PC:シオン ヴォルペ クロース オプナ
場所:ランダグローツ
NPC:ブレッザ・プリマヴェリーレ ツクヨミ シオンの本体
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
オプナはクロースとヴォルペを伴って飛翔[フライ]の魔法で朱色に染まる空
を飛んでいる。先程合流したシオンは、自らの風の魔法で後からついてきてい
る。目指すはランダクローツだ。
オプナの飛翔[フライ]の魔法は、拡大すれば自分を含めて三人までならば運
べる。それ以上になると精神が持たないので、出来ないのだ。精神力を増幅さ
せるアイテムでもあれば別だが。
一行は急いていた。急がなければならない事は、シオンの告白からも明白だ
ったからだ。そして、グリオベルガの絵本――あれを取り戻すためにも、今は
急がなければならない。
ランダグローツの入り口に当たる峰に差し掛かった頃、突如突風が吹き荒れ
た。オプナ達はもとより、シオンも風に巻かれ前進する事が出来なくなった。
仕方無しに、不時着する事にした。
オプナは最初それが、山おろしかと思っていた。しかし、山おろしにしては
時期的に見て変だし、何よりその風自体に意思の様なものを感じたのだ。風の
意思と来て、シオンにぶつかった。
(確か、シオン君の本体が捕まったって言ってたわね)
そこに行き当たるのに、ものの数秒と掛からなかった。
オプナの予想が正しい事を表すかの如く、峰の頂に一つの人影が浮かび上が
った。それは痩身でややすすけていた。その人影は――シオンだった。紛う事
なき本人だった。
オプナの傍らに控えるように片膝をついて蹲っている子供姿のシオンは、苦
虫を噛み潰したような表情だった。無理も無い。自身の体とこれから戦う事に
なるかもしれないのだから。
オプナが大丈夫かと声を掛け、肩に手を置こうとしていた丁度その時、その
一挙手一投足を遮るようにシオンが毅然と言った。
「……先に行っていて下さい。ここは私が」
「でも……っ」
躊躇いがちにシオンに視線を送るオプナに、シオンは微笑を向けた。「自分
なら大丈夫だから」無言の内にそう告げている笑顔だった。弱々しく、儚く、
でも力強い微笑。その微笑を見て、オプナは悟った。シオンの覚悟が本物であ
る事を。そして、自分達が先を急がなければならない身である事もまた思い出
していた。
オプナは、決意の表情で言った。
「解ったわ。ここは、シオン君に任せる。でも、死なないでね。絶対よ」
「オプナさん!?」
驚いて言い募るヴォルペを制して、オプナは再び飛翔の魔法を唱える。ヴォ
ルペに有無を言わせず体を抱きかかえ、クロースの手を取ると、空高く舞い上
がった。と、途端に突風に見舞われる。峰の上に仁王立ちしているブラックシ
オンが起こしているのだ。
「お前の相手は、私だ!」
追い風がオプナの後方から吹いてくる。子供シオンが起こしているのだ。二
つの風は正面からぶつかって激しい上昇気流となり渦を巻く。その渦を回り込
むようにして通り過ぎるオプナ。眼下にはブラックシオンの苦虫を噛み潰した
ような表情が窺えた。
追撃して来ない事を祈りながら、そのまま頭上を駆け抜けていくオプナ達。
ランダグローツの中心まで一直線にかっ飛ばしていく。今までで最大速度を出
しているので、オプナは疲労が蓄積されていくのを感じていた。余り長くは持
たないだろう。魔力も、いつもよりも余分に消費しているのがわかる。
「ヴォル君、私あんまり魔法使えないかも。だからいざという時は頼むわね」
弱々しげに微笑むオプナを見て、ヴォルペは戦う決意を強く固めた顔で一つ
頷いた。
クロースは黙ったままだ。実際何を考えているのか、よく解らないところが
この少女にはある。何も考えていないのかもしれない。何か考えてはいるが、
それを表に出す方法を知らないだけかもしれない。オプナにはそれを知る術は
なかった。
(連れて来てしまったけれど、大丈夫かしら? この子……)
でもきっと大丈夫。クロースには魔法障壁の力があるのだから。そう、信じ
るしかなかった。それに、この子には不思議なところがある。オプナはそう考
えては、いつも不思議な面持ちになるのだった。
クロースには持病があるようだった。いつも何事かあると手を口に当てて咳
をする。咳をした後は決まって掌が赤黒く染まっていた。今回はそんな事が無
い様に祈るだけだ。戦いの最中に持病が出てしまっては、集中できないから
だ。クロースはそんなオプナの懸念などお構い無しに、いつもの無表情でオプ
ナの手を握っている。彼女にとって気掛かりな事など何もないのだ。
目的地は目前に迫っていた。
谷の中ほど、山岳の中腹に黒い口を開けて洞窟が待ち構えていた。その洞口
が見えてくると、オプナは徐々に減速していった。
「見えて来たわ。目的地が」
「恐らくあそこにツクヨミがいるんだろうね。そして、グリオベルガの絵本
も……」
ヴォルペは生唾を飲み込んだ。気圧が急激に変化したからじゃなく、心理的
な作用からだろう。
*▼△*
洞窟の奥では、ツクヨミが絵本を読んでいる。
何が楽しいのか、時折口角を歪ませてにやつきながら読み耽っていた。
不思議な事に黒焦げになったはずのグリオベルガの絵本は、元に戻ってい
た。絵本自体に回復の力があるのだろうか。
「ククク。この絵本は凄いぞぉ。人の生き死にが全て詰め込まれている。……
早く取りに来い。そしてこの僕を楽しませてくれ。シオンのクソ仲間共」
洞窟の中は漆黒に支配されているが、ツクヨミの周囲だけは仄かな紅色で彩
られていた。真紅の炎の玉を周囲に数個浮かばせて、それを明かり代わりにし
て絵本を読んでいるのだ。ツクヨミが腰掛けているのは、丁度あつらえた様に
窪んだ岩肌だった。それがいすの代わりを果たしていた。それが、仄かに青白
く光っている。光を反射しているのではなく、岩自体が発光しているようだっ
た。
一方、洞窟の入り口ではオプナ達が中の様子を窺っていた。
「どうやら、罠は無い様ね」
「いいや、あのツクヨミの事だから、解らないよ。ここは慎重に進もう」
オプナの洞察に、ヴォルペが異を唱える。もっともな意見だった。狡猾で用
意周到なツクヨミが罠を仕掛けていない筈がない。どのような罠であるにし
ろ、嵌れば命の保証が無い事だけは確かだ。嵌らないように祈りながら進むし
かないのである。
と、ヴォルペが首を前後左右に回している。どうやら何かを探しているよう
だ。
「何を探しているの? ヴォル君」
オプナの質問には答えず、何かを発見したように洞口から数歩崖に向かって
歩いて行って少し屈むと何かを手にして戻って来た。
「枝?」
見るとそれは、木の枝だった。1フィートは確実に有りそうだ。
「枝を何に使うの?」
オプナが疑問を口にすると、ヴォルペはオプナの顔を見てにやりと笑うと1
フィート棒で地面を叩いて見せた。こう使うんだよと、行動で示したのだ。
「なるほど。罠避けね」
「そゆこと」
得意げに1フィート棒を翳して笑って見せるヴォルペ。こうしてみると少年
ぽさが抜け切れていないのがよく解る。オプナはそんなヴォルペの仕草に微笑
ましさを感じ、自然と顔が綻ぶのであった。
「さぁ、中へ入ろう」
ヴォルペはそう言うと、屈託のない笑みを残して先陣を切って洞窟の中へと
入って行く。どうやら洞窟へ入る事で、わくわくしているようだ。続いてオプ
ナがクロースの手を取って歩き出す。クロースは成すがままに従うだけだ。無
言で付いて来るクロースを見て、オプナは守護の決意を固めるのだった。
*▼△*
洞窟の中は仄かに青白く光っていた。
その光が魔力を帯びた光であることに、オプナは気付いていた。
「ここの岩肌は、魔法鉱石で出来ているのね」
オプナが周囲を見渡しながら言う。岩肌が仄かに光っているので、魔法の明
かりもトーチも灯していない。だから皆手ぶらだ。ただ一人、先頭で1フィー
ト棒を突きながら歩いているヴォルペを除いては。
今のところは安全なようだ。
だが、いつ安全神話が脅かされるか解らない。一行は慎重を持して一本道の
洞窟内を突き進む。
「ゴフッ」
クロースが喀血[かっけつ]するのと、ヴォルペが手にしている1フィート棒
が罠を感知するのとは、ほぼ同時だった。カチリという何かのスイッチが入っ
た音と共に突如火の柱が横に走った。それも、立て続けに何本も。洞窟内はさ
ながら炎の川と化した。岩肌に照り映える橙色が美しい。
「クロース……大丈夫?」
炎の川を背景に、オプナはクロースの身体の心配をする。その青白い顔は炎
の色に照り映えて、わずかに朱がかかっていた。口から血を滴らせているその
様は、さながら妖艶ですらある。
思ったとおり、懸念は的中した。クロースの体調が急激に崩れたのだ。それ
も、絶妙なタイミングで。オプナはこの奇妙にも捩れ絡まっている現象の一つ
一つを、検証する事にした。まず、何故クロースの喀血が罠を感知すると同時
に起こったのか。それから、この先をどうやって進めば良いのか。或いは、こ
のまま進んでしまっても良いのか。クロースの体調は大丈夫なのか。
オプナが思考の渦に絡め取られているとき、そんな事とは露知らずヴォルペ
が慌ててオプナに向き直った。
「お、オプナさん、どうしよう」
ヴォルペが聞いているのはこういうことだ。このまま先へ進むか、退くか。
先へ進む方法などいくらでもある。炎の川など、ヴォルペの身体能力をもって
すれば超えられない事はないだろう。だが、後から来るシオンは……? この
罠の事を感知できるだろうか。それに、オプナやクロースの事も心配してくれ
ているのだろう。ヴォルペの眼差しはそういう色を持っていた。
「進みましょう」
「え?」
「……進みましょう」
このような炎、魔法をもってすればどうにでもなる。
「恐らく、これはマジックアイテムによるものでしょうね。炎の魔力を宿した
マジックアイテムを、岩肌に埋め込んで誰かが通ると――正確には誰かがスイ
ッチを踏むと炎の魔法を開放する仕組みになっているんだわ。手の込んだ事を
するわね」
そういって不敵に微笑むと、オプナは背に括っていた杖を手にし、呪文を唱
え一振りする。
「フロスト[氷結]!」
すると、火の元付近の岸壁が見る間に凍り付いていく。それは一箇所だけだ
が、オプナはそれで一つ一つ確実に潰していこうとしている様だ。
「ほら、ね。こうすれば、通れる様になるでしょ」
確かに彼女の言うとおり、火柱は氷で堰き止められ通路が開けた。これを
五、六回も繰り返せば完全に通れる様になるだろう。とはいえ、オプナは疲労
の色を隠しきれないようだが。
*▼△*
「クロースが罠避け?」
全ての罠を凍らせて通路を進んだ先の少し広場になっている場所で、一休み
する事にした一行。そこでヴォルペがとんでもない事を口走ったのだ。恐らく
それは、想像の範囲から出ていないのだろう。ヴォルペ自身、確信の無さがそ
の表情から窺える。それは一種の推論だった。クロースが喀血するのは、罠な
どを感知した時だと言うことは――。
「まさか。この子が……」
あながち間違ってはいない。
今までもそうだった。クロース自身にとって何か不都合があると、決まって
喀血するのだ。オプナも今まで観察してきてわかっていた筈だった。
「ともかく、進みましょう」
どのくらい逡巡していただろう。オプナは決意を顔に浮かべると、立ち上が
って先を促した。クロースを罠避けにするかどうかはともかく、とにかくここ
は先へ進むしかない。ならば、迷っている暇など無いのだ。
道は二手に分かれていた。北へ続く道と、北西へ続く道。それに南へ続く道
――今まで通って来た道を入れて三つ又に分かれている。
今まで休んでいた円形の広場から三方に道が伸びている。
「どっちに進む?」
「ちょっと待って」
オプナは制止の声を発すると、目を瞑って魔力感知の呪文をを短く唱える。
相手が魔法使いならば、十中八九これで引っ掛かる筈だ。ましてや相手はト
ラップなどで魔法を使っているのだ。どちらに進んだのかこれでわかる筈だ。
探索の魔法という手も有るが、これは対象の事をよく知っている必要がある。
はたして、対象――ツクヨミに関する知識が十分だろうか。そうは思えなかっ
た。
「……やっぱり……魔力が微かに残ってる……こっちよ!」
そう言って北の方角を指差す。
しかし、魔力の痕跡が残っているという事は、先ず間違いなく罠が仕掛けら
れているということだろう。
「心してかからなくっちゃね」
誰とも無しに言った。
*▼△*
「ツクヨミ! 絵本は返してもらうぞ!」
「おやおや。もう辿り着いちゃったのか」
クロースが何度か喀血し、幾度と無く罠を回避した後にやっとツクヨミの元
へと辿り着いた。ここへ辿り着くまでに、オプナは疲弊しきっていた。ここへ
辿り着くまでに相当数の魔法を使ってきたのだ。魔力は底をついていた。
「後は、任せたわよ。ヴォル君……」
オプナは力なく笑った。
場所:ランダグローツ
NPC:ブレッザ・プリマヴェリーレ ツクヨミ シオンの本体
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
オプナはクロースとヴォルペを伴って飛翔[フライ]の魔法で朱色に染まる空
を飛んでいる。先程合流したシオンは、自らの風の魔法で後からついてきてい
る。目指すはランダクローツだ。
オプナの飛翔[フライ]の魔法は、拡大すれば自分を含めて三人までならば運
べる。それ以上になると精神が持たないので、出来ないのだ。精神力を増幅さ
せるアイテムでもあれば別だが。
一行は急いていた。急がなければならない事は、シオンの告白からも明白だ
ったからだ。そして、グリオベルガの絵本――あれを取り戻すためにも、今は
急がなければならない。
ランダグローツの入り口に当たる峰に差し掛かった頃、突如突風が吹き荒れ
た。オプナ達はもとより、シオンも風に巻かれ前進する事が出来なくなった。
仕方無しに、不時着する事にした。
オプナは最初それが、山おろしかと思っていた。しかし、山おろしにしては
時期的に見て変だし、何よりその風自体に意思の様なものを感じたのだ。風の
意思と来て、シオンにぶつかった。
(確か、シオン君の本体が捕まったって言ってたわね)
そこに行き当たるのに、ものの数秒と掛からなかった。
オプナの予想が正しい事を表すかの如く、峰の頂に一つの人影が浮かび上が
った。それは痩身でややすすけていた。その人影は――シオンだった。紛う事
なき本人だった。
オプナの傍らに控えるように片膝をついて蹲っている子供姿のシオンは、苦
虫を噛み潰したような表情だった。無理も無い。自身の体とこれから戦う事に
なるかもしれないのだから。
オプナが大丈夫かと声を掛け、肩に手を置こうとしていた丁度その時、その
一挙手一投足を遮るようにシオンが毅然と言った。
「……先に行っていて下さい。ここは私が」
「でも……っ」
躊躇いがちにシオンに視線を送るオプナに、シオンは微笑を向けた。「自分
なら大丈夫だから」無言の内にそう告げている笑顔だった。弱々しく、儚く、
でも力強い微笑。その微笑を見て、オプナは悟った。シオンの覚悟が本物であ
る事を。そして、自分達が先を急がなければならない身である事もまた思い出
していた。
オプナは、決意の表情で言った。
「解ったわ。ここは、シオン君に任せる。でも、死なないでね。絶対よ」
「オプナさん!?」
驚いて言い募るヴォルペを制して、オプナは再び飛翔の魔法を唱える。ヴォ
ルペに有無を言わせず体を抱きかかえ、クロースの手を取ると、空高く舞い上
がった。と、途端に突風に見舞われる。峰の上に仁王立ちしているブラックシ
オンが起こしているのだ。
「お前の相手は、私だ!」
追い風がオプナの後方から吹いてくる。子供シオンが起こしているのだ。二
つの風は正面からぶつかって激しい上昇気流となり渦を巻く。その渦を回り込
むようにして通り過ぎるオプナ。眼下にはブラックシオンの苦虫を噛み潰した
ような表情が窺えた。
追撃して来ない事を祈りながら、そのまま頭上を駆け抜けていくオプナ達。
ランダグローツの中心まで一直線にかっ飛ばしていく。今までで最大速度を出
しているので、オプナは疲労が蓄積されていくのを感じていた。余り長くは持
たないだろう。魔力も、いつもよりも余分に消費しているのがわかる。
「ヴォル君、私あんまり魔法使えないかも。だからいざという時は頼むわね」
弱々しげに微笑むオプナを見て、ヴォルペは戦う決意を強く固めた顔で一つ
頷いた。
クロースは黙ったままだ。実際何を考えているのか、よく解らないところが
この少女にはある。何も考えていないのかもしれない。何か考えてはいるが、
それを表に出す方法を知らないだけかもしれない。オプナにはそれを知る術は
なかった。
(連れて来てしまったけれど、大丈夫かしら? この子……)
でもきっと大丈夫。クロースには魔法障壁の力があるのだから。そう、信じ
るしかなかった。それに、この子には不思議なところがある。オプナはそう考
えては、いつも不思議な面持ちになるのだった。
クロースには持病があるようだった。いつも何事かあると手を口に当てて咳
をする。咳をした後は決まって掌が赤黒く染まっていた。今回はそんな事が無
い様に祈るだけだ。戦いの最中に持病が出てしまっては、集中できないから
だ。クロースはそんなオプナの懸念などお構い無しに、いつもの無表情でオプ
ナの手を握っている。彼女にとって気掛かりな事など何もないのだ。
目的地は目前に迫っていた。
谷の中ほど、山岳の中腹に黒い口を開けて洞窟が待ち構えていた。その洞口
が見えてくると、オプナは徐々に減速していった。
「見えて来たわ。目的地が」
「恐らくあそこにツクヨミがいるんだろうね。そして、グリオベルガの絵本
も……」
ヴォルペは生唾を飲み込んだ。気圧が急激に変化したからじゃなく、心理的
な作用からだろう。
*▼△*
洞窟の奥では、ツクヨミが絵本を読んでいる。
何が楽しいのか、時折口角を歪ませてにやつきながら読み耽っていた。
不思議な事に黒焦げになったはずのグリオベルガの絵本は、元に戻ってい
た。絵本自体に回復の力があるのだろうか。
「ククク。この絵本は凄いぞぉ。人の生き死にが全て詰め込まれている。……
早く取りに来い。そしてこの僕を楽しませてくれ。シオンのクソ仲間共」
洞窟の中は漆黒に支配されているが、ツクヨミの周囲だけは仄かな紅色で彩
られていた。真紅の炎の玉を周囲に数個浮かばせて、それを明かり代わりにし
て絵本を読んでいるのだ。ツクヨミが腰掛けているのは、丁度あつらえた様に
窪んだ岩肌だった。それがいすの代わりを果たしていた。それが、仄かに青白
く光っている。光を反射しているのではなく、岩自体が発光しているようだっ
た。
一方、洞窟の入り口ではオプナ達が中の様子を窺っていた。
「どうやら、罠は無い様ね」
「いいや、あのツクヨミの事だから、解らないよ。ここは慎重に進もう」
オプナの洞察に、ヴォルペが異を唱える。もっともな意見だった。狡猾で用
意周到なツクヨミが罠を仕掛けていない筈がない。どのような罠であるにし
ろ、嵌れば命の保証が無い事だけは確かだ。嵌らないように祈りながら進むし
かないのである。
と、ヴォルペが首を前後左右に回している。どうやら何かを探しているよう
だ。
「何を探しているの? ヴォル君」
オプナの質問には答えず、何かを発見したように洞口から数歩崖に向かって
歩いて行って少し屈むと何かを手にして戻って来た。
「枝?」
見るとそれは、木の枝だった。1フィートは確実に有りそうだ。
「枝を何に使うの?」
オプナが疑問を口にすると、ヴォルペはオプナの顔を見てにやりと笑うと1
フィート棒で地面を叩いて見せた。こう使うんだよと、行動で示したのだ。
「なるほど。罠避けね」
「そゆこと」
得意げに1フィート棒を翳して笑って見せるヴォルペ。こうしてみると少年
ぽさが抜け切れていないのがよく解る。オプナはそんなヴォルペの仕草に微笑
ましさを感じ、自然と顔が綻ぶのであった。
「さぁ、中へ入ろう」
ヴォルペはそう言うと、屈託のない笑みを残して先陣を切って洞窟の中へと
入って行く。どうやら洞窟へ入る事で、わくわくしているようだ。続いてオプ
ナがクロースの手を取って歩き出す。クロースは成すがままに従うだけだ。無
言で付いて来るクロースを見て、オプナは守護の決意を固めるのだった。
*▼△*
洞窟の中は仄かに青白く光っていた。
その光が魔力を帯びた光であることに、オプナは気付いていた。
「ここの岩肌は、魔法鉱石で出来ているのね」
オプナが周囲を見渡しながら言う。岩肌が仄かに光っているので、魔法の明
かりもトーチも灯していない。だから皆手ぶらだ。ただ一人、先頭で1フィー
ト棒を突きながら歩いているヴォルペを除いては。
今のところは安全なようだ。
だが、いつ安全神話が脅かされるか解らない。一行は慎重を持して一本道の
洞窟内を突き進む。
「ゴフッ」
クロースが喀血[かっけつ]するのと、ヴォルペが手にしている1フィート棒
が罠を感知するのとは、ほぼ同時だった。カチリという何かのスイッチが入っ
た音と共に突如火の柱が横に走った。それも、立て続けに何本も。洞窟内はさ
ながら炎の川と化した。岩肌に照り映える橙色が美しい。
「クロース……大丈夫?」
炎の川を背景に、オプナはクロースの身体の心配をする。その青白い顔は炎
の色に照り映えて、わずかに朱がかかっていた。口から血を滴らせているその
様は、さながら妖艶ですらある。
思ったとおり、懸念は的中した。クロースの体調が急激に崩れたのだ。それ
も、絶妙なタイミングで。オプナはこの奇妙にも捩れ絡まっている現象の一つ
一つを、検証する事にした。まず、何故クロースの喀血が罠を感知すると同時
に起こったのか。それから、この先をどうやって進めば良いのか。或いは、こ
のまま進んでしまっても良いのか。クロースの体調は大丈夫なのか。
オプナが思考の渦に絡め取られているとき、そんな事とは露知らずヴォルペ
が慌ててオプナに向き直った。
「お、オプナさん、どうしよう」
ヴォルペが聞いているのはこういうことだ。このまま先へ進むか、退くか。
先へ進む方法などいくらでもある。炎の川など、ヴォルペの身体能力をもって
すれば超えられない事はないだろう。だが、後から来るシオンは……? この
罠の事を感知できるだろうか。それに、オプナやクロースの事も心配してくれ
ているのだろう。ヴォルペの眼差しはそういう色を持っていた。
「進みましょう」
「え?」
「……進みましょう」
このような炎、魔法をもってすればどうにでもなる。
「恐らく、これはマジックアイテムによるものでしょうね。炎の魔力を宿した
マジックアイテムを、岩肌に埋め込んで誰かが通ると――正確には誰かがスイ
ッチを踏むと炎の魔法を開放する仕組みになっているんだわ。手の込んだ事を
するわね」
そういって不敵に微笑むと、オプナは背に括っていた杖を手にし、呪文を唱
え一振りする。
「フロスト[氷結]!」
すると、火の元付近の岸壁が見る間に凍り付いていく。それは一箇所だけだ
が、オプナはそれで一つ一つ確実に潰していこうとしている様だ。
「ほら、ね。こうすれば、通れる様になるでしょ」
確かに彼女の言うとおり、火柱は氷で堰き止められ通路が開けた。これを
五、六回も繰り返せば完全に通れる様になるだろう。とはいえ、オプナは疲労
の色を隠しきれないようだが。
*▼△*
「クロースが罠避け?」
全ての罠を凍らせて通路を進んだ先の少し広場になっている場所で、一休み
する事にした一行。そこでヴォルペがとんでもない事を口走ったのだ。恐らく
それは、想像の範囲から出ていないのだろう。ヴォルペ自身、確信の無さがそ
の表情から窺える。それは一種の推論だった。クロースが喀血するのは、罠な
どを感知した時だと言うことは――。
「まさか。この子が……」
あながち間違ってはいない。
今までもそうだった。クロース自身にとって何か不都合があると、決まって
喀血するのだ。オプナも今まで観察してきてわかっていた筈だった。
「ともかく、進みましょう」
どのくらい逡巡していただろう。オプナは決意を顔に浮かべると、立ち上が
って先を促した。クロースを罠避けにするかどうかはともかく、とにかくここ
は先へ進むしかない。ならば、迷っている暇など無いのだ。
道は二手に分かれていた。北へ続く道と、北西へ続く道。それに南へ続く道
――今まで通って来た道を入れて三つ又に分かれている。
今まで休んでいた円形の広場から三方に道が伸びている。
「どっちに進む?」
「ちょっと待って」
オプナは制止の声を発すると、目を瞑って魔力感知の呪文をを短く唱える。
相手が魔法使いならば、十中八九これで引っ掛かる筈だ。ましてや相手はト
ラップなどで魔法を使っているのだ。どちらに進んだのかこれでわかる筈だ。
探索の魔法という手も有るが、これは対象の事をよく知っている必要がある。
はたして、対象――ツクヨミに関する知識が十分だろうか。そうは思えなかっ
た。
「……やっぱり……魔力が微かに残ってる……こっちよ!」
そう言って北の方角を指差す。
しかし、魔力の痕跡が残っているという事は、先ず間違いなく罠が仕掛けら
れているということだろう。
「心してかからなくっちゃね」
誰とも無しに言った。
*▼△*
「ツクヨミ! 絵本は返してもらうぞ!」
「おやおや。もう辿り着いちゃったのか」
クロースが何度か喀血し、幾度と無く罠を回避した後にやっとツクヨミの元
へと辿り着いた。ここへ辿り着くまでに、オプナは疲弊しきっていた。ここへ
辿り着くまでに相当数の魔法を使ってきたのだ。魔力は底をついていた。
「後は、任せたわよ。ヴォル君……」
オプナは力なく笑った。
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