登場:ヒルデ、(クオド)
場所:ガルドゼンド -イェッセン伯領ヒュッテ砦
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――とりあえず、高い所を目指そう。
とある諺が頭をよぎるのを一生懸命否定しながら、ヒルデは城壁の上辺りに出る道を求めて砦の中を彷徨っていた。一応隕石が落ちる前に少しはうろうろしたので構造は大体把握しているつもりだが、何分砦の中は敵が簡単に攻め込めないように複雑な造りになっていて、なかなかに面倒くさい。加えて、ティグラハット軍の攻撃が思ったよりも激しく、かなり奥まで攻め込まれつつあるという事実が事態をいっそうややこしくしているのだ。
数箇所で起きていた戦闘をなんとかやり過ごし、ようやく辿りついた目的の階段の前で見覚えのある顔を見て、ヒルデは思わず立ち止まった。
何故か装いは一般兵のような軽装だが、リボンで封印してあるあの特徴的な剣は忘れようと思ってもなかなか忘れられる物ではない。軽装なのは敵襲に対応するために最低限の装備で打って出たからだろう。――つまりは、それだけ腕に自信があると言う事か。
声を掛けてみようか。一瞬、そんな益体も無い考えが頭の中に浮かぶ。即座に頭を振って否定した。――馬鹿馬鹿しい。大体、この状況でどうやって交渉すると言うのだ。
少し後ろ髪を惹かれているのを断ち切るようにヒルデは元来た方へと振り返った。ここの階段が使えない以上、城壁の上から脱出するのは諦めなくてはならない。
歩き出そうとしたその瞬間、背後から金属と金属がぶつかり合って響く鈍い音に紛れてボッという何がが燃えるような音が聞こえた気がした。本能の声に従って体を通路に対して平行にするのと、先ほどまでヒルデの半身があった部分を炎で作られた矢が通りぬけていくのがほぼ同時の事。
「つっ!」
ジュ、という嫌な音を立てて外套に一条の焦げ跡が残る。――後一瞬でも回避が遅ければ自分の腕がこうなっていた。そんな嫌な感触に冷や汗を掻く。
「そこにいるのは誰だ!」
術を放った魔術師本人から誰何の声があがったのはその直後の事だった。
石造りの廊下の上では、先ほどの炎の矢が着弾した所を中心にちょっとした火の海が出来上がっている。恐らくは直接騎士をどうこうする為というよりも退路を火で満たしてより戦い難くする為に術を調整していたのだろう。石畳の上でも燃える魔力の炎をわざわざ作り出すとは非常にご苦労な話ではあるが。
「仕方が無い、か」
溜息をひとつ吐いてヒルデは妖精の外套の術を解く。術者本人だけでなくある程度周りの空間までも隠匿してしまうこの術は、今の状況のように近くに何か変化があるとすぐにばれてしまうのが欠点だ。兜を脱いでおいたのが幸いしたのか災いしたのか、ティグラハットの兵士達は単純にヒルデをガルドゼンドの者だと思ったらしい。前衛の剣士達に護られた魔術師が次の呪文を唱え始める。未だ石畳の上の火は消えず、つまりは退路はない。
「援護は任せるぞ」
ちょうど一度距離を取った騎士の横をすり抜けて前にでる。「え?」と呟く声は予想に反してずいぶんと若々しかったが、今はそんな事に構っている余裕はない。
踏み込みながら抜いたフランベルクレイピアを片手に敵陣に切り込む。「"鎧"よっ!」声高に宣言した瞬間、閃光が辺りを包む。音を立てない為に着てこなかった鎧を呼び出す為に超局所的な空間転移が発生、その際に発生した余分なエネルギーが発光という形で辺りに発散されたのだ。
「くっ!」
ただの光とは言え、至近距離でそれを受けたティグラハットの兵士達は溜まったものではない。ほぼ反射的に目を庇おうとして、バランスを崩す。よろめいた所を盾で殴りつけて道を開け、呪文を唱えきる前に決着をつけようとヒルデは一気に後方の魔術師に向かってダッシュを掛けた。
「……be thousand arrow!!」
が、走りこみ攻撃を加える前に魔術師の呪文が完成する。両手の間に生み出された赤い玉は、呪文が簡単なワリには効果が大きく熟練の魔術師が使えば一発で大型の熊でも仕留めると名高いファイアーボールを彷彿とさせる。だが、こんな狭い場所で爆発系の呪文なぞ使った日には味方の前衛どころか術者自身も巻き込んで全てを吹き飛ばしてしまうだろう。
「――Sylph God breathe!」
僅かに聞こえた呪文を勘を頼りに、精霊に働きかけ術を発動させた。神の一息は一瞬だけ凄く強力な風を吹かせる術だ。電撃を飛ばす術等には効果がないが、先ほどのように炎の矢を飛ばす魔法ならばこれでも十分対処は可能なハズ。
果たして、ヒルデが精霊に声を届かせるのとほぼ同じタイミングで魔術師の手の中の赤い玉は分裂し、無数の炎の矢となってヒルデへとその牙を剥いた。それに併せるように吹く強力な横風。方向を変えた矢に自らの手を焼かれ、魔術師が声にならない悲鳴を上げる。
「ハァァァァァァァッ!」
持続時間の短い神の一息では防ぎきれなかった炎の矢を迎え撃つように盾を突き出し、そのまま魔術師の体に叩きつける。鞣された皮革コゲる嫌な臭いが広がると同時に、そのまま魂が口から出て行くのではないかと思うくらいに激しい魔術師の絶叫とジュウウウという嫌な音が狭い廊下に木霊した。
持ち手に熱が回る前に盾を投げ捨て、擦り抜けて来た前衛2人の方へと振り返る。1人は騎士と真っ向から斬り合い、もう1人はまさにこちらに向かって剣を振り上げた所だった。「ッ!」腕の長さをフルに使って振り下ろされた剣に対してヒルデは左肩を内側に引き込むように構え、自分からぶつけに行く事で対応した。ギャィンという耳障りな音に顔を顰めながら右手のレイピアを構える。振り下ろした剣を外側に弾かれた格好となったティグラハット軍の戦士は左手の盾で体を護ろうとするが、全力攻撃をした直後なのが災いして間に合わず、なす術も無く貫かれた傷から持てる命を全て噴き出して倒れ伏した。
そして、瞬間的に目の前を遮る真っ赤なカーテンの隙間から、向こうの勝負も決着がついたのが見える。とりあえず近場の敵は一時的にとはいえ居なくなったのを確認して、ヒルデは肩の力を抜いた。
――さて、なんと声を掛けたものか。私は怪しいものじゃない、とか中々の腕前だな、とか意味があるんだかないんだかよく分からない言葉が頭の中を駆け巡るが一向に口をついて出ない。結局、相手の対応に困ったような顔に居たたまれなくなって飛び出した言葉は「二日ぶりだな」という、本当に意味があるのかないのかよく分からない言葉だった。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
ヒュッテ砦攻防戦から数日後、ガルドゼンド国内某所にて
真昼間の人が少ない酒場で、2人の男が話をしている。というよりも、1人の男が勝手に知っていることを捲し立てて、もう1人が相槌を打つという感じではあるが。
「知ってるか?ティグラハットの連中がまた反乱を起こしたらしいゼ」
最近の狩場はどこだとか、あるいは遠くの国で何があったとか。男の話はとりとめがなかった為、もう1人の男――アイザックは話が進めば進むほど聞き流してグラスを干す事に専念していた。が、「そういえば、」と前置きして話し始めた内容は彼の注意を引き戻すには十分すぎる効力を発揮する
「マジか。また戦争になるのか!?」
自慢ではないが、アイザックは争いとかそういう類のものはガルドゼンド国内で1番苦手としている人間のうちの1人だと言って憚らない。その話題でからかわれる時には、「うちは祖父の代から平和主義なんだ」と、血筋を持ち出す程に筋金が入っている。そんな彼にとって、たとえ自分が直接関係する可能性は少ないとは分かっていても戦争再開のニュースはこの上ない凶報に他ならなかった。
そんな聞き手の心情を知ってかしらずか、語り手の男は自慢げにつらつらと知ってる事を並べていく。
「しかもヤツらはもう電撃作戦でヒュッテの砦を陥落して、それからの宣戦布告。なんでも今回の神輿は前王家の関係者らしいぜ?『不当に二世紀半も王座を占拠したパフュールを駆逐して本来の故郷を取り戻す』なんて言ってるらしい。いやぁ、勝つ気満々だねェ」
「な、なるほどねぇ。まともな統治者ならむしろ歓迎したいくらいだけど、俺が住んでる辺りで戦いはじめるのだけは勘弁して貰いたいな」
ソレがアイザックの正直な感想だった。凶王のよくない噂は枚挙に暇が無いし、あれよりも悪い統治者が存在するとは思えない。だから頭が変わる事は喜びこそすれ困る事はないと思っているが、なにしろ過程が大問題だ。しかも、ティグラハット軍がヒュッテを抜けて北上中となればヒュッテと王都の間にあるこの街は避けて通れない要所であり、そしてあの凶王が街を戦場にする事を厭うとは思えない。
「そうだな、もうすぐここらへんを王国軍が抜ける頃だからもうちょい南で戦う事になるんじゃねぇかな。おっと、噂をすれば影だ。ハウンド様のお出ましだぜ」
男がそう言ったとたん、本当に蹄が地面を蹴る硬い音が無数に聞こえてきた。なんとなく、語り手の男が本当に騎士団がココを通る時間を知っていたのではないかとか思ってしまうくらいにタイミングのいい登場にアイザックは苦笑する。いつもならタンスの中に潜り込んでブルブル震えるくらいの恐怖を感じる兵達の行進が、なぜだか何かの冗談のように感じられてくるから不思議だ。
街のメインストリートを黒い甲冑に黒兜の黒尽くめで全身を固めた騎士達が行進していく。本来国を護る希望であるハズの彼らも、黙々と列を一糸も乱さす進んでいく姿は真逆の印象――つまりは全てを死に誘う死神の群れにしか見えない。実際、彼らが通り過ぎる間通りに面した家に住む住民は総じて窓を閉じ、息1つ気取られないようにじっと身を潜めていた。
そんな中、目の前の男だけは暢気に窓の隙間から外をのぞいて、「おーおー精鋭部隊とは思えない程しんみりしたこって」というわけの分からない感想を述べていた。
「そういえばアンタやたらと事情に詳しいけど、どこからそんな情報を仕入れたんだい?」
外の様子を見ている金髪の男を見ていたら、なんとなくそんな疑問が浮かんだので投げつけてみた。「ん?」と酒場の中に向き直った男はニヤリと笑って
「なぁに、蛇の道は蛇って言うだろ?」
なんて言い放つ。左右に分けた金髪の下で、青い目がいたずらっぽく笑っていて本気なのか冗談なのか今ひとつよく分からない。
「まぁ、どちらにしてもまたきっとすぐに反乱軍は鎮圧されるだろう、この前のように」
それはどちらかと言うと自分を納得させるための言葉。この前のように圧倒的な兵力差でもってすぐに決着はつく、という自己暗示のような意味を持つ言葉だった。
だが、この正体の分からない事情通はそんな気休めすらも許さない。
「どうだろうな、今回は前とはちぃと事情が違うかもしれんぜ?」
「と、言うと?」
問い返すアイザックに、ビッと指を立てて説明する謎の事情通。
「ただの反乱だった前回と違い、今回はティグラハット側が神輿を立てているっていう話さ。前王家の関係者、ていうな。つまり、実態は同じとしても今回のヤツラには大義名分がある。新しい神輿を担ごうと集まるヤツもいるかもな」
「ティグラハットに同調する貴族が出る、という事か……?」
「もちろん、確実に出るたぁ限らねェ。その気があるなら1回目で蜂起するだろうしな。ただ、人間が行動を起こすには理由ってヤツがが必要な時もある。前王家の復興なんざ、その理由としては手頃だよな」
男が喋り終えた後の静寂を、コップを磨くキュッキュという音で誤魔化す。なんとなく喋り辛くて、アイザックは男が語った内容に思考を集中させてみた。
――前回は兵力で勝っていたから一方的に勝つする事ができた。でも、もし貴族が寝返ったらそれだけガルドゼンドの兵力は減り、ティグラハットの兵力は増す。これから寒くなる以上戦争は早く終わらせたいだろうし、正直今の王にそこまで人望があるとは思えない。さっさとティグラハット側について戦いを終わらせようと考える者は少なくないのではないだろうか。
「まぁ、貴族様にゃ俺様達庶民にゃ分からないしがらみとかがついて回るから、実際どう動くかはわかんねぇけどな」
まるでアイザックの考えを見通したかのように男は言う。
その奇抜な一人称も含めて、そろそろこの得体の知れない男が何者なのかという疑問がむくむくと頭をもたげて来るがアイザックは努めてそれは考えないようにした。古人曰く、『好奇心猫を殺す』だ。幸い、まだ俺の平和主義センサーに反応はない。彼の言う事を聞き流しながら笑ってるだけなら、まだ俺の身は安全のハズ。
「まぁ、確かにな。しかし困ったな。何かあってからじゃ遅いけど何かあるとも限らない状態、か。……なぁ、アンタはこれからどうするんだ?」
表面上の態度が変わらないように細心の注意を払いながら、会話を続ける。男に少し踏み込んでしまう発言ではあるが、困っているのも本当だった。例えばここが戦場になるとしたらどこに避難するのか。どうやって避難するのか。そもそも本当にここが戦場になるのか。男の予想はさもありそうな話だが、それが本当に現実のものともアイザックには分からないのだ。
「そうだなぁ……ハンディラグとは一度ガチで殴り合ってみてェとは思ってるけどな」
「はァ?」
予想の斜め上どころか料理の質問をしたら闘牛の答えが返ってきたような答えに思わずアイザックの目が点になる。時間を掛けて目の前のどうみてもヒョロっちい男が何を言い出したのか理解が進むと、今度は止められない笑いが込みあげて来た。
ひとしきりアイザックがひとしきり大笑いする間も、男は先ほどからまったく変わらぬ笑みを浮かべている。その様子を見て、ようやくアイザックも自分がからかわれただけだと得心がいった。
「はっはっは、まったくアンタも人が悪いな。危なく信じちまう所だったじゃないか」
そうこうするうちに段々と日は傾き、酒場にちらりほらりと人影が集まってきた。他の客の応対に追われているうちに、不思議な客は金だけを置いて帰ってしまったらしい。せっつく客の声に追われて自分がまだ日常にいる事を実感するアイザックだが、その心のどこかでやっぱりこれから起こるであろう戦いが抜けない棘のように刺さっているのだった。
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場所:ガルドゼンド -イェッセン伯領ヒュッテ砦
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――とりあえず、高い所を目指そう。
とある諺が頭をよぎるのを一生懸命否定しながら、ヒルデは城壁の上辺りに出る道を求めて砦の中を彷徨っていた。一応隕石が落ちる前に少しはうろうろしたので構造は大体把握しているつもりだが、何分砦の中は敵が簡単に攻め込めないように複雑な造りになっていて、なかなかに面倒くさい。加えて、ティグラハット軍の攻撃が思ったよりも激しく、かなり奥まで攻め込まれつつあるという事実が事態をいっそうややこしくしているのだ。
数箇所で起きていた戦闘をなんとかやり過ごし、ようやく辿りついた目的の階段の前で見覚えのある顔を見て、ヒルデは思わず立ち止まった。
何故か装いは一般兵のような軽装だが、リボンで封印してあるあの特徴的な剣は忘れようと思ってもなかなか忘れられる物ではない。軽装なのは敵襲に対応するために最低限の装備で打って出たからだろう。――つまりは、それだけ腕に自信があると言う事か。
声を掛けてみようか。一瞬、そんな益体も無い考えが頭の中に浮かぶ。即座に頭を振って否定した。――馬鹿馬鹿しい。大体、この状況でどうやって交渉すると言うのだ。
少し後ろ髪を惹かれているのを断ち切るようにヒルデは元来た方へと振り返った。ここの階段が使えない以上、城壁の上から脱出するのは諦めなくてはならない。
歩き出そうとしたその瞬間、背後から金属と金属がぶつかり合って響く鈍い音に紛れてボッという何がが燃えるような音が聞こえた気がした。本能の声に従って体を通路に対して平行にするのと、先ほどまでヒルデの半身があった部分を炎で作られた矢が通りぬけていくのがほぼ同時の事。
「つっ!」
ジュ、という嫌な音を立てて外套に一条の焦げ跡が残る。――後一瞬でも回避が遅ければ自分の腕がこうなっていた。そんな嫌な感触に冷や汗を掻く。
「そこにいるのは誰だ!」
術を放った魔術師本人から誰何の声があがったのはその直後の事だった。
石造りの廊下の上では、先ほどの炎の矢が着弾した所を中心にちょっとした火の海が出来上がっている。恐らくは直接騎士をどうこうする為というよりも退路を火で満たしてより戦い難くする為に術を調整していたのだろう。石畳の上でも燃える魔力の炎をわざわざ作り出すとは非常にご苦労な話ではあるが。
「仕方が無い、か」
溜息をひとつ吐いてヒルデは妖精の外套の術を解く。術者本人だけでなくある程度周りの空間までも隠匿してしまうこの術は、今の状況のように近くに何か変化があるとすぐにばれてしまうのが欠点だ。兜を脱いでおいたのが幸いしたのか災いしたのか、ティグラハットの兵士達は単純にヒルデをガルドゼンドの者だと思ったらしい。前衛の剣士達に護られた魔術師が次の呪文を唱え始める。未だ石畳の上の火は消えず、つまりは退路はない。
「援護は任せるぞ」
ちょうど一度距離を取った騎士の横をすり抜けて前にでる。「え?」と呟く声は予想に反してずいぶんと若々しかったが、今はそんな事に構っている余裕はない。
踏み込みながら抜いたフランベルクレイピアを片手に敵陣に切り込む。「"鎧"よっ!」声高に宣言した瞬間、閃光が辺りを包む。音を立てない為に着てこなかった鎧を呼び出す為に超局所的な空間転移が発生、その際に発生した余分なエネルギーが発光という形で辺りに発散されたのだ。
「くっ!」
ただの光とは言え、至近距離でそれを受けたティグラハットの兵士達は溜まったものではない。ほぼ反射的に目を庇おうとして、バランスを崩す。よろめいた所を盾で殴りつけて道を開け、呪文を唱えきる前に決着をつけようとヒルデは一気に後方の魔術師に向かってダッシュを掛けた。
「……be thousand arrow!!」
が、走りこみ攻撃を加える前に魔術師の呪文が完成する。両手の間に生み出された赤い玉は、呪文が簡単なワリには効果が大きく熟練の魔術師が使えば一発で大型の熊でも仕留めると名高いファイアーボールを彷彿とさせる。だが、こんな狭い場所で爆発系の呪文なぞ使った日には味方の前衛どころか術者自身も巻き込んで全てを吹き飛ばしてしまうだろう。
「――Sylph God breathe!」
僅かに聞こえた呪文を勘を頼りに、精霊に働きかけ術を発動させた。神の一息は一瞬だけ凄く強力な風を吹かせる術だ。電撃を飛ばす術等には効果がないが、先ほどのように炎の矢を飛ばす魔法ならばこれでも十分対処は可能なハズ。
果たして、ヒルデが精霊に声を届かせるのとほぼ同じタイミングで魔術師の手の中の赤い玉は分裂し、無数の炎の矢となってヒルデへとその牙を剥いた。それに併せるように吹く強力な横風。方向を変えた矢に自らの手を焼かれ、魔術師が声にならない悲鳴を上げる。
「ハァァァァァァァッ!」
持続時間の短い神の一息では防ぎきれなかった炎の矢を迎え撃つように盾を突き出し、そのまま魔術師の体に叩きつける。鞣された皮革コゲる嫌な臭いが広がると同時に、そのまま魂が口から出て行くのではないかと思うくらいに激しい魔術師の絶叫とジュウウウという嫌な音が狭い廊下に木霊した。
持ち手に熱が回る前に盾を投げ捨て、擦り抜けて来た前衛2人の方へと振り返る。1人は騎士と真っ向から斬り合い、もう1人はまさにこちらに向かって剣を振り上げた所だった。「ッ!」腕の長さをフルに使って振り下ろされた剣に対してヒルデは左肩を内側に引き込むように構え、自分からぶつけに行く事で対応した。ギャィンという耳障りな音に顔を顰めながら右手のレイピアを構える。振り下ろした剣を外側に弾かれた格好となったティグラハット軍の戦士は左手の盾で体を護ろうとするが、全力攻撃をした直後なのが災いして間に合わず、なす術も無く貫かれた傷から持てる命を全て噴き出して倒れ伏した。
そして、瞬間的に目の前を遮る真っ赤なカーテンの隙間から、向こうの勝負も決着がついたのが見える。とりあえず近場の敵は一時的にとはいえ居なくなったのを確認して、ヒルデは肩の力を抜いた。
――さて、なんと声を掛けたものか。私は怪しいものじゃない、とか中々の腕前だな、とか意味があるんだかないんだかよく分からない言葉が頭の中を駆け巡るが一向に口をついて出ない。結局、相手の対応に困ったような顔に居たたまれなくなって飛び出した言葉は「二日ぶりだな」という、本当に意味があるのかないのかよく分からない言葉だった。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
ヒュッテ砦攻防戦から数日後、ガルドゼンド国内某所にて
真昼間の人が少ない酒場で、2人の男が話をしている。というよりも、1人の男が勝手に知っていることを捲し立てて、もう1人が相槌を打つという感じではあるが。
「知ってるか?ティグラハットの連中がまた反乱を起こしたらしいゼ」
最近の狩場はどこだとか、あるいは遠くの国で何があったとか。男の話はとりとめがなかった為、もう1人の男――アイザックは話が進めば進むほど聞き流してグラスを干す事に専念していた。が、「そういえば、」と前置きして話し始めた内容は彼の注意を引き戻すには十分すぎる効力を発揮する
「マジか。また戦争になるのか!?」
自慢ではないが、アイザックは争いとかそういう類のものはガルドゼンド国内で1番苦手としている人間のうちの1人だと言って憚らない。その話題でからかわれる時には、「うちは祖父の代から平和主義なんだ」と、血筋を持ち出す程に筋金が入っている。そんな彼にとって、たとえ自分が直接関係する可能性は少ないとは分かっていても戦争再開のニュースはこの上ない凶報に他ならなかった。
そんな聞き手の心情を知ってかしらずか、語り手の男は自慢げにつらつらと知ってる事を並べていく。
「しかもヤツらはもう電撃作戦でヒュッテの砦を陥落して、それからの宣戦布告。なんでも今回の神輿は前王家の関係者らしいぜ?『不当に二世紀半も王座を占拠したパフュールを駆逐して本来の故郷を取り戻す』なんて言ってるらしい。いやぁ、勝つ気満々だねェ」
「な、なるほどねぇ。まともな統治者ならむしろ歓迎したいくらいだけど、俺が住んでる辺りで戦いはじめるのだけは勘弁して貰いたいな」
ソレがアイザックの正直な感想だった。凶王のよくない噂は枚挙に暇が無いし、あれよりも悪い統治者が存在するとは思えない。だから頭が変わる事は喜びこそすれ困る事はないと思っているが、なにしろ過程が大問題だ。しかも、ティグラハット軍がヒュッテを抜けて北上中となればヒュッテと王都の間にあるこの街は避けて通れない要所であり、そしてあの凶王が街を戦場にする事を厭うとは思えない。
「そうだな、もうすぐここらへんを王国軍が抜ける頃だからもうちょい南で戦う事になるんじゃねぇかな。おっと、噂をすれば影だ。ハウンド様のお出ましだぜ」
男がそう言ったとたん、本当に蹄が地面を蹴る硬い音が無数に聞こえてきた。なんとなく、語り手の男が本当に騎士団がココを通る時間を知っていたのではないかとか思ってしまうくらいにタイミングのいい登場にアイザックは苦笑する。いつもならタンスの中に潜り込んでブルブル震えるくらいの恐怖を感じる兵達の行進が、なぜだか何かの冗談のように感じられてくるから不思議だ。
街のメインストリートを黒い甲冑に黒兜の黒尽くめで全身を固めた騎士達が行進していく。本来国を護る希望であるハズの彼らも、黙々と列を一糸も乱さす進んでいく姿は真逆の印象――つまりは全てを死に誘う死神の群れにしか見えない。実際、彼らが通り過ぎる間通りに面した家に住む住民は総じて窓を閉じ、息1つ気取られないようにじっと身を潜めていた。
そんな中、目の前の男だけは暢気に窓の隙間から外をのぞいて、「おーおー精鋭部隊とは思えない程しんみりしたこって」というわけの分からない感想を述べていた。
「そういえばアンタやたらと事情に詳しいけど、どこからそんな情報を仕入れたんだい?」
外の様子を見ている金髪の男を見ていたら、なんとなくそんな疑問が浮かんだので投げつけてみた。「ん?」と酒場の中に向き直った男はニヤリと笑って
「なぁに、蛇の道は蛇って言うだろ?」
なんて言い放つ。左右に分けた金髪の下で、青い目がいたずらっぽく笑っていて本気なのか冗談なのか今ひとつよく分からない。
「まぁ、どちらにしてもまたきっとすぐに反乱軍は鎮圧されるだろう、この前のように」
それはどちらかと言うと自分を納得させるための言葉。この前のように圧倒的な兵力差でもってすぐに決着はつく、という自己暗示のような意味を持つ言葉だった。
だが、この正体の分からない事情通はそんな気休めすらも許さない。
「どうだろうな、今回は前とはちぃと事情が違うかもしれんぜ?」
「と、言うと?」
問い返すアイザックに、ビッと指を立てて説明する謎の事情通。
「ただの反乱だった前回と違い、今回はティグラハット側が神輿を立てているっていう話さ。前王家の関係者、ていうな。つまり、実態は同じとしても今回のヤツラには大義名分がある。新しい神輿を担ごうと集まるヤツもいるかもな」
「ティグラハットに同調する貴族が出る、という事か……?」
「もちろん、確実に出るたぁ限らねェ。その気があるなら1回目で蜂起するだろうしな。ただ、人間が行動を起こすには理由ってヤツがが必要な時もある。前王家の復興なんざ、その理由としては手頃だよな」
男が喋り終えた後の静寂を、コップを磨くキュッキュという音で誤魔化す。なんとなく喋り辛くて、アイザックは男が語った内容に思考を集中させてみた。
――前回は兵力で勝っていたから一方的に勝つする事ができた。でも、もし貴族が寝返ったらそれだけガルドゼンドの兵力は減り、ティグラハットの兵力は増す。これから寒くなる以上戦争は早く終わらせたいだろうし、正直今の王にそこまで人望があるとは思えない。さっさとティグラハット側について戦いを終わらせようと考える者は少なくないのではないだろうか。
「まぁ、貴族様にゃ俺様達庶民にゃ分からないしがらみとかがついて回るから、実際どう動くかはわかんねぇけどな」
まるでアイザックの考えを見通したかのように男は言う。
その奇抜な一人称も含めて、そろそろこの得体の知れない男が何者なのかという疑問がむくむくと頭をもたげて来るがアイザックは努めてそれは考えないようにした。古人曰く、『好奇心猫を殺す』だ。幸い、まだ俺の平和主義センサーに反応はない。彼の言う事を聞き流しながら笑ってるだけなら、まだ俺の身は安全のハズ。
「まぁ、確かにな。しかし困ったな。何かあってからじゃ遅いけど何かあるとも限らない状態、か。……なぁ、アンタはこれからどうするんだ?」
表面上の態度が変わらないように細心の注意を払いながら、会話を続ける。男に少し踏み込んでしまう発言ではあるが、困っているのも本当だった。例えばここが戦場になるとしたらどこに避難するのか。どうやって避難するのか。そもそも本当にここが戦場になるのか。男の予想はさもありそうな話だが、それが本当に現実のものともアイザックには分からないのだ。
「そうだなぁ……ハンディラグとは一度ガチで殴り合ってみてェとは思ってるけどな」
「はァ?」
予想の斜め上どころか料理の質問をしたら闘牛の答えが返ってきたような答えに思わずアイザックの目が点になる。時間を掛けて目の前のどうみてもヒョロっちい男が何を言い出したのか理解が進むと、今度は止められない笑いが込みあげて来た。
ひとしきりアイザックがひとしきり大笑いする間も、男は先ほどからまったく変わらぬ笑みを浮かべている。その様子を見て、ようやくアイザックも自分がからかわれただけだと得心がいった。
「はっはっは、まったくアンタも人が悪いな。危なく信じちまう所だったじゃないか」
そうこうするうちに段々と日は傾き、酒場にちらりほらりと人影が集まってきた。他の客の応対に追われているうちに、不思議な客は金だけを置いて帰ってしまったらしい。せっつく客の声に追われて自分がまだ日常にいる事を実感するアイザックだが、その心のどこかでやっぱりこれから起こるであろう戦いが抜けない棘のように刺さっているのだった。
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