キャスト:ヴィルフリード・リタルード・ディアン・フレア
NPC:NO CAST
場所:宿屋
----------------------------------------------------------------
「あー……」
ヴィルフリードは、頭を掻いている手を下ろした。
「今回、俺は、よしとくわ」
少しばかり、フレアに軽い落胆の色が見えた。その反応が予測できたから、無
駄な動作や言葉が洩れたのだ、とヴィルフリードはフレアの顔を見ながらそのこ
とに、今更気づいた。
そんな彼女の表情から逃げるように、視線が自然と顎をさする自分の手に向け
られる。
「俺、あーゆーカタッ苦しい場所、嫌いだし。
資料探し? そーゆーの、苦手だし」
そう言って、ふと、リタに顔を向ける。
「リタは……得意そうだな」
「うん、得意だよ」
「……堂々と言うか」
真顔で答えるリタの反応に、ヴィルフリードは半眼で答える。
「謙遜は必ずしも美徳じゃないと思うんだ、僕。
なんか、能力の出し惜しみみたいにも見えるし、遠まわしに断っているみたい
に聞こえる時ってない?」
「……そーですかい」
小さく、脱力したように相槌を打つヴィルフリード。
そこに、フレアが期待の眼差しをリタに向ける。本当に、わずかな感情すらも
表現してしまう少女だ、とヴィルフリードは思った。
「……ということは、リタはついてきてくれるのか?」
微笑みながら、リタは当然かのように答えた。
「いいよ」
フレアの顔がわずかながら緩む。
が、それと同時にリタは表情を変えないまま付け加えた。
「でもね、あまり期待しないほうがいいよ。
昨日も言ったけど、彼のような遺伝子に影響を与えるほどの魔力の持ち主の事
例は少ないし。ほとんどが謎に包まれている」
「……確かに、あれも異様だったな」
思わず、ヴィルフリードが呟く。
「あれ……って?」
フレアが問いかける。
「……腕が切られたのに、血が一滴も出ず……しまいにゃくっつけたら治っち
まったんだ」
ヴィルフリードが、答える。
そして、今度はリタに向き直り、問いかける。
「俺はさ、魔法にゃ詳しくないんだが。アレはよく見かける回復魔法とは違うの
か?」
「根源的な作用は一緒だけども、別物だと言っていいかもしれない。
普通の魔法では、有り得ないから。
通常の魔法は術者の意識が発動されて、初めて物質に干渉する。
だけど、あれは……細胞自体が判断して、発動しているように感じた。反射神
経みたいなモノにまで、進化している。
……あの白いお兄さん……」
一瞬、ヴィルフリードの口の形が「へ」の字をかたどるが、フレアはそれに気
づかず、答えを言う。
「ディアンのことか?」
「そう、その人。その人が最初殴った時は、口の中が切れて血が流れていたん
だ。
判断しているんだよね。致命傷と、そうでないものを。
致命傷だけの時に反応するという仕組みだとしていたら……」
「あー。ちょっとスマン」
一人だけの思考に入りそうになっていたところを、ヴィルフリードが謝るよう
に軽く手のひらを顔ぐらいまでの高さ上げ、割り入った。
「……イデンシだとか、サイボーだとかってなんだ?
昨日もちょいと聞いたんだが。
……いや、実はな、流して済めばいいかなぁ、と思って、流してたんだが」
その隣で、フレアも小さく「わ、私も」と挙手をした。
「……フレアちゃんは若いからともかく、ヴィルさん、脳味噌使わないとボケ
ちゃうよ?」
「ほっとけ」
かすかにヴィルフリードの目の端が濡れていたが、若い二人は無視した。それ
は優しさなのか、それとも単に話が逸れるからなのか。
リタは軽く息を吸い、講義を始めた。
「細胞は、いわゆる生物の身体を構成しているもの。遺伝子は、生物の形質を記
録しているもの、とでも言えばいいかな? かなり簡単だけど。
ちなみに、細胞の確認は取れているけど、遺伝子はまだ、推論の域を出ないも
のだけども。現在では『ある』と仮定されているに過ぎない。
学会だとかではまだ、あまり認知されていないみたいだけど、僕はあると思っ
ている」
「……で。なんで、その一部の細胞が『判断』だなんて、まるで生きているよう
に扱うんだ?」
眉間に皺を寄せながら、質問をするヴィルフリード。
理解しようと必死なのだろうが、彼の額の皺は確実に深く刻まれていること
に、気づいているのだろうか。
そう思いながらも、リタは、優秀な教師宜しく、不出来な生徒に対する回答を
行う。
「細胞は生きているよ。一つ一つね。呼吸だってちゃんとしている。
死んでしまえば、老廃物……皮が剥けたりだとかね、そんなゴミとして排出さ
れるけど。
あと、腐ってしまったときも、死んでいる」
「なんか気持ち悪ィなぁ、想像すると」
今度は、口元に深い皺が刻まれる。
「そう? 僕なんか面白いと感じるけどね」
リタがニッコリと笑う。それはある種の分野に快感を得た時にのみ見られる、
独特の笑顔だった。
「身体欠損に使用される回復魔法は、形質を遺伝子から読み取って、細胞の活性
化を促しているという手順で、やっているのではないかと言われてるんだよね。
彼、ゼクスの場合は……魔力とともに……いや、魔力があるがゆえに、遺伝子
が変質してしまい、体質が変わってしまった……進化とでも呼ぶべきかな?
まぁ、あくまで、仮説の上で成り立っている推論だけども」
と、ここでリタは一息ついた。周りを見ると、ヴィルフリードとフレアは、目
を丸くしながらリタを見ていた。
「フレア……図書館なんかにもぉ行かなくていいんじゃないか?
ここに生きる図書館がいる」
「……そうかもしれないな」
「失礼だなぁ。これは、一部の知識から成り立っている、あくまで推論なんだ
よ?
まだ見ていない本は無数にあるからね。こんな狭い了見しか持っていない僕の
知識で感心しちゃダメだよ」
照れの一切混ざっていない、言葉。
それが余計にリタの知識欲を浮き上がらせて見せていた。
「……で、そもそも、フレアちゃんは一体、図書館で何を調べたいの?」
「え……?」
「ゼクスの、何について調べたいの?
症例が少ないのだから、『絶対に』なんて事は無い。
もし、『寿命が短い』とかの事例があったら、フレアちゃんはどうするの?
どうしたいの?」
まっすぐとフレアの目を見ながらリタは問う。
それに対してフレアは、真正面から受け止めるように、見つめ返している。少
し、不安そうな感情が、見られている。
「私はただ……ゼクスが……何を考えているのか……知りたくて」
途切れ途切れになりながら、搾り出すように答えるフレアを見て、ヴィルフ
リードはその光景から目を逸らす。
なぜ、視線をはずすことすらしないのか。その不器用さが、やはりヴィルフ
リードにとって少し辛い。
「個人の思考なんて、本に載っていない」
フレアの瞳が揺れる。
馬鹿正直に真正面から対峙するから、深く抉られるんだ。リタは見かけと違っ
て、キツいということを、まだ理解していないのか。
「でも……何かの取っ掛かりになれば……」
無理矢理に作る笑顔。だが、その表情は震えている。
ヴィルフリードは、その様子にいたたまれなくなり、フレアの手を掴んだ。
まるで、その小さな手の平にすがりつくように、両手で掴む。
まっすぐに、フレアを見るなんてとてもできず、ヴィルフリードは、首をうな
だれる。
擦れた声で、その言葉を床に落とした。
「人の深い部分を知りたいと思ったら……対峙するしかないんだ」
「……!」
フレアが乱暴にヴィルフリードの掴んだ手を振り払った。
彼女の琴線に、触れる言葉は承知だったのだから、ヴィルフリードは諦めたよ
うに、手を、なされるままに振り解く。
「だって、ゼクスは、いきなり私に踏み入ったじゃないか! 散々、蹴散らして
……!!
なのになんで私はダメなんだ!! アイツは……!」
出会って初めてまともに聞いた、フレアの大きな声。
それでも、ヴィルフリードは顔を上げなかった。
「けど、アイツはアンタと対峙した」
「……ゼクスは、魔力を使って私を……!」
「違うよ」
介入したのは、冷静なリタの声。
「多分だけど、違う。
彼の得意分野は、肉体の構成だ。記憶だとか……感情……は肉体から漠然とし
たものは感じ取れるだろうけどもでも、そんな細かいところを読み取ることなん
てできない。魔法はそこまで万能じゃない。
できるのは、せいぜい、感情や肉体を操作するか……あとは、近い出来事を、
忘れさせることが限界なんだ。それも、脳に物質を与えているに過ぎない。
それに、記憶や感情を知ることの出来る能力は、一般的にその他の力を使えな
いものなんだ」
「でも……! 夢の中でアイツは……」
勢いが削がれている。
あぁ、なんでこうも、この少女は痛々しいのか。
「フレアちゃんが何を見たのか、僕は知らない。
でも、ある種の要素を与えることは出来るんだ。何かを見たとしたら、それ
は、フレアちゃんが作り出したものに過ぎない」
「そう……なのか?」
「確かなことは言えないけど。
きっと」
見なくてもわかる。彼女はきっと今、少しだけ泣きそうな顔をしている。
でも、絶対泣くことはしないだろう。
そこまで彼女は子供っぽくは無い。
だから、馬鹿なんだ。
「深いところまで踏み入るのに、その人を抜きにして知るのは、ダメだ。それだ
けは、ダメなんだ」
思わず、フレアの顔を見る。
しかし、やはり、直後に訪れたのは後悔だ。
彼女が、白い肌を紅潮させ、必死に何かを堪えていることは、想像していたの
に。やはり、実際見ると、堪えるものがある。
ヴィルフリードは、それに耐え切れず、再び、目を一杯に見開く彼女の視線か
ら逃れる。
異形の者の取り巻く環境など、幸せなはずがない。
大きすぎる力がもたらすものに、救いがあるはずがない。
きっと、自分のことでいっぱいな彼女はそんなことには気づく余裕など無いと
分かっていながら、ヴィルフリードは、口をつむぐ。
それは……人が言うべきものじゃない。自身で気づくべきものだ
フレアは、目を伏せた。
「私は馬鹿だから……分からない」
フレアは、目を掴むように片方の顔を被った。
まるで、自分の溢れそうな感情を握り掴んで叩き捨てようとするかのように。
……もしくは、それが溢れるのを必死で抑えるかのように。
「なんでなんだ? なんで私一人が苦しい思いをしなきゃいけないんだ。
私だけなら……まだいい。……なんで、みんなを巻き込んでしまうんだ。嫌な
んだ。もう。
私が……何をした?」
彼女の細い身体が、僅かに震えている。
今、軽くでも彼女に触れたら、彼女は涙を流すのではないか。そう思わせるに
は十分な姿だった。
あるいは……泣かせたかったのかもしれない。
泣いてしまえとも思っていたのは事実だ。
ここまで、吐いてしまったのだ。泣いてしまえ。
ヴィルフリードは無責任にそう思っていた。
しかし。
ヴィルフリードは思う。
今の彼女には、これが限界なのだろう。
今、ここに、ディアンがいれば、彼女は泣いていただろうか?
または……さらにこの泣き言すら、堪えていただろうか。
少し、躊躇ったが、ヴィルフリードは、フレアの頭に、手を載せた。
驚いたように、フレアがヴィルフリードを見た。
先ほどの心配は杞憂だったようだ。彼女の目は、少し赤いものの、濡れてはい
なかった。
それを確認してのことではないだろうが、ヴィルフリードは、そのままフレア
の頭を軽くポンポン軽くなだめるように叩く。
「フレア。お前は明日の朝、ディアンとここを発つんだ。
いや、朝じゃダメだな。夜明け前がいい」
今さっきまでの空気が嘘のような、ヴィルフリードのひょうきんな響きを含む
声。
当然、フレアはそれに戸惑う。
「え……?」
「逃げちゃえって言っているんだよ。
ね? そうでしょ? ヴィルさん」
そこにまた、リタのふざけた含みを持つ真面目な声。
それを見て、にやりと、応じるヴィルフリード。
「察しがいいじゃねぇか、リタ」
「で……でも。私は……」
「こんな、うら若き乙女が、あんな変態のこと、イチイチ全部理解しようとして
たら相手は図に乗るってモンなんだよ。
ここはとっととケツまくって逃げた方が勝ちなんだよ」
「うわ。ヴィルさん、それ、女性にはセクハラ」
リタが茶々を入れる。
「うるせぇ。口が悪いのはもともとだ。
なにもわざわざ相手を喜ばせる必要なんざないんだ。ここは、逃げ出して相手
にマヌケな顔をさせてりゃいいんだよ」
「だけど……」
まだ、急展開に流されそうになるのに抗うフレアに、リタが呟きでそれをふさ
いだ。
「っていうかさ、フレアちゃんが待つ理由って、何一つないんじゃない?」
一瞬の沈黙。
しかし、フレアは、すぐに、慌てて何かに対して弁解する。
「で、でも、そうすると……周りに迷惑が……ほ、ホラ、ゼクスは私を狙ってい
るわけだし」
リタとヴィルフリードが顔を見合わせる。
「……っつーか……」
「むしろ、フレアちゃんがここにいたほうが、騒ぎが大きくなっちゃうよね?」
「連れのアイツは、好戦的だからガチンコ勝負しそうだし。ってか、俺、そのせ
いで怒られたようなもんだし」
「ディアンさんが、移動する気になっているうちに、ここを発っちゃうのが一番
良くない……?」
ヴィルフリードとリタの、サンドイッチ状の会話に、フレアの喉から、あ、と
いう小さな声がこぼれた。
再び。沈黙。
「なんなら、旅支度、手伝おうか?」
リタが立ち上がる。
その、今にも、支度をしそうなリタの様子を見て、フレアは慌てて止める。
「い、いや、それはいいが……いいのか? 本当に」
「嫌なんでしょ?
なのに、わざわざ相手を理解しようなんて、それこそ『思い上がり』だよ。
フレアちゃんは神様だとか聖母様とかじゃないんだから、当たり前じゃない」
さらに何かを言おうとしたフレアの唇を、リタの細い人差し指が塞ぐ。
どうせ、彼女から出る言葉は「でも」とか「しかし」から始まる、虚空の言葉
だろう。
「さっきより、分かりやすいでしょ?」
リタは、ニッコリと笑った。
NPC:NO CAST
場所:宿屋
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「あー……」
ヴィルフリードは、頭を掻いている手を下ろした。
「今回、俺は、よしとくわ」
少しばかり、フレアに軽い落胆の色が見えた。その反応が予測できたから、無
駄な動作や言葉が洩れたのだ、とヴィルフリードはフレアの顔を見ながらそのこ
とに、今更気づいた。
そんな彼女の表情から逃げるように、視線が自然と顎をさする自分の手に向け
られる。
「俺、あーゆーカタッ苦しい場所、嫌いだし。
資料探し? そーゆーの、苦手だし」
そう言って、ふと、リタに顔を向ける。
「リタは……得意そうだな」
「うん、得意だよ」
「……堂々と言うか」
真顔で答えるリタの反応に、ヴィルフリードは半眼で答える。
「謙遜は必ずしも美徳じゃないと思うんだ、僕。
なんか、能力の出し惜しみみたいにも見えるし、遠まわしに断っているみたい
に聞こえる時ってない?」
「……そーですかい」
小さく、脱力したように相槌を打つヴィルフリード。
そこに、フレアが期待の眼差しをリタに向ける。本当に、わずかな感情すらも
表現してしまう少女だ、とヴィルフリードは思った。
「……ということは、リタはついてきてくれるのか?」
微笑みながら、リタは当然かのように答えた。
「いいよ」
フレアの顔がわずかながら緩む。
が、それと同時にリタは表情を変えないまま付け加えた。
「でもね、あまり期待しないほうがいいよ。
昨日も言ったけど、彼のような遺伝子に影響を与えるほどの魔力の持ち主の事
例は少ないし。ほとんどが謎に包まれている」
「……確かに、あれも異様だったな」
思わず、ヴィルフリードが呟く。
「あれ……って?」
フレアが問いかける。
「……腕が切られたのに、血が一滴も出ず……しまいにゃくっつけたら治っち
まったんだ」
ヴィルフリードが、答える。
そして、今度はリタに向き直り、問いかける。
「俺はさ、魔法にゃ詳しくないんだが。アレはよく見かける回復魔法とは違うの
か?」
「根源的な作用は一緒だけども、別物だと言っていいかもしれない。
普通の魔法では、有り得ないから。
通常の魔法は術者の意識が発動されて、初めて物質に干渉する。
だけど、あれは……細胞自体が判断して、発動しているように感じた。反射神
経みたいなモノにまで、進化している。
……あの白いお兄さん……」
一瞬、ヴィルフリードの口の形が「へ」の字をかたどるが、フレアはそれに気
づかず、答えを言う。
「ディアンのことか?」
「そう、その人。その人が最初殴った時は、口の中が切れて血が流れていたん
だ。
判断しているんだよね。致命傷と、そうでないものを。
致命傷だけの時に反応するという仕組みだとしていたら……」
「あー。ちょっとスマン」
一人だけの思考に入りそうになっていたところを、ヴィルフリードが謝るよう
に軽く手のひらを顔ぐらいまでの高さ上げ、割り入った。
「……イデンシだとか、サイボーだとかってなんだ?
昨日もちょいと聞いたんだが。
……いや、実はな、流して済めばいいかなぁ、と思って、流してたんだが」
その隣で、フレアも小さく「わ、私も」と挙手をした。
「……フレアちゃんは若いからともかく、ヴィルさん、脳味噌使わないとボケ
ちゃうよ?」
「ほっとけ」
かすかにヴィルフリードの目の端が濡れていたが、若い二人は無視した。それ
は優しさなのか、それとも単に話が逸れるからなのか。
リタは軽く息を吸い、講義を始めた。
「細胞は、いわゆる生物の身体を構成しているもの。遺伝子は、生物の形質を記
録しているもの、とでも言えばいいかな? かなり簡単だけど。
ちなみに、細胞の確認は取れているけど、遺伝子はまだ、推論の域を出ないも
のだけども。現在では『ある』と仮定されているに過ぎない。
学会だとかではまだ、あまり認知されていないみたいだけど、僕はあると思っ
ている」
「……で。なんで、その一部の細胞が『判断』だなんて、まるで生きているよう
に扱うんだ?」
眉間に皺を寄せながら、質問をするヴィルフリード。
理解しようと必死なのだろうが、彼の額の皺は確実に深く刻まれていること
に、気づいているのだろうか。
そう思いながらも、リタは、優秀な教師宜しく、不出来な生徒に対する回答を
行う。
「細胞は生きているよ。一つ一つね。呼吸だってちゃんとしている。
死んでしまえば、老廃物……皮が剥けたりだとかね、そんなゴミとして排出さ
れるけど。
あと、腐ってしまったときも、死んでいる」
「なんか気持ち悪ィなぁ、想像すると」
今度は、口元に深い皺が刻まれる。
「そう? 僕なんか面白いと感じるけどね」
リタがニッコリと笑う。それはある種の分野に快感を得た時にのみ見られる、
独特の笑顔だった。
「身体欠損に使用される回復魔法は、形質を遺伝子から読み取って、細胞の活性
化を促しているという手順で、やっているのではないかと言われてるんだよね。
彼、ゼクスの場合は……魔力とともに……いや、魔力があるがゆえに、遺伝子
が変質してしまい、体質が変わってしまった……進化とでも呼ぶべきかな?
まぁ、あくまで、仮説の上で成り立っている推論だけども」
と、ここでリタは一息ついた。周りを見ると、ヴィルフリードとフレアは、目
を丸くしながらリタを見ていた。
「フレア……図書館なんかにもぉ行かなくていいんじゃないか?
ここに生きる図書館がいる」
「……そうかもしれないな」
「失礼だなぁ。これは、一部の知識から成り立っている、あくまで推論なんだ
よ?
まだ見ていない本は無数にあるからね。こんな狭い了見しか持っていない僕の
知識で感心しちゃダメだよ」
照れの一切混ざっていない、言葉。
それが余計にリタの知識欲を浮き上がらせて見せていた。
「……で、そもそも、フレアちゃんは一体、図書館で何を調べたいの?」
「え……?」
「ゼクスの、何について調べたいの?
症例が少ないのだから、『絶対に』なんて事は無い。
もし、『寿命が短い』とかの事例があったら、フレアちゃんはどうするの?
どうしたいの?」
まっすぐとフレアの目を見ながらリタは問う。
それに対してフレアは、真正面から受け止めるように、見つめ返している。少
し、不安そうな感情が、見られている。
「私はただ……ゼクスが……何を考えているのか……知りたくて」
途切れ途切れになりながら、搾り出すように答えるフレアを見て、ヴィルフ
リードはその光景から目を逸らす。
なぜ、視線をはずすことすらしないのか。その不器用さが、やはりヴィルフ
リードにとって少し辛い。
「個人の思考なんて、本に載っていない」
フレアの瞳が揺れる。
馬鹿正直に真正面から対峙するから、深く抉られるんだ。リタは見かけと違っ
て、キツいということを、まだ理解していないのか。
「でも……何かの取っ掛かりになれば……」
無理矢理に作る笑顔。だが、その表情は震えている。
ヴィルフリードは、その様子にいたたまれなくなり、フレアの手を掴んだ。
まるで、その小さな手の平にすがりつくように、両手で掴む。
まっすぐに、フレアを見るなんてとてもできず、ヴィルフリードは、首をうな
だれる。
擦れた声で、その言葉を床に落とした。
「人の深い部分を知りたいと思ったら……対峙するしかないんだ」
「……!」
フレアが乱暴にヴィルフリードの掴んだ手を振り払った。
彼女の琴線に、触れる言葉は承知だったのだから、ヴィルフリードは諦めたよ
うに、手を、なされるままに振り解く。
「だって、ゼクスは、いきなり私に踏み入ったじゃないか! 散々、蹴散らして
……!!
なのになんで私はダメなんだ!! アイツは……!」
出会って初めてまともに聞いた、フレアの大きな声。
それでも、ヴィルフリードは顔を上げなかった。
「けど、アイツはアンタと対峙した」
「……ゼクスは、魔力を使って私を……!」
「違うよ」
介入したのは、冷静なリタの声。
「多分だけど、違う。
彼の得意分野は、肉体の構成だ。記憶だとか……感情……は肉体から漠然とし
たものは感じ取れるだろうけどもでも、そんな細かいところを読み取ることなん
てできない。魔法はそこまで万能じゃない。
できるのは、せいぜい、感情や肉体を操作するか……あとは、近い出来事を、
忘れさせることが限界なんだ。それも、脳に物質を与えているに過ぎない。
それに、記憶や感情を知ることの出来る能力は、一般的にその他の力を使えな
いものなんだ」
「でも……! 夢の中でアイツは……」
勢いが削がれている。
あぁ、なんでこうも、この少女は痛々しいのか。
「フレアちゃんが何を見たのか、僕は知らない。
でも、ある種の要素を与えることは出来るんだ。何かを見たとしたら、それ
は、フレアちゃんが作り出したものに過ぎない」
「そう……なのか?」
「確かなことは言えないけど。
きっと」
見なくてもわかる。彼女はきっと今、少しだけ泣きそうな顔をしている。
でも、絶対泣くことはしないだろう。
そこまで彼女は子供っぽくは無い。
だから、馬鹿なんだ。
「深いところまで踏み入るのに、その人を抜きにして知るのは、ダメだ。それだ
けは、ダメなんだ」
思わず、フレアの顔を見る。
しかし、やはり、直後に訪れたのは後悔だ。
彼女が、白い肌を紅潮させ、必死に何かを堪えていることは、想像していたの
に。やはり、実際見ると、堪えるものがある。
ヴィルフリードは、それに耐え切れず、再び、目を一杯に見開く彼女の視線か
ら逃れる。
異形の者の取り巻く環境など、幸せなはずがない。
大きすぎる力がもたらすものに、救いがあるはずがない。
きっと、自分のことでいっぱいな彼女はそんなことには気づく余裕など無いと
分かっていながら、ヴィルフリードは、口をつむぐ。
それは……人が言うべきものじゃない。自身で気づくべきものだ
フレアは、目を伏せた。
「私は馬鹿だから……分からない」
フレアは、目を掴むように片方の顔を被った。
まるで、自分の溢れそうな感情を握り掴んで叩き捨てようとするかのように。
……もしくは、それが溢れるのを必死で抑えるかのように。
「なんでなんだ? なんで私一人が苦しい思いをしなきゃいけないんだ。
私だけなら……まだいい。……なんで、みんなを巻き込んでしまうんだ。嫌な
んだ。もう。
私が……何をした?」
彼女の細い身体が、僅かに震えている。
今、軽くでも彼女に触れたら、彼女は涙を流すのではないか。そう思わせるに
は十分な姿だった。
あるいは……泣かせたかったのかもしれない。
泣いてしまえとも思っていたのは事実だ。
ここまで、吐いてしまったのだ。泣いてしまえ。
ヴィルフリードは無責任にそう思っていた。
しかし。
ヴィルフリードは思う。
今の彼女には、これが限界なのだろう。
今、ここに、ディアンがいれば、彼女は泣いていただろうか?
または……さらにこの泣き言すら、堪えていただろうか。
少し、躊躇ったが、ヴィルフリードは、フレアの頭に、手を載せた。
驚いたように、フレアがヴィルフリードを見た。
先ほどの心配は杞憂だったようだ。彼女の目は、少し赤いものの、濡れてはい
なかった。
それを確認してのことではないだろうが、ヴィルフリードは、そのままフレア
の頭を軽くポンポン軽くなだめるように叩く。
「フレア。お前は明日の朝、ディアンとここを発つんだ。
いや、朝じゃダメだな。夜明け前がいい」
今さっきまでの空気が嘘のような、ヴィルフリードのひょうきんな響きを含む
声。
当然、フレアはそれに戸惑う。
「え……?」
「逃げちゃえって言っているんだよ。
ね? そうでしょ? ヴィルさん」
そこにまた、リタのふざけた含みを持つ真面目な声。
それを見て、にやりと、応じるヴィルフリード。
「察しがいいじゃねぇか、リタ」
「で……でも。私は……」
「こんな、うら若き乙女が、あんな変態のこと、イチイチ全部理解しようとして
たら相手は図に乗るってモンなんだよ。
ここはとっととケツまくって逃げた方が勝ちなんだよ」
「うわ。ヴィルさん、それ、女性にはセクハラ」
リタが茶々を入れる。
「うるせぇ。口が悪いのはもともとだ。
なにもわざわざ相手を喜ばせる必要なんざないんだ。ここは、逃げ出して相手
にマヌケな顔をさせてりゃいいんだよ」
「だけど……」
まだ、急展開に流されそうになるのに抗うフレアに、リタが呟きでそれをふさ
いだ。
「っていうかさ、フレアちゃんが待つ理由って、何一つないんじゃない?」
一瞬の沈黙。
しかし、フレアは、すぐに、慌てて何かに対して弁解する。
「で、でも、そうすると……周りに迷惑が……ほ、ホラ、ゼクスは私を狙ってい
るわけだし」
リタとヴィルフリードが顔を見合わせる。
「……っつーか……」
「むしろ、フレアちゃんがここにいたほうが、騒ぎが大きくなっちゃうよね?」
「連れのアイツは、好戦的だからガチンコ勝負しそうだし。ってか、俺、そのせ
いで怒られたようなもんだし」
「ディアンさんが、移動する気になっているうちに、ここを発っちゃうのが一番
良くない……?」
ヴィルフリードとリタの、サンドイッチ状の会話に、フレアの喉から、あ、と
いう小さな声がこぼれた。
再び。沈黙。
「なんなら、旅支度、手伝おうか?」
リタが立ち上がる。
その、今にも、支度をしそうなリタの様子を見て、フレアは慌てて止める。
「い、いや、それはいいが……いいのか? 本当に」
「嫌なんでしょ?
なのに、わざわざ相手を理解しようなんて、それこそ『思い上がり』だよ。
フレアちゃんは神様だとか聖母様とかじゃないんだから、当たり前じゃない」
さらに何かを言おうとしたフレアの唇を、リタの細い人差し指が塞ぐ。
どうせ、彼女から出る言葉は「でも」とか「しかし」から始まる、虚空の言葉
だろう。
「さっきより、分かりやすいでしょ?」
リタは、ニッコリと笑った。
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