人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
------------------------------------------------------------------------
カフールを知らない人と、私は旅をしていた……。
なんだか不思議。
残念なような、ちょっとホッとするような、胸がザワザワするような、そんな気持
ち。
何時だって過保護な幼なじみに守られてきた頃と、何がどう変わったというのだろ
う?
コン コン コン
ドアが三回ノックされる。さっき船医と決めた合図だった。
「……どうぞ」
あまり気が進まなかったが、さっき飲ませてもらった薬が効いてきたのか、体は大
分楽になっている。
……感謝してはいるのだ。拒むのもおかしな話だろう。
静かにドアが開くと、船医がにこやかな顔で立っていた。地味なオジサンだ。
横になったまま会釈をするのもなんなので、体を起こそうとしたら手を貸してくれ
た。僅かに触れた生暖かさに嫌悪感が走る。……知らないオジサンに触られるなん
て、ゾッとしてしまう。
勿論この人が悪い人だと思っているわけでもなく、感謝すらしていたのだが、見知
らぬ父親世代の男性というのはどうも苦手だった。
「どうだい、具合は」
狭い船室に入りながら、ゆっくり話す船医。
私は社交辞令の笑顔を向けて、礼を言った。
「お陰で随分楽になってきました。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
船医は笑って、ベッド脇の小さなイスに腰掛けた。
「しかし、驚きの回復力だね。カフールの技術?」
「なっ……!?」
意外な言葉に思考が固まる。
私の反応を見て困ったように笑うと、船医はゆっくり説明してくれた。
「医学を学んだときにね、聞いたことがあるんだ。でも、見たことはなかった」
小さな国のことだが、知っている人もいるのだなぁと驚いた。
他に何か知っていること、どんな些細なことでもイイ、知りたかった。
「カフールって国のこと、覚えてるんだね?」
「……はい」
なんと答えようか迷って、正直に返事する。
少しでも情報が欲しい。それが本音。
「記憶が一時的に失われることは、そんなに珍しいことじゃないんだよ。
原因だって心因性か外傷性だけじゃない、魔法や薬の副産物、なんてコトもある」
ゆっくりゆっくり、語りかけてくる。
「だから、そんなに焦らなくても大丈夫、君は一人じゃないからね」
目頭が熱くなった。感動したせいではなく、孤独感が押し寄せてきたのだ。
泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか。
目を伏せて下唇を噛んで、ただ、寂しさと戦っていた。
都合のいいように解釈したのか、船医はうんうんと頷いてから笑う。
何とか涙を堪えると、セラフィナは曖昧に笑い返した。
「そうそう、カフールといえばね……」
「なんでしょう?」
喉から手が出そうなほどの、祖国の情報。
こんなに遠いところで聞ける情報など限られているだろうが、それでも期待は隠せ
ない。
「お、食いつきがイイね」
船医が笑う。
船医の気分が変わらないようにと、セラフィナも必死さを隠して笑顔を向けた。
「ちょっと前に皇女サマが結婚したそうだよ」
頭を殴られたような衝撃だった。
「相手……は?」
「えーと、シカラグァの王子じゃなかったかな。なんにせよめでたい話だよね」
ニコニコニコ。
何も知らずに笑う船医が憎らしかった。
脈を取ったり熱を計ったりしている間も、うわの空で考え事をしていたのだが。
「!!」
行き当たった考えに驚愕する。
「はい、おしまい……どうかした?」
「あの……ライさん、呼んできて下さい……」
カタカタカタ。体が震える。
「顔色が悪いよ……?」
「……いいから早く!」
居ても立ってもいられなかった。
慌ててライを呼びに行く船医を見送ることもせず、毛布をかき寄せるようにして震
えていた。
ライが来るまでが、とても永く感じられた。
不安なままの時間が延々と続きそうで、震えが止まらなかった。
「……どうしたの!?」
慌てた様子で入ってくるライを見て、思わずほっとして泣きそうになる。
でも泣かない。泣いたりしない。
目に涙を溜めながらも、けして流さない涙を何とか押さえ込んで言った。
「聞きたいことがあります、人払いを」
「……答えられる範囲なら答えてあげるよ」
彼はまた曖昧に笑う。
その笑顔の下にどういう感情があるのか、よくわからなかった。
呼びに行った船医も一緒に来ていたのだろう、ライは私から見えない位置にいる人
物に一言二言告げると、扉を閉めて振り返った。
「で、質問は何かな?」
ちょっと茶化すように、ライが笑う。
「私は指輪や腕輪を身につけていませんでしたか?海に落ちたときになくしたりと
か、無いですよね?」
ちょっと早口になる。かなり焦っているのだろうが、抑えが効かない。
「なかったと……思うけど」
困惑の表情を浮かべて、ライが首を傾げる。
「……大事なモノ?」
思わず首を横に振った。
「わかりません、わからないんです……」
両手で顔を覆う。
「もしかしたら結婚していたかもしれなくて、そうじゃないと思いたいけどで
も……」
「……えーと」
ライは髪を掻きながら言葉を選んでいるようだった。
その彼が紡いだ言葉は……。
「指輪も腕輪もはめてないってコトは、結婚してない、と考えるのが自然じゃないか
なぁ?」
「…………」
二人の間に沈黙が流れる。
でも、ライは何も言わなかった。こちらを待っていてくれたのかもしれない。
私の記憶はシカラグァで途切れていて、その旅行は父親お得意の政略的なもので、
もっとハッキリ言ってしまえば「政略結婚の為のお見合い旅行」だったのだ。
しかも姉は二つ年上で、何も問題がなければもっと早くに結婚しているはずだ。と
すると、噂の結婚というのが自分のことである可能性を否定できない。
「船医の方から噂を聞きました。私……皇女なんです」
ぽつり。
言うべきことではなかったかもしれないけれど、言葉が独りでに出てきた。
「……うわぁ」
予想外の言葉にライも絶句する。
……また二人の間に沈黙が流れた。
今の呟きは間違っていたのだろうか。
彼に今まで言わなかったのは隠していたからなのか、言いそびれていたのか、聞か
れなかっただけなのか。
なんにせよ、言ったことがなかったのだ。いきなり聞かされても困るだろう。
重く永い沈黙を破ったのは、場違いなほどに明るいセラフィナの声だった。
「忘れて下さい」
笑顔を向ける。満面の笑み。
それまでの表情がすべて芝居であったかのような、本物の笑顔。
「あー……うん、冗談だ……よね?」
「……そういうコトにしておきましょう?」
沈黙が、何かを吹っ切れさせた。この人の言うことを、信じてみたい気分になって
いた。
きっと結婚話は姉のことで、自分のことではないのだ。指輪の跡もないし、きっと
そうだ。
混乱させてしまった彼には申し訳ないが、凄く肩の荷が下りたような気がして、笑
った。
「そうそう、ティリーが一緒にコールベルに行くって」
首を傾げながら、なんだかいまいち納得していない様子のライがそう告げる。
沈黙が辛くなることもあるかも知れない。彼に慣れるまででも、人が居てくれるの
は確かにありがたい。
でも。たった二人きりの旅だったことに意味はなかったんだろうか。
「ライさんは、同意したんですか?」
「うん、断る理由も無かったし」
やっぱりよくわからない人だ。なんというか、つかみ所がない。
……でも、以前ほどイヤなカンジはしなかった。
「じゃあ、仲良くできるとイイですね」
ふー…………。
ゆっくりと息を吐き出す。
イヤな汗をたっぷりかいたせいか疲労感がどっと押し寄せてきた。だが、頭が興奮
したままなのだろう、それはそれで心地いい。
今眠ると、きっと深い眠りにつける。
穏やかなまどろみに身を任せて、理解できないことはしばらくおあずけ。
たまにはそれもイイかな、と思っている自分に苦笑する。
「興奮したら、なんだか疲れちゃいました」
肩を落として、力無く笑う。
ライがポンポンっとセラフィナの頭に手を乗せて言った。
「いい子は早く寝ないとね」
……また、子供扱い。でも、触れたのがイヤじゃなくてホッとする。
セラフィナは小さく頷くと、自力で毛布へと滑り込んだ。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
二人の声が、重なる。
セラフィナは軽く吹き出して、目を閉じた。
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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カフールを知らない人と、私は旅をしていた……。
なんだか不思議。
残念なような、ちょっとホッとするような、胸がザワザワするような、そんな気持
ち。
何時だって過保護な幼なじみに守られてきた頃と、何がどう変わったというのだろ
う?
コン コン コン
ドアが三回ノックされる。さっき船医と決めた合図だった。
「……どうぞ」
あまり気が進まなかったが、さっき飲ませてもらった薬が効いてきたのか、体は大
分楽になっている。
……感謝してはいるのだ。拒むのもおかしな話だろう。
静かにドアが開くと、船医がにこやかな顔で立っていた。地味なオジサンだ。
横になったまま会釈をするのもなんなので、体を起こそうとしたら手を貸してくれ
た。僅かに触れた生暖かさに嫌悪感が走る。……知らないオジサンに触られるなん
て、ゾッとしてしまう。
勿論この人が悪い人だと思っているわけでもなく、感謝すらしていたのだが、見知
らぬ父親世代の男性というのはどうも苦手だった。
「どうだい、具合は」
狭い船室に入りながら、ゆっくり話す船医。
私は社交辞令の笑顔を向けて、礼を言った。
「お陰で随分楽になってきました。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
船医は笑って、ベッド脇の小さなイスに腰掛けた。
「しかし、驚きの回復力だね。カフールの技術?」
「なっ……!?」
意外な言葉に思考が固まる。
私の反応を見て困ったように笑うと、船医はゆっくり説明してくれた。
「医学を学んだときにね、聞いたことがあるんだ。でも、見たことはなかった」
小さな国のことだが、知っている人もいるのだなぁと驚いた。
他に何か知っていること、どんな些細なことでもイイ、知りたかった。
「カフールって国のこと、覚えてるんだね?」
「……はい」
なんと答えようか迷って、正直に返事する。
少しでも情報が欲しい。それが本音。
「記憶が一時的に失われることは、そんなに珍しいことじゃないんだよ。
原因だって心因性か外傷性だけじゃない、魔法や薬の副産物、なんてコトもある」
ゆっくりゆっくり、語りかけてくる。
「だから、そんなに焦らなくても大丈夫、君は一人じゃないからね」
目頭が熱くなった。感動したせいではなく、孤独感が押し寄せてきたのだ。
泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか。
目を伏せて下唇を噛んで、ただ、寂しさと戦っていた。
都合のいいように解釈したのか、船医はうんうんと頷いてから笑う。
何とか涙を堪えると、セラフィナは曖昧に笑い返した。
「そうそう、カフールといえばね……」
「なんでしょう?」
喉から手が出そうなほどの、祖国の情報。
こんなに遠いところで聞ける情報など限られているだろうが、それでも期待は隠せ
ない。
「お、食いつきがイイね」
船医が笑う。
船医の気分が変わらないようにと、セラフィナも必死さを隠して笑顔を向けた。
「ちょっと前に皇女サマが結婚したそうだよ」
頭を殴られたような衝撃だった。
「相手……は?」
「えーと、シカラグァの王子じゃなかったかな。なんにせよめでたい話だよね」
ニコニコニコ。
何も知らずに笑う船医が憎らしかった。
脈を取ったり熱を計ったりしている間も、うわの空で考え事をしていたのだが。
「!!」
行き当たった考えに驚愕する。
「はい、おしまい……どうかした?」
「あの……ライさん、呼んできて下さい……」
カタカタカタ。体が震える。
「顔色が悪いよ……?」
「……いいから早く!」
居ても立ってもいられなかった。
慌ててライを呼びに行く船医を見送ることもせず、毛布をかき寄せるようにして震
えていた。
ライが来るまでが、とても永く感じられた。
不安なままの時間が延々と続きそうで、震えが止まらなかった。
「……どうしたの!?」
慌てた様子で入ってくるライを見て、思わずほっとして泣きそうになる。
でも泣かない。泣いたりしない。
目に涙を溜めながらも、けして流さない涙を何とか押さえ込んで言った。
「聞きたいことがあります、人払いを」
「……答えられる範囲なら答えてあげるよ」
彼はまた曖昧に笑う。
その笑顔の下にどういう感情があるのか、よくわからなかった。
呼びに行った船医も一緒に来ていたのだろう、ライは私から見えない位置にいる人
物に一言二言告げると、扉を閉めて振り返った。
「で、質問は何かな?」
ちょっと茶化すように、ライが笑う。
「私は指輪や腕輪を身につけていませんでしたか?海に落ちたときになくしたりと
か、無いですよね?」
ちょっと早口になる。かなり焦っているのだろうが、抑えが効かない。
「なかったと……思うけど」
困惑の表情を浮かべて、ライが首を傾げる。
「……大事なモノ?」
思わず首を横に振った。
「わかりません、わからないんです……」
両手で顔を覆う。
「もしかしたら結婚していたかもしれなくて、そうじゃないと思いたいけどで
も……」
「……えーと」
ライは髪を掻きながら言葉を選んでいるようだった。
その彼が紡いだ言葉は……。
「指輪も腕輪もはめてないってコトは、結婚してない、と考えるのが自然じゃないか
なぁ?」
「…………」
二人の間に沈黙が流れる。
でも、ライは何も言わなかった。こちらを待っていてくれたのかもしれない。
私の記憶はシカラグァで途切れていて、その旅行は父親お得意の政略的なもので、
もっとハッキリ言ってしまえば「政略結婚の為のお見合い旅行」だったのだ。
しかも姉は二つ年上で、何も問題がなければもっと早くに結婚しているはずだ。と
すると、噂の結婚というのが自分のことである可能性を否定できない。
「船医の方から噂を聞きました。私……皇女なんです」
ぽつり。
言うべきことではなかったかもしれないけれど、言葉が独りでに出てきた。
「……うわぁ」
予想外の言葉にライも絶句する。
……また二人の間に沈黙が流れた。
今の呟きは間違っていたのだろうか。
彼に今まで言わなかったのは隠していたからなのか、言いそびれていたのか、聞か
れなかっただけなのか。
なんにせよ、言ったことがなかったのだ。いきなり聞かされても困るだろう。
重く永い沈黙を破ったのは、場違いなほどに明るいセラフィナの声だった。
「忘れて下さい」
笑顔を向ける。満面の笑み。
それまでの表情がすべて芝居であったかのような、本物の笑顔。
「あー……うん、冗談だ……よね?」
「……そういうコトにしておきましょう?」
沈黙が、何かを吹っ切れさせた。この人の言うことを、信じてみたい気分になって
いた。
きっと結婚話は姉のことで、自分のことではないのだ。指輪の跡もないし、きっと
そうだ。
混乱させてしまった彼には申し訳ないが、凄く肩の荷が下りたような気がして、笑
った。
「そうそう、ティリーが一緒にコールベルに行くって」
首を傾げながら、なんだかいまいち納得していない様子のライがそう告げる。
沈黙が辛くなることもあるかも知れない。彼に慣れるまででも、人が居てくれるの
は確かにありがたい。
でも。たった二人きりの旅だったことに意味はなかったんだろうか。
「ライさんは、同意したんですか?」
「うん、断る理由も無かったし」
やっぱりよくわからない人だ。なんというか、つかみ所がない。
……でも、以前ほどイヤなカンジはしなかった。
「じゃあ、仲良くできるとイイですね」
ふー…………。
ゆっくりと息を吐き出す。
イヤな汗をたっぷりかいたせいか疲労感がどっと押し寄せてきた。だが、頭が興奮
したままなのだろう、それはそれで心地いい。
今眠ると、きっと深い眠りにつける。
穏やかなまどろみに身を任せて、理解できないことはしばらくおあずけ。
たまにはそれもイイかな、と思っている自分に苦笑する。
「興奮したら、なんだか疲れちゃいました」
肩を落として、力無く笑う。
ライがポンポンっとセラフィナの頭に手を乗せて言った。
「いい子は早く寝ないとね」
……また、子供扱い。でも、触れたのがイヤじゃなくてホッとする。
セラフィナは小さく頷くと、自力で毛布へと滑り込んだ。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
二人の声が、重なる。
セラフィナは軽く吹き出して、目を閉じた。
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