、見晴らしはいい。ゆるやかな丘かも知れない。
こんなところで馬車を帰したのは何か考えがあったわけではない。クッションの利い
ていない座席でがたがたと揺られ続けて、いい加減に腰が痛くなったから、というだけ
の理由だ。
とりあえずソフィニアから遠ざかることが第一の目的だったので、実の所、ここがど
こなのかは割とどうでもいい問題だった。とはいえ感情的にどうでもいいからといって
現実的にもどうでもいいかといえばそうでもなく、自分が今、この広い世界のどこにい
るかということは、表面的な情報だけでも把握しておかなければならない事柄だ。
まさか一晩で砂漠越えができるとは思わなかったので、今どこにいるのかさっぱりだ。
どの方向へ抜けたのか御者に確認してみればよかったと思い当たったころには、馬車の
影はとうに見えなくなってしまっていた。
目を凝らせば、遠くに街らしき影が見えた。あそこまで歩いてみようと決め、少ない
荷物を片手に歩き出す。昼前までには辿り着くだろう。たぶん。
街に着いたら宿を取ってさっさと寝よう。
昨日の朝は――随分と大昔な気がするが、昨日の朝は早起きをしたし、それから一睡
もしていないのだ。いや、馬車の中で少しは微睡んだか? どうでもいい。大差ない。
とにかく重要なのは、ここはソフィニアではないということで、つまり危機から首尾
よく逃げ出せたということだ。それを考えれば寝不足の頭痛も気にならなくなってくる
し、明け方の冴えた空気がおいしくも感じられる。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
背後から車輪の音が近づいてきたのを聞いて、ジュリアは足を止めた。
もう早朝から朝になった時刻だ。目指していた影は、街のそれだとわかるまでに近づ
いていた。このまま歩き続ければ最初の見当どおり、昼になるまえには到着するだろう。
平原を走る一本道の幅いっぱいを使ってがらがらと近づいてくるのは二頭立ての荷馬
車だった。轢かれたくないので道の端に避けると、馬車は目の前で止まった。
手綱を握っていた、まだ若い男が声をかけてくる。
「やあ、お嬢さん。どこまで?」
「……とりあえずあの町まで」
ジュリアは答えながら無遠慮に相手を観察した。
短い赤土色の髪を後ろに撫でつけ、白いシャツをだらしなく着崩している。地方農家
の我侭息子、という、自分でもよくわからない第一印象にジュリアは内心で首を傾げた。
男はよく日焼けした顔に人懐っこい笑顔を浮かべて話しかけてくる。
「乗っていかない?」
「いいのか?」
問い返す。男は虚を突かれたような表情をして、それから快闊に笑った。
「乗りな。乗り心地は悪いけど」
その言葉に一晩中馬車に揺られていた腰痛を思い出したが、今は歩くのに疲れてきて
いたので、遠慮なく誘いに応じることにした。ひらりと飛び乗り、礼を言う。
男は「おうよ」と返事をして、馬車はがらがらと進み出した。
「こんなところを女が一人で歩いてるとは思わなかったな。どっから来たんだ?」
「昨日までソフィニアにいた」
「は? 一晩で砂漠を渡れるもんなのか?」
普段なら他人と話をするのは面倒だと思うところだが、久しぶりの普通の会話だ。付
き合うのも悪くない。眠気にあくびを噛み殺しながら平坦な声で返事をする。
「私にもよくわからないが、そのようだ」
「へぇ、すごいんだなぁ……」
ゆっくりと流れて行く景色は歩くのとあまり変わらない速度だったが、足を動かさな
くていいだけ楽だ。でも、動いていないと眠くなる。
「そういや、名前は?」
「ん?」
「ああ、悪い。オレはマイルズ・ファブリーっていうんだ。
親戚が主催するパーティーに行く途中でさ」
「その格好で?」
男は苦笑いした。
「後で着替えるとも。で、お嬢さんは?」
「そんな呼ばれ方する歳じゃないな」
「自分で言うかよ」
「……ジュリエッタだ」
「態度のワリに可愛いらしい名前」
「なんだって?」
横目で見ると、男は振り返らないまま「空耳だろ」と言い訳した。
空耳だと思うことにしよう。今は眠くて頭が回らない。普段だったら? ああ、普段
でも気にしないだろう他人に何を言われようが関心はあまりない。そうでなければこん
な格好――赤と黒のワンピースに長い黒髪、二十を過ぎた女――をしていられない。
「で、ジュリエッタちゃんは何してる人?」
「夢追い人」
「…………ああ、なるほど」
「なんだその妙に納得したような反応。魔法使いだ」
言うと、マイルズは驚いた顔で振り向いてきた。
変な具合に手綱を動かしたのか、馬が嘶いて馬車が急に早くなった。
「本当か!?」
「揺れる。馬を静めろ」
苦笑いしてマイルズは馬を諌めた。がっしりとした農耕馬は元々温厚な性質であるら
しく、主人の命令によく従った。すぐに馬車はもとにゆったりとしたペースを取り戻す。
「で、本当なのか?」
「証拠を見たいなら、そこらへんの木でも首でもへし折ってやるが」
「いらない。オレまだ死にたくない。
で、これから行くパーティー、魔法使いを集めてるんだけど」
来ないか、という言葉は視線だけで続けられた。
ジュリアは少しだけ考えてから答えた。考えたつもりだったが、ただ黙りこんだだけ
だったかも知れない。とにかく眠い。
「いつから?」
「今日の夕方から。モルフの羊は美味いぞ」
そうか、ここはモルフ地方なのか。
ようやく大雑把な地理は把握できた気がした。
モルフのどこなのかはわからないが、もういい。満足した。
「寝てないんだ。仮眠を取りたい」
「無駄に広い家だから、部屋なんかいくらでも貸せる」
なら行こう、と答えた直後、眠気に負けて意識が途絶えた。
場所:モルフ地方東部
--------------------------------------------------------------------------
馬車を降りて御者に報酬を叩きつけると、相手はロクに挨拶もせず、馬に鞭を打って
あっという間に地平の彼方まで逃げ去ってしまった。砂漠の砂で薄汚れた馬車の後ろ姿
をぼんやりと見送った後、ジュリエッタ・ローザンハインは溜息をついて現在位置を確
かめた。
――確かめるも何も、平原だ。明け方の空の下、見渡す限りの。
遠くには山や森が見えるものの、見晴らしはいい。ゆるやかな丘かも知れない。
こんなところで馬車を帰したのは何か考えがあったわけではない。クッションの利い
ていない座席でがたがたと揺られ続けて、いい加減に腰が痛くなったから、というだけ
の理由だ。
とりあえずソフィニアから遠ざかることが第一の目的だったので、実の所、ここがど
こなのかは割とどうでもいい問題だった。とはいえ感情的にどうでもいいからといって
現実的にもどうでもいいかといえばそうでもなく、自分が今、この広い世界のどこにい
るかということは、表面的な情報だけでも把握しておかなければならない事柄だ。
まさか一晩で砂漠越えができるとは思わなかったので、今どこにいるのかさっぱりだ。
どの方向へ抜けたのか御者に確認してみればよかったと思い当たったころには、馬車の
影はとうに見えなくなってしまっていた。
目を凝らせば、遠くに街らしき影が見えた。あそこまで歩いてみようと決め、少ない
荷物を片手に歩き出す。昼前までには辿り着くだろう。たぶん。
街に着いたら宿を取ってさっさと寝よう。
昨日の朝は――随分と大昔な気がするが、昨日の朝は早起きをしたし、それから一睡
もしていないのだ。いや、馬車の中で少しは微睡んだか? どうでもいい。大差ない。
とにかく重要なのは、ここはソフィニアではないということで、つまり危機から首尾
よく逃げ出せたということだ。それを考えれば寝不足の頭痛も気にならなくなってくる
し、明け方の冴えた空気がおいしくも感じられる。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
背後から車輪の音が近づいてきたのを聞いて、ジュリアは足を止めた。
もう早朝から朝になった時刻だ。目指していた影は、街のそれだとわかるまでに近づ
いていた。このまま歩き続ければ最初の見当どおり、昼になるまえには到着するだろう。
平原を走る一本道の幅いっぱいを使ってがらがらと近づいてくるのは二頭立ての荷馬
車だった。轢かれたくないので道の端に避けると、馬車は目の前で止まった。
手綱を握っていた、まだ若い男が声をかけてくる。
「やあ、お嬢さん。どこまで?」
「……とりあえずあの町まで」
ジュリアは答えながら無遠慮に相手を観察した。
短い赤土色の髪を後ろに撫でつけ、白いシャツをだらしなく着崩している。地方農家
の我侭息子、という、自分でもよくわからない第一印象にジュリアは内心で首を傾げた。
男はよく日焼けした顔に人懐っこい笑顔を浮かべて話しかけてくる。
「乗っていかない?」
「いいのか?」
問い返す。男は虚を突かれたような表情をして、それから快闊に笑った。
「乗りな。乗り心地は悪いけど」
その言葉に一晩中馬車に揺られていた腰痛を思い出したが、今は歩くのに疲れてきて
いたので、遠慮なく誘いに応じることにした。ひらりと飛び乗り、礼を言う。
男は「おうよ」と返事をして、馬車はがらがらと進み出した。
「こんなところを女が一人で歩いてるとは思わなかったな。どっから来たんだ?」
「昨日までソフィニアにいた」
「は? 一晩で砂漠を渡れるもんなのか?」
普段なら他人と話をするのは面倒だと思うところだが、久しぶりの普通の会話だ。付
き合うのも悪くない。眠気にあくびを噛み殺しながら平坦な声で返事をする。
「私にもよくわからないが、そのようだ」
「へぇ、すごいんだなぁ……」
ゆっくりと流れて行く景色は歩くのとあまり変わらない速度だったが、足を動かさな
くていいだけ楽だ。でも、動いていないと眠くなる。
「そういや、名前は?」
「ん?」
「ああ、悪い。オレはマイルズ・ファブリーっていうんだ。
親戚が主催するパーティーに行く途中でさ」
「その格好で?」
男は苦笑いした。
「後で着替えるとも。で、お嬢さんは?」
「そんな呼ばれ方する歳じゃないな」
「自分で言うかよ」
「……ジュリエッタだ」
「態度のワリに可愛いらしい名前」
「なんだって?」
横目で見ると、男は振り返らないまま「空耳だろ」と言い訳した。
空耳だと思うことにしよう。今は眠くて頭が回らない。普段だったら? ああ、普段
でも気にしないだろう他人に何を言われようが関心はあまりない。そうでなければこん
な格好――赤と黒のワンピースに長い黒髪、二十を過ぎた女――をしていられない。
「で、ジュリエッタちゃんは何してる人?」
「夢追い人」
「…………ああ、なるほど」
「なんだその妙に納得したような反応。魔法使いだ」
言うと、マイルズは驚いた顔で振り向いてきた。
変な具合に手綱を動かしたのか、馬が嘶いて馬車が急に早くなった。
「本当か!?」
「揺れる。馬を静めろ」
苦笑いしてマイルズは馬を諌めた。がっしりとした農耕馬は元々温厚な性質であるら
しく、主人の命令によく従った。すぐに馬車はもとにゆったりとしたペースを取り戻す。
「で、本当なのか?」
「証拠を見たいなら、そこらへんの木でも首でもへし折ってやるが」
「いらない。オレまだ死にたくない。
で、これから行くパーティー、魔法使いを集めてるんだけど」
来ないか、という言葉は視線だけで続けられた。
ジュリアは少しだけ考えてから答えた。考えたつもりだったが、ただ黙りこんだだけ
だったかも知れない。とにかく眠い。
「いつから?」
「今日の夕方から。モルフの羊は美味いぞ」
そうか、ここはモルフ地方なのか。
ようやく大雑把な地理は把握できた気がした。
モルフのどこなのかはわからないが、もういい。満足した。
「寝てないんだ。仮眠を取りたい」
「無駄に広い家だから、部屋なんかいくらでも貸せる」
なら行こう、と答えた直後、眠気に負けて意識が途絶えた。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史 エンプティ
場所 :モルフ地方 某A市
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
バルメ祭当日。モルフはよく晴れていた。
浮つく人々の心と対照的に、一定のリズムを刻む工場の機会音も、次第にお菓子をねだる子供たちの声にかき消されていく。
「バルメお婆さんの使い魔よ。クッキーをちょうだい。」
午前の工場の視察を終えた俺は、エリス女史とオフィスに向かって歩いていた。
そんな俺たちの前に、黒い頭巾を被った少女が立ちはだかった。
右手をつきだし、左手には青いペンキカゴ。
「あげないとどうなるんだ?」
「旦那様の素敵な黒いスーツが青いスーツになるわ」
「あいにく私は手ぶらでね」
苦笑してエリス女史に視線をやると、彼女は用意していたジンジャークッキーの袋を少女の小さな手のひらに乗せる。
にこりと微笑むと、少女は身を翻し次の大人のもとへと走り出す。
スカートの下から、長い猫の尻尾が軽やかに揺れていた。
「もし、ここに本物が居たとしても誰も気がつかないだろうな」
「何のですか?」
頭に牛の角をつけた少年に、新聞屋のケイレスが襲われているのを視界の端に入れながら、彼女の腰に手を添える。
「急ごう。敵は多いからな。クッキーがもたなくなるぞ」
バルメ祭は、魔物よりも物騒なモルフの子供たちの目に怯える日なのだ。
やはり忌々しい行事に違いない。
△▼△▼△▼△▼
「お邪魔しております。アーサー・テイラック様ですね」
オフィスの扉を開けると、見知らぬ男が立っていた。
全身をぼろ布で覆った乞食のような格好は、どう考えてもうちの客ではない。
第一、部屋には鍵がかけてあった。
反射的に銃を構え、俺が最初に発したのはこんな言葉だった。
「クッキーをやるから帰れ」
「それは使い魔のほうですよ」
エリス女史の指摘と同時に、男の服装が乞食ではなく、いわゆる魔法使いの格好だという事に気がついた。
「怪しいものではございません。私はエンプティ。
ファブリー家のパーティのゲストをお迎えにあがりました」
「ファブリー家の…?」
彼は頷くと、音もなく俺の前まで近づき拳銃に触れた。
硬く冷たいはずの拳銃の感触がぬめりのある鱗に――ヘビの姿に変わる。
「! 魔法か」
「いえ。手品です」
巻きついてきたヘビは子供の使う玩具ではなく、本物の生きたソレだった。
驚く俺に、男はもったいぶる事無く、ローブの下に隠れていた左手を上げた。
そこには俺の銃が握られている。
「……」
「まぁ、凄い」
感嘆するエリス女史。
魔法と手品、どっちのほうが凄いのだろうか…。
「で、手品師の君はどうやって私たちを運んでくれるんだ?」
「お宅の馬車で」
「……ファブリー氏は私に恨みでもあるのかね」
「いえ。わざわざ遠方からいらっしゃるお客様の旅の退屈を紛らわそうという、善意の元でございます」
「……」
やはりファブリー氏は気が狂ったに違いない。
この男と3時間も同じ空間にいなければいけないかと思うと気が滅入る。
せめて女性、若いのに限るが、だったら良かった。
バルメ祭は魔女の祭りだろう?
途端に、僅かながらでも楽しみにしていたパーティーに行く気が失せてしまった。
しかし、今更断るわけにもいかない。
俺は常識人なのだから。
奉じるように俺に銃を返すと、エンプティはヘビをするすると飲み込んだ。
エンプティの喉が不自然にうねったのは見なかったことにした。
「私も、彼女も準備を済ませていない。暫く時間をくれないか」
「もちろんでございます。こちらで待たせていただいても宜しいですか?」
「構わない。…そういえばこの部屋にはどうやって入ったんだ?」
こそ泥に開けられるような安易な作りにはしていないはずだ。
「それは、魔法です」
エンプティは唯一外に露わになった顔でにったりと笑った。
PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史 エンプティ
場所 :モルフ地方 某A市
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
バルメ祭当日。モルフはよく晴れていた。
浮つく人々の心と対照的に、一定のリズムを刻む工場の機会音も、次第にお菓子をねだる子供たちの声にかき消されていく。
「バルメお婆さんの使い魔よ。クッキーをちょうだい。」
午前の工場の視察を終えた俺は、エリス女史とオフィスに向かって歩いていた。
そんな俺たちの前に、黒い頭巾を被った少女が立ちはだかった。
右手をつきだし、左手には青いペンキカゴ。
「あげないとどうなるんだ?」
「旦那様の素敵な黒いスーツが青いスーツになるわ」
「あいにく私は手ぶらでね」
苦笑してエリス女史に視線をやると、彼女は用意していたジンジャークッキーの袋を少女の小さな手のひらに乗せる。
にこりと微笑むと、少女は身を翻し次の大人のもとへと走り出す。
スカートの下から、長い猫の尻尾が軽やかに揺れていた。
「もし、ここに本物が居たとしても誰も気がつかないだろうな」
「何のですか?」
頭に牛の角をつけた少年に、新聞屋のケイレスが襲われているのを視界の端に入れながら、彼女の腰に手を添える。
「急ごう。敵は多いからな。クッキーがもたなくなるぞ」
バルメ祭は、魔物よりも物騒なモルフの子供たちの目に怯える日なのだ。
やはり忌々しい行事に違いない。
△▼△▼△▼△▼
「お邪魔しております。アーサー・テイラック様ですね」
オフィスの扉を開けると、見知らぬ男が立っていた。
全身をぼろ布で覆った乞食のような格好は、どう考えてもうちの客ではない。
第一、部屋には鍵がかけてあった。
反射的に銃を構え、俺が最初に発したのはこんな言葉だった。
「クッキーをやるから帰れ」
「それは使い魔のほうですよ」
エリス女史の指摘と同時に、男の服装が乞食ではなく、いわゆる魔法使いの格好だという事に気がついた。
「怪しいものではございません。私はエンプティ。
ファブリー家のパーティのゲストをお迎えにあがりました」
「ファブリー家の…?」
彼は頷くと、音もなく俺の前まで近づき拳銃に触れた。
硬く冷たいはずの拳銃の感触がぬめりのある鱗に――ヘビの姿に変わる。
「! 魔法か」
「いえ。手品です」
巻きついてきたヘビは子供の使う玩具ではなく、本物の生きたソレだった。
驚く俺に、男はもったいぶる事無く、ローブの下に隠れていた左手を上げた。
そこには俺の銃が握られている。
「……」
「まぁ、凄い」
感嘆するエリス女史。
魔法と手品、どっちのほうが凄いのだろうか…。
「で、手品師の君はどうやって私たちを運んでくれるんだ?」
「お宅の馬車で」
「……ファブリー氏は私に恨みでもあるのかね」
「いえ。わざわざ遠方からいらっしゃるお客様の旅の退屈を紛らわそうという、善意の元でございます」
「……」
やはりファブリー氏は気が狂ったに違いない。
この男と3時間も同じ空間にいなければいけないかと思うと気が滅入る。
せめて女性、若いのに限るが、だったら良かった。
バルメ祭は魔女の祭りだろう?
途端に、僅かながらでも楽しみにしていたパーティーに行く気が失せてしまった。
しかし、今更断るわけにもいかない。
俺は常識人なのだから。
奉じるように俺に銃を返すと、エンプティはヘビをするすると飲み込んだ。
エンプティの喉が不自然にうねったのは見なかったことにした。
「私も、彼女も準備を済ませていない。暫く時間をくれないか」
「もちろんでございます。こちらで待たせていただいても宜しいですか?」
「構わない。…そういえばこの部屋にはどうやって入ったんだ?」
こそ泥に開けられるような安易な作りにはしていないはずだ。
「それは、魔法です」
エンプティは唯一外に露わになった顔でにったりと笑った。
キャスト:ジュリア (アーサー)
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
--------------------------------------------------------------------------
おい着いたぞ目を醒ませと肩を揺さぶられた。
思わず、うるさい黙れさわるなと手を振り払ってから、ジュリアは体を起こした。太
陽の光に目を細める。青い空が眩しい。どうやらもう昼近いようだ。
「……ひどいなぁ」
「悪い、寝ぼけてた」
目をこすりながら周囲を見渡す。呆れ顔のマイルズの背後には、白い壁が聳え立って
いた。古そうだが手入れはされているようだ。
無人ではないだろう――と考えてから、どうして自分がこんなところにいるのかを思
い出した。
何かで魔法使いを集めているから来ないかと誘われたのだ。たぶん。半分くらい寝て
いたのでよく覚えていないが。うちに来ないかみたいに誘われたのだから無人であるは
ずがない。
「ここは?」
「オレんち。ファブリー家って知らないか?」
「知らないな」
ふらふらと立ち上がる。どうも寝起きは弱い。しかも寝足りない。
頭から血が駆け下りる感覚。もう一眠りしたいところだが……ああ、そうだ。そのた
めに来たんだ。
パーティー云々はあまり興味ない。適当な魔術でも見せてお茶を濁せばいいだろう。
他にも魔法使いがいるらしいが――金持ちの道楽に付き合うような輩なんて、どうせほ
とんどが“自称”魔法使いだろうから。
「このあたりでは有名だと思ってたんだけどなぁ」
「知らないものは知らない。
……できれば、もう少し寝たい」
「部屋ならあまってるからな」
歩き出したマイルズに続く。
どうやらここは家の裏のようだが、こ汚い荷馬車をとめるには躊躇する程度の手入れ
がされていた。よく磨かれた窓にレースのカーテンがかかり、高価そうな花瓶が飾られ
ているのが見えた。
「貴族か?」
「いや、事業家だ」
「お前は?」
「オレはさっさと美人の嫁さんもらって飛び出した。
兄さんたちと違って金勘定には興味ないもんでね」
マイルズは裏口の扉をコンコンと叩いて、反応がないのを確認すると躊躇なく開く。
奥はごちゃごちゃとした空間だった。さぁどうぞ、と勧められて、ジュリアは相手に
疑いの視線を投げかけた。
「本当にこの家の人間なのか?」
「もちろん。ちょっと煙たがられてるけど」
「…………」
「しかたないだろ、バルメ祭にだけは帰らないと親がうるさいんだ。
でもできるだけ顔を合わせたくない連中が多くてだな……」
求めてもいない言い訳を聞き流して、ジュリアは屋敷の中へ踏み込んだ。
日が当たらないせいか、空気はひんやりとしていて、湿った埃のにおいがする。足元
を見ると壁際にバケツやモップが寄せられている。どうやら本格的に裏口らしい。庭い
じりの道具まで置かれているから倉庫がわりにも使われているのだろう。
「で、その煙たがられている男と一緒にいて、私は大丈夫なのか?」
「んー、まぁ、大丈夫なんじゃないか?
お前も一人は魔法使いを連れて来いみたいな手紙もらったし」
マイルズに続いて狭い部屋を出る。
しばらく歩くと使用人らしき中年の女とでくわした。彼女は驚いたようにマイルズを
見つめたあと、「あらあらまぁまぁ」と、よくわからない声を上げて喋りだした。
「いつの間に帰ってきなさったんだい、坊ちゃん。
そんな粗末な恰好して……準備しますから身嗜みを整えてくださいませ。他の皆さん
はもうお揃いなんですからね。もうすぐお客さまも参りますし」
「わかってる、わかってるって。準備する。
オレが帰ってきたことは母さん以外にはギリギリまで内緒な。
兄さんたちに知られたら、どうせまた口うるさい説教されんだから……」
どうやらこの家の人間だというのは本当のようだ。
ジュリアはあくびを噛み殺しながら二人の話を聞き流す。マイルズと女は声を潜めて
しばらく話をしていたが、急に二人同時にジュリアの方を振り向いてきた。
「……なんだ?」
「だから、部屋を用意してくれるってさ」
「それはよかった」
とりあえず寝場所の確保はできたようだ。
面倒臭いことは起きてから考えよう。
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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おい着いたぞ目を醒ませと肩を揺さぶられた。
思わず、うるさい黙れさわるなと手を振り払ってから、ジュリアは体を起こした。太
陽の光に目を細める。青い空が眩しい。どうやらもう昼近いようだ。
「……ひどいなぁ」
「悪い、寝ぼけてた」
目をこすりながら周囲を見渡す。呆れ顔のマイルズの背後には、白い壁が聳え立って
いた。古そうだが手入れはされているようだ。
無人ではないだろう――と考えてから、どうして自分がこんなところにいるのかを思
い出した。
何かで魔法使いを集めているから来ないかと誘われたのだ。たぶん。半分くらい寝て
いたのでよく覚えていないが。うちに来ないかみたいに誘われたのだから無人であるは
ずがない。
「ここは?」
「オレんち。ファブリー家って知らないか?」
「知らないな」
ふらふらと立ち上がる。どうも寝起きは弱い。しかも寝足りない。
頭から血が駆け下りる感覚。もう一眠りしたいところだが……ああ、そうだ。そのた
めに来たんだ。
パーティー云々はあまり興味ない。適当な魔術でも見せてお茶を濁せばいいだろう。
他にも魔法使いがいるらしいが――金持ちの道楽に付き合うような輩なんて、どうせほ
とんどが“自称”魔法使いだろうから。
「このあたりでは有名だと思ってたんだけどなぁ」
「知らないものは知らない。
……できれば、もう少し寝たい」
「部屋ならあまってるからな」
歩き出したマイルズに続く。
どうやらここは家の裏のようだが、こ汚い荷馬車をとめるには躊躇する程度の手入れ
がされていた。よく磨かれた窓にレースのカーテンがかかり、高価そうな花瓶が飾られ
ているのが見えた。
「貴族か?」
「いや、事業家だ」
「お前は?」
「オレはさっさと美人の嫁さんもらって飛び出した。
兄さんたちと違って金勘定には興味ないもんでね」
マイルズは裏口の扉をコンコンと叩いて、反応がないのを確認すると躊躇なく開く。
奥はごちゃごちゃとした空間だった。さぁどうぞ、と勧められて、ジュリアは相手に
疑いの視線を投げかけた。
「本当にこの家の人間なのか?」
「もちろん。ちょっと煙たがられてるけど」
「…………」
「しかたないだろ、バルメ祭にだけは帰らないと親がうるさいんだ。
でもできるだけ顔を合わせたくない連中が多くてだな……」
求めてもいない言い訳を聞き流して、ジュリアは屋敷の中へ踏み込んだ。
日が当たらないせいか、空気はひんやりとしていて、湿った埃のにおいがする。足元
を見ると壁際にバケツやモップが寄せられている。どうやら本格的に裏口らしい。庭い
じりの道具まで置かれているから倉庫がわりにも使われているのだろう。
「で、その煙たがられている男と一緒にいて、私は大丈夫なのか?」
「んー、まぁ、大丈夫なんじゃないか?
お前も一人は魔法使いを連れて来いみたいな手紙もらったし」
マイルズに続いて狭い部屋を出る。
しばらく歩くと使用人らしき中年の女とでくわした。彼女は驚いたようにマイルズを
見つめたあと、「あらあらまぁまぁ」と、よくわからない声を上げて喋りだした。
「いつの間に帰ってきなさったんだい、坊ちゃん。
そんな粗末な恰好して……準備しますから身嗜みを整えてくださいませ。他の皆さん
はもうお揃いなんですからね。もうすぐお客さまも参りますし」
「わかってる、わかってるって。準備する。
オレが帰ってきたことは母さん以外にはギリギリまで内緒な。
兄さんたちに知られたら、どうせまた口うるさい説教されんだから……」
どうやらこの家の人間だというのは本当のようだ。
ジュリアはあくびを噛み殺しながら二人の話を聞き流す。マイルズと女は声を潜めて
しばらく話をしていたが、急に二人同時にジュリアの方を振り向いてきた。
「……なんだ?」
「だから、部屋を用意してくれるってさ」
「それはよかった」
とりあえず寝場所の確保はできたようだ。
面倒臭いことは起きてから考えよう。
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PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史 エンプティ
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
馬車の中はすこぶる居心地が悪かった。
俺は四人乗りの幌馬車の中で「もう一回り大きいものを買えばよかった」と30分ごとに後悔を繰り返していた。
しかし数時間後には、この不快感は単に同じ空間で空気を吸いたくない人種が傍にいるからであることに気がついた。
俺は、閉じていた瞼をわずかに上げてエンプティを見た。
「では、右手を開いてみてください」
「まぁ、コインが二つに!」
この胡散臭い手品師だか、魔法使いだかは、馬車での移動中ずっとエリス女史を相手に、これまた手品だか魔法だか分からないパフォーマンスを繰り返していた。
驚くのは、その技の多種多様なこと。
もしパーティで同じ事をやったら指を指して笑ってやろうと思いながら、俺は寝たふりをしながら耳を傾けていた。
何故俺が彼をここまで嫌うのか、自分にも分からない。
しかし、この魔法を嫌う体質がモルフの風土特有のものだとしたら、俺はよほどモルフの人々の古い性質を受け継いでいるということだろう。
御者が町の中に入った事を告げた。
続く限りの草原と羊しか見られなかった窓の外の風景が、次第に立ち並ぶ建物の外壁へと変化した。
「それにしても、モルフも変わりましたねぇ」
しみじみとしたエンプティの言葉にエリス女史が意外そうな顔つきで尋ねた。
「あら、以前にもモルフに来たことが?」
以前言ったようにモルフは魔法とは縁の無い土地で、エンプティのようないかにも魔法使いといった男が縁もなくふらりと立ち寄る所ではない。
同時に、魔法使いからも敬遠される場所でもあったので、ファブリー氏はこの変わった趣向のパーティの為に魔法使いを集めるのにとても苦労したのではないだろうか。
「まだ、キャイロンの時計塔が建つ前の事です。私は友人を訪ねてよくここに来ました」
俺はエリス女史と顔を見合わせた。
彼の言葉が本当なのか、それともらしく振舞うための演出なのかは分からなかった。
キャイロンの時計塔はつい最近150周年を迎えたばかりだ。
その頃ならきっとバルメも生きていただろうが……。
▼ △ ▼ △
ファブリー氏の屋敷は年季が入った白壁と行き届いた庭園が美しく、モルフの名家たる風格をかもし出していた。
祖父の代で羊飼いから事業を起した、文字通り成金の我がテイラック家ではこうはいかない。
馬車から降りるとホールに通され、エンプティは俺たちに一言挨拶すると何処かへ消えた。
パーティが始まるにはまだ少し時間があった。
俺たちよりずっと早くに到着した人々には客室が用意されたが、今から腰をすえて休みを取るほどの時間も無い。
若い使用人が料理を乗せた銀の皿を早足で運んでいた。
異国の料理だろうか、油で炒めた米の香ばしい香りが俺の鼻腔をくすぐった。
「思った以上に大きなパーティだな…」
「そうですね」
既にいる顔ぶれをざっと見渡す。
この町の重役が何人かいた。
あと、魔法使いと思われる人間がちらほら。
その中に、使用人に指示をする暗い赤毛の男たちが居た。
貫禄のある体格と豊かな眉から青い穏やかな瞳を覗かせる紳士が、このパーティの主催者でこの屋敷の主、ジョイ・ファブリーズだ。
隣の鷲鼻で神経質そうな男は彼の息子だろうか、同じ赤銅色の髪をしていたがヒョロリと背が高く喋るたびに眉がピクピクと動いた。
俺の視線に気がつくとジョイ・ファブリーは両手を挙げて歓迎の意を表しながら俺の方へ足を向けた。
「ようこそ、テイラック君」
「お招きありがとうございます、ファブリーさん」
「来てくれて感謝してるよ。存分に楽しんでくれたまえ。そちらのご婦人は…」
「私の秘書です」
ファブリー氏の視線に、エリス女史が魅力的な笑みを浮かべた。
満足そうに頷くファブリー氏の後ろで、血色の悪そうな息子の頬が急に赤みをさしたのを俺は見逃さなかった。
「ところで、今回のパーティは変わっていますね。魔法使いを余興に出すとは」
「君のような若い人に喜んでもらえればとね」
「えぇ。期待していますよ」
俺は心にも思っていない言葉を彼に返した。
PC :アーサー (ジュリア)
NPC:エリス女史 エンプティ
場所:モルフ地方東部 ― ファブリー邸
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馬車の中はすこぶる居心地が悪かった。
俺は四人乗りの幌馬車の中で「もう一回り大きいものを買えばよかった」と30分ごとに後悔を繰り返していた。
しかし数時間後には、この不快感は単に同じ空間で空気を吸いたくない人種が傍にいるからであることに気がついた。
俺は、閉じていた瞼をわずかに上げてエンプティを見た。
「では、右手を開いてみてください」
「まぁ、コインが二つに!」
この胡散臭い手品師だか、魔法使いだかは、馬車での移動中ずっとエリス女史を相手に、これまた手品だか魔法だか分からないパフォーマンスを繰り返していた。
驚くのは、その技の多種多様なこと。
もしパーティで同じ事をやったら指を指して笑ってやろうと思いながら、俺は寝たふりをしながら耳を傾けていた。
何故俺が彼をここまで嫌うのか、自分にも分からない。
しかし、この魔法を嫌う体質がモルフの風土特有のものだとしたら、俺はよほどモルフの人々の古い性質を受け継いでいるということだろう。
御者が町の中に入った事を告げた。
続く限りの草原と羊しか見られなかった窓の外の風景が、次第に立ち並ぶ建物の外壁へと変化した。
「それにしても、モルフも変わりましたねぇ」
しみじみとしたエンプティの言葉にエリス女史が意外そうな顔つきで尋ねた。
「あら、以前にもモルフに来たことが?」
以前言ったようにモルフは魔法とは縁の無い土地で、エンプティのようないかにも魔法使いといった男が縁もなくふらりと立ち寄る所ではない。
同時に、魔法使いからも敬遠される場所でもあったので、ファブリー氏はこの変わった趣向のパーティの為に魔法使いを集めるのにとても苦労したのではないだろうか。
「まだ、キャイロンの時計塔が建つ前の事です。私は友人を訪ねてよくここに来ました」
俺はエリス女史と顔を見合わせた。
彼の言葉が本当なのか、それともらしく振舞うための演出なのかは分からなかった。
キャイロンの時計塔はつい最近150周年を迎えたばかりだ。
その頃ならきっとバルメも生きていただろうが……。
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ファブリー氏の屋敷は年季が入った白壁と行き届いた庭園が美しく、モルフの名家たる風格をかもし出していた。
祖父の代で羊飼いから事業を起した、文字通り成金の我がテイラック家ではこうはいかない。
馬車から降りるとホールに通され、エンプティは俺たちに一言挨拶すると何処かへ消えた。
パーティが始まるにはまだ少し時間があった。
俺たちよりずっと早くに到着した人々には客室が用意されたが、今から腰をすえて休みを取るほどの時間も無い。
若い使用人が料理を乗せた銀の皿を早足で運んでいた。
異国の料理だろうか、油で炒めた米の香ばしい香りが俺の鼻腔をくすぐった。
「思った以上に大きなパーティだな…」
「そうですね」
既にいる顔ぶれをざっと見渡す。
この町の重役が何人かいた。
あと、魔法使いと思われる人間がちらほら。
その中に、使用人に指示をする暗い赤毛の男たちが居た。
貫禄のある体格と豊かな眉から青い穏やかな瞳を覗かせる紳士が、このパーティの主催者でこの屋敷の主、ジョイ・ファブリーズだ。
隣の鷲鼻で神経質そうな男は彼の息子だろうか、同じ赤銅色の髪をしていたがヒョロリと背が高く喋るたびに眉がピクピクと動いた。
俺の視線に気がつくとジョイ・ファブリーは両手を挙げて歓迎の意を表しながら俺の方へ足を向けた。
「ようこそ、テイラック君」
「お招きありがとうございます、ファブリーさん」
「来てくれて感謝してるよ。存分に楽しんでくれたまえ。そちらのご婦人は…」
「私の秘書です」
ファブリー氏の視線に、エリス女史が魅力的な笑みを浮かべた。
満足そうに頷くファブリー氏の後ろで、血色の悪そうな息子の頬が急に赤みをさしたのを俺は見逃さなかった。
「ところで、今回のパーティは変わっていますね。魔法使いを余興に出すとは」
「君のような若い人に喜んでもらえればとね」
「えぇ。期待していますよ」
俺は心にも思っていない言葉を彼に返した。