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2025/03/10 06:21 |
ファブリーズ 30(完)/ジュリア(小林悠輝)
キャスト:ジュリア アーサー
場所:モルフ地方東部 ― ダウニーの森
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「それでですね、子供たちのことですが」

 テイラックが自称騎士の言葉を鋭く遮った。
 老婆であった美女は穏やかに笑んだ。桜色の唇から、真珠のような歯が覗く。

「ええ、わかっているわ。子供は子供のままではいられない。
 いつかは大人になって、あるべき場所へ戻らなければならないのよ」

 ここからいなくなってしまうのは寂しいけれど、と彼女は言う。
 森が風にざわめいている。夜風がゆっくりと吹きぬける。

「わかってくださって何よりです。
 では、お嬢さん方は我々が責任を持って家へ送り届けます」

 テイラックは今この場面まで聞いたことのないような甘ったるい声で言った。
 魔女は頷いた。金髪の少年がその隣に佇み、じっと彼女を見詰めている。

 ジュリアは自称騎士を引っ張って、未だ倒れたままのレノアと従者の元へ寄って行っ
た。見た限り顔色は悪くなく、呼吸も正常だ。眠っているだけだろう。ジュリアは身振
りで「起こせ」と伝えた。
 自称騎士はもういちいち躊躇うことなく実行し始めた。

 魔女とテイラックの会話は続いている。
 魔女は老木であったときとは、外見だけでなく内面も変わっているようだった。最早、
子供へのあの奇妙な執着はもうどこにも感じられない。

「竜がいなくなって、この森の役目は終わったわ」

 魔女は天を見上げた。
 頭上では、白い月が梢越しに高く輝いている。



 ――――え?


「あなたも、帰らなければならないわね」

 魔女は傍らの少年に言った。少年は首を横に振る。
 ジュリアは彼らを一瞥し、それから周囲を見渡した。

 自称騎士に起こされたレノアと従者は状況を把握できずにぽかんとしている。
 騎士は、今度は倒れたままのチャーミーへ近づこうとしている。

 テイラックは魔女の様子を見守っている。
 梟だった兄弟は目覚める前触れのように身動きしている。

 ジュリアは声を上げた。

「魔法使い、出て来い!」

 皆が驚いて振り向いた。
 一瞬の後、テイラックだけが意味を理解したらしく、周りに視線を走らせる。

「……エンプティは、どこへ?」

「そういえば……」

 自称騎士が剣の柄に手をかけ、それから武器の用意が必要な状況とは違うと気づく。
彼は困惑の表情で剣から手を離した。次に起こることを待っているようにも見える。

 エンプティの姿はどこにもない。ジュリアは口の中だけで小さく呪文を唱えて、それ
が世界に何の効果も及ぼさないことを確認した。魔法を邪魔する力はまだ消えていない。

 バルメは不思議そうな顔をしている。
 金髪の少年がその袖を引っ張った。

「ねえ、バルメ、ここからいなくなるつもりなら、僕も一緒に連れて行って。
 だってもう、僕の帰る場所はないのだから。皆もういなくなってしまったよ」

 バルメは、はっとして彼を見下ろした。その唇が耐えかねたように震えた。
 天頂の月が彼女を照らしている。光が白い粒子のように舞っている。

「――……」

「お願いだ、バルメ。
 僕にはもうあなたしかいない」


「エンプティ!!」

 ジュリアはほとんど絶叫しながら魔法を編み始めた。
 封じの術の上に、ほとんど絵の具をぶちまけるのとおなじように無秩序な、ただただ
魔という要素だけを呼び込んでいく。ぎしぎしと、世界の裏で空気が軋む。もうすぐ、
破れる。互いの呪が。

 急に大声を上げたこちらを見るテイラックの表情は、少しだけ強張っていた。

「……彼が何かを企んでいるのですか?」

 黒い声が答えた。

「企んでいるなんて、人聞きの悪い」

 ざあざあと常にざわめいていた梢の波が静まり返った。
 魔女も、使い魔も、動きをとめた。それぞれがそれぞれの一瞬を切り取られたように、
気味の悪い絵画のように。

 幻想からの落差に怖気が走る。
 ジュリアは誤魔化すように拳を握り締めた。
 己の衣擦れの音が、大きく響いて聞こえた。

「企んでいないとしたら、これは何のつもりだ?」

 エンプティは魔女の樹が立っていた場所の、そのすぐ後ろから姿を現した。
 騎士が、恐らく反射的に剣の柄に手をかけた。

「伝説の終わりです。御伽噺の終わりでございます。
 邪悪な竜が倒され、森に囚れていた人々が本来の姿を取り戻す。
 当然のことでございましょう。何の不思議がありましょうや?」

「現実と伝説を混同するな」

「しかし魔女殿、何事にも終わりはあります」

「それは、“これ”なのか?」

 ジュリアは剣呑に聞き返した。
 エンプティは肩を落とした。

「ご不満でしたか。私はただ、あなた方の活躍に報いたいと思っただけなのに」

 そして彼が腕を一振りすると、周囲に満ちていた淡い光は消えてしまった。
 魔女の声が消えた。子供の声が消えた。暗い森。朽ちた老木。風の音だけが残った。

「竜が死に、魔法は解けたのです。何も残らず。バルメも共に。
 それではあまりにも報われない……そうでございましょう?
 せめてささやかな終章がなければ、収まりがつかないでしょう」

「私は帰って寝るだけだ、関係ない」

 魔法使いは傷ついたような顔をした。

「友人が、こうした最後を迎え、ひっそりと忘れられるのは忍びないのです」

「勝手に語ればいいだろう、お前は御伽噺を捏造した語り部なのだから」

「…………この剣で」

 ぼそりと小さな呟きが聞こえたので視線だけを向けると、ヴァンが困ったような顔で、
魔女の残骸を眺めていた。

「この手で竜を斬って……彼女がそうしろと言った」


「その通り」

 エンプティが答えた。冷え冷えとした声で。

「あなたが英雄です、騎士殿」


 ――そして彼の姿は消えた。
 この森に存在していたすべての魔法は、形跡もなく消え去った。
 沈みゆく月の光だけが深々と降り注いでいた。

 間違いなんてなかった、と、誰かが呟いた。



      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆



 翌朝、ジュリアが目覚めると、もう昨夜の事件は過去のことだとばかり、屋敷は落ち
着いていた。なんとなく取り残されたような、しかしまったく残念ではない心持で遅い
昼食を食べ、顛末を聞きにきたマイルズを適当にあしらった。
 彼がつまらなそうに黙ってしまったのを待って、聞く。

「……他の連中は帰ったのか?」

「あー、アーサー・テイラック氏は仕事があるからって、昨夜のうちに。
 自称騎士殿はまだいるけど、チャーミーにちょっかいかけてきてうっとうしいったら
ありゃしねえ。アレなんとかならないか?」

「妹を守るのは兄の仕事だろう?」

「とは言ってもなぁー……エテツィオの騎士殿相手に強く言うと、親父が怒るから」

 マイルズは肩を竦めた。ジュリアは「なら放っておけ」と冷たく言い放った。

「アレは、伝説に登場するような立派な騎士に憧れているだけだろう。
 女に優しくするのがいいと思っているだけだ、害になるほどの度胸はないよ」

「どうだか」

「いっそ婿にもらってしまえ。内面以外はちょうどいいだろう」

「問題の内面がなー。騎士が皆お買い得物件ってわけでもないし」

 彼も彼の武勇伝を手に入れることができたが、と、胸のうちだけで呟く。
 目を覚ましたチャーミーも、レノアや使用人たちも、森で起こった怪異の記憶は失く
してしまっていたらしいから、決して認められることのない武勇伝だが。

「そりゃあ優良物件が三十前まで独身のわけがない……って、奴のことはいい。
 そういえば、エンプティは戻ってないのか?」

 マイルズは目をぱちくりさせた。

「何だそれ」

「本気か?」

「だから、何のことだよ」

 ジュリアは少しだけ黙った後、ゆっくりと首を横へ振った。マイルズは納得がいかな
いという表情でこちらを眺めていたが、ジュリアが沈黙をやめるつもりがないと見ると、
わざとらしいため息をついてそっぽを向いた。

「来年のバルメ祭は……」

「何?」

 今度はジュリアが聞き返した。
 マイルズは、テーブルに肘をついただらしない姿勢でこちらを見上げた。

「来年のバルメ祭は、何事もないといいなぁ。
 いや、多少の騒ぎは歓迎だけど、祭自体が目茶苦茶になると後始末が大変だ」

 そういえばマイルズは屋敷に残っていたのだったか。
 すぐ寝たから覚えていないが、帰ってきたとき屋敷は綺麗に片付いていた。居残り組
の努力の成果に違いない。

「来年の心配をすると、魔女に食われるぞ?」

「バルメが人を食うとは知らなかった」

 マイルズは胡乱げな顔で言い返してきた。
 昨夜のことは誰も知らない。ならば童話の魔女はまだ森にいる。
 祭はこれからも毎年続くだろう。現に、目の前の男はそれを当たり前だと思っている。

 丸焼きの羊を前に苦い顔をしていたアーサー・テイラックを思い出した。彼はまだ来
年の祭のことなんて考えてさえいないに違いない。半年後、祭の準備の話が出始める頃
に愕然とする彼を想像して、ジュリアは笑った。

「来年には私もまた呼んでくれ。見たいものがあるんだ」


 ついでに、覚えていたら花の一つも供えてやろうじゃないか。
 もう誰もいないあの暗い森に。


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2008/09/22 00:24 | Comments(0) | TrackBack() | ●ファブリーズ

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