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2024/05/16 21:21 |
ファランクス・ナイト・ショウ  6/ヒルデ(魅流)
登場:ヒルデ
場所:ガルドゼンド -イェッセン伯領ヒュッテ砦
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 冬を前にした夜の冷たい風が頬を撫でていく。感じるひりついた痛みに顔をしかめながら、ヒルデは空を駆けていた。
 ばさり、ばさりと翼が風を叩く度に一段と強力な風が顔や耳の感覚がなくなりかける。――いつも思うのだが、主はどうして兜に羽根をつけようなどと思ったのか。鎧にしておいてくれれば、少なくともこんな痛みから解放されていただろうに。

 とはいえ、思ったところで現実が変化するわけではない。光の精霊の力によって不可視の外套を纏ったヒルデは順調に高度を上げ、やがてその全景が見えてきた。
 そろそろ夕食の時間なのか、外にでて作業をしている人影はそれほど多くはない。もちろん、ある程度の警備兵はいて周囲の警戒を怠るという事はないのだが。

「さてと、では行くとするか。――Sylph Silence」

 念のために風の精霊の力を借りて、自分の周りでは一切音がしないようにしておく。これで、これから地面に降り立つ時にするであろう羽根の風切り音や着地した時の音が聞きとがめられる心配も要らない。
 数分後、無事にヒルデは砦の内部へと降り立つ事に成功したのだった。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

 一方その頃、ヒュッテ砦から少し離れた森の中にある空き地にて

「Het stille effect dat van me uitnodigde heeft geen genade――」

 環になるように並べられた巨石群の真ん中で何名かの魔術師達が声を揃えて呪文を唱えている。
 その声はけして大きなものではない。だが、揺ぎ無く唱和するその言葉は夜空を越えて遥か天にある星々まで響き渡っているような不思議な迫力を持っていた。

「――Y usted no tiene ninguna manera de escaparse de la calamidad en su cabeza」

 ただひたすらに儀式を進める魔法士達から少し離れて、甲冑姿の男が1人。期待半分、不安半分の表情で魔法士達の様子を見守っている。そして、ついに術師達は呪文を唱え終わり――だが、その場に何か変化が現れる様子はない。

「失敗したのか?」

 問う騎士に対して、魔法士の1人は天を見上げる。そして、はっきりとした声で「いえ、成功しました」と答えを返した。


「――そうか。全軍に伝えろ!術の効果を確認出来次第奴らに仕掛けるぞ!」

 騎士はひとつ頷き、大声で命令を下した。全軍にそれが行き届くように伝令兵がそれを復唱しながら陣内を駆け抜ける。彼らが通りぬけるのに併せて、辺りから金属音やら人の声やらが波のように巻き起こっていった。

 いよいよ戦が始まるのだ。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

「さて、潜入したはいいが……どうやって見つけたものかな」

 とりあえず一番人が多そうな主塔の中をヒルデは当てもなく歩いていた。数日前の彼のように、もしかしたらその存在を見破ってくる者と遭遇する危険性もあったが、だからと言って人のいないところばかりをうろついても得るものがあるわけがない。
 忍び込む事にした自分の判断が軽率だったかと少し反省もするが、かと言ってこのまま砦の外へと引き返していくのはあまりにも間抜けだ。
 結局、腹を括って砦の中を散策するしかないのだった。

 幸い、ここのところは誰かに見咎められるという事もなく順調に踏破したエリアが増えていく。つまりそれはそれだけ歩いても目的の人物には会えていないという事なのだが、それを考えると心とか気持ちとかが負けそうな気がするので深く考えないで機械的に廊下にならぶ部屋の様子を伺っていく。

 塔の中ほどまで制覇した辺りで、ヒルデはふと違和感を感じて立ち止まった。なんとなく耳の奥がビリビリと震える感じがするのだ。

「なんだ?」

 最初は小さかったが、少しずつ音は大きくなっていっている気がする。他にも気づいた者が出始めたのか、周りの雰囲気も先ほどに比べてざわついてきている。
 感覚としては、攻城戦でカタパルトから射出された大岩が飛んできた時に近いのだろうか。偶々目の前に空いている部屋があったのでそこの窓から外を見るが、特に異変は感じられない。強いて言うなら中庭にいる人々が辺りを見回すようにキョロキョロしているくらいか。

 そうこうしているうちにも音はどんどんと大きさを増し、ついにはゴゴゴゴゴゴという体を揺るがす重低音となって辺りを包む。間違いなく何かが起きているのに、いくら地上を見回しても取り立てて変化らしい変化は見つからない。放っておけばロクでもない状態になる予感が凄くするのに、何がどうなっているのかがまったく分からないという状況が苛立ちを増強させた。

「……?」

 空を指差している兵士がいるのに気づき視線を星空に転じたヒルデは、ちょっとした違和感を感じて首をかしげた。夜空にあるのはいつも通りの見慣れた星座だが――何回数えなおしても星が1つ多い!

 辺りを震わせる音はまた大きくなり、ついには樹はおろかこの主塔までもが軽く震える程の規模にまで成長してきている。それと同時に赤さと大きさを増してきた見慣れぬ星がこの場所に向けて落ちてくる巨大な岩塊であるというどうしようもない現実が見るもの全てに恐怖の影を落とす。

「くっ星落としの儀式だと!?」

 大気との摩擦で真っ赤に燃える隕石は夜空に尾を引く流星となって一直線に落ちてくる。音はもはや耳をつんざかんばかりの轟音となり、辺りを塗り潰す。
 考えるまでもない。あの岩が人の手によってここに落ちてくるのなら、その目的は間違いなくこの場所――ヒュッテなのだ。

「――"盾"よっ!!」

 その瞬間、具体的に何が起きたのかをヒルデは知覚する事ができなかった。世界が自分を残して崩壊してしまったのではないかと錯覚するほどの轟音と衝撃。次にしっかり認識できたのは、衝撃波を受けて崩れ落ちていく物見塔と外壁、そしてようやく聴覚が自分を取り戻した。
――どうやら直撃はしなかったらしい。
 その事に一瞬安堵を覚えるが、その反面心のどこかで警鐘が鳴り響いている。そう、もしこの隕石がティグラハットの術師の手によるものならここで終わるハズがない!

 実際、数十分と経たぬうちに敵襲を知らせる半鐘が辺りに響き渡った。外を見れば破れた外壁のところで燃える炎をバックに蠢く黒い無数の人影が、雄叫びを上げまだ混乱から脱しきれていない砦に向けて一斉に突撃してくる。ガルドゼンドの誰もが予想しない形で、ティグラハットとの戦いは再び幕を上げる事となったのだ。

 状況はガルドゼンド軍の圧倒的に不利な状態から始まった。隕石落としによる被害と混乱、その両方から立ち直るより前にティグラハット軍からの攻撃を受け、状況に対応できなかった兵達が軒並み倒されていく。なんとか対応する事ができた兵も当然いたのだが、数にモノを言わせるティグラハット軍を相手に徐々に押され、後退を余儀なくされていた。
 もともと、この砦にいる兵力はたったの四十七名。本気で落としにかかるティグラハット軍に対応するにはあまりにも少ない。魔法士がその力を存分に振るえばまだなんとかなるかも知れない。そんな希望を胸に、テオパルドを始めとしたこの砦の兵士達は苦しい戦いを続けるのだった。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

 同時刻、ヒュッテ砦地下部の大部屋にて

「準備は出来たか?」

 口早に問う騎士に魔法士達は内心溜め息をついた。確かに、もともとの予定ではヒュッテに入り緊張を煽り、ティグラハット軍が焦って手を出してきたら奴らの戦力を適当に削った後にこっそり撤退する予定だった。
 それがどうだ、この男はまるきり予想外の隕石一発で震え上がり、今すぐ撤退すると言い出したのだ。

――まぁ、いいけどな。わざわざ前に出て殺されても嫌だし。

 内心で呟きつつ魔法士はせっせと石を運ぶ。転移の魔術は儀式を必要とする術ではあるが、たったの三名を数十キロ跳ばすくらいならそれほど大規模なものでなくても可能だ。
 せっつく騎士の声に舌打ちしそうになるのを我慢しながらせっせと石を運び場を整える。
 ようやく用意が整い、二人の魔法士は声を揃えて呪文を詠唱しはじめた。短時間の詠唱で移動用のゲートを出す事も出来るが、敢えて二人はその方法を選ばなかった。ここでの呪文は言わば条件設定のようなもの、時間を掛けて詳細に設定すればするほど安全に移動する事が出来るのだ。
 呪文を唱え始めた頃は安心したのか少し静かになった騎士も、詠唱時間が長くなるにつれて段々と我慢ができなくなってきたのかまたピーチク騒ぎ出した。

――早く逃げたいのは分かったから黙っていてくれないと集中できないだろうが!

 思わず怒鳴りつけたくなるのを我慢して呪文に集中する。石の群れに光が宿り、撤退を指示したエーリヒの顔にもようやく安堵の色が見え始めた、そんな時。

「仲間は戦っていると言うのに自分はさっさと逃げる算段か。――臆病者め」

「だ、だだだ誰だ!」

――おいおい、声が裏返ってるよ

 部屋の入り口の方から投げつけられた、冷たく凛とした声。よっぽど予想外だったのか、エーリヒが文字通り飛び上がって入り口の方へと振り返るのが目に入り、なんとも失笑を誘う。かろうじて中断しかけた呪文をなんとか続けながら、若い魔法士は入り口の方の騎士と女のやり取りに耳を傾けるのだった。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

 地下から魔力が高まるのを感じたヒルデはその魔力の気配を頼りに地下へと降りてきていた。階段を下りていくに従って何やら呪文を詠唱しているような声が聞こえてくる。
 半開きになっている扉から中を覗くと、儀式を行う魔法士が二人と、それを見守る騎士らしき男の姿が眼に入った。
 儀式を行う魔法士に向かい、半ば叱り付けるような調子で騎士は「早くしろ」だとか「敵が来てからでは遅いんだぞ」とか喚いている。

――要するに、さっさとここから逃げ出そうという算段か。

 状況が理解できると同時に、ヒルデの心の奥底になんとも言えない苛立ちのようなモノが込み上げてくる。地上の兵達はここにいる二人の魔法士を頼りになんとか場を持たせているというのに、コイツらは我が身可愛さにとっとと自分達だけで撤退しようとしているのだから。それも、彼らには何も告げずに。

「仲間は戦っていると言うのに自分はさっさと逃げる算段か。――臆病者め」

 気が付けばヒルデは不可視の術を解き、鎧の装飾などから明らかに偉そうな騎士に向かって侮蔑の言葉を吐きかけていた。

「だ、だだだ誰だ!」

 少しは自分でも罪悪感を持っていたのか、あるいはここまで敵に踏み込まれたと思ったのか。その心中はヒルデには分からないが、とりあえず動転する騎士の様子を見て溜飲が少し下がる。一瞬問答無用で斬り捨てようかとも思ったのだが、声を掛けてしまった以上は何かしらの情報を引き出そうと、ヒルデは言葉を続ける事にした。

「私は英雄を導きし者。アルスラーンと言う人物の噂を聞いてこの地に降臨した。まさかとは思うが、貴様がそうか?」

 とりあえずヒルデの正体が彼の恐れていたものではないと分かって安心したのか、騎士はあからさまに余裕を取り戻す。

「なるほど、かの有名な戦乙女様か。こんな辺境の砦までいちいちご苦労な事だ。だが残念だったな。お求めの英雄様はこの間の小競り合いで死んでしまったよ」

「なんだと?」

 聞き返すヒルデ。だが、対する返事は場を満たす強い光だけだった。視界が回復した後に残っているのは、ただ環になるように並べられた石の群のみ。

「逃げたか……」

 少し目を閉じ、この後の行動について考える。彼がここで嘘を言う必要が思い当たらない以上、本当に目当ての英雄は死んでしまったのだろう。――ならば、これ以上ここに留まっていても益はない。さっさとこの砦を脱出する事にして、ヒルデは踵を返した。

 地上では、まだ所々から剣戟の音が響いている。そして、時々は魔法士が放ったであろう火球による爆音も。――砦の攻防戦はガルドゼンド軍の負けと言う形で大勢を決しようとしていた。敵にも魔法士がいたとなると、あの二人が加勢したとしても巻き返すのはムリだっただろう。結果として、あの騎士の判断は魔法士二人を温存する事につながり、後の戦いはまだ有利になるのかもしれない。

――だからといって、仲間を見捨てて逃げるのが肯定されるわけもないが

 心の中に溜まった苛立ちをとりあえず壁を殴る事で忘れると、ヒルデは砦の外を目指して駆け出していった。

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2007/07/20 02:12 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  7/クオド(小林悠輝)
登場:クオド
場所:ガルドゼンド -イェッセン伯領ヒュッテ砦
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「――起きてください、夕飯を食いっぱぐれますよ」

 ゆさぶられて眠りが醒める。寒い。体温が妙に下がっている、と初めに思った。
 かけられた言葉をゆっくりと理解しながら、クオドは「ああ……ごめんなさい」と囁
いた。吐息は熱い。起き出そうと身体を動かす。くらりと軽い眩暈を覚えて額にやった
掌は、氷のように冷え切っている。
 身体の傍に横たわっていた剣を抱え、従士の少年に問う。

「……今は?」

「もう夜です。明日の準備は済ませました」

「ご苦労様。
 食事に行きましょうか」

 騎士見習いが嬉しそうに頷いたので、クオドは薄く苦笑して立ち上がった。
 寒い。下手に眠るものではなかったか。半ば手探りで外套を探し、羽織る。ぱちんと
留め具の音で若干の眠気が醒めた。
 鞘に収めた小剣を腰に帯びる。

 石の床に堅い足音が響く。部屋を出ると廊下は広くない。大挙して押し寄せる敵のな
いように――だが、主塔まで攻め込まれるならそれは負け戦だ。徐々に追い詰められて、
いや、追い詰めて。どこが決戦の場になるだろうと、半ば無意識のうちに、襲撃者の立
場で考える。途中で思考がほつれてしまい、考える代わりに声を出す。
 二人の他に人の姿はない。

「カッツェ君なら、この砦をどうやって陥とします?」

「……はい?」

「鳥瞰図を使って構いません。守備の人数も知っていると仮定して。
 内訳は――これもいいでしょう、斥候を使えばわかることです」

「あの、クオドさま」

「篭城に比べて攻城が困難だと言われる所以は、要するに、守備側の陣が砦であるから、
という一点に絞られます。砦とは守るための施設です。石壁、掘、矢狭間やその他の仕
掛けがどれだけ有効かは知っていますね? それらがなくとも“攻めなくてよい”とい
うのはとても有利なことです」

「……」

 停止しかけた思考。言葉だけがするする落ちる。
 今になってようやく自分が何について話しているのかぼんやり気づいた。
 兵法書など読まなくたってわかるような初歩の初歩。何故だかとまらない。

「本格的に、数月或いは数年をかける攻城戦をやるには、周囲に陣を敷かなければなり
ません。陣を敷くには人が要りますね。人が居るなら食糧が必要です。これを確保する
には幾つかの方法がありますが、まず、本国からの輸送。次に現地調達。これらは勿論
対処が可能です。
 輸送隊への襲撃――これはおなじく枯渇しがちな防衛軍への補給にもなりますね。そ
して現地調達に対しては、これは要するに奪うものがなければいいのですから」

「あの」

「……又、長期に渡って包囲陣を敷く気がない場合。つまり短期間でひとつの砦を陥と
す時には三つの手段が考えられます。一つ、圧倒的な大軍で包囲し、鷹揚な条件で開城
交渉を行う。一つ、警備の隙をつき一気に攻め入る。三つ、半ば反則的な何かしらの手
段で一瞬にして防備を破り突入する」

「クオドさま――クオド・エラト・デモンストランダム卿!」

 強く声をかけられて、クオドは思わず足を止めた。

 いつの間にか階段を降り終え、広間へ差しかかろうとしていた。
 壁にかけられた硝子灯の炎が、化物じみて大きな影を作り出している。
 ここもアプラウトの砦に負けず古いらしい。昔にもヒュッテ砦という名称は聞いたこ
とがある。それに何より、古い砦は暗いし、建築物そのものに重い威圧感があるものだ
から。
 振り返ると従士は不安そうな表情をしていた。

「大丈夫ですか。普段はこんな喋らないのに」

「……少し、眠りが足らなくて。
 もっとおもしろい話をすればよかったですね」

 答えながら苦笑いすると、相手も笑ってくれた。

「ええ、今度はもうちょっと縁起のいい話をお願いします。
 中途半端に寝るからそんなぼうっとするんですよ」



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 カッツェの夕食はいつもより多かった。騎士は昨日は林檎をくれたが、今日は彼の麺
包の三分の二がカッツェの胃袋に収まった。遠慮なく受け取って、これで深夜に空腹を
覚えることはないだろうと思った。

 当の騎士の食事量が少ないのは気になったものの、寝ぼけて皿に突っ伏しかける様子
を見た限り、この状態で無理に食べさせる方が酷かも知れないと判断することにした。

 熱気の篭った食堂から出ると、夜風が頬を醒ますのを感じた。
 肌寒いくらいの秋の夜。先程より気温が落ちたように思えるのは錯覚だろうか。

 くるりと視線を転じ、周囲を見渡す。灯り台に火はなく、薄暗い。硝子灯を持った兵
士が中庭を横切って行く。厩から嘶きが聞こえる。迷い込んだ蝶がまださ迷っている。

 二人で慣れた道を主塔へ戻る。途中でカッツェが「さっきの話なんですけど」と切り
出すと、騎士はきょとんと瞬きした。

「五倍の兵と半月があれば十分です。正攻法でも陥とせます」

「…………ああ、ええ、そうですね」

 出題自体を忘れていたに違いない。仕方のないひとだ。
 本当に主人の親戚なのだろうか――呆れ半分で観察する。カッツェよりも拳半分くら
い背が低いし、肩幅も狭い。大切そうに古い製造えの剣を抱えていても、何の頼りにも
なりそうにない。少し稽古に付き合ってもらった限りでは腕は立つようだが、果たして
実践慣れしているだろうか。

「では、いつ陥としますか?」

「それは――クオドさま、この音は」

 遠く地鳴りのような音が聞こえた。立ち止まる。
 騎士は首を傾げてから、「何でしょう」と、あまり緊張感のない声で応えてきた。本
当に頼りにならない。周囲を見渡すうちに音は大きくなっていく。戦場を駆ける無数の
蹄にも似て、腹の底まで響く振動。

 誰かが、「あ」と声を上げた。
 視線を転じれば兵士がひとり夜空を指差していた。

「星が……」

 星がどうした。それどころではない。苛だちながらも思わず見上げる。
 凍りついたような冬の星座。蛇喰らいの鳥、指輪、槍を構えた勇士。その矛先が瞬い
た。振動は今も大きくなっていく。
 隣で、騎士が身体に合わぬ大声を上げた。

「無駄な死を恐れる者は速やかに退避せよ、敵襲だ!」

 その言葉は地響きを貫いて響き渡ったが、すぐにその意味を理解した者は少なかった
に違いない。恐慌の気配が膨れ上がるまでの数秒間を、カッツェはとても長く感じた。
危険に気づいてもどうすることもできない。退避? どこへ? 騎士自身も、叫んだ以
上のことは思いつかないようだった。

 人影が右往左往している。硝子灯の火が増えていく。
 目の前を、白い――

 騎士が身を翻して腕を振るうと、それは小剣の刃に裂かれて無残に落ちた。白い羽。
醜い昆虫の胴体が最後にひくりと動いて、秋の蝶は命を失った。
 鮮やかに青い目が、それを見下ろしている。

「……使い魔…………気付く機会はいくらでも、」



 直後、衝撃。
 誰かの悲鳴と共に目の前が白く染まり、そして暗転した。




 カッツェが目を醒ますと、狭い場所で壁に背をもたれていた。
 壁と壁の間から、廊下を走り回る人々の姿が見える。あちらこちらで炎が煌々と瞬い
て、ついさっきまでの暗さが嘘のようだった。
 警鐘が鳴り響いている。兵士達は鎧に身を包んでいる。

「……!」

 慌てて立ち上がると背中が少し痛んだ。手の甲が擦りむけているのが見えた。
 そうだ、敵襲。星が落ちて、どうなった? 味方の怒号は絶望一色だ。
 戦わなければならないだろうか。あの騎士の姿はどこにもない。彼は頼りないが、い
なければ余計に不安になる。周囲を見渡して、すぐ足元に落ちていた紙片に手を伸ばす。
書かれた文章は古い言葉遣いで難解だったが、辛うじて大凡だけを理解することができ
た。

“もしも間に合うなら、馬をつかって脱出しなさい。”


 這い出すように闇から出て、自分のいる場所に気づいた。主塔の一階。
 数少ない守備兵が扉へ殺到している。その向こう側にも銀の煌きが見えた。無数の槍
と矛、そして剣。

 ――ヒュッテを陥とすには、正攻法でも五倍の兵がいれば十分だ。
 自分の言葉が脳裏に蘇る。四十七の五倍。二百五十にも満たない数。

 悲鳴が絶えない。きっと味方だ。
 がっ、と鈍い音がして、流れた矢が足元の石材に跳ねた。
 カッツェ・オズヴァルドの初陣は負け戦になろうとしていた。



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 アプラウト家の小柄な騎士は、平服の上から綿入れと鎖帷子を重ねただけの軽装で、
普段から抱えている例の剣も相変わらず封印されたままだった。片手に提げた小剣の刃
は毀れ、てらてらとした脂に覆われている。

 テオバルドはその姿を確認すると声をかけようか迷ったが、指示を求めて駆け寄って
きた兵卒の相手をするうちに見失った。周囲には無残な死体が折り重なり、敵味方がそ
れらを踏み越えて入り乱れている。魔術の光が煌き、鎧の倒れる音がした。

 あの騎士が消えた方へ目を凝らす。既に他の騎士たちはエーリヒ以外の皆が捕虜とな
ったという報告を受けていた。開城勧告はない。敵は飽くまで武力でこの砦を陥落させ
るつもりのようだ。

 主塔の入り口は狭く、敵が大挙して押し寄せることはできない。とはいえいつかは迫
り負ける。非戦闘員を非難させた階上の広間まで引くことになるかも知れない。

「――態勢を、」

 どすん。言いかけたとき、肩に衝撃があった。深く食い込む弩の矢。
 痛みと熱は一瞬遅れて襲ってきた。喉の奥で言葉が詰まる。苦鳴を押し殺す。

「隊長!」

「大丈夫だ」

 傷口を押さえて前方を睨む。殺到する敵兵の後ろで、弩に次の矢を番える弓兵の姿。
古びた鉄の鎧は他の兵のものと製造えが違う。傭兵だろうか。兜の面頬は上げられて、
切れ長の目がこちらを見ている。無雑作に弩を上げ――間には襲撃軍の兵がいるにも関
わらず。

「!?」

 矢は耳を掠めた。背後の悲鳴に視線だけで振り向けば、一人の兵が板金鎧ごと胸の中
央を貫かれて崩れ落ちるところだった。降伏する、という言葉が本能的に喉元まで込み
上げた。今までも窮地はいくらでもあった。
 声を張り上げる。

「故郷を戦禍に包みたくなければ、ティグラハットの豚共にこの砦を渡すな。
 国内が戦場となれば――パフュール王は決して、我らを顧みることはない!」



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 ――五日前、アプラウト本領レットシュタイン。

 石造りの教会の内部は、吐く息が白いほどの寒さだった。
 空を覆う鉛色の雲は毎年、国内のどこよりも早く冬を連れてくる。恐らくは荒野と山
に囲まれた土地柄のせいであろうが、領民たちは声を潜めて呪いだと囁く。ヴィオラは
その理由を詳しく知らないし、過去の迷信に興味はない。それでも彼らの不安を幾らか
やわらげようと思えば、年老いた神父に時節の礼拝を準備させるというのは悪くない方
法だった。

 前代の頃から砦内の教会を任されている神父は最近になって聴力の衰えを気にしてい
るようだが、まだ耄碌はしていない。どの聖句を読むべきか、どの聖人を讃えるべきか。
彼は今代領主が五年前に勝手に定めた祝祭日に満足しているらしく、神の威光を楯に領
主自身を教会に呼び出してはその礼拝の前支度の確認をするということを、殆ど一日お
きに続けている。だが結局、今年も、昨年とおなじ結論に達するに違いないのだ。「昨
年とおなじように」。

 つまりヴィオラは、彼が毎年言い出す妄言を今年も聞かされているということだ。
 森の中に放棄された古い大聖堂を修復し、そこで礼拝を行いたい、だって? 馬鹿を
言うな。あの廃墟を建て直すには、苔に覆われた瓦礫をすべて撤去して、新しい図面を
用意しなければいけない。建築士と石工を十年雇い、木材と石と金属を揃えるだけの資
金。この痩せた土地に、それらの何があるというのだ。

 何度説明しても神父は納得しない。
 神への奉仕は何にも優先されるべきだと本気で信じているのだ。


「――ご主人様、あなたにお会いしたいという方が」

「何方ですか」

 ヴィオラは長椅子に腰かけたまま半ば反射的に返事をし、それから胸中の愚痴を中断
した。声が厳しくなっただろうかと、意識的に穏やかな口調で言葉を続ける。

「広間の暖炉に火は入っていますね?
 熱い飲み物を用意して、私が行くまで客人を遇しておきなさい」

「それには及ばない」

 振り向き、立ち上がる。教会の入り口、年月で色褪め表面の毳立った樫の扉の前には
二つの人影。申し分けなさそうな表情をしている執事と、身なりのいい男。彼は金色の
髪を撫でつけて、鮮やかな黄緑色の上衣を着ている。一目で貴族の召使だとわかった。

「貴方がハルデンヴァイル副伯か」

「私がハルデンヴァイルの子爵にしてこの地の領主ヴィオラ・アプラウトです。
 このような辺境までようこそお越しくださいました、使者殿。
 貴殿の目を楽しませる景色はありませんがどうぞお寛ぎを」

 男は傲慢な表情で鼻を鳴らし、はクレイグ辺境伯エイブラム・ゲーデの使者だと名乗
った。ヴィオラはそれで彼の態度についてすべて納得したが、逆に彼の訪問には疑惑を
抱かざるを得なかった。
 クレイグ辺境伯は国内で五番目に豊かな荘園を保有している。その荊棘の旗印が掲げ
られれば、城の中庭から溢れるほどの銀甲冑が集うに違いない――つまり、今のアプラ
ウトなど問題にならないし、されない。本来ならば。

「長くいるつもりはない」

「では飲み物だけでも。この土地は冷えるでしょう。
 セドリック、使者殿のために葡萄酒を温めて。お客人、蜂蜜は?」

「結構。それより桂皮を入れてくれたまえ、あれには体を温める効果があるから」

 執事は一礼すると立ち去った。薄暗い聖堂に沈黙が訪れる。ヴィオラは、神父が祝祭
日の準備のために村へ出向いていることを使者に伝えた。相手は好都合だと言わんばか
りの鷹揚さで頷き、さっと周囲へ目を走らせて他の誰もいないことを確認すると、「我
が主から」と囁いて、上衣の裏から白い手紙を取り出した。

 赤い蝋の封印は、確かにクレイグ辺境伯のものだった。戟と荊棘。
 ヴィオラは慎重な手付きで蝋を破った。ぱり、と乾いた音がした。時代錯誤な羊皮紙
に記された文面を目で追ううちに血の気が引いた。
 使者が言う。

「今日から五日以内に主へ返事が届かなければ、貴方は我々の敵になるだろう。
 使者が持ち帰るのは、肯か否か、そのいずれかの一言だけ。どうする、副伯?」

「……その言葉は誰のものでしょう」

 もちろん主の、と使者は答えた。
“公王の旗の下へと馳せ参じ、吹雪と共に蹶起せよ。二世紀半に渡りガルドゼンドの玉
座を不当に占めていたパフュールを打ち倒した暁には、我々は本来あるべき故郷を取り
戻すことができるだろう。”

-----------------------------------------------------------

○○卿 = Sir ○○
○○公 = Lord ○○

貴族の名前の「von」はカタカナ表記では省略していますが、
アプラウト家以外は大体、「von」とか「of」とかの相当語がついてるはず。

+++++++++++++++++++++++

2007/08/08 23:11 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  8/ヒルデ(みる)
登場:ヒルデ、(クオド)
場所:ガルドゼンド -イェッセン伯領ヒュッテ砦
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 ――とりあえず、高い所を目指そう。

 とある諺が頭をよぎるのを一生懸命否定しながら、ヒルデは城壁の上辺りに出る道を求めて砦の中を彷徨っていた。一応隕石が落ちる前に少しはうろうろしたので構造は大体把握しているつもりだが、何分砦の中は敵が簡単に攻め込めないように複雑な造りになっていて、なかなかに面倒くさい。加えて、ティグラハット軍の攻撃が思ったよりも激しく、かなり奥まで攻め込まれつつあるという事実が事態をいっそうややこしくしているのだ。

 数箇所で起きていた戦闘をなんとかやり過ごし、ようやく辿りついた目的の階段の前で見覚えのある顔を見て、ヒルデは思わず立ち止まった。
 何故か装いは一般兵のような軽装だが、リボンで封印してあるあの特徴的な剣は忘れようと思ってもなかなか忘れられる物ではない。軽装なのは敵襲に対応するために最低限の装備で打って出たからだろう。――つまりは、それだけ腕に自信があると言う事か。

 声を掛けてみようか。一瞬、そんな益体も無い考えが頭の中に浮かぶ。即座に頭を振って否定した。――馬鹿馬鹿しい。大体、この状況でどうやって交渉すると言うのだ。

 少し後ろ髪を惹かれているのを断ち切るようにヒルデは元来た方へと振り返った。ここの階段が使えない以上、城壁の上から脱出するのは諦めなくてはならない。
 歩き出そうとしたその瞬間、背後から金属と金属がぶつかり合って響く鈍い音に紛れてボッという何がが燃えるような音が聞こえた気がした。本能の声に従って体を通路に対して平行にするのと、先ほどまでヒルデの半身があった部分を炎で作られた矢が通りぬけていくのがほぼ同時の事。

「つっ!」

 ジュ、という嫌な音を立てて外套に一条の焦げ跡が残る。――後一瞬でも回避が遅ければ自分の腕がこうなっていた。そんな嫌な感触に冷や汗を掻く。

「そこにいるのは誰だ!」

 術を放った魔術師本人から誰何の声があがったのはその直後の事だった。

 石造りの廊下の上では、先ほどの炎の矢が着弾した所を中心にちょっとした火の海が出来上がっている。恐らくは直接騎士をどうこうする為というよりも退路を火で満たしてより戦い難くする為に術を調整していたのだろう。石畳の上でも燃える魔力の炎をわざわざ作り出すとは非常にご苦労な話ではあるが。

「仕方が無い、か」

 溜息をひとつ吐いてヒルデは妖精の外套の術を解く。術者本人だけでなくある程度周りの空間までも隠匿してしまうこの術は、今の状況のように近くに何か変化があるとすぐにばれてしまうのが欠点だ。兜を脱いでおいたのが幸いしたのか災いしたのか、ティグラハットの兵士達は単純にヒルデをガルドゼンドの者だと思ったらしい。前衛の剣士達に護られた魔術師が次の呪文を唱え始める。未だ石畳の上の火は消えず、つまりは退路はない。

「援護は任せるぞ」

 ちょうど一度距離を取った騎士の横をすり抜けて前にでる。「え?」と呟く声は予想に反してずいぶんと若々しかったが、今はそんな事に構っている余裕はない。

 踏み込みながら抜いたフランベルクレイピアを片手に敵陣に切り込む。「"鎧"よっ!」声高に宣言した瞬間、閃光が辺りを包む。音を立てない為に着てこなかった鎧を呼び出す為に超局所的な空間転移が発生、その際に発生した余分なエネルギーが発光という形で辺りに発散されたのだ。

「くっ!」

 ただの光とは言え、至近距離でそれを受けたティグラハットの兵士達は溜まったものではない。ほぼ反射的に目を庇おうとして、バランスを崩す。よろめいた所を盾で殴りつけて道を開け、呪文を唱えきる前に決着をつけようとヒルデは一気に後方の魔術師に向かってダッシュを掛けた。

「……be thousand arrow!!」

 が、走りこみ攻撃を加える前に魔術師の呪文が完成する。両手の間に生み出された赤い玉は、呪文が簡単なワリには効果が大きく熟練の魔術師が使えば一発で大型の熊でも仕留めると名高いファイアーボールを彷彿とさせる。だが、こんな狭い場所で爆発系の呪文なぞ使った日には味方の前衛どころか術者自身も巻き込んで全てを吹き飛ばしてしまうだろう。

「――Sylph God breathe!」

 僅かに聞こえた呪文を勘を頼りに、精霊に働きかけ術を発動させた。神の一息は一瞬だけ凄く強力な風を吹かせる術だ。電撃を飛ばす術等には効果がないが、先ほどのように炎の矢を飛ばす魔法ならばこれでも十分対処は可能なハズ。
 果たして、ヒルデが精霊に声を届かせるのとほぼ同じタイミングで魔術師の手の中の赤い玉は分裂し、無数の炎の矢となってヒルデへとその牙を剥いた。それに併せるように吹く強力な横風。方向を変えた矢に自らの手を焼かれ、魔術師が声にならない悲鳴を上げる。

「ハァァァァァァァッ!」

 持続時間の短い神の一息では防ぎきれなかった炎の矢を迎え撃つように盾を突き出し、そのまま魔術師の体に叩きつける。鞣された皮革コゲる嫌な臭いが広がると同時に、そのまま魂が口から出て行くのではないかと思うくらいに激しい魔術師の絶叫とジュウウウという嫌な音が狭い廊下に木霊した。
 持ち手に熱が回る前に盾を投げ捨て、擦り抜けて来た前衛2人の方へと振り返る。1人は騎士と真っ向から斬り合い、もう1人はまさにこちらに向かって剣を振り上げた所だった。「ッ!」腕の長さをフルに使って振り下ろされた剣に対してヒルデは左肩を内側に引き込むように構え、自分からぶつけに行く事で対応した。ギャィンという耳障りな音に顔を顰めながら右手のレイピアを構える。振り下ろした剣を外側に弾かれた格好となったティグラハット軍の戦士は左手の盾で体を護ろうとするが、全力攻撃をした直後なのが災いして間に合わず、なす術も無く貫かれた傷から持てる命を全て噴き出して倒れ伏した。
 そして、瞬間的に目の前を遮る真っ赤なカーテンの隙間から、向こうの勝負も決着がついたのが見える。とりあえず近場の敵は一時的にとはいえ居なくなったのを確認して、ヒルデは肩の力を抜いた。

 ――さて、なんと声を掛けたものか。私は怪しいものじゃない、とか中々の腕前だな、とか意味があるんだかないんだかよく分からない言葉が頭の中を駆け巡るが一向に口をついて出ない。結局、相手の対応に困ったような顔に居たたまれなくなって飛び出した言葉は「二日ぶりだな」という、本当に意味があるのかないのかよく分からない言葉だった。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

 ヒュッテ砦攻防戦から数日後、ガルドゼンド国内某所にて

 真昼間の人が少ない酒場で、2人の男が話をしている。というよりも、1人の男が勝手に知っていることを捲し立てて、もう1人が相槌を打つという感じではあるが。

「知ってるか?ティグラハットの連中がまた反乱を起こしたらしいゼ」

 最近の狩場はどこだとか、あるいは遠くの国で何があったとか。男の話はとりとめがなかった為、もう1人の男――アイザックは話が進めば進むほど聞き流してグラスを干す事に専念していた。が、「そういえば、」と前置きして話し始めた内容は彼の注意を引き戻すには十分すぎる効力を発揮する

「マジか。また戦争になるのか!?」

 自慢ではないが、アイザックは争いとかそういう類のものはガルドゼンド国内で1番苦手としている人間のうちの1人だと言って憚らない。その話題でからかわれる時には、「うちは祖父の代から平和主義なんだ」と、血筋を持ち出す程に筋金が入っている。そんな彼にとって、たとえ自分が直接関係する可能性は少ないとは分かっていても戦争再開のニュースはこの上ない凶報に他ならなかった。
 そんな聞き手の心情を知ってかしらずか、語り手の男は自慢げにつらつらと知ってる事を並べていく。

「しかもヤツらはもう電撃作戦でヒュッテの砦を陥落して、それからの宣戦布告。なんでも今回の神輿は前王家の関係者らしいぜ?『不当に二世紀半も王座を占拠したパフュールを駆逐して本来の故郷を取り戻す』なんて言ってるらしい。いやぁ、勝つ気満々だねェ」

「な、なるほどねぇ。まともな統治者ならむしろ歓迎したいくらいだけど、俺が住んでる辺りで戦いはじめるのだけは勘弁して貰いたいな」

 ソレがアイザックの正直な感想だった。凶王のよくない噂は枚挙に暇が無いし、あれよりも悪い統治者が存在するとは思えない。だから頭が変わる事は喜びこそすれ困る事はないと思っているが、なにしろ過程が大問題だ。しかも、ティグラハット軍がヒュッテを抜けて北上中となればヒュッテと王都の間にあるこの街は避けて通れない要所であり、そしてあの凶王が街を戦場にする事を厭うとは思えない。

「そうだな、もうすぐここらへんを王国軍が抜ける頃だからもうちょい南で戦う事になるんじゃねぇかな。おっと、噂をすれば影だ。ハウンド様のお出ましだぜ」

 男がそう言ったとたん、本当に蹄が地面を蹴る硬い音が無数に聞こえてきた。なんとなく、語り手の男が本当に騎士団がココを通る時間を知っていたのではないかとか思ってしまうくらいにタイミングのいい登場にアイザックは苦笑する。いつもならタンスの中に潜り込んでブルブル震えるくらいの恐怖を感じる兵達の行進が、なぜだか何かの冗談のように感じられてくるから不思議だ。

 街のメインストリートを黒い甲冑に黒兜の黒尽くめで全身を固めた騎士達が行進していく。本来国を護る希望であるハズの彼らも、黙々と列を一糸も乱さす進んでいく姿は真逆の印象――つまりは全てを死に誘う死神の群れにしか見えない。実際、彼らが通り過ぎる間通りに面した家に住む住民は総じて窓を閉じ、息1つ気取られないようにじっと身を潜めていた。
 そんな中、目の前の男だけは暢気に窓の隙間から外をのぞいて、「おーおー精鋭部隊とは思えない程しんみりしたこって」というわけの分からない感想を述べていた。

「そういえばアンタやたらと事情に詳しいけど、どこからそんな情報を仕入れたんだい?」

 外の様子を見ている金髪の男を見ていたら、なんとなくそんな疑問が浮かんだので投げつけてみた。「ん?」と酒場の中に向き直った男はニヤリと笑って

「なぁに、蛇の道は蛇って言うだろ?」

 なんて言い放つ。左右に分けた金髪の下で、青い目がいたずらっぽく笑っていて本気なのか冗談なのか今ひとつよく分からない。

「まぁ、どちらにしてもまたきっとすぐに反乱軍は鎮圧されるだろう、この前のように」

 それはどちらかと言うと自分を納得させるための言葉。この前のように圧倒的な兵力差でもってすぐに決着はつく、という自己暗示のような意味を持つ言葉だった。
 だが、この正体の分からない事情通はそんな気休めすらも許さない。

「どうだろうな、今回は前とはちぃと事情が違うかもしれんぜ?」

「と、言うと?」

 問い返すアイザックに、ビッと指を立てて説明する謎の事情通。

「ただの反乱だった前回と違い、今回はティグラハット側が神輿を立てているっていう話さ。前王家の関係者、ていうな。つまり、実態は同じとしても今回のヤツラには大義名分がある。新しい神輿を担ごうと集まるヤツもいるかもな」

「ティグラハットに同調する貴族が出る、という事か……?」

「もちろん、確実に出るたぁ限らねェ。その気があるなら1回目で蜂起するだろうしな。ただ、人間が行動を起こすには理由ってヤツがが必要な時もある。前王家の復興なんざ、その理由としては手頃だよな」

 男が喋り終えた後の静寂を、コップを磨くキュッキュという音で誤魔化す。なんとなく喋り辛くて、アイザックは男が語った内容に思考を集中させてみた。

――前回は兵力で勝っていたから一方的に勝つする事ができた。でも、もし貴族が寝返ったらそれだけガルドゼンドの兵力は減り、ティグラハットの兵力は増す。これから寒くなる以上戦争は早く終わらせたいだろうし、正直今の王にそこまで人望があるとは思えない。さっさとティグラハット側について戦いを終わらせようと考える者は少なくないのではないだろうか。

「まぁ、貴族様にゃ俺様達庶民にゃ分からないしがらみとかがついて回るから、実際どう動くかはわかんねぇけどな」

 まるでアイザックの考えを見通したかのように男は言う。
 その奇抜な一人称も含めて、そろそろこの得体の知れない男が何者なのかという疑問がむくむくと頭をもたげて来るがアイザックは努めてそれは考えないようにした。古人曰く、『好奇心猫を殺す』だ。幸い、まだ俺の平和主義センサーに反応はない。彼の言う事を聞き流しながら笑ってるだけなら、まだ俺の身は安全のハズ。

「まぁ、確かにな。しかし困ったな。何かあってからじゃ遅いけど何かあるとも限らない状態、か。……なぁ、アンタはこれからどうするんだ?」

 表面上の態度が変わらないように細心の注意を払いながら、会話を続ける。男に少し踏み込んでしまう発言ではあるが、困っているのも本当だった。例えばここが戦場になるとしたらどこに避難するのか。どうやって避難するのか。そもそも本当にここが戦場になるのか。男の予想はさもありそうな話だが、それが本当に現実のものともアイザックには分からないのだ。

「そうだなぁ……ハンディラグとは一度ガチで殴り合ってみてェとは思ってるけどな」

「はァ?」

 予想の斜め上どころか料理の質問をしたら闘牛の答えが返ってきたような答えに思わずアイザックの目が点になる。時間を掛けて目の前のどうみてもヒョロっちい男が何を言い出したのか理解が進むと、今度は止められない笑いが込みあげて来た。

 ひとしきりアイザックがひとしきり大笑いする間も、男は先ほどからまったく変わらぬ笑みを浮かべている。その様子を見て、ようやくアイザックも自分がからかわれただけだと得心がいった。

「はっはっは、まったくアンタも人が悪いな。危なく信じちまう所だったじゃないか」

 そうこうするうちに段々と日は傾き、酒場にちらりほらりと人影が集まってきた。他の客の応対に追われているうちに、不思議な客は金だけを置いて帰ってしまったらしい。せっつく客の声に追われて自分がまだ日常にいる事を実感するアイザックだが、その心のどこかでやっぱりこれから起こるであろう戦いが抜けない棘のように刺さっているのだった。

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2007/08/24 01:46 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  9/クオド(小林悠輝)
登場:クオド
場所:ガルドゼンド -イェッセン伯領ヒュッテ砦
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 目の前に背の高い女が立っている。とはいえ、若干上目遣いに彼女を見て“高い”と
思ったクオドの身長が一般的に低いと分類される程度なので、敢えて“背の高い”とい
う形容詞をつけるほどかはよくわからない。
 女は麦穂のように輝く金髪を羽飾りつき兜におさめ、見事な製造えの鎧を身に着けて
いる。手にした細剣の刃は血を弾き、鋭く流麗な曲線を外気に晒している。
 彼女はその剣を鞘へ収めてから、何やら険しい表情をして黙りこんだ。

 ヒュッテの兵でないことは確かだ。しかし敵意は感じられない。
 助けられた礼を言ってこの場を離れるべきか、それとも正体を見極めるべきか。背後
からの悲鳴に振り向きかけた瞬間、女が口を開いた。

「二日ぶりだな」

「……二日?」

 クオドは眉根を寄せた。二日前――この砦に到着した日か。
 まだ二日しか経っていないということに少し驚いた。戦いがあると血と鋼のにおいに
時の感覚が狂う。ずっと剣を振るっていた気がする。張りつめた神経が一瞬一瞬を克明
に認識しようとするせいだと父は言っていたが、本当か嘘かはわからない。少なくとも
父は本心からそう信じていたらしかったし、わざわざ反論するほど納得のいかない話で
もなかった。

 二日前。輝くような金髪の女。ああ、そうか。
 ぼんやりと思い出すと、クオドは半ば無意識の笑顔で「おひさしぶりです」と笑いか
けた。あのときは敵かも知れないと思ったが、助けてくれたのだからきっと違うのだろ
う。

「幻覚だと思っていました」

「姿隠しの術を使っていたからな」

「隠れていませんでしたよ」

「……いや。自覚はないのか?」

 クオドは「え」と声を上げた。相手の問いは唐突に過ぎた。
 どう答えたものだろう。何の自覚を問われているのか。


「――っ!」

 激しい剣戟の音にクオドは今度こそ振り向いた。敵の別働隊を片付けるのに手間をか
けすぎた。その間にこちらの大将が取られては何の意味もない。これは負け戦だと、は
じまる前からわかっていたとしても。

「ごめんなさい、後でまた」

「おい?」

 駆け出す。鉄靴は石床に堅い音を響かせた。心の中で祈る、神よ助け給え。小剣の刃
はもうぼろぼろだ。やがて行く手に光が見え始めると、幾つかの人影がこちらに気づい
て武器を構えるのがわかった。
 構わず突っ込む。剣の一撃を片手半剣の鞘で受け流し、身体を反転させて次を躱す。
水平に流れた刃は一人の鎧の表面を滑ったが、蹣跚めく隙に突破する。

 俄に騒がしくなる。終わりかけていた戦闘が再開する合図。友軍はもうみな倒れてい
た。廊下の奥、狭い階段。唯一立っているのは、背の高い騎士。ひどい傷を負っている
らしい。肩の鎧が砕けて血汚れの赤が妙にはっきりと見えた。
 間に合った。最早棒切れとなった小剣を振るう。板金鎧を叩く衝撃が腕に返る。思わ
ず、関節が白くなるほど強く握る。四方から突き出される切っ先は見事なまでに同時だ
った。“何をできる気でいるの?”、頭の奥で声が聞こえる。

「……まさか一人で突っ込んでくる馬鹿がいるなんて」

 敵兵の一人が呟いた。自分でもそう思う。
 動いたら殺される。動かなければ――

 鼓膜を震わす女の声。光が奔った。悲鳴が重なる。がらがらと重い金属音で周りの兵
士たちが倒れていく。クオドは弾かれたように振り返って、そこに救いの女神を見た。



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 脇で馬が嘶いたので、カッツェは「静かにしろ!」と手綱を引っ張らなければならな
かった。遠くに見えるヒュッテの灯は、煌々と瞬いて夜を焦がしている。まるで火災の
ようで不吉に感じたが、離れた森の中からは、城壁の中で何が起こっているのかなどま
ったく見ることができなかった。

 カッツェが目を醒まし主塔から抜け出したとき、厩は既に押さえられていた。が、騎
士の馬は雌だからと別の場所に繋がれていたのが幸いだった。灯の届かない空の家畜小
屋でひっそりと沈黙していた軍馬は、昼間のことなどなかったように、大人しくカッツ
ェに従った。

 馬具をつけ、包囲を掻い潜り、ここまで脱出できたのは間違いなく奇跡だ。
 何せ、怒号と熱気にやられてしまい、どこを通ったのかも思い出せないのだから。

 動物の勘に助けられたのかも知れない。単に運がよかったのかも知れない。安堵する
と同時に、後ろめたさも感じて膝でも抱えたくなった。

 一刻も早く主人に報を届けなければならない。騎士にもそれがわかっていたから、あ
の書置きを残したのだろう。残っていても何もできなかったに違いない。だが、一人で
逃げたのだという罪悪感が胸の奥で重い塊となって、吐き気に似た感覚を催させる。

 ヒュッテ陥落の報を聞いたら、主人はどのような顔をするだろうと、想像するのは簡
単だった。きっと少しだけ顔を強張らせて、それから無理やりつくった柔和な笑みで、
「ご苦労様でした、カッツェ」と労ってくれるに違いない。「クオドのことは残念でし
たが、あなたが無事に戻っただけでも僥倖です」

 馬が蹄で地面を掻いて、畝をつくっている。彼女も落ち着かないようだ。

「……シンシア、だっけか?」

 呼びかけてみる。
 まさかこちらの言葉がわかったわけでもあるまいが、軍馬は首を傾げてカッツェを見
つめ返してきた。動物特有の妙に澄んだ瞳は月光を映してごく僅かに輝いている。カッ
ツェは何か言葉を重ねようかと迷ったが、結局、何も言わないことにした。

 冷え切った空気が頬や首筋を撫でていく。このままではじきに凍えるだろう。
 早く出発しなければならないとわかっているのに、なかなか決心がつかない。

 馬がまた鳴いた。近くに何かあるのだろうか。
 目を凝らしても周囲は暗闇だ。灯りを持てば見つかりかねない。
 ひぃん、と、鳴き声。静寂の後、森の闇から、別の馬の声が戻ってきた。



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 エルンが所属する俄傭兵団に与えられた場所は狭く、天幕を三つ張るだけの場所しか
なかった。ヒュッテ砦の内側から立ち上る炊事の煙を見るたびに、どうも釈然としない
思いが込み上げてくる。
 もう冬が近く、夜ともなれば天幕の中も冷えこむ。しかも仲間は酒か女かで殆ど出か
けてしまって人気がないから、更に寒々しい。男ばかり密集しているのも嫌だが。

「なぁ、隊長。ヒュッテを陥としたのは俺たちだろ?」

「んー?」

 不満の声を上げても、相手は気のない返事をして、手元から目を上げすらしない。低
い卓子の前に座りこんで弩の分解に夢中だ。
 かちりかちりと小さな金属音を断続的に響かせて、時折、息を吹きかけてみたりして、
機械弓を使わないエルンには彼が具体的にどのような作業をしているのかはわからない。
集中しているのかいないのか傍目からは判断のつかない表情で手を動かしている。

 鬱陶しがられている気配もないのでエルンは愚痴を続けた。
 汚れ役を買って出たあの指揮官もどうやら手に入れた火力を試してみたいだけで何か
殊勝な覚悟のようなものがあったわけではなかったらしいし、まぁ奴はまだいいとして、
すべてが終わった後で白銀鎧をきらきらさせて、まるで自分達の手柄みたいな顔で入城
なさった騎士様方は何様のつもりだって、考えるまでもなく貴族様でしたね連中は。

「聞いてるんか、隊長」

「んー」

「生返事……」

 エルンが嘆息すると、相手は目を瞬いて、「聞いてるー」と緊張感のない声で返事を
してきた。手元の弩はもう殆ど元通りに組み立てられている。弓の弦を張り直し、台座
に固定する作業をぼんやり眺めながら、エルンは「本当かよ」と疑うようなことを言っ
てみた。

 この俄傭兵団は、食いつめたか別の事情のある冒険者を中心に結成された集団だ。今
回一連の仕事限りで解散という契約であるために仲間意識が薄い。初めに隊の募集をか
けた人間をとりあえず隊長と呼んでいるが、まだ歳若いこの男に例えば忠誠心のような
感情を持っている者はいない。

 彼も普段は冒険者だが、金に余裕があるときにこうして人数を集めて戦争に参加する
のが楽しみの一つなのだそうだ。なんとも趣味の悪い道楽だが、仕事にひどい失敗をし
て以来、評判が芳しくないエルンとしては、その道楽に付き合うくらいしか貨を稼ぐ手
段がなかった。エディウス内乱と今回で、二度目の参加になる。

「じゃあ、俺が何て言ったか覚えてるか?」

「えーっと、何だっけ。昨日の夜のこと?
 星落としは凄かったねー。ずずずず、どかーんっ」

「聞いてねぇじゃん……まぁ、文句言っても仕方ない。
 すごいってか、昨夜はひどい戦いだったな」

 エルンの言に相手は首を傾げた。

「一方的に殴らないと、奇襲の意味ってなくなぁい?」

「そういう意味じゃない。城壁をぶち壊し五倍の兵で突入したってのに、こっちの被害
も変に大きかったってことだ。敵の大将が十人斬りしたから殺さないととめられなかっ
たんだとか、悪魔にやられて小隊単位で全滅したんだとか――不気味な噂も立ってる」

「あー、見たよ、綺麗なおねーさん。戦乙女。
 戦争やってるとたまぁに会えるんだよね。縁起ものー」

「縁起よくないだろ。
 ガルドゼンド側の騎士と結託してたって話だし」

「結託かなぁー? しょんぼりしてたからつい助けちゃったのかも。
 あのこ結局、捕まらなかったんだってさ。あの一門は味方につけたかったのにって、
上の人が悔しがってたよ。何でも、前王家時代には大公だったお家柄だってー」

 けらけらと暢気な笑い声。
 天幕の布地に影が差し、固い声でお呼びがかかった。「隊長殿は居られるか?」
 談笑中断。入り口での短い会話の後、連絡係を見送って天幕の奥へ戻った青年は、整
備を終えた弩に矢を番えて動作を確かめながら、切れ長の目をエルンに向けた。

「出発は明後日の早朝だから、みんなが帰ってきたら準備するように言っといてね。
 目的地はアナウアって言ってたから、たぶんあそこを陥としてからブライトクロイツ
に抜けて、レットシュタインに拠点を確保して……ってところかなぁ」

 エルンが脳裏の地図でその経路を確認する間に相手はさっさと弩を片付けて、「ぼく
もう寝るー」と、天幕の隅で毛布と外套をぽふぽふやって寝床をつくり始めた。

「おやすみなさーい。あとよろしく」

「はいはいおやすみ坊主。いい夢見ろよ」


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こばやんの本編補足コーナー!

○前回、クオドが単独で行動していたのは何故?
 →隕石落下シーンから次の登場までに、アプラウトの兵隊が全滅していたため。

○ヒュッテ砦近辺の地形は?
 →見晴らしのいい平野。数km離れれば森もあるらしい。

○NPC多くない?
 →なんのことかなー?

2007/08/24 01:53 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ
ファランクス・ナイト・ショウ  10/ヒルデ(みる)
登場:クオド、ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
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 愛馬クリノを駆り、街道から少し離れた森の中の獣道を行く。
 1人用の鞍には今無理やり2人の人間が座っている。本来の使用者であるヒルデと、妙な偶然から行動を共にすることになったアプラウトの騎士、クオド。

 大きく人の手が入った街道と違い、こちらの路にはあちこちから張り出した木の根が秩序だっているとはけしていえない状態でのたくり、また舞い落ちた枯葉がそれを覆い隠して道行きを困難にしている。だが、ヒルデは自分の相棒に全幅の信頼を寄せていた。クリノならば、馬上からいちいち指示を出さずともこの程度問題なく駆け抜けてくれるだろう。

 ――何故、あの時助けてしまったのだろう。

 今、ヒルデの心を占めているのはここに至った経緯。どうして、今自分はこんな事をしているのかがどうしても理解できなかった。
 そして、今ヒルデはどうしてもやらなければいけないという程重要な事もない。
 気が付けば、心の疑念を晴らすべくここ数時間の回想をしていた。

 そう、本格的に歯車がズレ始めたのはあの時から――

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

「ごめんなさい、後でまた」

「おい?」

 激しい剣戟の音に弾かれたように走りだしたその時はまだ名も知らぬ騎士。振り返るその横顔には二つの大きな感情が渦巻いていた。――こんな事をしている場合ではなかったという後悔と、まだ間に合うかという焦燥。そう、最初に間違えたのはここだ。後々の事を考えるのならば、ここで彼とは行動を分かつべきだったのだ。だというのに、走り去る彼の様子に危なっかしいものを感じてつい後を追ってしまった。

 走って走ってようやく辿りついた戦場では既に勝負は決しようとしていた。けして浅くない傷を負いただ1人立つ隻眼の騎士が1人、そしてそれをうち倒さんと囲む兵士達。決着は誰の目にも見て明らかで、ここで踵を返したり降伏したりしたとしても私はそれを咎めようとは思わなかっただろう。だが、少し前を走る騎士はそのどちらも選ばなかった。

 戦いに於いて、数は力だ。なんらかの特殊攻撃でも無い限り、白兵戦で1人が多数を圧倒することは不可能に近い。実際、突っ込んで行ったクオドに四方から刃が突きつけられるまでに1分と掛からなかった。

「……まさか一人で突っ込んでくる馬鹿がいるなんて」

 まったくその通りだ。100%勝ち目のない状況で戦いを挑むのは勇気ではなくてただの無謀。そんな状況判断も出来ない者に英雄たる資格などない。あった所でどこかで命の掛け所を間違えて無駄死にするのがオチだ。

 ――そんな事は、考えるまでもなく分かっているハズだったのに。

「"槍"よッ!」

 気がつけば、自分の内在に働きかけて力を放っていた。精霊達に語りかけて顕現する力とは違う、ヒルデ自身が持つ特殊能力。ノータイムで出るそれは大きめの石をそれなりのスピードでぶつけたくらいの衝撃しか与えないが、体勢を崩すには十分だ。
 力を放った直後、とっさの自分の行動に絶望するが器から零れてしまった水はもう戻らない。実際、奇襲を受けたティグラハットの兵達は自分を敵と認識したし、そして私はこんな所で死ぬわけにはいかなかったのだから。

 結局その場にいる兵士を半分くらい打ち倒し、半ば無理やりクオドを引きずって撤退しようとする。だが、思ったよりも強い力で彼はその場に残ろうとした。

「テオバルドさんを助けないと」

 覗き込んだ青い瞳に強い意志を感じて、説得は諦めた。他人の為に自分の命を張る事をなんとも思っていない目。説得材料である身の危険という言葉は通用しないし、そもそも説得する時間もない。そしてここが第二の分かれ目だった。引く事に集中すれば、自分だけなら逃げ切れる。

 その時思い出したのは仲間を見捨てて真っ先に逃げだす臆病者の姿。そしてその時の自分の心境。なんとなく、ここで逃げたら自分がアイツと変わらない気がした。

「……仕方がないな。ゆくぞ!」

 後はもう流れに流されていただけだ。風の精霊を呼び出し飛礫避けの加護を受け飛んでくる矢を無力化し、突っこんでなんとかその場にいる前衛を倒し、3人でその場を離れる。地の精霊に頼んで作ってもらった道を通り裏庭へ。彼らに頼めば、石の壁に少しの間穴を空けるくらい造作もない事だ。後は裏門から外へ出るだけ。だが、そこにも敵はいた。……予想できた事だが。

「ここは俺に任せてとっとと脱出しろ」

「でも」

 テオバルドの発言に、何か抗弁しようとするクオド。それはそうだ。ここに残るという事は、死ぬか捕虜になるかのどちらか。いや、時間を稼ぐという目的がある以上捕虜という選択肢も存在しえない。完全に逃げ切る為には、より多くの時間があった方がいいのだから。

「自分の仕事を考えろ、クオド・エラト・デモンストランダム!ここで2人して残って何の意味がある!」

「それは……」

「こういう時に残るのは年寄りの仕事って決まってるもんだ。それに俺はここを預かる身だしな」

「……」

 そう言ってクオドを諭すテオバルドの目は、今が戦闘中だとは思えない程優しい光を湛えていた。なんというか、甥を見る叔父の目というか。2人の見た目からの年齢差を考えると、まさにそんな心境だったのかもしれない。

「貴公に我が父の加護があらんことを、テオバルド卿。もっと早くに出会えていればよかったのだが」

 人の体に宿る生命の精霊に働き掛けて、全身の傷を治癒する。これでしばらく戦い続ける事はできるだろうし、上手くすれば逃げる機会が生まれるかもしれない。……そんな奇跡は起こりえないと分かっていても、そうやって自分の心を誤魔化していなければ大切な何かが崩れてしまいそうだった。

「戦乙女様にそう言ってもらえるとは光栄だ。さ、後の事は俺に任せて行った行った」

 そう言ってぐるんぐるんと肩を回す。完全に覚悟完了しているのか、その表情に迷いは感じられない。

「……テオバルドさんも、どうかご無事で」

 俯き気味に言う声には力が無い。もっとも、ここで元気よく言えるような人間は大切な何かを無くしてしまっているのかもしれないが。

「ヴィオラに、よろしくな」

 最後にそう言い残して、隻眼の騎士は敵に向かって突っ込んでいく。迎え撃つ彼らの横をすり抜けて、不可視の外套を纏った2人は辛くも砦の外へと脱出する事に成功した。

「……レットシュタインに帰らないと」

「ふむ……ならば、足が必要だな。アテがある。私に付いて来い」

「え、でも……」

「いいから来い!それとも徒歩でレットシュタインを目指すとでも?戦場では情報の伝達が命だ。早ければ早いほど良い。そのくらいは貴公も分かっているだろう」

 これ以上の口論は時間の無駄。そう判断したから、言うだけ言ってさっさと相棒の所を目指す事にした。付いて来ないならその時はその時だ。元より、そこまで面倒を見る義理はないのだから。
 結局、戸惑いをけしきれないようではあるがクオドは私の後を付いて来る道を選んだ。それを横目で確認した時、何故か何かが落ち着くような情動が胸のうちに感じられた。
 ……分からない。あの時の私は、何故そんな感情を抱いたのだろうか。

「少し待ってくれ。準備を整える」

 何か不測の事態――例えば今のような――があってもいいように荷物は大体纏めてあったが、彼を連れてレットシュタインを目指すとすればどうしても越えなければならない難関が1つあった。

《随分と慌しいな。何があったヒルデ》

 纏めてあった荷物を積みながら、愛馬たるクリノと言葉を交わす。使える者が限られている特殊な言語ゆえに、恐らくクオドには理解できていなかったハズだ。

《クリノ、悪いが今は詳細を説明している暇がない。それよりも1つ頼みを聞いて欲しいのだが》

《それはそこに佇む子供に関わる事か?お前が求める英雄とはまた遠そうなガキだが》

《……そうだ。私と彼をお前の背に乗せ、駆けて欲しい。少なくとも、もう一頭馬を調達するまでは》

《俺は背に男を乗せるのは好かない。それを承知の上で言っているんだろうな》

「あの。やはり私は、ここで……」

 相棒との会話が聞こえたはずもないが、タイミング良くクオド自身も別行動を提案しようとする。ああもう、どいつもこいつも状況を省みずに我侭ばかりを言う……!!

「お前が歩いてレットシュタインに付く頃にはティグラハット軍はどこまで攻め入っているだろうな。馬もない、金もないお前があそこまで辿り着くのにどれほど掛かる?下手したら辿り着けないかもしれないな。それでは、体を張ってお前を逃がしたテオバルド卿の立場はどうなる?彼の死を……彼の死を、無駄にする気か」

 今冷静に考えれば、一番状況を省みていないのは私だった。もともと私はガルドゼンドとはまったくなんの関係もない通りすがりで、私が起こっている戦に介入するとしたらそれは守護する英雄が決まっている時のみ。それを弁えているからこそあの時クオドもクリノもここで分かれるべきだと考えた。それはとても正しい事だ。
 恐らく、あの時の私はあの場にいた誰よりもテオバルド卿の死に引きずられていたのだろう。砦を無事脱出する為に彼を犠牲にしてしまったという負い目、故にこそ彼の遺志を無駄にしてはいけないという使命感を持ってしまったのだと、今だからこそ思える。

《どうやら、またいつもの理由らしいな。だが、それだけでは納得できん》

《……彼はレットシュタインに帰ると言った。恐らくはアプラウトの騎士なのだろう。ここで恩を売っておけばのちのち生きる事もあるハズだ》

《結構。お前にアイツを利用する覚悟があると言うのなら我慢の1つもしてやろう。我々にとって利のある話だからな》

「話は纏まったな。では私の後ろに乗れ。……?」

「?」

 馬に跨り、不意に言葉を詰まらせた私を不思議そうに見上げる彼の視線が感じられる。その目を、昔どこかで感じたような……いや、今はそれどころではない。

「いや、まだ名前を聞いていなかったな。我が名はラインヒルデ、ヴォータンの娘。貴公は?」

「クオド・エラト・デモンストランダム――アプラウトの騎士、です」

「結構。ではクオド、私の後ろに跨れ。まずは近くの村なり街なりで馬を確保する。いくぞ!」

 そして、この珍妙な旅は始まったのだ。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

《おい、ヒルデ。いい加減意識をこちらに戻せ。もうすぐ街が見えるぞ》

《あ、あぁ。済まない》

 時間はもはや深夜過ぎ。砦の近くで野営するのが危険だったとはいえ、流石にヒルデもクオドも疲労の色を隠しきれていなかった。戦闘による肉体的疲労、負け戦による精神的疲労に加えて、この寒空の下で数時間に渡る強行軍を行ったのだから当然と言えば当然だ。

《ったく、こんな事ならあの時の雌馬ちゃんにもっとしっかり粉掛けときゃよかったぜ》

《雌馬?》

《お前達が来るちょっと前にな、なかなかの上玉だったぜ。綺麗な葦毛をしててよ、ちょっと気の強そうな所がまた。あれは上手く気を乗せてやれば良い走りっぷりを見せてくれそうだったな。ちょうど前を走ってるあの馬みたいな……お?》

「カッツェ君?」

 クリノが驚きの声を上げるのとほぼ同時にクオドも呼びかけるような声を上げる。

「……クオドさま、なんですか?」

 先行する向こうも速度を緩めたのか、2匹の馬はすぐに距離を詰め並んで歩き始める。葦毛の馬を駆る人物は、まるで今にも泣きそうな顔をしていた。

            ―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―

 ヒルデ達がヒュッテ砦を脱出する少し前、砦裏門そばの立ち木の中にて

《ったく、ヒルデは何やってんだ。また何か面倒ごとに巻き込まれてるんじゃねぇだろうなぁ》

 木立の中に身を隠しながら、ブチブチと1人ごちる馬が一頭。栗色の毛に銀製の馬具を輝かせる立派な軍馬だが、その背に乗せるべき主は今ここにはいない。そして、その主が単身潜入していったヒュッテ砦は今赤々と燃え上がり夜闇の中で存在を主張している。先ほどの轟音と衝撃も併せて、並々ならぬ事が起きているのは明らかだった。

 ヒィンという嘶き。思ったよりも近くで聞こえたそれに注意を傾けると、その直後に「静かにしろ!」という人間の声も聞こえてきた。声の調子からしてまだ若い。

 雰囲気からして、どうやら砦から抜け出してきたらしかった。装飾の少ない実戦仕様の馬具に身を包んだ葦毛の美女。声の調子や立ち振る舞いから気位が高いのが伺える。――なかなかに好みのタイプだ。

 どうやらこちらに気づいているらしかった。美女の誘いを断るなんて無粋な真似はできないので、こちらも軽く嘶いて返事をする。人間にはシンシアと呼ばれているようだが、果たして彼女がそれを気に入っているかはわからなかったので名前には触れなかった。乗り手と意思の疎通ができる馬なんてそうはいない。俺と主が例外なのだ。

 数言、言葉を交わす。どうやらこれからどうするかを迷っていたらしい。俺と同様に本来の主(彼女は持ち物だと言っていたが)はまだあの砦の中で、探しにいくか今の背の主に従うか。もっとも、背に乗るオスガキはどうにも煮えきっていないようだったが。まったく勿体無い。

 結局、ここからは離れた方がいいという俺の提案を受け入れて先に進む事にしたようだ。残念だが、ここに彼女が留まった所でできる事は限られているしここで彼女が死んでしまうのは全世界の喪失だ。

「うわっ!?」

 驚きの声を上げるガキを尻目に北へと走り去っていく。少し話した感じでは道に迷いそうなタイプには見えなかった。上手く本来の主と合流できるといいのだが。

 そしてまたしばらく時間は流れる。暇つぶしにそこらへんの木を突付いていたら穴だらけになってしまった。スマン木よ、ちゃんと埋め合わせはするから許してくれ。

「少し待ってくれ。準備を整える」

 おっと、ようやく我が主様のご到着だ。なんかもう1人余計なおまけがついてるみたいだが……いい加減退屈していた所だ。ようやくちゃんと体を動かせそうな気配に言い知れぬ喜びを感じながら、とりあえずはヒルデがどう不器用に言い訳してくれるかを楽しむ事にした。
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2007/08/24 02:01 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ

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