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2024/05/05 07:07 |
異界巡礼-10 「苦痛の名称」/フレア(熊猫)
キャスト:マレフィセント・フレア
NPC:リノツェロス・宿屋の女将
場所:クーロン/宿屋の食堂
――――――――――――――― 

ピークを過ぎた食堂は落ち着きを取り戻していた。
少し前には向こうのテーブルで喧嘩が始まったりもしていたが、
どうやらおさまったようだ。

「すまない、遅くなってしまって」
「いや、おかげで助かった」

腕の中で泣き疲れて眠る少女の背中をさすりながら、
フレアはリノの顔を見た。

「昨日はあまり眠れなくて…」

寝不足で頭の中に芯があるような感覚。記憶の暗闇の中では
幽鬼のように笑う一人の男。
あのいけすかない男にここまで狂わされている自分に腹が立つ。

「そうか」

というリノの言葉は簡潔だったが、決して冷淡なものではなかった。
フレアは軽く微笑んでから、すぐに真顔に戻って言葉を続ける。

「それで…これは」

マレフィセントが握り締めている、青い布の包みを目で示す。
しっかり握られているので無理矢理引き剥がすのも可哀想だったため、
まだ断片しか見られなかったが。

「確かなのは、ただの木炭ではないという事くらいか」

それは冗談に聞こえ無くもなかったが、リノの表情に変わりはない。

「これを目にした途端、なぜか非常に興味を示した」

再び少女の手に握られているものを見やるが、それを遮るようなタイミングで
マレフィセントがふいに寝返りをうったので、謎の板切れを目にすることは
やはりできなかった。

「親か、同族のもの?」
「それくらいしか思いあたらんな」

こちらの呟きに頷いて、カップを傾けるリノ。フレアはそっと、水の流れに
浸すように、眠る少女の髪に手を置いた。
こうして触れてみた限りでは、人間と差異はないように思える。
しかし、流れる髪のすぐ向こうには異質な硬いもの。

(悪魔の…象徴…)

赤いフードの隙間から覗く、悪魔の角。
なめらかな曲線と、あらゆる物質にはない硬さと柔らかさ。
むらのない美しい色。

頑強そうなその禍々しいものを戴き、悪魔は無垢な寝顔を見せている。

(でも、この子が一体どんな"悪"さをするというんだ?)

一緒にいればいるほど、フレアにはこの少女が悪魔だと思えなくなっていた。
最初に出会った時よりも、ずっと。

「なにか、思いあたる節はないか」

軽い沈黙を破り、リノ。フレアは顔をあげないままぽつりと答えた。

「…これ、手触りが似ている気がするんだ」
「手触り」

ふむ、と繰り返しつぶやく騎士に頷き返して、続ける。

「気のせいかもしれないけれど。マレフィセントの角と」

フードごしに角があるあたりを撫でる。もちろん今感じているのはその
外套の手触りだったが、記憶している感触は思い出せた。

「それが本当だとすれば、やはりそれは同族のものと見て間違いないだろうが…
何にせよ、憶測でしかないな」
「うん…これが見つかったのは、確か」
「南だ。岬にある使われていない聖堂という事だったが、少し調べて見なければ
ならないだろう」
「…そうだな」


岬。海。あわ立つ波。水。青白い――


(!?)

ふと脳裏に走る痛みに眉をひそめる。そして喉が絞まるような感覚。
呼吸するのを促すように、フレアは自分の喉に手のひらをあてて押し黙った。
それは思案しているように見えたのだろう、カップの中を空にして、
騎士は問いかけてきた。

「どうする。行く意思はあるか」

喉から手を離すと、息苦しさはもうなかった。
何かを振り払うようにして、こっくりと首を縦に振る。

「行く。どこまでも」
「わかった」

静かな声音でリノも答えた。
と――

「顔色がよくないねぇ。ちゃんと食べたのかい」

少女二人と壮年の男という組み合わせが珍しいのだろう、話している間も
世話好きらしい女将が何かと干渉してきた。

「はい、ご馳走様」
「あらまぁ、こっちの子は朝っぱらから寝てるのかい。食べたり泣いたり
眠ったり!まったく忙しい子だねぇ」

フレアが僅かに笑って答えると、女将は足掛かりを得たとばかりに
後を続けてくる、が、それをリノが遮った。

「朝寝といったところか。フレア、君も仮眠をとっておいたほうがいいだろう」
「え」
「行き先は決まったのだ。まだ時間もあるのだし、そう無理をしていてはもたない」

面食らうフレアと女将に有無を言わさず、リノが席を立つ。

「それに」

身をかがめて、小声で囁いてくる――

「これ以上ここにいたら“場所代”がかさみそうだ」

きょとんとして目で問うが、そこで話は終わりらしい。出鼻をくじかれた
女将も(商品を売りつけるつもりだったらしい)、肩をすくめて違うテーブルへ
移っていった。

「さ、行こうか」

そう言ってフレアの上からいまだ眠るマレフィセントを抱え、
立ち上がろうとする。が、

「っ!」

いきなり呻いてその場に膝をついてしまう。
辛うじてマレフィセントを放り出すことはなかったものの、フレアの
膝の上にはふたたび重みが戻った。

「リノ!?大丈夫か!?」

慌ててマレフィセントを膝に抱いたまま、しゃがみ込んだリノへ手を差し伸べる。
苦痛に耐えるその姿さえ騎士然とした彼には似合いと言えたが、
まったくそれどころではない。

「き、君は」

リノはぜえはあと荒い息をつきながら、息も絶え絶えになって顔を上げて――


「ぎっくり腰というものを知っているか」


脂汗を浮かべて、顔面蒼白の騎士は、やはり冗談とも本気ともとれる静かな声音
でそう言ってきた。

――――――――――――――――
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2008/09/22 00:22 | Comments(0) | TrackBack() | ○異界巡礼
異界巡礼-11【秘境への誘い】/マレフィセント(Caku)
キャスト:マレフィセント・フレア
NPC:リノツェロス・馬車の御者・馬車の主(?)
場所:クーロンより南下へと続く街道
―――――――――――――――

「やはり大丈夫だ、それとも何かね…フレアは私がそんなに老いていると言いたいのかね?」

普段ならば、こんな自嘲めいた皮肉も余裕綽綽で放つのがリノという男性だったが、今度ばかりはそれさえなく、あまつさえ鬼気迫る面持ちでそう迫ってくる。

「い、いや!そんなことない!そんな風には…」

「ならば何も問題ない、先に進もう」

そう言ってリノは身を翻してすたすたと先に歩いて行ってしまった。
フレアは隣であくびを連発するマレの頭を撫でながら、困ったように溜息をついた。


****


クーロンから南にのびる街道。人が横に並んで四人通れるか通れないかぐらいの通りには名前さえなかったが、行きかう人々は意外に多く、久しぶりの小春日和のかいもあってか、すれ違う人々には笑顔が浮かんでいた。
そんな大都市から各地の小都市へつながる街道の中で、困ったように肩をすくめ、表情を暗くしている少女が一人。

もう少しクーロンで体を休めよう、といった極めて正論を持ちかけたフレアに、壮年の騎士は悪魔からの誘惑をはねのけるような頑なさで彼女の案を拒否した。

『そう酷いものじゃない。もう充分休んだのだし、何より手がかりが見つかったのだ。すぐにでも発とう』

…リノはどうやら己の不覚、また弱点などを露呈すると意固地になる傾向があるようで、自分から打ち明けたわりにはどうしてか頑ななまでに休息を拒否している。へんなところで子供っぽい、とフレアは思ったのだが、もちろん目の前の本人には黙っている。むしろ、この男にもこんな一面があったのかと思うとくすりと笑いたいところだった。

が、現状はくすりどころの話ではなく、リノの歩き方は明らかに乱れていて、おまけに痛みをこらえているためか、その様は戦場で重傷をおっても戦い続けようとする兵士そのものである。すれ違う人々がリノの気迫に恐れおののき街道端へ身を引いて行く。目の前をずんずんと先行していってしまう困った問題に、フレアが頭を抱えた次の瞬間だった。

リノの肩に蝶が一匹、ふわりと飛んできた。諸国を渡り歩いてきたフレアでも馴染みのない色合いの、珍しい蝶だった。全体が銀色で、羽をはためかせるたびに青い残像が視界に残る。青い残像は魔力のようにも見えたが、その蝶から害意や悪意はみじんも感じない。魔力をもつ虫は大陸にもそこそこ存在しているし、そういう虫を専門にあつかう職業もあるらしい。
きれいな蝶だな、とフレアが何気なく見つめていると、いつの間にか隣にいたはずのマレがきらきらした瞳で、

「!」

大きくジャンプし、

「…って待ったマレーーー!!」

フレアの静止も遅く、飛魚のように跳ねたマレの影にリノが振り返る。瞬間、騎士の顔は恐怖と驚愕にすり替わる。

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!?」

…無論、これがトドメだったことは言うまでもなく。まるで魂を玉砕されたかの如き絶叫が、陽光きらめく街道に響き渡ったのである。
その惨劇の最中、銀色の蝶はまるで我関せずとばかりに呑気に空へ飛んでいた。


****


意識が明確になると同時に訪れた激痛で、リノは瞳を開いた。
街道に差し掛かる斜陽は綺麗な緋色で、空は一面の夕焼け模様に変わっていた。名もなき街道に差す夕焼けの光は辺りを紅く染め上げ、そのあまりの強さに目が眩みそうなほどだった。痛みのせいで状況把握がままならない、とにかく見えるのは、大きな木立の葉と夕焼け雲。

「リノ…!?気がついたか!」

自分が街道よりやや外れた野原の、一本の木の根元で寝かされていることに気がついたリノは、フレアの声に身を起こそうとして、痛みのあまりにうめいた。

「動いちゃだめだ、やっぱりきちんと治療したほうがいい」

フレアが心底心配そうにリノの傍らに膝をつく。どこかそれを悔しげに、歯軋りさえ響かせてリノは眉根を歪めた。

「…すまん、まったくもって情けない。まさか私が人事不祥に陥るなどとは…悪魔団長ベルスモンドと対峙した時さえ、こんな体たらくは起こさなかったというに…!!」

ちなみに、そんなリノのプライドをずたずたにした悪魔はというと、リノの気絶中にフレアに散々怒られてデコピンまでくらったせいか、赤くなった額を押さえながらしゅーんと尻尾を垂れてリノの隣にうずくまっていた。

「でも、どうしようかな…クーロンまでどうやって戻ろうか?」

フレアは途方にくれた様子で周囲を見渡している。
街道に、あれほどいた人々はもういない。夜の往来は危険だからだ。それも街の外となればなおさらで、夜盗や盗賊の襲来にそなえて皆、街に入ったか各々安全な場所ですでに夜をすごす場所をきめてしまったに違いない。
フレア一人ではリノを担いでクーロンまで戻ることなどできない。マレに目くばせしてみても、マレは首を傾げるばかり。そもそもいくら悪魔といえどマレの腕はフレアよりもなお細くて、とてもじゃないがリノを運ぶことなどできないだろう。
と、フレアが窮地に困っていると、街とは反対方向から馬車がやってくるのが見えた。

「マレ、リノを頼んだよ」

フレアはマレにリノの傍にいるようにと念を押して(言葉は通じないが、意味合いは通じたようだ)二人の傍から離れて馬車に近づいて行った。


****


「すみません!」

フレアは馬車の馬の手綱を奮っている黒衣の御者に声をかけた。馬車は遠めから見た印象よりもかなり大きく見えた。珍しいことに六人乗りなのか、窓がついた扉が三つ横に並んでいた。色は黒に近いグリーンで、森の中にはいれば溶け込んで見えなくなってしまうだろう。馬の色も馬車と同じで、ただ金色の瞳だけが不思議な威圧感を放っていた。手綱をとる御者の顔は帽子で見えず、馬車と同じ色の服装もあいまって、まるで馬車の一部のようだ。

「…………」

馬の手綱を引く従者はフレアの声にぴくりとも反応しなかった。声が届かなかったかと、フレアはもう一度声を上げようとして、

「こんばんわ、こんな黄昏時にどうかなさいましたか?」

馬車の窓の中から響く鈴の音のような美声に、意識を一瞬で奪われてしまった。

「さあ、ご用件は何かしら?」

美声はフレアを再度促した。しばらくぼーっと突っ立っていたことに気がついたフレアは、慌てて窓の中にいるであろう美声の主に話しかけた。

「あの、仲間が腰を痛めて動けなくなってしまったんだ。街へ行くなら一緒に乗せてくれないだろうか?」

「それは大変ね、でもどうしましょう。私達は街へ行くわけではないのよ」

「この時間に、どこへ?」

相手が嘘をついているとは思わなかったが、フレアは思わず聞き返してしまった。ここから街までは歩いて二時間ほど、街以外にめぼしい場所はなく、そんな中を馬車が通っていれば夜盗の格好の餌食だろう。

「私、羽根を痛めてしまったの。ですから怪我や痛みに聞くと評判の湯屋へ向かう途中でしてよ」

羽根、と聞いた時点でフレアは首を傾げたが、言葉の後半を聞いて思わず即答してしまった。

「そこでいい!」

そこで己の勢いにはっと気が付き、もう一度丁寧な口調で相手の返答をうかがった。

「その、一緒に乗せて行ってもらえないだろうか…?」

「構わなくてよ、人のお嬢さん。せっかく私達と出会うことができたのですから、貴女がそう望むなら連れて行って差し上げますわ」

窓の中の美声は、なぜかはしゃぐようにフレアの嘆願をあっさり聞き届けた。

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2008/10/10 02:33 | Comments(0) | TrackBack() | ○異界巡礼
異界巡礼-12 「誰そ彼」/フレア(熊猫)
キャスト:マレフィセント・フレア
NPC:リノツェロス・馬車の御者・馬車の主
場所:クーロンより南下へと続く街道
―――――――――――――――

鮮やかだった夕映えはその勢いを急速に衰えさせ、物言わぬ御者がリノを馬車に
乗せ終えた時には、すでに周囲は青み掛かった紫へと変じていた。

「これはどういう事だ」

騎士は憮然とした面持ちでそう言うと、こちらの顔を見上げた。

馬車の内部は思っていたより広く、長身のリノが横たわってもまだ余裕が
あるほどだった。
内部をぐるりと取り囲むようにしてあつらえられているソファは柔らかく、
フレアとマレフィセントが左側、横たわるリノが右側、そして声の主が
馬車の一番奥に座っている。

「だから――」
「何をそんなに怒ってらっしゃるの?」

フレアが口を開こうとするのを遮って、奥に座る馬車の主が答えた。

主――ベール付きの帽子を被っているために顔はわからないが、
声音からすればおそらく女、年令は30代前半といったところだろうか。
灯りはあるものの、わざとなのか偶然なのか光の範囲の外に彼女はいる。

「このお嬢さんは貴方を助けたい一心で私に声を掛けてきたのですよ」

あくまでも美しい声でありながら、しかし口調は最初に会った時よりも
ややくだけてきていた。

「それなのにそんな態度を取るなんて、可哀想だわ」
「…御婦人、私だってフレアを責めているつもりはない。ただ、
説明が欲しいのだ。なぜこのような事になったのか」
「他に手がなかった、それじゃあ駄目かしら」
「……」

騎士はそこで諦めたように深いため息を吐くと、むりに首を曲げて
壁ぎわに顔を向けた。おそらく身体ごとあちらに向けたかったのだろうが、
痛む腰ではそれも叶うまい。

「リノ」
「寝かせて差し上げなさいな。お疲れのようだから」

追い縋るように騎士の名を呼ぶフレアをやんわりと押し留め、女主人が囁いた。
そして退屈そうに椅子に沈むマレフィセントに目をやると、くすりと笑みの
ような吐息を洩らした。

「もう外套はいらなくてよ、小さいお嬢さん」
「いえ、あの――」

きょとんとして、主人とマレまでもがこちらに視線を向ける。フレアは
できるだけ不自然にならないように、それでいてめまぐるしく考えながら
答えた。

「この子、人見知りで…姿を見られるのは、ちょっと」
「あら、残念ね。――でも私もこんな姿ですから、おあいこ
かしら」

手のひらを自分の胸にあててその姿を示す女主人の声は明るかったが、
なにか罪悪感のようなものを感じてフレアは目を伏せた。

「すみません」
「いいのよ――あなた方も少し眠るといいわ」
「その湯治場まで、どのくらい…?」
「すぐよ。眠ってしまえばね」
「?」

眉根を寄せるこちらに気づいているのかいないのか、女主人はすっと
灯りのひとつに手を伸ばした。光に照らされた彼女の影が馬車の中に
浮かび上がる。
いつのまにか長い煙管など持っているが、その中身をランプの火の中に
入れてしまう――くべられたそれは灰というよりは粉だった。
炎なのか魔術の灯りなのかは判然としない光の中で、蒼く煌いて消える。

それがあまりにも自然だったので、質問するのが遅れた。
我に返って問おうと息を吸い込んだその肺に、甘く芳ばしい香りが
流れ込む。

「発香鱗よ。いい匂いでしょう」
「はっこうりん…?」

女主人の言ったことを繰り返しながら、向かいのソファにいる騎士を見る。
無理に曲げられた首はいつの間にか天井を向いており、厳しい横顔のまま
男は目を閉じて眠りに就いている。

肩に柔らかな重みがかかる。見ると、真紅の外套にくるまった少女が
長いまつげを頬に落として寝息を立てていた。その姿が霞む。

我知らずフレアにも睡魔が襲い掛かってきていた。抗うこともできず、
疲労も手伝って眠りの淵に沈んでいくことを自覚することしかできない。

(あれは……蝶…?綺麗…)

眠りに落ちる一瞬前、馬車の窓から見えた月。その前にひらりと
紙くずのように飛ぶ影を見たが、もうどうでもよかった。

――――――――――――――――

2008/10/23 18:50 | Comments(0) | TrackBack() | ○異界巡礼
異界巡礼【眠りの車輪に導かれて】/マレフィセント(Caku)
キャスト:マレフィセント・フレア
NPC:リノツェロス・馬車の御者・馬車の主
場所:?
―――――――――――――――

うとうと、誰もが眠りに落ちた。
がたがた、馬車は誰も知らない場所へ行く。


***

車輪はぐるぐる回り続ける…。

***

「……………?」

ふと、ぱっと目が覚めてマレはむくりと起き上がった。
外の様子が気になって、馬車の窓のほうへ振り向く。窓の外は景色があやふやで、白い靄が全てを覆っていた。まるで雲の中にいるようだ。

「境界には敏感なのね」

起きていたのか、女主人の声がマレに届く。
リノもフレアもすやすやと寝息を立てており、この馬車の中で目覚めているものは誰もいない。マレは大きな瞳をぱちぱちさせて、声の主のほうをじっと見つめる。

「越えるのは簡単、でも、戻るのはとても難しいわ」

女主人は意味深に呟く。
馬車の中の暗闇に紛れていて、輪郭はおぼろげにしか見えないが、その手に持っているであろう煙管から、輝く青い煙がたゆたう。

「仕方ないのよ、こればっかりは…境界がないと私達があちらに溢れてしまうもの。
あちらはとても脆いのよ、小さなお嬢さん。あちらの人はとてもとても脆いものだから、私達が押しかけてはきっと恐怖で潰れてしまうでしょうね」

女主人が語りかけてきた。フレアと同じ言葉のはずなのに、マレフィセントに通じる言葉。マレはただ、じっと女主人の声に耳を傾けていた。彼女の声はとても気持ち良いと、本能が告げる。

「だからお眠りなさい、小さなお嬢さん」

言葉には魔力が宿る。マレは女主人の言葉のままに瞼を閉じた。そうして、歌うように声だけが瞼の裏側に響いてくる。

「すでに"越えて"しまった貴女にも、帰れる場所がどこかにあるといいわね。戻れなくなったお嬢さん」

--------------------------------------------------------




***

車輪はぐるぐる回り続ける…。

***


「おはよう、マレ」

次にマレフィセントの目が覚めたときには、すでにフレアもリノも目覚めていた。
眠気の残る瞼を苦労して持ち上げ、手の甲で瞳をごしごしとこする。大きくのびをしようとして、思わずマントがずれて角が露出しそうになる。それに気が付いたフレアが慌ててマレのマントを押さえた。

「こらっ、マレもうちょっと…!!」

その様子を見てたらしい女主人がくすりと笑った空気が流れる。女主人は何かに気が付いたように、あぁ、と小さく声を上げた。

「もうじき見えてくるころですわ、外を」

女主人の声に、思わず窓のほうを見るフレアとマレ。

「あ…」

窓の向こうの景色に、フレアが感動に、マレが驚愕にぽかんと口をあけた。二人は思わず馬車の窓を開け、大きく外に身を乗り出した。




空はまるで万華鏡。意味さえ不明な幾何学模様の星が空一面に散りばめられていて、ところどころで常にカタチを変えている。太陽と月は地平線を挟んで向かい合い、地平まで麦のような穂がなびく畑が一面に広がっている。麦、と断定できないのは、その色が自然界のもとは思えない七色に輝いているからだ。その七色の畑の上を金銀の何かが縦横無尽に飛び交っている。

「……鳥?」

縦横無尽に飛び回るのは、金色の鴎と銀色の鴉。鳥、のはずなのだが、よくよく見るとその翼の羽はトンボのように透けている。瞳は赤い宝石で、光にきらきらと反射する。
馬車は蒼い石で出来ている石橋を走っている。蒼い石橋は、ときおり一部の石が赤や黄色に点滅している。馬の蹄が当たった部分は淡く発光している。後方を振り返ると、地平線まで続いている石橋に淡い光が点々と残っている。
木々には宝石が実り、流れる川は硝子の砂で満たされている。石畳の上には蜥蜴の皮をもった猫が、金目を光らせて馬車を見送っていた。

「…まるで人の世とは思えんな」

ぼそりと、リノが険しい顔で呟いた。痛みとは何か別の、どこか畏れさえ滲ませた感情を抑えた声。
だがフレアはあまりにも美しい外の光景に目を奪われていて、リノの言葉を聞き取ることは出来なかった。だが、その声にくすくすと忍び笑いをもらす女主人。何が気に入らないのか、リノは無言でそっぽをむく。

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馬車の向こうの景色に心を奪われていたフレアに、後方から声がかかる。

「綺麗な赤い瞳のお嬢さん」

女主人がフレアに呼びかける。その声の中に、なにか不吉なものを感じてフレアは思わず鳥肌がたった。
振り向くと、さきほどと変わらぬ女主人のあやふやな陰影。ただ帽子の下から覗く白い肌と、煌く銀色の唇だけがはっきりと見て取れた。

「これから行く場所は、どんな怪我も病気もたちどころに消えてしまう。そこでは地位も種族も関係なくてよ、けれども一つ、あなた方は絶対に破ってはならない掟がある」

「掟…?」

フレアが鸚鵡返しに問いかけると、女主人は美しい声で、

「こちらの食べ物を口にしないこと」

と、急に女主人の声の温度が氷点まで下がった。

「果実だろうと葉のたった一枚であろうとも、決して口にしてはなりません。もし、これから出会った者達に何か勧められても、絶対に何も食べることがないように」

その言葉に、マレがぴくりと顔をあげ、リノは怪訝そうに眉間に皺をよせて上体をわずかに上げた。




「もし」

女主人は、そこで初めて、

「何か一つでも口にすれば、二度と元いた場所には戻れないのですから」

無邪気な悪意で、そう三人に告げたのであった。



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2008/10/23 18:52 | Comments(0) | TrackBack() | ○異界巡礼

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