PC:メイ (礫)
NPC:キシェロ
場所:ポポル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メイが目を覚ましたのは、閉じたまぶたを眩しい日差しが貫いたからだった。
「んにゃ……」
寝ぼけた声を上げ、うっすらとまぶたを開く。
「おはよう、妖精さん」
視界いっぱいに映ったのは、こんなに眩しい日差しの中でも、やっぱりどこか陰鬱な
キシェロの顔だった。
起きて真っ先にこんなものを見せられては、心臓に悪い。
メイは、寝起きとは思えない俊敏な動きで、その顔と最長距離を取った。
すなわち、鳥かごのような檻の中で、反対の向きに逃げたのである。
鉄の柵に背中をぶつけたが、特に痛いとは思わなかった。
「そんなに警戒しなくてもいいだろう?」
その反応に、キシェロはため息をつく。
「妖精を食べ物で釣って捕まえる人間なんか、最低よっ!」
両手で頬を引っ張りつつ、メイは舌を出した。
「……まあいい」
キシェロは鳥かごをそっと持ち上げると、テーブルの上に置いた。
そこにあったのは、ドールハウス、というやつだった。
ちょうど、部屋を横から見た感じのものである。
小花を散らした壁紙の部屋の中に、テーブルとソファー、そしてベッド、本棚などの
家具一式が置いてある。
さすがに、本棚の中の本はニセモノだが……それでも立派なものである。
ただし、鳥かごよりは巨大な檻の中に、それは収まっていた。
部屋と言うよりは、牢獄と言った方が正しいのかもしれない。
「いつまでも鳥かごの中では窮屈だろう? 今日からは、ここが君の家だよ」
メイはそっぽを向いた。
(こんな奴の言う事なんか、絶対聞かない!)
その一心である。
「どうしたんだい? これは君のために用意したんだよ。人形用のものだけれど、一
番良いものを揃えておいたよ。最初は慣れないかもしれないけれど、そのうちにきっ
と気に入るさ」
「あたし、作ってなんて頼んでないもん」
メイはつーんとそっぽを向いたまま。
あまりにも可愛げのない態度に、キシェロはこめかみを引きつらせた。
別にお礼を言ってもらいたくてやったことではないが、自分の努力が全く省みられな
いというのが気に食わなかったのである。
――やはり、いつまでも下手(したて)に出ていてはいけない。
キシェロの思考は、やや物騒な方向に向かった。
ここは、どちらの立場が上であるかを教えてやる必要がある。
彼女は今から、自分に飼われるのだ。
食事だって、自分が与えてやらなければ得られない。
本当は、もう少し後にするつもりだったが……このあまりにも可愛げのない態度を見
て、考えが変わった。
だが、最初が酷すぎてもいけないだろう。
心に傷を負ってしまい、塞ぎこむなどして見世物にならなくなっては元も子もない。
まずは鳥かごを思いきり揺さぶって恐怖を味わせて、『これから言う事を聞かなけれ
ば同じことをするよ』とでも言っておこう。
あとは、態度によって徐々に度合いを強めていけばいい。
キシェロは、鳥かごを乱暴に持ち上げた。
それは、突発的な事故だった。
持ち上げたところで手が滑り、がしゃん、と鳥かごが床に落ちたのである。
「ふぎゃ!」
とは言っても、メイにとってはまさしく『世界がひっくり返った』ような状態で、し
こたま腰をぶつけた。
舌を噛まなかったのが、せめてもの救いだろう。
「あた、あたたた……」
涙目で腰をさすり……メイはハッと気付いた。
落ちた衝撃で、鳥かごの小さな格子が開いていた。
通常は、鳥のエサ箱にエサを補充したりする時に開ける格子である。
――考えるよりも先に、体が勝手に動いた。
入り口から這い出して、飛び立つべく羽根を広げる。
そう、ここから逃げ出すために。
礫のことが、頭をかすめた。
元いた場所に帰れないと泣いた自分のために、協力を約束してくれた。
ご飯をおごってくれた。
眠る場所を提供してくれた。
実に優しい人間だった。
そんな彼と、つまらない食欲一つのために離れ離れになるなんて。
怒っていないだろうか。
また、会えるだろうか。
いや。
(絶対、れっきーのトコに帰るっ!)
メイは、とんっ、と床を蹴った。
が。
いつもなら何でもなく動く羽根は異様に重く、結局飛べないままぺたりと床にへたり
込む羽目になった。
(なんで? なんで?)
この事態がうまく飲みこめず、メイはあたふたと混乱した。
「ああ、そうだ」
キシェロの手が伸びてきて、メイの胴体を捕まえた。
「触んないでよっ、このっ、変態っ、根暗っ」
きーきーわめきながらキシェロの手をボカボカ叩いていると、彼は黙ってメイを眼前
まで持ち上げた。
睨みつけようとしたメイは……息を飲んだ。
なんと言っていいのか、よくわからない。
だが、今のキシェロが、なんだか怖かったのだ。
具体的にどこがどう怖いのか、説明することはできないが……強いて言うなら、全体
的に、雰囲気が今までと違っていた。
「君の羽根に、特殊な油を塗っておいたんだ。飛んで逃げることぐらい、私だって予
想するよ」
目の前のキシェロの顔を、メイは愕然としながら見上げた。
NPC:キシェロ
場所:ポポル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メイが目を覚ましたのは、閉じたまぶたを眩しい日差しが貫いたからだった。
「んにゃ……」
寝ぼけた声を上げ、うっすらとまぶたを開く。
「おはよう、妖精さん」
視界いっぱいに映ったのは、こんなに眩しい日差しの中でも、やっぱりどこか陰鬱な
キシェロの顔だった。
起きて真っ先にこんなものを見せられては、心臓に悪い。
メイは、寝起きとは思えない俊敏な動きで、その顔と最長距離を取った。
すなわち、鳥かごのような檻の中で、反対の向きに逃げたのである。
鉄の柵に背中をぶつけたが、特に痛いとは思わなかった。
「そんなに警戒しなくてもいいだろう?」
その反応に、キシェロはため息をつく。
「妖精を食べ物で釣って捕まえる人間なんか、最低よっ!」
両手で頬を引っ張りつつ、メイは舌を出した。
「……まあいい」
キシェロは鳥かごをそっと持ち上げると、テーブルの上に置いた。
そこにあったのは、ドールハウス、というやつだった。
ちょうど、部屋を横から見た感じのものである。
小花を散らした壁紙の部屋の中に、テーブルとソファー、そしてベッド、本棚などの
家具一式が置いてある。
さすがに、本棚の中の本はニセモノだが……それでも立派なものである。
ただし、鳥かごよりは巨大な檻の中に、それは収まっていた。
部屋と言うよりは、牢獄と言った方が正しいのかもしれない。
「いつまでも鳥かごの中では窮屈だろう? 今日からは、ここが君の家だよ」
メイはそっぽを向いた。
(こんな奴の言う事なんか、絶対聞かない!)
その一心である。
「どうしたんだい? これは君のために用意したんだよ。人形用のものだけれど、一
番良いものを揃えておいたよ。最初は慣れないかもしれないけれど、そのうちにきっ
と気に入るさ」
「あたし、作ってなんて頼んでないもん」
メイはつーんとそっぽを向いたまま。
あまりにも可愛げのない態度に、キシェロはこめかみを引きつらせた。
別にお礼を言ってもらいたくてやったことではないが、自分の努力が全く省みられな
いというのが気に食わなかったのである。
――やはり、いつまでも下手(したて)に出ていてはいけない。
キシェロの思考は、やや物騒な方向に向かった。
ここは、どちらの立場が上であるかを教えてやる必要がある。
彼女は今から、自分に飼われるのだ。
食事だって、自分が与えてやらなければ得られない。
本当は、もう少し後にするつもりだったが……このあまりにも可愛げのない態度を見
て、考えが変わった。
だが、最初が酷すぎてもいけないだろう。
心に傷を負ってしまい、塞ぎこむなどして見世物にならなくなっては元も子もない。
まずは鳥かごを思いきり揺さぶって恐怖を味わせて、『これから言う事を聞かなけれ
ば同じことをするよ』とでも言っておこう。
あとは、態度によって徐々に度合いを強めていけばいい。
キシェロは、鳥かごを乱暴に持ち上げた。
それは、突発的な事故だった。
持ち上げたところで手が滑り、がしゃん、と鳥かごが床に落ちたのである。
「ふぎゃ!」
とは言っても、メイにとってはまさしく『世界がひっくり返った』ような状態で、し
こたま腰をぶつけた。
舌を噛まなかったのが、せめてもの救いだろう。
「あた、あたたた……」
涙目で腰をさすり……メイはハッと気付いた。
落ちた衝撃で、鳥かごの小さな格子が開いていた。
通常は、鳥のエサ箱にエサを補充したりする時に開ける格子である。
――考えるよりも先に、体が勝手に動いた。
入り口から這い出して、飛び立つべく羽根を広げる。
そう、ここから逃げ出すために。
礫のことが、頭をかすめた。
元いた場所に帰れないと泣いた自分のために、協力を約束してくれた。
ご飯をおごってくれた。
眠る場所を提供してくれた。
実に優しい人間だった。
そんな彼と、つまらない食欲一つのために離れ離れになるなんて。
怒っていないだろうか。
また、会えるだろうか。
いや。
(絶対、れっきーのトコに帰るっ!)
メイは、とんっ、と床を蹴った。
が。
いつもなら何でもなく動く羽根は異様に重く、結局飛べないままぺたりと床にへたり
込む羽目になった。
(なんで? なんで?)
この事態がうまく飲みこめず、メイはあたふたと混乱した。
「ああ、そうだ」
キシェロの手が伸びてきて、メイの胴体を捕まえた。
「触んないでよっ、このっ、変態っ、根暗っ」
きーきーわめきながらキシェロの手をボカボカ叩いていると、彼は黙ってメイを眼前
まで持ち上げた。
睨みつけようとしたメイは……息を飲んだ。
なんと言っていいのか、よくわからない。
だが、今のキシェロが、なんだか怖かったのだ。
具体的にどこがどう怖いのか、説明することはできないが……強いて言うなら、全体
的に、雰囲気が今までと違っていた。
「君の羽根に、特殊な油を塗っておいたんだ。飛んで逃げることぐらい、私だって予
想するよ」
目の前のキシェロの顔を、メイは愕然としながら見上げた。
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PC:礫 (メイ)
NPC:ニャホニャホタマクロー、雇われ冒険者
場所:トーポウ~ポポル
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ニャホニャホタマクローが告げた場所に行ってみたが、時既に遅し、当該地点には何も
なかった。
ニャホニャホタマクローが慌てて身柄の潔白と情報の正しさを主張している中、礫は一
人冷静になって見世物小屋の痕跡を観察していた。それはもう、つぶさに。轍の跡などが
無いか、調べているのだ。
礫は、こういう時こそ、自分が冷静にならなければと考えていた。ともすると冷静さを
失いかねない状況下において冷静でいられるということは、相手の先手を打てるというこ
とであり様子を見て行動に移せるということだ。だから、どんなときでも冷静さを失って
はいけないと、冒険者ギルドの先輩は言っていた。今でもその訓話は実行に移している。
案外、手がかりはあっさり見つかった。夜露に濡れて、少々ぬかるんだ土くれの道に、
轍の跡がくっきりと残っていたのだ。礫はその唯一残されたメイへと繋がる道を見失わな
いように、昼を過ぎ街人達が一仕事終えて帰途につき通りを賑わしている最中、人の波を
縫うように一歩一歩確実に眼で追っていった。ニャホニャホタマクローがその後を静かに
追っていく。
街の中央を通って、南北を結ぶ大通りを南に下ると街の出入り口に出る。このまま街道
を南下すれば、ポポルに辿り着くはずだ。そして轍はそのポポルに向かった事を物語って
いた。北ではなく、南に。
「――そうか、ポポルか――」
呟く礫の瞳には、メイを助け出す算段が浮かんでいた。
旅立つにはそれなりの支度が必要だ。とはいえ、元々旅をしている最中なのだから、定
着者が旅立つよりは遥かに楽ではある。それでも色々と準備しておかなくてはならないの
だ。食料品とか、日用雑貨とか、戦闘に必要な武器類、防具類、それから心の準備など。
ましてや、今回はメイがキシェロとか言う男に誘拐されたかもしれないのだ。もしかした
ら、その男と戦う羽目になるかもしれない。もしそうなったとしても、万全を期していけ
ば万に一つの勝ち目も無いと言うことは無いだろう。キシェロという男がどれだけ出来る
男かは知らないが、備えあれば憂いなし、だ。とはいえ、礫の戦闘形態は飛び道具などの
消耗品を使わないので、然して準備するものも無い。強いて必要なものといえば常時帯剣
している名も無き銘刀ただ一本である。その銘刀を宿屋の自室にて研ぎ澄ませる。丁子
(ちょうじ)油を塗って鞘に収めれば、準備は万端だ。
そうして宿を立つ。盾は持たない。攻撃こそ最大の防御、だからだ。それに、渾身の一
撃は両手で振るうものだ。礫の持つ刀は、一撃こそ軽いが鋭く反しの速度が速い。そして、
重い一撃を与えるためには両手で振り下ろさないと駄目なのだ。だから、盾は持たない。
宿を出て大通りを南下する。大通りとはいえ、今の時間人は疎らだ。夕方近くというこ
ともあったし、市場からだいぶ離れている、ということもあった。とはいえ、店が皆無と
いうことも無い。密集して立ち並ぶ民家の合間に、所々店舗が見える。それは洋品店だっ
たり、服屋だったり、骨董品店だったり、食料品店だったりする。それらは全て、市場ま
で行けない人達の為のものだ。暫し歩いてふと立ち止まる。おもむろに後ろを振り向いて、
大声を張り上げる。こめかみがひくついているのは怒りのためではない。信じられない事
象を目の当たりにしたからだ。
「ちょっと待て。君も来るの!?」
当然のごとき顔色で、共に旅立とうとついてきていたニャホニャホタマクローを見咎め
る礫。それでも付いて行きたいという懇願と期待の真摯な眼差しを受け止め、礫は逡巡す
る。この子を連れて行けば貴重な戦力になるだろう。だが、時として足枷になってしまう
かもしれない。それに、未だ味方だという保証が成されたわけではない。だから、信じる
に足るべきものなのか、見極めなければいけない。
礫は生唾を飲み込んで、次の言葉を吐き出す。
「わかったよ。邪魔になるなよ」
「やったぁ! 絶対役に立ってみせるって」
任せてとでも言わんばかりに、胸を叩くニャホニャホタマクロー。その瞳は無邪気に喜
色を帯びていた。どうして自分に付いて来てくれるのだろうかと、疑問に思わざるを得な
い。ほんの、ちょっとしたことで知り合ったばかりなのに。しかも最悪の出会いだった。
敵対こそすれ、味方になどならないだろう出会いだった。それなのに、今はこうして自分
の隣で笑っている。不思議な少年だ。一体この少年の心に何が起こったというのだろう。
大通りに出て、暫く南下したところで礫はふと思い立ち思考を言葉にする。
「さてと。君の事、なんて呼ぼうか。
そのままニャホニャホタマクローじゃ、長過ぎるしなぁ。ニャホタマ?」
「そんな呼び方酷すぎるよ! せめて、タマクローと」
タマクローと呼ぶことにした。
一時間ほど歩くと、やがて家並みが疎らになり、緑の木々が迫ってきた。もう間もなく
で家が途絶え、森の只中になる。出発の時間がだいぶ遅かったので、今は陽が傾き新鮮な
血の色を木々の間から滴らせている。
街を出たところで、不意に礫が立ち止まった。タマクローは突然の事にびっくりして、
礫の背にぶつかりそうになった。抗議の声を上げようとして、礫に先を越されてしまった。
「……さて、そろそろ出て来てくれませんかね」
礫は、誰もいないはずの後方に向かって語りかけた。すると、数人の男達が木々の間か
らぞろぞろと出てきた。ごろつき風情の男もいれば、服装をきちんと着こなしている男も
いる。服装などはまちまちだが、背格好は皆同じようなものだった。皆一様に武具防具を
帯びている。どうやら、そこら辺のごろつきとは違うようだ。
「冒険者ですか。殺気を隠そうともしない。まだまだ未熟者ですね」
自分の未熟は棚に上げて言ってみる。ギルドランクこそまだ下の方だが、こと戦闘に関
しては冒険をこなしている熟練者に引けを取らない自信がある。少なくとも今目の前に陳
列している、恐らくは自分と同ランクであろう冒険者相手には遅れを取らないと思ってい
る。だから態と見下した。
「へん。お前達をここから先に行かせるわけにはいかねぇ」
集団の代表格らしき男が言った。
「……と、いうことは、キシェロとかいう人に雇われて?」
吐く気は無いだろうが、かまをかけてみる。
「なっ!? どうして、その名前を!?」
案の定、うまくかかってくれた。案外、三流なのかもしれない。
「悪いけど、僕達も足止め食らうわけにはいかないんです」
そう言うと礫は、ゆっくりと舐めるように得物を抜いた。
勝負は一瞬でついた。
礫は刀を完全に抜き去ると同時に前に踏み込んでいた。勢いはそのままに、一足飛びで
先ず目の前にいる男に肉薄した。“縮地”という技だ。爆発的な瞬発力を利用して一瞬に
して肉薄する技である。剣閃一線、横に凪ぐ。狙いは――、相手の得物だ。ここが礫の甘
いところである。普通は相手の弱点とも言える局部を狙うものである。喉元を狙えば一瞬
にして葬れる。心臓を狙えば暫くのた打ち回った後に、死すだろう。だが礫は、相手の命
を奪おうとはしない。自分の命が危うくなった時にだけ、その鋭い殺気を走らせる。
相手の手元を一閃し、得物を薙ぎ払う。三流が相手ならば、それだけで怯んでしまう。
そして、今目の前にしているのは文字通り“三流”なのだ。
男は怯んだ。
礫は一瞬の間も空けず、隣り合っている者達の得物を次々と弾いていく。その様に見惚
れてしまうタマクロー。その瞳は潤みを帯びていて、どこか煌いていた。まるで恋する者
のそれのようだ。
「お前達、まだやるか?」
「お、覚えていろっ!」
まるで三流の悪役を絵に描いたような捨て台詞を残して、男達は来た時とは正反対に素
早く転身して奔走した。後を追いかける謂れは無い。
礫はやれやれと肩を竦めて見せて、先を促した。
「行こう。気付かれてるかもしれない」
憶測であり、確信である。だが、言葉の裏には真実が含まれていた。
カルドからトーポウ経由でポポルへと延びている街道を、南下する。街道とはいえ、森
の中で見通しが利かないが木の枝葉の伸び具合と、太陽の位置で南の方角は割り出せる。
その上、街道はほぼ一本道なので、森の中に入らなければ迷うことは無い。森はエルフの
領域だ、とふとそんな話を礫は思い出していた。誰の言だったかは覚えていないが、それ
までの予備知識と理屈が妙に相まって、納得した覚えがある。エルフは、森に住まう種族
だ。おまけに自分達の領域を守ろうとする意志が強いらしく、人間が森に入ることを毛嫌
いしている風がある。仲間意識も強いのか、閉鎖された集落を形成しているようだ。中に
は変人もいるようで、人間社会に溶け込むエルフもいるようだが。これから向かうポポル
は、稀に見るエルフと人間が共存している街なのだ。
「それにしても、さっきのアニキの手並み、凄かったよ。惚れ惚れしちゃった」
唐突にタマクローが喋りだす。沈黙に堪え切れなかったのだろう。その瞳は、潤みを帯
びた煌きで満たされていた。さっきから何なんだろう、と礫は思う。この、妙にまだるっ
こしくも甘ったるい視線は。この視線の意味するところが、礫には解らなかった。自分と、
この少年との間に一体何があるのだろうと。
空は今まさに星星の天蓋が昇ろうとしていた。
ポポルには徒歩で二日かかった。
NPC:ニャホニャホタマクロー、雇われ冒険者
場所:トーポウ~ポポル
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
ニャホニャホタマクローが告げた場所に行ってみたが、時既に遅し、当該地点には何も
なかった。
ニャホニャホタマクローが慌てて身柄の潔白と情報の正しさを主張している中、礫は一
人冷静になって見世物小屋の痕跡を観察していた。それはもう、つぶさに。轍の跡などが
無いか、調べているのだ。
礫は、こういう時こそ、自分が冷静にならなければと考えていた。ともすると冷静さを
失いかねない状況下において冷静でいられるということは、相手の先手を打てるというこ
とであり様子を見て行動に移せるということだ。だから、どんなときでも冷静さを失って
はいけないと、冒険者ギルドの先輩は言っていた。今でもその訓話は実行に移している。
案外、手がかりはあっさり見つかった。夜露に濡れて、少々ぬかるんだ土くれの道に、
轍の跡がくっきりと残っていたのだ。礫はその唯一残されたメイへと繋がる道を見失わな
いように、昼を過ぎ街人達が一仕事終えて帰途につき通りを賑わしている最中、人の波を
縫うように一歩一歩確実に眼で追っていった。ニャホニャホタマクローがその後を静かに
追っていく。
街の中央を通って、南北を結ぶ大通りを南に下ると街の出入り口に出る。このまま街道
を南下すれば、ポポルに辿り着くはずだ。そして轍はそのポポルに向かった事を物語って
いた。北ではなく、南に。
「――そうか、ポポルか――」
呟く礫の瞳には、メイを助け出す算段が浮かんでいた。
旅立つにはそれなりの支度が必要だ。とはいえ、元々旅をしている最中なのだから、定
着者が旅立つよりは遥かに楽ではある。それでも色々と準備しておかなくてはならないの
だ。食料品とか、日用雑貨とか、戦闘に必要な武器類、防具類、それから心の準備など。
ましてや、今回はメイがキシェロとか言う男に誘拐されたかもしれないのだ。もしかした
ら、その男と戦う羽目になるかもしれない。もしそうなったとしても、万全を期していけ
ば万に一つの勝ち目も無いと言うことは無いだろう。キシェロという男がどれだけ出来る
男かは知らないが、備えあれば憂いなし、だ。とはいえ、礫の戦闘形態は飛び道具などの
消耗品を使わないので、然して準備するものも無い。強いて必要なものといえば常時帯剣
している名も無き銘刀ただ一本である。その銘刀を宿屋の自室にて研ぎ澄ませる。丁子
(ちょうじ)油を塗って鞘に収めれば、準備は万端だ。
そうして宿を立つ。盾は持たない。攻撃こそ最大の防御、だからだ。それに、渾身の一
撃は両手で振るうものだ。礫の持つ刀は、一撃こそ軽いが鋭く反しの速度が速い。そして、
重い一撃を与えるためには両手で振り下ろさないと駄目なのだ。だから、盾は持たない。
宿を出て大通りを南下する。大通りとはいえ、今の時間人は疎らだ。夕方近くというこ
ともあったし、市場からだいぶ離れている、ということもあった。とはいえ、店が皆無と
いうことも無い。密集して立ち並ぶ民家の合間に、所々店舗が見える。それは洋品店だっ
たり、服屋だったり、骨董品店だったり、食料品店だったりする。それらは全て、市場ま
で行けない人達の為のものだ。暫し歩いてふと立ち止まる。おもむろに後ろを振り向いて、
大声を張り上げる。こめかみがひくついているのは怒りのためではない。信じられない事
象を目の当たりにしたからだ。
「ちょっと待て。君も来るの!?」
当然のごとき顔色で、共に旅立とうとついてきていたニャホニャホタマクローを見咎め
る礫。それでも付いて行きたいという懇願と期待の真摯な眼差しを受け止め、礫は逡巡す
る。この子を連れて行けば貴重な戦力になるだろう。だが、時として足枷になってしまう
かもしれない。それに、未だ味方だという保証が成されたわけではない。だから、信じる
に足るべきものなのか、見極めなければいけない。
礫は生唾を飲み込んで、次の言葉を吐き出す。
「わかったよ。邪魔になるなよ」
「やったぁ! 絶対役に立ってみせるって」
任せてとでも言わんばかりに、胸を叩くニャホニャホタマクロー。その瞳は無邪気に喜
色を帯びていた。どうして自分に付いて来てくれるのだろうかと、疑問に思わざるを得な
い。ほんの、ちょっとしたことで知り合ったばかりなのに。しかも最悪の出会いだった。
敵対こそすれ、味方になどならないだろう出会いだった。それなのに、今はこうして自分
の隣で笑っている。不思議な少年だ。一体この少年の心に何が起こったというのだろう。
大通りに出て、暫く南下したところで礫はふと思い立ち思考を言葉にする。
「さてと。君の事、なんて呼ぼうか。
そのままニャホニャホタマクローじゃ、長過ぎるしなぁ。ニャホタマ?」
「そんな呼び方酷すぎるよ! せめて、タマクローと」
タマクローと呼ぶことにした。
一時間ほど歩くと、やがて家並みが疎らになり、緑の木々が迫ってきた。もう間もなく
で家が途絶え、森の只中になる。出発の時間がだいぶ遅かったので、今は陽が傾き新鮮な
血の色を木々の間から滴らせている。
街を出たところで、不意に礫が立ち止まった。タマクローは突然の事にびっくりして、
礫の背にぶつかりそうになった。抗議の声を上げようとして、礫に先を越されてしまった。
「……さて、そろそろ出て来てくれませんかね」
礫は、誰もいないはずの後方に向かって語りかけた。すると、数人の男達が木々の間か
らぞろぞろと出てきた。ごろつき風情の男もいれば、服装をきちんと着こなしている男も
いる。服装などはまちまちだが、背格好は皆同じようなものだった。皆一様に武具防具を
帯びている。どうやら、そこら辺のごろつきとは違うようだ。
「冒険者ですか。殺気を隠そうともしない。まだまだ未熟者ですね」
自分の未熟は棚に上げて言ってみる。ギルドランクこそまだ下の方だが、こと戦闘に関
しては冒険をこなしている熟練者に引けを取らない自信がある。少なくとも今目の前に陳
列している、恐らくは自分と同ランクであろう冒険者相手には遅れを取らないと思ってい
る。だから態と見下した。
「へん。お前達をここから先に行かせるわけにはいかねぇ」
集団の代表格らしき男が言った。
「……と、いうことは、キシェロとかいう人に雇われて?」
吐く気は無いだろうが、かまをかけてみる。
「なっ!? どうして、その名前を!?」
案の定、うまくかかってくれた。案外、三流なのかもしれない。
「悪いけど、僕達も足止め食らうわけにはいかないんです」
そう言うと礫は、ゆっくりと舐めるように得物を抜いた。
勝負は一瞬でついた。
礫は刀を完全に抜き去ると同時に前に踏み込んでいた。勢いはそのままに、一足飛びで
先ず目の前にいる男に肉薄した。“縮地”という技だ。爆発的な瞬発力を利用して一瞬に
して肉薄する技である。剣閃一線、横に凪ぐ。狙いは――、相手の得物だ。ここが礫の甘
いところである。普通は相手の弱点とも言える局部を狙うものである。喉元を狙えば一瞬
にして葬れる。心臓を狙えば暫くのた打ち回った後に、死すだろう。だが礫は、相手の命
を奪おうとはしない。自分の命が危うくなった時にだけ、その鋭い殺気を走らせる。
相手の手元を一閃し、得物を薙ぎ払う。三流が相手ならば、それだけで怯んでしまう。
そして、今目の前にしているのは文字通り“三流”なのだ。
男は怯んだ。
礫は一瞬の間も空けず、隣り合っている者達の得物を次々と弾いていく。その様に見惚
れてしまうタマクロー。その瞳は潤みを帯びていて、どこか煌いていた。まるで恋する者
のそれのようだ。
「お前達、まだやるか?」
「お、覚えていろっ!」
まるで三流の悪役を絵に描いたような捨て台詞を残して、男達は来た時とは正反対に素
早く転身して奔走した。後を追いかける謂れは無い。
礫はやれやれと肩を竦めて見せて、先を促した。
「行こう。気付かれてるかもしれない」
憶測であり、確信である。だが、言葉の裏には真実が含まれていた。
カルドからトーポウ経由でポポルへと延びている街道を、南下する。街道とはいえ、森
の中で見通しが利かないが木の枝葉の伸び具合と、太陽の位置で南の方角は割り出せる。
その上、街道はほぼ一本道なので、森の中に入らなければ迷うことは無い。森はエルフの
領域だ、とふとそんな話を礫は思い出していた。誰の言だったかは覚えていないが、それ
までの予備知識と理屈が妙に相まって、納得した覚えがある。エルフは、森に住まう種族
だ。おまけに自分達の領域を守ろうとする意志が強いらしく、人間が森に入ることを毛嫌
いしている風がある。仲間意識も強いのか、閉鎖された集落を形成しているようだ。中に
は変人もいるようで、人間社会に溶け込むエルフもいるようだが。これから向かうポポル
は、稀に見るエルフと人間が共存している街なのだ。
「それにしても、さっきのアニキの手並み、凄かったよ。惚れ惚れしちゃった」
唐突にタマクローが喋りだす。沈黙に堪え切れなかったのだろう。その瞳は、潤みを帯
びた煌きで満たされていた。さっきから何なんだろう、と礫は思う。この、妙にまだるっ
こしくも甘ったるい視線は。この視線の意味するところが、礫には解らなかった。自分と、
この少年との間に一体何があるのだろうと。
空は今まさに星星の天蓋が昇ろうとしていた。
ポポルには徒歩で二日かかった。
PC:メイ (礫)
NPC:キシェロ
場所:ポポル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キシェロは、イライラしていた。
椅子に腰掛け、テーブルに立てた両手の上に額を押し当て、ひたすら無言のまま目の
前の『それ』を睨む。
「一体何が気に入らないと言うんだね」
思わず吐いた言葉は、とにかく苛立っていると自分でもわかる、とげとげしい口調の
ものだった。
ドールハウスというものは、作りも良くてなかなか居心地のいい場所のようだ。
そう、それが檻に入っているものでなければ、メイは喜んで住み付いたであろう。
しかし今は、非難の気持ちさえあれど感謝の気持ちなどさらさらないのであった。
ベッドの脇でひざを抱え、ぼーっと前方の壁を見つめる。
「はぁ……」
ゆううつなため息。気のせいだろうか、なんだか頭痛までしてくる。
(……どうしたらいいんだろ)
彼女の頭を、いろいろなことがぐるぐると回る。
最初は、『ここからどうやって逃げ出すか』という問題を主に考えていた。
飛んで逃げられないのなら、歩くか走るかして逃げなくてはならないのである。
体の大きな人間よりも、明かに不利な条件での逃走劇となりそうだ。
……うまく行くだろうか。
そう考えると、頭痛がひどくなりそうな気がして、メイはもっともっと憂鬱そうなた
め息をつくのだった。
(……れっきー、今頃どうしてるんだろ)
ふと、メイは遠く離れた礫のことを思い出した。
自分のことを心配して、探してくれていたら……そう思うと、なんだかやわらかくて
暖かい気持ちになる。
(あ……あれ?)
この気持ちは何なのだろう?
メイは、不意にドギマギした。
友達や家族が優しくしてくれた時にも、やわらかくて暖かい気持ちになることはあ
る。
しかし今のこれは――そういう場合のものとは、違う気がする。
(え、じゃ、じゃあ、これ、何?)
もう少しで、その答えが出ようという時――
「一体何が気に入らないんだね」
などと、キシェロが無神経なことを言うのだからたまらない。
今まで味わっていた、やわらかくて暖かいけれど、心臓がちょっと不自然にドキドキ
する妙な幸せ感が、たちまちぺしゃんこに潰れてしまった。
一度潰れてしまったものは、どんなに頑張ってももう膨らまない。
「私はいろいろな物を用意した。これ以上何が欲しいんだ。言ってみなさい」
メイの内心になどまるで興味がないかのように、キシェロは続ける。
(何よその言い方っ!)
メイはむかっと腹を立てた。
何なのだ、その言い方は。
まるで、キシェロの方が善人で、こちらの方がわがまま放題な悪人で、キシェロがそ
のわがままに振り回されているみたいではないか。
メイは思う。
(あたしは、当たり前のことを言ってるだけでしょーがっ!!)
拉致も同然の方法でこんなところに押しこめて、その上見世物になれというのだ。
とんでもない話である。
見世物小屋の経営が上手く行っていない、というのは聞かされたが……。
(だからって、やっていいことじゃなーいっっ!)
「ぜーんぶ!!」
頭に来たメイは、単刀直入に、きっぱりと告げた。
彼女にしてみれば、きわめて正当な主張である。
しかしキシェロにしてみれば理不尽なことこの上ない話だった。
見世物小屋が大赤字で、自分の食事だって随分と切り詰めてカツカツで、もう、どこ
にも余裕が無い状態なのだ。
その状態ながら、なんとかして金を作って、人形用とはいえ家財道具を……その上家
まで用意したのである。
このドールハウスだって、いろいろと取り揃えた家具だって、檻だって、安くはな
かった。
その時は「必要なものだから」と自分を納得させることもできた。
本物の妖精を見世物小屋に置くことができれば、そう経たないうちに元が取れるだろ
うと踏んでいたからである。
やはり現実は甘くない。
捕まえた妖精は、絵本などで見る、はかなげで素直で無邪気で可愛らしくて……と
いったそれとは明かに違う。
あの少年と一緒にいた時は笑顔を見せてもいたし、無邪気そうな一面もあった。
だが、今のこれはなんだ。
ひたすら自分に従わず、何かというと反発し、笑顔を向けてくることもない。
要するに、ひたすら可愛げがない。
あれこれと世話を焼くこちらの身にもなって欲しい、というのがキシェロの本音であ
る。
妖精というのは、実はこんな生き物だったのだろうか。
キシェロは軽くめまいを覚えた。
――しかし、それでも、やらなければならない。
生活が、見世物小屋の未来がかかった一大企画なのだ。
見切り発車だろうがなんだろうが、やらなければ。
「私はこれから用意をしなくてはならないんだ」
言いつつ、檻の上部にある小さな格子を開けて、衣服を差し入れる。
メイはその隙に出られないか、とかまえたが、あいにくそんな隙はなかった。
ぶすっとした顔のまま、とりあえず、差し入れられた衣服を拾い上げる。
それは、淡い水色のドレスだった。
飾りなどは控えめだが、それがどこか上品さを印象づけるデザインのものだ。
「君はこれに着替えていなさい」
「い・や」
腕組みをし、ツンとした態度でメイが突っぱねると、キシェロはギロリと目を向い
た。
「檻ごと熱湯の中に放りこまれたいのかい?」
イライラが相当募っているらしい。言う事が昨日よりも過激である。
しかしメイは気にせず、プイッとそっぽを向き、『私は怒ってるのよ』ということを
アピールする。
「私が帰ってくるまでの間に着替えておいてくれなかったら……そうだな、煮えた油
の中にでも入れてしまおうか。あっという間に妖精の唐揚げのできあがりだ」
残酷な台詞を残し、キシェロは宿の部屋を出る。
ドアを閉めたところで、ふと、あの少年――礫のことだが――のことを思い出した。
切れ者……なのかどうかはわからないが、愚鈍ではないはずだ。
妖精がいなくなったことにはすぐ気付くだろう。
問題は、追ってくるかどうか、である。
「……まあ、心配はいらないだろう」
キシェロは呟き、廊下を歩く。
万が一のために、街道沿いに、少しばかり腕の立つ男を数名雇っているのだ。
彼らにはあの少年の特徴を伝え、その少年が来たら追い返すようにと言っておいた。
まあ、あまりガラが良くない連中だから、追い返すだけでは済まず、痛い目に遭わせ
たりどさくさに紛れて金品を巻き上げたりするかもしれないが、キシェロにはどうで
もいいことだった。
とにかく、見世物小屋の営業を邪魔する者さえいなければ、後は何がどうなっていて
も、彼は平気なのだ。
今の彼の頭を占めているのは、見世物小屋を置く場所のことだった。
人がよく集まる場所を、確保しなくては。
――全員、簡単に返り討ちにあっているとは思いもしないキシェロだった。
NPC:キシェロ
場所:ポポル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キシェロは、イライラしていた。
椅子に腰掛け、テーブルに立てた両手の上に額を押し当て、ひたすら無言のまま目の
前の『それ』を睨む。
「一体何が気に入らないと言うんだね」
思わず吐いた言葉は、とにかく苛立っていると自分でもわかる、とげとげしい口調の
ものだった。
ドールハウスというものは、作りも良くてなかなか居心地のいい場所のようだ。
そう、それが檻に入っているものでなければ、メイは喜んで住み付いたであろう。
しかし今は、非難の気持ちさえあれど感謝の気持ちなどさらさらないのであった。
ベッドの脇でひざを抱え、ぼーっと前方の壁を見つめる。
「はぁ……」
ゆううつなため息。気のせいだろうか、なんだか頭痛までしてくる。
(……どうしたらいいんだろ)
彼女の頭を、いろいろなことがぐるぐると回る。
最初は、『ここからどうやって逃げ出すか』という問題を主に考えていた。
飛んで逃げられないのなら、歩くか走るかして逃げなくてはならないのである。
体の大きな人間よりも、明かに不利な条件での逃走劇となりそうだ。
……うまく行くだろうか。
そう考えると、頭痛がひどくなりそうな気がして、メイはもっともっと憂鬱そうなた
め息をつくのだった。
(……れっきー、今頃どうしてるんだろ)
ふと、メイは遠く離れた礫のことを思い出した。
自分のことを心配して、探してくれていたら……そう思うと、なんだかやわらかくて
暖かい気持ちになる。
(あ……あれ?)
この気持ちは何なのだろう?
メイは、不意にドギマギした。
友達や家族が優しくしてくれた時にも、やわらかくて暖かい気持ちになることはあ
る。
しかし今のこれは――そういう場合のものとは、違う気がする。
(え、じゃ、じゃあ、これ、何?)
もう少しで、その答えが出ようという時――
「一体何が気に入らないんだね」
などと、キシェロが無神経なことを言うのだからたまらない。
今まで味わっていた、やわらかくて暖かいけれど、心臓がちょっと不自然にドキドキ
する妙な幸せ感が、たちまちぺしゃんこに潰れてしまった。
一度潰れてしまったものは、どんなに頑張ってももう膨らまない。
「私はいろいろな物を用意した。これ以上何が欲しいんだ。言ってみなさい」
メイの内心になどまるで興味がないかのように、キシェロは続ける。
(何よその言い方っ!)
メイはむかっと腹を立てた。
何なのだ、その言い方は。
まるで、キシェロの方が善人で、こちらの方がわがまま放題な悪人で、キシェロがそ
のわがままに振り回されているみたいではないか。
メイは思う。
(あたしは、当たり前のことを言ってるだけでしょーがっ!!)
拉致も同然の方法でこんなところに押しこめて、その上見世物になれというのだ。
とんでもない話である。
見世物小屋の経営が上手く行っていない、というのは聞かされたが……。
(だからって、やっていいことじゃなーいっっ!)
「ぜーんぶ!!」
頭に来たメイは、単刀直入に、きっぱりと告げた。
彼女にしてみれば、きわめて正当な主張である。
しかしキシェロにしてみれば理不尽なことこの上ない話だった。
見世物小屋が大赤字で、自分の食事だって随分と切り詰めてカツカツで、もう、どこ
にも余裕が無い状態なのだ。
その状態ながら、なんとかして金を作って、人形用とはいえ家財道具を……その上家
まで用意したのである。
このドールハウスだって、いろいろと取り揃えた家具だって、檻だって、安くはな
かった。
その時は「必要なものだから」と自分を納得させることもできた。
本物の妖精を見世物小屋に置くことができれば、そう経たないうちに元が取れるだろ
うと踏んでいたからである。
やはり現実は甘くない。
捕まえた妖精は、絵本などで見る、はかなげで素直で無邪気で可愛らしくて……と
いったそれとは明かに違う。
あの少年と一緒にいた時は笑顔を見せてもいたし、無邪気そうな一面もあった。
だが、今のこれはなんだ。
ひたすら自分に従わず、何かというと反発し、笑顔を向けてくることもない。
要するに、ひたすら可愛げがない。
あれこれと世話を焼くこちらの身にもなって欲しい、というのがキシェロの本音であ
る。
妖精というのは、実はこんな生き物だったのだろうか。
キシェロは軽くめまいを覚えた。
――しかし、それでも、やらなければならない。
生活が、見世物小屋の未来がかかった一大企画なのだ。
見切り発車だろうがなんだろうが、やらなければ。
「私はこれから用意をしなくてはならないんだ」
言いつつ、檻の上部にある小さな格子を開けて、衣服を差し入れる。
メイはその隙に出られないか、とかまえたが、あいにくそんな隙はなかった。
ぶすっとした顔のまま、とりあえず、差し入れられた衣服を拾い上げる。
それは、淡い水色のドレスだった。
飾りなどは控えめだが、それがどこか上品さを印象づけるデザインのものだ。
「君はこれに着替えていなさい」
「い・や」
腕組みをし、ツンとした態度でメイが突っぱねると、キシェロはギロリと目を向い
た。
「檻ごと熱湯の中に放りこまれたいのかい?」
イライラが相当募っているらしい。言う事が昨日よりも過激である。
しかしメイは気にせず、プイッとそっぽを向き、『私は怒ってるのよ』ということを
アピールする。
「私が帰ってくるまでの間に着替えておいてくれなかったら……そうだな、煮えた油
の中にでも入れてしまおうか。あっという間に妖精の唐揚げのできあがりだ」
残酷な台詞を残し、キシェロは宿の部屋を出る。
ドアを閉めたところで、ふと、あの少年――礫のことだが――のことを思い出した。
切れ者……なのかどうかはわからないが、愚鈍ではないはずだ。
妖精がいなくなったことにはすぐ気付くだろう。
問題は、追ってくるかどうか、である。
「……まあ、心配はいらないだろう」
キシェロは呟き、廊下を歩く。
万が一のために、街道沿いに、少しばかり腕の立つ男を数名雇っているのだ。
彼らにはあの少年の特徴を伝え、その少年が来たら追い返すようにと言っておいた。
まあ、あまりガラが良くない連中だから、追い返すだけでは済まず、痛い目に遭わせ
たりどさくさに紛れて金品を巻き上げたりするかもしれないが、キシェロにはどうで
もいいことだった。
とにかく、見世物小屋の営業を邪魔する者さえいなければ、後は何がどうなっていて
も、彼は平気なのだ。
今の彼の頭を占めているのは、見世物小屋を置く場所のことだった。
人がよく集まる場所を、確保しなくては。
――全員、簡単に返り討ちにあっているとは思いもしないキシェロだった。
PC:礫 (メイ)
NPC:ニャホニャホタマクロー キシェロ 雇われ冒険者
場所:ポポル
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
陽が傾きかけた頃、ポポルに辿り着いた。
ポポルは森の中の街。世界でも稀に見る、エルフと共存する街である。文化的にもエル
フとの交流が覗えるのがポポルの街である。だからだろうか。街の通りを行き交う人々の
中に、耳の長い人々が目立つのは。自分がエルフであることを隠すためにフードを目深に
被っている者も、ここではフードを脱ぎさって堂々と歩ける。他の町では差別されている
ものが、ここでは大手を振って歩けるのだ。
街の入り口に差し掛かったところで、轍の跡は消えていた。ここから石畳の舗装された
道に差し掛かったことを意味している。街に入ったのならば、もう轍の跡は追えまい。残
る道は、人に訪ね歩くことしかない。そう思った礫は、手当たり次第に聞いて回りだした。
「あの、ここを小屋作りの馬車が通りませんでした?」
手で形を示唆する。馬車の風体はタマクローから聞いて知っていた。だが、知っている
と答えた者は皆無に近かった。恐らく早朝、まだ皆が寝静まっている頃に街に入ったのだ
ろう、誰も馬車が通りかかったところを目撃した者は居なかった。
それでも根気強く足で稼ぐ礫。百人いたら、百人全てに聞き込みをしなければ収まらな
いのだろう。タマクローもそれに付き合わされていた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「もう、お腹すいたぁ! 一歩も歩けない!」
最初に音をあげたのは、タマクローだった。
太陽が中天を割らんとしていた頃合だ。聞き込みを開始してからだいぶ経つ。
「仕方ないな。じゃあ、休憩がてら食事にしようか」
とはいえ、この辺は商店街から相当離れているのか、その場で周囲を見渡しても然して
目ぼしい食堂は無かった。しかし、街の入り口ということも相まってか、人通りが絶える
事は無い。商人風の男や旅人の姿が目に付くが、街の人間も数多く出入りしている。それ
でも、商業施設は片手で足りるぐらいしか無く、その多くは商人や旅人を相手にしている
宿屋だったりする。宿屋やそれに付属する酒場はあるが、食堂は無いといったところだ。
「ううーん、無いなぁ」と一つ唸ると、礫は商業地区へと足を向けた。
商業地区には何軒か食堂があった。値段も味も三流なお店と、値段も味も超一流のお店
と、値段は安いが味は超一流のお店と。礫は暫し考え、“馬の嘶き”亭という一軒の店に
入った。値段が手ごろでおいしそうだった店だ。店内はオーソドックスな造りで、カウン
ター席とテーブルとに分かれていた。礫達はテーブルに着く。メニューを開いて、タマク
ローとあれこれ選ぶ作業は、楽しいものだ。これがタマクローとではなく、メイとだった
ら。どんなに楽しいだろうと、礫は寂し気に笑うのだった。タマクローには気付かれない
ようにごくごく小さく。
注文した料理が運ばれてきて、テーブルに次々に並べられていく。豚足のソテーに、茸
が踊っている茸シチュー、林檎と蜂蜜のカレー、それに後から来る林檎のシブーストが加
われば完璧だ。
「いっただきま~す」
合掌もそこそこに、タマクローがフォークとナイフを手に今にもぱくつこうとしていた
その矢先、騒動が起こった。
椅子を蹴倒す物音でそれは起こった。
「ああ! お前ら!
……ここで会ったが百年目、お前らをこれ以上先には行かせねぇ!」
一団の代表格の男が礫とタマクローに向かって叫ぶ。椅子を蹴立てる音とその言葉はほ
ぼ同時に発せられた。その言葉に首を回らすと、何処かで見たような冒険者風の男達が数
人、丸いテーブルを囲って座っていた。代表格の男が立ち上がってこちらを指差している。
最初はその顔触れを見てもぴんと来なかった。いまいちはっきりしない。おぼろげなが
ら記憶が輪郭を現してはいるが、はっきりと認識できない。それほど存在感が薄い人物達
だった。三流という言葉がはっきりと当て嵌まるような、そんな不甲斐ない冒険者。礫が
その顔触れに思い当たる節を見出すのに、きっかり十秒はかかった。
「ああ。そうか」
掌に拳を打ち合わせると、軽い音がした。
「トーポウで突然斬りかかって来た――」
「そうだよ。その――」
「――三流冒険者の人達ですね!」
「…………」
「ああ。すいません。何か余計なこと言っちゃいました?」
笑顔で取り繕ってみても、取り繕えなかった。
「“三流”は余計だ!」
一団のリーダー格の男のその言葉を皮切りに、一斉に飛び掛ってきた。礫はやれやれと
肩を竦めると、「血の気が多いんだから」と言って身構える。刀は抜かない。こんなとこ
ろで抜刀すれば、他の客や店員、テーブルや椅子などにぶつかって危ない上に迷惑な事こ
の上ない。当然、店の女将さんにこれから少し暴れる旨を伝え、了承を取ると同時に謝っ
ておいた。
最初に接敵したのは最も血の気の多い、リーダー格の男だった。彼は大股で数歩近付く
と、近付き様に剣を抜き、右から袈裟切りに斬り付けて来た。いきなり抜刀かよと、信じ
られない面持ちで、屈みながら右に半歩分避ける礫。そしてそのままの体勢で、手を軸に
男の手首を狙って蹴り上げる。剣を持っていた手が衝撃で剣を取り落とす。と、同時に、
そのまま腹部に蹴りを見舞う。男は低く唸ると、その場に蹲った。
退路を断とうと後ろに回りこんだ男が一人いたが、タマクローが速攻で前に回り込み、
鳩尾に一撃を喰らわせ無力化する。礫が抜刀していない理由を悟ったから、ダガーは使わ
ない。力を込めた拳を見舞わせただけだ。体が小さいので、ほとんど体当たりに近くなっ
てしまったが。
一団の内、二人までが動いた事により店内は騒然となった。乱闘騒ぎの幕開けである。
その乱闘騒ぎの中から、男が一人抜け出した。
礫がそれを見逃すはずが無かった。
「女将さん! 荷物は預けておくから! 後で支払いしに戻って来ます!」
そう、言い残すが早いか、礫も後を追った。当然、タマクローも付いてくる。
恐らく彼の行く先にはキシェロがいるだろう。そのキシェロに捕まっているメイも。捕
らわれのメイを早く助け出さねば。
人ごみを掻き分けながら追跡していくと、やがて人の波が引いてきた。そして、人波が
完全に無くなる頃、そこに辿り着いた。
そこは、ちょっとした広場になっていた。街の境界に程近い場所に、それはあった。礫
達が必死になって探し回っていた、例の小屋が。そしてその小屋の中に、男は吸い込まれ
ていった。
礫は周囲を軽く確認すると、小屋の中に躍り込んだ。
「キシェロ! メイちゃんを返して貰うよ!」
NPC:ニャホニャホタマクロー キシェロ 雇われ冒険者
場所:ポポル
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
陽が傾きかけた頃、ポポルに辿り着いた。
ポポルは森の中の街。世界でも稀に見る、エルフと共存する街である。文化的にもエル
フとの交流が覗えるのがポポルの街である。だからだろうか。街の通りを行き交う人々の
中に、耳の長い人々が目立つのは。自分がエルフであることを隠すためにフードを目深に
被っている者も、ここではフードを脱ぎさって堂々と歩ける。他の町では差別されている
ものが、ここでは大手を振って歩けるのだ。
街の入り口に差し掛かったところで、轍の跡は消えていた。ここから石畳の舗装された
道に差し掛かったことを意味している。街に入ったのならば、もう轍の跡は追えまい。残
る道は、人に訪ね歩くことしかない。そう思った礫は、手当たり次第に聞いて回りだした。
「あの、ここを小屋作りの馬車が通りませんでした?」
手で形を示唆する。馬車の風体はタマクローから聞いて知っていた。だが、知っている
と答えた者は皆無に近かった。恐らく早朝、まだ皆が寝静まっている頃に街に入ったのだ
ろう、誰も馬車が通りかかったところを目撃した者は居なかった。
それでも根気強く足で稼ぐ礫。百人いたら、百人全てに聞き込みをしなければ収まらな
いのだろう。タマクローもそれに付き合わされていた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「もう、お腹すいたぁ! 一歩も歩けない!」
最初に音をあげたのは、タマクローだった。
太陽が中天を割らんとしていた頃合だ。聞き込みを開始してからだいぶ経つ。
「仕方ないな。じゃあ、休憩がてら食事にしようか」
とはいえ、この辺は商店街から相当離れているのか、その場で周囲を見渡しても然して
目ぼしい食堂は無かった。しかし、街の入り口ということも相まってか、人通りが絶える
事は無い。商人風の男や旅人の姿が目に付くが、街の人間も数多く出入りしている。それ
でも、商業施設は片手で足りるぐらいしか無く、その多くは商人や旅人を相手にしている
宿屋だったりする。宿屋やそれに付属する酒場はあるが、食堂は無いといったところだ。
「ううーん、無いなぁ」と一つ唸ると、礫は商業地区へと足を向けた。
商業地区には何軒か食堂があった。値段も味も三流なお店と、値段も味も超一流のお店
と、値段は安いが味は超一流のお店と。礫は暫し考え、“馬の嘶き”亭という一軒の店に
入った。値段が手ごろでおいしそうだった店だ。店内はオーソドックスな造りで、カウン
ター席とテーブルとに分かれていた。礫達はテーブルに着く。メニューを開いて、タマク
ローとあれこれ選ぶ作業は、楽しいものだ。これがタマクローとではなく、メイとだった
ら。どんなに楽しいだろうと、礫は寂し気に笑うのだった。タマクローには気付かれない
ようにごくごく小さく。
注文した料理が運ばれてきて、テーブルに次々に並べられていく。豚足のソテーに、茸
が踊っている茸シチュー、林檎と蜂蜜のカレー、それに後から来る林檎のシブーストが加
われば完璧だ。
「いっただきま~す」
合掌もそこそこに、タマクローがフォークとナイフを手に今にもぱくつこうとしていた
その矢先、騒動が起こった。
椅子を蹴倒す物音でそれは起こった。
「ああ! お前ら!
……ここで会ったが百年目、お前らをこれ以上先には行かせねぇ!」
一団の代表格の男が礫とタマクローに向かって叫ぶ。椅子を蹴立てる音とその言葉はほ
ぼ同時に発せられた。その言葉に首を回らすと、何処かで見たような冒険者風の男達が数
人、丸いテーブルを囲って座っていた。代表格の男が立ち上がってこちらを指差している。
最初はその顔触れを見てもぴんと来なかった。いまいちはっきりしない。おぼろげなが
ら記憶が輪郭を現してはいるが、はっきりと認識できない。それほど存在感が薄い人物達
だった。三流という言葉がはっきりと当て嵌まるような、そんな不甲斐ない冒険者。礫が
その顔触れに思い当たる節を見出すのに、きっかり十秒はかかった。
「ああ。そうか」
掌に拳を打ち合わせると、軽い音がした。
「トーポウで突然斬りかかって来た――」
「そうだよ。その――」
「――三流冒険者の人達ですね!」
「…………」
「ああ。すいません。何か余計なこと言っちゃいました?」
笑顔で取り繕ってみても、取り繕えなかった。
「“三流”は余計だ!」
一団のリーダー格の男のその言葉を皮切りに、一斉に飛び掛ってきた。礫はやれやれと
肩を竦めると、「血の気が多いんだから」と言って身構える。刀は抜かない。こんなとこ
ろで抜刀すれば、他の客や店員、テーブルや椅子などにぶつかって危ない上に迷惑な事こ
の上ない。当然、店の女将さんにこれから少し暴れる旨を伝え、了承を取ると同時に謝っ
ておいた。
最初に接敵したのは最も血の気の多い、リーダー格の男だった。彼は大股で数歩近付く
と、近付き様に剣を抜き、右から袈裟切りに斬り付けて来た。いきなり抜刀かよと、信じ
られない面持ちで、屈みながら右に半歩分避ける礫。そしてそのままの体勢で、手を軸に
男の手首を狙って蹴り上げる。剣を持っていた手が衝撃で剣を取り落とす。と、同時に、
そのまま腹部に蹴りを見舞う。男は低く唸ると、その場に蹲った。
退路を断とうと後ろに回りこんだ男が一人いたが、タマクローが速攻で前に回り込み、
鳩尾に一撃を喰らわせ無力化する。礫が抜刀していない理由を悟ったから、ダガーは使わ
ない。力を込めた拳を見舞わせただけだ。体が小さいので、ほとんど体当たりに近くなっ
てしまったが。
一団の内、二人までが動いた事により店内は騒然となった。乱闘騒ぎの幕開けである。
その乱闘騒ぎの中から、男が一人抜け出した。
礫がそれを見逃すはずが無かった。
「女将さん! 荷物は預けておくから! 後で支払いしに戻って来ます!」
そう、言い残すが早いか、礫も後を追った。当然、タマクローも付いてくる。
恐らく彼の行く先にはキシェロがいるだろう。そのキシェロに捕まっているメイも。捕
らわれのメイを早く助け出さねば。
人ごみを掻き分けながら追跡していくと、やがて人の波が引いてきた。そして、人波が
完全に無くなる頃、そこに辿り着いた。
そこは、ちょっとした広場になっていた。街の境界に程近い場所に、それはあった。礫
達が必死になって探し回っていた、例の小屋が。そしてその小屋の中に、男は吸い込まれ
ていった。
礫は周囲を軽く確認すると、小屋の中に躍り込んだ。
「キシェロ! メイちゃんを返して貰うよ!」
PC:礫 メイ
NPC:ニャホニャホタマクロー キシェロ 雇われ冒険者
場所:ポポル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――何か、騒がしい。
メイは、膝に押しつけていたおでこを離した。
青白い――とまではいかないが、普段の彼女からは想像もつかぬほど、生気の抜けた
表情である。
心なしか、その横顔はやつれて見えた。
どんよりと曇った目を、宙にさまよわせる。
今すぐにでも眠ってしまえるような、異様な疲労感。
メイは、しばらく辺りの様子を探った後、異常なし、とみなしてうつむいた。
あの後。
唐揚げにされてはかなわない、と仕方なく淡い水色のドレスを身につけたメイを見
て、キシェロは満足そうに笑った。
もしかしたらあと何回か強情を張られるかもしれない、と覚悟しながら街の境界近く
の広場で見世物小屋を設置したが、それからのメイは、実におとなしかった。
口数が少なくなるというよりも、全く喋らなくなり。
指先を何やらちょこまかと動かして、その動きをじっと見つめていたり。
初めの時のあの強情な態度が嘘だったかのようだ。
キシェロにとっては、まさに理想の妖精像そのものだった。
妖精というのはやはり珍しいのだろう、以前なら考えられないほどの客が見世物小屋
を訪れた。
展示されているものを見て、熱のこもった会話を交わしながら行き交う客達を見て、
キシェロはゆるむ口元をどうにも引き締められなかった。
一体何年ぶりだろう、自分の見世物小屋で客達が夢中になっている姿を見るのは。
(これからも、うまくやれる)
やはり脅しは効果的だった。
彼はそう確信していた。
しかし、メイにとっては全てが虚無だった。
閉じ込められる生活というのは、非常に疲れるのだ。
おとなしくなったのは、疲れてしまったからだ。
元々気ままに空を飛ぶのが好きな性分なのだから、こんな狭苦しい檻に入れられるこ
とは強いストレス以外の何物でもない。
唐揚げにされるぐらいなら、と淡い水色のドレスを身につけた瞬間に、その数値は爆
発した。
爆発しきってしまったストレスは、メイの明るさや元気を内側に押し込めてしまっ
た。
鉄の檻に囲まれた『家』での生活は、キシェロに目をつけられないように、時間をや
り過ごしていたに過ぎない。
自分を見ながらあれこれと雑談する客達を、たった1度だけちらりと見ると、あとは
興味がなくなってしまった。
(れっきー……)
また膝に額を押しつけて、メイは黒髪の少年のことを思った。
思うだけで、ほんの少し、気持ちがふわりと浮かぶ。
(助けに来てくれないかな)
そう思って、メイはたちまち沈んだ気持ちになる。
自分は、彼の何だというのだろう。
知り合い、とは呼べるだろう。
だが、それだけだ。
友人と呼ぶには付き合いが浅過ぎる。
そんな間柄の自分を助けに来る義務が、果たして彼にあるだろうか。
ない。
そんな義務があるはずもない。
昨日今日知り合ったばかりの人間に、そんなことを要求してはいけない。
(馬鹿だな、あたし)
自分は、このまま、この檻の中の家で、見世物生活をするのだろう。
全ては自業自得だ。
食欲に負けた自分が悪い。
無理矢理にでも納得して、これ以上事態が悪化しないように努めるしかない。
不意に胸の奥からこみ上げてくる痛みを、メイはこらえた。
――それにしても、やはり騒がしい。
メイは、騒動に耳を傾けた。
――……ちゃん!
空耳だ、と思った。
聞きたいと心底思っている声が、かすかに聞こえたから。
ここにいるはずがないのだ、彼が。
本当は、来て欲しいけど。
突然、物の壊れる音と共に「ぐああっ」というオッサンの悲鳴が聞こえてきた。
強盗か何かでも入ったのだろうか、と思っていると、バタバタという足音が聞こえて
きた。
ぼそぼそ、という話し声もする。
それは、だんだんこちらへと近寄ってくる。
「メイちゃん!」
空耳ではなかった。
「れっきー!」
生気の抜けきったメイの顔に、明るさが戻る。
メイは、決して近寄ろうとしなかった鉄格子に駆けより、もっとよく見ようと顔を押
しつけた。
「れっきー! ここ、ここ!」
必死に大声を上げると、重い生地のカーテンを跳ね上げて、礫が現れた。
その後に、知らない少年がくっついて現れる。
……この少年は、どうやら敵ではないらしい。
「れっきー、ホントにれっきーなの!? 本物? 夢じゃないよね?」
目の前に立ちふさがる檻に手をかけながら、メイは
みるみるうちに、目に涙がいっぱい溢れてくる。
礫は、静かに微笑みを返した。
「助けに来たよ、だからもう安心して」
――本物だ!
メイは、喜びのあまり声も出なかった。
……その傍らで、少年がちょっと面白くないぞという顔をしているのだが、お互いし
か見ていない二人には、その様子は映らなかった。
「今、開けるから」
「うんっ」
その時、メイは見た。
ナイフを手にしたキシェロが、音もなくカーテンの後ろから現れたのを。
泣いているのか笑っているのかよくわからない表情を浮かべ、血走った目を限界まで
見開いている。
彼は、にたぁ……っと口をひん曲げて笑うと、ナイフを両手で握り締め、礫の背後に
静かに歩み寄りながら、ナイフをゆっくりと頭上高くまで上げていき――
「危ない!」
ほぼ、同時だった。
メイが悲鳴を上げるのと、気配を察知した礫が振り下ろされたナイフを避けるのは。
「この……っ」
少年が礫をかばうように間に立ってキシェロを睨む。
しかし少年はみるみるうちに血の気を失っていった。
はぁ……はあぁ……はぁあ……はああ。
ナイフを握り締めたキシェロは、妙に息が上がっていた。
怖いのだろう、少年の足は震えていた。
無理もない。
こんなヤツをまともに見せられて、平然としていられるものではない。
「いけないなぁ、大人の仕事を邪魔しちゃ駄目じゃないか」
唐突に、キシェロはそんなことを言った。
「私にはね、妻も子供もいるんだよ。養わなくちゃいけない家族がいるんだよ。仕事
をして、お金を得て、それで養わなくちゃいけないんだよ。私は失敗できないんだ
よ」
眼鏡の奥にある血走った目が、じんわりと潤んでいる。
ぶるぶると体を震わせながら、唇を震わせながら、言葉を紡ぐ。
聞いていると、なんだか同情したくなる話だ。
メイは、ちょっとだけなら協力しようかな、という気持ちにさえなった。
「どうして? どうして邪魔をするのかな? そんなにそんなにそんなに私を破滅さ
せたいのかな? 私が何をしたというのだね? 私が辛い思いをしているのに、それ
でも必死で戦っているのに、どうして寄ってたかって踏みにじろうとするのかなあ?
妻もそうだ! 『今年、あなたが帰ってこなかったら、今お世話になっている方と
生活することにします。子供も懐いていますから』なんて手紙をよこして。どいつも
こいつも……どいつもこいつも、どいつもこいつも!」
キシェロの思考が狂いつつあるのを、その場にいた全員が悟っていた。
NPC:ニャホニャホタマクロー キシェロ 雇われ冒険者
場所:ポポル
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――何か、騒がしい。
メイは、膝に押しつけていたおでこを離した。
青白い――とまではいかないが、普段の彼女からは想像もつかぬほど、生気の抜けた
表情である。
心なしか、その横顔はやつれて見えた。
どんよりと曇った目を、宙にさまよわせる。
今すぐにでも眠ってしまえるような、異様な疲労感。
メイは、しばらく辺りの様子を探った後、異常なし、とみなしてうつむいた。
あの後。
唐揚げにされてはかなわない、と仕方なく淡い水色のドレスを身につけたメイを見
て、キシェロは満足そうに笑った。
もしかしたらあと何回か強情を張られるかもしれない、と覚悟しながら街の境界近く
の広場で見世物小屋を設置したが、それからのメイは、実におとなしかった。
口数が少なくなるというよりも、全く喋らなくなり。
指先を何やらちょこまかと動かして、その動きをじっと見つめていたり。
初めの時のあの強情な態度が嘘だったかのようだ。
キシェロにとっては、まさに理想の妖精像そのものだった。
妖精というのはやはり珍しいのだろう、以前なら考えられないほどの客が見世物小屋
を訪れた。
展示されているものを見て、熱のこもった会話を交わしながら行き交う客達を見て、
キシェロはゆるむ口元をどうにも引き締められなかった。
一体何年ぶりだろう、自分の見世物小屋で客達が夢中になっている姿を見るのは。
(これからも、うまくやれる)
やはり脅しは効果的だった。
彼はそう確信していた。
しかし、メイにとっては全てが虚無だった。
閉じ込められる生活というのは、非常に疲れるのだ。
おとなしくなったのは、疲れてしまったからだ。
元々気ままに空を飛ぶのが好きな性分なのだから、こんな狭苦しい檻に入れられるこ
とは強いストレス以外の何物でもない。
唐揚げにされるぐらいなら、と淡い水色のドレスを身につけた瞬間に、その数値は爆
発した。
爆発しきってしまったストレスは、メイの明るさや元気を内側に押し込めてしまっ
た。
鉄の檻に囲まれた『家』での生活は、キシェロに目をつけられないように、時間をや
り過ごしていたに過ぎない。
自分を見ながらあれこれと雑談する客達を、たった1度だけちらりと見ると、あとは
興味がなくなってしまった。
(れっきー……)
また膝に額を押しつけて、メイは黒髪の少年のことを思った。
思うだけで、ほんの少し、気持ちがふわりと浮かぶ。
(助けに来てくれないかな)
そう思って、メイはたちまち沈んだ気持ちになる。
自分は、彼の何だというのだろう。
知り合い、とは呼べるだろう。
だが、それだけだ。
友人と呼ぶには付き合いが浅過ぎる。
そんな間柄の自分を助けに来る義務が、果たして彼にあるだろうか。
ない。
そんな義務があるはずもない。
昨日今日知り合ったばかりの人間に、そんなことを要求してはいけない。
(馬鹿だな、あたし)
自分は、このまま、この檻の中の家で、見世物生活をするのだろう。
全ては自業自得だ。
食欲に負けた自分が悪い。
無理矢理にでも納得して、これ以上事態が悪化しないように努めるしかない。
不意に胸の奥からこみ上げてくる痛みを、メイはこらえた。
――それにしても、やはり騒がしい。
メイは、騒動に耳を傾けた。
――……ちゃん!
空耳だ、と思った。
聞きたいと心底思っている声が、かすかに聞こえたから。
ここにいるはずがないのだ、彼が。
本当は、来て欲しいけど。
突然、物の壊れる音と共に「ぐああっ」というオッサンの悲鳴が聞こえてきた。
強盗か何かでも入ったのだろうか、と思っていると、バタバタという足音が聞こえて
きた。
ぼそぼそ、という話し声もする。
それは、だんだんこちらへと近寄ってくる。
「メイちゃん!」
空耳ではなかった。
「れっきー!」
生気の抜けきったメイの顔に、明るさが戻る。
メイは、決して近寄ろうとしなかった鉄格子に駆けより、もっとよく見ようと顔を押
しつけた。
「れっきー! ここ、ここ!」
必死に大声を上げると、重い生地のカーテンを跳ね上げて、礫が現れた。
その後に、知らない少年がくっついて現れる。
……この少年は、どうやら敵ではないらしい。
「れっきー、ホントにれっきーなの!? 本物? 夢じゃないよね?」
目の前に立ちふさがる檻に手をかけながら、メイは
みるみるうちに、目に涙がいっぱい溢れてくる。
礫は、静かに微笑みを返した。
「助けに来たよ、だからもう安心して」
――本物だ!
メイは、喜びのあまり声も出なかった。
……その傍らで、少年がちょっと面白くないぞという顔をしているのだが、お互いし
か見ていない二人には、その様子は映らなかった。
「今、開けるから」
「うんっ」
その時、メイは見た。
ナイフを手にしたキシェロが、音もなくカーテンの後ろから現れたのを。
泣いているのか笑っているのかよくわからない表情を浮かべ、血走った目を限界まで
見開いている。
彼は、にたぁ……っと口をひん曲げて笑うと、ナイフを両手で握り締め、礫の背後に
静かに歩み寄りながら、ナイフをゆっくりと頭上高くまで上げていき――
「危ない!」
ほぼ、同時だった。
メイが悲鳴を上げるのと、気配を察知した礫が振り下ろされたナイフを避けるのは。
「この……っ」
少年が礫をかばうように間に立ってキシェロを睨む。
しかし少年はみるみるうちに血の気を失っていった。
はぁ……はあぁ……はぁあ……はああ。
ナイフを握り締めたキシェロは、妙に息が上がっていた。
怖いのだろう、少年の足は震えていた。
無理もない。
こんなヤツをまともに見せられて、平然としていられるものではない。
「いけないなぁ、大人の仕事を邪魔しちゃ駄目じゃないか」
唐突に、キシェロはそんなことを言った。
「私にはね、妻も子供もいるんだよ。養わなくちゃいけない家族がいるんだよ。仕事
をして、お金を得て、それで養わなくちゃいけないんだよ。私は失敗できないんだ
よ」
眼鏡の奥にある血走った目が、じんわりと潤んでいる。
ぶるぶると体を震わせながら、唇を震わせながら、言葉を紡ぐ。
聞いていると、なんだか同情したくなる話だ。
メイは、ちょっとだけなら協力しようかな、という気持ちにさえなった。
「どうして? どうして邪魔をするのかな? そんなにそんなにそんなに私を破滅さ
せたいのかな? 私が何をしたというのだね? 私が辛い思いをしているのに、それ
でも必死で戦っているのに、どうして寄ってたかって踏みにじろうとするのかなあ?
妻もそうだ! 『今年、あなたが帰ってこなかったら、今お世話になっている方と
生活することにします。子供も懐いていますから』なんて手紙をよこして。どいつも
こいつも……どいつもこいつも、どいつもこいつも!」
キシェロの思考が狂いつつあるのを、その場にいた全員が悟っていた。