PC:シオン、ヴォルペ、クロース、オプナ
場所:マキーナ――空家
NPC:フィミル、魔術師バウンズ
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
「シオン君!?」
オプナが引き止めようと声を荒げたその時、シオンは振り向いて大丈夫と微か
に微笑んだ。そして、「危険ですから、ここで待っていて下さい。必ず、私が取
り戻しますから」そう言い残すと、歪[いびつ]な空間の裂け目へと飛び込んでい
った。単独で。だが、それを追おうとする者は居なかった。シオンが微かに微笑
んだその笑みの中に、何か決意めいた、強い制止の眼差しを見て取って察してい
たからであった。
――追ってはいけない。
と。この場は取り敢えず、シオンに任せるしかない、と。
歪曲した空間が閉じられたその後には、開け放たれたままの窓ガラスを風が揺
らしているだけであった。
「やっと見つけたぞ。オプナ」
唐突に声が降って来た。
オプナ達が声のした方へ目を転じると、魔術師らしき容姿をした男が窓枠に腰
掛けていた。黒いローブの裾が風にはためいている。口元を歪ませ婉然と笑んで
いる、少し陰りのある男だ。
「やっぱり追って来たわね」
そう言いながらも、即座に呪文を口ずさむオプナ。同時に、クロースを庇う姿
勢を見せる。それが自分の魔法を感知して追って来た追っ手だと言うことは、オ
プナには直ぐに解った。解ったからこその行動だった。
室内にいた者達の中で一番最初に動いたのは、意外にもオプナだった。
呪文の詠唱が終わると同時に足元に魔法陣が張られ、呪文の効力が発動する。
魔法陣は結界の効力があり、術者を呪文の波動から守る役割を担っている。
同様に相手の足元にも魔法陣が張られているところを見ると、呪文の詠唱が終
ったのはほぼ同時だった様だ。何の呪文かは解らないが、この場に居るものを全
て巻き込む恐れのある呪文である事は大方予想出来る。
「皆! 散開して! 出来るだけ、部屋の外へ!」
オプナが叫ぶと同時に、ヴォルペはフィミルを抱いて、部屋の外へと退避し
た。クロースはその場で立ち尽くしている。が、今はクロースに構っていられる
ほど余裕が無いのか、はたまたクロースは絶対に安全だという確固たる自信でも
あるのか、オプナは一先ず納得すると、再び黒ローブの魔術師に視線を戻す。
黒ローブの魔術師はそんな一同を見て取って、嘲りともつかない笑みを口元に
湛えて言った。
「流石だなぁ、オプナ。俺がどんな呪文を展開するか予想したか」
「“爆裂のバウンズ”と異名をとっているほどだからね。あらかた予想は出来る
わ」
「ほほぅ。この、俺の事を知っているとは、流石だな」
「能書きは後!」
――氷の矢[アイス・アロー]!
――炎塵[フレイム・ダスト]!
オプナの呪文と、バウンズの呪文とはほぼ同時に放たれた。
オプナの周囲に無数の氷の矢が出現し、翳した掌の先、バウンズの方へと直線
的に向かっていった。オプナの放った呪文はアイス・アロー。無数の氷の矢を術
者の意のままに操る魔法だ。直線的ではあるが、相手を貼り付けにするには丁度
良い術である。
対するバウンズの放ったフレイム・ダストは、周囲に炎属性の塵をばら撒く範
囲魔法である。攻守ともに優れた魔法で、質量を持つ物質が接触しただけで粉塵
爆発を起こす魔法である。バウンズにしてみれば、例えこの屋敷ごと燃やしてで
もクロースを取り巻く人間どもを一掃し、クロースを連れ帰りたいのだろう。そ
れは、とにも隠さず任務を速く遂行する事に他ならない。
「くっ、やっぱり!」
オプナは唇をかみ締めると同時に、別の呪文を口ずむ。今度は防御の魔法だ。
構築した呪文は――。
――水盾[ウォーター・シールド]!
ウォーター・シールド。水の幕を張って炎系のダメージを防ぐ、水系の防御魔
法だ。前面にのみ張ることも、全方位つまり球体の形に張ることも出来る。オプ
ナは、全方位に水の幕を張った。
と、同時に粉塵爆発が起こり氷の矢が弾け飛ぶ。爆発は部屋全体を焦がし、調
度品を燃やし尽くした。爆炎が部屋を嘗め回すように、焦がし尽くしていると言
うのに、オプナとクロースの周囲だけは不思議と焦げ跡一つ付かなかった。オプ
ナは水の盾で防がれているから。しかし、クロースは怖そうに蹲っているだけ
で、魔法を使った形跡は無い。水の幕を張ったようには見られないのだ。
クロースには、特異な能力があった。
――魔法障壁――
彼女は、魔法と言う魔法、物理攻撃と言う物理攻撃を全て遮ってしまう能力を
有しているのだ。しかし、それは“恐怖”と“命令”と言う二つのキーの内どち
らかが無ければ発動しないものだった。
それが発動した。
つまり、そのときクロースは恐怖を抱いていたのだ。
クロースの無事を一目で確認すると、オプナは次なる呪文を口ずさんでいた。
と、そこへ突如粉煙を掻き分けてオプナの方に向かって来た人影があった。オ
プナと同じ様にウォーター・シールドを球形に展開させて、粉塵爆発の中を突進
して来たバウンズだった。
ウォーター・シールド同士が干渉し、溶け込んで結界内が融合する。
「オプナあぁぁぁ!」
バウンズは一度叫ぶと、オプナに一撃を喰らわせんと拳を振るった。
「バウンズ!」
振るわれた拳を受け止めたオプナのその腕には、煌く物があった。いざという
時の接近戦用にいつも携帯している、短剣だった。オプナはバウンズが突っ込ん
で来る事を見越して、素早く杖を聞き手の逆に持ち替えて代わりに腰に吊るした
短剣を手に取っていたのだ。
「……成る程。一枚も二枚も上手だ、ということか」
受け止められた事に驚いた事実を隠すように、余裕の笑みを態と見せるバウン
ズ。その頬には冷や汗が光っていた。実際、彼の腕に巻きつけてある鋼鉄の手甲
が無ければ、彼の腕は短剣によって切り裂かれていただろう。それ程危うい状況
に置かれてしまったのだ。彼――バウンズは。
そして――。
オプナの表情が一瞬緩み、と同時に先程まで唱えていた呪文が展開した。
――氷結[フロスト]
呪文が展開すると、バウンズの足元から氷が這い上がっていき、完全に下半身
を凍りつかせてしまった。氷はじわじわとバウンズの体を蝕んでいく。
その瞬間、後ろを振り向いたオプナが放った言葉は――。
「先生! 後は、頼みます!!」
「先生って……誰?」
こめかみをポリポリ掻きながら、誰にともなく質問をぶつけて室内に入って来
た人物は――ヴォルペだった。
場所:マキーナ――空家
NPC:フィミル、魔術師バウンズ
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「シオン君!?」
オプナが引き止めようと声を荒げたその時、シオンは振り向いて大丈夫と微か
に微笑んだ。そして、「危険ですから、ここで待っていて下さい。必ず、私が取
り戻しますから」そう言い残すと、歪[いびつ]な空間の裂け目へと飛び込んでい
った。単独で。だが、それを追おうとする者は居なかった。シオンが微かに微笑
んだその笑みの中に、何か決意めいた、強い制止の眼差しを見て取って察してい
たからであった。
――追ってはいけない。
と。この場は取り敢えず、シオンに任せるしかない、と。
歪曲した空間が閉じられたその後には、開け放たれたままの窓ガラスを風が揺
らしているだけであった。
「やっと見つけたぞ。オプナ」
唐突に声が降って来た。
オプナ達が声のした方へ目を転じると、魔術師らしき容姿をした男が窓枠に腰
掛けていた。黒いローブの裾が風にはためいている。口元を歪ませ婉然と笑んで
いる、少し陰りのある男だ。
「やっぱり追って来たわね」
そう言いながらも、即座に呪文を口ずさむオプナ。同時に、クロースを庇う姿
勢を見せる。それが自分の魔法を感知して追って来た追っ手だと言うことは、オ
プナには直ぐに解った。解ったからこその行動だった。
室内にいた者達の中で一番最初に動いたのは、意外にもオプナだった。
呪文の詠唱が終わると同時に足元に魔法陣が張られ、呪文の効力が発動する。
魔法陣は結界の効力があり、術者を呪文の波動から守る役割を担っている。
同様に相手の足元にも魔法陣が張られているところを見ると、呪文の詠唱が終
ったのはほぼ同時だった様だ。何の呪文かは解らないが、この場に居るものを全
て巻き込む恐れのある呪文である事は大方予想出来る。
「皆! 散開して! 出来るだけ、部屋の外へ!」
オプナが叫ぶと同時に、ヴォルペはフィミルを抱いて、部屋の外へと退避し
た。クロースはその場で立ち尽くしている。が、今はクロースに構っていられる
ほど余裕が無いのか、はたまたクロースは絶対に安全だという確固たる自信でも
あるのか、オプナは一先ず納得すると、再び黒ローブの魔術師に視線を戻す。
黒ローブの魔術師はそんな一同を見て取って、嘲りともつかない笑みを口元に
湛えて言った。
「流石だなぁ、オプナ。俺がどんな呪文を展開するか予想したか」
「“爆裂のバウンズ”と異名をとっているほどだからね。あらかた予想は出来る
わ」
「ほほぅ。この、俺の事を知っているとは、流石だな」
「能書きは後!」
――氷の矢[アイス・アロー]!
――炎塵[フレイム・ダスト]!
オプナの呪文と、バウンズの呪文とはほぼ同時に放たれた。
オプナの周囲に無数の氷の矢が出現し、翳した掌の先、バウンズの方へと直線
的に向かっていった。オプナの放った呪文はアイス・アロー。無数の氷の矢を術
者の意のままに操る魔法だ。直線的ではあるが、相手を貼り付けにするには丁度
良い術である。
対するバウンズの放ったフレイム・ダストは、周囲に炎属性の塵をばら撒く範
囲魔法である。攻守ともに優れた魔法で、質量を持つ物質が接触しただけで粉塵
爆発を起こす魔法である。バウンズにしてみれば、例えこの屋敷ごと燃やしてで
もクロースを取り巻く人間どもを一掃し、クロースを連れ帰りたいのだろう。そ
れは、とにも隠さず任務を速く遂行する事に他ならない。
「くっ、やっぱり!」
オプナは唇をかみ締めると同時に、別の呪文を口ずむ。今度は防御の魔法だ。
構築した呪文は――。
――水盾[ウォーター・シールド]!
ウォーター・シールド。水の幕を張って炎系のダメージを防ぐ、水系の防御魔
法だ。前面にのみ張ることも、全方位つまり球体の形に張ることも出来る。オプ
ナは、全方位に水の幕を張った。
と、同時に粉塵爆発が起こり氷の矢が弾け飛ぶ。爆発は部屋全体を焦がし、調
度品を燃やし尽くした。爆炎が部屋を嘗め回すように、焦がし尽くしていると言
うのに、オプナとクロースの周囲だけは不思議と焦げ跡一つ付かなかった。オプ
ナは水の盾で防がれているから。しかし、クロースは怖そうに蹲っているだけ
で、魔法を使った形跡は無い。水の幕を張ったようには見られないのだ。
クロースには、特異な能力があった。
――魔法障壁――
彼女は、魔法と言う魔法、物理攻撃と言う物理攻撃を全て遮ってしまう能力を
有しているのだ。しかし、それは“恐怖”と“命令”と言う二つのキーの内どち
らかが無ければ発動しないものだった。
それが発動した。
つまり、そのときクロースは恐怖を抱いていたのだ。
クロースの無事を一目で確認すると、オプナは次なる呪文を口ずさんでいた。
と、そこへ突如粉煙を掻き分けてオプナの方に向かって来た人影があった。オ
プナと同じ様にウォーター・シールドを球形に展開させて、粉塵爆発の中を突進
して来たバウンズだった。
ウォーター・シールド同士が干渉し、溶け込んで結界内が融合する。
「オプナあぁぁぁ!」
バウンズは一度叫ぶと、オプナに一撃を喰らわせんと拳を振るった。
「バウンズ!」
振るわれた拳を受け止めたオプナのその腕には、煌く物があった。いざという
時の接近戦用にいつも携帯している、短剣だった。オプナはバウンズが突っ込ん
で来る事を見越して、素早く杖を聞き手の逆に持ち替えて代わりに腰に吊るした
短剣を手に取っていたのだ。
「……成る程。一枚も二枚も上手だ、ということか」
受け止められた事に驚いた事実を隠すように、余裕の笑みを態と見せるバウン
ズ。その頬には冷や汗が光っていた。実際、彼の腕に巻きつけてある鋼鉄の手甲
が無ければ、彼の腕は短剣によって切り裂かれていただろう。それ程危うい状況
に置かれてしまったのだ。彼――バウンズは。
そして――。
オプナの表情が一瞬緩み、と同時に先程まで唱えていた呪文が展開した。
――氷結[フロスト]
呪文が展開すると、バウンズの足元から氷が這い上がっていき、完全に下半身
を凍りつかせてしまった。氷はじわじわとバウンズの体を蝕んでいく。
その瞬間、後ろを振り向いたオプナが放った言葉は――。
「先生! 後は、頼みます!!」
「先生って……誰?」
こめかみをポリポリ掻きながら、誰にともなく質問をぶつけて室内に入って来
た人物は――ヴォルペだった。
PR
PC:ヴォルペ オプナ クロース(シオン)
NPC:フィミル ブレッザ・プリマヴェリーレ 魔術師バウンズ グラブラ
イ
場所:マキーナ幽霊屋敷~博士の家
―――――――――――――――――――――――――――――――――
とりあえずフィミルを一階に避難させて戻っていきなりの先生扱い、正直譲
られるほどオプナが苦戦しているようにも見えないが。
「よろしくね」
「よくわかんないけど、わかりました」
笑顔のオプナに苦笑で返して、氷漬けになりそうな魔術師に言葉をかける。
「えーと、とりあえず降参しませんか?」
事も無げにそう言ったヴォルペに魔術師、バウンズが憤慨した。なにか自尊
心とやらを傷つけてしまったのか。
「ふざけるな小僧! この程度で俺が負けたとでも言いたいのか!」
誰がどう見てもそうだろう。バウンズが今生きているのは間違いなくオプナ
の気まぐれとヴォルペの性格的物だ。その気になればオプナも、そしてヴォル
ペもバウンズを殺すことができる。
「ははは、舐められたもんだな。この程度の束縛術でもう勝った気でいるの
か。おめでたいな」
『レン、おめでたいのはお前の頭だって言ってあげなさい』
(ダメだよ。よけい可愛そうじゃないか)
直接バウンズの耳に入れば間違いなく頭の血管が3本ぐらい軽くちぎれる音
が聞こえる会話だ。
「俺がその気になればこの程度」
バウンズが短く呪文を唱えて体の半分を覆っていた氷を手甲をつけた手で殴
り砕く。到底魔術師とは思えない行為だ。
「ふははは、これで貴様等の優位はなくなったぞ!」
「あら、今まで情けをかけられていたって自覚はあるのね。以外だわ」
オプナがクロースの傍らでくすくすと笑う。美しいという形容詞が似合う笑
顔だが、言葉には毒が多すぎる。
「き、ききさまぁああ!」
「オプナさん。言いすぎですよ」
『あら、でも事実よ?』
どうもこの二人は言葉に加減が無い。まあ、ブレッザが相手ならバウンズは
もう影すら残っていないだろうが。
「まあ、二対一だし。おじさん大人しく逃げた方がいいと思うんだけど」
「黙れ! 錬金術師どもの実験動物の分際で。真理を追う高潔な魔術師の俺に
意見するか!」
勢いよく手甲を鳴らし、バウンズはさらに罵倒を続ける。この時点でヴォル
ペの表情が変わっていることに気付けば、あるいはまだ救いがあったかもしれ
ない。
「我らのクロゼン師がさらに真理に近づくためにその娘がいるのだ! 醜悪な
改造人間は大人しく錬金術師どものラボでおとなしくしていろ」
言いたいことを言って満足したのか、バウンズは醜く顔を変形させる。本人
は笑っているつもりだろうが、馬が苦しんでいる表情ぐらいにしか見えない。
「クロースちゃんを連れて行ってどうするつもりだ」
ヴォルペが低い声で喋る。バウンズはこれを怯えていると勘違いして声高に
応えた。
「ふははは、決まっているだろう。あの小娘は実験対象として非常に興味深い
からな、解剖するのもいい。どちらにしても飼い殺しだ、貴様も同じ実験動物
なら」
「ふざけるな……」
声を震わせて、ヴォルペは拳を作る。力が入りすぎて掌に爪が食い込み血が
滲む。
「あ?」
「お前らは、お前らは命をなんだと思ってるんだ!」
ヴォルペは手加減無しにバウンズの顔に拳を叩き込み吹っ飛ばす。顎の骨と
歯が砕ける音が手を通して伝わってきたはずだが、怒りでヴォルペには聞こえ
ない。
「な、なふぃを」
一瞬で脳を揺さぶられ、ろれつが回ってない。それどころか立つことすらで
きない。
「僕は僕のものだ……、ブレッザもブレッザのものだ」
ゆっくりと、ヴォルペはバウンズに近づく。不幸にも虎の尻尾を踏んでしま
った事をバウンズはようやく理解した。理解しても、既に遅かったが。
「クロースちゃんも、クロースちゃん自身のものだ。他の誰にも、誰にもその
命を自由にできる権利なんてもってない!」
拳を床に這い蹲るバウンズ目掛けて振り下ろす。
「あふぁぁあ」
バウンズの奇声は床を突き破る音に掻き消されるた。
埃の舞い立つ部屋の中で、ヴォルペは立ち上がった。失禁して気絶している
この魔術師は放っておいても大丈夫だろう。ブレッザは甘いと、また頭の中で
ため息をついているが。やっぱり、こんな奴でも人間を殺すのは、気が引け
る。
「大丈夫?」
血の滲んだ掌を見てオプナが声をかけてきた。大丈夫、と曖昧に応えて掌を
見せる。傷はほぼ塞がって、少しだけ爪の跡が残っているだけだった。
「これからどうするの?」
「とりあえず僕は町外れに用事があるけど」
もともとマキーナに来たのは、元に戻るための情報を集めている時にその手
のことを研究している博士がいると聞いたからだ。
「そう、じゃあ私達も着いて行ってもいいかしら?」
「え?」
唐突な申し出だった。思えばオプナ達とは済し崩しのような形で一緒にいた
から、ヴォルペには以外だった。
「シオン君も探さないといけないけど、どこにいるかわからないから」
言葉どおりとるなら、とりあえずと、言ったところだろうか。
「いいですよ、旅をするなら大勢がいいですからね」
笑顔で承諾する。悪い人間ではないし、なによりシオンの事はヴォルペも気
になっていた。今から尋ねる人物がもしかしたらシオンが消えた空間の歪みに
ついても何か知っているかもしれない。
『それは楽観的観測と言うものよ』
ブレッザの現実的な言葉に苦笑して、ヴォルペはオプナ達を促して一階に降
りた。残してきたフィミルを交えてこれからの事を話そうと思ったからだ。
「あれ?」
「フィミルちゃん、いないわね」
フィミルがいるはずの一階の応接間には誰もいなかった。何かの羽根が散乱
して、窓が開いていた。
「まいったわね。もしかして彼女も」
「違うよ。きっと、帰ったんじゃないかな」
どこに? と、聞かれると困るが。ヴォルペにはなんとなくそんな気がし
た。恐らくもう二度とは会えないという気もする。
「行こう、オプナさん」
「え、ええ」
笑顔でオプナを促して、ヴォルペは屋敷の外に出た。午後に入って少しした
マキーナの空にはどんよりとした雲の隙間から陽の光が差していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
少し、陽が傾いてきた頃に、ヴォルペ達は目的の場所についていた。マキー
ナの町外れ、ちょうどベリドットの屋敷から反対方向の山のふもとにある潰れ
かけた小屋だ。
「……あれ、人住んでるの?」
オプナは率直に意見を言う。確かに人が住んでいるにしては荒れすぎてい
る。いや、荒れているというよりは何かに破壊された後という表現がぴったり
だろう。
「あれは!」
「ヴォル君!?」
ヴォルペは小屋の後ろに広がる森の中に疾走していく。オプナには見えなか
ったかもしれない、だがヴォルペには確かに見えた。人に似て、人とは著しく
違う影を。
「待て!」
「うはは、来た来た。マジできたぜぇ」
白衣を着たザリガニ、そう言えば一番わかりやすいだろうか。大きなはさみ
を開閉しながら巨大な人型のザリガニは笑ったように見えた。
「とりあえず、はじめましてだなぁ。俺様はグラブライ、まあ、メッセンジャ
ーってとこだ」
グラブライは不気味な音を立ててお辞儀をした。赤いお玉のような目だけで
ヴォルペを見据える。
「ここにいたジジィは俺達が預かってる。助けに来るかどうかはお前次第だ。
そうそう、ついでにツクヨミが連れてきたにぃちゃんもいるぜぇ」
『こいつ』
グラブライはヴォルペが必ず来るということを前提で挑発している以上、罠
の可能性が高い。そのこと自体はヴォルペにもわかっている。わかっている
が。
「どこにいる」
「はははは、そうこなくっちゃな。ここからそう遠くはねぇ、なぁに、こっか
ら山二つ挟んだランダグローツって谷の底さ。じゃあ、待ってるぜ」
そう言い残してグラブライは森の中に姿を消した。
「ヴォル君」
「オプナさんは、クロースちゃんとここで待っててください」
「何言ってるの、私も行くわよ?」
「でも」
「言ったでしょシオン君を探すって。捕まってるなら助けに行かなきゃ」
二十分ぐらい押し問答をして、結局ヴォルペはオプナの押しの強さに負け
た。どうも、こういうタイプの人には弱い。
「大丈夫よ。自分の身は自分で守れるわ。私も、クロースもね」
「わかりました。でもホントに気をつけてくださいよ」
お人好し、と頭の中でブレッザが呆れた声が響く。しょうがないじゃない
か、と返して。ヴォルペはランダグローツを目指して森の中に足を踏み入れ
た。
NPC:フィミル ブレッザ・プリマヴェリーレ 魔術師バウンズ グラブラ
イ
場所:マキーナ幽霊屋敷~博士の家
―――――――――――――――――――――――――――――――――
とりあえずフィミルを一階に避難させて戻っていきなりの先生扱い、正直譲
られるほどオプナが苦戦しているようにも見えないが。
「よろしくね」
「よくわかんないけど、わかりました」
笑顔のオプナに苦笑で返して、氷漬けになりそうな魔術師に言葉をかける。
「えーと、とりあえず降参しませんか?」
事も無げにそう言ったヴォルペに魔術師、バウンズが憤慨した。なにか自尊
心とやらを傷つけてしまったのか。
「ふざけるな小僧! この程度で俺が負けたとでも言いたいのか!」
誰がどう見てもそうだろう。バウンズが今生きているのは間違いなくオプナ
の気まぐれとヴォルペの性格的物だ。その気になればオプナも、そしてヴォル
ペもバウンズを殺すことができる。
「ははは、舐められたもんだな。この程度の束縛術でもう勝った気でいるの
か。おめでたいな」
『レン、おめでたいのはお前の頭だって言ってあげなさい』
(ダメだよ。よけい可愛そうじゃないか)
直接バウンズの耳に入れば間違いなく頭の血管が3本ぐらい軽くちぎれる音
が聞こえる会話だ。
「俺がその気になればこの程度」
バウンズが短く呪文を唱えて体の半分を覆っていた氷を手甲をつけた手で殴
り砕く。到底魔術師とは思えない行為だ。
「ふははは、これで貴様等の優位はなくなったぞ!」
「あら、今まで情けをかけられていたって自覚はあるのね。以外だわ」
オプナがクロースの傍らでくすくすと笑う。美しいという形容詞が似合う笑
顔だが、言葉には毒が多すぎる。
「き、ききさまぁああ!」
「オプナさん。言いすぎですよ」
『あら、でも事実よ?』
どうもこの二人は言葉に加減が無い。まあ、ブレッザが相手ならバウンズは
もう影すら残っていないだろうが。
「まあ、二対一だし。おじさん大人しく逃げた方がいいと思うんだけど」
「黙れ! 錬金術師どもの実験動物の分際で。真理を追う高潔な魔術師の俺に
意見するか!」
勢いよく手甲を鳴らし、バウンズはさらに罵倒を続ける。この時点でヴォル
ペの表情が変わっていることに気付けば、あるいはまだ救いがあったかもしれ
ない。
「我らのクロゼン師がさらに真理に近づくためにその娘がいるのだ! 醜悪な
改造人間は大人しく錬金術師どものラボでおとなしくしていろ」
言いたいことを言って満足したのか、バウンズは醜く顔を変形させる。本人
は笑っているつもりだろうが、馬が苦しんでいる表情ぐらいにしか見えない。
「クロースちゃんを連れて行ってどうするつもりだ」
ヴォルペが低い声で喋る。バウンズはこれを怯えていると勘違いして声高に
応えた。
「ふははは、決まっているだろう。あの小娘は実験対象として非常に興味深い
からな、解剖するのもいい。どちらにしても飼い殺しだ、貴様も同じ実験動物
なら」
「ふざけるな……」
声を震わせて、ヴォルペは拳を作る。力が入りすぎて掌に爪が食い込み血が
滲む。
「あ?」
「お前らは、お前らは命をなんだと思ってるんだ!」
ヴォルペは手加減無しにバウンズの顔に拳を叩き込み吹っ飛ばす。顎の骨と
歯が砕ける音が手を通して伝わってきたはずだが、怒りでヴォルペには聞こえ
ない。
「な、なふぃを」
一瞬で脳を揺さぶられ、ろれつが回ってない。それどころか立つことすらで
きない。
「僕は僕のものだ……、ブレッザもブレッザのものだ」
ゆっくりと、ヴォルペはバウンズに近づく。不幸にも虎の尻尾を踏んでしま
った事をバウンズはようやく理解した。理解しても、既に遅かったが。
「クロースちゃんも、クロースちゃん自身のものだ。他の誰にも、誰にもその
命を自由にできる権利なんてもってない!」
拳を床に這い蹲るバウンズ目掛けて振り下ろす。
「あふぁぁあ」
バウンズの奇声は床を突き破る音に掻き消されるた。
埃の舞い立つ部屋の中で、ヴォルペは立ち上がった。失禁して気絶している
この魔術師は放っておいても大丈夫だろう。ブレッザは甘いと、また頭の中で
ため息をついているが。やっぱり、こんな奴でも人間を殺すのは、気が引け
る。
「大丈夫?」
血の滲んだ掌を見てオプナが声をかけてきた。大丈夫、と曖昧に応えて掌を
見せる。傷はほぼ塞がって、少しだけ爪の跡が残っているだけだった。
「これからどうするの?」
「とりあえず僕は町外れに用事があるけど」
もともとマキーナに来たのは、元に戻るための情報を集めている時にその手
のことを研究している博士がいると聞いたからだ。
「そう、じゃあ私達も着いて行ってもいいかしら?」
「え?」
唐突な申し出だった。思えばオプナ達とは済し崩しのような形で一緒にいた
から、ヴォルペには以外だった。
「シオン君も探さないといけないけど、どこにいるかわからないから」
言葉どおりとるなら、とりあえずと、言ったところだろうか。
「いいですよ、旅をするなら大勢がいいですからね」
笑顔で承諾する。悪い人間ではないし、なによりシオンの事はヴォルペも気
になっていた。今から尋ねる人物がもしかしたらシオンが消えた空間の歪みに
ついても何か知っているかもしれない。
『それは楽観的観測と言うものよ』
ブレッザの現実的な言葉に苦笑して、ヴォルペはオプナ達を促して一階に降
りた。残してきたフィミルを交えてこれからの事を話そうと思ったからだ。
「あれ?」
「フィミルちゃん、いないわね」
フィミルがいるはずの一階の応接間には誰もいなかった。何かの羽根が散乱
して、窓が開いていた。
「まいったわね。もしかして彼女も」
「違うよ。きっと、帰ったんじゃないかな」
どこに? と、聞かれると困るが。ヴォルペにはなんとなくそんな気がし
た。恐らくもう二度とは会えないという気もする。
「行こう、オプナさん」
「え、ええ」
笑顔でオプナを促して、ヴォルペは屋敷の外に出た。午後に入って少しした
マキーナの空にはどんよりとした雲の隙間から陽の光が差していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
少し、陽が傾いてきた頃に、ヴォルペ達は目的の場所についていた。マキー
ナの町外れ、ちょうどベリドットの屋敷から反対方向の山のふもとにある潰れ
かけた小屋だ。
「……あれ、人住んでるの?」
オプナは率直に意見を言う。確かに人が住んでいるにしては荒れすぎてい
る。いや、荒れているというよりは何かに破壊された後という表現がぴったり
だろう。
「あれは!」
「ヴォル君!?」
ヴォルペは小屋の後ろに広がる森の中に疾走していく。オプナには見えなか
ったかもしれない、だがヴォルペには確かに見えた。人に似て、人とは著しく
違う影を。
「待て!」
「うはは、来た来た。マジできたぜぇ」
白衣を着たザリガニ、そう言えば一番わかりやすいだろうか。大きなはさみ
を開閉しながら巨大な人型のザリガニは笑ったように見えた。
「とりあえず、はじめましてだなぁ。俺様はグラブライ、まあ、メッセンジャ
ーってとこだ」
グラブライは不気味な音を立ててお辞儀をした。赤いお玉のような目だけで
ヴォルペを見据える。
「ここにいたジジィは俺達が預かってる。助けに来るかどうかはお前次第だ。
そうそう、ついでにツクヨミが連れてきたにぃちゃんもいるぜぇ」
『こいつ』
グラブライはヴォルペが必ず来るということを前提で挑発している以上、罠
の可能性が高い。そのこと自体はヴォルペにもわかっている。わかっている
が。
「どこにいる」
「はははは、そうこなくっちゃな。ここからそう遠くはねぇ、なぁに、こっか
ら山二つ挟んだランダグローツって谷の底さ。じゃあ、待ってるぜ」
そう言い残してグラブライは森の中に姿を消した。
「ヴォル君」
「オプナさんは、クロースちゃんとここで待っててください」
「何言ってるの、私も行くわよ?」
「でも」
「言ったでしょシオン君を探すって。捕まってるなら助けに行かなきゃ」
二十分ぐらい押し問答をして、結局ヴォルペはオプナの押しの強さに負け
た。どうも、こういうタイプの人には弱い。
「大丈夫よ。自分の身は自分で守れるわ。私も、クロースもね」
「わかりました。でもホントに気をつけてくださいよ」
お人好し、と頭の中でブレッザが呆れた声が響く。しょうがないじゃない
か、と返して。ヴォルペはランダグローツを目指して森の中に足を踏み入れ
た。
PC:ヴォルペ シオン オプナ クロース
NPC:フィミル ブレッザ・プリマヴェリーレ 屍使い・ツクヨミ アマツ
場所:移動空間~森~(ランダグローツ)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ヴォルぺ達はランダグローツを目指し、深い森の中を歩いていた。
最初の内は獣道を辿っていたが、それもやがて芝生の中に消えてしまった。
見渡す限り生い茂る木と雑草、険しい道のりは自然と全員を無口にさせる。
森の中を進んでどの位経ったのか、ふいに開けた場所に出た。
「ここらで一休みにしましょう」
ヴォルペの言葉にオプナが安堵の溜息をついて賛成した。
クロースはというとこれまた無言でオプナの側にくっつく。
これまでの道中は決して楽な物ではなく、特に森の中の行進は女性には辛いだろ
う。
もちろんヴォルぺがある程度雑草を払いながら道を作りながら進んだが…
「それにしてもランダグローツへは後どのくらいあるのかしらね?」
「方角はあってる筈だから…たぶん後2~3日と言ったところです」
その答えにオプナは一瞬固まるが、それでも自分から行くと言ったてまえか、すぐ
に気を取りなおして空を仰いだ。太陽がやや西に傾いている様に思える。
「シオン君大丈夫かしら?」
「一応は生きてます」
オプナの独り言のような呟きに答えたのはヴォルペではなかった。
ヴォルぺもオプナも目を疑った。
自分達の目の前の光景が信じられない様だ。
いつのまにそこにいたのか、3人の前に一人の少女…いや少年が立っていた。
白髪で少女と見間違えてしまうかのような容貌をしたその少年は、声こそシオンの
物だったがその容姿は12~3歳くらいの幼い外見をしていた。
どこから持ってきたのか、服装は大き目の半袖シャツに短いズボンといったなんと
も涼しそうな格好をしている。
「どうしたんですか? まるで幽霊でも見たかのような顔をして…」
シオンらしき少年はシオンの声でシオンの喋り方でそう言った。
「ほ、本当にシオン君なの?」
「ああ、驚いてしまうのも無理はないですよね。この服」
「いや! そこじゃないでしょ!?」
すかさずオプナのツッコミが入る。
「まあ、話せば少し長くなってしまいます。座って話してもいいですか?」
シオンはすこし微笑したあと、その場に「よいしょ」と腰を落とした。
その笑顔にも体にも疲弊の色が見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。
彼は隠そうとしている様だが…
「まず、ツクヨミを追って移動空間に入ったところからお話ししましょう。私はそこ
でツクヨミに…正確に言えば彼の新たな屍人形にですね。それに毒を受けて動けなく
なってしまったんです」
荒い息をつきうずくまるシオンを、ツクヨミは失望の眼差しを向けていた。
――あっけない、こんなものか…――
ずっと憎んでいた。
ずっと妬んでいた。
ことある事に比べられ、蔑まれ、罵られた。
自分にこんな思いをさせる、どんな姿形をしているのかも分からない生物を恨んで
いた。
今、そいつは自分の目の前に屈服している。
しかし、そこには何も無かった。
優越感も、達成感も何もない。
自分が求めていた物はなんだったのだろうか…
コンナモノダッタノカ
「もう君は終りだ。僕の手に掛からず僕に屈服する…君に相応しい最後だね」
シオンの側まで歩み寄ったアマツが拳に力を入れる。
それとほぼ同時だった。
苦痛を浮かべていたシオンの表情に変化が起きた。
口元を僅かに吊り上げ、笑みを浮かべていたのだ。
「…! アマツ、気をつけ…」
その笑みに何かを感じ取り、ツクヨミが声を張り上げた。
「遅いですよ」
シオンの声が鮮明に響く。
その直後、膝を突いていたシオンが信じられないスピードでアマツの懐に潜りこ
み、その胸部に腕を突き出した。
神速、そう言ってもさし違えない速さで突き出された拳はアマツの体を簡単に吹き
飛とばした。
「な、なに…?」
驚愕の表情を浮かべるツクヨミに吹っ飛んできたアマツが激突する。
「ぐっ」
ツクヨミはなんとか少年の体を受けとめた。
と、手にぬるりとした生暖かい感触を感じ、ゆっくりとその正体を確かめる。
血…
手を真紅に染め上げたぬるぬるの正体は、血。
はっとして屍使いは抱きとめた少年の体を調べ再び目を見開いた。アマツの胸部は
まるでドリルで削られたかのようにズタズタに渦を巻いて引き裂かれており、そこか
ら大量に出血を起こしていたのだ。
手についたモノはアマツの血だった。
「な…一体、なにが…」
「私が、打ちました」
背筋のぞっとする物を感じ、ツクヨミは顔を上げる。
そこにはしっかりと体を立たせ、哀れみの含んだ瞳で見つめてくるシオンがいた。
毒で動けなくなったはずのシオンは、どう言うわけか復活し、その上アマツまでを
も片腕で吹き飛ばしたのだ。
「………そうか、そうだったね。は、ははは、あ~はっはっはっはっ
はーーーーーーーーーーーーー」
アマツとシオンを見比べ、ツクヨミが額を押さえて高笑いをする。
「君は決して馬鹿じゃない。いや、それどころか僕達よりも数段優れているんだ。自
分の弱点である麻痺毒への対策もちゃんとしていた、そういうわけだよね」
「…はい、もう私に毒は通用しませんよ」
これはハッタリだった。
実際シオンは今だに麻痺や神経毒と言った身体に異常を起こさせる物質にはまるで
抵抗力がないのだ。
では、なぜ先刻まで毒に冒されていた彼がこんなに元気なのか? 答えは簡単だっ
た。
シオンは、常に毒消しの薬草を携帯していたのだった。
もちろん草のまま持ち運ぶわけにはいかないので、すり潰して銀色の丸いケースの
中にいれて所持している。子供の手の平におさまるくらいの小さな物なので、かさば
る事もなく簡単に持ち運べるのだ。
ただ一つのケースに収まる量は、ごく少量というのが難点だが。
「今までのは、演技だったと言うわけだ…やられたよ。少し惚れ直したかも」
「……それはどうも」
「おまけにアマツにこれほどの損傷を与えるとはね。普通の人間だったら死んでるよ
? マジで」
おどけた様子で屍使いはアマツの頭を撫でる。
これでもアマツも立派なサイボーグだ。シオンもそうとは言え、素手の突きで体が
こんなにズタズタになるはずはない。
「ご心配なく、人間でしたらそんな危険な事はしませんので」
シオンは僅かに目を細め、しかしそれでも柔和な微笑みを浮かべて答える。
「完全に油断していたよ。ここの空間では風の魔力は集まりにくい…いや、全ての魔
力が集まりにくいんだろうね。だから魔法を使われる前に簡単に感知できる…そう
思っていたんだけど」
そう言うとツクヨミはシオンへ視線を移した。
「君は自分の魔力を予め紙に込めておき、護符として所持しておけるんだったよね。
忘れていたよ。ただでさえ速攻性がうりの風魔法だ、一瞬で護符に込めていた魔力を
開放し『ソニック・ブレード(真空刃)』を腕に纏わせ、それでアマツを突いたんだ
ね。ふふ、凄いじゃあないか」
自嘲気味に笑うツクヨミを、シオンは無言で見つめていた。
圧倒的有利な状況が崩れたにもかかわらず、ツクヨミは余裕の表情を浮かべてい
る。
シオンは、彼が目的の為ならなんでもすると言う事を知っていた。
ただこの状況では他人を巻き込む事はない。それだけは安心できた。
「可愛そうに、この子は僕に操られているだけなのに、こんなにされちゃって…」
不意に、ツクヨミは自分の手の内にあるアマツをいとおしそうに撫でた。
やはり、と言うべきか、ツクヨミはシオンのもう一つの弱点を突いてきたのだ。
―――優しさ―――
他人を思いやり、慈しむ心をツクヨミは利用しようとしているのだ。
確かに通常ならこの作戦でシオンに何らかの動揺は期待できただろう。
しかし、今のシオンにはそれはある意味逆効果だったかもしれない。
「そうですね。早く貴方を倒して救い出さないと、その子はずっと可愛そうな操り人
形のままです」
動揺どころか迷いのまの字も見せない態度。
穏やかな口調に僅かに感じ取れる怒りの感情。
いつも冷静で穏やかな彼からは想像すらできない好戦的な台詞。
「……驚いたよ…一体、何が君をそこまで駆立たせるんだい?」
あきらかにいつもと一味違うシオンにツクヨミは気圧されていた。
シオンは無言で1歩進む、反射的にツクヨミは1歩あとずさる。
いつ切れてもおかしくない緊張が二人の間に張り詰められていく。
と、ツクヨミが更に1歩あとずさった瞬間、シオンの視線が僅かにずれたのをツク
ヨミは見逃さなかった。
シオンが一瞬見た物、それはツクヨミの片手に握られている物。
―――グリオベルガの絵本―――
「……そっか、これか、これなんだね? 君をそんなにするのは、これが原因なんだ
ね?」
ツクヨミは笑いながらグリオベルガの絵本をヒラヒラと振ってみせる。
一方のシオンは自分の迂闊さに歯噛みをしたい気分だった。
今はツクヨミをどうにかするよりも、グリオベルガの絵本を取り返すのが大切だっ
た。
どうやって奪おうかと思考している最中にうっかりと視線が絵本に移ってしまった
のだ。
もちろん、シオンの一挙一動に注目していたツクヨミがそれを見逃すはずはなかっ
た。
「はい、そうです。大人しくそれを返して頂けませんか?」
こうなってしまうともう下手に言い分けを作るよりも本当の事を言い、相手の出方
を覗う方がリスクも低くなる。
「分らないなぁ。わざわざ危険を冒してまでも僕を追ってくるほどの価値が、本当に
これにはあるのかい?」
絵本をペラペラと無造作にめくりながらオレンジ色の髪の青年は笑う。
「…あります。その中には『夢』と『希望』が閉じ込められています。それらを助け
出す為なら、私の身体なんて安すぎるくらいですよ」
穏やかに言うシオン。しかし彼の表情は今までにないほど真剣だった。
「何を言っているんだい? この中にいるのは人間さ。愚かで薄汚くて意地汚いウジ
虫以下のクソみたいな生物さ! 夢? 希望? 何を言っている、あんな奴等のどこ
にそんなモノを感じるんだ? それこそ『夢物語』の『絶望』だろうが!!!」
ツクヨミは咆えた。これ以上ないくらいの絶叫だった。
いつものへらへらとしていた表情は消え失せていた。
彼は1度呼吸を整えると黙って自分を見つめているシオンへと視線を戻す。
「よく考えてみなよ、シオン。あいつ等は一体何をしてきた? 自分の欲望満たす為
なら、他の生き物を踏み躙る事も平気でやってのける。地上を汚し、大気を汚し、物
言えぬ自然に何をしてきた? 獣の住めない森を作り、魚の泳げない海を作り、鳥の
飛べない空を作った……そして、あいつ等は僕等に何をしてきた? 勝手に生み出
し、勝手に改造し、あまつさえ自分達が勝手に作っておきながら、自分達の勝手な都
合で勝手に殺そうとしたじゃないか! すべては人間がその限りない欲望を満たそう
とした結果だ!!!」
「…それでも!!!」
ツクヨミの訴えるような絶叫を、シオンの叫ぶような声が遮った。
「それでも、私は人間を信じます」
シオンがその台詞を言った直後だった。
ツクヨミから凄まじいほどの悪寒を感じさせる殺気が溢れ出した。
常人なら殺到しかねないすさまじい殺気だった。
が、しかし、ツクヨミの顔には何の表情も浮かんでいなかった。
恐ろしいほどの無表情。
しかしそれは『憎悪』をもっとも正しく具現化させたかのような顔なのかもしれな
い。
「そうかい、シオン。ならその『信念』も、君の言う『夢』も『希望』も、全て焼き
尽くしてやる!!!」
刹那、ツクヨミの身体から溢れていた殺気が、膨大な魔力となって彼の体を包ん
だ。
その魔力は彼の使用するもっとも力の強い魔力の元素の色『朱金』へと変色して行
く。
「はっ、や、やめなさい! ツクヨミ!!」
異常な魔力の奔流に危険を感じたシオンは咄嗟にツクヨミに飛びかかろうとする
が…
ツクヨミが無造作にシオンに向って手に持っていたモノを投げた。
投げつけるわけでもなく、ただ自然に、渡す様に放られたグリオベルガの絵本。
シオンの注意が再び絵本に向けられた瞬間だった。
「燃え尽きろぉ!! ディメンション・バーン(超空間爆発)!!!」
ツクヨミの絶叫と共に、空間全体が一瞬にして消滅した。
シオンの身体が灼熱の業火に包まれた。
「その凄まじい力の影響でしょうか。私の身体と心は引き裂かれてしまいました。私
はなんとか魔力で器を作りそれに心をいれました。この体は魔力で一時的に維持して
いる物です」
「そんなことが出来るの? 魔力で別の体を作るなんて…それにどうして子供の姿な
のかしら?」
オプナの疑問に子供の姿のシオンはすこし困ったような表情で答えた。
「子供の姿なのは魔力の生成が不充分だったからです。困った事に、この姿だと高位
の魔法は使えませんし、下位の魔法の威力も低下してしまいます。それと…」
シオンはそこで一度言葉を切ると、息を浅く吸った。
「こんな事が出来るのは、私が人間ではないからですよ」
シオンは微笑んだ。
オプナとしては、最後のは十分な答えではなかったが、これ以上聞く気にはなんと
なくなれなかったようだ。
「グリオベルガの絵本はどうなったんですか、そのまま燃やされた?」
ここで、これまで黙っていたヴォルぺが口を開いた。
「いえ、おそらく無事なはずです。ただ、その場合は少しマズイ状況になってしまい
ますけど…」
シオンの目がすこしだけ細くなる。
「…と言うと?」
ヴォルペは言葉の意図をわかりかねたようで、シオンの言葉を待つ。
「彼に、屍使いツクヨミに『グリオベルガの絵本』と『本来の私の身体』を取られた
かもしれないと言う事です」
その答えにヴォルぺもオプナも言葉を失ってしまった。
「いえ、私の体の事はどうでもいいんです。どうしても取り戻さないといけないのは
絵本の方です。あれをあのまま相手に渡しておくわけにはいきません。ただ…」
「ただ…?」
「ツクヨミが私の体を手に入れたとしたら、おそらく私達にけしかけて来るでしょ
う。屍人形になった私の体は私の意思に関係なく皆さんにも攻撃してくるはずです。
それが心配です」
辺りを険しい山で囲まれた谷『ランダグローツ』
その谷の入り口付近に、奇妙な物体が一つ、無造作に置かれていた。
よく見るとそれが人のような形をしているのが分るだろう。
細く、華奢にも思える肢体を丸め、うずくまっている。
何も身に付けていないその身体は、しかし肌色ではなく黒く炭化していた。
「ディメンション・バーン(超空間爆発)…空間を爆発させる魔法だよ。本来なら己
の魔力を高める結界などに相手を閉じ込めて使う魔法なんだけど…今回は移動に使っ
た跳空間事体を爆発させたんだ……」
その物体を静かに見下ろす人影があった。
「……それだけでも普通なら文字通り蒸発するはずなんだけど…………そんな姿に
なってまで、君は何を守るっていうんだい? シオン」
オレンジ色の髪をしたその人影は静かにそう言った。
「……………………さすがに答えられるわけないか…」
オレンジ色の髪の人影―ツクヨミはうずくまる物体に手をさし伸ばし、その懐にあ
たる部分から何かを取り出した。
炭で真っ黒になってはいるが、それは一冊の本だった。
「……驚いたよ。まさかあの状態で、この本『グリオベルガの絵本』を守りきるなん
てね」
そこまで言って、ツクヨミは本につくつもの灰がまとわりついている事に気づい
た。
「なるほど、自分の身と護符を盾にしたってわけかい。ま、君の言う『希望』は僕に
とっての『希望』にもなってくれたよ。あのまま本が燃え尽きていたら僕は大目玉を
食らうハメになっていたからね。ま、君にとっては結局『絶望』以外の何物でもな
かったみたいだけど…下手に関わらなければこんな事には……」
ツクヨミの言葉はそこで途切れた。
炭になったはずのシオンの身体が、徐々に肌色を取り戻して来ているのだ。
「…こんなになっても自己再生できるのか…君には驚かされてばかりだね」
オレンジ色の髪の青年は優しくそう言うと、人型の物体の顔に当たる部分に軽く唇
を落とした。
その頭にはすでに白髪の毛が生えそろい、顔も本来の美しいものに再生していた。
「さあ、じゃあ行こうか。シオン、君はもう永遠に僕のモノだよ」
NPC:フィミル ブレッザ・プリマヴェリーレ 屍使い・ツクヨミ アマツ
場所:移動空間~森~(ランダグローツ)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ヴォルぺ達はランダグローツを目指し、深い森の中を歩いていた。
最初の内は獣道を辿っていたが、それもやがて芝生の中に消えてしまった。
見渡す限り生い茂る木と雑草、険しい道のりは自然と全員を無口にさせる。
森の中を進んでどの位経ったのか、ふいに開けた場所に出た。
「ここらで一休みにしましょう」
ヴォルペの言葉にオプナが安堵の溜息をついて賛成した。
クロースはというとこれまた無言でオプナの側にくっつく。
これまでの道中は決して楽な物ではなく、特に森の中の行進は女性には辛いだろ
う。
もちろんヴォルぺがある程度雑草を払いながら道を作りながら進んだが…
「それにしてもランダグローツへは後どのくらいあるのかしらね?」
「方角はあってる筈だから…たぶん後2~3日と言ったところです」
その答えにオプナは一瞬固まるが、それでも自分から行くと言ったてまえか、すぐ
に気を取りなおして空を仰いだ。太陽がやや西に傾いている様に思える。
「シオン君大丈夫かしら?」
「一応は生きてます」
オプナの独り言のような呟きに答えたのはヴォルペではなかった。
ヴォルぺもオプナも目を疑った。
自分達の目の前の光景が信じられない様だ。
いつのまにそこにいたのか、3人の前に一人の少女…いや少年が立っていた。
白髪で少女と見間違えてしまうかのような容貌をしたその少年は、声こそシオンの
物だったがその容姿は12~3歳くらいの幼い外見をしていた。
どこから持ってきたのか、服装は大き目の半袖シャツに短いズボンといったなんと
も涼しそうな格好をしている。
「どうしたんですか? まるで幽霊でも見たかのような顔をして…」
シオンらしき少年はシオンの声でシオンの喋り方でそう言った。
「ほ、本当にシオン君なの?」
「ああ、驚いてしまうのも無理はないですよね。この服」
「いや! そこじゃないでしょ!?」
すかさずオプナのツッコミが入る。
「まあ、話せば少し長くなってしまいます。座って話してもいいですか?」
シオンはすこし微笑したあと、その場に「よいしょ」と腰を落とした。
その笑顔にも体にも疲弊の色が見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。
彼は隠そうとしている様だが…
「まず、ツクヨミを追って移動空間に入ったところからお話ししましょう。私はそこ
でツクヨミに…正確に言えば彼の新たな屍人形にですね。それに毒を受けて動けなく
なってしまったんです」
荒い息をつきうずくまるシオンを、ツクヨミは失望の眼差しを向けていた。
――あっけない、こんなものか…――
ずっと憎んでいた。
ずっと妬んでいた。
ことある事に比べられ、蔑まれ、罵られた。
自分にこんな思いをさせる、どんな姿形をしているのかも分からない生物を恨んで
いた。
今、そいつは自分の目の前に屈服している。
しかし、そこには何も無かった。
優越感も、達成感も何もない。
自分が求めていた物はなんだったのだろうか…
コンナモノダッタノカ
「もう君は終りだ。僕の手に掛からず僕に屈服する…君に相応しい最後だね」
シオンの側まで歩み寄ったアマツが拳に力を入れる。
それとほぼ同時だった。
苦痛を浮かべていたシオンの表情に変化が起きた。
口元を僅かに吊り上げ、笑みを浮かべていたのだ。
「…! アマツ、気をつけ…」
その笑みに何かを感じ取り、ツクヨミが声を張り上げた。
「遅いですよ」
シオンの声が鮮明に響く。
その直後、膝を突いていたシオンが信じられないスピードでアマツの懐に潜りこ
み、その胸部に腕を突き出した。
神速、そう言ってもさし違えない速さで突き出された拳はアマツの体を簡単に吹き
飛とばした。
「な、なに…?」
驚愕の表情を浮かべるツクヨミに吹っ飛んできたアマツが激突する。
「ぐっ」
ツクヨミはなんとか少年の体を受けとめた。
と、手にぬるりとした生暖かい感触を感じ、ゆっくりとその正体を確かめる。
血…
手を真紅に染め上げたぬるぬるの正体は、血。
はっとして屍使いは抱きとめた少年の体を調べ再び目を見開いた。アマツの胸部は
まるでドリルで削られたかのようにズタズタに渦を巻いて引き裂かれており、そこか
ら大量に出血を起こしていたのだ。
手についたモノはアマツの血だった。
「な…一体、なにが…」
「私が、打ちました」
背筋のぞっとする物を感じ、ツクヨミは顔を上げる。
そこにはしっかりと体を立たせ、哀れみの含んだ瞳で見つめてくるシオンがいた。
毒で動けなくなったはずのシオンは、どう言うわけか復活し、その上アマツまでを
も片腕で吹き飛ばしたのだ。
「………そうか、そうだったね。は、ははは、あ~はっはっはっはっ
はーーーーーーーーーーーーー」
アマツとシオンを見比べ、ツクヨミが額を押さえて高笑いをする。
「君は決して馬鹿じゃない。いや、それどころか僕達よりも数段優れているんだ。自
分の弱点である麻痺毒への対策もちゃんとしていた、そういうわけだよね」
「…はい、もう私に毒は通用しませんよ」
これはハッタリだった。
実際シオンは今だに麻痺や神経毒と言った身体に異常を起こさせる物質にはまるで
抵抗力がないのだ。
では、なぜ先刻まで毒に冒されていた彼がこんなに元気なのか? 答えは簡単だっ
た。
シオンは、常に毒消しの薬草を携帯していたのだった。
もちろん草のまま持ち運ぶわけにはいかないので、すり潰して銀色の丸いケースの
中にいれて所持している。子供の手の平におさまるくらいの小さな物なので、かさば
る事もなく簡単に持ち運べるのだ。
ただ一つのケースに収まる量は、ごく少量というのが難点だが。
「今までのは、演技だったと言うわけだ…やられたよ。少し惚れ直したかも」
「……それはどうも」
「おまけにアマツにこれほどの損傷を与えるとはね。普通の人間だったら死んでるよ
? マジで」
おどけた様子で屍使いはアマツの頭を撫でる。
これでもアマツも立派なサイボーグだ。シオンもそうとは言え、素手の突きで体が
こんなにズタズタになるはずはない。
「ご心配なく、人間でしたらそんな危険な事はしませんので」
シオンは僅かに目を細め、しかしそれでも柔和な微笑みを浮かべて答える。
「完全に油断していたよ。ここの空間では風の魔力は集まりにくい…いや、全ての魔
力が集まりにくいんだろうね。だから魔法を使われる前に簡単に感知できる…そう
思っていたんだけど」
そう言うとツクヨミはシオンへ視線を移した。
「君は自分の魔力を予め紙に込めておき、護符として所持しておけるんだったよね。
忘れていたよ。ただでさえ速攻性がうりの風魔法だ、一瞬で護符に込めていた魔力を
開放し『ソニック・ブレード(真空刃)』を腕に纏わせ、それでアマツを突いたんだ
ね。ふふ、凄いじゃあないか」
自嘲気味に笑うツクヨミを、シオンは無言で見つめていた。
圧倒的有利な状況が崩れたにもかかわらず、ツクヨミは余裕の表情を浮かべてい
る。
シオンは、彼が目的の為ならなんでもすると言う事を知っていた。
ただこの状況では他人を巻き込む事はない。それだけは安心できた。
「可愛そうに、この子は僕に操られているだけなのに、こんなにされちゃって…」
不意に、ツクヨミは自分の手の内にあるアマツをいとおしそうに撫でた。
やはり、と言うべきか、ツクヨミはシオンのもう一つの弱点を突いてきたのだ。
―――優しさ―――
他人を思いやり、慈しむ心をツクヨミは利用しようとしているのだ。
確かに通常ならこの作戦でシオンに何らかの動揺は期待できただろう。
しかし、今のシオンにはそれはある意味逆効果だったかもしれない。
「そうですね。早く貴方を倒して救い出さないと、その子はずっと可愛そうな操り人
形のままです」
動揺どころか迷いのまの字も見せない態度。
穏やかな口調に僅かに感じ取れる怒りの感情。
いつも冷静で穏やかな彼からは想像すらできない好戦的な台詞。
「……驚いたよ…一体、何が君をそこまで駆立たせるんだい?」
あきらかにいつもと一味違うシオンにツクヨミは気圧されていた。
シオンは無言で1歩進む、反射的にツクヨミは1歩あとずさる。
いつ切れてもおかしくない緊張が二人の間に張り詰められていく。
と、ツクヨミが更に1歩あとずさった瞬間、シオンの視線が僅かにずれたのをツク
ヨミは見逃さなかった。
シオンが一瞬見た物、それはツクヨミの片手に握られている物。
―――グリオベルガの絵本―――
「……そっか、これか、これなんだね? 君をそんなにするのは、これが原因なんだ
ね?」
ツクヨミは笑いながらグリオベルガの絵本をヒラヒラと振ってみせる。
一方のシオンは自分の迂闊さに歯噛みをしたい気分だった。
今はツクヨミをどうにかするよりも、グリオベルガの絵本を取り返すのが大切だっ
た。
どうやって奪おうかと思考している最中にうっかりと視線が絵本に移ってしまった
のだ。
もちろん、シオンの一挙一動に注目していたツクヨミがそれを見逃すはずはなかっ
た。
「はい、そうです。大人しくそれを返して頂けませんか?」
こうなってしまうともう下手に言い分けを作るよりも本当の事を言い、相手の出方
を覗う方がリスクも低くなる。
「分らないなぁ。わざわざ危険を冒してまでも僕を追ってくるほどの価値が、本当に
これにはあるのかい?」
絵本をペラペラと無造作にめくりながらオレンジ色の髪の青年は笑う。
「…あります。その中には『夢』と『希望』が閉じ込められています。それらを助け
出す為なら、私の身体なんて安すぎるくらいですよ」
穏やかに言うシオン。しかし彼の表情は今までにないほど真剣だった。
「何を言っているんだい? この中にいるのは人間さ。愚かで薄汚くて意地汚いウジ
虫以下のクソみたいな生物さ! 夢? 希望? 何を言っている、あんな奴等のどこ
にそんなモノを感じるんだ? それこそ『夢物語』の『絶望』だろうが!!!」
ツクヨミは咆えた。これ以上ないくらいの絶叫だった。
いつものへらへらとしていた表情は消え失せていた。
彼は1度呼吸を整えると黙って自分を見つめているシオンへと視線を戻す。
「よく考えてみなよ、シオン。あいつ等は一体何をしてきた? 自分の欲望満たす為
なら、他の生き物を踏み躙る事も平気でやってのける。地上を汚し、大気を汚し、物
言えぬ自然に何をしてきた? 獣の住めない森を作り、魚の泳げない海を作り、鳥の
飛べない空を作った……そして、あいつ等は僕等に何をしてきた? 勝手に生み出
し、勝手に改造し、あまつさえ自分達が勝手に作っておきながら、自分達の勝手な都
合で勝手に殺そうとしたじゃないか! すべては人間がその限りない欲望を満たそう
とした結果だ!!!」
「…それでも!!!」
ツクヨミの訴えるような絶叫を、シオンの叫ぶような声が遮った。
「それでも、私は人間を信じます」
シオンがその台詞を言った直後だった。
ツクヨミから凄まじいほどの悪寒を感じさせる殺気が溢れ出した。
常人なら殺到しかねないすさまじい殺気だった。
が、しかし、ツクヨミの顔には何の表情も浮かんでいなかった。
恐ろしいほどの無表情。
しかしそれは『憎悪』をもっとも正しく具現化させたかのような顔なのかもしれな
い。
「そうかい、シオン。ならその『信念』も、君の言う『夢』も『希望』も、全て焼き
尽くしてやる!!!」
刹那、ツクヨミの身体から溢れていた殺気が、膨大な魔力となって彼の体を包ん
だ。
その魔力は彼の使用するもっとも力の強い魔力の元素の色『朱金』へと変色して行
く。
「はっ、や、やめなさい! ツクヨミ!!」
異常な魔力の奔流に危険を感じたシオンは咄嗟にツクヨミに飛びかかろうとする
が…
ツクヨミが無造作にシオンに向って手に持っていたモノを投げた。
投げつけるわけでもなく、ただ自然に、渡す様に放られたグリオベルガの絵本。
シオンの注意が再び絵本に向けられた瞬間だった。
「燃え尽きろぉ!! ディメンション・バーン(超空間爆発)!!!」
ツクヨミの絶叫と共に、空間全体が一瞬にして消滅した。
シオンの身体が灼熱の業火に包まれた。
「その凄まじい力の影響でしょうか。私の身体と心は引き裂かれてしまいました。私
はなんとか魔力で器を作りそれに心をいれました。この体は魔力で一時的に維持して
いる物です」
「そんなことが出来るの? 魔力で別の体を作るなんて…それにどうして子供の姿な
のかしら?」
オプナの疑問に子供の姿のシオンはすこし困ったような表情で答えた。
「子供の姿なのは魔力の生成が不充分だったからです。困った事に、この姿だと高位
の魔法は使えませんし、下位の魔法の威力も低下してしまいます。それと…」
シオンはそこで一度言葉を切ると、息を浅く吸った。
「こんな事が出来るのは、私が人間ではないからですよ」
シオンは微笑んだ。
オプナとしては、最後のは十分な答えではなかったが、これ以上聞く気にはなんと
なくなれなかったようだ。
「グリオベルガの絵本はどうなったんですか、そのまま燃やされた?」
ここで、これまで黙っていたヴォルぺが口を開いた。
「いえ、おそらく無事なはずです。ただ、その場合は少しマズイ状況になってしまい
ますけど…」
シオンの目がすこしだけ細くなる。
「…と言うと?」
ヴォルペは言葉の意図をわかりかねたようで、シオンの言葉を待つ。
「彼に、屍使いツクヨミに『グリオベルガの絵本』と『本来の私の身体』を取られた
かもしれないと言う事です」
その答えにヴォルぺもオプナも言葉を失ってしまった。
「いえ、私の体の事はどうでもいいんです。どうしても取り戻さないといけないのは
絵本の方です。あれをあのまま相手に渡しておくわけにはいきません。ただ…」
「ただ…?」
「ツクヨミが私の体を手に入れたとしたら、おそらく私達にけしかけて来るでしょ
う。屍人形になった私の体は私の意思に関係なく皆さんにも攻撃してくるはずです。
それが心配です」
辺りを険しい山で囲まれた谷『ランダグローツ』
その谷の入り口付近に、奇妙な物体が一つ、無造作に置かれていた。
よく見るとそれが人のような形をしているのが分るだろう。
細く、華奢にも思える肢体を丸め、うずくまっている。
何も身に付けていないその身体は、しかし肌色ではなく黒く炭化していた。
「ディメンション・バーン(超空間爆発)…空間を爆発させる魔法だよ。本来なら己
の魔力を高める結界などに相手を閉じ込めて使う魔法なんだけど…今回は移動に使っ
た跳空間事体を爆発させたんだ……」
その物体を静かに見下ろす人影があった。
「……それだけでも普通なら文字通り蒸発するはずなんだけど…………そんな姿に
なってまで、君は何を守るっていうんだい? シオン」
オレンジ色の髪をしたその人影は静かにそう言った。
「……………………さすがに答えられるわけないか…」
オレンジ色の髪の人影―ツクヨミはうずくまる物体に手をさし伸ばし、その懐にあ
たる部分から何かを取り出した。
炭で真っ黒になってはいるが、それは一冊の本だった。
「……驚いたよ。まさかあの状態で、この本『グリオベルガの絵本』を守りきるなん
てね」
そこまで言って、ツクヨミは本につくつもの灰がまとわりついている事に気づい
た。
「なるほど、自分の身と護符を盾にしたってわけかい。ま、君の言う『希望』は僕に
とっての『希望』にもなってくれたよ。あのまま本が燃え尽きていたら僕は大目玉を
食らうハメになっていたからね。ま、君にとっては結局『絶望』以外の何物でもな
かったみたいだけど…下手に関わらなければこんな事には……」
ツクヨミの言葉はそこで途切れた。
炭になったはずのシオンの身体が、徐々に肌色を取り戻して来ているのだ。
「…こんなになっても自己再生できるのか…君には驚かされてばかりだね」
オレンジ色の髪の青年は優しくそう言うと、人型の物体の顔に当たる部分に軽く唇
を落とした。
その頭にはすでに白髪の毛が生えそろい、顔も本来の美しいものに再生していた。
「さあ、じゃあ行こうか。シオン、君はもう永遠に僕のモノだよ」
PC:シオン ヴォルペ クロース オプナ
場所:ランダグローツ
NPC:ブレッザ・プリマヴェリーレ ツクヨミ シオンの本体
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
オプナはクロースとヴォルペを伴って飛翔[フライ]の魔法で朱色に染まる空
を飛んでいる。先程合流したシオンは、自らの風の魔法で後からついてきてい
る。目指すはランダクローツだ。
オプナの飛翔[フライ]の魔法は、拡大すれば自分を含めて三人までならば運
べる。それ以上になると精神が持たないので、出来ないのだ。精神力を増幅さ
せるアイテムでもあれば別だが。
一行は急いていた。急がなければならない事は、シオンの告白からも明白だ
ったからだ。そして、グリオベルガの絵本――あれを取り戻すためにも、今は
急がなければならない。
ランダグローツの入り口に当たる峰に差し掛かった頃、突如突風が吹き荒れ
た。オプナ達はもとより、シオンも風に巻かれ前進する事が出来なくなった。
仕方無しに、不時着する事にした。
オプナは最初それが、山おろしかと思っていた。しかし、山おろしにしては
時期的に見て変だし、何よりその風自体に意思の様なものを感じたのだ。風の
意思と来て、シオンにぶつかった。
(確か、シオン君の本体が捕まったって言ってたわね)
そこに行き当たるのに、ものの数秒と掛からなかった。
オプナの予想が正しい事を表すかの如く、峰の頂に一つの人影が浮かび上が
った。それは痩身でややすすけていた。その人影は――シオンだった。紛う事
なき本人だった。
オプナの傍らに控えるように片膝をついて蹲っている子供姿のシオンは、苦
虫を噛み潰したような表情だった。無理も無い。自身の体とこれから戦う事に
なるかもしれないのだから。
オプナが大丈夫かと声を掛け、肩に手を置こうとしていた丁度その時、その
一挙手一投足を遮るようにシオンが毅然と言った。
「……先に行っていて下さい。ここは私が」
「でも……っ」
躊躇いがちにシオンに視線を送るオプナに、シオンは微笑を向けた。「自分
なら大丈夫だから」無言の内にそう告げている笑顔だった。弱々しく、儚く、
でも力強い微笑。その微笑を見て、オプナは悟った。シオンの覚悟が本物であ
る事を。そして、自分達が先を急がなければならない身である事もまた思い出
していた。
オプナは、決意の表情で言った。
「解ったわ。ここは、シオン君に任せる。でも、死なないでね。絶対よ」
「オプナさん!?」
驚いて言い募るヴォルペを制して、オプナは再び飛翔の魔法を唱える。ヴォ
ルペに有無を言わせず体を抱きかかえ、クロースの手を取ると、空高く舞い上
がった。と、途端に突風に見舞われる。峰の上に仁王立ちしているブラックシ
オンが起こしているのだ。
「お前の相手は、私だ!」
追い風がオプナの後方から吹いてくる。子供シオンが起こしているのだ。二
つの風は正面からぶつかって激しい上昇気流となり渦を巻く。その渦を回り込
むようにして通り過ぎるオプナ。眼下にはブラックシオンの苦虫を噛み潰した
ような表情が窺えた。
追撃して来ない事を祈りながら、そのまま頭上を駆け抜けていくオプナ達。
ランダグローツの中心まで一直線にかっ飛ばしていく。今までで最大速度を出
しているので、オプナは疲労が蓄積されていくのを感じていた。余り長くは持
たないだろう。魔力も、いつもよりも余分に消費しているのがわかる。
「ヴォル君、私あんまり魔法使えないかも。だからいざという時は頼むわね」
弱々しげに微笑むオプナを見て、ヴォルペは戦う決意を強く固めた顔で一つ
頷いた。
クロースは黙ったままだ。実際何を考えているのか、よく解らないところが
この少女にはある。何も考えていないのかもしれない。何か考えてはいるが、
それを表に出す方法を知らないだけかもしれない。オプナにはそれを知る術は
なかった。
(連れて来てしまったけれど、大丈夫かしら? この子……)
でもきっと大丈夫。クロースには魔法障壁の力があるのだから。そう、信じ
るしかなかった。それに、この子には不思議なところがある。オプナはそう考
えては、いつも不思議な面持ちになるのだった。
クロースには持病があるようだった。いつも何事かあると手を口に当てて咳
をする。咳をした後は決まって掌が赤黒く染まっていた。今回はそんな事が無
い様に祈るだけだ。戦いの最中に持病が出てしまっては、集中できないから
だ。クロースはそんなオプナの懸念などお構い無しに、いつもの無表情でオプ
ナの手を握っている。彼女にとって気掛かりな事など何もないのだ。
目的地は目前に迫っていた。
谷の中ほど、山岳の中腹に黒い口を開けて洞窟が待ち構えていた。その洞口
が見えてくると、オプナは徐々に減速していった。
「見えて来たわ。目的地が」
「恐らくあそこにツクヨミがいるんだろうね。そして、グリオベルガの絵本
も……」
ヴォルペは生唾を飲み込んだ。気圧が急激に変化したからじゃなく、心理的
な作用からだろう。
*▼△*
洞窟の奥では、ツクヨミが絵本を読んでいる。
何が楽しいのか、時折口角を歪ませてにやつきながら読み耽っていた。
不思議な事に黒焦げになったはずのグリオベルガの絵本は、元に戻ってい
た。絵本自体に回復の力があるのだろうか。
「ククク。この絵本は凄いぞぉ。人の生き死にが全て詰め込まれている。……
早く取りに来い。そしてこの僕を楽しませてくれ。シオンのクソ仲間共」
洞窟の中は漆黒に支配されているが、ツクヨミの周囲だけは仄かな紅色で彩
られていた。真紅の炎の玉を周囲に数個浮かばせて、それを明かり代わりにし
て絵本を読んでいるのだ。ツクヨミが腰掛けているのは、丁度あつらえた様に
窪んだ岩肌だった。それがいすの代わりを果たしていた。それが、仄かに青白
く光っている。光を反射しているのではなく、岩自体が発光しているようだっ
た。
一方、洞窟の入り口ではオプナ達が中の様子を窺っていた。
「どうやら、罠は無い様ね」
「いいや、あのツクヨミの事だから、解らないよ。ここは慎重に進もう」
オプナの洞察に、ヴォルペが異を唱える。もっともな意見だった。狡猾で用
意周到なツクヨミが罠を仕掛けていない筈がない。どのような罠であるにし
ろ、嵌れば命の保証が無い事だけは確かだ。嵌らないように祈りながら進むし
かないのである。
と、ヴォルペが首を前後左右に回している。どうやら何かを探しているよう
だ。
「何を探しているの? ヴォル君」
オプナの質問には答えず、何かを発見したように洞口から数歩崖に向かって
歩いて行って少し屈むと何かを手にして戻って来た。
「枝?」
見るとそれは、木の枝だった。1フィートは確実に有りそうだ。
「枝を何に使うの?」
オプナが疑問を口にすると、ヴォルペはオプナの顔を見てにやりと笑うと1
フィート棒で地面を叩いて見せた。こう使うんだよと、行動で示したのだ。
「なるほど。罠避けね」
「そゆこと」
得意げに1フィート棒を翳して笑って見せるヴォルペ。こうしてみると少年
ぽさが抜け切れていないのがよく解る。オプナはそんなヴォルペの仕草に微笑
ましさを感じ、自然と顔が綻ぶのであった。
「さぁ、中へ入ろう」
ヴォルペはそう言うと、屈託のない笑みを残して先陣を切って洞窟の中へと
入って行く。どうやら洞窟へ入る事で、わくわくしているようだ。続いてオプ
ナがクロースの手を取って歩き出す。クロースは成すがままに従うだけだ。無
言で付いて来るクロースを見て、オプナは守護の決意を固めるのだった。
*▼△*
洞窟の中は仄かに青白く光っていた。
その光が魔力を帯びた光であることに、オプナは気付いていた。
「ここの岩肌は、魔法鉱石で出来ているのね」
オプナが周囲を見渡しながら言う。岩肌が仄かに光っているので、魔法の明
かりもトーチも灯していない。だから皆手ぶらだ。ただ一人、先頭で1フィー
ト棒を突きながら歩いているヴォルペを除いては。
今のところは安全なようだ。
だが、いつ安全神話が脅かされるか解らない。一行は慎重を持して一本道の
洞窟内を突き進む。
「ゴフッ」
クロースが喀血[かっけつ]するのと、ヴォルペが手にしている1フィート棒
が罠を感知するのとは、ほぼ同時だった。カチリという何かのスイッチが入っ
た音と共に突如火の柱が横に走った。それも、立て続けに何本も。洞窟内はさ
ながら炎の川と化した。岩肌に照り映える橙色が美しい。
「クロース……大丈夫?」
炎の川を背景に、オプナはクロースの身体の心配をする。その青白い顔は炎
の色に照り映えて、わずかに朱がかかっていた。口から血を滴らせているその
様は、さながら妖艶ですらある。
思ったとおり、懸念は的中した。クロースの体調が急激に崩れたのだ。それ
も、絶妙なタイミングで。オプナはこの奇妙にも捩れ絡まっている現象の一つ
一つを、検証する事にした。まず、何故クロースの喀血が罠を感知すると同時
に起こったのか。それから、この先をどうやって進めば良いのか。或いは、こ
のまま進んでしまっても良いのか。クロースの体調は大丈夫なのか。
オプナが思考の渦に絡め取られているとき、そんな事とは露知らずヴォルペ
が慌ててオプナに向き直った。
「お、オプナさん、どうしよう」
ヴォルペが聞いているのはこういうことだ。このまま先へ進むか、退くか。
先へ進む方法などいくらでもある。炎の川など、ヴォルペの身体能力をもって
すれば超えられない事はないだろう。だが、後から来るシオンは……? この
罠の事を感知できるだろうか。それに、オプナやクロースの事も心配してくれ
ているのだろう。ヴォルペの眼差しはそういう色を持っていた。
「進みましょう」
「え?」
「……進みましょう」
このような炎、魔法をもってすればどうにでもなる。
「恐らく、これはマジックアイテムによるものでしょうね。炎の魔力を宿した
マジックアイテムを、岩肌に埋め込んで誰かが通ると――正確には誰かがスイ
ッチを踏むと炎の魔法を開放する仕組みになっているんだわ。手の込んだ事を
するわね」
そういって不敵に微笑むと、オプナは背に括っていた杖を手にし、呪文を唱
え一振りする。
「フロスト[氷結]!」
すると、火の元付近の岸壁が見る間に凍り付いていく。それは一箇所だけだ
が、オプナはそれで一つ一つ確実に潰していこうとしている様だ。
「ほら、ね。こうすれば、通れる様になるでしょ」
確かに彼女の言うとおり、火柱は氷で堰き止められ通路が開けた。これを
五、六回も繰り返せば完全に通れる様になるだろう。とはいえ、オプナは疲労
の色を隠しきれないようだが。
*▼△*
「クロースが罠避け?」
全ての罠を凍らせて通路を進んだ先の少し広場になっている場所で、一休み
する事にした一行。そこでヴォルペがとんでもない事を口走ったのだ。恐らく
それは、想像の範囲から出ていないのだろう。ヴォルペ自身、確信の無さがそ
の表情から窺える。それは一種の推論だった。クロースが喀血するのは、罠な
どを感知した時だと言うことは――。
「まさか。この子が……」
あながち間違ってはいない。
今までもそうだった。クロース自身にとって何か不都合があると、決まって
喀血するのだ。オプナも今まで観察してきてわかっていた筈だった。
「ともかく、進みましょう」
どのくらい逡巡していただろう。オプナは決意を顔に浮かべると、立ち上が
って先を促した。クロースを罠避けにするかどうかはともかく、とにかくここ
は先へ進むしかない。ならば、迷っている暇など無いのだ。
道は二手に分かれていた。北へ続く道と、北西へ続く道。それに南へ続く道
――今まで通って来た道を入れて三つ又に分かれている。
今まで休んでいた円形の広場から三方に道が伸びている。
「どっちに進む?」
「ちょっと待って」
オプナは制止の声を発すると、目を瞑って魔力感知の呪文をを短く唱える。
相手が魔法使いならば、十中八九これで引っ掛かる筈だ。ましてや相手はト
ラップなどで魔法を使っているのだ。どちらに進んだのかこれでわかる筈だ。
探索の魔法という手も有るが、これは対象の事をよく知っている必要がある。
はたして、対象――ツクヨミに関する知識が十分だろうか。そうは思えなかっ
た。
「……やっぱり……魔力が微かに残ってる……こっちよ!」
そう言って北の方角を指差す。
しかし、魔力の痕跡が残っているという事は、先ず間違いなく罠が仕掛けら
れているということだろう。
「心してかからなくっちゃね」
誰とも無しに言った。
*▼△*
「ツクヨミ! 絵本は返してもらうぞ!」
「おやおや。もう辿り着いちゃったのか」
クロースが何度か喀血し、幾度と無く罠を回避した後にやっとツクヨミの元
へと辿り着いた。ここへ辿り着くまでに、オプナは疲弊しきっていた。ここへ
辿り着くまでに相当数の魔法を使ってきたのだ。魔力は底をついていた。
「後は、任せたわよ。ヴォル君……」
オプナは力なく笑った。
場所:ランダグローツ
NPC:ブレッザ・プリマヴェリーレ ツクヨミ シオンの本体
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
オプナはクロースとヴォルペを伴って飛翔[フライ]の魔法で朱色に染まる空
を飛んでいる。先程合流したシオンは、自らの風の魔法で後からついてきてい
る。目指すはランダクローツだ。
オプナの飛翔[フライ]の魔法は、拡大すれば自分を含めて三人までならば運
べる。それ以上になると精神が持たないので、出来ないのだ。精神力を増幅さ
せるアイテムでもあれば別だが。
一行は急いていた。急がなければならない事は、シオンの告白からも明白だ
ったからだ。そして、グリオベルガの絵本――あれを取り戻すためにも、今は
急がなければならない。
ランダグローツの入り口に当たる峰に差し掛かった頃、突如突風が吹き荒れ
た。オプナ達はもとより、シオンも風に巻かれ前進する事が出来なくなった。
仕方無しに、不時着する事にした。
オプナは最初それが、山おろしかと思っていた。しかし、山おろしにしては
時期的に見て変だし、何よりその風自体に意思の様なものを感じたのだ。風の
意思と来て、シオンにぶつかった。
(確か、シオン君の本体が捕まったって言ってたわね)
そこに行き当たるのに、ものの数秒と掛からなかった。
オプナの予想が正しい事を表すかの如く、峰の頂に一つの人影が浮かび上が
った。それは痩身でややすすけていた。その人影は――シオンだった。紛う事
なき本人だった。
オプナの傍らに控えるように片膝をついて蹲っている子供姿のシオンは、苦
虫を噛み潰したような表情だった。無理も無い。自身の体とこれから戦う事に
なるかもしれないのだから。
オプナが大丈夫かと声を掛け、肩に手を置こうとしていた丁度その時、その
一挙手一投足を遮るようにシオンが毅然と言った。
「……先に行っていて下さい。ここは私が」
「でも……っ」
躊躇いがちにシオンに視線を送るオプナに、シオンは微笑を向けた。「自分
なら大丈夫だから」無言の内にそう告げている笑顔だった。弱々しく、儚く、
でも力強い微笑。その微笑を見て、オプナは悟った。シオンの覚悟が本物であ
る事を。そして、自分達が先を急がなければならない身である事もまた思い出
していた。
オプナは、決意の表情で言った。
「解ったわ。ここは、シオン君に任せる。でも、死なないでね。絶対よ」
「オプナさん!?」
驚いて言い募るヴォルペを制して、オプナは再び飛翔の魔法を唱える。ヴォ
ルペに有無を言わせず体を抱きかかえ、クロースの手を取ると、空高く舞い上
がった。と、途端に突風に見舞われる。峰の上に仁王立ちしているブラックシ
オンが起こしているのだ。
「お前の相手は、私だ!」
追い風がオプナの後方から吹いてくる。子供シオンが起こしているのだ。二
つの風は正面からぶつかって激しい上昇気流となり渦を巻く。その渦を回り込
むようにして通り過ぎるオプナ。眼下にはブラックシオンの苦虫を噛み潰した
ような表情が窺えた。
追撃して来ない事を祈りながら、そのまま頭上を駆け抜けていくオプナ達。
ランダグローツの中心まで一直線にかっ飛ばしていく。今までで最大速度を出
しているので、オプナは疲労が蓄積されていくのを感じていた。余り長くは持
たないだろう。魔力も、いつもよりも余分に消費しているのがわかる。
「ヴォル君、私あんまり魔法使えないかも。だからいざという時は頼むわね」
弱々しげに微笑むオプナを見て、ヴォルペは戦う決意を強く固めた顔で一つ
頷いた。
クロースは黙ったままだ。実際何を考えているのか、よく解らないところが
この少女にはある。何も考えていないのかもしれない。何か考えてはいるが、
それを表に出す方法を知らないだけかもしれない。オプナにはそれを知る術は
なかった。
(連れて来てしまったけれど、大丈夫かしら? この子……)
でもきっと大丈夫。クロースには魔法障壁の力があるのだから。そう、信じ
るしかなかった。それに、この子には不思議なところがある。オプナはそう考
えては、いつも不思議な面持ちになるのだった。
クロースには持病があるようだった。いつも何事かあると手を口に当てて咳
をする。咳をした後は決まって掌が赤黒く染まっていた。今回はそんな事が無
い様に祈るだけだ。戦いの最中に持病が出てしまっては、集中できないから
だ。クロースはそんなオプナの懸念などお構い無しに、いつもの無表情でオプ
ナの手を握っている。彼女にとって気掛かりな事など何もないのだ。
目的地は目前に迫っていた。
谷の中ほど、山岳の中腹に黒い口を開けて洞窟が待ち構えていた。その洞口
が見えてくると、オプナは徐々に減速していった。
「見えて来たわ。目的地が」
「恐らくあそこにツクヨミがいるんだろうね。そして、グリオベルガの絵本
も……」
ヴォルペは生唾を飲み込んだ。気圧が急激に変化したからじゃなく、心理的
な作用からだろう。
*▼△*
洞窟の奥では、ツクヨミが絵本を読んでいる。
何が楽しいのか、時折口角を歪ませてにやつきながら読み耽っていた。
不思議な事に黒焦げになったはずのグリオベルガの絵本は、元に戻ってい
た。絵本自体に回復の力があるのだろうか。
「ククク。この絵本は凄いぞぉ。人の生き死にが全て詰め込まれている。……
早く取りに来い。そしてこの僕を楽しませてくれ。シオンのクソ仲間共」
洞窟の中は漆黒に支配されているが、ツクヨミの周囲だけは仄かな紅色で彩
られていた。真紅の炎の玉を周囲に数個浮かばせて、それを明かり代わりにし
て絵本を読んでいるのだ。ツクヨミが腰掛けているのは、丁度あつらえた様に
窪んだ岩肌だった。それがいすの代わりを果たしていた。それが、仄かに青白
く光っている。光を反射しているのではなく、岩自体が発光しているようだっ
た。
一方、洞窟の入り口ではオプナ達が中の様子を窺っていた。
「どうやら、罠は無い様ね」
「いいや、あのツクヨミの事だから、解らないよ。ここは慎重に進もう」
オプナの洞察に、ヴォルペが異を唱える。もっともな意見だった。狡猾で用
意周到なツクヨミが罠を仕掛けていない筈がない。どのような罠であるにし
ろ、嵌れば命の保証が無い事だけは確かだ。嵌らないように祈りながら進むし
かないのである。
と、ヴォルペが首を前後左右に回している。どうやら何かを探しているよう
だ。
「何を探しているの? ヴォル君」
オプナの質問には答えず、何かを発見したように洞口から数歩崖に向かって
歩いて行って少し屈むと何かを手にして戻って来た。
「枝?」
見るとそれは、木の枝だった。1フィートは確実に有りそうだ。
「枝を何に使うの?」
オプナが疑問を口にすると、ヴォルペはオプナの顔を見てにやりと笑うと1
フィート棒で地面を叩いて見せた。こう使うんだよと、行動で示したのだ。
「なるほど。罠避けね」
「そゆこと」
得意げに1フィート棒を翳して笑って見せるヴォルペ。こうしてみると少年
ぽさが抜け切れていないのがよく解る。オプナはそんなヴォルペの仕草に微笑
ましさを感じ、自然と顔が綻ぶのであった。
「さぁ、中へ入ろう」
ヴォルペはそう言うと、屈託のない笑みを残して先陣を切って洞窟の中へと
入って行く。どうやら洞窟へ入る事で、わくわくしているようだ。続いてオプ
ナがクロースの手を取って歩き出す。クロースは成すがままに従うだけだ。無
言で付いて来るクロースを見て、オプナは守護の決意を固めるのだった。
*▼△*
洞窟の中は仄かに青白く光っていた。
その光が魔力を帯びた光であることに、オプナは気付いていた。
「ここの岩肌は、魔法鉱石で出来ているのね」
オプナが周囲を見渡しながら言う。岩肌が仄かに光っているので、魔法の明
かりもトーチも灯していない。だから皆手ぶらだ。ただ一人、先頭で1フィー
ト棒を突きながら歩いているヴォルペを除いては。
今のところは安全なようだ。
だが、いつ安全神話が脅かされるか解らない。一行は慎重を持して一本道の
洞窟内を突き進む。
「ゴフッ」
クロースが喀血[かっけつ]するのと、ヴォルペが手にしている1フィート棒
が罠を感知するのとは、ほぼ同時だった。カチリという何かのスイッチが入っ
た音と共に突如火の柱が横に走った。それも、立て続けに何本も。洞窟内はさ
ながら炎の川と化した。岩肌に照り映える橙色が美しい。
「クロース……大丈夫?」
炎の川を背景に、オプナはクロースの身体の心配をする。その青白い顔は炎
の色に照り映えて、わずかに朱がかかっていた。口から血を滴らせているその
様は、さながら妖艶ですらある。
思ったとおり、懸念は的中した。クロースの体調が急激に崩れたのだ。それ
も、絶妙なタイミングで。オプナはこの奇妙にも捩れ絡まっている現象の一つ
一つを、検証する事にした。まず、何故クロースの喀血が罠を感知すると同時
に起こったのか。それから、この先をどうやって進めば良いのか。或いは、こ
のまま進んでしまっても良いのか。クロースの体調は大丈夫なのか。
オプナが思考の渦に絡め取られているとき、そんな事とは露知らずヴォルペ
が慌ててオプナに向き直った。
「お、オプナさん、どうしよう」
ヴォルペが聞いているのはこういうことだ。このまま先へ進むか、退くか。
先へ進む方法などいくらでもある。炎の川など、ヴォルペの身体能力をもって
すれば超えられない事はないだろう。だが、後から来るシオンは……? この
罠の事を感知できるだろうか。それに、オプナやクロースの事も心配してくれ
ているのだろう。ヴォルペの眼差しはそういう色を持っていた。
「進みましょう」
「え?」
「……進みましょう」
このような炎、魔法をもってすればどうにでもなる。
「恐らく、これはマジックアイテムによるものでしょうね。炎の魔力を宿した
マジックアイテムを、岩肌に埋め込んで誰かが通ると――正確には誰かがスイ
ッチを踏むと炎の魔法を開放する仕組みになっているんだわ。手の込んだ事を
するわね」
そういって不敵に微笑むと、オプナは背に括っていた杖を手にし、呪文を唱
え一振りする。
「フロスト[氷結]!」
すると、火の元付近の岸壁が見る間に凍り付いていく。それは一箇所だけだ
が、オプナはそれで一つ一つ確実に潰していこうとしている様だ。
「ほら、ね。こうすれば、通れる様になるでしょ」
確かに彼女の言うとおり、火柱は氷で堰き止められ通路が開けた。これを
五、六回も繰り返せば完全に通れる様になるだろう。とはいえ、オプナは疲労
の色を隠しきれないようだが。
*▼△*
「クロースが罠避け?」
全ての罠を凍らせて通路を進んだ先の少し広場になっている場所で、一休み
する事にした一行。そこでヴォルペがとんでもない事を口走ったのだ。恐らく
それは、想像の範囲から出ていないのだろう。ヴォルペ自身、確信の無さがそ
の表情から窺える。それは一種の推論だった。クロースが喀血するのは、罠な
どを感知した時だと言うことは――。
「まさか。この子が……」
あながち間違ってはいない。
今までもそうだった。クロース自身にとって何か不都合があると、決まって
喀血するのだ。オプナも今まで観察してきてわかっていた筈だった。
「ともかく、進みましょう」
どのくらい逡巡していただろう。オプナは決意を顔に浮かべると、立ち上が
って先を促した。クロースを罠避けにするかどうかはともかく、とにかくここ
は先へ進むしかない。ならば、迷っている暇など無いのだ。
道は二手に分かれていた。北へ続く道と、北西へ続く道。それに南へ続く道
――今まで通って来た道を入れて三つ又に分かれている。
今まで休んでいた円形の広場から三方に道が伸びている。
「どっちに進む?」
「ちょっと待って」
オプナは制止の声を発すると、目を瞑って魔力感知の呪文をを短く唱える。
相手が魔法使いならば、十中八九これで引っ掛かる筈だ。ましてや相手はト
ラップなどで魔法を使っているのだ。どちらに進んだのかこれでわかる筈だ。
探索の魔法という手も有るが、これは対象の事をよく知っている必要がある。
はたして、対象――ツクヨミに関する知識が十分だろうか。そうは思えなかっ
た。
「……やっぱり……魔力が微かに残ってる……こっちよ!」
そう言って北の方角を指差す。
しかし、魔力の痕跡が残っているという事は、先ず間違いなく罠が仕掛けら
れているということだろう。
「心してかからなくっちゃね」
誰とも無しに言った。
*▼△*
「ツクヨミ! 絵本は返してもらうぞ!」
「おやおや。もう辿り着いちゃったのか」
クロースが何度か喀血し、幾度と無く罠を回避した後にやっとツクヨミの元
へと辿り着いた。ここへ辿り着くまでに、オプナは疲弊しきっていた。ここへ
辿り着くまでに相当数の魔法を使ってきたのだ。魔力は底をついていた。
「後は、任せたわよ。ヴォル君……」
オプナは力なく笑った。
-------------------------------------------------------
PC:イートン
NPC:メリーディア
場所:フレデリアのアレイド家邸宅
----------------------------------------
――ごめんなさいっ、ごめんなさい、イートン!
そう言って、涙を流すメリーディアの服はいつもの上等なドレスでは無かった。色 褪せたその服でさえ、彼女の美しさを遜色させることは無かった。私たちは愛し合っ ていたわけではない。唇さえ触れたことは無い。それは、自分達の将来が全て決められ ていたからだ。
――私、好きな人が出来たの。貴族ではないけれど・・・
私だって、貴族なんて言えるもんか。
兄も、家の者も誰も私の事など認めてはいない。しかし言葉は出なかった。
――幸せになるわ、必ず。さようならイートン。
さようなら、メリーディア・・・
・・・・それから2年が過ぎた・・・・・
ごそっ。
アレイド邸の閲覧室で何かが動いた。それが大きく波うつ。膨大な図書の中で動く。 それは、まるで本のお化けのようだ。
「もう、朝か」
イートンは包まっていた毛布を勢い良く蹴飛ばした。小さな埃を舞い上がらせ毛布 が広がる。それは彼が小さく口ずさんだ言葉と共に奇麗に折りたたまれた。
小さな格子窓から降る薄暗い光は、それでも太陽が半分以上昇っていることを教え てくれる。
「・・・」
光に反射して存在をあらわにする塵を不機嫌そうに見上げて、イートンは扉を開け た。片手には形の無い蝋燭の皿、片手には古代英雄の物語。
広い屋敷には多くの使用人がいたが彼はその誰一人にも会うことは無かった。廊下 の角でふと立ち止まる。その前を若いお手伝い達が通り抜けていく。そうやって、イ ートンはこの屋敷でけして人に会わなかった。
イートンは軽装に着替えると屋敷を出た。母親宛に置手紙を置いておく。イートン は2年前から何度も小旅行を繰り返していた。それは英雄の物語を書く為である。自 分を英雄に仕立てるつもりは無い。誰か、自分ではない偉大な存在を探して旅に出 た。実際にそんな人物などいないことは、とうに分かってしまったが。
(誰かの、昔話を聞くのもいいな)
人生の辛さ、儚さを知る人物の・・・。クーロンとフレデリアを行き来しながらイ ート
ンはそんなことを思っていた。そう、今日最初に会った人物について書いてみよう。
それがどんなに残酷な殺人鬼であろうと、どんなに愚かな小心者であろうと。
モノ書き特有の突然の閃きにイートンは満足げに頷いた。クーロンへの道のりは真っ 直ぐに続く。当然この道を通る奴にろくな人間なんて居やしない。
追い風がイートンの緑かかった金髪を揺らす。誰かに呼ばれるように、彼は振り向 いた。
そしてイートンはある人物に出会う。
PC:イートン
NPC:メリーディア
場所:フレデリアのアレイド家邸宅
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――ごめんなさいっ、ごめんなさい、イートン!
そう言って、涙を流すメリーディアの服はいつもの上等なドレスでは無かった。色 褪せたその服でさえ、彼女の美しさを遜色させることは無かった。私たちは愛し合っ ていたわけではない。唇さえ触れたことは無い。それは、自分達の将来が全て決められ ていたからだ。
――私、好きな人が出来たの。貴族ではないけれど・・・
私だって、貴族なんて言えるもんか。
兄も、家の者も誰も私の事など認めてはいない。しかし言葉は出なかった。
――幸せになるわ、必ず。さようならイートン。
さようなら、メリーディア・・・
・・・・それから2年が過ぎた・・・・・
ごそっ。
アレイド邸の閲覧室で何かが動いた。それが大きく波うつ。膨大な図書の中で動く。 それは、まるで本のお化けのようだ。
「もう、朝か」
イートンは包まっていた毛布を勢い良く蹴飛ばした。小さな埃を舞い上がらせ毛布 が広がる。それは彼が小さく口ずさんだ言葉と共に奇麗に折りたたまれた。
小さな格子窓から降る薄暗い光は、それでも太陽が半分以上昇っていることを教え てくれる。
「・・・」
光に反射して存在をあらわにする塵を不機嫌そうに見上げて、イートンは扉を開け た。片手には形の無い蝋燭の皿、片手には古代英雄の物語。
広い屋敷には多くの使用人がいたが彼はその誰一人にも会うことは無かった。廊下 の角でふと立ち止まる。その前を若いお手伝い達が通り抜けていく。そうやって、イ ートンはこの屋敷でけして人に会わなかった。
イートンは軽装に着替えると屋敷を出た。母親宛に置手紙を置いておく。イートン は2年前から何度も小旅行を繰り返していた。それは英雄の物語を書く為である。自 分を英雄に仕立てるつもりは無い。誰か、自分ではない偉大な存在を探して旅に出 た。実際にそんな人物などいないことは、とうに分かってしまったが。
(誰かの、昔話を聞くのもいいな)
人生の辛さ、儚さを知る人物の・・・。クーロンとフレデリアを行き来しながらイ ート
ンはそんなことを思っていた。そう、今日最初に会った人物について書いてみよう。
それがどんなに残酷な殺人鬼であろうと、どんなに愚かな小心者であろうと。
モノ書き特有の突然の閃きにイートンは満足げに頷いた。クーロンへの道のりは真っ 直ぐに続く。当然この道を通る奴にろくな人間なんて居やしない。
追い風がイートンの緑かかった金髪を揺らす。誰かに呼ばれるように、彼は振り向 いた。
そしてイートンはある人物に出会う。