登場:クオド、ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
--------------------------------------------------------------------------
愛馬クリノを駆り、街道から少し離れた森の中の獣道を行く。
1人用の鞍には今無理やり2人の人間が座っている。本来の使用者であるヒルデと、妙な偶然から行動を共にすることになったアプラウトの騎士、クオド。
大きく人の手が入った街道と違い、こちらの路にはあちこちから張り出した木の根が秩序だっているとはけしていえない状態でのたくり、また舞い落ちた枯葉がそれを覆い隠して道行きを困難にしている。だが、ヒルデは自分の相棒に全幅の信頼を寄せていた。クリノならば、馬上からいちいち指示を出さずともこの程度問題なく駆け抜けてくれるだろう。
――何故、あの時助けてしまったのだろう。
今、ヒルデの心を占めているのはここに至った経緯。どうして、今自分はこんな事をしているのかがどうしても理解できなかった。
そして、今ヒルデはどうしてもやらなければいけないという程重要な事もない。
気が付けば、心の疑念を晴らすべくここ数時間の回想をしていた。
そう、本格的に歯車がズレ始めたのはあの時から――
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
「ごめんなさい、後でまた」
「おい?」
激しい剣戟の音に弾かれたように走りだしたその時はまだ名も知らぬ騎士。振り返るその横顔には二つの大きな感情が渦巻いていた。――こんな事をしている場合ではなかったという後悔と、まだ間に合うかという焦燥。そう、最初に間違えたのはここだ。後々の事を考えるのならば、ここで彼とは行動を分かつべきだったのだ。だというのに、走り去る彼の様子に危なっかしいものを感じてつい後を追ってしまった。
走って走ってようやく辿りついた戦場では既に勝負は決しようとしていた。けして浅くない傷を負いただ1人立つ隻眼の騎士が1人、そしてそれをうち倒さんと囲む兵士達。決着は誰の目にも見て明らかで、ここで踵を返したり降伏したりしたとしても私はそれを咎めようとは思わなかっただろう。だが、少し前を走る騎士はそのどちらも選ばなかった。
戦いに於いて、数は力だ。なんらかの特殊攻撃でも無い限り、白兵戦で1人が多数を圧倒することは不可能に近い。実際、突っ込んで行ったクオドに四方から刃が突きつけられるまでに1分と掛からなかった。
「……まさか一人で突っ込んでくる馬鹿がいるなんて」
まったくその通りだ。100%勝ち目のない状況で戦いを挑むのは勇気ではなくてただの無謀。そんな状況判断も出来ない者に英雄たる資格などない。あった所でどこかで命の掛け所を間違えて無駄死にするのがオチだ。
――そんな事は、考えるまでもなく分かっているハズだったのに。
「"槍"よッ!」
気がつけば、自分の内在に働きかけて力を放っていた。精霊達に語りかけて顕現する力とは違う、ヒルデ自身が持つ特殊能力。ノータイムで出るそれは大きめの石をそれなりのスピードでぶつけたくらいの衝撃しか与えないが、体勢を崩すには十分だ。
力を放った直後、とっさの自分の行動に絶望するが器から零れてしまった水はもう戻らない。実際、奇襲を受けたティグラハットの兵達は自分を敵と認識したし、そして私はこんな所で死ぬわけにはいかなかったのだから。
結局その場にいる兵士を半分くらい打ち倒し、半ば無理やりクオドを引きずって撤退しようとする。だが、思ったよりも強い力で彼はその場に残ろうとした。
「テオバルドさんを助けないと」
覗き込んだ青い瞳に強い意志を感じて、説得は諦めた。他人の為に自分の命を張る事をなんとも思っていない目。説得材料である身の危険という言葉は通用しないし、そもそも説得する時間もない。そしてここが第二の分かれ目だった。引く事に集中すれば、自分だけなら逃げ切れる。
その時思い出したのは仲間を見捨てて真っ先に逃げだす臆病者の姿。そしてその時の自分の心境。なんとなく、ここで逃げたら自分がアイツと変わらない気がした。
「……仕方がないな。ゆくぞ!」
後はもう流れに流されていただけだ。風の精霊を呼び出し飛礫避けの加護を受け飛んでくる矢を無力化し、突っこんでなんとかその場にいる前衛を倒し、3人でその場を離れる。地の精霊に頼んで作ってもらった道を通り裏庭へ。彼らに頼めば、石の壁に少しの間穴を空けるくらい造作もない事だ。後は裏門から外へ出るだけ。だが、そこにも敵はいた。……予想できた事だが。
「ここは俺に任せてとっとと脱出しろ」
「でも」
テオバルドの発言に、何か抗弁しようとするクオド。それはそうだ。ここに残るという事は、死ぬか捕虜になるかのどちらか。いや、時間を稼ぐという目的がある以上捕虜という選択肢も存在しえない。完全に逃げ切る為には、より多くの時間があった方がいいのだから。
「自分の仕事を考えろ、クオド・エラト・デモンストランダム!ここで2人して残って何の意味がある!」
「それは……」
「こういう時に残るのは年寄りの仕事って決まってるもんだ。それに俺はここを預かる身だしな」
「……」
そう言ってクオドを諭すテオバルドの目は、今が戦闘中だとは思えない程優しい光を湛えていた。なんというか、甥を見る叔父の目というか。2人の見た目からの年齢差を考えると、まさにそんな心境だったのかもしれない。
「貴公に我が父の加護があらんことを、テオバルド卿。もっと早くに出会えていればよかったのだが」
人の体に宿る生命の精霊に働き掛けて、全身の傷を治癒する。これでしばらく戦い続ける事はできるだろうし、上手くすれば逃げる機会が生まれるかもしれない。……そんな奇跡は起こりえないと分かっていても、そうやって自分の心を誤魔化していなければ大切な何かが崩れてしまいそうだった。
「戦乙女様にそう言ってもらえるとは光栄だ。さ、後の事は俺に任せて行った行った」
そう言ってぐるんぐるんと肩を回す。完全に覚悟完了しているのか、その表情に迷いは感じられない。
「……テオバルドさんも、どうかご無事で」
俯き気味に言う声には力が無い。もっとも、ここで元気よく言えるような人間は大切な何かを無くしてしまっているのかもしれないが。
「ヴィオラに、よろしくな」
最後にそう言い残して、隻眼の騎士は敵に向かって突っ込んでいく。迎え撃つ彼らの横をすり抜けて、不可視の外套を纏った2人は辛くも砦の外へと脱出する事に成功した。
「……レットシュタインに帰らないと」
「ふむ……ならば、足が必要だな。アテがある。私に付いて来い」
「え、でも……」
「いいから来い!それとも徒歩でレットシュタインを目指すとでも?戦場では情報の伝達が命だ。早ければ早いほど良い。そのくらいは貴公も分かっているだろう」
これ以上の口論は時間の無駄。そう判断したから、言うだけ言ってさっさと相棒の所を目指す事にした。付いて来ないならその時はその時だ。元より、そこまで面倒を見る義理はないのだから。
結局、戸惑いをけしきれないようではあるがクオドは私の後を付いて来る道を選んだ。それを横目で確認した時、何故か何かが落ち着くような情動が胸のうちに感じられた。
……分からない。あの時の私は、何故そんな感情を抱いたのだろうか。
「少し待ってくれ。準備を整える」
何か不測の事態――例えば今のような――があってもいいように荷物は大体纏めてあったが、彼を連れてレットシュタインを目指すとすればどうしても越えなければならない難関が1つあった。
《随分と慌しいな。何があったヒルデ》
纏めてあった荷物を積みながら、愛馬たるクリノと言葉を交わす。使える者が限られている特殊な言語ゆえに、恐らくクオドには理解できていなかったハズだ。
《クリノ、悪いが今は詳細を説明している暇がない。それよりも1つ頼みを聞いて欲しいのだが》
《それはそこに佇む子供に関わる事か?お前が求める英雄とはまた遠そうなガキだが》
《……そうだ。私と彼をお前の背に乗せ、駆けて欲しい。少なくとも、もう一頭馬を調達するまでは》
《俺は背に男を乗せるのは好かない。それを承知の上で言っているんだろうな》
「あの。やはり私は、ここで……」
相棒との会話が聞こえたはずもないが、タイミング良くクオド自身も別行動を提案しようとする。ああもう、どいつもこいつも状況を省みずに我侭ばかりを言う……!!
「お前が歩いてレットシュタインに付く頃にはティグラハット軍はどこまで攻め入っているだろうな。馬もない、金もないお前があそこまで辿り着くのにどれほど掛かる?下手したら辿り着けないかもしれないな。それでは、体を張ってお前を逃がしたテオバルド卿の立場はどうなる?彼の死を……彼の死を、無駄にする気か」
今冷静に考えれば、一番状況を省みていないのは私だった。もともと私はガルドゼンドとはまったくなんの関係もない通りすがりで、私が起こっている戦に介入するとしたらそれは守護する英雄が決まっている時のみ。それを弁えているからこそあの時クオドもクリノもここで分かれるべきだと考えた。それはとても正しい事だ。
恐らく、あの時の私はあの場にいた誰よりもテオバルド卿の死に引きずられていたのだろう。砦を無事脱出する為に彼を犠牲にしてしまったという負い目、故にこそ彼の遺志を無駄にしてはいけないという使命感を持ってしまったのだと、今だからこそ思える。
《どうやら、またいつもの理由らしいな。だが、それだけでは納得できん》
《……彼はレットシュタインに帰ると言った。恐らくはアプラウトの騎士なのだろう。ここで恩を売っておけばのちのち生きる事もあるハズだ》
《結構。お前にアイツを利用する覚悟があると言うのなら我慢の1つもしてやろう。我々にとって利のある話だからな》
「話は纏まったな。では私の後ろに乗れ。……?」
「?」
馬に跨り、不意に言葉を詰まらせた私を不思議そうに見上げる彼の視線が感じられる。その目を、昔どこかで感じたような……いや、今はそれどころではない。
「いや、まだ名前を聞いていなかったな。我が名はラインヒルデ、ヴォータンの娘。貴公は?」
「クオド・エラト・デモンストランダム――アプラウトの騎士、です」
「結構。ではクオド、私の後ろに跨れ。まずは近くの村なり街なりで馬を確保する。いくぞ!」
そして、この珍妙な旅は始まったのだ。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
《おい、ヒルデ。いい加減意識をこちらに戻せ。もうすぐ街が見えるぞ》
《あ、あぁ。済まない》
時間はもはや深夜過ぎ。砦の近くで野営するのが危険だったとはいえ、流石にヒルデもクオドも疲労の色を隠しきれていなかった。戦闘による肉体的疲労、負け戦による精神的疲労に加えて、この寒空の下で数時間に渡る強行軍を行ったのだから当然と言えば当然だ。
《ったく、こんな事ならあの時の雌馬ちゃんにもっとしっかり粉掛けときゃよかったぜ》
《雌馬?》
《お前達が来るちょっと前にな、なかなかの上玉だったぜ。綺麗な葦毛をしててよ、ちょっと気の強そうな所がまた。あれは上手く気を乗せてやれば良い走りっぷりを見せてくれそうだったな。ちょうど前を走ってるあの馬みたいな……お?》
「カッツェ君?」
クリノが驚きの声を上げるのとほぼ同時にクオドも呼びかけるような声を上げる。
「……クオドさま、なんですか?」
先行する向こうも速度を緩めたのか、2匹の馬はすぐに距離を詰め並んで歩き始める。葦毛の馬を駆る人物は、まるで今にも泣きそうな顔をしていた。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
ヒルデ達がヒュッテ砦を脱出する少し前、砦裏門そばの立ち木の中にて
《ったく、ヒルデは何やってんだ。また何か面倒ごとに巻き込まれてるんじゃねぇだろうなぁ》
木立の中に身を隠しながら、ブチブチと1人ごちる馬が一頭。栗色の毛に銀製の馬具を輝かせる立派な軍馬だが、その背に乗せるべき主は今ここにはいない。そして、その主が単身潜入していったヒュッテ砦は今赤々と燃え上がり夜闇の中で存在を主張している。先ほどの轟音と衝撃も併せて、並々ならぬ事が起きているのは明らかだった。
ヒィンという嘶き。思ったよりも近くで聞こえたそれに注意を傾けると、その直後に「静かにしろ!」という人間の声も聞こえてきた。声の調子からしてまだ若い。
雰囲気からして、どうやら砦から抜け出してきたらしかった。装飾の少ない実戦仕様の馬具に身を包んだ葦毛の美女。声の調子や立ち振る舞いから気位が高いのが伺える。――なかなかに好みのタイプだ。
どうやらこちらに気づいているらしかった。美女の誘いを断るなんて無粋な真似はできないので、こちらも軽く嘶いて返事をする。人間にはシンシアと呼ばれているようだが、果たして彼女がそれを気に入っているかはわからなかったので名前には触れなかった。乗り手と意思の疎通ができる馬なんてそうはいない。俺と主が例外なのだ。
数言、言葉を交わす。どうやらこれからどうするかを迷っていたらしい。俺と同様に本来の主(彼女は持ち物だと言っていたが)はまだあの砦の中で、探しにいくか今の背の主に従うか。もっとも、背に乗るオスガキはどうにも煮えきっていないようだったが。まったく勿体無い。
結局、ここからは離れた方がいいという俺の提案を受け入れて先に進む事にしたようだ。残念だが、ここに彼女が留まった所でできる事は限られているしここで彼女が死んでしまうのは全世界の喪失だ。
「うわっ!?」
驚きの声を上げるガキを尻目に北へと走り去っていく。少し話した感じでは道に迷いそうなタイプには見えなかった。上手く本来の主と合流できるといいのだが。
そしてまたしばらく時間は流れる。暇つぶしにそこらへんの木を突付いていたら穴だらけになってしまった。スマン木よ、ちゃんと埋め合わせはするから許してくれ。
「少し待ってくれ。準備を整える」
おっと、ようやく我が主様のご到着だ。なんかもう1人余計なおまけがついてるみたいだが……いい加減退屈していた所だ。ようやくちゃんと体を動かせそうな気配に言い知れぬ喜びを感じながら、とりあえずはヒルデがどう不器用に言い訳してくれるかを楽しむ事にした。
--------------------------------------------------------------------------------
場所:ガルドゼンド国内
--------------------------------------------------------------------------
愛馬クリノを駆り、街道から少し離れた森の中の獣道を行く。
1人用の鞍には今無理やり2人の人間が座っている。本来の使用者であるヒルデと、妙な偶然から行動を共にすることになったアプラウトの騎士、クオド。
大きく人の手が入った街道と違い、こちらの路にはあちこちから張り出した木の根が秩序だっているとはけしていえない状態でのたくり、また舞い落ちた枯葉がそれを覆い隠して道行きを困難にしている。だが、ヒルデは自分の相棒に全幅の信頼を寄せていた。クリノならば、馬上からいちいち指示を出さずともこの程度問題なく駆け抜けてくれるだろう。
――何故、あの時助けてしまったのだろう。
今、ヒルデの心を占めているのはここに至った経緯。どうして、今自分はこんな事をしているのかがどうしても理解できなかった。
そして、今ヒルデはどうしてもやらなければいけないという程重要な事もない。
気が付けば、心の疑念を晴らすべくここ数時間の回想をしていた。
そう、本格的に歯車がズレ始めたのはあの時から――
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
「ごめんなさい、後でまた」
「おい?」
激しい剣戟の音に弾かれたように走りだしたその時はまだ名も知らぬ騎士。振り返るその横顔には二つの大きな感情が渦巻いていた。――こんな事をしている場合ではなかったという後悔と、まだ間に合うかという焦燥。そう、最初に間違えたのはここだ。後々の事を考えるのならば、ここで彼とは行動を分かつべきだったのだ。だというのに、走り去る彼の様子に危なっかしいものを感じてつい後を追ってしまった。
走って走ってようやく辿りついた戦場では既に勝負は決しようとしていた。けして浅くない傷を負いただ1人立つ隻眼の騎士が1人、そしてそれをうち倒さんと囲む兵士達。決着は誰の目にも見て明らかで、ここで踵を返したり降伏したりしたとしても私はそれを咎めようとは思わなかっただろう。だが、少し前を走る騎士はそのどちらも選ばなかった。
戦いに於いて、数は力だ。なんらかの特殊攻撃でも無い限り、白兵戦で1人が多数を圧倒することは不可能に近い。実際、突っ込んで行ったクオドに四方から刃が突きつけられるまでに1分と掛からなかった。
「……まさか一人で突っ込んでくる馬鹿がいるなんて」
まったくその通りだ。100%勝ち目のない状況で戦いを挑むのは勇気ではなくてただの無謀。そんな状況判断も出来ない者に英雄たる資格などない。あった所でどこかで命の掛け所を間違えて無駄死にするのがオチだ。
――そんな事は、考えるまでもなく分かっているハズだったのに。
「"槍"よッ!」
気がつけば、自分の内在に働きかけて力を放っていた。精霊達に語りかけて顕現する力とは違う、ヒルデ自身が持つ特殊能力。ノータイムで出るそれは大きめの石をそれなりのスピードでぶつけたくらいの衝撃しか与えないが、体勢を崩すには十分だ。
力を放った直後、とっさの自分の行動に絶望するが器から零れてしまった水はもう戻らない。実際、奇襲を受けたティグラハットの兵達は自分を敵と認識したし、そして私はこんな所で死ぬわけにはいかなかったのだから。
結局その場にいる兵士を半分くらい打ち倒し、半ば無理やりクオドを引きずって撤退しようとする。だが、思ったよりも強い力で彼はその場に残ろうとした。
「テオバルドさんを助けないと」
覗き込んだ青い瞳に強い意志を感じて、説得は諦めた。他人の為に自分の命を張る事をなんとも思っていない目。説得材料である身の危険という言葉は通用しないし、そもそも説得する時間もない。そしてここが第二の分かれ目だった。引く事に集中すれば、自分だけなら逃げ切れる。
その時思い出したのは仲間を見捨てて真っ先に逃げだす臆病者の姿。そしてその時の自分の心境。なんとなく、ここで逃げたら自分がアイツと変わらない気がした。
「……仕方がないな。ゆくぞ!」
後はもう流れに流されていただけだ。風の精霊を呼び出し飛礫避けの加護を受け飛んでくる矢を無力化し、突っこんでなんとかその場にいる前衛を倒し、3人でその場を離れる。地の精霊に頼んで作ってもらった道を通り裏庭へ。彼らに頼めば、石の壁に少しの間穴を空けるくらい造作もない事だ。後は裏門から外へ出るだけ。だが、そこにも敵はいた。……予想できた事だが。
「ここは俺に任せてとっとと脱出しろ」
「でも」
テオバルドの発言に、何か抗弁しようとするクオド。それはそうだ。ここに残るという事は、死ぬか捕虜になるかのどちらか。いや、時間を稼ぐという目的がある以上捕虜という選択肢も存在しえない。完全に逃げ切る為には、より多くの時間があった方がいいのだから。
「自分の仕事を考えろ、クオド・エラト・デモンストランダム!ここで2人して残って何の意味がある!」
「それは……」
「こういう時に残るのは年寄りの仕事って決まってるもんだ。それに俺はここを預かる身だしな」
「……」
そう言ってクオドを諭すテオバルドの目は、今が戦闘中だとは思えない程優しい光を湛えていた。なんというか、甥を見る叔父の目というか。2人の見た目からの年齢差を考えると、まさにそんな心境だったのかもしれない。
「貴公に我が父の加護があらんことを、テオバルド卿。もっと早くに出会えていればよかったのだが」
人の体に宿る生命の精霊に働き掛けて、全身の傷を治癒する。これでしばらく戦い続ける事はできるだろうし、上手くすれば逃げる機会が生まれるかもしれない。……そんな奇跡は起こりえないと分かっていても、そうやって自分の心を誤魔化していなければ大切な何かが崩れてしまいそうだった。
「戦乙女様にそう言ってもらえるとは光栄だ。さ、後の事は俺に任せて行った行った」
そう言ってぐるんぐるんと肩を回す。完全に覚悟完了しているのか、その表情に迷いは感じられない。
「……テオバルドさんも、どうかご無事で」
俯き気味に言う声には力が無い。もっとも、ここで元気よく言えるような人間は大切な何かを無くしてしまっているのかもしれないが。
「ヴィオラに、よろしくな」
最後にそう言い残して、隻眼の騎士は敵に向かって突っ込んでいく。迎え撃つ彼らの横をすり抜けて、不可視の外套を纏った2人は辛くも砦の外へと脱出する事に成功した。
「……レットシュタインに帰らないと」
「ふむ……ならば、足が必要だな。アテがある。私に付いて来い」
「え、でも……」
「いいから来い!それとも徒歩でレットシュタインを目指すとでも?戦場では情報の伝達が命だ。早ければ早いほど良い。そのくらいは貴公も分かっているだろう」
これ以上の口論は時間の無駄。そう判断したから、言うだけ言ってさっさと相棒の所を目指す事にした。付いて来ないならその時はその時だ。元より、そこまで面倒を見る義理はないのだから。
結局、戸惑いをけしきれないようではあるがクオドは私の後を付いて来る道を選んだ。それを横目で確認した時、何故か何かが落ち着くような情動が胸のうちに感じられた。
……分からない。あの時の私は、何故そんな感情を抱いたのだろうか。
「少し待ってくれ。準備を整える」
何か不測の事態――例えば今のような――があってもいいように荷物は大体纏めてあったが、彼を連れてレットシュタインを目指すとすればどうしても越えなければならない難関が1つあった。
《随分と慌しいな。何があったヒルデ》
纏めてあった荷物を積みながら、愛馬たるクリノと言葉を交わす。使える者が限られている特殊な言語ゆえに、恐らくクオドには理解できていなかったハズだ。
《クリノ、悪いが今は詳細を説明している暇がない。それよりも1つ頼みを聞いて欲しいのだが》
《それはそこに佇む子供に関わる事か?お前が求める英雄とはまた遠そうなガキだが》
《……そうだ。私と彼をお前の背に乗せ、駆けて欲しい。少なくとも、もう一頭馬を調達するまでは》
《俺は背に男を乗せるのは好かない。それを承知の上で言っているんだろうな》
「あの。やはり私は、ここで……」
相棒との会話が聞こえたはずもないが、タイミング良くクオド自身も別行動を提案しようとする。ああもう、どいつもこいつも状況を省みずに我侭ばかりを言う……!!
「お前が歩いてレットシュタインに付く頃にはティグラハット軍はどこまで攻め入っているだろうな。馬もない、金もないお前があそこまで辿り着くのにどれほど掛かる?下手したら辿り着けないかもしれないな。それでは、体を張ってお前を逃がしたテオバルド卿の立場はどうなる?彼の死を……彼の死を、無駄にする気か」
今冷静に考えれば、一番状況を省みていないのは私だった。もともと私はガルドゼンドとはまったくなんの関係もない通りすがりで、私が起こっている戦に介入するとしたらそれは守護する英雄が決まっている時のみ。それを弁えているからこそあの時クオドもクリノもここで分かれるべきだと考えた。それはとても正しい事だ。
恐らく、あの時の私はあの場にいた誰よりもテオバルド卿の死に引きずられていたのだろう。砦を無事脱出する為に彼を犠牲にしてしまったという負い目、故にこそ彼の遺志を無駄にしてはいけないという使命感を持ってしまったのだと、今だからこそ思える。
《どうやら、またいつもの理由らしいな。だが、それだけでは納得できん》
《……彼はレットシュタインに帰ると言った。恐らくはアプラウトの騎士なのだろう。ここで恩を売っておけばのちのち生きる事もあるハズだ》
《結構。お前にアイツを利用する覚悟があると言うのなら我慢の1つもしてやろう。我々にとって利のある話だからな》
「話は纏まったな。では私の後ろに乗れ。……?」
「?」
馬に跨り、不意に言葉を詰まらせた私を不思議そうに見上げる彼の視線が感じられる。その目を、昔どこかで感じたような……いや、今はそれどころではない。
「いや、まだ名前を聞いていなかったな。我が名はラインヒルデ、ヴォータンの娘。貴公は?」
「クオド・エラト・デモンストランダム――アプラウトの騎士、です」
「結構。ではクオド、私の後ろに跨れ。まずは近くの村なり街なりで馬を確保する。いくぞ!」
そして、この珍妙な旅は始まったのだ。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
《おい、ヒルデ。いい加減意識をこちらに戻せ。もうすぐ街が見えるぞ》
《あ、あぁ。済まない》
時間はもはや深夜過ぎ。砦の近くで野営するのが危険だったとはいえ、流石にヒルデもクオドも疲労の色を隠しきれていなかった。戦闘による肉体的疲労、負け戦による精神的疲労に加えて、この寒空の下で数時間に渡る強行軍を行ったのだから当然と言えば当然だ。
《ったく、こんな事ならあの時の雌馬ちゃんにもっとしっかり粉掛けときゃよかったぜ》
《雌馬?》
《お前達が来るちょっと前にな、なかなかの上玉だったぜ。綺麗な葦毛をしててよ、ちょっと気の強そうな所がまた。あれは上手く気を乗せてやれば良い走りっぷりを見せてくれそうだったな。ちょうど前を走ってるあの馬みたいな……お?》
「カッツェ君?」
クリノが驚きの声を上げるのとほぼ同時にクオドも呼びかけるような声を上げる。
「……クオドさま、なんですか?」
先行する向こうも速度を緩めたのか、2匹の馬はすぐに距離を詰め並んで歩き始める。葦毛の馬を駆る人物は、まるで今にも泣きそうな顔をしていた。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
ヒルデ達がヒュッテ砦を脱出する少し前、砦裏門そばの立ち木の中にて
《ったく、ヒルデは何やってんだ。また何か面倒ごとに巻き込まれてるんじゃねぇだろうなぁ》
木立の中に身を隠しながら、ブチブチと1人ごちる馬が一頭。栗色の毛に銀製の馬具を輝かせる立派な軍馬だが、その背に乗せるべき主は今ここにはいない。そして、その主が単身潜入していったヒュッテ砦は今赤々と燃え上がり夜闇の中で存在を主張している。先ほどの轟音と衝撃も併せて、並々ならぬ事が起きているのは明らかだった。
ヒィンという嘶き。思ったよりも近くで聞こえたそれに注意を傾けると、その直後に「静かにしろ!」という人間の声も聞こえてきた。声の調子からしてまだ若い。
雰囲気からして、どうやら砦から抜け出してきたらしかった。装飾の少ない実戦仕様の馬具に身を包んだ葦毛の美女。声の調子や立ち振る舞いから気位が高いのが伺える。――なかなかに好みのタイプだ。
どうやらこちらに気づいているらしかった。美女の誘いを断るなんて無粋な真似はできないので、こちらも軽く嘶いて返事をする。人間にはシンシアと呼ばれているようだが、果たして彼女がそれを気に入っているかはわからなかったので名前には触れなかった。乗り手と意思の疎通ができる馬なんてそうはいない。俺と主が例外なのだ。
数言、言葉を交わす。どうやらこれからどうするかを迷っていたらしい。俺と同様に本来の主(彼女は持ち物だと言っていたが)はまだあの砦の中で、探しにいくか今の背の主に従うか。もっとも、背に乗るオスガキはどうにも煮えきっていないようだったが。まったく勿体無い。
結局、ここからは離れた方がいいという俺の提案を受け入れて先に進む事にしたようだ。残念だが、ここに彼女が留まった所でできる事は限られているしここで彼女が死んでしまうのは全世界の喪失だ。
「うわっ!?」
驚きの声を上げるガキを尻目に北へと走り去っていく。少し話した感じでは道に迷いそうなタイプには見えなかった。上手く本来の主と合流できるといいのだが。
そしてまたしばらく時間は流れる。暇つぶしにそこらへんの木を突付いていたら穴だらけになってしまった。スマン木よ、ちゃんと埋め合わせはするから許してくれ。
「少し待ってくれ。準備を整える」
おっと、ようやく我が主様のご到着だ。なんかもう1人余計なおまけがついてるみたいだが……いい加減退屈していた所だ。ようやくちゃんと体を動かせそうな気配に言い知れぬ喜びを感じながら、とりあえずはヒルデがどう不器用に言い訳してくれるかを楽しむ事にした。
--------------------------------------------------------------------------------
PR
トラックバック
トラックバックURL: