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2024/05/17 04:35 |
ファブリーズ  26 /ジュリア(小林悠輝)
キャスト:ジュリア アーサー
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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「速やかにやるしかないということか」

 と言ってテイラックは一歩前に進みかけたが、すぐに立ち止まった。
 振り返って自称騎士を一瞥した意図は「お前が先に行け」に間違いなかった。ヴァンは生
唾を飲み込んでから、そろろそろと慎重な足取りで歩き始める。その後ろ姿には確かに武芸
を嗜んでいる者独特の風情があった。

 ジュリアはそれだけでは腕前までを測ることはできなかったのでテイラックの顔を横目に
したが、彼の表情に今まで以上の不安が上乗りされるようなことはなかった。ということは
騎士は不足を感じさせない程度には腕が立つのだろう。

 まさか、テイラックがジュリアとおなじくらい武芸に疎いということもあるまい。
 彼は上等のスーツを着こなしているが、その生地に誤魔化されたシルエットは鍛えられて
いるように見える。そして何よりこんなところまでついてきたのだから、実力に自負がない
ということはないだろう。

 では私は? と思いかけ、ジュリアは首を横に振った。
 意味のないことだ。確認するまでもなくわかりきっている。

 剣の柄を軽く握る。手首を返して刃を煌かせる動作だけは軽快だった。
 だからといって騎士と並んで獣相手に白兵戦をしようなどという気はまったくもってない。

 ジュリアは視線を上げ、黒い獣を見据えた。
 炎を吐き散らす竜の周囲は既に熱を帯びて燃え上がり始めている。森全体が燃えるまでに
は時間がかかるだろう。しかし放っておけば間違いなくいつかは焼け落ちるに違いない。

「先鋒は任せた」

「あ、ああ」

 自称騎士はためらいがちにうなずいた。腕はともかく度胸は据わっていないようだ。
 情けない。が、案外、化け物に挑む勇者というのはそういうものなのかも知れない。圧倒
的な脅威を前にして怖気づかない不敗の戦士など伝説の中にしか存在しない。少なくともジ
ュリアはそんなものにお目にかかったことはない。

 真しやかな噂に語られる英雄など当てにしてはいけない。
 とにかくここに揃っているだけで何とかしなければ――と、ジュリアはエンプティを横目
にした。

「お前は?」

「わたくしにできることならば何なりと」

 そう、と頷くだけにしておいた。指図などしなくとも自分の役目は承知しているだろう。
恐らくこの場の全員がそうであるだろうから、先ほどの騎士への言葉も、実際は、彼の士気
を高めるか揺さぶるかのどちらかの効果でしかなかった。

 騎士が、すっと息を吸った。
 次の踏み込みは深い。ほとんど音を立てず、しかし泉のほとりの土と草を蹴散らしながら
失踪する彼の腕の先で白刃が踊る。竜の雄たけびが轟いて血の飛沫が散るまで、ジュリアは
何が起きたのかほとんどわからなかった。

「ほう」とテイラックが感嘆の息をつく。彼は片腕を前に伸ばして、銃を獣に向けている。
油断のない目つきは標的のわずかな動きも捉えているようだ。彼は発砲せず、機会を疑って
いる。

「……一人でも十分そうだ。何せ弾丸は高価なものでね」

「経費の方はわたくしが手配いたしましょう」

 エンプティが囁く。
 テイラックは苦笑したが、獣からは目を逸らさない。

 自称騎士は竜の吐く炎を掻い潜り、爪を剣で弾き返し、わずかな隙で黒い毛皮に浅い傷を
つけていく。竜の体表はすぐに染み出した血液でじっとりと湿り、月の光をぬらぬらと照り
返すようになった。

 耳をつんざく咆哮は或いは悲鳴かも知れない。
 唸り声には紛れもない憤怒と憎悪が滴っている。

 腕に押され、のけぞって炎を避けた自称騎士を一飲みにしようと竜が口を開く。が、牙が
咬み合わさる寸前、ヂィンと鋭い金属音と共に獣の顎が後ろに跳ねた。
 その一瞬で騎士は体勢を立て直した。

 テイラックの掲げる銃から昇る硝煙が立ち上って酒の臭気に溶けていく。
 ジュリアは彼を横目にして、そろそろ自分も仕事にかかるかと剣を持ち上げた。細く鋭い
刃はエンプティに注文をつけるまでもなく鏡のように磨きぬかれた銀だった。切っ先を見下
ろし、唱える。

「潰えたる王国の瓦礫は茨に埋もれ、月だけが見下ろしている。
 皓々たる宮殿の屍骸は闇に葬られ、私だけが未だ覚えている」

 呪文の言葉に意味はない。刃に魔法を注ぎ込む。
 銀は魔力と相性がいいと言い出したのは誰だったか知らないが、その誰かのお陰でそうい
うことになっている。後で検証が行われたのかただの迷信なのかジュリアは知らなかったが、
広く浸透した概念は実際に力を持つことがある。
 となれば銀の刃は魔法を帯びる。そこに根拠の真偽は関係ない。

 刀身に巻きつかせた茨の蔓は、傷つけた肉に食い込み引きちぎるための魔法。
 さて問題は、小手先だけの技術はあるとは言え、目の前で繰り広げられる熾烈な争いにど
うやって手を出そうかという一点だけだった。

 ――ジュリアが余計な手を出さなくとも、片付けてしまえそうにも見えたが。




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2008/02/22 23:45 | Comments(0) | TrackBack() | ●ファブリーズ
ファブリーズ  27 /アーサー(千鳥)
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PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
  エンプティ
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森

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 風が強くなった。
 竜の吐き散らした火の粉が、酒気を含んだ風に乗り、湖から森へと周囲に広がって
いく。
 熱風を浴びた木々はその熱さから逃れるように身をよじらせた。
 その中心では、異形の竜と一人の騎士が炎をもろともせず激しい死闘を繰り広げて
いる。
 

「行く」

 足元に落ちた蛍のように儚い焔を革靴で踏み消すと、ジュリアが短い合図とともに
駆け出した。

「お気をつけて」

 俺の見送りの言葉をあっさりと無視し、ジュリアは走りざまに剣を抜くと、竜の背
後に回りこんだ。
 長い黒髪とドレスがまるでダンスを踊るように華麗に舞う。
 ここが未だファブリー邸の大広間であったなら俺もその動作に心をときめかせたか
もしれない。
 しかし、その後の彼女の行動は、ドレスを着た淑女の行いとはかけ離れていたわけ
だが。

 ジュリアの細身の剣が針のように竜の黒い剛毛を掻き分けて、その肉を突いた。
 その傷は浅い。
 しかし、ジュリアは追撃することなく、剣を引き抜くと竜と距離をとった。
 
 呪いの魔法を纏った剣は、その小さな傷口から茨のつるが伸びていくように全身を
苦痛で絡め取る。

 騎士を地面にひき倒し、その身を食いちぎろうとしていた竜に、予想外の苦痛が襲
う。
 その痛みに耐えられず、体をよじる竜から、騎士は地面を転がるように逃れた。

「危機一髪。ジュリアさんもなかなかやるじゃないか」

 ピュウと軽く口笛を吹き、俺は隣に控えていたエンプティを見た。

 魔女の話では、相手は数々の猛者を一飲みにしてきた竜だ。
 銘酒『竜殺し』と、バルメの長年による結界の効果もあるのだろうが、彼らの攻撃
は竜にダメージを与えて いるようだ。
 特に騎士殿――ヴァン・ジョルジュ・エテツィオの剣の腕は目を見張るところが
あった。
 最初は口だけの詐欺師の可能性も考えてはいたのだが、本物もしくは同等の教育を
受けている事は事実なのかもしれない。
 ならば、何故あれほどまでに、彼は騎士らしく見えないのか。
 彼に足りない部分を考えようとして、余分なところばかりなのだと気がついたとき
に、エンプティが遅い返事を返 してきた。
 
「貴方は宜しいのですか?テイラックさん」
「俺は損得を考える方が得意な商人でね。竜を倒す騎士や賢者には役不足さ」 
 
 第一、俺の銃で竜を倒すのは難しい。
 先ほどの初弾も、あの黒い獣には小石をぶつけられた程度だったに違いない。

 騎士の攻撃は、竜の体力を削ぎ、ジュリアの剣もまた、その呪いを徐々に竜の身体
に絡めて行った。
 それでも、未だ決定的なダメージにはならない。

「しぶといな。あと少しだというのに・・・バルメは何故出てこない?」

 額に浮いた汗を拭う。
 それだけ、あたりは炎に包まれていたのだ。
 この森の分身とも言えるバロメが、この状況に気がつかないわけがない。
 竜を倒すことが彼女の使命ならば、今この機会を逃すなど考えられないというの
に。
 この場に老木の魔女の姿はなかった。

「変化の術が限界まで来ているのです。彼女に状況の正常な判断は望めません」

 エンプティが答える。

「彼女は樹木に姿を変えることで、途方もなく永い寿命と、竜を捕らえる大きな檻を
手に入れました。が、同時に人として必要な部分をいくつか失っているのです」 

 俺は先ほどのバルメとの話し合いを思い出し、彼の言葉に頷いた。
 穏やかな婦人のような振る舞いとは裏腹に、子供達に対する認識はどこか狂ってい
た。
 いくら話し合っても平行線と思われたからこそ、俺達は竜退治を手伝うことに同意
したのだ。
 月夜に狼の姿になった男が理性を失うように、老木に姿を変えた女の精神は既に普
通ではないのかもしれない。
 
「それに、重要な事をお話し忘れていましたが、恐らく彼女は竜を殺すことができな
いのです」
「どういうことだ・・・?」

 まるで、たった今思い出したかのような仕草。
 しかし、エンプティが意図的に隠していたのは明白で、それゆえにその理由がろく
なものでない事を予測してしまう。
 俺は眉を潜めて、聞きたくない話の先を促す。

「あの竜を倒すのが魔女の目的なのだろう?」
「確かに、その通りなのです」

 しかし――と、エンプティは付け加え、ある意味俺の予想どうりの事を告げた。

「あの竜はかつて、宮廷に仕える一人の女魔道師―――魔女バルメの息子だったので
す」

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2008/04/18 23:34 | Comments(0) | TrackBack() | ●ファブリーズ
ファブリーズ  28/ジュリア(小林悠輝)
キャスト:ジュリア アーサー
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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 そして、竜は死んだ。

 大地に血と炎を吐き散らし、周囲を朱と紅に染めながら、呪いじみた咆哮を最後に息
絶えた。黒い毛並みの体を横たわらせて、ひゅうひゅうと細い息で生きながらえる時間
すらなしに、呆気なく命を落とした。


「……倒した、のか?」

 自称騎士が恐る恐る言った。
 彼は屍骸のすぐ間近に立ち尽くしたままだったが、今ひとつ信じられないようだった。

「そういうのはお前の専門だろう」

「死体の確認が?」

「自分の名声が確かに増えたかどうかの確認が、だ。
 騎士はそういうことが得意なんだろう?」

「心外だ」

 自称騎士は、剣の先で黒い毛皮をちょんとついた。
 ジュリアから見ても、竜は既に死んでいた。生きているものと死んでいるものの間に
は、言葉では表せない決定的な違いがある。認識以下の近くの集合体。不気味な違和感。

「……死んでいる」

「終わりだな」


「そうはいきません」

 と、エンプティが進み出た。彼は片手を挙げ、枯れ枝のように細い人差し指で、周囲
の景色をゆっくりと横に薙いでみせた。

 森は明々と燃えている。酒精のにおいが漂っている。
 あの、目が痛くなる煙のにおいがしないのは、ここが魔女の森だからだろうか。

「このままでは森が焼けてしまいます」

「消火活動は契約外だ。
 あの魔女のところまで火が回らないうちに、子供を連れて戻るぞ」

「では、バルメがかけた獣化の術はどうするんです?
 あれを解くことができるのは彼女だけですよ」

 エンプティはそう言って、身に纏った襤褸布の中から、古ぼけたバケツを取り出した。
それを恭しく、最も近くにいたテイラックに差し出す。
 テイラックは突然のことに困惑したようで、しかし反射的に受け取ってしまった。

「……まさか、これで消せというんじゃないだろうな」

「そのまさかでございます。
 太古より、火は水で消えるものと決まっております故」

「しかし……」

「さあ、どうぞ。森が焼け落ちないうちに」

 テイラックはついに押し負けて、しぶしぶ泉のふちに膝をついた。
 バケツを泉に沈める、ぴちゃんという音が小さく響いた。

「酔いそうだ」

「皆さんの分もありますから」

 いつの間にか、エンプティの両手には、それぞれ一つずつのバケツが提げられている。
渡そうと近づいてくるのを、ジュリアは軽い身振りでとめた。

「力仕事は男の領分だ」

「では、ヴァン殿」

「え? あ、ああ……」

 彼は受け取ってから、それがあまり騎士には相応しくない道具だと気づいたらしかっ
たが、もう手遅れだと思ってか、観念した様子で泉へ向かった。その表情は、竜に立ち
向かうときと変わらないほど深刻だった。

「残りの一つはどうしましょう」

「お前のたぐい希なる腕力を見せてくれ」

 エンプティは苦笑してバケツをどこかへと仕舞った。
 二人の男が、疑わしげな表情で、バケツの水をぱしゃんと木にかける。

 こんなもので――

 じゅ、と音がして、立ち上る水蒸気と共に、燃え盛っていた炎が消えた。
 呆然とする三人にエンプティが言った。

「太古より、火は水で消えるものと決まっております故」

「…………」

 追求しても無駄だろう、という暗黙の同意の元に、鎮火作業は速やかに進行した。

 手を出さずに暇を持て余したジュリアが竜の屍骸のあった箇所に目をやると、そこに
横たわっていたのは人間の男だった。


 男の死体は自らの内から湧き出した炎に飲み込まれ、一瞬で消え失せた。
 地面には焦げ跡が残るだけだった。


「……戻ろう」

 テイラックが言った。
 皆が頷いた。

 月は傾き、水面から姿を消していた。
 酒のにおいが空しく残っている。



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2008/04/24 11:10 | Comments(0) | TrackBack() | ●ファブリーズ
ファブリーズ 29/アーサー(千鳥)
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PC:ジュリア アーサー
NPC:自称騎士(ヴァン・ジョルジュ・エテツィオ)
  エンプティ バルメ レノア チャーミー
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森

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 痛々しい焼け跡を残しながらも、ダウニーの森は穏やかな森の気配を取り戻しつつ
あった。
 木々の隙間からは朝日が差し込み始め、陰鬱で不気味な夜――魔の支配する時刻
――は終わり を告げようとしている。

 俺達は、疲れ果てた身体をひきずるように、無言で魔女の待つ元へと足を向けた。

 手ぶらでの帰還だ。
 気がついた時には竜の身体は跡形もなく消え去り、ジュリアがその場を示さなけれ
ば、俺達は 竜の唯一残した焼け跡にすら気がつかなかった。
 エンプティの言葉が真実ならば、あの竜の正体は魔女の子供であるという。
 彼女の使い魔たちのように、魔法で異形に変えられたのか、宮廷魔道師というバル
メの立場が そうさせたのか。
 理由に興味はなかったが、子を失った狂った魔女が、約束どおりチャーミーを返し
てくれるの かが心配だった。

「ぶ、ふわっくしゅん!」

 前方を歩く騎士が、身体を震わせて盛大にくしゃみをした。
 ちちち、と小枝の上で朝のさえずりを始めた小鳥達が空に散る。
 朝方の空気は、夜よりもずっと冷え込んで身体にこたえる。
 失礼。と詫びを入れた騎士はポケットからハンカチを出すと鼻をかんだ。

「そのように血まみれでは仕方ありませんね。あなたに神のご加護があらんことを」
「きっと、従者が僕を探して悪口でも言っているのでしょう」

 夜会に来たはずが、もうすっかり朝だ。
 先に帰したエリス女史もおそらく心配している事だろう。
 もちろん彼女が心配しているのは、俺の安否ではなく、今日俺が仕事で使い物にな
るか、だっ たが。

「まだ終わったわけじゃないぞ」

 ジュリアが気の緩んだ俺達をたしなめるように会話に加わった。
 そんな彼女の黒いドレスも所々破れ、内側のレースが露出している。
 二度とこのドレスが夜会で披露されることはないだろう。
 もっとも、彼女の職業を考えれば、夜会にでる機会などそうそうないだろうが。

「そうですね。ジュリアさん、森から帰った是非ご一緒にお茶でも・・・」
「アイツはどこに行った?」

 目の前をハエを追いやるような仕草をしてジュリアは俺の言葉を無視した。
 折角の紅一点なのだから、もう少し愛想を振りまいてくれてもいいものだが・・・い
や、その考え は女性蔑視に繋がる、とフェミニストの俺は考えることで己を慰め
た。

 アイツ、とはエンプティのことだ。
 つい先ほどまで最後尾にいたはずの魔法使いはいつの間にか姿を消していた。
 恐らく一足先にバルメの様子を伺いに向かったのだろう。
 
「もし、バルメが我々の要求を拒んだら、その時は騎士殿」

 自分に向けられた言葉に、ヴァンはごくりと息を飲んだ。
 
「貴方が魔女をしとめてください。伝承を本物にするチャンスですよ」

 
 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 子供達を攫った悪い魔女は、騎士の手によって倒され、古木に姿を変えたのでし
た。


 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△

「お帰りなさい。みんな無事で何よりだわ」

 俺達を迎えた魔女は、行きと同様穏やかな微笑を浮かべて立っていた。
 しかし、その姿はある点で先ほどと一つ、大きく異なっていた。

「ええ、再び貴女にお会いするために死力を尽くしました」

 俺の声が、どんなビジネスの交渉時よりも甘く優しいものになる。
 ジュリアの呆れたような軽蔑するような眼差しが視界の端に映ったが、気にしない
ことにした 。
 何故なら、そこに立っていたのは妙齢のとても美しい女性だったのだから。

 まるで、竜を倒したことですべての悪い魔法が解けたようだった。

 老木の化身のような魔女は、美しい女性に。
 猫の使い魔は愛らしい金髪の少年に。
 梟の兄弟は、お互いの手を握ってすやすやと眠っていた。
 チャーミーに生えていた不自然な角や羽も姿を消していた。

「ん?・・・この女性は・・・?」

 ヴァンは直ぐに状況が飲み込めなかったようだ。
 目の前に立つ女を不思議そうに眺めていた。

「よく、竜を倒してくださいました。騎士さん」
「はっはっは!僕の手にかかれば竜など赤子の手をひねるようなものだ!」

 それでも、褒められるとまんざらでもない様子で、竜との決闘の様子を語り始め
た。
 彼らは竜の正体を知らない。

「悪の化身など、正義の剣の前では・・・」
「それでですね」

 バルメの機嫌が悪くなる前に、この男の口を塞がなければ。
  

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2008/05/23 02:54 | Comments(0) | TrackBack() | ●ファブリーズ
ファブリーズ 30(完)/ジュリア(小林悠輝)
キャスト:ジュリア アーサー
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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「それでですね、子供たちのことですが」

 テイラックが自称騎士の言葉を鋭く遮った。
 老婆であった美女は穏やかに笑んだ。桜色の唇から、真珠のような歯が覗く。

「ええ、わかっているわ。子供は子供のままではいられない。
 いつかは大人になって、あるべき場所へ戻らなければならないのよ」

 ここからいなくなってしまうのは寂しいけれど、と彼女は言う。
 森が風にざわめいている。夜風がゆっくりと吹きぬける。

「わかってくださって何よりです。
 では、お嬢さん方は我々が責任を持って家へ送り届けます」

 テイラックは今この場面まで聞いたことのないような甘ったるい声で言った。
 魔女は頷いた。金髪の少年がその隣に佇み、じっと彼女を見詰めている。

 ジュリアは自称騎士を引っ張って、未だ倒れたままのレノアと従者の元へ寄って行っ
た。見た限り顔色は悪くなく、呼吸も正常だ。眠っているだけだろう。ジュリアは身振
りで「起こせ」と伝えた。
 自称騎士はもういちいち躊躇うことなく実行し始めた。

 魔女とテイラックの会話は続いている。
 魔女は老木であったときとは、外見だけでなく内面も変わっているようだった。最早、
子供へのあの奇妙な執着はもうどこにも感じられない。

「竜がいなくなって、この森の役目は終わったわ」

 魔女は天を見上げた。
 頭上では、白い月が梢越しに高く輝いている。



 ――――え?


「あなたも、帰らなければならないわね」

 魔女は傍らの少年に言った。少年は首を横に振る。
 ジュリアは彼らを一瞥し、それから周囲を見渡した。

 自称騎士に起こされたレノアと従者は状況を把握できずにぽかんとしている。
 騎士は、今度は倒れたままのチャーミーへ近づこうとしている。

 テイラックは魔女の様子を見守っている。
 梟だった兄弟は目覚める前触れのように身動きしている。

 ジュリアは声を上げた。

「魔法使い、出て来い!」

 皆が驚いて振り向いた。
 一瞬の後、テイラックだけが意味を理解したらしく、周りに視線を走らせる。

「……エンプティは、どこへ?」

「そういえば……」

 自称騎士が剣の柄に手をかけ、それから武器の用意が必要な状況とは違うと気づく。
彼は困惑の表情で剣から手を離した。次に起こることを待っているようにも見える。

 エンプティの姿はどこにもない。ジュリアは口の中だけで小さく呪文を唱えて、それ
が世界に何の効果も及ぼさないことを確認した。魔法を邪魔する力はまだ消えていない。

 バルメは不思議そうな顔をしている。
 金髪の少年がその袖を引っ張った。

「ねえ、バルメ、ここからいなくなるつもりなら、僕も一緒に連れて行って。
 だってもう、僕の帰る場所はないのだから。皆もういなくなってしまったよ」

 バルメは、はっとして彼を見下ろした。その唇が耐えかねたように震えた。
 天頂の月が彼女を照らしている。光が白い粒子のように舞っている。

「――……」

「お願いだ、バルメ。
 僕にはもうあなたしかいない」


「エンプティ!!」

 ジュリアはほとんど絶叫しながら魔法を編み始めた。
 封じの術の上に、ほとんど絵の具をぶちまけるのとおなじように無秩序な、ただただ
魔という要素だけを呼び込んでいく。ぎしぎしと、世界の裏で空気が軋む。もうすぐ、
破れる。互いの呪が。

 急に大声を上げたこちらを見るテイラックの表情は、少しだけ強張っていた。

「……彼が何かを企んでいるのですか?」

 黒い声が答えた。

「企んでいるなんて、人聞きの悪い」

 ざあざあと常にざわめいていた梢の波が静まり返った。
 魔女も、使い魔も、動きをとめた。それぞれがそれぞれの一瞬を切り取られたように、
気味の悪い絵画のように。

 幻想からの落差に怖気が走る。
 ジュリアは誤魔化すように拳を握り締めた。
 己の衣擦れの音が、大きく響いて聞こえた。

「企んでいないとしたら、これは何のつもりだ?」

 エンプティは魔女の樹が立っていた場所の、そのすぐ後ろから姿を現した。
 騎士が、恐らく反射的に剣の柄に手をかけた。

「伝説の終わりです。御伽噺の終わりでございます。
 邪悪な竜が倒され、森に囚れていた人々が本来の姿を取り戻す。
 当然のことでございましょう。何の不思議がありましょうや?」

「現実と伝説を混同するな」

「しかし魔女殿、何事にも終わりはあります」

「それは、“これ”なのか?」

 ジュリアは剣呑に聞き返した。
 エンプティは肩を落とした。

「ご不満でしたか。私はただ、あなた方の活躍に報いたいと思っただけなのに」

 そして彼が腕を一振りすると、周囲に満ちていた淡い光は消えてしまった。
 魔女の声が消えた。子供の声が消えた。暗い森。朽ちた老木。風の音だけが残った。

「竜が死に、魔法は解けたのです。何も残らず。バルメも共に。
 それではあまりにも報われない……そうでございましょう?
 せめてささやかな終章がなければ、収まりがつかないでしょう」

「私は帰って寝るだけだ、関係ない」

 魔法使いは傷ついたような顔をした。

「友人が、こうした最後を迎え、ひっそりと忘れられるのは忍びないのです」

「勝手に語ればいいだろう、お前は御伽噺を捏造した語り部なのだから」

「…………この剣で」

 ぼそりと小さな呟きが聞こえたので視線だけを向けると、ヴァンが困ったような顔で、
魔女の残骸を眺めていた。

「この手で竜を斬って……彼女がそうしろと言った」


「その通り」

 エンプティが答えた。冷え冷えとした声で。

「あなたが英雄です、騎士殿」


 ――そして彼の姿は消えた。
 この森に存在していたすべての魔法は、形跡もなく消え去った。
 沈みゆく月の光だけが深々と降り注いでいた。

 間違いなんてなかった、と、誰かが呟いた。



      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆



 翌朝、ジュリアが目覚めると、もう昨夜の事件は過去のことだとばかり、屋敷は落ち
着いていた。なんとなく取り残されたような、しかしまったく残念ではない心持で遅い
昼食を食べ、顛末を聞きにきたマイルズを適当にあしらった。
 彼がつまらなそうに黙ってしまったのを待って、聞く。

「……他の連中は帰ったのか?」

「あー、アーサー・テイラック氏は仕事があるからって、昨夜のうちに。
 自称騎士殿はまだいるけど、チャーミーにちょっかいかけてきてうっとうしいったら
ありゃしねえ。アレなんとかならないか?」

「妹を守るのは兄の仕事だろう?」

「とは言ってもなぁー……エテツィオの騎士殿相手に強く言うと、親父が怒るから」

 マイルズは肩を竦めた。ジュリアは「なら放っておけ」と冷たく言い放った。

「アレは、伝説に登場するような立派な騎士に憧れているだけだろう。
 女に優しくするのがいいと思っているだけだ、害になるほどの度胸はないよ」

「どうだか」

「いっそ婿にもらってしまえ。内面以外はちょうどいいだろう」

「問題の内面がなー。騎士が皆お買い得物件ってわけでもないし」

 彼も彼の武勇伝を手に入れることができたが、と、胸のうちだけで呟く。
 目を覚ましたチャーミーも、レノアや使用人たちも、森で起こった怪異の記憶は失く
してしまっていたらしいから、決して認められることのない武勇伝だが。

「そりゃあ優良物件が三十前まで独身のわけがない……って、奴のことはいい。
 そういえば、エンプティは戻ってないのか?」

 マイルズは目をぱちくりさせた。

「何だそれ」

「本気か?」

「だから、何のことだよ」

 ジュリアは少しだけ黙った後、ゆっくりと首を横へ振った。マイルズは納得がいかな
いという表情でこちらを眺めていたが、ジュリアが沈黙をやめるつもりがないと見ると、
わざとらしいため息をついてそっぽを向いた。

「来年のバルメ祭は……」

「何?」

 今度はジュリアが聞き返した。
 マイルズは、テーブルに肘をついただらしない姿勢でこちらを見上げた。

「来年のバルメ祭は、何事もないといいなぁ。
 いや、多少の騒ぎは歓迎だけど、祭自体が目茶苦茶になると後始末が大変だ」

 そういえばマイルズは屋敷に残っていたのだったか。
 すぐ寝たから覚えていないが、帰ってきたとき屋敷は綺麗に片付いていた。居残り組
の努力の成果に違いない。

「来年の心配をすると、魔女に食われるぞ?」

「バルメが人を食うとは知らなかった」

 マイルズは胡乱げな顔で言い返してきた。
 昨夜のことは誰も知らない。ならば童話の魔女はまだ森にいる。
 祭はこれからも毎年続くだろう。現に、目の前の男はそれを当たり前だと思っている。

 丸焼きの羊を前に苦い顔をしていたアーサー・テイラックを思い出した。彼はまだ来
年の祭のことなんて考えてさえいないに違いない。半年後、祭の準備の話が出始める頃
に愕然とする彼を想像して、ジュリアは笑った。

「来年には私もまた呼んでくれ。見たいものがあるんだ」


 ついでに、覚えていたら花の一つも供えてやろうじゃないか。
 もう誰もいないあの暗い森に。


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2008/09/22 00:24 | Comments(0) | TrackBack() | ●ファブリーズ

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