PC:悪魔の娘
NPC:魔女(母親)、とある不思議な青年(笑)
場所: ?
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ーーーーーーー
茨の魔女,斜陽の娘、悪魔の愛娘
『δμκιλθξ』(マレフィセント)
少女は悪魔と魔女の間に産まれた子供だった。
父親は知らなかった、物心ついたときには母親である魔女しかいなかったので
ある。
すぐに少女は自分が悪魔であるということを知ることができた。
尻尾も黒い翼もキチンとあったし、なにより下半身が動物でツノまで生えてい
れば、いやがおうにも人間の基本的な形との差異は明らかであった。
自分の姿が嫌い、というわけでもなかったが。
母親は、美人だった。
少女とは似ても似つかぬ美しい人間の体と、美貌の女性であった。
大理石よりも白い肌に、夜よりも暗い黒の髪。服はいつも黒だった。
母親は、赤い血が流れているとは思えないほどの、美しい白磁の肌の持ち主だ
った。
いつも赤や紫や青い夕暮れの禁忌の森。それが少女の遊ぶ場所だった。
斜陽の城、糸紡ぎのような鋭く天を突き刺す針のような城。それが少女の家だ
った。
ある日、母親が王の姫君に呪いをかけた。
その王女の聖誕祭に、少女の母親は招かれなかった。母親は嫌われていた。
仲間はずれ、とは幼稚で容易な単語と行為だが、効果は絶大である。
他の魔女は招かれた、祝福された。母親は祝福も、招待状も受けられなかっ
た。
独りだけ集団の枠から外された母親は怒った。悲しかった。辛かった。
元々、母親は群れる性質の持ち主ではなかった。それでも、あからさまに孤独
を突きつけられて怒った。
母親は百年の呪いをかけた。
王女に、そして城に。王に、大臣に、兵士に、侍女に、馬に、犬に。
城に在るべきもの全てに、呪いをかけた。
そして、百年後。
約束の王子が現れて、姫君を救った。城を救った。
村人は祝福し、感激し、歓呼した。城の人々も、自分達の英雄に感謝と崇拝を
捧げた。
王子は言った。
「まだ物語りは終わっていない。悪しき魔女を倒すのだ!」と。
少女が、ある真夜中に目が覚めたら、世界はすでに鮮血色に染まっていた。
城は燃え、森は焼かれ、空は爛れて赤くなっていた。
焦げる匂いと熱い炎の風で、城は満たされていた。
窓辺に駆け寄ると、下には松明や剣を掲げた人間の集団があった。
叫んでいた「悪い魔女を殺せ!」「悪の御使いを倒せ!」「正義を行使し
ろ!」
少女は走った、走った、走った。
何度も炎に炙られ、割れた石のヒビ目に足を取られた。
炎の熱気で眼球が乾いて、涙が出た。ぼやけた視界で、必死に走った。
汚れてすすけた手で、大広間の扉を力任せに開いた。
赤く赤く燃える広間、溶けるシャンデリア。
赤いカーテンは血よりも真っ赤に燃え盛り、金の装飾は原型を残さず崩れてい
た。
母親は美しい姿のままで、そこにいた。
美しい胸の双丘の間に、少女を抱きしめてくれるそこには、少女ではなく光輝
く大振りの剣が埋まっていた。
少女は初めて、母親の血の色はやっぱり赤色だったのだと理解した瞬間だっ
た。
美しい母親は、いつもと同じで綺麗だった。剣に貫かれても、美しかった。
いつもの、変わらない母親であった。美しい人だった。
どこかで、勇者によって柱が崩れたのだろう。
大音響と共に歓声と振動が同時に聞こえた。城が、二人の世界が崩れ始めてい
た。
『αθ、θζζγαθβ?(お母さん、死んじゃうの?)』
答えはなかった。
美しい人は、赤い血溜まりにうずくまって、か細い呼吸を繰り返していた。
少女は、乾いた眼球から流れる涙はそのまま、冷静に問いかけた。
『αθ、ωσθθβαγθωσ?(お母さんは、どうして死んじゃうの?)』
眼球の作用ではない涙が流れても、炎の熱気で蒸発してしまう。
『αθ、βααωβζθγσαωββω?(お母さんは、悪い人なの?)』
息が苦しくて、声が掠れても、少女は問いかけた。
『αθ、βααωβζθγσαθωσ、ωβωω?(お母さんは悪い魔女だから、
死んじゃうの?)』
少女は問うた。悪しきものなら、死んでしまってもいいのか。
『αθ、βααωβζθγσαω、ββω?(お母さんは、悪い人だから、死ん
じゃうの?)』
少女は問うた。世界はどうやって悪と正義を見分けるのか。
少女の母が悪ならば、一体誰が正義なのか。王子や村人が正義なら、少女のか
けがえない大切な母を奪ってしまってもいいものなのか? と。
母親は、城に思い知らせてやりたかった。
置き去りに、仲間はずれにされることの悲しさ、辛さ、苦しさ、痛み、思い
を。
百年経てば、城は周囲から時間的に社会的に取り残されている状態。
取り残されることがどんなに悲しくて寂しいか、それを思い知らせてやりたか
ったのだろう。
確かに、賢い手段でも理性ある大人の行動でもなかった。
でも、彼女は誰も殺さなかった。誰も殺しも傷つけもしなかった。
だが城は自らが招いた行動の報復に、過剰な報復をもって対応した。
魔女は、ただ思い知らせてやりたかった。それだけだった。
崩れ落ちる城で、少女は途方にくれた。
悲しもうにも炎の風で翻弄されて、母親に擦り寄りたくても巨大な裂け目が二
人を別つ。
もう、どうしようもなかった。
母親が立った。
鮮血の赤に塗れたその姿は、とても美しい人だった。
『来たれ、次元の門。世界の繋ぎ目、領域の狭間。物語の切れ端にて舞台の幕
よ。
我が呼び声に答え、叫び、絶叫して響け。開け我が望みの一縷よ』
それは少女には分からない呪文で、魔法だった。
ものすごい魔力が溢れ出して爆発する、飛び散った破片がまた収束して、巨大
な扉が出てきた。
少女の、後ろに。
炎の舞台で、暗黒のような断裂の裂け目を挟み、魔女と娘は相対する。
『θγγ(行きなさい)』
『αθ?(お母さんは?)』
火の粉が舞って、さらに世界は赤く見えた。
『ττ、τψ。ττ、αθχβζθ(いやだ、いやだよう。お母さんと一緒
にいる)』
『υ、φθθταωζγαρ(さあ、早く。もうこの姿も命も持たないのだ
から)』
扉が開いた。
中は真っ黒な底なし沼のようだった。恐怖に怯えて、母を振り返った。
『αθ、ορσωθζρα(お母さん、一緒にいこう)』
『κλαθ、μμωζδηθββσρυ、φθ(私の可愛い娘よ、いい子だから
歩みなさい)』
白い扉、暗黒の内部。
少女は泣き始めた。恐くて恐くて、心が潰されそうだった。
何より、これから起こるであろう母親の永劫の不在が、もっと恐かった。
『ττ、τψ。βααωβζφισμμ、ξοοτχψαα(いやだ、いやだよ。
悪い子でいい。お母さんと一緒がいい、恐いよ、行きたくない)』
『…κλαθ、φφαυσωλ。(…愛してるわ可愛い子、私のたった一人の娘)』
少女には、何が起こったのかよく分からなかった。
魔女は初めて娘に手をあげて娘を魔法で弾き飛ばした。
冗談みたいに舞った少女の肢体は扉の中に吸い込まれて、最後の名残に精一杯
手を伸ばして母親を求めようとして…消えた。
最後に、魔女は鮮血の言葉を残して、その体は灰となり。
それでも、干乾びた唇は美しい言葉を紡いでいた。
『 κλαθ、φφαυσωλ 』
愛しているわ可愛い我が子、私の大切な娘よ
少女には名前がなかった。
いつだって母親と二人きりだった。
だから区別する記号なんて、いらなかった。
母親は少女を『娘』と呼んでいたし、それが該当する人物は自分しかあり得な
かった。
だから。
少女は名前がなかった。
少女の世界は、母親と少女だけのものだった。あと、母親から貰った初めての
使い魔だけ。
使い魔の名前は『スティック・ピープル(魔物の意)』
だけれども、少女には、名前がなかった。
誰も必要としなかったし、必要とも思わなかった。
二人と一匹だけの世界で、少女は世界は完全だったのだから。
だから。
放り出された、訳ののわからない世界で、一人で泣きじゃくっていた時。
“偶然”通りかかったある青年に名前を尋ねられても、答えられなかった。
「こんばんわ、可愛いお嬢さん。こんな森のはずれでどのようなご用件で?
こんな物騒な場所にいては、いずれ喰われてしまいますよ」
場違いなまでに慇懃無礼な落ち着いた声音。
しかし、彼女にはその言葉は聞き取れなかった。分からなかった。
「言葉は通じませんか。
しかし、敵意はないようですね。さて、どうしたものか…」
彼は少女の小さな掌の上で、細い指先を使っていくつかの単語をかいた。
魔法文字・精霊文字・ルーン単語・異界文面・古代文字。
だがしかし、全て少女にはおかしな記号の羅列にしかわからなかった。
「どれも通じないとは…せめて名前だけでも伺いたいのですが…」
彼はそう言って、自分自身を指差して呟いた。
5回ほど発音してみると、少女はそれが彼を示す単語(名前)であると理解
し、途切れ途切れながらも真似して発音してみた。
「そうそう、お上手ですよ。お嬢さん、あなたのお名前は?」
次に指を指されて、ようやく自分のことを言われているのだと理解した少女。
自分の名前は、なかった。
名前になりそうな、名前もなかった。
思いつく名前は、一つしかなかった。
『δμκιλθξ(茨の魔女)』
「マレフィセント?」
青年は、意外そうに呟いた。彼には、そうやってその異界の音は聞き取れた。
そしてその名前は、少女の母親の名前だった。それは眠れる王女に呪いをかけ
た仲間はずれの魔女の名前。
「なるほど、さしずめ童話の闇の魔城ホロウバスティオンよりやってきた異界
の魔女
という事ですか」
ホロウナントカという単語は少女には不明であり、少女は不思議そうに見つめ
る。
青年は自己完結したようで、なぜか満足げに微笑んでいる。
「いやいや、偶然の一致か。いや違う、これは“アリス”の望みのままか。
どちらにしろ同じ事だ…」
微笑んだ口唇は三日月型。
少女は、なぜか母親を思い出した。母親は一度もそんな風に笑ったことなどな
かった。
それでも。その大理石のような白い肌と、闇夜すら凍らせる黒髪と姿に、母親
が重なった。
縋れる者は、彼しかいなかった。
青年は、そうやって泣きながらすがりつく悪魔の娘を、優しく抱き上げた。
「ええ、安心なさい。貴方は私が引き取りましょう。
貴方の物語、魂、心、夢、絶望、悲嘆。全て私が受け入れましょう」
少女は、そうやって新しい「母親」を手に入れた。
新しい「母親」はちょっと不思議な人だったけれど、本当のお母さんと同じぐ
らい優しかった。
新しい「母親」は、何でも少女に与えて、教えてくれた。
世界のこと、人々のこと、季節のこと、風のこと、陽光の輝き、星辰の瞬き、
朝焼けの光。
言葉が通じなくても、身振り手振りや雰囲気で教えてくれた。
そうして、少女は次第に、とある考えを抱き始めた。
ある日。
母親に内緒でこっそり『家』を抜け出した。
もちろん、覚えたてのつたない文字で『遊んできます』とかいてみたが、あの
呪術文字レベルな造詣の曲がりくねった文字を解読するのはあの「母親」でも
時間がかかるだろうという出来であったが。
本当の母親は、魔女。
父親は知らないが、以前聞いたことはあった。
彼は純粋な悪魔で、少女は父親の遺伝を受け継いでいると。
父親は、どこにいるんだろうか?ここは、いろいろな種族がいる世界。
お父さんは、どこにいるんだろう?ここは、様々な人々と人でない者達が交差
する世界。
それだけで、幼い少女が夜明けの空に飛び立つ理由は、十分だったのだろう。
朝日の輝きの中に、悪魔の少女が飛んでいる。
マレフィセント
茨の魔女、斜陽の娘。異界の悪魔。
歪な角を持って生まれた、呪われた魔女の可愛い愛娘。
NPC:魔女(母親)、とある不思議な青年(笑)
場所: ?
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茨の魔女,斜陽の娘、悪魔の愛娘
『δμκιλθξ』(マレフィセント)
少女は悪魔と魔女の間に産まれた子供だった。
父親は知らなかった、物心ついたときには母親である魔女しかいなかったので
ある。
すぐに少女は自分が悪魔であるということを知ることができた。
尻尾も黒い翼もキチンとあったし、なにより下半身が動物でツノまで生えてい
れば、いやがおうにも人間の基本的な形との差異は明らかであった。
自分の姿が嫌い、というわけでもなかったが。
母親は、美人だった。
少女とは似ても似つかぬ美しい人間の体と、美貌の女性であった。
大理石よりも白い肌に、夜よりも暗い黒の髪。服はいつも黒だった。
母親は、赤い血が流れているとは思えないほどの、美しい白磁の肌の持ち主だ
った。
いつも赤や紫や青い夕暮れの禁忌の森。それが少女の遊ぶ場所だった。
斜陽の城、糸紡ぎのような鋭く天を突き刺す針のような城。それが少女の家だ
った。
ある日、母親が王の姫君に呪いをかけた。
その王女の聖誕祭に、少女の母親は招かれなかった。母親は嫌われていた。
仲間はずれ、とは幼稚で容易な単語と行為だが、効果は絶大である。
他の魔女は招かれた、祝福された。母親は祝福も、招待状も受けられなかっ
た。
独りだけ集団の枠から外された母親は怒った。悲しかった。辛かった。
元々、母親は群れる性質の持ち主ではなかった。それでも、あからさまに孤独
を突きつけられて怒った。
母親は百年の呪いをかけた。
王女に、そして城に。王に、大臣に、兵士に、侍女に、馬に、犬に。
城に在るべきもの全てに、呪いをかけた。
そして、百年後。
約束の王子が現れて、姫君を救った。城を救った。
村人は祝福し、感激し、歓呼した。城の人々も、自分達の英雄に感謝と崇拝を
捧げた。
王子は言った。
「まだ物語りは終わっていない。悪しき魔女を倒すのだ!」と。
少女が、ある真夜中に目が覚めたら、世界はすでに鮮血色に染まっていた。
城は燃え、森は焼かれ、空は爛れて赤くなっていた。
焦げる匂いと熱い炎の風で、城は満たされていた。
窓辺に駆け寄ると、下には松明や剣を掲げた人間の集団があった。
叫んでいた「悪い魔女を殺せ!」「悪の御使いを倒せ!」「正義を行使し
ろ!」
少女は走った、走った、走った。
何度も炎に炙られ、割れた石のヒビ目に足を取られた。
炎の熱気で眼球が乾いて、涙が出た。ぼやけた視界で、必死に走った。
汚れてすすけた手で、大広間の扉を力任せに開いた。
赤く赤く燃える広間、溶けるシャンデリア。
赤いカーテンは血よりも真っ赤に燃え盛り、金の装飾は原型を残さず崩れてい
た。
母親は美しい姿のままで、そこにいた。
美しい胸の双丘の間に、少女を抱きしめてくれるそこには、少女ではなく光輝
く大振りの剣が埋まっていた。
少女は初めて、母親の血の色はやっぱり赤色だったのだと理解した瞬間だっ
た。
美しい母親は、いつもと同じで綺麗だった。剣に貫かれても、美しかった。
いつもの、変わらない母親であった。美しい人だった。
どこかで、勇者によって柱が崩れたのだろう。
大音響と共に歓声と振動が同時に聞こえた。城が、二人の世界が崩れ始めてい
た。
『αθ、θζζγαθβ?(お母さん、死んじゃうの?)』
答えはなかった。
美しい人は、赤い血溜まりにうずくまって、か細い呼吸を繰り返していた。
少女は、乾いた眼球から流れる涙はそのまま、冷静に問いかけた。
『αθ、ωσθθβαγθωσ?(お母さんは、どうして死んじゃうの?)』
眼球の作用ではない涙が流れても、炎の熱気で蒸発してしまう。
『αθ、βααωβζθγσαωββω?(お母さんは、悪い人なの?)』
息が苦しくて、声が掠れても、少女は問いかけた。
『αθ、βααωβζθγσαθωσ、ωβωω?(お母さんは悪い魔女だから、
死んじゃうの?)』
少女は問うた。悪しきものなら、死んでしまってもいいのか。
『αθ、βααωβζθγσαω、ββω?(お母さんは、悪い人だから、死ん
じゃうの?)』
少女は問うた。世界はどうやって悪と正義を見分けるのか。
少女の母が悪ならば、一体誰が正義なのか。王子や村人が正義なら、少女のか
けがえない大切な母を奪ってしまってもいいものなのか? と。
母親は、城に思い知らせてやりたかった。
置き去りに、仲間はずれにされることの悲しさ、辛さ、苦しさ、痛み、思い
を。
百年経てば、城は周囲から時間的に社会的に取り残されている状態。
取り残されることがどんなに悲しくて寂しいか、それを思い知らせてやりたか
ったのだろう。
確かに、賢い手段でも理性ある大人の行動でもなかった。
でも、彼女は誰も殺さなかった。誰も殺しも傷つけもしなかった。
だが城は自らが招いた行動の報復に、過剰な報復をもって対応した。
魔女は、ただ思い知らせてやりたかった。それだけだった。
崩れ落ちる城で、少女は途方にくれた。
悲しもうにも炎の風で翻弄されて、母親に擦り寄りたくても巨大な裂け目が二
人を別つ。
もう、どうしようもなかった。
母親が立った。
鮮血の赤に塗れたその姿は、とても美しい人だった。
『来たれ、次元の門。世界の繋ぎ目、領域の狭間。物語の切れ端にて舞台の幕
よ。
我が呼び声に答え、叫び、絶叫して響け。開け我が望みの一縷よ』
それは少女には分からない呪文で、魔法だった。
ものすごい魔力が溢れ出して爆発する、飛び散った破片がまた収束して、巨大
な扉が出てきた。
少女の、後ろに。
炎の舞台で、暗黒のような断裂の裂け目を挟み、魔女と娘は相対する。
『θγγ(行きなさい)』
『αθ?(お母さんは?)』
火の粉が舞って、さらに世界は赤く見えた。
『ττ、τψ。ττ、αθχβζθ(いやだ、いやだよう。お母さんと一緒
にいる)』
『υ、φθθταωζγαρ(さあ、早く。もうこの姿も命も持たないのだ
から)』
扉が開いた。
中は真っ黒な底なし沼のようだった。恐怖に怯えて、母を振り返った。
『αθ、ορσωθζρα(お母さん、一緒にいこう)』
『κλαθ、μμωζδηθββσρυ、φθ(私の可愛い娘よ、いい子だから
歩みなさい)』
白い扉、暗黒の内部。
少女は泣き始めた。恐くて恐くて、心が潰されそうだった。
何より、これから起こるであろう母親の永劫の不在が、もっと恐かった。
『ττ、τψ。βααωβζφισμμ、ξοοτχψαα(いやだ、いやだよ。
悪い子でいい。お母さんと一緒がいい、恐いよ、行きたくない)』
『…κλαθ、φφαυσωλ。(…愛してるわ可愛い子、私のたった一人の娘)』
少女には、何が起こったのかよく分からなかった。
魔女は初めて娘に手をあげて娘を魔法で弾き飛ばした。
冗談みたいに舞った少女の肢体は扉の中に吸い込まれて、最後の名残に精一杯
手を伸ばして母親を求めようとして…消えた。
最後に、魔女は鮮血の言葉を残して、その体は灰となり。
それでも、干乾びた唇は美しい言葉を紡いでいた。
『 κλαθ、φφαυσωλ 』
愛しているわ可愛い我が子、私の大切な娘よ
少女には名前がなかった。
いつだって母親と二人きりだった。
だから区別する記号なんて、いらなかった。
母親は少女を『娘』と呼んでいたし、それが該当する人物は自分しかあり得な
かった。
だから。
少女は名前がなかった。
少女の世界は、母親と少女だけのものだった。あと、母親から貰った初めての
使い魔だけ。
使い魔の名前は『スティック・ピープル(魔物の意)』
だけれども、少女には、名前がなかった。
誰も必要としなかったし、必要とも思わなかった。
二人と一匹だけの世界で、少女は世界は完全だったのだから。
だから。
放り出された、訳ののわからない世界で、一人で泣きじゃくっていた時。
“偶然”通りかかったある青年に名前を尋ねられても、答えられなかった。
「こんばんわ、可愛いお嬢さん。こんな森のはずれでどのようなご用件で?
こんな物騒な場所にいては、いずれ喰われてしまいますよ」
場違いなまでに慇懃無礼な落ち着いた声音。
しかし、彼女にはその言葉は聞き取れなかった。分からなかった。
「言葉は通じませんか。
しかし、敵意はないようですね。さて、どうしたものか…」
彼は少女の小さな掌の上で、細い指先を使っていくつかの単語をかいた。
魔法文字・精霊文字・ルーン単語・異界文面・古代文字。
だがしかし、全て少女にはおかしな記号の羅列にしかわからなかった。
「どれも通じないとは…せめて名前だけでも伺いたいのですが…」
彼はそう言って、自分自身を指差して呟いた。
5回ほど発音してみると、少女はそれが彼を示す単語(名前)であると理解
し、途切れ途切れながらも真似して発音してみた。
「そうそう、お上手ですよ。お嬢さん、あなたのお名前は?」
次に指を指されて、ようやく自分のことを言われているのだと理解した少女。
自分の名前は、なかった。
名前になりそうな、名前もなかった。
思いつく名前は、一つしかなかった。
『δμκιλθξ(茨の魔女)』
「マレフィセント?」
青年は、意外そうに呟いた。彼には、そうやってその異界の音は聞き取れた。
そしてその名前は、少女の母親の名前だった。それは眠れる王女に呪いをかけ
た仲間はずれの魔女の名前。
「なるほど、さしずめ童話の闇の魔城ホロウバスティオンよりやってきた異界
の魔女
という事ですか」
ホロウナントカという単語は少女には不明であり、少女は不思議そうに見つめ
る。
青年は自己完結したようで、なぜか満足げに微笑んでいる。
「いやいや、偶然の一致か。いや違う、これは“アリス”の望みのままか。
どちらにしろ同じ事だ…」
微笑んだ口唇は三日月型。
少女は、なぜか母親を思い出した。母親は一度もそんな風に笑ったことなどな
かった。
それでも。その大理石のような白い肌と、闇夜すら凍らせる黒髪と姿に、母親
が重なった。
縋れる者は、彼しかいなかった。
青年は、そうやって泣きながらすがりつく悪魔の娘を、優しく抱き上げた。
「ええ、安心なさい。貴方は私が引き取りましょう。
貴方の物語、魂、心、夢、絶望、悲嘆。全て私が受け入れましょう」
少女は、そうやって新しい「母親」を手に入れた。
新しい「母親」はちょっと不思議な人だったけれど、本当のお母さんと同じぐ
らい優しかった。
新しい「母親」は、何でも少女に与えて、教えてくれた。
世界のこと、人々のこと、季節のこと、風のこと、陽光の輝き、星辰の瞬き、
朝焼けの光。
言葉が通じなくても、身振り手振りや雰囲気で教えてくれた。
そうして、少女は次第に、とある考えを抱き始めた。
ある日。
母親に内緒でこっそり『家』を抜け出した。
もちろん、覚えたてのつたない文字で『遊んできます』とかいてみたが、あの
呪術文字レベルな造詣の曲がりくねった文字を解読するのはあの「母親」でも
時間がかかるだろうという出来であったが。
本当の母親は、魔女。
父親は知らないが、以前聞いたことはあった。
彼は純粋な悪魔で、少女は父親の遺伝を受け継いでいると。
父親は、どこにいるんだろうか?ここは、いろいろな種族がいる世界。
お父さんは、どこにいるんだろう?ここは、様々な人々と人でない者達が交差
する世界。
それだけで、幼い少女が夜明けの空に飛び立つ理由は、十分だったのだろう。
朝日の輝きの中に、悪魔の少女が飛んでいる。
マレフィセント
茨の魔女、斜陽の娘。異界の悪魔。
歪な角を持って生まれた、呪われた魔女の可愛い愛娘。
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キャスト:ディアン・フレア
NPC:箱(謎
場所:街道
―――――――――――――――
-fancy-free-
―――――――――――――――
まだ肺が震えている。
いくら場数を踏んでいるとはいえ、何の心の準備もなしに、
いきなり全速力で走り出す事態に慣れているわけでもない。
「とんだお別れだったな」
眼鏡を親指の腹で押し上げて、
ディアンが何事もなかったかのような声音で言った。
フレアは汗でにじむ額をぬぐうと、息を整えてうめいた。
「ゼクス…」
はっ―。ディアンが微苦笑をもらす。
「あいつも、たまには花束と指輪でも持って来やがれってんだ」
「…?」
意味のわからない事を言うディアンに、フレアは素直に
疑問の目を投げかけた。
それを感じて、彼がにやりと口の端を上げ、
「あいつな、言ったんだよ」
そして珍しく口ごもると、歩き出す。
「お前の事が好きだってよ」
そのセリフを聞いた瞬間、フレアは硬直する自分をはっきりと感じていた。
「え、え?なん――だ、誰が?」
歩みを止めないディアンにわたわたと走り寄って、見上げる。
「だからぁ」
明らかに不機嫌そうに――言ってしまったのを後悔しているようでもあるが―
―
ディアンは振り返ってきた。
「ゼクスがだよ」
「なんでだ!?」
愕然とするあまり、心からの疑問が声になる。
「なんでってお前…」
彼は呆れを隠す事もせず嘆息してから、こちらの顔を
まじまじと見てくる。
「お前、アレだろ。告られたことないだろ」
「こ、こく…?」
赤面するこちらを無言でにやにやとみやって――
ふと前方に目を向ける。
「でも、」
だが、ディアンはいきなり手で制止してきた。
仕方なく口をつぐむと、自分もディアンの視線を追う。
そこには。
道の真ん中に、分厚い紙でできた箱がひとつ、
夜を背景にぽつねんと佇んでいた。
NPC:箱(謎
場所:街道
―――――――――――――――
-fancy-free-
―――――――――――――――
まだ肺が震えている。
いくら場数を踏んでいるとはいえ、何の心の準備もなしに、
いきなり全速力で走り出す事態に慣れているわけでもない。
「とんだお別れだったな」
眼鏡を親指の腹で押し上げて、
ディアンが何事もなかったかのような声音で言った。
フレアは汗でにじむ額をぬぐうと、息を整えてうめいた。
「ゼクス…」
はっ―。ディアンが微苦笑をもらす。
「あいつも、たまには花束と指輪でも持って来やがれってんだ」
「…?」
意味のわからない事を言うディアンに、フレアは素直に
疑問の目を投げかけた。
それを感じて、彼がにやりと口の端を上げ、
「あいつな、言ったんだよ」
そして珍しく口ごもると、歩き出す。
「お前の事が好きだってよ」
そのセリフを聞いた瞬間、フレアは硬直する自分をはっきりと感じていた。
「え、え?なん――だ、誰が?」
歩みを止めないディアンにわたわたと走り寄って、見上げる。
「だからぁ」
明らかに不機嫌そうに――言ってしまったのを後悔しているようでもあるが―
―
ディアンは振り返ってきた。
「ゼクスがだよ」
「なんでだ!?」
愕然とするあまり、心からの疑問が声になる。
「なんでってお前…」
彼は呆れを隠す事もせず嘆息してから、こちらの顔を
まじまじと見てくる。
「お前、アレだろ。告られたことないだろ」
「こ、こく…?」
赤面するこちらを無言でにやにやとみやって――
ふと前方に目を向ける。
「でも、」
だが、ディアンはいきなり手で制止してきた。
仕方なく口をつぐむと、自分もディアンの視線を追う。
そこには。
道の真ん中に、分厚い紙でできた箱がひとつ、
夜を背景にぽつねんと佇んでいた。
キャスト:ディアン・フレア・マレフィセント
NPC:箱(謎
場所:街道
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
bone white
~骨色の白~
ごん、と衝撃があって、思わず目を開けた。
寝相でひっくり返ったらしい、目の前には粗末な茶色の紙の色彩。
ほのかに蜜柑の酸味が香るその箱は、つい先日、道端でみつけたものだ。
あんまりにも匂いが気に入ったので、うっかり遊んでいるうち、その中で寝て
しまった。
ひっくり返った衝撃で、箱の口が開いて、思わず羊のような造詣の足がダンボ
ールを突っ切って外に出ている。
…傍目から見れば、ダンボールの箱から羊の足と青い髪と角が突き出ていると
いう、なんとも形容し難い不思議ボックスだろう。
「ρ……ρυ」
異界言語。
それ自体が世界には異質なようで、音が青白い光臨を放ってふわりと空中に昇
って消えた。
もぞもぞ、と動こうとするが足が紙を突き破って突っ込んでいるので中々思う
ように動けない。
さらに、さっきまで寝ていたので酷く動作が鈍い。
…傍目から見れば、いや傍目の傍観人から見れば、角と足が生えたダンボール
箱(記載名・愛媛蜜柑)がもぞもぞと動いている。かなり不気味だ。
………………………
「ディアン…その、あれは?」
「俺に聞くな」
二人はどこか真剣味すら帯びた表情で、じっと未確認生命体(ダンボール)を
見つめている。
一人は少女、線の細い印象が目立った娘。服装も実用一点張り。
一人は青年。白装束の衣に、歴戦の雰囲気を漂わせる。
今、彼らは道の端で未知の生命体らしきものと邂逅していた。
始めはなんか怪しい箱があるなと思ったぐらいだった。
それが横を通り過ぎようとすると、突然ごとんをひっくり返ってきたのだ。
思わずディアンはフレア抱えて後ずさり、その後臨戦体勢を取った二人の前
で、またも箱は奇怪な身震いを起こして
足とか角を、にょっきり生やしたのだ。
謎である。謎だろう。
怪しまないほうが無理に決まってる。
「さっき、光が見えたな。呪文系か?フレアわかるか?」
「全然…それに、今まで聞いたことないような音だった」
何がしたいのか、箱(記載名・愛媛蜜柑)はにょきにょきと足をばたつかせつ
つ、もぞもぞ動いている。突き出した足の鎖が揺れて、月の青い光に金色の波
紋を呼んだ。
「…アレ、馬か?」
「いや、羊かな?」
足の議論をしていると、再び破裂音。
びくりと二人で肩を震わせると、箱から今度は歪に捩れた角が、でたらめな角
度で突き出した。
この時、マレフィセントはかなり苦労していた。
抜けない足を引っ張ろうとしても、体勢で上手くいかない。出ようとしても、
頭の角や尻尾の草木が引っかかる。思わず苛立ち半分で自身の攻撃能力「虐殺
の欠損」と呼ばれる物質生成能力を発動させてしまっていたのだ。
「虐殺の欠損(ブラッドショウド・レス)」とは単純な生体特徴で、体中のあ
りあらゆる部位から、瞬間的に角、硬い突起物の起伏を自在に生成・開放でき
る能力である。
ようは、全身から角や骨、爪など結合組織を生やせるのだ。
皮膚を突き破っているようにしか見えないが、実は元の皮膚が基盤になって、
皮膚を積み重ねるように生成するので痛みはない。しかも結合組織を崩壊させ
る物質を体内ですぐ生成できるので折れても平気。しかも、その硬度は宝石レ
ベルまで跳ね上がる。
「…フレアはここにいろ、俺が様子を見てくる」
「ディアン、でも…その」
こちらに手出しはしてこないものの、このままでは道を通れないし、何よりあ
の不気味極まる生物(謎)が自分達が通り過ぎた後の人々に牙を向けるかもし
れない。
無用な戦はしない性分だが、少々このような微妙な経験は、彼も少なかった。
とりあえず、中を確かめなければ。
「大丈夫だ、確かめてくるだけだ…向こうが何もしなければな」
言葉の最後のほうは、低く呟くに留めておいて。
彼は足音一つも立てずに、ゆっくりと謎の箱に近づいていった。
懸命にもぞもぞと頑張っている少女は、ふと全ての表情を消して動きを停止さ
せた。
元々、あまり表情がないのだ。
だが、ないわけではない。嬉しいなら小さく微笑むし、尻尾を振る。元々、生
まれたときは人間の顔形ではなく、羊のような姿で生まれた悪魔だ。まだ、よ
く顔の表情筋の動きになれてないのかもしれなかった。
これは、表情がないではなく。
これは、表情を出していないのだ。
来る。
何か?
何かってなんだろう?
来る。
何だろう?
来る、判らなくても来る。理解できなくてもそれはこちらに来る。
何だろうって何だっけ?
来る。
悪魔の瞳には透視できる能力を持った者達もいる。
少女にはそういう透過の目はなかったが、箱の切れ目から見えたのは、白い姿
と。
抜き身の、刃。
来る。
白い刃だ。
刃って何だっけ?
来る。警戒と、少しの興味を持って。
白い姿が立ち止まり、緊張じみた動作で剣を構えて身構えた。
月の光の水溜り突っ込んだように、剣の透明な反射光が目に届いた。
剣って何だっけ?
ああ、そうだ。あれは。
あれは。
あれは、殺すものだ。
剣は、滅ぼすものだ。
剣は、貫くものだ。
剣は、切り裂くものだ。
殺されたのは、産みの母親。
滅ぼされたのは、あるべき世界。
貫いたのは、白い胸元。
赤い世界で、母は息絶えた。
自分と母の完全な世界は、あれで切り裂かれたのだ。
光の中で輝く道具に、悪魔の娘は憎悪も怨恨もなく攻撃を仕掛けた。
それは、敵意だ。
闇の深淵で生まれた娘にとって、輝く剣は忌むべき対象。
輝く剣は、闇を貫き、母を串刺してしまった。
悪魔の本能がもぞりと首を動かした。使い手ではなく、少女は剣を標的にし
た。
闇よ、闇夜。
愛し子は今、汝のように光に敵対する。
月夜、月よ。
剣に輝きを与える者よ、見るがいい闇の末裔の娘を。
「!!!」
怖気が走るような戦慄を感じて、飛び退いた時の刹那に轟音が夜に木霊した。
破裂したダンボールから、一気にこちら目掛けて向けられた白い角の奔流。そ
れらはどれもが歪に捻くれては歪み、まるでのたうつ蛇のような異形の雰囲気
を見せていた。
ディアンの立っていた場所は深々と穴が穿たれていた。
獲物を取り逃がした白い槍達は、ずりずりと地面から自らを引き戻した。表層
すらつき抜け、岩盤まで到達していたのか、切っ先についた土が表層とは違う
色をしていて、はらはらと零れる。
「なんなんだ…?」
慌てて近づこうとするフレアに「近づくな」と目線で制していると、白い角の
群れからまた攻撃。
だが、彼は悠々と避ける。
態度や息遣いは上がっていない。だが動作は誰にも捕らえられないほど早く、
速い。
彼の表情がわずかに曇った。
負けを確信したわけではない、むしろこの程度の連戟なら幾らでもかわせる自
身がある。
向かってくる槍を愛刀ではじく、硬質な音が夜気を渡った。
骨、か?
いや、これは角だろうか?
それにこの攻撃の標準が狂っているとしか思えない。
何せディアンではなく、その一歩手前をいつも狙うような軌跡を描いてやって
くるのだ。
そう、まるで目前で振るう刀を狙うような。
だから、肝心の攻撃はほとんど彼に届かないし、彼が余裕でかわせたり防御で
きる位置になる。
大抵は身体を防御せずともよい攻撃ばかりだ。舐められているのか?
埒があかない。
目前の白い角の元は、なにやら小柄な人影のようだ。
といっても顔胸胴体膝足すべてが白い骨で作られたような鎧に覆われていて男
か女かも判別不能。
そこから骨格を無視したありあらゆる角の槍が生え出して、不規則に脈動して
いる。
それ自体はそこから動かず、じっと白い槍を捻らせてこちらの様子を見守る。
かちん、と彼は刀を仕舞った。
そして、一呼吸置いて、目つきが変わる。
それは覚悟の瞳。目の前の障壁を断ち切る決断のー…
「……?」
雰囲気、とでもいうのだろうか。
ぴたっと刀が仕舞われると同時に、角もぴたりと動きを止めた。
こちらの様子を伺ったり、とか、自分の決意に気がついたわけでもなさそう
だ。
なんだかしきりに辺りをふるふる震えて右往左往する様は、なんだか目前の謎
の敵の真意もわからないのに、ひどく幼い動作に見えた。
「ディ、ディアン?」
いつの間にか側にいた少女に、まったくと苦笑してから、前を向いた。
刀に手をかけているのは変わりないが、先ほどの決意が見当たらない。
それもそうだろう。
何せ、イキナリ襲ってきた角達が、目標を見失ったようにずるずると後退しは
じめたのだ。
不気味極まりないが、なんとなく刀を仕舞ったまま出せなくなってしまった。
タイミングの問題だろう。
そうして。
骨が皮膚にもぐりこむ終わる頃。二人の目の前にいたのは。
きょとんとして見上げてくる、半人半馬の悪魔の少女であった。
NPC:箱(謎
場所:街道
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
bone white
~骨色の白~
ごん、と衝撃があって、思わず目を開けた。
寝相でひっくり返ったらしい、目の前には粗末な茶色の紙の色彩。
ほのかに蜜柑の酸味が香るその箱は、つい先日、道端でみつけたものだ。
あんまりにも匂いが気に入ったので、うっかり遊んでいるうち、その中で寝て
しまった。
ひっくり返った衝撃で、箱の口が開いて、思わず羊のような造詣の足がダンボ
ールを突っ切って外に出ている。
…傍目から見れば、ダンボールの箱から羊の足と青い髪と角が突き出ていると
いう、なんとも形容し難い不思議ボックスだろう。
「ρ……ρυ」
異界言語。
それ自体が世界には異質なようで、音が青白い光臨を放ってふわりと空中に昇
って消えた。
もぞもぞ、と動こうとするが足が紙を突き破って突っ込んでいるので中々思う
ように動けない。
さらに、さっきまで寝ていたので酷く動作が鈍い。
…傍目から見れば、いや傍目の傍観人から見れば、角と足が生えたダンボール
箱(記載名・愛媛蜜柑)がもぞもぞと動いている。かなり不気味だ。
………………………
「ディアン…その、あれは?」
「俺に聞くな」
二人はどこか真剣味すら帯びた表情で、じっと未確認生命体(ダンボール)を
見つめている。
一人は少女、線の細い印象が目立った娘。服装も実用一点張り。
一人は青年。白装束の衣に、歴戦の雰囲気を漂わせる。
今、彼らは道の端で未知の生命体らしきものと邂逅していた。
始めはなんか怪しい箱があるなと思ったぐらいだった。
それが横を通り過ぎようとすると、突然ごとんをひっくり返ってきたのだ。
思わずディアンはフレア抱えて後ずさり、その後臨戦体勢を取った二人の前
で、またも箱は奇怪な身震いを起こして
足とか角を、にょっきり生やしたのだ。
謎である。謎だろう。
怪しまないほうが無理に決まってる。
「さっき、光が見えたな。呪文系か?フレアわかるか?」
「全然…それに、今まで聞いたことないような音だった」
何がしたいのか、箱(記載名・愛媛蜜柑)はにょきにょきと足をばたつかせつ
つ、もぞもぞ動いている。突き出した足の鎖が揺れて、月の青い光に金色の波
紋を呼んだ。
「…アレ、馬か?」
「いや、羊かな?」
足の議論をしていると、再び破裂音。
びくりと二人で肩を震わせると、箱から今度は歪に捩れた角が、でたらめな角
度で突き出した。
この時、マレフィセントはかなり苦労していた。
抜けない足を引っ張ろうとしても、体勢で上手くいかない。出ようとしても、
頭の角や尻尾の草木が引っかかる。思わず苛立ち半分で自身の攻撃能力「虐殺
の欠損」と呼ばれる物質生成能力を発動させてしまっていたのだ。
「虐殺の欠損(ブラッドショウド・レス)」とは単純な生体特徴で、体中のあ
りあらゆる部位から、瞬間的に角、硬い突起物の起伏を自在に生成・開放でき
る能力である。
ようは、全身から角や骨、爪など結合組織を生やせるのだ。
皮膚を突き破っているようにしか見えないが、実は元の皮膚が基盤になって、
皮膚を積み重ねるように生成するので痛みはない。しかも結合組織を崩壊させ
る物質を体内ですぐ生成できるので折れても平気。しかも、その硬度は宝石レ
ベルまで跳ね上がる。
「…フレアはここにいろ、俺が様子を見てくる」
「ディアン、でも…その」
こちらに手出しはしてこないものの、このままでは道を通れないし、何よりあ
の不気味極まる生物(謎)が自分達が通り過ぎた後の人々に牙を向けるかもし
れない。
無用な戦はしない性分だが、少々このような微妙な経験は、彼も少なかった。
とりあえず、中を確かめなければ。
「大丈夫だ、確かめてくるだけだ…向こうが何もしなければな」
言葉の最後のほうは、低く呟くに留めておいて。
彼は足音一つも立てずに、ゆっくりと謎の箱に近づいていった。
懸命にもぞもぞと頑張っている少女は、ふと全ての表情を消して動きを停止さ
せた。
元々、あまり表情がないのだ。
だが、ないわけではない。嬉しいなら小さく微笑むし、尻尾を振る。元々、生
まれたときは人間の顔形ではなく、羊のような姿で生まれた悪魔だ。まだ、よ
く顔の表情筋の動きになれてないのかもしれなかった。
これは、表情がないではなく。
これは、表情を出していないのだ。
来る。
何か?
何かってなんだろう?
来る。
何だろう?
来る、判らなくても来る。理解できなくてもそれはこちらに来る。
何だろうって何だっけ?
来る。
悪魔の瞳には透視できる能力を持った者達もいる。
少女にはそういう透過の目はなかったが、箱の切れ目から見えたのは、白い姿
と。
抜き身の、刃。
来る。
白い刃だ。
刃って何だっけ?
来る。警戒と、少しの興味を持って。
白い姿が立ち止まり、緊張じみた動作で剣を構えて身構えた。
月の光の水溜り突っ込んだように、剣の透明な反射光が目に届いた。
剣って何だっけ?
ああ、そうだ。あれは。
あれは。
あれは、殺すものだ。
剣は、滅ぼすものだ。
剣は、貫くものだ。
剣は、切り裂くものだ。
殺されたのは、産みの母親。
滅ぼされたのは、あるべき世界。
貫いたのは、白い胸元。
赤い世界で、母は息絶えた。
自分と母の完全な世界は、あれで切り裂かれたのだ。
光の中で輝く道具に、悪魔の娘は憎悪も怨恨もなく攻撃を仕掛けた。
それは、敵意だ。
闇の深淵で生まれた娘にとって、輝く剣は忌むべき対象。
輝く剣は、闇を貫き、母を串刺してしまった。
悪魔の本能がもぞりと首を動かした。使い手ではなく、少女は剣を標的にし
た。
闇よ、闇夜。
愛し子は今、汝のように光に敵対する。
月夜、月よ。
剣に輝きを与える者よ、見るがいい闇の末裔の娘を。
「!!!」
怖気が走るような戦慄を感じて、飛び退いた時の刹那に轟音が夜に木霊した。
破裂したダンボールから、一気にこちら目掛けて向けられた白い角の奔流。そ
れらはどれもが歪に捻くれては歪み、まるでのたうつ蛇のような異形の雰囲気
を見せていた。
ディアンの立っていた場所は深々と穴が穿たれていた。
獲物を取り逃がした白い槍達は、ずりずりと地面から自らを引き戻した。表層
すらつき抜け、岩盤まで到達していたのか、切っ先についた土が表層とは違う
色をしていて、はらはらと零れる。
「なんなんだ…?」
慌てて近づこうとするフレアに「近づくな」と目線で制していると、白い角の
群れからまた攻撃。
だが、彼は悠々と避ける。
態度や息遣いは上がっていない。だが動作は誰にも捕らえられないほど早く、
速い。
彼の表情がわずかに曇った。
負けを確信したわけではない、むしろこの程度の連戟なら幾らでもかわせる自
身がある。
向かってくる槍を愛刀ではじく、硬質な音が夜気を渡った。
骨、か?
いや、これは角だろうか?
それにこの攻撃の標準が狂っているとしか思えない。
何せディアンではなく、その一歩手前をいつも狙うような軌跡を描いてやって
くるのだ。
そう、まるで目前で振るう刀を狙うような。
だから、肝心の攻撃はほとんど彼に届かないし、彼が余裕でかわせたり防御で
きる位置になる。
大抵は身体を防御せずともよい攻撃ばかりだ。舐められているのか?
埒があかない。
目前の白い角の元は、なにやら小柄な人影のようだ。
といっても顔胸胴体膝足すべてが白い骨で作られたような鎧に覆われていて男
か女かも判別不能。
そこから骨格を無視したありあらゆる角の槍が生え出して、不規則に脈動して
いる。
それ自体はそこから動かず、じっと白い槍を捻らせてこちらの様子を見守る。
かちん、と彼は刀を仕舞った。
そして、一呼吸置いて、目つきが変わる。
それは覚悟の瞳。目の前の障壁を断ち切る決断のー…
「……?」
雰囲気、とでもいうのだろうか。
ぴたっと刀が仕舞われると同時に、角もぴたりと動きを止めた。
こちらの様子を伺ったり、とか、自分の決意に気がついたわけでもなさそう
だ。
なんだかしきりに辺りをふるふる震えて右往左往する様は、なんだか目前の謎
の敵の真意もわからないのに、ひどく幼い動作に見えた。
「ディ、ディアン?」
いつの間にか側にいた少女に、まったくと苦笑してから、前を向いた。
刀に手をかけているのは変わりないが、先ほどの決意が見当たらない。
それもそうだろう。
何せ、イキナリ襲ってきた角達が、目標を見失ったようにずるずると後退しは
じめたのだ。
不気味極まりないが、なんとなく刀を仕舞ったまま出せなくなってしまった。
タイミングの問題だろう。
そうして。
骨が皮膚にもぐりこむ終わる頃。二人の目の前にいたのは。
きょとんとして見上げてくる、半人半馬の悪魔の少女であった。
キャスト:ディアン・マレフィセント・フレア
NPC:なし
場所:街道
―――――――――――――――
-Birth-
―――――――――――――――
その少女はいかにも無垢そうな眼差しでこちらを見上げてきた。
そのまま、何を言うでもなくフレアとディアンを見ている。
「魔族…?」
こちらも少女の頭のてっぺんからつま先までざっと見て、まず出た結論は、
それだった。
「瘴気は感じねぇな」
「…うん」
ため息交じりにディアンが首のあたりを掻いている。
もはや状況の奇抜さに疲れて、警戒する事にも飽きたようだ。
確かに、目の前にいる少女からは、魔獣や魔族が発する負のエネルギー、
瘴気は伝わってこない。
しかし明らかにまともな人間では――ましてや、まともな馬でもない
少女を前に、困惑するしかすべがない。
蒼い瞳と髪、そこから生えた4本の角。
まだ幼い丸顔には、印にも見える紫の文様がはしっている。
ぴったりとした黒いタイツは全身を包んでいるが、この寒い中を
しのごうとしているにしては、あまりにも無防備だ。
背中にはコウモリのような羽が一対。
足は二本あるものの、それがむき出しの蹄で飾られているとあっては、
もはや常識の範疇を越えている。
さらには尻尾まであり、それからはなぜか枝葉が育っている…。
――悪魔。
そうだ、悪魔だ。
だが目の前にいる少女を、そんな禍々しい名前で呼びたくはなかった。
たった今、とても抗いきれないほどの攻撃を目の当たりにしたというのに、
恐怖すら感じていない。
ただその奇妙さに驚いて――ただ彼女の幼さが心配だったのだ。
「名前は?」
それ以外にも訊きたいことは山ほどあったが、一連の彼女の行動を見る限り、
望む答えは得られそうにない。
人に馴れていない犬に近づくような心持で、フレアはゆっくりと
少女に歩み寄った。
だが少女は答えず、かすかに首を捻っただけである。
こちらを怖がる様子もまったくない。
「言葉が通じないのか…」
じゃあ、と言葉を切り、フレアは少女の前に片膝をついて
視点をあわせると、自分の胸に手の平をあてた。
「フレア」
次に少女を手の平で促す。
彼女はしばし考え込んでいたが、フレアがもう一度同じ事を繰り返すと、
何かを思い出したかのように、ようやく口を開いた。
「δμκιλθξ」
と同時に、蛍火のような淡い燐光が、知らない文字に変じる。
文字だ、と判断したのはただの直感にすぎなかったが、そう的外れでも
ないだろう。
繊細な文字列はささやかに煌いて、その空間を飾っている。
「マレ…フィセント?それが君の名前か?これが?」
目の前で瞬く音の残像に目を丸くしながら、聞いたばかりの名前で少女に
呼びかけてみる。
今度こそ、少女――マレフィセントはうなづいた。
「さっき光ったのはこれか?」
「たぶん。…ディアン、もしかして私達、今すごい体験をしているのかも」
「うん?」
もう薄霧のように消えてゆく文字列を凝視しながら、フレアは自分が
いつになく興奮しているのを感じた。
「こんな種族見たことない――しかも知らない言語を使っている…
この子、もしかして――」
マレフィセントに視線を転じる。
「違う世界から来たのかもしれない」
「……そりゃあ…ちっとばかり話が飛びすぎなんじゃねーのか?」
ディアンとしては、一刻も早くここから離れたいようだった。
フレアもそれは同じだったが、もう名前を知ってしまった少女を、
真夜中の道端で一人にするのはぞっとしない。
「でも、こんな種族見たことも聞いたこともないぞ?」
「まぁ、そうだけどよ…いいや。で、どうすんだ?」
「え?」
「六本指のヤロウにつきまとわれて逃げる途中、箱から出てきた馬だか山羊
だかと混ざった子供――しかも異世界から来たってぇやつに出くわして、
フレアはどうするんだって言ったのさ」
「どう…するって言われても」
確かに、今は一刻を争う。ヴィルフリードとリタが作ってくれた時間を
無駄にすることはできない。
でも。
「この街を出て、この子の親を探さなくちゃ。きっと迷子になったんだ」
「迷子、ねぇ」
そう言いながら、ディアンは道の端まで歩いてゆき、先ほどマレフィセントが
入っていた箱の残骸を拾い上げた。
箱は頑丈にはできているようだったが、所詮紙であることには変りなく、
鋭い角で完全に引き裂かれていた。
彼が拾い上げた欠片は、ちょうど箱に書いてあった文字の部分だった。
「普通、自分の子供を箱に詰めて夜まで放っておくかね?」
目を細めたディアンはその文字を読もうとしているらしかったが、すぐに
諦めたように、ぽいと背中へ放り投げた。
そこで、はっとしてフレアは立ち上がった。マレフィセントは話が解らない
事が不安なのか、わずかに尻尾を自分の足に巻きつけている。
「…捨て子?」
「仮に親がいたとして、だ。こいつをどこに帰すつもりだ?さっきお前は、
こいつは異世界から来たって言ったよな?異世界まで行くってのか?」
「……」
ディアンの言っていることは間違いなく正論だ。フレアは唇を噛んだ。
今はここで立ち止まっていられない。今から、この大陸の端まで行こうと
しているのだ。
ましてや、迷子の――こちらの言葉も通じない、違う世界の子供の世話など。
「――とまぁ、普通はそう言うだろうけどな」
ふいにディアンの声のトーンが上がる。
面食らっていると、彼は人差し指を立て、まるで教師のように
フレアの目の前に突きつけてきた。
「フレア、今俺達はどこに向かっている?」
「――ライガール」
「そうだな。ライガール皇国だ」
即答すると、ディアンはうんうんと満足そうに手を引っ込めた。
と、腕にそっと触れてきたものがあった。
マレフィセントが擦り寄ってきている。見上げてくる顔は、わずかに眉を
下げているようにも見えた。
どうにかして安心させようと、フレアはマレフィセントの頭に手を置いた。
「ライガールはな、今は魔界なんだよ」
少女の頭を撫でながら、ディアンの黒い瞳を彼の眼鏡ごしに見やる。
そこから答えを見出す前に、彼が言った。
「…まぁ言ってみればそこも異世界だよな。んで、こいつ――長いから
マレでいいか。マレも異世界の住人だってな?」
「もうわかるな?」とでもいいたげに、ディアンは肩をすくめた。
唐突にフレアはそこで合点がいき、思わず彼の名前を呼んだ。
「ディアン!」
「あんまり期待するなよ。ま、でもライガールにゃさらに異界に繋がってる
道も沢山あるって話だからな。そう分の悪い賭けでもねぇだろ?」
ありがとう――と言いかけたが、ディアンが背中を向けたので、フレアは
微笑しながら口をつぐんだ。
「行くぜ」
歩き始めるディアンの背中を見、フレアはくすりと笑ってから、
マレフィセントに手を差し延べた。
「行こう。君の家まで」
少女はまだきょとんとしていたが、フレアが促すと、特にためらう様子もなく
繊細そうな手を預けてきた。
NPC:なし
場所:街道
―――――――――――――――
-Birth-
―――――――――――――――
その少女はいかにも無垢そうな眼差しでこちらを見上げてきた。
そのまま、何を言うでもなくフレアとディアンを見ている。
「魔族…?」
こちらも少女の頭のてっぺんからつま先までざっと見て、まず出た結論は、
それだった。
「瘴気は感じねぇな」
「…うん」
ため息交じりにディアンが首のあたりを掻いている。
もはや状況の奇抜さに疲れて、警戒する事にも飽きたようだ。
確かに、目の前にいる少女からは、魔獣や魔族が発する負のエネルギー、
瘴気は伝わってこない。
しかし明らかにまともな人間では――ましてや、まともな馬でもない
少女を前に、困惑するしかすべがない。
蒼い瞳と髪、そこから生えた4本の角。
まだ幼い丸顔には、印にも見える紫の文様がはしっている。
ぴったりとした黒いタイツは全身を包んでいるが、この寒い中を
しのごうとしているにしては、あまりにも無防備だ。
背中にはコウモリのような羽が一対。
足は二本あるものの、それがむき出しの蹄で飾られているとあっては、
もはや常識の範疇を越えている。
さらには尻尾まであり、それからはなぜか枝葉が育っている…。
――悪魔。
そうだ、悪魔だ。
だが目の前にいる少女を、そんな禍々しい名前で呼びたくはなかった。
たった今、とても抗いきれないほどの攻撃を目の当たりにしたというのに、
恐怖すら感じていない。
ただその奇妙さに驚いて――ただ彼女の幼さが心配だったのだ。
「名前は?」
それ以外にも訊きたいことは山ほどあったが、一連の彼女の行動を見る限り、
望む答えは得られそうにない。
人に馴れていない犬に近づくような心持で、フレアはゆっくりと
少女に歩み寄った。
だが少女は答えず、かすかに首を捻っただけである。
こちらを怖がる様子もまったくない。
「言葉が通じないのか…」
じゃあ、と言葉を切り、フレアは少女の前に片膝をついて
視点をあわせると、自分の胸に手の平をあてた。
「フレア」
次に少女を手の平で促す。
彼女はしばし考え込んでいたが、フレアがもう一度同じ事を繰り返すと、
何かを思い出したかのように、ようやく口を開いた。
「δμκιλθξ」
と同時に、蛍火のような淡い燐光が、知らない文字に変じる。
文字だ、と判断したのはただの直感にすぎなかったが、そう的外れでも
ないだろう。
繊細な文字列はささやかに煌いて、その空間を飾っている。
「マレ…フィセント?それが君の名前か?これが?」
目の前で瞬く音の残像に目を丸くしながら、聞いたばかりの名前で少女に
呼びかけてみる。
今度こそ、少女――マレフィセントはうなづいた。
「さっき光ったのはこれか?」
「たぶん。…ディアン、もしかして私達、今すごい体験をしているのかも」
「うん?」
もう薄霧のように消えてゆく文字列を凝視しながら、フレアは自分が
いつになく興奮しているのを感じた。
「こんな種族見たことない――しかも知らない言語を使っている…
この子、もしかして――」
マレフィセントに視線を転じる。
「違う世界から来たのかもしれない」
「……そりゃあ…ちっとばかり話が飛びすぎなんじゃねーのか?」
ディアンとしては、一刻も早くここから離れたいようだった。
フレアもそれは同じだったが、もう名前を知ってしまった少女を、
真夜中の道端で一人にするのはぞっとしない。
「でも、こんな種族見たことも聞いたこともないぞ?」
「まぁ、そうだけどよ…いいや。で、どうすんだ?」
「え?」
「六本指のヤロウにつきまとわれて逃げる途中、箱から出てきた馬だか山羊
だかと混ざった子供――しかも異世界から来たってぇやつに出くわして、
フレアはどうするんだって言ったのさ」
「どう…するって言われても」
確かに、今は一刻を争う。ヴィルフリードとリタが作ってくれた時間を
無駄にすることはできない。
でも。
「この街を出て、この子の親を探さなくちゃ。きっと迷子になったんだ」
「迷子、ねぇ」
そう言いながら、ディアンは道の端まで歩いてゆき、先ほどマレフィセントが
入っていた箱の残骸を拾い上げた。
箱は頑丈にはできているようだったが、所詮紙であることには変りなく、
鋭い角で完全に引き裂かれていた。
彼が拾い上げた欠片は、ちょうど箱に書いてあった文字の部分だった。
「普通、自分の子供を箱に詰めて夜まで放っておくかね?」
目を細めたディアンはその文字を読もうとしているらしかったが、すぐに
諦めたように、ぽいと背中へ放り投げた。
そこで、はっとしてフレアは立ち上がった。マレフィセントは話が解らない
事が不安なのか、わずかに尻尾を自分の足に巻きつけている。
「…捨て子?」
「仮に親がいたとして、だ。こいつをどこに帰すつもりだ?さっきお前は、
こいつは異世界から来たって言ったよな?異世界まで行くってのか?」
「……」
ディアンの言っていることは間違いなく正論だ。フレアは唇を噛んだ。
今はここで立ち止まっていられない。今から、この大陸の端まで行こうと
しているのだ。
ましてや、迷子の――こちらの言葉も通じない、違う世界の子供の世話など。
「――とまぁ、普通はそう言うだろうけどな」
ふいにディアンの声のトーンが上がる。
面食らっていると、彼は人差し指を立て、まるで教師のように
フレアの目の前に突きつけてきた。
「フレア、今俺達はどこに向かっている?」
「――ライガール」
「そうだな。ライガール皇国だ」
即答すると、ディアンはうんうんと満足そうに手を引っ込めた。
と、腕にそっと触れてきたものがあった。
マレフィセントが擦り寄ってきている。見上げてくる顔は、わずかに眉を
下げているようにも見えた。
どうにかして安心させようと、フレアはマレフィセントの頭に手を置いた。
「ライガールはな、今は魔界なんだよ」
少女の頭を撫でながら、ディアンの黒い瞳を彼の眼鏡ごしに見やる。
そこから答えを見出す前に、彼が言った。
「…まぁ言ってみればそこも異世界だよな。んで、こいつ――長いから
マレでいいか。マレも異世界の住人だってな?」
「もうわかるな?」とでもいいたげに、ディアンは肩をすくめた。
唐突にフレアはそこで合点がいき、思わず彼の名前を呼んだ。
「ディアン!」
「あんまり期待するなよ。ま、でもライガールにゃさらに異界に繋がってる
道も沢山あるって話だからな。そう分の悪い賭けでもねぇだろ?」
ありがとう――と言いかけたが、ディアンが背中を向けたので、フレアは
微笑しながら口をつぐんだ。
「行くぜ」
歩き始めるディアンの背中を見、フレアはくすりと笑ってから、
マレフィセントに手を差し延べた。
「行こう。君の家まで」
少女はまだきょとんとしていたが、フレアが促すと、特にためらう様子もなく
繊細そうな手を預けてきた。
キャスト:ディアン・マレフィセント・フレア
NPC:なし
場所:街道
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーー
黒い髪は、好きだった。
だから、擦り寄った。いつだってそうだ、黒い髪の人は優しく頭を撫でてくれ
る。
母親も、こちらの世界の母親も見事な黒い髪の持ち主だった。
偶然、の一言で片付けられる、些細な類似点。
それだけで、少女は十分だった。
そんな不確かな要素だけでも、少女が心を預ける理由には十分な気がした。
どこに向かっているのか。
尋ねようとして、止めた。言葉が通じないのだから、きっとワカラナイ。
黒い髪の人と、白い人。
どこに行くんだろう?夜の街道はどこまでも真っ直ぐに続いている気がした。
どこへ行くんだろう?道の果ては闇夜に続いていて捕らえきれなかった。
何処に、行くの?
そう思う。
この道の果ては、どんな場所なんだろう?
知らない場所は、どんな世界なんだろう?
思わず今になって不安がひしひしと鎌首をもたげてきた。
知らない場所に行くのは、とても恐い事だ。母親の世界から切り離された時の
彼女は何も出来ずに怯えて泣きじゃくるだけだった。
何もかも知らない、理解できない ということの絶対の孤独、不安をすでに知
っているから。
「どうしたの?寒いの?」
暖かい掌をくれる人は、今までの母親達よりも幼いように見えた。
大丈夫、大丈夫。黒い髪は守護の象徴、きっと自分を守ってくれる。
そう思った。場違いな妄想でも、安易な思い違いでもいい。そう思っていれ
ば、まだ自分は知らない世界に行けると思うから。
擦り寄ると、やっぱり微笑んで額を撫でてくれる。
思ったとおりの回答が来て、小さく微笑んだ。やっぱり黒い髪の人はどの世界
でも優しいのだ。
「しかし、この近くに街灯はないのかな?ずいぶん暗い」
「だいぶ歩いたからな、もうすぐ街か宿か何か見えると思うんだが…」
何かを話している。
少女にはワカラナイ言葉の群れ。
以前、こちらの世界の母親が少女に文字を教えてみようかなとど言ってみたこ
とがあった。
しかし、彼の連れの女性は(彼女も見事な黒髪の優しい人だった)
「駄目よ、悪魔の言葉は血統を表すものなんだから。
悪魔を呼び出す呪文が、呼び出す悪魔で違うように。悪魔の血統は言葉で記さ
れるの。
その同じ言葉で、音で喋る悪魔こそ、彼女の同族である確率が高いわ。
だから、余計な言葉を与えては駄目。彼女の言語は誇り高い純血悪魔の証なの
だから」
人の世界に混じれば混じるほど、悪魔の血統は薄れていく。
人に呼び出されるのは、人に必要とされたため。悪魔自身が安易に人間界に関
わるのは己の闇の存在を薄めることに他ならない。
人間界は光の世界だ、だから、闇はどうしても人の世界に在ると薄れてしま
う。
だから、脅威的な力を持ちつつも、力ある悪魔は容易に人の世界に出てこな
い。
人が闇を呼び込むなら、問題はない。それはきちんと闇を必要としていると、
呪文で魔術師達が詠唱してこちら側に闇が潜めるべき”影”を用意するから
だ。
それが、悪魔の召還魔法の原理。
人は闇を呼び込む代わりに、己が身の影を闇が光の世界で潜めるように提供す
る。
力を貸す代償に、その施行期間中に隠れる場所を提供するのが本来の悪魔召還
の基本である。
だが、稀に光の下でも闇を薄れさせない者達がいる。
それはまさしく“闇”そのもの。つまりは純血の悪魔か、それに準じた闇の一
族。
それ自体が光に相反する闇、もしくは影をもつ者。それか、人の属性たる光を
持ちつつも、決して真昼の性ではない夜明けと夕暮れをもつ者達。
体という棺の中に、闇という名の血の流れる者達。
光に当てられても、棺の中の血は輝きを吸い込み、永遠に捕らえてしまう。
目の前に白い人はよく目立つ。
闇の中でも、白いマントが綺麗に見えるから。
だいぶこの二人になれてきたマレフィセントは、たんだん遊びだすようになっ
た。
ディアンのマントの裾を掴もうと手を伸ばす。
と、するりと歩く動きで、あった場所から動いてしまった。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
…と、目の前の白い人が、怪訝そうに振り返る。
ぴたりと、少女も動きを止めて、そおっと上目遣いに伺う。
やや間が空いて、再びディアンは歩き出した。
そして、またもマレフィセントが、彼のマントの裾で遊びだす。
くすくすと、忍び笑いが弾けた。
どこか不機嫌そうに、ディアンが背中越しで問いかけた。
「…おい、フレア。何笑ってんだよ」
「いや、ディアンも中々子供の相手が上手いんだな、と思って」
「…?」
さっきから、なんか後ろで跳ね回ってると思って振り向くのだが、そのたびに
マレフィセントは素早く動きを止めて上目遣いに見上げてくる。
なんだか、止まったことに罪悪感を感じ、また歩き出す。
と、またもマレフィセントが嬉しそうに裾にじゃれつく。後ろから眺めている
フレアにとってはなかなか愉快な光景だ。
「何してんだよ、コイツ」
「いいじゃないか、ディアン。子守も出来るならきっといいお父さんになれる
よ」
「悪魔の子供(ガキ)の子守っつうのも新鮮だな」
「確かに」
じゃれつく娘は、お構いなしに裾で遊んでいる。
闇夜の中で、悪魔の娘の遊びはディアンとフレアの歩みが止まるまで続いたの
であった。
NPC:なし
場所:街道
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黒い髪は、好きだった。
だから、擦り寄った。いつだってそうだ、黒い髪の人は優しく頭を撫でてくれ
る。
母親も、こちらの世界の母親も見事な黒い髪の持ち主だった。
偶然、の一言で片付けられる、些細な類似点。
それだけで、少女は十分だった。
そんな不確かな要素だけでも、少女が心を預ける理由には十分な気がした。
どこに向かっているのか。
尋ねようとして、止めた。言葉が通じないのだから、きっとワカラナイ。
黒い髪の人と、白い人。
どこに行くんだろう?夜の街道はどこまでも真っ直ぐに続いている気がした。
どこへ行くんだろう?道の果ては闇夜に続いていて捕らえきれなかった。
何処に、行くの?
そう思う。
この道の果ては、どんな場所なんだろう?
知らない場所は、どんな世界なんだろう?
思わず今になって不安がひしひしと鎌首をもたげてきた。
知らない場所に行くのは、とても恐い事だ。母親の世界から切り離された時の
彼女は何も出来ずに怯えて泣きじゃくるだけだった。
何もかも知らない、理解できない ということの絶対の孤独、不安をすでに知
っているから。
「どうしたの?寒いの?」
暖かい掌をくれる人は、今までの母親達よりも幼いように見えた。
大丈夫、大丈夫。黒い髪は守護の象徴、きっと自分を守ってくれる。
そう思った。場違いな妄想でも、安易な思い違いでもいい。そう思っていれ
ば、まだ自分は知らない世界に行けると思うから。
擦り寄ると、やっぱり微笑んで額を撫でてくれる。
思ったとおりの回答が来て、小さく微笑んだ。やっぱり黒い髪の人はどの世界
でも優しいのだ。
「しかし、この近くに街灯はないのかな?ずいぶん暗い」
「だいぶ歩いたからな、もうすぐ街か宿か何か見えると思うんだが…」
何かを話している。
少女にはワカラナイ言葉の群れ。
以前、こちらの世界の母親が少女に文字を教えてみようかなとど言ってみたこ
とがあった。
しかし、彼の連れの女性は(彼女も見事な黒髪の優しい人だった)
「駄目よ、悪魔の言葉は血統を表すものなんだから。
悪魔を呼び出す呪文が、呼び出す悪魔で違うように。悪魔の血統は言葉で記さ
れるの。
その同じ言葉で、音で喋る悪魔こそ、彼女の同族である確率が高いわ。
だから、余計な言葉を与えては駄目。彼女の言語は誇り高い純血悪魔の証なの
だから」
人の世界に混じれば混じるほど、悪魔の血統は薄れていく。
人に呼び出されるのは、人に必要とされたため。悪魔自身が安易に人間界に関
わるのは己の闇の存在を薄めることに他ならない。
人間界は光の世界だ、だから、闇はどうしても人の世界に在ると薄れてしま
う。
だから、脅威的な力を持ちつつも、力ある悪魔は容易に人の世界に出てこな
い。
人が闇を呼び込むなら、問題はない。それはきちんと闇を必要としていると、
呪文で魔術師達が詠唱してこちら側に闇が潜めるべき”影”を用意するから
だ。
それが、悪魔の召還魔法の原理。
人は闇を呼び込む代わりに、己が身の影を闇が光の世界で潜めるように提供す
る。
力を貸す代償に、その施行期間中に隠れる場所を提供するのが本来の悪魔召還
の基本である。
だが、稀に光の下でも闇を薄れさせない者達がいる。
それはまさしく“闇”そのもの。つまりは純血の悪魔か、それに準じた闇の一
族。
それ自体が光に相反する闇、もしくは影をもつ者。それか、人の属性たる光を
持ちつつも、決して真昼の性ではない夜明けと夕暮れをもつ者達。
体という棺の中に、闇という名の血の流れる者達。
光に当てられても、棺の中の血は輝きを吸い込み、永遠に捕らえてしまう。
目の前に白い人はよく目立つ。
闇の中でも、白いマントが綺麗に見えるから。
だいぶこの二人になれてきたマレフィセントは、たんだん遊びだすようになっ
た。
ディアンのマントの裾を掴もうと手を伸ばす。
と、するりと歩く動きで、あった場所から動いてしまった。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
手を伸ばす、捕まえる。と、動く、逃げる。
…と、目の前の白い人が、怪訝そうに振り返る。
ぴたりと、少女も動きを止めて、そおっと上目遣いに伺う。
やや間が空いて、再びディアンは歩き出した。
そして、またもマレフィセントが、彼のマントの裾で遊びだす。
くすくすと、忍び笑いが弾けた。
どこか不機嫌そうに、ディアンが背中越しで問いかけた。
「…おい、フレア。何笑ってんだよ」
「いや、ディアンも中々子供の相手が上手いんだな、と思って」
「…?」
さっきから、なんか後ろで跳ね回ってると思って振り向くのだが、そのたびに
マレフィセントは素早く動きを止めて上目遣いに見上げてくる。
なんだか、止まったことに罪悪感を感じ、また歩き出す。
と、またもマレフィセントが嬉しそうに裾にじゃれつく。後ろから眺めている
フレアにとってはなかなか愉快な光景だ。
「何してんだよ、コイツ」
「いいじゃないか、ディアン。子守も出来るならきっといいお父さんになれる
よ」
「悪魔の子供(ガキ)の子守っつうのも新鮮だな」
「確かに」
じゃれつく娘は、お構いなしに裾で遊んでいる。
闇夜の中で、悪魔の娘の遊びはディアンとフレアの歩みが止まるまで続いたの
であった。