人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
------------------------------------------------------------------------
セラフィナが救急箱とタオルを持って食堂に戻ると、ライは大きめのタオルで髪を
拭きながら、女の子と話をしていた。ベリンザから乗船してきたまだ若い少女。彼女
は、セラフィナに気付くと、おもむろにライを小突いた。
「彼女さん来たみたいよ」
「だから、違うってば……」
肩を落とす表情と、濡れた髪がちょっとカワイイ。
しっかりと、ではなく結構いい加減に拭いたのだろう。濡れて細くまとまった髪が
首を振った拍子に乱れて、小さな水滴を辺りにまき散らす。
「ライさん、また船員さんに嘆かれちゃいますよ」
セラフィナは笑ってタオルをライに手渡すと、少女に会釈した。
「船には慣れましたか?一人旅も大変ですね」
「平気よ、船には何度も乗ってるから」
短い髪を掻き上げて、少女が目を逸らす。
視線の先は灰色一色の窓。空を見ているのだろうか。
セラフィナはライの正面の椅子に座ると、椅子を引き寄せて間合いを詰めた。
「ちょっと痛いかもしれませんけど、我慢して下さいね?」
「あー……お手柔らかに頼むよ」
ライが苦笑を浮かべる。
セラフィナは手早く箱から必要なモノを出して、治療を始めた。
そっと頬の辺りに触れて、ひんやりとした感触にどきっとさせられる。
雨に濡れていたから冷え切っているのだろうか。それとも別の理由だろうか。
努めて何事もなかったようにセラフィナは振る舞った。
ついさっきのようにしていてはいけない。ショックを顔に出さないようにしない
と、自分よりも相手の方が傷つくだろうから。そう思って。
ふと、ライが顔をしかめた。
「痛かったですか?」
問いかけてから、思う。
なんだろう、何かが違う。違和感。
「大丈夫ー、気にしないで?」
ライは笑ったが、違和感が拭えない。
なんだろうなんだろうなんだろう。
考え事をしながらで手が滑ったのか、同じ位置にガーゼが触れる。
……が、今度は無反応。
痛そうに見える部分にも、こっそり触れてみる。
「……まだかかりそう?」
「え、あ、もう少しで終わりますよ」
やはり痛がっている節はない。
もしかして、本当は感覚までなくなっていたりするのだろうか。もしそうだとした
ら、さっきの返事は?
「……いちゃいちゃままごとは、そのくらいにしたら?」
呆れた顔で少女に見下ろされていることに気付いて、慌てて離れるセラフィナ。
考え事をしていたせいか、思いの外手間取ってしまい、後ろめたさを感じたのだ。
「はい、もういいですよ」
「ありがとう、セラフィナさん」
ライが笑う。セラフィナも笑う。
頭を抱えて深~く溜め息を付いた少女は、近くの椅子に座り、足を投げ出した。
「何で二人で旅をしてるの?」
ライとセラフィナは顔を見合わせ、首を傾げる。
「なんでっていわれても……」
「……ねぇ?」
セラフィナが望んだ、というコトもあるが、断ろうと思えば断れたのだ。二人で居
なければいけない理由は特になかったような気もする。
「どうして、気になるのさ?」
ライが逆に問い返すと、少女はにべもなく言った。
「理由なんか無いわよ。気になったから聞いただけ」
「……あー、そりゃそうだよねぇ」
会話が途切れる。折角船内で若い客は三人だけなのだから、もう少し仲良くしたい
のに。
「そういえばお名前、まだ聞いてませんでしたよね」
セラフィナが切り出すと、
「あなたがセラフィナで、こっちがライ、でしょ?なんか船内で有名人よ、お二人さ
ん」
と、バッサリ切り捨てられた。
「えーと」
「ああ、私はベアトリス。ティリーって呼んで」
そして人差し指を突き出すようにすると、ひそひそと付け加える。
「間違ってもベティーって呼んじゃダメ。パティーを思い出してムカつくから」
パティーとは誰だろう?と思いながらも、思い出させて不快な思いをさせる気もな
かったので、セラフィナは聞かないでおいた。知っても自分にはワカラナイ幼なじみ
とか身内とかの話だろう。
「よろしく、ティリーちゃん」
「あ、ちゃん付けもいらないからね、セラフィナさん」
何ともマイペースな子だ。
「じゃあ、改めて。よろしくね、ティリー」
「よろしく、お二人さん」
「うん、僕もよろしくねー」
ティリーが笑う。
ちょっと高圧的な態度をとっていた彼女の笑顔はとても幼く、愛らしいモノだっ
た。
外は相変わらず雨が降っている。
風が若干強くなったようで、バシバシと叩きつけるような音が激しさを増した。
船員の一人が、危ないから甲板に出ないように、と呼びかけているようだ。
それでも、食堂の中の時間は平和にゆっくりと流れていた。
「ヒマ?だよね、ティリー」
「残念ながらそうよ」
「んじゃ、一緒にカードでもやろうか。多い方が楽しいよ?」
「そうですね」
ライが笑いかける。セラフィナも笑う。
「仕方ないな、付き合ってあげてもいいけど?」
渋々、といった表情を最後にほんのちょっと崩して、ティリーが笑った。
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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セラフィナが救急箱とタオルを持って食堂に戻ると、ライは大きめのタオルで髪を
拭きながら、女の子と話をしていた。ベリンザから乗船してきたまだ若い少女。彼女
は、セラフィナに気付くと、おもむろにライを小突いた。
「彼女さん来たみたいよ」
「だから、違うってば……」
肩を落とす表情と、濡れた髪がちょっとカワイイ。
しっかりと、ではなく結構いい加減に拭いたのだろう。濡れて細くまとまった髪が
首を振った拍子に乱れて、小さな水滴を辺りにまき散らす。
「ライさん、また船員さんに嘆かれちゃいますよ」
セラフィナは笑ってタオルをライに手渡すと、少女に会釈した。
「船には慣れましたか?一人旅も大変ですね」
「平気よ、船には何度も乗ってるから」
短い髪を掻き上げて、少女が目を逸らす。
視線の先は灰色一色の窓。空を見ているのだろうか。
セラフィナはライの正面の椅子に座ると、椅子を引き寄せて間合いを詰めた。
「ちょっと痛いかもしれませんけど、我慢して下さいね?」
「あー……お手柔らかに頼むよ」
ライが苦笑を浮かべる。
セラフィナは手早く箱から必要なモノを出して、治療を始めた。
そっと頬の辺りに触れて、ひんやりとした感触にどきっとさせられる。
雨に濡れていたから冷え切っているのだろうか。それとも別の理由だろうか。
努めて何事もなかったようにセラフィナは振る舞った。
ついさっきのようにしていてはいけない。ショックを顔に出さないようにしない
と、自分よりも相手の方が傷つくだろうから。そう思って。
ふと、ライが顔をしかめた。
「痛かったですか?」
問いかけてから、思う。
なんだろう、何かが違う。違和感。
「大丈夫ー、気にしないで?」
ライは笑ったが、違和感が拭えない。
なんだろうなんだろうなんだろう。
考え事をしながらで手が滑ったのか、同じ位置にガーゼが触れる。
……が、今度は無反応。
痛そうに見える部分にも、こっそり触れてみる。
「……まだかかりそう?」
「え、あ、もう少しで終わりますよ」
やはり痛がっている節はない。
もしかして、本当は感覚までなくなっていたりするのだろうか。もしそうだとした
ら、さっきの返事は?
「……いちゃいちゃままごとは、そのくらいにしたら?」
呆れた顔で少女に見下ろされていることに気付いて、慌てて離れるセラフィナ。
考え事をしていたせいか、思いの外手間取ってしまい、後ろめたさを感じたのだ。
「はい、もういいですよ」
「ありがとう、セラフィナさん」
ライが笑う。セラフィナも笑う。
頭を抱えて深~く溜め息を付いた少女は、近くの椅子に座り、足を投げ出した。
「何で二人で旅をしてるの?」
ライとセラフィナは顔を見合わせ、首を傾げる。
「なんでっていわれても……」
「……ねぇ?」
セラフィナが望んだ、というコトもあるが、断ろうと思えば断れたのだ。二人で居
なければいけない理由は特になかったような気もする。
「どうして、気になるのさ?」
ライが逆に問い返すと、少女はにべもなく言った。
「理由なんか無いわよ。気になったから聞いただけ」
「……あー、そりゃそうだよねぇ」
会話が途切れる。折角船内で若い客は三人だけなのだから、もう少し仲良くしたい
のに。
「そういえばお名前、まだ聞いてませんでしたよね」
セラフィナが切り出すと、
「あなたがセラフィナで、こっちがライ、でしょ?なんか船内で有名人よ、お二人さ
ん」
と、バッサリ切り捨てられた。
「えーと」
「ああ、私はベアトリス。ティリーって呼んで」
そして人差し指を突き出すようにすると、ひそひそと付け加える。
「間違ってもベティーって呼んじゃダメ。パティーを思い出してムカつくから」
パティーとは誰だろう?と思いながらも、思い出させて不快な思いをさせる気もな
かったので、セラフィナは聞かないでおいた。知っても自分にはワカラナイ幼なじみ
とか身内とかの話だろう。
「よろしく、ティリーちゃん」
「あ、ちゃん付けもいらないからね、セラフィナさん」
何ともマイペースな子だ。
「じゃあ、改めて。よろしくね、ティリー」
「よろしく、お二人さん」
「うん、僕もよろしくねー」
ティリーが笑う。
ちょっと高圧的な態度をとっていた彼女の笑顔はとても幼く、愛らしいモノだっ
た。
外は相変わらず雨が降っている。
風が若干強くなったようで、バシバシと叩きつけるような音が激しさを増した。
船員の一人が、危ないから甲板に出ないように、と呼びかけているようだ。
それでも、食堂の中の時間は平和にゆっくりと流れていた。
「ヒマ?だよね、ティリー」
「残念ながらそうよ」
「んじゃ、一緒にカードでもやろうか。多い方が楽しいよ?」
「そうですね」
ライが笑いかける。セラフィナも笑う。
「仕方ないな、付き合ってあげてもいいけど?」
渋々、といった表情を最後にほんのちょっと崩して、ティリーが笑った。
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人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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「ままごと」
「ん?」
飲み物を持ってきますねといってセラフィナが厨房の方へ行った隙に、ライは呟いて
肩をすくめた。ベアトリスが横目で見てくる。
「さっきの話」
「ああ」
「うん、ままごとだよ。
こんなの視界の邪魔なだけだし、セラフィナさんは本当に、恋人なんかじゃない」
「あら、自覚してるの。
でもあんなひどいキズを直接見せられてるよりは私の気分がいいし、本当に恋人同士
に見えたらあんなこと言わないわ」
「ご尤も」
「……不自然だもの。すごく」
ふいとベアトリスは目を逸らした。
セラフィナが二つのカップを持って戻ってきた。
「コーヒーでよかったですか?」
「うん。ありがと」
一つをベアトリスの前に。もう一つを自分に。
少女はテーブルの上の砂糖壷を引き寄せて、砂糖をスプーンに大盛り五杯ほど放り込
んだ。セラフィナが少し唖然とした表情を見せたが、子供だから甘いものが好きなんだ
ろうとでも思い直したようで、すぐに元の穏やかな笑顔に戻った。
「ライの分は持ってこないのねセラフィナさん」
「僕はコーヒー嫌いなんだ。他にも紅茶とココアとお酒とジュース類と水と――」
「……牛乳でも飲んでなさいよ」
「背丈は足りてるから、もういい」
ふん、とベアトリスは鼻を鳴らした。
「そのうち伸びるよ」
「その時は見下ろしてあげる。女にはハイヒールっていう味方もいるしね」
ねぇと同意を求められて、セラフィナは答えずにただクスクスと笑った。
彼女の靴がそうだったのをライは見たことがないし、彼女はもともと長身な方だ。
それに、ハイヒールの用途って男を見下ろすことだっただろうか。ちょっと違ったと
思う。
それにベアトリスの場合は「見下ろす」というより「見くだす」の方がしっくり来る
ような気がする――というのは勝気そうな彼女に対する印象。
カードでもやろうとは言ったものの、女同士の話は始まると終わらない。
あんまり気が合いそうには見えないセラフィナとベアトリスでも例外ではないみたい
で、ころころと話題を変えながら話し続けている。
ベアトリスが何か辛辣なことを言って、セラフィナがそれを笑いながら諌める、とい
うパターンが定着しつつあるらしい。ライはたまに話を振られると返事をするがそれ以
外は聞いているだけだった。
別に遊びたいのではない。時間が潰れれば、なんでもいいのだ。
人の話を聞くのは嫌いではないからこれはこれで構わなかった。
「ティリーもソフィニアから来たんですか?」
「うん。知り合いに馬車でベリンザまで送ってもらったの」
陸路でも、馬車なら同じような速さで北上できるだろう。
それからベアトリスはセラフィナを見て笑い、ちらりとライに視線を向けた。
テーブルの上の砂糖壷を引き寄せ、スプーンに大盛り五杯ほど放り込みながら、
「だからちょうど……ひどい人殺しがあったじゃない。
アレが終わるちょっと前に出発したのかな」
「ああ、あれか」
「私達もあのとき、ソフィニアにいたんですよ」
「え? でも……」
ベアトリスは不思議そうな顔をした。
コーヒーに砂糖を溶かすスプーンの動きが止まる。
「――会わなかったわ」
「広い町ですからね」
そうね、と少女は言って、何かを悩むように眉間にシワを寄せた。
ライはその目が自分を見たように感じたが――
ベアトリスは左側にいるから彼女の方を見にくい。
ガーゼをあてられた左目はただ白だけを写している。いつもの三分の二くらいしかな
い視界の隅と隅に二人の様子を眺めながら、ライは例の事件を思い返そうとして、すぐ
にやめた。殺された少女の虚ろな目玉の方を先に思い出してしまったから。
ばたばたと船員が廊下を走っていった。慌てたようなその様子に「今度はなんだ」と
怒鳴りたくなるのを我慢する。船旅を始めてからのアクシデントは、船の上では一度し
かないのだ。他の事は立ち寄った町で自分達が勝手に巻きこまれたりしているのだ。
でも、なんかこの船は縁起が悪い気がする。
ただの思い込みか、責任転嫁なんだろうけれど。
「……あの人、なんで急いでるんだろ?」
ベアトリスがきょろきょろと食堂内を見渡すが、いたって変わった様子はなく、ただ、
さっきから賭けをしていたテーブルのメンツが何人か入れ替わっているくらいだった。
――船員が減って客が増えている。
いや、待て、気にするな。気にすると本当になる。
何も起こっていない起こっていない起こっていない!
「皆さん、しばらくここにいてください!」
船員が室内に叫んで駆け去っていったので、ライは目を閉じて現実を否定する方法を
思索した。
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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「ままごと」
「ん?」
飲み物を持ってきますねといってセラフィナが厨房の方へ行った隙に、ライは呟いて
肩をすくめた。ベアトリスが横目で見てくる。
「さっきの話」
「ああ」
「うん、ままごとだよ。
こんなの視界の邪魔なだけだし、セラフィナさんは本当に、恋人なんかじゃない」
「あら、自覚してるの。
でもあんなひどいキズを直接見せられてるよりは私の気分がいいし、本当に恋人同士
に見えたらあんなこと言わないわ」
「ご尤も」
「……不自然だもの。すごく」
ふいとベアトリスは目を逸らした。
セラフィナが二つのカップを持って戻ってきた。
「コーヒーでよかったですか?」
「うん。ありがと」
一つをベアトリスの前に。もう一つを自分に。
少女はテーブルの上の砂糖壷を引き寄せて、砂糖をスプーンに大盛り五杯ほど放り込
んだ。セラフィナが少し唖然とした表情を見せたが、子供だから甘いものが好きなんだ
ろうとでも思い直したようで、すぐに元の穏やかな笑顔に戻った。
「ライの分は持ってこないのねセラフィナさん」
「僕はコーヒー嫌いなんだ。他にも紅茶とココアとお酒とジュース類と水と――」
「……牛乳でも飲んでなさいよ」
「背丈は足りてるから、もういい」
ふん、とベアトリスは鼻を鳴らした。
「そのうち伸びるよ」
「その時は見下ろしてあげる。女にはハイヒールっていう味方もいるしね」
ねぇと同意を求められて、セラフィナは答えずにただクスクスと笑った。
彼女の靴がそうだったのをライは見たことがないし、彼女はもともと長身な方だ。
それに、ハイヒールの用途って男を見下ろすことだっただろうか。ちょっと違ったと
思う。
それにベアトリスの場合は「見下ろす」というより「見くだす」の方がしっくり来る
ような気がする――というのは勝気そうな彼女に対する印象。
カードでもやろうとは言ったものの、女同士の話は始まると終わらない。
あんまり気が合いそうには見えないセラフィナとベアトリスでも例外ではないみたい
で、ころころと話題を変えながら話し続けている。
ベアトリスが何か辛辣なことを言って、セラフィナがそれを笑いながら諌める、とい
うパターンが定着しつつあるらしい。ライはたまに話を振られると返事をするがそれ以
外は聞いているだけだった。
別に遊びたいのではない。時間が潰れれば、なんでもいいのだ。
人の話を聞くのは嫌いではないからこれはこれで構わなかった。
「ティリーもソフィニアから来たんですか?」
「うん。知り合いに馬車でベリンザまで送ってもらったの」
陸路でも、馬車なら同じような速さで北上できるだろう。
それからベアトリスはセラフィナを見て笑い、ちらりとライに視線を向けた。
テーブルの上の砂糖壷を引き寄せ、スプーンに大盛り五杯ほど放り込みながら、
「だからちょうど……ひどい人殺しがあったじゃない。
アレが終わるちょっと前に出発したのかな」
「ああ、あれか」
「私達もあのとき、ソフィニアにいたんですよ」
「え? でも……」
ベアトリスは不思議そうな顔をした。
コーヒーに砂糖を溶かすスプーンの動きが止まる。
「――会わなかったわ」
「広い町ですからね」
そうね、と少女は言って、何かを悩むように眉間にシワを寄せた。
ライはその目が自分を見たように感じたが――
ベアトリスは左側にいるから彼女の方を見にくい。
ガーゼをあてられた左目はただ白だけを写している。いつもの三分の二くらいしかな
い視界の隅と隅に二人の様子を眺めながら、ライは例の事件を思い返そうとして、すぐ
にやめた。殺された少女の虚ろな目玉の方を先に思い出してしまったから。
ばたばたと船員が廊下を走っていった。慌てたようなその様子に「今度はなんだ」と
怒鳴りたくなるのを我慢する。船旅を始めてからのアクシデントは、船の上では一度し
かないのだ。他の事は立ち寄った町で自分達が勝手に巻きこまれたりしているのだ。
でも、なんかこの船は縁起が悪い気がする。
ただの思い込みか、責任転嫁なんだろうけれど。
「……あの人、なんで急いでるんだろ?」
ベアトリスがきょろきょろと食堂内を見渡すが、いたって変わった様子はなく、ただ、
さっきから賭けをしていたテーブルのメンツが何人か入れ替わっているくらいだった。
――船員が減って客が増えている。
いや、待て、気にするな。気にすると本当になる。
何も起こっていない起こっていない起こっていない!
「皆さん、しばらくここにいてください!」
船員が室内に叫んで駆け去っていったので、ライは目を閉じて現実を否定する方法を
思索した。
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
------------------------------------------------------------------------
「何かありましたって言いふらしてるようなモノよね」
駆け去る船員を見て、ベアトリスが眉をひそめる。
セラフィナも船員達の慌ただしさはただごとではないと思っていたので笑えない。
「事と次第によっては、私の方がずっと役に立つのに」
そういった彼女に向き直って、目を閉じていたライが溜め息を付いた。
「近くで魔法は控えて欲しいって言わなかったっけ?」
「あら、だから控えてるじゃない」
砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら、当たり前のように言うベアトリス。
セラフィナは心配そうにベアトリスを見つめた。
「ねぇティリー、危ないコトするつもりじゃないわよね?」
「身の危険を感じなきゃね」
即答。
ベアトリスはくいっとコーヒーを飲み干した。
「二人だって周りに任せた方が危ないと思ったら、自分で動くでしょ」
ライとセラフィナが顔を見合わせる。
セラフィナは自分に何か出来そうなとき、色々なことに首を突っ込んできただけに
曖昧な苦笑しか浮かべることが出来ない。
ライは溜め息を付いて机に突っ伏した。
「で、行くつもりなワケね」
「もちろん」
口元をハンカチで軽く拭うと、ベアトリスが立ち上がる。
「足手まといになる可能性とかは考えない……よねー」
「若くても腕はいいんだから!」
気分を害したのか、キツイ目で見下しながら胸を張った。
やれやれ、とライは頭を抱える。
「で、セラフィナさんは?」
「放っておけませんよ」
「……そう、だろうねー……」
予想通りの答えに脱力するライ。
セラフィナが立ち上がるのを確認して、ベアトリスがライに向き直った。
「あなたは留守番?」
「もう少し様子を見てからでもイイと思うけどナァ」
「理由は魔法が怖いから?」
「……って、そうじゃなくて。君も人の話聞いてないよね……」
「まわりくどい話って面倒なのよ」
どうも自分が悪いとは思っていないらしい。
ベアトリスはもう一度船員の去った扉の方を見て振り返った。
「私、魔法使うつもりだからね」
「あああ、やっぱり」
ライが曖昧に笑う。
「もしもアイツだったら私一人じゃ荷が重いかもしれないけど、仕方ないわ」
そういうと、ベアトリスは扉へ向かった。
「え、あ、私も行きます」
セラフィナが追おうとして立ち止まり、ライに声をかける。
「ライさんはどうします?」
「あんな意味深な言葉残して先に行くなんてズルイよねー」
言いながら立ち上がる。
「僕泳げないんだけどなぁ」
気が乗らないながらも付いてきてくれるライに、セラフィナは笑顔を向けた。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
「あちゃー」
ベアトリスを見つけた船員が頭を抱える。
まだ甲板に上がっていないが、上がろうとしていたのはすぐにわかったのだ。
「甲板は危ないから船室にいてって言われたでしょう?お嬢ちゃん」
「ティリーよ」
「すまんすまん、部屋に戻ってなティリー」
なんとか回れ右させようと背中に手を回したのだが。
「危険を知らせないのは何故?」
するりとすり抜けられる。
「あのねー、騒ぎが大きくなるとちょっとしたことでも大事になっちゃうんだよ」
「ちょっとしたことじゃないじゃない」
「ソレはまだ確認できてないからサー」
船員も何とかベアトリスの両肩を掴み、向きを変えて押し出す。
「なんともなければいいがね」
「楽観的すぎ」
間髪入れずに言い返す。
後を追ったセラフィナとライがようやく追いついてきた。
「速いねー」
「決めたら速いわよ、当たり前」
「あ、そう」
そんなやりとりを見た船員が笑う。
「面白いなー、アンタ達」
「いや、一括りにされても困るんだけど」
ドォォォン
耳を塞ぎたくなるような大音響と共に、船体が大きく揺れた。
一瞬体が浮き上がるくらいのかなり大きな揺れ。
「何よ、やっぱりアイツじゃない」
船員の手をすり抜け、ベアトリスが走り出した。
振り向く船員の隣をすり抜け、ライとセラフィナも後を追った。
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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「何かありましたって言いふらしてるようなモノよね」
駆け去る船員を見て、ベアトリスが眉をひそめる。
セラフィナも船員達の慌ただしさはただごとではないと思っていたので笑えない。
「事と次第によっては、私の方がずっと役に立つのに」
そういった彼女に向き直って、目を閉じていたライが溜め息を付いた。
「近くで魔法は控えて欲しいって言わなかったっけ?」
「あら、だから控えてるじゃない」
砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら、当たり前のように言うベアトリス。
セラフィナは心配そうにベアトリスを見つめた。
「ねぇティリー、危ないコトするつもりじゃないわよね?」
「身の危険を感じなきゃね」
即答。
ベアトリスはくいっとコーヒーを飲み干した。
「二人だって周りに任せた方が危ないと思ったら、自分で動くでしょ」
ライとセラフィナが顔を見合わせる。
セラフィナは自分に何か出来そうなとき、色々なことに首を突っ込んできただけに
曖昧な苦笑しか浮かべることが出来ない。
ライは溜め息を付いて机に突っ伏した。
「で、行くつもりなワケね」
「もちろん」
口元をハンカチで軽く拭うと、ベアトリスが立ち上がる。
「足手まといになる可能性とかは考えない……よねー」
「若くても腕はいいんだから!」
気分を害したのか、キツイ目で見下しながら胸を張った。
やれやれ、とライは頭を抱える。
「で、セラフィナさんは?」
「放っておけませんよ」
「……そう、だろうねー……」
予想通りの答えに脱力するライ。
セラフィナが立ち上がるのを確認して、ベアトリスがライに向き直った。
「あなたは留守番?」
「もう少し様子を見てからでもイイと思うけどナァ」
「理由は魔法が怖いから?」
「……って、そうじゃなくて。君も人の話聞いてないよね……」
「まわりくどい話って面倒なのよ」
どうも自分が悪いとは思っていないらしい。
ベアトリスはもう一度船員の去った扉の方を見て振り返った。
「私、魔法使うつもりだからね」
「あああ、やっぱり」
ライが曖昧に笑う。
「もしもアイツだったら私一人じゃ荷が重いかもしれないけど、仕方ないわ」
そういうと、ベアトリスは扉へ向かった。
「え、あ、私も行きます」
セラフィナが追おうとして立ち止まり、ライに声をかける。
「ライさんはどうします?」
「あんな意味深な言葉残して先に行くなんてズルイよねー」
言いながら立ち上がる。
「僕泳げないんだけどなぁ」
気が乗らないながらも付いてきてくれるライに、セラフィナは笑顔を向けた。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
「あちゃー」
ベアトリスを見つけた船員が頭を抱える。
まだ甲板に上がっていないが、上がろうとしていたのはすぐにわかったのだ。
「甲板は危ないから船室にいてって言われたでしょう?お嬢ちゃん」
「ティリーよ」
「すまんすまん、部屋に戻ってなティリー」
なんとか回れ右させようと背中に手を回したのだが。
「危険を知らせないのは何故?」
するりとすり抜けられる。
「あのねー、騒ぎが大きくなるとちょっとしたことでも大事になっちゃうんだよ」
「ちょっとしたことじゃないじゃない」
「ソレはまだ確認できてないからサー」
船員も何とかベアトリスの両肩を掴み、向きを変えて押し出す。
「なんともなければいいがね」
「楽観的すぎ」
間髪入れずに言い返す。
後を追ったセラフィナとライがようやく追いついてきた。
「速いねー」
「決めたら速いわよ、当たり前」
「あ、そう」
そんなやりとりを見た船員が笑う。
「面白いなー、アンタ達」
「いや、一括りにされても困るんだけど」
ドォォォン
耳を塞ぎたくなるような大音響と共に、船体が大きく揺れた。
一瞬体が浮き上がるくらいのかなり大きな揺れ。
「何よ、やっぱりアイツじゃない」
船員の手をすり抜け、ベアトリスが走り出した。
振り向く船員の隣をすり抜け、ライとセラフィナも後を追った。
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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大きな揺れのあと、甲板から歓声が溢れてきていた。
歓声だ。「やった」だの「運がいい」だのと船員達が騒いでいる。
「どうしたの?」
近くにいた一人に声をかけると、彼は興奮した様子で振り返り、「今夜はご馳走だぞ」
と意味不明なことを言ってきた。
「危険だから、あんたらは戻ってな!」
行く手でまたベアトリスが船員に捕まっているのが見えた。どうやら甲板に出ようと
するのを止められているらしい。彼女は諦めきれずに叫んでいるが、外からの声のほう
が大きくて何を言っているのか聞こえない。
「危険って、何が……」
「いいんだ兄ちゃん――これは、海の男の聖戦なんだ」
格好つけて首を横に振られる。まだ何も言っていないんだけど手助けとか必要ないな
らいいや。切羽詰っているわけでもなさそうだし。
セラフィナが首を傾げた。
「どういうことですか?」
「海の女神が俺たちに与えたもうた、これは好機なんだ」
駄目だ聞いてもわかんねぇ。
ライは理解を放棄して、船員の横をすり抜けベアトリスの元まで進んだ。彼女の周り
で魔力が渦を巻いているのが見えたのだ。いくらなんでも、乗っている船の船員を吹き
飛ばすのは問題だろう。
「ティリー、関わったら人間がダメになりそうだから戻ろうよ」
「……ズレてるワリに的確なこと言うわね」
ベアトリスは少し脱力したあとで、
「でも私は今度こそアレを見たいの!」
「アレって?」
彼女は外で何が起こっているのか知っているのだろうか。
問いかけると睨むようにこちらを見上げてきた。大きな青の双眸はどこまでも澄んで
いて底が見えない。まだこの子は子供なんだ。ライはなんとなくそんなことを思う。
純粋すぎるように見える瞳に意識を引きこまれるような錯覚に陥りながらライは重ね
て訊いた。魔法の力に酔いかける。
「……外に、出たいの?」
今なら――彼女が頷けば、そのためになんでもするかも知れない。悪い傾向だと自覚
しているが、どうも魔力にあてられると自分の意思が輪郭を失っていくのを感じる。
「当たり前じゃない。伝説の巨大イカがいるのよ!」
「なんだってぇ?」
惚けかけていた意識が瞬時に冷めた。
冷水の代わりに冷凍ナマモノを浴びせられたような感じだ。
「だからイカよイカ。この船よりも大きな伝説の珍味!」
巨大イカか。今夜はご馳走か。海の男の聖戦か。珍味か。つまり、こういうことか。
でっかいイカを船員総掛かりで狩って、食べるのか。イカづくしか。そりゃすげえや。
「…………僕もうこの船おりるー」
「やめとけって。陸まで遠いぞ」
ケラケラと笑う船員にベアトリスが噛み付いた。
「外に出してよ!」
「だからダメだってば。ごめんよー、客には見せるなって」
巨大イカを見るのーぉ、とばたばた暴れる彼女から助けを求めるように船員はこちら
を見たが、ライはその視線を受け流した。セラフィナが合流してきて、「イカがどうし
たんですか?」と訊いてきた。
なんだか頭が痛い。狭い視界をめぐらせてセラフィナの黒髪をぼんやりと見ながら
「ああ、うん……」と曖昧な返事だけをする。なんと言ったものか。
「甲板で巨大イカ捕獲パーティーやってるの。
アレは絶滅寸前で保護されてるのよ! 足の一本や二本はいいけど、間違えて殺しち
ゃったりしたら大問題になるわ」
「……え?」
セラフィナが停止した。
あーあ、やっちゃったと思いながらライはため息をついた。ため息は不運を招く。本
当に迷信だろうか?
とりあえず無難なことを訊いてみる。
「なんで絶滅しそうなの?」
「だって乱獲されてるんだもん。あぶって、バター醤油で食べると美味しいのよ」
「ああ、そう……」
醤油って確か東の方の調味料だったよなとか思い出す。そしてベアトリスは食べたこ
とあるのか巨大イカ。
さっき諦めた現実逃避の続きをやりたくなってきた。
「そういうワケで、殺しちゃう前にとめなきゃいけないの。
私一人じゃ難しいかも知れないけど……魔法使うから、怖いなら中にいていいわよ」
「別に、怖かないけどさぁ」
船がまた揺れた。キャア、と小さな悲鳴を上げたベアトリスを支え、ライはセラフィ
ナを振り向いた。壁に手をついた彼女に声をかける。
「どうする? 見に行く?」
「……え? あ、その、本当にイカですか!?」
「当たり前じゃない」
ふぅ、とベアトリスが息をついて、それから、立ちっぱなしになっていた船員の横を
すり抜けて甲板に飛び出して行った。
「あっ、コラ!」
船員もそれを追いかけて消えてしまう。
甲板からは相変わらず興奮した叫び声だの怒鳴り声だのが聞こえていて、それに混じ
って何かの咆哮のようなものも木霊していた。そうか、イカって鳴く生き物だったのか。
「あの、ライさん……」
「…………本当に行く?」
ライは恐る恐るセラフィナに訊いた。
外は雨なのに賑やかだ。
場所:デルクリフ⇔ルクセン
------------------------------------------------------------------------
大きな揺れのあと、甲板から歓声が溢れてきていた。
歓声だ。「やった」だの「運がいい」だのと船員達が騒いでいる。
「どうしたの?」
近くにいた一人に声をかけると、彼は興奮した様子で振り返り、「今夜はご馳走だぞ」
と意味不明なことを言ってきた。
「危険だから、あんたらは戻ってな!」
行く手でまたベアトリスが船員に捕まっているのが見えた。どうやら甲板に出ようと
するのを止められているらしい。彼女は諦めきれずに叫んでいるが、外からの声のほう
が大きくて何を言っているのか聞こえない。
「危険って、何が……」
「いいんだ兄ちゃん――これは、海の男の聖戦なんだ」
格好つけて首を横に振られる。まだ何も言っていないんだけど手助けとか必要ないな
らいいや。切羽詰っているわけでもなさそうだし。
セラフィナが首を傾げた。
「どういうことですか?」
「海の女神が俺たちに与えたもうた、これは好機なんだ」
駄目だ聞いてもわかんねぇ。
ライは理解を放棄して、船員の横をすり抜けベアトリスの元まで進んだ。彼女の周り
で魔力が渦を巻いているのが見えたのだ。いくらなんでも、乗っている船の船員を吹き
飛ばすのは問題だろう。
「ティリー、関わったら人間がダメになりそうだから戻ろうよ」
「……ズレてるワリに的確なこと言うわね」
ベアトリスは少し脱力したあとで、
「でも私は今度こそアレを見たいの!」
「アレって?」
彼女は外で何が起こっているのか知っているのだろうか。
問いかけると睨むようにこちらを見上げてきた。大きな青の双眸はどこまでも澄んで
いて底が見えない。まだこの子は子供なんだ。ライはなんとなくそんなことを思う。
純粋すぎるように見える瞳に意識を引きこまれるような錯覚に陥りながらライは重ね
て訊いた。魔法の力に酔いかける。
「……外に、出たいの?」
今なら――彼女が頷けば、そのためになんでもするかも知れない。悪い傾向だと自覚
しているが、どうも魔力にあてられると自分の意思が輪郭を失っていくのを感じる。
「当たり前じゃない。伝説の巨大イカがいるのよ!」
「なんだってぇ?」
惚けかけていた意識が瞬時に冷めた。
冷水の代わりに冷凍ナマモノを浴びせられたような感じだ。
「だからイカよイカ。この船よりも大きな伝説の珍味!」
巨大イカか。今夜はご馳走か。海の男の聖戦か。珍味か。つまり、こういうことか。
でっかいイカを船員総掛かりで狩って、食べるのか。イカづくしか。そりゃすげえや。
「…………僕もうこの船おりるー」
「やめとけって。陸まで遠いぞ」
ケラケラと笑う船員にベアトリスが噛み付いた。
「外に出してよ!」
「だからダメだってば。ごめんよー、客には見せるなって」
巨大イカを見るのーぉ、とばたばた暴れる彼女から助けを求めるように船員はこちら
を見たが、ライはその視線を受け流した。セラフィナが合流してきて、「イカがどうし
たんですか?」と訊いてきた。
なんだか頭が痛い。狭い視界をめぐらせてセラフィナの黒髪をぼんやりと見ながら
「ああ、うん……」と曖昧な返事だけをする。なんと言ったものか。
「甲板で巨大イカ捕獲パーティーやってるの。
アレは絶滅寸前で保護されてるのよ! 足の一本や二本はいいけど、間違えて殺しち
ゃったりしたら大問題になるわ」
「……え?」
セラフィナが停止した。
あーあ、やっちゃったと思いながらライはため息をついた。ため息は不運を招く。本
当に迷信だろうか?
とりあえず無難なことを訊いてみる。
「なんで絶滅しそうなの?」
「だって乱獲されてるんだもん。あぶって、バター醤油で食べると美味しいのよ」
「ああ、そう……」
醤油って確か東の方の調味料だったよなとか思い出す。そしてベアトリスは食べたこ
とあるのか巨大イカ。
さっき諦めた現実逃避の続きをやりたくなってきた。
「そういうワケで、殺しちゃう前にとめなきゃいけないの。
私一人じゃ難しいかも知れないけど……魔法使うから、怖いなら中にいていいわよ」
「別に、怖かないけどさぁ」
船がまた揺れた。キャア、と小さな悲鳴を上げたベアトリスを支え、ライはセラフィ
ナを振り向いた。壁に手をついた彼女に声をかける。
「どうする? 見に行く?」
「……え? あ、その、本当にイカですか!?」
「当たり前じゃない」
ふぅ、とベアトリスが息をついて、それから、立ちっぱなしになっていた船員の横を
すり抜けて甲板に飛び出して行った。
「あっ、コラ!」
船員もそれを追いかけて消えてしまう。
甲板からは相変わらず興奮した叫び声だの怒鳴り声だのが聞こえていて、それに混じ
って何かの咆哮のようなものも木霊していた。そうか、イカって鳴く生き物だったのか。
「あの、ライさん……」
「…………本当に行く?」
ライは恐る恐るセラフィナに訊いた。
外は雨なのに賑やかだ。
人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
------------------------------------------------------------------------
外は雨が降っていて、船は時々大きく揺れて。
歓声と咆哮と怒鳴り声と雨音が入り交じった賑やかな甲板。
何はともあれ、外の様子が平穏とはとても思えなかった。
「…………本当に行く?」
ライが訊ねる。
セラフィナはしばらく固まったままだった。何故か。
イカ?何故イカ?本当にイカ?
頭がごちゃごちゃしていて、しかもその大半をイカが占めているという、史上稀に
見る混乱っぷりだったからなのだが。
「……助け、なきゃ……」
セラフィナは半ば強引に意識を引き戻すと、そう呟く。
ライが肩を落としたが、セラフィナの目には映っていなかった。
「ああ、うん、そうだよね……」
深ーく溜め息をつくライ。セラフィナはまだ若干目が泳いでいる。
「そうですよ、早く行かないとイカが手遅れになってしまいます!」
「……って、イカですか?!」
視点がまだ定まらないまま走り出したセラフィナを追って、ライも甲板に走り出
る。
音の割に雨足は強くないが、足場が滑って危険なことには変わりない。船員達も不
安定な体制をフォローするように、ロープで体を結びあっているようだ。
見渡しても、イカはいなかった。
船員達の様子から見て、一度海中に潜ったのだろうか。船員達は、しきりに海面の
様子を気にしている。
ぐらり、船体が揺れた。
セラフィナとライは、慌てて近くのロープへ手を伸ばす。
「……きゃっ!」
唯一ロープに繋がれていない少女がバランスを崩した。
ティリーだ!
「危ない!」
ティリーの視界が急に暗くなった。影が視界を覆っている。
「あっ……」
影はティリーを引き寄せた。
ティリーは手足をバタつかせるが、咄嗟のことに魔法も使えない有様。しかも非力
な少女となれば、抵抗もあってないようなモノ。
しかし。
影は彼女に危害を加えることなく、マストに繋がるロープへ導く。
ロープをしっかり掴まされて初めて、ティリーは顔を上げた。
ライだった。
「あり……がと」
ティリーの頬が朱に染まる。
それは迂闊な行動に対する恥ずかしさなのか、さっきの危機を思い出しての興奮な
のか、自分でも分からなかったけれど。
「暴れるのは、勘弁してねー」
ライがティリーに苦笑を向けると、もう一度船体が大きく傾いた。
ティリーは必死にライにしがみつき、ライもなんとかロープに食い下がる。
「来たぞー!」
誰かが叫んだ。
見上げるとソコには、船よりも巨大な、色がめくるめく変わる半透明の表皮に包ま
れたイカが、いた。
「大丈夫ですか?」
二人の元に駆けつけたモノの。
セラフィナは見上げた対象の異様さに、言葉を失う。
「うわぁ、イカだね……」
呆気にとられるライ。
「だから私が言ったじゃない……」
口調の割に弱々しい声のティリー。まだライから離れられないでいる。
「ほら、アンタ達は危ないから、中に入ってな!」
船員が怒鳴るように声をかけたが、三人は惚けたまま動かない。
「私の包丁さばきを見るがいいぃぃぃ!!」
どうも先頭を切っているのは、普段はおとなしいコックのようで。
両手に構えた菜切り包丁が不気味に煌めく。
他の船員達も、意気揚々と慌ただしく動き回り、なにやら捕獲の準備をしているの
だった。
「……ダメー!」
ティリーが叫ぶが、船員達の耳には届かない。
もう魔法を使うこともすっかり忘れて、ティリーはライにしがみついていた。
「事情を説明して、やめてもらいましょう」
ようやく現実認識が出来るようになってきたセラフィナが、船員達の方を見て呟
く。
「今は何言っても聞こえそうにないよね」
ライがイカを見上げたまま呟く。
「よーっし、いっくぞー!」
船員の一人が叫んだのを合図に、一体どういう手法で切り取ったのか、イカの足が
一本降ってきた。
「あっ」
「うわっ」
「きゃっ」
下敷きにされかけながらもなんとか避ける三人。
回り受け身をとって避けたセラフィナは、歓喜の声を上げる船員達に向かって針を
構えた。
「ご免なさい」
小さな謝罪の言葉と共に、男達の動きが少しずつ止まっていく。
セラフィナが放った針の効果で、運動能力が奪われているのだ。
幸い、ロープで体を繋ぎ合わせているため、揺れで船外に投げ出される者はいな
い。
「ダメよ、足を切られて怒ってる!このままじゃ、船が沈むわ!!」
ティリーが叫ぶ。
セラフィナに向かい、鞭のように巨大イカの足が伸びて。
ドフッ
横から強烈な衝撃を受けて吹き飛ばされる。
セラフィナはこの厚い表皮を針で貫けるか、ツボはどこにあるのか、必死になって
考えていたが、宙に浮いて逃げ道がないところを上からもう一度叩きつけられ、波間
に落とされる。
「セラフィナさん!」
セラフィナは冷たい海中に沈み込む直前、ライの声を聞いたような気がした……。
場所:デルクリフ⇔ルクセン
------------------------------------------------------------------------
外は雨が降っていて、船は時々大きく揺れて。
歓声と咆哮と怒鳴り声と雨音が入り交じった賑やかな甲板。
何はともあれ、外の様子が平穏とはとても思えなかった。
「…………本当に行く?」
ライが訊ねる。
セラフィナはしばらく固まったままだった。何故か。
イカ?何故イカ?本当にイカ?
頭がごちゃごちゃしていて、しかもその大半をイカが占めているという、史上稀に
見る混乱っぷりだったからなのだが。
「……助け、なきゃ……」
セラフィナは半ば強引に意識を引き戻すと、そう呟く。
ライが肩を落としたが、セラフィナの目には映っていなかった。
「ああ、うん、そうだよね……」
深ーく溜め息をつくライ。セラフィナはまだ若干目が泳いでいる。
「そうですよ、早く行かないとイカが手遅れになってしまいます!」
「……って、イカですか?!」
視点がまだ定まらないまま走り出したセラフィナを追って、ライも甲板に走り出
る。
音の割に雨足は強くないが、足場が滑って危険なことには変わりない。船員達も不
安定な体制をフォローするように、ロープで体を結びあっているようだ。
見渡しても、イカはいなかった。
船員達の様子から見て、一度海中に潜ったのだろうか。船員達は、しきりに海面の
様子を気にしている。
ぐらり、船体が揺れた。
セラフィナとライは、慌てて近くのロープへ手を伸ばす。
「……きゃっ!」
唯一ロープに繋がれていない少女がバランスを崩した。
ティリーだ!
「危ない!」
ティリーの視界が急に暗くなった。影が視界を覆っている。
「あっ……」
影はティリーを引き寄せた。
ティリーは手足をバタつかせるが、咄嗟のことに魔法も使えない有様。しかも非力
な少女となれば、抵抗もあってないようなモノ。
しかし。
影は彼女に危害を加えることなく、マストに繋がるロープへ導く。
ロープをしっかり掴まされて初めて、ティリーは顔を上げた。
ライだった。
「あり……がと」
ティリーの頬が朱に染まる。
それは迂闊な行動に対する恥ずかしさなのか、さっきの危機を思い出しての興奮な
のか、自分でも分からなかったけれど。
「暴れるのは、勘弁してねー」
ライがティリーに苦笑を向けると、もう一度船体が大きく傾いた。
ティリーは必死にライにしがみつき、ライもなんとかロープに食い下がる。
「来たぞー!」
誰かが叫んだ。
見上げるとソコには、船よりも巨大な、色がめくるめく変わる半透明の表皮に包ま
れたイカが、いた。
「大丈夫ですか?」
二人の元に駆けつけたモノの。
セラフィナは見上げた対象の異様さに、言葉を失う。
「うわぁ、イカだね……」
呆気にとられるライ。
「だから私が言ったじゃない……」
口調の割に弱々しい声のティリー。まだライから離れられないでいる。
「ほら、アンタ達は危ないから、中に入ってな!」
船員が怒鳴るように声をかけたが、三人は惚けたまま動かない。
「私の包丁さばきを見るがいいぃぃぃ!!」
どうも先頭を切っているのは、普段はおとなしいコックのようで。
両手に構えた菜切り包丁が不気味に煌めく。
他の船員達も、意気揚々と慌ただしく動き回り、なにやら捕獲の準備をしているの
だった。
「……ダメー!」
ティリーが叫ぶが、船員達の耳には届かない。
もう魔法を使うこともすっかり忘れて、ティリーはライにしがみついていた。
「事情を説明して、やめてもらいましょう」
ようやく現実認識が出来るようになってきたセラフィナが、船員達の方を見て呟
く。
「今は何言っても聞こえそうにないよね」
ライがイカを見上げたまま呟く。
「よーっし、いっくぞー!」
船員の一人が叫んだのを合図に、一体どういう手法で切り取ったのか、イカの足が
一本降ってきた。
「あっ」
「うわっ」
「きゃっ」
下敷きにされかけながらもなんとか避ける三人。
回り受け身をとって避けたセラフィナは、歓喜の声を上げる船員達に向かって針を
構えた。
「ご免なさい」
小さな謝罪の言葉と共に、男達の動きが少しずつ止まっていく。
セラフィナが放った針の効果で、運動能力が奪われているのだ。
幸い、ロープで体を繋ぎ合わせているため、揺れで船外に投げ出される者はいな
い。
「ダメよ、足を切られて怒ってる!このままじゃ、船が沈むわ!!」
ティリーが叫ぶ。
セラフィナに向かい、鞭のように巨大イカの足が伸びて。
ドフッ
横から強烈な衝撃を受けて吹き飛ばされる。
セラフィナはこの厚い表皮を針で貫けるか、ツボはどこにあるのか、必死になって
考えていたが、宙に浮いて逃げ道がないところを上からもう一度叩きつけられ、波間
に落とされる。
「セラフィナさん!」
セラフィナは冷たい海中に沈み込む直前、ライの声を聞いたような気がした……。